29APR.
登校拒否とその背景に怒り
復活早々若干重めの内容です。これは、私が関わることになった子の話です。登校拒否。この言葉を私たちはどう捉えるだろうか?学校に行かない又は行けない事情があり学校に行かない行為。事情はその当事者や家族その周りなどそれぞれだだ思う。どの事情も他人の私たちがあれこれ判断するにはなかなか難しい。だから私はこの言葉を聞くと学校という特殊な空間で多くの人と関わり体験する機会を失ってしまったとても大きなことだと認識してる。そしてこの登校拒否をしてる一人の子と関わった。彼の登校拒否の理由は自分自身でも友達でも家庭でもなく先生が理由。しかも担任。この子は小学生の低学年。ある日の学校で担任に授業中に追い出されたらしい。「教室から出ていけ」そう言われたそうだ。その言葉にひどく傷ついたこの子はそのまま教室から出ていき家に帰ったという。この子が何か悪いことをしたのか本当のところは知らない。一方の話だけでこれを見極めるのは難しい。しかし理由を聞かなくても悪いのは誰かはっきりしている。悪いのは先生だ。これだけは明確。先生も人間だという人もいるだろう。それなら私は言いたい。人間なら自分の言葉に傷ついている小さな子供を放っておくのか?自分の責任を放棄して小さな子供を追い出すか?大の大人が小学生相手に威嚇して威嚇された子供はわけもわからず傷ついて学校に行けてない。なのになんのフォローもない。謝罪も説明も連絡も一切なし。学校の授業中に先生が勝手な判断で生徒を追い出しこの生徒(低学年)は先生に言われた通りそのまま家に帰宅。いきなり帰ってきた我が子に保護者がびっくりして話を聞いていたところ数時間後にやっとこの生徒がいないことに気づき学校から連絡が入ったという。この日たまたま家にいたお母さん。もし学校側が生徒の所在を確認できないまましかも保護者が不在でこの子が道中に事故にあっていたらこの教師はどうするつもりだったのか?ことの重大さをわかっているのか?子供を預ける親としてこんなに無責任な先生であることに怒りさえ感じる。この子がどんな悪いことをしてもこの担任がどんな正しいことを言ってもそれらは全く重要ではない。生徒を預かる学校で先生が学校と保護者の同意なく勝手に保護されるべき生徒を学校から放り出したことに一番の問題がある。さらにこの教師の発言でこの子が学校に行けなくなったその事実においてなんの対策もフォローもしなかったこの担任の責任は重大だと私は思う。1 担任の勝手な判断で生徒を教室から追い出しその後フォローどころか放置して、更に生徒の行方さえ把握していなかったこと。2 指導とは言えない言動(出ていけ)で、生徒にその意図を理解させる努力なしに一方的に生徒を傷つけたこと。この2つだけでこの先生が悪いと断言できる。例えよっぽどのことがあったとしても先生としての義務を放棄していい理由にはならない。この先生は若い男性の先生のようで生徒は先生のいうことを聞くべきだと勝手に思っていたのだろう。だから何をしてもいいと思ったに違いない。そうでなければその後の行動の説明がつかない。この子は賢い。そして乱暴でもなく授業中騒ぐタイプでもない。ただ弁が立つ。だから、もしかしたらこの担任の話がおかしいと思って何かを発言したのかもしれない。お母さんの話から察するに。きっとそこに担任はムカついたのだろう。とは言えそんなことくらいで追い出すのは流石に幼稚だ。教師としての力がないからそういう方法をとったのだだろうけど。この件に関しては若く経験が浅かっただけでは済まされないだろうよと個人的にはすごく思ってる。もし、この子が言ってることが間違ってると思ったのならそのおかしな発言が間違っていることや自分の言ってることの正当性を噛み砕いて教えてやればいいだけのこと。一気に理解させれないなら時間かけて話せばいい。何度もその子と向き合えばいい。自分に経験がないのなら経験すればいい。経験もないのに一丁前に自分に立場だけは生徒に主張するという。情けない。自分が持ってる特殊な空間(学校)での立場を利用して力で押さえつけでも立場は主張するのに責任は全うしないのは全くもっておかしい。教え子が賢い子なら特にそういう、抑えつける方法で教えてはならない。ましてや自分が任されている教室という空間から子供を無責任に追い出すなどもってのほか。もし預けている時間に勝手に追い出してその間に事故にあったら私がその子の親なら100%この担任を訴える。学校は特殊な空間でありいつでも誰でも出入りできない。保護者でさえそうだ。つまり先生という限られた者のみがコントロールしている特殊な場所。だからこそ学校には預けられてる子供達に対して最低限の責任がある。特に明確なのは子供達の命や安全に対する責任。その責任を理解してない先生が学校にいるというだけで親としては不安しかない。どの先生も生徒が悪いことをすれば強く叱ることは当然ある。でも、それは指導の一環であるべきだ。指導ならその先に「生徒へ理解させる」というゴールがあって然るべきだ。ゴールがない叱責はただの威嚇、抑圧であると思う。そこに教育はない。威嚇や抑圧は指導から外れてる行為にすぎない。どんなに怒られても自分のことを思って怒ってくれる人とただ怒りをぶつける人の違いくらい子供はすぐ見抜く。この先生はこの子にその部分を見透かされたのだろう。この子は学校を追い出された日から不登校になっている。私はこの子と関わり学校の話もよくする。しかしこの担任の先生の悪口を一言も言わない。私はお母さんから聞いて事情を知ってるし本人もそのこと(私が知ってる)を知ってるが決して担任のことを口にしない。まだ子供だから思ってることや言いたいことがあるだろうに決して言わないのを見ると余計に深く傷ついてるのだろうと思えて胸が苦しくなる。先生のことを許したくて 待っていたのかもと思ったり。。。まあ結局一度もこの先生は来ないんだけどね。とにかく本人はこのことに対して口を閉ざしている。この子の私の印象は素直な子。友達も多いし他人ともよく話せる。物事を知りたいという欲求もきちんとあり話もよく理解できる。わからない時はちゃんと質問する。ちょっと大人びてるのは事実だけど悪い方向にではない。もちろん話してわからないような子ではない。指摘したとしても話せば、「あ、そうか!」と素直に捉える。超〜赤の他人の私がちょっと接した程度でこれだけわかるのに毎日会っていたこの担任はなんでわからないのか?なんでこの子を理解しようと努力しなかったのか?そもそも先生である前に人としてこんなに小さい子供が自分の言葉一つで傷ついて学校に来れていないことをなんとも思ってないというのが私には理解できない。私なら絶対に耐えられない。小さな子供の人生に学校にこれないという状況を自分が作り出してしまったことにとても罪悪感を感じてしまう。そして、そんな反省以上に何度もこの子の家に迎えにいったり少しでも話して理解し合う努力をするだろう。自分の面子より子供の人生の方が優先順位が上だからね。でもどれもこの教師はやっておらず平然と毎日学校で教えていてなかったかのように過ごしてるという。親御さんは教育委員会を交えて話したようだが学校側はこの先生の擁護ばかりという印象だったようで諦めてる。現に担任はそのままで謝罪もなし。きっとそれらしい理由をつけて子供が悪いことにしたのだろう。でも賢い人なら理由より現状と過去の経緯を重視すべきだ。先生は生徒のために存在しているのであって先生のために生徒が存在してるのではない。私立でない小学校の先生は公僕である公務員なのだ。私達の税金で子供達の教育を任せているだけのこと。なのに子供たちの将来より自分のプライドが大事なら教師など辞めてしまえと言いたい。学校も問題にしたくなかったんだろうけどそんなことより子供の将来だと思うのは私がおかしいのだろうか?いじめが問題になってる昨今だがこれはいじめ以上に悪質な問題だと思うのだけどね。先生という立場と権力を与えられた人がそれを乱用して子供の将来を踏み躙る行為はいじめとは比較できないほど悪質。ことの重大さがわかってないのか?子供同士のいじめなら相手も子供でまだ訳がわからないからと思えても分別のある大人しかも教師が原因で学校に行けないなんて親としてもやりきれないだろう。昭和の時代には「出ていけ」くらいは当たり前だったという方がいるかもしれない。でも昭和の時代でさえこの「出ていけ」に至るまで先生と生徒には築き上げた人間関係がありこの先生の出ていけの本当の意味はこういう意味だとわかっている関係で使われていた言葉だ。いわゆる愛の鞭的な。まあこれがいいかどうかは別にして言われた方に意味が通じていた状態で使われていたというのが大きな違い。この若い教師の行動は愛の鞭でもなんでもない。なぜならこの教師この時、前の学校からこの学校に着任したばかり。そして着任して1ヶ月ちょっとの5月の時点でこの問題起こしてる。つまり人間関係がほぼできてない状態でこの子に「教室から出ていけ」と言っているのだ。低学年の子どもにこれが意図する意味など理解できないだろう。まあ大人の私でも理解できないけどね。普通若い小学校の先生って情熱と愛情に溢れた先生ってイメージだったけどこんな人もいるのねえ。生徒をコントロールするのが教師だと思ってるんだろうね。そのために何を言っても何をしても良いと過大解釈したのだろう。つまりは自分の魅力で生徒を惹きつける自信がないんだろうけどそういうのがないからって子供に学校来れないほどダメージ与えるのって普通にダメでしょ?しかも、やらかした後フォローさえできないという。こういう先生こそ再教育しないといけないのでは?って思うけどね。まあ、とにかくやっと春。新学期になった。クラス替えの季節。クラスと担任が代わる今までになく私が待ち望んだ春。やっとあの担任が変わる時期になった。そして嬉しいことに数日前からこの不登校だった子は新しい担任になって生き生きとして学校に行ってる。大人に傷つけられた傷は深かったと思う。だから去年は平気そうな顔をしてたけど今ほど明るい顔ではなかった。きっと心の中に重たいものがあったのだろう。この子とひょんなことから関わって数ヶ月お母さんももちろん私も学校に行くことを強制せず見守ってきた。一度大人に傷付けられたこの子に大人は悪い人ばかりではないと思ってくれるようこの子に関わりながら向き合ってきた。まあ、私がいい大人認定されたかどうかは怪しいが(笑)変だけど危害を加えない人くらいには思ってもらえただろう。今回、この子が学校に行く決心をしてくれたことに私は凄く感動した。そしてこの子をとても誇りに思った。きっと勇気のいることだったと思う。誰でも決断できることではない。数日休んでも教室に入るだけで緊張するのが普通だ。なのに1年近くも行ってないのに教室に行くことがそんなに容易いことではないのは私でも安易に想像がつく。だから、この子は私が想像してる以上に頑張ったと思う。そんな勇気を出して頑張ったこの子にはこれから沢山の良いことが起こって欲しい。沢山いい人と出会ってたくさんの仲間と多くのことを学んでほしい。そして学校に行くことを先生から学ぶことを当たり前に経験して欲しい。。一度不登校になった気持ちがそんなに簡単に回復するとは思ってはいないがなるべく続けられるよう見守っていきたい。まだ元担任が学校にいるようで不安要素があるものの何かあったら必ず私かお母さんかに言うことを約束させてる。そしてこの子が何かに躓いた時に話を聞いてあげれる大人の一人に私はなりたいと思っている。
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