2/24の記事ランキング

  1. 2017年10月9日
  2. 動いた手
  3. 凍結を行うにあたりがん治療の予定が狂うことはないです。そんなの、主治医が許してくれません笑笑卵巣凍結は治療期間の間だと、体力の回復が間に合わないので選択肢から外れたわけです。今の医療の力だと、生理の周期関係なくホルモン注射で卵子がとれるようなのです。昔は、無理だったことが、医療の進歩のお陰で選択肢が増えました。本当に、ありがたいことです。まだ、私の体の状態を専門医に見せてないので、卵子凍結が本当に出来るかわからないし、取れても使い物になるかもわからないけどね。私の母も私を体外受精の不妊治療の末、産みました。だから母もとても悩んでいました。でも、一日経って、お母さんも、家族もみんな卵子凍結は賛成してくれました。正直、恵まれてると思います。卵子凍結について、一日しか考えてないで、よく、結果出るよなぁ、もっと考えないと。って思われる方も多いと思う。私も一日で、冷静に考えがまとまるとは思ってなかった。病気になって、限られた時間の中でたくさんのことを考えて来た私たちだからこそ少しの時間で重要な考えがまとまるようになったのだと思います。入院した日なんて、考える余地もないまま、すぐ治療を受け入れよくわかんないまま、抗がん剤流されて。笑笑私は、病気の深刻さを理解してなかったけど、その時お母さんは必死になんでもいいから治療してくださいって言ってた。私たちには考える時間がなかったの。だから、1時間でも考える時間があることがとても幸せなことです。昔は、治療第一で、卵子凍結の話を先生から聞かされなくて、治療が終わった後に、卵巣機能停止の話を聞かされとても後悔した、という女性の記事をいくつか見ました。今は医療の力が発展して、昔は治らなかった病気も治る事例が増え、その中でお医者さんが患者のQOLまで考えられる、提案できる余裕が出来た。私の病気は、今抗がん剤の治療を頑張れば予後は良好で、定期診断しながら長く生きられる病気だそうなので、前向きに、後悔しない選択をしたかった。逆にいうと、今の治療を怠ると大変なことになります。卵子凍結と治療の期間がうまくいかないってなれば、卵子凍結はきっぱり諦めます。卵子凍結しても、絶対子供が持てる可能性がある訳では無いけれど0より1の方が将来への不安が減ると、自分自身思ったので、その選択にしました。目に入れても痛くないって10年後に言ってたいな〜

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    卵子凍結のお話のほそく。
  4. 迎えられた誕生日
  5. ブログを始めて約三週間!まさか私がブログなんてキャラじゃないしと思っていたし意味があるのかもわからないまま何となく書いてきたけど思いの外たくさんの方々に読んでいただけて暖かいコメントや共感していただけたり嬉しい褒め言葉やハッと考えさせられるようなご意見思わず涙してしまうようなメッセージまでいただいたりしてとてもとても嬉しく思っていますありがとうございます!!お返事なかなか返せておりませんが🤦🏼‍♀️💦これからもどうぞよろしくお願いします2018.1.17今まで約12年間ほぼほぼ休む事もなく真面目にコツコツ働いてきた私がはじめて1ヶ月も仕事をお休みしてしまいましたそれは想像もしていなかったことで元々ある長期休暇の8日間以上もお休みする事でもあったらもう終わりやーーーー💦!と思っていた私からしたらかなりの挑戦でした手術からも丸1ヶ月!術後の経過は良好でまぁ普通に歩けるし出血とかもないし大笑いでもしなければお腹の痛みもほぼありませんだけどやっぱり丸一日立ち仕事をするのは少し不安…スタッフとかお客さんと会うのにも少し緊張…朝いつも通りの時間に起きて久しぶりにばっちり化粧をしていつもの電車に乗って出勤!!!基本9時間労働!(去年から少し短くなったのです)基本立ちっぱなし!すごくすごく緊張したけどそんな事より何よりも働ける嬉しさの方が遥かに上回っちゃって終始笑顔で仕事を終えた1日目あーーー働けるって幸せだ!そして、私、本当にこの仕事大好き!嬉しくて楽しくて1日喋り倒してしまいましたw案の定終わったらクタクタで帰りは死にそうになりながら大人しく真っ直ぐ帰宅しましたが体調が崩れる事もなくむしろ周りに「普通に元気そうだね」と驚かれ幸せな日でしたお客様の髪を切りながら嬉しくて少し泣きそうになっちゃったぐらい普通の事がこんなに幸せなんてねこれからまた治療をしていかなければならなくなったのでこれからどう働いていけるのかそれだけが不安ですうちのお店のスタッフは現在9人癌になった人は病気の事を隠して働く人もいるみたいだけど私はスタッフひとりひとり全員に自分の病気の事を話しましたそれはこれからもここで働いていきたいという私なりの意思表示でもあって迷惑掛けるけどよろしくね、というお願いでもあって信頼してるよ、という気持ちを伝えることでもありました大体みんな優しかったけど「チャコさんのハゲは笑えます…」ってこれから脱毛するであろう事を早くも後輩くんにイジられしかも嫌じゃなく笑ってしまったというそんな職場ですw私はこれからもここで働いていきたいと思います有り難い事に私の復帰を待っていてくれたお客様がたくさん居て予約はぱんぱんになっていました気合い十分!!それでも家に帰ってひとりになるとあーここ2、3ヶ月の出来事が全部夢だったいいのになぁとやっぱり思わずにはいられない朝起きたら癌なんて無くなってたらいいのに癌告知を受けた人は大体1ヶ月ぐらいは情緒不安定になるって何かに書いてあった!(どんな統計だろか💦w)じゃあまだまだしょうがないよね!!

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    お仕事復帰!!!
  6. ってしまい、たくさ闘病ブログを読むようになってしまった、同期のKちゃん。笑プレミアムフライデーで午後休なので、とランチに誘ってくれて、品川のGARDEN RESTAURANTでビュッフェを。密かに気に入っているここのランチ、子連れにも優しく、結構人気で予約が1330からの90分でしか取れなかったので、ランチの前に十字式行く?と誘ってみました。Kちゃんも前から気になってた派で、行く行く!と二つ返事。ちょうど12-13時はお昼休憩で、13時前に着くと、4.5人がすでにいらしてました。今日の先生は、私も好きな先生で、前向きな声がけと、丁寧な施術です。滞ってた腕周りのリンパ、肩をほぐしてくれて、腰の痛みも取れ、肝臓も大丈夫👌と、「免疫力は腸ですからね、整腸剤などで整えて、あったかくして」と、副作用で弱ってる腸についても指摘され。流石、、バレてる、と。Kちゃんも、肩腰だいぶ楽になったみたいで、お互い施術後には脇汗。笑 。病は気から、ここは施術に前向きな人ほど、効くように思います。ランチの後のまったりタイムほんとに、よく寝てくれる子です。寝かしつけてないのに、寝ちゃう。笑お迎えの後、元気有り余る娘と、公園3件はしご。いつもは自転車だけど、今日は歩きなので、誘惑がありすぎて、、、さ、寒い、、、途中腹痛で、ユニバーサルトイレに3人で駆け込み、最後の公園では、滑り台あと3回が永遠に、、、家に帰ると、「今日はばあばも、パパも居ないから、ママがんばってね、ご飯作ったりとか。」なんて。笑「今日は用意してきたから、すぐ食べられるよ〜」と。(そんな余裕があると、公園3件も付き合ってあげられる)そして、お隣のSさんから、美味しいトリッパもいただき、娘、息子ベビーとまったりと時間を。なんだか、色々充実した1日に感謝。

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    Kちゃんと十字式
  7. ういっぐお披露目の巻
  8. なった。虹翔も小さ病院のお風呂とは違って、肩までつかれるようになって、気持ちよかっただろうな。土日になったら、パパにも入れてもらおうね。退院4日目。午前中、保健師さんが来てくれた。これまでの虹翔のことを説明した。それから、体重を測ってもらったらやっと6kg超えてた、よかった。生まれた時の倍くらいになったんだね。成長しているなあ。皮膚はやっぱりまた悪化してきている感じ。おしりのただれもでたり、痛い思いは尽きない虹翔。退院して5日目。今日は土曜日。パパはお仕事お休みで、久しぶりに朝からずーっと一緒にいれたね。パパととっても嬉しそうだった。今日は、里帰りの時ぶりに、私のおばあちゃんとおじいちゃんが虹翔に会いにきてくれた。すっごくすっごく喜んでた。「虹翔頑張ったね。」「早く良くなれ。」「虹翔のこと思うと、涙が出るよ。」「大丈夫、大丈夫。」「悪いの飛んでけー!」って言ってた。たくさん応援してくれてた。ずっと会えなくて、声を聞くことも顔を見ることもできなくて、ひたすら神様に祈ってくれていたみたい。ずっと心配してくれていて、今日やっと虹翔の顔を見れて、安心したって言ってた。これからいっぱいっぱい、遊んでもらおうね。じーじとばーばに、いーっぱいパワーあげようね。午後になって、ベビーカーに乗ってちょっとだけ外に出た。ほんの少しの時間だったけれど、外の景色、風、鳥の鳴き声。自然をいっぱい感じさせてあげることができたかな。きっと見るもの全てが目新しくて、退院してからの毎日は、虹翔にとって、刺激がいっぱいの毎日だったと思う。もっともっと色んなところに行って、色んなものを見せてあげたい。そう思った。虹翔の七不思議の一つ、謎の脱毛。退院してからも、虹翔の脱毛は続いた。髪の毛がどんどん抜けていく。赤ちゃん特有のものでもなければ、そんなに強い薬を使っているわけでもない、副作用でもない。人は見た目で判断してはいけないけれど、やっぱり、目の前でどんどん髪の毛が抜ける我が子を見るのは、胸が苦しかったし、辛かった。私もパパも、ショックだった。抜けてる原因もわからない。また生えてくるかもわからない。たとえ髪の毛が抜けても、可愛い我が子には変わりないし、そんなことで愛おしさは欠けない。でも、、でもやっぱり、辛かった。見たらすぐにわかる、普通の子とは違うということ。命に直接関わることではなかったのに、辛かった。「大丈夫、大丈夫、髪の毛がなくたって平気だよ。」なんて口では言っていたけれど、やっぱり、髪の毛は、あった方がいい。それが、本音だった。こんな風に思っている私のこと、虹翔はどう思っていただろう。嫌だったかな。そんな目で僕のことを見ないでって思っていたかもしれない。ごめんね。虹翔の髪の毛がたとえ生えなくなったって、全部抜け落ちたって、ママは虹翔のことが大好きで、ずっとずっと大好きなことに変わりはないのにね、ママこんな風に思っちゃって、ダメだね。これまでもっともっと辛いことがあったから、泣きたくなるほどの辛さではなかった。でもやっぱり、ショックだった。

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    脱毛
  9. した。もちろん、夫闘病を忘れないようにするためでも。みなさん、本当にありがとうございます。*********************夫は、脱毛が激しくなってきて、コロコロで取っても取ってもどんどん抜けてきてしまっています。また、常に眠いようで、今日もずっと寝ていたと言っていました。ただ、食欲・胸焼けは軽減されてきたようで、ご飯を少しでも食べられるようになりました!そして、今日の昼間に、入院中の病院から電話が。内容は、○○病院(緩和病棟・ホスピスがある)の予約日の時間の変更があります。とのこと…。え、え!え?そんなとこにまでもう話が進んでて予約入ってるの⁉︎聞いてないし…「すみません、私まだ詳しく聞いてなくて…」と言ったら、地域連携の人も焦っていました(^^;;私は正直ホスピスは気が進まなくて、本人にも全て話して、本人の意見も交えて決めたいのです。家に一緒にいることは大変だし、難しいかもしれない。でも、一緒にいたい。一緒に寝たいし、子どもたちとも同じ時間を過ごして欲しい。私たちが住んでいる近くには、緩和病棟がある病院はなく、そこに行くとすると、もう簡単には会いにいけなくなってしまう。そんなの嫌だ。結局、今週Dr.との面談はできておらず…来週月曜に本人交えて話すことになりました。夫は、「聞くの怖い」と言っていました…。もう、病院側はどう看取るかという方針のみになっていて、(セカンドオピニオン先のがんセンターも同じだったみたい…)それを今日また看護師さんと話してもう希望は全くないのかと、悲しくて悲しくてポロポロ泣きました。それでも、まだ何か、どこかでやれることはないか月曜Dr.に聞くつもりです!まだ31歳。小さい子どもが3人いて、まだまだやって欲しいことがたくさんある。いなくなってしまうなんて早過ぎる。今、私と話している、この人が、死んでしまうなんて、とても考えられません!にほんブログ村 にほんブログ村

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  10. 液科のトップの先生看護師、旦那、私で話が始まる。空気は重たかった。まず昨日のMRI画像を見た。それは素人の私が見てもどうゆう状態かわかるほどだった。原発腫瘍が驚くほど大きくなっていた。2016年12月、初めて見た時よりも大きい。二箇所だったはずの転移は小さいものがもっと増えていた。そしてずっと大丈夫だった脊髄に遂に転移してしまった。短期間で一気に大きく、そして増えた転移。先日、莉愛が訴えた頭痛はきっとこれだ。同時に訴えた首の痛みは脊髄に転移していたから。あの時、何度もお部屋に戻ると言ったのは自分にしか分からない症状に不安を感じていたからかもしれない。この状態で放射線、手術、治療はもうできない。できる事がない。暖和治療すら効果を見込めない。残念ながら終末期と言わざるをえない。主治医はそう言った。言葉を詰まらせながら。 vvccはもう効かないのか、ICEはまたできないのか、エトポシドはできないのか、放射線はできないのか、何か、何かできることはないのか、もっと訳の分からない事もたくさん聞いた。見込みの低い治療の副作用でこれ以上苦しめるのは避けた方がよいと思う。そう言って主治医が首を縦に振る事はなかった。テモダールの投与中は調子が良く、副作用もほとんどなかったのでまた短期間少し調子が良くなるかもしれない。そういう意味ではテモダールならすぐに始める事ができる。が、気休め程度と思ってほしい。年を越したりできるんですか?と聞いた。年は…越せないです。2週間後の誕生日を迎えることすら難しいので…。正直、1週間…。頑張ってくれても1か月以内。急変する可能性が高いので、もういつでもおかしくないんです…。看護師さんが泣いてた。離れてる間に急変したら自宅から最短でも1時間ちょい間に合うようにはできるか、何もできなくて最期は苦しまないのか、を聞いた。そのくらいの時間ならおそらくギリギリもたせらる、手足が動かなくなりものが食べられなくなる目を開けなくなるが耳は聞こえる少しずつ呼吸が苦しくなり心臓がとまるその頃には意識がないので苦しいという事はないと思う。と言われた。闘病285日。終末期。娘の余命宣告をされた。この日の帰り道、空が不気味に感じた。死神が降りてきたみたい。忘れられない。

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    2017年9月12日
  11. 退院してから初めて病院。今までずっと入院していたから、外来は久しぶりだった。パパに休みを取ってもらって、3人で向かった。主治医の先生の診察に加えて、リハビリと遺伝科もあった。採血やグロブリンの皮下注射もしたね。体重を測ると、6.3kgだった。この1週間でまた少し増えていた。先生に「大物だね〜っ!」って言われたね。だって退院してからも、ミルクを飲む練習頑張ってるもんね。退院後も気になってたモロー反射のような動きについて、動画を見せて先生に心配なことを話したが、やっぱりこれはモロー反射だと思いますと言われた。先生にそう言われると、私の気にしすぎなのかな、と少し安心できた。主治医の先生からのお話。退院する少し前に話していた、岐阜でやってくれている自然免疫の検査について。岐阜の先生から連絡がきて、まだ検査途中ですが、細胞壁のある機能が、25%とすごく低いことがわかったそうです。このことも含め、やっぱり、NEMO異常症という病気を、疑っているとのことです。そう言われた。詳しくはまだよくわからなかったし、どんな診断がついても、絶対に治るから大丈夫!そう思っていた。虹翔だったら、きっとどんな病気にも打ち勝てるパワーがあるし、これまでいっぱい辛い思いや苦しい思いをしてきたんだから、これ以上のことなんかない。そう思っていた。ネットでいろいろ調べたり、先生に話を聞く中で、免疫不全で有名な病院が都内にあることを知って、私たちはそこのセカンドオピニオンを希望していた。もし診断が確定すれば、ここに紹介状を書いてもらえることになった。少しずつわかってきていることがある。その速度はすごく遅くて、本当に少しずつだった。まだまだ診断がつくのも先かな、そんな呑気なことを思っていた。朝早くに家を出て、帰宅したのは日が沈む頃。パパも虹翔も1日お疲れ様。夜、県外から兄と彼女が、虹翔に会いに来てくれた。里帰り中にまだ1回しか会っていない2人。PICUに入った時、面会はできないけれど、病院までかけつけてくれた兄。久しぶりに虹翔に会えた2人。虹翔の薄くなった髪の毛を見て、少し驚いていたが、元気な虹翔に会えて、すごくすごく喜んでくれた。こうして、ずっと会いたがってくれていた人たちにもやっと会えるようになって、私も嬉しかった。虹翔も喜んでたね。

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    今日は外来の日
  12. 雪も融けたので地元病院までドライブ。バッテリーが上がってなくて良かった(;^_^A゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ ゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚ 先日、愛知県がんセンター中央病院を受診してきました。脳転移の可能性大との診察後、PET-CT検査を受けたので、その結果を基に、今後の治療について頭頸部外科の主治医と、放射線科の先生のお話を聞きました。そこで今後の治療スケジュールが決まりました。愛知県がんセンター中央病院放射線治療(リニアック)を受けることにしました。今回転移した場所は海綿静脈洞と呼ばれる場所です。人間の身体の中で唯一、静脈の中に動脈が走る場所です。すぐ近くに視神経、三叉神経がある場所です。そこで、私の右目を外側に動かす神経を阻害しているようです。最初は「海綿静脈洞瘻」という血管の病気も疑われたのですがMRI検査で血管も調べていただき、そちらは問題ないとのことでした。この場所に転移するのはとても稀だと言われました。腫瘍と視神経の間はわずか2ミリしかないそうです。腫瘍を完治させようと、がっつり放射線を当ててしまうと両目を失明してしまう可能性があると。そして、腫瘍は脳幹に近い場所にも確認できました。脳幹は脳と身体をつなぐ大切な場所。ここも、放射線でダメージを与えてしまうと良くて半身不随、最悪さよ~なら~( ゚д゚)ノシ サラバジャーとても難しい治療になるようです。それでも治療はしなければいけません。そこで、癌の進行を遅らせる程度の照射に抑え、左目の視力と脳幹を守って治療をしていただくことになりました。治療の目的症状を悪くしないこと治療中に起こる可能性がある副作用吐き気、ふらつき、頭痛、稀に痙攣治療後に起こる可能性がある副作用右目の失明→これは避けられない左目の失明→可能性は1%未満脳幹の障害→生じないように治療の強さを調整脳壊死下垂体機能低下→これは薬で対応できる放射線科の先生はとても慎重に説明をして下さいました。とても稀なケースでとても難しい治療です、でも頑張って、左目と脳幹は守るとおっしゃって下さいました。最短で1回の照射で終わらせたいが、3回か5回になるかもしれない、場所が場所なので検討する時間を下さいと。この段階で線量や回数は未定となりましたが、私は先生のお話を聴いて、すぐに治療を受けることを決断しました。あまり治療開始までに猶予がないのだろうと感じていました。先生の説明も納得いくものだったし、愛知県がんセンター中央病院の放射線装置は最新のものが入っているし、私は安心してお任せしようと思えました。それでも、やっぱり、一緒に副作用の説明を聞いた両親にとっては、受け入れがたい話しだったようです。右目がダメでも、まだ左目があるさ!それに今だって、右目は眼帯で塞いで生活してるんだから、一緒じゃん。生きてこそ!だよ。私がそう言うので、思うことはあったようですが「命には代えられないから」と同意してくれました。治療開始は3月5日。それまでに線量と照射回数を考えて下さるそうです。この日のうちに、照射の準備としてCT撮影とお面を作りました。まさか、またお面を作ることになるとは思わなかった(笑)前回のお面を取っておけばよかった?でもあの時はまた顔も喉も腫れていたからサイズ合わないか。これは前回のお面↓ あぁ、懐かしい、この感じ・・・決していい思い出ではないけど(笑)通常は通院で済む治療ですが私は通えないので(田舎暮らしのデメリット)入院することになりました。でも、照射が1回なら翌日退院、最長でも1週間で終わります。なんだよ~、1ヶ月くらい、ゆっくり滞在しようと思ったのに(笑)7ヶ月の入院生活で悪知恵を付けたので楽しい入院ライフを満喫するつもりですо(ж>▽<)y ☆それから・・・新たな転移が見つかりました(^▽^;)ハッケ~ン!数ヶ月前から、左腕がずっと痺れていて、主治医の先生にも伝えていたのですが今回のPET-CT検査でやっぱり光っちゃいました。場所は左の頸椎あたり。まぁこちらは急を要しないので後回し!入院中にCTとMRI検査をして詳しく調べてから考えることになりました。とにかく今は、海綿静脈洞の腫瘍に対する治療を優先します。これだけあちこちに転移して症状も出てきているので、抗がん剤治療も視野に入ってきました。こちらも薬物療法科の先生と相談することになりました。治療は愛知県がんセンター中央病院で受けますが、セカンドオピニオンは受けた方がいいよ、と主治医も勧めてくれたので千葉県にある国立がん研究センター東病院の放射線科に行くことにしました。稀なケースで難しい治療となるのであれば、いろんな意見やお話を聴くことも大切だと思ったので入院する前に行ってきます。入院中、仲良くなった同志、ハイパーガンカンジャーの犬舌さんがご自分の抗がん剤治療とお仕事の間を縫って、はるばる長野から千葉まで同行して下さると(≧▽≦)ありがとう!久しぶりの再会です。そんなわけで、朝10時から夕方4時までがんセンターに滞在し、怒濤の展開で今後の予定が決まりました。帰りの特急に飛び乗って、高山へ戻り、その足で職場に向かい、全てを報告し、入院準備のためにお休みを頂くことになりました。脳転移の可能性はお話していたのですが新たな転移の発覚まであって、みんなを驚かせてしまったのですが「頑張れとは言わないけど・・・待ってるからな。」と、今回もありがたいお言葉をいただきました。平然と笑いを入れながら説明する、私の規格外のメンタルの強さに支配人は首をかしげていました(笑)待っていていただけるということは、治療の励みになります。パワーアップして戻ってくるので、待ってて下さいね!

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    PET-CT、光る!
  13. す。午前中久しぶり病院で診察を受けました。お昼には戻りましたが気持ちの整理がなかなか付かずこの時間までブログに向き合えなかったのです。久しぶりに先生にお会いしケアマネさんも同行してくれました。先生に肺の状況と呼吸の具合と気になってた胸の腫れを診てもらいました。胸の腫れです。向かって左が右胸。右側が左胸です。左胸に変な線がありますが乳腺を削除してへこんでいたのですが盛り上がってカチカチです。これがステージ4の乳房再発です。右側にとみぞおちの上にも腫瘍が出来ています。追記※この胸の腫瘍は1ヶ月で急激に形成されました。12月半ばから1月半ばです。かなりの増殖スピードでした。悪化するとその内皮膚の表面を突き破り白い石灰化したガンが花を咲かしてきます。画像はお借りしました。この方はステージ3bだそうですこのように皮膚を突き破る。浸潤液と化膿の膿みですごいことになるそうです。(江戸時代の絵図にその様な胸の女性の絵が良くあります。)当時は切除も出来ずさぞ辛かったでしょう。抗がん剤もなく切除も出来ず漢方薬でも良い方。殆どおそらく納屋か屋根裏で苦しまれた事でしょう。脇のほうまで痒みが走るし硬くなりつつあるので時間の問題だそうです。見苦しい胸を晒しましたがなかなか再発乳腺腫瘍の画像や上腿の経過がネットにはないのでご参考になればと思っています。わたしが調べたけどかなり少なかったです。両側谷間のようになっててまるで豊胸インプラントを入れてるみたいにくっきり胸がしてます。再発発覚時にはなかったんです。年末頃から出てきて顔の腫れと首の腫れの水分が胸に下がったと思ってたんですが痒みもあり硬いし変だなぁと思ってましたが肺や、それ以前にカラダに散らばってるガンが胸で再発して増殖してるそうです。首の付け根にも拡がってる。肩も腫れてます。先生、今日はもうこれを見ただけで「あー、これガンやわ」って。「胸に再発してるわ」と。ほんとは肺の状況でも即入院だそうです。結構酸欠事情をご存知なので先生は「おうちやわんこの事を処分してやりたいことしてから入院しにおいで」って。先生に入院して治療して良くなればおうち帰れますか?在宅で治療出来ますか?と聞いたら「もう入院したら抗がん剤と放射線してガンを少し抑えられても拡がってる速度が速いから追い付かなくなるし抗がん剤や放射線三回目だからダメージがきつくて弱ってしまうからそのまま緩和ケア病棟(ホスピス)になるから」って。どんな深刻な時でもシリアスな事を仰らない先生です。その先生が精一杯優しく仰ったのであー、これはもう覚悟しなければと思いました。涙が出て出て仕方なかったです。在宅で抗がん剤治療したらダメですか?と聞いたらもうダメージが大きくなるから無理と。呼吸も常に酸素入れたほうがいいと。先生に血管閉塞術の事を伺いました。先生はその治療を沢山経験されてるし うちでも出来るよと。でも私の腫瘍は細かく散らばってるのと箇所が多すぎる胸はべたーーっと拡がってる。抗がん剤、放射線をして残った腫瘍がそれに適したものだったらしてあげるけど私の腫瘍には血管閉塞術だと死んだガン細胞とその周りの細胞に感染症が起き大変なことになりがちなので経過で判断するとの事でした。抗がん剤、恐らく6クール程と放射線10回。胸を焼くのは三回目なので半端ない副作用が待ってます。二回目でも危篤になり奇跡的にアクエリアスでよみがえったけど次はアクエリアスで戻れるかどうかです。頭も少し変な痛みがあるので飛んでるかもです。心残りはわんこの事だけ。おうちが売れるまでは一緒に居られます。在宅で最期まで面倒みてあげたかったけどもうダメだそうです。わんこの最期の居場所を作るためにペットシッターをたちあげよう!と思ってましたがその時間がなくなりました。でも仲良しの庄内のお姉さんがその志を繋いでくださいます。皆様が気になるわんこの行く末ですが家が売れるまで一緒にいますがその後は妹のところで一時預りで大事に三頭一緒に見てくれる方を今探していますがじつは連れ帰った時にわたしの弱りぶりを見てマジで死ぬんやわと思ったらしく妹が今度はちゃんと可愛がって面倒みるから預けて欲しいと申し出を従妹にしてきました。有り難いけど妹も多忙だし猫も沢山いてる。お部屋で一緒にはいられないしケアは行き届いてますが前回寂しかったようで鬱状態で戻ったのでやはり子供のようにいつも側にいて下さる方のほうがうちのこには望ましいのではないかと私は考えてます。妹も姉が死にそうなので何かしないと後悔もする事でしょうしさせてあげるのも遺された遺族への慰めにもなる。このままだと私に凄く嫌われて後味悪いと思います。亡くなった夫にも小姑いびりもしてましたから私は妹が嫌いで20年口を聞かなかったし今現在も電話番号すら知りたくもない。人間には優しくないこですが小動物には優しいです。入院中にこんどは駐車場にわんこを連れていくとも言ってますがそれはわたしが辛くて断りましたし私に会えばわんこはおうち帰れると期待するから。わんこも11歳だからまたあの世で会えるし。おうちが売れるまで精一杯一緒にいたいと思ってます。まだ時間がありますので最終的にどちらに託すかもう少し考えて慎重に判断したく思います。あんちゃんは甘えん坊なのでほんとに辛いです。辛かった1日でした。とりあえず皆様に病院に行ったご報告。良い話でなかったけどこれも経過なのです。皆様に感謝玉送りますね。では、また明日

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    病院の報告。追記あり。
  14. いうところでまた大病院から着信。やっぱり急を要するので検診を別の日にしてもらって早急にこちらへ向かっていただけませんか?わかりました。と言い電話を切った。産婦人科へ翌日に変更の電話をして次に旦那に電話で報告。「りーちゃん、赤ちゃん見るの明日になったから今日は昨日の病院に行こう!先生とお話するだけだよ😃」と平静を装って言った。大学病院までは家から車で4.50分。10時頃には着いたかな?受付をするとすぐに呼ばれた。診察室には昨日の小児科の先生ともう1人初めましての先生。何でもう1人いるんだろう。やっぱり嫌な話かな。って考えてたから自己紹介してたけど何科と言ったのかは覚えていない。ただ小児科ではなかった。小児科の先生が話しだす。莉愛ちゃん、お変わりないですか?ないです。昨日は寝るまでフラフラしてたけど今朝は普通に元気でご飯もたくさん食べてきました。そうですか…。昨日のMRIの画像なんですが…こちらです。…この白くなっている所が腫瘍です。とても大きく5cmくらいあります。普通はこんな大きい腫瘍があると症状が重症な事がほとんどなんです。莉愛ちゃん…今、眼瞼下垂以外の症状がなく嘔吐なくご飯も食べて歩いてしゃべって遊んでいるのが不思議なくらいです。もう1人の先生が言う。この画像では、とりあえず大きな腫瘍が頭にある事だけが分かります。何という脳腫瘍なのか、原因は何か、治るのか、治療や手術はどうなるのか、などは今ここではわかりません。この病院に脳神経外科はありますがこんなに小さな子の手術をできる医師はいません。小児の脳神経外科医はどこにでもいるわけではなく、治療や手術のできる病院も限られています。県内で私が信頼できる小児脳神経外科の先生がいる病院に紹介状を書いたので、こちらを持って今日この後このままそちらに向かって下さい。脳外の先生にも莉愛ちゃんの話はもうしてあります。今は症状がなくても、いつ嘔吐しだしたりしてもおかしくない状況ですから、今日出来るだけ早く来て欲しい、すぐに診察できるようにしてあるからと言ってくれています。私は泣いてた。いつから泣いてたかな。紹介状の封筒の病院名をチラッと見た。県立こども医療センター。これどこですか?横浜です。(…2時間くらいかかるな…。)お母さん…大丈夫ですか?車ですか?ちょっと遠いけど運転気をつけてくださいね。今はしっかりして。…多分、今行ってそのまま入院になると思います。…眼科の先生にはこちらから伝えておきます。駐車場まで見送られた。私そんなヤバそうだったかな。旦那に泣きながら電話で報告してそのままこども医療センターへ車を走らせた。莉愛はいつもと変わらない。この日の朝食。モリモリ食べてた。

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    2016年12月2日午前
  15. 進行スピードの変化
  16. 越えました。なかな再発したこと言い出せなくてもう医師におうちに帰れないレベルと言われていつ、どうなるかわからないのでこれまでのお礼を伝えました。弱気になるな!としかられたよまだ一縷の望みをかけてますがベストを尽くします。午後から仲良しのお姉さんがご夫婦とわんこちゃんと遊びに来てくれます。楽しみ~お馬さんは明日にしよう。雨にならなきゃいいのになぁなんだか暗くなって来ましたよちょっと眠れず調子が良くないのかすぐ眠気が来ます。10分程仮眠したら収まるのですが。咳したり肺が苦しいので体が疲れてる感じです。以前お知らせした琵琶の粉。日本では毒抜きされてるものが殆どで回収も数社だけで1日3グラムなら問題ないそうなので置いてた琵琶の粉も飲んでます。カルシウムスピルリナ酵素、田七人参茶ジンジャーオレンジハーブティジャスミンティーを組み合わせ飲んでます。それでも足の筋肉が落ちました。足痩せして嬉しいけどなかなか痩せないとこがげっそり減ってるので恐怖すら覚えちゃいます食養生もなかなか難しい。無理せずに出来る範囲で頑張ろういつも応援して下さる皆様に感謝玉おくりまーす!ありがとうー!またねー!

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    栄養補給と食養生
  17. お別れの日①
  18. 伸びる毛
  19. 日取りも決め、結婚準備を、進めてきたのです。最初は、新居を別の地域で探していた2人。(彼の仕事の事などを考えていましたから)でも、治療は順調といっても精神面で大変な事は予測できます。いつでも長女の所へすぐに行けるよう交通の便を考えたり、長女が実家へ戻って来た時、すぐに自分も寄れるように。又、母である私の事も心配して実家である、我が家の近くに新居を決めてくれていました。K君のご両親には長女の病気の事はお話していなかったので、結婚の話しが進むにつれ、本当の事が言えない…いろんな意味で、K君に負担を負わせていた事に気付きました。嘘がつけない…その場をごまかす事が苦手な…彼は優しい人だから。なので、K君のご両親にだけは、本当の事を伝えました。その頃から、ずいぶん心配して下さっていたと思います。葬儀にも家族揃って来てくださいました。お参りに来て下さったこの日、長女の今までの事K君が、次女の支えになってくれていた事2人が巡り合い結婚した事…それを長女が1番喜んでいた事沢山お話ができ本当にありがとうございました。長女もきっと側で笑っていたと思います。これからも末長いお付き合いを宜しくお願いします。

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  20. い痛みや痒み。初発再発関係なしにその痛みと痒みは家族やパートナーには全く理解されない。言うと心配かけるから言えない人もいる。病院とかでガンの相談室とかあるけどこの症状ならこの科でタイプによりこんな治療ですよと冊子を渡されるだけ。女性が痛み、痒みが有っても、副作用でも家事をしなきゃならない、親の介護をしなきゃならない子育てもしなきゃならない。夫のお世話もしなきゃならない。デリケートな話。私は胸を切って夫婦の営みがかなり辛かった。子宮内膜症でお腹切ってからは見られたくなかった。同じ病気の友達に然り気無く聞いてみたりもした。そこって結構深刻なところです。また、大切な人が罹患してどのように接してあげたらいいか分からない。そんな細かいところをもっとケア出来るサポートも必要なんじゃないかな。皆さんのコメントを読んでそう思いました。それぞれにご性格もあるしお立場もある。このブログにお越し下さる方はきっと何か情報や得られるものをお探しの方だとおもいます。小さな場所だけど共有出来る場になれば嬉しいなぁ。乳ガンだけじゃなく女性の病気はホントにつらい。女性だけじゃなくご自身だけでなく身近な方がご病気でもお互いに交流出来たら。そして大切な方を乳ガンガンで亡くされた方。何もしてあげられなかったと悔やんで居られる方も多くて。亡くなられた後でもそれだけ思いやって差し上げてる事はかなりの供養だと思います。わたしなら嬉しいもの思い出してくれたら嬉しいもの。でもそこで後悔なさってたら違うよ、ちゃんとわかってたよって言ってあげたい。私ならそう思います。側に居てると思えれば居てるし居なくなったと思えれば成仏され思い出した時にしゅっと来てると思うなぁ。そう思いながら自分の人生の一部になるのでは?と私は感じてます。バカみたい!と思われるでしょうけど遺された者にも救いは必要なのです。大切な方であればあるほど片身をもがれたような喪失感なのです。体験しなきゃわからないけど。聞いて差し上げる事しか出来ないけど癒しに少しでもなるなら。ガンはむごい病。本人も辛い、周りも辛い。ブログは公開日記だけど人様に読んで欲しいと思うのであれば目的意識を持って発信していかないとただの絵日記ですから。勿論、日記として書いても自由ですが。わたしは情報を共有できる場でありたいです。いつも皆様、コメントありがとうございます。お互いに読んで交流できたら嬉しいです。今日もお励ましくださりありがとうございます。お陰で頑張って行こう!と立ち上がれます。皆様に感謝玉連打でおくりまーす!アタタタタっまた明日ねー

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