
4AUG.
なぜ、すぐ「すみません」って言っちゃうんだろう
昔の私は「すみません」 という言葉をお守りのように使っていました。 職場で仕事を教えてもらった時。お店でお会計を済ませた時。エレベーターで「どうぞ」と譲ってもらったとき。 相手が親切にしてくれた場面なのに、最初に出てくるのは「ありがとう」ではなく、「すみません」そんな自分が当たり前になっていました。でも今思えば、私は謝っていたのではなく、「嫌な気持ちにさせていませんか?」「迷惑じゃないですか?」「私がここにいても大丈夫ですか?」そんな思いを抱えながら生きていたのかもしれませんもちろん、その頃はそんなことに気づいていませんでした。ただ、「すみません」と言っておけば安心できた。相手が笑顔を見せてくれると、ホッとできた。それだけだったんです。でも、あるとき気づきました。私は一日に何度も、自分の口から「すみません」を聞いている。そのたびに知らず知らずのうちに、「私が悪いのかもしれない」そんなメッセージを、自分自身へ送り続けているんじゃないのかな、と。そこで私は「すみません」が出そうになるたびに、一歩だけ立ち止まってみるようになりました。「私は今、何を感じているんだろう。」そう自分に問いかけてみると、そこにあったのは罪悪感ではなく、不安でした。嫌われたくない。迷惑をかけたくない。相手を困らせたくない。その不安を包むように、「すみません」という言葉が出てきていたんですねだから最近はまず自分にこう声をかけます。「不安だったんだね。」「怖かったんだね。」そうすると肩の力が少し、抜ける感じがするんです。以前の私は「不安を感じること」と「私が悪い」をイコールにしてしまっていたのだと思います。でも、本当はぜんぜん違うんですよね。不安になることは、人として自然なこと。怖いと感じることも、決して悪いことではない。そのことが少しずつ腑に落ちてから、「すみません」は以前ほど出なくなっていきました。反射的に言ってしまうこともありましたが、そんな自分を責めることはしなくなりました。「今日は不安だったんだね」そう言ってあげるようにしています。もしあなたも「すみません」が口ぐせになっているなら、一度だけ、その言葉の一歩手前を見つめてみてくださいそこには責めるべき自分ではなく、安心したかった自分がいるのかもしれませんさいごまでお読みくださってありがとうございました。あなたの毎日がやさしく健やかでありますように 自分にやさしく、自分をゆるす。「自分に還る」ための伴走者 江杉侑記 心がほぐれるLINE公式:::::::::::LINEお友だち登録で受け取る❶自己肯定感UPメッセージ講座(10日に1回)❷限定 動画セミナー❸限定 音声セミナー❹期間限定プレゼントコンテンツブログではお伝えしていないその先の本質をお届けしています(*Ü*):::::::::::カウンセリング・コーチングセッション頑張ってるのにしんどいあなたへ一人で抱えなくて、大丈夫です お問合せはこちらご質問などお気軽にどうぞ☺︎ 初めての方はこちらもご覧ください・クライアントさまのご感想・プロフィール・ ・ ・ 記事が必要な方に届きますよう応援クリックお願いします☺︎
おとうさん、家に帰りましょう
🙇♀️この文章は、三年前に起きた交通事故からの出来事を、私の記憶だけを頼りに、現在の私が書いているものです🙇♀️🌻夫が交通事故に遭い、高次脳機能障害の確定診断を得るまでの約1カ月前からのことを振り返っています🌻🗣️夫の父の話しです🗣️ 義父の食事についての注意点は、実際に、専門職が対応している食事場面をみて説明聞くのが良いとなりました。 面会には人数規制がありました。コロナ禍でした。義母も夫も抜きでした。話しが通じる人、伝達できる人、一名に絞ってくださいというのが、病院からの要請だったからです。 こうしたことができるかも、退院ができるか、一つの関門だったのではと思います。 私が義父を見舞う面会は二度目でした。一度は義母と一緒に食事の様子をみました。その時の義母は、色々なことを言っていました。どれだけ注意して食事を与えないといけないか、と伝えてくださっているにもかかわらず、こんな糊のようなお粥は素人では作れん、こんな不味いものは食が進まなくて当然、自分は認知症の義母の介護を全うした話し、など、義母の話し満載となり、聞く耳を持たないと思われて当然でした。義母の介護の手柄話しではなく、義父の命が繋げていける命綱の食事の意味が全く義母に伝わりませんでした。 私も詳しいわけではありませんでしたが、話しを聞くことはできます。 対応してくれたのはSTの若い男性。義父に何度も接してくれていた人でした。 〇〇さーん、おうちでどうしたらよいか、見せてあげてくださいねー。 おとうさん、見に来ましたよ。おうちに帰りましょうねー。義父は私の姿をみて、おお、そうか。と反応しました。ようやく、来てくれたか、と。「帰れるのか?」と義父は私に尋ねました。決まりを守ると帰れると言うから話しを聞いておきますね。と伝えたところ、「うむ。」と、しみじみと感じておられたようでした。今まで、いつ終わるかわからない、監禁生活、ここから出られるか、いつまで耐えればいいかわからない。それに、耐えに耐えておられたようでした。文句は言わず、ただ、待ちの姿勢。やはり、昔の人間のもつ、強い鋼の精神、忍耐力。私も尊敬の念を持ちました。透析になったら自殺します、と言っていた義父の姿はありませんでした。状況を受け入れ、耐えに耐え、簡単に命を捨てずに、挑み続ける精神をみました。私は、このような義父であることを知っていました。そのために、手伝えることなら手伝いますという気持ちになっていました。義父は、私を待っていたこともわかりました。私に対する感謝を私は感じていました。

願っているだけでは現実は1ミリも変わらないから

不登校は『ぜいたく病』なのか?