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公式ジャンル「小説・エッセイ・ポエム」記事ランキングの20位〜39位です。小説・エッセイ・ポエムジャンルのこの順位のなかで一番人気の記事は「青い花の話」です。
怖い話します2
昔々の話だよ。それでもいいかい。俺が17のときだから、もう40年近く昔。俺は当時、塗装工の見習いで地元の暴走族に入っててね。有職少年だったわけ。で、バイクで事故を起こした。いや、仲間とつるんでてのことじゃなく、単独。ダムへ続く峠道を一人で走ってて、カーブを曲がりきれずに、ガードレールを飛び越えて崖下へ転落。幸いなというか、それ以降の記憶がないんだ。怪我は頭蓋骨と腰椎、手首の骨折。全身打撲に強度の脳震盪。これが一番厄介でね。開頭手術はしないで済んだが、砂袋で固定されて1ヶ月まるまる動けなかった。だからね、腰椎の骨折の処置も後回しになったんだよ。キツかったねえ。8カ月入院してリハビリが半年。仕事に復帰するまで1年以上かかったんだ。意識がなかったのは5日間。医者が母親に、「明日意識が戻るか、1か月後か、あるいは最悪の場合ずっとこのまま」とか言いやがって、植物人間も覚悟したって。だからね、5日ってのはラッキーだったと思うよ。障害もほとんど残らなかったし。うん、雨の日に腰が少し痛むくらいだ。でね、その5日間眠ってる間に、臨死体験をしたんだ。いやね、それまではそんなこと信じちゃいなかったんだが、今でもあのときのことはありありと思い出せるよ。これがきっかけになって、いろいろと調べたんだよ。したら、世界中で似たような体験があるじゃねえか。死んだら終わりじゃないんだな。次の世界が待ってる。ああ、すまんな話が脇道にそれて。うん、広い野原ってか、湿原だな。尾瀬みたいなとこに俺は一人で立ってたんだよ。足元はきれいな水でね、そっからたくさん植物が生えてた。でもそれは、この世にある水芭蕉とかとは違ってて、見たことないようなのばっかだった。いや、植物は植物で、そんなに極端に違うわけじゃないが、図鑑には載ってないやつってこと。で、そこを静かに歩いてると、やがて目の前に大きな川が見えてきた。土手とかはないんだ。湿原と同じ高さの川だったが、幅が数百mあった。ここでよ、人の話だと、死んだジイサン、バアサンが向こう岸で手を振ってたってなるパターンが多いようだが、そうじゃなかったな。誰も人の姿は見えなかった。これは俺の家が核家族で、年寄りと暮らしたって経験がないからかもしれん。ま、今から考えたらの話だけどな。かすみがかかったような向こう岸を見てると、川を渡りたいって気持ちになってきた。だけど幅数百mだからな。俺は泳ぎがあんま得意なほうじゃなかったんだよ。川の岸に近いとこはきれいな薄緑色だが、中央に近づくにつれて海みたいな深い紺に変わって、相当な深さがある感じがした。躊躇したんだよ、溺れるかもしれないって。でもなあ、これ死後の世界だろ。いっぺん死んでるのにまた溺れ死ぬなんてことがあるんだろうか。それで、イライラとも違うなあ・・・なんというか、やるせないような気分になってきた。で、近くに生えてた丈の高い花をむしったんだよ。コスモスほどの大きさの青い花。その途端、背筋にびびっと電気が走った感じがして、目が覚めたんだよ。集中治療室でな。口にいろいろ管が入ってて声が出せなかったんで、手を動かしたら看護婦が寄ってきて・・・ そっから1ヶ月はピクリとも動かず、脳の腫れが治まるのを待ったんだ。下の世話とか全部母親にやってもらって、これはずっと頭が上がらなかったよ。意識はとぎれとぎれだったなあ。鎮静剤を点滴されてたんじゃないかな。切れ切れの夢の中で青い花が出てきたんだ。地面から生えてるんじゃなく、俺がちぎった花に数cmの茎がついた状態で、目の前でくるくる、くるくると回ってた。・・・話を少し端折らせてもらうが、車イスと伝わり歩きで、自力でトイレに行けるようになったのは3ヶ月後だ。このときは嬉しかった。涙が出たよ。脳のほうはなんとかよくなって、脳外科から整形の一般病棟に移ったんだ。したら翌日、朝、目が覚めたときに、ベッドの横のテーブルに青い花が載ってたんだよ。臨死体験、その後に見た夢に出てきたのと寸分違わなかった。花びらは6枚で、花は上向きじゃなく、茎に対して直角・・・扇風機みたいになってた。花びらの一枚一枚がねじれてて、ちょうど風車の羽のような形。しおれかけ生気がなかったから、プリンのカップに水を入れて挿してたんだ。でよ、これはこの花と関係があるかどうかわからないが、そのあたりから、まわりの入院患者がぽつぽつ亡くなり始めたんだよ。整形だから、命にかかわる患者なんて多くないんだ。それが、科全体で週に1人か2人、どっかの病室で亡くなる。普通じゃねえよな。だって足骨折の20代の人まで死んだんだぜ。その人はケガとはまず関係ないと思われる心筋梗塞だった。看護師たちも患者の前では言わなかったが、ナースステーション前を通ったときに、「異常だ、ありえない」ってベテランが言ってるのを耳にしたりした。で、カップに入れてた青い花が、ろくに水換えもしないのに生き生きしてきたんだ。・・・話は変わるが、この事故のことで母親の涙を何度も見たし、雇い先にも迷惑をかけた。だから暴走族を抜けようって思ったんだ。面会謝絶がとれてから、リーダーをはじめ、仲間が次々と見舞いに来てくれてた。そんときには強がりを言ったし、事故前と変わらないように接してたんだが、だんだん決心が固まっていった。それで、久々にリーダーが仲間連れてきたときに、思い切って口に出してみた。したら、要件がわかった途端、顔色が変わって。当時の族は後輩が殴られるのは普通だったし、二十前に抜ける場合は手ひどいリンチをされた。俺はこんなケガだからって甘く考えてたんだが、そうじゃなかったんだ。不機嫌になったリーダーが、青い花の入ったカップをとって俺に水をぶっかけた。「抜けるんだったら、その体でも掟どおりにさせてもらうからな」って。リーダーたちが帰ってから、床に落ちただろう青い花を探したが、どこにもなかったんだよ。その夜のことだ。ほら病院って消灯が早いだろ。その頃にはだいぶ体も治ってきて、夜はあんまり寝つけなくなってた。だから、イヤホンでラジオの深夜放送を聞いてたんだ。時間は1時を回ってたのは間違いないけど、ラジオを消してうとうとし始めたとき、ベッドの横に何かの気配がしたんだ。看護師の巡回かと思ったが、ついさっまでラジオ聞いてたはずなのに体が動かない。金縛りとは違うな。意識ははっきりしてた。とにかく、そっち側が異常に寒いんだよ。冷気が伝わってきたんだ。それと胸が締めつけられるような気分。ぜんぶそれが発散してるもんだと思った。その状態が何分続いたのかなあ。はっと悟ったんだよ。ベッドの横にいるのは「死」だって。その途端、俺の頭の中に意味が伝わってきた。意味だけだよ、だからどういう声だったとかはないんだ。「あの花は十分に養分を吸った。向こうの世界に戻りたがっている。もう一つ命を取ったら持って帰る」こんな内容だった。それを聞くと、引き込まれるように意識が薄れてきた。俺はこれでもう一度死ぬんだと思った。朝になっても目が覚めないんだろうってな。だから、翌日検温の看護師に起こされたときにはね、窓から差し込む光も、俺より数歳年上と思えるその看護師の頬の色も、何もかもが美しくってね。ああ、まだ生きた世界にいるって実感があったんだよ。その日の午後、族の仲間がドヤドヤ入ってきてね。リーダーが死んだって。パトカーに追われたのを、振り切ろうとして入った交差点でトラックと激突して。これから追悼の集会をして、それから跡目を決めるってみな興奮して、悲しんでるやつはいなかった。俺は、こんな殺伐とした世界のどこにあこがれてたんだろうと思って・・・まあね、こんな話なんだよ。
真実を求めて ― 神伝の法と霊魂学でたどる、人生の本質への道
雨が降った。 村に、久しぶりのやさしい雨が降り注いだ。 にごっていた川の流れも、 少しずつ、澄んだ輝きを取り戻しはじめた。 空気はやわらぎ、 重たく覆っていた何かが、 静かにほどけるように感じられた。*村の人々も、どこか変わっていた。数日前まで、 互いを責め合う言葉が飛び交っていた広場では、 今はただ、焚き火のはぜる音だけが響いている。言葉の代わりに、 そっと差し出された手。 無言で分け合われる、水の器。 小さな、小さな変化。 けれど、それは確かに、 世界が静かに息を吹き返している証だった。*イサナは、神殿の前に立った。雨上がりの空を仰ぐと、 雲の切れ間から、細い光が地上に降り注いでいた。地にたまったしずくが、きらりと光る。胸の奥が、静かに温まるのを感じた。*その夜。イサナは、夢を見た。暗い闇の中、 遠くに一本の光の道がのびている。 その光は、かすかに揺れながらも、確かに存在していた。そして、 その道の向こうから、微かな声が聞こえてきた。「目を覚ませ」 「光を、思い出せ」その声は、どこか懐かしく、 かつて自分が忘れかけていた何かを、 そっと呼び起こすようだった。*イサナは、足を踏み出した。 光の道をたどって、 見えない誰かのもとへ歩こうとした。けれど、その一歩はとても重かった。 恐れ、ためらい、過去の痛み。 心の底に沈んだ影たちが、 彼の足を引き止めた。*「本当に、僕にできるのか?」イサナは、立ち止まり、 胸の中で自分に問いかけた。*そのとき、 ふわりと風が吹いた。夢の中なのに、 その風はあまりにリアルで、やさしかった。風は、彼の周りの闇を、 そっと撫でるように払い、 「大丈夫」 と、言っているようだった。*イサナは、再び歩き出した。 小さな歩幅で、 けれど確かに、一歩ずつ。そのたびに、 光の道は少しずつ広がり、 彼の背にあたる風も、あたたかさを増していった。*目が覚めたとき、 イサナの頬には、乾きかけた涙の跡があった。窓の外では、朝の風がやさしく村を包んでいた。*イサナは立ち上がり、 丘へと向かった。雨に洗われた草原は、 朝日に照らされ、銀色にきらめいている。村の家々の屋根にも、 川の流れにも、 まるで生まれ変わったような清らかさが宿っていた。*けれど、影はまだ消えていない。 それをイサナは、 肌で、空気で、知っていた。世界にはまだ、痛みと悲しみが満ちている。 けれど、それでも。——僕は、光を思い出した。——もう、見失わない。イサナは、胸の奥に手を当てた。 そこには、小さな、しかし確かな光が宿っていた。*風が、そっと吹いた。 それは、世界中をめぐる旅の途中で、 今、ここに立つ小さな少年の祈りを、 確かに受け取っていった。(第5話へつづく)
中学受験小説と2025浜学園ママの中受のあと
読みましたよ学歴狂の詩佐川さん、ワカッテTVに出て欲しい笑某R高校は父の知り合いの息子さん(ストイック青年イメージで東大進学)がご出身で、そんな賢い息子さんが赤ちゃんの時に繰り返しやってたというカラフルなカップを積み上げる知育玩具をにいただいたことがあります。が浜学園の頃、某R中模試があったので、門の前で模試終わりの(←模試終わりの予想表情)が出てくるのを待ってると、某R校のお兄さんがランニングしながら門を入って行かれて…おお!こんな休日にも鍛錬を怠らず、まさに文武両道、ここに見たりと思いました。はい、T大寺に続きうっすい思い出しかないザ 名門校とわたしの関わりですが…話を戻すとこの「学歴狂の詩」めっちゃ面白かったですワカッテTVを初めて見たときもこんな人いるんや…⁉️と、私立ぬるま湯学歴人生を送って来た私はびっくりしたのですが…某R校にストイックandかっこいい印象を持ってたので(佐藤ママの娘さんもクールな印象だし)こんなオタク…いえ、マニアック…変人…嘘です、嘘です、えっと個性的な人がいるんやなぁって思いました。でも結局みんな頭が良いし、自信とUSPとユーモアもあってさすがだな、社会で頭角を表すのはこんな方々なのだ…と尊敬の念を抱きました作者 佐川さんの比喩表現も文学作品から漫画を引き合いに出して流れるような文体で某R校エピソード(浪人エピソード)を展開されていて面白くてあっという間に読み終わりました📕就活についての記述もあるのですが、そう、超絶氷河期に私立文系女子でコネなしで挑むという最高難度の戦いで別の常在戦場にいた私は、そうだよ、京都大学の人とは違う就職難易度なんだヨ…と思い出し苦しみ(思い出し笑いの逆)をしました。タイトルに「狂」とありますが、勉強、学歴を真ん中に置いた青春エッセイなんだと思いました。直向きに頑張る姿は美しい〜です。私は受験時に苦労してこなかったので、社会に出てから苦労しました。課題を後回しにしても、あとから別の形でやってくるってやつですねこれからも別の形でまだ乗り越えてない課題くんたちが望みもしないのにやって来ると思いますが、色々な方々の話を聞いて、本などで独学しつつ、心身健康を保ちつつ、自分なりにやっていこうと思います
空人. (そらびと)経由のメッセージ
『 空人.(そらびと. )経由のメッセージ』Chapter. 2・・・・Season. 2・・・・《空人.(そらびと)の呟(つぶや)き -6-》【〝ネガティブ思考〟と責められて】・・・« 2K− 6»・・・《 〝原因〟と〝対策〟 》The divine radiance The divine impact《2025年正月元旦》【 願う 】∥〝碧天(あおぞら)〟の〝如く〟∥撮影者:空人. ( 2025年 1/1 ) 撮影機種:AQUOS R9 (スマホ)・・・・〝 Today's Menu 〟・・・・✡《Method.1st》✡・メソッド.1・『〝ネガティブ思考〟と責(せ)められて』《 〝原因〟と〝対策〟 》The divine radiance The divine impact〝秋の夕焼け〟【 熾天使(してんし)−1 】セラフィム (Seraphim)✡・・・・・・Prologue・・・・・・・・・✡《プロローグ》✡・・・〝今回〟は✡ Season. 2 ✡『空人.の〝独り言〟』です・✡・〝現代社会〟には『〝ストレス〟が〝溢(あふ)れて〟いる』同時に『〝検証(けんしょう)〟なき〝誹謗中傷〟』が〝蔓延って(はびこって)〟いるようにも思えますその中には『今の自分で良いのだろうか』と〝氣づいた〟けれど〝どうしたら良いのか〟わからずに〝困っている人〟がいます〝変わりたい〟と〝真剣に考えている〟けれど〝どうしたら良いのか〟〝迷っている人〟がいます今の自分に何が〝足りない〟のだろうと〝答え〟を〝さがしている人〟がいますそして〝息が詰まりそう〟〝視線(しせん)が気になる〟何もしていないのに〝文句言われそう〟そのように〝精神的〟に〝苦しんでいる人たち〟もいます〝ポジティブ思考〟と〝ネガティブ思考〟もその〝一例〟なのでしょう今回はそのような〝苦しみ〟から〝抜け出す〟ための〝ヒント〟になることを〝願って〟求めている〝あなた〟に〝贈り〟ますさぁ~〝始め〟ましょう今回の『〝ネガティブ思考〟と責(せ)められて』《〝原因〟と〝対策〟》・・・〝スタート〟です・・・《Method.1st》【ネガティブ思考と〝責(せ)められて〟】〝ポジティブ〟〝ネガティブ〟よく〝聞く〟言葉 ですよね〝ポジティブ〟は〝前向き〟で〝プラス思考〟〝ネガティブ〟は〝後ろ向き〟で〝マイナス思考〟〝幸運の女神〟は〝ネガティブ〟が〝嫌い〟そのような〝イメージ〟でしょうか〝人々〟には実に〝わかりやすい〟〝信じやすい〟〝理論〟ですよねでは〝ポジティブ〟と〝ネガティブ〟とは本人の〝考え方〟の〝違い〟だけの〝差〟でしょうか〝ネガティブ〟と〝指摘〟される〝人〟は好んで〝ネガティブ思考〟を〝選択〟しているのでしょうか〝ポジティブ思考〟を〝嫌い〟なのでしょうか単に〝選択〟の〝違い〟なのでしょうか〝選択〟を〝替えれば〟〝済む〟お話しなのでしょうか〝現実〟は〝ネガティブ〟と〝指摘〟される方はそれを〝悩んでいる〟〝傾向〟があるようですよ〝ネガティブ〟は〝ダメ〟〝ポジティブ〟に〝ならなければ〟でも〝どうしたら良いの?〟〝そう〟〝考えれば考える程(ほど)〟その〝思考〟は〝ネガティブ思考〟に〝沈んで〟ゆく御本人にとって〝悩みの種〟人に〝よって〟は〝鬱(うつ)病〟への〝片道切符〟〝考えても〟〝考えても〟〝考えても〟〝頑張る〟からこそハマって〝抜け出せない〟あなたは〝ネガティブ〟その〝考え方〟が〝悪いのよ〟なんか〝暗い〟わよね〝あなた〟の〝ため〟なのよ〝考え方〟を〝変えなさい〟〝もっと自信を持って〟〝前向き〟にね善意で〝指摘〟する人はどれだけ〝ネガティブ思考〟を〝知って〟いるのだろうかあなたの〝その一言〟が〝心に刺(さ)さる〟〝励まし?〟とんでもない〝わかっている〟〝わかっている〟そんなこと〝わかっている〟みんな〝同じ言葉〟で私を〝責(せ)める〟私が〝悪いの?〟なぜ〝こんな人間〟に〝なってしまったのだろうか〟なぜ〝責(せ)められる〟のだろうかどうして〝産まれて〟きたのだろう〝私なんて〟〝私なんて〟〝私なんて〟誰も〝責(せ)めてはいない〟それでも〝責められている〟と〝感じ取る〟それが〝ネガティブ思考〟の〝思考の特徴〟の〝ひとつ〟〝苦しみ〟の〝元凶(げんきょう)〟〝ポジティブ思考〟の〝あなた〟には〝わかりますか〟〝ネガティブ思考〟のご本人の〝苦しみ〟をきっと〝悪気(わるぎ)は〟無いのでしょう〝善意〟からの〝指摘〟なのでしょう〝思い込み〟だとは〝知らないで〟〝自分は正しい〟と〝思い込む〟〝誰かを傷つけている〟ことを疑いもせず「誰かが〝言ってた〟」誰かの〝言葉〟を〝鵜呑(うの)みにして〟『検証(けんしょう)なき〝誹謗中傷〟』あまりにも〝無責任〟な〝言動〟でも〝指摘されている方〟には〝耐えられない〟〝猛毒〟その方自身はじゅうぶん〝わかって〟いるから『今のままでは〝ダメ〟』『変わりたい』でも〝自分〟では〝どうにもできない〟〝どうしたら良いの〟自分の〝気持ち〟は〝誰にも〟〝わかってもらえない〟〝拡大〟する〝孤独の闇〟に〝飲み込まれる〟〝心〟が〝心〟が〝心〟が〝潰(つぶ)される〟〝明日への希望〟が〝消滅〟する『〝ネガティブ〟ハ〝ダメ〟ヨ』〝恐怖の呪文〟時には〝生命〟を〝吸い取る〟〝死への呪文〟いや『死へと〝誘(いざな)う〟』〝片道切符〟【 ある日の夕焼け 】∥〝闇夜〟の〝はじまり〟∥・・・・・・✡・・では〝ポジティブ思考〟と〝ネガティブ思考〟その〝原因〟は〝何〟なのでしょうかそれは〝ドーパミン〟や〝セロトニン〟などの〝神経伝達物質〟の〝バランス〟と言われているようです〝ポイント〟は〝必要な時〟に〝必要な量〟が〝分泌(ぶんぴつ)〟できること同時に〝ここに〟大きな〝問題〟が〝存在〟するつまり〝時間〟と言う〝基準〟で〝一定量〟づつ摂取する現状の〝医薬品〟の〝発想〟では〝副作用〟が〝心配〟となる〝ドーパミン〟や〝セロトニン〟などを〝医薬品(代用品)〟として〝化学物質〟などで〝開発〟しても『〝過多症〟や〝過少症〟』(〝かたしょう〟や〝かしょうしょう〟)など〝副作用〟が「〝次の病〟の〝原因〟となる」とも指摘されているようです〝神経伝達物質〟などの〝医薬品〟自体は「現代医学では〝完成〟はしている」ともしかし〝過多症〟や〝過少症〟などの〝副作用〟は〝逆作用〟の〝医薬品〟を〝服用〟するしか〝対策〟が無いとも言われているようです〝医薬品〟の〝副作用〟を〝医薬品〟で〝対策〟するすると〝その医薬品〟が〝次の病〟の〝原因〟となる〝薬害〟と言う名の〝負のパラレル〟の〝誕生〟この〝副作用〟は〝認知症〟などとの〝関係〟も〝不安視(ふあんし)されている〟ようです・・✡・・〝ある研究〟では〝完治(かんち)〟のためには〝小腸〟に〝存在(ある)〟〝ある器官(きかん)〟が〝キーポイント〟だと言われているようです〝期待〟しましょう・・✡・・〝ポジティブ〟と〝ネガティブ〟それは〝神経伝達物質〟の〝分泌〟が〝原因のひとつ〟のようですつまり〝病〟を〝原因〟とする〝症状〟ならば〝人として〟ありえない〝誹謗中傷〟その〝誹謗中傷〟が〝苦しんでいる人〟を〝追い込む〟さらに〝症状〟を〝悪化〟させる〝理解〟しようとせず〝一方的〟に〝ネガティブ〟を〝否定〟するのはいかがなものでしょうか原因が〝あって〟〝内分泌系〟の〝分泌異常〟ならば今〝ポジティブ思考〟の〝あなた〟も〝いつか〟『ネガティブ思考』の〝症状〟になる〝可能性〟がありますよね「〝加齢〟による〝感情〟の〝変化〟」それもまた『〝神経伝達物質〟の〝分泌〟』と大きな〝関係〟があるとか〝肉体の異常〟が〝原因〟ならば〝ネガティブ思考〟を〝理由〟として〝嫌う神〟は〝いるわけがない〟ですよねむしろ・・〝救い〟たい・・〝ネガティブ思考〟それは〝治療が必要〟な〝病〟のひとつの〝症状〟でも〝理想的な治療〟が〝現代医学〟では〝無理〟ならば今は〝理解し合える〟〝思いやりのある〟〝成熟した社会〟作りが〝急務(きゅうむ)〟ですよね〝ネガティブ思考〟を〝悪〟と決めつけずそのような〝悩みのある方々〟へ〝ご配慮〟していただけることを切に〝お願い〟いたします『明日は我が身』〝私〟も〝要注意〟ですね・・✡・・〝理解〟こそ〝想いやり〟への〝第一歩〟・・✡・・あなたの〝氣づき〟に・・『ありがとう』・・たいせつな〝氣づき〟ですね✡〝氣づいて〟くれて良かった ✡✌️😀〝Lucky〟😀✌️😀👍〝グッジョブ〟👍😀・・✡・・✡今日も ✡✡・・ステキな一日に・・✡なりそうですね✌️Have a nice day✌️(良い一日を)【 ある日の太陽 】∥すべての〝生命(いのち)〟に〝神の恵み〟を∥・・☀・・〝みんな〟が〝幸せ〟を〝感じられますように〟そして👼全世界の〝未来の子供たち〟に〝笑顔〟が😀〝溢れて〟😀いますように👼👼😀👼👼The divine radiance The divine impact《今回のブログに関連する作品のリンク》(〝こちら〟も是非ご覧ください )①『もう一つの〝空人. 〟のブログ 』より〝ある研究〟に関して『空人経由の健康話し Vol.9【 こころ « 不安から恐怖へ » 】』先ずは【ご案内】じゃ👼《 ご案内です 》👼【ご案内】🤔お悩みのあなた🤔お一人で悩まず空人と いっしょに〝解決のヒント〟を探して みませんか 😀☎…ameblo.jp②〝心の不安〟に関して『空人経由のメッセージ【不安は心の警報器】』【不安は、心の警報器】不安は心の警報器しかしこの警報器は壊れることがある過敏になるのだまず警報器が壊れていることを認めよ過敏になっていることを自覚せよ認め自覚…ameblo.jpThe divine radiance The divine impact〝秋の夕焼け〟【 熾天使 (してんし) −2 】セラフィム (Seraphim)👼 次回予告 👼『 空人.(そらびと.)経由のメッセージ』Chapter. 2・・・・〝次代への羅針盤〟・・・・✡《昔の人は言いました》✡【 井の中の蛙 大海を知らず 】(いのなかのかわず たいかいをしらず)・・・«K− 12»・・・✡公開予定日✡4 /29火曜日 AM0:00👼🙇🙇👼次回も〝お楽しみに〟The divine radiance The divine impact〝ある冬の日の夕焼け〟【〝天界〟からの〝 伝言 〟】撮影者:空人 .( 2024年 12/29 16:44 ) 撮影機種:AQUOS R9 (スマホ)〝読者〟の方々と〝共に〟〝最高の幸運の連続〟を与えていただき〝感謝〟いたします👼つづく👼👼🙇🙇👼〚ご注意とお願い〛〝リブログ〟以外の〝無断転用〟を〝お断り〟しますP.R《空人.(そらびと.) からの〝お知らせ〟》・・✡・・・・✡〝知って〟ました?✡・・『〝罪悪感ゼロ〟レンジ 調理も〝可〟』【豆100%】ですが〝なにか? 〟毎日食べる食事だから・・・《〝健康〟は食事の〝栄養素〟から 》・・・〝植物性たんぱく質〟〝食物繊維〟がたっぷりも〝いいね〟最安値だって😮〝継続は力〟定期購入が〝お得〟〝テレビCM〟放映で〝再注目〟のようですね・・✡・・・・✡〝知って〟ました?✡・・『〝小麦粉〟〝バター〟〝牛乳〟』⇒〝不使用〟【豆粉のパン】ですが〝なにか?〟毎日食べる食事だから・・・《〝健康〟は食事の〝栄養素〟から 》・・・〝食物繊維〟〝鉄分〟〝ビタミンB₁〟が〝たっぷり〟も〝いいね〟〝継続は力〟定期購入が〝お得〟関東地方で〝TVCM〟の予定だそうです〝注目〟されそうですね・・✡・・〝美味い〟〝楽しい〟〝期待大〟〝身体が喜ぶ適度な運動〟ZENB式【ダイエットプログラム】《〝食事の見直し〟+〝適度な運動〟》プロの〝パーソナルトレーナー〟監修・・〝医師も推奨〟・・〝安心〟ダイエット〝参加者〟の〝継続希望意向〟・・・90%・・・〝継続は力〟先ずは〝チャレンジ〟スタート『〝始め〟なければ〝はじまらない〟』
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私が中学生の時の話です。町に一つしかない中学校で、家からはずいぶん遠く、自転車通学をしていました。それで、ルートが2つあったんです。一つは町中の道路を通っていく正規の通学路で、信号もあまりないような町でしたけど、それれも20分はかかりました。もう一方は山の中を抜けていく道で、当時は舗装されていませんでした。中学校自体が小高い丘の上にあるので、この山道のほうは行きがほとんど登り、帰りが下りの道になってたんです。ですから、ここを通るのは帰り道だけでした。自転車をこがなくてもどんどん下っていって、10分ちょっとで家の近くまで出たんです。親からは、その道は通るなと言われていました。学校からもです。人気がないうえに街灯なども設置されておらず、危険だということでした。ただ、今になって考えてみれば、それだけではなかったのかもしれません。遠い昔に町で起きた出来事から、忌まれていた地であったのかもしれないです。私は怖がりでしたので、暗くなってその道を通ることはありませんでした。ところがあの日は、だるい感じがして部活を休んでしまったんです。ですから学校を出たのは3時半過ぎ、まだまだ明るかったし、自転車をこぐのもおっくうだったので、つい学校の裏手からその道に入ってしまったんです。道の片側は山の斜面で、反対はゆるい崖でした。学校からすぐのところが急な下りになっていて、しっかり握っていないとハンドルをとられてしまうくらい。その先からはだらだらした下りでした。あちこちに石の出ている黄色い土の道を、ゴトンゴトン走っていると、急に景色がぐらっと揺れた感じがしたんです。いえ、自転車の揺れはなく、視界が歪んだみたいな。そしたら、道の雰囲気がなんだか違って感じられたんです。うまくは言えないんですけど、色あいが薄くなったというか。それで、視界が開けたところに出て、そこからは崖の下の家並みが見えるんですけど、トタン屋根がなくなっていて、ずっと田んぼが続いていたんです。それも、あまり整備されていない昔の田んぼという感じで、遠くに行列が通っているのが見えました。「え、おかしいな。こんな景色なかったはず」と思いましたが、樹木の切れ目はそこで終わって、またゴトゴト自転車で下っていく・・・あと数分で坂を下りきって農道に出るというとこまできたとき、自転車のハンドルが大きくとられて、崖のほうにふらふら進んでいきました。「落ちる」と思ってそっちのほうの足で地面を蹴り、ハンドルを思い切りきりました。そしたら今度は逆に、山側の笹竹の茂みに突っ込んでしまったんです。思わず足を出して茂みの中を蹴ろうとしましたが、ガチンとすねのところが何か固いものにあたって、自転車ごと茂みの中に横倒しになってしまいました。しばらくショックでそのままでいましたが、なんとか自転車を起こすと、右足のすねに強い痛みがありました。見ると、ちょうどソックスの上の部分が真っ赤にすりむけて血がしみだしていたんです。笹は私が倒れたことで広範囲に倒れて、地面から四角い木の杭が出ているのがわかりました。かなり太いものです。からからに乾いていて、白っぽくなった15cm四方ほどの角材の頭の部分。これに足をぶつけたんだろうと思いました。血の滲んだ部分をハンカチで軽く縛って、なんとか下りていくと、普段と変わった様子のない農道に出ました。家に入ってすぐ、「お母さん、自転車で転んだ。薬出して」と叫びました。家は専業農家で、その時分はあまり作業のない時期でしたので、両親とも家にいたんです。すぐ母が出てきて、私の足を見て、「ああ、すりむけてるね。くじいたりしてない?」と聞いてきました。「それは大丈夫」「じゃあ風呂場に行って洗ってきなさい。そのあと消毒するから」母が持ってきたタオルで足を押さえながら、廊下を通って風呂場に行こうとしたとき、居間でテレビを見ていた父が急に首だけふり向いて、「逆木だあ」って言ったんです。普段はわりと甲高い声の父でしたが、そのときの声は低くてなんて言ったか最初はわからないくらいでした。「え、お父さん、何?」 「え、何も言ってないぞ。それより病院行かなくてもいいのか」 「そこまでひどくないよ。大丈夫」風呂場で傷口を洗ったんですが、薄く皮が向けているだけで強い痛みはありませんでした。ただ、数mmほどの細かな木のささくれが、一面にくっついていたんです。「いちおう医者に見てもらいましょ。まだ時間は早いし、やってるから」それで、母の運転する軽トラに乗って、近くの外科に行ったんです。小さい頃から世話になっている年寄りの先生が出てきて、「おやまあ、たいしたことないけど、木くずはとってしまいましょう」そう言って、ピンセットで細かな木のささくれを一つずつ抜いていって・・・そのうちふっと意識が途切れてしまったんです。気がつくとベッドで点滴をされていて、すごく熱っぽかったんです。両親と弟が周りにいて、心配そうに私を見ていました。先生の話だと、ケガとは関係ない風邪の症状だろうということでしたが、入院しても、40度近い熱がずっと下がりませんでした。それと足の傷も治りが遅く、足首が膿んで倍近くに腫れてしまったんです。熱が下がり、膿が出なくなると、今度はカラカラに皮膚が乾いて黒くなってきました。それで、ここではダメだということになり、県庁所在地の大学病院に転院しました。特にばい菌が入ったとも思えないのに、組織が少しずつ壊死してきているという説明でした。一時は足の切断という話まで出たんですが、それはなんとかまぬがれまして、退院することができたんですが、結局5ヶ月も入院したんです。家族は「えらい災難だったが、とにかく治ってよかった」と喜んでいました。これがそのときの傷跡です。いまだに黒い跡が残ってますでしょう。しかも十字の形に見えますよね。どうしてこんなことになったのか、ずっとわからなかったんですが、一昨年のことです。私が自転車で転んだあの山道を、幅を広げて舗装道路にすることになったんです。そしたら事故が続き、重機のショベルの誤作動で2人の作業員の方が亡くなったんです。切り崩した山の斜面から、十数本の十字型に組まれた木が出てきました。ええ、どれも鎖もせず、むしろ乾いて真っ白になっていました。これ、たぶん私が藪の中で足をぶつけたものだと思うんです。大学の先生が来ていろいろ調べた結果、それは江戸時代の処刑に使われた磔の木じゃないか、ということになりました。それも、隠れキリシタンのです。このあたりは江戸の後期頃にそうした出来事があったという記録が残っているんです。その十字の木が掘り出されてからは、工事は事故もなく進み、今では立派な道になっていますが、私は通らないようにしています。これまで交通事故が起きたという話はないんですが、わからないですよね。それこそ、さわらぬ神にたたりなしですよ。だって、私のケガや事故のことは偶然で済むかもしれませんが、あのとき途中で見た昔の風景、あれは絶対に説明がつかないんですよね。あと父が言った、「逆木」という言葉も。ちらっと目に入っただけでしたが、遠くの道に見えた行列には、馬に乗った人や、白い着物のたくさんの人がいたような気がします。あれはもしかして、キリシタンの人たちが刑場にひかれていく場面だったんでしょうか。でも、もしそうだとしたら、殉教者の人たちは天国に行っているはずですよね・・・とにかく、このとこがあって以来、山や茂み、土の出ているところが怖くてしかたがないんです。だって、どんな由来のある、恨みがこもってるかもしれないものが埋まってるか、わからないじゃないですか。まあこんな話なんです。みなさんもお気をつけください。終わります。
黄色妄想♡おはなし保管庫
こんばんは、いかがお過ごしでしょうか。いよいよゴールデンウィークですね。ちょっとまた、作品整理しようと思います。 『連載が終わったお話』等は、直したり整理していきます(BL小説)そのまま限定記事へ移行した分もありますが、全体公開作品の名前は変更していきます。💙=王野理志・サトシ💛=二之美谷和成・カズ・ニノ❤️=桜居聖・桜井・ショウ💚=藍波正紀・マサキ・マー君💜=松元純・ジュン pixivの夢小説を直してたんですが、色々考えてAm ebaに置いているお話も、お名前をそのままは難しい気がして。pixivに全ての作品をあげようかと思っていましたが、全部UPすると、ここに置く意味も必要もなくなる。なので、今日新たにUPした分までで、pixivの更新は止めます。 (Amebaに復活したのは、応援してくれてたブロガーさんに読んでもらう為だったんですけど、その方々も、ブログを消して次々去ってしまわれたので)(悲しい) Amebaは、私に急に何かあったら、このまま放置になっちゃうなあと。かと言って、全部限定にしたら読んでもらえないし、うちの貴重な少ないwアメンバーさんだってそんなに毎日は読まないと思う。ちょこちょこと、今日限定へ移した作品もあるんですが。 ギリギリを考えて(ハイフンだから♡笑)モデルのイメージが誰かは分かるかなあ? というお名前にしようと考えました。 アメンバー限定記事も、お名前をちょっと直せたら、全体公開できると思います。でも♡な色っぽい記事は難しい、だからこういう感じの作品は、ほとんどpixivにUP済みです。暗いお話は、オリジナル版をどこかでUPするか形を変えるかで考えています。(面倒で下げたままかもしれないけど。^^;) でも字が変わると、別人だなあと思う。それは効果的なのですが、読む人いなくなるかなあ?とかも思います。その時は、仕方ないので全作品を下げるか、完全限定か、pixivに移してしまうかします。毎日、考えちゃうんですよね〜。他の方々のような萌小説じゃない方のお話書いているので。^^;供給が無さすぎて萌も枯渇してるし、読み専門って良いなあとか思っちゃうし。でもこれはダメだなあって、なったら、また考えます。ただ、作業は遅遅…になると思います。実は、先ほど家族のコロナ罹患が発覚しまして。(悲鳴)このG・Wは、終わったなあって感じです。(他の方のブログ読んで大変だなあ、なんて思ってたら、うちにも)(今、すごく増えてる気がしますよ)万が一、私が寝込んだら、ちょっと投稿が止まるかもしれません。今の💜❤️「世界でいちばん近くて遠い恋」は、最終話まで予約投稿してあります。(毎朝4時)他のお話も今のうちに、良かったら読んでおいて下さい。名前変更と一緒にタグも外していく予定。元気だったら、G・Wの間に変更して編集していきますね。次に始める予定の磁石のリクエストのお話は、名前はそのままです。連載が終わればアメンバー限定記事になります。では、みなさんも、コロナやインフル等にお気を付けてお過ごし下さいね。いつもありがとうございます。(この記事は、すべての名前変更が終わったら下げますね)
神話 スピ 小説イラスト投稿してます
私はブログ大好きで、自分が運営するのもだし、読む媒体もブログが一番好きです。そしてアメブロ推しです(笑)NOTEやwordpressの独自ブログなどは、専門性が高い傾向ですがその分やや堅い感じがすることが多いです。親しみやすさがやや欠けるっていうか…。だけどアメブロって「良い意味で緩さがある」んですよね。これがアメブロの良い所で強みじゃないかと思ってます。なんていうか「普通っぽい」っていうのか、人間臭さが他より感じられて温かさがあるんですよね。アメブロのブログって。「ゆるい」って言葉がしっくりきます(笑)でも、それがアメブロの良さ!!文字装飾ができたりもアメブロの好きなところです(書くのも読むのも)全部黒字で同じ文字の大きさって、読みづらいし堅い感じがしてしまうんですよね。ところでふと思ったこと。「今後の時代のブログ世界って、どうなっていくんだろう?」ということ。自分なりに思う今後のブログ予想をつれづれ書いてみます。(別に専門的内容ではなく個人的予想です)目次過去や現在の需要が高いブログとは?今後どんなブログが需要が高くなるか予想読者がブログに求めているのは『知識・情報』だけではない過去や現在の需要が高いブログとは?正直、ブログは今も下火傾向です。ですが息が長く、まだまだ需要はあると思われます。ブログは「知識系ブログ」が需要が多く人気な傾向だと思います。ちなみに神話宗教系も、需要が高く人気が集まるのは「知識系ブログ・知識系動画チャンネル」です。有識者が神話や宗教について知識を教えたり解説する、専門性が高い内容のブログや動画が人気で需要が高いです。元々学問ですから、知識を得たい、勉強したい人が多いかわけです。ですが・・・オタクなどにありがちですが「知識崇拝」「知識で優劣をつけたがる」人は多いです。どれだけ知識を持っているか?で一目置かれる風潮はどの界隈でもあります。し・か・しおそらく今後の時代は「知識が武器になる」信仰は崩れていくのではないかと…。なぜなら、これまで努力して知識を得てきた価値観だったのに、あるものの登場でその価値観がひっくり返る時代になると思われるからです。それは「AI」今はまだAIはハルシネーション(嘘)が多く、人間側の知識も必要です。ですがAIの進化はすさまじいです。おそらくもっともっと進化していきます。そして「頑張って得てきた知識も、AIに一瞬で抜かされる」時代になるかも・・・努力しなくたってAIで知識補完すればいい。そうなっていけば、知識信仰でこれまで知識武装してドヤってたり優位に立っていた人も。それが今のようにできなくなってしまう可能性もあります。冗談抜きでそんな時代が来ようとしてるかもしれない…。そしてそうなると今は需要があり人気で持て囃されてる「知識系ブログ」「知識系動画」も、未来では需要がなくなっていくかもしれませんだってAIで補完できるんだからブログなんて読まなくていいわけです。ですが、だからってブログ文化がなくなるわけではないと思います。今後どんなブログが需要が高くなるか予想おそらく、別の需要が出たりしてブログという媒体は生き残るのではないかと私は思ってます。では、今後はどんな需要が出そうなのか?考えてみました。知識系の需要が廃れていくとなると。「体験レポ」の需要は高くなるでしょうね。例えば私がこのブログに載せてる「ホテル宿泊レポ」のような記事です。観光地や聖地、巡礼地の観光レポなども需要が高く、価値がもっと高くなると思います(すでに高いですが)体験レポはAIでは無理だからです。あとはファンブログのような「生の声」でしょうか。おそらくですが今後の時代のブログは「知識よりも体験・感性・親しみやすさ・リアルさ・メッセージ性」これらが求められてくるのではないかなあ…と。検索してブログを見る時も、単に情報を知りたいだけでなく「あの漫画の感想を書いたブログ記事ないかな」とかで私もよく探します。そういう「生の声」「体験の声」「所感」「考察」「そのブログ主のキャラ」を求めてブログを読むことは多いです。何というかブログを通した「疑似体験」「共感」のようなものでしょうか?たぶんそういうのが今後はもっと重視されてくるんじゃないかと思います。人間臭さというんでしょうか。なので体験レポ系は間違いなく強いでしょうね。読者がブログに求めているのは『知識・情報』だけではない「AIが出て検索は終わる」なんてAI系YOUTUBRが煽ってるのたまに見ますが、情報収集だけでブログを読むわけじゃないことを彼らはわかってない(笑)情報収集や知識を知りたい時はAIで完結できたとしても。「人間臭さ」「体験談」「感想」「ブログ主らしさ」はAIでは決して得られないのです。そのブログ主の考えを読みたかったりするんです、読者は。そこを求めてる人は多いです。私も「知識系が需要あるしSEOに強いし」と知識系も意識した記事書いてますが(神話のキャラの基礎知識や話の紹介など)自分の所感とか(例えば○○に萌えるとか)妄想ネタとか、他にもネタ系とか。そういうのも書くようにしてるし、知識系ばかりに偏らないようにしてます。あと私はイラスト描いてるので、そこは知識系ブログや他ブログとの大きな差別化ですね。そりゃAIイラストでもイラスト作れるけど、手描きイラストの価値は高いと感じてます。手描きイラスト載せられるのは他の神話系ブログで大きな差別化だし強みですね。神話の神や登場人物の手描きイラストも、知識系のように人気とは言えないですがそれなりに需要あるんで(実際、画像検索めちゃされてます)そもそもこのブログ、創作ブログでイラストメインなんで、知識ブログではないので(笑)知識記事は間違いなく専門ブログに負けます(笑)じゃあ何でこのブログに来てくださる方いるのかというと、手描きイラストを載せてるのも大きいと思うんですよね。それってオリジナリティなので。豆知識に加えて、神話宗教キャラの手描きのジャパニーズアニメ風のオリジナルイラストあるの、珍しいんだと思います。やっぱ手描きイラストの需要とアドバンテージ、それなりにあるんですよね。イラストは心に残りづらいなんて聞くけど、文章だけでなく「イラストという視覚情報」もあるのは情報量として大きいです。きついし辛い思いや葛藤もするけど、頑張ってイラスト習得して良かったと思ってます。まあ、時代の流れに合わせてブログも臨機応変に変えていけばいいのかな、と思ってます。ホームに戻る
hominism
東京ドーム、ついについに三日目ですねアリーナよりも更に更にパワーアップして全力でステージでパフォーマンスを魅せてくれるユノとチャンミンの姿を、今日は会場とWOWOWで多くの方が応援出来ると良いなと思っています昨日一昨日はたくさんの方がドームで見つけてくださって、久々にお会い出来たり「初めまして」が出来てとても嬉しかったです気持ち悪い顔面と姿で気の利いた話も出来ずお恥ずかしい限りでしたが、普段直接お会いできない分とても幸せでした貴重なお時間を割いて声をかけてくださった皆様、ありがとうございます🙇🏻♀️今日も、先日からお知らせしている通り、この後ドームでどなたかとお会い出来たら良いなと思っております現在ドームに到着しており、グッズ列に並び中ですグッズが購入出来たらブログ記事をあげる予定です予定ですが…1時頃に「到着しました」と記事をあげますその記事に居場所や服装の特徴を載せるので、私からお誘いしておいて大変申し訳なく心苦しいのですが、見つけて声をかけていただけたら嬉しいです場所はまだ未定ですが、ドーム正面付近の屋根のある場所にしようと思っています既に声をかけてくださっている方も、そうでなくてもお話を(ごくごくたまにでも)読んでくださっている方が居らっしゃってタイミングが合えば読んでくださっているお礼を直接お伝えしたいですソンムルにもお礼にもなりませんが、限定の紙のお話(CLASSYCツアーでお会いした方にお渡ししたものです)と、東京ドーム用の限定のお話パスワードをお渡しします足りなくなるのが不安で多めに準備しているので、出来たらどんどん声をかけていただき、受け取っていただけたら私がとても助かります…🙇♂️この記事が更新されて以降、もし私を見つけてくださる方がいらっしゃったらいつでもお声かけお待ちしておりますギンガムチェックの肩出しのオフショルトップス、デニムパンツ、前髪あり暗め髪色ロングヘア、MIUMIUの黄色いバッグでドームグッズ列におります🙇♂️それでは、今日の公演が素晴らしいものになりますように私の念願、の日産スタジアム公演が発表されますように…
向日葵のような笑顔〜黒い向日葵?〜
おはようございます(*´▽`*)ノ))GWでお出かけしてますか?私は連日お出かけです(笑)昨日は相方ちゃんとランチでした。待ち合わせ場所を間違えていて←私ねLINEを確認して慌てて移動!!思い込みって怖いわぁ。相方ちゃんがお店を予約してくれてたんだけどお店の人の声が小さくて…予約してる人がえ?え?朝ごはん食べた?って感じ。ようやく呼ばれて席に付きご飯を注文。最近はQRコード読み込みでメニュー注文ね。(写メ撮る前にたべてしまった…)ゆっくり食べたいのに90分制なので食べ終わってからウィンドウショッピングという名のウロウロ(笑)あちこち歩いてお茶にしました。パンケーキ食べちゃいました🥞´-痩せなきゃねーと言いながら頬張る(笑)幼なじみなので色々な話で盛り上がり来週またお出かけするので時間を決め来週ね〜👋🏻゛とお別れしました。土日で26000歩🐾よぉ歩きました(笑)さて、今日はお仕事です。頑張ろ。では、今日も頑張りまーくん(*‘◇‘)♡♡今日も良い1日でありますように☆*。ゆーみん☆*。
すえよしの俳句ブログ
4/27NHK俳句。題「燕」、選者は高野ムツオさん。◎「語ろう俳句」句会①ぶらんこの浮かびごこちを初つばめ②雨だよと上目遣いの燕たち③燕来る電柱傾き川奏で④散髪の帰りは雨の燕かな⑤つばくらめ描線は牛小屋を裂く〇最高点句①ぶらんこの浮かびごこちを初つばめ※特選=斉藤・高野、並選=能町。5点。「ぶらんこの浮かびごこち」、これはブランコを漕ぎ、その最高地点での浮かび心地だと思われます。その時今年初のつばめを見た!と。「を」で一旦切れるのかも知れませんね。「を」の解釈はなかなか難しい。わかりやすいのは「ぶらんこの浮かびごこちや初つばめ」ですかね?作者は鈴木牛後さんでした。〇次点句④散髪の帰りは雨の燕かな※特選=鈴木・能町。4点。意味は書いてある通り。せっかくの散髪帰りなのにあいにくの雨。しかしそこに生命の象徴のような「燕」の出現。「帰りは雨」とも取れるし「雨の燕」とも取れる。また「かな」という詠嘆の切れ字。様々な鑑賞があるとしても「燕」という季語により前向きのニュアンスがしますね。作者は斉藤志歩さんでした。〇3点句⑤つばくらめ描線は牛小屋を裂く※並選=鈴木・高野・かわにし。3点。 てっきり鈴木牛後さんの句、と思いましたが、鈴木さんが取ってますので違いましたね。燕が描く飛行線が牛小屋を裂くかのような鋭さを断定的に表現した。作者は能町みね子さん。これは鈴木さんへの挨拶句。〇2点句③燕来る電柱傾(かし)ぎ川奏で※特選=かわにし。2点。「燕来る」「川奏で」はわかる。「電柱傾ぎ」はどう読めばいいのか迷うところ。飛ぶ燕を見ている視線からの電柱の見え方か?本当に電柱が傾いているとは考えにくい。もしそうだとしてもそれを句に入れ込む必然性もないし、「川奏で」との整合性もない。作者は高野ムツオさんでした。高野さんによると「電柱傾ぎ」は「川奏で」の指揮棒に見立てたと!〇1点句②雨だよと上目遣いの燕たち※並選=斉藤。1点。「上目遣い」は餌を待つ子燕?いや違いますね。「雨だよ」と空の様子を気にしている燕。燕の低空飛行はやがて雨になるという諺もある。「低く翔ぶつばめ気にする雨催」的な意味合いですかね?作者はかわにしなつきさんでした。※「燕」は春の季語。「子燕」は夏の季語。◎特選三句★(三席)空を切るフルスイングや初燕 神奈川県横浜市 猪岡義弘★(二席)人類は塔を創るやつばくらめ 東京都渋谷区 池田宏陸★(一席)下ばかり向くなと燕旋回す 大阪府枚方市 小林孝恵残りの特選6句は月曜日(今日)、NHK俳句HPで発表される予定。特選句及び佳作は「NHK俳句テキスト」6月号に掲載されます。次回、高野さんへの投稿は↓
部屋に入ると緊張が一気に解けふらふらとベッドへと身体を投げ出しそのまま眠ってしまったようだ。朝目覚めると時計は昼近くを示しゆっくりと身体を起こした。カーテンと窓を開けると眩しい陽射しが照りつけた。う〜んと伸びをしてスマホを掴み画面を見ると…櫻井さんからLINEが入っていた!!慌てて開くとたくさんのメッセージ。『今日はお疲れ様』『ゆっくり休んで』『もう寝たかな』『おやすみなさい』うわぁぁぁ!こんなに気遣ってくれてるのに俺は寝ちゃったなんて!すぐに櫻井さんに返信をするとすぐに既読になった。だから思い切って電話をかけると「あ、相葉くん。おはよう。 ゆっくり眠れたかな。」優しい声が耳に届いてきた。「おはようございます! ごめんなさい!帰ったら寝ちゃってて!」「よかった。ゆっくり寝れて。」そこからたわいも無い話をしてまた明日会社でとスマホを切った。会社…どんな顔をして行けばいいんだろ。つづく…
龍さんと一緒にシニアライフ
...グーテンターク...シリーズの3回目です。では、始めます。正田家からいらした美智子さまと、川島家からいらした紀子さまは、世界中の少女が憧れたシンデレラ物語を、そのまま鵜呑みにして嫁がれたのでしょう。そして、忠誠心の高いお付きの方々と、大手メディアなど報道陣らが、あの方達を、まるで、シンデレラのように扱ってしまったきっと、今でもシンデレラのまま、世間の風当たりが強い原因が、自分たちの行いにあるとは、全く感じていないと思います。でもですね、美智子さまがいらしたおかげで、本家に今上陛下が生まれ、雅子皇后が皇室入りされ、敬宮殿下が誕生されて、多くの日本人の、希望の星となりました。美智子さまがいらしたから、分家の殿下が生まれ、紀子さまが皇室入りされ、経緯はどうであれ、跡取りとなる長男が誕生されました。(内親王のお二人は省きます)そして現在、皇位継承問題と皇室典範改正などが、まだネット界隈の一部だとしても、大声で騒がれるようになりました。これは、とても良い傾向です。その良い傾向を作る原因となったのは、元を辿ると、正田家の美智子さまなのです。その後の繋がり(成り行き)を考えてみて、美智子さまも紀子さまも、皇室典範の改正を、国民の手で促すために、皇室に入られる運命だったのでは...?そして、皇室に新旋風を吹き込むために、最後に皇室入りされたのが、小和田家の雅子さまです。この3人の女性が、同時期に、皇室に揃ったことで、とても壮大な、皇室の物語りが始まりました。そして、私は思うのです。この3人が織りなす物語が、戦後の日本人が失いかけた、日本人としての誇りと、皇室への親しみを、復活させるのかも…と。その物語りに、敬宮殿下が、4人目の女性として入られたことで、人々の関心と世論が高まっているわけで、今の騒ぎが、復活の前触れではないのかと、キーボードを叩きながら思うのです。主役が光るのは脇役がいるからです日本人が日本人でなくなったと言えば、最近、目が点になったことがあります。分家の皆さんを敬愛する方々が、国民の安寧を願っていらっしゃる、天皇皇后両陛下と敬宮殿下へ、理由なき批判をしていると知って、心底驚きました。敬愛する人を褒め讃える方が、楽しいのではないかと思うのですが、判断の基準が違うのでしょうね。でも、どんなに欲目で見ようとしても、税金を湯水のように使って、豪華な暮らしをしている御一家を、尊敬することができません。テレビカメラの前で、天皇陛下と国賓を目前にしても、最低限の礼儀すらも守らない人。観衆の目の前でも、妻に対しての配慮に欠ける様は、世界に誇れる皇族の姿ではありません。子供は親を見て育ちますから、分家のご長男にも、その負の気質は、受け継がれているはずです。人間の性格の基盤は、15歳までに完成するそうですので、成人を迎えてしまったらもう遅いです。その性格を元に、環境と経験から、性質が形成されていくのですから、幼児期、青年期は、もっとも繊細で大切な時期なので、両親が真摯に接するべきでした。一番、日本人らしくあって欲しい皇族が、日本人の心、真心、敬愛の念、おもてなしの心、美しい日本語などを、忘れてしまってはどうしようもないですね。写真は宮内庁のインスタからお借りしました。文明が進化すると、文化が崩れて行くとか聞きました。過去の日本人は、日本の文化を大切にしながらも、文明との共存も可能にしていた様に思います。日本人だからできたのでしょう。まさに令和の皇室がそうですよね。今上陛下と皇后雅子さまは、日本の文化を大切にしつつ、文明の進化(人権の平等性等)にも、敏感に対応していらっしゃると感じています。令和の時代が末長く続きます様に次に続きます。最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
「窓と窓」―窓を開く・言葉を紡ぐ
通り抜け卒寿の母へ花吹雪「ただいま」の傘にバッグに桜蕊メトロから浮上1分藤の波おしゃべりな躑躅三色まがり角初つばめ就活生の中ヒール●藤棚/小西 春菜(大阪市) 私の住んでいる大阪市福島区には、公園や駅前広場など、あちこちに藤棚があり、保存の活動も盛んです。この時季には、棚下のベンチで休憩したり、写真を撮ったりして満開の藤の花を楽しみますが、今年は、万博の関係か、外国人の方々を多く見かけます。
肩書きなしのクールダンディー
昇天昇は日+升で太陽と升を持ち上げる手(柄杓の升に物を入れる)の象形文字。太陽を掬い上げる⇒太陽が「昇る」を表す意に。夕方実家の花の水やりに墓参り中に不意に電話が鳴る。電話主は中学以来の親友の奧さんの表示。一度は手術で生還、その後再発も癌と戦い続ける。気に掛けるも昇天…止まらぬ涙
とりあえず詩集ということで
人付き合い人付き合い [社会・政治・時事] 私のアメブロの詩を朗読しました。ちなみに詩はフィクションです。アメブロ「とりあえず詩集という...www.nicovideo.jp岩崎絢奈 on Instagram: "私のアメブロの詩を朗読しました。ちなみに詩はフィクションです。https://ameblo.jp/renge-tsutsuji #朗読 #詩 #詩人 #ポエム #してみた #人間関係の悩み #気持ち #自分 #人付き合い #余計なお世話 #おせっかい"0 likes, 0 comments - nabetumi on April 26, 2025: "私のアメブロの詩を朗読しました。ちなみに詩はフィクションです。https://ameblo.jp/renge-tsutsuji #朗読 #詩 #詩人 #ポエム #してみた #人間関係の悩み #気持ち #自分 #人付き合い #余計なお世話 #おせっかい". www.instagram.comランキング参加中!にほんブログ村こんにちは。朗読しました。どれも同じ内容です。よかったら聞いて下さいね。下からエッセイもどきです。恐ろしいことを言われました。「5月は残業かもしれない」「夜ご飯は職場で食べて、21時まで仕事」……稼げるけど恐ろしいです……。休みましょう。
今回はこういうお題でいきます。さて、何から書きましょうかね。江戸の街は男女比が違っていて、女性が圧倒的に少ない。ですから、商家の奉公人の男性などでは一生結婚できない人もいました。ですから、遊郭が発達したわけですね。結婚する年齢の平均は、女性19歳、男性25歳くらいでした。江戸時代の結婚は早かったという印象がありますが、そうでもなかったんです。特に女性は数が少ないので、結婚・出産して一人前と思われていました。ちなみに江戸時代の離婚率は高かったです。江戸の女性は、恋愛は奔放でしたが、結婚は見合いが多かったんです。あるいは親が決めたとか。当時は恋愛と結婚は別物という意識が強かったんです。共稼ぎが常識でした。専業主婦でいられるのは公家か武家ぐらいです。江戸での恋愛結婚は「浮気な結婚」と言われました。江戸で見合いが盛んになったのは中期頃からで、男女そろって着飾って別々に寺社詣でなどに出かける。そこで仲人が、離れたところから相手を見せて、「あの人です」などと言います。このことを「影見」と言います。これをやるのは主に男性側でした。その後、両者が偶然をよそおって同じ水茶屋などに寄り、そこで会話を一言二言したりもしましたが、もし相手が気に入らなければ先に席を立ってもよかったんです。「気に入らぬ ほうが水茶屋 早く立ち」という川柳が残っています。江戸後期になると、男性が口実をつくって女性の家を訪れ、そこに女性がさりげなくお茶を持って現れるという方法も登場しました。時代劇でよく見かけるシーンですね。江戸時代の仲人は、一度なってしまうと、一生その夫婦の世話をすることが多かったんです。第二の親みたいな感じだったんですね。仲人への礼金は女性の持参金の10分の1。プロの仲人のような人もいました。結構いい商売だったようです。裕福な商家では、100~500両もの持参金がありました。あとまあ、女性に関しては見合いの際に年齢のサバを読むようなこともあったようです。結婚式の女性の衣装としては、白無垢に綿帽子。どこかの神社の神前で行われることが多かったんです。女性の白無垢は死に装束で、「一生を嫁いだ先でまっとうする」という覚悟を表していました。また、その後、男性の家で親しい人々の前で三々九度の儀式を行うこともありました。これが今の結婚披露宴にあたります。どちらも衣装は貸衣装が多かったでしょう。三々九度は中国の陰陽五行説からきた風習で、奇数は偶数で割ることができないので、割れない=別れない に通じる縁起のよい数字とされていたんです。もちろん武家では、もっと格式の高い式が行われました。ちなみにもしも離婚してしまうと、花嫁の持参金や嫁入り道具は男のほうはすべて返さなくてはならず、その後の生活に支障が出ました。ですから、あまり気安く離婚はできません。それでも上で書いたように離婚率は高かったんです。現在、結婚式で使用される「角隠し」は、歌舞伎の若衆がしていた被り物を参考につくられたもので、江戸の最末期から明治にかけて流行ったものです。では、今回はこのへんで。
今夜は「手繰る」ということについての不思議な話、怖い話を2つ書きます。どちらも霊能力者が登場しますが、これはあくまで、聞いたことをそのまま書いているのであって、霊能者を称賛しているわけではありません。そのあたりはご理解ください。山の気雑誌や本の表紙デザインを依頼されることが多い、売れっ子のデザイナー、Aさんから聞いた話です。Aさんと自分は大学の同窓で、古くからのつきあいがあります。たいそう忙しい方で、いつ連絡しても仕事中という感じなのですが、ときおり、年に2回くらい山に登ります。これは山頂を極めたいという登山ではなく、山にある神社にお参りするのが主目的です。ですから8合目あたりに神社がある場合、山頂までは至らないこともあるそうです。ご神体山と言いますが、山そのものが信仰対象になっていて、ふもとに拝殿、山中に本殿がある場合が多いんですね。そういう場所は、有名なものから無名なのまで全国にいくつもあって、Aさんは、仕事の疲れが溜まってきたときに、3日ほどの休みをとって登りにいくわけです。「いや、疲れが吹っ飛ぶときも、そうでないこともあるよ。どうしてだろうなあ。やっぱり山との相性があるんだろうかね」こんなことを話していました。去年の春、山陰地方のご神体山に出かけたときの話です。そこはけっして厳しい山登りではないのですが、かといってハイキングコースでもなく、天気のよい日なのに、一本道の登山道を行くのはAさんだけでした。時間の余裕もあり、多少ダラダラとしたペースで登っていると、下山してくる人の姿が見えたんですが、それは白い着物を着た、60代くらいに見える男性でした。宗教的な雰囲気はあるものの、修験者でもない。そして不思議な動きをしていたんです。杖を持っているのに、それは脇にはさむようにして使わず、両手を右肩の上に回して、縄でも手繰るような動きをしていたのだそうです。かといって縄やヒモが見えるわけでもない。「何をしてるんだろう」と、当然思いましたが、すれ違うときに脇によけて軽く会釈をしました。するとその登山者は立ち止まって「お参りですか」と聞いてきたので、「そうです」と答えると「今日はねえ、◯◯様(神社の名前です)からはいい気が出てるよ」そう言いました。Aさんがきょとんとしていると、続けて、「あんまり気の力が強いから、こうやって引いてきてるんだ」と、さらにヒモを手繰るような動作をしたそうです。「気ですか、もしかして神社から引いてきたってこと?」「そうそう、こういうとこにお参りに来るような人だったらわかるでしょう。太い龍みたいになってビクンビクン動いているよ」「さすがにそんなことがあるだろうか」とAさんは思いました。みなさんはどう思われますでしょうか。Aさんが疑ったのが顔に出たんでしょう。年配の登山者は、「ああ、信じられないようならちょっとさわってみるかね」そう言いまして、両手で見えない縄を引っ張るようにしてAさんの胸の前につき出したんです。「ここですか」とAさんがその両手の先に触れてみると、ビビッと静電気が走ったように思えました。例えが悪いですかね。静電気は不快ですが、このときにはミントの粉末を吸い込んだような感じだったとも言ってました。気持ちが晴れ晴れとした。Aさんが「これはふもとまで引いていくんですか。その後どうするんです?」と聞くと、登山者は、「ガラスの器に水を張って、その中に伝わせる。この気なら2週間ほども保つだろう」と答えたそうです。登山者と別れ、本殿に参詣して戻ってくるとさらに爽快感が増し、山から戻ったAさんは半年近く仕事をバリバリこなして、年末には大きな賞を取ったんです。死の気これはけっこう怖い話です。Mさんという水泳インストラクターの女性の方から聞きました。Mさんは若いころ、オリンピック候補にまでなった短距離泳者でしたので、もしかしたら名前をあげるとご存じの方がいるやもしれません。このAさんの妹の息子さんが交通事故で亡くなったんです。8年前のことです。自転車で下校の途中の交差点で、車と接触して転倒。頭を強く打って硬膜下出血し、開頭手術したものの意識を戻さず死亡したんですね。事故は夕暮れ時、過疎県の町の信号はありましたが、農道に近いような辺鄙な道で起きたんです。目撃者はありませんでした。車の運転者は近くの市の団体役員で50代。轢き逃げではなく、きちんと警察にも連絡していましたが、「自分のほうの信号は青だった。子どもが信号無視して飛び出してきて避けきれなかった」このように証言したんです。現場には急ブレーキ跡もありましたので、居眠り等でもない。検証した警察はそれを信じたというか、疑ったとしても証拠がまったくない。ですから過失致死罪、今の自動車運転過失致死傷罪は適用されるんですが、逮捕はされなかったそうです。在宅起訴ということなんでしょう。しかし、Mさんの妹、亡くなった子の母親ですが、息子が信号無視で飛び出したとは、信じられなかったそうです。というのは、ひじょうに行動が慎重で、しかも普段から律儀にルールを守る子だったからです。でも、死人に口なしですから。納得できなかった母親は、それで霊能者を頼んだんです。その町の一集落に住んでいた拝み屋、と言われる90過ぎの婆さんで、昔は赤子の疳の虫をとるとか、失せ物を占うとかで流行っていたそうですが、すっかり時代が変わって、拝み屋のほうは近所の年寄り連中数人が相手でした。そこの家にいき、祭壇の飾ってある部屋で事情を話しました。そうしましたら婆さんは、事故の加害者が妹さんの家に、示談がてら仏様を拝みに来る日を聞いて、そのときに訪ねていくことを約束しました。それから、妹さんの車に乗って事故現場の交差点へ行ったんです。で、現場で降りると、花束が置かれている路肩を中心にして、前後左右に動いては両手で縄を撚り合わせるようなしぐさをしたそうです。ひとしきりそれが終わると、もの問たげな様子の妹さんに向かって、「若いころは仏様の声が聞こえたもんだが、今は力が落ちてできない。けどもあちこちに散らばっている御残念を拾い集めるのはまだできるから。それをできるだけ育てて、車の相手のところに当日持っていこう」というようなことを言ったそうです。それで、いよいよ当日になり、加害者は所属している団体の会長、保険会社の担当者などと硬い表情でやってきまして。焼香が終わって、とおり一遍のお詫びの言葉はあったそうです。それから示談の話になったんですが、妹さんのほうは民事訴訟を起こす決意を固めていました。ですから「話は裁判の場で」と繰り返すだけでしたが、加害者の顔を見ると憎しみしかわいてきませんでした。そこへ、ひょっこりと拝み屋の婆さんが現れまして、両手に見えない縄のようなものを持って、手繰っている様子でした。そのまま膝で這うようにして、その手に持ったものを加害者の背中にくっつけたんです。そしたら、それまで虚勢を張るように伸ばしていた加害者の背筋が急に崩れ、体をぶるぶる震わすと、表情をゆがめて泣き出してしまったんだそうです。畳に手をついて、「信号を無視したのは自分だった。子どもは何も悪くない」そう告白したんです。それから警察に行き、ほどなくして交通刑務所に収監されました。
林誠司 俳句オデッセイ
夏と秋のゆきかふ空の暮れにけり角川春樹ずっと昔、春樹さんの自宅マンションで月に一度、句会があり参加していた。その時の句会で、この句に出会い、大きな衝撃を受けた。この句の持つ「空間の大きさ」に圧倒された。30度超えの初秋の大空に鰯雲が広がっている…。夕方、その鰯雲にあかね色が射す…、しかし、それでも暑い…。夏のような、秋のような…そんな大空の風景だ。私が「17文字の宇宙」…、短詩だからこそ、大きな「詩の空間」「天地」「森羅万象」を表現できるのではないか、そういう思いを得たのはこの頃からかもしれない。今回の第三句集『海光』の「あとがき」でこんなことを書いた。十リットルの容器には十リットルの水が入り、一リットルの容器には一リットルの水しか入らない、これは科学の常識である。それに倣えば、わずか十七文字の俳句は、他の文芸、芸術と較べ小さな世界、狭い世界、浅い世界しか詠えない、という理屈になる。しかし「そうではない」ということを芭蕉が〈荒海や佐渡に横たふ天の河〉〈雲の峰いくつ崩れて月の山〉〈暑き日を海に入れたり最上川〉など、数々の名句をもって後世のわれわれに示してくれたのである。短いからこそ壮大な詩の世界、詩の宇宙を表現する、それもまた俳句の醍醐味と言える。もちろん俳句は俗の文学、生活の文学でもあり、身辺詠もまた魅力である。ただ、私自身は今、たった十七文字でどこまで大きな世界を表現出来るだろうか、ということに興味がある。これは松尾芭蕉を敬慕し、「おくのほそ道」を実際に歩き続け、そして得た考えと思っていたが、ふと、その萌芽はこの句との出会いであったかもしれない、と思った。で…、この句は『古今和歌集』の「本歌取り」であったことを、つい最近知った。夏と秋と行きかふ空の通ひ路はかたへ涼しき風や吹くらむ(なつとあきとゆきかうそらのかよいじは かたへすずしきかぜやふくらむ)凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)『古今和歌集』168〈意味〉夏と秋とがすれ違う空の通い路は、片側は涼しい秋風が吹いているのだろう。この「夏と秋と行きかふ空」が「本歌取り」である。「本歌取り」については以前に書いた。『芭蕉の「世にふるも」の句について~本歌取りとは?』世にふるも更に宗祇のやどり哉 芭蕉(よにふるも さらにそうぎの やどりかな)一昨日、この句について書いたが、どうも説明不足なので、もう一度書いてお…ameblo.jp「本歌取り」と「盗作」の違いについていろいろ議論があるが、答えは簡単で、本歌(元の歌や句)にリスペクトがあるかないか。だ。「盗作」は引用したことがばれないことを願うが、「本歌取り」はそのことを堂々と出す。「本歌」へのリスペクトがあるからだ。春樹さんの句も、私が優れた選者・鑑賞者であったなら、この句の「本歌取り」にすぐ気づいただろうに…、と悔やまれる。(表記は間違っているかもしれないが…)春樹さんには、君は今原宿あたりクリスマスという句もあった。この句にも感心したが、この句も江戸俳諧の、君は今駒形あたりほととぎすという吉原の三浦屋の花魁・高尾太夫の句の「本歌取り」。(高尾太夫については「おくのほそ道」の尾花沢の紅花商との面白いエピソードがあるが、ここでは触れない。)この時も句会に同席させていただいたが、「本歌取り」を指摘できなかったのが悔やまれる。実は今日、5月のある結社で30分ほど講演があり、その資料作りをしていた。タイトルは「選句の力」。句会の点数ばかり気にせず、句会は「鑑賞力を高める場」でもあり、優れた鑑賞者がいない句会にはほぼ意味がない、ということを話そうと思った。その時、ふと、その場面が思い出され、あのときの私はまだまだだったな…、とやや恥ずかしい思いがした。林誠司~句会、講座一覧(東京、千葉でやっています。)『俳句講座・イベント一覧』カルチャー杉並区【松尾芭蕉とおくのほそ道】(新高円寺) ゆうゆう梅里堀内館…東京メトロ新高円寺駅から徒歩10分 第1(金) 10時~12時 足立区…ameblo.jp私の第3句集『海光』出来ました!『私の第3句集『海光』出来ました!』今朝、僕の第3句集『海光』が出来ました。早速、発送を…と思うが、今日は終わらせなければならない仕事があり、明日からは四泊五日で宮崎へ旅行に行く予定を立てて…ameblo.jp
0∞±1**新次元の歩き方
《裏コード通信050|Sacred Static》 意味がないように見える情報。気が散るノイズ。でもね、そこにも“必要な乱れ”が含まれてるんだ。完璧すぎる静寂より、雑音の中に“鍵”があったりね。無意味に見える時間ほど、魂が微調整してる。#神の調整は雑音の中に#だって地球だもの#完璧を乱す精密設計#意味不明から始まる設計Divine∞Grace HPいいねポチで、光のスタンプラリー参加してね♪
みにゃおんの記憶の断片気まぐれエッセイ集
何かがはじまる予感がして、心臓が鳴った——。すれ違いと共鳴のなかで描かれる、ひとつの恋の5年間。映画『花束みたいな恋をした』が、なぜこれほどまでに私たちの心に響くのかを探っていく。花束みたいな恋をした製作年:2020年(日本)ジャンル:ラブロマンス監督:土井裕泰脚本:坂元裕二キャスト:菅田将暉、有村架純、amd more…『花束みたいな恋をした』のあらすじ/概要2015年、終電を逃した駅で偶然ぶつかり出会った八谷絹(有村架純)と山音麦(菅田将暉)。読書、映画、音楽、些細な感性まで驚くほど価値観が似ている二人はすぐに惹かれあい、自然と恋人同士になる。モノラルではなくステレオで共鳴するような恋の時間。やがて一緒に暮らし始め、絹は就職、麦も就職活動を開始。しかし社会の現実に揉まれながら、二人は次第にすれ違っていく。5年という歳月のなかで、大切な人と現実を生きることの間で揺れ動いた恋の結末とは……。『花束みたいな恋をした』の感想/レビュー/解説/考察(ネタバレ含む「奇跡のような時間」のはじまり好きな本、好きな映画、感じる面白さ、抱える矛盾までが同じ。カラオケでのやり取りや、ストリートビューに映る麦と絹の二人の笑顔(これはラストだけど)には、誰しもが「かつて感じたことのある恋の高揚」を思い出すかもしれない。或いは、こんな恋をしてみたいと思うかもしれない。知らんけど。あの幸福な空気感には、何度見ても胸がきゅっとなる。所謂、ドキがムネムネ…するのかもしれない。すれ違いと現実の波だが、社会に出ると、好きだけではやっていけない。仕事に追われ、生活に追われ、少しずつ、かつて一緒に笑った価値観すら変わっていく。特に麦の変化は顕著である。仕事に忙殺され、精神的にも心理的にも不安定になり、リアリストと化していく。しかしそれがこの世の多くに蔓延る厳しい現実であり、ロマンスという太陽に潜む影である。すれ違いの描写は生々しく、時に痛々しい。どちらが悪いわけでもなく、二人の生きる速度がずれていってしまう苦しさが、静かに、でも確かに描かれる。花の名前と、記憶に刻まれる誰か劇中で語られる「女の子に花の名前を教わると、その花を見るたびにその子を思い出す」というエピソード。この小さな話が、全編を貫く静かなテーマになっている。誰かとの時間が、善かれ悪しかれ世界の見え方を変えてしまうこと。たとえ別れたあとでも、季節の中に、街の中に、その人の残像を見つけてしまうこと……。この痛みと愛おしさは、観た人それぞれの心に、感じ方は人の数だけあれど、静かに響くと思う。因みに花の名前はマーガレットである麦が絹に尋ねて言おうとしてやめた花の名前はマーガレットであるが、マーガレットの花言葉には以下のようなものがある。「真実の愛」「信頼」「心に秘めた愛」「予言/占い」などなど。以上のことから、この物語は、正真正銘、二人にとっては誠実な真実の恋愛だったということが暗示される。と同時に、「占い/予言」が示すよう、行き先の見えない不安定要素があることも暗示されるため、絹は花の名前を言うのをやめたのではないかと取ることもできる。そして、更に「私を忘れないで」や「優しい思い出」といった意味もあり、ラストシーン付近にそういったものが集約されているであろう。個人的な追憶かつて自分も、長い時間をかけて築き上げた上で、崩壊して別れに至る経験したことがある。(ような気がするけど気のせいかもしれない←)未来を語った日々が、ある日から、互いを思いやりながらも違う道を選ぶための対話に変わっていった。そんな個人的な記憶と重なって、ラストシーンには静かに胸を締めつけられた。という人もいるであろう。それが現実。幾ら懐かしめど、振り返れど、過ぎ去りし過去はもう戻らないし、壊れたものは直らない。新しい花束を作って、誰かに渡せ。とここでいつものだ。GLAY - BE WITH YOUさえぎるもののないあなたに続く道の上今愛を束ねて そしてあなたの愛になりたいと思うよぉぉぉぉ!♪或いは、愛を込めて花束を、大袈裟だけど受け取って、理由なんてあーだこーだ。(?)総評恋愛の美しさだけではなく、恋愛が終わる痛みまでを真正面から描いた意欲作なのではないでしょうか。ロマンとリアルの間を揺蕩う物語は、観る者の過去の恋愛を優しく、時に痛烈に照らし出す。別れたあとでも、世界の中に二人の思い出が散りばめられている。それは色かもしれないし、匂いかもしれない。そんな切ない現実を、きちんと描いたところが、この映画の大きな魅力だったと思う。そして私は性懲りも無く花束みたいな恋を…あーーーーー!!評価:★★★☆(3.5/5)有村架純 花束みたいな恋をした DVDAmazon(アマゾン)花束みたいな恋をした Blu-ray 菅田将暉 有村架純 清原果耶 岩松了 名作Amazon(アマゾン)