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  1. 元気の前借りも限界があります
  2. 令和8年7月20日(月)ウォーキング・読書・8月の担当日・DJのインスタ続きです令和8年7月20日(月)漫才とコントの賞レース番組を観て夜更かしになりましたそれともう一つ長男からのラインで友達と二人大磯ロングビーチでの様子がDJのインスタグラムに載っている連絡が入りラジオに出演したことが分かりましたと一つ前の記事に書きましたその後横浜のゆきさんからラジコで「息子さんのインタビューを聞いている」と教えてもらいわたしも聞けるかも?とあれこれやりましたラジコのアプリはTOUMAさん出演のラジオを聞くために入れているんですゆきさんに教えてもらったFMヨコハマまではたどり着けたのですが兵庫県からは有料と言うことが分かりました銀行員時代の先輩方のうちお一人埼玉県の方がいてその方からは「聞けたよ~~」と連絡が入りました「息子さん落ち着いて自然に4分もしゃべってたよ楽しんでいる様子がわかったよ」ってそこまで聞くとどうしても聞きたくて息子に「何とかならん?あんたが聞いて録音してわたしにラインするとか???」ってラインしたけどスルーされました💦まぁDJのインスタグラムは教えてくれてそこにめっちゃ楽しそうな様子の写真がたくさんアップされていたしそこに入っているコメントも読めたしそれでいいんだけど・・・・・・とそんなこんなで眠りそびれてしまいたぶん眠ったのは日付の変わるころでした今日令和8年7月21日(火)午前5時暑くなってから閉じこもりきりが多く身体がなまっているのが気になっているのでMRS’5に出席しない朝はウォーキングをしようと思っています今朝は寝坊したので焦りましたがちょっとだけ歩こうと思い家を出ました午前5時14分やっぱりちょっと出足が遅すぎました太陽がギラギラしてきました午前5時33分このごろの鳩は人を怖がらないですね午前5時51分太陽ギラギラ昨日すれ違った女性とまたすれ違い立ち話をしました犬のお散歩なのにファショナブルで洗練されている感じがする素敵な女性でした83歳でいまだにお洋服のリフォームのお仕事を続けているとのこと以前は店を構えていたけどいまは百貨店からの依頼と個人的な依頼の仕事だけを受けているとかわたしはSと重なりましたSの話もしたかったけど立ち話が長くなるのでやめておきましたあと昨日も今日もくすのお散歩仲間と会いました今日はおやつを与えさせてもらいました午前6時6分帰り着きました50分余りになってしまいました全身汗びっしょりです着替えて全身を拭いていつものルーティンをしながら身体を冷やしてからでないと朝ご飯の支度が出来そうにありませんその旨主人に伝えました「あぁ焦らなくていいよウォーキング気持ち良いんやろ??」って主人のいいとこ探しの実践今日で1か月と1日目の継続です「ウォーキングからの帰宅が遅くても責められなかった」と書きました以前の主人からは考えられない反応です午前7時4分午前9時45分JAへ買い出しに出ます買物が終わってから二人でソフトクリームを食べました午前10時51分「旅行をしている気分だねぇいろんなところに旅行に行ったよねいまは出るって言えば買物だけだね」なんて話をしました午前11時3分午前11時半午前11時55分え~~~~~っまたかまちゃんから郵便が届いていますまたしてもわたしが読みたかった本です図書館に予約しているけど待ち人数が数百人です珈琲も娘さんがまだ未読だからいずれお返ししたいと思っていますが今までも未読の本やお母さまの本を頂いています(ゆるゆるさんから頂いた本も並んでいます)かまちゃんと娘さんから頂いたお手紙を挟んで大切に置いていますとてもうれしい郵便でしたところで話が変わりますが郵便の中に不動産屋さんからのご丁寧なお手紙がありましたこれで2通目ですあと一件お電話を頂きました2月に母が亡くなり6月に不動産相続が完了して7月に入ってから売却のことでの連絡が次々です現住所ではなくて不動産の住所が書かれているので首をかしげていたのですが法務局が公開しているそうですなーんだそうなのか父と妹と母の相続の手続きをしてきましたがそれに比べたら売却は簡単そうだなという印象です毎月マンションの管理費や積立金や公共料金の基本料金あと固定資産税を考えるとこれから先どうしたらいいのか??悩むところですとりあえずは一周忌に娘たちと福岡で集まるかもしれないのとお墓のことをなんとかしてからでないとマンションは売れないなというのが今のところの気持ちですお墓参りのたびにホテルを取るのもなぁ・・・と思うんです三つの記事にお付き合いをありがとうございました追記radikoを聞けた友達が音声を送ってくれました聞けてうれしいです『「ダブルインパクト2026」』令和8年7月20日(月)アサヒビール スマドリ ダブルインパクト2026 漫才&コント二刀流No.1決定戦|日本テレビ2026年ー54本ヤフーブログからの移…ameblo.jp『「GTO(月曜日・午後10時)」』2026年ー55本ヤフーブログからの移行1475本アメーバブログ972本合計2447本週一連続ドラマの視聴はこれ以上増やしたくないと思っていたんですが↑この新…ameblo.jp2位8位

    令和8年7月20日(月)21日(火)ラジコ・ウォーキング・JA・かまちゃんから・不動産売買・2位
  3. 娘一家の襲撃~初日・後半戦~
  4. 先月はボーナス月でしたので、563Aカバコなど、幾つかの銘柄へ新たに投資しました。ナスプラ、ゴルプラの投資信託2本は購入当初こそ善戦していましたが、ゴールド低迷の影響でパッとしませんので、どこかのタイミングで売り払って、ETFか株への投資に切り替えようと思っています。ただ、MUなど、私が売った後に爆伸びする銘柄を見るにつけ、売り時の難しさに悩みます新規投資したETFの中には、未上場のアンソロピック株に投資するものもあり、NVIDIA並に上昇してくれますようにと祈るばかりです。※赤字は前回記事からのupdateです。※特定の株式、ETFなどの購入を推奨する記事ではありません。投資は自己判断でお願いします※配当重視の部【原則として、買ったら売らずに持ち続ける銘柄】452Aカバコ🦛【1,500】563Aカバコ🦛【1,100】※新規投資1605 INPEX 【400】1928 積水ハウス【100】2002 日清製粉【500】2019 GX優先証券隔月【300】※NISA枠で200追加2253 GXUSスーパーDETF【527】※NISA枠で200追加2281 プリマハム【200】2282 日本ハム【100】2602 日清オイリオ【300】2865 GXNDXカバコ🦛【2,700】2914 JT 【300】3003 ヒューリック【200】※NISA枠で新規投資。株主優待権獲得まで、下がったタイミングであと100株購入予定3231 野村不動産【100】※下がっていたタイミングで購入3407 旭化成【100】3861 王子ホールディングス【100】4008 住友精化【500】4042 東ソー【300】4063 信越化学 【200】4568 第一三共【100】4578 大塚ホールディングス 【100】4996 クミアイ化学【200】5020 ENEOS 【200】5976 高周波熱錬【100】7164 全国保証【200】7267 ホンダ【300】7272 ヤマハ発動機【300】8001 伊藤忠商事【400】8028 三菱商事【400】8252 丸井グループ【100】8306三菱UFJ【1,300】8593 三菱HCキャピタル【1,000】8697 日本取引所グループ【100】8729 MS&AD 【400】8750 第一ライフグループ【100】8766 東京海上 【500】8793 NECキャピタルソリューション【100】8961 森トラストリート【1】9432 NTT 【8,109】9433 KDDI 【200】9513 電源開発 【200】9757 船井総研HD【100】KO【20】BTI【100】JEPQ【50】PBR【150】値上がり益期待の部4108A【300】※NISA枠で新規投資7011三菱重工業【100】※再投資AGIX【10】※新規投資NVDA【39】Tracers S&P500ゴールドプラスTracers NASDAQ100ゴールドプラス株主優待が目的の部2222 寿スピリッツ【100】2269 明治HD【200】2503 キリンHD【100】2801 キッコーマン【100】2897 日清食品【300】4661 オリエンタルランド【100】4912 ライオン【100】8267 イオン【300】9828 元気寿司【200】25935 伊藤園第1種優先株式【100】その他持株会終身年金(教育資金として一括払で加入)会社制度としての確定拠出年金(毎月積立)10年国債旧NISA→積み立ては2023.12を以て終了。非課税メリットを享受しながら放置中新NISA つみたて投資枠eMAXIS Slim全世界株式(オール・カントリー)で10万円/月を積立中税引前配当額は、2,064,088円。基本生活費を全て不労所得で賄えるようになると、老後の心配も無くなり最高なんだけどなぁ・・・と妄想しています

    563Aカバコへ新規投資など
  5. 前回のブログでは、弱音をはき、ご心配おかけしました退院してから、徐々に副作用が抜けて、ご飯も食べられるようになり、元気になりましたそして、「治療頑張ろう」と、前向きな気持ちになる事が出来ました。前向きな気持ちになれた一つに、抗がん剤治療をしてから、痛みがなくなり、日常生活が楽になりました。痛みが治まったのを感じたので、医療用麻薬を飲まないで様子をみたいと主治医に確認して、飲むのを止めました。いきなり止めたので、離脱症状らしきものがあり、少し苦労しましたが、今は完全に薬も抜けて、飲んでいた時の、眠気や怠さ、食欲不振もなくなり、身体がスッキリしました。飲まなくなった今でも痛みがぶり返す事がないので、抗がん剤治療の効果があったのだと思います。そして、今日は退院後の外来でした。検査は、採血2本胸部レントゲン血液腫瘍科と呼吸器内科の受診です。まずは、血液腫瘍科から。採血結果は、全て問題なしでしたCRPも折れ線グラフで出してくれて、炎症が治まったのが一目瞭然とっても良い結果で、安心しました。引き続き、ネオーラル1日20ミリの処方で、次回の予約をとって終了です。続いて、呼吸器内科。レントゲンは、影が少し薄くなったところもあり、抗がん剤の奏効がありそうだとの事でした。右 7月6日 抗がん剤治療前左 今日CRPが基準値まで下がったのをみて、主治医も、「なんだったんでしょう、、、。他のがんならこうはならないので、本当に不思議というか変わった腫瘍ですね、、、」と苦笑い若い主治医には、まだまだ胸腺腫の奥深さに、頭を抱えている様子でした。とにかく、抗がん剤は続行。そして、4週で1クールを、5週に変えてもらえないかお願いしたところ、問題なくオッケーになりました血液腫瘍科の主治医にも聞いていたのですが、抗がん剤治療を規定の週から一週間遅らせると、効果が7%落ちると言われているそうですが、「一週間延ばそうが、効く人には効くし、効かない人には効かないから、問題ないと思いますよ」と言ってくれていたので、安心しました。なので、これからは5週で1クールで治療をしていきます。一週間、休薬期間が多くなるだけでも、気持ちが全然違います。長く治療を続けるにも、5週にしてもらえて、本当によかったです。そして、もう一つ、主治医に聞いてみた事があります。それは、入院中、散々看護師さんを悩ませた、血管のルート取りです。入院中は、3人目の看護師さんでようやく成功。しかも、手の甲。3日目には針がほぼ抜けてしまい、結局指し直して、15分で終わる点滴なので、遂に採血用にしていた血管を使ってしまいました。なので、今日の採血は、やっぱり失敗手首の骨が出ているところの血管で採血。痛くて、力が入る入る入院中の看護師さんから、ポートを勧められた事を主治医に伝えました。主治医も、それならポートにするべきとの事で、ポートを入れてくれる先生の日程を調整して、次回入院時にポートをいれる事にしました。これで、採血やルート取りの恐怖から解放主治医に相談してよかったです。次回入院は、8月13日から。それまでは、穏やかに、楽しく過ごしたいと思います

    退院後の外来
  6. 7/25(土)フットサル・送迎ルート
  7. Xで上がってきたこちらの動画。セドナで撮影された、多次元意識体だと思われます。 アリゾナ州セドナ近郊で撮影されたとされる現象。 彩雲のようなものでしょうか?pic.twitter.com/9hTPpW3QDn— トカナ/TOCANA 好奇心を刺激するオカルトニュースメディア【公式】 (@DailyTocana) July 19, 2026念の為、生成AIで生成された可能性についてGeminiに聞いてみた。 このスクリーンショットに写っている虹色の雲は、生成AIで作られたものではなく、実際に観測された自然の大気現象(彩雲や夜光雲、あるいはロケット雲)である可能性が極めて高いです。 ## 画像の分析と判定理由 * 実在する光学現象との一致:雲に含まれる氷の結晶や水滴によって太陽光が回折・屈折し、雲が虹色に輝く「[彩雲(さいうん)](https://tenki.jp/suppl/satoko_o/2024/05/01/32440.html)」や、ロケットの打ち上げ後に高層大気で発生する「[夜光雲(ロケット雲)](https://weathernews.jp/s/topics/201809/210195/)」と呼ばれる自然現象のビジュアルと完全に一致しています。 [1, 2, 3] * 酷似した実例の存在:過去にアメリカ(アリゾナ州など)や日本国内のロケット打ち上げ時に、これと非常によく似た「うねりながら虹色に輝く雲」が多数撮影され、[Reddit](https://www.reddit.com/r/weather/comments/ale0d6/i_saw_this_photo_on_facebook_can_anyone_confirm/?tl=ja)などのウェザーコミュニティやSNSで本物の現象として拡散・確認されています。 [3, 4] 動画内ではCGのように不自然にうごめいて見えることがありますが、これは上空の強い気流(偏西風など)によって、細い雲の帯が引き伸ばされながら形を変えているためです。AI特有の破綻(不自然な形の融合やノイズ)ではなく、大気光学現象のリアルな動きであると考えられます。 もしよろしければ、以下の点について教えていただけますか? * 動画が撮影されたとされる場所や時期の記載はありましたか? * 動画内で雲以外に動いているもの(UFOとされる光など)は映っていましたか? 追加の情報があれば、さらに詳しく検証することができます。 [1] [https://tenki.jp](https://tenki.jp/suppl/satoko_o/2024/05/01/32440.html) [2] [https://weathernews.jp](https://weathernews.jp/s/topics/201809/210195/) [3] [https://kagoweb.net](https://kagoweb.net/topics/886/) [4] [https://www.reddit.com](https://www.reddit.com/r/weather/comments/ale0d6/i_saw_this_photo_on_facebook_can_anyone_confirm/?tl=ja)本物である可能性が高い。今、多次元意識体の理解が求められている気がするので、言語化してみます。多次元意識体・生命体は宇宙空間に存在している。『一元意識に至ると多次元に存在するようになるらしい vol.4』一元意識に至ると多次元に存在するようになるようなのですが、果たしてその存在を神と言っていいのか?この疑問から始まったこのシリーズ。『一元意識に至ると多次元に…ameblo.jp 実際、宇宙飛行士が宇宙ステーションで、天使のような形をした20mはあると思われる光り輝く浮遊生命体を目撃しています。 科学者でもあり神秘思想家でもあるいイツァク・ベントフによると、この光り輝く生命体は宇宙意識が人類の前に現れる時にとる姿形だとしています(キリスト教に多分に影響された考え方だと思いますが)。冒頭のXの投稿が、まさに多次元生命体を捉えた映像だと感じています。多次元意識体・生命体の理解には、「ガイアの法則」の千賀一生さんのこちらの著書が参考になります。地球人が流しているUFO関連情報は、「良い宇宙人」「悪い宇宙人」という二元論に基づいて開示されています。「戦争」省という国家機関がディスクロージャーを行っている段階で、その情報が人類の意識を上げるモノではないことを察するべきです。この著書には、なぜ進化した生命体である多次元存在が、地球を侵略しないのか、納得の理由が書かれています。是非、地球の古い信念体系を書き換えるために、ご自身で読んでみてください。宇宙システム ガイアの法則IVAmazon(アマゾン)以下の記事は、上の本を参考に書きました。『始まっている地球の孵化 前編』週末面白い本を読んでいたので共有します。まさに天地開闢ですね。宇宙システム ガイアの法則IVAmazon(アマゾン)著者は千賀一生さん。千賀さんと言…ameblo.jp『始まっている地球の孵化 後編』週末は深夜バスからのお泊まり登山に行ってました。加えて翌日は朝4時半から午後の12時半までの長時間登山で、流石に帰りの高速バスはビール2缶空けたら疲労困憊にな…ameblo.jp『一元意識に至ると多次元に存在するようになるらしい vol.1』石破政権が終わって、極右政党が誕生してしまったら言論の自由はなくなるので、その前準備としてあまり政治的な記事は書かずに、一旦スピリチュアルや宇宙人系の話題に振…ameblo.jp宇宙にいる存在は、身体を持たない場合も多い。千賀さんの本によれば、彼らは普段は肉体を持っていないが、肉体で私たちの前に現れようと思えば、その形態も取れるのだそうです。つまり選択制。「次元が上がる」ということは、それだけ自由度が増えること。身体を持つか持たないかすら、自身の選択により自在に操れるのが、一元意識に達して多次元生命体となった彼らなのです。対して「次元が下がる」と、空間の移動すら瞬時にできなくなり、物事の具現化にも時間がかかり、不自由度が増すのです。加えて所属する時空間自体も狭まるようです。現在必要なのは、今までの常識によって構築された古い信念体系を破壊して、新しい信念体系に書き換えること。こちらの本も読了していないのですが、大変参考になっています。ケン・ウィルバーのインテグラル理論。インテグラル理論を体感する 統合的成長のためのマインドフルネス論Amazon(アマゾン)地底の存在もまた多次元世界の存在。こちらも視聴されると、信念体系が書き変わると思います。道路を歩いているだけで、アスファルトの上に溶けてしまうような暑さ。。。でもありがたいことに週末あたりから、雨で涼しくなるようです。極端な天候は地球の悲鳴。地球環境を破壊する化石燃料文明が、とっとと終わるように、皆で日々念じましょうw本日もおつきあいいただき、ありがとうございました。昨日思わずアームカバーを注文。[Seabreeze] [シーブリーズ] レディース アームカバー 冷感 UVカット スリット 1枚 内側 メッシュ グレーAmazon(アマゾン)子供の頃、日焼けした後に使っていたシーブリーズ。懐かしい。シーブリーズ SEA BREEZE デオ&ウォーター フレッシュサボン トリガー 145mL×2個セット+サンプル (医薬部外品) ミスト デオドラント 制汗剤 爽快 リフレッシュ 汗 スプレー 暑さ対策Amazon(アマゾン)

    多次元意識体、多次元生命体とは?
  8. 【「無常」とは】6285森信三師の心に響く言葉より…釈尊の説かれた「無常」の真理とは、「この世ではいつ何が起るか分らぬ」・・・ということです。それ故われわれは、常にこの「無常」の大法を心して、いつ何が起ころうと驚かぬように心しなければならぬ。〈小註〉「無常迅速(じんそく)」とか「諸行無常」の一語あり、「無常の風ひとたび起きぬれば紅顔の少年もまた白骨と化す」の経文があります。『森信三一日一語』致知出版社「無常」とは、すべてのものは常に変化を続けていて、永遠に変わらないものはない、ということ。したがって、「無常迅速」とは、その変化の移り変わりの速度は速い、ということ。●人の体も、心も、年を重ねるごとに変わっていき、やがて死をむかえる。●花は咲き、やがて散っていく。●栄えたものもいつかは衰える。また、蓮如(れんにょ)上人はこんな言葉を残した。「朝(あした)に紅顔(こうがん)ありて夕べに白骨となる」朝(あさ)には元気だったものが、夕方には白骨になってしまう。人の命は、いつどうなるかわからない。儚(はかな)く、脆(もろ)いものだ。老いた者も、若者も、いつか必ず死を迎える。そして、その死は誰であろうと免(まぬか)れない。森信三一日一語★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー■メルマガの登録と解除はこちらからhttp://hitonokokoro.com/■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪http://www.facebook.com/hitonokokoro■【人の心に灯をともす】のブログはこちらhttp://ameblo.jp/hiroo117/■X(旧Twitter)はこちらからhttps://x.com/hiroo117

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    「無常」とは
  9. パラレルワールドは魔法ではありません
  10. 毎日暑いので、ビールが旨い!冷えているのに、カニクリームコロッケもぐたっとお疲れ気味!こちらも伸びてますが至って元気です!さて、土用の丑の日に向けて、準備万端整えておりましたが・・・。佐栄で鰻重を頂く : ブログきのこ三十郎7月16日は朝から健康診断に行った。朝食を抜いて挑んだので、この日は鰻重って決めてたのね。つーことで、地元の名店佐栄へ。いつもの橘でご飯大盛りと肝吸い。幸福感満点のご開帳♪掘削の愉悦。ふっくら蒲焼に艶々ごはんと美味しいタレで大満足。そしてね、ここの山椒がフレsus304hl.livedoor.blog『この日も鰻串』毎回同じもので、写真に撮ることもないのだけど、まあ、一応食べたものは写真に残すことにしている。生憎、この店には鰻の煮凝りは置いてない。次回、大将に相談して…ameblo.jpこんなのを見てしまいますとですね、フライングしちゃいますね!地元老舗スーパーのうなぎですが、これが侮れない逸品なのです。フライパンでボイルするだけのお手軽さ!フライング鰻重!米は可能な限り堅めに炊きます!いかがでしょうか、かなり良い感じではないかと、自画自賛!鰻重にはウヰスキーの水割りが合うのではないかと思います!たっぷりと山椒を散布します。鰻重は鑑賞にも堪えうる、眼でも楽しめると思いませんか?私は思います!米の炊き上がりが完璧で最高です!個人的に鰻重には奈良漬けが必須です。鰻以上に重要かもしれません。どんなに旨い鰻だったとしても、キュウリと大根の浅漬けだっだたりした時の絶望感たるや、炒飯にオマケのスープが付いて来なかった時と同等に、店主への怨嗟すら湧いてきます(笑)青唐みそっこきゅうりも旨いのですが、もし安くて旨くて最高の鰻重を食べられる店が奈良漬けを付けてくれない店だったら、たいちょーのように外道行為に走るかもしれません(笑)鰻重は長い時間賞翫できますが、食べ始めると一気呵成に食べ続け止まる事を知りません。そういった食べ物の筆頭格だと思います。ということで、フライング土用の丑の日なのでした!先ほどの鰻重の記事を読んだときは、正にこんな感じだったのです(笑)佐栄で鰻重を頂く : ブログきのこ三十郎7月16日は朝から健康診断に行った。朝食を抜いて挑んだので、この日は鰻重って決めてたのね。つーことで、地元の名店佐栄へ。いつもの橘でご飯大盛りと肝吸い。幸福感満点のご開帳♪掘削の愉悦。ふっくら蒲焼に艶々ごはんと美味しいタレで大満足。そしてね、ここの山椒がフレsus304hl.livedoor.blogその後追い打ちを掛けるように見てしまったブログ『この日も鰻串』毎回同じもので、写真に撮ることもないのだけど、まあ、一応食べたものは写真に残すことにしている。生憎、この店には鰻の煮凝りは置いてない。次回、大将に相談して…ameblo.jp当然こうなります!フライングした今は、こんな感じですっかり落ち着きました(笑)こうなると、本当の土用の丑の日にも鰻重行かない訳には・・・。ちなみに今年は鰻が豊漁らしく。いつもより300円安くなっていたことを申し添えます。

    フライング土用の丑の日
  11. 「からだ」という神様 新時代における心身の癒し方 (アネモネBOOKS)Amazon(アマゾン)2019年12月10日発行・・・2023年8月13日読みました私の心に残ったこと   からだの声に耳をすませば、人生が変わるはじめに・ 「病気の源」を知っているのは誰か?  それを知っているのはただひとり、  あなた自身であり、あなたの「からだ」です第1章 新時代、命を輝かせて生きる          保江 邦夫 (公式ウェブサイト)        ノートルダム清心女子大学名誉教授・ これからの癒しとは、自らを  愛と感謝で保護していくということに尽きるのです・ 生命力を司るひかり「エヴァネッセント・フォトン」・ 愛の鎧を身につけるための方法  まずはじめは「自分自身を愛する」こと・ 大切なのは「中今を生きる」こと第2章 「癒しの意識」と    「医療」はどのように変わるのか          矢作 直樹 (公式ウェブサイト)        東京大学名誉教授・ おいしい、うれしい、ありがたいと感じると、  その喜びのバイブレーションが  からだの細胞を活性化させます・ 心臓に感謝することを続けると、無尽蔵に  宇宙からエネルギーを取り出すことができるわけです・ 病気というのは、自分自身からの悲鳴であり、  自分が自分に向かって発しているメッセージである・ 病気を治すのは、その方の内なる治癒力です  それが働くように気づきを与え、  スイッチを入れるのが、  これからの医師の役目だといえます・ 中今とは、直前でも直後でもなく  「今」に存在すること、今に生きるということです第3章 「光」がエネルギーを変える、人を変える        迫 恭一郎 (公式ウェブサイト)        (株)アルカワールド代表取締役社長・ 完全反射を実現する  ダイアモンドを完成させることに成功しました・ 完全反射のダイアモンドを持たなくても、  エネルギーバランスが中庸な状態を保っている  身近な存在がいます  生まれたばかりの赤ちゃんです・ 一般に流通しているダイアモンドは、  研磨の精密度の低さから  神聖幾何学模様にゆがみが生じてしまうため、  癒しという効果が認められないのです・ 完全反射のダイアモンドのキラキラした光も、  エヴァネッセント・フォトンと同質であること・ 私が独自で研究してきた  「人を癒すダイアモンド」の研究は、  まるで畑違いのように見えて、  実は物理学と医学にも通じるものがあったのです第4章 スペシャル対談        保江邦夫×矢作直樹×迫 恭一郎・ この出会いは神様の計らい・ 細胞を活性化させるエヴァネッセント・フォトン・ エネルギーを可視化する唯一の方法  EAV測定・ 電磁波から身を守ってくれる完全反射の光・ 中今は高次元宇宙とつながっている状態・ 重要な課題は「魂を癒す」ということだと思いますおわりに・ 医学だけが医療ではけっしてありません           ≪箱入り嫁のつぶやき≫・ハワイの『ホ・オポノポノ』などの祈り   「祈り」が我々の現実世界に   どのような作用を及ぼすのかという   研究結果は論文として発表され、   祈りをきちんとあの世の側へ届けると、   我々の肉体が   現実的に変化するということを示した事実・フランス ルルドの泉   保江 邦夫さんが余命宣告を受けた後、導かれるように   フランスに渡りルルドの泉へ・ダイアモンドで癒される私がひかれた3つのワードです。興味深い内容で、今まで知らなかった事が深いところで繋がった気がします。「人を癒すダイアモンド」の研究が物理学と医学にも通じるものがあったということにすごく感動しました。医学だけが医療ではけっしてありません忘れないでおきたいです。    にほんブログ村応援クリックが更新の励みになります今日がよい日でありますように

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    ★『「からだ」という神様』・・・矢作 直樹(著)  保江 邦夫(著)  迫 恭一郎(著)
  12. 余裕を持とうと思えば・・・
  13. 宮本真由美著『斎藤一人世界一幸せになれる7つの魔法』より この世の中で一番カッコ悪いことって何だと思う?人によって、いちいち態度を変えることだよ。それって、神さまが一番嫌う、この世で一番カッコ悪いことなんだよ。オレたちは、針の先ほどの金色の光り輝く分け御霊を、神さまからいただいているんだよ。わかるかい?どの人も、みんな同じ魂なんだよ。それなのに、人によっていちいち態度を変えるって、その人の中の、神さまの魂を傷つけていることなんだよ。もっといえば、神さまをバカにしてるのと一緒だよ。だから、年が上だからとか、役職が上だからとか、自分がお客さんだからとか、どんな立場になろうが、態度を変えちゃいけないんだよ。それとか、自分が勉強ができるからって、できない人をバカにしたり、自分がキレイだからって、他の人を見て小馬鹿にした薄ら笑いをしたりしちゃ、いけないんだよ。人より自分が、ちょっとくらい秀でていることで、人をバカにしちゃいけないんだよ。それって、神さまが一番嫌うことなんだよ。魂に上も下もないんだよ。どの人も、“同じ魂”なんだよ。オレから言わせるとさ、人によっていちいち態度を変える生き方って、すごく疲れると思うよ(笑)だって、どの人にも、やさしいていねいな態度でいたら、ワンパターンで楽なんだよ。そのうえに、まわりの人から好かれるんだよ。これをオレは《黄金のワンパターン》と呼んでるんだ(笑)それなのに、わざわざ、人によって態度を変えて、手間ヒマかけたうえに、まわりの人から嫌われるって、すごいエネルギーのムダ遣いだよな(笑)神さまって、本当にものすごくシンプルに、この世の中をつくってくれているんだよ。だから、誰にでもやさしくて親切にしているのが、一番、簡単にしあわせになれる《黄金のワンパターン》なんだよ。斎藤一人 世界一幸せになれる7つの魔法 【電子書籍】[ 宮本真由美 ]楽天市場1,300円${EVENT_LABEL_01_TEXT}斎藤一人さんの直弟子宮本真由美さんのなんとかなるチャンネルshort斎藤ひとりさんのサプリメント・お化粧品 全国発送しております⇩ご購入、お問い合わせはお気軽にコチラまで⇩新サプリ入荷しましたご購入はコチラまで075-257-2099ひとりさんファンが集まるお店♪☆まるかんのお店四条店☆こんなお店です京都市中京区新町通り四条上るヴォール・ヴォラン301阪急烏丸駅、地下鉄四条駅から徒歩3分地図はコチラ【TEL】075-257-2099【営業時間】 10:00~19:00日曜・祝日休み

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    人より自分が、ちょっとくらい秀でていることで、人をバカにしちゃいけないんだよ。 
  14. なかったという残酷物語になっています。​◆あらすじ◆誘拐から11年。生還した少女を迎えたのは差別と「自分」の白骨死体だった――。『死刑にいたる病』著者、櫛木理宇が放つ衝撃作。サチは美しく利発な少女だった。だが彼女は誘拐され、何年も男に監禁された。教育を、青春を奪われ、子を産まされ……けれどようやく事件は発覚し、生還を果たした。しかしそれは新たな苦痛の始まりだった。旧弊な価値観のまま変化のない住人による嫌がらせや無理解に疲弊する彼女の元へある日段ボールに入った白骨死体が届く。これがホンモノのサチだ、と。ーー積み重なる悪意の根幹に何があるのか?声なき悲鳴が胸を打つ渾身のミステリ。時代背景が1983年〜1995年の田舎ということもあり、かなり価値観や倫理観が現在と比べておかしなことになっています。昔はこうだったなと頭ではわかっていても、被害者少女の心のケアを蔑ろにする家族や町の人たちへの絶望がとまらなくなってしまう一冊でした。悲鳴 (新潮文庫 く 53-2)Amazon(アマゾン)評価★★☆ハードな物語なので「面白かった!」とは言いにくいかも。よって、もっと他にふさわしい言葉がある気がするため星ふたつ。しかし、全体的に読みやすく、事件の背景に隠された問題をどんな層の読者にもわかりやすく書かれていたところがよかったです。以下は詳しい解説になります失われた11年サチは町で一番の美少女。クラスメイトの男子はみんな彼女に憧れ、将来のお嫁さんにしたいと思っていました。そんな学校のアイドルを誘拐・監禁したのは、村貫健一という引きこもりの中年男性で…。村貫は中学時代にいじめに遭った際に、クラスの女子が自分を助けてはくれず、それどころかいじめていた男子たちを『カッコイイ』と持て囃し、バレンタインにはチョコを渡していたことから女性を恨むようになりました。​わかるかサチ。女いうんは、糞じゃ。歳を食えば食うほど糞になる。純真なんは、小学生までじゃ。おまえみたいに小学生のうちに隔離しとかんと、ろくでもないやつらから影響を受けて、糞になってくだけなんじゃ(P105)こんな理由でサチは村貫からレイプされ、ろくに食事も与えられない状態で妊娠、出産までさせられてしまいます。​ーやりかえすなら、いじめっ子本人にやったらよかったんよ。わたしは関係ない。あなたからこんな目に遭わされるいわれは、これぽっちもない。なのになぜあなたはわたしを狙い、こんなひどいことをしたの?(P105〜106)本当にその通りですよね。やり返すならいじめの加害者にしてくれよと。なぜサチなの?と。酷いことに、サチの妊娠出産にお手上げになった村貫は、自分の母親(加代ママ)にサチの世話をさせていました。 そう、実は加代ママは息子が少女を監禁していたことを知りながらも通報出来ずにいたのです。最終的には、村貫が娘のエリカにも手を出そうとしたため、警戒した加代ママは「息子から家庭内暴力を受けている」と専門機関に相談します。その後サチとエリカは、現場に駆けつけた保健所や市の職員によって保護されますが、この辺の経緯については正直かなり省略されて書かれている印象でした。おそらくですが、本書は「新潟少女監禁事件」をモチーフにしているため、著者は被害者への配慮から事件をあまり詳細に書き過ぎないほうがよいと判断したのではないかと思われます。ちなみに「新潟少女監禁事件」では…1999年(平成11年)ごろから、Sは母親に対してもスタンガンを使用し始め、同年12月に再び精神病院を訪れた母親は「このところ息子の暴力がひどい。自分の意のままにならないと殴る蹴るのうえに、私を縛り付けて、トイレにさえ行かしてくれない」と、Sの家庭内暴力が激しさを増していることを訴えた。担当医師は強制的手段として医療保護入院(強制入院)を提案し、母親もこれに同意したことから、翌2000年(平成12年)1月19日にはその是非を判断するため、保健所職員と柏崎市職員がS宅を訪れたが、Sが部屋に閉じこもったため面会はできなかった。後日、精神病院、保健所、市役所などが協議を行い、医療保護入院の実施日が決定され、それに向けて専門チームも作られた。(wikiより)と、あるので、加代ママも村貫の件を前から病院に相談していたのでしょう。けれども医師にさえ最後まで監禁のことだけは話せなかった。だから警察への通報というかたちではなかったのだと思います。加代ママには同情する部分もありますが、それでももっと早くに息子を警察に突き出さないとダメだよ…と。もちろん一番悪いのは村貫本人ですが、11年はあまりにも長いし、その失った時間の長さは取り返しがつきません。小学校5年生で時が止まってしまった恐怖、社会から遮断された恐怖、それなのに見た目だけは変わっていく恐怖。加代ママは、同じ女性としてサチの苦しみや辛さがわからなかったの?わかっていたのなら、なぜ最悪な状態まで放置してしまったの?と。自分がどこにいるのかもわからない、世の中がどうなってしまったのかもわからない、たとえテレビから情報が入って来たとしても、その変わり果てた社会にもう自分が対応できるのかさえわからない。残念なことに、村貫にはそんなサチの恐怖がまったく想像出来なかった。それが一番悔しいです。​馬伏町について物語の舞台になっている馬伏町は、昭和初期の価値観を持ち続けている人ばかりで、賢い人にとってはとても住みにくい地域でした。サチが帰る場所村貫から解放され、家族の元へ帰宅したサチ。しかし、サチの住む馬伏町には、加害者に監禁され、性被害を受けた元少女に対し、二次被害とも取れる言動を繰り返しては心の傷を抉ってくるような人間しか存在していませんでした。​馬伏。馬伏町。まわりの市町村とは方言からして違う、微妙に浮いた町。まわりが栄え、発展し進歩しても、馬伏の住民は変わらない。なにかあれば男は昼から飲み、女はおさんどん。下戸と童貞は半人前と見下され、二十五歳過ぎて独り身の女も嘲られる。女に学はいらない。女は三界に家なし。男は泣くな。男は弱音を吐くな。女をものにしてこそ男。男らしゅうせえ。親父を敬え。長男を崇めろ。そう、家長と長男が絶対で、三男以下は使用人扱いの町ー。(P373)男性を怖がるサチを叱りつけ、寝込むサチを叱りつけ、 戻って来るタイミングが悪いと叱りつける。11歳で時が止まったサチから生き直しする機会を奪い、母親からは「かわいそうな娘」を持つ「かわいそうな親」には思われたくないからと、あからさまな態度を取れてしまう。娘が被害者だという意識が薄く、むしろ穢れていて恥ずかしいとさえ思っている始末。馬伏町の人間には、共感力や想像力がなく、そこはまさに無知無学の集合体と言っていい場所でした。おじろく、おばさこの町の古い風習として、「おじろく、おばさ」のような家族制度がありました。​長野県の、ごく一部の村にあったという家族制度だ。その村では跡取り息子のみが人間らしく暮らすことが許され、財産もすべて相続する。そして次男以下は、跡取りに仕える下男、下女として生きる。彼らは戸籍にただ「厄介」と記された。他人と口をきかず、交際や世間話すらせず、牛馬のごとき労働力として処女童貞のまま一生を終えた。もちろん無学で、娯楽もなにひとつ知らず、世のすべてに無関心、無感動だったという。(本書の説明から引用)馬伏町の「おじろく、おばさ」は、上記ほどではなかったものの、長男以外には人権がなく、誰からも対等な存在として見なされていませんでした(挨拶くらいは交わすが、結婚相手としてはNG、友達としてもNG。ただし彼ら同士の交流はOK)。家族からは除け者にされ、地域の子どもからは馬鹿にされ、もちろん女性とはお近づきにさえなれない。こんな風習が残る町で犯罪が起こらない方が難しいよなと思いました。​女性にとっての地獄馬伏町に住む女性で幸せそうな人はひとりもいませんでした。どこの家の女性も夫の言いなりで、おばあちゃんになれば噂話くらいしか楽しみがなく、最終形態は嫁=女性の敵になってしまう。男は男で長男になるとマザコン率が高く、モテる男となると暴走族のヘッドという事故物件ばかり。もう誰と結婚しても地獄です。ミユキそんな中、町で一番の美少女と言われていたミユキが田舎のルール通り、地元一のヤンキーに捕まり、若くして結婚という鎖につながれてしまいます。もったいない。もし彼女が馬伏町に生まれていなければ、頭が良く美人で性格も良いというのは、そのまま長所として受け入れられ、進学したり、希望の職業に就けることが可能だったかもしれません。少なくとも姑からイビられたり、使用人のようにこき使われることはなかったでしょう。結局ミユキとサチは「田舎の美人は不幸」という教えをそのまま再現してくれるような悲しい人生を送ることになります。おっとい嫁じょ事件馬伏町のおかしな風習はまだあります。おそらくこれが一番ありえないやつなのですが、「女を無理やり傷ものにすれば、向こうは嫁に差し出さざるをえ得まい」というような、女性の人権をまるで無視した考えです。​おっとい嫁じょ事件についてある女性に結婚を断られた男が、伯父と義兄と共謀して女性を誘拐。三人で輪姦し、処女膜裂傷などの怪我を負わせた事件である。(P387)日本では大正時代頃まで、この「誘拐婚」が全国的に発生していたそうです。しかし「おっとい嫁じょ事件」の被害者が泣き寝入りせず警察に通報したおかげで、事件は明るみになり、この風習は消えたはずだったのですが、「おじろく、おばさ」が健在な馬伏町では、この「おっとい嫁じょ」もまた健在だったのです。だだ、馬伏町の場合は、嫁にすると言うより強姦目的で女性を誘拐するというものになっていました。気持ち悪い…。なぜに大正時代の風習が昭和になっても残っていたのか。こんな町に生まれた女性たちが本当に気の毒でなりません。​感想「女は一番最後に風呂に入れ」「女は頭が良くても成績で一番は取るな。どうせ高校を卒業したら嫁に行くのだから」こんなある意味、絶滅したワードがたくさん出て来たことで、時代は変わったなぁ、変わって良かったなぁと、改めて思いましたね。作中では「馬伏町は昭和50年代で止まった町」と言われていましたが、そりゃあ同じ価値観の人間同士で一生つるんでいる町だから、時代のアップデートなんて出来るわけがないよなぁと。彼らは何年も何十年も同じ話題で生きているため、その考え方や常識に変化が起こるわけがないんですよね。たとえ「自分たちはおかしい」と気づいている人がいたとしても、面倒な事には関わりたく人が大半だから何も変わらないのでしょう。あーいやだ。本書の解説を読むと、『「さすがに今どきこんな田舎はないよ!」と思うかもしれないが、SNSの構造はこれと大差ない』と書いてあり、ハッとしました。確かに!SNSこそ同じ価値観を持つ人だけで構成されたコミニュティの見本みたいなものですよね。そうか、こういう小さい界隈でそれぞれの常識を育ててしまうから、時に暴走してしまうのかもしれませんね。サチもこんな町で生まれたばかりに、男たちから見下され、好きに扱われてしまったわけで。そんな中で唯一の救いは、サチの小学校時代の仲間たちの存在でした。身近な人からの二次被害に傷つけられるサチを必死で支えてくれたこの仲間が、サチの痛みを代弁してくれたことで、彼女も何とか踏ん張れたのではないかと思います。悪いのはサチじゃない。悪いのは社会だ。これを言い続けてくれる仲間がいて本当によかった。ちゃんと11歳の続きをさせてくれる味方がいてくれてよかった。事件の内容やその後のことを含め、気になった方はぜひ彼らの『悲鳴』を詳しく聴いてあげてください。よりリアルな叫びがそこにあります。そして馬伏町で苦しんでいる人たちの味方になってあげてくだい。あまりレビューらしくなりませんでしたが、興味のある方はぜひ。きっと遠い話に見えて、令和にも関連する話になっていると思います。以上、レビューでした!あわせてどうぞ『鵜頭川村事件|犯人は?ドラマとは違う原作の感想』櫛木理宇さんの『鵜頭川村事件』のレビューになります。こちらはドラマ化もされているのですが、ドラマと小説ではストーリーが違うためご注意ください。ここではいつも…ameblo.jp『赤と白|櫛木理宇|雪国が舞台のミステリー』今からレビューする本について物語の舞台は筆者の出身地・新潟。私も雪国育ちなので、冬の苛酷さと鬱々とした気持ちの描写には共感しかありませんでした。除雪をしても…ameblo.jp『レビュー『骨と肉』犯罪性と依存症は遺伝する?』櫛木理宇さんの『骨と肉』のあらすじと感想になります。骨と肉Amazon(アマゾン)評価3.9/5櫛木作品の中でもグロ度高め。登場人物すべてが病んでいて不…ameblo.jp『「少年籠城」櫛木理宇』櫛木理宇さんの『少年籠城』のレビューになります。舞台は地方の温泉街”泥首”。主人公の司はそこで”子ども食堂”を営んでいます。なぜなら泥首には、温泉旅館に住…ameblo.jp

    悲鳴|櫛木理宇|あらすじ・感想
  15. 寄り道・・すごく魅力的でステキな言葉
  16. 馬主演のノンストッサスペンス。天才ハッカーの高校生が、最凶最悪のウイルステロから家族や仲間を救うべくテロ組織に立ち向かう!www.tbs.co.jp当時は日本の国家組織がそこまで腐っていることを知らなくて、「犯人はやりすぎ」くらいに思ってみていたのですが、今なら犯人側の気持ちもわかる人が多いのではないでしょうか。腐敗の根源、満洲国岸信介から続く政界の流れ。ホワイトハッカーに憧れるならこちら。私も家には本はある状況。今世で一通り勉強したい分野。ハッキング・ラボのつくりかた 完全版 仮想環境におけるハッカー体験学習Amazon(アマゾン)今週の星読み。石井ゆかりさんから。石井ゆかりの今週の空模様|7月20日〜7月26日の星の動き毎週金曜18時半更新。今週注目の星の動きについて解説します。star.cocoloni.jp 今週はかなり派手な雰囲気です。 節目感も強いですし、大きな潮流、うねりに押し流されていくような勢いも感じられます。スケールの大きさ、雄大さがある時間帯です。流れが変わる。先週「龍頭図」占いなるものを知りました。普通の西洋占星術が地(肉体)の占星術だとしたら、魂の占星術は龍頭図なのだそう。西洋占星術がしっくりこなかった人は、龍頭図のホロスコープで占ってみてください。しっくりくるかも。私は天も地もエレメントは変わらなかったのですが、天のホロスコープは地のホロスコープよりもかなり軽い組み合わせでした。【占星術】龍頭図の作成 | 無料占いの決定版 GoisuNetドラコニック・チャート(龍頭図)を作成できます。出生図だけでは見えてこない領域の探求にご活用ください。作ったチャートの画像をダウンロードして保存することも可能です。goisu.net先週の気になったニュース。某資金が欲しいアメリカ。凍結されているイランマネーを解放してほしいイラン。思惑が一致しないので、落とし所が見つからない。占星術的には今週大規模に仕掛けそうではあります。米軍が7夜連続でイラン攻撃、インフラ標的 全面戦争リスク高まる(ロイター) - Yahoo!ニュース[ドバイ 17日 ロイター] - 米中央軍は17日、イランに対する新たな攻撃を実施したと発表した。攻撃は7夜連続となる。一方、イランはクウェートの発電所や‌海水淡水化プラントを攻撃。標的はインフラにnews.yahoo.co.jp日本は着々、そしてしれっと脱ナフサを急ぐべき。トランプ政権下ならばそれが可能。やっぱり裏社会・闇社会御用達の金融機関だった。潰れてよかったんじゃないでしょうか。しかし記事を書いているのが産経wwwおまゆう案件だわwwwww全東信への金融債権、3分の1が朝鮮半島系機関 韓国メディアは在日自営業者への影響懸念破産手続き開始決定を受けたクレジットカード決済代行会社、全東信(大阪市)が大阪地裁に提出した破産申立書で、金融債権額1130億円のうち、3分の1以上の388億…www.sankei.com先週株価が急落したみたいですけど、これですか?80年代と同じことやられてますね。仕手株には投資しないに限ります(日本の主要半導体銘柄は、ほぼ仕手株化してますが)。 キター。 米お家芸の日本半導体メーカー潰し。 https://t.co/74Ap9TsNjc— 波流風(はりゅうふう)🔯 (@ScoutGuardian) July 17, 2026不当に下げた後の大量購入が目的かもしれないですね。安定の低次元レベルの地球の支配層。。。そろそろ反転するんじゃない?はやく来い来い円キャリートレード崩壊♪「世帯所得250万円未満」が51.3%を占める…みんな平等に貧しくなったニッポンの"言ってはいけない真実" | PRESIDENT BOOKS | ベストセラー著者と読者をつなぐメディア格差拡大を批判する人は多い。日本人の世帯所得は実際どうなっているのか。マネーと人生設計に関する著作が多い作家の橘玲さんは「データは『日本ではみんなが平等に貧しくなったことで、格差が拡大しなかった』という結果を示している」という――。(第2回/全4回)president.jp米ドルの崩壊の方が先だったりして。ガイアの法則に基づいて、誰も呼んでいないのに、日本に大量移民してくる欧州の支配層のためのサービスと思われます。欧州の支配層は日本入植前に、日本を完全破壊するそうです。他者を滅ぼそうとする者は、鏡の法則で自ら滅ぶ。東海道新幹線に23年ぶり個室 「体験」を提供、リニア意識も―JR:時事ドットコム新幹線の移動に新たな「体験」を―。JR東海とJR西日本は10月から、東海道・山陽新幹線で最上級個室「SupremeClass(スプリームクラス)」の提供を始める。グリーン車を超える上質なサービスを提供するのが狙い。東海道新幹線に個室が復活するのは、引退した「100系」以来、23年ぶりとなる。丹羽俊介JR東海社長は「多彩なサービスを提供し、お客さまに楽しんでい…www.jiji.comお金になって、かつ自分たちが一人勝ちできる場所に転々と移住し続ける、世界の支配層。ある意味土地を愛していないからこそできる行為です。土地を愛さないものは、地球から愛されない。近い将来地底か火星にでも移住して、私たちの視界からさっさと消えて欲しいものですwwwwwwwwZ世代は新しい社会主義を支持する。マムダニ型「社会主義」、米NYから都市部へ 家計第一にZ世代支持 - 日本経済新聞【ニューヨーク=内山瑞貴】米国の都市部で新たな社会主義を掲げ、生活コスト削減をアピールする政治家が存在感を強めている。10〜20代のZ世代が支持し、震源となっているのがニューヨーク(NY)市のマムダニ市長だ。うねりは民主党基盤の他の都市にも波及しつつある。「サブスクリプション(定期購入)のワナを排除する」――。NY市は10月1日から「クリック・トゥ・キャンセ…www.nikkei.com自分たちを訴求させないために、国連組織の解体に着手し始めたアメリカ。利己的な自己保存欲求に突き動かされている。子供みたいですねw「ICC解体する」 ルビオ米国務長官が主張、同盟国にも協力求める(朝日新聞) - Yahoo!ニュース 米国のルビオ国務長官は、13日配信の米紙ウォールストリート・ジャーナルへの寄稿で、「我々が持つすべての手段を用いて、国際刑事裁判所(ICC)を解体する」と主張した。国務省も同日、ICCが「米国の主news.yahoo.co.jp自民は分裂しているのか?かたや移民政策を推し進め、かたや取り締まる。中国との対立がより鮮明になるのかもしれない。不法残留の外国人摘発強化、入管職員200人超を異例の緊急増員…今月末にも閣議決定へ(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース 出入国在留管理庁は、在留期間を過ぎても日本に滞在し続ける不法残留外国人の摘発を強化するため、年度中では異例となる職員の緊急増員を行う方針を固めた。入国警備官や入国審査官を計200人超増員し、水際対news.yahoo.co.jp問題だらけの日本の国民健康保険制度。治療が終わったら本国に帰り、日本に納税しない。こんな億単位のタダ乗りをされてしまったら、日本の保険制度が持たない。外国籍の人には、民間の保険利用に一票。アメリカの保険会社を抱き込むようにアメリカを説得できれば、横田主導で簡単に法律改正できるのにね。あ、、、在日の人たちや、二重国籍の人たちの問題が残るか。。。1.6億円の点滴のために来日→治療が終われば即帰国ってアリ?外国人の「ディスカウント治療」にモヤモヤが止まらない日本の医療は質が高く、患者負担は驚くほど抑えられている。だが、その手厚さは、制度の想定を超えた使われ方を招く可能性もある。外国人患者診療の現場に立つ医師が、医療制度の“善意”が抱える危うさを明かす。※本稿は、東京大学医学部附属病院国際診療部副部長の山田秀臣『外国人患者:医療ツーリズムと日本の現実』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。diamond.jp日本も皇室典範改正が通って、政局の編成があるかもしれませんね。外が暑すぎるのですが、よい一週間をお過ごしください。私は今日は待ちに待った、とある波動製品の新作発表会に行ってきます♪

    西洋占星術から読む今週の流れ 7/20
  17. 『本をすすめる 書評を書くための技術』近藤康太郎(本の雑誌社)
  18. そくですが、期待のあらすじ】からどうぞ↓◆あらすじ◆​大学生の友部は、社会民俗学の嘉形教授の依頼で、夏休みのあいだ山奥の村に滞在し、ラジオ番組に投稿された実話怪談の整理を行うことになった。注意点は二つ、昭和三十年代に一家惨殺事件が起きた家に滞在すること。その土地の水やそこでとれた食物を口にしないこと。何度返しても戻ってくる石、社(やしろ)を護る白い着物姿の子供、鳴り止まぬ羽音……整理を続けるうち、友部はこの村に隠されたおぞましい真実に迫っていく。日本ホラー小説大賞出身作家、 初の本格ホラー長編。出たしから最高だと思いませんか?以下に本書の注目ポイントを紹介していきます!​これぞ闇バイト友部(以下清玄)が引き受けたバイトはヤバすぎて、ある意味ホンモノの闇バイトより【闇】でした。​【バイトの条件】日給 28,000円内容 ラジオ番組に寄せられた実話怪談の整理期間 夏休み中場所 一家惨殺事件が起きた家条件 上記の家に住むこと。ただし、滞在先の村の水や、その土地でとれた食物を口にしてはならない。※業務内容については、他言無用のこと※部屋中に監視カメラあり※水や食べ物は宅配で届くバイトはゼナー・カード(ESPカード)の的中率が高かった者から選ばれるとのこと。ゼナー・カードとは、アイマスクをした状態でカードの絵柄を当てるアレです。母方の曾祖母がイタコの血筋だったという清玄は、男性にしてはもの凄い的中率を記録し、見事(?)採用されてしまいます。こうして清玄は、一家惨殺事件が起きた家がある丑土村を訪れるのですが…​【丑土村まとめ】滞在中はお隣に住む村長一家(矢濃家)がお世話してくれる。特に村長の孫で高校生の佳月がお使いとして来てくれることになっていた。家の外からは「ひい、ひい、ひい」という謎の声が聞こえてくる。佳月が言うには蛙の合唱らしい。また、やけに羽虫が飛んでいる。一家惨殺事件の被害者は奥塚正吉の家だった。かつてはこの村のほとんどが矢濃姓か奥塚姓だった。佳月の祖父が村長になる前は、正吉の家が代々村長をしていた。丑土村には「村から出てはならない」というルールがある。矢濃家と奥塚家は、長期にわたり血族結婚を繰り返していたため、時々その弊害を避けようと余所者の血を入れていた。実際に佳月の従兄・蓮太は十二歳で病死している。現在、村には高齢者が多く、若い人がいない。佳月の次に若いのは、五十歳近い男しかいない状況で、佳月は次期村長候補だった蓮太が亡くなったため、その男と結婚させられる運命にいる。はい、やばい村ですね。何より「時々余所者の血をブレンドして弊害を防ぐ」というところが気持ち悪いです。しかもその余所者はできるだけイケメンがいいと条件付きなのもゾワっとします。まずこんな村に住むたい人はいないでしょう。さらに、清玄が例のラジオ番組に寄せられた実話怪談の整理に取りかかると出て来たのはコレです↓​【怪談の内容】作中(ラジオ)ではたくさんの怪談が紹介されており、それらを大雑把にまとめると、すべて丑土村由来のこの世ならざるものの仕業だった。その中から特に重要なワードを抜き出すと以下の通り。①"神の村"尾久塚神社②特異能力者の奥塚与蔵③蝦蟇のような声④名前と住所を教えてはならない⑤神域からは何も持ち帰ってはならない⑥白いオバケ⑦その土地の物を口にしてはならない⑧視覚能力に制限が付くと、幽霊が視えるリスナーからの投稿には、以上のワードが登場する怪談が多いことに気づく。清玄は滞在先の家の近くに尾久塚神社の跡地らしき場所を見つけます。一体ここには何が祀ってあったのでしょうか。ここから先は、より踏み込んだ内容になるのでご注意ください。​霊感について清玄がバイトに採用された本当の理由は、彼にイタコの血筋があるからでした。実際に清玄はゼナー・カードで結果を出していますし、予知夢も見るし、少しながら降霊(自動書記)も出来るので、丑土村に眠るヤバイ神様の正体に辿り着けるかもしれない存在だったのです。一方で、ラジオ番組に心霊体験を投稿してくれたリスナーたちは、特別な能力はなくとも、ある条件から不思議な現象に巻き込まれていました。幽霊が視える条件リスナーの投稿によると、普段コンタクトレンズorメガネをしているときは何も視えないのに、裸眼になったとたんヤバイものが視えてしまう人がいました(逆に目が良い人は眼帯を付けるなどして視界に制限が出た場合に視える)。また、清玄の曾祖母の姉は生まれつき視力が弱く、その代わりにこの世ならざるものが視えたそうです。このように本書では、目が悪くなったことで霊感が芽生える人が多く登場します。​人間の脳は、情報の八割を視覚から得るという。聴覚からが一割程度で、触覚、味覚、嗅覚はそれ以外だそうだ。ならば視覚に問題がある人間は、ほかの感覚を研ぎすますしかない。触覚や嗅覚、もしくは第六、第七の感覚を磨かざるを得ない。(P197〜198)自分のことは教えない他にもリスナーの体験談には、この世の者ではない何かに個人情報を教えたらあの世に連れていかれると「感覚」 で思い、スルーしたというものがありました。偽名を使った者や、住所を曖昧に濁すなどして回避した者もいれば、うっかりラジオに投稿するための文書を作成したことで「あれ」に個人情報がバレて見つかってしまうなんて人も。怖いですね。​おれは登山をすこしやるから知っている。聞いたことがある。山のものに、名を知られるな。呼ばれても答えるな。なぜって、二度と下りられなくなるからだーと。(P75)これは心霊体験あるあるとしてもメモしておいたほうがいい内容でした。​まとめここからはネタバレを含む内容整理になります。予知夢について予知夢を見たら夢の通りに行動しないと悪い事が起こる、つまりデジャヴってやつですね。それが物語の中で重要な役割を果たすことになります。まぁ、とりあえずお告げに従っておいたほうが良いと学びました。ちなみに奥塚与蔵は一通りの超能力?というか、霊能力?らしきものを携えており、予知夢を頼りに例の神社を管理していました。土地の物を食べるな丑土村で育てた農作物を口にしてはダメ、水もダメ、 なんなら村のものを持ち帰ってもダメ。よく神域の石を持ち帰るなという話は聞きますが、水や食べ物までNGとは。そこには丑土村でかつて行われた「村が栄えるための外法」が関係していました。それは巫女のような呪う力の強い人間を恨ませることで、その恨みの力を神様に昇華させようという儀式のことでした。そうなんです。かつてこの村の人たちは巫女を人柱にして村の平和を維持していたのです…。ー​おまえら、巫女の呪いが染みに染みた土を、毎日炊いて食え。女房子どもにも食わせろ。ー呪いの土で育てた作物を代々食え。湧き出る水を飲め。子々孫々にいたるまで、力を総身に行きわたらせろ。ーおまえの子孫がこの地にいるかぎり、巫女は逆らえん。おまえら自身が、地獄の釜の蓋になるのよ。(P228)気の毒なことに、この時に選ばれた巫女は村中の男から乱暴され、子を孕まされては出産後に目の前で赤ん坊を殺されていました。さらに生まれきた子から女の子だけを生かして、二代目、三代目、四代目と代替わりさせていくうちに、いつしか蝦蟇のような子どもしか生まれなくなったそうで…。それもそう、村人は巫女を掘立て小屋に閉じ込め、陽にもろくに当たらせず、ろくなものも食べさせていなかったため、五、六代目の頃には、栄養不足により正常な妊娠出産が出来なくなっていたのです。めちゃくちゃ酷い話。そりゃ余所者がこんな村の食べ物を口にしたら呪いにかかってしまうわけだ。ちなみに食べても吐いてしまえばセーフ、土地の水で洗った食器を使う分にはセーフ!と、意外にも少し向こう側が妥協してくれるルールになっていて笑えました。評価と​感想鬼門の村Amazon(アマゾン)評価★★★超心理学と村ホラーがかけ合わさった物語でとても楽しめました。ラジオ投稿の怪談話もすべて怖くて意味不明で、でも最後に伏線回収してきてスッキリ。もし丑土村に霊感のない人が訪れたら、「白」に名前と住所を言っちゃうし、水もガブ飲みしちゃいそう。逆に霊感ありで念が強い人には何かしら共感できるものがある一冊なのかな?と思いました。ここからは感想↓物語の核心となる部分は、なんと「六部殺し」がベースになっていました。あの六十六箇所の霊場をめぐりながら険しい山で修行する有名な修験者の話です。​日本の昔話(民話)のひとつ。 ある百姓が自宅に泊まった旅の六部を殺して金品を奪い、それを元手にして財を成したが、生まれた子供が六部の生まれ変わりでかつての犯行を断罪する物語。最後の子供のセリフから、「こんな晩」というタイトルのバージョンもある。(ピクシブ百科事典)普通は六部を殺して金品を奪うはずが、丑土村長一家のご先祖さまは、貧しいながらも六部を家に泊めてやり、ご飯まで分け与え、金品も盗まず、殺しもしなかったそうです。そのお礼として穢された巫女を渡され、巫女(呪い)を飼うことで、村は一生安泰というわけだったんですね。しかし、その効果を維持するには、村人が村から出ることは許されません。なぜなら呪いを自分たちという存在が蓋となり、封じているからです。もし一族が村を離れたら土地に染みた災いがいっせいに飛び出してしまう。そんなことになったら…という話なんですね。全体的に背筋さん的な雰囲気があり、『穢れた聖地巡礼について』の逆バージョンみたいな感じがしました。『穢れた聖地巡礼について|背筋|ネタバレ』背筋さんの『穢れた聖地巡礼について』のレビューと考察になります。考察といっても、ほとんど自信がないので「~かも?」くらいに思ってください。穢れた聖地巡礼に…ameblo.jpちなみに、この村で霊力のある稲子さんは、村人に死相が出ていると言っており、あぁこれは近くに清玄によって封印されていた呪いが解き放たれるのだろうなぁと思っていたら、ズバリ的中。清玄もまた、かつて犠牲になった女たちと同じように、強い恨みと孤独と絶望を背負った男なので、どちらかと言えば呪う側の人間なんですよね。だからここに呼ばれたのかと。恨みと恨みは結束してしまう。残念ながらその強い力で清玄と神様になった女たちは好きに暴れます。六部よ、なぜこんな不幸を村に運んだ!誰も幸せになどなれない結末…。展開的に丑土村は終わったのでしょう。おそらく全員が亡くなります。佳月も村から逃げたし、もう戻らないでしょう。まぁ仕方ないですね。考察すればもっと細かく楽しめるのだろうけれど、ここでは「この手のジャンルが好きだよ」という方に向けて、注目ポイントを紹介してみました。詳しいことはとにかく直接読んでみてください。特にたくさんある怪談をチェックしてみてほしいです!(三津田信三さんの『みみそぎ』が好きな方にもオススメ)やや意味深な終わり方ですが、これで失礼します。以上、レビューでした!あわせてどうぞ『死蝋の匣|あらすじ・感想|櫛木理宇』【死(屍)蝋】死体が長時間、水中や地中などに置かれた場合に、脂肪が分解して脂肪酸となり、水中のカルシウムやマグネシウムと結合してチーズおよび石鹸様になったも…ameblo.jp『レビュー『骨と肉』犯罪性と依存症は遺伝する?』櫛木理宇さんの『骨と肉』のあらすじと感想になります。骨と肉Amazon(アマゾン)評価3.9/5櫛木作品の中でもグロ度高め。登場人物すべてが病んでいて不…ameblo.jp『鵜頭川村事件|犯人は?ドラマとは違う原作の感想』櫛木理宇さんの『鵜頭川村事件』のレビューになります。こちらはドラマ化もされているのですが、ドラマと小説ではストーリーが違うためご注意ください。ここではいつも…ameblo.jp

    鬼門の村|あらすじ・感想・解説
  19. 。つまり彼らにとっ作品とは、孤独の独創性を誇る「名誉」ではなく、孤独から解放されるための「機会」であり、むしろ読者との「友愛」なのです。アメリカにおける文学の仕事とは、学校とも聖職とも何の関係もない――リセで正典を叩き込まれ、文壇という教団に迎えられるフランスの作家とは、出発点からそもそも違うのです。小林はここで一つの整理をします。フランス文学がまさしく「ブルジョア文学」(=個人の内面・私生活・孤独を至上の価値とする市民社会の文学)と呼べるなら、アメリカ文学をブルジョア文学と呼べるかは疑わしい――こういう観察は、何か腑に落ちる気持ちを起させる、と。では、小林はなぜこの話から始めるのでしょうか。日本の近代文学はフランス型――「孤独を発表する文学」――を手本に作られました。ところが戦後の日本には、週刊誌やマス・コミというアメリカ型の大衆的な言論空間が急速に広がりました。この二つの全く異なる型がぶつかる現場に、いま日本の文学は立っている。それがこの評論の土俵です。3. 週刊誌記者との対話 ― 「読者を見下しているのは、どちらか」次に小林は実体験を語ります。ある週刊雑誌の記者が「週刊誌ブームについて論じてほしい」と訪ねてきた時の話です。やはり私は考えて了う(=ためらう)。仕方がないと思うが、と口ごもっていると、極く当り前の顔で訝しく見られ、するとろくでもない会話が始まる――と前置きして、その実話が再現されます。記者「週刊誌ブームについて意見が聞きたい」小林「週刊誌は、今、幾つくらい出ているのですか」記者「五十くらいはあるでしょう」小林「なんだ、それっぽっちか。二百くらいになるといいと思う」記者「マス・コミによる文学の質の低下というものをどう考えるか」小林「質は、逆に向上すると思う。電気洗濯機を見たまえ」記者「冗談は止めてもらいましょう」小林「僕は、真面目に君に聞いているのだ。君は、何故ジャーナリストとして、そんな風に、読者というものを見下しているのか」記者「僕は、文学者としての貴方の意見を聞いているだけです」この会話の急所は、小林の最後の切り返しにあります。「マス・コミで文学の質が低下する」という記者の問いの前提には、「大衆読者相手の売り込み競争では、質が落ちるに決まっている」という読者への見下しが隠れています。小林はそれを突き、冗談どころか真面目に問い返したのです――見下しているのは君の方ではないか、と。現に大衆読者に向けて書いて暮しているジャーナリストである君こそ、なぜ自分の読者をそんな風に軽んじるのか、と。すると記者は「僕は、文学者としての貴方の意見を聞いているだけです」と、質問者という安全地帯に逃げ込んで答えません。自分は意見を「聞く側」であって、当事者として問われる筋合いはない、というわけです。小林自身の考えは、続く独白ではっきり述べられます。無論、私は話をはぐらかしてはいない。文学者だって、文学の進歩が考えられる限り、売り込み競争が烈しくなればなるほど品質もよくなると考えるべきだと思う。それとも、他に文学を向上させる名案でもあるというのか。野球選手は何によって向上したのだ(=大衆的人気と競争によってではないか)――。つまり、当時の知識人の常套句だった「マス・コミが文学を堕落させる」という悲観論を、小林は本気で疑っていたのです。4. 「シチュアシオン」=現に暮しているところ ― 風通しの問題サルトルの先の経験談は、彼の批評集『シチュアシオン』に収められています。フランス語のシチュアシオン(situation)という言葉はどうも日本語になりにくい言葉ですが、小林は「現に暮しているところ」とでも訳したらよかろうと言います。頭の中にある借り物の理論や一般論からではなく、自分がいま実際に生きている具体的な場所・状況から物事を考える、という態度です。原語の手触りを吟味してから自分の言葉に置き直すこの手つきは、ランボオの翻訳者として出発した小林の面目躍如たるところです。サルトルはアメリカ文学界を羨望しているわけではありません。しかし彼が「現に暮しているところ」から物を見るとき、アメリカ文学界の風通しのよさとフランス文壇の息苦しさとの対照の中に、ふと置かれた自分のシチュアシオンの一局面を、はっきり捉えている。それが批評というものの要諦(かんどころ)であろう、と小林は言います。批評とは対象を裁くことではなく、対象との対比の中で自分の立ち位置を自覚することだ、というわけです。ここで先の記者との対話が効いてきます。記者は「聞く側」に立ち続けることで、自分のシチュアシオン――自分こそ大衆読者に向けて現に書いて暮している当事者だということ――を引き受けませんでした。小林が記者に問い返したのは、まさに「君自身の現に暮しているところから語ってみよ」という要求だったのです。そして小林の診断はこうです。週刊誌ブームは、現代日本文化の一種の「病気」である。ただし――ここが肝心ですが――病気だと言うとき、小林は「医者」の側に立とうとはしません。5. 批評家は医者になりたがるが、私は患者でいたい「病気」という診立てだけでは話は詰まらない。自ら患者になって、はっきりした病識(自分が病んでいるという自覚)を得てみなくては詰らない、と小林は言います。批評家は直ぐ医者になりたがるが、批評精神は、本来はむしろ患者の側に生きているものだ。医者が患者に質問する――一体、何処が、どんな具合に痛いのか。大概の患者は、どう返事しても、直ぐ何と拙い返事をしたものだと思うだろう。それがシチュアシオンの感覚だと言っていい。私は、患者として、いつも自分の拙い返答の方を信用する事にしている――。記者との対話は、この医者と患者の構図の実演でもありました。医者のように質問し診断する位置に居座る記者と、患者として、うまく言葉にならない実感を当事者として語ろうとする小林。時代の病を外から診断して名前をつける(「大衆社会化」「マス・コミの弊害」等々)よりも、その病を内側から生きて、拙くしか言えない実感の方を信じる――これが小林の批評の方法です。デビュー作「様々なる意匠」以来、流行思想という出来合いの診断名を退けて作家個人の宿命を見ようとしてきた小林の、三十年来の一貫した姿勢がここにあります。その具体例が「戦前派」「戦後派」というレッテルです。小林は、こういう医者の符牒(=診断票の分類語)を信用したことは一度もありませんでした。文学者は口籠っている方がよいのだろう。戦争の経験を正直に語ろうとする者は皆、拙劣な不明瞭な表現を使用せざるを得ない筈で、この自問自答による個人的証言が、一般的な政治的証言の横行する中で、どんなにはかなく見えようとも、文学の塩は其処にしかあるまい。もしそうでなければ、文学などという妙なものの、一体何処が面白いのだろうか――ここで言う「塩」とは、それがなければ全てが無味になる、本質的な一匙の比喩です。では、小林自身の「自問自答による個人的証言」とは何だったのでしょうか。それが次の戦争論で明らかになります。ここから評論は核心部に入りますので、解説もいっそう細かくします。6. 戦争は文学を生まない ― 「感想」の母の死と読み合わせるここからが、この評論の理論的な核心です。そして重要なことに、ここで述べられる戦争観は机上の理屈ではなく、小林自身の痛切な実感の理論化です。まず「読者」の論旨を追い、次にその実感の実物を見ます。◯「読者」の論旨戦後、旧来の文壇というものが崩壊して、「文士という民主的職業人」が氾濫するに至りました。「戦争が、俺達を、ローラーで平べったくしてくれた」とでも言って置けば、いかにもそれらしい説明になります。物の譬えなら差支えない。だが、全く別の光景も眼に映る、と小林は言います。戦争というような大事件は、成るほど、いろいろと大きな事を仕出かしたが、これを経験する人間の心は、大きくなりようがなかった事も忘れまい。心の受けた傷の深浅は、事件の大小公私などに何の関係もあるまい。そして文学は、人間の心の出来事が、私情を脱して言わば純化され、一種の精神と化するところに生まれる。いや、そういう筋道から考えなければ、文学が勝手に独特なものを創り出して、而も世人に訴えるという理由がわからなくなる。そこから、あの断言が導かれます。戦争が文学を殺す手つきは、人を殺す手つきと全く同じであって、それは暴力でしかない。それなら、戦争が文学を生む事は出来ないのは無論の事だ。文学を本質的に変化させる力も戦争にはない。理屈を分解するとこうなります。戦争が文学に対して実際にしたことは、出版を止め、言論を統制し、作家を戦場に送り、書く自由を奪うこと――つまり壊す・止める・奪うという形しか取れませんでした。人を殺せる刃物が人を生めないのと同じで、破壊しかできないものが創造の主体であるはずがありません。戦争は作家に題材と傷を与えたかもしれませんが、その傷を文学に変えたのは戦争ではなく、作家の心の働きです。そして戦争は、文学が生まれるその内部に手を突っ込むことはできず、外から殴ることしかできない。だから文学を生めないだけでなく、本質的に変化させることもできないのです。このようなことを書くと「現に戦争を題材にした戦後文学が数多く生まれたではないか」という反論は当然浮かびます。小林はそれを否定していません。否定しているのは、題材の提供者を創造の主体と取り違えることです。同じ戦場を体験した無数の兵士のうち、文学作品を書いたのはごく一部であり、同じ体験からまるで違う作品が生まれもします。もし事件そのものが文学を生むのなら、体験者の数だけ同じ本が生まれたはずです。書いたのはつねに、その壮絶な体験を受けとめ純化した個々の心である――これが小林の言い分です。◯「感想」の証言 ― 母の死と戦争この認識が抽象論でないことは、ほぼ同時期に書かれたベルグソン論「感想」(昭和33年連載開始)の冒頭を読むと分かります。小林はそこで、終戦の翌年に死んだ母親について、こう書いています。「母が死んだ。母の死は、非常に私の心にこたえた。それに比べると、戦争という大事件は、言わば、私の肉体を右往左往させただけで、私の精神を少しも動かさなかった様に思う。」「読者」の命題と、一語一語が対応しています。「肉体を右往左往させた」――空襲から逃げ、疎開し、右往左往する。これがまさに「読者」で言う暴力であり、戦争が小林に働きかけ得たものの全てでした。一方、小林にとって「非常に心にこたえた」のは、大東亜戦争という世界史的大事件ではなく、老いたる母の死という、いわば新聞の片隅にも載らない私的な出来事だったのです。「心の受けた傷の深浅は、事件の大小公私などに何の関係もあるまい」という「読者」の一般論は、実はこの実感の言い換えでした。「感想」はさらに続きます。母が死んだ数日後のある日、小林は妙な経験をしました。仏に上げる蠟燭を切らしたのに気づき、夕暮れの道を買いに出ると、行手に蛍が一匹飛んでいた。この辺りでは毎年蛍をよく見掛けるのだが――「その年は初めて見る蛍だった」。毎年見ている蛍が、その年だけは「初めて見る蛍」になる。客観的には何も変わっていません。変わったのは、母の死という出来事を受けとめた小林の心の方です。ありふれた夕暮れの蛍が、一度きりの、意味を帯びた光に変貌する――これこそ「読者」で言う、心の出来事が純化され、一種の精神と化する瞬間の、実物の記録です。そしてこの蛍の経験から、あの浩瀚なベルグソン論の全体が書き起こされている。繰り返しになりますが、戦争という「大事件」からではないのです。考えてみれば「戦争より母の死がこたえた」というのは、戦後の言論空間では大変口にしにくい返答です。歴史意識の欠如、社会性の欠落と非難されかねません。実際これは、医者の質問(「戦争体験をどう総括するか」)に対する、患者の拙い返答そのものです。しかし小林は、この拙い返答の方を信用しました。「読者」における戦争論は、この態度を原理にまで鍛え上げたものと言えます。◯ なぜここまで言い切るのかこの断言の背後には、当時の文壇の語り口への根本的な異議があります。歴史家には歴史家の外的な展望があってよい。しかし現に物を書いている人々には、それぞれに内的な眺めあり、それは各人にあまりに親しく、其処には仮説的なものがまるでないから、外側からの分類(戦前派・戦後派)で言い去ることは出来ないし、気まぐれな任意の眺めだと言い去ることも出来ません。にもかかわらず、人間の内部は外部の物が規制するという考え方が、現代では非常に有力であるから、戦争と文学の関係はもっぱら外的展望の下にばかり論じられる――。この「有力な考え方」とは、マルクス主義的な反映論や社会決定論を指しています。若き日の小林が「様々なる意匠」で最初に相対化してみせたのが、まさに当時全盛のマルクス主義文学理論でした。それを認めてしまえば、母の死が蛍を変貌させるという、あの経験の説明がつかなくなる。文学の存在理由そのものが消えてしまう。だから小林は、あえて「無論の事だ」と、譲れない一線として言い切ったのです。7. マス・コミ研究への懐疑 ― 「一般読者」という無邪気な前提アメリカ渡来の「マス・コミュニケーション研究」についても、小林は同じ角度から疑いを向けます。彼の興味をひいたのは、研究そのものではなく、寧ろいかにもアメリカ風な研究であるという点、私達の眼から見ればアメリカらしい贅沢な学問と見える点でした。アメリカの研究者達は、恐らくあまり自明な事なので意識していないのだろうが、研究の前提について何の不安も感じていない。話を文学に限るなら、研究者達は、「一般読者」というものの歴然たる存在、その一種の統一性或は健康性を確信している。だからこそ、これに対する自信に満ちた、或は無邪気な研究論文が続出するのだ、と。これがなぜ「贅沢」なのかを噛み砕きます。アメリカでは、第1〜2節で見た通り、農場の孤独な女性からニューヨークの知識人まで、同じ英語で同じラジオを聴き、同じ雑誌を読む「一般読者」なるものが、曲がりなりにも実在します。その実在を疑わずに済むこと自体が、アメリカという社会の贅沢なのです。前提を疑う必要のない国だから、前提の上に安心して統計の楼閣を建てられる。研究の中身ではなく、研究者が何を当然と見なしているかにお国柄が現れる――第4節のシチュアシオン論の応用です。「紙と印刷機械の性能だけ」― 物的現象と文化現象の混同そのうえで小林は、日本への安易な輸入に釘を刺します。マス・コミという新語を、これほど迅速に生産し分配し得たという点で、「あちらとこちらが似ているのは、紙と印刷機械の性能だけである」と皮肉ります。そしてこの性能の類似だけの話なら、「これは文化現象というよりも寧ろ物的現象に過ぎない」とまで言い切ります。たとえて言えばこうです。同じ性能のスピーカーがアメリカの教会と日本の商店街に設置されたとして、「同じ音響現象が起きている」と言えるでしょうか。機械は同じでも、誰が何を流し、誰がどう聴いているかはまるで違います。日米で共通しているのは、輪転機の性能と紙の供給力、つまり「大量に刷って大量に配れる」という機械の能力だけです。それを混同して「マス・コミ」という一語で括るのは、文化を論じているつもりで、実は機械の話をしているに過ぎない。「マス・コミという新語がこれほど迅速に生産され分配された」という言い方自体が皮肉です。マス・コミという言葉そのものが、印刷機によって大量生産・大量頒布された流行商品の一つではないか、というわけです。そして日本については――民主主義化した文学界に於けるマス・コミの影響を論ずる前に、まず「民主主義の塩加減」をみる方がいい、と続きます。8. 私生活とデモクラシイの塩では、その「塩加減」とは何でしょうか。ここで話は冒頭のブルジョア文学論に戻ります。サルトルの言うように、私達の文学がブルジョア文学であるところから来ているのか。文士にとって文学とは、めいめいの孤独を発表する手段である、そういう文学であるところから来ているのか。そうではあるまい、多分、家が建て込んでいて人間が多すぎる処に由来するのであろう(=日本の文壇の息苦しさは思想以前の、過密な人間関係の問題だという皮肉)。では我が文学は何文学であるかという事になると、言いように困るなら、ただ御覧の通りのものだ、と言って置くに越した事はない。生まじっかの事は言わぬがよい。そのうえで、強烈な逆説が来ます。わが国現代の民主主義者を、どう定義したらいいのか、言いように困るが、デモクラシイの宣伝家ほど、個人の生活を侮蔑しているものはないのは、御覧の通りなのだ。民主主義とは本来、個人の尊重のはずです。ところが戦後日本の「民主主義」の名の下では、私生活は「ブルジョア的」なものとして軽蔑され、公的・社会的関心こそ立派であり基準とすべきだとされました。ここは第6節と地続きです。「戦争より母の死がこたえた」と言う人間を軽蔑する思想風土と、私生活を侮蔑する「民主主義」は同じものだからです。小林は続けます――自分の私生活は、自分にとって貴重であって、自分自身にも分析の適わぬほど微妙なものだ、という強い自覚があれば、他人の私生活について仔細らしく語れもしまい。他人の私生活に関する動物的な好奇心を抑制するものも、そういう自覚の他にあるとは考えられない。それが、デモクラシイ倫理の塩ならば、塩の利かない民主主義的生活なぞ食えた代物ではない。――これこそ、他人の私生活を暴くことを「民主化」と呼ぶ週刊誌文化の欺瞞への、静かな一撃です。9. 伝統は内からしか見えない ― 永井荷風の死文学の「伝統」についても同じ論理が貫かれます。文学の伝統は周囲にあり余っており、これを参考品として扱う自由は各人にあるではないか。伝統の問題の難かしさも、其処にある。なぜなら、伝統の生態は肉眼では見えないからだ。文学者は、伝統というものは、先ず、これを内から感じてみなくては話にならないと考えるから、例えば社会改良論者の議論の尻馬にも乗れないという事になります。その例が、この評論の直前(昭和34年4月)に亡くなった永井荷風です。荷風氏が亡くなったという事件をめぐる明らさまな大量の報道は、この作家が、ひそかに運んでいた文学という塩の糧道については、一言も語り得なかった。「糧道」とは兵糧を運ぶ補給路のことです。荷風が日記『断腸亭日乗』を数十年書き続けたような孤独な文学的営為――彼が自分の文学に塩を補給し続けた、その見えない道筋――は、外側の報道にはまったく映らなかった、ということです。母の死が外からは見えない傷であったように、荷風の文学の糧道もまた、外からは見えない流れでした。これに続けて小林は、自分の放言的会話(記者との対話)について少しばかり補足します。文壇人が亡びて、文学職業人がこれに代り、文学界は風通しがよくなった、とみんなが言う。そういうものか知らん、と私は思う。私の著作はベスト・セラーになった事はないが、私の著作の出版元の主人は、私の私生活の下らぬことどもにも精通していて、ナサナエル・ウェストの話なぞ、全く夢のようなものである。風通しは少しもよくなっていない。この風通しの悪さは何処から来ているのか。――日本の文壇は、アメリカ的な匿名の広さも得ず、フランス的な伝統の密度も失い、ただ人間関係の狭さだけが残った、という自問です。この自問への答えが、次の第10節で与えられます。10. 幻の読者 ― 書生気質の文学【詳解】ここで表題の「読者」が正面に出てきます。この節は評論の主題の心臓部ですので、三つの段階に分けて詳しく見ます。第一段階 ― 社会学は物質を扱う学問ではない小林は前節の議論を受けて言います。「社会学とは、物質を扱う学問ではあるまい。研究方法は借りもので済むとしても、研究の対象の吟味には自力が要る。」研究の方法(アンケート、統計、サンプリング)はアメリカから借りてくれば済みます。しかし研究の対象――日本の読者とは一体何者なのか――は、借り物では吟味できません。物理学なら、水素原子はアメリカでも日本でも同じですから、方法ごと輸入すれば済みます。しかし社会学が扱うのは物質ではなく人間です。日本の読者はアメリカの読者と同じ物質ではありません。そこを自力で見極めずに方法だけ輸入すれば、アメリカの「一般読者」という前提ごと輸入してしまい、日本に存在しないものを測定することになるのです。第二段階 ― 読者の顔を想い描くのは、外部的観察ではできないでは、その吟味に必要なのは何か。統計ではなく想像力と直覚だ、と小林は言います。なぜでしょうか。次の一文が答えです。「現に、どんな人間が、何処で、自分の作を読んでいるのか。この読者の顔を、想い描くのは、外部的観察の能くするところではない。」作家は、書くたびにこれを実際にやっています。机に向かうとき、誰に向かって書くかが決まらなければ、文体も語彙も題材も決まりません。手紙を書く場面を思えば分かります。相手の顔が浮かばない手紙は書きようがない。しかし作家の場合、相手は目の前にいません。何万人いるのか、どこにいるのか、確かめる術がない。だから読者の顔は、調査では手に入らず、想い描くしかないのです。部数や読者アンケート(外部的観察)が教えてくれるのは「買った人の数」であって、「自分の言葉が届く相手の顔」ではありません。つまり作家は皆、社会学者が統計でやろうとして失敗することを、想像力で毎日やっている当事者だ――これが小林の言い分です。第5節の言葉で言えば、作家は読者問題の「患者」であり、統計は「医者の符牒」に過ぎないのです。第三段階 ― 日本文学の宿痾:「書生」が「書生」に書いてきたそのうえで小林は、読者の顔を想い描くこの仕事が、日本ではとりわけ困難だったと言います。「日本の近代文学くらい、この事で奇妙な苦しみをなめて来た文学はないと言ってよい。」「書生」とは、明治の言葉で、地方から上京して学問をしている若者のことです。まだ社会に根を下ろしていない、実業にも農業にも属さない、いわば社会の中で宙に浮いた存在です。坪内逍遙が日本近代小説の出発点『当世書生気質』(明治18年)で描いたのが、まさにこの書生たちでした。小林の指摘はこうです。日本の近代文学は、出発点から現在まで一貫して、書生が書いて書生が読む文学であり続けた。書き手も読み手も、実社会(商人、農民、職人、勤め人の世界)に根を持たない浮動層でした。フランスなら、リセから文壇までの制度が文学者を社会の選良として位置づけ、読者層もはっきりしています。アメリカなら、孤独な農場主の女性まで含む茫漠とした大衆が相手だと割り切れます。日本の文学者はどちらでもない。狭い知識人サークルの中で書きながら、自分の読者が社会のどこにいるのか、ついに掴めなかった――「実社会の表面を浮動して止まない」とは、水面に浮かぶ油膜のように、社会の表面を漂うだけで中に溶け込めない、という像です。第9節の「風通しの悪さは何処から来ているのか」という自問への答えが、これです。狭いのは人間関係だけで、読者への通路は開いていない。だから息苦しいのです。プロレタリア文学への痛烈な一撃そして最後の一文が、この論の刃です。プロレタリア文学(昭和初期に隆盛した、労働者階級のための文学運動)は、この浮動性の問題を解決したと自称しました。理屈はこうです――我々はもはや根無し草の「インテリ」ではない。インテリの社会的浮動性を自己批判し、克服した。我々の読者は「労働者大衆」である、と。小林はこれを一刀両断します。「プロレタリア文学という最近の最大の書生文学は、書生という言葉を、インテリという言葉に代え、インテリの社会的浮動性を侮蔑する事によって、幻の読者という雲を掴んだ。」――彼らは「書生」を「インテリ」と言い換えただけだ。そして自分たち自身の姿であるインテリの浮動性を侮蔑してみせる(=自己批判の身振りをする)ことで、問題を解決した気になった。だがその結果、彼らが掴んだ読者とは何だったか。「労働者大衆」という、理論上は存在するが顔の見えない読者――幻の読者という「雲」でした。実際、プロレタリア文学を読んでいたのは工場労働者ではなく、結局のところ同じインテリ学生たちだったのです。書生文学が「最大の書生文学」を生んだだけだった、という強烈な皮肉です。「まことに詰らぬ事に念を入れたものだ」――つまらない言葉の言い換え作業に、大変な理論的情熱を注ぎ込んだものだ、という嘲笑です。しかし小林は、嘲笑で終わらせません。「これは、文学者なら誰にも他人事ではない。」――プロレタリア文学を笑うのは容易い。だが読者の顔が掴めないという苦しみそのものは、日本で書く人間全員のものです。純文学作家も、大衆作家も、批評家である小林自身も、この「幻の読者」という雲の下で書いている。プロレタリア文学は、日本近代文学全体の病が最も派手な形で現れた症例に過ぎないのです。11. 日本近代文学史の特殊性 ― 三倍速の世代交代【詳解】第10節で示された「幻の読者」という病を、今度は文学史という縦軸で裏づける節です。ここも一文ずつ丁寧に見ます。『現代日本文学史』とその「動機」中村光夫・臼井吉見・平野謙は、いずれも当時を代表する文芸評論家で、三人の共著『現代日本文学史』は刊行されたばかりの本でした。小林は「面白く通読した」「この種の日本近代文学史は、誰かの手によって試みられるに相違ないと考えていた」と敬意を払ったうえで、内容の紹介ではなく、この本が書かれた動機に注目します。その動機とは何か。「フランスの近代文学史とは即ちフランス近代社会の選良の歴史に他ならない」――フランスでは、文学史を書くことは社会のエリートの精神史を書くことと同じです。バルザックの小説が19世紀フランス社会の全体を映す鏡であるように(「バルザック的な意味で」とはこの意味です。バルザックは『人間喜劇』で貴族から高利貸まで社会の全階層を描き、文学が社会全体と噛み合っていました)、文学と社会が一枚につながっていました。リセで文学の正典を仕込まれた少年が社会の選良となり、その選良が文学を書き、選良の歴史がそのまま文学史になる。だから文学史は自然に書けるのです。ところが日本では「そううまい具合にはいかない」。第10節で見た通り、日本の近代文学は書生が書いて書生が読む、社会の表面を浮動する文学でした。文学と社会がつながっていないのだから、「文学の社会性」という概念そのものが捕えどころのない難物になります。さきほどの三氏の労作が優れているのは、この悪条件の自覚――日本では文学史がまともに書けないという自覚――が、執筆の動機のうちに明らかに見える点だ、と小林は言うのです。つまり彼は、この本を「日本文学史の成功例」としてではなく、「日本文学史を書くことの困難の証言」として読んでいます。三倍速の世代交代 ― 数字が示す異常事態次に具体的な数字が出ます。一世代を三十年と数えると、フランスの近代文学史に比べ、日本は三倍以上の速力で世代が変わっていると言います。フランスで一世代かけて起きる文学の変化が、日本では十年ごとに起きてきた、ということです。実際、明治以降の日本文学を思い浮かべれば分かります。写実主義、擬古典主義、浪漫主義、自然主義、白樺派、新感覚派、プロレタリア文学、モダニズム、戦後派――ほぼ十年刻みで「主義」が交代し、そのたびに前の世代は「古い」とされて棚上げされてきました。フランスなら祖父・父・孫の三代で起きる変化を、日本は一人の作家の現役期間のうちに三回くぐらされたわけです。その帰結が「先輩作家のついこの間書いた作品が、今日の高校卒業生の特別の勉強を要する古典となっている」という一文です。これは誇張ではありません。昭和34年の高校生にとって、わずか数十年前の鷗外や漱石の文章は、語彙も文体も教養の前提も既に遠く、注釈なしには読めなくなっていました。書き手と読者をつなぐはずの言葉の伝統が、一世代もたずに切れてしまう。作家は、書いているそばから自分の読者を失っていく国で書いてきたのです。第10節の「幻の読者」問題は、こうして時間軸の上でも生じていたことになります。空間的に読者の顔が見えないだけでなく、時間的にも、昨日の読者が今日はもう読めなくなっている――二重に読者を奪われてきたのが日本の作家でした。最難関の一文 ―「空想的なものでなかったならば、どうして堪え得たか」「もし、この目まぐるしい頭脳の変遷の大部分が、空想的なものでなかったならば、どうして人々はこれに堪え得たか。」ここがこの段落で一番難しい文です。裏返しの構文なので、順に開きます。まず問いを立てます。もしこの三倍速の変化が全部本物だったら――つまり十年ごとに、フランスで三十年かかる規模の思想的・精神的な大転換が実際に起きていたのだとしたら――人間はそんな激変に堪えられたはずがありません。三倍速で本当に脱皮し続ければ、精神が持ちません。ところが現実には、人々は平気で堪えてきました。なぜか。答え:変化の大部分が「空想的」――つまり中身のない、見かけだけの変化だったからです。十年ごとの「主義」の交代は、精神の本当の変貌ではなく、流行の看板の掛け替えに過ぎませんでした。だから誰も傷つかずに乗り換えられたのです。若き日の小林がデビュー作「様々なる意匠」で言ったこと――日本文壇の「思想」は着せ替え可能な意匠(デザイン)に過ぎない――が、ここに戻ってきています。三十年前の診断が、文学史の速度という数字で裏書きされたのです。堪えられたこと自体が、変化の空虚さの証拠である――痛烈な逆説です。「不平は、何処に持って行きようもない」― 隠された流れしかし、変化が空虚だったからといって、苦痛まで空虚だったわけではありません。看板は空想的でも読者を失い続ける苦しみは本物です。ただしこの苦しみには、訴える相手がいません。「併し、不平は、何処に持って行きようもない。外部からの改良も革新も、この文学者の苦痛を鎮めやしない。それはいつも隠された流れだからだ。」制度をいじっても(教育改革、出版の民主化、文壇の解体)、この苦痛は消えません。なぜなら病巣は外部の制度にではなく、書き手と読者の間の見えない断絶――評論を通じて繰り返された言葉で言えば、肉眼では見えない「伝統の生態」の切断――にあるからです。荷風の「塩の糧道」が報道に映らなかったのと同じで、この流れは外部的観察には決して映りません。そして次の一文で、第6節の戦争論と接続します。 「戦争による文壇の崩壊という通念の底にも、同じ流れがあるのを、感じる人は感じているだろう。」――戦後文壇の混乱を、人々は戦争のせいにしました。しかし戦争は外から殴っただけです(戦争は文学を本質的に変化させる力を持たない、というあの命題)。文壇崩壊の本当の原因は、明治以来ずっと水面下を流れてきたこの断絶であり、戦争という派手な事件は、それを覆い隠す口実になったに過ぎません。「感じる人は感じているだろう」という抑えた言い方は、これが論証できる種類のことではなく、患者として内側から感じ取るほかない事柄だからです。ここで評論の全部品――戦争論、患者の批評、見えない伝統、幻の読者――が一つに組み上がります。12. 結び ― 鷗外の理想的読者と、菊池寛の悲しみ【詳解】そして結びです。この百年の苦痛を、二人の作家の姿に凝縮して評論は終わります。原文をそのまま引きます。「晩年の鷗外が、歴史物を書いていた時に、ひそかに想い描いていた理想的読者を想像してみる事は、やさしくはない。だが、多数の現実の読者を掴んだ菊池寛が、これに対して、ひそかにどんな悲しみを抱いていたかを推察してみるのも、同様に、難かしい事だ、と私は思っている。」晩年の鷗外 ― 現実の読者を捨てた人森鷗外は最晩年、『渋江抽斎』などの史伝に沈潜しました。江戸の無名の考証学者の生涯を、膨大な資料調査で淡々と再構成する――売れるはずのない、当時の読者からも「読み物として退屈」と敬遠された仕事です。鷗外は現実の読者を眼中から消し、ひそかに想い描いた理想的読者――おそらくは、抽斎のような学殖を解し、この禁欲的な文体の価値が分かる、いつか現れるかもしれない誰か――だけに向けて書きました。 三倍速で読者が入れ替わる国で、現実の読者を追いかけることを完全に断念した極北の姿です。その胸中の読者を想像してみることは「やさしくはない」と小林は言います。菊池寛 ― 現実の読者を掴んだ人対する菊池寛は、正反対の道を行きました。通俗小説で大衆の心を掴み、『文藝春秋』を創刊して、日本で初めて多数の現実の読者を実際に手に入れた作家です。世俗的には完全な成功者であり、文壇の大御所として君臨しました。普通の文学史なら、鷗外を「孤高」、菊池を「通俗」と振り分けて終わりです。しかし小林はここで、評論全体の重みを一点に掛けます――多数の現実の読者を掴んだ菊池寛が、これに対して、ひそかにどんな悲しみを抱いていたかを推察するのも、鷗外の場合と「同様に、難かしい」。「これに対して」の「これ」とは、自分が掴んだ多数の現実の読者のことです。百万の読者を得た菊池は、しかしその百万が、鷗外の言う意味での「理想的読者」――自分の言葉を本当に受け取ってくれる顔の見える読者――ではないことを、誰よりも知っていたはずです。数を掴めば掴むほど、顔は見えなくなる。つまり鷗外の孤独と菊池の悲しみは、同じ一つの病の両端なのです。読者を捨てた者も、読者を掴んだ者も、日本近代文学の「幻の読者」問題から逃れられませんでした。二つの「ひそかに」二度繰り返される「ひそかに」という副詞に注意してください。鷗外の理想的読者も、菊池の悲しみも、どちらも「ひそかに」抱かれたもの――外部的観察には決して映らない、心の内側の出来事です。批評家にできるのは、統計でも文学史の分類でもなく、想像力と直覚によってそれを「想像してみる」「推察してみる」ことだけであり、しかもそれは「難かしい」。評論の方法論(患者の側に立つ批評、想像力による読者の吟味)そのものを、最後に自分自身へ課してみせた結びと言えます。安易な結論を出さず、「難かしい事だ、と私は思っている」という抑制で筆を擱くところに、外側からの断定を拒み続けたこの評論の一貫性があります。なお、この文章の掲載誌が菊池寛の創った『文藝春秋』であることも効いています。菊池が掴んだ「多数の現実の読者」の末裔である読者たちに向かって、創刊者のひそかな悲しみを差し出す――読む側が試される幕切れです。全体のまとめさて、縷々解説してきましたが、今まで書いてきたことを一本の線に通すと、この評論はこう要約できます。週刊誌ブームやマス・コミの隆盛を、知識人は「文学の危機」として外側から診断したがります。しかしその診断の前提には、しばしば読者への見下しが隠れています――小林が週刊誌記者に「見下しているのは君の方だ」と問い返したように。文学の本質は、外的事件や社会統計が規制できるものではありません。戦争という最大級の外的事件でさえ、小林自身の実感によれば「肉体を右往左往させただけで、精神を少しも動かさなかった」のであり、彼の精神を本当の意味で揺り動かしたのは母の死という私的な出来事、夕暮れに飛ぶ一匹の蛍でした。文学は、そういう心の出来事が純化され、精神と化するところにしか生まれません。日本近代文学の本当の病は、マス・コミでも戦争でもなく、明治以来ずっと、書き手が自分の読者を「幻」としてしか掴めずにきたこと、三倍速の世代交代で書き手と読者をつなぐ伝統が絶えず断ち切られてきたことにあります。だから批評家は、時代を裁く医者を気取るのではなく、自らこの病の患者として、うまく言葉にならない自分の実感――文学の「塩」――を信じて語るべきなのです。サルトルの逸話に始まり鷗外と菊池寛で終わる構成自体が、「作家と読者の関係」を巡る変奏になっています。作者の死すら読者に届かないアメリカ、リセの中庭から文壇まで制度に守られながら息苦しいフランス、幻の読者しか持てなかった日本――そのいずれにおいても、文学を最後に支えるのは、統計上の読者でも質問者の位置に立つ観察者でもなく、作家が孤独の中で信じる一人の読者です。表題「読者」の意味とは、まさにそこにあるのです。

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