
10JUN.
大一大万大吉の意味
歴史好きは石田三成の家紋「大一大万大吉」を「一人が万民の為、万民が一人の為に尽くせば、皆吉になる」と解釈し、三成がその為に「大一大万大吉」を家紋としたと思っていまする。司馬遼太郎もそう思ったかも知れません。しかし事実は違います。幸若舞曲の「夜討曽我」に曽我兄弟が工藤祐経を討ち取ろうと屋敷に入る場面があり、屋敷の中で家々の家紋を見る場面があります。「まず一番に釘抜、松皮、黄紫紅、この黄紫紅は三浦平六兵衛義村の紋なり、(中略)、折烏帽子、立烏帽子、大一大万大吉、白一紋字、黒一紋字は山の内の紋なり」とあります。また講談「曽我物語 夜討曽我紋づくし」には「(略)向こうの隅には、大一、大万、大吉と白く抜いたる大幕は石田判官為久なり。(中略)、白一文字、黒一文字、浅黄の内に出せしは須藤、滝口の兄弟なり」とあります。大吉大万大吉を先に作ったのは山内首藤なのか石田なのか?実は、山内首藤家伝には「家紋は先代より折烏帽子三枇杷の葉先輪の内へ通したのを紋としていたが、形部丞俊通義朝公の旗揚げにより相州より第一番に味方に駆参した褒美に笠印にせよと一文字を賜い、これに日月に表して白黒の一文字を白絹に画き左右の袖につけて出陣した、また一文字を大将から賜り万事吉兆ありと大一大万大吉と云文字をたたみ合わせて幕の紋とした。」とあり、大一大万大吉の家紋を作ったのは山内首藤形部丞俊通であり、その意味は「大将(義朝公)より一文字を賜り、万事吉兆」の意味でする✨写真は山内首藤家の大一大万大吉と日月を表する白一文字、黒一文字の家紋でする✨

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宇美八幡宮。御神木のお守り

昨日から梅雨入り 1/fゆらぎ