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ICUから病棟へ戻って来れました経過は順調のようで良かったけれど、肝移植の時と同じくらい開腹したので、傷の痛みで泣き叫んでいました麻酔の影響か、気持ち悪いようで嘔吐も腫瘍が見つからなかった事を、娘も先生から聞き、ショックを受けていました『私って、いつまで生きれるんだろう』『やりたいこともやれずに、痛
今週我が家にとって超重要な療育の卒所がありました1ヶ所目は2歳から4年間通った小集団児発。こちらは幼稚園的なプログラムで朝登所〜昼食〜午後降所の約3時間半。朝の会から始まり、自由時間や個別タイムはほぼ無く一斉活動で動くところ。就園前は週2で通い、就園後は週1、幼稚園をお休みして通いました(幼稚園自主
『…T先生が?俺が強いって?』『そう。Nは普通の人なら耐えられないことや逃げたくなること。辛い治療も痛い治療も全部乗り越えてきたから、きっと大丈夫って思ったみたいだよ。長い間Nを診ていてくれたからこその言葉だなって私は思った。』『そっか…。』この日は旦那は何を言うわけでもなく、この事についてキレるわ
1月に退院して、家で過ごせています白血球の値もいいので、みんなにたくさんたくさん遊んでもらいましたバーベキューやカードゲーム、ビンゴやお菓子作りを一緒にやってくれて、娘は本当に本当に楽しそうでしたお出かけもできるくらい元気にしていますが、腫瘍マーカーのAFPがどんどん上がって来ています。何回も何回も
…2日 今回の息子入院をきっかけに夫に「義母と息子両方をみるのは無理!同じ家の中にいれば嫁をしないといけないので自分の家に帰ります。自分の親は自分でみてください。わたしはむすこをみます。」と宣言し...息子と自分の家でしばらく2人暮
…024年5月17日闘病5日目)体重39.2kg朝、血圧134と高めなので血圧を下げる薬を半分飲む。車椅子に乗りトイレへ行ってシャワーを浴びさせる。(すっかり歩かなくなってしまった)娘の身体をこんな風に洗ってあげるのはいつぶりだろう。胸部の張りが目立つ。MRIの予定だったが急遽中止になり、下のコン
手術が無事に終わりましたけれど、横隔膜の怪しい部分は腫瘍ではなく横隔膜ヘルニアでしたまた最初から腫瘍を探すことになりましたが、腹膜播種は見つからなかったので安心しました本当に、本当によく頑張ったねまた痛い思いをさせてしまってゴメンね娘は今、ICUにいます『ちいかわ』に出てくるウサギも、ずっと一緒に居
余命3ヶ月の宣告を受けてから1年が経ちました 1年前、奥さんと一緒に面談室で先生から話を聞きました 「非代謝性肝硬変で完治見込みがなく、対処療法(腹水を抜く等)をしていくしかありません。何もしない場合は3ヶ月くらいの余命です」 私が鈍いのだろうけど、実感がわかず(肝性脳症だった?)人ごとのように聞い
娘の復学のことを考えると気が重かったただでさえ業務や様々な問題事に追われ、先生たちは日々大変なのに、病気を抱えている生徒が戻ってくるのは、更に業務を増やすことになるみんなと一緒に普通の中学校生活を送りたいと思っている娘だけれど、体力や学力が伴わず、中学校へ行くのが嫌になってしまうんじゃないかという不
今日は朝イチで、月に1回の精神科の外来日でした。もともとアルコール性肝炎から肝硬変となった私の場合、万が一肝移植となったら、生体肝移植・脳死体移植ともに、精神科での一定期間の断酒が認められないと移植できないらしく、その為の通院。そもそも移植を望んでないので、通院して証明をもらう必要性はないともいえる