みんなが見ている注目記事

  1. 結果にでないところ不妊治療だと思っています。本当に厳しいですよね。どれだけ頑張っても、妊娠率が高い正常胚が連続で全くかすらずだめだったり、PGT-Aが全滅だったり、年齢的な確率考えてもここまでうまくいかないなんてと、思い返せばキリがないです。でも、どんどん年齢も重ねていくにつれてさらに困難になってきて低い確率であっても、努力がその確率を少しでも高めることもあると思っています。だから今は、「努力は報われる」と信じたいです!!!とにかく今日は、ぐっすり眠らないと!!(腹痛になりませんように!!!!)皆さんの妊活、採卵や移植、そして妊娠経過がうまくいきますように!!!皆さんがママさんになれますように!!!↓不妊治療歴はこちら(随時更新中)『はじめまして』40代前半で不妊治療をしています。同世代で周りに治療をしている人がおらず孤独感を感じていましたが、皆さんのブログを読んで、頑張っている方々に励まされました。…ameblo.jpアメンバー申請は、これまで何度もメッセージやコメントでやりとりされた方に限定しています。当てはまる方は申請時にメッセージをお願いします。

    コメントが盛り上がっています

    【移植⑥PGT-Aモザイク胚D17★移植まであと1日】めっちゃ緊張してきました!!
  2. 歳⬜︎ 現在の治療体外受精 第一子▶︎ 自費診療妊娠:2回 流産:1回 化学流産:1回ー 妊活歴 ー● 採卵:5回 ● 移植:16回※2022~2023年子宮鏡検査で異常なし<3院目の治療>・5回目の採卵を実施2024年5月CD138検査を実施「強陽性」と言われたが数値不明2024年7月腹腔鏡手術で卵管水腫が見つかるその場で手術:卵管開口術2025年1月腹腔鏡手術で子宮筋腫を摘出筋層内筋腫8cm(以前から指摘はあったが取るに至らず)2025年7月ホルモン補充周期 陰性2025年8月卵管造影検査 異常なし2025年10月ホルモン補充周期 流産胎嚢確認前にホルモン剤を中止2026年2月ホルモン補充周期 陰性⬜︎ お悩み①:移植後のE2が低すぎるなと思いました。P4が高いのでこのような判断だったのでしょうか?E2は移植後も100〜200あったほうがいいという記述を見ました。逆に310以上でも流産につながると書いてありました。⬜︎ お悩み②:うまくいかなかった②の周期では、D1からエストロジェル6プッシュ、ジュリナ1日6錠で、D10でE2→265と前回の倍に伸びています。内膜は厚くなりましたが、いきなり内膜を厚くしたことで受容体が乱れ、着床の窓がずれてしまった可能性はあるのでしょうか?次移植する時は、うまく行った①を元に薬の量、ホルモン値を踏襲するのがいいと考えたのですが、いかがでしょうか?また、移植後にエストロジェルが減らされているので、減らさずに6プッシュのままでいきたいと提案してもいいのでしょうか?それとももっと高い数値を保った方がいいのでしょうか? 前回までのまとめ皮膚吸収のE2の薬は、ルエストロジェルよりも、エストラーナテープの方が主流E2の薬の投与量が少ない子宮内膜の確認の時期がおかしい移植周期:移植日まで“(①の詳細)HR周期D1 E2→22、P4→0.72エストロジェル6プッシュD10 E2→130、P4→0.21 内膜5.5mm内膜が薄いのでエストロジェル6プッシュ、ジュリナ1日6錠追加※この間のホルモン検査結果を紛失してしまっています。。。D14 エストロジェル6プッシュ、ジュリナ1日12錠増量D18 エストロジェル6プッシュ、ジュリナ終了、11時クリニックでブセレリンスプレー右左右D19 デュファストン23時から開始D22エストロジェル6プッシュ、デュファストン1日6錠、19時からルテウム開始D27移植 内膜7.5mmE2は100未満位だったと記憶。エストロジェル4プッシュ、ルテウム1日2回、デュファストン1日6錠“ブセレリンホルモン補充周期でブセレリンは、普通は使わないですね。排卵を止めている移植法なので、トリガーにブセレリンは、おかしな事です。それとも、E2の投与が少なくて、卵胞が育ってしまったのでしょうかね。ホルモン補充周期で排卵仮に、ホルモン補充周期で、卵胞が育ってしまった場合は、失敗と言えます。排卵を起こすか、E2の薬を使うか、ふたつにひとつです。胚移植では、体内のE2の濃度を上げるためにE2の薬を投与するか、卵胞を育てるか、手段はどちらか一択です。自然周期なら使う卵胞発育を利用して移植する場合、つまり、凍結胚移植の、自然周期やレトロゾール周期では、ブセレリンを使う事はふつうです。採卵と違って、移植では、確実に排卵させる必要はなく、黄体化未破裂卵胞(LUF)でも、問題ありません。*LUF:最終的に排卵していないものの、基礎体温もホルモン値も、排卵した時と同じ状態になるタイミング法人工授精では、妊娠のために卵子が必要不可欠なので、未破裂卵胞では困ります。ただ、あくまでも、胚移植では、卵胞発育を利用するだけなので、卵子の質も関係ないですし、卵子が飛び出てこなくても、着床には問題ないです。ブセレリンの用途排卵を利用した胚移植でも、結局、E2とP4が上がれば良いので、卵胞から卵子が脱出するかどうかは、関係ありません。ところが、ホルモン補充周期では、卵胞発育がないはずなので、投与するのが意味不明です。ブセレリンの必要性について、上記が分かりにくければ、全然おっしゃってくださいね。ルテウム+デュファストンルテウム(400mg)1日2回は、最も妊娠率が高いため、腟坐薬の投与量は理想的ですね。また、胚移植では、腟坐薬が要となり1番重要ですが、ルテウム1日2回に、飲み薬や注射を併用すると、流産率が低下してより良いとわかっています。開始時期ただ、黄体ホルモンの補充は、同時に開始した方が妊娠率は良いですよ。種類を問わず、開始時期をずらすことに、デメリットこそあっても、メリットはありません。黄体期の立ち上がり黄体期の立ち上がりも、妊娠率・流産率に大きく関与して、重要だと言われています。例えば、極端に言うと、最初はデュファストン1日1錠で、移植日からルテウム1日2錠も追加とすれば、どんなに種類が良くても、使い方のせいで、妊娠率が下がり、流産率が上がります。確率を下げない事が重要分けるメリットが、全く見当たらないです。「開始をずらしたが良い」「徐々に増やした方が良い」というエビデンスもありません。絶対妊娠しないとは言いませんが、妊娠の確率は下がります。不妊治療は、何かをすれば一発OKという訳ではなく、確率の少しずつの積み重ねです。7日目移植また、一般的に胚盤胞移植では、黄体ホルモンを投与から、5日後の胚移植が妊娠率が高いです。いわゆる「5日目移植」ですね。ご質問者様の場合は、7日目移植になっています。一般的ではないので、妊娠率は低下しやすいと思います。質問はこちらからも受付中お気軽にお送りください。haibaiyoshi@gmail.com回答:院長 岩城雅範文・イラスト:理事 岩城桃子🎀今日も皆様のお力になれますように🎀オンライン処方のお申し込みはこちらオンライン処方の申し込み皆様にご案内となります。オンライン処方は、あくまで決まったお薬のみのご処方となっております。遠方の方向けに、手に入りにくいお薬やサプリメントを代わりに処方、発送するというものです。通院中の病院に取り扱いがなかったり、担当医師に希望を言いづらwww.iwaki-sanfujinka-blog.com市区町村までの住所など省略された入力は、処方が出来ない場合があります。2回目以降もこのフォームからのご利用をお願いします。問診票は順次新しくなるため、古いものは使えません。wordpress@iwaki-sanfujinka-blog.comよりメールが届きますので受信設定で迷惑フィルターの解除をお願いします。※送信専用のメールアドレスです。受信はできません。ブログ、コメントなどで、当院がお答えする内容は、あくまでもお話をいただいた情報に基づいた一般的な見解をお示しするもので、実際の診察(セカンドオピニンオンを含む)ではありません。直接医師と対面しての診察、検査を行なっていないため、お伝えした内容の正確性を保障するものでは全くありませんので、予めこの点を十分ご理解ください。当院の医師の診察(セカンドオピニオン含む)をご希望の方は、恐れ入りますが電話やメール等での診察は行っておりませんので、ご来院をお願いいたします。また、当院でのオンライン処方をご利用の方も含め、メールやメッセージで直接のご相談をいただいた場合、当ブログ等(※1)でご回答が可能な範囲の内容は、当ブログ等(※1)で取り扱わせていただくことがあります。メールやメッセージ等でご質問やご相談をお送りいただいた場合、当ブログ等(※1)への掲載につきご了承をいただいたものとさせていただきますのでご了承ください。上記の通り当ブログ等にて回答をさせていただく以外は、個別のメールやメッセージでのご相談に応じることはできかねますので、予めご了承ください。(メールやメッセージでご相談をいただいても個別のご相談に対してメールやメッセージでの回答は行っておりませんのでご注意ください。)(※1)「当ブログ等」とは、当ブログ(アメブロ)のほか、当院が管理・運営する各種SNS(Instagram,X(旧Twitter),Youtubeなど)を含みます。当ブログでの掲載に限らず、頂戴した質問やご相談は、当院の判断で各種SNSにもご質問とその回答を掲載させていただく場合がありますので、ご了承の上、ご相談、ご連絡ください。✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚✽.。.:*・゚当ブログの内容には細心の注意を払っておりますが、当ブログの内容はあくまでも投稿時点における研究発表の内容や、医療水準に基づいて記載しているものであり、内容について将来にわたりその正当性を保障するものではありません。当ブログの内容の利用はブログをご覧になられる皆様の責任と判断に基づいて行って下さいますようお願い申し上げます。上記利用に伴い生じた結果につきまして、当院はその一切の責任を負いかねますので、予めご了承下さい。実際に、お身体のことで、ご体調などについてのお悩み、お困りのことなどございましたら、必ず、専門の医療機関を受診の上、医師の診察を受けていただきますようお願い申し上げます。✽+†+✽――✽+†+✽――✽+†+✽――当ブログの内容、テキスト、画像等にかかる著作権等の権利は、すべて当院に帰属します。当ブログのテキスト、画像等の無断転載・無断使用を固く禁じます。✽+†+✽――✽+†+✽――✽+†+✽――医療法人社団 岩城産婦人科北海道苫小牧市緑町1-21-10144-38-3800

    【5年間の体外受精】出産0回で41歳に。(田中H様)
  3. こうとした日43歳不妊治療はすでにあきらめて、ボランティアを楽しんだり里親登録をすすめていたりする日々でした。その日は、夫も休みでした。体調が優れず、婦人科か内科のどちらかを受診しようと思っていました。• 体がだるい• 息切れする• 食欲が偏る• やる気が出ない• お腹が重いような、モヤモヤするような感覚このような症状が続いていたからです。生理がしばらく来ていないことと、更年期の相談もしばらくしていなかったので、まずは婦人科を受診することにしました。久しぶりの婦人科の初診票は、「妊娠の可能性はありますか」という項目があったことをふと思い出しました。まさか、とは思いながらも、洗面台の引き出しを開けてみると、奥のほうにたった一本だけ、妊娠検査薬が残っていたので「どうせ陰性だろう」「でも、一応……」まったく期待もせず、なんとなく試してみることにしました。その検査薬に現れたのは――「陽性」 の反応でした。———————————————-妊娠検査薬を見せて、無言で向かった病院陽性の反応を見た私は、すぐさま夫に検査薬を見せました。「見て」とだけ伝えて、言葉を詰まらせながらも、近所の婦人科へ向かう準備を始めました。でも、頭の中は真っ白で、心はザワザワと落ち着かないまま。婦人科は予約なしでも受診できるところだったので、そのまますぐに向かいました。病院までの道のりを歩くのも夫婦でほとんど言葉を交わさなかったことを覚えています。信じられなかったんです。42歳で不妊治療を終えて、何ヶ月も生理が来ていなかった私が――妊娠しているなんて。受付で問診票を受け取りながら、自分の状況をどう書いたらいいのか、一瞬迷いました。結局こう書きました。「更年期の相談で受診する予定でしたが、妊娠検査薬を使用したところ陽性でした。」最後に生理があった日も、すぐには思い出せませんでした。何ヶ月も来ていなかったからです。記憶をたどるようにして、いつ頃だったか…と考え込んでいました。———————————————-そして、診察室へ問診票を提出すると、まもなく受付で小さな紙コップを手渡されました。「ああ、そうだった…」不妊治療をしていた頃のことが、ふと頭をよぎりました。妊娠判定の日も、同じようにこのカップを渡されて、同じようにトイレで尿を採ったんだ――と。トイレで尿を採取し、カップを提出。何度も経験したはずの流れなのに、その日は全く別の出来事のように感じられました。不妊治療のときは、毎回、期待と緊張と不安が入り混じっていたけれど。この日はただ、現実感がないまま、ぼんやりとした気持ちで椅子に座っていました。しばらくして、名前が呼ばれ、診察室へと案内されました。心臓がドクドクと音を立てているのが自分でもわかるくらい、緊張していました。———————————————-頭が真っ白になった診察室診察室のドアを開けると、すぐに医師が言いました。「妊娠していますね」その一言を聞いた瞬間、頭が真っ白になりました。思考が止まり、驚きというより、ただ現実が遠のいていくような感覚。そのまま診察台に促され、私は言われるがままに体を動かしていました。ここから先の記憶は、とぎれとぎれです。診察中、医師がこう言いました。「だいぶ大きくなっているんじゃないですか」でも私は、ただ自分が中年になって太ってきただけだと思っていた。そんなこと正直に言えず、「少し出てるかな…とは思ってました」と、返しました。お腹にジェルを塗られ、エコーで確認されたと思います。でもそのときの医師の説明はほとんど記憶に残っていません。婦人科は妊婦検診専門の施設ではなかったためか、限られた機材の中で、最低限の確認だけが行われたように感じました。「そこに命がいる」――そう認識するには、あまりにも唐突で、あまりにも静かな時間でした。———————————————-妊娠6ヶ月の現実診察が終わり、着替えを済ませて再び診察室へ戻ると、テーブルの上に1枚の紙が置かれていました。そこにはこう書かれていました。「妊娠おめでとうございます」「妊娠6ヶ月(22週2日)」目を疑いました。たった今、妊娠が判明した私にとって、それはあまりにも遠い話に思えました。「妊娠6ヶ月」という文字も、「おめでとうございます」という言葉も、現実味がまったくありませんでした。医師は言いました。「だいぶ大きくなっているので、すぐ分娩できる病院を予約してください」そして、近隣の分娩可能な病院のリストを渡されました。私の妊娠が、すでに“出産の準備段階”に入っていることを、はっきりと告げられた瞬間でした。さらに、エコー写真も1枚渡されました。小さな紙の中には、確かに赤ちゃんの姿が映っていて。でもその写真を見ても、やっぱり私は呆気にとられたままでした。喜びも、驚きも、まだ自分の中に現れてこない。ただ、静かに、目の前の現実だけが積み上がっていく――そんな感覚でした———————————————-エコー写真と医師の言葉産婦人科での初診。お腹に命が宿っていることを実感しながらも、不安がぬぐえなかった。43歳という年齢。気づかずに妊娠6ヶ月まで過ごしてしまったこと。これまでの不妊治療で「年齢的に厳しい」と何度も言われたことが頭をよぎる。エコーの写真を見ながら、思い切って医師に尋ねた。「いまのところ、問題ないのでしょうか?」医師は画面を見ながら、こう答えた。「今のところ、見た感じは……頭があって、心臓があって、大丈夫そうですね」そして続けて、少し突き放すようにこう言った。「でも、あとは出てくるまでわからない。私の孫も、産まれたらダウン症でしたから」正直、その言葉に少し心がざわついた。高齢出産への偏見なのか、ただの冷静な事実の伝達なのか。淡々としたその口調に、冷たさを感じてしまったのも事実。でも、私はその言葉ごと受け止めて、結果の用紙を受け取り、診察室をあとにした。診察を終え、待合室でお会計を待っているとき、なんとなく視線が気になった。受付の方たちが少しざわついているような、私のことを見ているような気がして、恥ずかしくなった。高齢、初診、妊娠6ヶ月。やっぱり珍しいのだろうか。そんなことを考えながら、紹介状を受け取り婦人科をあとにした。———————————————-病院へ連絡先ほどの医師に言われた。「緊急でと伝えてください。どこかは受け付けてくれるはずだから」その言葉を頼りに、紹介状に書かれたリストの中で、いちばん近い病院に電話をかけた。電話で伝える「緊急の妊婦です」「すみません、緊急で分娩の予約をお願いしたいんですが、妊娠に気づかず今22週なんです」「少しお待ちください」……しばらく待って、戻ってきた返事は、「うちの病院は19週までしか受け付けてないんです。申し訳ありません」え、だめか……。すぐ次に近い病院へ。同じように電話して、事情を説明しました。「今、体調は大丈夫ですか?」って聞かれて、「はい、大丈夫です」って答えると、「少しお待ちいただくかもしれませんが、明日の朝8時からなら初診受けられますよ」って言ってもらえて、ようやくホッとしました。「ありがとうございます、よろしくお願いします」そう言って電話を切ったとき、ようやく“行ける場所ができた”という安堵感がありました。———————————————-まだ安心はできなかった夜大学病院での初診が、明日に決まった。その日は帰りにランチを買って、真っすぐ家に帰りました。でも、全然気持ちは落ち着かない。妊娠がうれしいのは確かなんだけど、“まだちゃんと診てもらえてない”という不安がずっと心に残っていて、嬉しさと不安と緊張で、気持ちがごちゃごちゃになっていました。夜はなかなか寝つけなかった。その日は、やけにお腹の中で赤ちゃんが動いていて、「胎動って、こんなにハッキリ感じるんだ」って驚いたのを覚えてます。なんだか、「やっと気づいてくれたね」って言われてるような気がして。赤ちゃんも、ずっとがんばってくれてたんだなって思いました。この日は 亡くなった母親の誕生日の翌日でした。

    妊娠6ヶ月だった、婦人科でのはなし
  4. こんにちは、生殖心理カウンセラーの菅谷典恵です。採卵や移植を重ねても先が見えず、「あとどこまで続ければいいのだろう」と感じたり、思うように結果が出ない現実の中で、まるで明かりのないトンネルの中に入ってしまったような感覚に陥ることもあると思います。このトンネルから抜けられる日は来るのかな。いつ、どのように終結を迎えるのだろう。人生にはいろいろなことが起こりますよね。思ってもいなかったこと、ほかの人のこととして知っていたこと。そして、自分も当事者になってしまうのかも、という怖さ。振り返ってみると、これまでの人生の中でも、大きなトンネル、小さなトンネル、勾配もカーブもいろいろあったような気がします。いくつも通ってきたはずなのに、今はわからない。このトンネルはどうやって抜けられるのだろう?ひとつ言えるのは、同じトンネルの中にずっととどまり続けることもできない、ということです。時間はかかるかもしれませんが、トンネルの中にいるように感じる時間も、長い目で見ると変化の途中にあるのかもしれません。状況が変わることもあれば、気持ちの重さが変わることもあります。ここでいう「出口」は、必ずしもひとつではないのだと思います。形は違っても、人は生きている限り、何らかの課題を抱えながら過ごしています。次の出来事が今の悩みをかき消してしまうこともあります。ときにそれは、今抱えているしんどさ思いを、薄めてくれる助けになることもあるのです。その先には、「その気持ちと共に先を見て歩んでいる私」がいるのかもしれません。行きつ戻りつしながらですが、気づけば今とは違う場所に立っている日も、やがて訪れるのだと思います。

  5. 私は、一度も着床しませんでした不妊治療をしていた期間、私は一度も、着床すらしたことがありませんでした。 だから妊娠がどんなものかもわからなかった。採卵11回。移植4回。転院1回。腹腔鏡手術。年月をかけて治療を続けてきたけれど、一度も陽性反応を見ることはありませんでした。胎嚢が見えたことも、心拍が確認できたこともない。だから、“9週の壁”とか、“12週までは安心できない”とか、他の妊婦さんが乗り越えていく壁の存在すら、私にとっては、ただただ遠い世界の話でした。————————————————毎回緊張モードの採卵私の場合、採卵できる卵は毎回1個だけでした。だから、ただ採れるだけでもホッとした。でも、その次にはすぐまた新たな不安が襲ってくる。• 空砲じゃないか?• 成熟卵なのか?• 受精はするのか?• 体外受精か?顕微か?• 分割してくれるのか?• 無事に凍結までいけるのか?• グレードは?もう採卵1回ごとに、ストレスの波が押し寄せてくる。1個に全てをかけることの緊張感。うまくいかないたびに、「私の体はダメなんだ」と責める気持ち。自分自身の価値まで否定されているような、そんな日々でした。————————————————移植:希望を持つことが、怖くなっていくいくつかの受精卵がどうにか凍結できて、移植が決まったとき。もちろん、希望もありました。でも、移植日が近づくたびに、心の中に広がっていったのは不安でした。• 子宮内膜の厚さは?• ホルモン値は?• 着床のタイミングは合っているか?心も体も「妊娠する準備」をしながら、どこかで「きっとダメなんじゃないか」と思ってしまう。移植後の判定日までの数日間。何度も自分の体の変化に耳をすませて、「今度こそ…」と期待して、また裏切られる。不妊治療中の私は、少しの変化があるとすぐにインターネットで調べる癖ができてしまっていました。————————————————知らないうちに、時だけが過ぎていた「次こそは」「あと1回だけ」そう思いながら、治療を重ねていくうちに、気がつけば、年齢はどんどん進んでいて。42歳も半分くらいが過ぎてしまっていた。私は治療を終える決断をしました。もうやれることはやった。心も体も、疲れ果てていたから。不妊治療に時間とお金を費やすことに疑問をもちはじめ、ボランティアや里親など新しいことに興味をもちはじめスタートさせていた。40歳になってすぐクリニックへ。「AMH0.12」「卵巣年齢55歳」「自然妊娠の確率1%未満」「42歳で閉経」これだけ診断がそろえば、絶望でした。それでも、奇跡のように授かった命。妊娠がわかって数日経ち、お腹の中にいる子の存在が、ただの“幸運”では片付けられない、人生で最も大切な意味を持つ出来事になりました。妊娠は“ゴール”ではなく、“命を迎える旅のはじまり”なんだと、その時ようやく分かりました。

    妊娠とはこんなにも奇跡で、尊くて、重みのあることだった。