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  1. るっちゃんです。娘の足を抱え込んでます。落ち着くようです。最近のるっちゃんは、寝るときこうやって 人の足を抱えたり、上半身を乗っけて寝ることが多いんですよ。起きたら脇腹痛くなりそうだけど--------------------------------------------------------------------今年に入り、夕飯に魚を出したときの 母の食べ方が気になるようになった。焼き魚だと 半分以上残すことが続いた。また好き嫌いの変化か?ともおもったのだが、もしかして・・・手の動きが衰えて来ているので、骨が取りにくいとか、身がほぐしにくいとかかも・・・と思い、次の機会に、サバ缶を使って料理したものを出してみた。この料理は 今まで何度も出しているが、母は いつも完食している。 もちろん 骨ごと全部食べていた。これなら、骨まで食べられるし 身もほぐしやすいだろうと思って。味付けして さらに煮込んだので、箸で触れば 骨もホロっと崩れるくらいになっていた。よく作るものだし、分かっているだろうと思ったが、もしかしたら、最近のこだわりが「魚の骨」になったのかもしれないので、母には 今日のは骨まで食べられるからねと 声も掛けたのだが・・・母は、骨を ほぼ全て残した。お皿に集中するようにして、時間をかけて お箸で骨を避けていった。ホロホロになっている骨を 避けるほうが大変だろうに、しなくちゃいけないこと!とでもいうかのように、魚のお皿から 目を上げず、かかりっきりになって。 母の異様に見える 集中と動きに 家族が引く中、途中で 息子が 「この魚、骨まで食べられるよ。   箸で触っただけで 崩れるくらい やわらかくなってるから   取らなくても 大丈夫だよ」と、やさしく母に言ってくれた。だが、母は 完全無視。返事をすることはなかったが、無視するときの独特の顔で 少し顔を上げその後は そのまま食べていた。とは言っても、元々骨は少ししかなく、既にほぼ 母はお皿の隅に避けていたのだが。・・・何なんだ?比較的 よく作る料理。 今まで 普通に骨まで食べていたのに、なんで急に?ま~た 「今日の気分」?  それとも お得意の「思い込み」で違うものに見えた? ←コレよくある。新しい「こだわり」??次にこの料理をまた出したとき、母は、最初から 骨を避けることはせず、全部食べていた。・・・何だったんだ?   でも・・・何となくだが、母の視線の動きや 顔の表情のわずかな変化からすると・・・やっぱり「骨」に なにか思っているように思えて・・・さらに数日後、今度は焼き魚を出した。身をほぐし、小骨まで 注意して取り除いて 母に出した。娘とダンナには、 「そこまで やってあげるんだ・・・と思った」 と、複雑な顔で言われた。ジジのときは、ジジの好きな魚を食べさせてあげたくて、骨を取ることは 全く気にならなかったし、     ※当時 母は仕事をしていたほど元気だったが、       ジジが思うように細かな動きが出来なくなった頃、       母は 出来んなら食べれんだけでしょ! 知らんがね!       何で私が骨まで取ってやらないかんの! 面倒くさい!とよく言っていた。ババのときは、「骨のある魚は嫌、骨取ってくれたら食べる」とワガママでしかなかったが、私が骨を取ってあげるとうれしそうな顔で 「取ってくれたの~ありがとね~」と言ってくれたので全く気にならなかった。なので、魚の骨を取るというのは 別に苦ではないのだが・・・母の場合は、ジジとババのときとは 明らかに 私の気持ちが違う。私が 母の魚の骨を取ったのは、半分も残されるのが 勿体なくて嫌だったことと、食べなくても、母の分を出さないと 邪険にされたとか、自分だけもらえなかったとか、どうせ文句を言う。出したからには 食べさせたい!と思ったこと、それと、単に サバ缶の骨を避けたときの 理由的なものが知りたかっただけ。母から 随分と気持ちが離れてしまった今、母のために 気持ちで動けることは ほとんどないのだから。娘とダンナの言葉に そう答えたのだが・・・彼らは もっと先と言うか、どうなるかが見えていたから言ったのだと母が食事をしだしてから、すぐに分かった。食卓へ来て、魚のお皿を見た母は 「骨取ってくれたの? 助かるわ~」 と笑顔で言った。・・・あぁ、やっぱり何かのきっかけで 「骨」が気になるようになってた??ところが・・・母はすぐ続けて、「私は 骨を取るのが大変になったから・・・」「私には こういう動きが難しいから」「病気のせいで こういうことするの大変だから~」「分からんだろうけどね。 病気の私にしか分からんわ」と、いつものように、 「私は出来ない」と 「病気のせい」と しつこく繰り返して言い訳をし、そうかと思えば今度は、「魚の骨なんて 面倒くさくて、取ってまで食べようと思わんわ」「アンタ、ようやっとるねぇ。 私は面倒で嫌だ。   そこまでして食べようとは思わんわ」「面倒だで、好んで食べようとは思わん」と、魚料理を出した私に 文句を言っているように聞こえる発言。母は 私にやさしくされたと思い、調子に乗って喋りまくった。・・・あぁ、私、間違ったわね   この人には すぐに手伝うという手を出しちゃいけないのに。案の定、次に焼き魚を出したとき、身をほぐしたり、骨を取っていない魚を出されたのを見て、食卓に来たものの、すぐに座らず、じ~っと魚のお皿を見て ため息をついた母。席に座った後も、しばらく固まって。誰も反応しないようにしていたら、「お姉ちゃん、これって このまま食べるの?」と聞いてきた。普通に アジの塩焼き。なのに、「これって 骨ごと食べられるのかと思って」と、わざとらしすぎることを言ってきたり・・・一度やってあげると、もう次からは やってもらって当然に思う母。やりにくくはなったものの、出来なくなったわけではないのだから、全部 やってあげるだなんてことをした私が悪い。手伝うなら、もっと方法を考えるべきだった。いや・・・母の場合、それも違うか何をどうしようと、母は 人にやってもらうことばかり考え、今の自分を維持しようとか、思わないんだから。「出来んなら、食べれんだけだわ!」と 母がずっとジジにしていたように、母もそれでいいのかもしれない。自分で言っていたからには、母はそういう考えなんだろうから。出来ないことを どんどん自覚して、入所すればいい。なかなか魚に手をつけず、グダグダ言って 私にやってもらおうとする母。「ただの塩焼きだから。普通に自分で ほぐして食べるだけだけど?」「おばあちゃんは、魚が骨があったら食べん!って言いよって。   ホントワガママだった。」・・・アナタが言う??「ジジは もう施設で 骨なしの魚出してもらえるから  好きな魚が食べられるようになって良かったね」「あぁいう所は 何かあったら困るからやってくれるわ!   手の掛かることやってもらえて ウチにいるよりシアワセだわ!」「そうだね。 施設のほうが 家にいるより行き届いてるわね。   食べるものも 食べやすいように工夫してくれるしね。   そういう要求が多くなってきたら、家では無理だしね。    少なくとも私は出来ない。 無理してやるつもりもないからね。」母はその後、焼き魚を完食した。小骨まで自分で取って。 その動きは 少しだけ時間はかかるが、困っていると感じるものではなかった。まだ出来ることを 少しやりにくくなったくらいで先に先に 手を出してはダメね手伝うにしても 母の性格との兼ね合いを考えなくては・・・それも 難しいし、骨折り仕事だけどねにほんブログ村

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    魚のとき
  2. 昨日、母の皮膚科通院に付き添いました。3月の中旬に、統合失調症の30才の男性患者に、病院でお湯をかけられ、大火傷を負ったケガの経過を診察してもらいました。ヤケド←お湯をかけられた時の記事あれから、2ヶ月が経ち、火傷の傷は、すごく良好に回復してきています。当初、皮膚移植などの手術が必要になるかもしれないと言われていたけれど、その必要はありませんでした。本当によかったです。深くお湯がかかったところは、まだまだ、痕が痛々しいですが。せっかく順調に回復してるのに、かゆいと言って、引っ掻くから、それはやめてほしいけど、なかなか…伝わらないですわ…。ケロイド体質なので、そうならないように、あと少し、経過を診ていかなくてはならないそうです。私は、母の人生は辛いことばかりで不憫だ…可哀想だ…などと思っていたけれど、昨日母を見ていて、なんかそんなの違うかも?と思えてきました。母、全然辛そうじゃないんです。しょーもないことを言い続けてたり、私の爪をキレイと言って触ったり、私の服の模様を指でなぞったり、なんというか、自由で。なんだかやっと、自由になれて、自分の中の色々な縛りから、解放されて、もしかすると、今、幸せなのかもしれないなと。火傷させられたことは、不幸なことで許せないけど、ちょっとそれは別問題として、その他のことについては、もしかしたら、やっと、幸せの域に達したという事?か。母のこと、不幸だ可哀想だと嘆くのはもう、やめよう。

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  3. る。それで、目の前車椅子で来ていたナニサマに声をかけた。「おばあちゃん!」普通の声だ。はーい、無視。目の前にいるのにだ。「おばあちゃん!」と立て続けに5回ほど呼んでみた。はーい、無視。そのうち靴を履き替え始めた。「おばあちゃん」といろいろ声を変えて10回ほど呼んだが、やっぱり無視。((゚m゚;)とうとう、大声で怒鳴ってしまった。やっと顔を上げてこちらを見た。「おばあちゃんって何度も呼んだけど、聞こえんかった?」「あゝあゝ・・・靴履くのにうつむいていたから、聞こえなかったんだね」いえいえ、普通に顔を上げてTVの方を見ていた時から呼んでますけど。(;^ω^A「こんなに大きな声を出しても聞こえない?」「そんなことないわね」不思議やわ~。きっと「心、ここにあらず」の時は、目の前にいても聞こえないんだね。いつも思うけど不思議な耳だ。そのあと普通の声で、下着のこと聞いたら、普通に答えたよ。ますます魑魅魍魎化してくるバアチャンには勝てないな~。(_ _。)追伸:時々文章をきちんと推敲しないものだから、誤字や脱字やうっかりミスがあるようで、申し訳ありません。まだまだ未熟者とご容赦くださいませ。アドバイス等、ありがとうございます。

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  4. 今週も結構忙しかった月曜は久しぶりの麻雀会で来客(ダンナの友人)火曜は親類の葬儀水曜はダンナの受診後、姑の居る老健へ二人で面会木曜はケアマネ来宅金曜は午前中来客(ダンナの友人)    午後老健へ、    夕方義妹来宅今週は姑を二度面会。本当なら金曜は老健に行く予定がなかったけれど水曜の夜に叔母さん(姑の妹)から電話が入り「金曜に4人で面会に行く」と言うので私もその時間に合わせて行ったというワケ。ダンナは留守番。私が老健に行くとすでに叔母さんや叔父さんは姑の部屋に居た。ベッドの足元に姑を含め3人座り、2人は立ったままだったので急いで椅子を借りてきて叔母さんたちにすすめた。叔母さんたちは我がダンナのことを心配してくれ第一声が「○○(我がダンナ)、大丈夫?大変だったねぇ。」1か月ほど前に叔父さんが我が家に来たときにすでに伝えていたし先日電話をかけてくれた叔母さんにも伝えていたけれど改めて事情を説明すると皆とっても驚いていた。今まで私の口から姑には話してなかった(義弟や義妹が話したかもしれないけれど)内容。姑が理解できたかどうかわからないけれど黙って聞いていた。途中、「誰が?」とか「そんなことがあったー?!」などと言ってはいたけれど。それにしてもさすが姑の弟妹たち、おしゃべりに花が咲く。でも、姑は話についていけないように思えた。表情に変化は見られない。持参したパックジュースを姑や叔母さんたちに一つずつ配る。その後、叔母さんたちには「ゆっくりしてくださいね」と伝え面会に来てくれたお礼に新茶を一つずつ手渡した。洗濯物を交換して「○○さん(ダンナ)が心配なので」と私は一足先に帰宅。やれやれ。。今日も来たよ~のしるしに、応援クリックよろしくお願いします。↓ ↓ ↓にほんブログ村にほんブログ村福祉・介護 ブログランキングへ励みになります。ありがとうございます。

  5. 土曜日今朝はバーデイサービスはないし主人もゆっくりの出勤朝はのんびり〜と…いくはずはなくやっぱり朝も早よからガサゴソと活動を始めた音で目が覚めました時計の針は6時少し過ぎ今日は8時まで寝れるのにーそれでも私も頑張って寝てたんですけど今度はガチャガチャ食器を弄る音と『あれ〜?○△□☆がないなぁ』とバーの大きな独り言まで…もー寝てられない(゙ `-´)/仕方なくリビングへ降りていくとバーは居ない…騒ぐだけ騒いで人を起こしておいて自分はさっさと部屋に戻っていましたホントなんなんですかね朝食の準備が出来たので部屋に呼びにいくとバー自分の肌着を手洗いして部屋に干してありました昨日も書きましたがバーは寝汗をかきます暑くなるこれからの季節は毎朝肌着がグッショリするほどです昨日はそれをタンスにしまいこんできましたが今日は手洗いして手で絞って干してありました足元には小さな水溜り…バーはさっきまでガサゴソ起きて居たくせにベッドに横になっていました「バー コレ何?」「えー何?」「あれ程手洗いはしないでって言ったのどうしてココに干すのよ」「。。。」「又水溜り出来てるよ」「誰が洗ったの?私は知らないよ」「誰がってバー以外に誰がこんなバカな事するのよ」「私じゃないのに…誰がこんな…ホント嫌になるわ」バー床の水溜りを拭きながらブツブツ、ブツブツ文句言い続けていました文句を言いたいのは私ですからねー\(*`∧´)/バーの事はあまり干渉しないようにしたいのにどうしてこうも毎日色々やらかしてくれるんでしょうか…本当イヤになる…。(´д`lll)本日もお読みいただきありがとうございます

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  6. 実は昨日は、嫁さんと孫姫とデート。前日家に寄ってくれたのに、エッセイの日だったので、ゆっくりしてもらえなかったので、昨日のランチとなったというわけです。残念ながら行きたかったイタリアンのお店は、満席で行けなかったので、違うイタリアンに行きました。孫姫もだいぶ成長してきたので、昔ほどおとなしくしていてはくれませんが、それでも手のかからない子です。実は前日熱を出したそうで、午前中病院に行ってきたとのこと。私と会った時は、だいぶ熱も下がり、機嫌も戻っていたようでした。驚いたのは「YES」「NO」がハッキリ意思表示出来るようになったこと。「これ、食べる?」と聞くと、嫌な時は大きく首を横に振る。「じゃあ、これは?」と違うものを見せると、たてに振って自ら手に取る。子どもは確実に成長しているね。後退しているのは年寄だけか。さて、孫姫に気を取られ、料理の写真は撮り忘れ。(笑)デザートだけ。こんなお店です。そして今日、友だちと夏の旅行先を決めて、旅行社に手配しに行ってきたのだ。「大人の修学旅行」と銘打って、友だち4人で出かけます。行く先は北海道。介護でしょぼくれているオバサンなんかしてませんよ。私は私の人生を生きる。今日も寝たかと思ったら、何やら部屋でわめいている約一名。戸を開けて「どうしたの?」って聞けば「リモコン、落としちゃったの」「はっ!?」「リモコン、下に落としちゃったの」同じこと繰り返すなーーーー!!!「拾ってください、お願いします」だろーーーー!!!っていうか、落としたんなら自分で拾えーー!!やっぱり「あれせーこれせー星人」はどこまでいっても治りません。だから嫁も我が道を行くだけです。

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    連日のランチは活力の源
  7. つゆのはしり
  8. 先日スケボーハイハイカーの注文をくださったお母さんが居たのですが既にお子さんは四つ這い姿勢がとれるとの事しかし四つ這い姿勢から次に動くのに時間がかかっていて現状を打破したいという事でした通常の私が作っているハイハイカーは手が床につかず足の練習だけのモノです。でも、もう四つ這い姿勢が出来ているなら床に手をつき四つ這い姿勢スタイルからのスタートが良いに決まってますなので手を床につく仕様にしましたうちの息子もコレをやらせたいのはやまやまだが…手は肘ピーンの手首グニャOR引き込みまくって手が床につかないOR全身に緊張入って手を後ろにピーン手を床につかせようと伸ばしても引いて引いて…肘がとにかくキュッと曲がって床に手がつかない引き込む 引き込む…手をつく経験をして欲しいからもう強制的に肘を真っ直ぐにして手を伸展させ床に手をつく経験をさせていますこういう所でも手が床につかず、引けていたら座位でも手が引けて床で支えられなかったりテーブルに手がつかないで引けていたりしますよね。だから手で支える 手をつくのを経験して欲しかったんですあと手で進むとかそういう観念もないから手で踏ん張って進むとか覚えて欲しい…手のカバーを巻く前は手がつかなかったのに上手になってる歩行器もそうですがひっくり返っていた手をまっすぐに促す改良を施したら前のバーを掴んで歩けるようになりましたやっぱり正しく自分から習得ができない子供だから誘導してあげるの大事だわ…うつ伏せアイテムもですが他のお母さんから色々相談を受けて全力で考えて作ってみることに取り組むことが自分の子供にもすごく生かされています皆さんいつも無理難題 ありがとうございます ↑嫌味でなく マジ感謝です今日はお昼にも記事を更新したので前の記事も チェケラーpecona_tokyo@yahoo.co.jp■胃ろうがあるお子さん用のうつ伏せアイテム動画追加しました到着したらこれを見てお子さんに合うよう加工してください■こちらをクリック■完成しました月曜に発送します

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  9. 忘れていて、いつも認知症の我儘ばぁさんに戻ってはいたけど。あとは本人には怒鳴らないが夜に眠らずに、布団から出たり入ったりうろうろしたり、引き出しから服を出したり引っ繰り返ったり、その辺物を落としたりとどうにもならなくて、寝かしてもらえなかった時はまた、ラップの芯でダイニングテーブルをドラムにした。耐えられない、行き場のない気持ちで叫びはしないが、髪を振り乱して叩く姿は錯乱しているとしか見えないだろう。その時は午前4時を過ぎていたのでハニーが起きてきて見守りを交代してくれた。僕がテーブルを叩いていても義母様は眠ったらしくて起きてこなかった。テーブルを叩く騒音は耳がほぼ聞こえなくなっていたのでスルーできたようだ。義母様が入院する2月17日までに僕が爆発したのはこの2回。反抗的なまだらボケの時にはかなり腹立たしかったがブログに愚痴を書いて実家の母に愚痴って友人などに愚痴ってハニーに文句も言ってやり過ごす。僕が倒れたときはまだらボケ後半で幻視が急激に増え出したころ。義母様の転倒も増え出す直前くらいだった。そう、リハパンにかえないといけない時期でもあった。リハパン装着までの攻防が出る直前。この攻防はまた後日ね。後は、ボケボケが進行して人として大人としての生活ができなくなってからは叱咤することはあっても高圧的に怒鳴ることはしなかった。あ、でも一回あったな!入院直前の時に。下痢ピーがすごくて世話しているときに言うことが理解できないし、ちゃんと立てないし、支えきれなくて大変だし、拭いたそばからまた降ってくるから僕の手も腕もまみれちゃうしねー「拭き終わるまでソコに摑まっていて!!」って、思いっきり怒鳴ったわ流石にう〇この雨は、辛いよね。

    義母との攻防で僕のご乱心
  10. 闘病中 介護中のみなさん夢はなんですか?子供や家族の幸せ?そうだね あとは?なんだろうね治療可能になって難病が治る事?うん そうだねでもそれは普通の生活に戻るってことだよねだったらスタートラインか夢はその先か...罹患者さんと介護者さんでも違うよね家族を巻き込む事を罹患者はすまないな申し訳ないなといつも思う事になってそれはそれは苦しそう悪くないんだから難しいだろうけど夢持ってほしいと思う逆に多少持病があっても介護者は難病ではないでも家族が病気になると環境は同じになっちゃういろんな環境の人がいるから一概には言えないけど罹患者も安心できるように介護者の事ももう少し守ってくれる制度がほしいなぁ生活は大いに変わるからもうね〜頑張ってふんばって自分の事は全部後回し色々犠牲にしないと暮らしていけないのでも介護者にはあまり頼れるものがないよね夢どこじゃねーよ聞くなよえへへ(´ー`;)ほぼほぼ  ただのつぶやきでしたごめんなさい☆.。.:*・°☆.。.:*相方は煮物とか酢の物とか純和風の田舎料理が大好きだからわが家は時々こんなメニューお婆ちゃんちか(笑)↓質問・回答・アドバイスよろしくお願いします♪神経難病の情報交流サイト <http://nanbyo.org/>

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    夢はなんですか
  11. 可能性のある脳梗塞予防するというのが父に対する治療の方針になった。ペースメーカーがはいったばかりのころは父が一人でいることが心配でできるだけ介護に多くの人に関わってもらおうと思い、訪問看護も契約した。週1の訪問看護と週2のヘルパー週2のデイサービスをいれた。けれども父は訪問看護師さんをいやがり断るようになっていまい結局はまた私が頑張るしかなかった。ただその後父にお気に入りのデイサービスがみつかりそのデイサービスがリハビリを中心としたものだったために、だんだん父は元気になっていった。母が亡くなった直後は食事もままならなくなっていたのに、2014年初夏ごろには自分で炊飯器をセットしてお米を炊き好きなものを食べるようになったのだ。よく食事をとれるようになると今度は父は自分がひとりでなんでもできるような気になり元気になったから自分は一生この家で暮らす、なんての給うようになった。父が失敗したのは自分の体はもう若くないのだということを自覚できなかったこと。元気になるのと並行して喫煙や飲酒は増加していった。その結果血圧コントロールがうまくいかなくなり、自宅マンションで明け方自分のベッドから立ち上がったところか、または夜間のトイレからもどったとき父は寝室で倒れたのだった。セコムからの通報で駆けつけた私は父の足がうごかないことを不審におもい救急車をよんだ。根津の大学病院に搬送してもらい循環器内科の当直医に診てもらった。その結果はどこも異常がないという診断。あとでわかったが誤診だった。ワーファリンという抗凝固薬使用→血液がさらさら→脳出血もおこりやすいこんな簡単なことを循環器内科の当直医は見逃したのだ。

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  12. 雄叫びの主は…
  13. 先月、母が 有料ヘルパーさんに来てもらうのを増やしたことを書いた。母は骨折してから、シーツの交換が出来ないからとそれだけのために、有料サービスのヘルパーさんを 新たに頼んだ。そんなことのために、勿体ないと思ったので、私は母に 「私がやろうか?」と言ったのだが、このシーツ替えも、母ルールのひとつなので、毎週決めた曜日の 決めた時間に、決めたやり方で交換したい母は、私に頼めば、自分の思う時間にやってもらえないことが嫌で、ヘルパーさんにお願いしたのだ。そして、始めは30分の契約だったのに、1時間に増やしていて・・・。と、そんなことを書いた。先日、母のお気に入りのリハビリの先生が来た日。この日は 気温27度だというのに、母は朝から 暖房を入れていた。相変わらず、上着で調節などはせず(出すのが面倒らしい)。これだから、我が家の電気代は 大変なことになる。母が 先生と外へ 歩行器で散歩に出た隙に母の部屋へ エアコンを消しに行った。母の部屋のドアを開けると・・・・母のベッドから、掛け布団やシーツが下ろされていた。・・・え? 今日の夕方来るヘルパーさんにやってもらうんじゃなかったの??母が自分でやるとは思えないので、これは リハビリの先生がやってくれたと思われた。母は 自分ルールを通したいが為に、私が シーツ交換することを拒み、ヘルパーさんを契約したのに、今までの 母の決めた時間ではないのに、リハビリの先生ならOKなの?お気に入りの先生だから いいの?私じゃなければいいってことなのかしらね翌週も リハビリのときには もうシーツは外されていた。散歩に出る母が 「先生には 面倒なことを頼んじゃうことになるけど#$%&・・・」と言っているのが聞こえて来た。・・・そう思うなら やってもらうなよ   ま~た娘はやってくれないとか、   娘には頼めないから・・・とか言って    私は気を使って生活してますアピールしてるんだろうな。シーツを 先生に外してもらったなら、もう 母ルールのお風呂前の夕方という時間に こだわる必要はないのだから、後は、新しいシーツを 私がすれば、シーツ交換のために契約したヘルパーさんは 断ってもよい野では?と思うが、出来ることも やってもらうようになって、さらに楽することに味をしめた母は、もう このままズルズル、増やした日は解約することなく続ける気がする。入所しても、今の母の生活する費用と 変わらないのでは?と思う。だったら 入所してしまえばいいのに。にほんブログ村

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  14. ようやったよ・・・。
  15. 膠原病の新薬を見てると大半が抗がん剤を薄めたものです新薬には残念な思いをしてるのは私だけではない筈です確かに一部では効果が出る患者さんは居ますし新薬の登場で救われる人は少なからず居るものの多くが、副作用や副作用から来る問題のほうが多く残された来た過去同様の結末を辿る新薬ばかりなのです新薬が出ることを期待して何もせず医学進歩を待つ人が増えましたそういう人の希望を奪う言葉を書くのは心苦しい反面待つではなくて、今出来る事をするべきであると言うメッセージも重要ではないだろうか、そういう想いが常にある訳なんです。さて、免疫を培養してあげる療法全てではありませんが一部の免疫を上げる樹状細胞ワクチンの延命効果が出てノーベル賞を頂きましたよね。余命1年が5年生存したわけです個人的には保険適応にして多くの患者さんへ使用するほうが患者さんの予後含めた利益には大なり小なり良い方向へ繋がることは確かで副作用が無いと言う視点でも、新薬にかかる膨大な費用よりも良い選択なのは確かなんだとおもいますねしかし、日本では免疫を上げる医療に対して行政指導や悪徳な医師かのような報道もなされてるのは事実です。根拠は、国が採用したことが根拠となるので例え医師が100名臨床や論文で証明しても根拠として採用しなければ幾らでも逆転させられてしまうのです。免疫も体質が酸化してリンパの流れが止まり血流疎外を起こしてれば新しい免疫ではなくて、その場で分裂をします分裂をした免疫は、本来の免疫よりも攻撃力も認識も落ちるのですなので、今の医学では免疫力や識別能力を検査するのではなくて数が正常かどうかしか検査しません数値上では、正常でも免疫の個体が攻撃力も識別能力も落ちてる状態で尚、酸化体質、血流阻害、リンパが詰まる等が複合的に問題が積み重なれば免疫を単純に培養しても、意味がない人も出てきて当然なんです癌の初期に、アンサー20とか免疫を向上させた上で抗がん剤を使用すれば死亡する量の抗がん剤でも生存した実例があるように条件が生きられるだけ、免疫が活動できるだけの条件を体質として不明瞭な言い方ではなくて免疫の攻撃力、識別能力他の体質としてかたずけてる本当は調べなければならない体の病気として問題視されない異常な部分を早い段階から改善する努力をすれば免疫向上をする療法でも、いろんな療法でも体が病気を治そうとする正常な機能を失わずに行うことが肝心だと言うことですそもそも、抗生剤も抗菌剤も免疫力が落ちて酸化してる色んな状態が重なれば効果が出ないのですどんな薬でも同じことが言えますからこの問題を無視して、薬だけを神話のように追い求めては墓穴を掘るわけです薬が効く人は薬がすごいのではなくて薬が効くだけの条件を全てそろえてる人に過ぎないということを忘れてはなりません。いつも有難う御座います敬具膠原病13年

  16. 西城秀樹が亡くなった。心不全ということだったが、脳梗塞を2回も引き起こしているので、影響はなかったとは言えないだろう。48歳という若さで1回目の脳梗塞。そして、それから8年後の56歳の時に2度目の脳梗塞。言語障害が残っていたにもかかわらず、果敢にもTVに出演するというその勇気に感銘を受けたものだ。死ぬまで舞台や映画に出演していた緒方拳を尊敬していたそうで、自分も病気を乗り越えて死ぬまでステージに立つんだという「生涯歌手」という目標を持っていたんだとか。頂点を極めた人が、病気で障害を抱えると大抵の人は自暴自棄になり、決して人前には出たがらなくなるものだ。そういう意味でも、プライドをかなぐり捨てて、つらいリハビリを克服し不死鳥のように甦った西城秀樹は立派だったなあと思う。うちの姑でさえ、9年前に脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残ってしまったことにどれだけ病気を恨んだことか。リハビリを終えて、なんとか杖をつきながら歩けるようになり退院した時の姑の顔はまるで般若だった。完全に鬱状態にあったと思う。口を開けば、病院の対応の遅さを恨み、あのときすぐに治療してくれれば麻痺は残らなかったのに・・・と恨み骨髄の状態だった。これは姑の言う通りで、早くに病院に運ばれたにもかかわらず、担当医がまだ来ていないと言う理由で4時間も放置されたのだ。脳梗塞は少しでも早く対応すれば、大事に至らないとまで言われているのに、姑は悲劇が重なったといっていい。これって明らかに病院側のミスになるのではと、思ったが、今更何言っても終わってしまったことは元には戻らない。それからの姑は、自分の家には一切帰らなかった。近所の人に会うのが嫌だ。友だちに会うのも嫌だ。兄弟姉妹に会うのも嫌だ。不自由になった己の体を呪って呪って、ようやくここまできたというところはある。そう思うと、憎たらしい姑ではあるが、不運だったなって可哀想に思うことはある。身近にいる姑でさえこんな状態だったから、ましてやスターだった西城秀樹にとって現実を受け入れることは大変だったことだろうと推察される。63歳と言う年齢はもちろん早すぎる死である。頑張りすぎたことが死を早めたのかもしれない。それでも、頑張った西城秀樹はきっと納得の死だったかもしれない。若かったから頑張れたし、気力があったんだね。うちの姑なんか、何一つ自分ですることなく3年ぐらいの時を過ごしましたからね。私たち夫婦も大事に大事にしてあげた3年間でした。そこで、もう終わりかと思っていたところもあったので。ところが、事情が変わってきた。姑がどんどん元気になっていたのである。とても当時は93までこんなに元気で過ごすことが出来るなんて思ってもいなかった。きっと西城秀樹のように頑張らなかったから、今があるのかもしれないとさえ思える。皮肉な話だ。あの淡谷のり子に(若い人は知らないだろうけど)「この子は歌が上手い!」と言わしめた歌手がまた一人消えた。脳梗塞というキーワードに、つい姑と重ねてしまった。ご冥福をお祈りいたします。

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  17. お正月、美味しいお酒とご馳走をたらふくいただき宴もたけなわ。あーちゃんがEっちゃんの家のことを聞いてきた。家は誰の名義なのか、土地はどうなのか、今後どうするのか、おじさん②とYっちゃんはそれぞれどうしたいのか。そんな話。分からないというので、なーにゃんとワフウフの2人でシンプルに分かりやすく、ゆっくりと説明した。が。と言われてしまう。何度説明してもずっと。少なくとも10回は「結局」を説明したがやっぱり理解できないようだった…。理解できないなら聞かなきゃいいのに、聞いたことを忘れちゃうからまたすぐ聞いてくる。せっかく美味しいお酒を頂いてるのに全然酔えないよ!!それでもたらふく飲みましたがね。しかも、あーちゃん、食べ過ぎたのか何なのか途中で吐いてしまったのだが…(すぐに元気になった)トイレのドアを閉めるという気遣いすら出来ない。ワフウフやなーにゃんはいいとしても、他のみんなは食べてるんだよ!そんなダメダメあーちゃんだったけど、孫へのお年玉は忘れないでちゃんと用意して来てくれた。孫への愛情はまだ消えずに残っているようでちょっと救われた気持ちになる。でも、お正月の集い、あーちゃんはいつまで参加出来るのかなあ…。にほんブログ村

    お正月③