5/13の記事ランキング

  1. 今一番オススメしたい大人のファンタジー小説。それが多崎礼さんの『レーエンデ国物語』シリーズです。今回は1、2巻に続き3巻「喝采か沈黙か」のレビューをしていきます。※『レーエンデ国物語』を読む際は1巻から順に読むことを強くオススメします。ちなみに3巻には1巻と2巻のサイドストーリーなる【スペシャルストーリー】のおまけが付いてくるので、そういう意味でも早めに前の巻をお読みくださいレーエンデ国物語 喝采か沈黙かAmazon(アマゾン) Amazon(アマゾン)で詳細を見る 楽天市場で詳細を見る ${EVENT_LABEL_02_TEXT} 「喝采か沈黙か」の意味を知るとワクワクしてきます尚、3巻のレビューには2巻のネタバレが含みます(そうでないと話ができない)『「レーエンデ国物語」多崎礼』今回は今話題の王道ファンタジー小説をご紹介します。異なる世界、西ディコンセ大陸の聖イジョルニ帝国。母を失った領主の娘・ユリアは、結婚と淑やかさのみを求め…ameblo.jp『「レーエンデ国物語 月と太陽」多崎礼』今回ご紹介するのは多崎礼さんの『レーエンデ国物語 月と太陽』です。こちらは大人気ファンタジー小説『レーエンデ国物語』の第2巻になります。まだ1巻を読まれ…ameblo.jp前回までのあらすじ3巻を読むには絶対に2巻の内容を理解する必要があります。以下は前回までの内容をまとめたものになります。レーエンデ地方にあるダール村で生まれた怪力少女のテッサは、幼い頃に両親を亡くし、姉のアレーテと暮らしています。テッサは二十歳になると、ダール村の負債を肩代わりするため、幼馴染のキリルとイザークと共に民兵に志願します。戦場でテッサはのちに生涯最高の恩師となるギム・シモンと出会います。しかしテッサは兵役の途中にダール村が神騎隊に襲われたことを知ると、軍を脱走して現地へ向かいます。そこでテッサが見たのは焼け野原になったダール村と無残な姿になった村人たちの遺体でした。愛する姉と多くの村人を失ったテッサはレーエンデに自由を取り戻すため、レーエンデ義勇軍を結成し、アルトベリ城を陥落させます。そして各地で立ち上がった反帝国勢力とともに、(法皇が住む)ノイエレニエに攻め上がろうとした矢先―法皇が亡くなり、新たにエドアルド・ダンブロシオが法皇に即位するのですが、彼の奸計により反帝国勢力は瓦解し、多くのレーエンデ義勇軍たちが去っていきます。また、レイル村ではレーエンデ人による暴動が起き、大勢のレーエンデ人が亡くなったことを知ったテッサは自責の念を抱えます。わずかに残った仲間たちとアルトベリ城に籠ったテッサ。そこにかつてテッサが所属した帝国軍の中隊がやって来ます。しかもそれはあのギム・シオン率いる中隊だったのです。レーエンデのため、泣きながら敬愛するシモンを倒したテッサですが、そうまでして守った城も、同胞の裏切りによって手放すことになってしまいます。最終的に帝国軍に投降することになったテッサは、皇帝となったエドアルドから城壁門の上に置かれた磔刑台に繋がれます。水も食事も与えられず、眠ることも許さないまま、ひたすら衰弱死を待つこの刑。しかし皇帝から「お前が生きている間はウル族が住む森を焼かない」と言われたテッサは、少しでも彼らが避難する時間をかせぐため、一ヵ月も生き延びます。最期は枯れ枝のようになり、壊死してしまったテッサの遺骸は、帝国兵によって踏みにじられたあと埋葬されることなく、レーニエ湖に投げ捨てられました。さらに帝国は英雄テッサの名の下に再びレーエンデ人が結束することを恐れ、彼女の名前を口にすることを禁じ、その歴史(記録)を封印します。こうして時の流れを経て、あっという間にレーエンデ人の記憶から消えてしまったテッサ。3巻はそれから100年後の時代にワープします。100年後のレーエンデ今回の舞台はウル族の村、ティコ族の村に続いてノイエ族の住む村、ノイエレニエです。しかしこの時代のノイエレニエはイジョルニ人(帝国の人間)が住むノイエレニエと、レーエンデ人が住む新ノイエレニエに分かれています。(ちなみにウル族・ティコ族・ノイエ族とは古くからレーエンデに住む民族のことです)初代法皇帝エドアルド亡き後に後継者となったルチアーノ・ダンブロシオは、蒸気機関車の実用化に乗り出し、外地とレーエンデを繋ぐ鉄道を完成させます。それはレーエンデのノイエレニエから聖イジョルニ帝国領にあるアルモニア州に続く鉄道で、それぞれの駅周辺は栄え、発展していきます。しかしイジョルニ人たちは、この駅があるノイエレニエを占領し、レーエンデ人が鉄道を使用することを禁じます。100年前にテッサ亡き後、すぐに住処である森を焼かれたウル族は、多くの者が亡くなり、生き延びた者にも地獄の日々が待っていました。不慣れな街での暮らし、慣れない仕事、課せられる二倍の人頭税。困窮したウル族の多くは奴隷となり、酷使されたあと野山に捨てられました。一時はエドアルドの甘い言葉に騙され、戦争放棄したレーエンデ人ですが、結局それは罠で、今ではイジョルニ人は上級市民、レーエンデ人は下級市民という世界が出来上がっています。下級市民は上級市民への奉仕が義務付けられ、職業の自由もありません。特に最後まで帝国軍に抵抗したウル族の扱いは酷く、多くが娼婦や男娼として生計を立てています。双子今回の主人公であるアーロウ・ランベールと、リーアン・ランベールも娼婦の母から生まれた双子の兄弟になります。生まれながらにして男娼になることが決まっていた二人ですが、リーアンには劇作家としての才能があったため、男娼にならずに済み、現在はひとりでアパート暮らしをしています。一方、凡人のアーロウは男娼として生きていくしか術がなく、リーアンに対し複雑な心情を抱いています。アーロウが所属するのは「月光亭」という娼館で、そこで働く娼婦や男娼たちは、娼館の裏にある「ルミニエル座」という劇場で役者もしています。つまり娼館と劇団は一体になっているというわけです。それには月光亭の売り物をお披露目する"見世物”としての役割だけでなく、表現の自由が守られている唯一の場所としての役割がありました。第二代法皇帝ルチアーノは、不当な暴力から娼婦を保護するための「娼館保護法」を制定し、そこでは劇場内においてどんな台詞も不敬罪や反逆罪に問われないとしてきました。誇りを失ったレーエンデ人にとっては唯一尊厳を取り戻せる場所というわけです。この法はルチアーノ亡き後も守られ(廃止しようとすると災いが起きる)、娼婦たちの希望になっています。そんな中、天才劇作家のリーアンは、レーエンデ人の矜持を取り戻すべく、英雄テッサの生涯を描いた戯曲を作ろうとします。実はイジョルニ人の有名演出家ミケーレ・シュティーレから「君の戯曲を演出したい」と依頼されたリーアンは、誰もが共感し感動する英雄譚を書くことでレーエンデの未来を変えたいと願っていたのです。戯曲が完成したら、それを帝国の頂点、イジョルニ帝国劇場で上演してくれると言われたリーアン。それならば真実を知らないイジョルニ人とレーエンデ人たちに本当の歴史を突きつけることで、帝国の嘘を暴きたい。そう思っての行動でした。しかし、それはあまりにもリスキーな賭けであり、片割れの行く末を案じたアーロウは大反対します。テッサを探して最初はリーアンの考えに猛反対していたアーロウですが、結局のところ「レーエンデに自由を取り戻したい」という志は同じであることから、戯曲制作に協力することにします。まずは失われた英雄テッサの歴史を調べるため、旅に出る二人。そこで次々と衝撃の事実を知ることになるのですが、その内容というのが二巻での出来事になります。今ではすっかり忘れ去られたテッサの革命と矜持をひっそりと受け継ぎ続けている命のバトン。あの人の言葉を、あの人のおもいを、受け継ぐ人たちとの出会いがそこにあります。もちろん真実の歴史を語り継いでいることがバレたら処罰を受けます。生きたまま幻魚のエサにされる「犠牲法」の生贄にされてしまいます。なので語り人たちは敵にばれないように普段はその素性を隠して生活しています。このようにして命懸けで戯曲を完成させるリーアンですが、その後の展開はネタバレしてしまうのでノータッチとしておきます。ただ、4巻のレビューに3巻の内容を書く(そうしないと感想が書けない)ので、全シリーズを読む前に内容を入れておきたい方はどんどん先に読み進めちゃってください。ここでは詳しく言えませんが、3巻の結末はこれまでより「希望」が明確になってきたような気がします。まだはっきりとした希望ではありませんが、夜明け前を匂わす展開になっています。何せ4巻のタイトルが『レーエンデ国物語 夜明け前』ですからね。夜明け前のさらに夜明けの序章的なのが3巻なのだと思います。それでもまだハッピーエンドとは程遠いよ・・と嘆く方がいるかもしれませんが、少しずつですが、確実にレーエンデは変わってきています。これまで外地への道は閉ざされてきましたが、なんだかんだで鉄道はできましたし、テッサが陥落させたアルトベリ城は再び帝国のおひざ元になっていますが警備はかなり甘々になっています。そして何より1巻でヘクトルたちが築いた知る人ぞ知るシュライヴァへつながる隠しトンネルもあります。さらにテッサが描いていたかたちとは違いますが、100年前に一応エドアルドが終戦したことで、戦争に費やされてきた資金や資源は、もっと人々のためになる産業や文化などに使われるようになりました。だからこそリーアンは天才劇作家として、そして本人は気づいていませんでしたがアーロウは天才演出家として、芸術の力で革命を起こすことを思いついたのです。これは帝国の誤算になるでしょうね。前回テッサが武力ではなく教育でしかレーエンデを守ることはできないと無念の死を遂げましたが、ようやく彼女のおもいがここで生きてくるのではないでしょうか。今回もレーエンデ人の中にレーエンデ人を苦しめる帝国の奴隷がいたり、イジョルニ人なのにレーエンデ人のために動いてくれるお金持ちがいたり、色々と考えさせられることがあります。『レーエンデ国物語』の良さはこういうリアルさなんですよね。人と国はイコールではない。ぜひ最善の方法で、平和にレーエンデ国には独立を果たしてほしいと思います。4巻はどうなるのでしょうか。今から楽しみです。以上、『レーエンデ国物語 喝采か沈黙か』のレビューでした!注意点:3巻はかなりオトナな内容を含むので読書好きのキッズは覚悟せよ

    「レーエンデ国物語 喝采か沈黙か」多崎礼
  2. 神奈川フィルハーモニー管弦楽団みなとみらいシリーズ定期演奏会第395回を聴いてきました。みなとみらいシリーズ定期演奏会第395回 - 神奈川フィルハーモニー管弦楽団2024年5月11日、横浜みなとみらいホールで行われる神奈川フィルハーモニー管弦楽団の公演情報です。www.kanaphil.or.jp大植と大江、至極の協奏2024年5月11日(土)14時開演 横浜みなとみらいホール【指揮】大植英次 【ヴァイオリン】大江馨♭ラロ:スペイン交響曲 Op.21♭ラフマニノフ:交響曲第2番 ホ短調 Op.27Lalo / Symphony Espagnole Op.21Rachmaninov / Symphony No.2 in e minor Op.27【料金】S席7,000円 A席5,000円 B席3,500円【助成】文化庁文化芸術振興費補助金(舞台芸術等総合支援事業(公演創造活動))| 独立行政法人日本芸術文化振興会シティフィル定期演奏会(藤岡幸夫&福間洸太朗)と重なっていたので迷ったのですが…第370回定期演奏会|東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団 公式サイト東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団公式サイト。コンサートスケジュール、チケット、オーケストラの紹介や「第370回定期演奏会」のご案内www.cityphil.jp5年前にシティフィルのティアラこうとう定期でラフマニノフ交響曲第2番が演奏され、神奈川フィル首席の齋藤雄介さんのクラリネットが素晴らしくて、次回神奈川フィルがこの作品を演奏する際には必ず聴こうと決めていたので、こちらに行くことにしました。その他にも、都響(ケフェレックのモーツァルト第20番)も東響(Nott指揮大地の歌)も日本フィル(マーラー9番)、N響ルイージ(レスピーギ)もありましたが、神奈川フィル(というか齋藤さんのクラリネット)を聴くためにはるばる横浜みなとみらいへ。みなとみらいに来るのは、上岡さん指揮新日本フィルのマーラー「復活」以来ちょうど5年ぶり(3回目)。5年前にも同じことを書いていたけど、と、と、遠い…ランチするにもお店が全然分からない。とりあえず来たらどこもかしこも行列だらけで、空いているこのラーメン店へ。九州No.1になったと書いていたけど…さほど美味しいとは思えず…あくまで私個人の感想ですプレコンサートは13:35よりTrp:中村諒 Tub: 宮西純E.アンダーソン:BAROQUE'N BRASSE.モリコーネ:『ニュー・シネマ・パラダイス』よりメインテーマ、愛のテーマトランペットがハズしまくっていましたが…本番は大丈夫だろうかと不安になる…大江さんのラロ…特に派手さはないのですが、とても端正で美しい演奏…うとうとしつつ気持ちいい後半はお目当てのラフマニノフ。果たして、齋藤さんの素晴らしいクラリネットに泣けた紺野菜実子さんのイングリッシュホルンも哀愁を帯びて美しかった。大植さんらしくちょっと変態的…第1楽章めちゃ速いし、第3楽章中間部(ティンパニが連打する前のところ)がこれまで聞いたことがないくらいの超快速テンポでびっくりあの速さでよく破綻しなかったなぁと感心しました第2楽章がまともでワクワク感maxで素晴らしかった。第4楽章もとても面白かった。金曜日はマーラー9番、土曜日はラフマニノフ2番と好きな作品を続けて聴けて幸せ。日曜日はNott東響の「大地の歌」を聴きたかったけど…2日連続の演奏会、横浜まで行って疲れたので、自粛してのんびり読書などして過ごしました。

    たくさん共感されています

    神奈川フィルみなとみらい第395回:ラフマニノフ交響曲第2番&スペイン交響曲(大植英次&大江馨)
  3. ほんとうの日本の危機とは何でしょうか岸田内閣府が あと、30年で人が 身体から 脳から 空間から時間の制約から解放されると 発表しました❗️つまり、これは AIロボットに優秀な人の脳🧠を転写しオリンピック選手の 身体能力を転写してAIロボットが 労働をするそんな時代が来るあと、30年で ‼️噂では、『ちかぢか、、財務省?から私たち、個人の貯蓄高調査がある』とか?それも、この内閣府の目標から考えると一つの同じ穴から 出てきたと、、!つまり、金銭配布と これまでの金融システムの廃止‼️いよいよ、AIロボット化へと社会システムが変わろうとしている⁈働く喜び 能力を磨く喜びの喪失とAIロボットに支持され、使われる⁈ひとは 人として なにを喜びとし なにを 努力しますか下手をすると、、これは人間家畜化の、時代の始まりかひとにあって AIロボットに無いもの、それは、、霊性霊性時代の幕開けかムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現- 科学技術・イノベーション - 内閣府ムーンショット目標1 2050年までに、人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現www8.cao.go.jp❗️

    ⭐️内閣府の目標→AIロボット社会の実現❗️
  4. コストコ版を買いました。台湾コストコのバッグが付いてたので、買おうか何回か迷っていたけど、かわいかったのでついつい。コストコで買うとちょっとだけ安い&バッグ付きなんやけど、Martはこの春号以降は不定期刊行になるんですってよ。月刊から季刊、そして不定期刊行……残念だねえ。Mart(マート) 2024年 春号 [雑誌]Amazon(アマゾン)キャンプ道具の特集がよかったです。キャンプというか、デイキャンプには興味あるので。というか、炭火で焼くと何でも美味しい。ほんまは今日はデイキャンプの日(スポーツクラブ主催のやつ。道具とか食材とか準備と片付けをほぼやってもらえるやつ。今回は炊き込みご飯食べ比べ)やったけど、都合がつかず今回は断念したー。☆D-DAY the MovieとSEVENTEEN 4冠☆第4弾の特典!A5サイズのクリアファイル、お写真最高です💜D-DAYユンギも素敵ですが、裏のTシャツほにゃらか笑顔ユンギもたまりませんね。というか、ユンギにしか出せないマイナスイオンあるわ。現在はこちらの第3弾特典ですね。やっと!やっと、今日行ってきます!そして、セブチの歌番組四冠!おめでとう💜ウマチュンのこの衣装、好きー。ウォヌはとろーり素材のボウタイシャツ、デニムに黒ロングブーツ!肩出しよりもスタイルのよさが引き立って、露出が少ないのに逆にsexyでしたよ?というか、どのマエストロウォヌもどストライク過ぎて、ウォ沼に引き摺り込まれるやつー

    「Mart 2024年春号」コストコ版
  5. 偉人の子供時代の習慣を深掘りする–その25「功名心は持つべきか?」
  6. スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジックAmazon(アマゾン)こんにちは、リブラです。今回は、ジェームズ・ドゥティ著「スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック」の解説です。第6章「いいことのなかった町を出る」のあらすじ「人生の扉を開くマジック」の師のルースが町を去った後も、ジムは習ったことを忘れず毎日やり続けました。でも、父親はアルコール依存症で、母親がうつ病で、兄は引きこもり、家は貧困家庭であることは変わりませんでした。ジムはその家庭環境に埋もれたくない一心で、14~17歳までの間、警察の体験実習に参加し続けました。その実習に参加しているときは、現在の恐れや心配から離れ、自分に目的意識と居場所を与えられていると感じたからです。ところが、その実習中、ジムは衝撃的な体験をします。酔っぱらった父親が警察官に捕らえられ、ジムの実習先の留置場に入れられたのです。ジムの指導警官は、その酔っぱらいがジムの父親であることを知っていて、「事件にはしないから。しらふになるまで待って家に送ろう。わたしの父も酷い酒飲みだった。君の気持ちはわかるよ」と言ってくれました。ジムは、「何かが壊れていても、すべてが壊れてるわけじゃないのよ」と言ったルースの言葉を思い出し、「僕は貧乏だ。父さんはアルコール中毒だ。でも、僕は壊れていない。何かが壊れているからといって、すべてが壊れているとは限らない。父さんには父さんの道、僕には僕の道がある」と自身に言い聞かせました。また、ジムはその実習でクリスマスに配る貧困家庭向けの食料バスケットを詰める作業をしました。それを配るのは警察官たちですが、渡したときにもらった人がどれだけ喜んでくれたかの話を聞き、与える喜びを感じました。そして、そのバスケットが実際にジムの家に配られたときの父と母の喜ぶ姿を見て、施しを与える側と受けとる側の両方の立場に立ち、「与える喜びと受けとる喜び」の両方を学んだと感じました。ジムは高校で飛び抜けて成績が優秀というわけではありませんでしたが、ルースのマジックを鍛錬を続けたおかげで、白衣を着て医師として働く自分をありありとイメージに描くことができ、それを信じることができました。だから、医学部の受験の難易度や、合格したときの学費をどうするのかなどの様々な問題で志望を変えることはありませんでした。志望校も決まらず、受験の願書の提出期限も知らないままでいると、教室の隣の席の女子学生がせっせと大学の願書を記入しているのを見かけ、話の流れで同じ大学を受けると口走り、運よく願書の提出書類を分けてもらって締め切りに間に合いました。願書を提出~受験~合否通知の受け取りまで、ジムの家庭は2度の引っ越しをしましたが、大学の合格通知はアパートを何度も転送されながら、ちゃんとジムのところに到着しました。それを見てジムは、「未来が僕を追いかけて、とうとう僕を見つけてくれた」と思いました。「ルース、ありがとう。バイバイ、ランカスター」と彼はつぶやき、自由になったと感じました。ジムは大学合格で、医者になるための第1歩を踏み出したことを振り返り、はっきりイメージできたことは必ず実現し、実現しないときはそれなりの最もな理由があると思いました。後に脳外科教授になったジムは、このときルースのマジックが功を奏した理由を、神経科学と脳可塑性と捉えています。「意識を向けることに大きな力があり、それは脳を変え、灰白質の中の学習や成果や夢の実現を助ける部分を強化する。脳は、強烈な想像上の体験と現実の経験を区別しない。脳は、見慣れないものより慣れ親しんだものを必ず選ぶ。」高校生のジムは、脳のことをまだ知らなかったけれど、「ルースのマジック」が脳の性質に適い、医師になる未来のイメージを繰り返し思い描くことで、その姿を脳に慣れ親しませていたのでした。「スタンフォードの脳外科医が教わった人生の扉を開く最強のマジック」より引用。この章でとても重要なことは、未来に望むセルフイメージ像を構築することです。それができれば、この章のジムのように様々な悪条件を乗り越えて、未来の方から現在の自分めがけて望む現実がやって来るのです。セルフイメージが未来の世界線を引き寄せるのです。セルフイメージは、思考が「自分のことをどう捉えているのか?」と感情が「自分の心で何を感じているのか」によってつくられます。未来の世界線は、自分の思考と感情で呼び寄せているのです!未来の世界線は、可能性の数だけ存在します。その中から望む未来の世界線を呼び寄せるには、その望む未来の自分と同じ波動を持つセルフイメージを現在の自分の心象に刻んでおく必要があります。それでは、どうやって望むセルフイメージを手に入れるのか?が問題ですよね。ジムのように、お金なし、家族の協力なし、不安材料山盛りの環境で育つ子どもだったら、「自分は無力だ。両親ともダメな人たちだから、自分も良い未来なんて望めない・・・」というセルフイメージを描いてしまいます。ですから、ジムは酔っぱらって留置所に拘束される父親を見て、「父さんには父さんの道、僕には僕の道がある」と考え方を軌道修正して、自身の未来のセルフイメージ(白衣で働く医師)とはなんの関係もないとして、望むイメージの方を信じたのです。これは脳の機能からすると、極めて自然な選択です。まず、酔っぱらって留置場にぶち込まれるような人間になりたくないのですし、そういう未来を自分もたどるとするイメージは不快です。医師になっている自分のイメージを描く方がずっと心地良いはずです。「ルースのマジック」を身につけたジムは、どんなにショックなことで心を揺さぶられても、必ず落ち着けてニュートラルな意識状態に持っていくことができました。ニュートラルな意識状態を保てれば、不快なセルフイメージか快いセルフイメージかの二択でいつでも好きな方を選べるのです。逆境で無理してポジティブな自分をつくるのではなく、まず、その逆境にあるときは、自身の心の中だけニュートラルな意識状態に戻せればよいのです。それは現実離れした妄想でもよいのです。心の中だけニュートラルな意識状態にできればよいのです。「脳は、強烈な想像上の体験と現実の経験を区別しない」のですから。そして、「脳は、見慣れないものより慣れ親しんだものを必ず選ぶ」のですから、妄想でも繰り返していれば、脳がそのセルフイメージに親しみを覚え、そのセルフイメージの方が自然に思い浮かぶようになっていくのです。ですから、ジムは劣悪な家庭環境にあっても、両親とは全く違う生き方をする未来の自分を思い描くことを続けられたのです。望むセルフイメージが自然に思い浮かぶようになると、根拠のない確信が不思議と備わります。「なんだか知らないけれど、そうなっている自分しかありえない感じ」がするのです。その状態になると、必ず現実化します。実は、わたしもジムほど劣悪ではないけれど、それに近い家庭環境でした。本を読んだり勉強していると嫌がらせを受け、宿題を放棄して家事や子守りに勤しむしと大喜びされる環境でした。「女は高卒で十分だ。銀行員になって早く家に金を入れろ!」と父に言われ、「進学したい」と抵抗すると、「わたしを離婚させる気?お願いだからお父さんの言う通りにして!」と母に泣きつかれました。進路のことで父に暴力を振るわれ、顏が腫れた状態で学校にいくと担任だった女性教諭が相談に乗ってくれました。「どんな状態になっても勉強を続けていれば、道は拓けるから」といってくれ、その直後に進学を望む生徒に学校が特別講義を用意してくれることになりました。わたしは塾に通わなくでも、数学と化学の特別講義を2年間受け続け、受験の準備をすることができました。家で勉強するときは、カモフラージュのために簿記の教科書を机の上に拡げ、数学や化学の本を隠せるようにしていました。父には、銀行に就職するためには簿記の資格があった方が有利だから勉強していると言ってごまかしていました。わたしの家は、毎週金曜と土曜の夜は父が麻雀仲間を呼び、明け方まで夜通しやっているので、襖1枚隔てただけの部屋は騒音と大量のタバコの煙で勉強も安眠も邪魔されました。そんな中でも、わたしが臨床検査技師になることができたのは、小学6年生のとき手に入れた顕微鏡のおかげです。小学3年生のとき、理科の授業で見た顕微鏡下の世界に魅せられて、どうしても自分の顕微鏡で好きなだけ見たいと思いました。400倍まで見える顕微鏡は、当時2万5千円もして、貧困家庭では買ってもらえる代物ではありません。でも、わたしは諦められず、母に無料奉仕していた子守りと手伝いに月額500円のお小遣いを請求することにしました。それを10か月貯めて5000円になったとき、父が競馬の資金がないときの高利貸しを思いつきました。負けたら元金だけ翌月の給料日に支払い、勝てば利益の5割の支払いの交渉を父が了承し、半年で2万5千円の顕微鏡を買うことができたのです。小学6年生でしたが、このとき、絶望的な状態でもほんとうにほしいものって手に入るんだな、と思いました。12歳から自分用の顕微鏡を使っていたわたしにとって、白衣を着て顕微鏡を覗き込んで働く自分の未来の姿を描くのはごく自然なことでした。銀行員になってお金を数えている自分をイメージする方がリアリティに欠け、想像できませんでした。この本でドゥティ博士が言う「脳は、強烈な想像上の体験と現実の経験を区別しない」と「脳は、見慣れないものより慣れ親しんだものを必ず選ぶ」の2つの性質を知らずに使った結果、わたしは逆境の中、両親が反対する進路を切り拓いて現実化したのだと思います。因みに、占星術師の方も、10歳からホロスコープを眺め始めたので、それを人に読んで説明する自分のイメージも自然に定着し、いま、天職になっているのでしょう。顕微鏡とホロスコープというアイテムにわたしの脳が馴染みを持ち、それを仕事にするセルフイメージが構築され、それが実現する世界線を呼んだのだと思います。なりたいイメージが決まったら、その未来の自分が持つであろうものを日常的に使い始めると、未来の自分のイメージを描きやすいと思います。次回は「エリクソンの心理療法<レジリエンスを育てる>」の解説を予定しています。わたしのサロン、リブラライブラリーではあなたの心のしくみをホロスコープで解説し、心の制限、葛藤が引き寄せる現実問題にセルフヘルプで立ち向かえるようサポートします。詳しくはこちらをご覧ください。新メニュー(月の欲求・土星の制限の観念書き換えワーク、キローンの苦手意識を強味に変えるワーク)が加わりました。最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

    たくさん共感されています

  7. とにかく、行くのが大変だった。放送大学栃木学習センター。駅から、延々と歩くと、25分ほどかかります。貧乏な年寄りには、大変です。もちろん、帰りも大変。モタモタしてると、大阪行きの新幹線の最終に、というより、最終の阪急電車がなくなってしまうから。一昨日も見ると、夕方は延々と渋滞してるから、これはバスに乗ると、大変だろうと思い、またバス自体が休日は本数が少なくなる。だから、昨日は、必殺、宇都宮ライトトレインの峰駅まで歩いて12分を、ダッシュで9分に縮める作戦にしました。出発時間ギリギリの16:45まで、先生の講義を聞き、残り15分を後ろ髪引かれながら早退。(ライトトレインは、車内がオシャレで未来感に溢れ、楽しくなってしまいます。 夢見た、未来の乗り物って感じ。 静かで、揺れも少ない。 なんかアトラクションものみたいなんです。 きっと鉄オタの人は、数百倍、楽しめるんだろうな。笑)ところが、考えたら当たり前なのでしょうが,宇都宮ライトトレインは3分ほど延着。まあ、一般道路を走ってるからね。で、JR宇都宮駅へ延着したら、すぐにダッシュ。なんとか在来線に乗れました!汗みどろ。笑。本当は、ここで東北新幹線に乗れば楽だし、1時間半早く着くんですが、特急券代2510円をケチりました。その分、東京都で新幹線ホームへ向けてダッシュ。新大阪ので、在来線へ向けてダッシュ。大阪駅で阪急梅田駅へ向けてダッシュの、ダッシュ三連発です。もっと疲れてたり、雨だったら、心折れて、東北新幹線でしたね。ともかく、スクーリングが素晴らし過ぎたので、これだけ大変でも、次回、また鈴木啓子先生が講義されるのなら、行きますから!創作と小説に関する、新たな知見をたくさん貰えたので、また、それらは実証しつつ、報告しますね。

    とにかく、遠く大変だった、放送大学栃木学習センターへ行くのが。でも宇都宮ライトトレインは最高
  8. 連休も残すところあと一日となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?桜の季節から緑の季節へと、またまた、あっ!という間に変わってしまいましたが、今月もどうぞよろしくお願いいたします(^^)🌿 昨日、今日と気温がグーンとあがり、昼間は半袖一枚で家の内外をウロウロしている私ですが、何といっても(お天気も良かったせいか)青空が気持ちいいです!特に今日の午前中は雲ひとつない晴天だったので♪洗濯モンを干しながらひたすら光合成に励んでおりました(^^)☆↓ 青空に飛行機雲が映えました♥連休前半は、主人の姉が甥っ子と共にお墓参り&大阪観光(中之島中心)でこちらに来ていたので、その前からずっと掃除三昧で、心身共に疲労困憊していたのですが(笑)この後半からは体力&気力ともに回復してきたので、一回だけでしたが、先日、趣味のダンスのレッスンを楽しんできました!で、自分もどこかに遊びに(プチ遠足なるところに)行きた〜い!と、近場で楽しめそうなところを探してみたものの、そのようなところは人だらけ、、、ということで、諦めました(-_-;)ま、まだこの心地よい季節は(例年よりは気温が高めではあるけれど)続いてくれることと勝手に決めて、もう少ししてからゆっくりとどこかに遊びに行くことに決めました(^^)♥と、いうことで、今日は、今週の7日でもって、店舗が新たな場所に移転することになった、箕面市(船場西)にある、イギリスのアンティーク家具の専門店であるツインアンティークさんに、買い物帰りに最後、ご挨拶をしに、寄ることにしました。ツインアンティークさんには、ドイツのテディベア、ハーマン社の日本総代理店である株式会社ストリームが直営するショールームがあるということで、店内にはハーマンベアとその仲間たちがぎっしり詰まった(笑)部屋があります。↓の写真奥の部分☆そこで気になった♥ぬいぐるみをじかに手にすることができるのが、私にとっては至福の時だったのですが、店舗移転により、今後は、軽井沢のハーマンテディ・コレクターズハウスのみがショールームとなり、その他で商品を購入するとなると、オンラインでのカタログ販売となるそうです(T_T)えー!手にとってお気に入りを探すことが出来ないなんて、、、!めちゃくちゃ残念ですが💧(会社の方針で?)アンティーク家具とぬいぐるみの部門が切り離されることになったようですのでしょうがないですね(T_T)ハーマン社のクマくん達との再会はまたいつか軽井沢で!と、楽しみのひとつとして取っておくことにしました☆(^^ゞ↓また軽井沢で会いましょう〜♪待ってるよ〜♪と、言ったかどうかは?のネコさんの図。と、まぁ、残念だけれど、アンティーク家具ショップ@箕面市と、テディベアーコレクターズハウス@軽井沢の皆様の、今後ますますのご発展とご繁栄をお祈りした、5月の連休後半のニキヤでありました。新たな展開、これから、が楽しみです(^^)☆自身の備忘録としてブログにアップさせていただきました!(*^^*)いつもブログを書くのがゆっくりで、本来なら?とっくの昔に忘れ去られているぐらいなのにもかかわらず、多くの方にお立ち寄りいただき、ただただ恐縮、感謝しております。本当にありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いいたします!連休最後の1日を皆様が笑顔で過ごされますように。〈お仕事の方はお疲れ様です!〉

    たくさん共感されています

    今月もどうぞよろしくお願いいたします☆
  9. 「D-DAY the Movie」やっと、やっと、見に行けました。入場特典は、第3弾の。カードの裏はセトリ載ってます。感想はね、一言で言うと「え?もう終わり?」ですかね。釜山コンみたいに、コンサートをほぼそのまま流すんじゃなくて、カットされてる曲や演出もあるし、その分、準備の部分とかユンギの語りの部分が加わっていたりして、コンサートの映画ではなくて、コンサートを中心にしたドキュメンタリーですね。ユンギの思いとか、演出に込められた意味が分かったので、これはこれでアリだなと思いました。というか、ユンギってやっぱりすごいな💜と改めて実感させられたわー。ステージのユンギが痺れるほどかっこいいんやけど、グクとかジミンちゃんとかナムジュンも凄かった。三者三様のかっこよさがありました。グクの圧倒的歌唱力、ジミンちゃんの艶やかさ、ナムジュンのカリスマ感みたいな。あのメンバーが7人揃ったのがBTSなんだと思うと、2025年が楽しみでしかない。今回は、アミボムを持っていくか迷ったけど、一人参戦なので持っていきませんでした。うちわとかアミボムとか持ってきてらっしゃる方もちらほらいらっしゃいましたよー。なんやけど、ユンギの女が控えめなのか、富山県民が控えめなのかは分かりませんが、アミボムを光ってたけど、コールはしてなかったよ……。IUちゃんになりきって歌いたかったけど、周りの人が歌っている声も聞こえなかったので、ボソボソ歌いました。とか言ってるうちに、公式からこんなのきた!BTSの飛躍、そして世界で栄光を掴むまでを描く映画3作品のリバイバル上映が決定しました!「BTS RETROSPECTIVE in Cinema 2024」と銘打たれた本特集上映は、華やかなステージの模様から、ビハインドストーリーまで、BTSの軌跡を辿る事ができる作品になっており、BTS日本デビュー記念月である2024年6月より3作品連続公開になります。また、本作の公開を記念して、OFFICIAL MERCHANDISEの販売も決定しました!詳細は後日お知らせします。日本デビュー10周年を迎える彼らのこれまでの歩みが、2024年6月全国の映画館で再び蘇ります。上映劇場は5月17日(金)より公式ホームページにて解禁となりますので、続報をお待ちください。※各作品の上映?程は劇場によって異なります。詳細は後日、公式ホームページにて公開いたします。■上映スケジュール6月7日 (金)より 『BRING THE SOUL: THE MOVIE』6月14日(金)より 『BREAK THE SILENCE: THE MOVIE』6月21日(金)より 『BTS: Yet To Come in Cinemas』えええええええ!見たーい、見たーい。ソクジンが帰ってくる!というワクワクと共に、怒涛の供給ですね。そうそう、まだナムさんの新曲もあるし。たのしーみー💜

    「D-DAY THE MOVIE」ARMY BOMB応援上映会に行きました
  10. 牛尾治朗氏の心に響く言葉より…「人間は学び続けなければならない。学ぶことをやめたら、人間でなくなる」安岡正篤先生は、よくそんなふうに言われていたものです。学び続けることを人に説くだけではありません。安岡先生ご自身が終生学ぶことをやめない人でした。安岡先生の講義をうかがうと、誰もがその博識に圧倒されたと思います。桁違いとも言える知識の厚みに、私などはほとほと感心するほかはありませんでした。私から見れば、安岡先生の学問は完成の域に達しているように思われました。これ以上何を学ぶことがあるのか、という感じを抱かせたほどです。安岡先生を囲む勉強会では、先生の講義のあとに必ず質問の時間がありました。会によっては、宴席に移って一献酌み交わしながら、談論風発となることもありました。同時に、安岡先生は決して生半可な知識や当て推量で答えることはありませんでした。うろ覚えのことやはっきりしないことは、必ず「調べてみます。あとで答えましょう」と言われ、回答を保留されたものです。そして、どんな質問にも膨大な資料を当たってきちんと調べ、次の機会に明快に答えられるのです。あれは安岡先生が学問をこよなく愛し、愛する学問に徹底した誠実を尽くされた現れだな、といまさらのように思います。『わが人生に刻む30の言葉』致知出版社佐藤一斎の有名な言葉がある。少(わか)くして学べば、則(すなわ)ち 壮(そう)にして為すあり壮にして学べば、則ち老いて衰えず老いて学べば、則ち死して朽ちず『言志晩録』の六十章に記されている言葉だから、おそらく七十歳前後の言葉と推測される。若い時にひたむきに人間修養の道を学べば、壮年になってひと角のことができるようになる。壮年になってもなお学び続ければ、老いても精神が衰えるようなことはなく、むしろ向上していく。そして、老いても さらに学び続ければ、その魂は朽ちることなく、多くの人々の心を照らす光となる、ということである。「言志四録」はその書名のように四冊の語録から成る。それらが作成された時の一斎の年齢は次の通りである。『言志録』 四十二歳~五十二歳(二百四十六章)『言志後録』 五十七歳~六十六歳(二百五十五章)『言志晚録』 六十七歳~七十八歳(二百九十二章)『言志耋録(てつろく)』 八十歳~八十二歳(三百四十章)驚くのは耋録(てつろく)である。他の三語録はいずれもほぼ十年の歳月をかけて作られているが、耋録(てつろく)はわずか三年。しかも内容の言葉の量は一・五倍に達している。「末路晩年、君子よろしく精神百倍すべし」とは『菜根譚』にある言葉だが、一斎は年を取るほどに学ばんとする意欲が旺盛になっていたことを、この事実は示している。以上(小さな幸福論/致知出版)より晩年に差しかかってからは、君子たるものは、精神を百倍盛んにして、生きなければならない。また、森信三先生は、こう語っている。「人生の晩年に近づいたならば、青壮年の時代以上に、はるかに、心を引き締めて、人生の晩年の修養に努めねばならない」そして、「一日読まざれば一日衰える」と。人は一日学ばなければ、一日衰え、老いる。いくつになっても、学び続ける人でありたい。わが人生に刻む30の言葉★YouTubeマンスリーダイジェスト*一か月分(3月~4月)の動画から人気のあったもの順に、いくつかアップしました。人の心に灯をともす 4月のダイジェストyoutu.be★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー■メルマガの登録と解除はこちらからhttp://hitonokokoro.com/■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪http://www.facebook.com/hitonokokoro■【人の心に灯をともす】のブログはこちらhttp://ameblo.jp/hiroo117/■Twitterはこちらからhttps://twitter.com/hiroo117

    たくさん共感されています

    学び続ける
  11. ミナミAアシュタールRadio557「根拠のない自信を身につけてください」vol.1135 「根拠のない自信を身につけてください」vol.1136 「「わたし」はずっと「わたし」なの?」ーーーーーーーーーーーーーーーーアシュタールからのメッセージをお伝えしますね^^「こんにちは こうしてお話できることに感謝します。得意なところにいてください。得意なことをしていてください。得意なことは楽しい事です。壁が出てきてもそれを乗り越えることに喜びを感じることです。あなた達はちょっと困った刷り込みをされてしまっているのです。それは派手なことが素晴らしいこと、一番しか価値がない、というような刷り込みです。競争ばかりの社会では少しでも上に行くこと、勝つこと、が良い事だと思わされています。一番になる人が素晴らしい人だと、成功だと思わされているのです。たとえば、舞台をするにしても主役が一番で他の人は脇役と呼ばれます。そして、舞台を作っている人たちは舞台に立つ役者さんを支えるためにいる裏方さんたちと呼ばれます。主役を盛り立てるために他の人がいるという思考になってしまっているのです。これがピラミッドの思考なのです。舞台を作るには誰一人かけてもできないのです。それぞれがそれぞれに得意なことをしているからこそ素晴らしい舞台が出来るのです。これが認識できないと承認欲求という事になってしまうのです。周りの人々に認めてもらうためには成功しなければいけない。自分が思う、満足する成功ではなく、人々が賞賛してくれる成功でなければいけないと思い込んでしまい、ムリに頑張ってしまうのです。有名になること、主役として表に出ること、認めてもらうことばかりにパワーを注いでしまうことになると好きなことも苦しくなってしまいます。好きなことが得意なことなのです。でも、好きでも結果(世に言われる成功)が出せないと得意だとは言えない、恥ずかしくて言えないと思ってしまいます。そして、好きとは違う意味での得意を探し求め、好きかどうかも分からなくなって来るのです。世にいう成功を目指さないでください。好きなことを楽しんでいれば満足することができます。満足することができるから、楽しんでいるから、あなたの表現が人々のこころを動かすのです。それが感動なのです。感動するからこそ人々はあなたの表現を素晴らしいと思ってくれるのです。反対に考えないでください。感動させようと思うと、人々はそれを感じ感動しなくなります。感動させようと思うと、コントロールのエネルギーが乗ってしまいますので、それを感じると人々は楽しくなくなるのです。あなた自身が楽しんで、あなた自身が自分の表現に感動するようにしてください。自分自身が感動しないものは、他の人も感動しないのです。こころを動かす事はないのです。あなたの表現の一番最初のファンはあなたであってください。あなたがまず感動できる表現をしてください。そのためには、それができる環境にいてください。そして、最初に目指していたものと違ってもいいのです。これがしたいと思ってはじめても、違う興味が出てきたらそれをしてください。最初に決めたんだから、最後までそれをつづけなければいけないという事はありません。最初に思った事は、本当にやりたいこと、得意なことへの道だったのかもしれないのです。最初にやりたいと思ったんだから、何が何でもそれをやり続けることが成功への道だと思って固執しないでください。そこに固執してしまうと楽しくありませんので、アイディアも湧いて来なくなります。楽しい、面白いと思えるアイディアが湧いて来なくなるので楽しくなくなります。行き詰ったような感じになってしまいます。好きなことを好きにやっていることが得意なことなのです。得意なことをしていてください。ムリに頑張らなくても、自然とすべての環境が整ってきます。あなたが得意なことを楽しんでいると、あなたがちょっと苦手だなと思うことが得意だと思える人と会うことができて、すべてが上手くいくようになります。お互いが得意なことをしている事で、あなたが望む表現が出来るようになります。その方もその方が望む表現ができるので、お互いとても楽しくなるのです。あなたはあなたの人生の主役なのです。他の人もその人の人生の主役なのです。人生の主役なのですから、好きなことをしていてください。得意なことをしていてください。そして、主役同士が手を繋いで面白い遊びをしてください。お互いが得意なことを提供しあえば、とても面白いことができ、楽しい世界になります。あなたに愛をこめてお伝えいたします。」ありがとう、アシュタール! 感謝します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーみなさまのおかげで、すでに重版が4刷りになっています。本当にこころから感謝しております。ありがとうございます。そして、お読みいただいたみなさまアマゾン、楽天にご感想をお寄せいただければ嬉しいです^0^レビューをたくさんいただけることで、この本を知らない方にもご興味を持っていただく事が出来ます。一人でも多くの方にアシュタールのメッセージをお伝えしたいとミナミAアシュタールは思っています。どうぞよろしくお願いいたします。アシュタール パラレルワールド ∞の未来アメブロではミナミAアシュタールのアマゾンのアフリエイトページを添付することが出来ませんのでお手数をおかけいたしますが、破常識あつしのブログのページよりお求めいただければ幸いです。破常識あつしの歴史ブログーーーーーーーーーーーーーーーーーーーオンラインサロンじょうもんの麓の詳細についてはじょうもんの麓オンラインサロンをご参照くださいね^^ーーーーーーーーーーーーーー破・常識なYouTube動画ミナミAアシュタールチャンネル腐りきった現代社会のおかしさをバッシバッシ切りまくる、吠えまくります!!ご質問を募集いたしま~す^0^(私たちのブログ及び本を8冊すべてお読みいただいてからその上で疑問をお持ちになったことについてご質問頂ければ幸いです^^ )ご質問はこちらからお願いします^0^Twitter ライトノベル作家さくやみなみ@398to373Facebook ミナミAアシュタールの1%プロジェクトアシュタールのメッセージの新作の動画は、「破・常識あつしの歴史ドラマブログ」興味のある方は、是非ご覧くださいね^0^※ このブログ記事の転載は承認制となっております。転載ご希望の方はこちらの記事をお読みいただき申請してくださいね。無断転載は固くお断りいたします。リブログ、リンクに関してはこの限りではありません。メッセージを外国語に翻訳したいというお申し出をときどき頂きますが、大変申し訳ございませんがいつもお伝えしておりますように翻訳になりますとその翻訳者の方のフィルターがかかってしまいアシュタール、さくやさんのエネルギーと微妙に内容が変わってしまいますので承認することが出来ない事をご理解いただければ幸いです。

    この記事が話題になっています

    一番しか価値がない?
  12. 推古天皇十二年四月三日(604年5月6日)、聖徳太子は自らお作りになられた十七条憲法を発表されました。本日は旧暦では4月3日です。改暦が何度もありましたので単純に旧暦にあてはめています。毎年五月の初め頃は、5月3日が憲法記念日なので憲法関連の行事が増えます。しかし本来は十七条憲法が発布された日こそ憲法記念日として相応しい日ではないのか?と考えています。5月3日は、現在の憲法についての話題が毎回盛り上がりますが、それよりも日本の叡智である十七条憲法を見直し考えることの方が有意義であり、そうすることで、自ずと見えてくること、今ある諸問題への対応の仕方も変わってくるのではないかとも考えるのです。日本が近代憲法を作成するにあたって、井上毅がまず何をしたのかといえば日本古来から伝えられてきたことを見直すことから始まりました。何事も混迷を深めたら原点に戻ることが肝要です。日本の原点といえば、神話から続く我が国の物語であり、憲法の原点といえば十七条憲法にほかならないからです。我が国の歴史の根本に、十七条憲法はいつも存在し、そして、明治期には大日本国憲法や、五箇条の御誓文、そして教育勅語の参考にもされました。十七条憲法は通常「じゅうななじょうけんぽう」と読まれていますが、大和言葉では「いつくしきのりとをあまりななをち」と読みます。下の写真は日本書紀の書き下し文のページですが、本文も全て大和言葉で読むのが実は正しいのです。なぜなら、「いつくしきのり」と「けんぽう」から受ける印象は全く変わってくるからです。十七条憲法は作られた当時の叡智の結晶であり、大和言葉で書かれたものです。ということは大和言葉で読まないとその意味も読み違えてしまうということになります。例えば十七条憲法の第一条にある「和を以て貴しと為し」も「わ」と「やはらぎ」では全然印象がが違います。「一に曰く、和(やはら)ぐを以って貴しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(ひとみなたむら)有り。亦達(またさと)る者少し。是を以て、或いは君父(きみかぞ)に順はず。乍隣里(またさととなり)に違(たが)ふ。然れども、上和(かみやはらぎ)ぎ下睦(しもむつ)びて、事を論(あげつら)ふに、諧(かな)ふときは、事理自(ことおの)づからに通ふ。何事か成らざらむ。」現代語ではこうです。『一にいう。和を大切なものとし、逆らうことがないようにしなさい。人は集団を作るもので、悟れるものは少ない。だから、君主や父親に従わず、近隣の人達ともうまくゆかない。しかし、上の者も下の者も協調・親睦の気持ちを論議するなら、おのずと物事の道理に適い、何事も成就するものである。』では『和』とはなんでしょう?スマホの明鏡国語事典によれば、1.仲良くすること。互いに相手を尊重し、助け合う関係にあること。2.争いをやめて仲良くすること。3.二つ以上の数を加えて得た数値。4.日本、または日本のもの。これは日本人皆が考えている「和」そのものの意味ですが、これでは足りません。竹田恒泰さんは「日本人はなぜ日本のことを知らないのか」において「和」の意味について解説されています。「聖徳太子が冒頭に示したのは『和の精神だった』。『和』は自己の主体性を保ちながら他者と協調することであり、自己の主体性を失って他者と協調する『同』とは似て非なるものである。」つまり、ただ同調しても『和』にはならないのです。確かに自分を失ってしまっては、相手が良くても、自分が良くない。その反対でも、同じこと。これでは不協和音のもとです。しかし、自己の主体性を保つ和であれば、お互い対等となります。だからこそ論議せよ、と第一条に書かれているわけです。『和』の考え方は、聖徳太子がそれまでの歴史をみてたどり着いた叡智の結晶ではないかと思うのですが、そうしたことがきちんと教えられなくなってしまったのが現代の日本だからこそ、辞書の「和」の説明も肝心なことが抜けているのではないかと思います。そしてこうしたことが同調圧力などということを生じさせてもいるのかもしれません。そして第三条にある「君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす」の言葉からは、古事記が浮かび上がってきます。第二条の「三宝を敬へ」から、十七条憲法には「神」、「神道」が出て来ないという人がいるようですが、この文面と内容に貫かれているのは第一条から全て日本的考え方、つまり神道の考え方であることがわかります。だからこそ「神」という言葉をわざわざ載せる必要もなかったのです。天と地とは自然を敬い社会の中心とする考え方です。そして自然を敬うとは、家族・共同体が中心となるということでもあります。そしてそれが大きくなったものが国家であり、だからこそ日本語では「国の家」という漢字の組み合わせで表すようになったのです。国父といえば天皇となり、それが日本の形の基本となっています。なにもこれは我国だけのことではなく、法皇はパパと言われており、古来より何処の国も国は家族として成り立っていたのです。ところがそうして成り立った国で現存している国が日本だけとなってしまっているのが世界の現状です。聖徳太子といえば、仏教を敬ったことで有名ですが、皇太子という立場は宮中祭祀を司る天皇の替わりも務められたということも意味します。推古天皇という女性天皇であった当時その代わりの務めは多かったことが推察できます。もちろん、天皇しかできない祭祀の替わりはできなかったでしょうが、皇太子であったということはご代拝も含め、宮中祭祀で重要な位置にいたことは間違いないかと思います。つまり聖徳太子そのものが祭祀王のような存在であったわけですから、神の言葉がないからといって十七条憲法が神を語っていないということにはならないのです。むしろ、十七条憲法は古来からの叡智に満ちた神道的考えに貫かれた祝詞であるといえますし、実際大和言葉で読めば「のり」となります。仏教の釈迦は人であり、仏教は個人のためのものです。聖徳太子は神道だけでは個人がないため、個人の為である仏教を入れたのです。しかし、だからこそ聖徳太子は仏教を敬えとはいっても、仏教の解説本で僧に近づいてはならないと説いています。僧とは(自分の解脱のために)家族を捨てる者でしたから、そのような者に近づいてはならないとしたのです。それは、そのような者に近づいて影響され、家族を捨てるような人になってはならないという事です。(後に日本化した僧は妻帯するようになり、仏教そのものも神道と融合していきます)十七条憲法は儒教の影響を受けているという人もいますが、儒教の教えでは第一は礼ですが、十七条憲法では第一が和となっており、日本独自の考え方が貫かれたものだということが表れています。「世界に誇る覚醒と繁栄を解く日本書紀」の十七条憲法より四文字熟語で読む十七条憲法(本書の巻末には全文と解説も記載されています。)第一条 「以和為貴」和を以(も)って貴しとなせ第二条 「篤敬三寶」あつく三宝(仏法僧)を敬え第三条 「承詔必謹」みことのりを受けては必ずつつしめ第四条 「以禮為本」うやまうことを根本とせよ第五条 「絶餐棄欲」むさぼりを絶ち欲を棄てよ第六条 「懲悪勧善」悪を懲らしめ善を勧めよ第七条 「人各有任」人各々任あり第八条 「早朝晏退」朝早く出仕し遅くに退せよ第九条 「信是義本」まことはことわりのもとなり第十条 「絶忿棄瞋」心の怒りを絶ち表の怒りを棄てよ第十一条 「明察功過」功過を明らかに察せよ第十二条 「国非二君」国に二君なし第十三条 「同知職掌」職掌を知れ第十四条 「無有嫉妬」嫉妬あるなかれ第十五条 「背私向公」私に背き公に向え第十六条 「古之良典」古の良典を用いよ第十七条 「不可独断」独断不可こちらの本では漢字一文字一文字を解説しています。「憲」とは絶対に守らなければならないもの、また「法」とは人々が努力して守るべきものであることから、「憲法(いつくしきのり)」とは絶対に守るべきものであり、かつ、努力して守らなければいけないものである、と書かれています。そして、明治憲法と戦後の日本国憲法は同じ「憲法」が使用されているけれども英語の「constitution」を翻訳した造語でもともとは「律法」や「律令」と訳されていたものだったといいます。ところが、合衆国憲法やフランス憲法の訳文を出す際にこの「憲法」の字をもちいたことから、明治憲法が作られる際にも「憲法」の字が用いられることになりました。しかし、「constitution」は英仏同じ単語ですが、仏革命の際にできた言葉で共同体のための基本条項という意味合いだったといいます。だからこそ共同体が変わればそれに応じて変わっていくものでどんどん変更されていくのが言葉の上からも明確であるものだと。そしてそういう意味では明治憲法も日本国憲法も本来は「律令」や「律法」を表記したほうが実体に即していたのではないかといいます。確かに、日本でも律法や律令は何度も出されてきている歴史があります。しかし「憲法」は明治になるまで「十七条憲法」しかありませんでした。この内容を読めば、これは普遍的なものであり、「万古不易」の変えてはならないもの、人の決まりであるといえます。以下、ウィキペディアより↓夏四月丙寅朔の戊辰の日に、皇太子、親ら肇めて憲法十七條(いつくしきのりとをあまりななをち)を作る。一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の禁宗なり。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。こころもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。(略)六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。(略)七に曰く、人各(おのおの)任(よさ)有り。(略)八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。(略)九に曰く、信は是義の本なり。(略)十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。(略)十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。(略)十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。(略)十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。(略)十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。(略)十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。(略)十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。(略)十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。(略)上記の第三条などは、「みことのり」とはありますが、これに限らず為政者が指示することに従うことが書かれています。しかも文頭と文末に二回も同じことが書かれており最後は従わなければ敗れるとまであります。非常時の世界と日本を比較すればわかるかと思います。日本では非常時には協力しあうのが基本となっています。そうすることで早く復興し元の生活に戻りやすいからです。しかし、世界ではそうではありません。何か事が起きれば、暴動が起きたり、物を壊したり、あるいは強奪が起きたりします。それは近年ネットやSNSの普及でオンタイムでそうした映像が見られるようになり、私たちも世界の実態を知ることができるようになっています。日本で大きな災害が起きるたびに、世界中の人が日本の秩序に驚きますが、日本人からすれば世界のそうした秩序のなさこそが驚きです。つまりそれが「敗れる」ということです。もちろん国によっては為政者が悪い国もあるかもしれませんが、日本は幸い天皇陛下がいる限り悪い為政者がいても長居はできずに来た国ですし、非常時に協力しないほど馬鹿げたことはありません。第四条では、礼について書かれていますが、ツィーター他ネット上には礼を失した人がたくさんいます。たとえ正しいことを言っていたとしても礼のない人の言葉を敬うことはできません。文末に「礼があれば自ずから治まる」とありますが、これが日本本来の道なんだと思います。こうしたことは古来から教えられてきたことですが、明治時代になって義務教育になると修身の教科書でも教えられてきました。「復刻版修身の教科書」を見ると、目次に「ことばづかい」や「礼儀」の項目があります。脳科学においては、人に発したものは全て己に帰ってくるものでもありますが、こうした面から考えても「礼」を大切にすることは重要なことの一つであるということをもう一度考えたほうがいいと思います。『日本を知らす・・・私達が失った礼法』先日、本屋で復刻版教科書シリーズの棚に行って見たらあったのが礼法の教科書で、パラパラめくってその内容に驚いて即買いしてきました。『[復刻版]國民礼法』※礼は…ameblo.jp上記の(略)とされているところには、なぜそうしなければならないかの説明があります。例えば、十四条の嫉み妬むことの戒めはこうなります。「自分が嫉妬すれば相手も嫉妬し、その終わりがない。自分より才能がある人を喜ばず嫉妬していては500年経っても賢人には出会うことはできず、1000年経っても1人の聖人が出てくることを期待することはできない。聖人や賢人がいなくては国を治めることはできない。」妬みや嫉妬などは普遍的なものでなくなることはないでしょうが、それを古来から戒めようと努力してきたのが私達の先人の教えです。これを読んでいるとある国が頭に浮かんでくるのですが、その国のことを考えると、このような言葉を残し今も伝えられている日本はつくづく有難い国だと思います。しかし、一方で日本で起きている事件に、この嫉み妬むことが原因にあることが増えているように考えています。そのため貴重な人材が失われていっていると。さらに、日本中で起きているいじめといわれる暴力にも、こうしたことが少なからず要因にあることが考えられるのではないかとも。こうしたことが今後も続いたら、それこそここに書いてある通り500年経っても1000年経っても優れた人材は現れず、国として成り立つことはできなくなってしまうでしょう。日本では戦後、多くの人材が抹殺されてきています。それを終わりにしなくてはいけません。十七条憲法は人としての教え、決まり事です。だからこそ万古不易の変えてはならないものであり、時代に関係なく当てはまるものとなっています。これは当時の官僚に向けて作られたものだから一般の人には関係なかったという人がいますが、こうした教えは必ず上から下に流れるものです。当時たとえ官僚向けにできたとしても、その官僚が守っていることは下々の者にも伝わったことでしょう。十七条憲法は「十七条憲法」という言葉だけでなく、全文を我が国全体で知るべきものです。このような叡智を知らずにいることほど惜しいものはありません。特に企業や政治家などは毎日暗唱すべきだと思います。そして官僚をはじめとする公務員こそは、これを毎日暗唱して確認すべきものではないかと思います。それこそこれは当時の官僚や公卿向けに書かれたものなのですから。そして学校教育でももちろん、これを毎日暗唱すべきではないでしょうか。現在のような荒みやすい時代にこそ、十七条憲法をあらためて読みなおし、その叡智を見直し、すぐに活かすべきではないかと思うのです。こうした混沌とした時代にこそこうした叡智が確認でき、だからこそ見直される時となっているのではないかと期待しています。せっかくあるこうした叡智をきちんと学ばないことこそもったいないことはありません。なお、現在「聖徳太子」とは尊称であって実際の名前は厩戸皇子であり生前こう呼ばれたことはなかったのだからと、聖徳太子という呼び名を呼ばせないような動きがあります。しかし、これを許せばそれはそのまま崩御後名前を贈られてきた我が国ご歴代の天皇の名前をも否定することになります。なぜなら、今上天皇に名前はないからです。今現在おられる天皇に名前があったことはいずれの時代もありません。それは上皇にもいえます。そうした天皇と同じように尊称が贈られたということは、それほどずば抜けた存在であったからでしょう。だからこそ太子信仰なども生まれたわけです。そしてだからこそ、わが国の歴史に素晴らしい存在として深く名前を残しているわけです。そのような存在を例えばありえない伝説が多いから、嘘だ、ということこそ愚かしいと言わざるを得ません。聖徳太子と仁徳天皇は、皇室の中で燦然と輝くご先祖様であり、それはつまり日本の歴史の賜物なのです。参考:平成29年4月8日日本国史学会、田中英道東北大学名誉教授講義、他以下十七条憲法が記載されている原典、日本書紀住職の視点で書かれた聖徳太子と十七条憲法五箇条の御誓文から十七条憲法にまでさかのぼる日本の民主主義についてわかりやすく解説された本天皇を中心とする国史をわかりやすく解かれた本天皇、皇室と国民の紐帯がどのように紡がれたのかを分かりやすく紐解いた本『日本書記の中で一番多くの人が嘆き悲しんだと記述された日』厩戸豊聡耳皇子命(うまやどとよとみみのみこのみこと)、斑鳩宮(いかるがのみや)に薨(かむさ)りましぬ。是の時、諸王、諸臣、および天下の百姓は、ことごとく、長老…ameblo.jp学問のすすめも十七編『『学問のすすめ』完成147年・・・何度も読み返したい普遍的な教え』「齋藤孝のこくご教科書」は、その始まりが福沢諭吉の『学問のすすめ』となっていて、国語を学びながら普遍的な考え方の基礎を知ることが出来る素晴らしい教科書となって…ameblo.jp古来からの理想の国が実現できるはず🌸🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎🐎

    いつくしきのりとをあまりななをち・・・十七条憲法、1400年の日本の叡智
  13. 今日は母の日でしたね!今年も息子たちからプレゼントしてもらった美しいお花を眺め、幸せを感じたニキヤなうでした(^^)♥お花も、緑の葉っぱも、森も空も、、、大好きなので♪(嫌いな人はほぼいないか〜(^^ゞ)と〜っても嬉しいです。ありがとう〜♪息子たちの母になれたことに感謝!そして今も健在でいてくれる、高齢の両親の娘であることに感謝!そして主人の妻であることにも感謝!(笑)←なんと今日は主人の誕生日でもありました!(^^ゞおかげさまで?朝からバタバタと忙しかったです!そして、母であり、娘であり、妻である、「私」自身が今ここに、大事な人達と"在る"ことに感謝しています。今年は、新年早々から石川県での大地震があったり、羽田空港で飛行機事故が起こったり、また、最近ではXクラスの太陽フレアが短期間のうちに複数回おこったり(磁気嵐が観測されると見られるオーロラが日本や世界各地で発生したり)と、異常と思われる事態が頻発していますね。だからなのか、ひょっとしたらこの後にもまだまだ大きな(ありがたくない)出来事が起こるんじゃないだろうか、、、と、このところ心配や不安を感じてしまう私ではありますが、だからこそ、いつ何が起こっても、悔いが残らないよう、「今」を大事な人たちと笑顔で過ごせていけたら、最高だな!な〜んて思っています!何でもない日々の暮らし、、、本当は奇跡の連続なんですよね。ありがたい、愛おしい瞬間に感謝です(^^)♥楽しい幸せな一日でした!↓先週の木曜日の神戸での色々。雲ひとつない青空と、緑の葉っぱ、そしてバラの花などが本当に美しかったです。「秘密基地」では、いつもどおりに深呼吸をしてきました!\(^o^)/心身ともにスッキリ&サッパリ☆気持ち良かったです🍀いつもこちらのブログにお立ち寄りくださいます皆様、ありがとうございます✨感謝しております!明日も皆様にとって心穏やかで笑顔溢れる一日になりますように。

    たくさん共感されています

    2024年 母の日に☆
  14. こんにちは、かわいんです(^^)/東京は三鷹。知る人ぞ知る、と言っても、幹線道路東八道路に面して、見かけると二度見するくらいカラフルで変わった形が目立っている建物。その名も「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」。GW前半最後の今日、にじのひろばの仲間とここの見学会に行ってきました。この長い名前の建物は、芸術家/建築家の荒川修作+マドリン・ギンズによる作品です。2005年完成。芸術作品でありながら、実際に賃貸で住んでいる人がいる集合住宅です。全部で9戸あります。早速中に入ってみましょう!ここは今だれも住んでいない住戸。外もですが、内装もカラフルな色遣い。14色が各パーツ毎に塗り分けられています。部屋ごとに色の組合せが全部違うそうです。学芸員の方に説明してもらいながら、五感を使って体験しながらの見学。裸足になって床を体験中~平らな部分は一部の部屋のみ。メインの部分は、凸凹だらけ。無意識に土踏まずを合わせて歩いちゃう感じ!健康になりそう~と言いいながら…。大人と子供の土踏まず、大小の大きさの凸凹になっています。今日はひんやりとして気持ち良かったです。床の次は天井に注目どこ見てもカラフルでしょ。リングがたくさんついています。長いS字フックを取り付けて、自分のカバンをぶら下げました。ここでは、“収納”はほんのちょっと。床も平たんではないので、ぶら下げ収納が便利です。私のは、畳が土俵に見える⁉部屋に吊ってみました。この畳、ベンツの部屋と呼ぶ人もいました♪隣の部屋は和室っぽいけどコルク敷き。もう一つの部屋は球体。床も球体の一部。「スリッパだと滑りますよ!」と、写真を撮ってくれた学芸員さんからのアドバイス。この部屋を知り尽くした学芸員さんが、写真を撮ってくれます。丸い部屋に四角の窓って、こういう風になるんだね!バスルームも丸い形。土管の一部のような形ですね。手前の白いのは洗濯機。洗面台の手前の床に注目↓ 丸い壁面のために、曲面になっている床。近づけません💦手の長い大人でも使い易くはないですね。でも、使えなくはないです。中心にあるのはシャワーブース ひろ子さん、本当に水が出るから、要注意です!奥にぶら下がっているピンク色のは、トイレットペーパーが入っているかご。トイレスペースはドアがありません。この部屋は3階。外から見るとこんな感じ↓オレンジ色だった和室っぽい部屋、外壁は水色ですね。次は、エレベーターで→1階へ エレベーターも、内廊下もカラフル次は、学芸員さんたちが使用している事務所へ。 こうなるのかー!住んでいるわけではないですが実際に使っている状況は、さっきの部屋と全く違う感じ。いろんなものがぶら下がっています。キッチンに下げられた棚。一見、ぶら下がっているとは思えません。↓いろんなものがぶら下がっています。  間取り自体は先程とおなじなので、丸い部屋もあります。使用例↓書籍やグッズもあります。キッチンカウンターは、お土産コーナーね。楽しい時間を過ごしてきました~パンフレットに、この建物の「使用法」が載っています。入居者向けに、例えば「すべての部屋を自分自身のように、自分というものの延長のように扱いましょう」と書いてあります。そして、最後には「つづく」と。まだ、あるんですね、きっと。。左がここのパンフレット、右は、荒川修作+マドリン・ギンズの他の作品のリーフレット。作品は他に海外にもあります。岡山県・奈義町:奈義町現代美術館岐阜県・養老町:養老天明反転地←公園ですこの、三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller ~ヘレン・ケラーのために~ という名称ですが、(パンフレットより…)“さまざまな身体能力の違いを越えて、この住宅には住む人それぞれに合った使用の仕方があり、その使用法は自由である”“与えられた環境・条件をあたりまえと思わずにちょっと過ごしてみるだけで、今まで不可能と思われていたことが可能になるかもしれない=天命反転が可能になる”この日2時間かけて体験できて、面白い時間でした!建物見学会はときどき開催されています。又、もちろん住む、こともできるわけですが、他に、3泊4日からのショートステイ、一日だけ過ごすテレワークプランもあるようです。興味があったら是非!私は岐阜と岡山に行ってみたいなあ~

    変な家⁉体験レポ
  15. 前回の続きです。『【京都】丹後半島 バスツアーの旅 ①』何度目かの丹後半島・天橋立へ行ってまいりました。前回の模様はこんな感じ『【京都】丹後半島 半日旅(元伊勢籠神社)①』少し前になりますが、丹後半島に行ってき…ameblo.jp何も考えずに記事タイトルつけちゃいましたが、「ツアー」と「旅」って言葉が被ってる…けど、まあいいか(笑)ちなみに「ツアー」の意味は、観光や見学を目的とした旅行や行程のこと。一連の場所を訪れる計画的な旅行や、特定の場所や建物などを周ることを指すことが多い、と解説されている。でも、日帰りバスツアーは、「excursion」のほうがニュアンス的に近いかも?(しらんけどw)余談ですが「トラベル」「トリップ」「ジャーニー」などなど使い分けできてる自信がない…さて、伊根湾は京都府与謝郡与謝町。日本海ながら南に開けている珍しい湾。天橋立(傘松公園)から178号線で30分ほどかかりました。伊根湾めぐり遊覧船の乗り場・日出駅。(HPからお借りしました)この右手にバスの駐車場がありました。天橋立の遊覧船の待合でも売られていた「かもめのエサ」(かっぱえびせん/一袋100円)が、ここでも売られていました。鳥たちはよく知っているようで、すでに出航前の船の周りに集まってきています。(野生の鳥たちに、塩辛い味を覚えさせて大丈夫なのか…とちょっと心配です)ちなみに、「かもめ」と呼称していますが、おそらくこれは「うみねこ」ですね。船には外国人の団体客も多くて、とっても賑やかでした。船内では、解説の音声も流れているのですが、鳥の声と人の声と、エンジンの音でちゃんと聞き取れず(泣)とりあえず、エサに群がるうみねこさんたちが凄かった!そして、それらに交じってトンビさんもやってくる!もう、鳥を見に来てるのか、舟屋を見学に来てるのか、目的を見失いそう…(笑)ここからちょっと真面目な話。舟屋は、昔は木造船だったので乾かす必要があり、引き上げるために造られたんだとか。二階には網を干したり、道具置き場とされていたそうです。住民は、舟屋の向かいに家を建てて住んでいることが多いということです。ちなみに伊根の舟屋は約230軒ほどあるそう。見てください、この紺碧の美しい海。どう撮っても映り込む鳥さんたち(笑)伊根湾は湾の南側に青島という島があるため、外海からの風や波の影響を受けにくく、穏やかな湾なのだそう。おさかなの養殖場も見えました。青島は無人島ですが、湾内から見える鳥居があり、気になって調べてみました。島自体が信仰の対象となっていて、漁業や海洋に従事する人々に信仰されている蛭子神社がお祭りされているそうです。また、ウィキペディアによると、”青島の「青」は「碧」であり、死や信仰にも通じる文字である。大正から昭和にかけて旧海軍舞鶴鎮守府に買い上げられ、国防上の要衝として魚雷発射基地が建設された。”と書かれていました。おそらく、そんな内容も船内のガイド音声で流れていたのかもしれません(聞こえなかったけど)。こういう昔ながらの風景が大切にされ、老若男女問わず興味を持たれることはよい事だと思う反面、実際に生活されている方に迷惑にならないよう、訪れる際には気を付けたいものですね。伊根湾めぐり遊覧船 | 伊根の舟屋へ行こう!(丹後海陸交通)京都府北部に位置する伊根湾は古くから漁業が盛んな湾です。漁業と生活とが一体となって発展した舟屋の町並みは大変めずらしく、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。波も穏やかで、伊根の舟屋群に囲まれた伊根湾は、ゆったりとした情緒ある景観を楽しませてくれます。www.inewan.comこの日は、最高気温が16℃と肌寒い1日でしたが、お天気も良く、暑すぎるよりはよかったかもしれないと思っています。充実した1日でした!今回は、HISさんのツアーに参加しました。

    【京都】丹後半島 バスツアーの旅 ②
  16. 明日から始まる、甲子園球場でのいわゆる関関戦(戦前から伝わる伝統の一戦)は、優勝の行方を左右する(首位の関学と2位の関大で)大事な試合であるが、いつもなら友人と誘い合わせ観戦に出かけるところを私の都合(電車を乗り継ぎながら、2時間をかけて出かけて行くには、このところの体調に少し不安があって)で断念した。(尤も、2時間ほど庭仕事をするくらいには体力はあるが)従って、スカパーでの中継で観戦するつもりである。私たちの時代、学力的にも世間の評価(特に、就職時などの)も関学、同志社と関大、立命には明らかな差があって、私も第一志望は同志社であったが文学部(新聞学科)を受験し落ちた。関大は受験した経済学部、文学部(新聞学科)とも通ったが文学部を選択した。私の高校(地区で進学に関したら2番目の)でも、進学希望者の上位1/3(私も普段の模擬試験では優にその辺りにいたが)は国公立か関学、同志社で残りの2/3はほぼ関大か立命に進学した。近大などは学年に二人か三人で、せいぜいのところ甲南、大阪工大あたりまでという感じが強かった。いま隣に住む次男のところの長男(府立岸和田高校)が来春受験で、その志望を聞くと第一志望が関大でその次が近大と言うから、少し吃驚するところがある。因みに、府立岸和田高校の今春の進学実績で見ると、関大が216人(私の出た府立和泉高校が125人)近大が317人(府立和泉高校が358人)とそういう意味では見事に様変りしている。両大学の高校別合格者の順位を見ても、府立の錚々たる学校の名前が並んでいて隔世の感(入学時からすると60年の)がある。それと入学難易度(予備校などによる評価)もこの数年で大きな変化があり、4私学の中では同志社がひとつ頭を抜け、それに続くのが関大、立命、関学の順というから嬉しいというか恐れ入る話である。関学を卒業した次男など少し落胆するところである(昨年も、長男を連れて関学のオープンキャンパスに参加したくらいに、あらてめて母校の良さを感じていたのにかかわらず)と思う。話題の近大(広告で「早慶近」と自らアピールする)も産近甲龍から完全に頭ひとつかふたつ抜けだし、4私学に並ぶほどになっている。孫の受験となると殆ど他人ごとではあるが、さて来年の今頃どこに通っているのか!?本の話である。今日アマゾンから届いたのは新刊で、碧海寿広「高楠順次郎(世界に挑んだ仏教学者)」(吉川弘文堂・1800円+税)と定期購読の雑誌3種(これに加えて「BRUTUS」を購読中)『サライ 6月号 この国は「黄金」でできている(黄金でたどる日本史)』(小学館・980円)、「POPEYE 6月号 車はともだち。」(マガジンハウス・980円)、「BRUTUS Casa 6月号 新しい東京!」(マガジンハウス・1080円)。碧海寿広「高楠順次郎(世界に挑んだ仏教学者)」 近代日本の知の巨人!仏教史・出版史上の偉業、大正新脩大蔵経(たいしょうしんしゅうだいぞうきょう)、先駆的な女子教育… 南アジアでの仏典調査の先駆者で、武蔵野女子学院の創始者。国際舞台で活躍した彼は、仏教をどう受け止め直し、独自に表現したか。「大正新脩大蔵経」の編纂や、教育者としての一面にも光をあてて描く人格者の生涯。 本書の主な内容  ヒマラヤのブッダープロローグ 第一章 改革する学生たち 第二章 世界の日本人  第三章 学術としての仏教  第四章 教育事業と芸術活動  第五章 「新文化」の創造  無常の理想を生きるーエピローグ  高楠順次郎年譜   『サライ 6月号 この国は「黄金」でできている(黄金でたどる日本史)』 金色の仏像 金碧障壁画 金蒔絵 金閣寺 徳川埋蔵金 引き出し付録・極楽浄土の33体の仏像 国宝「中尊寺金色堂 内陣諸尊」(長さ約76㌢)   「POPEYE 6月号 車はともだち。」 朝も夜も、晴れても雨でも、車があればどこへでも。   「BRUTUS Casa 6月号 新しい東京!」 ハイエンドな東京とローカルな東京の最新!麻布台ヒルズ/虎ノ門ヒルズ ステーションタワー/ハラカド/東急歌舞伎町タワー/フォレストゲート代官山/CABOuehara   フランスで描いた水彩によるスケッチから「洋画家 仲村一男」のホームページ http://www.nakamura-kazuo.jp/

    碧海寿広「高楠順次郎(世界に挑んだ仏教学者)」(吉川弘文堂・1800円+税)
  17. 新都心歩道橋2(カリヨン橋へ)
  18. ガン消失は当たり前。医療利権が崩壊する先日、AWG治療を受けてみました。いやー実に奥が深い。疾病毎にコードはあるのですが、1つ1つのコードには深い意味があり、単に疾病に当てはまるコードを使えばいいというものでもない。たとえば、一見関係なさそうに見えるコードが、その疾病の原因にダイレクトヒットしたり。肺病だから肺病のコード、関節炎だから関節炎のコードを、、、、、とも限らない。疾病の原因を、メタトロンやバイオスキャンで探ってから、それを治療するためにAWGを使う。だから、AWGよりも、その前段階の原因推定のステップがわりと重要。現在の症状とは無関係に思える部位が、本当の原因だったりする。たとえばこの2冊にはいろいろ実例が紹介されている正直なところまだ1回(90 min)しか実施していないので効果は実感できませんが、まあ私はとくに持病があるわけでもないし、単にお試しで受診しただけだし、ただなんとなく施術中はリラックスして眠くなるなぁ、、、、って感じ。(クリニックによってはAWG機器をレンタルできるので、重篤な人はその方がいい)2024.5.11追記後日バイオスキャンを実施したところ、結構細かい部分まで分かりました。詳細は秘密保持契約の関係で言えないのですが、とにかく全ての臓器・皮膚・骨に至るまで詳細に解析できます。原因は、細菌系・化学物質系が主で、疾患の推定原因もレベル毎にこれでもかというくらい詳しく分かります。さすが、ロシア製の機器!(ロシアって、機器、IT技術、BRICS第三世界構想、週末農業ダーチャ、あらゆる面で秀でているんだよね。技術だけでみればたしかにアメリカの方が勝っているかもしれないけど、アメリカって隠蔽体質・独占体制だから、米軍の極秘情報とか軍事技術は絶対に一般人に知れ渡ることはない。たとえ一般人が実用化できそうな有用な技術があっても公開しないことがほとんど。対してロシアの技術は、比較的オープンで一般人が利用できる事が多い。バイオスキャンもそう。そこがいい。ロシア様様だね)試してみたい人は、この記事を参考までに『波動医学は神の領域へ(AWG)』波動医学はもはや神の力か?最近読んだ本。「奇跡を起こす波動医学(船瀬俊介)」(共栄書房)正直、スゴすぎて誰かに教えるのがもったいないレベル。…ameblo.jp

    AWG治療受けてみた
  19. 太田典生(のりお)氏の心に響く言葉より…「人の心は、自分の心の投影として、己が心の鏡に映る。人は、自分の心にないものを感じることはできない。自らの内に善なるものがない者は人の善を感じられず、偉大さを持たない者は他の偉大さに無感動であり、神を持たない者は神を信じることはできない」。こんな ことを、どなたかに伺ったことがあります。あなたには、他人がどのように映りますか?相手のいたらなさやいやらしさばかりが目につく人は、ひょっとしたら自分の心がそうなのかもしれません。大切なことは、相手に対する労りや優しさです。会社の人間関係にしても、調子のいいときは、地位や権威だけでも部下は表面的には動いてくれます。ところが、本当に苦しくなったときには、その人の徳が試されます。「この人のためなら」という徳がなければ、人は動いてくれません。自分の中身が、豊潤(ほうじゅん)、清雅(せいが)でなく、人間に対して愛情を持てない人が、人の信望を得ることはできません。徳を磨きたいものです。『「いい話」のおすそわけ (知的生きかた文庫 お 25-1)』自分の中の「嫌な性格」を認めたくないあまりに、それを他人の中に見つけてしまう、というもの。例えば、自分の「上から目線の性格」を認めたくないあまりに、他人の中の「上から目線」や「偉そう」な性格が気になってしかたがない。これを心理学では「投影」という。また、自分と似た人に嫌悪感を抱く「同族嫌悪」というものがある。たとえば、「自分が甘えん坊だから、甘えた人を見るとイライラする」理由はわからないが、なぜかあの人が苦手(嫌い)ということがある。それを突き詰めてみると、自分が嫌だと日頃思っている性格を、その人(苦手な人)が持っている可能性がある。それが同族嫌悪。自分の中にない感情は、感じることはできない。「アラ探し」もまさに、自分の中に同じ感情があるから、見つけることができる。他人の欠点ばかり目に付く人は、自分にコンプレックスを抱えている。「他人は自分を映す鏡」「アラ探し」ではなく、「いいこと探し」の名人でありたい。「いい話」のおすそわけ (知的生きかた文庫 お 25-1)★YouTubeマンスリーダイジェスト*一か月分(3月~4月)の動画から人気のあったもの順に、いくつかアップしました。人の心に灯をともす 4月のダイジェストyoutu.be★新・日めくりカレンダー「ヒロさんのつぶやき」できました!万年日めくり カレンダー 人の心に灯をともす 「ヒロさんのつぶやき」 卓上カレンダー 壁掛けカレンダー■メルマガの登録と解除はこちらからhttp://hitonokokoro.com/■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪http://www.facebook.com/hitonokokoro■【人の心に灯をともす】のブログはこちらhttp://ameblo.jp/hiroo117/■Twitterはこちらからhttps://twitter.com/hiroo117

    たくさん共感されています

    アラ探しの名人
  20. 【鬼滅の刃 柱稽古編】2024/05/12 23時15分