
25MAY.
一生忘れることができないマレーシアでの出来事⑩離れても続いたおばちゃんとの関係・・
2001年5月・・マレーシアの州の中でも癖が強いクランタン州(保守的)に移住してすぐマレー系マレーシア人を優位とする保守的な州で、外国人のemiemiに旦那様の親戚以外で、とてもやさしくしてくれた屋台のおばちゃん・・・旦那様がクランタン州の州都コタバルの国立病院での研修医を終えるまでの2年間・・・屋台で朝ご飯を買うときは、かならずおばちゃんの屋台で朝ご飯を買った当時医者不足のマレーシア研修医が終了したあとは、最低2年間(~4年間)の僻地勤務(かなりの田舎)が義務だったため旦那様は、同じクランタン州のクランタン州のTanah Merah(タナメラ)という町にある国立病院に勤務することになった僻地勤務のあと・・どこの病院に行くのかは、わからないけれど・・旦那様のお母さま(義母様)が、当時は州都コタバルで仕事をしていて、アパートで独り暮らししていたため毎週ではないけれど週末はコタバルに行くことになっていたのでコタバルに来た時には必ずおばちゃんの屋台に顔をだすことを約束しクランタン州のTanah Merah(タナメラ)へと引越したemiemiそれから、いろいろなことがあったクランタン州のTanah Merah(タナメラ)での生活であったがクランタン州の田舎の人達は、かなり野蛮で、人の家にかってにあがりこみ、冷蔵庫の中のものをあさったり、ごみを人の家に投げ入れるなんて日常茶飯事の、いろんな事件があった結局、2002年~2006年の4年間をクランタン州のTanah Merah(タナメラ)という町ですごしたemiemiはこの間、2~3か月に1度はおばちゃんの屋台に顔をだした遠く離れていた、おばちゃんはいつも元気そうで、なんの心配もしていなかったそしてクランタン州のTanah Merah(タナメラ)に移ってしばらくしたころには、emiemiのマレーシア語も多少うまくなり、日常会話程度はできるようになりおばちゃんとはマレーシア語で話をするようにもなったそして、4年間の僻地勤務を終え・・旦那様が選んだ道はクランタン州の州都コタバルにある国立大学病院の講師だった2006年・・こうしてまた、州都コタバルにもどることになったemiemiは朝ご飯を買うとき(週に2,3回)はおばちゃんの屋台に通う生活がはじまったのでありましたご迷惑でなければよろしくお願いしますにほんブログ村

不法就労対策by入管庁

日本一時帰国・成田到着

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