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  1. るから、例えば最初旦那とことやと、周りからしたら、ほんまにやめとけって言うような人やったけど、もちろんおとんも親としては反対やけど、あたしが変えることはせんのわかってるから、最後は結局あたしの思うようにしたらええって言うのをおとんも自分で自分の事わかってるから最初から、ごちゃごちゃ言いたくない。結局最後は応援するなら、最初にごちゃごちゃ言われたら、気持ち良くないやろ。それなら最初から気持ちええように応援してあげたい。って。これ、ほんまにおとんて凄いなって思ったんよな。あたしもそうやけど、自分の意思なら別やけど、人がする事(息子やBossや)なんか自分が思ってた事と違うとか、なんかやっててって言われてその気がなかったりすると、ぐちぐち言うけど、結局は最後はなんだかんだで、やってる自分がおるのよ。もちろん自分の意思が違う!って、はっきりしてたら別なんやけど、そうやなかったらただ最初に自分都合(だるいとか、やりたくないとか)で、ぐちぐち言うてるだけやもんな。それを、おとんは自分も経験した上で、思ってる事があっても、ぐちぐち一切言わんと、味方になってくれた。だから、おとんが常にあたしに言ってたのは、どんな事があっても、お父さんは○○(あたし)の味方やから。○○の思うように進んだらええ。○○が幸せなら、お父さんはそれが1番やからな。でも、なんかあったらお父さんに言うんやで。これやった。Bossと初めて会った時も、言葉通じんのに、それでも一生懸命にあたしを幸せにしたってな。って、言うてたな。ベルギーへ行くことになった時も○○(Boss)は、ほんまに○○(あたし)を幸せにしてくれる人なんは言葉分からんでもお父さんでも分かる。でも、もしも○○(あたし)が、無理やってなった時は、いつでも帰ってこい。って。あたしは過去2回結婚したことあったけど、どっちの旦那さんも、会ったことはあるけど、それっきりで。でもBossは、自分のお父さんのように接してくれて(だって、Bossが日本語早く話せるようになりたいのは、おとんと2人で話したいからなくらいやったから)あたしでも気付かんようなことをおとんに対して気遣ってくれたり、体の事も常に心配してくれておとんもそのことはちゃんと伝わっててだからおとんも日本帰国の時は、しんどくてもあたしらに逢えるのを楽しみにしてくれてて彼女からは、『お父さん直接は言わんけど、○○ちゃんの事いつも心配してて、幸せにいてくれるのが1番嬉しい』ってあたしがではなく、Bossが彼女にちょこちょこあたしとの写真とかメッセージのやり取りしてたから近況も分かってたからと思う(あたしは、なんかあった時くらいしか、親に連絡とかってせんタイプやったから)そーゆうのも、Bossに感謝してると思う。あたしもやけど遅すぎるけど、あたしもやっと幸せになれて、色々気持ちにも余裕が出来て、これからもっと親孝行したかったんやけどな。おとんの彼女は、もう30年程一緒にいてるし、籍は入れてないけど、あたしにとってはお母さんやと思ってるから、これからも彼女をお母さんと思って親孝行出来たらな。って思ってます。次回から日本帰っても、おとんがおらんって言う寂しさは無くなることはないんやろな。でも、最後に逢えてほんまに良かったです。お父さんも、喜んでくれてるかな。あたしのお父さんがお父さんで嬉しかった。お父さんありがとういつも以上に、話が支離滅裂ですんません

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    悲しい日本帰国
  2. びっくりしただろう旦那様もいたのだけど会議中で、それなら駐車だけさせてもらってタクシー呼ぼうと数社電話するも繋がらずミアは車内でも痛くて泣き叫んでて…結局旦那様が病院まで車出してくれてもうカーシートに乗せるのすら無理で、緊急ということで私が抱えたまま車に乗せて貰いやっと救急に到着。(駐車場更に混んでた…)フォーム入力して、五分くらいですぐに最初のナース?ドクター?が診てくれるものの、やはりこの箇所を痛がるのはおかしいと。中に案内され、また別のナースかドクターも一緒にミアのパジャマを脱がせ、痛い箇所を確認するも、何かわからないねと。そこからミアは動けないので初の車椅子に乗り、受付で登録をして小児病棟に移動。そこで体重や脈、血圧や熱等を測り、同じように起こったこと説明して痛いところ確認して首や肩を触って…症状見せるのに薬をあげていいものかわからずあげてなかったので、GPで先生が子供用の鎮痛剤をくれようとしたんだけどあいにく切らしていて…やっとここで薬を飲み。薬効くのを待ったのか一時間ほど待たされ。(顔がかなり疲れてる)職場やダディ、チャイルドマインダーにも連絡入れて、、、なんだか結構な量のパラセタモールを服用したみたいで(恐ろしいな、市販の何倍だろう)、少しずつ元気になり、腕もあげられたのでなんちゃらの疑いは晴れたから最後にもう一度血圧とか見たら帰っていいですとのことで(医学用語聞き取れず…)4、5人に診てもらった後、特に原因もわからず根本的に何も解決しないまま痛み止めだけで終了喉がやはり腫れており、やはり左側の腫れが酷いからそのせいじゃないかとのことで(つまりやはり扁桃炎?リンパの炎症?)結局レントゲンも撮らず、金曜日に再度アポを入れてくれ、それまでに良くなってれば来なくていいです、反対にその前にでも熱が38度以上出たりすごく痛がったらいつでも戻ってきてください、鎮痛剤はあげ続けて良いですと。お腹が空いたので病院内のカフェでハムチーズトーストサンド半分こして、がんばったのでイースターエッグ乗ったケーキとスナック菓子を(クッキーはお友達の子に)旦那様がまた迎えに来てくれて、自分達の車でやっと帰宅したのがGPに出た10時半過ぎから4時間後でしたそこから仕事開始でハナも途中でお迎えに行きノンストップな一日でしたミアが選んだおやつ、はなの分も夕方から疲れきったミアは寝落ち。食欲も微妙で夕食も食べずダディが買ってきてくれたスイカだけ食べ、大好きなさくらんぼも残し…また痛みが出てきてカルポル飲んで、寝落ちして起きてを繰り返していますが、今再度カルポル飲んだミアと話しててやっとわかりました。やはりリンパだなぜか耳の下らへんじゃなくて、もっと後ろの方に腫れがあり、そこが痛いと言ってきました。繋がってるからわかりにくかったのかな、肩じゃなくて首だったね…多分リンパ節炎ですね。すごい腫れてる。痛くてなかなか寝れないようだけど、明日少し良くなってると良いな。へとへとだね***********************************************読者7000人超えましたいつもこんな凡人日記ブログにご訪問、いいね!、コメントありがとうございますビビゴも美味しいって韓国人先生が言ってましたこのセット食べたいの揃ってて最高今年の夏はアテニアを沢山持ち帰りますにほんブログ村国際恋愛・結婚ランキング

    * 大変だった一日 *
  3. 気が付くと、もう日本時間のお昼怒涛のように、昨夜20時頃自宅に到着し現実逃避のためトランク内の荷物は段ボールに放り込んでトランクだけ片し、会社へのフランス土産のみひっ掴んで朝から出社・・帰りもユーロエアポートから・・(このトランクの色w超安物です)ラス一人で まずは帰途は途中、ドイツで1泊・・TV見てもフランス語よりずっと手ごわかったw(普段聞き慣れないから)エバー航空でミュンヘン→台北→沖縄へ帰国しました(これは搭乗して最初の機内食)エバー航空は ミュンヘンまでの、行きも帰りも、最後の機内食は「チャイニーズスタイル」は朝がゆ、「洋食」はオムレツでした。実は ミュンヘン空港で台北往きが遅れて・・「ミールクーポンを発行します・・」とアナウンスが途中であったのがちょっと遅延が早まったらしく「スナックとパンケーキをお配りします」に変わったんで、「スナック」はコレだった旨かった後は、カップケーキと水orコーラ。ユーロエアポート→ミュンヘン往きも遅れたし何より、那覇空港→台北往きも遅れた今回は、遅れてばかりのフライトでしたwお陰で 昨日の台北到着後の待ち時間が短くなって助かったけどね・・・エバー航空は、14時間のフライトでも往きも帰りも、お手洗いはいつもCAさんがキレイにしていました。JALやANAに劣らないぐらいに      昨夜、帰国して翌朝には仕事だもんで疲れ果ててアメブロ観て無かったけど・・例の婚約者さん、さっきチラッと見たら前日に、彼と別れたと書いてあった。でも、さっき最新(?)を見たら「仲直りしたら...」と書かれていた。それ見て、仲直り前提で「別れました」と書くんだー・・・客寄せパンダの出来レース?と思ってしまった・・・その「別れました」と「仲直りしたら」のブログしか まだ観てないのですがちょっと、今、閲覧する体力無いなぁ・・・(誰も見ろとか頼んでないし)昨夜は 20時過ぎに自宅に到着し、トランクを床に置いたらそのままベランダへ直行・・居たイソヒヨドリ(雄)その頃には、雨が降り出していたのですがちゃんと ラスが居ない間も来てたんだね相変わらず、フンの一つもしていない。感心 感心ベタベタに疲れてるけど仕事終わったらバレエ行くぞ楽しみ~----

    何かもう・・
  4. いと思う」と怒りのキストを送った。「入れようと思ったのに忘れた」と返事が来た。そして帰り道、いつガス欠で止まるかしらと思いながら運転していたら、カーブの真ん中を勢いよく走ってきたバカ車を避けようと右へハンドルを慌てて切ったら、道路からガタンと落ちて、右タイヤをパンクした。(やはりパンクすると気づくらしい。)その対向車はぶつかっていないからか、そのまま行ってしまった。ガス欠かパンクで私の車が「もう走れない」と言い出した。すぐあった幅広の路肩に車を停めて、夫にガス欠とパンクで動かなくなった。ガソリンを持って来るのとパンク修理しないといけないとSOSした。家まで9分の距離だったが40分後に夫が現れた。この40分、またレッカーかお金が飛ぶのか、いつ直るのか、また車のない生活かと沈んでいる私の背後で騒ぎ出す息子。イライラしながら夫を待ってた。レッカーかと思っていたのに、夫がタイヤを交換し、ガソリンも入れてくれて、自分の車で帰ることができた。帰って来てから、今日はママの誕生日だから電話してお祝いを言おうって 彼女の誕生日にこんな不幸って、私へ呪いでもかけたのかと思った。何度電話しても出ず、息子が寝る時間だからと留守電を残したのに、その後に電話して来る場違い女。この時間じゃ、息子が寝れなくだろうからなんて気遣い全くない。そして1週間だか10日後には義父の誕生日。3月〜イースターが終わるまで、(息子が)会わなきゃいけなくなるのではと恐怖の日々。*息子が寝る時間だからと電話を切ったのに、その30分後にまた電話をして来た義母。夫も切っていたけど、なんだろう。しつこい。

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