
20MAY.
解読コンペ
本日は、バリバリの文系にして理数サッパリのわたくし みつまめ、科学に挑むの巻でございます 今回は、アッシリア学の夜明け です。 古代文字解読といえば、1822年にジャン・フランソワ=シャンポリオンがヒエログリフで描かれたロゼッタ・ストーン判読に成功し、エジプト文明の謎を解き明かした功績が有名でしょう。 1850年代、古代文明メソポタミアで発見されていたバビロニア、アッシリアの楔形文字は、アイルランドの牧師エドワード・ヒンクス(1792~1866)やイングランドの軍人ヘンリー・ローリンソン(1810~1895)の研究で解読作業が進められていました。 しかし世間の門外漢の目は、厳しいというも蒙昧。学者たちは誰も読めない昔の文字であるのをいいことに、テキトー言ってるんじゃないか、と疑っていたのです。現在のSNSにも、専門家に対して悪意ある言いがかりををする人がいますよねぇ。 ローリンソンの友人である貴族フォックス・トールボット(1800~1877)は、イギリス/アイルランドの王立アジア協会に、未公開の楔形碑文を複数の研究者に解読させるコンペ開催を提案します。その結果を比較すれば、彼らの研究の進み具合が世間にわかりやすく伝わるはず、と。 1855年、ローリンソンは彼の主舞台であるベヒストゥン碑文から発掘されたタブレット(粘土板)をトールボットに貸与します。彼はその写しを作ると、ヒンクス、またフランスの考古学者ジュール・オッペール(1825~1905)に送り、解読を依頼したのです。楔形文字で書かれたタブレット(粘土板) ローリンソン、トールボット、ヒンクス、オッペールによる楔形文字解読競争。もちろんそれぞれ連絡を絶ち、その結果は厳重に密封されて王立アジア協会に送られました。 世間の好事家ばかりか、新聞ジャーナリズムまでが半信半疑、というか、どれだけバラバラな結果が出るものか楽しみにしていました。ほうれ、ぜんぜん違うじゃないかと嗤ってやるつもりで。 1857年、王立アジア協会特別委員会は結果を公表。4人すべてがタブレットを 「アッシリア王ティグラト・ピレセルの年代記」 と解読しており、細部の内容まで一致していたと声明しました。 古代文字の楔形文字は本当に解読成功していた、まことに厳正な学術であった― と新聞ジャーナリズムは手のひらを返して驚嘆し、広く世間に伝えたのです。‟アッシリア学の夜明け” として。 なお、ローリンソンはイラン西部のベヒストゥン磨崖碑にある碑文を全解読することに成功。 ヒンクスは、トルコにあるヴァン湖で発見されたウラルトゥ語碑文解読を達成しました。オッペールは古代都市バビロンの位置特定や出土の粘土板解読に功績を残しています。 トールボットだけは少々異なり、考古学より光化学に入れ込みました。チオ硫酸ナトリウムを塗った印画紙に光を当てると、黒白反転した陰画が映ることを発見。これは <カロタイプ> と命名され、写真技術に応用されることになったのです。 解読競争なるゲームのようなコンペに参加した4人は、人類の学術進展に大きく寄与した奇跡のような天才たちだったのでした。

Lady Sunshine 杏里 1983年

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