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18FEB.
後北条の夢の跡(つかの間の歴女になる) 0213
なんども言う。私は日本史は苦手である。世界史は好きだったけど、日本の歴史はどうも好きになれなかった。四文字の人名は読み方を覚えるのが難しくて苦手だ。デザインを美大で学びアパレル業界で活躍?していたわたしはそれでも困るようなことは無かった。そんなわたしが富士山麓に移住したとて、それがたまたま山梨県であったけど、武田信玄のことは何一つ知らなくてもネイチャーガイドとしては自分でもこの仕事は天性なのではないか?と思えた。そんなわたしの2026年2月13日のお話しです。思えば、8年前の2018年1月に愛鷹山の謎を追っていたわたしは『根方街道(22号線)』というアヤシサ満載の道を通っていたとき、『興国寺城跡』という看板を目にして友人も同じように気になって、調べてみて!と言われて『北条早雲』の城であるとわかり、北条を“キタジョウ”と読んでしまったという恥ずかしい歴史があるのです。『珠流河(スルガ)のクニの地霊 (22の数霊に導かれ)0128』昨日のお話の続きになります。地霊よりの招き(またまた、あの海へ)0128 何故だか今年4度目の千本松原で犬たち遊ばせたあとひたすら、家路に戻ります。沼津宿は東…ameblo.jpこの時もわたしは『中世にも城にも興味がない』と書いています。その後わたしはどうなったかというと、相変わらず『中世にも城にも興味がない』まんまであるし、北条政子と北条早雲がどんな関係にあるのかも実は知らなかったのでした。そのわずか2ヶ月後、こんな所に行く羽目になったのでした。『山中城』『ミツウロコの曲輪へ (西と東をつなぐ) 0312』はい、この日3月12日のお話のラストになります。この『国道1号線』は取りも直さず東海道をトレースしていてだから、箱根山という難関を通るのですがそこに存在したの…ameblo.jpここで初めてわたしは恥ずかしながら、北条氏と後北条の違いを知るのでした。2023年の11月には生まれて初めて小田原駅に降り立ちこんな銅像とご対面!初めてこの方のお名前を知ってから早、8年の時が経ち、なんとなんと、今日はこんな所へ!小田原城❗️なんなの?なんなの?中世と城には興味が無かったんじゃあないの?そうなんだけど…花見友達のチハールと寄のロウバイを見に行こうとしたんだけど、残念ながら見頃を逃してしまい、13日の金曜日では、小田原城公園の梅でも見に行こうか?という流れに昨日急遽決まったと言うわけ。2人とも生まれて初めての小田原城!後北条五代の夢の跡。小田原城の歴史-北条五代 | 小田原城【公式】odawaracastle.com遠くからでも目立つ松の大木には、アオサギがたくさん飛び交い、石垣やお堀に驚き、あ、再建された時の土壁の工程をわかりやすく解説した物も興味深い。そしてあまりにも立派な、イヌマキあり。難攻不落と言われたこの城の赤銅色の銅門をくぐり、いざ、天守閣へ!江戸時代の絵巻に迎えられ、天守閣の模型。鯱鉾(シャチホコ)はホンモノだ!後北条が滅びても、江戸時代が終わるまで城主は変われど小田原城は続いて行く。後北条氏は百年にわたりこの地を平和的に治めたのだと。その後徳川の時代となっても、この土地が街道の要となることから、重要視されて来た。戦国時代の勢力図。北条早雲から始まる五代。570年前には、三つ巴で拮抗しながらもつかの間の平和。しかし、武田が織田に滅ぼされさらに織田が亡くなり、豊臣秀吉の天下統一の夢の中で、小田原合戦が勃発!海から陸から秀吉軍に包囲されて、ついに降伏をし、北条早氏直は高野山に追放されその翌年に亡くなる。そうして戦国時代が終焉に向かう。強者どもの夢の跡…この鎧は江戸時代のものだそうで、一度も戦うことなく飾られていたのだろう。すなわち三百年に及ぶ平和の世の到来。江戸時代末期、幕末を迎えるまでこの城は存在していたそうで、小田原城の歴史 | 小田原城【公式】odawaracastle.com(こちらより)『小田原城は、明治3年(1870)に廃城となり、明治5年(1872)までに城内の多くの建物は解体されました。後に、小田原・足柄県庁・神奈川県支庁の所在地となり、さらに明治34年(1901)には、二の丸に御用邸が建てられました。しかし、大正12年(1923)9月の関東大震災により御用邸のほか石垣もほぼ全壊し、江戸時代の姿は失われてしまいました。その後、昭和9年(1934)に隅櫓が再建され、昭和35年(1960)5月には廃城以来90年ぶりに市民待望の天守閣が復興されました。続いて昭和46年(1971)3月に常盤木門、平成9年(1997)10月に銅門、平成21年(2009)3月には馬出門が完成しました。小田原城は、昭和13年(1938)8月に二の丸・三の丸の一部が、昭和34年(1959)5月に本丸と二の丸の残り全部が国の史跡に指定されています。』関東大震災で破壊された写真か展示されていた。そして昭和になって天守閣の跡に観覧車が‼️そうして、復元された今日の姿です。最後に天守閣に上がります。摩利支天像が天守閣を守っていたそうな。戦の神さま。イノシシに乗っている。天守閣からの眺め。西、箱根山。南、真鶴岬や伊豆半島。東、相模湾と三浦半島。北、丹沢山地。この素晴らしい土地の息吹きを浴びながら、城主は安寧を祈り眺めたのだろうか…時は流れ、令和の世となり、コスプレする外国人に河津桜も優しげ。わたしはなぜにこの日ここに訪れたのだろう。日本史は苦手だ、戦国時代は特に興味がないましてや城なんて、と呟きながら。分かってるわ。興国寺城から山中城からその道筋にてここに至るのは、キタジョウ・ハヤクモ(笑)がわたしをここに連れて来たんだ。そしてさらに戦国時代を終わらせた、というあのあの一夜城へ!この旅は続きます。

2月第2週のカレーは「やすけカレー」さん、オイスターバー参加メニューです

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