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30MAY.
どう生きたいかを頭で探さなくて大丈夫
長い間、自分の感情を閉じ込めていた人は、自由になることすら怖い。ずっと耐えて来て鎖が外れても、どう歩けばいいのか分からないのです。感情を出すと否定される。本音を言うと傷つく。自由に動くと叱られる。そんな中で生きていたら、人は自然に、「感じないようにする」「期待しないようにする」「目立たないようにする」ことで、自分を守るようになります。だから、笑えないことも、目を見て話せないことも、投げやりな返事になってしまうことも、あなたの「性格」ではなく、長い間、自分を守り続けてきた証なのだと思います。そして今、「自分を取り戻したい」そう思い始めた、焦らなくて大丈夫。無理に明るくならなくていい。無理に社交的にならなくていい。急に「普通」になろうとしなくていい。まずは、🌸 嫌な時に「嫌だ」と感じる🌸 好きなものを「好き」と言ってみる🌸 泣きたい時に泣く🌸 美味しいものを「美味しい」と感じる🌸私はここにいていい」🌸このまま感じても大丈夫を少しずつ身体に教えてあげてください。 「どう生きたいか」を頭で探さなくて大丈夫。あなたの本当のいのちは、なぜか安心するものなぜか涙が出るものなぜか惹かれるものなぜか心が緩むものその中に、ちゃんと眠っています✨あなたは今、遅すぎるのではなく、やっと「自分の人生」を生き始めようとしている途中なのだと思います。いつも応援していますよ🌸全国古事記塾主宰 今野華都子絵と文記す
公式テキスト中心に132P 笠置寺、蟹満寺、岩船寺、光明寺
今日は何の日?元慶4年 在原業平〔忌〕慶長20年 片桐且元〔忌〕昭和2年 並河靖之〔忌〕公式テキスト中心に132P笠置寺(奇岩の宝庫。アクセスするまでの上り坂がきつい)(1)本尊は。(2)(○○○元年)、鎌倉幕府打倒の企てが露見した(○○○)は、京都を脱出し、笠置寺を(○○○)としたことから、笠置寺は合戦の舞台となった。(3)東大寺二月堂のお水取りの起源になった場所は。蟹満寺(4)本尊の(○○○)は、京都府唯一の白鷗時代の(○○○)仏。(5)一説によれば、秦河勝の弟(○○○)の建立と伝えられる。岩船寺(6)磨崖仏や石仏が数多く見られる(○○○)の里にある。(7)(○○○)の勅願で、(○○○)が建立した阿弥陀堂が始まりとされる。(8)三重塔は、(○○○)の入滅から十年後の承和年間に、仁明天皇が遺徳を偲んで宝塔として建立したと伝えられる。ただし現在の塔は再建されたもの。光明寺(綾部市)(9)国宝の二王門は何葺きか。(10)(○○○)山の中腹にある。(11)聖徳太子が創建し、役行者が修行をし、(○○○)が中興した。----------------------------------(1)弥勒磨崖仏(2)元弘元年 後醍醐天皇 行在所 元弘の乱(3)正月堂(4)釈迦如来 金銅仏(5)秦和加(6)当尾の里(7)聖武天皇 行基(8)智泉大徳 西明寺124P(9)栩葺(とち葺) ひらがなで書きましょう(10)君尾山(11)聖宝(理源大師)
龍神 9 謎の大神神社
みんな元気ですか古代天皇家の歴史のこと二ギハヤヒがスサノオと一緒に中国九州四国を平定していたころ、まだ今の大和の桜井市・・・大神神社に都を定める前は大歳(おおとし)という名前で呼ばれていました。前回ご紹介しました天皇家の祖神であるという意味を持つ御祖皇大神(みおやすめのおおかみ)という神名が付いた大歳御祖皇大神(おおとしみおやすめのおおかみ)という名を持つ神を主祭神とする神社がいくつかあります。静岡県七間町の別雷神社(わけいかずちじんじゃ)の社伝には応神天皇4年の創建で古くは大歳御祖皇大神を祀り、後に別雷神社と改称したとあります。別雷神が二ギハヤヒだという証拠でもあります。そして・・・久留米市大石町の伊勢天照御祖神社の主祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)です。二ギハヤヒの長い名前の一部です。つまり伊勢の天照皇大神の御祖(みおや)の祭神が二ギハヤヒだと言っているのです。さらに・・・丹後一宮籠(この)神社のご祭神も彦火明命(ひこほあかりのみこと)が主祭神であり相殿に天照大神・豊受大神がそれに従う形で祀られています。つまり主座は二ギハヤヒなのです。大歳そのものを名前とする神社、大歳神社は中国・九州・四国など関西以西に多くありますが兵庫県までです。大阪にはいるとほとんどなくなります。大和にはいる前に大歳を二ギハヤヒと改名したからだと思えます。その大歳は香川県琴平宮に宮殿を作りました。愛媛県の大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)にはスサノオが拠点を構えました。スサノオは武勇の神としても崇められていました。戦国の時代から明治大正いたるまでに多くの武具が奉納されています。現在も自衛隊の幹部は大山祇神社を参拝します。日本で最大の兜や甲冑等の数が奉納されています。国宝や重要文化財の数では日本で最大数がおさめられています。スサノオの武勇にあやかり戦勝を祈願したのです。スサノオが西に、二ギハヤヒが東に拠点を置き瀬戸内海の航路を見守りました。彼らは外国との貿易を奨励し日本を経済的にも豊かな国にしようと計画しました。ちなみに・・・彼らの拠点は今では神社になっていますが、当初は宮殿でした。琴平宮の「宮」はそもそも神社を表す宮ではなく宮殿を表す「宮」でした。それが後世「神社」になった理由とは日本の黎明期の古代にそこに居を構えた天上人がいたから「神の社」(かみのやしろ)と呼ばれるようになりました。これを「素直」に解釈すると・・・そこに住んでいたのは人ではなく文字通り「神」だった可能性があるのです。記紀もその土地の言い伝えにならってそのことを書いています。「天孫降臨」とは史実を忠実に表現しているのかもしれません。天上人とは、空から来た人達だった可能性があるのです。同じ読みですが、殿上人とは表記しません。意味が違うのです。日本人はその言葉に慣れてしまっています。そのことを素直に理解することを止めてしまっているかもしれないのです。日本の古史故伝には彼らが空から来た人たちであることを示唆するものがあまりにも多いのです・・・続きはまたね(天御降臨の図・・・)

なぜか、ピリリとしていた。
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