
24MAY.
アダルトチルドレンの皆様へ 大事な事
…きちんと感じた上で自然ににじみ出るもの。だからこそ、ポジティブに見せかけた自己否定に、まず気づくことが大切だ。つらいなら、つらいでいい。かなしいなら、かなしいでいい。そのままの感情を、否定せずに受け入れること。偽りのポジティブでは、回復は進まない。それは、ただ自己否定を上塗りしているだけなのだから。毒親育ちの生きづらさは、一言で言うと自己肯定感の低さにある。でも実は、この「自己肯定感」という言葉の曖昧さが回復を難しくしている。多くの人は、成功すれば上がる、前向きになれば上がる、ネガティブを消せば上がると思っている。でも本当の回復はそこではない。大切なのは自己受容だ。不安な自分、弱い自分、落ち込む自分も含めて「これが今の自分」と受け入れること。お金や評価で価値を作ろうとする限り、生きづらさは消えない。回復の出発点は、どんな自分でも存在していいと思えることなんだ。ACがハマった最大の罠。それは「前向きな言葉」で心を抑え込んでしまったこと。ポジティブ思考、感謝、思考は現実化する、利他の心…どれも本来は「感情を感じきれる人」のためのもの。でもACは、それを“自分を麻痺させる武器”にしてしまった。悲しみや怒りを「感じちゃダメ」と封じ、「前向きでいなきゃ」「感謝しなきゃ」と自分を追い詰める。“利他の心”も、いつの間にか“自己犠牲”へすり替わる。回復を目指してたはずなのに、感情からどんどん遠ざかっていく。それが、ACの回復を妨げる最大の盲点だったんだ。ACにとっていちばん大事なのは――ポジティブになることじゃなく、「感情を感じること」。怒りも悲しみも、まずは「そう感じた自分」を肯定してあげること。感情の奥にこそ、本当の癒しが眠ってる。“感じない癖”から抜け出したとき、ようやく回復が始まるんだ。秘密結社+Mさん例えば、人に寛容になる、というのは、それだけ取り出せば美徳だろうが、人に寛容になれない人を見つけて、あなたは徳性が足りないと説教をするのは筋違いである。人によっては、他者に不寛容になることで自分の前向きさ、人生の意味の感覚を支えていることもある。一事が万事で、「その人という文脈」を見ない雑な道徳は、人と関わっていくとき、百害あって一利なしである。ソク=ラテスさん執着を手放すというのは、「もういいや」と諦めることではありません。むしろ、「私は大切にされる価値がある」と、自分自身を心から信じるという、とても前向きな選択です。愛は、コントロールされると窮屈になります。一方で、自由な中でこそ、自然に育っていくものです。だからこそ、本当に愛される人は、相手を縛るよりも、信じて見守る力を持っています。たとえ会えない日が続いても、連絡がなくても、「この人は自分の心の中にちゃんと居続けている」——そんなふうに思ってもらえる人には、余白を恐れない強さがあります。つまり、長く続く愛とは、「また戻ってきてくれるだろう」と期待することではなく、たとえ距離ができても、関係そのものが揺らがないという、お互いのあいだにある静かな信頼によって支えられているのです。井上陽平さん2026年は、長く地下に退避していた心が、慎重に地上へ戻ろうとする年です。トラウマ理論の視点では、回復とは「前向きになること」ではありません。生き延びるために閉じていた感覚や関係性を、安全が確認された範囲で再び開くことです。神話で言えば、冥界に降りた存在が、何もなかった顔で戻ることはありません。持ち帰るのは勝利ではなく、深みです。紡希さん「明るくしていれば大丈夫」の危うさ。無理に明るく振る舞ったり、ポジティブな言葉で、心の痛みを覆ったりする行為は、前向きさとは別のもの。キラキラした考え方で現実にフィルターをかけても、問題は消えないし、感情だけが置き去りになる。前向きな言葉が効かないのは弱いからじゃなくて、ずっと心が生き延びるために警戒してきた証なんだと思います気持ちが沈んでいるときほど、「前向きになろう」とする行為そのものが、いちばん難しい。元気な人のポジティブは正論なのに、弱っている時の心には、正しさが刃になることもある。だから「何かに没頭すればいい」という言葉は、励ましというより避難場所みたいだと思う。立て直さなくていい。意味を見つけなくていい。ただ、思考から一度降りてもいい。そう許される感覚が、確かにそこにはある。没頭は、輝かしい趣味や才能である必要はない。淡々と続けられること、体を少し動かすこと、同じ動作を繰り返すこと。それだけで、心はちゃんと回復の道に乗っていく。「ポジティブ論」は精神的にも元気な人には効果があってもなかなか回復できない人には重荷ですそれは今回わたし自身が陥った、精神的不安定が母親からのアダルトチルドレンと難病波及を知った後のショックの心の処理がこの40年後回しにしてしまった結果なんですだから20年前からあんなに本を読むことが大好きだったのに飽和状態となって、読まなくなったのはこのことだったんだとようやくわかりました一進一退ですどうしても仙台に帰ってくるともう、どうでもいいことを思い出してしまう和歌山にいると、自分本来に戻りワクワクしてしまう主人がいい人だとそれは認めているけど心の中の孤独感はとれないそれでも、主人は何も言わずに和歌山などへの長期的な旅に送り出してくれている感謝しかありません結婚した当初から、主人はわたしのことを「いつか、寺の僧侶になる人」と思っていたと聞いた時「そうかも」って思ったある人からはもう修行、やめろ、とか言われるほど山も歩いたし、登拝も続けたし修験道の寺へ足繁く通ったりそこが一番自分が自分で居られる場所だったと思います無心で僧侶とともにお経の本を読み上げる渋川八幡宮の元宮司で小野善一郎先生はすでに帰幽されましたが毎日、大祓詞を大きな声で唱えること大きな声で唱えて祓って、祓って、祓って笑顔になって生きよう!と、話されました『排除された祝詞は、人への警告文』『【大祓詞】現代語訳で、意味を知ろう!』案外、大祓詞の意味を知らずして読み上げている方も多いと思います上野八幡神社の宮司さまの現代語訳がございます抜…ameblo.jp現在、お身内の方からの申し出によりYouTubeなど、動画は見ることが叶いません宮司小野善一郎 | 日本のまんなか総鎮守「渋川八幡宮」公式サイト福島県に生まれる。國學院大學大学院文学研究科神道学専攻博士課程後期修了。渋川八幡宮宮司。伊香保神社宮司。國學院大學大学兼任講師。公益財団法人日本文化興隆財団講師。博士(神道学)。神社本庁の関係団体である公益財団法人日本文...shibukawa-hachimangu.jpわたしは、今までたくさんの師に出逢い助けていただきました生まれて、この60年苦難の連続でしたそれでも、生かされたただ素晴らしい人たちに恵まれ主人には恵まれわたしは、幸せですわたしが、公の場で包み隠さず若い時のことを話そうと思ったのはあまりに日本人が、精神的に病んでいる身体は大人なのに精神的成長が追いついていないその事を思ったからです10数年間、通い続けた奈良吉野山から和歌山、高野山、熊野へわたしの中に変化が訪れましたあの時元彼とうまくいかなくなった時周囲にはすでに結婚して、お子さんもいらっしゃる人もたくさんいらっしゃいましたしかし結婚されて家庭を持っていても誰も、中立の立場を採らず長い付き合いのある元彼だけを囲いわたしは悪者扱いとされてしまいましたどうしたの?と寄り添うでもなくわたしだけを突っつきましたあの寂しさ、悲しさは主人の家に同居しても意地悪が続ききょうだいからの、冷たい仕打ちを浴びながら耐えていました離婚しなかったのは元彼と会った時「人の家庭は壊したくない」の一言でさらに、ガマンしてしまいました主人も良きパートナーでしたのでなんとか周囲の意地悪にも耐えて生きてきました子どもの頃からガマンの連続でしたそれがアダルトチルドレンの後遺症だったのです言えない言うくらいなら、ガマンするその時の事を思いますと意地悪した人たちもまた精神的成長がなっていないオトナだったのだと必ず誰でも親からの攻撃を受けているのだと歪んでいることも知らず子どもや配偶者に他人に当たっているそれは、その人たちの親の子育ての仕方にあるのだと心理学を勉強してみるとわかりました結婚している子どもがいる仕事の上では、役職がある充分、オトナだろうと思っている人こそまったく、自分が歪んでいることも感じず親からの攻撃は受けて歪んでいるんですよ誰でも自分のせいではない、と気づかないで、性格だと思っているそれが、厄介いかにも邁進しているように見えても幸せになっているように見えてもやられた側にしてみればたとえ、還暦を過ぎても誰が言った、やったは覚えているいつまでもそれでも、やられた側は前向きに生きているのだしかしある瞬間、フラッシュバックが起きると思い出してしまうのだその後遺症精神的な不安定を経験してしまうと元の自分に帰るには分析、その時の状況と感情の整理第三者的に、自分を観ることそれだと思いました精神的不安定さが深みにハマる前に知ることができてわたしは、運が良かったと思いますこれも漢方養生指導士の資格を持っていたからかもしれませんし先祖が天皇の御典医であった、その血筋がわたしを助けてくれたのかもしれません見えないチカラが有り難いと思った事はありませんだから4月末に、京都へ本家筋の先祖の寺を尋ねたのです感謝しかありません頑張らなくていいよ見栄なんて張らなくていいよたまには独り旅もいいよ行ってみたいところ出かけてごらん

ハアリ

ビオトープ(2026.5.15)

薩摩切子と尚古集成館