11/12の記事ランキング

  1. ✈️AVATAR✨Flight of passage✈️
  2. 世の中
  3. 2024.10.7旅行三日目⑤ブージ泊まっている宿の敷地内には、こんなセッティングがされていた。村巡りから帰ってきた時にドライバーNileshに聞くと、今年は10月3日〜12日に行われているNavratriの踊りがここでも開催されるそう。やった〜!!どこかで見られるかな〜って思っていたけど、宿で見られるとは。Navratriは、サンスクリット語で『9つの夜』を意味し、9日間に渡って神々に祈りや踊りを捧げるヒンドゥ教のお祭り。何時から何時まで?と聞くと、「22時から朝4時まで」と言う。え!4時??それじゃあ音楽がうるさくて眠れないじゃんまぁ、お祭りだから仕方ないか。村巡りから帰って爆睡していると、部屋の中まで聞こえてきた音楽の音で目が覚めた。時刻は19時半。あれ?22時からって言ってたのにな。外に出ると、美しいサリー姿の女性たちが輪になって踊っていた素人の踊りだけど、これだけの人数のサリー姿の女性たちが集まっているだけでリアルボリウッドみたい座っている人たちもほぼ女性のみだった。端っこで子どもたちも真似してる。壺を頭に載せてクルクル回る女性音楽は生演奏&生歌で、すんごい爆音。朝までやってるなら、後でまたゆっくり見ようっと。先に明日の夜行バスの予約をしに行こう。プライベートバス会社で次の目的地まで走っているのは二社のみで、口コミがマシなJay Somnath Travelsの方にした。予約サイトのredBusで空席情報を確認してきたら結構空席だらけだったのに、カウンターで聞いてみると「残り2席しかないよ」と言われた。これじゃあダブルブッキングも起こるわな〜。下の段がよかったけど、もう上の段しか残ってないそうだ。仕方ない。チケットを受け取って念の為確認すると、明後日の日付になってる「ノーノー!!トゥモロートゥモロー!」と言うとすぐに取り直してくれた。あっぶな〜!確認して良かった〜。バスの乗り場を確認していると、「心配だったら明日19時半頃にここに来て、うちのオートリキシャで行けばいい」って言ってくれた。さて、またチェックアウト後夜行バスまで休めないのはしんどいから、この近くで安宿を探そう。一軒目は「明日も満室だ」と断られ、二軒目はレセプションのお兄ちゃんが「オッケー!じゃあ明日の朝一つ空けとくよ。」と軽く言ってたけど、こんな口約束だけで大丈夫かなぁ???しかも、部屋を見せてもらってない。かなり汚そうだけど大丈夫かな・・・まぁ休憩してシャワーするだけだからね。最近はシネコンばかりになっているけど、こんな昔ながらの小さな映画館も残ってるんだねガハメントバスターミナルのあるメインストリートの両側には、たくさんの食べ物のお店が並ぶ。特に人気だったのは、このパオバジ屋さん。パオバジはこんな食べ物で、この辺りの屋台ではパンに挟んで提供されていた。ムンバイ辺りでよく食べられるストリートフードだと思っていたけど、グジャラート州でもよく見かける。訂正コメントで、私が見たのはPav bhajiではなく、グジャラートのストリートフードのDabeliだと教えていただきました!Dabeliでググったら出てきた。これだ!食べてみたかったな〜。アイスクリーム屋さんがやたらと多かった。グジャラート語の看板にハマる。この看板も可愛いそろそろ夜ご飯を食べに行こう。今日のお昼ごはんはバナナだけだったから、お腹がグーグー。予めチェックしていたお店へ行こうとGoogleマップが示す通りに進んで行ったら、こんな暗い路地に出てしまったえー!ここ?こんなところを通るの??人も怖いし犬も怖いな・・・でも行ってみるか、と暗闇に向かって歩き始めようとするとすぐに、そこにバイクを停めて電話をしていた男性が、「どこに行くの?ここはすごく暗いから危ないよ。大通りから行った方がいいよ。」と、わざわざ電話を中断して教えてくれた。優しいな何だ大通りからも行けるのね。Googleマップは、最短かもしれないけど変な道を教えることがあるよね。到着したのはここ!Jalaram Bhojnalaya · Bhuj, GujaratGoogle マップで地図を検索。乗換案内、路線図、ドライブルート、ストリートビューも。見やすい地図でお店やサービス、地域の情報を検索できます。世界地図も日本語で、旅のプランにも便利。maps.app.goo.gl席に着くとすぐに、お皿にグジャラーティターリーのおかずを入れに来てくれる。みんなすごい笑顔で接客してくれて感じがいいこちらはデザート担当の女の子。姉妹なんだって。私が選んだのはこれ。初めて食べたけど、リンゴが入っていてとっても美味しかった!!「Hello〜!My name is ◯◯.Welcome!」と自己紹介をしてくれたチャパティ担当の男性。グジャラートでは、バターミルク(左)も必ず付いてくるね。これが何回でもお代わりが出来て、たったの130ルピー!(約234円)しかも、め〜ちゃくちゃ美味しい!!!インドでこんなに美味しいインド料理を食べたのは久し振り。ニンニクが効いていて、どれも美味しくて美味しくて、あっという間にペロリ。そして勿論お代わりも。(今回の旅の間に食べた中でいっちばん美味しかった。)ガヤガヤした庶民的な雰囲気も最高。向かいに座ったムンバイ在住の品のあるマダム二人組と、楽しくおしゃべりしながら食べた。歩いて21時過ぎに宿に戻ると、あれ?静まり返ってるよ??ダンスは?ガラ〜ン。広場にはもう人っ子一人居ない。ダンス終わってるし!!Nileshは「22時から朝4時まで」って言ってたのに全然違うじゃん。どこ情報よ  私の宿で見たのは小規模だけど、もっともっと大規模な屋外スペースでもやるみたいだよ。これは何と四万人が集まって踊ってるこんなの見てみたいなぁ。今日の歩数は12,491歩<本日の出費>宿 1344サブジ20 バターミルク20 プーリー20✕2人分120水 20バナナ大4本 30チャイ×2 20人形 390布 500タクシー 3600夜 130バス(ブージ→ジュナーガル)750計6904ルピー=約12427円ポチッとしてもらえると、ポイントが入って私のランキングが上がります。押してもらえると嬉しいですいつもありがとうございます!!にほんブログ村世界一周ランキング

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    2024秋インド⑫Navratriの踊りと激ウマレストラン☆
  4. ホテルの朝食 4日間@石垣島
  5. 2024.10.7旅行三日目④ブージさて、次に「マダム」と起こされて目が覚めると(また寝てた)、道路の両側に水が広がっていた。ここがRann of Kutchか。Rannとは現地の言葉で砂漠の意味。実際は砂漠ではなく、塩分を含む大湿地帯で、乾季の11月~3月までは干上がって真っ白になる。今は10月頭でオフシーズン。ここは「別にどっちでもいいかな〜?」って感じだったから、敢えて時期を合わせることはしなかった。今はただの湖。湖?でいいのかな?かつてはアラビア海の一部だったそう。私の他には、インド人家族が一組のみ。展望台も閉まっていて上れない。ここ、めーちゃくちゃ暑いわ真夏には50℃近くになるらしいし、今日も40℃はあるんじゃないかな???日差しが肌に突き刺さる。こんなに観光客が居ないのに、おみやげ物を売る男性たちが二組。これまでに見てきた民族とは違うようだ。「ハロー」と声を掛けてきたけど、ドライバーNileshが「ノーグッド」と言って来たから、そのまま通り過ぎた。聞くと、「彼らはムスリムだから」と。あー出たよ、私の嫌いな偏見。思ったんだけど、ヒンドゥの人は頻繁にムスリムのことを悪く言うけど、逆はあまり聞いたことがない気がする。Nileshは今日見てきた民族と同じヒンドゥ教徒のメグワル族。ムスリムに対して嫌悪感があったら、ムスリムの少数民族の村になんて連れて行ってくれないよね・・・失敗したな。帰り道、ちょっとだけ白く干上がっている部分に車を停めてもらった。グルっと360度21秒動画ほんとに一部だけだった。でもいいも〜ん、ウユニで真っ白な塩湖は見たから!『【ボリビア】ウユニツアー Day3・真っ白なウユニ塩湖へ』2008.11.6午前3時に私たちの部屋をノックする音。「明日香ちゃんが高山病でやばい。」ってノブくんが言うから様子を見に行くと明日香ちゃんはぐ…ameblo.jpウユニはみんな鏡張りになる雨季を狙っていくんだけど、世界一周中で上手くシーズンを合わせられず、この時もオフシーズン真っ白のウユニもよかったけどね!色んな人のSNSで雨季のウユニを見過ぎてお腹いっぱいで、別にいつかまた雨季に行こうとも思わない。あ、大好きなラクダだ!!遠い〜あれ?後で気が付いたんだけど、Rann of Kutchはパキスタン国境に近いからパーミットが必要だったんじゃなかったっけ???入場料100ルピーも払ってないな。寝てるうちに通り過ぎた?Nileshは知らなかったのかな???それともオフシーズンだからそれも免除?ま、いっか。ちなみにシーズン中はこう言う感じらしい。写真は全てお借りしました。お祭りもシーズン中ずっと行われて、音楽やダンスも楽しめる。テントシティもあるらしいし、周辺には『リゾート』がいっぱい。シーズン中の様子。人も多いしテーマパークみたい。さて、再び翻訳アプリの出番です。と、Nileshに伝えて目が覚めると(また寝てたんかい) ここ。「トイレはありますか?」と聞くと、おばちゃんがどうぞどうぞと案内してくれた。外には青い扉の4つのトイレがあった。1つ目の扉を開けると、便器が蜘蛛の巣だらけ2つ目の扉を開けると、💩だらけ3つ目の扉を開けると、床がめっちゃ汚れてる4つ目の扉を開けると、便座が汚すぎて座れないさぁ、究極の選択です。どうする?どうする?あなたならどうする?若い頃、中国やインドやアフリカの色んなトイレで散々鍛えてきた私。こっ、これくらい・・・・・無理〜〜!!どれも無理です、今の私には無理よ〜トイレは我慢しよ。図柄は違うにしても、また同じようなペイントされた家を見て、きれいに飾られた部屋の中を見て、あーはいはい、こう言う感じね。 おばちゃんがお土産を見せようと別の部屋に招き入れようとしたところで、「あっ、もういいです。」って、告げてバイバイした。だって、もうどうせ買わないし、もうこの『家を見せる→家の内部を見せる→土産物を買わせる』の流れにウンザリしていた。家を見せるだけだったら彼らに何の利益もないし、見せてあげたお返しに買ってね、って言うのはわかるんだよ。でも、もう毎回毎回でウンザリいっその事、観光客から家の見学料を徴収した方が良いんじゃないかと思う。もうドライバー(旅行会社)と提携している『家』があって、毎回そこに連れて行くことになってるんだろうね。そして、静かに暮らしている『本当の村』の人たちは、観光客にあまり来て欲しくないから、訪れることは難しいのかも。トイレの為に帰りにもう一箇所停車してくれたところは、やっぱり建設中のリゾートホテルで、きれいなアートで飾られた客室とスイミングプールを見学した。もう写真を撮る気もなくて、1枚もない。次に目が覚めると、ブージの街に着いていた。時刻は16時半、宿に戻ってきた。車が動いている間中ずっと眠り続けていたのに、部屋に戻るとあっという間に再び眠りに落ちてしまった今回のこの車をチャーターした『村巡り』は、満足からは程遠いものだった。もっと色々な民族の民族衣装が見たかったのに、メグワル族ばっかりだし、『村』は思っていたような『村』じゃなかった。その原因を分析してみると、私の下調べ不足カッチ地方にはどんな民族が居て、どの町や村でどの民族が見られるのか、事前に詳しく調べて行こうと思っていたのに、仕事で疲れて後回しにしていたら、結局ほとんど調べないまま出発になってしまった。旅行会社との打ち合わせ不足今回は2日しかブージでの時間がなく、初日にこの『村巡り』の予定を入れてしまったから、事前の旅行会社とのやり取りがWhat'sAppのみだった。料金の相談と、地球の歩き方に載っていた『一般的にみんなが行く村』を取り敢えずリストアップして伝えただけで、ぼんやりとしか見たいものを伝えていなかった。初日はブージ観光にして、旅行会社の人と対面で細部まで話し合って、自分が何を見たいのかはっきり伝えて行き先を決めるべきだったね。ドライバー選びドライバーがメグワル族だったから、メグワル族のツテしかなかったのかも?彼が英語が殆ど話せなくて、簡単なことでもアプリを使わなければいけないのがめんどくさくて、コミュニケーションを取るのを早々と諦めてしまった為、自分の要求を伝えることもしなかった。あと、眠すぎてやる気がなかったのもあるね(笑)一体どんだけ寝るのってくらい寝てたもんね。もし元気だったら、「こういうのが見たいんじゃないの。これさっきと同じじゃん!他の民族も見せて。」って伝えてたかも。かなり残念な『村巡り』でした~ポチッとしてもらえると、ポイントが入って私のランキングが上がります。押してもらえると嬉しいですいつもありがとうございます!!にほんブログ村世界一周ランキング

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    2024秋インド⑪インドのウユニ塩湖?と今回の失敗を振り返る。
  6. 飲泣呑声
  7. 珍味佳肴
  8. 世界の新譜〈65〉レユニオン
  9. 肥肉厚酒
  10. 逮捕された兄は車の中でうつむき続け、弟は肩をすくめるように歩き、車に乗り込みました。韓国籍の李常明(イ・サンミョン)容疑者(47)と、忠明(チュンミョン)容疑者(45)。事件は2022年1月、東京・六本木の高級ホテル「グランドハイアット東京」で起きました。容疑者らは、「家族5人で宿泊する」とチェックイン。しかし、実際に部屋にいたのは、なんと21人。親戚や友人などが集まり、大騒ぎをしていたのです。常明容疑者らが泊まっていたのは、1泊100万円の「プレジデンシャルスイート」。どんちゃん騒ぎの音に他の客からクレームが入り、従業員が注意に行くと、「ぶっ殺すぞ!」と暴言を吐き、腕をつかむなどし、業務を妨害した疑いが持たれています。その後、高級スイートに居座り続けること12時間。その間に、備品100万円相当を壊したということです。調べに対し、兄・常明容疑者は、「すぐ出て行けと言われて腹が立った」などと容疑を認めていますが、弟の忠明容疑者は「大声をあげたかもしれないが、怒鳴ってはいない。手もつかんでいない」と、容疑を否認しているということです。この影響で、現場のスイートルームは13日にわたり使用できなくなったということです。

  11. こんにちは。2024年8月、久しぶりにマレーシアのクアラルンプール(以下KL)まで遠征して来た時のことを振り返る最終話になります。ちょっとがっかりだったKL国際空港のプラザ・プレミアム・ラウンジを後にして、搭乗ゲートへ。この日はTG416便 バンコク・スワンナプーム国際空港行きに搭乗。窓ガラスがキラキラしていてごみのようなものが映っていますが、こちらの飛行機↓に搭乗。往路便はエコノミークラス最前列の席でしたが、帰りのフライトは非常口座席を確保。事前予約の際には約1,000バーツ相当の追加料金がかかりますが、チェックインの際に無償でアサインして貰いました。TGの非常口座席用ポリシーを理由に離着陸の際はブランケットやピローを使わせて貰えず、離陸後水平飛行に入ってからブランケットとピローを出してくれました。ANAやSQなど他のエアラインに搭乗の際にも非常口座席に座ることが多いのですが、このようなポリシーは聞いたことがなかったのでちょっと意外。。足元が広々としていて快適。マレーシアと言えば「エアアジア」。LCCのパイオニア的存在で有名ですが、「タイ・エアアジア」はドンムアン国際空港をメインベースにタイ内外で展開中。時間と共にクアラルンプール国際空港を離陸。すぐに水平飛行に入り、ブランケット&ピローと共に、機内食も到着~。僅か2時間のフライトでも2種類のメインから選べるホットミールの機内食をいただけるのは嬉しいですよね。この日のメインはチキンorフィッシュで、私も連れもフィッシュをチョイス。この機内食がめっちゃ美味しくて、レッドカレーがかかった白身魚のメインが本当に美味で、あっという間に完食。。デザートのチョコレートブラウニーまで大満足な機内食でした。機内食って当たりハズレが多いけれど、この日のメニューは間違いなくアタリでしたね。(←個人的感想)2時間のフライトなんて本当にあっという間。食事を終えて降下を開始し始めたところで、こちらのCAさん↓に再びブランケット&ピローを回収されて、いつもの見慣れた風景と共に、ほぼ定刻にバンコク・スワンナプーム国際空港に到着です。TG便を利用するのは久しぶりでしたが、やっぱりサービスは良いなぁと実感。また別のデスティネーションに向かう際に利用したいです。これにて、2024年8月の連休に行ったクアラルンプール滞在記は終了。お読みいただきありがとうございました。mythai

    TG416KUL-BKKの機内食が美味だった
  12. 「青の都」サマルカンドのレジスタン広場
  13. 2024年2月14日〜7月まで、アフリカ縦断をしていました。ルートは、南アフリカから→モロッコまで陸路で北上していく西ルート。アラフォーバックパッカーが、ボロボロになりながらも!アフリカ縦断を達成させた紆余曲折のストーリーをお楽しみ下さい。Instagramもゆるりゆるりと更新してます↓balineko_mutter初めてこのブログをご覧になる方へまずは、簡単な自己紹介!あらためまして、まるちゃんですコロナの期間中は、日本を二周してました。準備完璧…じゃないけど、日本二週目スタート!!本職のマッサージセラピストとしての思い(長文です)無料は人をダメにするアフリカ縦断96日目。明日、コトヌーから出発をするので、もう一つの有名な観光地ガンビエに行くつもりでいました。ノコウエ湖の水上都市、アフリカのベネチアとまで呼ばれているらしいのですが…イタリアのベネチア自体行ったことはないが、写真をみる限りでは、これはベネチアと呼んではいけないと思うのは…私だけ(笑)?更には、中に入るにはツアーに参加しないといけないようで、1人だとかなり割高。口コミで調べたら、計20500CFA(約5179円)払って、ボートに乗らせてもらった人がいました。うぅぅぅぅーーーん。とても、そこまで払う価値のあるものに思えない!なので、今日は1日お部屋でゆっくりする事にしました。本当は新しいスニーカーを買いに、市場も行きたかったけど、宿のホストから聞いたのはベナンは物価が高い。ナイジェリアで買ったほうが安いから、たまに買い出しも行くぐらい。サンダル一足しかないから、結構キツイんだけど…仕方ないが、次の国までこれで乗り切ろう。近所のコピー屋さんで、次の国のトーゴのeVISAのファイルもコピーしてもらい適当に屋台でフルーツを買って、ゆるゆると1日を終えました。アフリカ縦断97日。朝6時に起きて、荷造り開始。あとは、宿泊していた間のメーターの写真(1日目と4日目)をホストに送信しておきます。1949.2kwから1952.4kwだから、3.2kw使ったことになるな。クーラーは全く使わず、扇風機で乗り切ったから、大分節約はできたと思う。2kwごとに、200CFAを請求される話だったけど、後日なにも言われないかったので、このぐらいの数字だったら許容範囲内なのかも。ホストはまだ寝ている時間なので、静かにお部屋を退出。ウィダー行きのシェアタクシーを捕まえるなら、ダントッパにタクシー乗り場があるので、そこまでバイクタクシーで連れていってもらいます。7時半にはシェアタクシーは見つけたけど、まだ私を含めて2人しか乗ってない。これは出発まで時間がかかりそうだぞ(´-﹏-`;)ちなみにコトヌーからウィダーまではかなり近くて、1時間くらいでいけます。シェアタクシーは1500CFA。ウィダーに行くのもいいんだけど、ちょっと気になっていたのがベナンには『あいのり小学校』があるんだって。※写真はお借りしましたラブワゴンに乗りながら、真実の愛を見つけるという、恋愛バラエティ番組『あいのり』の募金で設立された小学校。※写真はお借りしましたあいのり世代でもあるので、ミーハー気分で興味があったんですけど、場所が結構遠い(´・ω・`)地図に書いてあるアボメイよりも、さらに北に行った村にあるのでアクセスも悪い。車をチャーターしてまで行く予算もないので、諦めました。ウィダー行きのシェアタクシーは8時過ぎになって、人が集まり出発。コンゴ共和国→カメルーンの時のような、7,8人乗車ではなく『お金が吸い取られていく、恐ろしい国境越え』2024年2月14日〜7月まで、アフリカ縦断をしていました。ルートは、南アフリカから→モロッコまで陸路で北上していく西ルート。アラフォーバックパッカーが…ameblo.jp普通に、運転手含めて5人乗車だったので快適でした(というか、これが当たり前)ウィダーでの宿も、Airbnbを使って予約。前もって、オーナーから宿の外観の写真と↑Googleマップで分かりやすく、ピンを刺したURLを送ってきてくれたので、スムーズに見つけられた!このホストはゲストの気持ち、よく分かってるなー。Airbnbを使う際、毎回苦労するのが、宿がGoogleマップに乗っていない建物だと、いくら住所だけ教えてもらっても特定しにくいんですよ。だから毎回、外観の写真とか送ってほしいってお願いしてんのに、それで過去に送ってきてくれたホストはゼロ。それに比べ、ここのホストは私がそれを言う前に送ってきてくれるし、英語も話せて、とにかく優秀。安心して一泊できそうだ。早めのチェックインも大丈夫だったので、建物の中に入れてもらいます。普通にアパートとして住んでいる人と、民宿で半々って感じ。お部屋が、掲載されていた写真とまんま同じでかなり綺麗!!やっぱりシャワーは、お水しかでないか (;´∀`)これで一泊2909円なら、お得だわ。なんと!久々に他の国から来ている旅人にも会えましたーーー!!アンゴラ以降、旅人に出会っていなかったのでなんか新鮮♡ここは共有スペースで、ホストや住民や旅人が一緒になって話している光景も見かけたり。雰囲気はゲストハウスっぽくって好きだなぁ。さて、少し休憩したら、今日はウィダーの観光地を3箇所一気に周ってこようと思います。

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    アフリカのベネチアって本当かぁ?
  14. タマヨが集めた土器の宝庫「タマヨ? 日本人なん?」と案の定夫は尋ねてきたが、「タマヨ」は一昔前の日本人女性ではない。ルフィーノ・タマヨはメキシコの男性であり画家である。柔らかさのある色合いで、ちょっと幻想的な要素もある絵だ。そのタマヨの作品ではなくタマヨが収集した土器を展示しているのが、オアハカの「ルフィーノ・タマヨ博物館」。ソカロ(町の中心の広場)に近く、美しい中庭を囲む博物館である。この博物館ではメキシコの各地域から集められた、スペイン侵略以前の土器が展示されている。展示室それぞれにはイメージカラーがあり、ピンク、青、紫、緑、オレンジを背景にした展示ケースの中の土器は、色彩の中で踊っているかのように生き生きとしている。また博物館の中庭には現代作家による鳥のオブジェが展示されており、オアハカの強い日差しの下、憩いの空間を作り出している。3時間以上土器を見続けたあと中庭に出ると、「数百年、数千年の旅から現代のオアハカに戻ってきた」という気分になった。答えのない問い展示を見終わり博物館を出ようとした際、中年の観光客がスタッフに図録を見せてもらっているのにわたしは気づいた。その男性は「うーん、もうちょっと小さいのがいいなあ」と言って結局買わずに出て行った。たしかに立派な装丁の大きな図録であったが、もし展示品について個別の解説が載っているのならば欲しい。この博物館の展示物も展示方法もわたしはとても気に入っていた。そこで「わたしも本を見たいのですが」とスタッフに言うと、予想外の言葉が返ってきた。「売り物だから駄目です」わたしはその言葉の意図が分からず一瞬硬直した。戸惑いながら「もし、本が、良い、なら、わたし、買い、たい」となんとか伝え、ようやく図録を見せてもらえた。さっきの男性はすんなりと見せてもらっていたのに……。長い時間をかけて展示を見ていたにもかかわらず、わたしがこの本を買う意思があるとはまったく見えなかったのだろうか。図録には期待したほど詳しい解説がなかったので結局わたしも買わなかったが、まるで心臓に爪を立てられ引っ掻かれたような思いが残った。みじめだった。身なり、言語、年齢、人種、性別。対応の差を生んだのはどこの部分だったのだろう。スタッフに悪意はなくきっと無意識だ。答えは本人にもわかるまい。しばらく問いばかりが空回りした。差別された理由なんて知りたくもないのに。(「紫の部屋」から「緑の部屋」へ)(このポーズにもきっと意味がある!)(ブリッジ)(トランス状態に入ったシャーマンの女のように見えた)(香炉。裏にも顔がついている)(こういう靴下のような形の土器は初めて見た)(用途が気になる)(展示室内には個々の作品の解説はなかった。形や色をぞんぶんに味わうにはそのほうがいいのだが、一方で詳細も知りたかったのである)(線刻のある骨はいろいろ見たが、この部分を使っているともとの姿を想像してしまうせいか、「おおっ……」と言葉に詰まる)(中庭の展示。Alonso Chávez というアーティストの作品)にほんブログ村

    心臓を引っ掻くもの【ルフィーノ・タマヨ博物館】
  15. 椎名誠氏の『漂流者は何を食べていたか』を読んで以来、もとから好きだった極地探検の本を出来る限り集めるようになって、早いもので3年が過ぎていました!!中学時代に植村直己氏の北極点紀行を読み、学生時代に漂流記に夢中になり、そしてシャクルトンの奇跡の生還を描く『エンデュアランス号漂流』で極地探検に興味を持つようになった。そんなわけで椎名氏のこちらの本は面白く、『冒険作家 椎名誠さんの『漂流者は何を食べていたか』』今日もまたアマゾンから届いた本。写真の左側に見えるエンデュアランス号関連の本は以前に紹介したこともありますが、こういった冒険物語は自分が安全地帯にいるから…ameblo.jpここに紹介されている本を出来る限り集めてきたわけである。その中でトップクラスの面白さだったのがこちらでした。『凍える海』何度か話題にしているものの、これを主題にした記事を書いていなかったことに自分でも驚いた。有名なシャクルトンのエンデュアランス号は南極で氷に閉ざされ、無人島に上陸してからボートでドレーク海峡を航行するという大変な物語ですが、この『凍える海』は北極海で閉じ込められた船からアルバーノフら11人が脱出、陸地を目指してひたすら氷の上を歩く物語です。シャクルトンがイギリスであるのに対しアルバーノフは旧ソ連ですから、お国柄の違いもあってか、アルバーノフのほうはどうしても暗い印象が付きまとう。しかし生き抜くための精神力は同じです。24人の乗組みがいた船は北極海で身動きが取れず、隊長と仲違いしたアルバーノフは下船を決断、同行するものが半数を超えました。とはいえ一人は老齢のため長距離の歩行は無理と判断し断念。さらに3人が陸地の見えないことに絶望して、当面は食糧と暖房に困らない船に戻っていきます。アルバーノフのもとには11人が残りました。椎名氏の本では、彼らがアザラシやシロクマを食糧としていたことを書いていますが、その困難な行軍についてはほとんど触れられていません。一人が氷の隙間から海に落ちて行方知れずとなり、ようやく上陸しても飢えと寒さで倒れるものが相次ぐ。さらには重量オーバーのカヤックに乗り切れない数名が氷上をクロスカントリースキーで移動するも待ち合わせ場所には現れず、生還したのはアルバーノフと部下コンラットの二人のみ。二人はイギリス人探検家ジャクソンの避難小屋を見つけてようやく食と暖房にありつきますが、やがて同胞ロシア人の船に拾われて無事に帰国を果たすのでした。イギリス人ジャクソンの小屋、というと、有名なナンセンが北極海で命を救われたのもこの避難小屋だった。『フラム号北極海横断記 ― 北の果て  (フリッチョフ・ナンセン著)』ここでいったん小休止。宮城図書館様のご協力で、1896年の北極海探検の記録『フラム号北極海横断記』を手に取ることができました。アマゾンで買おうと思えば現…ameblo.jpこの時代の極地探検はいろんなところでつながっていて、読めば読むほど次々に新しい発見があって面白い。

    Vアルバーノフの『凍える海』
  16. 三連休、土曜日には一人でドライブ!と思いきや、大雨で断念。結局のところファミレスでケーキとドリンクバーの読書タイムを楽しんできました。ケーキも高くなったから、ささやかな贅沢もささやかではなくなりつつある。そのぶん読書もしっかりしなければならないと思う次第です。さて今回、仙台市太白区の古本屋さんで見つけたのがこちらでした。『氷海からの生還』昭和60年ですから約40年前のこと。オホーツクで操業していた漁船が連絡を絶ち、「遭難か、ソ連(今のロシア)による拿捕か」と語られていた模様。日本とソ連は第二次世界大戦で敵対しているうえに、北方領土の問題も抱えているため、ソ連領海内に入れば当局に捕まる事例もあったようです。そこで図書館に行って記事を探してきました。昭和60年4月の大手三社の記事から。漁船の名前は第71日東丸。乗組みは16人、サハリン(樺太)の沖で操業中に連絡が途絶えたのです。拿捕ではなく、船が壊れたことが判明。「拿捕?」と疑っていたソ連相手にも捜索の救援要請しています。ご家族の方々の不安はいかばかりだったか…その記事もありましたが、あまりに悲痛なのでここには掲載しませんでした。大手三社からは44の記事を見つけてコピーしてきました。16人のうち3人が無事に生還、だからこの本も出版されるということになるわけですが、四月末とはいえ凍りついたオホーツク海は相当寒かったのに違いない。よくぞ無事に戻ってこられました。少しタイプは違えど、奇跡の生還を果たした人々がこの本の中でも紹介されていました。それが、『117日間死の漂流』夫婦で四ヶ月にもわたるゴムボートの漂流。助けてくれたのは韓国の漁船です。そして『荒海からの生還』は、フジテレビの「アリガト! JAPAN」でも紹介されたことで知られるようになりました。当ブログでも数回掲載しています。『『荒海からの生還』からもうすぐ51年』昨年の同じ時期にも紹介していました『荒海からの生還』。アマゾンでお買い得価格だったため速攻で注文しました。今は再び高値がついています。写真は日本の漁船第…ameblo.jpそして今回の本にはありませんが、『大西洋漂流76日間』たった一人で二ヶ月以上もゴムボートの上。とにかく生き抜くための精神力が素晴らしい。そして『奇跡の生還』こちらは上の三つと違いゴムボートではないので少し安心感があるのですが、それでも四ヶ月にもわたる漂流を生き抜くのは並大抵ではありません。5月10日に生存者が発見され、そこからまた新聞記事が大きく動き始めます。一番熱心なのが朝日でした。本多勝一の存在がもしかして大きかったかも?こういった現代の漂流にも関心が行くようになったのは、椎名誠氏のこちらの本がきっかけでした。オススメです!

    『氷海からの生還』
  17. 疲労&時間がなかったので、今日はインド日記はお休み。時々、「インドに女一人で行こうと思っているんですが、インドは危ないと聞きます。一人でも大丈夫ですか?危なくないですか?」って質問をもらうんだけど、知らん『私は今まで危険な目に遭ったことはないです。』としか言いようがない。私は今のところ大丈夫だけど、あなたが大丈夫かどうかはわからないもの。どれだけ旅慣れていて、どれだけ英語ができて、どれだけ強いかもわからないし、危険な目に遭うかどうかって運も大きいと思うし。私が「危なくないから大丈夫ですよ。」って言ったら行くのかな?行って危ない目に遭って「危なくないって言われたのに。」って思われても困るし「どういうことに気を付ければいいですか?」って質問だったらまだわかるけど。「お腹を壊しそうで心配なんですが大丈夫でしょうか?」とかも、知らん私はインドに慣れてたって、大丈夫な時は大丈夫だけど、あたる時はあたる。それこそ運だよね。先日、今度一人でインドに行くと言うある方からメッセージを貰ったのね。いくつもの質問が長々と書かれていて、中にはコンセントプラグについてとか、自分で調べられるようなことまで。「水道水は洗顔でも危険ですか?」とか。それこそわかんない私は歯磨きも水道水でしても全然大丈夫だけど、他の人がどうかはわからない。私、その方と今までに一度もやり取りをしたことがないし、私のブログを読んでくれている方なのかなと思って見てみたけど、一度もいいね!も付いてなくて読んだ形跡もない。いつも読んでくださっている方々は、いいね履歴から大体把握しているし(いつもありがとうございます)、もしそう言う方から質問が来たら喜んで答えるけど、 全くの初めましてで、たまたま私のブログを見つけて、いきなり長い質問メッセージを送ってきて答えてくださいって・・・これだけインド関連の記事をアップして来てるんだから、まず読んで!って思う。そこにかなりヒントはあると思う。私、そんないい人じゃないから別の方からは、「今度◯◯に行くんですが、その街の記事はどの辺りの日付にありますか?」って質問をいただいたんだけど、そう言うのはとっても嬉しい。その後ちゃんと読んでくれていたし。いい旅になりますように以上、疲れ切った金曜日の出勤途中の愚痴でした〜。ごめんなさ〜い。平日勤務の方は、後一日頑張りましょう〜ポチッとしてもらえると、ポイントが入って私のランキングが上がります。押してもらえると嬉しいですいつもありがとうございます!!にほんブログ村世界一周ランキング

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    こう言う質問は困っちゃう。
  18. 2024年2月14日〜7月まで、アフリカ縦断をしていました。ルートは、南アフリカから→モロッコまで陸路で北上していく西ルート。アラフォーバックパッカーが、ボロボロになりながらも!アフリカ縦断を達成させた紆余曲折のストーリーをお楽しみ下さい。Instagramもゆるりゆるりと更新してます↓balineko_mutter初めてこのブログをご覧になる方へまずは、簡単な自己紹介!あらためまして、まるちゃんですコロナの期間中は、日本を二周してました。準備完璧…じゃないけど、日本二週目スタート!!本職のマッサージセラピストとしての思い(長文です)無料は人をダメにする歩いて、JICAのオフィスに到着。中に入るやいなや、入口にいた警備員らしきベナン人が、私の姿を見て派遣されている日本人スタッフを呼びにいってくれました。空調のガンガン効いたオフィスで待たせてもらっている間に、置いてあるパンフレットを読ませてもらいます。正直、JICAと青年海外協力隊の違いをよく分かっていない私。初心者でも分かりやすく書いてくれているので、この機にお勉強しておこう。大きく違う点は…JICAは主に相手国政府機関を対象とした協力になるのに対し、青年(もしくはシニア)海外協力隊は中南米諸国の日系団体または日系社会を通じた現地社会を対象とした協力を行う点である。漫画もあった。ついつい、発展途上国への支援が多すぎるんじゃないか?と、ここ数年は日本の政府へ不満も出がちでしたが、経済は日本だけでは回らないという大きな理由があったんですね。そして、戦後大変だった日本を助けてくれたのが他の国々。だからこそ、今度は日本が助ける番なんです。物価上昇で日本国民も苦しんでいますが、こういった援助が最終的には良い方に転ぶといいなぁ…( ´ー`)しばらくしたら、JICAの日本人スタッフの方がやってきて、日本語学校の話をしたらその学校の先生の連絡先も知っていたようで、直接連絡してくれました。タクシードライバーも捕まえてくれて、フランス語で金額交渉も。ちょっとわかりにくい場所にあるので、万が一の電話代も含めて(先生に連絡する)1000CFAとやや高め設定。それでも行けるならOKでしょ。JICAのスタッフさんには何度もお礼を言って、日本語学校へと向かいます。これこれ!『IFE FOUNDNATION INTERNATIONAL JAPAN HAOUSE』タクシードライバーに1000CFA渡したら「遠かったんだからもっとちょうだい」みたいに言われたけど、1000CFAで十分すぎるだろうが。相手にせず、学校の中に入ります。日本語が話せるベナン人の生徒さんが、中を案内してくれました。授業は平日は夜からのみなので、自習している生徒さんに二人だけ会えたけど、授業の見学も可能です。むしろ、生徒さんが日本語を話すいい機会になるから、授業の時間帯に来てくれると有り難いんだって。ここの学校の本当の名前は『たけし日本語学校』たけしって…?はい、あの世界の北野『ビートたけしさん』が由来です。みなさん、20年以上前にやっていたバラエティ番組『ここがヘンだよ日本人』という番組は知っていますか?そこで人気者になったのが、ベナン出身で日本に留学しにきていたゾマホンさん。その彼が、自分の国にアフリカ初となる日本語学校を設立(アフリカで日本語を勉強できるのは、大学の学科とかぐらいだった)ビートたけしさんの付き人もやったりして、日本での生活も支えてくれ、彼は神様のような存在だと。そんな感謝の気持ちを込めて、自分の国に作った日本語学校の名前につけたのです(しかも事後報告 笑)現在、日本語講師として働いているのが石田さん。急に見学しにきたにも関わらず、対応してくださって本当にありがとうございました。まず、この学校はゾマホンさんが実費で設立しておりまして、ビートたけしさんからは一切支援は受けてません。その際のお金が、自分が書いた本の印税から。これが大ベストセラーに。印税は自分の為には使うことなく、この『たけし日本語学校』と他には『江戸小学校』『明治小学校』とベナンでも貧しい場所に2つの小学校を設立しました。この学校の凄い所は、授業料が無料という事!(↑このボード、生徒さん達が自主的に作成したんだって。凄くない?)裕福ではないベナン人も学べて、優秀な人材を日本に留学させてあげたい。そして、お世話になった日本に役に立ちたい。そんな素晴らしい気持ちで活動していたゾマホンさん。(↑これは苦労したゾマホンさんが、よく口にしていた言葉)日本で有名になってほんの印税も何千万と入ってきたのもあり、週刊誌には売名行為やら、無い事で叩かれた事もあったと。日本のマスコミは相変わらず暇人…でも、紆余曲折もありながら20年以上続いているこの学校。過去にはベナンの不便な生活に慣れず、開始早々離脱してしまった先生はいたり生徒さんもギリギリの生活で学んでいる人もいるので、バス代が払えず学校まで通えなかったりと、色々と大変だったそう。学校にもスポンサーもいますが、支援だけに頼らず自分たちでお金を作れるように、生徒さんそれぞれに得意な事があるのでそこからビジネスを生み出していっています。日本で生産している化粧品『スキンピース』これらの原材料がベナンで採れるシアバターを使っていると。日本以外の国だと、シアの実だけを買って自分の国でシアバターを作りますが、この化粧品の会社はシアバターを作る仕事をベナンにも任せているんです。このビジネスで、日本語学校を存続させていく資金も生み出せるように努力をしている。かつ、生徒さん自身も日本と関わる機会もできるのでWin-Winですね。石田さんも、ただ日本語を教えるのだけではなく、人としての『心』を常に生徒さんに厳しく教えるようにしていってるそう。それは生徒さん自身が日本に留学した時に、絶対に必要なことだから。例えば、日本がベナンに色々と支援している記事を生徒さんに見せて、そこで「当たり前じゃん、ふーん」で終わってしまうのかもしくは感謝の気持ちが生まれるかで、日本で生きていくうえでも大分変わってきてしまうと。色んなお話を聞かせてもらったので、全部を書ききれないのが残念ですが…とにかく!この先ベナンから、日本にきた留学生の会えるのが楽しみ。なんとなんと!帰る時に、ゾマホンさん本人が来ていたんですよ。今は、日本とベナンで半々の生活をしているというのに、なんてタイミング。ただ、会議中だったので生では見れなかった(¯―¯٥)ちなみに、これは所ジョージさんが寄付してくれたスクールバス。ただ、燃費が悪いので今では使ってないらs……ゴニョゴニョ晩御飯は生徒さんと一緒に食べて、宿まで歩いて帰りました。色んな事を知れた、良い1日だったな。そして、この記事を読んでみなさんがベナンという国に少しでも興味を持ってくれたら嬉しいな。

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    発展途上国にできる事って何だろう
  19. 取捨選択
  20. 2024年2月14日〜7月まで、アフリカ縦断をしていました。ルートは、南アフリカから→モロッコまで陸路で北上していく西ルート。アラフォーバックパッカーが、ボロボロになりながらも!アフリカ縦断を達成させた紆余曲折のストーリーをお楽しみ下さい。Instagramもゆるりゆるりと更新してます↓balineko_mutter初めてこのブログをご覧になる方へまずは、簡単な自己紹介!あらためまして、まるちゃんですコロナの期間中は、日本を二周してました。準備完璧…じゃないけど、日本二週目スタート!!本職のマッサージセラピストとしての思い(長文です)無料は人をダメにするATMでお金が下ろせなくなってしまった私。『キャッシュカード問題、再び勃発!』2024年2月14日〜7月まで、アフリカ縦断をしていました。ルートは、南アフリカから→モロッコまで陸路で北上していく西ルート。アラフォーバックパッカーが…ameblo.jpどうしよう…現金がないと宿にも泊まれない(そもそも宿の予約すらしてない)さすがにバックパックを背負って歩き回るのも限界を迎え、とあるお店の前で近くで休憩をしていました。建築材料の輸入業者さんなのかな?お店の前で椅子に腰掛けて、ニコニコしているおばあちゃんが疲れ切っている私を見て、自分の椅子を差し出してくれたのです。始めは断りつつも「いいから、いいから」と座らせてくれるおばあちゃん。とりあえず、この状況で一番にすべき事を冷静に考えてみる。現金がないのは仕方ないとして、暗くなる前にまずは泊まる所を確保しないと。クレジットカードを使って泊まれる所となると、やっぱりAirbnbに頼るしかない!ホテルの予約サイトと違って、民泊は当日予約ができる所が少なくなるんだけど、大丈夫かなぁ…その前に、Wi-Fiもないんだった(¯―¯٥)こりゃ、SIMカードを買うしかないか。輸入業者のお店のスタッフに、翻訳機を使って、SIMカードを買える所もしくは、Wi-Fiが使える場所はないか聞きました。ここから、バイクタクシーで5分ぐらいの所にWi-Fiスポットがあるんだって。え、それならそこに行く!!と思った矢先、大雨が降り始める。お店の中に即、避難。通り雨かと思いきや、結構しぶとくってなかなか止まない…バイクタクシーじゃなく、トゥクトゥクや普通のタクシーを使えば濡れずに行けるけど料金も高い(´・ω・`)それに今は、現金も大して持ってないから節約をしないと。時間がどんどん過ぎていくのに焦ったけど、1時間ほどしてやっと小雨に。お店のスタッフがバイクタクシーを捕まえてくれて、行き先も伝えてくれました。雨宿りもさせてくれたうえに、バイクタクシーの値段交渉もしてくれたおかげでボッタクられずに済んだし、本当にありがとう!!連れて来られたのが、こちら。※写真はお借りしましたGoogle Mapで検索すると『IWI PTT』という場所で、Erevan Super U Akpakpaの真向かいにあります。Wi-Fiセンターみたいな場所なのかな?アクセスが最速でできる感じなので、地元の人もパソコンを持ってきてここで作業をしていました。1000CFA(約252円)で、1週間利用できるパスワードを購入。時間も時間なので(午後3時)大急ぎで、今夜泊まれる宿をAirbnbから探します。立地、お値段共にまぁまぁな所を見つけ、宿のオーナーに連絡。オーナー側も部屋の準備をしないといけないから、17時前ならOKと返事をもらいます。良かった〜とりあえず、野宿は逃れられたε-(´∀`*)ホッバイクタクシーを捕まえ、今度は自分で値段交渉。珍しく英語が通じるドライバーだったのはいいんだけど、ボッタクってくるのよ。Wi-Fiセンターにいたスタッフも英語がちょっと話せる人だったので、宿までのエリアの相場を教えてもらい→再交渉。希望通りの値段になり、宿の近くまで連れていってもらいます。ちなみに、バイクタクシーに乗る時は運転手だけでなく、一緒に乗車する人間もヘルメットの着用を義務付けられてるベナン。※写真はお借りしました↑この写真は結構前だから、まだドライバーしかヘルメットを被っていませんね。アフリカでバイクタクシーは何回もお世話になってきているけど、ヘルメット着用は初めて。というより、これが普通なんだよ(;´∀`)私もライダーなのに、被らないことが当たり前になってしまっていたのが怖い…到着したアパートは、外観からして綺麗そう。寝室と、リビングの2室あって広々。洗濯物も干せそうだな。シャワーはやっぱりお水しかでなかった(;´∀`)おトイレの便座シートが壊れているのは、ちょっと大変だけど…まぁいいや。キッチンは使うことはなさそうだな。これで一泊3336円。さらにはハウスルールがあって、電気料金を1キロワットあたり利用につき200CFAを請求されます。だから、クーラーなんか使ったらとんでもない金額になるので使いません。エアコン代は別というのは、ベナンでもちゃんとしているホテルでも結構設けている所は多い。それだけこの国では、電力の安定供給がされていないって事なんだろうな。そして、問題のキャッシュカードが使えない問題!宿のホストが英語もちょっと話せる人で、私の現状を伝えたのです。そしたら、ホストの旦那さんに電話してくれて、繋いでくれました(旦那さんの方が英語が上手なんだって)まず聞かれたのが「ナイジェリアでは、そのキャッシュカードを使って下ろせたの?」もちろん、使えましたとも。「でも、ベナンに来てからはどのATMもダメで。代表的なEcobankとか色々試したけどダメだったの」と伝えらたら「Ecobankはダメだよ。UBAの方がナイジェリアに本社があって大きな銀行だから、そこで下ろした方が可能性はある」とアドバイスが。ちょうど、ホストが子供たちをスクールにお迎えにいく時間だったので、一緒に車に乗せてくれるって!近くのUBAまで連れて行ってくれました。もう、ドキドキしながらATMまでの画面を押してましたね。一回エラーが出てテンパったけど、近くにいたベナン人が手伝ってくれて一緒にやったら下ろせたーー( ;∀;)なんとか生き延びた、、、これで、旅はまだ継続できます。一度に下ろせる最高金額の250000CFA(約62879円)が手元に入りましたが、この先の国もまた同じような事が起こる予感もして、合計750000CFA(約188639円)を下ろしてしまった私。大金を持ち歩くのは非常に怖いですが、何度もキャッシュカードを使えない体験をしてしまっているので、仕方ない。かつ、この通貨(西アフリカCFA)は、次の国のトーゴでも使えるし、そのあとに行く予定のコートジボワール、ギニアビサウ、セネガルでも使えるしね。ただ、この判断は正しかったのか…大金を持ち歩いていた事で、のちに自分を苦しめる事になるなんて、この時はまだ思ってもいませんでした。車の帰り道には、ホストが「御飯まだでしょ?どっかで買ってく?」と気を遣ってくれて、優しい!そういえば、現金もなくて昨日の夜から何も食べてないんだわ。ファストフードでケバブセットを購入。※写真はイメージです宿も居心地がいいので、もう2泊延泊する事に。このホストを選んで本当良かった〜。

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    なぜ私の旅はこんなに綱渡りなんだろう