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入院・闘病生活
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45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。 ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話
●4月23日、愛する奥さんの8回目の月命日を迎えました。この日は平日でしたが、仕事が早く終われたので、学童保育経由で納骨堂へ。冬の寒さは心寂しさを助長しますが、暖かい季節を迎え、ほんの少しだけ気持ちも穏やかです。●3月の月命日からすっかりブログの書き込みが空いてしまいました。その間にあった主なことを
さっき説明を受けていた部屋に入ると主治医は「先程は流してしまいすみませんでした。本人もいたので、、」と「先生、、はっきり聞きたいです。」そう私が伝えると主治医は険しい顔になり「はい。」と言った内容がもうほんと記憶が薄いというか聞きたいと言ったの私だけど聞きたくない話しかなくて頭の中パニックだったから
MRI結果で膠芽腫だと知らされた日はたぶん1番泣いたと思う。4/9(火)に脳腫瘍ですと紹介状もらい次の日朝イチ紹介先の病院に行ったら即入院しましょうってなりその時CTみた主治医に「うーん、、あんまりこういうのこの段階で言うのアレなんだけど、、うーん、、良性、か?いや、まだ全然わからないですけどうーん
4/16(火)夫は和田テストと呼ばれるいわゆるきき脳を確定させる検査を受けたブログ色々見てきたけどあんまりこの検査してる人いないような、、右利きの人の95%は左半球が優位なので夫もそうだろうなあと思ったけどまぁやっぱそうだった。もし右だったら結構攻めて腫瘍と取れるかもと言う話なんだろうけどそんなうま
今日は残されたもう一人の娘長女について少しだけお話ししようと思っています。 彼女のプライバシーに配慮しつつきょうだいを幼くあるいは若いうちに亡くされた立場の方その親の気持ちなど参考になれたらとあくまで一個人としての記録として残せたらなと思い書き記します。 4月に入って新学期を迎えクラス替えや新
このブログもいっそカテゴリ変えたほうがいいかな、、今日も記録と気持ちの吐き出し。今日会いに行ったら体調良さそうでたくさんおしゃべりした夫は「1%も心配してない」「俺は自信しかない。」って相変わらずで笑ったよね調子も良さそうでコンビニで買ったお団子も一本食べてたからほんとに大した事なくて夫だけは特別で
今日は新年度初のPTAの委員会があり今年引き受けてしまったことをちょっと後悔しながら雨の降るなか学校へ。ほんとなら去年一年間やったので在校中に一回やるノルマはもう達成してる。だからやらなくても良かったんだけど2月の最後集まりの時に人手が足りないと言うのでなら少しでも力になれたらと思って継続したんだよ