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  1. 外科には結局15:30になっても呼ばれなかった。「14:00診察予約なんですが、まだですかね?」と15:30になって、1時間半待って聞いてみたら確認してくださって、あと3番目なので中待合どうぞーと言われました。15:30に中待合。なんかもう待ち疲れちゃったな。でもしっかり聞かないとだ。15:50 診察室呼ばれる。手、専門医は なんか 淡々とした先生だった。小児科の医師が丁寧な方だから、すごく淡々とした感じがした。比べても仕方ない。小児科の医師が特別な方なんだと思う。また、グーしてパーして。腕をひねってみて。あ。それもちょっと硬いかね。ふんふんなるほど。「ここに腫瘍があって、化学療法で縮小した、その時に周りの正常な筋肉も巻き込みながら小さくなったりして癒着が起きているということも大いにあると思う。それから更にそこに放射線をあてたことでの、拘縮ということもある。手が反らせないというだけで、困ることって殆どないと思うんだよねえ?跳び箱とか。まぁそれはやめておいたほうが無難でしょう。リハビリは、してもよくはならないので、とくに紹介しません。」「骨が成長で伸びるときに、筋肉の拘縮があるとどうなるか、ですか?筋肉の拘縮の方が強ければ骨が曲がってきてしまう場合もあるのでその場合は手術で、伸ばすってことも検討します。」ということを言われた。「手術の適応になるのは、寛解から5年、5年経っても、まだ11歳成長が止まってからにした方がいいと思うんだよね。まぁその前に日常に不都合がでるようなら、また相談しましょう」「で、まだなにかありますか?」と。最後は話を終わらせるように言われてしまい。「うーん、つまり拘縮は治らず、なにかできることもないってことですかね?」って言うと「そうですね。」と言われてしまい、受け止めきれず少し黙ってしまっていた。そこへ、本来の整形外科担当医も通りかかり「あぁちょうどよかった、どう?手の専門の先生の意見は?」と聞かれ「あぁ、やはり拘縮をよくする方法はないみたいです」と私は答える。「やはりそうか」と担当医。「あの、同じように筋肉の拘縮が起きた成長する前の子供が成長した場合にどんなことが起きた、とか事例はないんでしょうか?」と担当医に聞くと「手術して拘縮が起きた場合もあるけども手術の拘縮とはまた違うと思うんだよね前に放射線で拘縮が起きた子は、成長する前に別の場所の転移で亡くなったので成長後どうなったかとかはわからなかった、わかるまえに亡くなってしまったのでね」「ただねー、手術していたら、この程度の手の不自由さではなかったはずだから手術なしで、治療が終わったっていうこの件がすごく稀ですごくラッキーなことなんだよねそこに来て希少がんだから、過去の事例って言ってもなかなか。僕も初めは手術するつもりで日程も押さえていたし、小児科の先生からは、腫瘍が縮小しても手術はしてほしいって意見もかなりあったけどやらなかったわけだから、本当に手術なしで終わったってことが稀でね・・・」聴きたいことは、将来娘が困ることはないのかってことなんだけど事例が稀で特殊で、先がよくわからない感じだったな。今、日常、問題ないんだからそれでいいじゃない?とか。そんな感じ。先はよくわからないけどリハビリはしても意味がなくて、よくなる可能性はないそうです。少し引っかかってるのが、放射線を受ける前の説明で「筋肉の拘縮」って説明が全然されなかったなって今になって思うこと。骨にあたると骨が伸びない可能性があるとか言ってたけど筋肉が拘縮して指が伸びなくなるとは一言も言われてなかったのにな。6歳の右前腕に放射線をあてて、その後の経過の例がないからわからない・・・でもそれが現実で、受け入れるしかなく、でもまだ心が受け止められず。娘は、夕方になり、お腹すいた!と言っている。なんか食べて帰ろっか、なんかママも疲れたよ。会計終えて帰るころには夕方5時頃になっていた。下のレストランでハンバーグを食べたいって娘ちゃんが言うのでレストランに寄った。「腕の動きは治らない。成長後どうなるかは明確にはわからない。手術適応になるかもしれないし、ならないかもしれない。」今日わかったのはそんなこと。今日は腕の動きが治らないと決まった日です。ずっとモヤモヤしてたけど、リハビリ先の紹介も話もなくなった。そんな今日は娘ちゃんが自分でハンバーグを切って自分で全部食べた記念日です。美味しそうに食べた。よかった。外に出て18:00夕方東京は雨が降りました☔️

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    手外科「腕の拘縮は治りません」
  2. のブログは開設当初がんと闘う旦那の闘病記として始めましたが、昨年8月、旦那は52歳で人生の幕引きをし、現在はリアルタイムではなく、過去に遡って闘病記を書いています。昨日から酸素を送るようになり、鼻マスク、口マスク、袋付きのマスクと酸素が一番効率よく取り込めるようマスクを色々と変えてもらったり、酸素濃度もMAXまで上げてもらったり・・・色々としてきたけど、もう何をやっても落ち着いた呼吸をする事はできなくなってしまいました。荒い息遣いから肩で息をするように変わり、本当に苦しそうだった。それを見ていた私も旦那の息遣いに合わせての呼吸で見ている事が苦しいと感じていました。こんなに近くにいるのに、こんなに側にいるのに私が旦那にしてあげられる事はもう何もなくなってしまいました。今はただベッド横に座って、苦しそうな旦那の顔を見ながらその時がくるのを待っているだけ・・・。暫くは息も絶え絶えで頑張っていました。でも、その時は突然やってきました。ベッドの上に置いてあった酸素濃度を測る機器を私はなにげに見つめていました。すると、今まで70%を超えていた数値がみるみるうちに下がっていきます。それを見て(えっ!ちょっと待って!なんでこんなに急に下がりだすの・・・)そう思っていると、病室のドアが急に開けられ人が入ってきました。そしてこう言いました。「ご家族のみなさん、話しかけてあげてください。声は聞こえていますよ。」入って来たのは初めてお目にかかる病棟の看護師長さんでした。おそらく、ナースステーションに置かれ監視していたモニターが警告を鳴らしたのだと思います。それで看護師長さんが慌てた様子で病室まできて、見守っている私達家族に最後の時が訪れた事を知らせに来たのだと私は思いました。看護師長さんの言葉に義弟が義実家にいる義妹に電話をして「もう、ダメだから急いでこっちに戻ってきて。」それだけ言ってすぐ電話を切りました。看護師長さんから言われた言葉を聞いた瞬間、私の目から涙が溢れていました。「〇ちゃん、〇ちゃんよく頑張ったね。ありがとう。幸せだったよ。」泣きながらありったけの思いを言葉にしていました。私の横で娘も一生懸命「お父さん、お父さ~ん・・・」と泣きながら声を掛けていました。肩で大きく息をする事数回、口で大きく息を吸って・・・・・・そして吐き出した。動かない・・・動かない。焦った私は思わず「やだ~お願い、息して、息して」そう声を掛けると旦那にこの声が届いたのか、もう一度大きく肩と口で息を吸って・・・・・息を吐くのと同時に肩と顔がガクっと下がった・・・。そして、開いていた目はゆっくりと閉じ半開きのまま下を向いた。時間は11時20分。この瞬間、私達は旦那が亡くなった事を察知したのだと思う。私はずっと旦那の手を握りながら声をかけていました。亡くなったと感じた時、側にいた娘と初めて泣いた。私達の前では決して涙を見せる事のなかった娘。抱き合いながら2人でわんわん泣きました。溢れる涙をお互い拭う事はせず、ただ泣くだけ・・・。義弟も泣いていました。暫く泣き続け、旦那が亡くなった後も声を掛け続けていました。ここまでよく頑張った事、そして今までのありがとうの気持ち。亡くなっても少しは声が聞こえているという事を聞いた事があったので、少しでも私の気持ちが届いてくれたら・・・おそらくそんな気持ちだったと思います。笑って見送ろう・・・そう思っていたけどやっぱり最愛の人の死を目の当たりにして笑って見送るなんて事は不可能でした。死亡確認をするという事で主治医が病室にやってきました。この段階でまだ義妹と義母が病室に到着していなかったので、2人が着いてから死亡確認をすることになり、私と娘、義弟は悲しみの中、亡くなったばかりの旦那とゆっくりとした時間をすごしました。

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