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およ@仙台ラーメン
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202愛LOVEもりおか~徒然日記~
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19JAN.
【南相馬市】真野の冠嶺神社(さかみねじんじゃ)妙見が隠す山の民
さて、もうひとつの冠嶺神社も書いておきます。「真野」の冠嶺神社過去に書いたのをまとめています。※「過去記事」一応、説明・・・過去記事のまとめとは、gooブログにのせていたものです。gooは解約しているので、こちらにまとめて載せることにしています。『【南相馬】原町区の謎の冠嶺神社(さかみねじんじゃ)マヨイガの杜』あまり知られていない神社を紹介。過去にいった所ですが、かなり「真野」で妄想していた所です。神社の細かい詳細まで記していなかったので書いておきます。冠嶺は「さか…ameblo.jp前回の原町区の冠嶺神社から、紫姫さんが土蜘蛛との関連を考察してくれたこと。ここでも土蜘蛛のこと書いてました。最初間違えていった原町区の冠嶺神社(さかみね)に参拝した後、しばらくしてこちらの「真野」の冠嶺にいきました。冠嶺神社は南相馬に2社あり、由来より「佐藤氏」という名の人が、他の村から来て冠嶺神社を祀り、農家に住み初めて祠を修理し祀ったとあった。やはりこのあたり、佐藤姓の立派な石碑がいくつかあり、村の田園風景に癒されます。前回書きました原町区の冠嶺神社は、1800年代に郡官が調査しようとしたことを村の人が不審に思い、拒否したかでずっと調査できなかった話がある。しかし、相馬には二宮尊徳が農業復興策をした所なので、それから冠嶺神社を 復興させるよう命じられたそうです。こちらもニニギのことでは触れてましたが、神社の写真などのせていなかったので、書いておきます。こっちは、どうなんだろう?この神社も変な感じがあって。参拝しようと鳥居に向かい本殿へいくと、いきなりサイレンが響きわたったのです。防災放送からのサイレン。震災のことがあってね、その訓練用のだったんです。ぜんぜん、落ち着かなくて。帰りは鳥居をぬけていったら、サイレン音が終わったんです。・・・・。そのタイミングが意味深ですねぇ。「昔、調査にきた郡官を村人が不審に思った」の出来事を思い出す。それって私か。 不審者じゃないよ~地域のために大袈裟に考察してまーす。真野の冠嶺神社は、原町区と同じご祭神は、少彦名命。もうひとつ、天津彦火々出見命(ホオリ)=ホホデミを祀るのです。スクナヒコとホオリ?ホオリは豊玉姫と豊受大神が関係すると思います。伊勢神宮は、「御伴神三座」といい、本来は三神だそう。しかし、その三神の名前を表には出さないという。でたよ、「出さない」神。由緒によれば、(wikipedia)景行天皇の時代に日本武尊が東夷征伐の勅命を受けて奥州にやってきた。その時、地主神である猿田彦命より霊示があり、皇御孫尊(天津彦火邇邇芸命)を勧請して17日間祭祀を行った。陣を引いた山は四方を川に囲まれており、日本武尊は地の利を生かして夷賊を倒して無事平定を進めることができたという。※サルタヒコが降臨したという岩。(真野ダム近く)真野川が注ぐ海に「鹿島」があるのです。また、『奥相志』によれば、スクナヒコではなく、天津彦火邇邇芸命(ニニギ)。サルタヒコがいたからニニギにしている、と思います。他、・天津彦火々出見命・八龍大明神の三座 を祀るという。天津彦火邇邇芸命(ニニギ)・天津彦火々出見命の御神体はどちらも「騎馬の尊像」であるとされる。八龍なんですが、八龍大明神は、京都貴船神社に祀られているクラオカミ神と同一との事。これには、別説あり(後で)裏の鳥居-----------------------------------ところで、ここは飯舘村と南相馬の境で、山津見神社に近い。山積見神社の狼伝承は、裏山の虎捕山に墨虎という賊が住んでいて、源義家が源氏が白い狼に導かれて洞窟に隠れていた墨虎を発見し、征伐できたことで、白狼は源氏の守護神になっている。その墨虎は、真野生まれと伝わる。何の社か不明(なんとなく気になった場所。)この墨虎退治は、大江山の鬼退治の「酒呑童子」とほぼ同じ伝承。義家を導いた白い狼は、白い狐と同じなのかもしれない。鉄をうつ狐の話はよくある。大江山にも金鉱脈があり、金属にまつわる地名が多い。真野川源流の堂大神山は、石灰石を母体とする。ここで、土蜘蛛の繋がり。虎捕山の洞窟にひそむ民は、山岳民族だ。だいたい、洞窟で成敗されるのは土蜘蛛伝説が多い。※飯舘村の虎捕山(山津見神社の裏)ここに墨虎が隠れていたと伝わる。参考にさせていただきますと、陰陽師「玉手匣(たまてばこ)」岡野玲子著の漫画で、「大江山の主は鬼の姿になると身が五色の斑になるという。これが五元の神。」それって、五社壇と繋がり・・・そう。場所は、新地町(宮城に近い福島県)五社壇に「墨虎が」逃れた伝説。※五社壇鹿狼山峰にある五社壇には、墨虎が「琵琶を落とした」伝承があるのです。『安倍側の橘墨虎が五社壇の守り本尊である南部砂金で造った御神体を奉じて、大内佐野方面に逃れる際に愛用の琵琶を落とした。このところが『琵琶転がし』と呼ばれ現在に残っている。』橘氏!?この「琵琶を落とした」は、隠語らしく「亡くなった」ことを差すようです。が、もうひとつの隠語は「金」です。岩手県に琵琶神社があり、琵琶は、枇杷で金の隠語に使われる事があると。※細金地区・金鉱跡探検レポートより※びわ・・・砂金を山盛りにして遠くで見分けると、ほとんど同じに見える事から金の隠語となったという。まつろわぬ神・・・土蜘蛛・・・鬼と金。墨虎は安倍氏側にいた。五社壇は、前九年で源氏と安倍氏の対戦があった地で、安倍氏の守り本尊を五社祀ったことが由来する。安倍氏側についた誰かが亡くなった山で実際遺骨が発掘されたという。冠嶺神社のそばに真野川が流れているので、産鉄族と海民が交差する地だった。真野川とつく川名は、・石巻市北上川水系・相馬、南相馬、飯舘村の河川・新潟県佐渡の河川・滋賀県大津市の河川これらの地域に共通するのは古墳群や遺跡が多いとされる。神社裏手の小川:真野川ではないです。「酒呑童子」は、最も古い丹後風土記より(8世紀)、「日子坐王を丹波国へ遣わし玖賀耳之御笠を討った」とある。「耳」とは、南方系先住民族の人々のつけられた名の説があった。して、土蜘蛛説もある。「耳」を討った日子とは、彦坐王とされ、「和邇氏」を祖とする。そして、八大龍王については、冠嶺神社は、氏子の要望によりくさ野神社(浪江町のくさ野神社の分霊社である飯舘村の綿津見神社)から「八龍大明神」と呼ばれる闇淤加美神を相殿神として合祀した。そのため社号を八龍神祠とし、郡民から「八龍大明神」と呼ばれるようになったという。その綿津見神社は九曜紋。-------------------------------大倉へ向かうと真野ダムがある。現在は、真野ダムといって水に沈んだ土がある。このダムに村は沈んでないよね?さすがにそれはないだろうが、秩父にはダムに沈んだ集落、滝沢ダムがある。左の堂六神山がサルタヒコが降臨した岩があるところ。大穴鍾乳洞があり、その上あたりで禊を行っていたのか、真野川の名前はこの「真野の池」にちなむと伝わり、道陸神山(現在の堂六神山)という山に泉があったそうです。この泉は、「真名」のことでは?マナの泉。改めて読みかえすと、(明治)政府は土蜘蛛の鬼退治について、神々にその鬼である存在を含めるのは、いかがなものか、と。考えたのだろうか?それは、やっぱり、東北の卑弥呼では?朝廷は、女帝を隠すでしょう。鬼=卑弥呼。そこに関わった一族の崇拝を、妙見信仰でごまかしたのでは?相馬のやたら九曜紋には、違和感をもつ。秩父の場合、秩父妙見とは、諏訪信仰ですが。冠嶺神社には、伝説にある阿部氏らまつろわぬ民の聖域であったと思います。それがエミシの末裔となり、鹿島神が置かれている理由であり、ニニギの降臨地としている事。実は、稲荷も冠嶺なんだ!そもそもー、この稲荷神社も関係しているのであり、インリの稲荷は、炭鉱に由来するものですから古代製鉄民がいたのでは?「蛯沢稲荷神社」双葉・楢葉をいったりきたり、神様を動かしている。そこは原発の範囲。「石神」にあった場所で、冠嶺明神とよんだ。なんか、塩釜神社のシワヒコさんと似てるなぁ。この白い狐は、私には白い狼にみえてならない。山津見神社の源義家の伝説にある「白い狼」に導かれたのは、ここの稲荷と似ている気がしていた。被災した神社後にやってきた白い狐さん。蛯沢・蛯沢稲荷神社、午後4時25分: 被災地の神社・寺院の状況蛯沢・蛯沢稲荷神社、午後4時25分 「勅宣 正一位 縣社蛯澤稲荷神社」 search.appこちらの↑サイトをみて、モダンな狛犬とは思えない白狐にビビっときた。で、牛頭天王おりますよ。伊勢は、これか?近くにあった伊勢大御神ここも社務所は九曜紋だった。ヤマツミ・ワタツミは、関連するのですが、大綿津見神を祀っているのは、石巻の「牧山」の零羊崎神社。もうひとつ、牧山の方ではない、「真野」の零羊崎神社!こっち。だから、真野の零羊崎神社は「白鳥大明神」としている。真野の白鳥大明神=真野の長者=墨虎阿部氏。同じと思わない?・・・和邇氏は、小野氏と同族説あり、小野と真野も似ている。。。白い狼は、民族の総称と思う。白い餅が飛んでいく、白い鳥伝説も。オオナムチとスクナヒコは、セットで祀られることは多い。でも、ここには「オオナムチ(大国主の別称)」が見えなかった。穴に隠れていた者たちへの鎮魂。それは、白いモノを従えて。しかし、真野ダムに刻まれたのは、出陣していく妙見だった。冠嶺神社の妄想は、おしまい。<関連記事>『蛯沢稲荷神社とマナの乗り物』最後に立ちよった神社。すでに時間はお昼。餓鬼憑きがやってくる頃・・・。お腹がすいたので、道の駅でご当地パンを購入してました。生クリームとあんこ~♪「よつわり」…ameblo.jpそれと、関係するかわかりませんが、冠嶺神社が復興したのは、「二宮尊徳」の農業論から冠嶺を祀るよう命じたといった話で、二宮尊徳がでてきます。また、蛯沢稲荷神社にある冠嶺明神は、「原町区石神」にあったと。その石神にあったのは、二宮尊徳の墓と、「手長足長明神」でした。手長足長=土蜘蛛『【山人集論】相馬郡にいた「サンカ」のこと』濃ゆいね~~。もしかして、繋がっているのかなぁ。2015年11月に「サンカ」をテーマにしたブログを書いたことがあります。このブログをはじめて14年近くたちます…ameblo.jp
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