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8月頃(亡くなる2か月前) この頃になるとちょこちょこと 胃に不調が出てきました。 今まで胃痛とか胸焼けとか無縁だった だんなさんだったのですが だんだんと胃もたれや 噴門部の痛みなどの 症状が出るようになってきました さらに、夏の暑さも
朝起きると、長女と長男に熱があった。妻も痛みを訴えて動けない。かかりつけ医に電話をするが、発熱外来は満杯だった。何件か掛けるも満杯だった。諦めて、家で休ませながら、職場に連絡する。妻の保険の関係を確認してもらっていたからだ。結局入院や手術にいくらが出るが、抗がん剤治療には出ないらしい。ただ、病院のサ
朝おばさんと一緒に病院へおばさんがマッサージして、喜ぶ愛ちゃん早々に帰るおばさんゆったり、アニメを見て過ごす。りょうくん手を掴む愛ちゃんりょうくんあいしてるゆっくり話す。何か変な気がして、妻の体調を確認する。いきがくるしいゆいちゃんとまさしをつれてきて母に電話して、子どもたちを呼ぶ落ち着かない愛ちゃ
胃を全摘するとなって、手術したらなかなかコース料理も食べれなくなると思い、親友と北新地にランチに出かけました🍴ずっと私の病気を最初から理解してくれていて、応援してくれてる友達。もう家族のように大事な友人。消化器外科の先生から言ってもらった、心強い言葉を友達にも話しました。友達も泣いて喜んでくれて、
保育園から帰ったあと、こどもの雛人形を出した。そして夕食を作って食事をとり、私の父に電話した。用件は、抗がん剤をやめたあとのことだった。自宅で療養できるように介護ベッドをいれる。ただ、スペースを取るので家の整理を手伝ってほしいと言った。父は、実家に帰ってこいと言った。父の提案は、私、妻、こどもたちで
今日は仕事終わりに妻の病院へ面会に行った。ナースステーションには、たまたま主治医の先生がいた。少し話をいいですか。先生と面談室へ先生が妻の腹水について説明する。昨日撮ったレントゲンには、小腸にガスが溜まっている様子が写っている。さらに、お腹の中がぼんやりとしている。これは全て腹水で、だいたい2リット
平和な夜だった。妻は、良く寝てくれた。胸のドキドキも、吐気も、めまいもなかった。尿カテーテルが合わなくて外したが、それだけだった。穏やかに朝を迎えた。妻の希望で、お母さんと妹さんに昼の付き添いをお願いした。お父さんは今日は休み私は、天気が良かったし、妻がしっかり寝てくれたおかげで少し休めたので、買い
夕方病院に行く。昼間に買っておいた冷製スープがお気に入りのようで、よく飲んでくれた。食事の後、今まで貯めていた妻と私のスマホ写真をパソコンで見ていた。若い頃の私達が写っていた。大学生の頃の写真デートの写真ディズニーの写真美味しいご飯を食べた時の写真新婚旅行の写真どの写真を見ても、自分の妻の可愛さに驚
私の親からの提案土曜の夜から、実家で子どもたちを預かる。ただ、うちの親の仕事があるので、預かったら、もう平日病院へ行くことはできない。延期はほぼ不可能始まれば、そのままそして、これは実家への移住も前提だった。つまり、明後日で子どもたちと離れ離れそれどころか、もとの保育園に帰る道も、ささやかな3人ぐら
妻の調子が戻らない。帰宅して妻の様子を見るが、吐き気が止まらないという。昨日、体調を崩して今日の朝は体調が良かったので、パン、味噌汁、小松菜のおひたし等を食べた。その後散歩に行った。すると、昼に一回吐いて、その後痛みと吐き気が続いているらしい。しかし、そんな妻が一人部屋で苦しんでいる時、ジイジとバア