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  1. 少し前に紹介したやたらとタイトルが長~い作品実はもう一本同時にリリースされているんですよ【不良ムスメが盗みに入ったら、そこが食人ファミリーの家だった話~そこにマフィアが乱入して更に状況が悪化した】ま、まさに読んで字のごとし?読めばわかるさ?このままの内容の作品なのは言わずもがなですが危険な暗い夜道でひとりバスを待つ若い女性ニナたまたま?そこを車で通りがかった老婆ベリルは送ってあげるとニナを車に乗せて走り出し。。。走る車内でニナはどうして"こうなった"かを回想(親切なベリルに出会え一安心?)実は動物愛護団体の仲間や恋人の女性ヤズと共に"闘犬場"を襲撃!犬たちを救おうとしたニナだがヤズは犬たちを救い出す気なんてさらさら無い?掛け金の詰まった手提げ金庫を強奪し車で逃走!大混乱の中でニナは車に乗る事はできたけれども金をぶちまけ失い残ったのは古い"モーゼル"だけそのうえ闘犬場を仕切るマフィアの怨みを買って(これはヤバいですよw)逃げる途中で金の事や犬の事でヤズと喧嘩となりニナはあんな場所に置いてけぼりにされたらしくで、空き部屋があると誘うベリルのご厚意に甘え一晩だけ泊めてもらう事にしたニナだったけれどベリルは二人の息子ナイル、エディは既に自立し夫のジェラルドは既に他界したと言っていたのにその"死んだ"はずのジェラルドから朝食に誘われ(い、生きていたのかジェラルドw)何かおかしい?そう感じたニナは早々においとま行くところもなくヤズの元へと戻ったニナだけど一泊しかしていないはずなのに数日が過ぎていてそれもニナの腕には何かを注射された跡が。。。なんてただでさえ奇妙奇天烈な状況だってのに?仲間のケンゾーからマフィアに居場所がバレたとすぐに逃げろ!と電話が入り間一髪で逃げ出して(取り逃がしてボスご立腹)で、逃げたニナとヤズだが逃走資金もあてもなく思い出したのはベリルの家で見かけた手提げ金庫背に腹は?ニナが戻りベリルを油断させ金を奪い外で待つヤズの車で逃げる老人相手の"楽な仕事"のはずが?ニナが戻り大喜びのベリルだけでなくそこにはいないはずの息子ナイルもいてさぁ大変金どころじゃない?逃げ出そうとするも捕まって(いや、怖いでしょw)ベジタリアンで酒やタバコ、ドラッグとも無縁なニナを"清らかな体"と言って歓迎するベリルたちと、側の檻にも男性が捕まっているようだけど?「腐ってきた」「前腕は美味しくなかった」とか聞き捨てならない?家族の会話にニナは戦々恐々抗生物質の投与と味にこだわりがあるジェラルドもう"美味しくなくなった"男性の息の根を止めて(あ。。。そうなんだ)怯えて震えるニナにジェラルドは事情を語り出す檻の男性は幼い子供をひき逃げして殺した"犯人"罪とかカルマとか哲学的な言葉を並び立てるけどま、早い話が犯罪者を捕まえて"喰ってる"って話ニナも金を盗みにさえ戻らなければよかったのにってか、戻ってきた事こそが運命とか宿命らしくとにかく美味しく頂きますと宣言されちゃうニナ(まだ助かる望みがある?)(いや、そんな望みはないのねw)その頃、ニナを待ってる間に大麻を吸ってたヤズ自分自身の幻覚が見えちゃうほどフラフラなのにニナを心配しモーゼル片手にベリルの家に侵入!完全にラリッてるいし自分の幻覚と喋っているしどうせすぐに見つかると思いきや?運命?宿命?誰にも見つからず地下への隠し階段を見つける!と、降りようとするヤズにヤズがやめとけと警告(来なくていいよw)地下に降りたヤズはニナを見つけて拘束を解くがやっと気がついた食人一家が襲い掛かってくる!が、注射を打たれそうになったヤズが激しく抵抗注射針はジェラルドの太ももに刺さって薬剤注入ナイルがヤズを押さえつけるもニナが飛びついて混乱の中で二人は隣の部屋に逃げドアに鍵を掛けヤズがふと見るとそこには解体中の腐ったお肉が(ニナが冷静に解説)ともかく地上に出る扉を破り逃げ出すニナだけどナイルに足を噛まれたヤズは引き戻されて。。。ヤズが危ない!道に出て警官に助けを求めたニナ様子を見るため警官は食人一家の家の中へと入りその帰りをパトカーの中でひとり待っていたニナと、マフィアのボスがパトカーに乗りこんできてこのままでは拉致される?警官を呼んだニナだが(ボスめっちゃ怒ってるw)が、そこに警官がジェラルドを連れて戻ってくる天の助け。。。なんてニナが思ったのも束の間?実は警官は食人一家の長男エディでオーマイガーニナもボスも取っ捕まって地下室へと運び込まれ美味しい獲物が3人も捕まって食人一家は大忙し「ぶっ殺してやるぞ!」なんて口汚く騒ぐボスは舌を引っこ抜かれてすぐにおとなしくなり。。。(痛い!痛い!痛い!)もうお終い。。。誰も助けに来ないし助からないが、食人一家は"仲良し家族"というワケでなく?エディとナイルは殺し合うほどに兄弟仲は最悪で高慢な態度のジェラルドにベリルは不満を抱いてとはいえ?美味しいお肉のためには家族は団結!今夜の夕飯のためにジェラルドはボスの足を精肉その前に肉質や健康をチェックするとビックリ!(まさかのA5?)そんな美味しいお肉を並べ食卓を囲んだ食人一家今日の糧とボスに感謝しながら生肉を貪り喰らいで、エディは職場へと戻りナイルはゴミを廃棄に兄弟が外出しジェラルドはボスの精肉作業を再開ベリルはヤズの生死を確認するため地下へと降りフックで吊るされ瀕死のヤズに近づいたその時!ヤズはベリルの首を絞めて絞殺!自分も力尽きて(食人ババアの最期。。。)で、愛するヤズの死に悲しんでる暇なんてない?死んだベリルが落とした鍵束を手に入れたニナは檻から脱出!ヤズの荷物からモーゼルを手にして監禁室隣の精肉室にジェラルドを見つけて発砲!彼が倒れてる隙にボスの拘束を急ぎ解くニナだが起き上がったジェラルドは包丁を手に襲い掛かりそれをニナとボスがまさかの連携?協力して撃破(耳にドライバーでK.O.!)ところがこれで安心してられるほど甘くはない?タイミング悪く?ナイルが出先から戻ってくる!ジェラルドの死に激怒するナイルを押さえたボス自分は噛まれながらニナは先に逃げるように促すが、ボスが男気を見せたところにエディまで戻り状況が分からず地下に降りてきたエディにニナはフックを体に突き刺すとウィンチで吊し上げる!(身動き取れないエディ!)殺せはしないけれど時間稼ぎには十分すぎるほどその間に地下室から出たニナは当初の予定通り?金を強奪するとエディが置いたスタンガンを手に家を飛び出すと夜の闇に紛れて裏手の森へ。。。すぐにフックを外したエディが追いかけてきたがスタンガンを顔面に打ち込んでビリビリっと始末ニナが森を彷徨ううちに次第に夜が明けてゆくと闘犬場で助け森の中へ逃げた犬が駆け寄ってきて(めでたし、めでたし?)で、ナイルをボコったボスが逃げる様子が映ってエンドロールが始まって。。。終わったところでボコボコだけど生きてたナイルがカッ!目を開きまだまだ終わらない?で、THE ENDマフィアと揉め逃走資金が欲しい主人公たちだが金を盗みに入った家はまさかの"食人一家"の家!なんとか逃げよとするもマフィアのボスまで現れみんなとっ捕まって食卓に並びそうになる。。。ってかさ、あらすじも本編で流れるストーリーも長~いタイトルを読んだそのままの内容だなんて逆にビックリ?いや、驚く部分は一切無いけれど一番驚くのは原題が「BITE」の4文字ってところそのままだと短すぎるから長くした?(^▽^;)ただ、作品としては普通に面白い作品なんですよマフィアの件は取って付けたような感じでしたが普通に見えて何かおかしい不気味な食人一家とかもちろん陰惨でリアル過ぎる人体破壊描写も満載家族の微妙な関係がピリピリした空気感を漂わせそれが映像から観てるコチラにも伝わってきたり捕らわれた主人公たちが逃げようともがく姿とか追い詰められ生きる希望を失くしたところからの畳みかけるような反撃シーンには何故かスッキリ冗談みたいな?タイトルとは裏腹に丁寧な作りで胸焼けする程に楽しませてもらえました(*^^)v先日の同じく長いタイルの作品同様にゲオ先行でまだゲオでしかレンタルはできない作品でしたがグロくて痛くて見応えのあるB級作品だったので気になった方はサイトでチェックして下さいね!ま、そもうち見放題なんかにもなると思いますしオススメできる作品なのでその時にでもぜひです

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    「不良ムスメが盗みに入ったら、そこが食人ファミリーの家~」。。。
  2. キル・ビル Vol.2 のMY評価★★★★☆終わりなき復讐の旅 - キル・ビル Vol.2のあらすじ『キル・ビル Vol.2』は、復讐に燃える一人の女性の壮大な物語を描いた映画です。この作品は、クエンティン・タランティーノ監督の特徴的な映画製作スタイルが際立っており、前作の続編として、主人公が過去に決着をつけるための道のりを追います。アクション、ドラマ、そしてユーモアが絶妙に融合したこの映画は、復讐劇というテーマを通じて、愛と裏切り、そして救済について探求しています。主人公の内面の葛藤と成長が、息をのむようなアクションシーンと共に展開されることで、ただのアクション映画を超えた深みのある物語が生まれています。映画界の異端児、タランティーノの世界 - キル・ビル Vol.2の監督「キル・ビル Vol.2」は、クエンティン・タランティーノ監督によるスタイリッシュなアクション映画で、2004年に公開されました。この作品は、復讐に燃えるヒロイン「ザ・ブライド」の物語を描いており、その独特なビジュアルスタイルと斬新なストーリーテリングで高い評価を受けています。タランティーノ監督は、この映画でマカロニ・ウエスタンや70年代の香港カンフー映画への愛を表現しており、彼の映画作品には常に多様なジャンルへのオマージュが見られます。彼の他の著名な作品には、「パルプ・フィクション」、「ジャッキー・ブラウン」、「イングロリアス・バスターズ」などがあり、それぞれが独自のスタイルと強烈なキャラクターで知られています。タランティーノ監督の作品は、しばしばアカデミー賞やゴールデングローブ賞など、数々の映画賞にノミネートされています。特に「パルプ・フィクション」は、アカデミー賞で最優秀オリジナル脚本賞を受賞し、彼の映画製作における才能を世界に示しました。彼の映画は、独特の対話、記憶に残るキャラクター、そして予測不可能なプロットツイストで観客を魅了し続けています。タランティーノ監督の映画は、映画史において重要な位置を占めており、今後も彼の作品から目が離せません。スクリーンを彩る個性的なキャストたち - キル・ビル Vol.2のキャスト「キル・ビル Vol.2」は、クエンティン・タランティーノ監督の独創的なビジョンが光る作品で、復讐劇を描いたこの映画は、その鮮やかなキャラクターとアクションシーンで観客を魅了しました。映画の中心となるのは、ユマ・サーマン演じるザ・ブライド、彼女の復讐の対象であるビルを演じたデヴィッド・キャラダイン、そして彼の周囲の人物たちです。ザ・ブライドの復讐の旅は、彼女がかつて愛した男、ビルへと向かいます。ビル役のデヴィッド・キャラダインは、この役で深みのある演技を見せ、物語に重要な存在感を与えました。また、バド役のマイケル・マドセン、エル・ドライバー役のダリル・ハンナも、それぞれが個性的なキャラクターを生き生きと演じています。この映画は、タランティーノ監督の映画によく見られる、過去の映画へのオマージュや、独特の対話スタイル、そして予測不可能な展開で知られています。キャスト一人ひとりが、この映画の世界観を形作る重要なピースとなり、彼らの演技は映画の成功に不可欠でした。映画の中で、ザ・ブライドは自身の過去を乗り越え、新たな未来へと歩みを進めます。彼女の旅は、単なる復讐劇ではなく、自己発見と再生の物語でもあります。キャストたちの力強い演技によって、この複雑な感情の旅が観客に伝わります。「キル・ビル Vol.2」のキャストは、映画の心を形作る要素であり、彼らの演技は今も多くの映画ファンに愛され続けています。タランティーノの創造力 - キル・ビル Vol.2の原作「キル・ビル Vol.2」はクエンティン・タランティーノ監督によるアメリカの映画で、彼自身が原作と脚本を手掛けています。この映画は、復讐に燃える花嫁の物語を描いた二部作の後編であり、タランティーノ監督の映画愛が詰まった作品として知られています。特に、日本映画や香港映画へのオマージュが随所に見られ、独特のスタイルとアクションシーンで多くの映画ファンを魅了しました。批評家と観客の目を通して - キル・ビル Vol.2の評価クエンティン・タランティーノの映画界への貢献は計り知れないものがありますが、その中でも「キル・ビル Vol.2」は特に際立った存在です。この作品は、復讐という一貫したテーマのもと、主人公ザ・ブライドの心理的な変遷を巧みに描き出しています。映画.comによると、観客はこの映画を3.6と評価しており、Filmarksのユーザーからは3.5という評価が与えられています。これらの数字は、映画が持つ独特の魅力と、タランティーノ監督の映画製作に対する熱意を反映していると言えるでしょう。「キル・ビル Vol.2」は、前作のアクション溢れる展開から一転して、より内省的で、感情的な深みを持った物語へと進化しています。タランティーノ監督の映画への愛が、マカロニウエスタンや70年代の香港カンフー映画へのオマージュとして表現されている点も、多くの映画愛好家からの高評価を得ています。この映画は、ただのアクション映画に留まらず、登場人物たちの心理描写や対話の深さにおいても、観る者を引き込む力を持っています。タランティーノ監督の独創的なビジョンと、ユマ・サーマンをはじめとするキャストの卓越した演技が融合し、映画史に残る傑作が誕生したのです。物語の裏に隠された真実 - キル・ビル Vol.2の解説とネタバレ考察1. ベアトリクスの復讐の軌跡通称ブライドこと本名、ベアトリクスは妊娠を機に消息を絶ち、足を洗ったビル率いる殺人軍団に挙式リハーサル中銃撃を受け4年間意識不明になりますが、奇跡的に回復。ビルと4人に復讐すべく立ち上がります。まず5人の内、2人を片付けた彼女は3人目、ビルの弟で現在はテキサスで酒場の用心棒をするバドを狙います。彼女は彼の住むトレーラーハウスで殺そうとするも、返り討ちに会い銃で打たれます。弾は岩塩で出来ており死には至らないものの動けないベアトリクスは、注射で眠らされます。そしてバドは手下の1人であるエルに電話をし100万ドルでベアトリクスの持っていた服部半蔵の刀を売る交渉をします。翌朝持って来させる約束を取り付けたバドは、ベアトリクスを縛り、懐中電灯だけを持たせ棺桶に閉じ込め土に埋めます。すぐには殺さず残酷に見殺しにする方法でした。2. パイ・メイとの修行棺桶の中でベアトリクスはビルに連れられて中国に行き、武術の達人パイ・メイへ弟子入りした時のことを思い出していました。厳しく辛い修行が始まりましたが、厳しくも彼女を育ててくれたパイ・メイとの信頼関係は確固たるものになっていました。その修行を思い出し、ブーツに隠していたナイフで体を縛っていたロープを切り、彼から習得した技で手と指だけで棺桶を突き破り、見事墓場から脱出しバドのトレーラーハウスへ戻ってきます。その中ではエルとバドが日本刀と現金を取引中でした。彼はエルにベアトリクスを生き埋めにしたことを報告します。そして現金を見たバドは喜びますが、その中に毒ヘビ、ブラックマンバが仕込まれており、噛まれた彼は死んでしまいます。ブラックマンバはベアトリクスのコードネームでもありました。3. ビルとの最終決戦エルはビルに電話をしバドがベアトリクスに殺されたと嘘をつきます。エルはバドのトレーラーハウスでベアトリクスと対峙し、壮絶な戦いを繰り広げます。最終的にベアトリクスはエルの片目を奪い、彼女を生きたままトレーラーに閉じ込めます。そして、ベアトリクスはついにビルの元へと辿り着きます。ビルとの対面では、彼女が死んだと思っていた娘、ビビが生きていることが明らかになります。ビビとの再会は感動的なものでしたが、ベアトリクスはビルとの決着をつけるために戦わなければなりません。ビルとの対話の中で、彼女はビルがなぜ自分を裏切ったのか、そしてなぜ殺そうとしたのかを理解します。ビルは自分の行動を正当化しようとしますが、ベアトリクスは彼の言葉に耳を貸しません。最終的に、ベアトリクスはパイ・メイから教わった「五点爆破心臓破り拳」を使い、ビルを倒します。ビルは数歩歩いた後、倒れ死亡します。ベアトリクスは娘と共に新しい人生を始めるために去ります。4. 映画のテーマとメッセージ『キル・ビル Vol.2』は復讐とは何か、そしてそれが人間に与える影響について深く掘り下げています。ベアトリクスの復讐は完遂されますが、その過程で彼女は多くの犠牲を払い、多くの苦しみを経験します。映画は復讐がもたらす破壊的な力と、それによって失われるものの大きさを示しています。また、映画は家族とは何か、愛とは何かについても問いかけています。ビルとの最終的な対決では、ベアトリクスは娘との関係を取り戻すことができますが、それはビルとの関係を断ち切ることを意味していました。映画は復讐の果てにあるものが、必ずしも期待通りの結果ではないことを示唆しています。この映画は、タランティーノ監督の特徴的なスタイルで描かれており、アクション、ドラマ、ユーモアが巧みに織り交ぜられています。観客はベアトリクスの旅を通じて、復讐、愛、赦しについて考えさせられるでしょう。最後の対決、そして新たな始まり - キル・ビル Vol.2の最後『キル・ビル Vol.2』の終幕は、復讐劇の結末として、予想外の感情的な解決を迎えます。ベアトリクス・キドー(ザ・ブライド)は、彼女の旅の終わりに、ビルとの直接対決を果たします。しかし、この対決は単なる戦いではなく、過去の愛と現在の憎しみが交錯する複雑な感情のぶつかり合いです。1. 愛と憎しみの間でビルとベアトリクスの間には、かつての愛情がありました。しかし、ビルによる裏切りと暴力がその愛を憎しみに変えてしまいます。最終シーンでは、ベアトリクスがビルに対して抱く複雑な感情が、彼女の行動を左右します。彼女はビルを許すことができず、しかし同時に彼を愛していたことも事実です。2. 復讐の終わりと新たな始まりベアトリクスはビルに「五点爆破心臓破り拳」を使い、彼を倒します。この技は、ビルが彼女に教えたものであり、彼の死はその技によってもたらされます。これは、ビルがベアトリクスに与えた最後の「贈り物」とも言えるでしょう。ビルの死によって、ベアトリクスの復讐は完了し、彼女は娘と共に新しい人生を歩み始めます。3. ビルの死と映画のメッセージビルの死は、復讐劇の終わりを象徴しています。しかし、それは同時に、復讐がもたらすものが必ずしも満足のいくものではないことを示しています。ベアトリクスは復讐を遂げた後、喜びよりもむしろ虚無感を感じるかもしれません。映画は、復讐の果てにあるものが、平和や幸福ではなく、新たな苦悩の始まりであることを示唆しています。4. 視聴者への問いかけ最終シーンは、視聴者に対しても重要な問いかけを投げかけます。復讐は本当に正義なのか、そしてそれによって失われるものは何か。映画は、復讐の循環から抜け出し、赦しと和解によって真の平和を見出すことの重要性を説いています。まとめ「キル・ビル Vol.2」は、クエンティン・タランティーノの独特な映画世界が織り成す、復讐劇の集大成です。前作の熱狂的なアクションから一転、より内省的でドラマチックな展開が観客を引き込みます。ブライドの復讐の旅は、ただの暴力的な快楽ではなく、彼女の過去との対峙、そして彼女自身の人間性の探求へと深化していきます。タランティーノは、アクションシーンだけでなく、キャラクターの心理描写にも細心の注意を払っています。特に、ビルとの最終対決は、期待された壮絶な戦いではなく、静かで緊張感あふれる対話によって、予想外の感動を呼び起こします。この映画は、復讐とは何か、そしてそれが人の心にどのような影響を与えるのかという問いに対する、タランティーノなりの答えを提示しています。また、映画のビジュアル面でも、タランティーノの映画愛が随所に散りばめられています。カンフー映画へのオマージュ、西部劇の要素、そして日本映画からの影響など、多様なジャンルが融合し、独自の映画体験を生み出しています。個人的には、この映画が持つ独特のリズムと、キャラクターたちの魅力が印象的でした。ユマ・サーマンの演じるブライドは、その強さと脆さを同時に表現しており、観る者の心に深く刻まれます。そして、ビル役のデビッド・キャラダインの落ち着いた演技は、映画の重要なアンカーとなっています。「キル・ビル Vol.2」は、アクション映画の枠を超えた、タランティーノの映画製作に対する情熱と、彼のストーリーテリングの才能が光る作品です。復讐劇を通じて、愛とは何か、救済とは何かを問いかける映画は、多くの観客にとって忘れがたい体験となるでしょう。この映画は、ただのエンターテイメントを超えた、深い感動と考察を提供してくれます。『映画『キル・ビル Vol.』ネタバレ解説と徹底解説&深掘りレビュー、復讐の刃が描く運命の軌跡 -』キル・ビルのMY評価★★★★☆キル・ビルあらすじ:復讐劇の新たな地平を切り開いた傑作映画「キル・ビル」は、復讐をテーマにしたスタイリッシュなアクション映画…ameblo.jp

    キル・ビル Vol.2 完全レビューと深掘り解説-復讐の終幕、愛の再生-
  3. 前回は真樹(亀梨和也)が父親の浩一郎(仲村トオル)を問い詰めましたが、今回は会いにきた浩一郎に奏(石原さとみ)が問いかけましたが、浩一郎がそう易々と真実を明かすわけはなく、今回は考察好きが喜ぶいろいろな匂わせが増えただけで、話は進みませんでした。何だかもどかしいドラマですね。テレビ朝日 火曜21時「Destiny」第3話主演…石原さとみ脚本…吉田紀子演出…星野和成奏の父親は環境エネルギーの汚職を地検特捜部の検事として調査していましたが、証拠をねつ造した疑いをかけられ辞職に追い込まれ自殺したようです。その汚職にからんでると疑われた議員を弁護したのがヤメ検の浩一郎でした。正義感の強かった父親英介(佐々木蔵之介)がそんな不正をするはずがないと、奏は調べ直し始めました。奏の上司の大畑検事(高畑淳子)や、奏の母親(石田ひかり)は何か知ってるかもしれませんね。浩一郎のバックには黒幕もいそうです。汚職をもみ消した議員かもしれませんね。他にも匂わせで、真樹は深刻な病状を抱えているようで、もしや余命わずかなのかもしれません。あと知美(宮澤エマ)はユカリ(田中みな実)が死んだのは自分のせいだと泣いてましたが、何をしたのかが気になります。しかし、大学でも、裁判所でも、知美の家でも奏と真樹は、バッタリとよく会いますね。いくらなんでも回数多すぎでしょう。今回の評価は…6

  4. こんにちは。今日は謝憐を見てて思うこと。↓先日、Spoon2Diの全プレのアクスタが届きました♪なかなか素敵なショットで気に入ってます謝憐て、がらくた太子なんて呼ばれても、ハハハって感じで気にしません。というか、そう呼ばれて仕方がないとちょっと自己卑下の人なのかな思ってたんですが、謝憐だけずっと見てると、彼は周りと戦わない人なんだなと。謝憐のその源って人のやること、話すことをいいふうに考えてその人が素敵な人だととらえるところなのかなと思ったりします相手を認めて敬う気持ちがとてもある人。帝君にはそれはほどほどにと言われるものの、千秋のまっすぐ突っ走り過ぎる性格も、とても素晴らしいと思うし、花城が鬼王だったとわかっても、偏見は持たない。謝憐は彼自身が感じたことだけを信じて、そこは揺るがないまた扶情は結構、謝憐に批判的ですが、そこに反論もしないし、チーロンの意地汚い責め方もエスカレートさせないように言い返さない。批判を真っ向から打ち返さず、受け止めて流し、最小限の同意で相手の気持ちを鎮めていきます。相手から向けられるエネルギーをうまく変換してるなと思うんです。なんていうか、戦い方を知っているからこそ、戦わない人。それが謝憐なのかな。千秋との決闘でも、千秋を傷つけずに決着をつけたり。戦いを止める時にも双方を打ち負かすのではなく、剣をはねることで止めたり。みんなが傷つくことなく収まるような行動をとろうとします。(自分が傷ついてしまったり、うまくいかない時 もあります)それは他の神官が感じているような落ちこぼれで弱い人間だからではなく、何度も立ち上がってきた強い人間だから、自分がたくさんたくさん辛くて悲しい思いを感じてきたかこそできることなのかもです。謝憐の内側にはいつも平和があるのかな。そう望んでいるのかもしれません。時々、自己の犠牲を払ってでも、外に平和をもたらそうとしますけどいまは花城がいるからもうそんな心配はなくなりそうですね誰かが傷つくと謝憐も周囲も悲しむから謝憐は犠牲を払おうとするけど、謝憐が傷ついたらどんな理由でも、悲しむ人がいると花城の登場で知ったようにも思います。いつも自分が平和であること。そこに人々が惹きつけられるのかもしれません。自分が平和だから周りも平和。私もそうありたいと謝憐を見て感じました今日も取り止めのない感想でしたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

    謝憐の戦わない生き方『天官賜福』
  5.     鉄砲軽視由来記 それは奇妙なことかも知れないが、昔から、武士の家では「槍一筋の家柄」とはいうが「鉄砲一挺の家柄」とはいわない。「街道一の弓取り」は、立派な武将のことをさすが、「街道一の鉄砲打ち」となると、これは猟師の事となってしまう。 それに『信長公記』などには、信長が鉄砲を習ったようにでているが、一般には、「鉄砲」というと、「足軽鉄砲」とされている。だからでもあろうか前大戦でも、アメリカ軍は、閣下とよばれる準将クラスでもいざという時は肩章をとって自動小銃を小脇にバリバリ撃ちまくって突撃してくるのに、これに対する日本軍は、下士官の軍曹や伍長あたりでも、斬れもせぬ昭和刀をぶら下げて、「日本刀は武士の魂だ」とばかり鉄砲は足軽なみで、えらいのは刀だとやっていた。 だから、つい弾薬の補給もおろそかになったのか、各地で弾丸がなくなってしまい、「切り込み隊を組織する」と、兵隊はゴボウ剣をもたされて敵中へ突撃させられ、バリバリ敵の弾丸にうたれて死んでしまった。 またどうしても吾々の手で日本を守らねばならぬ時がくるかも知れないが、そのとき、やはり銃をもたされ出征させられるかも知れないが、またも同じように、「日本刀こそは日本武士道の精華」といった幻想にまきこまれ、一般大衆である兵が銃をもたされているが故に、軽視され棄て殺しにされるようでは困るのである。 と書くと、まさかと首をひねり反撥されようとなさる向きもあろうが、日本においてはアメリカかぶれしたウエスタンクラブまであって、モデルガンが持てはやされるような今日でさえ、銃は鉄砲は心の底では伝統的に蔑まれているのではあるまいか。なにしろテレビにしろ映画にしろ吾国のもので、鉄砲を持って姿を現すのは悪人に決まっている。 そして時代劇では、銃口を主役に向け撃とうとするのだが、まず第一段階で間一髪を入れず弾丸より早い主役の剣さばきで斬り倒されるか、遠隔な場合は手裏剣のような主動式飛び道具の方が早くて、これを妨げてしまい、鉄砲を持った相手は、「‥‥おのれ無念」といった表情で樹の枝などから、見苦しい格好で転げ落ちる。 たとえ、それより増しの場合でも、弾丸の速度よりも早く脇から咄嗟に、銃の前へ主役の二枚目を好いている鳥追い女などが現れ出てきて身代わりといった具合に撃たれてしまい、「己れッ卑怯な」といった言葉をはきつつ、女の敵とばかり大刀をふるった主役が、鉄砲を握っている相手に斬りつける。そして、(鉄砲なる卑怯未練な武器を使用した悪い奴)は、醜くもがき苦しみ、さながら天罰をうけたように悶絶して転がり、見る側は、それを因果応報といった具合にうけとめ内心ザマみあみろと痛快がる。このパターンが日本人の思考というか趣向に合ったものとして、定型化されているおもむきがある。 それゆえ現代を扱ったものでも、やはり銃は冷遇されている。一般のアクションで銃をもつ悪い奴を如何にして素手の主役が、不自然でなく叩きのめすかという擬闘が、その見せ場にさえなっている。つまりチャンバラ物の無手勝流なのである。しかし銃に向かって素手の人間が掛ってゆくというような事は、現実にあっては、精神障害か異常者でない限り有り得る筈はない。 なのに日本では銃を軽視するがゆえに、そうした無理な設定がなされ、いかに精巧な銃をもつ相手よりも、剣道の達人の方が互角に立ち合っても、必ず勝つという具合に画面から視覚教育をしたり、剣豪作家も平気でそうした紙芝居のようなものをかく。だから、そうした弊害によって、「銃はむなしく、剣こそわが命」といった観念が、常識的には妄想であったにしても、確固たる信条として日本人に植え付けられてしまい、それゆえに、「鉄砲より強い日本刀」といったイメージがひろく浸透し、さて実戦にぶつかって、(日本刀は極めて至近距離まで相手に近づかねば、まったくなんの用もなさないのに、火器である鉄砲は遥か彼方からでも、もし望遠レンズなどつけていれば、肉眼では視えぬ距離からでも狙撃できるものだ)といった判りきった現実にぶつかって挫折させられる。やがて、 つまり観念の中の日本刀の優位さが、現実に火器の前で脆くもその幻想を崩されてしまったとき。かつての日本の軍刀をぶら下げていた人たちは、そうかわれ誤てりと落ちている銃を拾って、武器の交換をするだけの心理的転換もできず、やけっぱちになってその日本刀を振り廻し突入し、近づけぬまま倒されてしまうか、または、もはやこれまでなりと、敵を切るつもりで吊さげてきたもので吾れと吾身を、刺し貫くといった自虐の悲劇を演じたものである。 こうした事態が過去に何千何万の有為な人たちによって、幾度となくくり返されてきた悲劇たるや、日本武士道、日本精神をうたい文句にした刀剣商の商魂のせいだったのかも知れない。値よく売れればそれでよいというので、鋳物同然の昭和刀まで、もっともらしい銘を刻みこませ、それを堂々と、(刀剣商の推奨する刀さえ求めて戦地へ行けば、それが護身の役割をはたす)といったような煽り方までして売りまくられたせいなのであろうか。まあ戦争というのは何処でも誰かが儲けるために企画されるといった裏面がないでもないから、道具屋もそれに便乗して儲けるのだろうが、踊らされ死なされる方は堪ったものではない。 が、それにしても、こうした日本刀を扱う業者の剣豪作家まで使う派手な売りこみで、つい、そちらを過信しすぎてしまい、鉄砲が軽視されるような過ちはもうくり返して貰いたくはない。 目には目、歯には歯をで銃で向かうように、神がかり的なものから常識的な観点に戻って、何故にそれ程までに、この国では銃を卑しみ軽んずるの傾向があるかを探す必要もでてこよう。 織田信長が設楽原で木柵を三段構えに結んで、武田勝頼の騎馬隊を近づけず、これを銃撃でほぼ全滅させたことは有名である。 だから歴史書などでは、「天文十二年(1543)に種が島へ鉄砲が伝来してから、この新しい武器は戦国時代の日本各地に、瞬く間に広まった」といったように説明される。 しかし本当はどうだったろうか。たとえば徳川家康などは、鉄砲隊の入用のときは信長から借りていたという史実がある。上杉謙信や武田信玄は、ろくに備えていなかったのは有名。比較的利用していたのは、太平洋沿岸に城をもつ中国、九州の大名に限られていただけではないかといった疑いも持てる。 また旧日本陸軍が、銃を軽視して、それより斬れなくても昭和刀を愛好したのは、「銃器を生産していた軍需工廠や、その下請けの軍需産業は、なにも宣伝広告しなくとも、軍需局が一括購入してくれ、日銀払出し小切手で支払いもまるまる貰えた」のに対して、刀は、刀伊来攻の時のようにお上での買上げではなく、「古美術商」などと看板を掲げた骨董屋であるから、この際がぼっと儲けようと、正札をどんどん吊り上げ、「日本刀物語」とか『名刀名工談』といった類の、もっともらしいPR版を何千部か買取り契約で書店から出させた。前述のごとくこれまでの歴史作家と称する者に、この種の著書が多くあるのはこの為のものとみてよかろう。 つまり世間知らずの一般の軍人は、単純というか純粋なので広告しない銃器よりも、どうしても、「今宵の虎徹は血に飢えているぞ」といった刀や、いわゆる名刀と宣伝されている方に、心が傾き、使ってみる迄は切れ味も判らぬから、大量生産の当時の昭和刀でも、外見の拵えさえ一人前なら満足してぶら下げ、「剣だ」「剣だ」と吉川英治の宮本武蔵でも読みつつハッスルしていたのだろう。となると、いわゆる剣豪作家なる者も、まんざらこれに対して責任がないとはいい切れぬかも知れなかろう。 しかし日本において銃たるものが実際は初めからまるで重視されなかったことは、江戸時代の初期に難破して千代田城へ招かれたフィリッピン長官ドン・ロドリゴの見聞録にも、「太子(徳川秀忠)の護衛隊は長槍、短槍を林のごとく立てた四百人。そして中近東のアラバルダに似たナンキナ(薙刀)を抱えた三百人。そして半弓、大弓の射手五百人が遠巻きにして、櫓の上に整列して守備していた」 鉄砲伝来六十六年たっている割りには、あまりにこの国では鉄砲が重要視されておらず、城の入口に立っていた銃隊だけしか見かけていないから、それは儀式的なものかも知れぬと書いている。 だから、「へぼ将棋、王より飛車を大事がり」というが、まだ弓矢の方が大切にされていた日本では、この慶長十四年(1609)頃でさえ、あまり鉄砲は重要視されていなかったとみえる。 まさか、剣だ、剣だとはいっていないが、もっぱら当時は弓と槍に重点をおいていたようである。また、つまりこういう具合だったから、この二百五十九年後に、上海帰りのリルならぬグラバーによって輸入されたアメリカ南部の廃銃に、鳥羽伏見でいともあっさり負けるのである。(実態は、大阪城天満や江戸城西の丸に貯蔵されていた古い火薬に不発弾が多かった。そして薩長は新火薬を上海から輸入していた為、十倍もいた幕府軍は敗走。これを観た徳川慶喜は一早く大阪城を小姓に化けて江戸へ逃げかえり恭順したのである)  

    鉄砲軽視由来記
  6. 2024年劇場鑑賞12本目。「落下の解剖学」カンヌパルムドール受賞と、邦題に興味もあり観に行きました。原題のFallを、「転落」でなく「落下」と訳したのが良いと思います。転落死した夫の死因を巡って、妻が法廷に立つことになり、プライベートな夫婦問題が次々と明かされていく様子を描くもの。もっとサスペンスフルかと思いましたが、人間関係の機微や移ろいやすさを、じっくりと炙り出すような展開でした。心理的に重いですが、ひとつの出来事が様々な表情を持ち、細々と考えながら興味深く観ることができました。それが、ある意味でスリリングと言えるかも。弁護士役のスワン・アルロー、どこかで見たことがあるなと気になり検索するとフランソワ・オゾン監督の「グレース・オブ・ゴッド告発の時」に出ていて、ハッキリ思い出しました。内省的で繊細な感じ。穏やかな色気がある気がします。悪役なども似合いそう。あと、多くのレビューで書かれていますが、犬が名演技。お手柄でした♪2024年劇場鑑賞13本目。「マンティコア 怪物」スペインのカルロス・ベルムト監督。前作「マジカル・ガール」は、かなりお気に入りだったので今回必見。ゲームデザイナーの若者の日常を淡々と追っていく話。タイトルの「怪物」は、彼がデザインしているモンスターのことかな、とやや物足りなさを感じながら観ていたら、後半で、想定外のうねりと着地点に辿り着いてしまい「さすが」という気持ちに。色んな解釈ができて、鑑賞後にもう一度観たくなります。ラストは、歪んだハッピーエンドという印象で、後味が良いのか悪いのか、ちょっと戸惑います。どこかロマンティックにも見えるし、イビツな落とし所にも見えるし、それらの混じり合う複雑な気持ちのまま、放り出される感じ。この監督、意地悪ではないと思うのですが、ペシミストの傾向があるように感じます。2024年劇場鑑賞14本目。「No.10」これは傑作!とても好きなタイプ♪未知の世界へ踏み出している作品だと思います。ストーリー展開を追うことや論理的思考を忘れて、第六感を開いて感じる映画。観た後、よくわからないけれど、何とも説明し難いカタルシスが広がりました。最近、少しヘンテコな作品の方が心に残って深い感動があるような気がします。2024年劇場鑑賞15本目。「異人たち」こちらも、かなり気に入りました。ラストからエンディングに繋がる映像と音楽がたまらなく切なくてグッときます。全体的に登場人物の孤独感が肌触りで伝わるような空気。途中、実は過去の交通事故で亡くなったのは両親でなく、主人公なのではないかと思いつつ観ていました。(全然違ってた)昔気に入ってDVDでも繰り返し観た2005年「STAYステイ」の雰囲気と重なりました。(↑この作品でライアン・ゴズリングを知った)あと、ワタクシ本作が日本での原作があることや、リメイクであることを知りませんでした。よって1988年の「異人たちとの夏」は未見。恐らくオリジナルや、原作と照らし合わせながら観る楽しみがあると思うのですが、全く予備知識なしで鑑賞。先入観なく観ることができましたが、日本版がとても気になってきています。その④へ続く。次回がラストです。オマケテアトル梅田のソフトクリーム。バニラ味。チョコもあります。400円。イタリアのチョコレート、ヴェンキのジェラートでシェイクを作ってくれるメニューがあり、ヘーゼルナッツのシェイクを🥤770円。とっても滑らか。ベタつきや変な甘さが残らないマイルドな後味。上質なシェイクって感じ。余談ですが、パルプフィクションで、ジョン・トラボルタが「ミルクシェイクに5ドルも💲!」と言いながら美味しくてビックリしてる場面を思い出します。

    4月劇場鑑賞 その③  今年12〜15本目
  7. 監督:アダム・ウィンガード 2024年主な登場人物(俳優)役柄アイリーン・アンドリュース(レベッカ・ホール)「モナーク」の人類言語学者。コングを研究。バーニー・ヘイズ(ブライアン・タイリー・ヘンリー)ポッドキャスト「大怪獣の真実」を配信する。トラッパー(ダン・スティーヴンス)「モナーク」所属の獣医。ジア(カイリー・ホットル)耳が不自由なイーウィス族の唯一の少女。アイリーンの養女。ミケル(アレックス・ファーンズ)モナークの職員。ヒーブの操縦士。女王(ファラ・チェン)地下空洞に生き残っていたイーウィス族の指導者。ハンプトン(レイチェル・ハウス)モナーク長官。ハリス(ロン・スミック)モナーク第1前進基地隊員。ルイス(グレッグ・ハットン)モナーク第1前進基地隊員。ジェイン(シャンテル・ジェイミーソン)モナーク第1前進基地隊員。潜水艦艦長(ケヴィン・コープランド)潜水艦艦長ウィルコックス(ティム・キャロル)ローリエ(ソフィア・エンバーソン=ベイン)【登場怪獣】ゴジラ…地上の頂点に立つ最強の怪獣。身長約120m。コング…南太平洋の髑髏島で生まれた。現在は地下空洞に住んでいる超大型類人猿。身長約103m。グレイト・エイプ…地下空洞に棲息するコングと同種の猿型の怪獣。スカーキング…地下空洞の王国で、グレイト・エイプ達を支配している。身長約97m。スーコ…グレイト・エイプの幼体。バーニーからは「ミニコング」と呼ばれる。身長約45m。モスラ…地下空洞のイーウィス族から守護神として崇められている蛾のような怪獣。スキュラ…前々作に登場した巨大なカニの様な怪獣。ローマでゴジラに倒された。ティアマット…北極海に棲息するウミヘビに似た怪獣。シーモ…地下空洞に棲息する冷気を操る怪獣。スカーキングの支配下にある。ワートドッグ…地下空洞に棲息する、イヌ科に似た怪獣。ヴァータシーン…地下空洞に棲息する、翼竜に似た怪獣。身体から放電する能力を持つ。ドラウンヴァイパー…地下空洞の水中に棲息する、ウツボに似た怪獣。785文字 〔地下空洞のどこか〕 地下空洞を翼竜が飛ぶ。コングはワートドッグという犬の様な凶暴な生物に追われていた。コングは谷を飛び越えるが、ワートドッグは追って来る。コングは崖に追い詰められる。しかしそこには落とし穴や崖から岩が落ちてくる罠があり、ワートドッグの大部分がやられる。コングがワートドッグの死体を引きちぎって威嚇すると、残ったワートドッグは去る。 コングは滝で水浴びする。崖でワートドッグの肉を食おうとすると、虫歯が痛む。肉はワニの様な怪獣が奪っていく。大きな鳴き声が聞こえたので行ってくると、カエルのような生物の鳴き声だった。 アイリーンの解説「これまで地球を支配していたのは人類だと思っていたが、それは地上だけだ。地下空洞には様々な生物が棲息している。地図を作ったのは地下空洞のわずか5%。コングは地下空洞で暮らしている。ゴジラの縄張りは地上で、人類の味方。ローマで暴れた巨大なカニの様な怪獣のスキュラを、ゴジラが倒した。 (タイトル『GODZILLA x KONG THE NEW EMPIRE』) 〔モナーク、第1前哨基地〕 ゴジラがコロッセオで休んでいる画像や地下空洞の様子をモニターで、ハンプトン、ハリス、ルイス達が観察している。すると未踏査区域で陥没があり、電磁波の反応がある。 〔地下空洞アクセスポイント、モナーク・バルバドス〕 モナーク長官のハンプトンはアイリーンに、第1前哨基地で受診した謎の電磁波の波形を見せる。ゴジラは今のところはコロッセオで休んでいた。 〔モナーク基地学校〕 学校に通っていたジアは電磁波を感じ取り、無意識のうちにノートや机に波形を書きなぐっていた。心配した担任の先生が保護者のアイリーンを呼び、書きなぐったノートを見せて「クラスに解けこめない」と話す。アイリーンは「適応するのに時間がかかる。彼女は唯一のイーウィス族だ」と答える。 ジアはモニターを見て「コングが心配だ」と言う。アイリーンが落書きを見せて「なぜ書いたの?」と聞くと、ジアは「私がいる場所がない」と言う。アイリーンは「私とずっと一緒にいればいい」と教える。 アイリーンはジアの落書きを見て、モナーク第1前哨基地で受診した謎の電磁波の波形と似ている事に気づく。 モナーク第1前哨基地のモニターが次々に切れるが、ハリスは寝ていて気付かない。 ジアが異常を感じて目覚め、アイリーンに「私おかしいかも」と述べる。アイリーンは「完璧よ」と慰める。 〔フロリダ州マイアミ〕 バーニーは「大怪獣の真実」という配信をしており、「怪獣が現れたらどう守るか」とガルガンチュア保険という怪獣専門の保険会社の宣伝の録音中だった。アイリーンはバーニーにジアが書いた落書きと電磁波の波形を見せ、モナークが取り合ってくれないので協力を頼む。バーニーは『ゴジラvsコング』(2021年)でメカゴジラ発見とエイペックス・サイバネティクスの秘密研究の告発の功績をモナークによってもみ消され、世間からは嘘つき呼ばわりされているのが不満だった。バーニーはアイリーンに同行して地下空洞世界に行くのを承諾する。 アイリーンに「ゴジラが目覚めかけている」と警告が来る。 ゴジラはコロッセオから起き上がり、川を通って海に行く。 バルバトスの地下空洞アクセスポイントに渦ができ、コングが地上に現れる。コングは地面に横たわり、苦しそうだった。その様子をジアとアイリーンが見守る。 コングは虫歯で痛がっていた。コングは麻酔で眠らせる。未知動物学者のトラッパーが呼び出され、コングの抜歯を行ない、車のエンジンにも使われている素材で造られた義歯を装着する。アイリーンはとラッパーに「ジアはいまだに悩んでいる」と伝えると、とラッパーは「心配ない。良いママがいる」と答える。ジアは目覚めたコングに手話で「格好良い歯だね」と言い、 バルバトスの基地にバーニーが来る。バーニーは電磁波の波形を見せ、この信号によってゴジラが目覚めた事と、この信号が『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』(2019年)でモンスターゼロ(ギドラ)復活の際にも観測された事から、怪獣に向けたSOSだと考察し「この波形は救難信号だ。地下空洞の何かが助けを求めている」と指摘する。 アイリーンはハンプトン長官にバーニーの説を話し「政府に発見される前に探査しなけれ」ば」と提案する。ハンプトンも認め、アイリーンとトラッパー、ヒーブ(地下空洞探査飛行艇)の操縦士ミケルに行くように命じる。 ジアはアイリーンに「私も行く。何かが呼んでいる。私はコングと話せる」と訴え、一緒に行く事になる。バーニーもアイリーンに今までの功績を訴えて、一緒に行く事になる。 コングが目覚め、渦に突入する。その後をアイリーン達が乗ったヒーブが追う。激しい振動でバーニーは「体が解ける」と言う。 地下空洞に侵入し、コングをヒーブが追う。翼竜のヴァータシーンが飛んでいるが、トラッパーは危険な生物じゃないと教える。ヒーブはヴァータシーンに擬態して飛ぶ。 バルバドスのモナーク基地の警報が鳴り、ゴジラがフランスに上陸したと知らせる。 〔フランス・モンタニャック〕 ゴジラはモンタニャックの原子力発電所を襲撃し、核物質を吸収し、背びれが青白く発行する。複数の無人攻撃機がゴジラを攻撃するが、ゴジラは体から青白い光を四方に放ち、無人攻撃機を全て撃墜する。その様子を見て、モナークはゴジラが何かに備えていると考察する。ハンプトン長官はアイリーン達に「ゴジラは何かに備えている」と伝えるが、通信が切れる。 ヒーブがモナーク第1前哨基地に着くと、何者かによって破壊され、生命反応はなかった。トラッカーが監視カメラの残骸を拾い、映像が残っているかも知れないと言う。岩を引っ掻いた後から、コング以外の何物かと思われた。 コングは洞窟でゴジラ族の背びれで造られた斧を見つける。洞窟の外に青白く光る谷を見つけ、コングは谷底に滑り降りる。そこには無数の結晶体が広がっており、それに反応してゴジラ族の背びれで造られた斧が光る。そこにはコング族の頭蓋骨が落ちており、コングは打ちひしがれる。 〔地下空洞未踏査地域〕 コングが滝を抜けると、地下空洞未踏査地域が広がっていた。霧の中からグレイト・エイプの幼体スーコが現れる。コングが手を差し伸べると、警戒したスーコが手に噛みつく。そしてグレイト・エイプ達とスーコに襲われる。コングはその怪獣達を退ける。コングはスーコを追う。 ヒーブの中でアイリーンが監視カメラのデータを調べると、猿のような目が写っていた。すると電磁波の異常が発生しヒーブが制御不能になるが、エンジンが戻って墜落を免れる。ジアは近くに電磁波の発信源があると教える。ヒーブは森の中に着陸する。発信源の崖まで3kmを歩かなくてはならない。バーニーは撮影しながら歩く。とラッパーが先頭になって歩いていると「この道はまずい。迂回しよう。えらく臭い匂いがする」と警告する。ミゲルがその警告を無視して進むと、木に食われる。残りの4人は急いで逃げる。「死にたくない」と興奮するバーニーをとラッパーが落ち着かせる。アイリーンの無線機は使えなかった。一行は先に進む。 〔スペイン・カディス〕全身が光ったゴジラは、スペインのカディスから海に出て泳ぐ。ゴジラを潜水艦アルファが追跡する。ゴジラは北極海のティアマットの巣に向かっていた。ティマットが棲息する北極海は太陽風を受ける場所であり、ゴジラはそのエネルギーを狙っていると思われた。ジアはイーウィス族の紋章が書かれた遺跡を見つける。壁にはモスラの絵が彫られていた。ジアは「ここは寺院。信仰の場」と教える。トンボが留まった石のボタンをジアが押すと、水が流れる。一行が水の流れを追うと、膜のようなものがあった。トラッパーは「こいつ生命体だ」と言って手を触れると生体電気が流れる。ジアが膜を切り開くと、奥に結晶体のピラミッドなどが広がっていた。ジアは「信号の発信源だ」と言う。一行は膜を通り抜ける。スーコはコングを湖に案内する。スーコは何かに怯えながら水を飲み、コングも水を飲む。すると、ウツボの様なドラウンヴァイパーがコングを襲う。コングは水中に引きずり込まれて苦戦するが、ドラウンヴァイパーを倒す。コングはドラウンヴァイパーの肉を食い、スーコにも肉を分け与える。スーコはコングに心を許し、そばで肉を食う。〔北極海。ティアマット棲息域〕潜水艦の艦長が「どこかおかしい」と言って潜水艦の照明を点けると、ゴジラがティアマットの巣に熱線を吐く。ティアマットが出て来てゴジラと戦う。ゴジラは熱線を吐いてティアマットを倒し、巣の中に入る。一行が水の流れを追うと、いつの間にかイーウィス族に囲まれていた。彼らはジアを見て、一行を結晶体のピラミッドがある村に連れて行く。天井には地上に続くトンネルが沢山あった。イーウィス族はテレパシーで会話する。女王が現れ、ジアが女王の前に連れ出される。女王はジアの手を握ると、これまでの記憶を見る。一行も許される。奥には巨大な結晶が下がり、紐が付いていた。ジアは「ここで信号の発信源だ。信号はイーウィス族が出したSOSだ」と教える。コングはスーコの案内で、谷にかかった巨大な骨の橋を渡る。一行は女王の案内でトンネルの奥に行く。女王は部屋の中央に光る水を注ぐと、光る水が水路に流れ込む。アイリーンが部屋に掘られた文字を解読すると「かつて地上と地下は調和していた。そこではコング族は人類の守護者であり、自然の調和は保たれていた。ところがスカーキングが現れ、他のグレイト・エイプを従えて地上に侵攻した。スカーキングは氷河期を引き起こした怪獣シーモを痛みで支配しており、最初はスカーキングが優勢だった。それを覆したのが地上の怪獣の王であるゴジラで、スカーキングは地下空洞の火山地帯である火の国に幽閉された」とあった。スーコに案内されてコングは火の国に辿り着く。そこではグレイト・エイプ達が奴隷のように働かされているのを目撃する。コングは、弱ったグレイト・エイプを虐げるスカーキングの手下を殴り飛ばす。するとスカーキングが現れ、コングの義歯を見て嘲笑う。スーコをスカーキングは蹴とばす。スカーキングは、巨大なヘビの様な背骨の先に付いた結晶の鞭を振り回して、コングを攻撃する。コングはその鞭に傷つけられ、斧も弾き飛ばされ、鞭で首を絞められる。コングは何とかスカーキングを投げ飛ばす。すると、スカーキングは古代怪獣シーモを鞭の先の青い結晶体で操る。シーモは冷凍光線を吐き、コングが斧で受け止めるが、右腕が凍り付く。スーコの指示で、コングはトンネルの中に逃げ込む。スカーキングは斧を奪う。アイリーンがイーウィス族の伝承の続きを読む。「スカーキングは古代怪獣シーモを支配し、氷河期を起こした。スカーキングが再び地上侵略を行なうときに、髑髏島のイーウィス族によって怪獣の女王モスラが復活する」というものだった。髑髏島のイーウィス族で生き残っているのはジアだけであった。コングが火の国を抜けて森に逃げ出し、グレイト・エイプ達が追って来る。コングは石の振り子の罠や落とし穴でグレイト・エイプを倒す。しかし、罠を見破ったグレイト・エイプが、紐を踏まないようにしてコングに近づく。ところがスーコが罠を作動させて岩を落とし、グレイト・エイプ達が岩の下敷きになる。コングとスーコが去ると、1匹のグレイト・エイプは生きていた。北極海。ゴジラはティアマットの巣で太陽風のエネルギーを吸収する。ジアはイーウィス族の子供達と楽しそうに遊ぶ。アイリーンは、ここがジアのいるべき場所で、ジアがイーウィス族の村に残るのではないか、とトラッパーに話す。バーニーは、結晶のピラミッドが重力に影響し、イーウィス族は岩を軽々と持ち上げるのを撮影する。トラッパーは「ここは天国だ」と言う。警報が鳴り、イーウィス族の者が軸を回すと、膜が破れ、膜の向こうにコングとスーコがいた。グレイト・エイプも後を追っていた。コングが倒れ、指をジアにふれる。コングは非常に具合が悪そうだった。グレイト・エイプがスカーキングにコングの居場所を教える。スカーキングはシーモに乗り、グレイト・エイプ達とイーウィス族の村に向かう。ゴジラは北極海の氷山を割って出現すると、背びれがピンク色に光っていた。モナークは、ゴジラはティアマットの巣で太陽風のエネルギーとティアマットのDNAを取り込み、通常時の20倍パワーアップしたと推定する。トラッカーは、コングの右手が酷い凍傷になっていると診察する。そこでトラッパーは「パワーハウス計画」を提案する。「パワーハウス計画」とは『ゴジラvsコング』でのメカゴジラの攻撃を受けたため、人類の守護者であるコングを強化すると言う物であった。しかし、制御できないコングを強化するのは危険という判断から凍結された。トラッカーはその試作品が第1前哨基地にあると言う。トラッカーはヒーブで破壊された第1前哨基地に行き、倉庫からサンダー・グローブを回収する。輸送機からサンダー・グローブを落下させると、自動的に変形してコングの右腕に装着する。さらに凍傷の治療薬も腕に注入される。コングは立ち上がり、右腕を挙げて咆哮する。スーコがコングに、スカーキングとシーモが来ると教える。コングはゴジラを迎えに地上に向かう。アイリーンは「ゴジラをうまく操れば、スカーキングから守れる」と言う。コングは渦に飛び込む。〔エジプト・カイロ〕コングはギザのピラミッドの傍の砂漠から地上へ現われる。〔ジブラルタル〕ゴジラはジブラルタル海峡のザ・ロックの上に登る。コングの存在を感じたゴジラは、縄張りを侵されたと思い、海に飛び込む。イーウィス族女王はジアに化粧する。ジアは巨大な階段を登り、右手を伸ばしてこの世の守り神であるモスラを呼ぶ。光が起こり、モスラが現れる。モスラは地上に向かって飛ぶ。トラッパーは「外で援軍を集めたい」とアイリーンに言う。ゴジラは川をさかのぼりカイロに来る。コングは戦いを止めるように身振りで示すが、ゴジラが突進してピラミッドを破壊する。コングはサンダー・グローブでゴジラを殴る。ゴジラが熱線を吐き、コングはピラミッドを盾にして逃げる。倒れたコングにゴジラが再び熱線を吐こうとすると、モスラが止める。スフィンクスの上にジアが立ち、ゴジラを説得する。地下空洞の結晶の下の池に、イーウィス族が赤い液体を流し込むと重力が反転する。そこに膜を破ってスカーキングがグレイト・エイプを引き連れてやって来る。スカーキングは、シーモに冷凍光線を結晶に向かって吐かせる。ヒーブに乗ったトラッパーが、翼竜ヴァータシーンを引き連れてやって来て、スカーキング達に放電させて攪乱する。着陸したヒーブにバーニーとアイリーン、イーウィス族が乗り、その場から逃げる。地下空洞にゴジラとコングがやって来て、シーモとスカーキングに突進する。すると上の結晶と下の結晶が接触し、重力が0になる。怪獣達は宙に浮きながら戦う。さらにモスラもやって来て、グレイト・エイプたちに糸を吐きかけて動けなくする。スーコもグレイト・エイプと戦う。重力が反転し、墜落しそうになったヒーブをモスラが助ける。スカ―キング、シーモ、ゴジラ、コングは地上に通じる渦に落ちる。〔ブラジル。リオデジャネイロ〕海岸にスカ―キング、シーモ、ゴジラ、コングが出現する。コングとスカーキング、ゴジラとシーモが戦う。シーモが冷凍光線を吐き、コングはサンダー・グローブで防ぐ。ゴジラがスカーキングの鞭を壊して結晶を外す。ゴジラとシーモが戦う。スーコも地上にやって来て、コングが地下空洞に残して行った斧で結晶を破壊すると、爆風が起きる。コングがスカーキングを捕まえる。自由になったシーモが、スカーキングに冷凍光線を吐いて凍らせる。コングが凍ったスカーキングを地面に叩きつけて粉砕する。ゴジラは勝利の雄叫びを上げ、空中に熱線を吐くと青空が戻る。モスラからジアが降り、アイリーンのもとに来る。アイリーンが「あなたはここを故郷だと感じている。ここに残っていい」と言うと、ジアは「何があろうと、私は離れない。あなたが私の故郷」と言って、アイリーンと暮らすことを希望する。モスラは糸を吐いて膜を修復する。ゴジラはコロッセオで休む。コングはスーコと古代怪獣シーモを連れて、地底空洞に戻り、グレイト・エイプたちの王になる。(エンドクレジット)(写真は「IMDb」「映画com」より)

    『ゴジラ×コング 新たなる帝国』ネタバレの詳しいあらすじ
  8. 祭壇をつくる
  9. 『貞子DX』観ました。旧作につき、ネタバレあります。てか、そんなバカな!!って内容でした。(^_^;)不可解な死亡事件が各地で発生し、巷では“呪いのビデオ”によるものではないかという噂が流れていました。IQ200の天才大学院生・一条文華(小芝風花さん)は、呪いなどありえない、科学で解明できないものなどないと断言しますが、人気霊媒師・Kenshin(池内博之さん)は、この呪いが広がれば人類は滅亡すると言い張ります。そして彼女に、呪いを解いてみろと“呪いのビデオ”のコピーを渡します。そのビデオを誤って文華の妹・双葉(八木優希さん)が見てしまい、文華はなにがなんでも呪いの謎を解かねばならないことに。しかも、最近の呪いのビデオは、見たら24時間で死が訪れる!!時短!!急がないと妹が死んじゃう!!!!迷走し続ける貞子シリーズ、ほとんどギャグというところまで振り切った作品でした。IQ200って……小学生が考えたのかこの脚本?┐(´~`;)┌呪いの拡散はウィルスの変異ということで話を進めてましたが、その道の専門家も警察も出てこない……この世界の日本は法治国家やめちゃったの……(^_^;)ウィルスは広がり続けると、だんだん弱毒化していきますが、貞ちゃんの怖さも弱毒化していってるねとふと思いました。あと、文華と胡散臭いエセ占い師が喫茶店で話をするシーンが、すっごい嫌でした。喫茶店でほかにお客さんいっぱいいるのにぎゃーぎゃー大騒ぎして、お店の人にも注意されるけど気にしないし、さらにタブレットで大音量のテレビ通話をはじめる。マナーとかいう感覚ないのかよ、おい、IQ200!!(*`Д´)ノ!!!ゴルア!!音漏れの電子音がマジで苦手なんで、喫茶店とか電車とかでイヤホンなしで動画観たりする人たち、マジで無理なんよね……うるさいっての……(-'д-)y-~さて、呪いのビデオの24時間ルール、ワクチンのように24時間後までに再び呪いのビデオを見ることで、死なずにすむというトンでも展開により、「毎日家族みんなで呪いのビデオを見る」というオチになりまして。恐ろしそうな様子で井戸から出てくるのに、リミットを過ぎると、すごすご帰っていく貞ちゃんの姿はかなりギャグでした。なんなんやこれ……まじめにこれを撮影した人たち、すげえなと思いました。(^_^;)ブログタイトルは貞ちゃんの登場スタイルから。まず、白い服を着た身近な人の幽霊が来て、それが、時間とともにだんだん、貞ちゃんになっていきます。最初に妹さんが“静岡のおじさん”の姿を見て、そのあと友達の姿になり、最終的に貞ちゃんになったようです。お母さんは亡くなった夫の姿を見て、文華はお母さんの姿を見ます。エセ占い師は元カノの姿を。どうやらご本人の生死に関わらず、大事な人の姿をみるようです。毎日呪いのビデオを見て、毎日やってくる亡くなった夫の姿の幽霊に、にこにことお茶を出したりするお母さん。あんな姿でもお父さんがいるようで嬉しいんだなあと思って、なんかほのぼのしてしまいながら…………ん?静岡のおじさん、なんなん?!妹の大事な人それなん?!どういうこと?!と大混乱しましたとさ。(^_^;)アハハよかったところは……あんまりないけど……霊媒師Kenshinさんのキャラクターはちょっとおもしろかったです。実は一番呪いなんか信じちゃいなかった彼は、いざ貞ちゃんに襲われるとなると、「エンターテイメントとしての死」を体現してやる!と叫んで死にます。その意気やヨシ!!(≧▽≦)アハハ好きになれないイカサマ野郎やけど、彼なりの覚悟があった。覚悟は大事!へっぽこハンターコトワでした!(^。^)y-~

    静岡のおじさんなんなん?!
  10. 「辰巳」(2024)ちっぽけな奴らが熱くほとばしってしるノワールをシネマート新宿で観てきました。監督・脚本は小路紘史。予告編はコチラ。冒頭でヤク中の弟とケンカしている男の名前が"辰巳"のようです。辰巳(遠藤雄弥)は裏社会の組織に属していて、ある日、兄貴分(佐藤五郎)に呼ばれて、同じ組織にいる沢村兄弟が拷問の末に殺した裏切者の遺体安置場所にやって来ます。遺体の指や耳などの部位を慣れた手つきで切除していく辰巳。痕跡を残さずに遺体を後始末するプロフェッショナルで、仕事がとても丁寧です。死んだ男は組織が扱う覚醒剤をちょろまかした罰で殺されたので自業自得とはいえ、すぐに暴走する沢村兄弟には、組織内でも手を焼いている様子。「弟もこうやって始末したのか」と沢村弟(倉本朋幸)に言われて一触即発となる辰巳。弟を殺したらしい辰巳にも得体の知れない不気味さがあり、ただのイケメンではありません。その後、殺された男と共謀していた人物が沢村兄弟の標的になります。その男の嫁が元カノの京子(亀田七海)で、夫の経営する自動車修理工場で働く妹の葵(森田想)を匿うように京子から頼まれた辰巳。相手がヤクザだろうがツバを吐くヤンチャな葵に手こずります。やがて、沢村兄弟に襲撃される夫と京子。それを目撃した葵。たまたま現場にいた辰巳は、葵と瀕死の京子を連れて逃走。その後も、葵の無謀な行動がなんとか事態を丸く収めようと尽力する辰巳の立場をどんどん悪くしていきます。葵を組織に差し出そうとしない辰巳に対して、辰巳を擁護していた兄貴分もかばいきれなくなって、組織と真っ向から対立することになった辰巳と葵の運命は・・・というのが大まかなあらすじ。劇場公開は2024年4月20日。組織の金を横領したことがキッカケで追われる犯罪モノの王道的展開。ヤクザ者と女子のバディ物というのもありがち。ただ、乱暴な主人公と無垢な女の子といった組み合わせではなくて、女の子の方が暴れん坊である設定がユニーク。冒頭の拷問シーンからただならぬ空気が流れていて、グッと惹き込みます。えげつないバイオレンス描写がありそうなものの、ナイフを刺したり、切断したりする直接的なグロ描写で釣ろうとせずに抑制している感じ。ガンを飛ばす。ツバを吐く。タバコを吸う。そういった伝統的なヤンキーのマナーに則って、ところどころで開催されるキスシーン一歩手前くらいの接近した顔力対決が見どころの一つでもあります。日本のどこかにありそうな舞台設定。でも、殺風景な場所さえも丹念にロケハンされたことが想像できるくらい、フォトジェニックに映っています。犯罪組織が本業だけでは成立しない世知辛いご時世だからなのか、それぞれの人物が漁業や自動車修理業といったカタギの職業に従事しているところが、現在の日本社会と地続きに思えて妙に生々しいです。今は誰もがカネに困っている状況なんだというセリフが映画内でも何度か交わされていました。そのへんのリアルとファンタジーのさじ加減が独特かも。主人公と弟。京子と葵。凶暴な沢村兄弟。主人公と兄貴分も含めて、登場人物のキャラに兄弟姉妹の関係性が多重に組み込まれています。辰巳を演じる遠藤雄弥の面構えがとにかくヒロイック。特に、顔の右側から撮られた表情がとても画になっていました。脇を固める俳優さんたちの味のある顔立ちとの対比が分かりやすく、主役然としたカッコ良さが際立っています。一貫してクールな辰巳に対して、彼が助ける羽目になる葵を演じる森田想は、辰巳への信頼を強めていくうちに、ときおり可愛らしさを覗かせながら、少しずつ人として成長していく感じが出ていました。全カットへのこだわりや熱量みたいなのが少し力みに感じる部分はありましたが、画面から目をそらすのがもったいないと感じさせる力作でございました。あと、一度食事しに行ったことがある歌舞伎町の「上海小吃」がロケ地になっていて、新宿で観て良かったかも。映画『辰巳』の撮影に協力しました | 上海小吃(シャンハイシャオツー)上海小吃がロケーション協力した映画『辰巳』が、2024年4月20日(土)、ユーロスペース 他全国ロードショー公開されます。是非御覧ください。映画「辰巳」公式サイトhttps://tatsumi-movie-2024.com/https://youtu.be/BBe90SsSdcw?si=o_t56kkIFcbX_bURshanghai-xiaochi.com映画「辰巳」公式サイト 2024年4月20日(土)公開「ケンとカズ」の小路紘史監督8年ぶりの最新作!希望を捨てた男と復讐を誓う少女が辿る、前代未聞のジャパニーズ・ノワール!tatsumi-movie-2024.com

    「辰巳」
  11. ♯大阪の月発売ライブまもなく始まります
  12. 52
    非公開または削除されました
  13. ライアーのMY評価★★★★☆映画『ライアー』謎に満ちたあらすじ映画「ライアー」は、心理的な駆け引きと緊迫した対決が織り成すサスペンスの傑作です。この映画は、一見冷静で知的な若き富豪が、ある殺人事件の主要容疑者として尋問される様子を描いています。彼の鋭い洞察力と言葉の駆け引きが、経験豊富な刑事たちをも翻弄する展開は、観る者を画面に釘付けにします。映画は、真実と嘘が交錯する中で、人間の心理を巧みに探ります。しかし、この映画の真の魅力は、最後まで観客を推理させ、結末に至るまでの予測不可能な展開にあります。映画『ライアー』映画を支配する監督の手腕『ライアー』(原題:Deceiver)は、1997年に公開されたアメリカのサスペンス映画です。監督はジョナス・ペイトとジョシュ・ペイト、主演はティム・ロスです。この作品は1997年のストックホルム国際映画祭で撮影賞と脚本賞を、1998年のコニャック・ミステリー映画祭では審査員特別賞を受賞しています。映画『ライアー』キャストの熱演映画『ライアー』はティム・ロスをはじめ、クリス・ペン、マイケル・ルーカー、レネー・ゼルウィガーなど、実力派俳優たちが集結。彼らの演技が、映画の緊張感を一層高めています。キャスト: ジェームズ・ウェイランド- ティム・ロス フィリップ・ブラクストン- クリス・ペン エドワード・ケネソウ- マイケル・ルーカー エリザベス・ロフタス- レネー・ゼルウィガーこの映画は嘘を巡る心理戦と緊迫感が魅力であり、ティム・ロスの引き込まれる演技力も光ります。映画『ライアー』原作の有無映画『ライアー』は、ジョナス・ペイトとジョシュ・ペイト兄弟が監督および脚本を務めた作品で、特定の原作に基づいているわけではなく、オリジナルの脚本から生まれたサスペンス映画です。この映画は、嘘発見器を用いた尋問を通じて展開する心理戦を描いており、その独特のストーリーテリングと演出が評価されています。監督・脚本: ジョナス・ペイト ジョシュ・ペイト映画は、ティム・ロス演じる富豪の息子が殺人事件の容疑者として尋問される過程を描き、観客を緊張感あふれる物語へと引き込みます。映画の中で描かれる「真実」と「嘘」の境界線は、観客にとっても予測不可能な展開を生み出し、終始目が離せない作品となっています。『ライアー』は、その複雑なプロットと、登場人物たちの心理を巧みに描いたことで、サスペンス映画ファンからの注目を集めています。映画『ライアー』映画界からの評価映画『ライアー』は、ティム・ロス主演のサスペンス映画として知られています。この映画は、観客を緊張感あふれるストーリーに引き込むことで評価されており、特にティム・ロスの演技が高く評価されています。Filmarksでは、映画『ライアー』は平均評価が3.3となっており、レビュー数は772件に上ります。評価の内訳を見ると、4.1 - 5.0が9%、3.1 - 4.0が53%、2.1 - 3.0が32%、1.0 - 2.0が6%となっています。このデータから、多くの観客が平均的な評価を与えていることがわかります。観客の感想を見ると、ティム・ロスの「引き込まれる演技力」や映画の「終盤の緊張感」が特に好評で、一方で「最後はモヤッとした」という意見も見られます。また、「心理戦が面白かった」という声や、「何が真実で何が嘘かわからなくなる」という映画の不確定要素を楽しんだという意見もあります。映画の評価は、観客の個々の感性や期待に大きく左右されるため、一概には言えませんが、『ライアー』はサスペンス映画としての魅力を持ち、特に演技に関しては高い評価を受けていることが伺えます。映画『ライアー』深層心理をえぐる解説と考察映画『ライアー』(原題:Deceiver)は、1997年に公開されたアメリカのサスペンス映画です。この作品は、娼婦のエリザベスが惨殺された事件を巡り、容疑者と刑事の息詰まる心理戦を描いています。監督はジョナス・ペイトとジョシュ・ペイト兄弟が務め、ティム・ロス、クリス・ペン、マイケル・ルーカー、レネー・ゼルウィガーなどが出演しています。ネタバレ注意: 以下に、映画『ライアー』のあらすじとネタバレを解説します。映画を鑑賞前の方は閲覧をご遠慮ください。 容疑者と刑事の心理戦: 舞台は現代アメリカ。容疑者であるジェームズ・ウェイランド(ティム・ロス)は、IQ151の天才で富豪の息子であり、プリンストン大学で心理学を専攻していました。彼は無職であり、ある殺人事件の容疑者として名前が挙がっています。 被害者は娼婦のエリザベス・ロフタス(レニー・ゼルウィガー)であり、ウェイランドの知人でした。事件当夜、彼女は何者かによって絞殺されています。 ウェイランドは優れた頭脳と鋭い観察眼で刑事たちを翻弄し、嘘発見機の信憑性を問いました。彼の持病であるTLE(側頭葉てんかん)が物語の鍵となります。 事件の真相は、ウェイランドの推理と容疑者たちの秘密によって次第に明らかになっていきます。 結末の真実: ウェイランドは容疑者としての自分ではなく、刑事のケネソウ(マイケル・ルーカー)の「真実」を暴露します。ケネソウは妻の浮気に耐え続け、その歪んだ怒りが娼婦に向けられていました。 ウェイランドが提示したビデオテープには、エリザベスを妻の身代わりにして激しく暴行するケネソウの姿が盗撮されています。 最終的に、真実の先にある嘘が明らかになり、物語は驚きの展開を迎えます。 『ライアー』は、複雑なプロットとキャラクターの心理描写が魅力であり、ティム・ロスの引き込まれる演技力も光ります。映画『ライアー』最後のシーンの衝撃映画『ライアー』の最後のシーンは、観客に多くの議論を呼び起こしました。このシーンは、映画全体のテーマである「真実と嘘」を象徴しており、観客それぞれが異なる解釈を持つことでしょう。映画の結末についての考察:映画のクライマックスでは、ジェームズ・ウェイランド(ティム・ロス演)が刑事たちとの心理戦を制し、彼らの秘密を暴露することに成功します。しかし、最終的にウェイランド自身が抱える秘密が明らかになり、観客は「真実」を見極めることに挑戦されます。ウェイランドは、自らの知性と機転を利用して刑事たちを操作し、彼らの弱点を突きます。しかし、彼の行動の背後には、彼自身の不安定さと脆弱性が隠されていることが示唆されています。映画の終盤では、ウェイランドが自分の病気と向き合い、その影響を受け入れる姿が描かれています。最後のシーンでは、ウェイランドが真実を語るかのように見せかけながら、実際にはさらなる嘘を重ねていることが示唆されます。これは、映画が提起する「真実とは何か」という問いに対する答えを、観客自身に委ねる演出と言えるでしょう。映画『ライアー』は、観客に対して、物語の表面だけでなく、登場人物の心理や動機を深く掘り下げて考えるよう促します。最後のシーンは、映画のテーマを反映し、観客に対して、自分自身の「真実」を見つめ直す機会を提供しています。まとめ映画『ライアー』は、ティム・ロスの繊細かつ強烈な演技が光る作品です。彼の演じるジェームズ・ウェイランドは、知性と狡猾さを兼ね備えたキャラクターで、観客を物語の深淵へと引き込みます。映画は、嘘と真実の境界を探る心理サスペンスとして、その緊張感と予測不可能な展開で観る者を魅了します。この映画についての個人的な感想としては、ティム・ロスの演技が非常に印象的で、彼のキャラクターの心理を巧みに表現していると感じました。また、ストーリーの展開が予測不能で、サスペンスとしての魅力が十分に発揮されていると思います。ただし、結末に関しては、いくつかの疑問が残るものの、それがこの映画の魅力をさらに高めているとも言えるでしょう。全体として、『ライアー』はサスペンス映画のファンであれば必見の作品です。

    映画『ライアー』心理戦の極致を描くサスペンス映画の深掘りレビューと考察
  14. テープ/TAPEのMY評価★★★★☆映画『テープ/TAPE』のあらすじ映画『テープ』は、過去の秘密を巡る心理戦を描いたサスペンスドラマです。高校時代のクラスメートだった3人が、ある夜、モーテルの一室で再会します。彼らは過去の出来事について話し合い、それぞれの真実と向き合うことになります。映画「テープ/TAPE」の監督リチャード・リンクレイターの手腕映画『テープ』は、リチャード・リンクレイター監督による2001年の作品で、高校時代のクラスメート3人がミステリアスな過去を告白するサスペンスドラマです。リンクレイター監督は、その独特な映画製作スタイルと革新的な手法で知られており、『ビフォア』シリーズや『スクール・オブ・ロック』など、多くの記憶に残る作品を生み出しています。リチャード・リンクレイター監督の特徴と作品:リンクレイター監督は、日常の一コマを切り取るようなリアリズムと、時間の流れを巧みに描写することで評価されています。彼の作品は、しばしば長期間にわたるキャラクターの成長を追いかけることで、観客に深い共感を呼び起こします。『ボーイフッド』はその最たる例で、実際の12年間の歳月をかけて撮影され、主人公の成長をリアルタイムで描きました。受賞歴:リンクレイター監督は、その革新的な手法と独特の視点で数多くの賞を受賞しています。特に『ボーイフッド』は、アカデミー賞で最優秀助演男優賞を含む複数のノミネートを受け、ゴールデングローブ賞では最優秀監督賞と最優秀映画賞(ドラマ部門)を獲得しました。『テープ』の独自性:『テープ』は、その舞台劇のような密室設定と、登場人物たちの心理的な駆け引きが特徴です。映画はほぼリアルタイムで進行し、観客は登場人物たちの過去の秘密が明らかになるにつれて、緊張感を増していきます。この作品は、リンクレイター監督の多様な才能を示す一例と言えるでしょう。リンクレイター監督の他の作品にも触れてみると、彼の映画はしばしば人間関係の複雑さや、個人のアイデンティティを探求するテーマを扱っています。『ビフォア』シリーズでは、一組のカップルの関係が時間を超えて展開され、『ウェイキング・ライフ』では夢と現実の境界についての哲学的な探求がなされています。リンクレイター監督の作品は、観る者に深い印象を残し、映画に対する新たな視点を提供することで、映画界における彼の地位を確固たるものにしています。彼の映画は、単なる娯楽を超えた、人生と時間についての深い洞察を提供してくれます。映画『テープ』も、その一貫したテーマとスタイルを持つリンクレイター監督の作品群の中で、独特の位置を占めています。映画「テープ/TAPE」のキャスト映画『テープ』は、リチャード・リンクレイター監督のもと、2001年に製作されたアメリカ映画です。高校時代のクラスメート3人が、ミステリアスな過去を告白するサスペンスドラマとして描かれています。この作品では、イーサン・ホーク、ロバート・ショーン・レナード、ユマ・サーマンが主要キャストとして出演しており、彼らの演技が物語の緊張感を高めています。イーサン・ホークは、ヴィンセント役を演じています。ヴィンセントは、映画の中で複雑な感情を抱えながらも、真実を追求するキャラクターです。ロバート・ショーン・レナードは、ジョニー役を務めています。ジョニーは、映画監督としてのキャリアを積む中で、過去の出来事に直面することになります。ユマ・サーマンは、エイミー役で出演しています。エイミーは、物語の中心となる女性で、彼女の過去が物語の展開に大きく関わってきます。この映画は、限られた空間であるモーテルの一室を舞台に、登場人物たちの心理的な駆け引きを巧みに描き出しており、観る者を物語の世界へと引き込みます。映画「テープ/TAPE」の原作:スティーヴン・ベルバーによる舞台劇映画「テープ」は、劇作家スティーヴン・ベルバーによる同名の舞台劇が原作です。この作品は、高校時代のクラスメート3人がミステリアスな過去を告白するサスペンスドラマとして知られています。リチャード・リンクレイターが監督を務め、イーサン・ホーク、ロバート・ショーン・レナード、ユマ・サーマンが出演しています。2001年に製作され、2003年に日本で公開されました。映画「テープ/TAPE」の評価2001年に公開された映画「テープ」は、舞台劇を原作とすることから、その独特の緊張感と密室感が特徴です。リチャード・リンクレイター監督の手により、イーサン・ホーク、ユマ・サーマン、ロバート・ショーン・レナードという才能あふれる俳優たちが、複雑な人間関係を繊細に演じ分けています。Filmarksや映画ポップコーンなどのレビューサイトでは、この映画は平均的な評価を受けていますが、その中には非常に高い評価を与える声もあります。特に、イーサン・ホークの演技は、観る者の心に強く訴えかけるものがあり、彼のキャラクターの狂気と魅力が評価されています。る作品です。Filmarksでは平均評価が3.3/5.0となっており、映画ポップコーンでは3.7/5.0という評価を受けています映画「テープ」は、登場人物たちの心理が絡み合いながら展開するストーリーで、観る者をグリップします。舞台劇の原作を活かした会話劇は、映画ならではの演出と相まって、一層の深みを与えています。この作品は、単なるドラマではなく、人間の心理を探るサスペンスとしての側面も持ち合わせており、その点が多くの観客に評価されているのです。映画「テープ/TAPE」の解説とネタバレ考察「テープ」は、一見すると単純な会話劇のように見えますが、その背後には深い心理的なテーマが隠されています。映画は、イーサン・ホーク演じるヴィンセントが、ロバート・ショーン・レナード演じるジョンに高校時代のある出来事を告白させるところから始まります。この出来事とは、ジョンがユマ・サーマン演じるエイミーをレイプしたという衝撃的な過去です。ヴィンセントはこの告白を録音し、エイミーに聞かせることでジョンに罪の意識を感じさせようとします。しかし、物語が進むにつれて、それぞれのキャラクターの真意が明らかになり、誰が本当の被害者であるか、また誰が加害者であるかが曖昧になっていきます。映画のクライマックスでは、エイミーが登場し、彼女の視点から事件が語られます。これにより、観客はジョンとヴィンセントの話だけでなく、エイミーの感情や彼女が抱えるトラウマにも焦点を当てることができます。エイミーの登場は、映画に新たな次元を加え、観客に対して過去の出来事をどのように捉えるかという問いを投げかけます。映画「テープ/TAPE」の最後のシーンの考察リチャード・リンクレイター監督の「テープ」は、その終幕において、観客に多くの疑問を投げかけます。映画の最後には、高校時代の出来事についての真実が明らかになり、それぞれのキャラクターが自身の罪と向き合うことを余儀なくされます。ヴィンセント、ジョン、エイミーの3人は、過去の一夜をめぐる真実を巡って激しい言葉の応酬を交わします。このシーンでは、誰が加害者であり、誰が被害者であるのか、そして誰が救済を求めているのかが、観客にはっきりと示されます。最終的には、エイミーが彼らの間に立ち、彼女自身の真実を語ります。これにより、映画は観客に対して、過去の出来事をどのように捉え、どのように進んでいくべきかという問いを投げかけるのです。「テープ」の最後のシーンは、過去の影が現在にどのような影響を与えるか、そして人々がどのようにして自分の行動に責任を持つべきかという問題を探求しています。この映画は、単なるドラマ以上のものを提供し、観客に深い印象を残す作品となっています。まとめ映画「テープ」は、リチャード・リンクレイター監督の下、イーサン・ホーク、ロバート・ショーン・レナード、ユマ・サーマンという才能あふれるキャストで繰り広げられる、心理的な緊張感に満ちた作品です。この映画は、ただ3人の登場人物が安モーテルの一室で過去の出来事について話し合うというシンプルな設定ながら、観る者を画面に釘付けにします。物語の核心は、高校時代の出来事を巡る3人の複雑な関係性にあります。イーサン・ホーク演じる売人と、ロバート・ショーン・レナード演じる映画監督の卵、そしてユマ・サーマン演じる彼らの共通の知り合いというキャラクターたちは、過去の秘密を暴露し合いながら、それぞれの真実を探ります。舞台劇を原作としているため、会話が物語を牽引し、緊張感を生み出す要素となっています。演技の魅力に関しては、イーサン・ホークの狂気じみた演技が特に際立っています。彼のキャラクターは、笑えるほど怖いとも言える独特の存在感を放ち、物語に深みを加えています。また、3人のキャラクターがそれぞれの視点で物事を捉え、話の食い違いを生み出す様は、非常に興味深いものがあります。映画のスタイルとしては、ワンシチュエーションで展開される会話劇は、観る者に舞台を見ているような錯覚を与え、映画というメディアの枠を超えた体験を提供します。この作品は、退屈することなく、常に何かが起こりそうな予感を持たせながら、観る者を最後まで引き込む力を持っています。総じて、「テープ」は、限られた空間と登場人物で、人間の心理を巧みに描き出した作品です。それぞれのキャラクターが抱える心の闇や、過去の出来事が現在にどのように影響を及ぼしているのかを見ることができ、観る者に深い印象を残します。

    映画『テープ/TAPE』- ネタバレ解説と深い心理の感想レビュー
  15. BARUK HABA BASHEM YAHUAHシャバット🤲🏻SHALOM🤲🏻わたしの大好きなスターウォーズ・シリーズの日ですが偶像崇拝はしておりません(割り切ってるので)安息日ですが、バリバリやりまっせ(善き働きは「惜しまずに」やりましょう)May the 4thbe with you.この言葉も大元は→聖書の言葉のもじりからきてます👼🏻どうしてこの世に『悪があるのか』誰でも考えたことがあるかと存じます。『絶対悪』は、あって当たり前なのです。自己犠牲の意外は、偽善でしかないのでそれらを知りたいから哲学やら心理学...etcがあるけども💨そんなものより(それらが役に立たない訳ではないが)聖書を読めば📖´-すべての疑問が解けますからね👍🏻[すっごい思い切った事言ってる]訳ではなくてほんとだからわたしはものすごく「気が長くなった」のは確かですし…(昔は:信仰前は、違ったんですよ)自分が悪いことには、素直に謝れる・非を認められるようになりました。面白いことに人は、「良い・善い事」には疎くて、忘れやすく↑ここも聖書には記されてます↓悪い事には早くて(短気)、執着しやすく、(憎しみを)忘れ難くなりやすいスターウォーズシリーズは、旧三部作4、5、6新三部作がファントム・メナス、2、3とありまして、ファントム・メナス(1とは言わない)に関しては25周年だそうです個人的に3は、当時は未信仰のハッチャケ時代だったので、3の奥深い部分がまったく理解できなくって、ただただショックでしかなかったんですよねスターウォーズが『聖書のはなし』だなんて気づきもしてませんでしたしごく単純にSWの世界観を偶像崇拝していたんですがそれでもやはり、これだけの先鋭が集った作品ですから得るものが多くって、落ち込んだ時でも何でもスターウォーズを「師匠」のように敬って鑑賞していたものです。悪いことが目立つ=印象強いのは、人がそもそも『罪に染まってしまってる』からですが一応、人には愛が表現できるように愛に敏感にもなっておりますそれは神様ヤフアが愛の神であり、真実だからですだから人は、正直に、また、正直なものに敏感なのです。なんでも、「無神論」だとかはよく聞きますが、基本的に無神論という言葉じゃ神がいない事の説明になってないんですよねまた、本気で悪魔を「信じるように」なるほどに神を容認してなきゃ悪魔の存在も認められない事になるので悪魔は元々は天使長ルシファーでしたが、神ヤフアに刃向かい神様という存在以上になろうと思い上がり高慢になり=思い上がって自分を造った創造主=御父に反乱を起こしたまわりの天使たちの一部分をも騙し=嘘をついて・唆し🐍天上で戦ったけど全敗しヤフアによって地に堕とされた訳ですアナキンもジェダイたちに期待された人間の子だった。「フォースのバランス」を保つ者だった。しかしながら、悪の集団シスの化けていたパルパティーンによって己の中にある『悪の要素』をつつかれて=唆され自制心よりもプライドが勝手しまったわけだよくSWファンのあいだでは「ジェダイはなぜそれが見抜けなかったのか論」もあるが今では簡単に分かるようになったと思うんだ『人生経験が浅い』と分からないかもしれないけどね悪魔は『恐れ』をセンサーとして人に匂いづけしてるので、恐れの匂いに敏感に察知して寄ってくるそれは、「その恐れを取り除いてやろう」という誘惑の言葉を囁きにきてる。神ヤフアは、メシア=救い主ヤフーシャを通して「すでに」勝利している。しかしながら、まだ救われていない者たちのために忍耐されているんだイエスキリストという偽の名前を悪魔は、この世で疑う人がないくらいにはびこらせて洗脳に成功しているわたしは、四年近く「イエスキリストだと思ってた」けど!ある時に「イエスキリストというのも嘘だ」というメキシコ人の動画を見てなんだと➖😠💢じゃあ徹底的に調べてやる✊🏻❤️‍🔥と思って、調べまくって一年以上経ちました。だから日本で唯一の固い決意と真剣な心構えで自信を持って言ってるのです。ところで、また来年日本でSWセレブレーションやるみたいですけどわたしは、「ないんじゃないか」とそれどころじゃない事になっていると思ってるおこれは2011あたりに日本でセレブレーションした時の(左)宇宙の映像は、ILMにも技術提供あるはずだお。NA🔴Aはしんじちゃあいけないよローマ法王とパルパティーンが被ってるのわかるでしょ「し、信じられない💦」「(信じない)だからダメなんじゃ🫵🏻」ジェダイの掟も聖書の掟にそっくりです。でも、人寄りの教えになってしまっているのと、神を基準にしてないから(フォース=愛とすればまあ、よしですが)その辺は間違えないように。ジェダイがなぜ柔道着を着て日本にインスパイヤされているかまた、刀を持たせているのかにも意味があるのですよそれでは、また次回へ続くわたしはこの最後の時代のテーマソングだと思っているおStar Wars: Return of the Jedi, Victory Celebration-End TitleThis is another great star wars song. All Rights Reserved. Composed and Conducted by John Williams.youtu.beAduni Yahusha Mashiak be with your Ruach. Favor be with you all.✨🕊✨

    今日はスターウォーズの日ですから、いかにSWが聖書と密接かを語ろう!(前から言ってますがw)
  16. カラオケ居酒屋へ
  17. 皆様、こんばんは。休み初日の夜中です。今日は昼に郷里に到着する様に出発しますが寝るのはまだ早い…と云うのも毎度土産物を買う店を決めており(秋田市内から約一時間の距離で盛岡との中間に当たります)そこの開店が10時である為、とすれば8時半に起床すればいいですから。そして本日は憲法記念日でもありますが、色々と思う事はあるでしょうが他の論議は先ず脇に寄せて一刻も早く「国民を守る事も不可能ならば国際情勢を知らぬ存ぜぬと無視も可能な汚らわしい9条の削除」を含めた憲法改正を進めなければなりません!成立後約80年を迎えながらも一度も改正が行われてもいなければ本格的な論議もされていないのは異常、そして論議を回避して固持する姿勢を美徳とするかの様な改正反対派の言動・行動は様々な自由が認められている名目上は民主主義の我国に於いては当然の光景ではあるものの、正々堂々と改正推進派との論戦を交して欲しいものです、まあ彼方に言わせれば「改正推進派が悪い、話し合いに応じない」と主張するのは目に見えてはいますが…「全世界に同情されて滅亡するよりも、全世界を敵に回してでも生き残る」を国是とするイスラエルの爪の垢を(全世界を敵に回す訳には行きませんから「生き残る」だけでもいい)全ての日本人は少しでも飲むべきです。そして、自衛隊を日本軍と名称を変更し、人間教育の一環としての1.2年程度の徴兵制を法制化すれば必ずや我国は良くなる!そして本日は此方の作品を…DVD化作品でFODプレミアムに於いて有料動画配信が行われています。「モア・セクシー 獣のようにもう一度」昭和56年8月7日公開・中野顕彰脚本・加藤彰監督・日活制作。尚、鑑賞からかなり時間が経っている為記憶が曖昧となっている点がありますが何卒ご容赦下さい。モアセクシー 獣のようにもう一度:映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画モアセクシー 獣のようにもう一度(1981年8月7日公開の映画)の作品情報。あらすじ、上映スケジュール、評価・レビュー、関連ニュース。麻薬取引に暗躍するヤクザ組織に挑む一人の女とGメンの活躍くを描く。脚本は「愛の白昼夢」の中野顕彰、監…moviewalker.jp定職にも就かず可西健司と組んで横須賀周辺で美人局に勤しむ畑中葉子は或る日盗んだ車でドライブ中に事故を起こした際、社内に有った人形を持ち出したのですが、以降ヤクザ組織に負われる身となった上に得体の知れぬ男・片桐竜次が畑中さんと昵懇の不良グループに加入します。何故ならその車はヤクザと関係を持つ市会議員の自家用車であった為、そして片桐さんは扇ひろ子を上司に持つ潜入麻薬取締官であったのです。相棒の死や麻薬取引の確約等々を経て、果たしてどんな結果を迎えるのか?「モア・セクシー…」は、初めて女性及び文芸思考の方々の足を運ばせたロマンポルノ作品として名を馳せた、評論家・識者評価も高い高橋恵子主演「ラブレター」の併映作品(江森陽弘原作・田中陽造脚本・東陽一監督・共演は加賀まりこ・仲谷昇・中村嘉葎雄等々。DVD化作品でU-NEXT(見放題対象作品)/Amazonプライムビデオ等々で有料動画配信が行われています)。高橋恵子は綺麗ですし踊る姿喪服姿の美しさも見所ですが、娯楽性は今一つ(余談ですが、生前川島なお美はこの「ラブレター」を評価する一方で「モア・セクシー…」は途中で館を出たとか。ウィキペディア「ラブレター」より)。ラブレター(1981):映画作品情報・あらすじ・評価|MOVIE WALKER PRESS 映画ラブレター(1981)(1981年8月7日公開の映画)の作品情報。あらすじ、上映スケジュール、評価・レビュー、関連ニュース。三十歳も年上の詩人の女弟子、妹、愛人としてつくし、棄てられ、ついには発狂する女を描く。詩人、金子光晴…moviewalker.jp寧ろ「楽しさや手に汗を握らせる娯楽性」は「モア・セクシー…」の方が上ですし、識者評論や映画専門誌等々を殆ど目にする事は無いであろうポルノ及びピンク映画好き、任侠及びヤクザ映画、アクション映画、大馬鹿映画好き等々は「ラブレター」より此方を評価する可能性が高いかと思います、因みに俺も此方の方が遙かに好きですしお薦めです。人生の転機を見付けたと言わんばかりに命知らずの勝負に出たものの結果としては弔い合戦となる「度胸と浅はかさが紙一重」の溝鼠の生態…しかしタダではめげない力強さと仲間思いの人間味が加味され愛すべき馬鹿者達として記憶に残りますし、一般映画時代に日活の女侠路線を支えた一人である扇さんと東映ピラニア軍団の片桐さんが物語をしっかりと支えているのがいい!畑中さんが過去の全てを振り切ったかの様な最後も中々でした。

    手にした人形からは犯罪の薫りが…日活ロマンポルノ「モア・セクシー 獣のようにもう一度」畑中葉子
  18. 【90点】監督:小路紘史(脚本も)凄いモノを観ました。生々しい=リアリティーの究極。面白いッ!日本映画、やるじゃないか!自主制作、R15+。2023年・第36回東京国際映画祭「アジアの未来」部門出品。裏稼業で生計を立てる孤独な男・辰巳(遠藤雄弥)は、元恋人である京子の殺害現場に遭遇し、その場にいた京子の妹・葵(森田想)を連れて逃亡する。最愛の家族を奪われた葵は、姉を殺した犯人に復讐することを決意する。犯人を追う旅に同行することになった辰巳は生意気な葵と反発し合いながらも、彼女を助けともに過ごすなかで、ある感情が芽生えてくる。ヤクザ組織 (小規模で半グレもいる弱小団体?) の覚醒剤をめぐる内部抗争劇。ストーリーとしては広がらないし、たいして面白くないのですが、役者の熱量が面白い映画に変えてしまいます。(役者だけでなく、監督の力量も凄いですね。)脅す、威嚇する、怒鳴る…他の日本映画より、ワンランク上の熱量です。演技なのに、マジ怖いし、嫌悪感ハンパないです。当然、殴る、蹴る、刺すも、ガチで痛いです。目を背ける快感…R15+を堪能しました。(何だソレ。)遠藤雄弥、主人公の辰巳。ヤクザ組織の一員ですが、一匹狼的な存在。バラし屋という死体解体始末屋のシール、吐き気がしますがキャラクターが立ちます。正義でもなく、悪でもなく、イライラが伝わります。森田想、復讐の葵。不美人 (ブス m(__)m) の度合いがハンパなく合ってます。後半に見せるいじらしさや、心情の吐露には、女性としての可愛も感じました。でも…この娘が覚醒剤をパクッたことが、原因なんだよね。亀田七海、葵の姉で、辰巳の元カノの京子。何だ、この美女は?メガネ顔も、抜群の破壊力です。葵と姉妹に見えません。血、つながってないよな…映画観ながら、余計なことを考えてしまいました。後藤剛範、辰巳の盟友?後藤。ヤクザではないが、非合法?の廃棄物処理が仕事なようです。とにかく「顔」です。m(__)m驚きます、圧倒されます、威圧されます……恐怖は薄いです。ノーマークでした、売れてほしいです。佐藤五郎、ヤクザ組織の兄貴。ヤクザの部長クラス?揉め事の後始末や、金策に追われ、中小企業の管理職の悲哀を感じました。坊主頭の風貌が、「大都会」「西部警察」シリーズの苅谷俊介を連想しました。倉本朋幸、半グレの竜二。マジで怖いです。絶対にかかわりたくない存在です。その狂暴性は素なの?そのくらい、凄い暴力表現です。でも、本業は舞台演出家だそうで、いやはやなんとも…(以下ネタバレ)姉を竜二に殺された葵 vs 弟を葵に殺された竜二。そこに巻き込まれた、辰巳。どっちもどっちの位置関係です。正義はどこにもありません。(これが良い。)辰巳と葵は竜二を殺しますが、辰巳は傷を負います。辰巳は兄貴と話しをつけて、葵を救います、そして命を落とします。(銃撃シーンやカースタントが極端に少ないのは、制作費の問題と推測します。m(__)m)葵は、拳銃を捨てて、再生を予感させるエンドマーク。ベタだけど、じんわりと熱い。最後の最後まで、持続する緊張感に圧倒されます。(ポップコーン、ほとんど食べるの忘れちゃいましたよ。)メジャー映画関係者の皆様、小路紘史監督に30億ぐらい渡して、壮絶なドンパチ映画を撮ってもらいましょう!

    辰巳