
10JUN.
期待値を超える結果が怖い自分のこと
写真を撮っていてこんなきれいな景色を残せたらってぐっときてシャッターを切ってみると、あまりよくなかったりする。逆に平凡な人の往来だなと思って、シャッターを切ってみると整然と幾何学的に人が配置されているような奇跡のような瞬間に立ち会えることもある。また陰影が妙に魅力的な写真もある。ミラーレスになってから、そのマジックはあまりなくなったように思うけど、レフ機の時は、撮影結果を見て息をのんだ。本当に自分が撮ったのかと。多分レフ機は、想像できない分、どんな画が撮れるのだろうと期待する気持ちが高まる。ただの光学ファインダーというのが、魔力がある。見えているけど、それは写真ではない。そこが、どうしようもない色気があるのだ。また、人間にも色気がある。人間としての年輪の深さ、迷ってきた数の照明。人としてそこはかと香る魅力に打ち震える時がある。写真で表現するということは、その人生を映し出すように思う。写真が放つ魅力と人が醸し出す魅力はリンクしていて、遺伝子的に魂を震わすように思う。つまり写真にはそういう魅力があった。期待しないことが私の常になった。人との出会いも、自分のキャリアというものに対しても。ただ、その期待値を越えてくる出会いや、人生の転機がある。ありとあらゆる結果を想像し、自分の期待値を高めないようにしている自分がいた。多分、私は落ち込みたくないのである。そういう人生を生きていると、自分の想像の範疇で物事が起きているように思ってしまう。そこに、衝撃的な出会いもあるのだ。魂を震わせる感動もあるのである。不本意であった。私は感動するのが怖かった。カメラはそういう期待を越えてくるものがある。相棒のD780では幾度となく感動を共有した。期待しないということが愚かであるように、D780の写真は感動的だった。生きているなあと思うのである。落差があればあるほど、感動は深くなる。私の心は強く動かされていることが多い。ミラーレスに移行して、満足な作品が撮れなくなってしまったのは、無限の可能性にアプローチできなくなったからなのかもしれない。D780なら自分の期待値をゆうに越えてくるという気持ちがあったからなのだと思う。冷めた男なのだが、ただ人間の成熟というものは、ピュアに、情熱的に渇望してみることではないかと思った。私の人生も無限に広がっている。人との出会いも、学びも、住む場所も。そんなことをD780に回帰してみて思ったことであった。期待をし、上手くいくこともあれば、落ち込むというサイクルが人として精神の成熟を促すように思う。生きていて、鉄の扉に守られた人生だったが、少し傷ついてみようかなと思っている。自分のキャリアもそう、人との出会いもそう。必死に努力して裏切られるということも自分には必要な気がした。そうするといつもフレッシュに居られるように思うのだ。写真撮影一年目、新入社員一年目の気持ちを持って、ちょっと頑張ってみようと思った。そういう気持ちを書いていると、すこし春めいた気持ちになる。ちょっと温かいものが流れているように思う。光学ファインダーの景色が、写真の結果と結びつかないと同じように、私の想像の範疇に自分の人生を収めないことだと思う。週の始め、ちょっと疲労困憊です。

6月9日 【寅の日お財布さまの感謝祭】三合参り

【想い出】6月9日|大阪、DEEN、温泉、サウナ、モーニング娘。、福岡、大分etc...

持光寺 (広島県 尾道市)