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  1. 奥様がアルツハイマ認知症となりましたご主人はご自分で全て面倒を見てきたのですが自身が大腸がんになってしまいました手術ができない末期でした・・・抗がん剤治療をはじめることになり。。そのために私がいた施設に奥様だけご入居になりましたご主人は抗がん剤の副作用がひどくないときは毎日面会にきました朝から寝るまで奥様の傍にいたんですよよく狭いベットに2人で寝転んでテレビを観られていました(笑)1年程がぎて・・ご主人の癌が悪化し余命宣告をうけました<余命1か月>私もはるさんの施設に入居して妻の傍で最期を迎えたいご主人の希望でした当時、私は有料老人ホームで働いていましたが短期間の入居は難しいんですでもなんとか特例でご主人の入居をお願いしましたターミナルケアが始まり・・私は時間が許す限り奥様を車椅子に乗せてご主人の部屋にお連れしましたアルツハイマー認知症の奥様は泣いていたり・・怒ってたり・・ときには笑い転げていたり・・黙ってニコニコしていたり・・どの奥様に対してもご主人はニコニコされていましたそしていつも奥様の手を握って<きれいだよ>っておっしゃるんです。今思い出しても涙が出てきます。素敵なご夫婦だなぁ・・奥様は本当に幸せだよね。奥様はご主人の病気が理解できていなかったのでそれは救いでした嘆き悲しむことはなかったのですそしてご主人が亡くなった後奥様は3か月もしないうちに風邪をひかれて・・奥様もあっけなく亡くなってしまいました。ご主人きっと寂しくて心配で迎えにきちゃったんですね。。。お二人がニコニコと天国で幸せに暮らしているのが見えるようでしたPSこのご主人にも臨死体験の話をしました(これも前に日記を書きました)ありがとう。死ぬのが恐くなくなったよ。はるさんとはまた会いたいから隣に椅子を置いて待ってるよ。私にもこんな素敵な言葉を残してくれました本当に天国行くのが楽しみ~あと何年何十年生きるのかわからないけど真面目に生きていくぞ~!!

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  2. 1月7日認知症病院付添い前日当日の朝と待ち合わせのやりとりを繰り返して、結局あーちゃんは約束通りの待ち合わせに…来れなかったよ!まあ、約束の時間をだいぶオーバーしてから、なんとか会えたんだけどさ。えーと、以前にも載せたけど、もう一度あーちゃんやなーにゃん、ワフウフの自宅の地図を乗せるね。自宅に近い最寄駅をそれぞれの服の色に塗ったよ。認知症の病院はたまたまワフウフの自宅寄りの緑の駅。あーちゃんの家からはちょっと遠いけど、この駅は実はあーちゃんが通っていたダンス教室へ行く時にも利用する駅だった。今までの認知症の病院の時は、あーちゃんはなーにゃんと待ち合わせしてこの駅まで連れて来てもらっていたのだけど、今回はなーにゃんが仕事で来れないのでひとりで来てもらおうとした。だけど、約束の時間を過ぎてもあーちゃんが現れないので電話をかけて、またかけちゃ切られ出ちゃ切られを散々繰り返した後にやっと電話がつながったら、あーちゃんは何故か待ち合わせの駅の隣の駅で待っていると言うのだ。な、何で!?その駅の名前、一度も出してないよね!?もうひと駅電車に乗って来てね、と言って待ったが、2、3分で電車は着くはずなのにこれまたなかなか来ない。また電話をかけちゃ切られ、出ちゃ切られを散々繰り返した後にやっと電話が繋がったら、今度は違う改札にいた。ダンスの時の改札って言ったのに…。うん、でもまあ、最終的に会えたからいいのさ。そして、病院の予約時間には遅れちゃったけど病院も混んでいて待たされたからまあいいのさ。だけど、だけどね…。後日、謎のレシートが出て来たの。11時に待ち合わせしたはずの駅で、10時過ぎにお茶をしたあーちゃんのレシート。だって、あーちゃんは11時過ぎに隣の駅にいたのに?待ち合わせの駅に来たのは11時半過ぎだったのに?え?どういう事!?1時間も早く着いていたってこと!?全然わからない。でも、本人に聞いたって分からないだろうな。この頃本人からの話がいつの話なのか、本当にあったことなのか、分からないことが多い…。謎は謎のままで終わるのだった…。ああ気持ち悪い。にほんブログ村

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    真相は謎
  3. 姉と2人暮らしの母認知症についイライラする姉とすぐに忘れる母そんな2人に近距離で介護に加わります柊の花平成31年1月18日くもり後雨今日は一段と冷えますが雪が降らなくてよかった‥朝早く姉は腸に出来ていたポリープの手術に市外の病院へ出かけて行きました手を合わせ姉が私に頼みます一泊でも入院できたならひと晩だけでもゆっくり眠れるだろうに‥母は夜中眠れないと姉の枕元に立ち何をしたらいい?と問いかけるのでほぼ毎日姉は寝不足ですだいたい姉のベッドの横で母は眠くなるまで塗り絵をしていますビジネスホテルにでも泊まってきたら?と勧めましたがよっぽど何かない限り日帰りで戻ってくると言い張りました私の家でお昼ご飯をあっという間に平らげた母が時間を持て余しいねぶっているので久しぶりに叔母のカラオケ喫茶へ来ましたが残念な事に休みでした最近、自分の妹である叔母の事をまさかあの子が姉妹だとは思わなんだと言う母、完全に実の妹の事を忘れてしまわない様せっかく連れて来たのにな。叔母に会うのは諦めて近くの神社に寄って私一人でお参りをしました外は風が冷た過ぎるので母には一枚の煎餅を手渡して演歌の流れる暖かい、車の中に居てもらいました年が明けてからも何度かこの神社には足を運んでいますが今日は一番に姉のことをお願いして手を合わせました姉が大病を患っては困る姉には元気でいてほしい姉には今の仕事を続けていてほしいこれ以上姉がストレスを抱えなくてすみますように。お母さんも本当はそう願っているよな。姉ちゃんは友達と遊びに行ったのではないよお母さんをこの先もみて行かなあかんから放っておくと悪いデキモノを取りに行ったんやで。夜ご飯はまた持って来るからオヤツで小腹はらして待っててよ!読んでいただきありがとうございますにほんブログ村

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    認知症の母も本当は願うこと
  4. 養をとっていた状態車椅子も30分座っていられない感じで、まだまだ「寝たきり」でした。リハビリ病院も家から車で10分弱で(急性期病院とは別方向に)近いところが決まって本当に助かりました。転院時も家族(私)が付き添います。仕事のシフト調節してもらいましたよ〜家族が倒れたので仕方がないですが、なかなかゆっくり休む事が出来ません。で、リハビリ病院。第一印象はな、なんか前の病院よりもバタバタしてる‼︎でした。が、多分。このリハビリ病院がバタバタしていると言うより、前の病院が大病院で対応がかなりしっかりしていて、しかも入院のほとんどをSCUで過ごしたので「ゆったり感」がハンパなかったのかと…でもね、転院初日の対応はヒドかったの!まず入院手続きの書類とか同意書とか数枚書くじゃない?で、散々記入してから夫の名前の漢字ミスを発見仮に夫の名前を「田中 雅司」としましょう(物凄くありふれた苗字なのです)書類には「田中 雅輝」になっていたので「漢字、間違ってますよ!」と伝えたの。そうしたらね…漢字を間違えたのではなく、実際「田中 雅輝」さんって人も入院中だった(しかも同室だった)ひぇ〜〜で、私が書き終えた書類を背の高い男の看護師が、いくら足が麻痺しているからと言ってどんどん夫の足の上に乗せていくのよ。それはそれでいかがなものか…不憫に思い「ちょっと場所ないから悪いけど足の上に置かせてね〜〜」って私が言いましたよ(-。-;まぁ、この辺は担当した看護師がたまたまこう言う人だった…って感じなのでしょうけど。その後、私は家に戻り一休みしてたら家の電話が鳴りまして…『◯◯病院です。「田中 輝」様の事で連絡です」と…すみません、うち、田中 雅司ですけど?と言ったら「あ!すみません、間違えましたー」とねえ?ざっくりし過ぎじゃね??ってゆーか田中、何人いるの?結局、「田中 雅司」「田中 雅輝」「田中 輝」が同室と隣の部屋に固まっていたようです※全員仮名です。でも漢字のカブリはこんな風でした。こんな「田中祭り」な状態だったので、うちの夫、「雅司さん」って下の名前で呼ばれてました(^◇^;)全くフレンドリーな男でもないのにね(^^;;転院当初、リハビリの階の病室が空いていなく一般病棟だった事もあり、6人部屋でした。なので、すごく狭かったし初日の半端ないガチャガチャ感…夫に「居心地どう?ものすごいガチャガチャした感じするけど…」って聞いたら、意外にも「別になんともない、看護師の感じはいい」との返事でした。(文字盤使ってとか、イエスノーで答えられる質問での会話)その後、リハビリの階に移り4人部屋になりました。ここからは、初日のような事は何もなく、まぁ看護師さんは大勢いるので好きな看護師とそうでもない看護師がいたみたいだけど、理学療法士も作業療法士も言語療法士も担当になった方がみんな良い方で、且つ夫との相性も良く、本当に良かった!夫って…結構「あの人、苦手」とか「あの人あんまり」とかいちいち言うんだよねーーー。私ゃ、あんたが一番苦手だけどねって心の中でつぶやいてたけど〜(笑)職場のnanaさんが「mimiちゃんに!」って栗羊羹くれましたまいうーたくさんの方に読んでいただき嬉しいですみんな大好きですありがとっ(^з^)-☆

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    リハビリ病院へ転院
  5. 半到着。冷蔵庫にはヘルパーさんの作ってくれた、チャーハン、大根の卵とじ、ほうれん草の和え物があるというので、それは夕食にしてもらい、昼食にたこ焼きを買って行った。今日は、寝起きではなかった様だ。「お昼に、たこ焼き買って来たよ〜。」と差し出すと、「たこ焼き‼️嬉しい。お茶入れるわ。」とキッチンに行った。おっ、今日は炬燵のお守りちゃうやん。母は、冬でも冷たいお茶が好きで、冷蔵庫にガラスピッチャーにお茶を入れている。私「お茶ある?」母「あるよ〜。」冷蔵庫から出して来たガラスピッチャーを見ると、茶色だけど濁ってる。「これ、お茶ちがうやろ?」「お茶やで。」「えーウソー。こんな濁ったお茶見たことないで。」母、じっと見つめる。「でも、お茶やで。」まだ、言うか?(どう見ても、コーヒー牛乳の色してるやん)「私、怖くて飲めない。お母さん、飲んでみたら?笑」母、コップに注ぎ、恐る恐る飲む。「コーヒーや‼️😳」母、驚きの表情。ていうか、入れたん自分でしょ?私は、飲まなかったけど、コーヒーだったみたいです。何故、いつもお茶を入れているピッチャーに、コーヒーなのかよくわからないけど、ひょっとして、下痢だったのはこれが原因ではなかろうか。。と家に帰ってから思った。昼食のたこ焼きを、二人で「美味しいね」と言いながら食べ終わり、義母の面談の話をして、大笑い。やっぱり、私を妹だと紹介したところが、1番ウケた。(ヘルパーさんのノートを見ると、母が下痢で便失禁したのは、月曜日の夜から火曜日の朝にかけてだ。火曜日の朝のヘルパーさんが、書いてくれていた。デイサービスの連絡帳を見ると、火曜日は、入浴もしている。「便がゆるいようですが、お腹は痛くないそうです。」と書かれていた。)色々雑談して和んだので、母に下痢の件聞いてみた。「最近、体調はどう?風邪ひいたり、お腹壊したりしてない?」「大丈夫やで。お腹壊してないよ。」「火曜日、下痢してたんちゃうの?」「えっ?そうやった?してないで。」何をとぼけたことを。。「パジャマのズボン汚して、洗濯出したんちゃうの?」「えっ?わからん。下痢してないと思うけど?」「火曜日のヘルパーさんもノートに書いてるし、デイサービスのノートにも書いてあるわ‼️」母、お得意の大笑い。「一緒に2階行くよ。」と二人で2階に上がり、炬燵の部屋に入った。炬燵の周りに、お昼寝マットと毛足の長い細長い形のラグが、2枚L字に敷かれていた。その毛足の長い方に、茶色いシミが。。。既に、乾いてるし、取れるんかな。「これ、下痢した時のシミやと思うよ。このまま、此処で寝てたん?」「うん。全然気付かんかった。」「どうやって取る?」「わからん。」酸素系漂白剤と洗剤、父の要らなくなった下着を切った物、洗面器に水を持って来た。私が、四つん這いになって拭き出すと、立ったまま見下ろしている母。「こら、ボーッと見てないで、一緒に拭くのよ。その為に、一緒に2階に上がって来たんだから‼️」と言うと、ヘラヘラ笑いながら、母座った。洗剤をつけて、布切れを渡してやり、2人で何度も何度も拭いた。「お父さんの下着が、役に立ったね。」「お父さん、あの世で、俺の下着で何拭いてるねん。ってボヤいてるやろうな。ハハハ」爆笑🤣まあ、何とか取れました。その後、私が洗濯物を取り入れ、母に畳んでもらった。畳み終わると、ちゃんと押入れの衣装ケースに入れていた。母、今日は頑張ってるね。ついでに、紙パンツと尿取りパットも、衣装ケースに入れて貰った。洗濯物の中に、見慣れないバスタオルがあり、「こんなバスタオルあったっけ?これ、名前書いてないやん。」と言うと、母、炬燵の上のマジックペンを持って、「名前書いとくわ‼️」「ちょっと待って‼️名前書いてある。ヤマザキって書いてるで。」母、ヤマザキではありません。「えっ?」自分のバスタオルかどうかも、わからんの?「デイサービスで、間違って入れて来たんちゃう?」「私のバスタオルも、誰か持って帰ってるんちゃうか?」えっ?そこ?自分のバスタオルの心配かい?「洗濯物の中に、バスタオルは2枚あったから、たぶん、誰も持って帰ってないと思うよ。このバスタオルは、ヤマザキさんのやから、デイサービスに持って行って返しといてね。」「うん。それは人のやから返さなあかん。持って行くわ。でも、私のバスタオル、誰か持って帰ったんちゃう?」まだ、言うか?「ヘルパーさんのノートと、デイサービスの連絡帳に書いておくわ。どうしても気になるなら、持って帰ったかわからないんだけど、もし見つかったら教えてね。って言えば?」って言っといた。それで、やっと黙ったわ。たぶん、持って帰ってると思うけどね。絶対、明日の朝になったら、忘れて言うな。バスタオル、沢山沢山あるんですよ。

  6. るショートです。ま特養の方は空きがないと言うことなので、待機という形になるけれど、何とか空き次第入れてくださるとの確約を頂いた。ここは施設自体が新しいし、キレイなつくりなので、夫もここならと思ったようだ。しかもとてもアットホームな感じでもある。先のショートでもスタッフの方がとてもよくしてくださった。車に乗せた後、一言もしゃべらないナニサマ。気まずい雰囲気が車内を流れる。私ももう敢えてしゃべりかけることもしない。すると、夫が、その空気を払拭したいかのように「おばあちゃん、風邪の方は大丈夫だったかね?」と、問いかけた。「そうだねえ・・・風邪は大丈夫だったわね」と、答えた。ほー、一応聞こえてるんだ。次のショートに着くと「前にも来たことがあるところかねえ」と、相変わらずのタヌキぶりを発揮していた。(;一_一)夫が部屋まで行きたいと言うので、部屋までついていくことに。着いた途端、傍に夫がいるにもかかわらず「makoさーん、makoさーん!」と私を呼ぶ。(又かい)「あのね、紙袋の中に洗濯物が入っているんだけど、それ出して持って行って洗濯してきてくれないかね」と早速用事を言いつけてくる。「ああ、それならもう前の施設の方が別にしてくれて渡してくれたのでここには持ってきていませんよ」と答えるも、しつこく「洗濯物ねえ、あるんだけどねえ・・・」面倒くさいから、放置!看護師さんがやってきて「お薬はこの袋でいいですか?」「はい」と、話しているというのに、「makoさん、makoさん」ってうるさい!「なに!?」(おっと口調がついキツメ(;^ω^))「あのねえ、あの水色のフタがついたねえ・・・」「ああ、レスタミン?なくなったの?」「あれねえ、私ねえ、このへんが痒くなるんでねえ・・・」「わかってますよ、それがもうないってことね?」「あれねえ、もう少ししかないからほしいんだわね」ふん!あなたのもう少ししかないなんて、あてになりませんよ。いっぱいあったって、「ないない」ですからね。(お!だれかが書いてた『ないない詐欺』かあ?)よくもまあ、次から次と、どんだけ嫁が好きか知らないけど、私の名前を呼ぶなってーの!息子に言えってーの!いやはや離れていたら少しは優しくなれるかと思ったけれど、無理ーーーーー!少しは神妙にしていたら可愛いのにね。まったく食えないバアチャン!

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  7. いる。インフルエン予防のため、ここ3年間毎日R-1とヤクルトは10年以上飲んでいる。一応、健康のために努力はしているほう。(笑)この時期、もちろん手洗いとうがいも忘れない。だけど七転八倒の腹痛を起こしても、自力で治す。(笑)一度意を決して病院に行ったが、整腸剤だけ処方されて帰された。咳が3か月止まらず、肺炎かと心配して珍しく病院を3つも変えたと言うのに、レントゲン一つ撮ってくれず、自らお願いして撮ってもらったら「ほーら、シロね」と医者に手柄たてたように言われてから、金輪際医者なんかに頼らないぞって思ったものだ。私ってよくよく健康顔なんですかね。まあ、時々腰や膝や肩が痛くなることもありますが、「加齢です」と一言で片づけられそうなので、すべて自力で治す。きっと私のように医者嫌いな方が、案外ポックリといくんじゃないかって思っている。夫や姑のように用心深く病院大好きな人たちは、長生きしたりしてね。夫には「子供たちに迷惑かけないよう、長生きしてね」と伝えてある。昨日、友達と話しながら、案外サプリメントってジワジワ効いてきて、長生きするんじゃないかって。私が健康なのはそのおかげ?だったら、病気だらけの夫はどうなんだろう。それでも寿命は長いのかも。大変だ~~~(子供の立場)

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  8. 今日は、こちらの地域だけでしょうか。阪神大震災の追悼のNEWS、何回もやっていました。メデイアのヘリの音も聞こえてきました。語りべが、もう少なくなってきていると話されていてあの出来事を、すっかり忘れ去られることの寂しさと辛さを感じました。私は、これまで必ずこの日には SNSなどで震災のことに触れてきました。それが、あの時に亡くなった人を思い出し追悼になる気がしています。妹の親友、知人、ご近所さん沢山の方達が、お星様になってしまいました。阪神大震災の大変な中から、這いずり出して生き残った私達も、頑張っています被災地域の皆の頑張って生きてる姿を見てくれてますか?24年経っても、しょってる物があります。今も必死で生きてます。だから、24年が経過したと思えない私です。今日そして明日は、こうして文才の無い私ですが・・・・。我が家の体験を書いてみようと思います。2日にかけての長い文章になりますが、良ければ見てください。あれは、24年前の1月17日、午前5時46分の出来事です。両親は62歳でした。父は定年退職をして、新たに小さな会社に勤めていた頃です。それまで、大きな災害を経験した事のない私達。実は、兵庫県はそういう災害がやって来ないだろうとずっと、穏やかな地域性であったせいか、勝手に思い込んでいました。それでも、他所の地域で災害が起きた時には大変だ。。。辛いだろうなとは感じていました。今でこそ、悲しいことですが大きな災害が色々あって、備えや国の対策も色々講じられる様になっていますが、あの阪神大震災級の地震はあの頃起きていなかった様です。我が家が過ごしていた家は、マンションでした。そのマンションに住むまでは、賃貸の暮らしをしていて両親ともに、娘たちもいずれ結婚するだろうし、夫婦2人で過ごす小さいながらも老後の持ち家を、やっと購入した中古マンションだったのです。父が、それまで働いてきて定年退職をした 退職金を使っての購入で中は全面リフォームをして新品の様に綺麗な家になりました。マンションではありますが、持家であること綺麗になった家の中に、母は喜んでいました。キッチンには、小さな緑を均等に並べて飾る母嬉しさが、部屋のそこかしこに感じられました。新しい浴室や洗面台。新しく買った家具や電化製品に囲まれて、幸せに暮らし始めました。私は、それまで一人暮らしをしていたマンションを出て両親の元へ戻り、両親と姉妹の4人暮らしが始まりました。仕事も頑張っていたあの頃の私、夜遅い帰宅をしたりプライベートも忙しく、妹も仕事やプライベートに忙しく母は、あの頃、友達も多く趣味もあり外出をするのも大好き。父は、仕事をしながらマイペースに時間を過ごしています。同居しながらも、其々の時間を楽しく有意義に過ごす日々でした。新しい住まいを買って5ヶ月ほど。初めて迎えたお正月。昔から我が家は、お正月元旦には家族で過ごすのが自然のルールとなり、お買い物をして手作りのお節料理を皆で手伝う。それが、毎年のお正月前の我が家の風景。そして、母の美味しい手料理を堪能します。まさか、その後に起きる大きな災害なんて想像もしていない、新しい家では初めての家族のお正月✿そして震災の前日、私は外出をしていて帰宅したのが夜になり妹は、親友と近々会おうねと電話で約束をして楽しくお喋りをしています。両親は入浴をしたり、あと片付けをしたり、至って普通の日常でした。其々に、自分の部屋へ入り 就寝をしました。ふぅ~・・・・・。1月17日。早朝、何故か5時30分頃に目が覚めた私。時計を見て、え~、まだこんな時間。もう少し眠れる・・。と・・・・・ぼんやりしながら、再び夢の中へ・・・・。ごおおおおおおおおおおおおおお~~~!!!?????????????????????ぼんやりした頭の中で、え?何の音???と思ったんです。そう、地鳴り。生まれて1度も聞いたことの無い音、まさに地の底から響く凄い地鳴りの音がしました。その時点では、何の音だか判断がつきません。冬の真っ暗な中、早朝に響く ごおおおおおおおおと言う音ほど恐ろしい物はありません。その音の直後に起きました!皆さん、ところで地震って どう揺れると思いますか?それまで、私は地震とは横にゆらゆら~と動くと思ってました。揺れたら机の下に隠れる。と学校で習いました。横ゆれ?いえ、全然違います!阪神大震災の場合は違いました。                横ゆれじゃない、とにかく家中の家具ごと身体をシェークされるんです。シェークです。硬いはずのコンクリートの建物が、硬いはずのフローリングがまるでトランポリンの上で寝ている様に、上へ持ち上げられ布団に叩きつけられる。それを何回も繰り返されるんです。これが、直下型なんです、直下型の揺れ。その力は、どんなに大きな建物でも、建物への影響は横揺れにかかる力より、上下にかかる力は相当なもので勢いよく上へ上がった重い建物は、一瞬力が無?になる。その力を何十倍にもして下へ打ち付けるんです。※阪神大震災は建物ごと崩れて、圧死された方が 多かったのは、この揺れ方も原因でした※つまり、建物がぐちゃ~と、建物ごとぐちゃ~と潰れる力なのです。机の下に隠れなさい??って何それ?立つことさえ出来ない、動くことさえ自由にならない。自分の身体が浮いて、打ち付けられしてるのに。鉄筋コンクリを潰す力がある物を、人がどうしろというの?そう言った凄い力でした。ごおおおおおと地鳴りがした後私は布団の上で、仰向けに何回もうちつけられました。布団ごと。部屋の中は、真っ暗で何も見えません。時期に、周りの家具が私を襲い、頭元にあった本棚が倒れて、その瞬間何故か上体を起こせた私棚の端が背中に当たり、一瞬息がつけなくなりました。幸い頭を守られて、背中を打撲しました。家の中の家具という家具が倒れ、冷蔵庫は動き扉が開き中の物は全て飛び出し、当時重たくて大きなブラウン菅テレビが簡単に倒れていました。(他の人に聞くと縦揺れでブラウン管テレビが1回転した家もあったそう)各部屋で全ての家具が倒れ凶器になりました。バリバリ、がしゃ~ん、がちゃんど~ん、どさっ、がちゃん。ありとあらゆる音がなり響きます。建物の中で、全部をシェークされてる。身体が浮き、転がされる。真っ暗です・・・・・・・・。見えない。一寸先も見えない中でした。隣の部屋から、聞こえた一声は母でした。「つばさ~!!妹の名!!お父さん!」そして、幸い低い高さの家具ばかりあった妹の部屋では何も倒れておらず、1番に動けたのは妹でした。「みんな大丈夫っ~!!!!???」がしゃっ!・・・・駄目!こっちに今来ちゃだめ~!足元がガラスだらけだから、スリッパを持っていくから!居て!私は背中を打ち付けて、痛みで一瞬動けなくなり動けない~と叫んでました。父も小さな家具の下敷きになっています。母は、とにかく家具から這い出し娘たちのことが気になっていたのでしょう。這い出してから壁つたいに一寸先も見えない部屋から出ようとしています。暫くして、父も自力で、どうにか這い出してこれました。電気は?電気?つかない?そう、つく訳がありません。電話線も駄目です。妹が私の部屋へ来た時には、私もなんとか立ち上がり両親もなんとか立ち上がり、暗闇を手を携えて手に取れる洋服を着ました。あとで気付くのですが、とんでもない格好。でも、そんなこと言ってられませんでした。家具を除けながら、足元のガラスや食器を除けながら上に羽織るものを見つけて羽織り、みんなで玄関の方へ向いました。すると、小さな窓から既に外へ脱出している人達が見えました。出てる人達が居るよ~出よう!・・・・・・・・開かない・・・・・・・・。ドアが開かないよ。※当時はスマホも携帯も持っている人の方が珍しかった為に、  使い捨てカメラで数枚だけ撮影したものです。画像が悪いのですが  これは、我が家の玄関扉外側の壁です。  亀裂の隙間から中が見えました。マンションの建物の上階の重さが  かかっています※マンションの我が家のドアが、建物の上からの圧力で完全に曲がってしまい微動だにもしませんでした。混乱しながら、反対方向のベランダへ向います。寒い。怖い。ぶるぶるぶるぶる身体が恐怖と寒さで震えるのを必死で抑えながら、脱出する方法を考え動きます。でも、平常心ではない。平常心で判断が出来ないんです。現実なのか、夢なのか。。。。これは、何なんだろう。そう思いながら、両親とベランダへ出た時に真っ暗な空に、何本もの稲光が横に走るのを見ました。想像してみてください。前夜まで普通に生活をしていて翌朝にこんな状況の中で、空に稲光が何本も走る。映画でしかみたことがない光景が、現に目の前で起きているんです。となると・・・地球が滅びる時が来た!ついに来たんだ。。。そう思います。これ、本当に思いましたから。余震も続き、揺れる度に声が出、身体が震えました。母が、言いました。ベランダから下を見て 「もう飛び降りよう!」と。母も混乱状態でした。思わず、あかん!飛び降りたら死ぬ!と叫びましたから。出口がない。どうやって逃げよう。と家族で言っていると、隣のご夫婦の声がして大丈夫ですか!?と声をかけてくれました。こういう時、他人様の声がどれほど安心を与えて勇気をくれ、冷静さを取り戻せるかってことを痛感しました。今の時代、同じマンションに住んでいても治安の為?挨拶は無しにしようという取り決めをしたところもあるとNEWSで見たことがあります・・・・。確かに、物騒な時代ですが、とても寂しい時代だと感じます。お隣さんとは、時折挨拶をしたり、何か買ってきた時には差し上げたりという交流がありました。とても良いご夫婦です。真っ暗で見えない中だからと隙間から懐中電灯を1つ貸してくれたんです。「もう1個ありますから」と。(この時、まだ判断できなかったんですね。ベランダの 仕切りを蹴ってお隣から脱出できたというのに・・・)暗闇の中の小さな光を頼りに、また部屋の中へあらゆる物が散乱し、家族で手を繋ぎガラスの上を歩く危険だから、和室のふすまを倒してその上を歩こう!と言ったら・・・・こういう時、母の天然ぶりが出ました!母「いやん。この襖新しいのに・・・。」私「そんな事言ってる場合じゃない!」とまぁ、わぁわぁ言いながら家具の散乱の少ない妹の部屋へ脱出はこの窓!しかない!ところが、その窓の枠がすっかり曲がっていてこちらも開きません。「あ・か・な・いよ・・・・。」どうすりゃ・・・・・。そうだ!と妹と声を掛け合い力を合わせて オーディオのスピーカーをちぎり持ち上げて、窓へぶつけました。がちゃ~~ん!※これが、当時の脱出窓です。この部分から脱出しました※窓が割れて、なんとかその割れた部分から1人が出られる穴が開き、ガラスの割れた先で怪我をしない様に毛布を数枚置いて、一人ずつ脱出しました。その時は、とにかく外の広場へ皆さんの居る場所へと必死だったので、家族4人が広場へ座り込んだ時怖かった~。怖かったね。と言いながら避難している人達もざわざわと話していました。ふと見ると、母の手は真っ赤に染まり血だらけだったんです。真っ暗で必死だったので本人も気付かず近くのガラスが倒れたきっかけに破片になって降り注いだみたいでした。手当をしなきゃと思っているとマンションの理事長さんが、救急箱を持っておられて早速、消毒やガラスの破片を取ったりして処置をしました。母は、そんな状況でも、娘の名を叫んで助けに来ようとしていたんです。母も父も私も妹も、それまで周りを見る余裕が無かったのですがふと・・・少し落ち着くと、私達が集まっている背中側の建物全体に、炎があがりました。え!!!!と思って少し離れると、今度は私達のマンションの西側棟から老夫婦がやっと脱出して、共用廊下を反対側へ逃げていこうとされている光景が目に入り、混乱していたのでしょう。見ている住人が下から、違うこっちやこっち!と叫びます。そして、西のその棟は1階の足部分が折れて崩れ地面に落ち、2階が完全に潰れていました。3階で逃げ惑う夫婦に若い男性住人が手助けに行きます。気を付けて~!と声をかける私達!建物は斜めになっていました。やっと老夫婦も広場へついて座り込んでいました。住民の中には、頭からドクドクと血が流れている人や熱で震えて毛布にくるまる人、恐怖で泣いている人、怖さと寒さで震えている人正気でおれなくて変にhighな人気持ちが落ち着いてくると、どんどん見える風景。空が白み初めて見える光景は・・・この世の出来事では無いほど、恐ろしいもの。次々と目に飛び込んで来て唖然・・・・・・・・・・・唖然。言葉が出ないほど、唖然としました。何?この光景・・・。夢・・・・じゃない。。。。。背には、炎が建物を焼き尽くす パキパキとした音がし炎の粉が飛んでいます。少し東の方の建物からも、炎が見えます。警報音が鳴る建物もありました。すると、へしゃげたこのマンションの棟から炎が上がり始めました。火だ!こっちも!皆がざわめいた時、その時の理事長の女性が叫びました!「若い人!男性も!手伝って!消化器のホースを持って! 建物へ向けて放水するの!手伝って!」とその声で再び我にかえり、長い長いホースを私も妹も父も列の中に混ざって両手で頭の上へ持ち上げて、延ばしていきました。放水準備完了!放水~っ!!1放水~~!!!!!????????!!!!!!!出ない。。。。。1滴の水さえ出ません。そう、阪神大震災で困ったのは目の前で炎が出ているのに、何も出来ないということ。水道なんて出ないです。水なんて無いんです。列になった住人は皆、ただ燃えるのを見ておくしかなかった。炎があっちにも、こっちにも見えていました。                 すみません。今日は、ここまでにします。                 続きは明日書きます。なんか、少し疲れてきました。                 ごめんね♥                  阪神大震災で亡くなられた方                  災害で亡くなられた方々にご冥福を。。。。

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    認知症の母♥阪神大震災の体験から1(認知症の母当時62歳)
  9. た後午後からは 母介護用品の買い出しに行き…と身体の重だるさも手伝っていたので母の為とはいえ 中々身体を起こすのに一苦労でしたさぁ1階に降りて見たらば時間までに 準備しなければ!とバタバタしながら 着替えやらバッグの中を確認している母の姿まだ時間あるからゆっくりで大丈夫と声を掛けたけど何故だか?慌てる母でしたそして 予定通りの時間に介護タクシーサンが迎えに来て下さり病院へ向かいました!内科では 診察前検査という事で採血と採尿がありまず採尿にと御手洗に入るといくら待っていても母が出てこないんです!さすがに 不安になる私慌てて 御手洗のドアをノックすると?泣きそうな声で「やり方が分からない」と聴こえてきた母の声中から鍵を開けてもらい様子を伺えば ズボンを下げたまま困惑している母2ヶ月前には 普通に採尿が出来ていたはずなのに今回は 出来なくなってたのね…という事で 私も一緒に御手洗に入り 口で説明しながらようやく採尿完了!量も出ていたので一安心でしたそして 残りの採血もいつもは結構な難問になる母の腕ですが予定外にスムーズに血液が採れたので担当技術者サンに感謝でしたその後は 内科の順番待ち温かい病院の中で母娘揃って睡魔との格闘(笑)そして 内科と泌尿器科共に安定の数値だったので一安心致した次第です!各科の受付で請求書をもらい母と病院の売店に行きいつも購入する 薬の苦さを紛らわす砂糖不使用の飴の他に私の欲しかったチョコレート菓子に母が「お腹空いた!」と仰るので鮭明太子なる大きいおにぎりを母のおこずかいから♪早速 病院出入口手前にあるテレビが見られる休憩スペースでゆっくりしながら 母のおにぎりを食べるお手伝い大きいので まぁ大変(笑)どうしたら そんなにおにぎりが潰れていくんですかと驚く娘をよそに パクパク食べる母!食べ終われば お米が下に落ちたそうで 拾う母!紙コップの飲み干した所に入れて他のゴミと一緒に ゴミ箱へ持っていくのは私でした(笑)そして 介護タクシーサンに電話し迎えに来て頂いたのは良かったのですが…またしても 母が手押し車を持ってきているのに苦い顔病院にある手押し車じゃ駄目なの???と聞いてきたからこの手押し車慣れてるんでと控え目に訴えてみたさぁ 次回は何か言われるのか?若干不安な娘です帰宅後は 母娘揃ってバタンキューでした見たかった🌃の番組もドラマも 見れず終い次は来月の神経内科と眼科です!インフルエンザetc.流行ってるみたいなのでみなさん 気を付けて下さいね我が家も気を付けます最後まで読んでくださりありがとうございました

  10. てないと💦どうに車椅子に乗せ、救急外来ですぐ診察してくれたが、意識もはっきりしており、骨折もない様子。が、人前で転倒した恥ずかしさが大きいようで、、動揺しており先生の質問も耳に入らず答えが的を得ない。すると若い先生、どうやってこけたの?今までこけたことあるの?と、薄笑いでそればかり繰り返し聞く。認知もあるので…と補足したが、それには返答せず。今までのことより、今の状態を確認して欲しいし、何より鼻で笑ったような表情にイラッと…したが、我慢。ひとまず、緊急性はないので、眼科を受診して帰りにまた診察しましょうと眼科へ移動。眼科の受付に行くと、連絡が入っていたようでえ?診察するんですか?できるんですか?ひとまず眼科受診してまた再度診てもらう予定です。と、診察をお願いするとあ、そうですかーと、ここでも薄ら笑いのナース思わず何がおかしいんですか?とストレートに聞いてしまったさすがにナースもヤバイと思ったのか、いや、転倒されたので、診察しても大丈夫なのかなぁと心配で、つい笑ったような表情になったかもしれません💦と言われ。立て続けに父のことを笑われたようで…いつもなら堪えるところをつい、言ってしまった私も大人気なかったのか…年末のことからまだ立ち直れず、実は13歳のペットも数日体調悪く、今朝病院に行き腎臓の数値が高いと点滴中。いろいろ重なり、心折れそうです。眼科受診は予定通り済ませ、変わりなく終了父の部屋に、手すりをレンタルしないとかなぁ…

  11. った義母が昨年、有老人ホームに入居しました。義母がギックリ腰で動けなくなりでも本当は腰じゃなかった3年くらい前行く行く詐欺⑥の続きです。半年ぶりに外に出て自分の食料を買っただけなのにご褒美をねだる義母『買ってくれるぅ?』も何も、何が欲しいのか言えっ!「え?何が欲しいの?」「あのね~ぇ、私ね~ぇ音楽を聴くのが~好きでしょう?」知ってるけど、で?だから何?何が欲しいの?このやり取り、本当に面倒臭いいつも、ハッキリ言わないのこの人「それでね~ぇ、前に~買ってもらったのは重くてぇ持てないのぉ~」はい、はい要するに、新しいCDプレイヤーが欲しいと。そういうことですね。あるのよ、CDラジカセ以前に夫が買ってあげた高級なやつ。それはね、大きすぎるんですってもう、持てないから嫌なんですって私、しばし呆然としてましたらなんだか買ってあげる話になっていて「仕方ないなぁ」とか言っちゃっててアタクシ、もう、それはそれは驚きましてよ「ええっ!?買ってくれるのぉ~?う~れ~しぃ~い~わぁ」キモイ「買ってあげるけど・・・」?ナニ?「買ってあげるけど病院に行くのが条件」その手に出たか!続きます。

  12. マスクは必須
  13. なりました(余命等高齢者とはいえ<亡くなる>ことはとても恐いそうです。【これから私はどうなってしまうの?】怯えながらそんな事を言われます。そんなとき私は(臨死体験)を3回もしているので体験談を話すことにしています。3回目の臨死体験は交通事故でした100キロ以上の暴走車にぶつけられ、私が車ごと60mも飛ばされてしまいましたぶつかったときは何が何だかわからなかったですぶつかった瞬間、前と右側、左側に誰かが私を支えました誰だかわからないけど3人に助けてもらいました。車は前半分ぐちゃぐちゃとなり後で車屋さんや保険屋さんに<どうやって助かったの??>と言われたほどでした私は右のおでこ23針縫っただけですみました(3か月ぐらい顔がヤバかったですけど(笑))あ!誰かが支えてくれた!と思った瞬間・・私の幼少時から今の時代までの写真?みたいのがパラパラ。。目の前に現れましたその後に瞬間移動しとにかく気持ちのいい場所に行きました💙💙💙いい匂いで何だか嬉しくて気持ちよくて幸せで幸せで・・お花がたーーくさんあってきれいな湖もあって本当にこんな幸せを感じたことがないぐらい幸せな気持ちで・・・その時に亡くなった祖母がでてきました <あなたにはまだ小さい子供がいるでしょ。帰りなさい!>こんな感じで追い返されました。ふっと二人の子供が泣いている映像が見えて・・その瞬間事故現場に戻りました。。車から紫の煙がでて臭いのなんのって・・頭と足を切って流血半端ないし・・恐いは痛いわ・・天国から地獄に来たって感じでしたね~こんな体験をしたので私は死ぬのが楽しみで仕方ないです♬またあそこに行けるんだなって💙ただ、自殺とでは絶対!いけない場所なんだなって思います悪いことしても嘘をついても人をたくさん傷つけてもいけない場所だと思います真面目に生きていくぞ!!!!私は死ぬのは恐くないけど病気とかなって治療で痛かったり気持ち悪かったり痺れたりだるかったり・・それが恐いです。。。こんなつたない体験を寝たきり高齢者に話します真剣に聞いてくれますにっこりしてくれます<じゃあ、僕の(私の)隣に椅子を置いて待ってるからね。何十年後にまた会おうね>こんな素敵な言葉を残され旅立って行く人がたくさん💙私は本当に幸せです。介護の仕事をしていて本当によかったです💙

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  14. 1月7日今年初めての認知症の病院付き添い。今までは紙に大きく次回の通院の日や時間などを書いたものをあーちゃんに渡していたのだが、たんたんが病院について来たがるので止めることにした。なので、前日にあーちゃんに電話をして○駅で待ち合わせだから○時に家を出て○分の電車に乗ってね、と細かく指示。なーにゃんもあーちゃんにメールをしてくれていた。しかし1月7日朝、電話が鳴った。しかも出たら切れた。あーちゃんだな、と思い電話をかけたけどやっぱりそれも出たと思うと切れる。ああまただー、とげんなりしながらこれを何度も繰り返した。やっと繋がったらとのたまうあーちゃん。そして、と不安そうに言われた。なーにゃんがメールもしたよね?でもまあそう言っても覚えていないのは仕方ないので前日と同じように○駅で待ち合わせだから○時に家を出て○分の電車に乗ってね、と伝えた。連絡を取ろうとする時、あーちゃんがこうして電話をかけても切ってしまう、電話をかけて来てもこちらが取ると切ってしまうことが多くて、本当に困っている。携帯の電話のマークにシールを貼ってあげたりと工夫はしているんだけど…。でもねえ、電話がこうして繋がらないのは…ワフウフ限定なの。なーにゃんの時はないの。…もしかしてワフウフ、あーちゃんに避けられているのかしら!?笑ちなみにワフウフにはなくてなーにゃんの時限定なのは、数分おきのトイレと、と騒ぐこと。初期の頃、記事にしたがどちらがいいのかどうやらあーちゃんの中でワフウフとなーにゃんへ対する何かの違いがあるらしく…こういう謎の役割分担が起きている。どれも困ることなんだけど、どうしてこうハッキリと役割分担されるのかなあ…。にほんブログ村

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    役割分担
  15. グループホームの親会社からは全く何の返事もありません。ちゃんと見てないんだろうなー、と思いつつ、とりあえず放置(もうそんなことをウジウジ思ってる暇はない)それはともかく、通院前日に全く知らない番号から電話が。怪訝に思って出てみると…「あのー、このお電話はハイジさんという方のお電話でしょうか?」はい、そうですが、どちら様でしょうか?「わたくし、叔母さんの会社の同僚の、Mと申します。今日、叔母さんからお電話をいただきまして、でもなんだか話が通じなくて、今は誰に世話になってるの?と聞くとハイジさんの電話番号を言い、『姪のハイジだよ!』とだけ仰るもので、それでじゃあ取り急ぎ電話しますね、と…」ああー、そうだったんですね!「あのー、今どこにいるのかをお聞きしても、なんだかよくわからないと言われて…今どこにいらっしゃるんですか」去年の7月にグループホームに引っ越したのです「ええ!」去年の今頃から認知症が急激に悪化して、お金も食べることも薬も全くわからなくなってしまったので、施設を探していたのですが、本人が暴言や暴力がひどくなってきたので、一時強制入院させまして…「ええええええ!!(男泣き)」グループホームに入ったころもいろいろ荒れていたことはありましたが、今はすべて収まりまして、穏やかに過ごしております「そうだったんですか!全く知らなかった…」たぶん、年賀状をくださったのではないですか?「そうです、年賀状を見て電話した、と、2年ぶりにお電話をいただいたんです。去年の夏、一度叔母さんの団地に行ってみたのです、連絡が取れなくなったと他の同僚たちからも電話があって、一番近くにいるお前が一度行ってみろ、と言われて。そうしたらもう誰もいないようだったので…」(よく電話できたもんだ)そうなんです、3月に入院して、7月にグループホームに入居しました。ご心配をおかけしました「いえいえ、あなたのようにちゃんと世話をしてくれる人がいてよかった…」うん、まあ、そうですね…しかしまあ、なんでまた急に電話しようとか思い立ったのか!もう携帯の使い方もよくわかってなくて、かかってきた電話にかろうじて出られる程度だというのに。ま、いいんですけどね、叔母の職場は社会的地位が高い人しかいない場所だったので、変なことにはならないのもわかってるので。でも突然頭の機能が戻るっていうのも、なんだかなー!!

  16. を悩ませているのが認知症の両親に確認してもまったく訳のわからない保険関係です預かった通帳の引き落としの記録だけでは解らず、どんな保障内容なのかもサッパリそして面倒なのが「個人情報の保護」うちの義両親については保護しなくて良いですってわけにもいかないので、これが本当に面倒くさいです引き落としの記録を見てネットで検索して手当たり次第電話をしました住所と生年月日がわかれば証券の再発行をしてくれる保険会社もあれば(保障内容や契約内容は教えてくれません。あくまでも証券の再発行のみです。)、本人でなければ一切だめというところもあり、この後者がとにかく大変ですお義父さんとお義母さんを、交代でオペレーターの方と話をさせるのですが、携帯をハンズフリーにして私たちに聞こえるようにして、こちらが紙に指示を書いて話をさせると言うはぁぁぁぁ( ´Д`)そして、再発行した証券を主人と見てみると…ほんとーにムダばっかり入院と怪我のうっすーい保障だけで4社契約。死亡保障は10万円。無駄に高い火災&家財保険。主人「(契約年月日を確認しながら)これって、認知症になる前から掛けてるんだよね?」私「うん、もうかなり前から掛けてるよ?」主人「色々と親のことをやればやるほど思うんだけど…」私「えっ?」主人「お父さんはもともとだとも思うけど…」私「だから何っ?」主人「お母さんって、バカなのかな?」私「……私になんて返事しろと?(笑)」どれを残してどれを解約するか…バカとは言わないけどさぁー…お義母さん…保険適当すぎっ(笑)

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  17. 最近母を1人で家に置いておくのが不安になってきています。今日は訪問だったのでお昼の見守りのみ。夕方様子を見に戻りたかったですが夕方仕事抜けるのは難しくいつもの帰宅時間に。19時過ぎ帰宅。玄関には外に出る時用のジャンパーかぐちゃっと置いてあり、居間の引き戸は開けっ放しで部屋はエアコンをつけていきましたが冷気が入って部屋は冷えていました。居間に母の姿はなく、雨戸を閉めに庭に出ると庭に出た形跡あり。母が失禁で汚したスリッパを外に出しておいたのがなくなっていました。お風呂を洗おうと脱衣所の電気をつけるとその失禁スリッパが置いてありました。そしてお風呂場を開けると…こんもり💩😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱😱マジかよー😨ついにか………ついにここまでになってしまったか😰どうするよ〜これ〜😢とりあえずビニール手袋してトイレットペーパーで💩を取りトイレに捨てに何度か往復。吐きそうにながらなんとか💩処理。洗い場をトイレ洗剤でブラッシングしていると布団で寝ていた母が「何してるの」と起きてきました。自分がお風呂はに💩した事なんて覚えてるはずもなく。でも不安気味なのを見ると忘れてはいるけどしてはいけない事をした感情だけは残っているのかな。機嫌が悪い母。こっちが怒りたいよ…😭まったく…仕事から疲れて帰ってきてこれはかなりキツイなー…オムツを交換すると案の定オムツは💩べったり。💩処理でだいぶ時間がかかり夕飯を作り出したのが20時過ぎ。めんどい…一品でいいや…豚肉と大根の甘辛炒めと味噌汁。ご飯。以上。食べ終わった後母がトイレに向かいましたがトイレの電気がつけられずまたドアを閉めようとする所電気をつけてあげて中に誘導。1人でトイレに行くのが難しくなってきました。トイレに行っても全部下ろさず座ろうとするのと下ろしきらないで用を足すので股引はオシッコで濡れてるしなのでどうしても介助してしまいます。昨日も母が寝てからトイレ介助3回して朝方5時に寝ました。トイレ問題。どうしたものかな。トイレの後いつもなら居間に戻ってきますが今日は不穏気味なのもあってそのまま自分で布団に横になってました。

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  18. ……特に私のフロア認知症棟なので認知症の知識は理解していて欲しいです……………もう10年以上働いている職員でも、これらの知識や理解が乏しい職員は非常に多いです。本当に理解している職員は各フロアで2〜3人くらいでしょうかね。介護士長にはそれらを指導するのはあなたたちの仕事だとよく言われますが最近では もう嫌になってきました…二言目には「そんなこと知らない」「できない…」と逆ギレされる時もあります。こちらの言い方や説明が悪いと言われればそれまでですが、こちらが説明の工夫をしても学ぼうと思う気持ちを持って貰わなければどうにもなりません。10人職員がいて、その10人が完璧な知識を習得するのはそりゃ〜難しいかもしれませんが、せめてフロアの職員の半数は、そのような学ぶ気持ちだけは持っていてもらいたいです。 そりゃ〜完璧な知識なんて難しいかもしれませんがせめて学ぶ気持ちだけでも……………(; ̄ェ ̄)私だって完璧じゃ無いし…ある時…仲の良い看護師が、私にそっと教えてくれました。「病院の看護師だって、そりゃ〜酷い看護師もいたよ」決められたことを守らない看護師もいれば、リスク管理が滅茶苦茶な看護師も……………「人の命を預かるという意味なんて一欠片も無いのが…」(;´Д`Aその時思いました。病院の看護師でさえ そんな職員がいるのだから介護施設の介護職員だってそんなもんなのかなぁ〜って。世間ではまだまだ医療事故や介護殺人のことをテレビで報道されていますが、今後も同じことの繰り返しなんだろうなぁ〜と感じました。これじゃ〜 安心して入院や、介護施設に入所できないですよね。

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