
4SEP.
正伝護国禅寺の「獅子の児渡しの庭」
正伝寺方丈庭園正面全景(獅子の児渡しの庭)庭園は方丈(本堂)の東に面して造られ、方丈を移築した際に作庭されたものとされる。正伝寺座敷からの方丈庭園東の比叡山を借景として、三つの刈込みを石に見立て、石庭で有名な龍安寺の方丈庭園に対比させて、虎ならぬ「獅子の児渡しの庭とも呼ばれている。正伝寺座敷からの方丈庭園方丈は南禅寺塔頭の金地院から移築されたもので、もとは伏見城の御成殿の遺構だったと伝わっている。正伝寺方丈扁額方丈は、1653年(承応2)に南禅寺の塔頭金地院の小方丈を当山に移建し本堂としたもの。外観構成は、桁行13.8m、梁間10m、一重、屋根は入母屋造、こけら葺で方丈の形式をなしている。正伝寺鐘楼と方丈方丈の襖絵は、淡彩山水図で狩野山楽によるもので、中国杭州西湖の景色である。山楽襖絵-1:1605年(慶長10)頃、伏見城本丸御殿を修理した際、徳川家康の発注により画かれたものである。山楽襖絵(部分)-2本堂内は撮影禁止で、この襖絵は正伝寺公式サイトから拝借したものまた方丈の広縁の天井は、伏見城の廊下の遺構で血天井と呼ばれるもの。京都では東山の養源院や鷹ヶ峯の源光庵、大原の宝泉院など8寺院に残されている。血天井(残された将兵の手や足の血痕)伏見城遺構の血天井:関ヶ原の戦いの前哨戦といわれる伏見城の戦いで、徳川家康の重臣だった鳥居元忠ら1800人が籠城して死守したあと生き残った380余名が切腹して果てた。その際に床下には夥しい血痕が残された。戦後、家康がその忠臣たちの壮絶な死に様を後世に伝えるため、京都の寺院の天井に張り替えさせたとされる。初めて訪れた正伝寺は、余分なものが一切なく、静寂が保たれて禅寺らしい凛とした佇まいだった。正伝寺方丈庭園南門おまけこの正伝寺に魅せられたもう一人に、3年前になくなった谷村新司氏がいる。中学生の頃、京都好きの姉に教わったといい、一人で大阪から電車とバスを乗り継いで訪れた。「山門にたどりついたときの感激は今も覚えている」という。それ以来、高校、大学時代から10年ほど前まで、何度も訪れては思索していたそうだ。

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