ブログジャンル
公式ジャンル「カメラ(風景写真)」記事ランキングの21位〜40位です。カメラ(風景写真)ジャンルのこの順位のなかで一番人気の記事は「母を迎えに来た車は・・・」です。
ほんわかな日々♪
今日もありがとうございます父をディに送り出し、モーニングの新規開拓インスタで流れてきた、日置江にあるポン・ヌフさんへ。ここはケーキ屋さんです。お家の敷地が広いと、こういうことが出来て良いなぁ~と思うんですよね。自分がお店をやるかどうかは別として(笑)フルーツが沢山乗ってて、トーストが分厚い何時頃が混んでないですか?と聞いてみました。「平日はそんなに、でも土日は7時半頃にもう来られるお客様が・・・お店は開けませんけどね」ちょっと困ったお顔でした。普通に家の敷地内だし、これは迷惑だろな~と食に対する執着の恐ろしさよ(笑)待ってる方がいても、食べ終わってて帰る気配のないお姉様方・・・凄い!待ってる人をチラッとも見ないのは凄い!大きなお店ではないので、直ぐに満席です。私と母も20分ほど待って座れましたが、最後に入った私たちが最初に出ましたワンオペで大変そうでしたが、また行きたいお店です。ケーキもお値打ちでしたよ~(買ってないですよ)今日は午後イチから、お宮さんのお祭り仕様を片付ける日でした。ほんじゃ行ってくるわ~、と出掛けた母。1時間ほどして、家の前を通る人がいたので、終わったな~と思っても、中々帰って来ずで、何回か外をのぞいてました。久しぶりに喋ってるんだろなと思ってたら、ピンポーン・・・「お母さん、お宮のとこで転んで!」え~ オカン、転んだら立てんのよ(膝がつけないので)慌てて走って行くと、流血!!近所のおじさんが「何かあるといかんで、とりあえず救急車呼ぶかい?」母は「恥ずかしいでいいわ」おでこと目の上を切った様で、血は止まってましたが、頭だし、起こせないし・・何かあるといけないので、運んでもらう事に。いつもは杖なのに、今日は椅子になってる押し車だったので、段差にタイヤが当たって転んだようでした。杖の方が歩くのは慎重になりますよね押し車は 楽な様で足元が見えないし、寄りかかってしまうんだろうと思います。№6664の救急車が来て、スイッとストレッチャーに乗せられて(はや!!)市民病院に行くので、後からゆっくり来てくださいと言われて、中々出ない救急車を横に、「長く喋っててゴメンね~」とおばさまたち・・・帰ったのに、戻ってきた方も(笑)ありがたいです傷を縫って、頭部のCT撮って、帰るまで1時間半。とりあえずCTは問題なしでしたが、「後からじわじわ出血したり、何か症状が出るかもしれない、まぁ大丈夫だと思いますけどね」と言われて・・ドキドキしてます。母には元気で長生きしてもらいたい!!あ、父もですが!一緒にUFOに乗りたいので転んで骨折される方もいらっしゃると思いますが、切り傷、擦り傷だけで済んで、本当にありがたいなぁと今、かなりのお岩さん状態なので・・・本人は笑ってるので大丈夫そう明日はあちこち痛いだろうし・・早く治りますように父は5時ちょっと前に帰ってきます。間に合うかなと心配でしたが、父より早く戻れました。で、父、白い大きな絆創膏を貼って、目の周りが赤くなってる母を見ても気が付かない・・・ちょっとして気が付いて「何やったんや~ハハハ」って・・・こりゃ嫌われるわ(笑)以前は、目に前で転んだ母を見て「何しとるんや~ハハハ」と見てるだけ、という事もありました。全く信用ありません私にもこの父の血が・・・気を付けなきゃ慌ただしい午後になってしまいましたが、とりあえず「良かった~」なありがたい一日でした。何もないのに転びそうになったりもありますよね?!皆様もお気を付けて!WATARASEのTシャツを頭の下に敷いて、折り返して目にかけて寝てよ!と伝えましたが、やってくれたかな明日は朝一に外来へ連れて行きます。無事に行けます様に明日は良い日になるぞすべての大難を小難にして頂けます様に
滝旅
秋を求めて東北へ #5『奥入瀬をじっくり歩いて滝に会う』それがこの滝旅の大きなテーマです。奥入瀬には何度も来て滝を訪れていますが、振り返れば代表的な滝の横に車で乗り付けて断片的な訪問しかしていませんでした。そこで今回は1日かけて奥入瀬渓流を歩いて、全ての滝を訪れることにしました。その為に奥入瀬のホテルに2泊します。奥入瀬渓流ホテル星野リゾートの施設を利用するのは初めてです。『渓流スローライフ』を掲げるホテルであり15:00過ぎ早目にチェックイン。エントランスはいきなり焚き火🔥ロビーには巨大暖炉『森の神話』。奥入瀬渓流ホテルは奥入瀬の魅力を5つの要素として『森』『流』『苔』『岩』『滝』を掲げ、アクティビティやデザインに取り入れているそうです。部屋も随所に奥入瀬らしさが表現されていて落ち着きます。夕食は『りんご🍎』をテーマにした『青の森りんごキッチン』でビュッフェ。相変わらず節操ないですが、りんごでアレンジされた料理が美味しかったです。アップルパイと3種のりんごジュース飲み比べもお勧めです。食後、直ぐに渓流露天風呂に。渓流の音とひんやりした空気で気持ちよくて、時間の概念が溶けていくようでした。入浴後、無料アクティビティの『奥入瀬渓流ディスカバリー』に参加しました。ガイドさんが30分で奥入瀬渓流のレクチャーをしてくれるのですが、翌日の渓流歩きに向けてとても参考になりました。奥入瀬渓流は『特別保護区』『天然記念物』『特別名勝』に指定されていて、3つとも指定されているのは国内3カ所、あと二つは上高地と黒部峡谷だそうです。奥入瀬渓流は十和田湖子ノ口から蔦川合流地点までの全長14kmの渓流です。上流域、中流域、下流域に分けられ、滝は全部で14あるとのことでした(松見の滝は含まない)。早くも翌日にワクワクしながら、ツインのベッドをフルに使って森の中のような室内で眠りに落ちました。そして奥入瀬2日目、散策当日。夕方から天気が悪化しますが昼間は持ち堪えて欲しい。朝から“のっけ丼”をしっかりといただきました。奥入瀬渓流の滝は殆どが上流域にあります。ホテルでは宿泊者を対象にシャトルバスを無料運行しており、雲井の滝までの見所を1時間間隔で周回しています。雲井の滝は上流域の一番下流側に位置するので、そこから5km先の最上流の滝までを徒歩で往復します。シャトルバスで雲井の滝に到着。雲井の滝は冬に入り口が崩れて立ち入りを止めていました。一応、沢靴だし行けないことはないけれど、お客さんが多数いたので自重して遠望で済ませました。雲井の滝落差20m三段の滝です。当然、上流の双竜の滝には行けず残念でした。雲井の滝で車道から遊歩道に降りて上流に向かって渓流歩きが始まります。曇天の渓流は侘び寂びの色です。雲井の滝から上流の遊歩道を歩く人は殆どいません。方々に目を凝らしながら、ゆっくりと歩きます。対岸に滝が見えてきました。白布の滝大町花月さんが「奥入瀬で最も優美な滝」と讃えた滝だそうです。保護区に指定されているので、流木や倒木はそのままが原則。白銀の流れ付近。本流は落差が殆ど無いので水飛沫が優しい印象。原生林では苔も負けていません。沢や渓谷で見かけるカツラの巨木。渓谷には両岸に滝がありますが、右岸の滝は遊歩道から車道に出ないと見えません。滝の位置を確認しながら、行ったり来たりしていました。岩菅の滝のっぺりとした岩壁を滴る潜流瀑、最後にトントンと二段で落ちる。まだ1kmしか歩いていない。黄色いまん丸の主張。食毒不明のキノコです。黒い花?それとも種?護岸が皆無で原生林の木々が川岸に近いです。この鮮やかな紫色は、あの危険な花?渓流と遊歩道と車道が近いのも特徴の一つだそうです。原生林だけでなく渓流もまた濃いです。美味しそうではありますが……滝と同じく渓流も間近で見たくなる。石ころも渓流の虜(人間の仕業だけど)。滝はどこかな?白絹の滝左岸の少し奥、木々の隙間からかろうじて姿を見せてくれました。少し進むと左岸に別の大きな滝が見えてきました。この辺りは両岸に滝が点在しています。白糸の滝白糸と言うには少々、荒々しいこの日の姿。渓流の水でたっぷりと潤った大木。奥入瀬らしい景色。岸に立つ巨木は滝と張り合っているようです。ピストンの復路も考えれば、まだ1/4くらい。白糸の滝で長めの休憩を取りました。滝はまだまだ続きます。【まとめ】◯2026.9.17〜18 ひとりで。◯天気は曇り時々晴れ。◯奥入瀬渓流ホテルでスローライフ。◯奥入瀬渓流の滝を散策。◯雲井の滝の入り口崩れ双竜の滝に会えず。◯対岸に優雅な白布の滝。◯奥入瀬の流れと巨木と白糸の滝。◯訪れた滝奥入瀬渓流:青森県十和田市●雲井の滝●白布の滝○岩菅の滝○白絹の滝○白糸の滝
オレンジの太陽
10月9日(金)朝の富士市潤井川沿いからの富士山です。麓の霞んだような空気がいいですね。朝の雰囲気を伝えています。次第に潤井川の水も、冷たそうになってきましたね。山頂付近は2度。晴れているので、穏やかな気候です。富士市では16度。半袖では、寒いくらいです。昇る朝日が、あたたかいですね。お天気は、今日も良さそうです。
銀座のママブログ✨美肌で開運✨銀座ママが作った化粧品✨銀座クラブ高嶋25歳で開店✨高嶋りえ子 お着物でエルメス バーキン コーデ
りえ子ママのヘアセットは「銀座ロサ」です。ご注文専用メールはこちらcosme@ginzatakashima.co.jp今年も高嶋の佐渡島の新米が到着ご予約は只今から受付 10月20日から発送 11月中旬発送開始 秋は乾燥が始まり、スキンケアを見直したい季節。今の自分に合った美容を始めたい方は、GINZA TAKASHIMAまでお気軽にお問い合わせください✨※ 特典発送後退会される方は特典代金として2万円頂きます。
ゆきの開運&ハッピーライフ
こんにちは。ゆきです。いつも、ありがとうございます。あくび。笑ってる。嬉しそうだね。上の方は雲。烏帽子岳が薄い。
想いのままに ブラブラと
港の見える丘公園から山下公園に向かう予定でしたがバラの花が咲いていないのでハロウィンディスプレイが始まった横浜イングリッシュガーデンに向かう事にしました。いつもご訪問戴きまして誠に有難うございます。
みぞかつのぶらり散歩
生身天満宮から1㌔ほど歩いて…南陽寺へ向かいます南陽寺 【なんようじ】南陽寺がある美園町は、昭和四拾壱年に成立する町名ですが、江戸時代には園部村といわれ、園部城もこの班域内に属していました。俗に天神町ともいわれ、園部藩内でも最も大きな村でした。南陽寺は、小山東町の徳雲寺系の禅寺で山号を「白崖山」と呼んでいます。『寺社類集』によると、元文元年(一七四〇)には「城前山」と呼んでいたそうです。寺伝によりますと、元和元年(一六一五)、快天山誾和尚によって開創されたとしていますが、「徳雲寺末寺帳」では、開創を元和七年(一六二一)としています。結局『寺社類集』は、開山と開創年時はわからないとしています。「徳雲寺末寺帳」によりますと、快天山誾は最初、栄町の二本松の谷に、「少月庵」を営んでいたと伝えています。先年、二本松の北側斜面の竹薮から一文銭が大量に出土したと聞いています。この地域は天神社の宮寺などがあったところも伝えていますから、少月庵は南陽寺の前身と考えてよいでしょう。快天は南陽寺の開山として創建していますが、間もなく少月庵に隠居しています。「徳雲寺末寺帳」のいう元和七年は、園部城築城のほぼ完成期を意味しており、城下町の整備も完了する頃にあたります。ですから、南陽寺の創建は、この時期に設定して間違いないものと思われます。このことは、南陽寺の鎮守である白山社が「山誾堂僧」によって元和七年に造建されていて、南陽寺そのものの開創年時もこの年を下ることはないと思われます。「山誾堂僧」の堂僧の称から、村堂あるいは辻堂としてあった少月庵の堂守であった人かもしれません。快天山誾和尚は、開創した南陽寺を寛永八年(一六三一)七月に弟子の舜龍に譲っています。その後、隠居して法儀などの研究に努め、寛永十年三月四日に没しています。以来、五十三年間十代を教え、貞亨四年に徳雲寺第十三世鉄觜梵角を住持に迎えます。鉄觜は、この南陽寺を終焉の地と定めています。鉄觜は、天和二年(一六八二)に「平僧地」であった南陽寺を「法地」に寺格を上げて一寺としていまして、当寺では、この鉄觜を「伝法中興始祖」として尊崇しています。したがって、快天以下十代留守居の住持、つまり堂僧にすぎませんでした。本寺の徳雲寺から天和年間に法地起立されて正式の寺院へと成長をとげることになります。さて、伝法中興された南陽寺は、鉄觜のあと第二世龍峰心朔(一七〇二年没)、第三世大鏡霊明(一七一五年没)、第四世大真文誓(一七六八年没)と継承されています。これら歴代中、元禄七年(一六九四)に大鏡霊明が観音堂、享保二年(一七一七)に大真文誓が地蔵堂をそれぞれ建立しています。この間に伽藍はほぼ完備し、元文五年(一七四〇)の調査時には、本堂・庫裡・衆寮・観音堂・鎮守(稲荷宮・神明宮相殿・白山宮)・地蔵堂の諸堂が建立されていたのです。第九世篤峰祖芙(一八二余年没)住持の時代の文化二年(一八〇六)七月十一日に火災があって灰尽に帰しています。その復興は、文化五年に着手されます。しかし、再建には規制があって、「軽ク作ルベシ」とされました。そして、第十一世伝明知謙(一八八二年没)によって本堂・位牌堂の再建、慶応元年(一八六五)に山門の建て替え完了していきます。さらに、明治に入っても諸堂が焼失し、明治三十九年(一九〇六)に再建されています。更に平成八年には開山堂・位牌堂・檀信徒会館が建立され現在にいたっています。また、「そのべ昔話」に登場する[かねつき堂]がお寺の裏山にあったことが園部古城図に見られる。この鐘撞堂は、現在お寺の境内にあり、朝昼夕方に時を刻む梵鐘の音は、城下町の人々に安らぎを与え心を清めるとおわれています。山門南陽寺山門〝曹洞宗・南陽寺〟の表札反対側に〝宝の道七福神会・丹波寿七福神霊場の看板がかかっている七福神は幸せを呼ぶ神として全国に多くあり、京都の都七福神・淡路島の七福神が有名ですが、亀岡市にも丹波七福神があります七福神はご存知のとおり・ 毘沙門天(人々を守護し、福を授ける神)・ 布袋尊(知恵と福徳を授ける神)・ 大黒天(食料をつかさどる神)・ 弁財天(財産増幅、文芸・芸術の神)・ 恵比寿天(商売繁盛の神)・ 寿老人(長寿を約束する神)・ 福禄寿(福、財、長命を授ける神)の七神平成七年十月に兵庫県、京都府、福井県、滋賀県にまたがる三十五ヶ寺の住職・役員が、お寺をより開かれた存在にして、老若男女に身近に親しんでもらおうと、宝の道七福神会を結成され、丹波寿七福神霊場、丹波光七福神霊場、但馬七福神霊場、播磨七福神霊場、特別協賛寺院の七霊場が誕生南陽寺は、宝の道七福神めぐり丹波寿霊場の第三番霊場なんよそれでは順に各霊場を紹介していきます丹波寿七福神霊場◎ 第一番霊場は亀岡市宮前町猪倉の谷性寺(恵比寿天を祀る)◎ 第二番霊場は南丹市八木町船枝の京都帝釈天(毘沙門天を祀る)◎ 第三番霊場が南陽寺 本堂北側座敷の奥に大きなお腹をした布袋尊が祀られています。◎ 第四番霊場は南丹市日吉町胡麻の龍澤寺(福禄寿を祀る)◎ 第五番霊場は船井郡京丹波町豊田の新宮寺(弁財天を祀る)◎ 第六番霊場は福知山市三和町中出の興雲寺(大黒天を祀る)◎ 第七番霊場は篠山市本郷の松隣寺(寿老人を祀る)となっているんよ本堂本堂より…庫裏に近い作りですね御朱印いだだく間本堂に通していただいてビックリ天井が…御本尊阿弥陀如来ご利益の中心は、死後に極楽浄土へ往生させて救うこととされますあわせて、現世を安穏に生きる心の支えとなる功徳もあります龍天井奥様からゆっくり見ていって下さいね〜って言われたので…お言葉に甘えて…寝転びながら天井を見させて頂きました本堂からの景観も良し布袋尊人々に幸を分け与える福の神布袋尊は、中国の唐の時代(618~907年)に実在した禅僧の契此(かいし)というお坊さんで実在した人物布袋という字は、布と袋という字ですが、禅僧の契此(かいし)が大きな布の袋を担いでいたことに由来しています生涯にわたって中国の各地を放浪していた契此は、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、心豊かな人物であったそうですよ大きな袋には、食べ物や日用品、もらいものなどを入れて持ち歩き、必要な人に分け与えていたと言い伝えられます契此には未来のできごとや天気を予知する不思議な能力もあり、最後は仙人(布袋)になったそうです亡くなってからも多く目撃されたり、僧侶がいた場所だけ雪が積もらなかったりと、さまざまな逸話を残していることを受けて、崇拝されるようになったそうですよお堂かと…思いきや…会館なんやって水子地蔵尊首を傾げてるのんて…珍しいと思いませんか?鐘楼南陽寺の鐘が〝時〟を告げ始めたのは、慶安四年(一六五一)と伝えられている鐘つき人足をやとい、その給金は年三石だったこの給金は、園部・小出藩主から一軒に四升ずつ、同じく町並みから一軒に二升ずつ米を出し合って作ったという現在、南陽寺にある鐘は、享保十六年(一七三一)につくられたとか鐘の銘文によると「遠近告報十二時使使途者市井者旅行者山林者…」とあり、町民や旅行者、山林労務者に、時を知らせ、さらに「大守小出君福源院殿」の冥福を祈るため、当時の藩主小出英貞公(小出家四代)が寄進したもの当時の同寺住職は四代目の大真文誓と記されており、作は京師釜座、和田氏藤原国次戦時中、全国の寺院の多くの鐘は〝供出されたが、府の〝梵鐘保存認定〟を得て、大切に保存されている由緒ある鐘なんやって伏見稲荷大社から持ってこられたという祠とか馬頭観音堂むかし園部の街がまだ淋しい一寒村であった頃、仙太郎という気立てのやさしい美しい若者が母親と百姓をしながら平和に暮らしていましたが、ある晩一人の若い娘が一夜の宿を求めて訪ねてきました身の上話から二人は結ばれ子供もできましたが、最愛の女房はある日人間に化けた大蛇であることが解かり、山に帰ることになりました最後に〝穴がふさがれるので昼と夜を知らせる鐘を毎日撞いてほしい〟と言い残して消えました南陽寺の裏山を今も〝かねつきやま〟と呼ばれていますむかしむかし私市(きさいち)というところに、屋敷に倉を十棟持つ十倉長者と呼ばれた金持ちがいましたある日長者は大勢の共を連れ丹後松尾寺の浜で盛大な舟遊び楽しんでいましたが、急に嵐となり長者ひとり鬼界ヶ島にたどり着きました途方に暮れていたとき一頭の白馬が現れて、海を渡り野山を越えて私市にたどり着くと白馬は消えましたやがてその白馬の正体は一本の古木であったことが解かり、長者はその木を切り、仏を刻んだものが南陽寺の馬頭観音と伝えられています六地蔵六地蔵は、死後の世界へ旅立つ死者を苦しみから救うために、姿を変えたと言われています仏教では、人間が死んだ後、生前の善行や悪行によって行く道が6つに分かれていました六地蔵の6体は、仏教でいう六道の六を指しており、重要な意味を持ちますその6つの道は次の通り地獄道:もっとも苦しみの激しい世界餓鬼道:飢えと渇きに苦しむ世界畜生道:弱肉強食の畜生の世界修羅道;争いやけんかが絶えない世界人間道:人間が住む世界で、輪廻を避けられる可能性がある天道:悩みや苦労がない世界でも極楽浄土ではない六地蔵とは、諸説ありますが、六道に行って苦しんでいる死者を救うために姿を変えました6体のそれぞれの種類と役割は次の通り檀陀(だんだ)地蔵:地獄道を救う宝珠(ほういん)地蔵:畜生道を救う宝印(ほうじゅ)地蔵:餓鬼道を救う持地(じじ)地蔵:修羅道を救う除蓋障(じょがいしょう)地蔵:人間道を救う日光(にっこう)地蔵:天道を救うそれぞれのお地蔵さまに意味があり、お顔も一体ずつ違うので見比べてみると、面白いかもね白のサルスベリが綺麗でした綺麗な御朱印奥様の直書きなんですよ参拝記念のお土産を頂きました京都府南丹市園部町美園町1-1園部から10分ほどの喫茶店 ポエムさんで昼食を園部って飲食店が全くと言ってよいほどな~んもないMENUすっごくリーズナブル日替り定食 700円この日はトンカツお米は丹波産との事で凄く甘みのあるお米でした園部駅から250m京都府南丹市園部町小山東町藤ノ木54-2
たくさん共感されています
和奴のひとりごと3
10月10日 朝焼けを撮ってひと休みしてから、夫を「弥生いこいの広場」へ誘った!岩木山の麓へ向かう途中、いつも🍎を買う場所がここそして”嶽キミソフト”が旨し弘前市には、いや青森県には大きな動物園がない・・・水族館はあります正に”いこい”の名にふさわしい広場が1976年に開園してた(結婚前です岩木山の麓で、住所は東岩木山2480-1なの 入り口の向こうに見えるのは八甲田のお山実はツキノワグマの出没に伴い、昨年9月から閉園していましたが電気柵設置工事など熊対策の準備が整い一年ぶりに10月2日営業再開職員の方々全員が熊スプレーと無線を携行久しぶりに3回目の訪問・・・高齢者市民は入場無料11月上旬まで短い間(冬季閉園)なので、早速楽しんできましたこわくないさんがお迎えです動物広場のトップバッターはプレーリードッグ連休初日、保育園児のイベントで親子連れがいっぱい一枚だけ撮って移動します頭をくるくるっと回す大サービスとても穏やかでおとなしい性格だそうです・・・毎年マガンやヒシクイと共に追っかけを楽しんでるハクガンは、翼の先だけ黒い!弘前では夏鳥のオシドリですが、めっきり飛来が少なくなり寂しかった今夏・・・キジとか苦手なのでパス園児が上に行ったので、プレーリードッグ再びのおかげでこんなシーンをゲット2頭でじゃれていましたが、袋がとれなくなっておいしいですか~・・・あまりにも可愛くて、いっぱい載せちゃいましたつづく・・・
コメントが盛り上がっています
空の気持ち
夏は早く過ぎた感じがします。秋になるとなんか心がさらけ出されます。四季は一年を通して身体が学ぶものですが、身体や、心や、感情や関わりを、自然の四季は感じさせてくれます。スタートの季節や元気な季節、休息の季節、ささえ合う季節。しかし自然が自然らしく働かない時もあるようです。自然にも不調や感情があるのでしょう。人と自然のバランスも崩れれば互いが不調になったりします。自然に感謝することで自然も人に寄り添い恩恵を与えてくれます。自然と人お互いがよいバランスを保てますように。それにはまず人が穏やかに調和を考えなければなりません。争うことではバランスは保てません。季節を大事に過ごしていきましょう🍁✨🐾😺🌿🌷🙏
「やす」ののんびり日常記
昨年開催された大阪・関西万博。まもなく閉幕から1周年。私は大阪・関西万博には41回行きました!今でも思い入れが深く、アフター万博活を楽しんでます!昨年の9月27日、万博の閉幕が迫る中、大屋根リングに登り、1周しました。感慨深くあちこち写真に撮りました。その写真をまとめて記事にしました・・。下から、大屋根リングを見上げる!ホントすごい光景でした。夏はこの下は意外と涼しかったです・・。大屋根リングを見上げてるだけで、万博に来た価値ありますね。大屋根リングに登ります!一番上へ・・。上では花が咲いてます!ルクセンブルクパビリオン。きれいなお花がたくさん。ルクセンブルクパビリオンを正面から・・。私が大好きだったドイツパビリオン!ステージでは演奏会してますね。楽しかった思い出がよみがえる!韓国パビリオン。大画面のモニターがすごい!緑がたくさんの大屋根リングの上。韓国パビリオンの大画面モニターを正面から・・。アゼルバイジャンパビリオンと「夜の地球」パビリオン。モナコパビリオン。大屋根リングの上には、たくさんのこみゃくがいました!レポは続きます。
りえ子ママのヘアセットは「銀座ロサ」です。ご注文専用メールはこちらcosme@ginzatakashima.co.jp今年も高嶋の佐渡島の新米が到着水玉は苦手でしたがスタッフに勧められ秋のモノトーンコーデご予約は只今から受付 10月20日から発送 11月中旬発送開始 秋は乾燥が始まり、スキンケアを見直したい季節。今の自分に合った美容を始めたい方は、GINZA TAKASHIMAまでお気軽にお問い合わせください✨※ 特典発送後退会される方は特典代金として2万円頂きます。
季節のあいだを歩く
『【北海道旅行②】定山渓温泉の朝 色づきはじめ』定山渓温泉の朝10/6(火)雨から一転晴れました☀️ 6∶30始まったばかりの紅葉がど〜んと飛び込んで清々しい朝です。札幌から車で約1時間。豊かな自然と渓谷…ameblo.jp忙しいツアーの夜と朝宿に19∶15に着いて急いで仕度、19∶30地下の食事会場集合夕食は、ライブキッチン。お寿司やお刺身、ピザにお肉料理 80種いろいろな料理が並んでいました。お昼は、空港でフォッカッチャだけだったので、2クールはしたかな?石窯で焼き上げる熱々の自家製ピザやライブキッチンでの料理が提供されてお肉は2クール🥢🍷食事も、もりもりで美味しかったのですがお隣の席の方との会話が盛り上がって松本上高地の話になって涸沢に登られたらしく、憧れの涸沢、9月下旬行ったホヤホヤの話や、松本時代の話、高尾山も主人が登ったばかりで、互いに写真を見せあって、きづいたら周りにだれもいない(笑)たのしい夕べでした😯😀今回は、旅先の風景も新鮮でしたがほかの方々とも旅の情報交換ができたり、ツアーは忙しいのだけど一期一会の出会いが楽しかったです食後は温泉へ♨️ 22時頃とにかく広い!お風呂3箇所と露天風呂アメニティも充実していてシャンプーバー、リファ♡ほっこりな夜となりました🌿イルミネーション散策もあったらしく21∶30までとか?…今、はじめてみたのですが(笑)行った人もいたようで、あ〜残念…そんな気力はなかったのでなんで、夕方に着く飛行機なんや?✈️これがツアーのある、あるかもです。10/6 (火)2日目翌朝、まどを明けると大晴天これは、わぁお〜ホント嬉しくこの先の行程も、晴れが続くようほっとしました。朝も同じ会場でビュッフェです🍴昨夜と同じぐらいの品数あり全部品種がちがいます。写真はありませんが、一通り回っておかゆさん染みました🍚🥢もう1回風呂に入り男女入れ替えです♨忙しい〜、足湯の前で待機ほっこりする間もなく、9∶30集合マッハで過ぎた定山渓温泉をあとにします👋玄関入り口にアチコチハロウィン2日目の行程は忙しいバスの席順も変わっていました。昭和新山 洞爺湖方面に向かいます車窓から 無意根大橋を通り…こちらも10景に入ります。途中、望羊中山で休憩。北海道らしい雄大な景色が広がっていました。望羊中山羊蹄山、拝めますように!10景巡りの3景目です。壁に掛かっていた オコジョちゃん♡10/5〜6 北海道10景巡り10/13 七十二候 菊花開菊の花が開く頃三連休は、のんびり旅の疲れを癒しニシンやホタテごはんを楽しみました🌿
ほっと ここあな日々✨
こんばんは❣️いつもご覧頂きありがとうございますこちらの地方💁♀️まぁまぁ涼しくて気持ち良いお天気でした❣️家の紅葉は🍁まだ全然⁉️今日は気になってた物があったのでずいぶん遠くまでサマパトに行って来ました‼️まず目に飛び込んできたのはこのカーデがハンガーに白いワンピの上にかかってて可愛いかったです💕けどもー目立ちそうだし着ないなーあとこちらのワンピ💁♀️試着しないであてて見たけどなんか横に大きく見えそう⁉️襟が小さくて赤のチェック柄が意外と大きめ?で こちらのベージュは ↓このワンピのみだったけどー妊婦さんみたいになりそうなのでやめましたーあとヒモから糸がずいぶんとほつれていたような…そしてストール的な物がこちら💁♀️大きめで暖かくて包んでくれて安心感がーでも 昭和の人が着ると昭和感が⁉️ きのせい?と言う事で スタッフさんおすすめのシャツブラウス?とこちらのストールにしました❣️モスモスっぽいストール奥行き?は上のと同じくらいだけど横幅はこちらのほうが左右10センチずつぐらい短い感じでした❣️って表示みればいいのかとりあえず鬱憤ばらしの今日このごろ…はい また太りまーす❣️それでわーこのあとも寒暖差にウイルス🦠にミサイル🚀に土石流その他色々なものに気をつけてお過ごしくださいね〜✨✨✨✨
†PIAS† isn't anything
🍶🍶🍸🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍸 ⑨たまたま見つけた素敵な飲み屋街 立石駅の南口の駅前にはふたつのアーケード商店街がある。その商店街を抜けたところを横切っているのが奥戸街道である奥戸街道に架かる本奥戸橋の手前には大正時代に創業された出桁造りの「美濃屋脇坂商店」という老舗酒を筆頭に3棟の戦前物件が残っていたところが、そち側とは反対側に残っていたはずの出桁造りの蕎麦屋は、跡形もなく消し去られてどうでもいいマンションに建て替えられてしまっていたその事実になかなか納得出来ず、旧市街が途切れるあたりまで歩きようやく自分を納得させたが、付き合わされたみぽぽんさん(以下敬称略)は、いい迷惑だったにちがいないその先で左手を見ると個性的なトンガリ物件落とされた角の部分に記された「肉のさくらい」の文字が、よい雰囲気を醸し出していたけれど、なんとなく廃業してしまっているような感じであるこの角地を左に曲がったところに、けっこう有名な昭和レトロな喫茶店があるようで、そこまで行きたかったが、先を急ぐことにしたその喫茶店あたりから奥戸街道と平行するように、微妙に店が並んだ商店街のような場所もあり……こんな素敵な建物があるのはわかっていたが、見にゆくのは断念したというのも、強烈な陽射しにやられ、ふたりで暑い暑いを連発している現状は、日陰になるアーケード商店街までゆけばかなり楽になるはずだかららだ旧市街が終わるあたりに、昭和初期頃の建造ではないかと思われる「KOKUYO」の文字が大きく記された「コクヨ事務用品 ASADA」という、厨子二階建ての看板建築があり、それを撮影して引き返すことにした建物が大きく写っていないのは直射日光の当たる暑すぎて通りの向こう側に行くのがダルくて、日陰になる街道のこちら側から動きたくないというダラケタ精神によるもので、本来ならばこの建物の隣にある看板建築も撮影したかったのだが、怠け心が勝利してしまったちなみに、上の写真が怠け心に打ち勝っていれば撮影できた看板建築だが、とりあえず無事に残っていたのでよしとしようそのかわり、店を覗こうと考えていたその少し先にあった下の写真の古書店は、跡形もなくなくなってしまっていた武術関係の書籍のコーナーがあっただけに残念だ。ちなみに今でも探している本は、昭和初期に刊行された「柳生心眼流 練武の秘伝を語る」だが、いまだに現物を見たことがない柳生心眼流はじつに不思議な武術で、日本の古武術には珍しく一人で成立している型があり、突きや蹴りが主体となった中国武術の八極拳によく似たもので、何故こんな突然変異のような武術が成立したのかとても興味深いという、どうでもいい話はともかく……アーケード商店街に入って強烈な陽射しから逃れようと思っているのに、途中でどうしようもなく魅力的な飲み屋街を発見してしまい、これには僕もみぽぽんも吸い寄せられるように、足を踏み入れる羽目に陥ったこんな風景を見逃したら散策者の資格を剥奪されてしまうだろうしかし、ここでも強烈な陽射しは容赦なく照りつけて撮影を邪魔しにくるから腹立たしい。左手突き当たりにある店の軒先クレハロンテントを撮影したいのに、太陽光が反射してハレーションを起してしまうのだ何度か試行錯誤してようやくなんとか撮影できたのが……おそらく現役で営業しているものと思われる「楽しく飲んで唄って サファイア」というスナックであった「サファイア」という店名と文字のフォントから、ここのオーナーは、おそらく手塚治虫の「リボンの騎士」の主人公の名前にインスパイアされたのではなかろうか「サファイア」の左手は行き止まりになっているが……右手に細い路地が続いており、突き当たりを右に曲がったところには……店内にはうず高く段ボールが積まれ何故か古書が並べられている「お好み焼 たこ焼 もんじゃ焼 タイコ」という、どう見ても現役とは思えないお好み焼き屋があったちょっと前の記事で「立石駅通り商店街」は、商店街の名称には珍しく「通」ではなく「通り」という表記にしたことを評価したが、のちらの店は「お好み焼き」ではなく「お好み焼」と「き」を省略しているのが気になったもっとも、こんな些細なことを気にしているのは僕しかいないだろうなどと、どうでもいいことを気にしていたら、みぽぽんがその隣にある「さくらんぼ」という店が、「あいみょん」ゆかりの店だと気がついて、しきりに感心していたアーケード商店街のほうに戻る途中に看板建築の八百屋があるのが見えた先ほどは日陰になる八百屋の目の前、つまり街道の向こう側の歩道を歩いていたため気が付かなかったが反対側から見ると、この八百屋は元はブリジストンの自転車屋の建物をそのまま使っていることに気が付いた以前のテナントの自転車屋の屋号やブリジストンの文字は消されてしまっているが、何故か自転車のマークだけが残っているのが興味深いこうなると自転車が営業していた頃の姿を見てみたかったので、過去のストリートビューを見てみるとどうやら「長谷川サイクル」という自転車屋だったことが判明したが、今はマンションになっている隣の「遊劇場」というパチスロ店のアバンギャルドな建物に度肝を抜かれた驚いたことに、寄棟の屋根の上に、それを逆さまにしたような巨大な看板が乗っかっているのだその巨大な看板を支えている柱は、屋根のトンガったてっぺんの部分と四隅の細い柱だけで、こんな細い柱で巨大な地震とかきたらヤバいんじゃないの?ーーと、素朴な疑問を感じたが、順を追ってストリートビューを見てゆくとこの映像が撮影された数年後には、行政指導があったのか、やはり看板は撤去されて笑ったそんな愉快なパチスロ屋は、もはやこの地上に存在していないけれど、向かい側の細い路地を入ったところに終戦直後の立石の姿を想起させるような素敵な木造平屋建ての渋い住宅が2棟残っているということで次回の記事では、こちらの素敵な建物を見物したあといよいよ次のクライマックスである立石のランドマーク、アーケード商店街に移動する続く†PIAS†🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍶🍸🍶🍶
恋愛小説作家「愛川耀」OfficialWebsite
恋愛小説作家「愛川耀」のネコ日記 作家ネコちゃん、函館に飛び教会やレトロ建築が並ぶ元町を観光、ホテルで握り寿司満喫でした。2日目は北斗号で登別温泉に行き大湯沼と地獄谷を散策、ホテルで懐石料理の夕食。3日目は和定食の朝ごはん。食後に珈琲カップを片手にホテル近所を散歩、轟音に驚いたら泉源公園の間欠泉が湯を噴き出して煙モクモクでした!向かいの神社に参拝。ほとんど人のいない地獄谷で贅沢な珈琲タイム。前日行き損ねた観音様に手を合わせ、空っぽの木道を早朝散歩。温泉の湯けむりが朝日にキラキラ、神々しい景観でした。荒涼とした風景は恐山に似ていますが、温泉がボコボコ湧き出る音が聴こえ活気ある(?)地獄です。ホテルをチェックアウトして荷物を預け、迎えのシャトルバスで登別クマ牧場に向かいました。ロープウェイにはぬいぐるみのクマさんが乗っていて、7分ほど一緒に絶景空中遊覧を楽しめます(笑)。山頂駅に到着。先ずエスカレーターで展望台に行きました。わー、素晴らしい眺望です!左手に青いクッタラ湖、右奥にキラキラ光輝く太平洋を望めます。展望台を一周して360度の大自然パノラマビューを楽しみました。展望台の下が博物館、クマの生態についてお勉強。ではクマさん達に逢いに行きましょう。販売機でクマのおやつ(おからみたいなお団子)をゲット、サクの上からコンクリートの池で水遊び中のクマに気づいてもらうよう投げます。カラスが横取りしようと待ち構えているので難しいのですが、なんとかクマさんに届けられました。アスレチックルームではクマのおやつ探しの時間。有志の観客がおやつを隠した後、やって来たクマのショコラちゃんに探してもらうイベント。なんとクマは犬の7倍の嗅覚だそうで、箱やボールに隠されたおやつも探し当てて感激。カフェに移動してクマアイスを食べ、ショップで連れて帰って欲しそうだった(?)可愛いクマちゃんをゲット。併設のアイヌの村(戸外博物館)を訪ねました。下りのロープウェイの相棒はピンクのクマさんでした。ホテルで荷物を受け取りバスで登別駅へ。駅前のレトロ喫茶でケーキセット休憩。特急北斗号で40分、南千歳駅に出て、エアポート線で1駅3分、新千歳空港に到着しました。札幌は何度も行っているので今回はパス。空港のフードコートで定番のミニ塩ラーメンを食べ、夕焼け空の中を羽田へ戻りました。ちなみに、北へ向かう行きの飛行機は気流の関係で(?)速く(510ノットぐらい)飛べるのですが、南へ向かう帰りの便は減速(410ノットぐらい)、羽田まで1時間40分かかりました。新刊:『SADAME運命の恋』の後編、定めの呪いを解くべく百年前の世界に戻った瑠璃子と隼人の恒久の愛を描く『SADAME2運命の絆』。単行本と電子書籍で出版しました!SADAME2 運命の絆 (AAAノベルズ)Amazon(アマゾン)瑠璃子と隼人の出逢いと愛を二つの震災・時代を絡めて描く壮大なファンタジーロマン・本格長編恋愛小説『SADAME運命の恋』(単行本と電子書籍)SADAME運命の恋 (AAAノベルズ)Amazon(アマゾン)年末までに婚約する!抱腹絶倒、胸キュン・ラブストーリー『婚活狂騒曲』(単行本及び電子書籍)婚活狂騒曲 (AAAノベルズ)Amazon(アマゾン)恋愛ゲームのつもりが本気の恋に・・。わくわく・はらはら・胸キュンな『ワシントン恋物語』(単行本及び電子書籍)ワシントン恋物語 (AAAノベルズ)Amazon(アマゾン)胸に棲まわせた忘れ得ぬ人と運命が再び交錯し・・大人の恋を描いた『想い出にしたくない』(単行本及び電子書籍)想い出にしたくないAmazon(アマゾン)人生とは・・忙しい毎日、ちょっと立ち止まって胸の裡を模索したいあなたに贈る珠玉の小説『胸のシコリ』(単行本及び電子書籍)胸のシコリ (AAAノベルズ)Amazon(アマゾン)乳がんのエッセイ本 『乳がんですが、それがなにか?』 、元気が出るユーモラスな治療記ですのでお友達にもご紹介くださいませ(単行本及び電子書籍)乳がんですが、それがなにか?: 東大卒MBAの平静心を失わない乳がん治療メモ (AAA新書)Amazon(アマゾン)クリスマスにハッピーエンド。ラブストーリー決定版『DRESSシャンパン色の恋』DRESS シャンパン色の恋Amazon(アマゾン)一人旅で訪れたバリ島で出逢った名乗らぬ男・・待ち焦がれた人は今何処に? ロマン溢れる本格恋愛小説『乱舞・あなたの腕の中で』乱舞 あなたの腕の中でAmazon(アマゾン)人気ブログランキング↓一日一回クリックをお待ちしています!https://blog.with2.net/in.php?726963(by 恋愛小説作家 愛川耀)
妻に先立たれた老人ブログ
昨夜から咳がひどく眠っていてすぐに目が覚めて 、咳ばかりしている 。そのせいで喉が非常に痛く 倦怠感も増してきた。今朝も咳がひどく 喉が痛い。 そして 寝不足で眠たくて仕方がない。看護師に言って痛み止めを出してもらったが 効果がなく、今日は日曜日で医師がいないので診てもらえない、今日は我慢の1日で居眠りばかりす。昨日も 17時過ぎからリハビリがあった。防護服を着ていたので 看護師と間違っていたが 理学療法士 だった。狭い 病気 でできるリハビリは限られており、部屋の中を 10周 ほど 杖をついて歩く 簡単なリハビリです 。終わった だけでも 寝てばかりで足が動けなくなるよりはマシである。今日も昨日と同様に 17時前からリハビリが始まった。脚のリハビリ後に病室を杖をついて 10周ほど歩いた 。コロナのせいもあり 息切れがひどくしんどかった。理学療法士もコロナに罹患した患者の部屋に入るのは嫌だろうな。
りえ子ママのヘアセットは「銀座ロサ」です。ご注文専用メールはこちらcosme@ginzatakashima.co.jp今年も高嶋の佐渡島の新米が到着りえ子ママのお米で健康長寿✨ご予約は只今から受付 10月20日から発送 11月中旬発送開始 秋は乾燥が始まり、スキンケアを見直したい季節。今の自分に合った美容を始めたい方は、GINZA TAKASHIMAまでお気軽にお問い合わせください✨※ 特典発送後退会される方は特典代金として2万円頂きます。
10月10日 朝5時起床 日の出まで時間がある直ぐに準備して隣り町へ一人で向かう(夫は夢の中)途中の岩木川がイイ感じに毛嵐状態でも朝焼けの瞬間を見たいがため先を急ぐ・・・我が家から20分くらいの場所に白鳥飛来地(藤崎町 平川)があります朝焼け色が映る平和な川の中・・・カルガモさんと朝の挨拶かな早朝のひとときいいなぁ~あっ朝礼が始まるのかな!「きょうもあんぜんにすごしましょう」ほのぼの今季初の白鳥ファミリーオナガガモは雌しか見当たらず・・・ユニークな編隊でしたさぁ帰ろう 最近撮ってなかったマイ岩木山スポット1号へ立ち寄りました6:29今朝も庭作業ちゅう白鳥の挨拶で空を見上げました昨日の気温は10.9~25.3℃ 寒暖差が激しくなって紅葉に期待・・・八幡平紅葉ドライブももう少ししたら行って観ようかななぜかレッスンない日は雨の予報
カイウンラボ
蛯原春比古さまからのお話シェアさせていただきましたありがとうございます瀬織津姫が好きな『あなた』へ。本来は兵士が戦さに赴く時に『死の穢れ(死への恐れ)』をやわらげるために利用された『悲しい女神』なんですよ。『撞賢木厳之御魂天疎向津媛命は瀬織津姫』 完全版〜六甲山の女神は海の見える六甲山という境界の女神、向津(むかづ)は武庫津、つまり神戸榊(サカキ)は「賢木」の漢字が充てられています。つまり、『撞賢木』は榊にあたる、榊にぶつかるという意味になります。*撞つきあたる、ぶつかる、行きつく。また、榊を賢木としているのは、天照大神の御霊代である神鏡をまつるところが賢所(かしこどころ)と呼ばれることと、カシコ(賢)は、畏れおおい意味からで、榊(賢木)とは神木をいい、神前に供えられる木を指しているのです。古代では榧(栢)が、その代表的な境目の木でもあり、天香具山はこの『カヤ』からきているのです。(天香山)また、榊(さかき)は、坂にある木の事で、坂は土公神(塞の神、久那戸神)を祀る場所であり、峠や坂、国の境目を意味します。そこから、外からの邪霊を防ぐために植えられた木(境木)になり、神域や聖地に植えられる木を意味するようになったのです。〜天照大御神に出てきていただこうと天の岩戸を開こうとしたとき、『天の香具山』の五百津真賢木を根こじにこじて、上枝に八尺の勾璁の五百津の御すまるの玉を取り著け、中枝に八尺鏡を取りかけ、下枝に白和幣、青和幣を取り垂でて・・・これは、地上と天上の境目にある天香具山の土に植っている榊に勾玉や八咫鏡や和幣(ひれ、ハタ、神を祀る印)、アマテラスの岩戸の前に置くのです。つまり、夜(土中、岩戸の中)と昼の境目にアマテラスが憑りつく境目の木に鏡を下げるという意味なんです。後でご紹介するセオリツヒメとは、穢れを祓う女神であると同時に土中(岩戸)から出て来る時に、東の海(或いは五十鈴川)で禊ぎする天照大神でもあるのです。*本来、五十鈴川とは伊勢平野から伊勢湾に流れだす『五十餘りの川』を意味する。『撞賢木厳之御魂』坂(境界)の木に行きついた、木に斎く御霊(厳、いつく)。境目の木に憑りつく御霊、境目の木にたどり着いたアマテラスの御霊、つまり夜明け。『天疎向津』広がる海に向かう水のある場所(湊や泊)、つまり海や川など。(武庫津、武庫湊、兵庫津、神戸)『倭姫命世記』、『天照坐伊勢二所皇太神宮御鎮座次第記』、『伊勢二所皇太神宮御鎮座伝記』、『中臣祓訓解』においては、伊勢神宮内宮別宮荒祭宮の祭神の別名が「瀬織津姫」であると記述されていて、荒祭宮は御稲御倉、外幣殿を越えて、石段を下りると正宮の北方、やや小高い所に鎮座しています。正宮に準じる第一別宮となっていて、神位が高く、天照大神の荒御魂と解釈されています。(中世以降の解釈)*武庫(向津、兵庫)は武器を納める場所であり、六甲の地霊(六甲山と海の境界神、土地神)であるムカヅ姫を鎮める場所でもあるので、その役割を廣田、生田や長田の神社が担っているのです。*摂津国風土記(逸文)は武庫の由来について次のように伝えている。「(神功)皇后は摂津の国の海浜の北岸の廣田の郷においでになった。いま廣田明神というのはこれである。その故にその海辺を名づけて御前(みさき)の浜といい、御前の沖という。またその兵器を埋めた場所を武庫(むこ)という。今は兵庫という。」神功皇后も応神天皇も武内宿禰も葛城の土地神信仰(竈門神、土公神、土地神、星神)が根源にあるんです。*土地神に武器を供える(土中に鎮める)のは、土地神と争う事を回避し、土地の所有者として認めてもらうためであり、現在の地鎮祭の鎮めものの中にも武器(盾、剣、矛など)があります。また、土地神は祖霊であり、不慮の事故などで亡くなると禍いを起こす鬼神となるため、追儺(鬼やらい)などの神事があるんです。神功皇后は天日槍の血筋であったり、応神天皇が都怒我阿羅斯等所縁の敦賀の気比大神(イザサワケ)と名前を交換したりするのは、新羅の来訪神(歳神、スサノヲの系列にある年神と同じ、あるいは陰陽道の方位神)の信仰が大国主をはじめとする土地神信仰と習合したからなんです。兵庫(武庫)の意味は武器を入れる倉、つまり土地神に武器を捧げる場所ですから、神戸に廣田神社や生田神社、長田神社があり、気比と同じような海の豊穣をもたらす星神(土地神は農耕や天文から星神になっている)から武力を持つ神として八幡信仰(神がかりとなる神功皇后や武人として応神天皇の神霊と習合する)が生まれたのです。それを集約したのが宇佐神宮の神々なんです。神功皇后や応神天皇そのものが土地神や海神(来訪神、都怒我阿羅斯等)と結びつくことで、外圧に負けないために、瀬戸内海から北九州にかけての防備意識を強め、四世紀に瀬戸内海の海洋民を束ね半島へ進出した『倭の五王』時代をモデルとし、その中核的な出来事として、隼人制圧や三韓征伐という鎮魂と戦争の神話を生み出したのです。住吉大神(オリオン)を中心とした海洋祭祀は、六世紀から七世紀になって大和王権が朝鮮半島に軍船を送る際に、大阪湾岸地域の浜や湊で盛んに占いや祭祀を行なったとする伝承が各地にあり、それらの伝承に共通して登場するのが、神功皇后であり、その神功皇后を通じて神懸かり(海路を導く住吉三神、死の穢れを祓うムカツヒメ)となる強い倭国、それは半島へと出征する瀬戸内海沿岸の海洋民や兵士たちには必要な伝承であったのかもしれませんね。平安時代以降、日神(太陽神)であるアマテラスは、太陽が昇るたびに、五十鈴川の水を潜って内宮に鎮座する。これを毎日繰り返しているわけですから、荒御魂(土中にいた時、つまり夜の穢れ、死の穢れ)を荒祭宮にその穢れを置いてくると考えられたのです。*撞賢木厳之御魂天疎向津媛命とは『日本書紀』巻九(「神功紀」)に登場、神功皇后が神がかりとなられたとき、乗り移ったのがこちらの神様です。『つきさかき、いつのみたま、あまざかる、むかつびめの、みこと』神風の伊勢の国の、ももづたふ度逢県(わたらいのあがた)の拆鈴(さくすず)五十鈴宮(いすずのみや)に居る所の神、名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命。神風の伊勢国の百伝ふ渡逢県の拆鈴五十鈴宮に所居す神から、アマテラス大神の荒魂(あらみたま)であると、一般には考えられています。「西宮」の地名由来の大社である廣田神社(兵庫県西宮市)は、天照大神荒御魂を主祭神としているが、戦前の由緒書きには、瀬織津姫を主祭神とすることが明確に記されていた。御神体の神鏡は、元は宮中の賢所に祀られていたのだが、武内宿禰・神功皇后の御代に廣田神社へ遷した ことが、廣田神社由緒書きに記されている。〜wik参考https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=3621386778138751&id=100008023930727廣田神社 御祭神撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(天照大神荒御魂)生田神社 御祭神稚日女尊長田神社 御祭神事代主神 (大国主の御子神、土地神、国津神)、追儺神事があります。【天照大神】『古事記』においては、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が伊邪那美命(いざなみのみこと)の居る黄泉の国から生還し、黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときに化生したとしている。このとき右目から生まれた月読命、鼻から生まれた建速須佐之男命と共に、三貴神と呼ばれる。このとき伊邪那岐命は天照大御神に高天原を治めるように指示した。『セオリツヒメ(瀬織津姫)の原型は機織り』天照大御神が機屋で神に奉げる衣を織っていたとき、建速須佐之男命が機屋の屋根に穴を開けて、皮を剥いだ血まみれの馬を落とし入れたため、驚いた1人の『天の服織女』は梭が陰部に刺さって死んでしまった。(この神話は蚕馬【さんば】のお話しがモデルで、これは中国の伝説の1つ、馬の皮と融合した少女が蚕に変身してこの世に絹をもたらしたとされる伝説です。蚕女【さんじょ】、馬頭娘【ばとうじょう】の別名があります)、つまり穢れは馬の皮と融合した蚕女の穢れから、天岩戸神話では死そのものを穢れとしたのです。そして死んだワカヒルメの事をきっかけに天照大御神はついに『怒り』、『天岩戸』に引き篭ったのです。*このアマテラスの『怒り』が荒御魂であり、穢れ(死)が『天の服織女、ワカヒルメ(生田神社の御祭神)』で、『天岩戸』へ籠るのが日没を意味します。つまり、アマテラスの荒御魂は岩戸隠れによって作られているんです。*天岩戸、久那戸、戸は出入口で扉、扉は互いに分かれるという意味、伊弉諾と伊奘冉の黄泉の坂での別れ。【祓戸四神】瀬織津比売神(せおりつひめ)-- もろもろの禍事・罪・穢れを川から海へ流す。速開都比売神(はやあきつひめ)-- 河口や海の底で待ち構えていてもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込む。気吹戸主神(いぶきどぬし)-- 速開都比売神がもろもろの禍事・罪・穢れを飲み込んだのを確認して根の国・底の国に息吹を放つ。速佐須良比売神(はやさすらひめ)-- 根の国・底の国に持ち込まれたもろもろの禍事・罪・穢れをさすらって失う*祓戸大神とは、日本神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐命が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。古代の天文観は西に沈んだ星や太陽や月は、翌日天空に昇るために土中を西から東へと移動します。特に星々は天上の世界の神々の世界と通じる穴(筒)ですから、土中にある間に土公神(土中は根の国、黄泉の国)という解釈をしていたようです。太陽や月は天文でなく、暦と深く結びついていましたから、太陽や月が毎日繰り返し東から昇る事に、時間の永遠性を感じたのだと思います。つまり、太陽も月も毎日の土中穢れを祓っていると考えられたのです。(陰陽五行では土気、季節では土用)『スピリチュアルなセオリツヒメ』古代の棚機(たなばた)は巫女(神の妻)であり、来訪する神の衣服を川の近くに建てられた建物で織ると考えられていました。瀬織津姫のモデルはおそらく天の川の近くにある境界を意味する榧星、つまり織姫星ですね。織姫星も天の川という境界にいる久那戸と言えます。*現在でも榧の実は相撲の土俵の鎮めものの一つでもあります。古代中国では祖人の墓に榧(栢)を植える習慣があり、榧は針葉樹ですから、一年中緑の葉があるので、その永遠性から祖人や祖霊の墓に植え、正しく祀れば末裔が繁栄すると考えられていました。日本では松の木や常緑樹の榊や柑橘系の木(橘、橙、トキジク)、椿などをめでたい木としていて、邪気を祓ったり、地を鎮める意味や土地神(祖霊、鬼神)と結びつき神が依り憑く木とされたのです。*天岩戸、久那戸、戸は出入口で扉、扉は互いに分かれるという意味、伊弉諾と伊奘冉の黄泉の坂での別れ。祓戸(祓う出入口)の神ですから、風日祈宮のイブキドヌシ神(級長津彦命、級長戸辺命)などと一緒にいろいろな形で穢れを取り除くと考えたのでしょう。古代の天文観は西に沈んだ星や太陽や月は、翌日天空に昇るために土中を移動します。特に星々は天上の世界の神々の世界と通じる穴(筒)ですから、土中にある間に土公神(土中は根の国、黄泉の国)という解釈をしていたようです。太陽や月は天文でなく、暦と深く結びついていましたから、太陽や月が毎日繰り返し東から昇る事に、時間の永遠性を感じたのだと思います。つまり、太陽も月も毎日の穢れを祓っていると考えられたのです。セオリツヒメはその存在が、穢れや罪を取り除くという意味や、古史古伝のホツマツタエなどから、スピリチュアル化したのでしょうね。信じるものは救われるでいいのですが、それは信仰であって、歴史的に存在したものではないのです。まして、封印された女神でもなく、アマテラスの后でもないのです。『キトラ古墳の天文図と神話』〜イザナギが黄泉から帰り禊ぎから生まれた三貴神とセオリツヒメ於是洗左御目時、所成神名、天照大御次洗右御目時、所成神名、月読命次洗御鼻時、所成神名、建速須佐之男命イザナギが筑紫とか日向で禊ぎをしたという具体的な場所を探しても無駄です。そんな場所はないんです。天空の神『イザナギ』は夜や昼を循環させる神、イザナミはその死が土中の黄泉の世界を意味し、死と再生(女性、陰の世界)をもたらす土気の地母神、天と大地なんですから。太陽も月も星も天海の涯から天空に昇る前にイザナギの禊ぎを受けるんですよ。つまり、天空は東から西へ移動する(北極星を中心に回転する)という事なんです。*筑紫は倭国と伽耶(朝鮮半島)や中国の境界から、境界そのものを意味するようになった。(半島はカヤ、倭国ではチクシが境界)*日向は日の昇る場所という意味。つまり、境界、境界の東、倭国。*筑紫日向小戸橘之檍原とは境界の日の昇る(東、倭国)入口の橘の青々(永遠性)とした木がある場所。『筑紫の本当の意味』〜筑紫は九州ではなく、陸地の尽きるところ(境界)【筑紫日向小戸橘之檍原】筑紫(読み)つくし精選版 日本国語大辞典「筑紫」の意味・読み・例文・類語つくし【筑紫】古く、九州地方の称。九州地方全体を指す場合、九州の北半、肥の国・豊国を合わせた地方を指す場合、筑前・筑後を指す場合、筑前国、もしくは大宰府を指す場合などがある。つくのくに。ちくし。※万葉(8C後)五・八六六「遙遙(はろばろ)に思ほゆるかも白雲の千重に隔てる都久紫(ツクシ)の国は」「釈日本紀」所収の筑後国風土記逸文には、筑紫国号に関し、筑前・筑後の境にある山の急な坂を鞍韉(したくら)尽しの坂といったところから、その山に住むあらぶる神を命尽の神といったところから、その山における死者を葬る棺のために「山の木尽さむ」としたところから、とツクシ(尽)の義からとする語源説話をあげている。筑紫(つくし)福岡県のほぼ全域をさす古称。さらに古くは九州全体を称した。大宝1 (701) 年西海道の設置により筑前、筑後の2国に分割。地名の由来は、『陸地の尽きるところ』のあて字で、日本の西端の意味など、数説ある。筑紫山地、筑紫平野、筑紫潟 (つくしがた、有明海) などの呼び名がある。*星のスサノヲ(金星、歳神【スゥイシェン】、太白)は根の国、土中に行きますね。アマテラスも岩戸隠れ、土中に行きますね。セオリツヒメはアマテラスの荒御霊、つまり土中の穢れを取り除く禊ぎであり、イザナギの禊ぎ(水と塩によって清められた)を後世にアマテラスも同様に禊ぎをするとして祝詞の中に入れられたんです。だから、古代に書かれた記紀には瀬織津姫の名前は載っていないんです。蛯原 春比古蛯原 春比古 - 「いいね!」818件 · 1,941人が話題にしています - 舞台演出家脚本家『古事記と日本書紀と考古学』『古代史の原風景』 『詩とメルヘンと昔話』 『竹取物語』 『海のオリオン』主宰 www.facebook.comわたしがこの蛯原さまと出会いまして古事記や日本書紀の神々さまをスピリチュアル化することを疑問に思ったことをことごとく解説していただきどんな著書よりも信頼おける話です是非とも、書籍にしていただきたいです和歌山に思いを馳せるようになりましたのも高野山、弘法大師空海の話に天文観が散りばめられており心を揺さぶられましたそれで、この3年間和歌山に、1週間滞在して個人的に研究を始めたのですがわたしという人間がこんなに和歌山に高野山、熊野に馴染んでいることが不思議と言いますか実際今までの人生結婚式は、片手も呼ばれず人の死に際、葬送に関わることが多くそれが熊野の、【終わりであり始まり】【再生、蘇り、甦り】にありわたしの人生の最後は和歌山に関わるように導かれていたのではないかと思いますわたしは、まだ、終わってはいない!これまでの苦労、苦悩は活かされなければならない苦悩の日々は、終わりこれを土台に、バネにわたしは飛び出さなければならない【いのち】をテーマに世に訴える、それだけのものが手中にあるそれを活かすも殺すもわたしにある、と思うようになりましたただ、文才はありまへん🤣【初夏の和歌山】という、ヒラメキが何を連れてくるかトランプ大統領との会談の高市総理大臣の目は【虎の目】🐯👁👁実は、わたしも数々の占い師さんから虎の目、と言われました目は、ものを言う、とはこの事ですよしっかり、相手の目を観てその内側まで読み取る上皮だけを観て人を判断していません凄いなあと思いましたよ✨笑っていながらじっと観て、観察している