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  1. んわ。最近良く某生保険会社の【ガン保険】のCMをテレビで見ます。今日だけで5~6回見ました。“2年に一回ガンと診断される毎に…”のCMです。私はもう、新たに生命保険保険には入れませんが、少し考えてみました…(生命保険会社の営業の方には、入れる保険が無い事はないです。提案できる商品はあります。と言われましたが…。大体想像できるので、内容は聞いてもいません)私がこの年齢で癌になって、一番に心配したのは【お金】でした。娘は3歳、息子は中学生に上がりこれからたくさん教育費も掛かります。これはあくまで私の場合で、全ての人に当てはまるとは思いませんが、私なりに癌になって気付いた保険の事を書いてみます。①癌を患っても“入院”する事は少ない。これは保険に入る時に聞いてはいましたが、本当にその通りでした。検査入院2日間と、初めての抗がん剤治療の10日間だけです。(高額医療制度もあります。個室にしなければ、何十万円も掛かる事はまず無いのでは?)それ以外は徹底して通院治療です。特に私はポートも入れましたので…なので【入院1日10,000円・通院0円】よりも【入院0円・通院10,000円】にしていたら良かったです(極端ですが)。私はステージ3のすい臓癌ですが入院なんてさせてくれません…そして私は遠く離れた千葉県まで行くので、本当にそう思います。もしもっと遠くの病院を紹介されていたら…と思うとゾッとします。この先も長ければ数年間、千葉へ通院する予定です。そして、何事もなく自宅での抗がん剤治療を続けられたら次に入院するのは恐らく手術の時だけです。②癌と診断されたら“払い込み終了”は必要これも私、失敗しました。3つ入っている保険の内、1つだけ払い込み終了となっていませんでした…数千円ですが、これからも払い続けます。ただ良く見ずに契約しただけですが笑③【収入保障保険】は必要これは入っていて良かった保険でした。“癌と診断されたら〇万円を〇年間”“死亡したら〇万円を、(生きていたらの年齢で)55歳まで”万が一自分が死んだら…家族の為に念の為、入っていた保険でした。今は本当に数千円でたくさん種類があります。④一時金も大事癌と診断されたら〇万円…の保険も大事だと思います。治療がどんなものか?分かるまで仕事を休む事もあるので…他に大事な事は多くあると思いますが、私はもっと考えて入っていたら良かったです…皆様の保険はどうですか??

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  2. 年初めての診察去年入院時に飲んでいた薬ナルサス痛みで起きる?が見られず寝れてると記録にありナルサスの量を増やしあとは 変わりない薬の処方で診察が終わろうとしていた先生?もう このまま治療は無し?年明けからジオトリフの服用が出来るはずだったのに主治医は何も触れなかったから私が切り出したあっ どうする?ジオトリフ 今日から出せるけど?なんとなく けんちゃんが前向きな姿勢では無いように思えたのを覚えている2日明けて飲むとかも出来るしどうする?20で毎日飲もうかなそう けんちゃんが応え20ミリのジオトリフを毎日の服用としたそれから地獄の始まりになるなんて思いもよらなかったここから3日、 4日おきの病院通いとなる1月14日けんちゃん自分で救急車を呼び運ばれる電話の向こうで救急車のサイレンの音が聞こえた慌てて 上司に連絡し自転車を飛ばして行った普通に会話が出来てたのに病院へ着いて1時間以上もけんちゃんと会えず娘にLINEをして状況を聞いたらその後下りて来てくれた不整脈判明この状態で意識が飛ぶ?はまず無いねんけどなぁさっぱり わからんわぁドクター?インターン?か知らないが放った言葉に腹が立ちお前 それでも医者かとボヤいた不安がるけんちゃん検査までの間傍に居てあげることになった私食事もこの頃には殆ど取れてない為それによる脱水症状と言われたけんちゃんは入院希望娘も 心拍数のモニターを見てこんな状態で帰れるわけないやろと言っていたがベッド満床のため帰されたそのため 翌日の診察予約1月15日 診察息苦しさで歩くのが怖いと言い出すけんちゃん主治医と待合室を歩く後ろをついて行ってる私の方が息切れした今 600メートル程歩いたけど酸素濃度もそんな心配する程では無いから大丈夫と言ってくれたでも けんちゃんには不安でしょうがなかったんだよねこの辺りから買い物へも行かなくなった?行けなくなった外へ出るのも怖くなっていたらしい1月18日けんちゃんに余命を言った私3ヶ月しかないねんで時間は無いよよく考えやぁ変わってくれることを信じて言ったのに…1月19日 また救急外来東京から帰って着てた娘が同行肺炎と言われた送られてきた写真見て私もダメと思ったそして娘にも言われたもう 元には戻らないよ 諦めこの日も けんちゃん入院したいと言ったらしいが主治医が入院するなら治療はしないと言ったと娘から聞いた〇〇ちゃんは治療したいみたいよでも 治療して辛いからとこう頻繁に救急で来るなら治療は止めて緩和治療にしたら?ってだから入院するなら治療はしないってベッドは空きがあったらしいがけんちゃん 入院せず帰って着た炎症を抑える薬と抗生剤を処方1月20日起きてくるなりまたもや病院へ行くと言い出すも一旦は止めたすると 嘔吐したけんちゃん初めての事だけに私も動揺してしまった娘が 前日に貰った薬の副作用を調べてくれた嘔吐が含まれていたので病院へ連れて行くことにした前日よりマシかなと思った主治医が救急外来に来てくれたどうしても入院したいなら転院治療しながらなら△△病院が可能かなと…究極の選択を迫られていたで けんちゃんと話をしたもう治療はいいわぁ無理やぁこれを言った時のけんちゃんの顔が忘れられないうん 無理やんなぁいいよジオトリフも?ジオトリフなら していこうかなそうなんやぁ吐き気止めの薬をプラスされて家へ帰ったその晩は けんちゃんとふたり明美が聞いたんか?〇〇ちゃんが言ったんか?明美が聞きに行った何時聞いたん?先月の19日そんな前から?けんちゃんが けんちゃんらしく?私が好きなけんちゃんに戻った最後の日かもしれないもう1回頑張るわぁババァより先に死んでたまるかもう泣くのは今日で終わりやそう言ったけんちゃんの胸の中で私もいっぱい泣いたにほんブログ村にほんブログ村

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    長くて短かった  年明けの診察から
  3. 時1分 7年1ヶ月闘病の末、千波は永眠いたしました。家族もこれ以上頑張れとは言えないほど最期まで頑張り続けました。このブログが同じように病と戦っている皆様の小さな光になればと続けてきただけにこのようなご報告をしなければならないことを無念に思います。葬儀では300人を越える方々にご参列いただき、改めて千波が全方位に注いでいた愛の深さと広さに驚かされました。ブログ記事も1年空いてしまいましたのでこの1年どう千波が戦ってきたかを記し、最後の投稿とさせていただきますので、長くなりますが宜しければお付き合いください。【2019年】元旦から吐き気が止まらなくなり新年早々入院からの幕開けとなりました。退院してからも入退院を繰り返しながら実家での生活がほとんどでした。オプジーボも期待していた効果は見られず、徐々に徐々にガンは進行して行きました。ただ、悪いことばかりではありません。体調の良いときは自宅へ戻って来て大好きな料理を作り穏やかな時間を過ごしました。キッチンに立つ度に「幸せ~幸せ~!こんな素敵なキッチンをありがとう!」と何度も繰り返していました。仕事から帰ると、「ただいま!」「おかえり!」当たり前のことが何でこんなに嬉しいのだろう…涙が溢れそうでした。自分は食べられないのに私が千波が作った料理を美味しそうに食べるのを嬉しそうに見ていました。夏には犬を連れて旅行にも行きました。そこでは何度も吐きながらジャンボ天丼を一人で食べきりました。二人で陶芸にも初挑戦をしました。しかし体力は低下していき、自宅へ帰れる頻度と日数が減っていき、12月に長期の入院をすることになりました。骨などに転移した痛みで寝ることも容易でなくなり、眠剤で無理やり眠るという日々が続きました。それでも望みを捨てず、クリスマス、年末年始は自宅で過ごし、年明けからまた治療をするということを決め、12月23日に退院をし、24日から3日間自宅で過ごしました。もう料理をする体力はありませんでしたのでピザを取り、七面鳥を買ってきて、プレゼント交換…普通のことを普通に出来る幸せを二人で噛み締めました。次は年末年始ね!と実家へ戻って行きましたが、一気に体力が落ち、自宅へ帰ってくることは叶いませんでした。【最後の入院】年明けに最後の望みを掛けた新たな治療(サイラムザ)をするため入院をしました。千波の描いた筋書きは、まず麻薬で痛みのコントロールをし、栄養点滴で少しでも体力を回復させてから治療を開始する…というものでした。しかし、いくら麻薬の量を増やしても痛みは取れず、医師からはモルヒネの投与を裏で勧められました。それはモルヒネを開始すれば意識が混濁し、もう会話すら出来なくなることを意味していました。なにも言わずに投与するか、本人に伝えてから投与するか、家族で話した結果、何もわからないまま逝くのはかわいそうだという事で、私は意を決し口を開きました。「千波、モルヒネ入れるぞ」そう伝えた瞬間、千波は虚ろだった目をカッと見開き、「わかった。じゃあこれが最後になるね。伝えておきたいことがあるから聞いて。」と葬儀の形式の希望や銀行口座の在処などを話しました。医師からはあと数日であることも伝えられ、私は夜中でも駆けつけられるよう晩酌を止め、毎晩枕元に携帯を置いて床に着きました。そして朝目覚めると病院からの死神の電話が鳴らなかったことに安堵しました。それから病院で仕事をしたり半休を取ったり毎日のように病院へ向かいました。意識はぼんやりしているものの昏睡までは至らず、モルヒネを入れる前より体調は良く、一緒に車椅子で病院内にあるコンビニで買い物をしたり、外の空気を吸ったりすることも出来ました。また奇跡を起こせるかも!千波も家族もそう思っていました。千波はまた前向きになり、モルヒネの量を減らしたり、眠剤を止めたり、体を動かしたりと明日を見て頑張り出していました。モルヒネを開始した日から病院に泊まり込んでいた千波の母も疲れきっていましたが、千波の驚異的な回復に笑顔がこぼれていました。2月2日(日)、あと数日と言われてから2週間が経っていました。「月火は来れないけど水曜日にまた来るね」という話をし、病室から自宅へ帰ろうとする際、いつもは「このままでごめんね」と寝たままで私を見送るところ、ベッドにしがみつきながら立ち上がり、メガネを掛け、私の顔をまじまじと見つめながら見送ってくれました。嬉しかった反面、嫌な予感がしました。私の顔を目に焼き付けているように見えたのです。【2月4日】17時40分、仕事中の私のもとにとうとう死神の電話が掛かって来ました。「意識レベルが低下していますので至急来て下さい。間に合わない可能性が高いので、いつでも電話に出れる状態にしておいて下さい。」急いで電車に飛び乗った途端に人身事故発生の車内アナウンス、別路線に乗り換えた途端に急病人発生で緊急停車…その間「電話鳴るな!鳴るな!」その事だけを考えていました。2時間半かかり20時過ぎに病室へ入ると、千波の母と兄が見守っていました。血圧は測定できないほど低下していましたが奇跡的に意識が戻っており、か細い声で「ごめんね…ありがとう」と私の顔を見ながら言いました。全員集まった方が良いとのことで父親にも連絡を入れました。安定しているため一度家に帰った兄も戻ってくることになりました。二人を待つ間、体はどんどん動かなくなっていきましたが、首だけ動かし目を見開き、母と私の顔を順番に何度も何度も見て、二人の顔をその目に焼き付けていました。兄が戻って来てしばらくした頃、千波が口を開きました。「お父さんまだ?」もう時間がないことを自覚していたのでしょう。ほどなくして父親も到着し、少しの会話をしながら家族団欒の時を過ごしました。その間、看護師が何度も様子を見に来るようになりました。そして、看護師が辛そうにしている千波を見て、鼻管から溜まった腸液を吸いだそうとすると、顔をしかめ、「もういいんです。やめてください。」と止めました。そして、「体が全然動かなくなっちゃった」と千波は言い、天井一点を見つめだし、荒かった呼吸が少しずつ穏やかになっていき、眠るように息を引き取りました。あまりに静かに逝ったため、呼吸が止まったことに全く気づかなかったくらいでした。45歳…早すぎる死でした。それでも最期まで前を向き、痛みに耐えながらモルヒネの量を減らしていた千波の執念が家族が集まるのを待ち、ギリギリまで話が出来たことに繋がったのだと思います。【最後に】千波にガンが発覚したとき、私は2つの覚悟をしました。千波の前で決して涙を流さないことと、いつか孤独死をするということです。その覚悟を知ってか知らずか、どんな辛いときも最期まで千波は私に笑顔を見せ続けてくれました。千波が亡くなる前日の昼間、仕事中の私のもとに少し電話したいとLINEが入り、「お母さんのことをくれぐれも宜しくね」「千波の家族は俺の家族なんだから当たり前だろ?」「それが聞きたかった。ありがとう。」これが最後の電話となりました。その日の夜、LINEが入りました。「相当疲れてるみたいだけど大丈夫?無理しないでね。」これが最後のLINEになりました。最後の最後まで回りの心配ばかりをしていました。後で面倒がないよう、いくつもあった銀行口座をいつの間にか1つにまとめていました。葬儀の連絡先に困りないようスマホのロックが解除してありました。実家には自宅に持って帰る消耗品を買い揃えてありました。冷凍庫には温めるだけのおつまみをたくさん用意してくれていました。家電の保証書、ペット関連の書類、保存書類は全てそれぞれ分かりやすくファイリングしてありました。こんな出来すぎの嫁を亡くし、私は前を向く自信がありません。ただ、モルヒネを入れる際に千波から家族へ一言ずつ声を掛けたあと、私へは何かないの?と聞くと、「んーないかなー。あなたの心配はなんもしてないの。あなたは大丈夫だから。」と言われました。その千波の信頼を裏切るわけにはいかないと、いつかは少しずつでも乗り越えていかなければと思っています。このブログの読者の中には、ガンで苦しんでいる方がたくさんいると聞いています。千波にガンが発覚してから、私の父を含め何人もの家族、親族、知人が亡くなりました。その都度千波は「命を繋いで頂いているから私が生き続けないと」と言っていました。どうぞ千波からの命のバトンを引き継ぎ、明日を生き抜いて頂きますよう宜しくお願い致します。皆様にお話したいことは尽きませんが、お通夜でもした皆様へのお願いをもってお仕舞いとさせていただきます。人は二度死ぬという言葉を聞いたことがあります。一度目はその身が滅びたとき。二度目はその人を知っている人がいなくなったときだそうです。我々夫婦は子供に恵まれませんでした。千波のことを知っている人はどんどん減っていきます。ですので、たまにで構いません。年に一度でも構いません。千波のことを思い出してやってください。思い出してくださる方がいる限り千波は生き続けています。お会いしたことがある方もない方も今まで千波とお付き合いくださり本当にありがとうございました。そして、これからも末永く千波を宜しくお願い致します。2020年2月 守屋博紀

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  4. 会で知り合った市外病院のOTさんで、そういう機器に詳しい方が居て、その人に教えてもらったそんな横の繋がりも、交流会のおかげやっぱり交流会は、積極的に出てったほうが絶対にいい話しそれちゃったおれは、iPhone使っている。OS13から、やっとマウスが使えるようになったから、ワンキーマウスも使えてほんと良かったでは、さっそくブツを全部まとめて撮ってもらったけど、ワンキーマウス本体は、左のボックスと写ってないけど、上から出てる黒いコードで、先端は、マイクロUSB。で、8,000円本体下から出てる黒いコードから先端のスイッチは、そこで一緒に別売りの簡易スイッチ。で、500円(結構簡単な力で押せる)と、ここまではワンキーマウス作ってるとこで買えるおれは、iPhoneだから、真ん中の白いやつ。ライトニングUSB3カメラケーブルが、必要で、こいつが別売りで4,500円くらいApple純正で、家電量販店にあるちなみに、マイクロUSBだから、最近のアンドロイドだったら、タイプーC 変換アダプタだけ、何百円のだけ買えば使えるiPhone。。ひとつひとつが高いこんな感じで使ってる使い方は、短いクリック(・)と、長押し(ー)の組み合わせだけ・・・・と、ワンクリックごとにカーソルが、右下左上って移動して、ーって長押しでカーソルストップして、止めた位置で長押しで決定(クリック)文字の上で止めて、ー・って押すと、フリック打ちも出来る文字打ちの、動画スクショ大分慣れてきて、ややこしいクリックも覚えてきた。横ドラック→ー・縦ドラック→ー・・長押し→ーー・ーーゆっくりドラックや、カーソルスピード変更にコピペ。。などちょっとしたゲームなら出来る!!残念ながら、ポケGOのボールは投げられないけどモンスター選んだり送ったりは出来るただ、毎回のスイッチの位置調整も足置いてるところによって微調整が大変そこで!!サンダルを改造して、足何処に置いても、サンダルをスポッと履けば使えるようになるんじゃね?ってやつを思いついた手が動けばなぁちゃちゃっと作っちゃうのになぁあ!!動けば、そもそもワンキーマウス自体いらないじゃんと、ツッコミながら時間がなさ過ぎて。。。あっちゃんにも頼めないし。。。ダメ元で、凄く器用な美容師仲間に聞いてみたら、来週木曜の夜ならって事でお願いした多分うまくいくと思うんだけどなぁでも。。。使えると言っても。。足の指も使い始めて2週間確実に進行してて。。どんどん動きが鈍くなって、疲れて休憩が増えてきた今の進み具合だと。。。持ってあと1カ月かなぁ視線入力のOriHimeは、早くて春先頃夏近いんじゃ?って気もする持てば良いなぁワンキーマウス、ピエゾでも使えるからなんとかなるか

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  5. から状態が悪くなり入院し、そのまま息を引き取りました。亡くなったあとに1週間ぶりにお風呂に入れてあげて、入浴剤も入れました。看護師さんと一緒に体を洗っていたら、険しかった顔がまるで笑ったようになりました。家に帰ってきて和室に寝かせたら、まるでいつものように寝ているみたいに見えます。いつものように今にも起きてきそうです。ただ、痛みや苦しみから解放されて、家族と家に帰ってこれたことをとても喜んでいるのだと思います。数日前のまだ意識がある時に、「もうすぐ3人で家に帰れるよ」って言ったら、笑ってうなづいたんです。きっと早く家に帰りたかったのだと思います。とても悲しいですが、今は妻が苦しみから解放されて家に帰ってこれてホッとしてもいます。このブログを読んでいただいていた皆様にはしばらくアップできずご心配をおかけしてすみませんでした。また、闘病中の方は、この記事を読んでも悲観せずに希望を持って治療を行って下さい。妻も私も、一生懸命頑張って治療を行ってまいりましたし、思いつく楽しいことや旅行など、残された時間でできることはほとんどやってきたので、後悔はありません。ただ、娘の成長を一緒に見守れなかったのが心残りです。妻との約束を守れるように、妻に怒られないように、しっかり前を向いて娘を育てていこうと思っています。このブログを読んでくれた皆様も最後まで悔いの無いように人生を楽しんでいただければ幸いです。皆さま生前は大変お世話になりました。ありがとう😊夫

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