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  1. 【11】三日月順番に風呂に入って、『しょうちゃんのパジャマも置いてあるよ』と言われたのはいいけれど。なんだ、これ?真っ白いタオル地で、真っ赤の大きな水玉模様入り。形も、ピエロみたいにふんわりふわふわしたやつで、揃いの三角の帽子まで置いてあった。これ、、、着るんだよな?これには、どういう意図があるんだろう?もしかして、俺が勘違いしてきたのか?単なる、話し相手だと思ってきたけど、実は、リアル着せ替え人形のようなものをご所望なのかも?でも……。逆らえないよな?一応、これは仕事なんだし、あんな館に戻されるぐらいなら、着せ替え人形のほうがマシか?腹をくくって、俺には到底不釣り合いなピエロパジャマを着てリビングに戻ったら、、、。お揃いかよっっ!雅紀も色違いで同じものを着ていた。しかも、丁寧に帽子まで被ってる。「あっ、しょうちゃん、あがった?わぁっ♪似合う、似合う♪」嬉しそうに、タタタっと駆け寄ってきて、上から下から見回してるけど、、、。雅紀、、、お前のほうが、相当、似合ってるぞ?深緑の水玉模様は、雅紀を森の妖精みたいに演出している。「これ、なんなの?いや、雅紀はかわいいよ?すげー、似合ってると思うけど……」「だってね、ティンティンに、修学旅行はお揃いのパジャマでテンションアップって書いてあったんだもん♪」ティンティン?修学旅行?これは、聞いてみないことには、さっぱりだ。「ティンティンで修学旅行ってなに?」「ティンティン、知らない?ちょっと、待ってて?」手を引いて俺をソファに座らせると、雑誌を持ってきて隣にピッタリくっついて座る。雑誌の表紙には、笑顔の雅紀が大きく載っかっていた。うっ、、やばい、ちょっと、かわいくね?しかも、雑誌の中の人が、すぐ隣にいるってのも不思議だ。雑誌の表紙には、《TINTIN》の文字があったから、ティンティンの意味はわかった。いわゆる、10代向けのファッション雑誌ってやつだ。俺の腿に雑誌を乗せて、雅紀が細い指先でめくるから、近すぎた距離は、さらに間を無くして、俺はやや仰け反ってる。「えっとね……ほら?ここ?修学旅行には、お友達とお揃いのパジャマでテンションアップって書いてあるでしょ?」雅紀の言うように、、確かに書いてあるけど、これって、女子向けじゃねぇの?それに、、、修学旅行ってなに?というか、雅紀、いい香りするなぁ、、、クンクン♪って、違ぇだろっっ!!!あんな館にいたから、俺、頭がおかしくなってんじゃね?「修学旅行って?まぁ、お揃いのパジャマで、雅紀がテンションアップ出来るなら、俺はいいんだけど。」「あのね、修学旅行って、寝る前に、友達とお喋りする時間が楽しいんでしょ?僕、それやってみたいの♪」それやってみたいって……。「もしかして、修学旅行、行ったことねぇの?」寂しそうに笑顔を作って、ゆっくり頷いたあと、つぶらな瞳が期待いっぱいに俺を見つめてくるから。俺は、とてつもなく誤解していたんだと思う。雅紀は、友達をご所望なだけじゃない。きっと、友達とやってこれなかったことも含めて、友達と過ごす時間から取り戻したかったということを。…つづく…💜💜💜

    櫻葉【11】三日月
  2. アメリカ合衆国の大統領🇺🇸トランプ氏が再選されたことで、世界の流れが大きく変わっていくそうです。日本メディアは大激戦だと報道していたけど実際はトランプ氏が圧勝でしたね日本は世界の縮図というけど、アメリカのような大国は世界の反映。アメリカ大統領が変わったことで集合意識も動いて他国にも影響を与え世界の流れが大きく変わる。支配者側の一部の特権で固められた巨大な組織が崩れていく。国民の民意が支配者側に勝ったのだと思います。これから世の中は大きく変わっていくし、日本への影響も大きいでしょう。戦争を止める。国境に壁を作り移民を止める。これはトランプ氏がすぐに実行するという公約の一部です。戦争によって子どもたちや善良な人々、罪のない命が奪われているので、戦争を止めるは賛成🙋‍♀️移民を止めるのはアメリカを守るため。移民の方々には帰りの交通費だけ、アメリカ側が支払うとか。移民は日本も深刻な問題があり、日本でも移民を止めてほしいです。カマラハリス氏の敗北宣言は今までの演説の中で一番良かったという声が上がっていたので、私も聞いてみました。まず、選挙結果を共に受け入れるのが民主主義の原則だと支持者に呼びかけました。『今、皆さんはいろんな感情を抱えていると思います。しかし私たちはこの選挙結果を受け入れなければなりません。悲しんだり、ガッカリしてもいいのです。若者たちへあなたたちには力があるのです。誰かが前例がないから不可能だと言っても決して耳を傾けてはいけません。私たちは空を輝かしい無数の星々の光で満たしていきましょう。その光は希望、信念、真実、そして奉仕の光です。それは皆さんのことですよ』皆さんのひとり一人がヒーローだとエールを贈っていました。ハリス氏の敗北宣言を聴いて、彼女は選挙結果の全貌を見据えた上でアメリカ国民の精神性の開花のために一役かってくれたかもしれないと思いました。アメリカ改革のために選挙対決の役者を演じてくれたという情報もあり、敗北宣言の時のスッキリした笑顔を見てそうかもしれないと思いました。この地球の大転換期には救世主やスーパーヒーローが現れて世の中を良くしてくれるのではないか、以前の私は思っていました。国が、政府が、自治体が、機関が、何かしてくれないと自分たちの力ではどうすることもできない。それこそが自分の能力を封じ込めてきた自分を小さくした生き方だったと。トランプ氏の型破りのエネルギーは世の中の流れを変える力があるそうです。それは名前にも隠されていますね。トランプの意味他のすべての札を負かす力を与えられている。とっておきの手段、最後の切り札、決め手、隠し球、奥の手、トランプ(とっておきの奥の手)の影響力に縋りつき、何もせずに依存だけなら、世の中が良くなるとは限らない。世の中が急激に変わっていくので、いろんな波乱があると思うけど、自分はどう生きていくのか、一人ひとりが自己を確立して、環境や組織に依存しないことが混乱に飲まれないで世の中を良くする生き方と思う♥️♦️♠️♣️恋娘❤️〜(ゝ。∂)

    トランプ❤️流れを変える最後の切り札♠️
  3. 【12】三日月「なるほど。でも、野郎はあまり喋んないで寝てたな。」「そうなんだ……」「ん、でも、修学旅行やってみよう、な?」雑誌を置いて立ち上がると、手を差し出してみる。もちろん、雅紀のテンションというかペースに合わせての行動だったけど、その手を握り返された時は、なんだか俺まで嬉しくなった。雅紀を立ち上がらせると、今度は俺が腕を引っ張られて寝室へ案内された。のは、いいんだけど……。「ベッドか……」しかも、ひとつ。「ベッドはダメなの?」「いや、修学旅行って布団だったから。」「あっ、そうなんだ。じゃ、じゃ、明日、お布団買ってくるね?今日は、僕はソファで寝たらいいかな。」残念そうな顔をして、ベッドの上に置いてあったブランケットを取って、部屋から出ていこうとするから、慌てて腕を掴んで引き寄せた。「ひゃんっ!?」「ベッドで、ベッドで修学旅行やろう?お喋りするなら、どっちだって同じだろ?それとも雅紀は、布団がいいのか?俺は、、ベッドで修学旅行やりたいな?」とは、言ったよ?でも、近すぎないか?ベッドに入ってみたものの、ピッタリと寄り添われてる。雅紀の三角帽子が、俺の頬に触ってくすぐったいぐらいの距離だ。ほんと、パーソナルスペース皆無なのかよ?でも、雅紀の言葉で、雅紀が欲してるものは、友達と、友達との時間と、それから誰かに甘えるというか、誰かの温もりを感じたかったんじゃないかって思った。どんな事情があるのか知らないけど、雅紀が手に出来なかったものなんだろう。「しょうちゃん、二人だとあったかいねぇ……なんか、安心するぅ♪」「そうだな……で、修学旅行かぁ、、、。好きな子の話でもする?」「・・・・・・・・・・・・・。」そっか。友達がいないってことは、好きな子の話も、、だめか?「ん~、じゃ、何がいいかなぁ?雅紀はさ?雅紀?」肩の辺りに目をやると、規則性のある呼吸が繰り返されていて、雅紀はすでに寝ていた。寝るの早くね?でも、一日、働いてきたんだよな?どんだけ忙しいのかわからないけど。俺が考えてるよりも、孤独で、自分との戦いなのかもしれない。我が儘アイドルなんて思っていたけど、それは、世間の目がそう見てるだけであって、必ずしもそうとは限らないってことか。相変わらず、三角帽子がくすぐったいから、そっと脱がせてみたんだけど、今度は、ふわふわの髪が俺の眠りを妨げてくる。だから、起こさないように寝返りをうって背中を向けてみたんだけど。なんだろ?この罪悪感……。どうせ朝になったら、寝相なんてめちゃくちゃなんだから、気にすることはないはず。その時、背中にまたふわふわとしたものがすり寄ってくるから。クソーッ!なんなんだよ!俺は、雅紀のほうに向き直ると、その、ふわふわの髪を押さえ込むように、雅紀を胸のなかに閉じ込めて抱き締めた。けれど、それで安心したのは俺のほうだったのかもしれない。…つづく…💜💜💜💜💜

    櫻葉【12】三日月
  4. 【1】◆蠱惑◆ここは嵐株式会社。雨乞い支援をはじめ、うちわやタオルの製造販売を行っている。どうしよう…。今日は、ボクが発注を間違えて、櫻井部長に迷惑をかけちゃったんだけど…。大好きな部長に迷惑かけっぱなしで、頭が上がらないんだ。「部長、すみませんでした。」「相葉くん、気にすることないよ。変わりに、少し残業頼めるかな?」「は、はいっ!」昼間、発注手違いのやり取りを部長がやってくれた変わりに、残業して、部長の溜まってる仕事を手伝うことになった。でも、パソコン…苦手なんだよなぁ。それに部長と二人きり、、、緊張する。「あ、あの部長…ちょっとわからないとこがあって。」『どれどれ…』って部長がやってきてくれて。後ろから覆い被さるようにパソコンを覗いてきた。うわぁっ///ちょっと恥ずかしいよ…。なんて思ってたら、マウスの上に置いてたボクの手の上に、部長の手が重なった。優しく添えられた手にドキドキしてしまう。そのまま、ゆっくり動かして、部長が説明してくれるけど、耳元で言われるから、部長の吐息に刺激されて、ドキドキしてて頭に入ンない…。そんなことされたら、ボクのマウスが、マングースになっちゃう…何、言ってんのかな、ボク。「相葉くん?大丈夫?顔が赤いけど、熱があるのかな?」「あ、あの、すみません。だ、大丈夫ですっ!でも、もう一回教えて下さい…」ヤバイ!マウスがマングースになるのを抑えるのに必死で全然聞いてなかった。櫻井部長は、フッと笑うと、今日、ボクを見捨てて先に帰りやがった隣のディスクのニノの椅子を引っ張ってくると、そこに座った。ボクの椅子を向かい合うように回転させて…。恥ずかしい…顔が上げられない。「ほんとに大丈夫?」伸ばされた手のひらが、ボクの頬に添えられて、、、チラっと見たら、優しい眼差しを向けてくれていた。「大丈夫です…パソコン、苦手で、すみません。」「それだけ?」「え?」「パソコン苦手なだけ?上の空だったじゃない?何か、悩みでもあるんじゃないの?」バ、バレてる(^◇^;)部長はすごいんだ。仕事も出来るし、部下からも慕われてるし、悩みの相談にも乗ってくれるし、ほんとにすごい人なんだ。でも、、、部長が好きなのが悩みで…なんて、本人を目の前にして言えないし。「あ、あの…だいじょーぶ、、、です。」部長は、小さく溜め息をついて、少し何かを考えていたんだけど。再度、優しい眼差しを向けてから、こう言ったんだ。「相葉くんの悩み…俺が解決してやりたいんだけどな?」「で、でも・・・迷惑かけられないし。」「俺が解決してもいい?」いい?って言われてもさ?困っちゃうんだけど・・・そんなこと考えてたら、部長が少し立ち上がって、目の前が部長の影で薄暗くなって・・・。気が付いたら、部長の唇がふわっと重なってた。あ、、、嘘・・・///温かく包まれるように重なっていた唇が離されて、部長がまた優しい眼差しで見つめてくる。「悩み、解決できたかな?」「あ、あのっ・・・///」部長はまた近寄ってきて、今度は、ギュって抱き締めてくれて、耳元で優しい声が響いた。「俺じゃ・・・ダメ?」ボクのマウスは、結局マングースになった。…つづく…先に言うけど、わかってる。最後の一行がいらないんだよね?ね?

    櫻葉【1】◆蠱惑◆櫻井部長
  5. (*'▽'*)【14】三日月その日の帰り、雅紀は熱を出した。明日も休めない仕事があるからと、松重さんと一緒に病院に寄って点滴を受けてからの帰宅。働くって簡単じゃないんだ。ふと、親父のことを思い出す。年中無休で、朝早くから夜遅くまで工場に缶詰めで、ろくに遊んで貰った記憶もないけど、親父は親父で、家族を支えるために仕方なかったのかもしれない。「雅紀?何か飲むか?」ベッドに寝て苦しそうに呼吸しているのに、まだ笑顔を作ろうとする。「うん、、冷たいの、、ある?」雅紀の身体を支えて、スポーツドリンクを飲ませた。ひとりだった時は、どうしていたんだろう?松重さんはいるけど、いつも忙しそうだし。「おいしぃ、、しょうちゃん、ありがと。」「あと、何か食う?松重さんが、アイスとプリン、用意してくれてる。」「じゃ、プリン……」プリンを取りに行って、すぐに戻ってくると、雅紀は寝ていた。額に貼った熱覚まし用のシートを取り替えて、ベッド脇に飲み物を用意して、俺も隣に横になった。雅紀の邪魔にならないように距離をとったけど、少し考えてから、雅紀にくっついた。あっついな……。苦しそうな呼吸を繰り返してるのを見てると目頭が熱くなってきて、俺は、雅紀の首の下に腕を通すと、胸の中へ押し込んで抱き締めてから眠りについたんだ。翌朝、アラームで目が覚めると、雅紀の姿がなくて……。やばいっ!寝坊したか?飛び上がってリビングにいったら、雅紀がプリンを食べてるところだった。「あ、しょうちゃん、おはよぉ」「お前、熱、、大丈夫なの?プリン食べたかったんなら起こしてくれたら良かったのに。」「へへ、、お腹すいちゃって。しょうちゃん、ポカポカしてて気持ち良かった♪」側によって、額に手をやったら熱は下がってるようだ。クリクリ見上げてくる顔色も悪くない。「雅紀、大きい鞄ある?それから、今日の予定わかる?」「鞄あるけど、何するの?」「また寒かったら上着だけじゃ足りないだろ?色々、用意していったほうがいい。」「今日は、局の中だから大丈夫だよ?それに、もう慣れっこだし……」「いいんだよ!俺がやりたいのっ!局だったら、どんなふうに過ごすんだ?」俺は、根掘り葉掘り聞き出して、少しでも雅紀が過ごしやすいように荷物を準備した。余計なお世話と言われそうだったけど、迎えに来た松重さんは、荷物を持ってる俺に、優しく笑ってくれたし。まだ、たった二日。騙される親父が嫌いで、勉強ばかりしてきた。でも、俺は、今、もっと大切なことを学んでいるのかもしれない。…つづく…💜💜💜💜💜

    櫻葉【14】三日月
  6. 【13】三日月次の日は、朝早くから叩き起こされて、雅紀と一緒に地方までやってきた。何かの雑誌の撮影があるらしく、景色のいい高原みたいなところ。仕事に付き添いながら、アイドルも大変だと思う。まだ春先で、少し標高が高いせいで肌寒いのに、雅紀は、半袖を着て撮影している。休憩が入ると、急にブルブルと震え出す。俺は、雅紀に用意された簡易式の椅子の前で、もっぱら雅紀の上着を持って待機してるだけ。「大丈夫か?すげぇ、震えてるけど。」上着を羽織らせて上から擦ってみるけれど、雅紀は、うんうんって笑顔で頷いてくれるものの、唇が真っ青だ。「あったかいお茶、飲むか?」「うん、少しちょうだい。」松重さんに渡されていた水筒から、温かいお茶を入れ、雅紀がひと口飲んだところで、またスタッフから呼ばれた。うそだろ?まだ、全然休めてもないし、温まってもないのに。雅紀は撮影に戻って、カメラを向けられると、すぐに笑顔を作る。プロって、すげぇんだな……。俺は、雅紀の上着を小さく畳んで、自分の腹の辺りに押し込んだ。それから、その場で駆け足をして体温をあげる。藤吉郎がわらじを温めていたあれを思い出したから。次の休憩が入って、雅紀が戻ってきたから、腹の中から上着を取り出して羽織らせた。「わぁ、、あったかぁい。しょうちゃん?あったかいよ♪」ついでに、俺が着ていたジャケットも足元にかけてやった。「風邪、ひくなよ?あと少しで終わるって、スタッフの人が言ってたから。」「しょうちゃん、、、グスッ……」「わっ、ちょ、泣くなって?メイクしてんだろ?おい、、雅紀、大丈夫か?」「だって、、こんなこと、、グスッ、されたこと、、ないから……」「バカだなぁ。友達だったら当たり前だろ?大切な友達だったら、守りたいってなるだろ?」大切な友達だったら、、、。自分の言葉に、自分で驚いてしまう。もう、俺の中では、雅紀は大切な存在ってことなのか?じゃなかったら、上着を温めておこうなんて思わなかったはずだ。「しょうちゃんは優しいね。僕も、しょうちゃんを守りたいな。」「お前は、、、もう俺を、あそこから救ってくれてるから……」どんなに守りたいと思ったところで、この関係は、あくまでも契約でしかない。そんな現実が、妙に虚しく思えた。「それは、違うよ。じゃ、しょうちゃんがあそこに居なかったら知り合えなかったし。しょうちゃんの、お父さんの借金のおかげ、、、っての、なんだか変な感じする。」「ふははっ、、だな。それは、なんか変だわ。」雅紀は、今までは、休憩時間はどうやって過ごしていたのだろう?寒くても暑くても、ひとりで堪えてきたんだろうか?こんな会話でも、少しは慰めになっていればいい、そんなことを考えていた。…つづく…💜💜💜💜💜

    櫻葉【13】三日月
  7. いつぞやの上高地旅行のおまけ
  8. (写真:元Stray Kids メインボーカル キム・ウジン)★ キム・ウジン★公式ファンクラブCUBS1st MEMBERSHIP KIT撮影現場映像10月24日に公開された動画で、「キム・ウジン公式ファンクラブCUBS 1st MEMBERSHIP KIT」撮影現場映像でした。たぶんSKZのメンバーだったころとは、かなり違う印象を受けるのではないかと思います。SKZにいたころは、当てがわれていたメンバーイメージがあり、そのイメージは本当のウジンくんとはかなり違っていたと思われ、ウジンくん自身も少し奇妙というか、不思議な気持ちがしていたようです。SKZでは長男で父親的な役割でしたから、他のメンバーに甘えられる立場だったわけです。ただ実家に帰ると末っ子ですから、どちらかと言うと、お兄さんやご両親に甘える立場だったわけです。SKZのファンからは受ける印象が“可愛くない”、と言う理由で、水面下で(デビューしたころから)脱退要求付きのバッシングを受けていたと言われていますが、実際はSKZで割り振られた役が可愛く無い役だっただけで、ウジンくんの性格までもがそうだったわけではありません。しかしファンは、そうは思わなかった、ということなのです。それほどウジンくんは自分を殺して、割り振られた役割を忠実に完璧に演じきった、と言うことなのです。しかし自分ではない自分になりきり、その結果、一部のファンから異常なバッシングを受けていたわけです。そしてメインボーカルなのに、歌もあまり歌わせてもらえず、ほとんどバックダンサー扱い。でも1番つらく、ウジンくんにダメージを与たのは、(最近気づいたことなのですが)、JYPが過剰なダイエットをウジンくんに強いたこと、だったのだろうと思います。一週間のうち6日間は、毎日、栄養補強ビスケット1枚で過ごし、最後の1日だけ好きな物を食べられるような食生活だったようなのですが、与えられた目標体重を達成するためとは言え、体に良いわけがありません。脱退したころは本当にひどい健康状態だったらしい・・・。(たぶんもう摂食障害というか、拒食症のレベルだったのかもしれません)。だからSKZのメンバーだった頃は。毎日、絶望的な気持ちでスケジュールを消化していたはずです。それなのにSKZのリーダーさんも、JYPのスタッフもそのことにはまるで気づかず、まるで理解しようとしなかったことが、最悪の結果を生み出した最大の原因だったのだろうと思います。次にご紹介する動画は、(ウジンくんが現在所属する)事務所の公式ショート動画で、今年の秋に公開された「僕は食べるのが好き」と言う動画です。普通に食べられるまでに回復できて、ステージに立てるまでに回復できたことは、ウジンくんにとっても、ウジンくんを蔭でずっと支えて来た人たちにとっても、それだけで幸せを感じるに十分なことなのだろうと思います。「I like to ert」キム・ウジン(写真:可愛い花も良く似合うウジン)さて、ウジンくんにはお兄さんがいますので、小さなころからお兄さんをロールモデルに成長してきたはずで、やはり男らしい面もかなり見うけられます。(写真:幼年時代にのウジンと兄)だからしぐさなどは、SKZの他のメンバーに比べるとかなり男の子らしく、やんちゃな感じはしたかもしれません。ただ基本的には、優しい性格で、甘えんぼうのようです。★キム・ウジンのVブログ★「ウォール・ライブ」収録ビハインド(2024年6月6日公開)(写真:キム・ウジン)(2024年9月14日)キム・ウジン‪@KIMWOOJIN_official‬‬「I Like The Way」(写真:キム・ウジン)(写真:Stray Kids ヒョンジン)★Stray Kids★2025 Season’s Greetings[The Street Kids]Making Film(写真:Stray Kids ヒョンジン)(写真:Stray Kids ヒョンジン)★日本ブログ村ランキングに参加しています。 記事を書くとき、とても励みになりますので、 ポチッとクリック、よろしくおのがい致します。  ↓   ↓   ↓にほんブログ村    Kim Woojin キム ウジン The Moment 美成年 Bounce 熱いキャンバスポスター壁アートの装飾リビングルームの寝室の装飾のための絵画の印刷キャンバスポスター寝室の装飾スポーツ風景オフィスルームの装飾ギフト 08x12inch(20x30cm)Amazon(アマゾン)Kim Woojin I LIKE THE WAY 3rd Mini Album CD+Folded poster on pack+Booklet+Photocard+Photocard stand+4Cut photo+Postcard+Tracking Sealed WOO JIN (OFF STAGE Version)Amazon(アマゾン)Stray Kids ストレイキッズ グッズ 大判 壁掛け カレンダー 2025年 (令和7年) + ステッカーセット K-POP (ヒョンジン)Amazon(アマゾン)【Amazon.co.jp限定】GIANT (初回生産限定盤A) (ランダムメガジャケ(ソロランダム(8種))付)Amazon(アマゾン)

    今は別々の道を行くSKZとウジンくんですが、ウジンくんにも暖かい声援をお願いします。
  9. 学校もいよいよ受験に向けて、殺伐とした空気になってきた。サトシは、バルセロナ大学の受験資格を得ていたけれど、語学学校でのアシストを受けるために、スペイン文化も含め、必死に勉強しているのがわかる。アメリカの受験に比べて、受験生が受ける共同の試験やこれまでの成績表や論文提出等、とても煩雑で難しそうだ。なぜ、英語推薦で受けられる上智大学をやめてしまったのだろう。そこならば、この家から通えるのに。受験校は、バルセロナ大学の他に東京外国語大学、筑波大学に絞られた。考えてみたら、バルセロナ大学に入学するのは、現実的ではないように思える。日に日にサトシが変わっていく。より寡黙になり、学校と語学学校以外は、部屋で勉強一筋になってしまい、面白くない。松本や二宮も、遊びに誘わなくなり…今日のように、両親がいなくても甘い空気にならなくなってしまった。オレも見習わなければいけないけど……サトシと遊びたい…サトシとキスしたい…サトシを抱きたい抑えられない程の欲望が、襲いかかるんだ…さっきコンビニで買った、スフレケーキでも食べようかな…誰もいないリビングで、紅茶をいれていると『あ……良い匂い…Assam?』丁度部屋を出てきたサトシが聞いてきた。「わっかんない……サトシもスフレ食べる?」ダメ元で聞いてみる彼がケーキを食べてるイメージがないからだ。『いいね……』 それから隣に座って、一緒に食べ始めると……あぁ、この感覚「久しぶりだね……」『そうね』「サトシってば…勉強ばっかして……」『……………』責めてる訳じゃないのに、そんな空気になってしまった。「まだ、…オレのこと好き?」『うん……』「友達としてとか、従兄弟だからとかじゃなくてだよ?」すみません(^_^;)まだ書きかけの80をアップしてしまいました。ご連絡してくださった方ありがとうございます。

  10. 渋々了承したものの、翔は内心全く同意してはいない。昔からアンドロイドの苦手な彼にとって、常にそのアンドロイドと行動を共にしなければならないのは、苦痛以外の何物でも無かった。けれど、決まりは決まりだ。そのくらいわかっている。執務室を出て溜め息を吐く。すると、黙っていたMA-SK1が翔に尋ねた。「あの、マスター。私はこのまま貴方と行動を共にしても良いのでしょうか?」「ああ、いいよ」本当は嫌だけれど、そうするしか道は無い。仕方がないので、投げやりに答える。「それでは名前を付けて下さい。今のままでは他人行儀ですし、呼びにくいのではないかと思います」他人行儀とは、おかしな事を言うアンドロイドだ。「は、それ自分で言うか?お前、やっぱり変なアンドロイドだわ。よし、記録しておいていつか返品してやる。うん、そうしよう」却下されたばかりなのに、翔は懲りていないどころか、再び返品に意欲を燃やしている。当のアンドロイドは目の前に居るのだが。「マスター、名前を……」「名前ねえ……MA-SK1じゃあ、確かに呼びにくくはあるか。ますく、違うな。まー、違うなあ。マ、さき、おっ!マサキってどうよ?」「なるほど、私の名前は『マサキ』ですね。了解しました」「あと、俺はお前のマスター(主人)じゃないから翔って呼んでくれ。それと、もう少しくだけた話し方出来ないか?」「了解です。翔さん」それでも敬語なのは、そう言う仕様なのだろうか?しかし翔は、それ以上砕けた話し方を求める事はしなかった。人との距離が一足飛びに縮まらないように、アンドロイドだって少しずつでいいのかもしれない。と言うより、これ以上砕けた話し方をされると、自分の方が引くと感じたのだ。「翔さんなあ……ちょっと複雑だけど、まあいいか。とりあえず今日は帰るぞ、ええと、マサキ」「はい!翔さん」名前を呼ぶと、マサキは嬉しそうに返事をする。このくらいでそんなに喜べるなんて、アンドロイドは安上がりでいいなと、翔は呆れて苦笑した。こうしてこの日から、翔にとってはかなり渋々であったが、マサキとのバディとしての暮らしが、始まることになったのである。 つづく

  11. 【3】◆蠱惑◆出張先での櫻井部長はすげーかっこよかった。オレは、メモ取ったり、仕事の流れを教えてもらうばかりで、何も出来なかったんだけど。仕事の後、得意先の人達と夕食会に行ったんだけど、何を話せばいいのかわからなくて…。櫻井部長に頼りきりだった。初めてのことばかりで…ホテルの部屋に入ると、やっと、ホッと出来たんだ。その時、ドアがノックされた。--コンコン「はい…」ドアを開けると櫻井部長がいたんだ。「少し部屋で飲まない?」「あ、はいっ!えっと、ボクの部屋でですか?」「どっちでもいいけど…お邪魔させて貰おうかな?」「はいっ!あの、どうぞ…」部屋で二人きりってだけで、ドキドキするのに、部長は慣れた感じでルームサービスを頼んでくれた。ブランデーで乾杯した時だ。部長の手がオレの喉元に伸びてきて、びっくりして反射的に部長の手を自分の手で押さえてしまっていた。「アハハハハ、ごめんな?びっくりさせたかな?いや、ネクタイ…もう外したら?」あっ、ネクタイか…。ドキドキして恥ずかしい。「は、はい。外します。」一旦、部長の手から自分の手を離すと、部長はニッコリ笑って、反対の手も伸ばすとオレのネクタイをスルリっと外してくれた。それだけじゃなくて、顔を近付けると、一番上のボタンも外してくれる。こんな近くで、こんなことされると・・・。部長から『仕事終わったんだし楽にしなよ?』って言われたけど、今のだけでドキドキしすぎて、ブランデーを一気に飲んでむせてしまう・・・。「アハハハハ・・・相葉くん、何をしてもかわいいなぁ。」優しく見つめられて、顔が熱くなった。それから、仕事の話とかしてたはずなんだけど…。慣れないのに飲みすぎて…途中から意識が朦朧としてしまって・・・。部長がベッドに寝かせてくれたと思うんだ。「相葉くん、スーツ皺になるから脱がせるけど、、、。」返事したような、してないような…半分、夢の中だった。「相葉くん、何かあったらプライベートの携帯に連絡してくれる?番号、書いておくから、いい?」そんなこと言われた気がする…。それから、『おやすみ』って言われてうっすら目を開けたら、すぐそこに部長の顔があって、ふわって唇に何かが触れたんだけど…。気が付いたら、朝だった。…つづく…かも? この辺までは、可愛いんすよ。

    櫻葉【3】◆蠱惑◆櫻井部長
  12. どうも。美櫻です♡足が筋肉痛です。動画もオトノハもファンクラブ限定プレゼントも会報も、ぜーんぶ受け取りました!リーダーの手と声が映っているのが嬉しかった♡5人の変わらない空気感が懐かしかった♡なんで顔が映らないんだとの声もありましたが(って私の周りは感謝の声しか聞こえないんだけど、ファンが文句言ってるってほんと?どうせまたフェイクニュースか?)体調悪くて本当は声だけリモートの予定が、5分だけ時間を作ってくれたリーダー。当然ヘアメイクなんてしている暇もない。着の身着のまま駆けつけてくれたんだから手だけで十分だよ!!.˚‧º·(°இωஇ°)‧º·˚.いつもありがとう。これからも応援させてください!しょーちゃんオトノハで教えてくれてありがとう。さて。相葉ヒロミ見ました?今回の旅はなんとー群馬県伊香保!伊香保といえば、最近「地球の歩き方」でしょーちゃんが毎年の恒例行事として挙げていたのが記憶に新しい。伊香保の定宿に泊まり、帰りにグリーン牧場と水沢うどんに寄って帰ると公言しておりましたが、(ちなみにこの辺から伊香保は草津よりもだいぶ近いのでよく行きます。途中で水沢うどんやグリーン牧場に立ち寄るのもあるあるです)温泉もうどんも具体的な店名は避けておりましたね。私としては伊香保には行きたいけどぼんやりしているな…。どうしよう、うーん。という印象でした。ところが!!!まーくんが伊香保でクレープと鮎を食べ、観光スポットを作ってくれたおかけで目的が生まれた!!やったー!!ということで今回は櫻葉それぞれの思い出の地、伊香保温泉に行ってきました☆٩(๑>∀<๑)۶日程は、まさかの11/3!!そう嵐さんの25歳のお誕生日!!私はこの記念すべき日はWiFi環境の整備された我が家でSNSを眺めながらゆっくりと過ごすつもりでいたのです。が…!!子供が大きくなると休日の予定はどんどん埋まっていき、行けるの11/3だけ…早く行かないと冬季閉鎖しちゃうし…来年になったらまた草ボーボーに戻ってる可能性もある…行けるの11/3しかないやん!!( ;꒳; )ってことで、出発~!!まず到着したのは水沢うどん!有名店が何店舗かありますが、うちがいつも行くのは大澤屋1号店です。10時に到着して駐車場ギリギリ。三連休中日はさすがに混んでる!ここは岡本太郎の作品がたくさん飾ってあります。仲が良かったのかな?関係性はよくわからないけど。きんさんぎんさん、初代水戸黄門関係のもありました。さて、肝心のランチは…てゆーか、にゃるみんの手前のアクリルプレートめっちゃすごくない!?ヤバい!可愛い!!Nちゃんいつも素敵オシャレグッズありがとう♡この日は11/3だったので全員連れてきたよ。きたー♡水沢うどんは舞茸の天ぷらを一緒に注文するのが定番です。つけつゆは2種選べて、両方にすることもできますよ。あとはサトイモの揚げ串がおすすめ!見た目より大きいのでファミリーで1つ頼んでシェアするとちょうどいいかも。ここから伊香保温泉、グリーン牧場はすぐ近くにあります。今回は時間が無かったので入口の写真だけ。歩いてたらプレバトで千原ジュニア、もう中、佐藤栞里ちゃんが描いた絵がありました。そしてたどり着いた、伊香保の石段!じゃーん!かねちー似の大道芸のお兄さんがショーをしていました。そろそろ立ち去ろうとした瞬間、嵐の曲が…!season、5×20、OneLoveが流れ、まんまと最後まで見てしまった。技もすごいけど、トークが上手いね。これからも頑張ってほしい!さて。石段を55段上がると、行列のできるクレープ屋さんが。そう、ここはまーくんが卵を届けたお店!CREAMさんです!行列と逆光で上手く撮れないけど、テレビに映ってたお姉さんがいました。「相葉くんが食べたクレープはどれですか?」と聞くと「伊香保クレープです」と教えてくれたので、それを2つ注文♡※以前は聖火クレープでしたが、名前が変わったみたいです。30分ほどかかるということだったので、周辺を散策。って、すぐお隣に潤ちゃんちの家紋がっ!!関所跡みたい。中には当時の火縄銃や手形が展示されていました。毎年訪れるしょーちゃん縁の地で、まーくんの食べたクレープを、徳川の関所(の前)で食べる。なんか潤ちゃんも共演みたいになった!!クレープは中にもソースや具が入っていて、最後まで美味しかったよ!(ほぼ食べたのは子供たちだけど)私は途中の酒屋さんで購入したビール片手に散策します♡ここはもちろん後輩くんのビールで。キンキンに冷えたビール3本500円って言うからつい(笑)↑帰り運転する気ZERO~つまみは玉こんにゃく♡ひと串200円!幸せ♡(写真は息子です)目指すはまーくんの作ってくれた新名所☆つづく!パリオリンピック公式スノードームキーホルダーってこれかな?

    櫻葉を巡る伊香保旅☆前編
  13. 11/7プレバト(俳句)。題「大観衆」。水森かおり、清春、黒沢薫、MINMI、山口智充。全員が俳句初挑戦。※水森かおりさんは、全国27か所の観光大使を務める。清春(きよはる)は、黒夢として90年代を彩った。黒沢薫は、ゴスペラーズの一員で作詞家、作曲家。MINMIは、レゲエシンガー。山口智充は、ソロで44曲、ユニットで11曲発表し作詞も手掛けるアーティスト。(句集完成まで残り12句)永世名人 村上健志( 〃 残り23句)永世名人・横尾渉(以下、放送順)◎才能なし3位、黒沢薫、35点★秋風や歓び舞台へ運びゆく季語は「秋風」、そして内容は「歓び舞台へ運びゆく」。秋風が大観衆の歓声を舞台まで運んでくれている、という意味でしょうか。「秋風や大観衆の大歓声」ではどうでしょうか?🤗。夏井先生《要らない言葉がある。「へ」があれば「運びゆく」は全く要らない。その分、何の舞台かが入れられる。また「秋風」ではなく、もっと秋の豊かさを表す季語、例えば「金風」などがいいのではないか》↓ (夏井先生の添削)▲歓びを舞台へ金風の歌を◎凡人2位、MINMI、60点★万人の歌声ひとつ名残の月「万人の歌声が一つになっている」という意味のようですね。「名残の月」は、仲秋の名月からひと月おくれの十三夜、旧暦9月13日の月。↓(夏井先生の添削)▲万人の歌は一つに月のぼる◎才能なし4位、山口智充、30点★ゆれすすきいつかはフェスと夢見る日ぐっさん、たくさんライブしていてもやはり、お祭りさわぎのような大フェスティバルをしたいのですね。でも「ゆれすすき」とは?揺れる芒?どういう風に機能するのか?ぐっさんによると、観衆がそう見える、という比喩だと、😃。比喩ではなくて、そういう屋外での大フェスティバルをしたい、というようなことにすればいいのに、ネ。ぐっさん、季語を季語ではないと自分で言ってしまいました😹。↓(夏井先生の添削)▲いつか我が歌を大観衆へ秋◎才能なし最下位、水森かおり、25点★ペンライト振れども散らぬ照紅葉「照紅葉」は、紅葉した葉が太陽の光で輝く様子を表した季語。その照紅葉が「ペンライト振れども散らぬ」と言うのですが…。ペンライトは夜のフェスティバルに相応しい、でも照紅葉は真昼間のイメージ。↓(夏井先生の添削)▲ペンライトのごと夜を照らさるる紅葉◎才能あり1位、清春、70点★良夜なりフロアを包むアルペジオアルペジオとは、和音コードの各音を同時にではなく下か上から順番に演奏する奏法。その音が観衆いっぱいのフロアを包むと言うのですね。「良夜なり」がいいですね。夏井先生の添削もありませんでした。◎(句集完成まで残り23句)永世名人・横尾渉★星月夜六万人の大合唱六万人とはすごい!その六万人がステージの歌手(あるいはグループ)と一緒に合唱する、と!そして空は「星月夜」。↓(夏井先生の判定)掲載決定。《数から伝わる豊かな情景》◎(句集完成まで残り12句)永世名人 村上健志★靴音にライブの余韻月の坂月明かりに照らされている坂を帰る靴音に「ライブの余韻」がある、という句のようですね。↓(夏井先生の判定)ボツ。《初見の違和感。それは、語順が散文的という違和感》↓(夏井先生の添削)▲靴音に余韻ライブの果てて月◎次回の題は「うっかりミス」

    11/7プレバト(俳句)。題「大観衆」。
  14. 科学ニュースを見てましたら、2019年10月30日の「YomiDR ヨミドクター」に糖質制限についての議論が載ってました。読んでみましたら、予想どおりというか、賛成派、反対派と称する人たちが、互いに自分の主張を述べ立てるだけで、まったく話が噛み合わない。日本人の議論って、こういうのが多いんですよね。なぜ話が噛み合わないかというと、人間って、一人ひとりが個人的な価値観で生きてるんですよね。ですから、ダイエット一つとっても、その目的が違います。それをすべてひっくるめて論じようとするから、わけがわからなくなっていくんだと思います。どういうことかというと、例えば若い人だと、「とにかく痩せてきれいになりたい、体重を落としたい。それで多少健康に影響があってもしかたがない」・・・こう思ってる人もいるでしょう。また年配者では、「健康で長生きしたい。そのためには少し体重を落としたほうがいいのかも」程度の人もいます。こういうふうに、人によって目的の違いがさまざまにあるので、すべてひっくるめて論じると焦点がボケていくだけです。これ、ダイエットの話だけでなく、マスコミに出てる議論のほとんどがそうなんですよね。特に地上波テレビはNHKも民法も低レベルだなあと思いますし、新聞も例外ではありません。さて、ということで、一つ一つのことを個別に考えていきます。まず、ダイエットについて。体重を減らす方法は簡単で、「総カロリー数を抑える」これだけです。成人男子でデスクワークの人だと、1日の必要カロリーが2100Kcalくらいと言われます。それを1500Kcal以下にすれば、必ず痩せます、間違いありません。べつに糖質をとろうがとるまいが、総カロリーを減らせば痩せる。ただ、これって苦しいですよね。いつもお腹が減ってイライラするかもしれません。少しでも楽して痩せたい。そこで、「○○ダイエット法」なるものが出てくるんです。オレンジダイエットとか、納豆ダイエットとかいろいろ流行りましたよね。糖質制限もそれと同じでしょう。次、糖質制限すると痩せるのか? これは痩せますね。糖質制限をすすめる本では、「糖質をとると急激に血糖値が上昇する。すると、人間の体は、それを抑えるためにインシュリンを分泌する。インシュリンには血液中の糖分を脂肪細胞に取り込むよううながす働きがあり、体脂肪が蓄積されることになる」まあ、これ自体は科学的に間違ってはいません。糖質制限ではなく菜食主義だったスティーブ・ジョブス氏ただ、自分は、糖質制限で痩せるのはそれだけではないんじゃないかと思うんです。糖質制限では、砂糖、米、パン、うどんなどの麺類、カボチャやジャガイモなどの根菜、本によっては豆腐などの大豆食品も制限されます。そのかわり、肉や魚、乳製品、油脂はいくらとってもいいと説明されることが多いんですが、日本人が毎日ステーキとかを食べるって大変じゃないですか。毎食、焼肉、さしみ、葉物の野菜サラダ等々。これだけを食事にすると自動的に総カロリー数も抑えられるんじゃないかと思います。だから痩せる。次、糖質制限は体にいいのか? ここは難しいです。日本人で、ほとんど米などの糖質を摂取しないという人は少ないので、大規模かつ長期的なデータはありません。それに、わざわざ莫大なお金をかけて、そういう調査や治験をしようとする大学、製薬会社もありません。アメリカのデータでは、ハーバード大学が、約4万人を対象に行った調査で、「低炭水化物・高タンパク質」の食生活を送っていたグループは、そうでないグループに比べて心筋梗塞や脳卒中などの発症リスクが1.6倍に高まったという結果が出ています。急激な糖質制限を行うと、肝臓や筋肉の中にあるグリコーゲンが激減し、体温が下がったり、スタミナがなくなったりすると言われますし、グリコーゲンは同時に体内に水分を貯えるので、グリコーゲンがなくなると、体内の水分も少なくなり、肌がかさつき、シミやしわができやすくなるという話もあります。また、世界的な統計で、体型と寿命の関係を調べると、最も寿命が短いのが極端な痩せ型の人、次が極端な太り型の人、一番寿命が長かったのが小太りの人という結果が出てます。ややメタボというのは、総合的にみれば悪いわけではないんですね。特に、60歳を過ぎて健康に生活したい場合、体型は気にせず、十分に栄養をとったほうがいいようです。ということで、だいたいの結論が出ました。糖質制限をすれば痩せるのか→多くの人で痩せる効果があるとみられる。糖質制限は健康によいのか→短期間ではなんとも言えないが、長期間続けると健康に害になる可能性がある。まあこんなところだと思いますが、糖質制限を何十年も続けてるという人も、あまり聞かないですよね。では、ダイエットそのものはどうか。これは最初に書いたように、その人の価値観だと思います。どうしても痩せたいと思えば、やればいいんじゃないですかね。その結果、女性だと貧血になったり生理不順になったりするかもしれませんが、そのあたりは成人なら自己責任です。危険性を十分承知の上で挑戦するのは、個人の勝手でしょう。ダイエットにかぎったことじゃなく、濃い味つけが好きだとか、毎日多めの晩酌をかかさない、油っこい食べ物を好むとか、そういう生活習慣でも同じで、食べたいものも食べられず長生きしてもしょうがない・・・ それも一つの立派な価値観だと思うんですよね。さてさて、日本人には健康神話があると言われます。もちろん健康に生きるのはいいことですが、健康神話につけこんで、商売にしようとする人たちがたくさんいます。その手の人たちは、自分らの主張に都合のいいデータしか出しませんし、まさにオカルトまがいです。十分にご注意ください。では、今回はこのへんで。

    糖質制限ってどうなの?
  15. あの、じゃあ話していきます。俺、ある大学の3回生で、山根って言います。これね、俺自身の話じゃなく、俺の学部仲間の西崎ってやつの身に起きたことなんです。だから、よくわからない部分もあるんですよ。そこ、まず、断って起きますね。始まりは、1ヶ月ほど前の夕方でした。薄暗くなってきた中、俺が大学構内の喫煙所でタバコ吸ってたら、山根がやってきたんです。そんときに、小ぶりだけど、やつには似合わない、革製のスーツケースを手に下げてまして。「お前、それどうしたんだ?」って聞いたんです。そしたら、ベンチに置いてあるのを拾ったって言うんです。で、いかにも高級そうな物だったんで、「それ、教授とかのじゃないのか。事務室に届けてこいよ」って言ったら、「ん、ああ、そうだな」とか生返事をして、タバコ1本吸っていなくなっちゃいましてね。まあどうせ、届けやしないでネコババするんだろうとは思いましたけど。で、数日して、同じゼミに西崎がいたんで、そんときのことを思い出して、授業が終った後に、「お前、こないだスーツケース拾ったよな。あれ、何か金目のもんとか入ってたか?」って聞いてみました。そしたら西崎はだらっとにやけた顔になって、「ああ、あれか。アパートに戻って開けてみたら、すげえいいもんが入ってたんだ」って言うんです。で、「何だったんだよ」って俺が言っても、にたにた笑うだけで答えなかったんです。それで俺もちょっとカチンときまして、「知らねえぞ、ネコババはたしか、占有離脱物横領って罪になるんだからな」って言いました。そしたら、西崎はますますにやけて、俺のほうに顔を近づけ、「首だよ、首、きれいな女の首」って答えたんです。「コノヤロ」って思いました。だってそのスーツケース、薄型で、人間の首なんて入るようなもんじゃなかったですから。「嘘つくなよ!」って言ったら、西崎のやつ、少し真顔に戻って、「じつはなあ、開けてみたら土地登記みたいな書類の束が重なってて、それと・・・驚くものが入ってたんだよ。何だかわかるか?」俺が「わかんねえよ、そんなもん」って答えたら、「位牌だったんだよ、女の」って。「位牌!?」 「ああ、なんとか信女って書いてあったから、女のだろ」「うええ、気味悪いな。で、それどうしたんだよ」「部屋に飾ってる」 「何言ってんだお前、失くした人はすごく困ってるだろ。今からでも警察に届けろよ」 「ああ・・・けどなあ」こんな会話になりまして。そこで、俺のサークル仲間が通りかかったんで、西崎とは別れました。いや、位牌をスーツケースに入れて忘れるなんて、変な話だなあとは思ったんですけど、ほら、電車の網棚に骨壷忘れてて、しかも引き取り手が出てこないなんて話もあるじゃないですか。まあ、そんなことがあって、それからしばらく西崎とは会わなかったんですよ。で、1週間後くらいだったかなあ。俺、大学がある駅前で酒飲んだんです。仲間と別れて、夜中の1時過ぎ、部屋に戻ろうと一人でぶらぶら歩いてたら、街路樹のとこに人がいて、石崎だと思いました。その街路樹はポプラ科かなんかなんだけど、根本のところに別の小さな植え込みがあるやつで、西崎はそこに頭を突っ込むようにして何かやってたんです。「おい、西崎じゃないか。何やってんだお前?」そしたらやつはこっち見て、「あー山根いいところに来た。引っかかってて取れないんだ、手伝ってくれ」って言いまして。見ると、植え込みの中にホースみたいなのがあったんです。西崎はそれを両手でつかんでまして。「何だよそれ、ゴミじゃないか」「いいから頼む、何かおごるから」それでね、俺も酔ってたから、2人で持って綱引きみたいに引っぱったんです。そしたら急にずるっと抜けて、俺ら2人とも尻もちついちゃって。でね、植え込みから出てきたのは、古い掃除機のホースなのかなあ。とにかくそういうもので、土とかゴミがついて汚らしかったんです。でも、西崎は顔を輝かせて、「ありがてえ、これで右腕ゲット」って言ったんです。で、大事そうにそれ抱えて歩き出したんで、「待てよ、おごるって言ったろ」そしたらやつは、「今金ねんだよな。俺のアパート近くだから寄ってけよ。ビールやるから」って言って。でね、歩いて5分くらいだって言うからついてったんです。でね、ボロアパートの1階の部屋の前で、西崎は鍵を出して、「ちょっとここで待っててくれ」ってドアを開けました。部屋の中にも引き戸があって、西崎がそれも開けたとき、ちらっと女の顔が見えたんですよ。若い・・・中学生か高校生に見えました。それで「ああ、こいつ女引っぱり込んでるんだな」そう思いまして。それから西崎は缶ビール数本抱えて戻ってきて、俺に渡してよこしたんです。そのことがあって、次とその次のゼミに西崎は出てこなかったんですよ。そのゼミは卒論と関係があるやつで、単位落とすと卒業できなくなってしまう。まあでも、しょせん人のことだし、西崎は親友ってわけでもなかったですし。で、その次のゼミも西崎は来なくって、さすがに担当教官が、「あいつ、どうしてるんだ」みたいな話をして。そしたらゼミの一人が、「西崎くん、こないだ灰皿抱えて歩いてるのを見た」って言い出して。それがほら、喫煙所にある縦長の大きなやつだったてことで、俺も前のホースの件を思い出してしゃべったんです。「変な話だなあ、誰かあいつの電話番号かメアド知ってるやついるか」でも、知ってるやつがかけてみても不在着信になるだけで。それで、アパートの場所知ってるのが俺だけだったんで、様子見てこいって言われて。でね、その午後に行ってみたんですよ。ドアのチャイムを押しても返答なし。それでノブに手をかけたら開いてたんで、「おーい、西崎いるのか?」そう言いながら中に入って、引き戸を開けたら、若い女が立ってたんです。「あ、失礼しました」でもね、それ女じゃなかったんです。なんであんな見間違いをしたのかわかんないですけど、そこにあったのはガラクタオブジェでした。片足が三角コーン、もう片足が飲み屋の看板の壊れたやつ。その上に大型の灰皿がのっかって腕の片方が電線の束、もう一方が、俺が前に引っぱり出すのを手伝った、あのホースみたいなので・・・・かろうじ人間のように見えるものだったんです。それで・・・灰皿の上、人でいえば頭にあたる部分に、位牌に見えるものがのっかってました。それを呆然と見てたら、背後から「こら山根、お前なにやってるんだよ!!」怒声が聞こえて、ふり向くと西崎が立ってたんです。「何って、お前が大学来ないから様子を見に・・・」 「うるせえ、今すぐ出て行け!!」すごい剣幕で、殴られるかと思ったんで部屋から出ました。そりゃ、せっかく心配して来てやったのに何だよ、って思いましたよ。でね、そんとき西崎のやつ、片手に麻袋みたいなのを持ってたんですが、それ、動いてたんですよね。もしかしたら中に、ノラネコか何か、生き物が入ってたかもしれません。それにしてもね、普通じゃないですよね。授業にも出ないであんなガラクタ組み上げてるんですから。完全にいかれるんだと思いました。ただねえ、一瞬だけど、あれが女の姿に見えたのが、どうもわからないんですよね。それでね、西崎は次の回のゼミにも出てこなくて、大学で姿を見たものも誰もいなかったんです。でね、その後、指導教官から、「西崎が行方不明になってて、実家のご両親が学生課まで来て、 行方を尋ねてる。山根、お前何かわかるか」って聞かれました。でも、「わかりません」って答えるしかないじゃないですか。あの位牌やガラクタの話はしませんでした。変な話ですし、関係ないだろって思うのがふつうですよね。でね、それから2週間して西崎が見つかったんです。大学からも、やつの実家からもずっと離れた県の墓地で倒れて死んでたんです。体には傷とかはなくて、ずいぶん痩せてたんで、衰弱死ってことになったみたいで。え、位牌?いや、持ってたかどうか、そこまでは聞いてないですけど・・・

  16. あいむの風景 1032
  17. 今晩は、よろしくお願いします。これは、去年94歳で亡くなった姉の話なのです。記憶に残っていますのは、私が5歳、姉が7歳のときです。はい、2つ違いの姉妹でした。当時は、兄弟姉妹の多い家が多く、私のところも6人の兄姉がおりまして、私たちはその下2人の姉妹でございました。長兄などは、私が産まれた頃には20歳を過ぎて役場に就職しておりました。ええ、昔の農家でしたから、馬小屋・牛小屋などもあるずいぶん大きな家でしたよ。ええ、私が5歳時分、姉がよく手を叩きながら歌っていたんです。歌詞はなかったんですね、節だけ。姉は大きく口を開け、よく通る声で「ああ~あ~」という感じで歌いました。そうですね、節回しは民謡というのとは少し違っていました。もう少しモダンな・・・当時ぽつぽつと外国のレコードが入ってきておりまして、それで聞くような。「太鼓踊り」というのは姉が勝手につけた名前なんだそうです。夜、布団に入ってうとうととし始めたときに、その節回しが聞こえてくるんだそうです。笛の音とドンドドンという太鼓の音。これもお祭りで鳴らす笛太鼓とは、ずいぶん違った音色だということでした。やはり西洋の楽器だったのかもしれません。そのことはお話の最後のほうで出てまいります。それで、当時の小学校に入りますと、唱歌の時間がありまして、そのときだけ音楽室に移動して授業をするのですが、楽器は足踏み式のオルガンが一台あるだけでした。本当はさわってはいけなのですが、たまたま入り口の戸が開いていることがあれば、姉が私を誘って中に入り、さぐり弾きで「太鼓踊り」の曲を。一度、その最中に唱歌の女の先生がみえられたことがあって、叱られることはありませんでしたが、姉がたどたどしく一本指で弾く曲を聞いて首をかしげ、「これはどこで聞いたんだろうねえ。楽典にかなった西洋の曲のようだ」と言っていたのを覚えています。昭和になったはじめの頃の話ですね。だんだんに戦争の影が世相を暗くしていった時代のことです。それから時が経ち、小学校を卒業する頃には、姉もこの太鼓踊りの話はしなくなっていました。もう聞こえなくなっていたんではないかと思います。姉はたいへんに頭がよく、また家も経済的な余裕がありましたので、町の女学校に進んだんです。ええ、ええ、自慢の姉だったんです。当時は、女学校を出れば師範学校に行かなくても、小学校の女教師や役場に勤めることができまして、姉もそうするんだろうと思っていました。あのことがなければおそらくそうなっていたんでしょうけれど。姉は女学校で弓道部に入っていたんです。戦争が始まろうとしていた昭和9年のことです。姉は数えの14歳でした。その日、地元の神社に奉納する射会がありまして、神社の裏手に土盛りをつくって的を立て、弓道部のみなが次々に射るという。その帰り道、長い弓の袋を持ったまま列の中団を歩いていたそうです。ええ、前にも後ろにも人がいまして、いなくなるはずはないんですが、農道のちょっとした林に入って、気がつくと姉の姿が見えなくなっていました。それでも、引率の大人は誰も心配しませんでした。家のすぐ近くでしたし、何かの事情があって一人であぜ道を抜けて帰ったんだろうと。だから女学校のほうでは、暗くなって家から問い合わせがいくまで、大事とは考えていなかったようです。それから、捜索が始まりました。秋の収穫祭での弓の奉納でしたが、遅い台風が近づいてきていました。その中で、青年団の方々が山を含めた町中、両隣の町にも連絡して探してくださったのですが、どこにも姿が見えなかったんです。これは不思議なことでした。当時は犯罪などもほとんどなく、誘拐するような人物も心あたりはなかったんです。ただ姉はそれは美人でしたから、かどわかされたんだろう、という人はいました。また、神事の帰りの出来事でしたので、神隠しだろう、という年配者もいたのです。ですから、両親は3日目まで姉が発見されないと、氏神神社の神主さんにお願いして、神降ろしをしてもらったんです。これは奉納射会があったところとはまた別の古い神社で、神降ろしには巫女役が必要でした。それで、私がそれを務めることになったんです。当時12歳でしたし、もう長い年月がたっているので記憶はあいまいですが、沐浴をして白装束に着替えさせられ、神社に付随した能楽舞台に座って、祈祷を受けたのを覚えています。目の前で御幣が振られて、すぐに私は気が遠くなってしまいました。それからは夢かうつつかわかりませんでしたが、始めに聞こえていた祝詞がだんだんに遠ざかっていき、かわりにあの「太鼓踊り」の曲が聞こえてきたんです。同じ節回しというのはわかりましたが、印象はずいぶんと賑やかで、やはり日本にはない楽器が使われているのだと思いました。ええ、初めは音だけでしたが、だんだんに霧が晴れたようになって景色が見えてきました。赤を基調としたハイカラな服をきた一団が輪になって踊っていたんです。男も女もいました。当時の日本では考えられない姿ですが、金髪に見える人が混じっていたので、やはり外国のどこかなのでしょう。その踊りの輪の中に姉もいたような気がするものの、遠くてよくわからなかったんです。ただえんえんと「太鼓踊り」の曲が聞こえていて・・・どのくらいの時間がたったかわかりません。ただ最後に「2年で返す」という声が聞こえました。それで目が覚めたんです。2年で返す、という言葉は私自身が大声で叫んだようで、神主さんにも聞こえていました。後に両親に神主さんがそれを告げると、母は「2年・・・」と絶句していました。ところがです、姉はその8日後に見つかったんです。それも家の縁の下からです。古い農家でしたから縁の下は高く、様々な古い農具が入っていましたが、その中からうなり声がするのに使用人が気づきまして、もぐってみましたところ、弓道着姿の姉が倒れていたんです。体中、土と蜘蛛の巣だらけでした。すぐに医者に運ばれましたが、衰弱してるものの命に別状はなし。ただ、この後、姉はぼんやりとして、以前の快活な姿はどこにもなくなってしまいました。ぶつぶつと意味のわからない言葉をつぶやき、鼻歌を歌いました。言葉はまったく通じませんでしたが、鼻歌は「太鼓踊り」でした。女学校は休学して、しばらく家にいたんですが、症状の改善が見られないので、両親が市の大きな病院に入れました。精神科ですが、そのことはまわりには伏せられていたんです。そうしているうちに太平洋戦争が始まって・・・姉は気の毒なことに、この後、20年以上病院にいたんです。姉がやっと退院してきたとき、私は30数歳になっていまして、結婚して子どももおりました。戦後は農地開放などもありましたが、実家は町長も出しまして、地域の名家として存続しておりました。姉はその一室をあてがわれ、療養を続けることに。ここまで聞いて、ずいぶんわけのわからないお話だとお思いでしょう。やっと姉が出歩けるようになったのが40歳を過ぎてからで、私と2人で地元の温泉に行きました。その頃には普通に話せるようになっていましたが、そのときの寝物語で、驚くべき話を聞いたんです。行方不明になっている12日間、姉はやはり外国にいて、その間に2年がたっていたというのです。姉は向こうの身分の高い青年に見初められ、結婚して女の子が産まれた。2週間足らずで2年分を生きたということなのでしょうか。・・・でも、そのときには信じることができませんでした・・・私の子どもらや、その後に産まれた孫たちは姉になつき、慕ってはいましたが、姉は結婚の話などはすべて断り、生涯独身のまま、病を得て昨年の1月に亡くなりました。その3ヶ月後、月命日に私が一人で姉の墓にお参りに行ったときです。先客がおりまして、背の高い立派な外国人の夫妻と、その5歳ばかりの金髪の女の子でした。温泉での姉の話を思い出しましたが、もし本当だとしても、姉の子は80歳になっているはずです。子どもは西洋の金属の笛で、姉の墓前で「太鼓踊り」の曲を吹いてました。私が近づくと演奏をやめ、こちらを見ました。きれいな金色の髪の下の目は黒く、姉に似ているような気もしました。「あの、もし」と声をかけましたが、女の子は「言葉がわからない」というそぶりをして両親の元へと駆け寄りました。父親が私に向かって首を振り、それから両親揃って深々と一礼しました。そして3人は踵を返して去っていってしまったのです。何一つ聞くことはできませんでした。・・・これで終わりです。