55,084投稿
自分の気持ちが変わらないうちに行動を起こす事にしたネットで分骨や散骨の事を調べてみたら、散骨には2ミリ以下にまで粉骨しないといけないらしい自分でもやろうと思えば出来るらしいけど、私には到底出来る気がしない…今の私には葬儀の時の記憶はあまり残っていないただただ悲しくて、式の最中もボーッと夫の遺影を見つ
12日は祝日で訪問看護はお休み月曜日と金曜日に息子のストーマパウチの交換の日で、月曜日は訪問看護の方にお願いしている訪問看護の方とはいえストーマパウチの交換は皆さんが出来るわけではないので、慣れていない方には私が教えながらやり方を覚えてもらっている私がやった方が時間もかからないし看護師さんより上手く
待てど暮らせど既読の付かない夫のLINE持たせたオムツもそろそろ無くなる頃かな…と思い、病院に電話する事にしましたいや、オムツを言い訳に夫の状況が知りたかっただけなのです…病棟に電話を繋いで貰うと夫の担当看護師さんに変わってくれ、オムツはそろそろ無くなりそうだとの事でした恐る恐る夫の状況を確認すると
私がブログを再開しようと思ったきっかけは知り合いが悪性リンパ腫になった事自分や近い人の病気が見つかると病気の事をネットで検索してしまう予後や生存率を見てショックを受け、長期生存している人をブログなどで見つけると安心し希望になる同じ病気に苦しむ方に夫と息子の情報を残せたらと思い再開しました息子の病名は
息子が入院した小児脳外科病棟には1人部屋・2人部屋・4人部屋があった1人用の個室は抗がん剤治療用や容体の急変した時用に確保してあり希望しても利用できない2人部屋・4人部屋はその時々の子供の病状によって振り分けられる息子も状態の悪い時に2人部屋を利用したけれど、基本的には4人部屋だった決して広く無い病
46歳の夫は悪性脳腫瘍(膠芽腫)で手術をしてから現在、約1年4ヶ月目。手術の後遺症で認知症を発症して寝たきりです。 ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら
息子が余命1年と宣告されてから約半年今日は消化器内科の予約を入れていたので私だけで話をしに行ってきました9月と11月に訪問医の先生が行った血液検査の結果を持って、今後の見通しなどを聞きました消化器内科の先生からは、予想よりも腫瘍マーカーの増え始める時期が早いと言われました9月から11月で腫瘍マーカー
10月7日夫を連れて東京の病院にI先生の診察を受けに行ってきましたこれからの治療方針を決める為です予約は午前最後の時間帯の11:30の枠だったので、かなり待つだろうな…と覚悟していましたが診察室に呼ばれたのは15時を過ぎた頃でした再再発がない限り自宅近くの病院で経過を診てもらう事になっていたので、今
昨日息子と自宅に戻ってきましたといっても徒歩10歩の両親の家からですが…自宅にいないと出来ない事もあるし、父のいつまでも悲しむな…という圧と母のしっかりご飯を食べなさい…という食欲が無くても出される沢山のご飯両親が心配するから泣けないし…心配させてしまうから弱音を吐けない…早く普通の生活に戻らなくて
この記事のつづきです<article class="ogpCard_wrap" style="display:inline-block;max-width:100%" contenteditable="false">『抗がん剤を続けると得なこと』この記事のつづきです『抗がん剤を終わりにするか続けるか