みんなが見ている注目記事

  1. 前回まで、都内の大学病院からの転院希望について、あれこれと書き記してきました。そして4月現在。ほぼ自分の希望通りとなり、耳鼻咽喉科については、日頃の診察・胸のレントゲン・PET・CT・MRI等、画像の撮影については地元の病院で。その画像に基づく診療方針の決定などは、変わらず都内の大学病院で、というように、診療を分担~連携していただく事で、ワタシ自身の負担がとても軽くなりました。例えば、画像を撮る為だけに1時間以上掛けて都内の病院へ通うような事が、本当に辛かったので💦耳鼻咽喉科以外にお世話になっているいくつかの診療科についても、随時、地元の病院へ移行していくつもりなのですが…前回も記したように、形成外科については地元の病院への移行が難しく、今まで通り都内の大学病院にてお世話になることになりました。今日はその件について、綴っておきます。先週の金曜。形成外科受診の為、都内の病院へ。新型コロナウイルスの影響で、病院の入り口では複数の職員が立ち並び、手指のアルコール消毒と検温を実施。入院の面会は基本的には禁止。ただし、着替え等の差し入れのみ基本15分以内、らしい。診察券を機械に通し、一階のロビーを横切ってエスカレーターに乗ったのだけれど、軽く違和感。何だか空いている!実は、先週もこの病院に受診の為に訪れているのだけれど、その際はいつもと変わらず混み合っていた筈。ここにきて、如実に新型コロナウイルスの影響が出てきたという事か。受診する形成外科のフロアーも、異常な程の空き具合。いつもなら予約時間から優に1時間は待つのだけれど、その日は20分程で名を呼ばれるに至った。ところで。これまで形成外科では、毎年5~8月に、全身麻酔による顔面再建手術を受けてきた。頬に筋肉を入れたり、神経を繋いだり、大腿の筋膜を移植したり…とまぁ、色々と顔面を手術して頂いているけれど、なかなか元の機能を取り戻すことは難しい。腫瘍を取り除くため、耳鼻咽喉科の執刀医曰く、もうこれ以上切除すると顔がなくなる~くらいのレベルで切除してあるらしいので、骨も筋肉も神経も、何にもない所からのスタート。致し方ない。因みに、昨年は5月に入院し、2度の手術。これでトータル4回の再建手術を行ったことになる。これが美容整形なら、かなりの美女になれただろうか??(笑)けれども、ワタシは完全なる顔面神経麻痺なので、左側頭部から~頬、顎、首の辺りまで触れても感触はない。→なので、左の鼻の穴からタラーンと鼻水が垂れても、自分では鏡を見るまで全くわからない。左目は瞬きもままならず、ドライアイ。視力が悪いのにコンタクトさえ装着不可。→この辺りは形成外科でもなんともならないらしい。ただ、頬を含め、口元の手術は何とかなる…ということで始めて頂いた手術。腫瘍除去の為に神経を切断。その為口も左下へダランと下がっていたのだけれど、何度かの手術で上に引き上げて頂いた。頬の筋肉も、脇~背から持ってきたものを移植。左右連動するように鼻の下を通して神経を繋いであるそうで、最近ではムニュっと動くようにはなってきた。で。現在の顔面はこんな感じ。↓そうなんです。最近また口が合わなくなってきたのです。ヨダレは垂れるわ、食事は飛び出るわ、噛み合わせは悪いわで、非常に不便。(毎年言っているような気がする💦)これ、去年の症状と全く同じ。筋肉の萎縮か神経の萎縮か不明だけれど、思いっきり左上に引っ張られてる感じ。前回の形成外科手術から来月で約1年。形成外科の担当医と相談の上、今年も例年通り?手術の方向で…と決定。ただ、新型コロナウイルスの影響で、現在、緊急性のない手術は不可との事なので、ひとまず次回の診察を2か月後にして頂いた。現在の状況が落ち着くまでは、形成外科の手術は難しいのだろう。という訳で、新型コロナウイルスの影響で手術の予定が立ちませんが、5回目の再建手術を行うことになりました。形成外科は、地元の病院に変えるのは暫くは難しいと思われます。

    今年も手術予定
  2. にしてくれたそのあ看護師さんたちが3人来て私を控室まで連れて行ってくれたどんなに娘は頑張ったかどんなにしっかりしていたか代わる代わる話してくれた娘を待っている間に先生方からこれまでの経緯の説明をされた正直言ってもう何度も聞いた話だただただ辛かったことを思い出すそして話の最後にちょっと言いにくそうに病理解剖の話が出た生前娘はもし死んだ時、自分の体が役に立つなら解剖でも献体でも何でもしてほしいと言っていたそのことを伝えると先生方が揃って「そこまでも考えてくれて…」と言葉を詰まらせていた娘は自分に対する治療方針も自分が死んでからのこともすべて考え、言葉にしてくれていたこの若さではなかなかないことらしい先生方は解剖の手続きをしに出ていき私は綺麗にしてもらった娘に会いにICUの病室へ唇が真っ青で顔色も悪いああもう起きないんだな悲しいなでも嫌がってた人工呼吸器が外れてホッとしてるかないろんな思いが涙とともに溢れてきた病理解剖することになったので一緒には帰れない解剖承諾の書類と入院費の請求を後から送るという書類にサインしたそのあと翌日の手順を看護師さんから聞いた12時くらいにお迎えに来てほしい普段来ていたお洋服を持ってきてほしい葬儀社の手配をして迎えに来てもらうようにしてほしい今までICUで使っていた荷物をまとめてくれていた大きな手提げ袋に4つとても電車に乗ってはいけないので帰りもタクシーを呼んだまだ実感がなかった一人で部屋にいてもまだ娘は病院にいる今までと何も変わりがなかった

    たくさん共感されています

  3. よそんな中2月末か入院中の主人の容態が 突然悪化したなんか喋り方が変なんちゃう?と思いながら、お見舞いから帰宅した 翌日・・・脳梗塞を起こし 絶飲食になってしまった主治医先生からも「いつどうなってもおかしくない状態です」と言われ主人の友人達にも連絡し お見舞いに来ていただいたがその翌日から、コロナ防御のため面会禁止になり家族のみの面会になってしまった静かな病室ゴボが 新調したスーツを着て来た「お父さん、見て! 俺 社会人やで」薄く目を開けた主人が ほんのり微笑み「馬子にも衣装やな」久々の長い文章に、みんなで 大泣き笑いしたゴボとお父さん大好きな YAZAWA や CAROL をかけたら足でリズムを取ったり呂律は回ってないが、サビの一部を歌ったりしたしかし面会禁止になって10日後の3月25日夕刻突然その時が来てしまった呼吸が苦しそうになりナースコールをするも 看護師は《痰》吸引するだけいや、違う、そんなんやない・・・痰とかやないんちゃうの? 怖くなった私は 子供たちに連絡を入れた《 なんか変! 嫌な予感する 早く来て!》そして もう一度ナースコールしたがあまりにも急で息子たちは 間に合わなかった私ひとりで 主人の最期を 看取った看護師も 誰も まだ来ない「誰か来てーーーー!!」待ってられず、叫んだ2人バタバタ走ってきてアラームが鳴るモニターと 主人を見て慌ただしくなるあんちゃんは 呼吸が止まった1分後到着したゴボは その5分後くらいに到着した手を握り 泣きながら 父のがんばりを労い「お父さん、よぉがんばったな。ありがとう」と言ったすると主人の左目から 涙がスーッと流れた他府県に暮らす ちぃ兄は1時間半後に到着したまだ 温かい父に 対面した

    コメントが盛り上がっています

    いっちゃんの元へ 〜前編〜
  4. 全く良くならず、違病院へ行くように紹介状をいただきました。(この頃には痛みが酷く眠る事すら困難でした)3月頭に紹介された病院での診察。「直ぐに病理検査を」と。結果は約2週間程…検査結果は早急に再検査させてほしいと。(何かおかしい?嫌な予感…)この時点で2017年3月中頃病理検査以外にもPET検査、CT、MRI等の検査も受ける事に。(ビックするほどお金が飛んで行きました🧚‍♀️笑)病院からは痛み止めの薬だけ処方され次の診察「2017年4月6日」で全ての結果を聞く事に。診察室に入ると いつもは居ない医師、看護師の方々が…一瞬で納得です。(あぁ…ダメか。)先生からは「100万人に1人の稀な病気です。でも、手術をして頑張って治しましょう!」「できれば参考として記録を付けたいと。」そんな感じの話をしてたような…全身の力が入らずフワフワしていました。耳鼻科の先生も一生で出会えるかどうかの珍しい病気の為、他の大きな病院の先生方とチームを組み手術を行う事に。手術日は2017年5月23日宣告され、お会計を済ますまで私は大泣きしていました。中卒だった私は夢を叶える為に高卒認定を受け、短大ですが、大学に受かり、これから夢を叶える時だ!!! と。胸いっぱいに世界が明るく見えていたんです。幸せで幸せででもね、ガラガラと堕ちてその日から手術の数日前までは酒浸りの生活を送っていました。意識を失うまで飲み、人を怨むばかりで誰とも連絡を取らずに。呑んで 泣いて 吐いて 呑んで…路上で飲み倒れ、警察にご迷惑もお掛けしてしまう始末(笑) 初めて載せたブログにも書きましたが、私は人に恵まれています。(笑)手術を受けられるように立ち直らせてくれる人カッコ悪い所を見せれないバレー部の教え子達からのプレゼント。教え子達の力は計り知れ無いものでした。一気にスイッチが入り、病気と向き合えたんです凄いパワーだ。無事に手術を終え、「全て無事に終わりましたよ!!成功です!」外耳道癌だと宣告され3年後の今日。2020年4月6日 「肺癌の手術は無理です。」(そっか…)明日は私の40歳の誕生日。30代ラストも一筋縄では終わらせてくれませんな忘れられない30代は極彩色だ✨✨✨闘病中の皆さん、私達は頑張ってる!!でも、正直辛い!!

    たくさん共感されています