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24JUN.
【W杯中】葛城 21号電探、射撃式装置
航空母艦葛城。アオシマの旧キット。1973年発売のプラモデル黎明期のレジェンド。プレミアがついてもおかしくない、と個人的には思うところではあるが、800円で連れ帰った。葛城の右舷。そして左舷いずれもハルレッドのラインまで貨物船シルエット迷彩が届いていないことを証明する1次資料。これらの写真が現存することで、キットの塗装指示が誤りであることが証明される。更に、これらのコントラストの違いから、同様に100%確実に外舷21号ではないことも判る。葛城の色について、俯瞰した判断から断定的に判る事を整理してみた。(いずれも根拠は過去記事)・葛城:米軍記録には、オーシャンブルーと明記・葛城:米軍記録には、ブルーカモフラージュと明記・白黒写真で判る通り100%確実に外舷21号ではないこと・戦後のカラー映像に黄ばみが無いことから緑系ではない可能性・雲龍型5番艦以降が、全艦青系迷彩の可能性・左右舷側の濃い部分の貨物船艦影が、ハルレッドのラインに届いていないこと葛城の色の裏話にはなるが、真偽はプライベートな話になるので勝手に判断して欲しい。所謂モビルスーツ・ザクの色についてである。私はガンプラ全然詳しくないが、職場に未だサンラズ元製作首脳陣がいらした時のこと。以前(数年前)にも1度だけ触れたことある葛城の色のことについて思い出した。最初のシリーズでザクの色であるが、これは多くの方ご承知の通り、外舷21号と22号の色を基にしている。帝國海軍ご存じない方は、帝國海軍の主な航空母艦の色だということをご理解いただければよい。マスターグレード(1/100)のガンプラで、最初に発売されたザクは、大戦中期の大日本帝國海軍外舷21号、22号の塗装指示であったそうなのだが、マスターグレードのザクVer2の塗装指示について、葛城の専用カラーを調色しなくともガンダムカラーで作ってくれるぞ、という趣旨があったとかなかったとか、そんな話をS元某監督が言っていた、と当時記事にしている。当時は未だ葛城の色が緑色系の色だと信じられていた時代。それでもプロの技術者集団がこれだけのコントラストの差になれば葛城と同じトーンになる、と判断して作った、と言われる色の話が思い出される。【これは旧キットHGのザク:MG2.0カラーで塗装している】ガンダムカラーMGザクv2.0用S氏はほにゃらら監督なるものを黎明期ガンダム3作品ほどやっておられた方。勿論偉い元スタッフは他にも数名いるがそちらのエピソードはまたの機会に。彼が職場にいた影響は、自分の模型製作にかなり影響を与えている(直接の切っ掛けは某NHKアナウンサーの妹を持つ後輩Mの影響)。彼は今北東北のご実家で、お母さまの介護をしながら、一線を退いているが、今でも非常勤としては教壇に残っている。壮絶で大変な生活を送っている。カトキハジメ氏という新人デザイナー君が、主役モビルスーツデザインに苦しんでいる時、大河原邦夫という大御所が、カトキの悩みの言葉だけを聴いて、 「君がデザインしたいのはこんな感じだろう」と提示したモビルスーツのデザインがあまりに秀逸で、それがガンイージとして採用されてしまった話を世に紹介したのは有名である。天才かよ。【大河原邦夫デザインのガンブラスター】新人カトキはこれで開眼して、主役メカ名機ヴィクトリー(ガンダムではありません(笑))をデザインすることになったそうだ。ver.Kaとかプラモデルで出ているが、Ver.Kaしかデザインは無い(笑)昔のアニメーションは、セル画という透明なプラ板みたいなものに色を載せて1枚ずつ動画コマの絵を描いていくそうなのだが、塗料の消耗も激しい。そんな時にイチイチ調色など馬鹿げた事はしないそうなのだ。だから既存の色から選んでいくことで製作コストを抑えていく。そういうことなのだそうだ。話ズレるがこんな裏話も聴いたことも記事にしている。御大の脳内思考を理解しない当時のスタッフは、Zガンダム放映開始時にサブタイトル 逆襲のシャアに翻弄され、シャアのパーソナルカラーの色を大量に発注したそうだ。どうせ大量消費することは想定済みだったのだ。しかし、既定路線にめっぽうアレルギーな御大は、シャアのパーソナルカラーを金色に変えてしまう。そう、百式のことだ。既定路線を嫌う御大に翻弄された現場スタッフは、黒いリックディアスや、暗い宇宙空間演出に対する馬鹿げたクレームに完全に萎えた。 ・画面が暗くて見づらい ・宇宙の色が黒くて見づらいのようなクレームについては、御大は大いに怒りに震えたそうだ。クレームを入れる人は自身の視聴環境のこともあるから気持ちが判らないでもない。しかし確かに黒く無い宇宙空間ってなんだ?は一般平均値の当然の反応だ。マイナーな意見に寄り添うことは必ずしも良いことではない。大河ドラマでも平清盛が始まった時画面が暗くて見辛いというクレームが殺到した。監督や演出家は、一つの映像作品として作る。しかしテレビ局は一つの娯楽の機会の提供として、金集めをする。スポンサーは日常商品を販売する都合上、クレームにはシビアに対応する。この製作側との大きな意識の乖離。こうなったら徹底的に抵抗してやる、としてZガンダムの途中から宇宙は、極端すぎるライトブルーで描かれるようになったそうだ。私も数年前にZガンダムを視聴したが、確かに中盤以降の宇宙は薄い青色になってリアリティが大きく後退した感じがした。黒いリックディアスは、有り余ったシャアの赤い色に塗り替えられていった。余ったら勿体ないからね。そんな大人の事情も聞いた。話は戻すが、そんな葛城の色にまつわるストーリーを、もう一度再構成してみた。次に飛行甲板上のどこに21号電探が格納されていたのか、ということを掘り下げてみよう。結論から言うと、ここだ。穴を開けてそこにぶっこむつもり。その他の工作としては、この矢印のボッチ部分(あ、ズレてる)。アオシマが当時ここに何かがあることを示した必至の努力。全体を見てこの旧キット葛城の部品精度の驚きのバチピタに敬意を表しているが、こういった細かい所にも努力の痕跡がしっかり残っていて涙ぐましい。素晴らしい。つまりこれが射撃指揮装置が置かれる場所だ。ディティールがボッチでは浮く。プラ材でスクラッチとも思ったが、大量にエッチングもあるので、射撃指揮装置はエッチングパーツを使ってしまった。そうすると、13号トラス電探も浮くので、ちょっと壊れていたエッチングパーツを流用して再生して使ってみた。何だかどんどんエッチングパーツに置き換えられていって、当初の予定が(笑)この巨大過ぎる完全エラーなスポンソン、28または30連装ロケットランチャーの射撃指揮装置も付けた。さぁ、あとは・・・他に何かあったっけ???アテブレーヴィ~!テーニャ ボンソーニョス~!では。お休みなさい😴💤Operations research艦橋部品の整形:・基部の部品前張り出し甲板の整形✔・電探室階のキャットウォークの再現✔・後部主檣旗流甲板の謎の張り出しを切除✔・羅針盤階の構造物より基部の幅を詰める✔・羅針盤艦橋の後部露天部分における分厚いブルワークを切除✔・醜い窓モールドを切除してエッチングパーツに取り換え✔・羅針盤階の構造物を、下階構造物よりも前方へ張り出す様加工✔・部品をカットして張り出し甲板に突き出る構造物を再現✔・2k信号灯基部と2k信号灯の取り付け✔・手すりはエッチングパーツ✔・30㎝赤外線探照灯基部の取り付け✔・アイランド基部の増補✔・葛城にしか見られない特殊形状な基部と対空13号レーダーの自作✔・22号水上レーダーの基部と本体の取り付け✔・メインマストのトラス構造の自作✔・メインマストへ対空13号レーダー取り付け✔・踏み台の自作取り付け✔・黒板の自作取り付け✔・方位感知器の取り付け✔・飛行甲板側の水密扉取り付け✔・25mm単装機銃の取り付け射撃指揮装置スポンソンと水面見張り所の作成:・甲板からの張り出し部分を拡張した上に載せる✔・スポンソンで支えるようになっているので自作✔・舷側キャットウォークの自作✔・ボートデッキの自作✔・一部のスポンソン支柱基部、支柱の自作✔・電子戦用赤外線通信機、二式哨信儀全受器の自作と取り付け・セットな二式哨信儀の発哨器はどこについていたのか確証が無い・80㎝探照灯の取り付け✔・25mm単装機銃の取り付け羅針盤艦橋階、及び露天艦橋階のブルワークの作成:・高さは均一化する為に、プラストライプを使用✔・問題は遮風板 >必殺プラ板切り出し合わせ技工作✔羅針盤艦橋構造物前面の水密扉、側面における水密扉:・エッチングパーツ使用✔船首形状の修正:・艦首機銃台座支柱の自作✔・射撃式装置台自作と射撃式装置の取り付け✔・菊花紋章取り付け版の自作✔・フェアリーダ大の自作✔・エッチング手摺の取り付け✔・合わせ目✔・底板の整形✔艦尾スターンデッキの形状修正:・フラット維持の支柱調整✔・艦尾上甲板と格納甲板延長部、飛行甲板の支柱自作✔・フェアリーダ大の自作✔・エッチング手摺の取り付け✔・内火艇の設置飛行甲板の修正:・艦尾着艦識別モールドの切除✔・飛行指示白線モールドの切除✔・木甲板モールドの切除✔・エレベータの差し込み✔・クラッシュバリケード部分の甲板拡張✔・墳進砲スポンソン前側の射撃式装置スポンソンの自作追加✔◎葛城で帰還した漢達の慟哭物語旧帝國陸軍第5師団は旧廣嶋で徴兵された兵士を中心に構成された部隊が数多く含まれる。特に、独立混成第38旅団は、昭和19年廣嶋市内(宇品)で編成され、南太平洋のブーゲンビル島や、ファウロ島などへ派遣され、この地域で終戦を迎えている。独混38旅団の陸軍兵たちは、帝國海軍第82、87警備隊などの生き残りと共に、第1陣として、航空母艦「葛城」で帰還することになる。(※厚生労働省、アジ歴公開資料より)待ちに待った本土への帰還。南方から帰還する第5師団の兵士たちは、自分たちを迎えに来た航空母艦「葛城」を見て泣いた。これで廣嶋に還ることができる。皆泣いた。エンジン音を轟かせ、近づいて来る巨大な葛城の艦影を見て、おーい、おーい!と心の中で手を振った者も多かったであろう。葛城を見て、ようやく還る実感が湧いてきた者も多かったはずだ。葛城に乗船する際、訳も説明されずにマスクが配布される。南方に送られてくる時にそんな配慮は無かった。決死の覚悟、生きて日本へ戻ることの無い覚悟をして南方へ来た。こうして日本へ、廣嶋へ還ることができることは表情には出さないものの、誰もが内心喜んだ。葛城は、現地を1946年1月26日に出港して内地を目指した。長い船旅ではあったが、故郷日本の山野が目に入ると、誰もが無口になった。葛城は広島県大竹市沖(宮島西沖)に辿り着き、彼らは輸送艇に乗って、日本の土を踏んだ。感慨深かった。ついに還って来ることができた。叶わぬ願いではあるが、あいつにも日本の土を踏ませてやりたかった。そう想うと泣けてきたが、嬉しさも同時の表現し難い感情が奥底からこみあげてくる。自然と無口になった。検疫を受けた。集合場所では、荷物がびしょ濡れになる程の消毒液を撒かれた。葛城を出る時は白い粉(DDT:発癌性物質)を全身に浴びせられたのに。俺たちは汚物なのだろうか。違和感があった。でも自由になった。これで家に還ることが出来る。父と母、妻やまだ見ぬ子どもたちと一刻も早く会いたい。事前に連絡することは出来なかったのだから、急な還りで驚くだろう。喜んでもらえるだろう。きっと驚くに違いない。どんな表情で出迎えてくれるだろう。どんな言葉を掛けたらいい?期待は膨らむ。しかし・・・廣嶋市内に近づくにつれ、受け入れがたい現実が目の中に否応なく飛び込んでくる。一面の真っ黒な焼け野原。廣嶋駅に降り立ち、自宅のあったところに徒歩で向かった。跡形もない自宅。自宅?ここが?残留放射能に怯えるまばらな人々。数日間探しても行方不明の両親・家族たち。折角踏んだ本土の土は、放射能に汚染され、家族は消え、住む家をもそこには無かった。もう涙も枯れて一滴も残っていない。私は明日から何をすればよいのだろうか。傷つけば 傷つくほど 優しくなれた (戦場で傷ついた身体や心があるから優しくなれた)貧しさは 大きな 力になり (敗戦により突き落とされた貧しさは、大きな成長のバネになった)意気地のなさは 勇気に変わる (戦場で突撃する時の意気地の無さは、勇気に変えることが出来た)ひねた瞳は 真実を欲しがる (戦場でひねてしまった瞳は、真実の自分を欲している)真実は とてつもなく 激しかった (戦争は、とてつもなく激しかった)愛せば 愛すほど 苦しくなる (愛する家族を想えば想うほど戦場では苦しかった)はかなさが 美しいから (はかなく散っていく仲間は、時に羨ましくも見えた)死にたくても また歩いた (自分も死に場所を探したくなったが、前を向いて歩き始めた)俺はいま 真夜中の湾岸を とばしているカーラジオ 消して 受話器を耳にかたむける進路は 東へとお前の 声を聞きながら走るとうとう昭和の歴史が 終わった悲しめば 悲しむほど 想いやれた (仲間の死は、想い遣ることの原点だ)悔しさは 大きな 力になり (敗戦の悔しさ、生き残った悔しさは、日本に巨大な力をもたらした)力はいつしか 詩になる (その力は奇跡の戦後復興と共に、詩になった)許せないのは 自分となる (許せないのは、生き残った自分だけになった)俺はいま 受話器を 静かに置いたあゝ吹きすさぶ 強く 冷たい風に抱かれたい夜明け前の 街が確かに 動き始めてるとうとう昭和の歴史が 終わった夜明け前の 街が確かに 動き始めてるとうとう昭和の歴史が 終わった長渕 剛 - 「昭和」

6.23赤城写真館.1

ドリフトナックルのお話②

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