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  1.  トミックスから453系ときわの発売が発表されて正直驚きました。 デビュー当時ならともかく、晩年の453系では常磐線、水戸線以外ではほぼ使われていませんし、455系があるのでメーカ完成品として発売するほど需要があるのか?と思ってしまいます。 とは言え、遠い少年時代によく乗った「ときわ」ですから、買うつもりです。 せっかくですから、サハ451かサハ455を組み込んだ編成も良いですし、仙台から来た455系も入れて見たい。 と、ここで問題が・・・ 果たして仙台から来た455系に常磐線無線アンテナは付いていたのか?ということです。 ご存知の通り、常磐線無線アンテナは、三河島事故を受け昭和41年ごろから使用開始されたもので、当時の常磐線国電区間を運行する全車両に取り付けられていました。 72系や103系、401系、583系、キハ81などの他にも変わったところでは、佐倉機関区のC57、C58にも装備されてます。(C57、C58のアンテナはキャブ前にDD51のような台座付きで1基確認できますが、もう1基はどこに着いているのでしょうか?) ここからが問題です。 昭和47年から「ひたち」が485系化されますが、仙台の485系には列車無線は搭載されていません。同時期に新製された415系も準備工事のみ。 一方で、103系は冷房改造後も位置をずらして搭載、内郷にやってきたEF81も搭載、203系も搭載と、搭載する車両と搭載しない車両の基準がよくわかりません。 どなたかご教示頂けないでしょうか? 本日もご覧いただき、ありがとうございました。

  2. 上越線旧線(小出~越後堀之内)
  3. 前回、ソ80で投稿しましたが、ソ80と言えば救援車とセットということで、今回は救援車ネタです。とは言っても2枚しかありませんが。福知山管内の旧型客車が廃止された時にまとめて綾部駅に留置されていた時の写真です。何の目的で綾部駅に行ったのか全く記憶がないのですが、撮った写真の中に救援車の写真がありました。当時の綾部駅は広い構内で、ホームから留置してある客車を撮影することができました。沢山集められた客車の中で救援車が2両ありました。救援車は余剰になった荷物車が使われている例が多く、救援車として新造されたものは無かったかと思います。中には戦災復旧車もありました。国鉄時代は機関区や客貨車区などの片隅に必ず1両は居た存在でしたが、これらも国鉄民営化とともに廃車となってしまいました。豊岡運転区の救援車 スエ31 28 元はマニ32。元々はマニ31。スエ31でも改造タネ車によって形態が全然違うので車番を確認するまで形式が分かりませんでした。留置期間が長いのか車体もかなり傷んでいます。と言っても普段から走らない車両なので・・・・デッキ部だけ雨樋があり、中間部分は張り上げ屋根な形態がユニークです。救援車って車内が見えないようにガラスが白いですね。福知山運転区の救援車 スエ71 17 元はマニ74 69。元々は戦災復旧車のオハ71 21。元元元は・・・・この時期にまだ戦災復旧車が残っていたとは。戦災復旧車は車種もばらばら(電車→客車もあり)で形態も施工工場によってばらばらで当然仕上がりもばらばらで。資料が残っていないものもあるようでタネ車が何か分かりません。こちらも車体がかなり傷んでいます。やはり留置期間が長いとこうなります。しばらく後にDD51に牽引されて解体場に向かったようです。本当に走るのかな?と思いたくなるほどボロい客車でした。張り上げ屋根で雨樋はなく、扉の上だけ雨避けが付いています。客車で上下2段窓も戦災復旧車にはありがちです。こちらは救援車ではありませんが一緒に留置されていたマニ50です。比較的新しいマニ50も長期間使われずに留置するとこのように車体から傷んできます。新しい客車だけにもったいない気もしますが、荷物列車も廃止になったので致し方ありません。中には救援車代用として利活用されたマニ50もあったようですが少数だったようです。救援車というカテゴリ・形式自体が無くなりつつある(もう無くなった?)昨今です。最後までご覧いただきありがとうございました。

    車庫の片隅に居た救援車
  4. 荻野屋「上越新幹線開業40周年記念・峠の釜めし」が、2022-11-20(日)の熊谷駅「駅弁祭り」で販売されました。2022-11-15(火)の上越新幹線開業40周年記念日にも、荻野屋「上越新幹線開業40周年記念・峠の釜めし」が熊谷駅で販売されましたが、25個販売されましたが「1人3個」購入できましたので即完売したので、今回のイベントでの販売に再チャレンジする形になりました。荻野屋「上越新幹線開業40周年記念・峠の釜めし」税込1500円です。荻野屋「上越新幹線開業40周年記念・峠の釜めし」の中身です。今回は前回より多い35個くらい販売されましたが、1人3個まで購入出来ますので、「整理券」が配布され並んでも買えない人が出ました。熊谷駅での「駅弁祭り」チラシです。荻野屋「上越新幹線開業40周年記念・峠の釜めし」販売のプレスリリースされてる内容です。2022-11-20(日)の熊谷駅での「駅弁祭り」で再販売されることが記載されていました。熊谷駅での「駅弁祭り」は、多くの種類が11時から販売されましたが、1時間後の12時ごろには残りわずかになった様子です。

    荻野屋「上越新幹線開業40周年記念・峠の釜めし」が、熊谷駅「駅弁祭り」で販売されました
  5. 名鉄三河線の廃線跡を訪ねて~(9)
  6. 11月25日は、久しぶりに相鉄線へ撮影に向かいました。今回何故相鉄線かというと、東急5050系4000番台4102Fがかしわ台車両センターに出張に向かったということなので、それの視察(これは次記事で触れます)をするために相鉄線にやってきました。相鉄線乗車には、私の父が会社でもらった相鉄の株主優待券を使って乗車しました。今回乗車に使った相鉄の株主優待券11.25(金)@相鉄本線希望ヶ丘〜二俣川間ということでまずは二俣川駅で下車し、二俣川駅から歩いて数分の陸橋で相鉄本線の撮影を行いました。この日の天気は秋晴れに恵まれましたが、撮影地選びに苦労。結局撮影しやすいこの撮影地を選びました。2047レ 快速 海老名行き 相鉄11000系11003×10(九代目そうにゃんトレイン)6240レ 各停 新宿行き 相鉄12000系12102×103036レ 特急 横浜行き 相鉄8000系8713×102026レ 快速 横浜行き 相鉄8000系8711×102028レ 快速 横浜行き 相鉄8000系8710×106242レ 各停 新宿行き JRE233系ハエ133編成3038レ 特急 横浜行き 相鉄11000系11003×10(九代目そうにゃんトレイン)11.25(金)@相鉄本線二俣川駅かしわ台車両センター視察後、再び二俣川駅へ降りると、また九代目そうにゃんトレインが来たので撮影しました。2081レ 快速 海老名行き 相鉄11000系11003×10(九代目そうにゃんトレイン)11.25(金)@相鉄本線横浜駅最後は相鉄のターミナル駅・横浜駅へ。横浜駅でも何枚か撮影しました。ここでは、営業開始からだいぶ経ちすっかり相鉄線で定着した東急目黒線直通用21000系を初めて撮影しました。6819レ 各停 湘南台行き 相鉄21000系21104×8最後はいよいよ来年開業する相鉄・東急直通線のポスターを撮影しました。これを見ると、相鉄の本気を感じます。来年が楽しみになりました。「楽しみ、楽しみ。」がキャッチコピーの開業告知ポスター。「相鉄線の大進撃、さあ行こう。」と書かれた開業告知ポスター。次回の記事では、かしわ台車両センターの視察の様子を書きたいと思います。こちらもご覧ください!(ブログランキング)

    【撮影記】22.11.25 久しぶりの相鉄線で撮り鉄を
  7. 11月25日 本日の入荷品!!
  8. 金沢行き特急「白山」は、定刻8時30分に上野駅16番線を発車した。転轍機をガチャガチャと鳴らしながら進路を見定め、ようやく速度を上げた時には、左手に鴬谷駅のホームが見え始めていた。高架で1番線から12番線、地平の頭端式ホームが13番線から16番線まで、広大な敷地を抱く巨大駅の最も東寄りのホームを発車して、西から5本目の東北本線の下り線を走るのだから、本調子になるまで前奏部分が長いのはやむを得ない。鶯谷駅と「白山」の間に割り込むように、地下から出てきた東北新幹線の線路が更に持ち上がって、窓には高架の柱しか映らなくなる。僕が最も頻回に利用した長距離列車は、上野駅から故郷の長野駅へ向かう特急「あさま」だと思うのだが、同じく巨大ターミナルである東京駅や新宿駅を発つ特急列車とは、ひと味異なる独特の滑り出しだった。沿線には、上野公園や谷中の墓地、飛鳥山など桜の名所が少なくないが、まだ開花には程遠い、平成7年3月18日土曜日の朝である。心地よく律動的に線路の継ぎ目を刻む車輪の音色が、不意に轟々と高まれば、列車は荒川の鉄橋を渡り始め、日常を払い除けたような爽快感が込み上げてくる。『お待たせを致しました。上野8時30分発、特別急行「白山」号金沢行きです。本日はJRを御利用下さいましてありがとうございます。御案内致します車掌は、私、JR西日本金沢車掌区の〇〇、△△、□□、◇◇の4名が、終点金沢まで乗務致しますので、よろしくお願いします』車掌の案内放送が始まった。『列車は9両で運転しています。後ろの方から1号車、2号車、3号車の順で、先頭は9号車です。後ろ1号車から7号車までが指定席、そのうち4号車がグリーン車です。4号車はグリーン車の指定席、自由席の方は前の8号車と9号車、前2両です。後ろの1号車と先頭9号車は禁煙車です。後ろの1号車から4号車、先頭の9号車は禁煙車になっておりますので、禁煙に御協力下さい。6号車にはラウンジがございます。食堂車はございません。車内での飲み物、雑貨品などの販売がございます。販売員は準備が終わり次第、車内にお伺い致します。お弁当の車内販売は、高崎から先の区間です。高崎までは、車内でお弁当の販売はございません。車掌室は、中程グリーン車の4号車、そして後ろ1号車です』昔の白山は12両編成だったよなあ、とか、食堂車は繋がってないけれどもラウンジとはどのような造りなのか、後で行ってみよう、とか、高崎で積んでくるお弁当は「だるま弁当」なのかな、などと、聞きながら様々な想像が湧き上がって来る内容である。『次の停車は、大宮です。大宮8時51分、深谷9時21分、高崎9時40分、横川10時ちょうど、軽井沢10時22分、中軽井沢10時22分、小諸10時41分、上田10時53分、戸倉11時03分、長野は11時18分。長野到着は11時18分でございます。長野を出ますと黒姫11時45分、妙高高原11時53分、新井12時11分、高田12時20分、直江津12時30分、直江津は12時30分です。直江津では列車の進行方向が変わりまして北陸線に入って参ります。直江津を出ますと、糸魚川13時02分、泊13時21分、黒部13時32分、魚津13時37分、滑川13時44分、富山は13時55分、富山13時55分の到着です。高岡14時07分、石動14時18分、津幡14時27分、終点金沢14時36分。終点金沢には午後2時36分の到着です』金沢まで469.5km、25駅に停車して、6時間06分に及ぶ長い汽車旅に、改めて心が引き締まる。大宮駅までの21分間で案内が終わるのか、と心配になるほどの停車駅数であり、「白山」も様変わりしたものだと思う。僕が子供の頃には1日3往復が運転されていた「白山」の停車駅と比較したくなる。上野を出ると、大宮、高崎、横川、軽井沢、小諸、戸倉、上田、長野、妙高高原、高田、直江津、糸魚川、魚津、富山、高岡、金沢の16駅に停車し、中には小諸や戸倉を通過する列車もあった。ちなみに、急行時代の「白山」の停車駅は、上野、赤羽、大宮、熊谷、高崎、横川、軽井沢、小諸、上田、戸倉、長野、黒姫、田口(現・妙高高原)、新井、高田、直江津、糸魚川、泊、黒部、魚津、滑川、富山、高岡、石動、金沢となっていて、平成時代の特急「白山」と似通っている。特急が増発されて急行が減っていく世の中で、特急の停車駅が急行並みに増やされるのは珍しいことではないが、それでいて、最盛期の特急「白山」の所要は6時間50分で、停車駅が多い平成の「白山」の方が50分も早いのだから、不思議な話である。大正時代の772・773列車は倍以上の時間をかけていたのだから、50分程度の差に目くじらを立てるのも、さもしい話であるし、今回の僕の「白山」紀行は、時間の長短など問題ではない。俗世間における用事の類いは全て片づけて来たし、「白山」に乗りたくて出掛けてきたのだから、なまじ楽しい時間を急いで終わらせるのは勿体ない、と思っている。それにしても、かつて上野発の特急列車は上野と大宮の間を25分程度で走っていたのに、いつの間に4分も縮めたのだろう、と首を傾げた。上野から大宮まで20分の新幹線に匹敵する速さではないか。『時間の都合その他で乗車券、特急券まだお買い求めでないお客様、また、お手持ちの乗車券、特急券で変更などされるお客様、車掌まで早めにお知らせ下さい。時折り、車内で盗難事故が発生することがございますので、お手持ちの財布、お荷物、貴重品などにはくれぐれも御用心いただきますよう、お荷物の方は目の届くところに置き、財布や貴重品は必ず身体につけて御旅行下さい。また、各車のデッキに屑物入れが備えてございますので、弁当の食べ殻、その他屑物が出ましたら、デッキの屑物入れにお入れいただきますよう、車内の美化にも御協力お願いします。今日は御乗車いただきありがとうございます。特別急行「白山」号金沢行きです。次は大宮に停車します』車掌の案内が無事に終了し、大宮を出て高崎線に入ると、背の高い建物が減り、住宅ばかりが途切れることなく沿線に連なっている。平行する関越自動車道ならば、練馬ICを過ぎると程なく田園が左右に広がるが、高崎線の沿線はいつまでも街並みが途切れない。特急「あさま」で故郷と東京を行き来した時も、欠伸が連発する区間であった。熊谷を過ぎると、長閑な田畑が目立つものの、だからといって面白味が増す訳ではない。上野と金沢を信越本線経由で結ぶ直通列車の歴史は、大正11年に運転を開始した夜行急行772・773列車に遡る。当時の所要時間は、下り列車が13時間25分、上りが13時間45分であった。昭和14年に信越本線と北陸本線回りの上野-大阪間急行601・602列車が運転を開始したが、太平洋戦争中の昭和18年に772・773列車が、昭和19年には601・60列車も廃止されている。終戦後、上野発着北陸方面の列車はなかなか復活せず、昭和23年から運転されていた上野-直江津間の昼行準急列車を、昭和29年に急行に格上げして金沢まで延伸し、「白山」と命名したのが最初であった。昭和34年には上野-金沢間に夜行の臨時急行「黒部」が加わり、2年後に定期化される。昭和36年に、上野から信越本線・北陸本線経由で大阪まで足を伸ばす特急「白鳥」が、キハ82系特急用気動車を用いて運転を開始した。「白鳥」は、僕の故郷信州を通る初めての特急列車であったが、昭和40年に「白鳥」は上野-金沢間「はくたか」と大阪-金沢間「雷鳥」の2つに分割され、「白鳥」の名は併結されていた青森-大阪編成が受け継ぐことになる。同年に、上野と福井を結ぶ夜行急行「越前」が運転を開始し、昭和44年に特急「はくたか」は電車化されて上越線経由に変更された。昭和47年に急行「白山」が特急に格上げされて、3年間途絶えていた信越本線経由の上野-北陸間直通特急列車が復活し、同じ年に2往復、昭和48年に3往復へと増発されている。1日3往復が運転されていたこの時代が、特急「白山」の絶頂期であった。羽田-小松間の航空路線が存在していたとは言え、半世紀前は東京と北陸の間は6時間が当たり前という時代があったのである。昭和57年の上越新幹線開業と昭和60年の上野駅延伸に伴い、長岡駅で上越新幹線から特急列車に乗り換える方法が主流となって、「白山」は2往復に減らされ、平成4年に1往復になる。平成5年には夜行急行「越前」が廃止され、代わりに、「白山」に使われている特急用車両を間合い運用する夜行急行「能登」が、上野-金沢間で運転を開始した。首都圏と北陸を結ぶ直通特急として、輝かしい歴史を歩んできた「白山」であったが、僕が上野から「白山」で旅立った平成7年は、平成10年2月開催の長野冬季五輪を見据えた長野新幹線の工事が、佳境を迎えた時期だった。長野新幹線の正式名称は北陸新幹線で、昭和48年に公布された全国新幹線鉄道整備法に基づいて建設される初めての「整備新幹線」であり、並行在来線がJRから分離されることが前提となっていた。長野新幹線の開業が平成9年と定められ、信越本線の長野県内区間の第三セクター化と、横川と軽井沢の間の碓氷峠区間の廃止が囁かれるようになったのが、この頃だったように記憶している。特急「白山」も、半世紀に及ぶ歴史の幕を閉じるのだろう、と予想された。平成7年は、終戦後50年という区切りの年であったが、何よりも、この旅の2ヶ月前に発生した阪神・淡路大震災の混乱が収まらず、世情が騒然としていた。この年の1月17日午前5時46分、M7.2、最大震度7という巨大地震が、阪神地域と淡路島を襲ったのである。眠っていた街は、僅か10秒の揺れにより、一瞬のうちに壊滅した。近代建築物はもろくも崩れ落ち、火災が家々をなめ尽くして、6000名もの尊い生命が犠牲になったのである。震源地に近い兵庫県南部は様々な幹線交通機関が集中しているため、震災によって、日本の東西交通は長期に渡って完全に遮断された。高架橋が崩落した山陽新幹線をはじめとするJRや私鉄の鉄道網、高速道路や幹線国道が軒並み不通となり、関西国際空港が連絡橋の不通で一時孤立化、神戸港も埠頭が沈下して港湾施設が破壊されるなど、阪神地域の交通網はずたずたになってしまった。太平洋ベルト地帯を貫く大動脈が麻痺したことで、京阪神のみならず、日本の経済・流通機能は危機に直面した。残された幹線交通機関である航空機に旅客が殺到し、多数の臨時便を運航しても、なお座席が不足した。貨物輸送を担うトラックも、代替ルートとなった日本海側の国道や四国・紀伊半島などのフェリー港に溢れ、いつ目的地に到着できるのか見当もつかない有様だった。惨々たる状況の中で、バス輸送が脚光を浴びたことは見逃せない。我が国が戦後初めて遭遇した都市型の震災において、地域輸送や都市間輸送でバスが果たした役割は計り知れなかった。特に、線路が破壊されて不通が長引くJR、阪急、阪神、山陽、神戸電鉄などの代替輸送に膨大な数のバスが投入され、道路の損傷や渋滞に悩まされながらも懸命の地域輸送が行われている様子は、連日マスコミでも取り上げられていた。北海道から九州まで、路線バスや観光バスの種別を問わず、全国の事業者が車両を送り込んで、地域輸送を支援したのである。震災当日、交通機関は全面ストップという状態だったが、翌日には、午前8時から、神戸市営バスが垂水・須磨区の9路線で運行を再開し、阪急が、宝塚-西宮北口間などで独自に代替バスを走らせ、1月19日に灘区と中央区の間で路線バスの一部が運行を再開するなど、早くもバスが活躍を始めている。震災から1週間後の1月23日、国道2号線が開通したのを受けて、市内を東西に貫くJR東海道本線、阪急神戸線、阪神本線の3路線が、不通区間の西宮市内と三宮の間で代替バスの運行を開始、途絶えていた大阪-神戸間の動脈が、かろうじて繋がった。JR:阪神バス上甲子園口-三宮リクルートビル前阪急:西宮北口駅コマスイミング前-三宮NTTビル前阪神:阪神甲子園-三宮そごう前国道2号線と山手幹線を経由して、午前6時半から午後10時まで10~20分間隔のピストン輸送を行い、所要時間は約1時間と見込まれていた。当初、JR西日本は西日本JRバス、神姫バスなどから42台を、阪急と阪神は自社または系列会社からそれぞれ40台と20台を調達し、代替バスは災害対策基本法による緊急車両に指定された。コート姿の通勤客は、家族や壊れた自宅を心配しながら久しぶりの勤め先へ向かい、避難所から出勤する人も少なくなかったと言う。避難生活を送る血縁者や知人などに救援物資を届ける人々も繰り出して、被災地に、久々に活気が戻ってきた。休校が続いていた小・中・高校も、およそ半数が登校を再開し、再生に向けて大きく動き出した日になった。鉄道とバスの輸送力の差をまざまざと見せつけられる混乱も起きた。午前中は三宮方面行きの便が混雑し、阪急西宮北口駅では一時800人の積み残しがあり、阪神甲子園駅では常に100人前後の列が続いて、JR甲子園口駅でも正午に500人が並んだという。午後からは三宮駅出発便が混み始め、午後9時にはJR便に約1000人、阪急便に800人の列ができた。午前9時過ぎからはひどい道路渋滞が始まり、6時間以上もかかる便が出たが、この日、3万5000人が代替バスを利用したという。1月25日にJR東海道本線甲子園口-芦屋間が開通、代替バスは三宮-芦屋間に短縮され、1月26日は阪神電鉄甲子園-青木間の線路が復旧、代替バスが三宮-青木間に変更された。1月28日から国道43号線が全線で2車線が確保され、警察庁と建設省は神戸市中央区から東灘区まで鉄道代替バスの専用車線を設置、兵庫県警は警官300人を動員して主要交差点における一般車の進入を規制した。JR西日本、阪急、阪神の3社は、計935便にものぼるノンストップの代替バスの運行を開始し、いずれも午前7時から9時、夕方18時から21時のラッシュ時は3分おき、その他の時間も5~10分おきに運行した。この時点での鉄道代替バスの詳細は以下の通りである。【国道43号線バスレーン経由ノンストップ直通便】・JR:芦屋駅-三宮駅 距離12.7km 所要60分 1日430便・阪急:西宮北口駅-三宮駅 距離17.0km 所要80分 1日165便・阪神:青木駅-三宮駅 距離9.0km 所要40分 1日340便【国道2号線・山手幹線経由各停便】・JR:芦屋駅-三宮駅 距離13.5km 所要80分 1日160便・阪急:西宮北口駅-三宮駅 距離17.0km 所要110分 1日110便・阪神:青木駅-三宮駅 距離9.0km 所要60分 1日190便2月8日にJR東海道本線芦屋-住吉間が開通して代替バスが住吉駅-三宮間に短縮、2月11日に阪神本線青木-御影間が開通、代替バスは御影-三宮間に短縮された。2月13日、阪急神戸線不通区間の真ん中に当たる御影-王子公園間が開通、両側の西宮北口-御影、王子公園-三宮は未開通だったが、代替バスに代わる鉄道が復活したのは混雑の緩和に大いに貢献し、加えて阪急御影駅-JR住吉駅-阪神御影駅を南北に結ぶ3線連絡バスがピストン輸送を開始している。2月20日には、JR東海道本線灘-三宮-神戸間と、阪神本線岩屋-三宮間が開通、ついに三宮に鉄道が戻ってきた。大阪と神戸を結ぶ動脈として、鉄道代替バスが定着し、利用者も増加の一途をたどったものの、朝夕のラッシュ時に1000人を超す行列で2時間以上を待つのが当たり前となり、バス待ちの行列に並び始めてから目的地にたどり着くまで、最高3~4時間を費やすのも珍しくない状態だった。3社とも、調達車両が100台前後に膨れ上がった大規模な代替バス運行の舞台裏で、過酷な勤務に携わった運転手ばかりでなく、夜行高速バスの車両で寝泊まりしながら保守点検作業をこなした整備員の努力を思うと、目頭が熱くなる。急な坂道が多い神戸では、酷使されるクラッチとブレーキの点検が欠かせなかったが、本来ならばバスをピットに入れ、リフトやジャッキで車体を持ち上げるところを、オイルジャッキで1輪ずつタイヤを浮かせて車体の下に潜り込み、懐中電灯が頼りの作業だったと聞く。当時、新聞で貪るように読み漁った代替バス関連の記事から漏れ伝わってくる人々の肉声を見れば、被災地の状況がまざまざと目に浮かぶようであり、日本中が応援しているぞ、頑張れ、と思ったものだった。「家族が心配ですから(宝塚市内で立ち往生した鳥取発大阪行き高速バスを降りて徒歩で大阪に向かった乗客)」「バスが落ちかかってるんや」「そんなアホな。車検証は持って帰れ」(阪神高速で前輪を落として止まったツアーバス運転手と営業所の電話のやりとり)「少々時間はかかっても、弱音を吐いたら被災者に恥ずかしい(新幹線代替バス利用者)」「腹が立つのも通り越した(新幹線代替バスの大幅な遅延に)」「会社はまだ来なくていいと言ってくれているのですが、周りに迷惑をかけるから(鉄道代替バス利用者)」「長年のくせでしょうが、つい会社へ行かなければ、という気になる(同上)」「得意先を放っておけないから、出勤しなくては(同上)」「(避難している)市役所から出勤するのは妙な気分だが、このな時だから贅沢は言っていられない(同上)」「(職場に)顔を出すこと自体に意義がある(同上)」「自転車で出勤したが、4時間半もかかり、もうこりごり。バスの方がまだまし(同上)」「下着やお餅、カイロなどを持ってきました。妹の話では、神戸でバスを降りてから2時間ぐらい歩かなければならないそうです(同上)」「医療ボランティアに行くので、一刻も早く現場に着きたい(同上)」「バスは時間が読めない。早く三宮まで(鉄道が)繋がって(同上)」JR東海道本線や阪急神戸線、阪神本線以外にも、1月24日に阪急新伊丹-伊丹間、神戸電鉄有馬口-有馬温泉口間、1月25日に埋立地の液状化で復旧が遅れている神戸新交通ポートライナー線の市民病院前-税関前、同六甲ライナー線六甲アイランド北口-御影本町で、代替バスが運行を開始した。1月30日にJR山陽本線須磨-神戸間が開通し、神戸-元町-三宮間に代替シャトルバスが走り始め、神戸市の西側地域でも2週間ぶりに動脈が復活、高速神戸駅と三宮を結ぶ代替バスも登場し、三宮駅周辺の道路の復旧作業が進んだため、神戸市営バスの6路線が、震災後初めて三宮中心部のそごう前に乗り入れている。山陽電鉄は霞ヶ丘-滝の茶屋間で列車の運転を再開したが、滝の茶屋-西代間は復旧に6ヶ月かかる見込みで、代替バスの運行を開始した。2月4日に阪急西宮北口駅-甲陽園駅間、2月7日に神戸電鉄長田駅-新開地駅間に代替バスが登場、2月12日に山陽電鉄西代-東垂水間に代替バスが運行を開始した。3月1日に、阪神本線西灘-岩屋間、3月13日に阪急神戸線王子公園-三宮間が開通し、鉄道の乗り換えによる大阪-神戸間輸送の目処が立った。4月1日にJR東海道本線が全区間で開通し、大役を終えて、JRの代替バスが運行を終了した。阪神間の動脈輸送を担い続けた鉄道代替バスの役割もひと段落したのだが、復旧になおも時間がかかる鉄道路線も残っていた。阪神本線御影-西灘間と阪急神戸線西宮北口-御影間は8月まで、阪急夙川-西宮北口間は7月まで、神戸新交通三宮-市民病院前間と本住吉神社前-アイランド北口間は8月まで、神戸電鉄五社-新開地間は4月まで、新開地-長田間は8月まで、山陽電鉄西代-東垂水間は7月まで、代替バスの運行が必要だった。震災発生当初は、同地域を通る高速バスもことごとく運休した。神戸発着路線のみならず、首都圏や名古屋発着の西日本方面路線、関西発着の各方面路線など、120近い高速路線が、震災当日に運転を見合わせている。鳥取発大阪行き「山陰特急バス」は、震災当日も運行を試みたが、道路の破壊と渋滞に阻まれて、第1便は大幅に遅延したあげく、午後1時に宝塚市内で引き返した。復旧が長引く新幹線に代わる輸送手段として、運輸省からの要請を受け、多くの定期高速バスが道路事情の改善を待たずに運行を再開している。東京と岡山・倉敷を結ぶ夜行高速バス「ルブラン」号は、震災の翌日、1月18日出発便から運行を再開した。東名・名神高速から北陸自動車道に回り、日本海側の国道を経て舞鶴自動車道・播但連絡自動車道へと大きく迂回するため、大幅に遅延して、到着が夕方になった日もあったという。長時間運転に備えて運転手を3人乗務させた日もあり、人件費・燃料費・高速料金等がかさんで採算も危ぶまれたが、公共交通機関としての使命感から、果敢に運行再開に踏み切ったのだ。この話を聞いた時には、バス事業者の心意気を感じて胸が熱くなった。四国各地から名古屋・東京方面を結ぶ夜行バスが1月20日から運転を再開するなど、「ルブラン」号に倣って、迂回路を開拓して運行を再開した路線は多い。大変な遅延が予想されたので、この時点で運行を再開した路線のほとんどが夜行高速バスだった。「所要時間は、ちょっと予想がつきかねます」(名古屋-高知線「オリーブ」号の運行事業者)と、慣れない経路を手探りする状態が続いたが、各社とも実績を重ねながらルートを研究し、数日後には、「少しでも流れている道を探してきましたので、今では5時間以内の遅れで運行できます」(「ルブラン」号運行事業者)と胸を張る事業者も見受けられたのである。吹田ICと西宮北ICの間で不通になっていた中国自動車道が全線復旧したのは、震災から10日後の1月27日である。開通の当日は、久しぶりに蘇った大動脈に大量の車が集中した。加えて、宝塚トンネル付近の高架橋で危険を避けるために1台ずつ通す措置が取られ、付近を対面通行にしたために、下り線が48km、上り線が25kmに渡って数珠つなぎになった。中国道に接続する名神高速や近畿道も、幾つかのインターを閉鎖しなければならないほどの渋滞だった。その混乱は、山陽新幹線に代わる代替バスとして、同じ日に運行を開始した高速バス新大阪-姫路線の顛末が、如実に示している。JR福知山・播但・加古川線などを経由する鉄道山間ルートが、連日120~200%の混雑を呈しているため、運輸省が新たな対策として、バス会社に運行を打診したのである。上下便とも、第1便は、定員55人のバスが3台ずつ用意された。姫路駅前には、午前6時30分発の第1便に乗るため、早朝4時頃から、大阪へ通勤するサラリーマンや、生活用品を手に被災地を見舞う利用客が並び始めた。新大阪駅には午前6時半頃から列ができ、出発前には200人に膨れ上がった。8時40分発の下り第1便は、用意した3台がすぐに満席になり、発車時間を20分繰り上げて出発、約70人が積み残された。姫路発の第1便は、中国道吉川IC付近から、1時間に100mしか進まないというひどい渋滞に巻き込まれてしまう。動けなくなったバスに痺れを切らした乗客は、出発から7時間後の午後1時頃に、西宮名塩SAの3kmほど手前で150人が下車し、動かない乗用車やトラックの列を横目に路肩を歩いて、およそ2時間かけてJR西宮名塩駅にたどり着き、電車に乗り換えたという。この便は、12時間たっても新大阪駅に到着できず、午後7時に、西宮名塩SAで姫路へ引き返した。後続の7便も途中で中国道を降り、三田駅で乗客全員を下車させた。1台のバスも新大阪駅に到着できないという、惨々たる結果だったのである。新大阪発の下り便も、先行したバスの大幅な遅延を受けて、6便が運休という結果に終わった。臨時高速バスを運行する神姫バスと西日本JRバスは、翌日から姫路-三田間にルートを変更した。中国道の開通に合わせて、震災の4年前に乗客数の低迷から運休していた梅田と岡山を結ぶ下津井電鉄の高速バスが、昼行便2往復で復活した。従来から昼行便1往復で細々と走り続けていた両備バスの堺東・難波-岡山・倉敷線「リョービエクスプレス」号も、新幹線代替輸送の性格を強め、1便あたり2~4台態勢をとっていた。その他にも、2月10日に昼行4往復の大阪・上本町-福山線、2月17日に昼行4往復の新大阪-岡山線と昼行1往復・夜行1往復の上本町-防府線、3月5日に昼行2往復の新大阪-広島線と、昼行1往復の難波-広島線、そして3月17日に夜行1往復の東京・品川-尾道線が、新幹線代替輸送を謳う臨時高速バスとして続々と登場した。ただし、中国道の渋滞は長期に渡って慢性化して、高速バス関係者を悩ませた。遅延が続出し、品川-今治間夜行バス「パイレーツ」下り便などは、再び日本海側を迂回したくらいである。「大動脈である中国道の復旧を早急にしてほしい。開通後も通り抜けに3時間以上を要している」(大阪-鳥取・倉吉・米子間「山陰特急バス」運行事業者)という悲鳴も上がった。小回りの利く機動性を発揮して、鉄道や航空機に先んじて、東西を結ぶ幹線交通を再建した高速バスの功績は大きい。定員不足を運行台数で補おうにも、阪神地域内の鉄道代替輸送に多数のバスを拠出しており、乗員も車両も払底していた。渋滞のために所要時間が読めない状況下で、トイレがない車両を投入しにくいことも、増便を妨げたと聞く。それでも、限られた乗員と車両をやりくりして、殺人的な混みようの鉄道や、航空機の長時間のキャンセル待ちに翻弄されている人々に、温かい手を差し伸べるべく、できる限りの努力を払ったバス事業者の姿勢は評価したい。震災から3ヶ月が経った4月8日に、山陽新幹線がようやく開通し、臨時高速バスも大役を果たし終えた。4月7日に品川-尾道線、4月8日に三田-姫路線、4月9日に新大阪-広島線、4月14日に新大阪-岡山線、4月20日に梅田-岡山線、4月28日に難波-広島線が、それぞれ運行を終了している。上本町-福山線は好評を得たため、定期高速バス「備後ライナー」号として運行を続けた。山陽新幹線の不通を受けて、航空各社も全力で臨時便を繰り出した。羽田と岡山の間では、既存の定期航空便の他に、1月の震災以降に53往復、2月に114往復、3月に100往復もの臨時便が運航されている。山陽新幹線が不通だった期間における臨時便の総数は292往復にも及び、羽田-広島間の207往復、羽田-福岡間の133往復と比べても突出した運航本数であった。伊丹・関西-福岡、伊丹・関西-高松といった定期路線でも臨時便が運航された。震災前に定期便が運航されていなかった伊丹・関西-岡山、伊丹・関西-広島・広島西、伊丹・関西-宇部山口などを結ぶ航空路線も、運航を開始している。伊丹と岡山を結ぶ臨時便は、1月に53往復、2月に166往復、3月に212往復が、関西と岡山を結ぶ臨時便は、1月に12往復、2月に28往復、3月に31往復が運航された。伊丹発着と関西発着を合わせた大阪-岡山便の運航本数の合計は540往復にものぼり、合計688往復が運航された伊丹・関西-広島間や、701往復が運航された伊丹・関西-福岡間に次ぐ運航本数であった。これら多数の臨時便は、冬期で需要が減っていた観光路線や、震災の影響で総じて流動が減少していた伊丹・関西発着路線などを減便すること、または整備期間を調整することにより機材を捻出したという。岡山は、姫路と並ぶ東西交通の西の玄関口となった。姫路では、大阪方面の足が山間ルートを迂回する鉄道と三田行き臨時高速バスに限られるが、岡山からは、臨時便で増強された航空路線や高速バスを使って、東京や大阪などに直行できる利便性が買われたのであろう。航空需要の急増を受けて、岡山駅と岡山空港を結ぶリムジンバスは連日大混雑で、運行する中鉄バスは他の会社に応援を求め、多数の臨時便を出した。阪神大震災から1ヶ月が経過した2月中旬に、僕は所用で岡山に出かけた。情勢が多少落ち着いてきたとは言え、往路で利用した品川発岡山・倉敷行き夜行高速バス「ルブラン」号がどれほど遅れるのか、乗ってみなければ分からなかった。未明に車中で目を覚まし、バスが匍匐前進のように小刻みに動いたり止まったりを繰り返していることに気づいて、中国道の宝塚付近まで来たのか、と、ぼんやり思ったことを覚えている。この日は、2時間程度の遅れで岡山に到着した。問題は、帰路であった。僕は北陸に所用があったので、取り敢えず大阪に出たかったのだが、両備バスに電話で問い合わせると、「難波行きは、5時間遅れの日もあれば、1時間程度の遅れで済んだ日もあります。到着時刻が全く読めんのです」という返事であったから、乗り継ぎを控えている身としては、高速バスを選ぶことはためらわれた。姫路まで出て、新幹線代替バスと鉄道を三田で乗り継ぐ方法が最も簡便であったけれど、とにかく大変な混雑と聞いていたから、僕のような風来坊が割り込むことは気が引けた。岡山駅は、常ならぬ奇妙な雰囲気が漂っていた。新幹線乗り場の人影はまばらで、震災の甚大な影響を改めて噛み締めた。北口へ回ると、閑散としたコンコースとは対照的に、岡山空港行きのリムジンバス乗り場は黒山のような人だかりだった。駅に来る途中で通りがかった大阪行き高速バス乗り場にも、長蛇の列が出来ていた。僕は、伊丹行き臨時便の航空券を手にしていた。補助席までぎっしり詰め込まれた満員のバスに揺られて、黄昏に染まる市街地を北へ抜けて岡山空港に向かうと、ターミナルビルも大変な賑わいだった。普段は山陽新幹線に押され気味で、小型機や中型機が多い岡山空港だが、駐機場に目を向ければ、羽田線にはボーイング747型機などの大型機材が投入されている。この渋滞知らずの大量輸送能力は頼もしい限りで、バスは到底かなわないな、と思った。僕が乗る伊丹行きには、日本エアコミューターのSAAB-340型機が用意されていた。スウェーデン製の傑作機であるが、座席数34席の小型機で、搭乗してみれば、右側2列、左側1列の横3列シートが並んでいる小振りな機内が、まるで高速バスである。この便は満席と案内されていたが、定員が少ないから、あっという間に搭乗は完了した。SAAB-340型機は勇ましいプロペラ音で機体を震わせながら、すっかり日が暮れた駐機場を離れ、居並ぶ大型機の合間をきびきびとタキシングして、瞬く間に漆黒の夜空へと駆け上がった。ビジネスマンらしい装いの客が大半を占める機内は、張りつめた雰囲気を漂わせながらも、静まり返っていた。新幹線でもわずか1時間足らずの距離だから、飛行時間は40分程度である。下界は一面の闇に覆われて、何処をどのように飛んでいるのか、最初は全くわからなかった。そのうちに、関西空港らしい角張った人工島を雲の切れ間で右下に見下ろしながら左へ旋回したので、淡路島の上空を飛行して、大阪湾から伊丹へアプローチしたのではないかと思う。ならば、被災地の上を通過した訳である。犠牲者の冥福と、1日も早い復興を祈る思いで、粛然と身が引き締まった。この旅に出てくるまでは、報道されている臨時高速バスの運行事業者の使命感と熱意は認めるものの、定員50人程度のバスを幾ら投入しても、1500人近くを乗せた長大編成が1時間に何本も往復する新幹線と比れば役不足なのではないか、という無力感を拭い去ることが出来なかった。ところが、同じく代替輸送を担う航空機でも、バスと大して座席数の変わらない小型機を駆り出しているのである。それぞれが出来る役割を精一杯果たしながら、危機に瀕した被災地や僕らの国を支えればいいのだ、と元気づけられた。伊丹空港から地下鉄御堂筋線でミナミへ向かうと、活気に溢れた大阪の街の様子を目にして、ホッと肩の力が抜けた。無表情にせわしなく行き交う人々や、楽しげに手をつないで店を出入りする家族連れ、千鳥足になりながらも大声で談笑する酔客などの姿に、被災地から20km程度しか離れていないことが信じられない思いだった。普段は物足りなく感じても、何の変哲もない平凡な日常ほどありがたいものはないのだと、心から思った。1ヶ月前の旅の強烈な思い出を噛み締めながら、僕は、上野発金沢行き特急「白山」に揺られている。凄まじい勢いでJR東海道本線や阪急神戸線、阪神本線、そして国道2号線や43号線の復旧が進む様子に、我が国の底力を目の当たりにする思いがしたし、少しは被災地も落ち着いてきたのかな、と胸を撫で下ろしていた時期だった。高崎駅でひと休みした後に、信越本線に進路を転じた「白山」は、少しばかり鄙びた乗り心地になって、榛名山と妙義山の間に入り込んでいく。安中駅の近くにある東邦亜鉛安中製錬所が視界に入れば、信越本線に入ったのだな、と実感する。やがて平地が先細りにすぼまって来て、碓氷川に沿う緩やかな勾配が始まる。左右から寄せてくる山々で空が狭くなる頃に、「白山」は、群馬県と長野県を隔てる碓氷峠の麓の横川駅に到着した。上信国境に立ち塞がる碓氷峠の66.7‰という急勾配を通過する列車に連結する補助機関車専用として開発されたEF63型電気機関車が、構内に何両もたむろしているのは、見慣れた光景である。横川の標高が387m、峠の最高点が956m、軽井沢は標高939mであり、直線距離で10km程度の間に標高差が600m以上に達する片勾配となっているので、中途にトンネルを設けられる両勾配の峠と異なり、この落差を登り切らなければ信州に行けないのである。『横川です。ここで機関車連結のため5分停車します。発車は10時05分です』放送を聞き流しながら、昼食にはまだ早いけれども、名物の「峠の釜めし」でも買おうかと、僕は腰を上げた。車外に出ると、関東平野の生暖かい空気の余韻と、信州から吹き下ろしてくる冷たい風が入り混じった奇妙な感触がある。ホームに「峠の釜めし」の売り子がずらりと並び、乗客が群がっている。ホームに整列して最敬礼する売り子に見送られ、「白山」が横川駅を発車すると、すぐに急勾配が始まる。それまでの軽快な走りっぷりとは打って代わって、砂利道を走る車のような、ゴツゴツと硬い乗り心地になる。勾配の途中で制動をかける場合や、傾斜角度の変化による車輪の浮き上がりと脱線を防ぐために、車両が跳ねないよう、全車両の台車の空気バネの空気を抜いてしまうのである。乗り心地は悪いけれども、出でてはくぐるトンネルの合間から見下ろす碓氷川の渓谷や、折り重なる山肌の新緑が目に優しい春の峠だった。車窓に目を遣りながら、温かみを残す「峠の釜めし」の蓋を開けば、利尻昆布と秘伝の出汁で炊きあげた醤油風味の炊き込み御飯に鶏肉、牛蒡、椎茸、筍、グリーンピース、栗、うずらの卵、杏といった具材がこんもりと盛りつけられ、別容器に茄子や胡瓜、梅干、山葵漬けなどの漬け物も添えられている。どれから箸をつけようか、と迷いながら頬張るのは、至福の時だった。釜飯もいいけれど、食堂車で食事をしたかったな、と思う。僕が鉄道ファンになった10歳前後の頃、特急「白山」は、長野駅を出入りする列車の中で、唯一、食堂車が連結されていた。それだけで、「白山」が格上の列車に感じられたものである。僕が最も「白山」を利用したのは1日3往復の時代で、育った街である長野市と、生まれた土地である金沢市の行き来であり、信州生まれで金沢の大学を卒業した父に連れられての家族旅行だった。父と母は金沢で結婚し、僕と弟が生まれ、僕が3歳の時に長野市へ引っ越したのだが、その時も急行時代の「白山」を利用した白黒写真が残されている。おそらく、僕が生まれて初めて利用した列車が、「白山」だったのではないだろうか。「白山」の家族旅行で、僕は初めて食堂車を体験している。昭和60年に「白山」が3往復から2往復に削減された際に、食堂車は廃止された。全国で長距離列車の食堂車が次々と廃止される趨勢にあって、「白山」の食堂車は、我が国の電車特急で最後まで残されていたのだから、もって冥すべし、とも思うけれど、懐かしい思い出が消えるのは、やはり寂しい。軽井沢駅で補機を外し、身軽になった「白山」は、再び快速を取り戻して信濃路をひた走る。軽井沢から小諸にかけても案外の下り坂で、車内に響いてくる走行音は踊っているかのように軽やかだった。軽井沢から先の信越本線は、馴染みである。右手を流れる白樺の木々の合間に、流麗な浅間山が全貌を現した。千曲川が刻んだ河岸段丘に開けた小諸の街を過ぎ、右手から国道18号線が近づいてくると、更に懐かしさが増す。上田駅を過ぎ、家々や雑木林ごしに見えていた国道が線路際に寄り添うと、北国街道の風情を残す町並みや、カーブの曲がり具合、坂城から戸倉上山田温泉にかけて両側に迫ってくる山々の形など、車で走っているかのような錯覚に陥ってしまう。長野電鉄河東線の古びたホームがある屋代駅を過ぎ、千曲川を南岸から北岸に渡ると、「白山」は善光寺平に飛び出した。信越本線は長野盆地の西の縁に敷かれているので、篠ノ井線と合流する篠ノ井駅を通過すると、右手に住宅が林立する斜面が続き、左手には、完成間近の長野新幹線の高架の橋脚が見え隠れする。『御乗車お疲れさまでした。あと4分で長野に着きます。お出口は左側、1番乗り場です。長野でお降りになるお客様はお忘れ物、落し物などございませんよう、お支度をしてお待ち下さい。乗り換えの御案内を致します。松本、塩尻方面へお越しの方、快速「みすず」号天竜峡行き、11時22分、4分の待ち合わせですので、階段を上がって5番乗り場へお越し下さい。その後、特急「ワイドビューしなの」12号名古屋行き、11時48分、6番乗り場です。長野を出ますと、次は黒姫です。北長野、三才、豊野方面の各駅へお越しの方、普通列車直江津行き、11時49分、3番乗り場です。飯山線へお越しの方、戸狩野沢温泉行き、11時56分、同じく3番乗り場です。長野電鉄、信州中野、湯田中方面へお越しの方、改札を出まして駅前の地下乗り場へお越し下さい。長野の発車は11時20分です。今日もJR線を御利用下さいましてありがとうございました。長野に着きます』千曲川の支流である犀川の橋梁を渡るあたりで、金沢を7時44分に出てきた上り「白山」とすれ違う頃に車掌の案内放送が流れ、上野駅から2時間48分が経過した11時18分、「白山」は長野駅に滑り込んだ。ざわざわと3分の2以上の乗客が席を立ち、賑やかだった車内が一挙に閑散として、仕切り直しのような雰囲気であるが、僕は腰を上げなかった。駅から徒歩で10分ほどの実家に1人で住んでいる母の顔が、ちらりと脳裏に浮かんだけれども、この日の僕の汽車旅は、帰省ではない。これまで、「白山」を上野から金沢まで乗り通した経験がなかった。今回の旅で特急「白山」の全区間を走破すると決めていたから、長野で降りる訳にはいかない。母には親不孝ばかりしているな、と後ろめたさが込み上げてくる。2分停車で、「白山」はそそくさと長野駅を後にした。母には会えないけれど、長野から先の「白山」の行程には、家族の思い出がたっぷりと詰め込まれている。北長野駅や三才駅を吹き飛ばすような勢いで通過し、郊外のリンゴ畑の中を走っているだけでも、何かの拍子に、父と母、弟が一緒に乗っているかのような甘酸っぱい気持ちになる。4人向かい合わせにした座席で、僕と弟は窓際に坐らせて貰ったのだが、どちらが進行方向を向くのか喧嘩した記憶に苦笑したりする。飯山線を分岐する豊野駅を過ぎると、「白山」は左に大きく弧を描きながら、信越国境の山越えに挑んでいく。牟礼駅の手前で左から山肌が近づき、窓の外は鬱蒼と生い繁る木々に覆われてしまう。右は鳥居川が刻む山峡で、対岸に連なる山々の中腹を巻く国道18号線が並走する。線路が単線で急曲線が多いために、ここの「白山」は速度が上げられず、国道を行き交う車に抜かれるばかりの情けない走りっぷりである。飯縄、黒姫と連なる山々も、手前の尾根に遮られて拝むことができない。古間駅を過ぎると少しばかり平地が広がって黒姫山が顔を覗かせ、日陰に雪を残した田圃の中に集落が身を寄せ合っている。信越本線は国道18号線と絡み合いながらも、前者の沿線は田畑が開け、後者には家々がひしめいている場所が多く、全く異なる土地のようである。子供の頃に家族で幾度か訪れた野尻湖も、国道18号線では湖面をちらりと覗くことができるけれども、信越本線はかなり離れている。長野と新潟の県境は碓氷峠と同様に片勾配で、信濃町野尻地区の標高が788m、麓の妙高高原町関川地区の標高が644mであるから、150mの落差がある。国道18号線は九十九折りの山道で真っ直ぐ降りていき、豪雪地帯でもあるため冬には肝を冷やす区間だが、信越本線は緩やかなカーブで大回りしているので、それほどの険しさは感じられない。昭和53年5月18日に、妙高高原駅と関山駅の間の白田切川に土石流が発生し、川を暗渠にしていた築堤が崩壊したために、白田切川橋梁を新設して前後の線形も改良したので、殊更に滑らかな線形に感じられる。僕は災害の前も後も信越国境を通ったことがあるのだが、旧線のことはよく覚えていない。妙高山を車窓から眺めると、初めて買って貰ったカメラを「白山」の窓から妙高山に向け、父や母に笑われながら、流し撮りを試みた子供の頃を思い出す。デジタルカメラではないので、現像に出さなければ出来映えは分からなかったが、手前を流れるススキの向こうに、流麗な妙高の山容がブレずに写っている写真を手にした時には、得意になったものだった。新井駅から先は頸城平野が開け、猫の額のような狭隘な平地ばかりの山国を伝って来た者としては、目がぱちくりするような眩しい水田が広がる。「白山」が直江津駅に停車したのは、上野駅からちょうど4時間が経過し、半分程度の座席を占めている乗客にも長旅の気怠さが漂っていた。『直江津に到着です。ここで進行方向が変わりますので、7分停車します』という短い案内放送が流れ、僕は座席の向きを変えてからホームに降りてみた。直江津駅は久しぶりだった。子供の頃に車窓から眺めた時には、如何にも鉄道の要所らしく広い構内に圧倒された記憶があるけれども、改めて見回してみれば、古びたホームや、何本も敷き詰められた線路に変わりがある筈もないのに、直江津駅ってこんなんだったっけ?──と拍子抜けした。子供の頃は、何でも大きく見えたのだろうか。故郷を素知らぬ顔で通り過ぎてしまったことに、まだこだわりがあったけれども、遂に日本海側に来たのか、という新たな感慨が湧いてくる。直江津を逆向きに発車すると、すぐにトンネルが断続する。直江津と糸魚川の間は、フォッサマグナと糸魚川静岡構造線が交わる複雑な地形で、山塊が海ぎわまで張り出しているため、繰り返し土砂災害に悩まされたという。この区間を一気にトンネルで貫く新線が完成したのは昭和44年であるから、金沢から長野に引っ越した時の急行「白山」は旧線を使った訳である。名立、頸城、木浦、浦本と4本のトンネルを続け様に抜けると、落石防止や防雪の設備なのか、坑口に仕切り板が格子のように一定間隔で貼られている箇所がある。高速で疾走する「白山」の窓から眺めると、彼方に広がる青い海原や手前の草むらが、コマ送りの映画のように見える。子供の頃から、日本海のコマ送りを見るのが「白山」の楽しみの1つだった。谷浜や能生といった「信州の海」と呼ばれる海水浴場も垣間見える。海がない長野県では、この辺りへ海水浴に来る県民が多く、僕の小学校の臨海学校は谷浜、高校の臨海合宿は能生であった。無骨な工場が目立つ姫川を渡り、糸魚川駅を発車した「白山」は、新潟と富山県境の名勝親不知・子不知に差しかかる。子供の頃から、ここが「白山」の車窓の白眉と決めていた。トンネルの合間に見える海面が眼下に遠ざかり、下を覗き込める区間はないものの、断崖の上を走っていることがありありと想像できる。青海駅から親不知駅を経て市振駅に至るこの区間も、直江津-糸魚川間に劣らず災害が多発したが、昭和40年に新親不知トンネルと新子不知トンネルを含む新線が建設され、「白山」は事もなげに通過する。親不知・子不知越えは、平行する国道8号線の方が迫力がある。金沢への家族旅行は車で往復したこともあり、未明に長野を発ち、親不知で夜明けを迎えることが多かった。そそり立つ断崖の中腹にトンネルや洞門が連続する狭隘な道路で、黒い排気ガスを吐きながら、坂道でみるみる速度が落ちてしまう巨大なトラックばかりに囲まれ、大変な難所であることが子供心にも察せられて、息をつめながら車窓に見入ったものだった。『今日は親知らず・子知らず・犬戻り・駒返しなどいふ北国一の難所を越えて疲れ侍れば、枕引き寄せて寝たる』松尾芭蕉の「奥の細道」では短く触れられているだけだが、昔は、断崖の麓の波打ち際を張りつくように歩くより方法がなかったと聞く。越後国へ流された平頼盛の妻が、京から夫を訪ねる途中で子供を波にさらわれて、親知らず 子はこの浦の波枕 越路の磯の 泡と消え行くと歌ったという悲しい伝説が、親不知・子不知の由来である。昭和63年に完成した北陸自動車道は、海上に張り出した高架橋を建設し、親不知・子不知を易々と越えてしまう。同年に開業した池袋と金沢を結ぶ高速バスでこの区間に差し掛かった時は、このような方法があったのか、と度肝を抜かれた。設計者の発想と、現代の建築技術には敬意を表するけれども、北陸道の橋脚の影響で海流が変化し、崖が削られてしまったため、旅人が命がけで越えた砂浜は跡形もなく消えてしまったと聞いている。北陸道の橋脚は目障りではあるけれども、白い波頭の上を海鳥が舞う、早春の日本海の眺望には心が洗われた。北陸本線に入った「白山」の走りは見違えるようだった。首都圏及び中京圏・関西圏と北陸を結ぶ重要幹線であると同時に、数々の難所が昭和30年~40年代の近代化工事で生まれ変わってからは、越後湯沢発着「はくたか」、新潟発着「北越」、名古屋・米原発着「しらさぎ」、大阪発着「雷鳥」といった在来線特急が俊足を競い合うように行き交う、我が国有数の特急街道であった。首都圏に直行する特急は「白山」だけであるが、本州を横断してきた疲れを見せることなく、小気味よいほどの走りっぷりである。最高速度は時速120km、高速道路でもそれくらいの速度を出してしまう車が見受けられるけれども、鉄道は市街地を貫くことも多く、線路際を櫛の歯を引くように建物が過ぎ去っていく感触は、スピード感を殊更に煽る。目まぐるしく街なかを駆け抜けると、こんもりとした屋敷林に囲まれた散居村が散在する砺波平野の単調な眺めが、眠気を誘う。この日は、立山連峰が山襞まで手に取るように見えた。富山駅と高岡駅を過ぎると、上野から乗り通して来たのは僕の他に何人いるのだろう、と数えたくなるような寂しい車中になった。「白山」最後の見所は、能登半島の付け根で越えていく倶利伽羅峠である。線路際に山肌が迫り、カーブもきつく、煉瓦積みの古びたトンネルも含めて、峠越えの雰囲気が満載である。宮脇俊三は、処女作「時刻表2万キロ」の第1章で、富山発米原行きの特急「加越」に乗って倶利伽羅峠に差しかかる。『トンネルを出て2キロほどの地点に倶利伽羅駅がある。北陸本線屈指の小駅で、急行券なしで乗れる列車にさえ通過される気の毒な駅である。が、駅名の魅力においては北陸本線随一だと私は思っている。だから、いつもながら駅名標をしかと見ておきたい。右側の窓に頬を近づけて待機していると、下り線との間隔が少し広くなったなと思うまもなく、特急電車は一気に通過する。飛び去る駅名に合わせてすばやく首を振るようにすると、「くりから 倶利伽羅」という文字がはっきり見えた。1つ、2つ、もう1つ見たいと思ったら、もう駅はなかった』流し撮りのテクニックだな、と頬が緩む一節であるけれども、北陸を旅する者にとって、源平の古戦場としての歴史や、独特の漢字を当てた地名も含めて、強く印象に残る峠であるのは間違いない。ただし、「平家物語」で倶利伽羅峠を知った者としては、北陸本線にしろ、国道8号線にしろ、実際に車窓から眺めた地形と合戦の描写が微妙に合致しないような気がしてならなかった。木曽義仲が放った牛の大群に追い落とされて、『平家一万八千騎、十余丈の倶利伽羅が谷をぞ馳埋みける』と描かれた深い谷があるような峠に、どうしても見えない。厳密に言うならば、北陸本線や国道8号線が通っているのは、昔の倶利伽羅峠の北に位置する天田峠である。明治11年の明治天皇の北陸巡幸の際、倶利伽羅峠は輿が通れないため、天田峠が改修されたことで、以後は天田峠越えが国道となり、北陸本線も天田峠の下に倶利伽羅トンネルを掘削したのであるが、かつては補助機関車の連結を要する急勾配だったという。昭和30年に勾配を緩和するための全長2459mの倶利伽羅トンネルが完成し、古いトンネルは国道8号線に流用されている。東京から関東平野は高曇り、碓氷峠は曇っていたが、信州から富山にかけては快晴、そして倶利伽羅峠から西では、今にも泣き出しそうな雲行きになっていた。猫の目のように変わる空模様の下を、「白山」は駆け抜けて来たのである。『皆様、長らくの御乗車お疲れ様でございました。次は終点、金沢でございます。14時36分の到着です。あと4分少々で金沢でございます。どなたも車内にお忘れ物、落し物ございませんよう、お支度を願います。お出口は右側でございます。2番線に到着します。乗り換えの御案内を致します。小松、加賀温泉、福井方面へお越しの方、1番線にお越し下さい。大阪行きの特急「サンダーバード」30号、14時55分、19分の待ち合わせで、乗り場1番線です。米原方面名古屋行きの特急「しらさぎ」12号を御利用の方、15時04分です。28分の待ち合わせで2番線です。北陸本線上り各駅停車を御利用のお客様、大聖寺行き、20分の待ち合わせで14時56分です。3番線にお回り下さい。七尾線方面お越しの方、14時56分、各駅停車七尾行きに連絡です。20分の待ち合わせで5番乗り場です。七尾で、のと鉄道輪島行きに連絡します。本日はJR西日本を御利用下さいましてありがとうございました。次は終点金沢に着きます』金沢平野に飛び出した「白山」が、速度を落としながら浅野川を渡り、古い街並みに囲まれた金沢駅に滑り込んだのは、上野から6時間06分が経過した14時36分、見事な定時運転であった。終点だから、降りなければならない。高架駅になって防雪ドームに覆われた金沢駅の佇まいも、489系車両の塗装も、前に乗車した時と全く異なっているけれども、生まれた土地に「白山」から降り立つ感慨に変わりはなかった。ただし、旅の終焉をこれほど寂しく感じたことがなく、少しばかりうろたえた。今回が、子供の頃から縁のあった「白山」に乗る最後になるのだろう、という予感が、不意に込み上げてきたのである。金沢から先は、仙台行き夜行高速バス「エトアール」号に乗車し、仙台から上野行きの常磐線特急「スーパーひたち」に乗り継いで、3月19日の昼前に上野駅に着いた。日曜日の上野駅は、長野、金沢、仙台を回ってきた者としては目が覚めるような賑やかさで、前日の朝に上野駅を「白山」で発ってからの1日半が、夢のように感じられた。1ヶ月前に、岡山から航空機と地下鉄を乗り継いで、難波駅に降り立った時のことを、不意に思い浮かべた。実行犯の1人が上野駅から乗り込んだ地下鉄日比谷線中目黒行きの電車をはじめ、日比谷線2本、丸ノ内線2本、千代田線1本の電車にサリンが撒かれ、15名の死者と6300人もの負傷者を出した地下鉄サリン事件が勃発したのは、翌日のことであった。にほんブログ村人気ブログランキングへ↑よろしければclickをお願いします<(_ 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    蒼き山なみを越えて 第36章 平成7年 特急「白山」
  9. Aloha〜Joshin netで予約していた特別企画品『SL人吉』が届きました😆夏の九州旅で乗車するプランを組もうと思って、コチラの製品を予約していたのですが、スケジュールが合わず断念😂しかしながら9600形の美しさに惚れて予約は継続していました。パッカーーーン✨ゴクッと息を飲み込む程美しい✨Twitterで熟練の職人さんが組み立てる様子がupされていたのを見ましたが、こうした職人さんの手によって生まれる製品に感謝感激です。リレーラーも付属していました‼️ヘッドマークとカプラーと付属品も諸々入っていますが、封を開けていません。後でじっくりと交換なり、取り付けなりしていきたいと思います。いやぁ、文句なしにカッコ良い✨SLもそこそこ所有していますが、門鉄デフのSLは初入線です。老眼進んでいるので、こうして写真をアップしてみると改めて忠実に美しく再現されているなと思いました😍横から後ろからプラ成型品なのでハシゴはエッチングパーツに交換してみたいですが、ボクが弄ると全体のバランス崩すのでオリジナルのままで良いか💦テンダーと客車の連結はアーノルドカプラーになっていますが、ここはナックルカプラーに交換したいですね。部屋がごちゃついていますが編成を組んでみました。今日は(も)運転はさせません。線路のメンテ行っていないので💦50系客車とは思えないダブルルーフに展望席。悲しい事に実車の58620は来年だかに運行を終えてしまうとアナウンスがあったので、近いうちにまた九州に行きたいなぁ。もうね、ホント老眼で見えないのよ😅STEAM LOCMOTIVE HITOYOSHI と書いてあった。やっとの思いをして読めたのに至る所に書いてあるじゃん🤣2号車このベンツみたいなマークは人吉かあ‼️と気付いた🤣良いですねぇ🥰テールライトもしっかりと点きました✨やっぱり乗りたい‼️買ったからには乗らなきゃ‼️今しかないし。試運転を終えてしまいます。門鉄デフをしっかりとガードするように配慮されたウレタン。こういう気配りが最近の日本の鉄道模型という感じなんですかね。お値段もそこそこするのでホント大人の趣味のって感じですが、鉄道模型の消費の中心の世代がボクらブルトレ世代なのかとも感じますので嬉しい配慮です。ボクなんて離婚してマンション売って、そのお金で元嫁に新築一戸建て買って、自分は34年ローンで新築一戸建て買って子育てもひと段落して、コロナ前に再婚して今風に言うとパワーカップルになってと、お金持ちではないけど、ある程度の余裕のある生活を送れているので、こんなお買い物も出来ていますが、妻のいない時に品物が届くようにするのは最大限のボクからの配慮です🤣妻もボクの趣味に関しては理解はありますし、色々と付き合ってくれていますが黙っているのに越した事はないです。まぁ、じわじわと増えている事で気付きはすると思いますが💦試運転はダイニングテーブルで行いました。パワーパックも4台になったので、複々線か、新幹線の高架線にするか悩み中。九州の旅でこんな球磨焼酎も買っていました。飲みたいけど、勿体無くて開けれないというジレンマ🤣ラグビーワールドカップが熊本でも試合が開催されたので、くまモンもラグビーボール持っています🏉🧸この地にまた鉄道が走る事を願います。それではまた、Ciao【11/25限定★抽選で最大100%Pバック(要エントリ】[鉄道模型]カトー 22-251-3 サウンドカード(SL人吉)楽天市場2,640円SL人吉 ~新たなる出発~ 58654号機 再復活の記録と前面展望【Blu-ray】 [ (鉄道) ]楽天市場3,950円5足以上購入でネコポス送料無料 鉄下 SL人吉 くるぶしソックス 鉄道をモチーフにした靴下 キッズサイズ くつ下 人気商品 プレゼントにオススメ 蒸気機関車 JR 電車 鉄道 新幹線 グッズ 車下 あし鉄 くる下 あす楽楽天市場440円【ふるさと納税】熊本県 球磨焼酎 プレミアムボトル「SL人吉」 米焼酎 球磨村楽天市場10,000円JR九州列車マスキングテープ SL人吉 鉄道グッズ 常温楽天市場373円【ふるさと納税】I006-22 Nゲージ[令和に響く大正の汽笛。「SL人吉」(動力付き)]楽天市場80,000円

    本日の入線 『SL人吉がやって来た!!』
  10. ザ・ブラッサム京都とはザ・ブラッサムと聞くと外資系のホテルかな?と思う方もいるかと思いますが、JR九州ホテルズのプレミアムブランドとなります。日比谷、博多、熊本に次ぐ4店舗目が京都であり、2022年8月26日に開業したばかりです。エントランス入口に高級感があります。この暗めの照明で長い通路を歩いて行く感じに少し心踊ります。チェックインは座って行い、ウェルカムドリンクとして抹茶とお稲荷さんが振る舞われます。他に豆乳のスイーツも振る舞われていました。薄味で、もっと食べたかったです。写真には撮影していないのですが、こちらのエレベーターは手をかざすと反応する非接触タイプで初めて見ました。部屋案内されたのはモデレートキング。ベッドの周りが琉球畳風の畳敷きになっており、靴を脱いで上がることができます。ソファーはサイドにもたれ掛かって、足を伸ばせるゆったりタイプのものです。水回りは黒が基調となったクールな印象を与えるものでした。大浴場があるので部屋はシャワーブースだけです。トイレは独立式で、浴槽がないせいか広めに出来ています。辻利のお茶がありました。テレビはSONY製、サイドにHDMIの挿入口があったのでPCの画面を大きく表示したりFire TV Stickを使うときは便利です。大浴場更衣室を含め誰もいなかったので1枚だけ失礼。坪庭が広がり、ヒノキを使った浴槽は温泉ではありませんが、楽に20人くらいは入れる大きなもので寛げます。ラウンジ大浴場を出たところにはラウンジがあります。お菓子やジュースがセルフサービスで飲み放題となっているので、お風呂やラウンジを使わずとも飲み物だけ取りに来ている人もいました。アイスキャンディーもあります。食事朝食はバイキング形式で京都の野菜はもちろんですが、明太子や水炊きなど九州の名物も提供されている辺りはJR九州のホテルらしいなと思いました。自家製パンを使ったサンドイッチもあったので、ご飯もパンも食べ過ぎ注意です。またミールクーポンを渡され、昼食も食べることが出来ます。朝食券を夕食にすることもできるようなのでちょっと変わったサービスだなと思いました。まとめこのザ・ブラッサム京都は京都駅の隣、地下鉄烏丸線の五条駅から歩いて2分ほどで到着します。京都観光するには便利な場所にあり、大浴場もあり、ソフトドリンクやアイスがサービスされるなどコスパの高いホテルとなっています。部屋は間接照明だけではなく、白熱電球風の照明がおしゃれで、靴を脱いで部屋を歩き回れるのが良かったです。朝食は3,300円なのでかなり高級ですが、その分、味は出汁を聞かせた薄味なので食材に自信があるんだなと感じさせるものでした。

    ザ・ブラッサム京都に泊まりました。
  11. 本日11月23日は、勤労感謝の日。都内で仕事を終えて、京成線で上野駅に着きました。さて、途中のどこかで飯でも食べて帰ろうとしましたが、あいにくの雨模様です。だったら上野駅6番線の下で営業している「本場さぬきうどん 親父の製麺所 上野店」で、「てんぷらうどん」をいただきました。食べている途中で、駅の案内放送が大きな声で流れます。何かな?と思ってホームに上がると、こんな放送が。高崎線は、車両の屋根に傘が載っているため、運転を見合わせます。何だこりゃ?屋根に傘?雨は降ってるけど、たいして風は強くないけどなあ。さほどホームは混雑していなかったので、現場に行ってみました。上野駅5番線の高崎線・前橋行きの屋根に、傘が載っているとのことです。あ、ありました。列車の中央8号車付近の屋根に、ありました。列車の15両編成のほぼ真ん中、8号車付近の屋根に傘が乗っています。「パンタグラフにからんだ」のではなく、冷房の室外機の出っ張り部分に引っかかっています。何だこりゃ?「ホームの客が持っていた傘が飛ばされた」にしては、列車の中央はやや不自然。「悪意を持って橋の上から落とした」なら、こちらも中途半端。よくわかりませんいずれにしろ、男性用の黒い折り畳み傘が、屋根に乗っているのです。そのうちに、「当駅(上野)で運転を見合わせます」と放送がありました。多くの乗客は、京浜東北線か、低いホームから発車する別の列車に向かいました。駅員さんは、なかなか対応はできません。これは十分理解できます。傘を取るだけなら、駅員さんが肩車して棒で取るのも可能な気がします。しかし、非常に危険です。交流区間ではないものの、すごく高い電圧1500V(家庭のコンセントの15倍)のため、知識と技術がない人が扱うわけにはいきません。しばらくして、技術者らしい人が来ました。電気を通さない絶縁長靴を履いて、状況を確認。架線との距離がある等の状況を確認したうえで、輸送指令かどこかに電話して確認を取って、対応開始。結局は単純に、絶縁体と思われる棒で、引っ張ることに。20:19に傘の撤去完了です。パンタグラフに絡むと、すごく手間がかかりますので、不幸中の幸いでしょう。専門知識がある人の判断だから、安心して対応できるのですけど。仕事が終わって、あとは帰るだけの時間帯なので、寄り道してしまいました。多くの路線が乗り入れると、1つの遅れが多くの路線に波及しますから、対応は大変だと思います。職員の皆さん、ありがとうございます。

    たくさん共感されています

    列車の屋根に「傘」が乗る!?
  12.  先だってご紹介した鉄道コレクション・西武鉄道創立110周年記念BOXの動力化に着手しました。 以下、当工場担当者によるご報告となります。 いやぁ、名古屋市電を仕上げたら、あとはしばらく暇だなぁと思っていたのに、今度は西武、しかも10輛ですよ。それも運輸部門からの「強い要望」とやらで、「今回は小回りの利く2連が主体なのだから、各形式とも動力化して、”各時代の2輛編成の電車が、動態保存的に活躍する支線区”をイメージして鉄道模型化してほしい」などという無理難題も持ち込まれました。 とはいえ、今回完成したのは2連×2本の4輛です。「鉄コレ」の動力化ですから、10輛全部でもそんなに大変ではありませんけど、当鉄道の資材課も急なオファーですから予算が足りず、とりあえずは4輛分の部品しか調達できなかったようです。まあ、実物の世界でも所沢工場が9000系を作ったときには、まず4連を竣功させ、残る6輛は後回しにしているくらいですから、「とりあえず4輛」でも上出来といえましょう。 で、まずお目にかけるのが371系です。 以前にも書きましたが、この塗装は「鉄コレ」初お目見えです。 この時代の電車は、GMキット改造や、「鉄コレ」塗り替え等で何輛か保有しております。まあ、当工場の技術力では仕上げられず、いつもの「ベテランモデラー氏」の工場に外注しております。(いつもお世話様です)その一例をご覧ください。 こちらはGMカラーの「ぶどう色2号」とクレオスの「黄橙色」の組み合わせです。 さて、今回の「鉄コレ」に話を戻しますが、動力のTM07Rにはスペーサー「S」を使っています。また、台車枠も動力付属のDT10です。パンタグラフはPS13となります。先頭車運転台側のカプラーはアーノルトにしましたが、こちらは将来変更の可能性もあります。カプラー用のスペーサーは使用していません。 続いて登場は、新101系です。 これだったら、前面窓まわりも側面と同じ薄いベージュにして、登場当時の仕様で製品化する手もあったのではないかと思います。自ら塗り直すのはかなり骨が折れそうですが。 こちらは、動力ユニットTM08Rにスペーサー「L」を使います。台車枠はこれも動力ユニット付属のFS372です。パンタはPS16Pとなります。そして、当鉄道の西武101系ですが、カトー製品が幅を利かせている関係で、先頭車運転台側のカプラーはKATOカプラーが標準装備です。今回の2連はカトー製品と連結する可能性があるか否かわかりませんが、KATOカプラー(密連形A・グレー)を取り付けています。 その取り付けですが、「鉄コレ」用のカプラーポケットを活かして、これにKATOカプラーを付けています。写真をお目にかけます。 上が加工前、下が加工後です。以前にも書きましたが、当鉄道の西武電車のカプラー事情、いささか複雑なことになっておりまして、「鉄コレ」動力化もその影響を受けざるを得ません。なお、この新101系では、カプラー用のスペーサーも「小」を使用しました。(写真には写っていませんが) 抵抗器がずらりと並んだクモハ101、いい電車ですね。この調子で後6輛もと思いますが、必要な部品の調達にはもう少し時間がかかりそうです。そして、今回メーカーからは用意されなかったブック型ケースについても、何かそれらしいものを作らないといけません。「鉄コレ」とはいえやることは意外と多いのです。工場からは以上です。 最初は余り乗り気でなかった当鉄道の工場担当者も、最初の4輛を仕上げているうちに、俄然やる気になってきたようです。残り6輛をお目にかけるのは少し先になりそうですが、気長にお待ちください。 

    西武110周年鉄コレを動力化する(その1)
  13. 約3500両が製造された国鉄通勤形電車の顔103系。後継形式への置き換えで残りが少なくなる中、九州では「末弟」といえる1500番台がJR筑肥線のローカル輸送で活躍を続けています。登場から40年、今の様子を訪ねてみました。JR筑肥線のローカル区間を行く3両編成の103系1500番台。写真は唐津方先頭車がモハ103形から改造されたクモハ103形となるE12編成=加布里ー一貴山103系1500番台は1982(昭和57)年に、直流電化され新たな形態となる筑肥線から福岡市営地下鉄線へ乗り入れる車両としてデビュー。103系の足回り+201系ベースの車体+105系の前頭部という国鉄末期を物語るような構成で計54両が製造されました。後継形式305系の登場により、本来の使用目的であった地下鉄区間への乗り入れは2015年3月に終了。現在はワンマン運転に対応する3両編成が、筑前前原ー西唐津(唐津線)間で細々生き残っています。当初の6両編成をそのまま分割して先頭車化改造したため、クモハ103+モハ102+クハ103形と、クハ103+モハ103+クモハ102形の2種類の編成があります。のんびりした田園風景を走る103系1500番台。写真は筑前前原方先頭車がクモハ102となるE13編成筑前前原駅で発車を待つE18編成のクモハ103-1518。貫通幌はクモハ103のみに取り付けられていますクハ103はスカートの形状が異なります(写真はクハ103-1514)博多から福岡市営地下鉄空港線〜JR筑肥線に揺られて約40分。今の103系1500番台の始発駅・筑前前原(福岡県糸島市)に着くと、305系などイマドキの車両に埋もれるように、見覚えのあるベテラン車両が待っていました。当初の水色にクリーム色の帯が入った姿は明るく新鮮でしたが、現在は赤とグレーを基調としたJR九州の標準といえる塗装になっています。ただ、側面はアルミ車体の203系のようにも見え、前面は窓まわりがブラックマスクになりますます105系風になっています。103系1500番台の車内。古さは否めませんが、逆に近年のJR九州にはないシンプルで落ち着いた空間にも見えます。最近では珍しくなった妻面の窓も残っています一方でトイレが設置されるなど、時代に合わせた変化も見られます博多から筑前前原までの305系から103系1500番台に乗り換えると、一気に80年代にタイムスリップしたかのようで、懐かしさが込み上げてきます。暖色系だった座席のモケットは変わったものの、平天井、そで仕切りなど、子どもの頃に「新しい」と感じた内装は、戸袋窓がない以外は同時期に製造されていた201系に似ています。しかし、いざ走り出すとやっぱり103系…。いつものMT55Aのモーター音が車内に響き渡ります。201系の雰囲気と103系サウンドを同時に味わえることが、ある意味1500番台の一番の魅力かもしれません。この甲高い爆音は、線路から離れたところを歩いていてもよく聞こえました。走り始めて40年、沿線風景にもすっかり溶け込んでいます=一貴山駅にて福岡都心部から撤退して7年、のんびり余生を送っている印象の103系1500番台ですが、最近は故障が増えているようです。交流電化の九州における「直流ローカル区間」という特殊性はあるものの、車齢を考えると先は長くないかも…と感じてしまいます。すっかり貴重な存在になった103系。今回は福岡での所用の合間に足を延ばした形でしたが、同系のファンとしては、今のうちにもう少し訪れておきたいと感じました。

    103系1500番台〜登場40年 筑肥線ローカルの今
  14. こんばんは~。yasoo です。昨日、今日と有休頂いています🎵この平日休みを活かして、連日の阪急撮影に向かいました。やはり、狙うのは来月で運転中止となる予定の平日ラッシュ時の10両編成です。あとは、ずっと撮影チャンスを逃している編成がありまして、そちらと遭遇出来るかは運に任せたいと思います😋スタートは西京極駅にて10両運転の2本目になる京都河原町への送り込み回送を撮影。大阪方には7302fの2両増結編成が付いてました。1本目7301f 快速急行 大阪梅田行きパンタグラフ車両が4両も含まれて組成された10両編成でした。パンタが8基も並ぶ編成は、いつ見ても壮観です🎵2本目7302f 快速急行 大阪梅田行きこちらは増結2両と8両貫通編成で組成された10両編成でした。一番このパターンが多いと思います。8331f 快速急行 京都河原町行きこちらが河原町駅で2両増結され3本目の10両編成となります。7325f 回送先ほどの8連快速急行を追いかけて、河原町へ送り込まれる増結2両編成です。てっきり7300fだと思ってましたが、代走編成でした。ハロゲンの電球色ヘッドライトが良いですね。普段は8両編成の中間封じ込め車両なので、HIDライトへの更新がされてないんだと思います。3本目7325f 快速急行 大阪梅田行き1本目同様にパンタ車が4両入った10両編成でした。3本中2本がこの編成パターンだったのは私が撮影した時では初めてでした。それと、やはり編成端側のヘッドライトはHIDに換装されてましたね。オマケ合間に撮影したHM付き編成1314f 普通 大阪梅田行き今回からは、9300系以外にもHMが付くようになったようです。出来れば3300系や5300系に付けて欲しいですが😩ヘッドマークをアップで撮影してみました。9303f 快速急行 京都河原町行き秋らしく紅葉した木々と絡めて撮影9307f 準急 大阪梅田行きこの贅沢準急を撮影した後、もう一つ狙っている編成を求めて移動することにしました。続きは次回以降にさせていただきます🎵本日は、ここまでです。また見てください。

    803. 11月24日、朝から阪急電車の撮影へ~その1~
  15. 帰宅 !
  16. 夜間撮影の準備はしてなかったので、画像はひどいものばかりですが・・・まずは、東武鉄道、とうきょうスカイツリー駅付近高架化関連11月27日始発より、上り線のみ高架化伊勢崎線2号踏切の上り列車は、11月26日(土曜日)がラストラン1日前なので、撮り鉄は無かったさようなら、伊勢崎線2号踏切(上り)仮線の準備がなされていて、下り線も若干移動すると思われる次は、とうきょうスカイツリー駅11月26日をもって、正面口が閉鎖されるさようなら★とうきょうスカイツリー駅正面口ここも閉鎖実際、仮囲いがあって、ホームまで歩かされる現、島式ホームのうち、上り線の発着も11月26日が最後この表示類も、柵設置で姿を消す上り列車がやってきた真っ暗で判りにくいが、右側に新ホームが準備されていた新旧のレールは既にポイントで繋がっていて、終電後の大規模工事はない模様。本来は特急に乗りたかったが、次への「転戦」を控え、普通列車で最後の浅草行き(終電ではありませんが)さようなら★とうきょうスカイツリー駅上りのりばさて、今度は一気に横須賀市内へワープ堀ノ内で下車堀内営業所跡は更地になっていたが、一部区画が残され、操車場的な施設になっていた今後は、立野系統の小型車のみが使用か?但し、今日までは大型車がこのスペースで回転するので、止まっている車両は1台のみさて、堀内停留所へたまたま横須賀駅方面の最終?(他系統はまだあるけど)が来たここ止まりのバスが11月25日をもって廃止「回送」に変わってしまう可能性もあり、手前の交差点に停まった瞬間に狙おうとしたら青信号で、通過してしまった(撮影は失敗)実はこれは「堀内」行き最終1本前(系統としては終車扱い)このバスは、車庫跡へ入ってぐるっと回って、久里浜の車庫へと引き上げていった。この動きは予想通り。そして、15分後の本当の終車は、さきほどの車庫跡で迎え撃つことにした。堀内停留所に到着し、その後曲がってくるのを待ったら、「回送」表示に切り替えて、そのまま国道16号方面へ走り去ってしまった。横須賀駅方面へ行ってしまったええっ!結局、もやもやしたまま、帰宅した。さようなら★堀25系統 堀内行

    たくさん共感されています

    11月26日のさようなら(夜の部)
  17. こんにちは、徐々に朝方の冷え込みが厳しくなりつつありますが、午後はまだ20度近くまで上がるので過ごしやすいです。ただ12月1日から急に最高気温が一桁になるようで、寒さに弱い私は冬眠したいくらいの気持ちで折りますwとそんな中・・・大相撲九州場所は早くも14日ですが、優勝争いは2敗の高安をトップに3敗の貴景勝,豊昇龍、阿炎、王鵬の4人が追う展開で優勝が決まるのは千秋楽となる混戦です。本日は3敗同士の貴景勝と王鵬が直接対決となっており、「本日の一番」ではないでしょうかwそして先場所で大関から陥落した御嶽海は10勝の復活に失敗し、5回目のカド番に追い込まれていた正代も先日、8敗で負け越したために大関から陥落が決定しました。北の富士さんが正代の大関陥落を明言されていましたが、的中!次の場所は大関復活を掛けた場所になりますが、横綱不在の今場所で負け越すようであれば10勝は難しいのではないでしょうか・・・本日も元横綱若乃花こと花田勝さんの解説なのでAmebaTVで視聴しています。(1枚目のバーチャル解説がいいですね。NHKでも一度だけ宮城野親方で同じような取り組みをしていましたが、あの一回だけでした・・・)竜電は14日目で10勝を挙げており、以前から好きな竜電に戻ったように感じました!!花田さんも「素晴らしい取り組みでした!」と大絶賛!自分のことのようにうれしく感じてしまいました。前にトンデモナイことをしでかしましたが、ここまで頑張っているので、今後も応援をしたいとおもいます!頑張れ竜電っ!!今場所は全てAmebaTVで大相撲を楽しみました。サッカーワールドカップもニュースでAmebaTVの視聴が1000万視聴を超えたとのことで、いよいよTVの時代が終わりつつあるような気がしました。そんな中で私のAbema大相撲センター試験は13日時点で全勝しており、大関まで昇進していました!本日の結果と明日の結果で横綱になれるのでしょうか!楽しみですwJoshinから木曜日にお届けもが届き、中身はKATOの「58654+50系『SL人吉』」です!今年7月に発売発表があり、僅か4ヶ月で新発売となり、手元に届きました!早い!特別企画品なのでパッケージにも期待がかかりますが・・・「黒い・・・」、以前に発売された「SLやまぐち号」(詳しくはコチラ)のような紙スリーブ、ケースを期待していたので、写真の無い普通の紙スリーブに拍子抜け・・ただ見ようによっては「渋い」ケースであり、大正11年生まれの8620形「58654」にピッタリな気がしないでもないですね。紙スリーブを外して、またびっくり!ケースも黒色でした!KATOのケースはいつもの「緑色」かホビセンKATOの「赤色」ですが、今回は「黒色」でした!(他にはJR九州のななつ星は「茶」(詳しくはコチラ)でJR西日本のパンダくろしおは「水色」(詳しくはコチラ)です)ケースの黒色を堪能し、いざ、開封っ!!ななつ星のようなカラー刷りの説明書が目に飛びこみます!KATOの力の入れようがうかがえますねwと、説明書と思ったカラー刷りはなんと「KATOの商品紹介」でしたw中は球磨川近辺の肥薩線球磨川第一橋梁のジオラマを提案しており、必要なレールやサウンドカードの紹介もあり、お値段も定価ベースですが、掲載されていました。(レール以外にサウンドボックス、ローカル線の小型駅舎なども含めて51205円!)裏表紙は来年1月発売予定のサウンドカードの紹介と視聴用のQRコードが入っていました。説明書が別紙のとおりで付属品は58654用、50系客車用、DE10用のパーツが同梱されており、さらに特別企画品のおまけとして黒色のリレーラーがセットされていましたw説明書と思われたものはパンフレットでしたが、これはこれでなかなか良いのではと感じました。車両のご紹介は「58654」から。カッコイイですね・・・大正11年生まれの8620形で製造は国鉄の前身である「鉄道院」発注で日立が担当。九州各地を転々として活躍し、さらに昭和36年にはお召列車のけん引した由緒ある8620形です。晩年は貨物列車に運用されて昭和50年に廃車となりました。人吉市に貸与され、静態保存として市内のSL展示館に保存されました。新製から廃車までに300万Kmも走行したようです。ゆっくりとボランティアの丁寧な支援で余生を過ごしていたのですが、JR九州で九州鉄道100周年記念(門司港開港100周年)に合わせて復活させる機運がたかまり、復活に向けた復元が進められました。昭和63年に復元が完了し、車籍の復活と試験走行を経て同年8月にお披露目運転にこぎつけました。実に13年ぶりの復活となりました。以降はSLあそBOYやSL人吉としてシーズン走行を行いますが、元々が古く老朽化も進んでいたことから平成17年に軸受けなどが故障してしまい、引退がささやかれましたが、JR九州が動態保存の可能性を製造元の日立と検討した結果、日立の工場に8620形の設計図が残っていたため、部品を新製することで平成21年に再復活を果たしました。ボイラー、台枠など蒸気機関車のメイン部分が新製され、中身はほとんど新製になっていましたが、実際は製造から100年が経過する蒸気機関車で「日本で最も古い蒸気機関車」として活躍し続けました。人気漫画の鬼滅の刃やゲーム桃鉄ともコラボし、色んな世代ともかかわりを持った蒸気機関車となりました。ただ残念ながら、老朽化が他にも進み、部品と整備ができる人材の調達が困難となり、本年度で運行終了が発表されています。なので今回のセットは実質「さよならセット」でもあります。模型としては近年の蒸気機関車なので、とにかく細かいところまで精密に作られており、ケースからの出し入れなど、本当に気を遣うくらい細かいパーツがごてごてとしており、緊張しますwお次はSL人吉の1号車であるオハフ50-701です。こちらは58654の復活に合わせてSLあそBOY用にオハフ50を改造し、700番台とした車両で大きな特徴は1枚目の展望です。屋根はダブルルーフ形状になっており、色合いも含めてレトロ感が満載です。お次はオハ50-701で、SL人吉では2号車の中間車として運用されています。こちらはSLあそBOY時代に設置されたウェスタン酒場風のカウンターが設置されています。最後は3号車のオハフ50-702です。こちらは1号車と外観は同じです。妻面は展望室の反対側を撮ってみましたが、形状はオハ50系の面影がしっかりと残っています。個人的な思いですが、このように元の車両の面影が多少残っている方が親しみも沸きますwそしていつもの「パカリスト」を呼んでしまいました!1枚目はオハフ50-701、2枚目はオハ50-701ですが・・・車両の中間でなんか光ってる・・何でしょうw(オハはカウンター近くも光っていますw)KATOのHPによると客車の仕切りに設置されている展示棚のようです・・・しかし展示棚だけが光っても・・・今回の客車は専用のライトユニット用導光板がすでについていますが、ライトユニットは別売りです。いつも思うのですが、このような特別なセットは高くなってもいいので室内灯は付けておいて欲しいと思います・・・買えばいいのですが、意外と面倒なんで・・・w最後はオハフ50-702ですが1号車とパーツ色が違います。比べてみると展望部分の座席やソファなどが作り分けられていました!いいですね!車両を堪能した私は早速、お座敷レイアウトに入線させて連結させます。とあっさり書いていますがパカリスト時に撮影の邪魔になったライトユニットの導光板を外していましたが、ボディを戻す際に組み込み忘れてしまい、再びパカリストして板を戻していく・・・時間を無駄にしてしまいましたw連結は客車同士はボディマウントタイプの密自連カプラーで連結すると車両間隔は2枚目のようにタイトになります。58654を先頭に編成し、しばし走行を楽しみました。黒系の統一感のある編成が「渋い」!説明書にはセット以外に別売りのJR九州仕様のDE10を用意することで色んな編成を楽しめるとのことで、ななつ星の為に購入したDE10を引っ張り出してきました。以前にこちらを購入する際に個人的には1両でもよかった(詳しくはコチラ)のですが、今回は2両あってよかったw(ちょっと前のマヤ34でも同様に思っていますがw(詳しくはコチラ))ただ、DE10はななつ星としか連結させないと思って、全てナックル化していたので、SL人吉セットもナックル化しないといけません・・・バネピョイーーンなどを経て時間が掛かりましたが、無事に3両をナックル化!パーツ袋を開けたついでに付属のヘッドマーク(左:58654用、右:DE10用)をパチリ!黒に金文字ですが、近年のインクジェットにより、ややボヤけ感は否めません・・・1枚目は客車をDE10でサンドしました。これは恐らく58654がウヤ(運休)になったときの代走編成と思われます。SLやまぐち号でもSLの調子が悪い時はDD51が「DLやまぐち号」代走するのと同じですね。こちらはさしずめ「DL人吉」でしょうかw2枚目は58654を先頭にプッシュ用のDE10を後方に連結した編成です。おそらくこれが一番の楽しみ方ではないでしょうか!ということで、私も58654+50系客車にアシスト用のDE10を後方にプッシュ用として連結し、さらに楽しみました!58654はスローからしっかりと起動してロッドの動きもスムーズでした!蒸気機関車の醍醐味はやはりロッドの動き!これは2軸の単純なロッド、4軸の複雑なロッドに関係なく、ずっと眺めていれますw今回は実車を見たり、乗車したではないので、馴染みはないのですが蒸気好きとしてはスルーするわけにもいかず入線させました。こちらについては蒸気機関車が少しでも好きな方は「買い」です。しかもいつもの買いではなく・・・「超絶買い!!」です!今回はKATOの回し者と言われてもいい!!とにかく買いなさい!!でわでわネットでは今回は早い段階で売り切れが多く、何とか残っているところをピックアップ!特別企画品はほぼ消化傾向にあるのでお早い目にwKATO Nゲージ 58654+50系 「SL人吉」4両セット 10-1727 鉄道模型 客車Amazon(アマゾン)25,047〜32,000円KATO Nゲージ 8620 58654 「SL人吉」 2028-2 鉄道模型 蒸気機関車Amazon(アマゾン)14,900〜19,980円KATO Nゲージ 50系700番代 「SL人吉」3両セット 10-1728 鉄道模型 客車Amazon(アマゾン)7,680〜11,560円KATO サウンドカード SL人吉 22-251-3 鉄道模型用品Amazon(アマゾン)2,464円KATO Nゲージ 58654+50系「SL人吉」4両セット 特別企画品 鉄道模型 10-1727楽天市場22,264円KATO カトー 2028-2 8620(58654「SL人吉」)楽天市場17,050円22-251-3 サウンドカード〈SL人吉〉[KATO]《01月予約》楽天市場2,464円

    祝! KATO 58654 + 50系「SL人吉」入線!
  18. 九頭竜湖駅より北濃駅(石徹白バス停)まで歩きましたので、参考にしてみては如何でしょうか?但し、歩きに自信がある人福井駅9:08発の九頭竜湖行に乗車。クロスシートの半分は埋まってたが、越前大野駅で降りられました。九頭竜湖駅10:42着。石徹白バス停は13:21発なので、ここからグーグルマップ計算上15.7km,3時間のルートを2時間39分以内で歩破する必要がある!なので九頭竜湖駅の写真もこれだけ。石徹白へ向かう交差点としては最後になりそうだったので写真。左へ曲がらないと国道158と合流します。何かの工事現場?と写真。調べて見ると、中部縦貫自動車道となるようで。ますます鉄道が衰退するわけだ。(東京では臨海地下鉄とかほざいてるけど)伊月の化石壁っていうらしいですね。交通量も3分に1台程度なので撮影できました。この空間好きです。住みたい。ふと後ろを振り返ると石徹白川。もはや九頭竜湖駅が何処にあったかもわからない。九頭竜湖駅自体森の中だけど建物あったし。車が止まっている…ということは?家族旅行村ですね!バスの接続が良ければここまで7.4km(池袋~渋谷が7.8km)ショートカットできます。丁度中間地点であり、12時になったのでデマンドバスの予約をしました(繋がりにくい)石徹白ダム。橋は立派でした。冬季通行止め区間の細街路。石徹白川とも近いです。この辺りからグーグルマップとの整合が取れなくなったので、何分遅れてるか分からなくなる。勤務ご苦労様です!九頭竜湖駅出てから生身の人間に合いました!重要な交差点もう一個あった。直進してはいけない。バス出発まであと20分!そこからは走りも加えたりして、道路標示発見!そこの交差点のどこかにバス停があるはず…!ゴール!3分前に着きました!ベンチにお土産入ったリュック置くとギシっと。でも座って大丈夫でした。と言うわけで、福井を午前に出る越美北線越美南線の徒歩連絡でした!バスはワゴンタイプです。乗り遅れたら5時間石徹白を散歩しようとしてましたが、撮れ高があるかどうか…みなみ子宝温泉に入浴したかったので頑張りました!

    九頭竜湖駅から北濃駅まで歩き8割
  19. 皆さん こんにちは。 コメントもいただきましたので 忘れないうちに 惜別 能勢電1700系を始めます。 能勢電ファンではない方も しばらくお付き合いください。 皆さんの能勢電ご訪問の参考にもなればと。まずは こちらの動画を。妙見線は、日中 山下駅を出ると 一気にガラガラになります。 そこで 鎧戸を閉めてみました。 シュッと 持ち上げてカシャンと閉める 同年代の国鉄の車両などは巻き上げ式のカーテンだったので 下ろしてきて 両側をひっかてて止めるのに苦労することもありましたが 阪急電車の鎧戸は、軽く スッと持ち上がってカシャンと止まるので便利です。ただ 難点は閉めてしまうと外が見えないことですね。 ガシャ どど〜んと 下ろす時の動画を撮り忘れたので いずれチャレンジします。 ただ 鎧戸の方は、本家 阪急電車でも リニューアルされていない、3300系5100系5300系6000系7000系8000系などにも残っているので まだ 当分は楽しめます。では、今回は、山下駅で撮影した 1754Fをどうぞ。この日は、8時40分頃に川西能勢口駅に着くと ホームに1754Fが停車中。妙見口行として8時44分に発車しました。 最後尾に乗車、山下駅で一気に車内が閑散とすると 撮影タイム。 妙見口駅まで モーター音を楽しみながら 隅々まで撮影。 そのまま折り返して 山下まで戻ってきました。 その後は、途中で1756Fともすれ違っていたので 1756Fに乗って 日生中央へ、日生中央では、折り返しに15分ほど停車するので そこで隅から隅までまで1756Fの方も撮影。 これで 今回の目的の半分は達成。 あとは 沿線で追いかけるという予定でした。 その日生中央で撮影している間に 川西能勢口から妙見口まで1往復してきた 1754Fを山下駅で捉えました。妙見口駅から戻ってきた 普通川西能勢口行1754F。対向の妙見口行が一足早く発車。スッキリ編成を。ヘッドマークも。その後 山下駅で 山下ー日生中央間の折り返し スィッチバック運転などを撮影後川西能勢口駅から戻ってきた 1754Fを。普通妙見口行。1754F。 今回のダイヤ改正で 恐らく日中を走る 川西能勢口発の妙見口行も見られなくなるかと思います。 この字幕もほぼ見納めです。この日は、1757Fの方も 妙見口行運用に入っていて ラッキーでしたが、これがダイヤ改正後は、1700系は、全く走らない日が多くなりそうです。日生中央からの上り線を渡り 妙見口行3番線に。2両目1734号車。 元阪急2000号車。3両目1784号車 元阪急2051号車。 この中間の2両が、昭和35年から走り続けた車両です。  最後尾1704号車。 駅入線なので ゆっくりとですが、ダブルスリップのポイントを豪快に渡っていきます。続く。ブロ友 あきさんのブログでも この1754F編成を 独自の視点で ルポしておられます。御覧頂きましてありがとうございました。阪急電鉄 宝塚線、箕面線、京都線、千里線、嵐山線、能勢電鉄 (1950~1980年代の記録)Amazon(アマゾン)1,497〜5,901円1970~80年代 阪急電車の記録 上巻 神戸本線・宝塚本線編Amazon(アマゾン)1,650〜4,902円鉄道ジャーナル 2023年 1月号 [雑誌]Amazon(アマゾン)500〜2,597円ぶら鉄 親子でGO!電車見まくりスポット 関西版Amazon(アマゾン)1,760〜8,994円

    惜別 能勢電1754F編-1
  20. 今回の【駅】コーナーは、兵庫県神戸市中央区中心部の三宮地区南部市街地に位置する神戸市営地下鉄海岸線の起点駅で、神戸市役所への最寄駅ですが、同じ地下鉄の西神・山手線や他社線の駅からは離れており、乗換が不便で利用が低迷している駅、そして駅名にある「花時計」は開業時こそ駅前にあったものの、今は約600m南の東遊園地へ移設されてしまったため、花時計への最寄駅ではなくなってしまった(現在の最寄駅はポートライナーの貿易センター駅)、三宮・花時計前駅 (さんのみや・はなどけいまええき。Sannomiya-Hanadokeimae Station) です。駅名 三宮・花時計前駅 (K 01) 所在地 兵庫県神戸市中央区 乗車可能路線 神戸市営地下鉄:海岸線 隣の駅 新長田方……旧居留地・大丸前駅 乗換可能駅 神戸市営地下鉄:西神・山手線…………三宮駅まで徒歩15分 阪神電気鉄道:本線………………………神戸三宮駅まで徒歩8分 JR西日本:東海道本線【JR神戸線】……三ノ宮駅まで徒歩10分 阪急電鉄:神戸本線、神戸高速線………神戸三宮駅まで徒歩12分 神戸新交通:ポートアイランド線【ポートライナー】(神戸空港方面、北埠頭方面) ……三宮駅まで徒歩10分 訪問・撮影時 2019年5月 三宮・花時計前駅は三宮地区を南北方向に貫く目抜き通りであるフラワーロード(県道30号線)の東側、東西方向(写真右奥)に延びる神戸市道(葺合南34号線)の地下に設置されています。神戸市交通局が管理する出入口は4ヶ所ありますが、その他にもコンコースに接続する神戸国際会館(正面のビル)や地下街「さんちか」などの出入口を利用できます。エレベーター出入口は神戸国際会館のエントランス、円弧を描いている吹き抜け部分「サンクンガーデン」の、SOLのロゴマーク(緑色)が描かれている場所に設置されており、バリアフリーに対応しています。また、神戸国際会館地下1階にはコンコースと接続する出入口1があります(階段・上下方向エスカレーター併設)。隣接するEV出入口(地上直結)も出入口1と言えるかもしれません。出入口1のすぐ近くに神戸国際会館のB1Fと1Fを結ぶ上下方向エスカレーターがあります。ちなみに三宮・花時計前駅に駅前広場はありません。バス停留所は右手前~左奥に延びるフラワーロード沿いに設けられています。神戸国際会館の左前方には「そごう神戸店」が写っていますが、今は「神戸阪急」へと変わっています。尚、神戸国際会館は阪神・淡路大震災で倒壊したため1999年に再建されました。複合ビルで、低層階が商業ゾーン(コンサートホール「こくさいホール」、商業施設「神戸国際会館SOL」、映画館「神戸国際松竹」など)、高層階がオフィス棟になっていて、地下1階は三宮・花時計前駅のほか、「さんちか」、「神戸阪急」にも接続しています。左奥にはJRの三ノ宮駅、阪神と阪急の神戸三宮駅、ポートライナーの三宮駅、そして神戸市営地下鉄西神・山手線の三宮駅があります。写真は国際会館前交差点より北東方向を望む。駅前の国際会館前交差点より西方向を望む。左右方向の道路はフラワーロードです。後方に延びる葺合南34号線の地下に三宮・花時計前駅があります。右手に神戸国際会館があります(地下に出入口1あり)。地下鉄海岸線は三宮・花時計前駅を発車すると前方に延びる三宮中央通り(神戸市道)の地下を西進して新長田駅を目指しますが、1駅先の旧居留地・大丸前駅までは線路の上層を地下通路(元町地下連絡通路)が並行していて、三宮中央通り駐車場(有料)も併設されています。地下通路を通れば旧居留地・大丸前駅まで雨に濡れずに徒歩移動できます。三宮・花時計前駅と元町地下連絡通路の接続部が出入口4です。駅西側ですが、概ね三宮中央通りを境に北側(右)が商業地区、南側(左)が業務地区(オフィス街)です。都心の一等地に相当するため、戸建住宅はまず見られず、マンションも少ないです。約500m西、旧居留地・大丸前駅の東口に相当する出入口3の南側には三宮神社が鎮座しています。国際会館前交差点より東方向を望む。後方をフラワーロードが左右方向に延びています。前方に延びる葺合南34号線の地下に三宮・花時計前駅があります。左手に神戸国際会館があります(地下に出入口1あり)。左手の「SOL」ロゴマークの位置にエレベーター出入口があります。正面には神戸国際会館に寄り添うように出入口2があり、約120m前方には出入口3があります。駅東側はオフィス街ですが、商店や飲食店も多く見られます。国際会館前交差点より北方向を望む。右(東)へ延びる葺合南34号線の地下に三宮・花時計前駅があり、左(西)への三宮中央通りの地下を線路が通っています。手前(南)~奥(北)の道路はフラワーロードで、右側には神戸国際会館と現・神戸阪急(撮影当時は「そごう神戸店」)があります。フラワーロードの地下には地下街「さんちか」が北方向に延びています。三宮・花時計前駅と「さんちか」は元町地下連絡通路や神戸国際会館を介して地下で接続していて、「さんちか」を経由してJRの三ノ宮駅、阪神と阪急の神戸三宮駅、ポートライナーの三宮駅、そして神戸市営地下鉄西神・山手線の三宮駅へアクセス可能です。三宮・花時計前駅と西神・山手線の三宮駅は同一駅扱いですが、互いの駅は離れており専用の連絡通路がないため、改札外連絡となります。互いの改札間は「さんちか」経由で7~8分を要し、ホーム間となると10分を超えますので乗換は不便です。また、両路線を連続して乗車する場合、区間を通算して乗車券を購入して乗り継ぐことができ、その場合は当駅の改札内を出場してから90分以内に三宮・花時計前駅の改札内に入場する必要があります(Wikipediaの本文を引用)。駅北側は三宮地区の中心部で、フラワーロード沿いには「神戸阪急(神戸ロフト併設)」「神戸マルイ」といった大型商業施設があり、アーケード商店街「三宮センター街」とも接続しています。約200m先には三宮交差点があり、その東側地下に阪神の神戸三宮駅が、北側東西の高架部にJR神戸線の三ノ宮駅が、交差点北東側にポートライナーの三宮駅が、JR線の西口北側に阪急の神戸三宮駅が、そしてJR線の各出入口北側に神戸市営地下鉄西神・山手線の三宮駅があります。社局により駅名が微妙に違い、地下鉄は同一事業者でも駅名が違います、全てに「三宮(三ノ宮)」が付いているのが救いですが、それでもややこしいですw国際会館前交差点より南方向を望む。後方を左(東)へ延びる葺合南34号線の地下に三宮・花時計前駅があり、右(西)への三宮中央通りの地下を線路が通っています。手前(北)~奥(南)の道路はフラワーロードで、左後方に神戸国際会館があります。交差点から南側はオフィス街および官庁街になっており、商店の数が急減してしまいます。右前方の高層ビルは神戸市役所です。三宮・花時計前駅は神戸市役所への最寄駅で、地下通路で連絡しています。また、手前の低層棟も市役所の庁舎ですが、現在、高層ビルへと改築工事中で、今後は景観が大幅に変化すると思われます。神戸市役所の奥、フラワーロード右側には東遊園地(観覧車などは存在せず、普通の都市公園)があります。「神戸ルミナリエ」開催時は会場のひとつになります。市役所方面への地下通路は東遊園地まで延びています。東遊園地の南端部には駅名の由来となった花時計があります(後述)。そして、神戸市役所や東遊園地の西側は古くから発展してきた旧居留地で、現在はビジネス街になっています。レトロなビルも残っています。また、フラワーロードをひたすら南へ進むと600mほどで税関前交差点に達し、その先の税関本庁前交差点までの延長187.1mは日本一短い国道である国道174号の区間です。税関本庁前交差点からさらに350mほど南下すると神戸港の突堤に到達し、そこには高松へのジャンボフェリーが発着する神戸三宮フェリーターミナルがあります(三宮・花時計前駅から1km少々。ポートライナーの貿易センター駅やポートターミナル駅からの方が近いです)。こちらが駅名の由来となった「こうべ花時計」です。以前は神戸市役所の北側、すなわち三宮・花時計前駅のすぐ近くにありましたが、北側の低層庁舎の改築工事に伴い2019年、約500m南の東遊園地南端部にあった噴水池を撤去した上で仮移設しました。しかし、新庁舎完成後に他の場所へ移設する計画だったものの、移設場所が見つからず、結局この場所で常設という事になり、現在へと至ります。写真は2021年4月撮影。北西を望む。東遊園地は再整備工事中です。尚、花時計がこの場所に移設されたことにより、花時計への最寄駅は三宮・花時計前駅(約650m)ではなくポートライナーの貿易センター駅(約400m)になってしまいました…。こちらは出入口2です。東方向を望む。右側を前後方向に葺合南34号線が延びていて、地下に三宮・花時計前駅があります。左側にある神戸国際会館に隣接する形で階段のみの出入口が設けられています。すぐ左側にはエレベーター出入口があります。神戸国際会館の地下1階には出入口1があります。神戸国際会館に入ればエスカレーターを下って改札口まで移動できます。また、約90m先の道路左側には後述の出入口3があります。後方には国際会館前交差点があり、フラワーロードに出られます。出入口2前より西方向を望む。後方に出入口2があります。前後方向には葺合南34号線が延びていて、地下に三宮・花時計前駅があります。右側には神戸国際会館があり、左側には三菱UFJ銀行神戸支店などが入居する井門三笠ビルがあります。正面にはフラワーロードとの国際会館前交差点があり、その先は地下を海岸線が通る三宮中央通りです。こちらは三宮ビル南館の敷地内に設置されている出入口3です。北西を望む。右手前~左奥に延びる葺合南34号線の北側歩道に面して設置されている階段のみの出入口です。右前方に三宮ビル南館があり、左前方には神戸国際会館があります。地下1階の踊り場で三宮ビル南館地下1階と接続する連絡通路が設置されていて、地上へ出ずに三宮・花時計前駅と三宮ビル南館の間を移動できます(但し、バリアフリー非対応)。また、上方には三宮ビル南館2階と神戸国際会館2階を結ぶデッキが延びています。出入口3前より西方向を望む。右手に出入口3と三宮ビル南館があります。前後方向には葺合南34号線が延びていて、前方にかけての地下に三宮・花時計前駅があります。右前方には神戸国際会館があります。約90m先の神戸国際会館前に出入口2があり、神戸国際会館内に出入口1があります。神戸国際会館のにはフラワーロードとの国際会館前交差点があり、その先は地下を海岸線が通る三宮中央通りです。出入口3前より東方向を望む。左後方に出入口3と三宮ビル南館があります。前後方向には葺合南34号線が延びていて、後方にかけての地下に三宮・花時計前駅があります。駅東側はオフィス街が広がっていて、商店や飲食店が混在しています。土休日は人通りが多くありません。さらに東へ離れるとマンションも見られるようになります。一方、神戸の中心市街地は海と山に挟まれていて土地が少ないため、三宮周辺において一戸建て住宅はまず見られません。すぐ前方をポートライナーの高架橋が横切っていて、地平部の道路は国道2号に指定されています(並行するフラワーロードは県道30号線です)。ポートライナー沿いに北へ約450m進むと三宮駅に、南へ約500m進むと貿易センター駅に到達します。三宮・花時計前駅からポートライナーの三宮駅へは「さんちか」またはフラワーロードの東側歩道経由の方が便利です。こちらは国際会館前交差点直下の地下1階にある出入口4です。東方向を望む。出入口4は旧居留地・大丸前駅とを結ぶ地下通路「元町地下連絡通路」との接続口で、元町地下連絡通路が後方に延びています。すぐ後方には地下通路同士の十字路があり、左へ進めば「さんちか」(各社局の三宮駅方面)、右へ進めば神戸市役所および東遊園地方面です。前方はスロープになっていて、地下中2階にあるコンコースに至ります。バリアフリー対応です。右奥には改札口があります。スロープの途中で右へ曲がると、フラワーロードの地下に設置されている三宮駐車場への連絡口へと至ります。地下中2階にある改札口です。南東を望む。三宮・花時計前駅の改札口はこの1ヶ所のみです。左に神戸国際会館連絡口(出入口1、EV出入口)が、左前方に出入口2、神戸国際会館連絡口、出入口3、三宮ビル南館連絡口が、後方に出入口4(元町地下連絡通路方面、「さんちか」方面、神戸市役所・東遊園地方面)と三宮駐車場連絡口があります。各社局の三宮駅方面へは、出入口1または出入口4から「さんちか」経由となります。交通系ICカード『PiTaPa』などに対応の自動改札機が3通路あります。窓口に面した左端が点字ブロック設置の幅広通路で、有人通路を兼ねています。改札口の左手前には自動券売機があり、改札内には自動精算機があります。いずれもICカードのチャージが可能です。トイレ・多機能トイレ(こうべ・だれでもトイレ)は改札内にあります(多機能トイレも男女別です)。そして改札階と地下3階(?)にあるホームとの間は階段2ヶ所・上りエスカレーター2基・下りエスカレーター1基、エレベーター1基で結ばれています。他の海岸線の駅ではあまり見られない下りエスカレーターが設置されていて、ターミナル駅の面目を保っています。しかし、利用は低迷しています…。写真後方には広場があり、中央には女性の銅像が、壁沿いにはミニコンビニ「ファミリーマート」とテナント2店舗があります。改札内に売店・コンビニはありません。飲料自動販売機は改札外が4番出入口方面・三宮駐車場連絡口前にあります。改札内は確認し忘れました。改札口前より北を望む。後方に改札口が、右手に出入口2と出入口3が、左手に出入口4があります。左前方が出入口1で、階段と上下方向エスカレーターにより神戸国際会館地下1階とを結んでいます。地下1階に出て左へ曲がると「さんちか」へ出られます。右前方には神戸国際会館地下2階へのエスカレーターがあります。神戸国際会館の地下1階と地下2階は商業施設「神戸国際会館 SOL」が入居しています。北側1番線の壁面に設置されている駅名標です。電照式ではありません。路線図と完全に一体になっています。海岸線は駅数が少ないため、このサイズに全駅が収まります。路線部分は海岸線のラインカラーであるブルーが使用されています。駅ナンバリングも併記されています (K 01)。三宮・花時計前駅が海岸線のトップナンバーです。また、ラインカラーの帯部分にも駅名標があり、帯の上部には駅ナンバリングが追加されています。ちなみに副駅名はありません。正式駅名の「花時計」が名ばかりになってしまいましたが…。三宮・花時計前駅は島式ホーム1面2線で、地下2階にあります。東北東~西南西方向にホームが延びています。右(北)が1番線、左(南)が2番線で、どちらも下り新長田方面です。時間帯によりホームが固定されているのか、交互発着なのか、詳細は不明です。ホーム有効長は4両分少々で、2019年5月現在、ホームドアは未設置です。ホーム幅は狭くないものの、階段部分は非常に狭くなっているため注意が必要です。写真は2番線より新長田方を望む。1番線より終端方を望む。ホーム上にはベンチと公衆電話が設置されています。ホームに設置されている発車標は液晶画面です。路線図が表示されていて、先発列車の走行位置が分かるようにしています。ちなみに地下鉄海岸線は鉄輪式リニアモーターミニ地下鉄を採用していて、車両が小さく、駅もコンパクトな構造になっています。レールの間にはリアクションプレートが設置されています。1番線より新長田方を望む。ホーム端には改札口とを結ぶ階段があります。また、ホームは2両分弱ほど延伸可能なように準備工事が施されています。まぁ、この部分が本設になることはないでしょうね…。その先には両渡り線があります。この先、市街地を通る三宮中央通りの地下を西南西へ走ります。上層には地下通路が並行していて、三宮中央通り駐車場(有料地下駐車場)も併設されています。そして緩やかに左へカーブすると旧居留地・大丸前駅へと至ります。上写真はホーム中央より、下写真は1番線より、いずれも終端方を望む。こちらも少しだけホーム延伸可能なスペースがあり、そこにはシャッターが下ろされた設備があります。横に扉があるため、非常階段でしょうか?また、1番線も2番線も少し先に車止めがあります。引上線は設置されておらず、当駅に到着した電車はホーム上で折り返していきます。尚、これより先、市街地南東部の臨港部を再開発した新市街地「HAT神戸」への延伸計画が存在しますが、具体化はされていないようです。もし延伸するとなると、並行する阪神電鉄が黙っていないでしょうし、神戸市にも延伸する体力があるかどうか疑問です。延伸したところで乗客が少なくて赤字続きの海岸線が改善されるとはとても思えません…。あとがき 私が三宮・花時計前駅で下車(乗車)したのは2001年、2009年、2019年の計3度と、少ないです。2001年は地下鉄海岸線の乗りつぶしのため、2009年は海岸線の写真撮影のため、そして2019年は兵庫県の全駅を訪問する目的の一環で下車しました(2019年7月全駅制覇)。駅自体は開業から20年経過してもまだまだ新しかったです。複数ある出入口のほかに、「さんちか」をはじめ周辺の地下道や市役所・ビルと地下で直結しています。駅前は三宮の市街地で、北側は繁華街になっており、三宮センター街も近いです。一方、駅南側には神戸市役所があり、官庁街・オフィス街になっています。旧居留地も近いです。東京からですと東海道・山陽新幹線で新神戸駅まで行き、神戸市営地下鉄西神・山手線の西神中央行きor名谷行きに乗り換えて三宮駅で下車。徒歩で地下街「さんちか」を南下すれば当駅に到達します。じゅうぶん日帰り訪問可能です。一方、大阪からですとJR神戸線or阪神本線or阪急神戸本線で三ノ宮駅・神戸三宮駅まで行き、地下街「さんちか」を南下すれば当駅に到達します。阪神駅が近く、阪急駅が遠いですが、阪急駅と「さんちか」の距離は案外近く、阪急からでも距離ロスは少ないです。余裕で日帰り訪問できます。食料・飲料について、コンビニは駅構内と駅前にあります。また、飲食店は駅前に多数ありますが、駅のすぐ近くには気軽に入れるチェーン店が少ないです。しかし、少し北の「さんちか」、三宮センター街、「さんプラザ」などには多くのチェーン店があります。事前に用意しなくても大丈夫です。東京からの到達難易度もさほど高くありません。神戸市営地下鉄海岸線を乗り鉄される際は、三宮・花時計前駅ですぐに乗り換えたりせず、ぜひ一度は駅を観察してみて下さい! (参考:神戸市交通局のHP、地理院地図、Google地図、Wikipedia)

    三宮・花時計前駅【兵庫県】(神戸市営地下鉄海岸線。2019年訪問)