19SEP.
「復活」と「祈り」について(その①)
…たして作り上げられ物語なのでしょうか、それとも事実なのでしょうか。十字架を前にしたときの弟子たちは非常に卑怯な人間たちです。誰が一番偉いかと、最後の晩餐の席では論争しています。十字架の少しまでは、たとえ死ぬようなことがあってもついていきますと豪語しながら、いざとなると逃げてしまいます。弱虫で卑怯で俗っぽい人間たちでした。そんな彼らがしばらくたって、生命を懸けてキリストを伝える使者に代わっていきます。ほとんどの弟子たちが殉教していきます。この生き方の180度の転換、自らあたえ尽くしていく愛に徹したこの弟子たちの生き方への転換は、何か大きなきっかけ、それがあったから、弟子たちは変えられたんだ。変わることができたんだ。復活の出来事があったから、その卑怯で弱虫で、俗っぽい弟子たちの生き方、考え方が180度転換した。彼らの生き方の大転換を考えるときは、その背後に事実としての復活を認めざるを得ないだろう。(疑いのトマスについての話:松本牧師)イエス様が復活した日曜日の夕方、10人の弟子たちが集まっているところに(トマスは)一緒いなかった。それで、その後でトマスとまた会ったときに、この弟子たちは「おいトマス、お前もいればよかったのに。」 「俺たちイエス様にあったんだぜ」ということを伝えたわけですね。トマスは彼らに聞いたと思います「本当にイエス様だったのか」「本人確認したのか」それに対して弟子たちは「絶対イエス様だって。だって我々、その両手首に、釘のあと、そしてその脇腹に槍の跡を見たんだよ」って、言ったんでしょうねぇ。だからこそ、トマスは「私はその釘跡に指を入れ、その槍の跡に手を入れてみなければ信じない」という言い方をしたのだと思います。しかし、ここに再び、イエス・キリストが現れてくださった。そして、なんとおっしゃったか、「トマスなんで信じないんだ」と開口一番言ったか、そうではない、前回同様「平安があなたがたにあるように」という、この祝福の言葉をもって現れてくださったんですね。この箇所を読むと、復活のイエス様という方は私たちの目には見えなくても、私たちの会話を、すべて聞いておられる方だということが分かりますね。気を付けてください。イエス様は全部聞いてますね。トマスが「わたしはその傷口に指を入れ、手を入れてみないと信じない」といったあの言葉をイエス様はちゃんと聞いていたから、「さあ、そうしてみなさい」って、イエス様はおっしゃったんです。「じゃあそうします」ってトマス入れましたか、入れる必要はもうなかったんですね。トマスはどうしましたか。『トマスはイエスに答えた。私の主、私の神よ。』あなたは神様だから復活されたお方ですということを、彼は信じることができた。その彼の信仰告白がここに表されているわけですね。弟子たちは、嘘をつく者たちではない。彼らでさえ最初は信じられなかったんだけども、信じざるを得なくて信じた。そして彼らの証言がここに記されている。しかも彼らは、この証言をし続けたことによって、最後は殺されたんだ。殉教の死を遂げたんだ。彼らは命をかけてキリストの復活を証言したんだ。これを私たちは信じられるかどうかということです。ですから今日の箇所でトマスは疑ったんだけども、ある意味、私たちの代表として疑ってくれたということができると思います。そしてトマスもまた「キリストは復活しました」と証言したことによって、彼は殺されたんですね。彼もまた、この証言に命をかけました。経典『地球を包む愛』第2章「地球神エル・カンターレとは」p96イエスを天なる父として指導していたのはエル・カンターレキリスト教徒は、「イエスは神なのか、主なのか」、何だかわからなくなっています。しかし、『聖書』にはっきりと書いてあるように、「イエスには天なる父がいて、天なる父の言葉が聞こえて、ときには、天なる父がイエスと一緒に御業をおこして病気を治したり、人々に説法をするのに言葉を与えたりしていた」ということは明らかです。当会の現象を見ても明らかに分かるだろうと思います。イエスと天なる父は別のものです。そして「そのとき、天なる父として指導していたのは、エル・カンターレである」ということを、私のほうは述べているわけです。今のところ、キリスト教会やキリスト教徒から何ら批判は一回も来ていないので、いちおう認めてくれているのかもしれないし、無視されているのかもしれません。そのあたりはよく分かりません。経典『信仰の法』第6章「人類の選択」p301今、私はあなたがたに言う。キリスト教に言う「主なる神」ユダヤ教に言う「エローヒム」イスラム教に言う「アッラー」中国の孔子が言う「天帝」さらには、日本神道ではその姿も知られていないが、中心神である天御中主神の上にいる「天御祖神」という神、すべては同じ存在であり、一人なのです。主は、死と復活を予見されて準備されていた!?経典『真実を貫く』第3章『地獄の法』講義 p128少し遅くなりましたけれども、あけましておめでとうございます。おめでとうございますと言うには、今年はちょっと厳しい、言いにくい年になってはおりますけれども、生きてお会いできるだけでもありがたいもんだなと、お互い思っております。時代は厳しいですね。かなり厳しい。こんな本を、まさか新年から講義をすることになるとは私も思ってはいなかったんですが、できるだけでもありがたいことかなと思っております。ですから2050年ぐらいまでには決着はつくと思っております。ただ、そのためには、もうちょっとだけ、時間がかかりますので、私のほうもですね、家内のほうから、尻を叩かれながら、最低90歳現役で働け、できたら95歳まで働けと言われているので、まあ93歳ぐらいまで働けば2050年ぐらいが来るんじゃないかと思うんですが、あとは存在してるだけでもいいから100歳まで頑張れとか言われて、言われているので、もしかしたら90代の車椅子説法とかなってる可能性があるんですが、たってしゃべっても、座ってしゃべっても、大して変わりませんので、頭だけしっかりしておればいけますので、私が粘ってた方がいいんじゃないかなと思うので、できるだけ粘ります。だから職員の定年は一般社会と全然ちょっとぶっ飛んでて、普通で75歳、管理職なら80歳まで延ばして、管理職で、さらにまだ能力が80歳であって、元気な人は、まだ5歳延ばして85歳までは延ばす。私はこれ90歳までやるつもりで、もちろん延ばしておるわけでございますが、職員の給料は安うございますが、長く国の税金使わないで、長く教団で働いていただくという方針を取りましたので、これで2050年までにケリをつけてやる。というふうに思っておりますので、どうかご支援のほう、よろしくお願い申し上げます。許しがたい世の中であるので、やっぱりあと30年でも、40年でも、弾を打ち続けなければいけないと思ってますし、外国でも支部はできてますが、まだまだ弱おうございますので、もっともっと強くしていく必要はあると思っています。たとえ伝統宗教まで、新宗教を含めて、キリスト教、仏教、イスラム教、その他ですね、伝統宗教が滅びようとも、幸福の科学は、やはりまだまだ戦い続けると、そのつもりで、みなさんがたの強い応援をお願いしたいと思います。ありがとうございました。経典『小説「揺らぎ」について』p85毒蜘蛛云々の話がありましたが、これはもうすでに霊言等でも出ておりますので、現実に霊界には存在するものです。北朝鮮にも、地下というか、本当に地獄の底の洞窟の中に大きな毒蜘蛛がいます。これは初代の金日成ですね。毒蜘蛛がいる。そしてそれが二代目、三代目と指導している。その毒蜘蛛を、さらにもう一段、パラレル・ワールドの毒蜘蛛が指導している。「そういう二重構造になっているぞ」ということを今回明かしたのです。「パラレル・ワールドに、もっと、これをまだ指導しているやつがいるぞ」ということを言っている。「北朝鮮を特異点にすれば、地上の文明全部を吸い込んでしまって、別世界に変えてしまうことができるかもしれない。そういう、何か力が今 働いている」。それから、『聖書』を読めば、イエスが悪魔と戦うときに、「この手のものは、祈り以外にもうない」という言葉を言っているところもあります。「これはもう祈りしかない」と言っていますけれども、これは意外に、非常に重要なことでして、この小説で書かれていることは、「祈りの力は、現在ただいまの世界にも届くし、あるいは霊界にも届くし、霊界を貫いて併行宇宙やマルチバースにまで、祈りは届く可能性がある」ということです。そういうことを言っています。特に、集団で、みんなが、真剣に祈った場合は、届くことがあるのです。この祈りはさらに、未来にも通じるものがあるのです。みんなが未来に対して、強い祈りを共同して持てば、未来に対する強い光になるのです。「未来を変えることも可能だし、過去を変えることも、ある意味では、可能になることがあるのだ」ということですね。「過去をも変える力になるのだ」ということを、これは暗示的に説いています。みなさんは、まだ「祈りの力」について本当に解明ができていません。祈りの力こそ、本当は三次元的なものを超える力であり、肉体に宿る人間であるけれども、肉体人間が異次元存在であることを自分で自己認証したときが、祈りのときなのです。祈りに力があると確信できたときに、実は、肉体人間が三次元的なものを超える力を持つことができるのです。祈りは「過去・現在・未来」に届くわけです。人は「過去」を変えることさえ、実はできるのです。イエスなら、ゴルゴダの丘で十字架にかかって死んだだけなのかもしれないが、後世にキリスト教徒が二十何億人ともいわれるほど広がって、イエスを信じる人たちがそれだけいて、それだけの思いが集まったら、二千年前のイエスだって復活するでしょうよ。ということです。「そういうことが言えます」ということで、この祈りの力のところは、もうちょっと知ってほしいです。主は、いま、何をなされているかの考察〈火星〉夢リーディングーR・A・ゴールの霊言―(総裁先生)今日は2021年2月17日水曜日ですけども、3回目の夢で、明け方、最後に見た夢なんですが、火星に行ってました。火星に行っていたんですけども、火星が、私たちが想像しているような火星ではなくて、地球となんら遜色ないような文明がそこにあって、火星文明があるというのを見て、船で海の上を進んでいる夢をみました。「ええ、これが火星なのかな」と思って、ちょっと不思議だなと思っていたんですけど、これはちょっと不思議な気がしています。なぜそういうものを見たのか、まあ夢判断ですが、誰か、私にそういうものを見せたもの、あるいは関係があるもの、何かを伝えようとしたもの等がおりましたら、どうか教えてください。お願いします。(RAゴール様)もうそろそろ「宇宙の法」についていろんなことをもっともっと具体的に知っていただきたいなと思っているので、いくつかの星にご案内しなきゃいけないんじゃないかと言われてはいるので、それ、かなりの数があるので、そうとう地球での海外巡錫とは違って、宇宙巡錫はそうとう大変なんで、記録の取り方も難しいし、どういうふうなかたちでやるかっていうことの、いま、ちょっと練習に入ってまして、ちょっとこれ回数をやって、ある程度、もうちょっと正確に宇宙のいろんな情報を知ってもらいたいなと思っているので、今年、練習、まあ都合のいい時に見て、練習しようかなと思ってはいるんです。コスチュームというか、グレイではないんですけど、もうちょっと大きいんですけど、そういう人間用のコスチュームが、まだ使い慣れていないので、少し呼吸困難のようなものを感じたんではないかなと思うんで、それで急速に地球に引き上げることになったんですけどね。もうちょっと「宇宙の法」を深めなければいけなくなってますよ。いやあだいぶ、総合本部から、支部辺りになると、意識は、そうとう差がありますね。そうとう差があるので、厳しいかなぁとは思うけど、もしかしたら、これも秘密の法になってしまうかもしれないけど、でも遺すべきものは遺さないと無理はあるかなと思っています。今日は以上です。経典『エル・カンターレ人生の疑問・悩みにこたえる①人生をどう生きるか』P163 霊になったら、私は一万倍以上の力を持っている私も、今、人間をやっています。「人間をやっている」と言うと笑われますが、あの世へ還ったら、この一万倍以上の力を持っているので、今は本当に力が出せないで、もがいている状況に近いのです。 魂になったときの力は凄まじいですから、期待してください。 人間で「全知全能」とあまり言ったら反作用が大きいので言えないけれども、霊になったらそういうふうになります。私も全知全能になります。主は、どのように復活されるかの推察経典『ラ・ムーの本心』p143肉体は不自由だからね。だから、かっちりとした肉体を鎧のようにかぶって生きている人も多いけれども、一部はそうでない人もいてね。「肉体をもって生きていることもあるけど、肉体を持っていないときもある」みたいな、そういう“ファントム(幽霊)型、ファントム人類っていうかなぁ。ファントム型人間の場合は、地上に物質化して現れたときには、地上のものを食べることだって、飲むことだって、触ることだってできる。ただ、自分がそういう量子変換して、ファントム型になったときには、あの世の人と同じ状態になる。だから、「あの世の人間にもなり、この世にも出てこられる」という、神々の本質は、もともとはこうなんです。われわれは、その前の「天地創造」の話につながっている者であるので。(質問者)それは自分で量子変換できるのですか?自分の意志でできる?それが神ではないか。王として存在しなきゃいけないときは人間として存在しているが、王としての姿を隠して、何か「儀式」と称してお籠りをする場合は、そうなっているわね。 だから霊界にもいけば、他の宇宙空間にも表れて、他の星とかにも姿を現すことはできる。私たちには「生もなければ、死もない」のでね。我々はそういう生まれ方を必ずしもしないので。イエス・キリストの「処女降誕」みたいな話は眉唾にしか聞こえないだろうけどな。我々は大人のままで生まれることだってできるので。(ラ・ムー様もそうなのですか?)そうそうそう。それを「天使人類」というのであってね。ええ。経典『オフェアリス神の教えとは何か』p150誰か大事な人が死んだら呼んでください。「復活の力」は与えるし、君らも病気になって「まだもうちょっと、あと五年ぐらい働きたい」とか言うなら、いちおう読んでくれれば、まあ、心がけがよければ助けてやってもいいとは思うのでね。だからね、一回、やっぱりストレートに決めてね、魔法の時代なら魔法の時代にパシッと決めりゃあさあ、「なんでも起こしてやるわ」という感じがするよ。「魔法の時代でいく」というんだったらさ、やっぱり、「ネッシーを這い上がらせて、ロンドンまで歩いてこさせる」ぐらいのことはやらせますよ。(魔法の力が)効いてない、効いてない。この世の力の方が強くて、もう一割も効かないね。効かないんだよ。君らが信じているものの中に入っているものが、違うから。だから、「信仰心」とか言っているけど、信じているものの中に、この世限りで教わったものがいっぱいあるのでね。これを抜かないかぎりはいらないから。抜けないんだよ。【K・S守護霊の霊言】そんなに、ご心配なんですか?まあ、少なくとも、私のような門外漢からみてもですよ。最初の『太陽の法』で、「80歳まで50年間は法を説き続ける」と書いているでしょ。これは絶対に最低限なので、絶対行きます。何があろうとも。先生が万一、死ぬということがあったら、復活の儀式が行われるんだろうなと思っていればいい。過去から見る限り絶対そうだから。復活の儀式、世界救世主で、やるんだろうから。グローバル復活をやるかなんて、するでしょうね。いやそんなもんなんですよ。仙人界でもそんなことできるんで。救世主の世界は甘く見ちゃいけない。最悪、総裁が亡くなるようなことがあるというなら、世界標準での復活が行われることになるでしょうね。総裁が若返って、30代のヘルメスで帰ってきたりしたらどうしますか?もし、あれだったら、仙人界だって力を総結集してやります。全世界標準の『復活の祈り』の様子なぜ、主に復活していただきたいのか。御法話『愛を広げる力』私の持っている「法」から見れば、イエスの教えも仏陀の教えも小さなものです。もっと大きなものを実は持っています。ただ、この国が「この法が説かれるにふさわしい器であるかどうか」これが今、問われています。RAゴールの霊言『コロナ・ウイルス感染霊査』いま明かされているのは全体の30%ぐらいで、あと70%ぐらい明かされていない部分があるので、あと70%、エル・カンターレの法を明かすためには、もう少し、仕事を進めないといけないんです。 ほとんどは、この弟子たちの悟りがまだ低いことと関係があると思いますけれども、もう一段、宗教の本当の意味にたどり着かねばならないと思っています。「宗教の意味を探究したら、宇宙の神秘、宇宙の真理の核心にまで届くんだ」ということを知ることが大事だと思うんですね。エル・カンターレがそういう法を説きたがっているけれども、「それを受ける器がまだないんだ」ということですね。それを知ってください。御法話『仏陀再誕』今、わが名で呼ばれているところの、この魂を、見ることは、今後、地上においても、天上界においてもありえない。それをいっておこう。御法話『悟りの極致とは何か』この千載一遇のチャンスを、肉体に宿るという、こういうチャンスを生かさずして、この思想を肉声にて直接に、あなたがたに伝えることはできないからなのです。御法話『宗教の挑戦』講義あの世に還った場合には、私の話は直接には聞けませんから、これは言っておきますけども、直接教えているのは、如来界にいる人たちを直接私は教えているので、菩薩界に降りていく時には、お祭りの時しか行かないんです。普通はね。菩薩の方は、如来の方が教えることになっています。神界の方ですと、菩薩の方が教える。これがあの世のシステムですから。経典『地獄に堕ちた場合の心得』(渡部照宏の霊言)(質問者)総裁先生の御法話のときには、天上界から地獄界まで、いちおう声が伝わっているということですか。(渡部照宏)それはそうですよ。仏陀の説法というのは、そういうものですよ。だから、天上界の天使たち、天使、菩薩、神仏も聞いているけれども、地獄の底まで届いているの。声は。スピーカーみたいに、大勢の人を、衆生を救うために。この蜘蛛の糸、救いの糸がいっぱい下りているんですよ。「ここで何か悟れ」というこれを聞いて、(地獄でも)聞こえるんですよ。そうですよ。大事なんです。だからね、護らないといけないんですよ。あなた方。経典『信仰のすすめ』p176たとえば、私があの世に還ったとして、地上の人たちのなかに、とても強い信仰心で私の名を呼びつづける人がいたならば、その度合いによっては、私は地上に出てくるかもしれません。「忙しいけれども、あんなに言っているから行こう」と思うかもしれないのです。しかし、その呼びかけが中途半端なものであれば、「そのうちに問題は解決するだろうから、行かなくてもよいのではないか」と思って、地上に来ないかもしれません。そういう面はあります。いま、私たちの信仰心は、試され、日々ふるいにかけられている。経典『ノストラダムス22世紀への道を語る』p208「ミダス王の霊言」より幸福の科学における「信仰心の偽物」は、ちゃんと洗い出されると思いますよということですね。この5年間(2020年~2025年)がお試しの期間なので。人類を試してるんで今。残すべきかどうか。まあ、あと3年は続く。お試し期間が5年、あと3年は続くので。それで、その後どうするか決めるのは、もっと悪い状態が出る可能性は、もう、あるということ。半分以上ね。この間に、また戦争なんかも始めるかもしれないから。この3年の間に。まあ、この人類は保護に値するか否かを見ているので、まあ、「そういう期間はあと3年ぐらいだと思っていい」と思いますよ。2025年ぐらいですね。霊言説法「信仰薄き者たちへ」信仰は必ず試されるときがくる。一生のうちに、必ず試されることが来るであろう。そのときに、あなたが、それを、試されることになる。あなた自身が本当はどう思っているのか。「自分自身が思っている自分」と違う自分が、そのときに出てくるということなのだ。たとえ、一時期、信者の数が表面上減ったように見えても、半減し、三分の一になり、十分の一になるように見えたとしても、本物の信者が残って立ちはだからなければ、この宗教が世界宗教に広がっていくことはないだろうと思う。数だけですべてではないので、本物の信仰者が出ることが大事であるということなのだ。だから、この三次元の肉体修行の場で、玉石混交の場で、自らの信仰をふるいにかけられているということを忘れてはならないと思う。まあ、そんなことで、「御利益があったか、なかったか」だけで考えるならば、日本神道的な古い御利益信仰と何ら変わることはないであろう。大川隆法というのを、この地上に生きている人間だけだと思ったら間違いで、やはり「生き通しの生命としての神の一部である」という存在であるのだ。ここまでたどりついている人は、本当に本当に数少ないのではないかと思う。「人生は日々に信仰上のふるいにかけられている」と思わなければならない。 ネット社会であれば、本当に、個人がつくったものが世界中に広まることだってある。ただ「そういうもので、ぐらつかされるようなものであるのかどうか」ということは問われている。「真実とは何か」ということに対して、知識のレベルでそれを考え、あるいは情報のレベルで考えている人たちは、信仰にはたどりつくことができない。だから、ふるいにかけて、信仰ならざるものを取り分けていかなければいけない。 その人に会った”つまづき”が出てくるであろう。自分に逆風が吹いたら、裏切り、ののしり、悪口を言い、石つぶてを投げる。こういう人がいっぱいいる。そのどちらを選ぶかということを多くの人々も見ているし、天上界の人々も見ている。どう選ぶかによって、あなたがどういう人であるかが決まる。この世での行動・判断・決断・選択。これが、あなたが何者であるかを教えるということになるだろうと思う。今、「信仰心を持っている」と称する、あるいは「信者である」と称する者は、世界には何十億人というることにはなっているけれども、その信仰の中身が限りなく薄くなっていて、この世の実用性や利便性に勝てなくなっているところはあると思う。だからこそ、今、「危機の時代」がやってき、これから「試しの時代」がやってくる。「世も終わりか」と思うような事態も起きてくるであろう。そのときに、神の名を呼べるものは幸いである。神の名を呼べないで、この世的な、具体的な、唯物論的な、プラグマティック(実用的)なことばかりを考えている者は、最後には災いを呼ぶことになるであろうと思う。神を信じて、自分の命が使命を果たせる限り、この世で有用に使われることを願うのみである。私から見れば、信仰薄き者の、山である。信仰薄き者たちにいくら言っても、その信仰の薄さは分からないであろう。ただ、あなたがたには「試しのとき」が来るから、その「試しのとき」に信仰を持ち続けられるかどうか。どうか、それを、自分自身を客観的に見つめるといいと思う。神が考えておられるなら、もし神が、地上にいる人たちの信仰薄きがゆえに、この人たちに何らかの神罰を与えようとしておられるなら、甘んじて、その神罰も受けなくてはならないと思う。それでこそ『永遠の生命を持ちし者』であるということが言えるであろう。
神奈川⑤ジャスミン・湯乃蔵ガーデン・まる雅
40さん&ドラゴン先生 考察②
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