
20MAY.
クラスメイト
…クラスメイト」といタイトルになっていました。まあ、そうなんですけどね。はい、この60年って、小学校卒業からの60年ですからね。中学とか、高校、ましてや大学じゃないですから〜一応、念のため。アメトピからいらしてくださった皆さまありがとうございます月曜日の朝は、サラリーマンも学校に行く子供たちも、なんとなく、ああ〜1週間が始まるというちょびっと憂鬱な気分になるものかもしれません。が、私は学校が休みの方がどんより気分になっていた子供時代でした。ハッキリ言って、家が嫌いでしたから、学校が逃げ場でもありました。小学校の時の通学はバスで40分ほどでしたが、渋谷始発のバスに友達が乗っているところに、私は大橋という渋谷から2つ目の停留所で乗って合流していました。その先の三宿、三軒茶屋から乗ってくる子などで、だんだんバスの中は小学生でいっぱいになり賑やかでした。学校の最寄りのバス停から、10分ほど住宅街を歩いて学校に到着ですが、その道中もしりとりしたり、おしゃべりして楽しかったのです。家で父に怒鳴られたり、母に無視されたり、父と母と妹の3人が同室で寝ていて、私だけが玄関脇の三畳間で寝ていることや、私だけテレビを見せてもらえないことや、漫画本どころか「若草物語」などの楽しい本も読ませてもらえない家の内情をカミングアウトすることもなく、ルンルンと学校に行っていました。いや、その頃は、どこの家もそういうものだと思っていたようで、お父さんという人は怒鳴るものだと勝手に認識していました。友達がテレビの話をしたり、漫画の話をすると、私には何が何やらわからないながらも、楽しく話を聞いていました。小学5年生の時の東京オリンピックだけは、私もテレビを見ることが許されたので、話が弾みました。学校は1学年3クラスでした。6年間クラス替えをしない特殊な学校でした。クラスはそれぞれに特徴があり、1組は音楽系のできる子が多く、3組は少し大人っぽいく大人しい人が多いクラスに思えました。そして、私の所属する2組は、噂ではIQの高い子を集めたクラスということでした。確かにテストの平均点は他の2クラスに比べて、いつもダントツでした。天才と呼ばれる女子がうちのクラスにいて、どこを切ってもキンタローじゃなくて、優秀という女子でした。彼女のおかげで平均点が高かったに違いありません。はい、その後余裕でT大に行き、衆議院議員秘書をされていました。それゆえか、昭和天皇の天覧授業はウチのクラスが選ばれ、天才少女が陛下の目の前の席でした。私はおこぼれに預かる形で、彼女の後ろの後ろだったため、テレビに映ってラッキーそんなこんなの思い出をたくさん共有していますし、高校で別々になっても、また大学で出会ったり、狭い東京の狭い範囲で暮らしてきた人が多いのと、子供の頃には、近所の学校に行く子達とは帰宅時間が違ったことで、遊び仲間ができず、学校で学校の友達と遊ぶしかなかったというのもあったかもしれません。という背景があり、今の仲良しに続くということなのです。

重宝している、お手軽たんぱく質。われ湯葉♡

㈱ヨガタイル

これがタイ人です。