9/20の記事ランキング

  1. 心配し過ぎてスクーカウンセラーに相談することにしたんですけどなんか、今となっては何を相談するんだっけ?みたいな心境になってまして。」「アーーー、あるあるやな。正直に話したらええと思うよ、心配だったから、って。」「うん、そのつもりです、心配だったのは事実だし。前から薄々気がついてはいたんですけど私自身の気質に問題がありますよね、私、HSPなんですか?」「え?HS…?」「ハイリーセンシティブ…繊細な人、的な?」「まぁ、そうやね、繊細やと思うわ。」「で、気質に問題があるって気がついてわたしが3年前に患ったうつって一回、治ってるよな、って。ちょいちょい病んで鬱の波だ、症状だ、って思ってたのは気質から来るものでようは自分から病みにいってるだけで3年前に患った鬱と関係ないですよね?ただ、気質的に二次的にうつにはなりやすい、とかそんな感じなのかな、って。」「よー気が付きはったなぁ。そう思います。私さんが初めてここに来た時のうつ病はもう寛解してると私は思ってます。今でもたまにシンドくなるのは私さんの思考の癖から来るものやと思う。心配事が解決したら元気になるやん?原因が明確やん?」「病気の症状じゃなくて思考の癖でシンドくなってるって事ですよね、だから、薬じゃなくて自分で訓練していくしかない?」「そういう事。そこまでわかったなら9割解決してるわ。後は自分で認知の歪みに気がつく度に修正かけてな。気が付けば修正はかけられます。ご主人との関係と同じやね、ご自身の思考の癖に気がついてからご夫婦の関係、良くなったやん?お子さんとの関係も変わっていくと思います。」「それと本格的に趣味を増やして気持ちを外に向けようと思って。バイトも考えたんですけどバイトは何か違うんですよね〜心配事が増えるだけな気がして。ワクワクすることの方が良いかな、と。」「今は仕事より趣味の方がええと思う。働くのはいつでもできるやん。」今回の診察、凄い喋ったわ、私が。そんな訳で突然ですがロードバイク、始めることにしました!追記※私じゃないです!笑運動が嫌いだからスポーツ系は趣味にはならないと思ってたんだけどよく考えたら10年以上続けてるスノーボードゴリゴリのスポーツなんだよね。笑結婚する時に手放したけどバイクも乗ってた。中免で250ccだけど^^ゴリゴリが好きなんだと思います。爆クロスバイク乗ってるブロ友さんに相談して色々教えて貰って、店に行って試乗しまくってデザインで決めて頼んできました!(納車はまだ先だけど。)スノーボード始めた時と同じ、全然乗れない。爆チョー怖い。爆(MKRNさん、ありがとうございました!)7歳の涙に背中を押されました。私が笑顔でいる為に私自身が好きなことをやらせてもらおう。(あ、もちろん自分のお金で買うんですよ!色々頑張って稼いだ貴重なマイマネーで!)主人のゴルフや飲み会にももっと寛大になれると思う。笑終わり。

    コメントが盛り上がっています

    突然ですが。追記
  2. ドラマセラピーや個カウンセリングをしている最中は自信を持っていられてはいたけれど、ふと、不安の中に入ってしまうと、私は心理の仕事をしていく上で、十分に学べていない、もっと学ばなくちゃ!!と本を買いあさってしまったり。とにかく、未来を不安に思うと私たちは何かをしようと闇雲に動きたくなってしまいます。それで出てくるのが「結婚できないなら、資格を取らなくちゃ!」という思考かもしれません。資格を取ってもそれを生かせるかどうかが重要なので、資格を取る=将来の安定ではないかもしれないのに。結局私は、ドラマセラピスト以外の資格を取りませんでした。不安になって、学びにいくのですが、お金を払う段階で、なぜかお金が送金できなくなってしまったり、それを学んでいる人にばったり会って、「え?中野さんには必要ないと思うよ」と言われてしまったりして、気づかせてもらえたからです。ありがたいことに、宇宙は私に無駄遣いをさせないように働いてくれていたんですね。そして、我に返って、自分が今持っているものをちゃんと活かせるようにすればいいんだという「自分の軸」に戻る事ができたのです。ドラマセラピー以外で、資格として得られたのは、ただただ自分の喜びのためにやっていた声のワーク、それからヒーリングコード。どちらもこの資格が欲しい!と思ってやったわけではなく、ヒーリングコードは、必要性から、そしてヨガオブボイスは、声を出すことをもっと学びたいと願う私が動き出し、それによって、与えてもらえたものです。不安から動いている時には、全く意味のないこと、必要のないことをしていることがほとんどです。安心した状態で、自分のためにワクワク思い浮かべる事ができることをすればいいだけなんです。やっていて楽しいしね。結婚できないかもしれない、だから、生活をちゃんとしなくちゃ、そのために資格!となっている場合、その資格を取る必要は、多分ありません。私は、これからどんな風に生きていきたいかな?結婚しても、していなくても、自分らしく生きるってどういうことだろう?と考えたときに、やりたかったけれど、こんな資格の勉強をしていたら、結婚できなくなるかも、と思っていたから、躊躇していたことをちゃんとやってみよう。そう考えると、ワクワクするのであればぜひやったらいいと思います。結婚できないかもしれないから、資格取らなくちゃ、という思考もあればこの資格の勉強を始めたら、結婚できなくなるかもしれないから勉強はやめておこう、という思考もあるんですよね〜。本当に、私たちの心は、難しい。大切なのは、私たちがどう生きていきたいのか。ここを明確にすることです。結婚を望んでいるのであれば「結婚できないかもしれないから」という思考はいりません。その上で、結婚したら、どんな生き方をしたいのか?を想像して、それでも必要な勉強があると感じた時にその勉強をすればいいのです。その判断には、「ワクワクする」が絶対条件。資格の勉強をする時間よりも、自分がワクワクして、楽しくなる時間を持ち、自分の楽しい世界を広げていってくださいね。そのほうが、きっと運命の人にも出会いやすくなりますよ!!今日もお読みくださりありがとうございました、私の本が発売中です! 運命の人はいくつになっても現れるー恋愛ドラマセラピーで35歳からの理想の結婚を手に入れるー Amazon ドラマセラピーで40代から人生のヒロインになる-あなたの中の美人が目覚める- Amazon

    結婚ができるか不安・・・だから資格を取った方がいい?
  3. 不思議な。
  4. しかいなかったのでメンタル的に結構大変だった3ヶ月の訓練中にお互いの事をよく話すようになり、訓練が修了するころに、初めて私はLINEを始めて、連絡がとれるようにしました。夫も、私に初めてできた友人なので、「お付き合いは大切にしろよ」「soraさんと会うときは、一緒にいてくれる彼女に恥をかかせないように服装に気を付けろよ」「soraさんは、最近どうしてる?」そのうち、電話越しに独身のsoraさんの男性の好みに口を出すくらい、夫にとっても大切な友人でした。(マドンナ的な?)夏に3人でちょっと遠くへフワフワのかき氷を食べに行ったり、病気がわかる直前には、夫が大好きなイチゴをたらふく食べようと、3人でイチゴ狩りにも行きました。(今から考えたら、なんで写真撮らなかったんだろう)また、どこかにみんなで出かけようね、と約束をした後夫の病気が分かり、soraさんにも何回かLINE通話をして涙ながらに気持ちを聞いてもらったりしていましたが、抗がん剤治療を受けてからは夫の体調が良くないことも多く、誰かとゆっくり電話をする時間自体もなくなり、たまに時間が作れてsoraさんとお会いできるかな、と思っても、お互いタイミングが合わず、状況をまとめて報告する形になるより、ブログを始めてからそちらを見ていただいていました。夫が亡くなった後、納骨まで終わってしばらくしてようやく約束ができて、16時からの精神科受診の前にランチ、カラオケ、ずっと前から行きたいねと言っていたパンケーキを食べに行きました私は受診の時くらいしか街には行かないので詳しくないのですが、食べたいものを聞いて、すぐにお店を調べて下さったりと、とても頼もしい方で、私も夫に「もう結婚してるから、男と出かけることはあんまりないだろうけど、女性と会うときほどきちんとした格好をしろよ」と常々言われていた通り、ちょっとだけ服装に気合いを入れて出かけました(ワンピースを着て、マニキュア塗ったくらいですが)1年半ぶりくらいにsoraさんと会って、もっと悲しかったこととかいっぱい込み上げるかと思ったのですが、soraさんが沢山気を使ってくださったのだと思うんですけど、以前のように楽しくご飯を食べて、カラオケをして過ごせました。前会ったとき、もっとピリピリしていて、自分の普段の生活に色々不満を抱えて、すごい愚痴っていたような気がするんですが、今はその事に対してさほどストレスではなくなっていて、沢山の方々に支えられて、色んな感情に触れて夫と過ごした1年3ヶ月は、私の中の何かを少しは穏やかに変えてくれたのかな、と感じました。2時間のカラオケタイムはあっという間に過ぎ、(お疲れ様で奢っていただきました)場所を移動して憧れのパンケーキを食べつつ、近況をお話ししていたのですが、会ってない間に、やっぱりお互いの環境は変化していて、彼女のご両親は80代で、お二人で住んでおられるのですが、お父様が認知症を発症され、お母様の精神的身体的な負担が大きく、車を持たない彼女は、月に1回レンタカーを借りて(4時間くらい?もっとかかるかも)診察や、ケアマネさんとの話し合い、お母様の負担軽減のために帰っておられるとの事でした。ご兄弟もおられるのですが、やはりそれぞれの事情で、できる事が限られてきて、分担はされているようですが、やはり十分なことができず感情的に割りきれない気持ちで辛いこと。弱られている今のお父様を見ると、現役でバリバリ働かれていた頃を思い出して、なんとも言えない切ない気持ちになることを話してもらいました。山間の不便な場所に暮らされていることもあり引っ越しをしてもう少し便利のいい場所をお母様にすすめても、今の生活を変えるのに抵抗があられるとの事。私の実家の母も、同じ問題に直面しているので、決して他人事ではなく。旦那との二人きりの時間に浸りきっている間でも、時間は流れていて、みんな歳はとっていく。もちろん私自身も。先日の敬老の日、夫の眠る墓地の合同供養祭があり、義母と参加したのですが、帰りに甘いものを買って義母の家でお茶をしたとき、相変わらず私の顔を見ては涙にくれながらも「さっちゃん、この先どうしても実家に帰らなきゃだめなの?お母さんも田舎で苦労されているようだし、介護なら私も手伝えるから、こちらに呼んで一緒に暮らせない?」「あなたは私の娘なんだから、 もっと甘えて、わがまま言って、頼ってほしい」と言ってもらいました。ありがたい申し出だったのですが、義母は母より年齢が1つ下なだけです。股関節の変形で手術をし、リウマチを患っている私の母より大分気持ちも身体もお若く、はつらつとされていますが、去年の末に腰を悪くされ、旦那の事があってからますます痩せられ、血圧も高くなっておられます。病院が嫌いで、血圧のための内科も、腰のための整形外科も足が遠退いておられます。自己管理ができているかと言えば、ちょっと…私も正直寝込みがちだし、夫の事があって、「若くても、誰が先にどうなるかわからない」と思っているのもあり、(口に出しては言えませんが)「母もどれだけ不便でも、早く亡くなった父との思い出のある土地から離れたくないというので…」とお断りさせていただきましたが。義母も、不安なんだと思います。頼りにしていた息子が亡くなり、いざというとき、支えあえる人間が、家族が減るというのは。みんなが無理をせず、納得して、我慢しなくていい方法なんてそうそうないのかもしれません。先は見えない話しながらも、楽しく、話は尽きなかったのですが、うっかり精神科の予約時間をオーバーしていることに気が付き、私は少し胃が小さくなっているのかパンケーキを1/3残して、次回は夫のお墓参りの約束をして、お別れしました。行きつけのクリニックはパンケーキ屋さんから徒歩2分なので余裕で行けました✨

    たくさん共感されています

    お疲れ様のお茶会
  5. は書き終わりましたADHDのこともあらかじめ書いておきました。過集中や不注意がよくあるため以前のコンビニバイトでは仮点検や検品作業が不得意と判断され主にレジや清掃を任されていた、等。障害者雇用ではなく普通のタウンワークで応募したため、ちゃんと伝えなくては初めは健常者と思われてしまいますからね…。そして後から障害があると知られる方が店側にとっても迷惑で私にとってもしんどいことになるでしょうし…。あと問題なのが証明写真。かなり遠い場所に写真機があるため深刻な引きこもりにとっては撮りにいくのが想像以上の苦労…。これは甘えですね…でもバイトだし写真なくても許されないかな…。と思ったらダンボールの中に半年前の証明写真あったああ!!よかった…まじでよかった。というわけで明日の面接怖いですが、頑張って行ってきます。仮に受かったとしてそこのバイト先そこそこ距離あるから毎日通えるかとかいいバイト先かどうかわからないし色々不安は募るけど…。それは受かってからの話ですね。とにかく明日頑張ってきます。イラスト。ART-SCHOOL「SAD SONG」薬の副作用なのか精神的なアレなのか最近歩くと頭グワングワンするけどそれも治ればいいな。バイトの面接で「君は暗いのか?」って精一杯明るくしてるつもりですが(syrup16g I'm 劣性)みたいなことにはなりませんように(笑)とりあえず洗濯物取り込んでお風呂はいったので今日はもうゆっくりしよう。ではまた明日。

    たくさん共感されています

    SAD SONG
  6. 事を聞き出せるようカウンセラーのような専門家はいないのでしょうか?この子たちのためにも真実を導き出したほうがいいですこのまま何事もなかったように大人になるのは無理です少なくとも「あの日...」そう思い出し、罪の意識に苛まれて過ごすこともあってもおかしくないのですもう優空くんは戻らないのですだからこそ、真実を聞き出し事の重大さを教えるのが大人の役目です。。蓋をして無かった事にしないでください正直に罪と向き合う事が生きるという事です本当に事故であったなら、それはそれで親御さんも真実がわかれば納得できると思いますそして、不幸にもいじめであったとしても真実を語った事で時間はかかっても、許そうと思えるはずですまずは一人の男の子が死んだ理由が大事なのですこの遺族の親子を二度殺すような事をしてはなりませんした方も苦しいはずです。。。加害親ならこの苦しみから解放してあげるよう真実を語らせるよう仕向けてくださいそして親子で優空くんに詫びるべきですこれから、優空くんの分まで生き切る事ですそれが償いだと思うのですあまりにも親御さんがお気の毒すぎて書いてしまいました皆様はこの事件をどう思われますか?想像でしかないのですが...春ウコンについてはこちらアメンバーについてはこちら   ぽちっとふたつ宜しくお願いしますにほんブログ村人気ブログランキング

    たくさん共感されています

  7. たんですそれを聞い強迫性障害の疾病恐怖の私は心配で心配で嫌がる母を無理に連れ出して病院に行って来ました心臓の音を聞いたりレントゲンや心電図を撮ってもらい、結果は風邪による気管支炎でした(´▽`) ホッ良かった〜〜というわけで一安心そして私も診察してもらい風邪と診断されましたで、私はその後眼科へ私は眼圧が高いんです視野に問題はないそうなので緑内障ではないそうですが、やはり心配今日もやはり眼圧が高かったので薬が変わりましたこの薬の副作用が問題で、目から溢れた薬をきちんと拭き取らないと色素沈着してクマができるそうでこんな薬使いたくないけど仕方ない眼圧下げなければそして帰りにちらっとちょい飲みビールとお通したこぶつかなりデカくてグロテスクだったたこ焼きハラミ串そしてスーパーで買い物して帰宅帰宅してからすぐにお風呂に直行なぜなら、眼科で皆んなが機械にアゴやオデコをつけてるところに自分もアゴやオデコをつけたから視力検査では視力検査用のメガネをかけたし強迫性障害の不潔恐怖のためとにかく洗い流しましたでも今日出来たことがあるんです眼科でトイレに入れました(∩´∀`)∩バンザ──イかなり広いトイレだから入れました来週土曜日は大好きなアーティストのライブがあるので、ライブ会場でトイレに入らなければ基本的に外出先でトイレに入れないんですが、少しずつ慣らして行かないとなあと思います頑張りますでは最後まで読んでくださってありがとうございましたにほんブログ村強迫性障害ランキングへ

    たくさん共感されています

    心配と病院巡り
  8. 寒い過ぎて揚げ物欲がますます減退。致命的過ぎる。晩御飯しかし、スーパーの総菜って揚げ物ばっかりなんだよねこれから先どうしようか本気で悩むとりあえず、右上のチーザーチキンだか?そんな名前のやつ久しぶりに食べたら寒さも手伝って激ウマだったシチューもドリアも食べたかったら真ん中取ったらこれになったあたしにしては珍しくナイスジャッジ揚げ物はほぼ惰性と勢いで食べてるけど、げんこつメンチだけは本当に美味しいと思ってる肉肉しさたまらん冷凍コロッケは最早おやつ感覚これはこれで好きこれで揚げ物に飽きてるはないわなパン前回のリベンジで芋の蒸しパン買ってみたこれは前にも食べたことあるやつだから安心して食べたけど、やっぱりちょっともさもさする気がする水分取らずに食べてたからかな?他の二つは瞬殺お菓子総じて水分持ってく系けど、バタークッキーやめられない明日行けばまた三連休なので今日はこれにて終了。心に余裕がある。もう、週休3日せいになっちゃえばいいのに…それはそれで金銭的に困るけど。人間無い物ねだりだよね。仕事してなければそれはそれで退屈だって思うくせに働いてれば働いてたで休み欲しいって…本当に宝くじでも当たって欲しいわ。買ってないけどさ。あー本当にしゃぶしゃぶとか鍋とかおでんが食べたい。なんなら、肉まんも食べたい。つまり心から寒いと思ってる。三連休の間にしゃぶしゃぶ食べ放題行きたいな。まぁ、実現しないだろうけど。とりあえず、ラスト一日に向けて寝るとします。皆様おやすみなさい☆

    たくさん共感されています

    なんだかな
  9. だけれど、その一つ精神科再診日。寒さに気持ちが下降しそうってことと、面接が無事に終わったってことをメインに話した。「下降するには、まだ早いでしょー。寒さの本番は、まだまだだよ。何か趣味とか、ないんだっけ?」って聞かれたから、西武ライオンズの話もした。先生と趣味の話をしたのは、初めてかも知れない。面接した、精神科は、主治医も知っていて。副院長先生を知っているらしくて、色々、話を聞くことができた。帰りに、スタバに寄り、おおつぼほまれマフィン(バナナカカオチップ)と、大好きな、珈琲診察が終わりのほうになった時、主治医が笑いながら、「じゃあ、これ(私の薬)も、○○先生(転職先の副院長先生)に、出してもらう?」って。私「そう言われるかなって思っていました。でも、○○先生(主治医)、お願いします!」って伝えてきた。精神科に転職したいって思った時、主治医にそう言われるかな。って思った。冗談でも。主治医「分かったよ。ここには、気分転換も兼ねて、来てください」って、笑ってくれた。こんな冗談を交えることができるようになったのも、ちょっと底から上がってきたのかな。精神科の勉強、頑張りたいって思えた、一日でした。あと、スタバで、東野圭吾さんの「赤い指」読み終わった面白かった今日は採血室の勤務。無理せず、頑張ろー。いつもありがとう

    コメントが盛り上がっています

    精神科再診日と    主治医への報告
  10. 7月退院してきて、仕事が新鮮に思えて、やたら張り切っていた8月仕事に行くのが嫌で嫌で、理由をつけては休んでいた9月あんなに嫌がっていたのに、行くのが当たり前と思っている月ごとに変動があって、今は自転車通勤も普通にこなしている8月は、疲れてるからしょうがないやとか、退院してきたばかりだからしょうがないとか、理由をこじつけて作業所を休んでばかりいた。だから今日、8月の工賃日、給料はいつもの半額だった半額でも頂けるものは嬉しいけどねこう考えてみると、8月休んでばかりいたのは、暑かったからという理由だろうか確かに暑くて、いろんなことやるにも気力が湧かなかった今9月は、眠くて眠くて参っている目覚まし時計で起きるんだけど、なんとかして寝ていたい、いや、でももう起きなければいけない時間になっている。葛藤起きなくちゃいけないのは分かってるんだけど、何か理由になることはないだろうかと考えながら寝ている。ギリギリまで寝て、やばいと思って、飛び起きる暑苦しい気温から抜け出して、快適な気温になったから、今度は眠くなる人間のサガ今も眠いんだけど(訪看で作業所早退)冷房と扇風機をガンガンにつけて、眠気を掻き飛ばしている今日は我が家の近くの味の素スタジアムで、ラグビーのW杯の開会式があるので、もうすぐ14:30から交通規制が始まって、ラグビー一色になる。午前中、仕事で味の素スタジアムの前を通った時は、警察とカメラマンがすでに何十人と居て、おお、マジで始まるんだ〜と思った。母と今、自転車で現地まで行って、雰囲気だけでも味わってくるか、と話している横で父は呆れた顔して見てるもっと早くから知ってれば、チケット買ったのに・・・今は、オリンピックの車いすバスケットボールが当たることを、マジで祈っている。私も母も、生きているうちに東京オリンピックが行われるのは最後だろうと思っているから近況としては、以前のように暴れたり、わがままを言ったり、というのは減った、というかなくなったすごく落ち着いてきている。母の力が大きいな母に感謝しても、仕切れないくらい。だから行動で表している良かった、50超えても暴れてるおばちゃんにならないで・・・ゆこたん   このブログのランキングに参加しています。読者の方のクリックで、大変励みになります。宜しくお願いします。↓ ↓ ↓にほんブログ村にほんブログ村

    たくさん共感されています

  11. 9/19木曜日  手抜き万歳弁当
  12. 間もなく、お母さん入院している病院へ・・・病院の受付で、叔母さんと待ち合わせしました。約半年ぶりの再会叔母さんはとても元気でハキハキしていました病室に向かう途中「すごい痩せちゃってて、別人だからね。驚くよ!」と叔母さんが・・・そして、4人部屋の中の窓側、カーテンの奥へ夫と向かったのですそこに横たわっていたのは、年始に会ったお母さんの面影が一切ない、まるで別人でした35キロももはやないんじゃないかと思えるくらい、顔も足も腕も細くなっていたのそして、治療のせい?か顔色は黄色というか、黒ずんでいて、そしてとにかく痩せていて、そしてそして、80代のおばあちゃんのように見えたのです50代の若々しい奇麗なお母さんではなく、目の前にいたのは、明らかに老人のようでした・・・実際の年は64歳です。流石に夫も、一瞬顔色が変わったのを見ましたでも、一瞬で、いつもの夫に戻っていましたそこは強い・・・「ごめんねぇ。こんなんで。びっくりしたでしょう。ぜんぜん違っちゃってるもんねぇ。」とお母さんは明るい口調で話してくれましたその言葉に救われました。でも明らかに私は動揺してしまっていたと思います・・・そして、夫と、叔母さんと、私の3人で、先生に話しを聞きに行きました。家族が先生に話を聞くのはこれが初めてだそうです。診察室のようなところに通されました。怖そうなドクターが現れて、お母さんのカルテを見ながら説明を始めたのです。「2016年ね、最初に癌が見つかったのは。盲腸。その時はね、手術してとったんですよ。でもね、その後ね、基本念のために抗がん剤治療をするんだよね。普通。でもお母さんね、お金ないって言って、断ったの。」なんと!お金が原因で治療をしなかったのでした・・・そんなこと、つゆ知らず・・・「そしてね、まぁたらればの話になるけど、この時治療しなかったこともあってね、2018年の年末に、肩の骨、恥骨、首の骨、脳に転移してることがわかったのね」そんなに転移してたの?!「脳はね、放射線治療をしてさ、多少小さくなったわけ。でもね、結局消滅はしていないの。本人はね、知ってか知らずか明るいキャラクターだから、自分は治るって思ってる」うん。お母さん、あんな状態なのに、冗談を言ったりして、笑ったりしてたの「でもね、もうこれはね、治るとかのレベルじゃないの。余命何日とかってレベルではもうないの。本人がまだ治療したいっていうから、体力が続く限りは治療してあげたいって思ってるけどね」病室に重い空気が漂ったのですここまで、放置してしまった家族として、そして長男の嫁として私はこの病室にいます・・・今後の治療方針としては・もう放射線治療はしない・本人が望む限り、体力が続く限りは抗がん剤治療はする・今日は退院して、来週の金曜日から、また抗がん剤治療を始めるとのことでした癌患者さんのブログをたくさん読みましたが、こんな状況でも、抗がん剤治療の期間が終わると、帰宅を余儀なくされるのですね。。こんなに痩せていて、一人でそもそも暮らせるのか心配になるレベルなのに、病院はやはり治療をする場所なので、次の抗がん剤治療が始まる前までは、自宅に戻らねばならないとか・・・お母さんの場合は、衰弱が激しいので、訪問看護の方が、週に2回来てくれることになりました人によっては、この抗がん剤治療の合間に、仕事に戻ったりしてる人もいて、驚きでした・・・そこまでして働かねばいけない、現状・・・お母さんの場合は、傷病手当と、叔母さんが心配して手続きをしてくれて、生活保護を申請し、ようやく通って病院の費用は無料になることになったそうでした・・・「こんな状態で、そもそも旅行へ連れて行っても良いものでしょうか」私は聞きました。だって、あまりにも痩せていて、座るのもやっとという状況だったからです・・・「本人が行きたいっていうなら、連れてってあげて」と、先生・・・「温泉につかっても大丈夫ですか?」「肩の患部は濡らさないでくれれば大丈夫」そう、肩の骨に転移したせいで、左うでがもうパンパンに腫れあがっていて、全然動かない状況でした。年始に会った時は、肩が痛くて、ここまでしか上がらないのよ〜って言ってた腕が、今はもはや上がるという状況ではなく、もう石のように固まって、むくんでいて、動かない状況でした涙が出てしまいました。。。「こんな状況で、一人で家に居られるのでしょうか。。。?もはや、私の家の近くの病院に転院して、面倒を見てあげたほうが良いのでしょうか。今の体力の場合、飛行機や列車での長距離移動はできるのでしょうか」「今が最後だね」とのことでした・・・。その後、叔母さんと夫と私で、家族会議・・・病院の休憩所にて・・・とにかく、私は涙が止まりませんでした。。。こんな状況になっていたとは、微塵も知らず・・・だってなぜなら今の私なら、もっとしてあげられることがあるからです。今までは誰にも何もしてあげられなかった。でも今は、自分は元気で、貯蓄もあり、自分の母親には、安全機能がついた、新車をプレゼントして、携帯もプレゼントして、私が携帯の費用も払っています。美味しいものを食べに連れて行ってあげたり、今まで迷惑かけた分、親孝行できているのです。なのに、夫の母親は、一人病気と闘っていたなんて・・・いや、叔母さんがそばにいてくれた。それがせめてもの救い・・でも叔母さんにも自分の生活があり、そんな中で、お金がないお母さんのために、やりくりしてくれていたようです・・・「いいよぉ。そこまでしなくていいよぉ。それこそ、死んだ時のこと考えといて。もう助からないもん。お墓とか葬式とか、そっちもお金かかるでしょう。その時のために、お金貯めておいてくれればいっから。毎日私が様子見に行って知らせるから、大丈夫だよー」叔母さんが言ってくれました。「そうですね。。お母さんにとっても、いきなり知らない土地へ行くより、生まれ育った故郷で、お姉さんがそばにいてくださった方が安心ですよね」そういって、話は落ち着きました。そして泣き顔を直して、お母さんの待つ病室へ戻ることになりました。

  13. 紹介状を出してもら精神科へ行きましたうつ病と告げられました好き勝手に生きてきて、横着で、親不孝ばっかして迷惑かけててチャラッチャラしてた私が?嘘やん診察が終わり車に乗って泣きました頭の中は、うつうつ?私が?え?とにかくマンションへ戻りました母へ、泣きながら報告しましたわたし、うつ病だって大事なパパを亡くしたばかりで、勤務先からはいつから来れる?急かされ、諸手続きが終わり次第勤務しましたうつ病を隠していつのまにか頭の中は、働かなきゃ5歳を立派にしなきゃとアリ地獄のごとく病に落ちてます当時、全く気がついてなく自覚すらありませんでした管理職を任命されましたこの状況でパパを亡くして苦しいけど勤務してました責任を持って勤務してました当然だと思っていました正当なことを言ってる仲間がくびなりましたしたっぱだったわたしついに、責任職です部下は使えないのばかり指導したら辞めるの繰り返しになります会議でわたしは追い込まれましたそれでも、正社員やりがいもあり顧客からの信頼は絶大です仕事はノー残業でやるべきことはきちんとやって定時に帰宅してましたのらりくらりうだつの上がらない仕事のやり方はしてません早く帰宅したい5歳に逢いたいパパのとこへ帰りたい間違ってないと今でも思ってます定時に帰るわたしに冷たい目線が刺さりますが無視です僅かな残業代なんて要らない早く帰宅したい時間内に仕事を済ませて何が悪い?そんな気持ちでいました仕事量を増やされ残業の日々に追い込まれましたそして薬はどんどん増えます勤務中も動悸がしたり苦しかったり働き方改革早く実行して欲しかったですパパも星にならなくて済んだはずですわたしもうつにはなってないかもしれません

    母に言われるまで気がつかない…うつ地獄の入り口
  14. 当ブログへお越しいただきありがとうございます。このブログは①本編『夫のHが嫌だった』②読者の方からの投稿の2部構成になっております。①本編 『夫のHが嫌だった』 はこちらから②読者の方のからの投稿を始めから読む②読者の方からの投稿をテーマ別に読む・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・以前からこのブログを読んでくださっている方からメッセージをいただきました。「ご無沙汰しておりますmioさん。先日Amazonで「おとちん」を購入しようと「夫の」というキーワードで検索していましたら「夫のHがイヤだった。」という題名の本が目につきました。詳細を確認したところmioさんのブログが本になったことがわかりました。最近ブログが更新されないのでどうしたのかと思っていましたがこういうことだったのかと勝手に納得しています。」長い間、ブログをお休みしておりました。一番の理由は急に忙しくなりブログに割く時間がなくなってしまったこと。そしてその忙しくなった理由の一つにこのブログの書籍化に向けての準備がありました。亜紀書房様から9月27日(金)発売予定です。https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=923&st=4amazonで予約注文もできます。 夫のHがイヤだった。 1,404円 Amazon 書籍化にあたりプロの方々に囲まれて原稿の見直し、再構築を行いました。Hが苦痛・・と一人で悩んでいる方に届いてほしいと思っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・■あなたの思いをシェアしていただけませんか?①ジャンクセックスに悩んでいる方②ジャンクセックスから別居・離婚・婚約解消された方③新しいパートナーと出会われた方④愛のある気持ちのいいH⑤ジャンクセックス・セックスレスについて⑦相談したいこと⑧夫(彼)がHに消極的ご協力いただける方は下記フォーマットで私にメッセージ欄からお送りいただけると嬉しいです。『 件     名    : UP希望  UPするときのお名前  : ○○○○  自分のブログにリンク : する・しない  内     容    : あなたの思いを               ご自由にお書きください。   』

    たくさん共感されています

  15. 眠れないのですね。不眠症も発症したのです。父が死んだ直後でした今は落ち着いて、時々、1週間に一日くらい寝れない時はありますが、基本自分の部屋では眠れます。しかしながら、お母さんの寝息を聞いていると、いつぞや止まってしまうのではないか、という恐怖で、一日目は結局眠れず・・・お母さんと夫が二人仲良く途中いびきをかいていて・・・(笑)親子!と思う一瞬だけは微笑ましかったのです二日目の朝、お母さんはまだ眠っていたので、夫と二人でレストランのバイキングへ行きました。ホテルのあの優しい若い女の子が、その日も出勤していたので相談朝食はバイキングなんですが、好きなものを選んで部屋に持って帰って良いとなりました^^トレーも準備してくれて。とにかく、料理も美味しいホテルだったはず?なのに、私は全く食欲が出ず・・・夫は、どんな時でも影響されないので、がっつり食べてましたそこが、頼もしい。私と同じく神経質だったら、二人してダウンしてます。何れにせよ、夫がいつも通り明るく、楽しく笑わせようとしてくれるので、救われていました。私と一緒に悲しんで、暗くなってしまっていたら、二人して闇の中に行っちゃうお母さんの朝食を選んで、部屋に持ち帰りました。「お母さん、朝ご飯持ってきましたよー」「あら、もう?朝?」よかったぁ・・・目が覚めた・・・お母さんをリビングへ連れて行き、朝食を食べるのを手伝いましたお母さん、ほとんどたべられなかったぁ・・・「ありがとうねぇ。本当に何もしなくてごめんねぇ」と何度も言うお母さんに、「今回の旅行はこのために来たので、全然気にしないでください!」って何度も言いました。朝の8時、大事なオキシコンチンの時間です。朝ご飯を食べたら、またベッドに戻って、服薬の時間。今日はお風呂に入れてあげたいって思ったので、薬を飲んだあと聞いてみました。「入りたいな・・・。でも、疲れちゃって・・・。ちょっとやすもうかな」辛そうな表情・・・そして、オキノーム・・・やっぱり痛みがひどいのですね・・・オキノームを飲むと、本当に5分くらいで、楽になるみたいです。「お風呂入りたいけど、、でも・・・」と言っていたので、「お母さん、そうしたら服着替えましょう^^。温泉で濡らしたタオルで体拭きますから」「そんなこともできるのぉ〜」昨日着替えられなかったので、服を着替えて体を拭く事にしました。フェイスタオルを温泉に浸からせて、絞って、あったかいおしぼりのようにして準備夫には、着替えの最中は、朝風呂と称して大浴場へ行ってもらいました。まずは履き替えやすい下半身から。履いてたパジャマのパンツも脱いで、下着も履き替え。真っ裸になるのは、きっと恥ずかしだろうし、私に見られるのも恥ずかしいかなと思い、バスタオルで隠しながら・・・「いいよぉ。気にしないからぁ」と言ってくれたのですが、自分だったら、きっと気にするし、あんな綺麗なお母さんだったから、今は違って見えても、中身は変わらない。と思って、尊厳厳守で接したいと思いました見えないようにしながら、温かいタオルで下半身を拭き、またお湯につけに風呂へ行き、タオルを洗って、足の指先まで拭きました。足がね・・・もう土踏まずもわからないくらい、むくんでいたんです色も部分部分黒かったり、全体的には土気色・・・そして上半身を着替えよう!となった時に事件が起きたのです左腕が全く動かないので、被り物の服を脱がせるのは大変でしたでも、それよりももっと悲惨な事件が・・・匂い、昨日感じた死の匂いは、やはり癌細胞だったんだと思います。左肩の骨に転移した癌が、とにかく肥大化していて、皮膚の外まで出てきてるの!(多分そうだと思う)当ててあった止血帯?ガーゼというか分厚い湿布というか、、、それがもう茶色になってて、染み出た体液?ですごい匂いだったのです・・臭い・・「なんか臭いなぁって思ってたんだけど、これなんだねぇ」お母さん本人もびっくりそのガーゼみたいなのの、替えを、看護師さんが、「変えるなら変えてあげて」と私に預けたので、当てられてたそのガーゼみたいなのを剥がしてみました。皮膚が茶色というか黄土色というか、膿がすごくて塊のようになってくっついていて、それを普通のお湯で温めたタオルで拭き取りましたはみ出てる癌細胞見たいな死んだ細胞の塊みたいなものですごそっと削ぎ落ちる感じで、取れたんです。膿?癌細胞?死んでしまった皮膚細胞??そして癌でボコボコになって腫れているブヨブヨになっている皮膚と皮膚の間から、急に大出血したんです!!!シーツも、タオルも、血だらけ!「お母さん!すごい血が出ちゃってます!救急車呼んだ方がいいですか!?」「大丈夫だよぉ〜。いつも血が出るんだよぉ〜。しばらく押さえていれば止まるから〜」お母さんが冷静だったこともあり、また私は血は苦手じゃない事もあって、お母さんが平気なら、、としばらく止血していました・・・しばらくしたら血が収まって、患部に塗る薬も渡されていたので、脇の下の擦れてしまってる部分や、肩の後ろ全体に薬を塗りましたそして病院から預かってきた止血用?のガーゼやらテープやらで補強して、傷口がリフレッシュされました「これがこんなに臭かったんだねぇ。。ひどいねぇ。ありがとうねぇ。看護婦さんやってたのぉ?」と昨日も聞かれたのですが、「昔病院で音楽療法やってたんです」「え?理学療法?」「いえ、音楽療法で、作業療法士さんの助手です」「そうなんだぁ。すごいなぁ。ありがとうねぇ」お母さんのちょっと訛りのある喋り方が好きになってました夫が血だらけのタオルを見たら驚くだろうと思って、さっさとかたずけて、、、ホテルの人も、あれだけの出血だらけのタオルを片づけてくれて・・・ありがたい・・・文句も何も言われませんでした・・。「すっきりしたよぉ!ありがとう」とにかくよかった・・・一次はどうなるかと・・・そんなこんなで、二日目の朝は、びっくり事件だったのです・・看護師さん、事前に教えて欲しかった・・・・というか、旅行前に変えてくれればいいのに、、こんな状態なら、毎日変えるべきじゃないの?と思ってしまいましたよ・・・だって、退院したら、どうやって変えるんですかー!一人じゃ出来ないし、、、訪問看護は週2回・・・兎にも角にも私の頭に、思いが駆け巡り、お母さんは少し寝るね、と言って横になり、、、そうこうしていると夫が戻ってきてくれて、「お母さん眠るって・・・」「じゃぁ気分転換に俺たちは出かけよう!」と言って、外に連れ出してくれたのでした・・・いまだに忘れられない、、細胞がごそっと取れてケロイドみたいにずるっと取れて、赤い皮膚の下?みたいなのが出てきて、硬くなった皮膚と皮膚の裂け目から大出血・・・

    たくさん共感されています

  16. の場合は糖質制限で嘔吐過食症からの回復ですが具体的に書きます。数字も具体的に書きますね。あくまで私の場合です、参考程度に読んでください〜。仕事に持って行くお弁当もササミとキャベツとチーズ、みたいな糖質制限を2年以上してました!うつ病になって入院になりましたが入院したのが摂食障害専門の病院の心療内科でした。体重の減少が著しくて生理も産後ずっと再開しなかったので婦人科を経由して摂食障害の専門病院に繋がりましたが診断名、まさかのうつ病〜。(仕事とワンオペ育児が直接の原因でしたが摂食障害も一因だったと今は思う。)うつ病を治す為なら、と真面目な私は糖質制限を辞めて食べることを決意。私は食べ始めの1カ月は入院してたから米はきっちり測った状態。200がシンドくて150にしてもらってました。それまでは0、炭水化物は一切抜いてた。オカズは完食して鬱で寝たきりだから運動はゼロ。トータルカロリーは1400だったかな?動いてないのに1400は怖かったけど治療と思って踏ん張りました。でも全然量が足りない!院内のコンビニでゼロカロリーゼリー爆買いしたり千切りキャベツ買って凌いでました。また別記事に書く機会があれば書きますがゼロカロリーゼリーは過食に拍車がかかりますね。退院してからは朝は豆腐とフルグラを混ぜて食べてた。昼はおにぎりとタンパク質のオカズ、夜は最初の頃はご飯は少なめから始めた。オカズは家族と同じものを。カロリー計算はナシ。カロリー計算すると身体の声を聞く練習にならないから。だんだん空腹、満腹感がわかってきてから身体の声に従って食べる量は変わっていったけど調子が良くてイケるかな?で食べ過ぎて失敗して発狂した事も何回かあった。失敗する度に怖くなってでも引き返せないから踏ん張る。笑ラーメンとかピザとか菓子パンとかは半年くらい怖くて食べられませんでした。糖質と脂質の組み合わせが怖かった。自分で作ったやつは大丈夫だったからよく生地からピザ作ったな。何回か勢いで食べて後から死ぬほど怖くなる度に大丈夫大丈夫、死にはしない、と言い聞かせ。笑食べ始めてしばらくは米で底上げしてあ、食べてみよう、のタイミングで無理はしないでパン、麺、パスタなんかも一口レベルから食べてみた。美味しい、食べられた、の積み重ね。朝食がパンとバターでイケるようになったのは1年後?くらいかな?小麦粉も一切食べてなかったからパンとか麺とかも最初は食べなかった。本当に亀の歩みでした。禁止食ばっかりだった食生活、少しずつ許可食が増えて食べ始めて2年くらいで完全に禁止食が無くなりました。最後まで食べられなかったのが何故か餅。米なのにね。笑外食が続いても怖くなくなって急な誘いも大丈夫になってお昼に食べ放題行ったら夕飯そんなに食べられない、とかオヤツを沢山食べたら夕飯そんなに食べられないとか朝ガッツリ食べたらお昼を過ぎてもお腹空かないとか頭で考えるんじゃなくて身体の声で少しずつわかるようになりました。続く。

    たくさん共感されています

    糖質制限の辞め方、許可食の増やし方。
  17. 多くの患者は、発作自死に至る“デトックス”“急減薬”といった行為の危険性についてなんら注意を受けていないと訴えます。 この問題について医師たちが「なかなか認めようとしない」とのこと。専門家は、ベンゾジアゼピン危険性について患者に対する注意義務を怠った医師に対する訴訟が洪水のように起きるかもしれないと警告しています。ベンゾジアゼピンは試験のストレス、人間関係の問題、近親者の死別など社会的および心理的なストレスに対し世界中の人々に処方されている薬剤です。1980年代の研究でベンゾジアゼピンの長期使用と脳損傷の関連性について示唆したマルコム・レーダー教授は、注意義務違反処方と危険な急減薬指導についての訴訟について、被害者の法的対応相談を3か月に一度程度行っていると語ります。レーダー教授はインディペンデント紙に次のようにコメントしました。『漫然処方が減少している兆候はない。ロイヤルカレッジ(訳注:英国の医師会みたいな)は訴えられることを恐れて否定しているが、約100万人もの長期服用者が英国にはいるので、 防訴保険組合(訳注:ドクターはみんな医療訴訟に対応する防訴保険、Legal Defensive Insureranceに入っています)はもしそのうちの1%でもベンゾ訴訟を起こせばもはや弁護不可能であり、医師達は裁判費用諸々を自己負担する必要があると判断しています。』2009年の全党議会グループの報告によると、英国には150万人の処方量依存者がいたと推定されています。 不安に対するベンゾジアゼピン処方は2010年に660万件以上であり、10年間で15%増加しました。 ジアゼパムに関しては20%増加しました。」これ、規制最先進国イギリスの記事ねイギリスやオーストラリアではストリート売買が横行しているのは以前こちらで述べましたーオーストラリアのベンゾ状況③まとめ「リバさんが言うには、おそらく英国も同じような状況だと想像できるとのこと。『中途半端に規制しても”どーしようもない”のが豪州と英国なんだと思います。どうせ市場に出回るんで。違法ドラッグですら、中学校や高校でも簡単に売買が行われるくらいです(娘の友人が英国人で、よく彼女から話を聞きます)』」これにプラスして医師による漫然処方も相変わらずあるイギリスですらーなにが”欧米のように規制を!”やねん陳情先も厚労省やなくて国連やんか!つづく※ 減薬手法はアシュトンマニュアルを読んで基礎知識をつけたのち、米国NPO団体BICのメディカルボード医師達監修のもとに作られたベンゾジアゼピンテーパリング戦略とソリューションを参考にしてください。それと、専門医を探そうとしている方はベンゾ専門医の見つけ方:ベンゾ断薬10のヒントを読んでみてください。自称”専門家”や"カウンセラー”が減薬バブルに乗って乱立してきてるのですぐに飛びつかないように!!『ベンゾの減薬は年単位で』『ベンゾ依存は依存(addiction)ではなく薬剤性神経傷害(injury)』はじめましての方はこちら

    たくさん共感されています

    イギリスの状況!~ ジアゼパム依存で訴えられる医師たち①
  18. 父の偉大さに泣きながら運転
  19. なってすぐに出会っ精神科のクリニックだったり、子どもたちの施設だったり、高齢者の施設だったり、ドラマセラピーに興味を持ってくださる場所がたくさんあったから。そんなわけで静岡は私が仕事をしやすい場所だった。私は今も静岡在住なのだけれど、今年の4月に娘が幼稚園に入り、私も彼女のスケジュールで動くようになったため、今までのようにオフィスでの勤務を続けることが難しくなり、5年くらいお世話になった麗子さんのカウンセリングオフィスを辞めることになった。娘が生まれてから、当然だけれど、私の生活スタイルは大きく変わり、仕事もしているけれど、やっぱり娘が中心なので、今までだったらできたことが、できなくなることが増えている。でも私は辞めたくはなかった。辞めたくなかったのに、時の流れがそうさせるように、色々なメッセージがやってきて、私は辞めることになってしまった。本当につい最近まで、ああ辞めたくなかったなあ、とずっと思っていたくらい、辞めたくなかった。あの場所が好きだったから。もちろん、そうは言っても、仲間であることは変わらない。でも私にとっては、麗子さんのオフィスから離れることは、とても大きな出来事だったなーと思う。そこになんだかずっと執着している感じがしていたけれど、またまた色々とメッセージがあり、未練を持つことも、やめなくちゃなーと思うようになった。そして気づいたのは。私はなんだか自分が一人ではやっていけないと思い込んでいて、私には無理だと思い込んでいたこと。実際にはずっと一人でやってきていたのに、自分の力をちゃんと認めていなかったということ。そして、私が何か自分にとって大きなことを手放すことで、新しいものが、与えられるのだという体験をすることにもなった。手放す。これって、本当に勇気のいることだし、愛着があったら、放すのはもっと辛いことだし、怖いこと。でも、手放せることって、豊かなことだなーと思えるようになってきた。新しい可能性が開かれて、新しい道が見えてくる感じ。新しい何かが展開していく。そんな豊かさと浄化をテーマにしたリトリートを、なんだかんだ言ってちゃんとつながっている麗子さんのところで、お手伝いします。え、離れたんじゃないの!?手放したんじゃないの!?って言われそうですが、私は、麗子さんのところのスタッフではなくなり(そしてこれをなかなか手放せなかったの)個人として、お手伝いをさせていただくのです。人は結局物理的なつながりがなくても、精神的にはずっとつながっているんだな。という気づきも私にとって豊かな感覚です。私は娘のこともあるので、お泊まりはできませんが、このリトリートの宿泊先は、ものすごーく素敵な場所だそうで、こだわりのお食事やら岩盤浴やら自然の中でのお散歩などもあったり、その他麗子さんとつながっているNPOの時からの仲間がみんなで交代でリードするワークやヒーリングがあります。私は、ドラマセラピーで、豊かさと浄化をテーマにしたワークをご紹介する予定です。新月の素敵な2日間。9月28日、29日です。まだお席があるようですので、興味のある方は是非いらしてくださいね!詳しくはこちらをご覧ください。今日もお読みくださりありがとうございました!

    手放して、豊かさを感じる