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  1. 最近のことここ最近、体調が後退しています。不安頻発で、毎日のように大きな不安に襲われます。今日は訪問看護でした。その間も、不安感がやってきそうで怖くて怖くて、びくびくしながら耐えました。16時頃になって今日菓子パンとお菓子しか食べていないことに危機感を感じスーパーへ。しかし、行けなかった。車で行って、お店に到着して、入り口の前まで行ったけれどだめだった。不安がやってきて、それに加えて、ADHDの薬の副作用で血圧が下がって目の前が暗くなる。見えない。気を失いそうになる。ここのところ、ずっと布団の上にいます。4月から仕事なのに、一ヶ月前の方がよっぽど体調がよかったと思う。昨日は診察日だった。不安が強いことを伝えて、薬は増量。これで、効いてほしい。そもそも、私の不安感はなぜやってくるのか、ということなんです。母に突然理不尽に怒られていた恐怖から、この世が怖いと感じているのでは?真面目だから不安になるのでは?など言われていますが、どれも、しっくりこない。本当に困りました。どうしてこんなに不安になるのか。最近読書もできていない。図書館にも1週間以上行けていない。つらい。助けてほしい。では

    後退している
  2. どうも休職で家事力の上がったロビンです。休職初期に書いていたモーニングページ(日記)を読み返していました。『モーニングページはうつに効く?』こんにちは😃休職1ヵ月を経過した頃、モーニングページというものを始めてみました。モーニングページとは、アメリカの作家Julia Cameron(ジュリア・キャ…ameblo.jp不安や後悔の言葉ばかりが並びます。心配事はどんどん膨らみ、「部下がうつになった上司は評価が落ちるのだろうか?」「上司が突然来なくなった部下はかわいそうだ。」と人の心配までしていました。己の心配をせえという話です。消えた意欲の火仕事に対する意欲の火は、ろうそくの火が消えたようにふっと何もなくなってしまいました。そして、仕事に限らずあらゆる意欲がなくなっていました。食事は摂れるものの、食欲は感じません。買い物に行っても、物欲はありません。言わずもがな性欲もありません。その消えた意欲の火が少しずつ現れはじめ、その記録が残っていました。・テレビに出てきた料理を見て、おいしそうと思うことが出てきた。・買い物に行って、料理を一品作ることができた。・ウォーキングの途中にブックオフに寄ってマンガを読んだ。料理はもともと好きで週末などよくしていたんですが、休職初期は料理ができないという以前に、何を作るかメニューが全く思いつかない状態でした。料理をできたことは大きな進歩でした。ウォーキングの途中で、マンガも読もうと思ったことも自分で気づいた変化でした。少しずつ家事をすることもでてきました。ある日、掃除機をかけていたら、妻が間違って部屋の電気を消してしまい、「さっきつけたのに!」と自分が怒ったところ、それを聞いた妻は喜んだそうです。感情の起伏がなくなって、常にボーッとしていた自分が怒ったことに回復を感じたそうです。怒ったつもりはありませんでしたが、瞬発的に反応が出たのは確かに回復の兆候だったかもしれません。復職のための着火剤できたことを一つ一つ数えていたあの頃と比べると今では、料理は毎日のようにするし、読みたいマンガもたくさんあります。だけどどうやら仕事のろうそくは消えたままのようです。こちらはお金のためという着火剤で火をつけて復職するつもりです↓モーニングページについてはこちらをどうぞ新版 ずっとやりたかったことを、やりなさい。 [ ジュリア・キャメロン ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}↓うつを脱するきっかけの本医師や薬に頼らない!すべての不調は自分で治せる [ 藤川徳美 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}誰でもわかる図解版 すべての不調は自分で治せる【電子書籍】[ 藤川徳美 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}

    休職3ヶ月の意欲の火
  3. 昨日松葉杖で、医者行ったり、娘習い事付き添いで2回街におりた結果、歩き過ぎたのか、朝ロキソニン飲んだが、傷口がいつもより疼く。不眠に関しては、二度寝を2時間くらいした。不眠悪化と痛み悪化で、気持ちをほっとくと終わらない苦悩に凹んでしまう。そんな時にもっと大変な苦痛で毎日一生苦しんでいる繊維筋痛症の方の経験談の本を二冊読んだ。人により症状の辛さは違うようだが、全身に痛みを抱えながら毎日生活していかなければならない。しかも、僕も最近感じるが痛みには他人は冷淡だ。薬も限られているし、多分軽減するレベルだろう。原因不明だし、周りにも理解してもらいにくいだろう。僕の足の痛みは、いつか終わるだろう。不眠は、正直減薬治療で、完全に治るかわからない。だから、心折れやすい。周りにはあまり辛さを理解されないまま、さらに10年は働かないといけない。でも、ガンや重大疾病ではないので、どんなに辛くてなんとか生きていくしかない。僕は娘が20歳になる65歳まで、長男長女のため、少しでも働くことだけが、苦しくても生きている意味だ。もっと難病で最後は死に至る病気でも毎日生きてるだけでも大変な人もいる。でも足痛と不眠で悩んでいる小さい弱い自分がいる。二度寝、昼寝含めて1日死なないレベルに寝て、痛みは時には薬に頼りながら、頑張って生きていくしかない。なるようになる。

  4. 今日の気分は、5段階で2。久しぶりのうつ日記です。バタバタで書けませんでした。一人旅日帰り旅行だったけど行って、帰りに娘から連絡あって、結局その晩から娘とあーちゃんが我が家に泊ることになり、急遽布団を買ったりして帰り、ほかの準備をすることなく2人が来て、ずっと泊ってました。あーちゃんは、ふうちゃんやつきちゃんのように赤ちゃんの時から抱っこしたり預かったりしていなかったせいか、慣れてなくてね。慣れるまで時間かかったり。でもかわいいんですよ、慣れてくると「メメちゃん」って呼んでくれて、やったーって気分。でもね、何日もいると食事の用意、洗濯、家事が大変です。通常の倍ですからね。その上、ペースを二人に合わせつつ、自分のペースも変われない。ぐちゃぐちゃ状態で過ごす日々。流石に体が持ちません。静かな毎日を送っているから、賑やかなのも多少ストレスになります。我が家に来るまで娘は子供たちが順番に胃腸炎になってましたから、2週間くらい看病してて疲れ切ってました。そこに来てパパが移っちゃったかから、避難ってことになったし、疲れているのがわかってるからやってあげたけど、そういつまでもいられてもね。テレビ電話で1泊で帰されたふーちゃんとつきちゃんとまだ元気になってないパパと連絡は取ってました。ふーちゃんが電話の向こうで泣いちゃってね。寂しかったんでしょうね。それでものんびりしている娘。「可哀そうだから帰りなさい」って言いました。向こうのお母さんも手伝いには来ていたみたいだけど、明日にはフラダンスのレッスンに子供達連れて行くって言ってるしね。パパも病み上がりでボロボロでしょう。少し休ませてあげなくちゃ。娘は充分我が家で休んだからいいでしょう。ということで、今日帰りました。やっと静かになって、私は抜け殻状態ですよ。後片付けしたら、もうゴロゴロ寝てました。多分数日疲れが残ります。幸い、木曜日の消化器内科までは用事がないので、休みます。もう限界突破してましたからね。とにかく寝たいです。嵐が去ったあとです。ゆっくりしましょう。欝の私にはハードな数日でした。その分休まないと立ち直れないです。それでは今夜はこの辺で。おやすみなさい。____________________________________TikTokもやってます。良かったら、こちらでもお友達になってね(#^.^#)姫綺 か komori_hikiで検索してもらえると出てきます。--------------------------------------------------------最後まで読んでくれてありがとうございます。姫綺を応援していただけるとありがたいです。↓をぽちぽちっとにほんブログ村うつ病ランキングありがとうございましたm(__)m

    うつ日記196
  5.  今朝は暖かく、ベランダに下着で出ても平気だった。 朝ごはんを外で食べるのに、さすがに下着で長くいるのは寒いもののシャツ一枚で問題なし。 この感じだとたぶん日当たりがいいベランダだったら下着で大丈夫だろう。 向こう岸のマンションには朝日が当たっている。羨ましい。 でもなぜかベランダに出ている人はいない。この辺はベランダ族少ないのかな。ベランダ裸族仲間がいると嬉しいのに。 眼下の桜はまだつぼみだけれど、今日の暖かさで開花を急かされそう。 ハイウエストのデニムと短い丈(最近はクロップド丈というみたい)のシャツを合わせて、手を上げなければ見えない程度にお腹を出す。 今年で59歳だが40歳くらいの時ならもしかして、「この歳でお腹出すのもどんなもんか」と思ってしまったかもしれない。 なぜかこの歳になるとますます平気になる。普通は逆なのかな?わからないけれど。  この季節の日差しの強さ暖かさと、少し冷たい風のアンバランスを楽しむためには、お洋服に風の通り道が必要だ。 デニムジャケットも両腕の肘の部分に穴があり、背中がホック(これって死語ですか?)で開けられるようになっているもの。春の大好きデニムである。 外堀通りを歩きながら、3月も終盤に差し掛かったと思うとちょっと焦る。 道沿いにあり、空いているところがたまらないカフェを覗くと、卵サンドがふたつあってふたつとも買う。 ないときもあるからラッキー。 桜が咲いたらこのカフェも混雑するのかな。 いつも開店したばかりの時間に行くから、窓際の席を確保出来たらいいな。 カフェ方面にしだれている桜の木を見ながら、笑っちゃうほどデカいカップ(ここの大盛りは本当にそう)で桜に囲まれてカプチーノを飲むよろこびを思った。 

    風の通り道
  6. こんばんは訪問ありがとうございます。いいね、フォローありがとうございます。大変励まされていますこのブログは、不登校から摂食障害、強迫性障害を発症し、のちにASD傾向だと診断された息子の、観察ノートの記録と記憶をもとに書いています。よろしくお願いします現在は、こもり期ですが、すこーーーーーーしずつ外の世界へ出ています。息子の摂食障害は、食べ物を口にするのが嫌、お腹がいっぱいになるのが嫌、ストレスなどが加わり食べなくなりました。中学3年生の3学期です。そして、食事をとらなくなり、食べられるものを探す日々が続く時期がありました。パックのジュースなら、寝たままでも水分が取れるから箱買いして、飲んだらさらに注文して、でも強迫症の症状が出てしまい、パックジュースはストローをさす部分が汚いから飲まないと言いました。大量の箱買いしたパックジュースは、消費しきれず人に配りました。ある時は、冷凍の吉野家の牛丼なら食べられる時期があり(松屋ではダメでした)、また大量に買いました。とにかく食べられるものがあると、嬉しいし、家にないとまた食べなくなるという不安からだと思われます。そして、今はツナマヨならご飯2杯は食べられると言いましたので、マヨネーズを切らさないように、嬉しさと、不安感から、タイトル通り11本のストックがあります。これには自分でもびっくりなのですが、無意識に買い物に行くと、息子が食べられるものを買っているようです。流石に、買いすぎだと息子に言われましたが、あなたが食べなくなることが1番怖いのよと、心の中で思ったのでした。最後までお読みいただきありがとうございましたメンタル脳(新潮新書) 『スマホ脳』シリーズAmazon(アマゾン)

    たくさん共感されています

  7. こんばんは。納得しているB型作業員です。今日は朝から本社でお菓子の箱折りでした。作業が始まって1時間後くらいに調子乗ってるおっさんが徳島から来た問題児のおっさんに「ちょっと、出来た箱、持ってきて」と遠くから、呼びかけました。それを聞いた、徳島のおっさんは「いや、あんたが取りにきぃや」と不機嫌そうに答え「いやいや、お前が持って来いよ」「だれに言うとんじゃ」みたいな感じであわや、取っ組み合いの喧嘩になりそうなところまで、いきました。はー、まったくこれだから、B型作業所ってのは嫌になるね。底辺が集まる、この職場は職歴も金もない世間をドロップアウトした人の集まりだから「ここですらナメられたら、もう終わり」なんだよね。だから、徳島のおっさんみたいにちょっとでも、身の危険を感じると俺は昔すごかったとか腕力とかそんなもんを振り回して少しでもナメられないように立ち回るそんな人しか、いないんだよね。鼻息荒くやんのか!?みたいな状態の2人は昼休憩のチャイムで舌打ちしながら、離れていきました。「僕、ロレックス買おうと思ってるんです」騒ぎが収まった後一食250円で支給されるくそマズ弁当を食べながらトンチンカンのK君は僕に語りだしました。「は?どうしたの、急に?」なぜ突然、高級時計なんか?いぶかしく思い突っ込んでみると「おじさんたちに、ナメられないようにと思って・・・。」と思いつめた顔で、僕に訴えてきました。「あのさぁ、高級時計なんて買っても、まともな人間はどうとも思わないし、逆に笑われるだけだぜ?」それにロレックスは僕らみたいな安月給が買うものじゃない。どうにか彼を思いとどまらせようとしましたが彼は続けて「そりゃ、まともな人は、ロレックスなんて要らないと思います。でも、僕らみたいな底辺は、ロレックスとかベンツとか、わかりやすい高級品を脅威に思ってるじゃないですか?だから、ここの連中に絡まれないためには、僕にもロレックスが必要だと思うんです。」・・・ほーん。つまり、この作業所のレベルの低さに合わせてあえて、ロレックスが欲しい、とな。「きみ、真理をついてるわ」僕と、トンチンカンのK君は弁当を食った後スマホで時計ショップを検索しました。

    新B型作業所日記32
  8. アア…腹痛かった…なんか収まった。ピンクの粒飲んだからね。コーラックIIだから、赤かな。朝からこんな話もなんだけど。抗うつ剤の副作用で手放せないんだよね。だけどコーラックって腹痛がやばいから、他に良い薬無いかな。マグネシウム系は効かないんだ😔なんか思ったけど、人生、あっという間よね?山田花子ちゃんのYouTubeで、50歳のバースデーを家族に祝って貰ってたけど。『人生100年時代、半ばにきました』って、言ってたけど、いや、違うから。って思った。100まで生きる人なんてほんの一握り。大抵は80代が女性は最も多いのでは?となると花ちゃん、あと30年ちょっとだよ?100まで生きるかもだけど、元気の高齢は良いけど、大体は介護などでね。お金あれば良い老人ホームで心配ナッシング、か?結論からいうと、人間、長生きしたらだめなんよ。テキトーなところで、元気なうちにパタリとなるのが1番。年金しか無いと悲惨な上、納める子供らが減って、国が崩壊。でも、大事な人に長生きして欲しいのは当たり前。あと、鬱病を本気で治したければ、同じ鬱病の人と関わらない事。落ちてる人と関わる→自分も落ちる、の悪循環。だが私は関わりたい、分かち合えるから。鬱病でなく明るい人生の人は言う、なんで毎日寝てんの?引きこもりつまんなくない?暇やん?こういう人には、わかっては貰えない。昔は私もわからなかった。メンタルの配信者さんが、メンタル薬の話で盛り上がってて、私には全くわからず、しかし今はわかる、あの薬ね、ああだよね、わかるわかる、って。とにかく人生短し。いや…長いわ!普通に生きたらあと40年近くもある?まあ無いだろう、私の命はウサ達に沢山あげているから。今日も鬱。

    ああ人生を楽しめない
  9. ★ お花 ★
  10. こんにちは。仕事のストレスからうつ病発症し退職、自宅療養を経て就労移行支援所に通所し、障害者雇用で就職したパリコです。お読みいただきありがとうございます。うつ病発症の経緯はこちら↓うつの経緯寝たきりだった私が徐々に寛解に向かい、就労移行支援に通うまではこちら↓2021年を振り返る就労移行支援を経て障害者雇用で就職した経緯はこちら↓2022年を振り返る昨日、久しぶりの友達からLINEが来て、明日パリコさんの最寄駅に用事があるからお茶しない?と連絡がありました。万年暇人の私は即OK。いつものミスドで会うことになりました。友達は私がうつ病になる前から付き合いがあり、病気にも理解があり気にかけてくれてます。友達から見たら私の肌艶はよく見えたみたいだし、体重が落ちた話しもしましたが、もともと細いからそんなに分からないと言われました。友達はアラフォーの女性で3年前に結婚、今は大阪市内のマンションで住んでるそうです。友達は本業は会社員なんですが、プロのダンサーと言う一面もあり、週末はショーをしたり教室で生徒さんたちに教えてるそう。なので見た目もすごく若々しいし、姿勢もスタイルも良くてキラキラしてるんですよね。でも本人曰くいろいろ気になるところもあり、おでこのシワが気になるとのことでボトックスを打ったそうです。打った直後から効果は覿面で、シワは一気に気にならなくなったそうですが、おでこや生え際をハチマキで締め上げられてるような違和感があったそう。ボトックスは効果も限定的だそうでまた打とうかなと考えてるみたいですが、私が見たところおでこにシワはあるように見えませんでした。ちなみにボトックスを打つとしばらく妊娠はできないそうです。私も眉下切開の手術痕を見せましたが、友達もジーッと見てあまり分からないと言ってました。もちろんメイクで隠してるのはあるんですが、傷痕は眉頭よりも長いため、眉毛で隠れてないところもあるんですよね。私はまだまだ気になっているけど、友達のおでこのシワ同様、本人が気にしてても回りからはあまり気にならないものなのかもしれないと思いました。そして二人で美容ってお金かかるよね~としみじみ話しました。楽しい時間が過ごせて良かったです。

  11. ※暴力などの重い内容を含みますので、ご注意ください※※敏感な方はブラウザバックを推奨いたします※きのうの記事を書くことで、ストレス食いのきっかけはダイエットではなく、子供のころの家庭環境だったと気づけました。【原因】両親の喧嘩が増える  ↓①無自覚のストレス食いが始まる ↓②太っていじめらる  ↓③体型へのコンプレックスが生まれる  ↓④ダイエット  ↓⑤自覚あるストレス食いが始まるこれから、これらをひとつずつ掘り下げていこうと思います。まずは【原因】両親の喧嘩が増えた事項から。小学校のころの記憶をさかのぼってみようと思います。母の精神疾患の症状が悪化をして家事もできなくなり、やがて妄想や妄言が激しくなり、時には何かにとりつかれたように暴れるようになりました。入院をしてもなかなか良くなりません。夫婦喧嘩の激化も止まらず、父から母への暴力も始まりました。母が悲鳴をあげながら家を逃げ出して近所に助けを求め、父がそれを追いかける…なんてことも。激高した父が母の手の骨を折ったこともあります。父もかなりの激情家でしたが、母も相当激しい気性で包丁を持ち出したことがありました。ただの脅しだとはわかっていましたが、万が一刃傷沙汰になったら大変です。両親の喧嘩がはじまると、姉弟と一緒にこっそり包丁を隠したりしました。最初の方は私も両親の喧嘩を泣きながら止めていましたが、2人共私のことなんて見てやしません。私の涙より自分たちの怒鳴り合いの方が大事なのだと思いました。だんだん付き合うのが馬鹿らしくなって、怒鳴り合いが始まっても「またやってるよ…うるさいなあ」と冷めた目で見るようになりました。やがて母は家を出ることになるのですが、その時も「やっと静かになる」くらいに思っていました。母が家を出る前、溺愛している弟(末っ子長男)を抱きしめて泣いている姿を見ても「くだらねえ茶番」とうんざりしていました。私の悲しみに無関心な両親に対して不信感を持ち、期待をしなくなったのです。そして、悲しい事が当たり前になって感情が麻痺してしまったのですね。悪い意味での順応ですが、あの環境でギリ正常を保つためには必要だったのでしょう。こうして書き出してみると……そりゃストレスで太ってもおかしくないわ…むしろそれくらいでおさまって良かったよ…と思います…。実際その環境の中にいると、それが当たり前になってしまい、いまいちピンとこなくなるんですよね。もしこれが友人の話ならかなり壮絶な家庭だと思うので、やはり子供にとっては厳しい環境だったのでしょう。こうして振り返ってみると、太ったことより感情が麻痺してしまったことの方が危ういと感じますね。……過食が小さい問題に思えてきました……いや、小さくないからこうして書き出しをしてるんですけどね。ちょうどこの頃は、小児喘息も発症してしまい、とても苦しんでいました。因果関係は証明できませんが、やはり家庭環境のストレスも関係していた気がします…。******************本日のまとめ書き出してみると思った以上に厳しい子供時代だった。今振り返ると、太ったことよりも大人への不信感と感情の麻痺の方が危うい。

  12. 現在、全日制高校1年の長男ぶ。中学1年二学期からの行き渋り不登校を振り返って、今の私の考えを書いています。出席率が上がらない → 評定は上がらないということがわかってしまった長男中2の三学期前回のブログはこちら↓↓『【不登校の歩み⑮】 受験まで1年。内申点どうする?!』現在、全日制高校1年の長男。中学1年二学期からの行き渋り不登校を振り返って、今の私の考えを書いています。中2の二学期後半から手続きを始め三学期から正式にフリー…ameblo.jpどう考えても長男が●完全に学校へ戻れる気がしない。●宿題も期限通り出せる気がしない。●ノートもとれる気がしない。それでも全日制普通科高校に進学したいと言う長男を私はどうしても合格させなければと勝手に追い込まれて頭を悩ませた結果出てきた考えは…長男の場合成績を少しでも上げて受験当日の点数を上げる方が実は簡単なのかも…そうして考えた次なる手は…塾を変えてみるか?!でした。長男のお勉強事情長男中1の夏「英語がわかんないよぉ。塾、行く」と言われました。この時、夫が亡くなって1年と数ヶ月。私はまだまだ先のことを考え不安になりやすい状態でお金を使うことに抵抗がありました。そして「中1一学期の英語なら塾行かなくても勉強すれば大丈夫でしょ。」「友達が行ってるから行きたいだけなんじゃないの??」と疑ってもいましたし、まだ長男が毎日登校していたので私自身の危機感は薄かったんですね。結局私は長男の発言をスルーしましたでも、二学期には益々英語がわからなくなりわからないから行きたくない→行かないからわからない下り坂の無限ループでどんどん落ちていきました。私は慌てて塾を探しました。でも、夏に行きたいと言った集団塾にはついていけず手遅れ…本人の理解に合わせてくれるということで個別塾へ通うことにしましたしかし個別塾は良くも悪くも本人のペースに合わせてくれるので長男のペースでとてもゆったりと進み…本人の理解が進まなければいつまでたっても学校の授業には追い付かず…長男の場合…成績は上がりませんでした。それでもこの頃の長男が嫌がることなく通えたのは本人のペースだったからだと思います。無理して集団塾にしていたら結局通えなくなったと思うので当時●最低限の勉強時間確保●家族以外の人との交流●定期的な外出の機会●受験の情報確保や意識付けなどなど色々な意味で無理なく通えた個別塾という選択はこの頃の長男には良かったなと思っています。個別塾には週に2回英語と数学に1年以上通いました。年間で計算すると○十万円くらい月々の支払いだけでなく長期休暇の前には毎回面談がありその都度補習をおすすめされその都度追加で○万円…実は費用対効果に疑問がでてきていました。そして恒例の中2春休み前の面談で来年度から塾代値上げ!振り替え無し!と変更されることを知りましたもうこれは塾を変えろ!というお知らせだなと思い改めて塾を探してみることにしました。すると以前はなぜか気がつかなかった塾を発見。近いから自転車で行ける一応行く日は決まっているけどいつ行ってもOK振り替えしてくれるそして安いなんで気がつかなかったんだろう…ということで無事、体験を済ませ長男のOKも出て中2の3月から塾を変更することにしました。『これで何か変化があるかもしれない』私はまた期待のコントロールを向けていました。

    たくさん共感されています

    【不登校の歩み⑯】受験まであと1年。成績アップを目指した次の手。
  13. 本日深夜にカップラーメン(ごつ盛り塩担々麺)を食べて寝てしまいました。1日1食にしたいのに意志が弱くダメですね。しかも寝る前に食べるとは・・・今日は4時前に目が覚めたので、このまま起きる事にします。いつものように1日分の野菜ジュースを飲みました。私には一生終わらない苦しみがあります。「明けない夜はない、止まない雨はない」と言いますが終わらないものもあります。私は人生に良い時期があったか考えてみましたが、無職になった約1年半が人生で一番幸せだったかもです。人生、過去に戻ってやり直したいとも思いません。人生最大の過ちだと思うことは2つありますが・・・今使っているWindows 10のサポートは2025年10月14日です。Windows 11へのアップグレードは不具合があったら面倒なので止めておきます。いずれWin10の脆弱性の修正は行われなくなりますが、ESET HOME Security Essential(セキュリティーソフト)の有効期限が2027/10/3までなのでヨシとします。もう中古でもパソコンを買い換える予算はない、Win11にする気がないので頑張っておくれセキュリティーソフト。2~3月分のNHKの受信料の請求書が来ない。無事に解約出来たようで良かったです。放送法は間違っていると思うけど、別にNHKが嫌いな訳じゃなく2年近くテレビは観てないから。缶チューハイを買いに行ってきます。

  14. ◇-------------------------------------------◇ 私はパニック障害、うつ病経験者です。 結婚当初から、 義母からの否定、見下しなどに悩み続け、 結婚して13年目にパニック障害、うつ病を発症しました。 心療内科に通い、 薬もしっかりとした量を飲んでいました。 そうして6年間苦しみましたが、 寛解するところまできました。 日々、なんとなくの孤独と これからの人生への悩みなど抱えてはまいますが 少しでも明るく笑っていられたらいいな、 と思って頑張っています。◇-------------------------------------------◇うつ病になった自分を乗り越えたそう思うようになってから、今まで選ばなかった方や動くことを意識して頑張ってみています。保守的な私にとっては少し大変ですが、少しずつ進んでいます。- - - - - - - - - - - - - - - - - - -私には心がどうしようもなく落ちたときやることがいくつかあります。その中のひとつがブックオフに行くあ、本を読むってことじゃないんです私は子どもの頃から本が嫌いでもう本が嫌いなこともコンプレックスなくらいです笑本が好きってなんかいいじゃないですか本が好き🟰知識も豊富で心も豊か、一人の時間を有意義に過ごすことができる人って感じで。あと、本が好きな人に私のような人生の選択を間違え続けるおバカさんはいません。(あくまで私調べ笑)以前にもお話したことがあるんですが、本嫌いにとって、自分が興味がありそうな本、こんな自分でも読めそうな本、を探すことすら一苦労なんです一苦労どころか、探し方がわかりません。なので、本屋さんのように各コーナーにきっちり分かれているのではなく多少のコーナー分けはあっても、いろんな本がごちゃごちゃっと並んでいる(安いコーナーは特に)ブックオフがちょうどいいんです今年に入って、基本ずーっと落ち込んでいて笑(リカちゃんも来てくれたし運動もしてるけど)この前、少しでも『アガる』きっかけやヒント探しにブックオフへ行ってきました。今回は、見た瞬間即決でこんな本を買ってきました👏2000もあるって笑そりゃ一個くらいハマるのありそう。中をチラリときっとある…😊こんなに書いてあるんだから絶対一個はあるだろう笑こんなぶ厚いしいい本見つけた気がしています。読んでみまーす。ちなみに。鬱々としたときに、ブックオフに行くことをオススメする理由がもう一つあって。もちろんいろんな本があります。今話題の本だけでなく『ガンになったら』とか『家族が認知症になった時に読む本』とか病気だけじゃなくて、趣味の本や子育て、家を建てる人のための本やお金の本、、、最近では、おひとりさまを楽しむ系の本もよく見かけます。本のタイトルを見てるだけで、どんな気持ちで読んだんだろうって、人生の中に人それぞれいろんなことがあるんだなーって思ったりもします。みんな生きてる限りいろいろある、頑張ってるんだなって思えたりします私も毎日もがきながら、自分の機嫌を自分で取って、それなりに頑張っていきたいと思っています読んでくださりありがとうございました。とても励みになっています

    心が落ち込んだときに行くところ(本嫌いの私が選んだ本)
  15. 先日、春分の日に、長男の納骨堂に行ってきました。普段はあまり人がいない納骨堂ですが、この日は人がたくさん。ちょうど法要もあったようで、大勢のご親族の中に小さなお子さんもたくさんいました。最近、こういった光景を見ると、法要に集まってくれるご親族がたくさんでいいな、あー…私たちが旅立つとき、周りにはどれぐらいの人がいるのかな、私たちが旅立った後、次男は…どうかな、…などと思ったりします。変ですよね、こんなこと考えるって。でも、次男をひとりぼっちにさせたくないという気持ちが強くて、つい考えてしまうんです。お兄がいるはずだったのにな…という思いも、やはり消し去ることはできません…。でも、こういう気持ちも、仕方のないこととして、自分を認めてあげようかなと思います。やっぱり今日もいい天気☀️本堂の屋根から、まるで煙が出ているかのような可愛い雲。きっと長男のイタズラだなー、なんて思ったり本堂の脇の池には、優雅な白鷺さん。優雅に見えて、獲物を狙ってるんですけどね。お参りを済ませた後、仲見世通りで、長男の好きだったジェラートを。写真撮るの忘れたけれど、長男オススメの組み合わせの、生チョコ&木苺。(↓この写真は、大学受験の時に遠回りして立ち寄った時の長男の手です。2019年2月だって)あー、この時の長男のようにコーンにすればよかったな。食べるの下手くそな私なので、いつもカップにしちゃうんだけど。そういえば、長男が旅立った年にできたお店の店頭に「まもなく5周年を迎えます」の看板がありました。何気ない看板にもチクン…としてしまうけど、最近は、それだけ長い間、私たちは踏ん張ってきたんだ、えらいぞ、と思うようにしています。そう思わなきゃ、崩れてしまいそうになる瞬間があるんですよね。春のキラキラに負けないようにしなくちゃ。今回、新しくお蕎麦屋さんを開拓しました。普段、行列になるお店らしいけれど、たまたま開店30分前に到着してしまい、駐車場にとりあえず停めたら、店員さん、速攻で来てくれて、先に注文聞いてくれました。車の中で待てたから快適だったし、開店と同時に入店でき、秒で食事は出していただけたし、味はもちろん最高だったしまた今回も、長男に導かれている気がしてしまいました。お彼岸…彼方と此方が一番近くなる…というけれど、そう考えれば考えるほど、姿が見えないのを寂しく思ってしまう私…でもそばにいるんだよね。いつもね。そう信じてても、やっぱり、会いたいなーって思うのよ。​今年もぼたもち作りました長男にはきなこ増し増しです

    お彼岸の光景