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  1. このブログではあまり私め個人の好みを前面に出さないように心がけているつもりですが、私めは医療の現場におけるヒューマンドラマが大好きです!これは度々書いているのでご存知の方も多いでしょうが…前クールの「お別れホスピタル」もそうですし、「コウノドリ」や「透明なゆりかご」古くは「救命病棟24時」や「Dr.コトー診療所」など、ドラマのジャンルの中では最も好きなジャンルなんです。その分、目も肥えてしまって評価は厳しめになります。そんな私めから見て、このドラマは傑作になるかもしれない期待感が高まる初回でした。フジテレビ 月曜22時「アンメット~ある脳外科医の日記~」第1話主演…杉咲花脚本…篠﨑絵里子演出…Yuki Saito原作は「コウノドリ」と同じ講談社「モーニング」に連載された漫画で、原作者の子鹿ゆずる氏は自身も元脳外科医でその経験をふまえて、脳障害への理解を深めてもらいたいという思いから書き始めたのだそうです。そんな真摯な思いが初回からひしひしと伝わりましたね。主人公のミヤビ(杉咲花)は2年前の不慮の事故により記憶障害となり、朝起きると昨日のことは忘れてしまうようになっています。そのため、日記にその日あったことなどをしっかりと書いておき、朝それを読み込んでから出勤します。優秀な脳外科医でしたが、今は医療行為はせずに看護助手として病院で働いています。そんなミヤビの職場に新たに三瓶(若葉竜也)というアメリカ帰りの脳外科医が現れ、医療行為を諦めていたミヤビの背中を押し、また脳外科医として働くようになるまでが初回でした。それとリンクして患者側のエピソードとしては脳梗塞で倒れ失語症になってしまった女優(中村映里子)とマネージャーでもあるその夫(風間俊介)との話がありました。長い下積みの末にやっと主演のオファーが来たのに、そうなってしまったのは痛ましい話でしたが、絶望から前向きになるまでが丁寧に描かれていて救いのある終わり方でした。中村映里子の失語症の演技はとてもリアルで、失語症の怖さを切実に伝えてくれました。主演の杉咲花は記憶障害を受け入れて淡々と今の暮らしに甘んじていたのが、三瓶から刺激を受け変化するさまを繊細に演じていて、やはり力量ある人だと改めて感じさせてくれる演技でした。杉咲花以上に初回を見て感心したのは三瓶役の若葉竜也。大衆演劇のチビ玉ももう34歳。これまで器用にさまざまな役を演じてきましたがこれという目立った役は連ドラではあまり無くて、これは良い役を得たなと思います。無表情でクセの強い三瓶を抑えたトーンで演じていますが、その発する言葉の重みは切れ味が鋭く、グッと心をつかむものがありました。キャリアの豊かさから得たさまざまなスキルをひけらかさずに、引き算の演技で見せる凄みのようなものを感じさせました。周りも頼もしいメンバーで教授に井浦新、ちょっと怖そうな看護師長に吉瀬美智子、ミヤビを好きらしい救急部長に千葉雄大。いずれもいつもとちょっと違う雰囲気ですね。今回の評価は…8医療ドラマをお好きな方にはおすすめです。

  2.  今回はタイカ・ワイティティ監督脚本の風刺コメディ「ジョジョ・ラビット」(2019年)をご紹介します。"Film#1for the London Film Festival: JoJo Rabbit. ⭐⭐⭐⭐⭐ A lovely and amazingly funny and sad story about a little boy growing up in Nazi Germany who's imaginary friend is none other than Hitler. Funny, sad, and director Waititi s" Photo byCristiano Bettasource:Film #1 for the London Film Festival: JoJo Rabbit. ⭐⭐⭐⭐⭐ A lovely and amazingly funny and sad story about a little boy growing up in Nazi Germany who's imaginary friend is none other than Hitler. Funny, sad, and director Waititi sflic.kr 舞台は第二次世界大戦中、敗戦が濃厚になってきたドイツ。 10歳の少年ジョジョはナチスを信奉する少年です。 ある日、ジョジョは自宅の屋根裏部屋に隠れて暮らすユダヤ人の女子エルサ(トーマシン・マッケンジー)を偶然発見してしまいます。 母のロージー(スカーレット・ヨハンソン)が秘密裏にエルサを匿っていたのでした。 ロージーはドイツ人ですが密かに反ナチスだったのです。 ロージーは真夜中に独りぼっちのエルサに「一日一日を生き延びるのよ。それが勝利なんだよ」と励ましています。 ロージーはジョジョには「あなた10歳なんだから戦争や政治の話じゃなくて、木に登って遊ぶ年頃よ」。 「子どもらしくいて欲しい、死ではなく愛情を知って欲しい」と願うロージーは良き母親です。 ジョジョは周りから馬鹿にされているいじめられっ子で、空想の友人のヒトラー(タイカ・ワイティティ)が心の支えです。 この空想の友人は、専門用語でイマジナリー・フレンドと呼ばれる対象で、子どもが自分自身を支えるために無意識的に作り出した空想の産物なんです。 子どもが空想の友人を必要としなくなったときに、イマジナリーフレンドは自然に消えるのです。 ですから空想の友人が自然に消えることは、その子どもが成長した、事態が好転したことを意味するんですね。 ジョジョはエルサとの交流や、ロージーの姿を通じて、社会や学校ですり込まれたナチスのポリシーと心からわき上がる新しい自我と向き合うようになるんですね。 ユーモアや皮肉を織り交ぜた作りですが、突然ゲシュタポが現れる恐怖、終盤のベルリン陥落の市街戦では子どもたちも戦闘に駆り出される悲惨さも描写しています。 「ジョジョ・ラビット」では、反戦や反ファシズムなど色んなメッセージが込められていますが、子どもの成長というテーマが根底にあると思いますね。 ジョジョが靴紐を結べないことは、彼がまだ自分のことさえ出来ない、まだまだ未熟であることを表しています。 そんな年頃なのに、殺しやヘイトをすり込まれる悲しい時代だったんですね。 ロージーに靴紐を結んでもらっていたジョジョが、愛する誰かの靴紐を結んであげることが出来た時、それはジョジョが大人への扉を開けた瞬間だ、ということです。 愛される体験のあとには自分が愛する誰かと出逢うこと。 それが児童の成長であり、空想の友人と別れて現実を生きる強さと優しさを身につけた、ということなんですね。 さらには、前思春期の少年の成長には模範となるような良きモデル(同一視の対象)の大人との出逢いが大切です。 ジョジョには、ロージー、そしてキャプテン・K。 ロージーのユーモアあふれ、タフで勇敢だけど、本当は独り心細いという心情をスカーレット・ヨハンソンが熱演。 スカーレット・ヨハンソンのお母さん感が素晴らしい。 キャプテン・Kを演じるサム・ロックウェルもよかったですね。 キャプテン・Kはリスクがあってもジョジョに「愛する人を守れ」という言葉を実践しました。 皆はウサギを馬鹿にするけど、ウサギは生き抜くための術を知っています。 生き抜かねば意味がありません。 「ジョジョ・ラビット」は、複数の難しいテーマを扱っていますが、笑いや風刺を巧みに織り交ぜて描いたタイカ・ワイティティ監督の秀作ですよ。 まさかコメディで涙が出るとは予想してなかったです。

    「ジョジョ・ラビット」~ほろ苦さと少年の成長
  3. 散歩道の花々
  4. 今回は味わい深く、見終えてからの後味もよい人情ばなしでしたね。半助(池松壮亮)の飼い猫のトラを擬人化し、クドカンと同じ大人計画の怪優、皆川猿時が演じたのには驚きましたし、クドカンの意図を感じてニヤリとさせられました。テレビ東京 金曜24時52分「季節のない街」第3話主演…池松壮亮脚本…宮藤官九郎演出…横浜聡子三木本(鶴見辰吾)に仮設住宅の住民のリポートを書き送って報酬を得ている半助ですが、ネタに困って苦しい生活を送っています。ネタに詰まって飼い猫トラの暮らしぶりなど書いてしまうありさま。ここでトラは突如擬人化され、ミュージカル「キャッツ」のようなメイク、コスチュームで、皆川猿時がふてぶてしく演じました。揚げ物が好物のトラは惣菜屋のくに子(片桐はいり)が揚げるハムカツバーガーを食べてましたが、街中に足をのばすと天ぷら屋にはりついて、寛容な主人が揚げてくれた天ぷらをゲットします。するとそれを見ていたホームレスの少年がトラに土下座して譲ってほしいと頼みます。男前なトラはあっさり譲ってあげます。少年はそれを持ち帰り、父親(又吉直樹)と集めたものを並べ、ささやかな食事をします。仮設住宅の敷地の隅に段ボールハウスを作り住みついているホームレス親子のことをタツヤ(仲野太賀)にすすめられ、半助はリポートに書き三本木に送ります。すると5万もの報酬が入るのですが、ホームレス親子の段ボールハウスは撤去され、親子は去って行きます。半助は自分は三本木に送りこまれたスパイみたいなものだとさとります。親子に罪悪感をおぼえる半助。しかし、タンバさん(ベンガル)がこっそり廃車の中に親子をかくまってくれていました。トラの擬人化とかケレン味のあることをやりながら、人の情けの通いあいを描き深い部分があるのが、クドカンならではでした。今回の評価は…8

  5.  テオ・アンゲロプロス テオドロス・アンゲロプロス Θόδωρος Αγγελόπουλος 映画監督・脚本家 1935年4月27日ギリシアアテネに誕生。 2012年1月24日映画撮影中にトンネル内においてオートバイに跳ねられ、頭部を強打し、搬送先の病院において死去。76歳。 テオ・アンゲロプロス監督の映画は歴史の深さをワンシーンワンカットの長回し技法で語ります。  1985年6月22日京都教育文化センターにおいて、映画Ο Θίασος  日本語題名『旅芸人の記録』を鑑賞しました。 旅芸人一座が1939年から1952年にかけてギリシアを歩みます。一座の中心の役者二人はエレクトラとオレステスの姉弟です。役名に窺われるように、エウリピデスの戯曲『エレクトラ』を基盤にして、姉弟の受難と痛みと悲しみを尋ね、ギリシア現代の歴史を見つめます。 エレクトラをエヴァ・コタマニドゥ、オレステスをペドロス・ザルカディスが勤めました。 アンゲロプロス監督はワンシーンワンショットの長回しの演出で、旅芸人の歩みと共に時代が変遷していく道を重厚に描きます。 姉弟が引き裂かれていく様を静かに語ります。苦悩と悲痛の源を突き詰めていく演出の厳粛さは強烈です。 戦争や圧政の恐ろしさを思いました。 上映時間は四時間でした。 当時自分は十七歳だったのですが、ギリシアの巨匠テオ・アンゲロプロス監督に学びたいと感じました。 監督の大傑作映画を映画館で鑑賞した縁に感謝します。 池澤夏樹字幕に会えたことも尊い縁でした。アンゲロプス監督と池澤夏樹は親友です。  『狩人』 Οι Κυνηγοί  2006年1月15日 第七藝術劇場 『アレクサンダー大王』Μεγαλέξανδρος  1984年4月20日 祇園会館にて初鑑賞  2006年1月16日 第七藝術劇場にて  二回目鑑賞アレクサンダー大王 テオ・アンゲロプロス監督作品 『シテール島への船出』Ταξίδι στα Κύθηρα 1986年4月6日か13日のいずれか三越劇場 1987年11月23日祇園会館シテ―ル島への船出 『霧の中の風景』  Τοπίο στην ομίχλη  1990年7月25日 コマゴールド  『蜂の旅人』  Ο Μελισσοκομοσ  2005年7月27日 神戸アートビレッジセンター  『こうのとり、たちすさんで』 Το Μετέωρο βήμα του πελαργού 2005年7月29日 神戸アートビレッジセンター    『ユリシーズの瞳』 Το Βλέμμα του Οδυσσέα 1996年10月 京都みなみ会館 『永遠と一日』 Μια αιωνιότητα και μια μέρα 1999年6月6日 弥生座2 『エレニの旅』 Τριλογία 1: Το Λιβάδι που δακρύζει  2005年6月12日 京都シネマ 『エレニの帰郷』 The Dust of Time Η σκόνη του χρόνο 2014年2月7日 梅田ブルク7エレニの帰郷 監督作品十六本のうち十一本を銀幕で見聞・鑑賞しました。 テオ・アンゲロプロス監督の映画に初めて出遇った時は昭和五十九年(1984年)四月二十日の祇園会館の『アレクサンダー大王』の鑑賞でした。  アンゲロプロス監督は1992年に来日し読売新聞の取材に対して次のように語りました。  「ジャン・ルノワールは『大いなる幻影』の中で、  『忘れちゃいけない、国境というものは人間が  でっちあげたものだ』とジャン・ギャバンに言わ  せているが、私もギリシアという国境を受け入  れることを拒否したい。国境とは外的に存在す  るものではなく、むしろ自分の内部に存在する  ものではないのか」   (1992年8月15日 読売新聞夕刊)  ジャン・ルノワール監督が恒久の平和を願って撮った永遠の傑作『大いなる幻影』 La Grande Illusion (1937年)の主人公マレシャル(ジャン・ギャバン)の言葉を、テオ・アンゲロプロス監督が大切にされていたことに感動しました。 戦いの元になり、人と人とを分断していく「境」は自己の内面にあるのではないのかという師の問いかけに学びます。  日本にテオ・アンゲロプロス監督作品を紹介上映してくれた映画館は岩波ホールです。 高野悦子の情熱が映画ファンに歴史物語を教えてくれました。 その岩波ホールは閉館しました。  『惑星ソラリス』 『木靴の樹』 『緑色の部屋』 『ファニーとアレクサンデル』 生命の尊さを教えてくれる映画を岩波ホールは上映してくれた。 昭和六十一年(1986年)四月三越劇場で『シテール島への船出』が公開された時は一日三回鑑賞したことも大きな出来事でした。 翌六十二年(1987年)十一月二十三日祇園会館で四度目の鑑賞を為しました。 アンゲロプロス監督作品では最も多く銀幕鑑賞をしている映画です。 日本公開時予告篇ナレーターは佐藤慶であったと確信しています。 字幕は表示されなかったけれども、あの声は佐藤慶であると実感しました。 佐藤慶はテオ・アンゲロプス映画を讃えた映画人・演劇人でもあらせられます。  蓮實重彦元東大総長によると『ユリシーズの瞳』がカンヌ国際映画祭グランプリを取れなかったことを、アンゲロプロスは悲しんだそうです。 『ユリシーズの瞳』は命の一回性を尋ねた大傑作です。賞を取ろうが取るまいがその無限の深さは変わらない。 戦いや争いへの哀しみを尋ねた名画を深重の演出で撮ったテオ監督が悩み名利への希望を見せたことに学びたい。 師匠として尊敬していた溝口健二は『西鶴一代女』がヴェネツィア国際映画祭で国際賞候補になった時に祈りに祈った。このことを迷妄として叩く評論家もいるが人間臭さは素晴らしいことだ。 名匠が名利の有無を越えた永遠名画を撮っても心の名利は無くなる訳じゃない。これは大事やね。  『ユリシーズの瞳』の主演俳優ハーベイ・カイテルはギリシア語を修得して撮影に臨みました。 永遠不滅の大傑作です。 テオ・アンゲロプロス監督 八十九歳お誕生日 おめでとうございます                                 文中一部敬称略                 合掌            南無阿弥陀仏               セブン

    テオ・アンゲロプロス監督作品 鑑賞の歩み
  6. 映画「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」2024(令和6)年4月26日公開 ★★★★☆原作本 「エドガルド・モルターラ誘拐事件 少年の数奇な運命とイタリア統一」デヴィッド・カ-ツァー 早川書房(イタリア語ほか :字幕翻訳 椎名敦子)1852年 イタリア ボローニア。生後6か月の男の赤ちゃんのまわりで祈りをささげる人たち。そしてその6年後、6歳になったエドガルドは兄弟たちと家のなかでかくれんぼして遊んでいます。もう眠る時間だと母にいわれ、キッパをかぶってシェマ(イスラエルの神への祈りの言葉)を唱えてベッドへ・・・母マリアンナが末の赤ちゃんに授乳しているといきなり大勢の男たちが訪れ、「家族構成の確認をするから子どもたちを起こして欲しい」と。言われた通り、子どもたちをつれてくると6歳のエドアルドは「お気の毒ですが、何者かに裏切られキリスト教の洗礼をうけたため、ユダヤ教の家で育てることはできない」「教会に連れて行かねばならぬ」といわれ・・・父モモロが帰宅しても埒があかず、父はエドアルドを逃がそうと、二階の窓から下で待ち受ける親族たちに向かって投げ落とそうとしますが、怖がる息子を落とすことはできず、結局伯父?の仲介で、24時間後の移送が決まります。命令したのは異端審問所のフェレッティ神父。24時間の猶予を認めたものの、モルターラ家には武装警官を派遣し厳重な監視を命じます。「不信仰なユダヤ人に対して、我らの主キリストを知らしめるのだ」1858年6月28日エドアルドの移送の日。父は勝手に洗礼した者の正体をあばこうとし母はエドアルドにシェマを覚えこませ、肌身はなさぬようとお守り?を手渡します。母が取り乱したらほかの子どもたちへ悪影響がある、と父以外はその場に立ち会わないようにさせますが、走っている馬車から無理やり降りようとする母・・・エドアルドは教会の女性2人に付き添われ、一晩かけて暗い運河を船で移動します。「(息子は)ボローニアから出ることはない」といわれていた父は翌日、教会に息子の着替えをもっていきますが既に街をでたことが告げられて落胆します。エドアルドはローマに向かっており、バチカンで教皇と会うことになっていたのです。(あらすじ とりあえずここまで)「子どもの連れ去り」なんて悪質で暗い話ですが「シチリアーノ」や「甘い生活」のベロッキオ作品なので迷わず初日に鑑賞。原題は「Rapito」(誘拐)身代金目当てや可愛さ余っての犯罪行為ではなく、「キリスト教徒を異教徒の手から救う」という一方的で理不尽な理由によるもの。今だったら即110番案件ですが、拉致しにやってきたのは「教皇領の警察」だったようなので、もうどうすればよいのやら・・・前半の「悪役」は、この異端審問所のフェレッティ神父。頭の上を剃ったカッパ頭で人相悪くて、とってもわかりやすい。父モモロが何度質問しても、洗礼した人の名前は明かさず、「もしかしてこいつのでっち上げ?」と思ってしまうようなキャラです。(実際は違うんですけどね)モルターラ家は、子どもが8人か9人くらいいる子だくさんの家庭ですが、使用人が何人もいるような裕福な家のようです。そしてかなり敬虔なユダヤ教徒。ある日突然やってきて、「お宅の息子はキリスト教の洗礼を受けたから、お預かりします」とか、とうてい受け入れられないことです。つづきです(ネタバレ)↓↓↓↓1858年6月 ローマ「ここが君の新しい家だ」そこは「初学者の家」とよばれる教育施設でした。エドガルドは自分に与えられたベッドの枕の下に母からのユダヤ教のお守りを隠します。部屋には同じ年頃の男の子がたくさんおり、心臓が悪く寝たきりのシモーネのことも気にかかりますがとりあえず、少し安心。ゲットーから来たエリアという少年がエドガルドに話しかけ、「ママにも会えるし大丈夫」「ラテン語のお祈りは丸暗記しないといけない」とかいろいろおしえてくれます。一方、諦めきれない父は、あちこちに手をまわして「モルターラ家の事案」は国内だけでなく、仏英のイスラエル組織をはじめヨーロッパ全土を巻き込んでいくことに。教皇ピウス9世の耳にもそのことは届き、ロスチャイルド家やナポレオン三世からも抗議されたことに怒り心頭。当然聞く耳は持たず、エドガルドには自ら額に印を与えて洗礼を行います。父モモロは、人づてにエドガルドが元気にいること、快適に過ごしていること祈祷文も完璧に暗唱して、記憶力が良いと感心されていることを聞いて安心します。ところが「本人が環境に満足していたら、取り戻すことは難しい」「息子さんに会えることになったら、母が理性を失って正気じゃないといえ」「息子さんを絶望させろ!」そして、ようやくエドガルドとの面会が許されるのですが「ママも兄弟たちも元気にしているよ」「商売もうまくいっているから安心して」としかいえないモモロ。「家族全員が(キリスト教に)改宗すれば、すぐに家族の元に戻せます」と、枢機卿?からはできない提案をされます。シモーネが亡くなり、葬儀の最中にエドガルドを取り戻しにユダヤ人が乱入しますが取り押さえられます。 教皇領だったボローニアでは、1859年、市民が蜂起し、教皇の像は壊されます。新政府は異端審問所を廃止し、モルターラ家の件でフェレッティは逮捕。翌年には非公開の裁判が行われます。洗礼の事実をどうやって知ったかが問われますが、フェレッティは黙秘。ただ取り調べにより、当時モルターラ家の召使だったキリスト教徒のアンナ・モリージが生後半年のエドアルドが病気になりそのまま死んでしまっては救われないと、勝手に洗礼をおこなったことがわかります。実際病気はたいしたことなく、アンナの供述は自己保身的なものでしたが、簡易的な洗礼(台所の水を垂らして、父と子と聖霊・・・を唱えるだけ)でも施したのは事実なので、これは有効である、と。アンナは男にだらしがなく、いつも金に困っていて問題の多い女性でした。洗礼のことをうちあけてフェレッティから金をもらっていたことも認めましたが、それでも「いったん行った洗礼は有効」そして、フェレッティについても教皇からの命により、職務を全うしただけということであっさり釈放されてしまいます。悔しがるモモロ年月は流れ、10年後、エドアルドは教皇の寵愛を受け、キリスト教の司祭になっていました。1870年、バチカンもイタリア軍に包囲され、そのなかにはエドガルドの兄も。「迎えにきた。いっしょに家に戻ろう」という兄に「ぼくの家はここだ」と言い放つエドガルド。1878年、ピウス9世死去。母が危篤という知らせを受けたエドガルドは実家に向かい、死の床にある母に向かってキリスト教の洗礼を授けようとして兄弟たちに阻止されます。「父の葬儀にもこなかったくせに」「ユダヤ教徒のままで私を死なせて」母は絶望のなか、息を引き取ります。 (あらすじ ここまで)使用言語、「イタリア語その他」と書いてしまいましたが、カトリックの祈りの言葉はラテン語、ユダヤ教はヘブライ語だったようです。それから、アンナもイタリア語でない言葉を話していました。字幕ではイタリア語以外はすべて< >囲みだったし、私には全く聴き取れなくて・・・オープンロールでカンヌのロゴがでてくるとなんか最近、それだけで気分があがります。重厚や音楽や色使いも個人的には好みで、シューベルトの歌曲「魔王」とか、オペラの一幕を見せられている感じ。エドガルドが「キリストを殺したのはユダヤ人」と聞かされて十字架の上のキリスト像の手足の楔を抜いてあげるとキリストが生き返って歩き出すシーンが印象にのこりました。夢のなかのシーンは度々挿入され、こことか、教皇が割礼されてしまう悪夢とか、マンガ的ではなく、絵画をみているようでした。後半のあらすじは、かなり端折ってしまいましたが、時系列に進むし、年号の字幕もでるので、混乱はしないものの、この時期の国際情勢とか宗教紛争についての知識がないのでとりあえず「家族の話」として見ていました。原作はこれから読むので、また戻ってきて加筆訂正するかもしれません。公権力による「拉致」「誘拐」は理不尽この上ないのに実行するほうには根拠があったりして、正当化しようとするのが許せない。北朝鮮の拉致事件のこととか連想してしまいますよね。そこそこの生活環境は整っていて、とりあえずホッとしたものの時間をかけて愛するわが子が洗脳されて遠くの人になってしまうのは、家族にとってはたまりません。あらすじには割愛してしまいましたが、エドガルドの気持ちはかなり揺れ動いていて、たとえば、拉致直後父との面会では落ち着いて無難に対応していたもののそのあとの母との面会では「昼も夜もシェマを唱えて家族を思ってる」「家にかえりたい」と取り乱して、無理やり引き離されてしまいます。この時母マリアンナは エドガルドが首からかけていた十字架を引きちぎり服に(ユダヤ教の)何かを忍ばせる?んですけど、「そんなのが見つかってお仕置きされたら息子を苦しめることになる」と、父モモロだったら考えそうです。成長したエドアルドを演じたのは「蟻の王」のエットレ役の人。大人になると振れ幅はさらに広く、教皇に手をあげたこともあったし、群衆から教皇の棺を守っていたかと思うと「犯罪者(の遺体)はテヴェレ川に投げろ」と叫ぶシーンも。カトリックに嫌気がさしたのかとおもいきや兄が迎えにきても追い払うし、母の死に目に最大の裏切り行為をしようとするし・・・もう支離滅裂。聖職者って、こんなに病むものなんですね。モルターラ家はユダヤ教徒だから、ユダヤ教を信仰すべきで、カトリックは「クソ宗教」という立場で描いているのかもしれないけれど、信仰心ゼロの私からしたら、どっちもどっちで、もれなく「気持ちわる~い」と思ってしまいました。(すみません)たとえば、教皇から「汝を赦す」といわれたら、ラッキー~♪ サンキュー~♪ で、終わりじゃないんですよね。ひざまずいて教皇の靴にキスするんでしたっけ?エドガルドも、床にキスして、舌で十字架を3つ書く・・とかなんか変態プレイにしか思えないんですけど。階段をみんなでほふく前進するのもなんか意味あるんですよね?ごめんなさい、服が汚れそうで、見てられませんでした。アホな感想で、すみません。これから原作を読むので、今日のところはご容赦を。

    エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命
  7. 「ゴーストバスターズ」(Ghostbusters)「ゴーストバスターズ」 プレビュー1984年6月8日公開。3人の幽霊退治屋がニューヨークの幽霊を一掃するコメディ。興行収入:2億9520万米ドル。脚本:ダン・エイクロイド、ハロルド・ライミス監督:アイヴァン・ライトマンキャスト:ゴーストバスターズピーター・ヴェンクマン演:ビル・マーレイ心理学・超心理学の専門家だが、何かと私情を挟み、女性を口説くために知識を用いる軽薄でいい加減な性格で、大学の研究者時代にはESPカードと電気ショックを用いた対照実験のために呼んだ被験者の一方が好みの女性だったため、実験のプロセスを台なしにしてしまった。その研究態度の悪さで、教え子や学部長からも忌み嫌われており大学の研究室の扉には「ヴェンクマン、地獄に堕ちろ」と落書きされている。最初はレイやイゴンの理論に興味がなく幽霊や超常現象を信じてなかったが図書館のゴーストを目撃したことで考えを少し改め、さらに大学を解雇された事もあり金儲けのためゴーストバスターズの設立を決意する。ゴーストバスターズ本部では、依頼者の事情聴取やカウンセリングを担当する。最初はヒロインのディナに色目を使うなど相変わらずだったがゴースト退治していく中でメンバーの中心としての風格を見せるようになり、ディナに取り憑いた「門の神ズール」との会話に成功し「破壊の神ゴーザ」から彼女と世界を守るため活躍する。レイモンド・スタンツ演:ダン・エイクロイド通称「レイ」。ゴーストバスターズのリーダー(とピーターに勝手に決められる)。専用車両「ECTO-1」の整備や、ゴースト保管庫の管理を担当する。ゴーストバスターズの開業資金のために自分の実家を担保に入れる。元共同研究者の3人の中では最も超常現象オタクで、神秘学の歴史に詳しいが、そのくせメンバーの中で最も臆病で、ゴーストに遭遇すると恐怖で立ち尽くす。「ステイパフト・マシュマロ」社のマシュマロが子供のころから好物で、それが終盤で仇となる。イゴン・スペングラー演:ハロルド・ライミスゴースト退治のための理論に通じ、あらゆる装備の開発を手掛けた。丸縁の眼鏡がトレードマークで、常にスーツで身を整えている。堅物な性格で、ジャニーンによる誘惑に気づかなかった。最初のゴースト捕獲の際にピーターとレイに装備に関する忠告したがそれが終盤の戦いの決着に繋がることになる。ウィンストン・ゼドモア演:アーニー・ハドソンゴーストバスターズが売れ出し、人手不足で新たに雇われた。アフリカ系。かつて海兵隊の電子部隊でヘリコプターのパイロットをしていた。メンバーの中で唯一の肉体派で、ガタイが良く大柄ながら、レイに劣らぬ臆病な性格。給料の高さにつられてゴーストバスターズに入ったにすぎなかったが、採用からゴーザ出現までの2週間のうちにゴーストの存在を受け入れるようになる。信仰心の厚いクリスチャンでもある。その他ディナ・バレット演:シガニー・ウィーバーゴーストバスターズにとって最初に依頼を受けた顧客。本業はオーケストラのチェロ奏者。自宅である高層ビルのマンションに潜む「門の神ズール」に取り憑かれる。ピーターのアタックを当初は疎んじるが、次第に相思相愛となる。ズールに取り憑かれたときは雰囲気が艶っぽく一変した。ルイス・タリー演:リック・モラニスディナと同じ高層ビルのマンションに住む会計士。独立して4年目。ディナに想いを寄せているが、20分の体操番組を早送りして体操を10分で済ませるアイデアをすすめるなど、会話のセンスがどこかずれている。なぜかドジを踏みやすい間の抜けた男で、部屋がオートロックであることをいつも忘れ、廊下に締め出される。ある日、自室でパーティーを開いている最中に突然現れた「鍵の神ビンツ」に取り憑かれる。ビンツに取り憑かれた時の記憶がなかったため、ゴーストバスターズに救出されたときが彼らとの初対面であったが、すぐに頭を切り替え、会計士として4人に営業をかける。ジャニーン・メルニッツ演:アニー・ポッツゴーストバスターズ社の受付嬢。当初は依頼のなさから暇を持て余していたが、ゴーストバスターズが軌道に乗り始めたことで休みがなくなり、不満をこぼす。イゴンに好意を持つ。ウォルター・ペック演:ウィリアム・アザートン連邦環境保護局ニューヨーク第3支局の部長。ゴーストバスターズの活動はペテンだと疑い、警官と電力会社の人間を伴ってゴーストバスターズ本部に乗り込み、「環境汚染」を名目に業務停止を命令し、大規模なゴースト騒ぎの原因を作り出す。マシュマロマンが倒されたときちょうど真下にいたため、大量の溶けたマシュマロを浴びる。高圧的態度から、反感を持ったピーターとレイに、会うたびに名前をもじった"pecker"(男根)、"This man has no dick."(男根のない奴)などとからかわれつづけた。あらすじ:ニューヨークでは、心霊現象やゴースト(幽霊・霊体)の目撃例が増加し、コロンビア大学で超常現象を科学的に解析する共同研究室を主宰していたピーター・ヴェンクマン博士、レイモンド・スタンツ博士、イゴン・スペングラー博士の3人は、ついにニューヨーク公共図書館の書庫でゴーストの確認に成功する。仮説の実証に気をよくした3人であったが、研究室に戻ると、いつまでも成果を出さないでいる彼らの研究を科学と認めない学部長が待ち受けていた。学部長は研究費の打ち切りと、解雇を通告する。これまでの研究からゴーストへの物理的干渉に自信を持っていたレイとイゴンは、借金をして、ゴースト退治を行う会社「ゴーストバスターズ」の開業を決意。彼らの理論に半信半疑のピーターも、儲けを見込んで話に乗る。ビームによってゴーストを縛り、トラップの中に閉じ込める、一連の装置を開発する。捕獲と保管装置のいずれも無許可の核エネルギー電源を用いていたため、役人に眼を付けられる恐れがあった。依頼者第一号は近所の高層ビルのマンションに住む女性・ディナ・バレット。自宅の冷蔵庫の中に神殿が現れる、という怪奇現象に悩み、調査依頼にやってきたところ、ピーターは一目惚れする。ピーターは2人に告げずに、ニセの霊気測定装置を持ってディナの自宅へ行き、霊気の測定を行うが、無論何も発見できなかった。しかし、それ以降のビジネスは大当たりで、マスメディアから注目され、多忙になり、3人は追加メンバーのウィンストン・ゼドモアを新たに雇う。これまでのゴースト騒ぎや神殿の出現は、霊界の破壊の神・ゴーザが、人間界支配をたくらんでニューヨークに接近してきている現れだった。ゴーザの眷属で2頭の番犬のうち、「門の神ズール」がディナに憑依し、もう1頭の「鍵の神ビンツ」が、ディナの部屋の隣に住む冴えない男・ルイス・タリーに取り憑く。ディナをたずねたピーターは、会話から彼女がゴーストに取り憑かれていることを見破り、ゴーストバスターズ本部へ飛んで帰る。4人は調査の結果、ディナの住む高層ビルのマンションの秘密をつきとめる。建物を設計したのは、この世の終わりを祈る秘密結社「ゴーザ教」を率いたオカルティストで建築家でもあり医者で魔術師の故・イヴォ・シャンドアで、ディナの住む部屋はゴーザを復活させるための生贄のための場所で屋上が異次元と現実世界の人間界との接点でもあった。折悪しく、彼らの活動をペテンと決めつけた環境保護局の役人・ウォルター・ペックが現れ、「周囲の環境汚染」を名目に、営業停止の強制執行のために、捕獲したゴースト保管庫の電源を切ってしまう。これによりゴーストバスターズ本部の建物は大爆発を起こし、これまで捕獲したアメリカじゅうのゴーストが逃走して、再び騒ぎを起こすようになってしまう。ニューヨーク市長のレニーは4人を呼び出して営業停止を撤回し、事態の収拾を依頼する。4人はディナの高層ビルのマンションに急行するが、時すでに遅く、再会を果たしたズール(ディナ)とビンツ(ルイス)がディナの部屋で呪文を唱えた。すると爆発が起きて壁が崩れ、屋上へ通じる隠し階段が出現する。高層ビルのマンションを黒い雲が覆い、ズールとビンツは魔犬の姿に変わり、屋上に神殿が現れ、そこからゴーザが姿を表した。ゴーザは屋上に着いた4人から放たれたビームを浴びるが、びくともせず、平然と「破壊の方法を選べ」と迫る。それは彼らが想像したものに化けて殺すという意味だった。レイはできるだけ弱そうな存在を願う一心で、マシュマロ会社のマスコットキャラクター「マシュマロマン」を思い浮かべてしまう。ゴーザは巨大マシュマロマンとなって街を破壊し始め、屋上の4人に迫る。4人はマシュマロマンに背を向け、ゴーストを縛る際に使うビームを交差させて、巨大なエネルギーを神殿にぶつける。神殿は粉々に破壊され、マシュマロマンは炎に包まれて消える。ディナとルイスも、石に変わったズールとビンツの中から救出される。街を悩ませたゴーストたちは消え、ゴーストバスターズはニューヨークを救った英雄として人々の大歓声を浴びた。コメント:本作は、1984年公開のアメリカ合衆国の超自然的コメディ映画。1984年6月8日に公開され、高い評価を受け、文化的現象となった。コメディー、アクション、ホラーを融合させたこの作品は好評を博し、ビル・マーレイの演技は称賛された。劇場公開時の興行収入は2億8220万ドルで、その年の2番目に高い興行収入を記録し、当時のコメディ映画史上最高の興行収入となった。また、7週連続で劇場公開作品の第1位となり、同年に1億ドル以上の興行収入を記録した4作品のうちの1つとなった。さらに劇場公開されたことで、総興行収入は約2億9520万ドルとなり、1980年代に最も成功したコメディ映画のひとつとなっている。第57回アカデミー賞 視覚効果賞にノミネートされた。2015年、米国議会図書館は本作を全米映画登録簿に保存するよう選定した。主題歌であるレイ・パーカー・ジュニアの「ゴーストバスターズ」もナンバーワンヒットとなった。大衆文化に影響を与え、熱心なファンの支持を得た『ゴーストバスターズ』の成功は、数十億ドル規模のマルチメディア・フランチャイズを立ち上げた。その中には、人気テレビアニメ『アニメ ゴーストバスターズ』(それ自体がメディア・フランチャイズを生み出した)、その続編『エクストリーム・ゴーストバスターズ』シリーズ、ビデオゲーム、ボードゲーム、コミック本、衣類、音楽、書籍、食品、玩具、グッズ、お化け屋敷などが含まれている。1989年に続編『ゴーストバスターズ2』が公開。ゴーストバスターズが再登場する前提で続編を製作する試みが繰り返されたが、2014年にハロルド・ライミスが死去したあと休止となり、その後企画は2016年に公開された同名のリブート版にシフト。2021年、シリーズ第4作目『ゴーストバスターズ/アフターライフ』が公開された。80年代半ばを代表する、B級感満載のSF娯楽作。まず、ゴーストバスターズが血気盛んな青年ではなく、冴えない中年オヤジ3人組ってところがいい。大学を追放されたにもかかわらず、3人の博士に悲壮感はなく、一旗揚げてやるぜという自棄っぱちなノリでバスターズを結成。途中で出てくる「マシュマロマン」が笑える。マスコットキャラクター「マシュマロマン」を思い浮かべると、ゴーザが巨大マシュマロマンとなって街を破壊し始めるという発想が、バカバカしいし、全然怖さが無いという。何でこういう展開になるのか、訳が分からない。Ghostbusters (1984) - The Stay-Puft Marshmallow Man Scene | MovieclipsGhostbusters - The Stay-Puft Marshmallow Man: The Ghostbusters fight the Stay-Puft Marshmallow Man.BUY THE MOVIE: https://www.vudu.com/content/movies/details...www.youtube.comとにかく、世界観も設定もユルユル、そして登場するのは軽薄な人物ばかりだが、「B級上等!何か文句あるか?」と言わんばかりの弾けっぷりで突き抜ける。そこが良いのだ。この映画は、「コメディ」ではなく、完璧な「ナンセンス・ドラマ」なのだ。ハリウッドに新たなジャンルが登場した記念すべき作品だ。作品にマッチし、思わず口ずさみたくなるキャッチーなテーマソングもgood。この映画は、U-NEXTで動画配信可能:U-NEXT(ユーネクスト)-映画 / ドラマ / アニメから、マンガや雑誌といった電子書籍まで-│31日間無料トライアル映画/ドラマ/アニメ/電子書籍を観るならU-NEXT(ユーネクスト)。名作はもちろん最新作も!豊富な作品の中からお好きな動画を見つけて、是非お楽しみください。video.unext.jp

  8. Odiyan (最後のオディヤン族) 2018年 167分主演 モーハンラール & プラカーシュ・ラージ & マンジュー・ワーリヤル監督 V・A・シュリクマール・メーノーン"これが、呪い師の流儀" 聖地ヴァラナシにやってきた女性が、ガンガー(=ガンジス河)の流れに巻き込まれ、サリーの端を小舟のスクリューに取られて流されてしまった。 その女性を助けた男は、彼女が回復するのを見届けてすぐ立ち去ろうとするが、女性は彼の顔を見て驚き問いかける……「オディヤン…? 貴方は、あのオディヤン・マニキャンなの…?」 昔々のマラバール地方の言い伝えに、新月の闇夜に現れる呪い師がいたと言う。 暗闇の中、他人の服やナイフを使ってその所有者に、あるいは動物に化けて狩りを行い、死体の肉を耳の穴から取り込んで次なる姿の糧とする。人々に恐れられたその存在は、数年前までテンクリシ村にたしかに実在していた。 しかし、もはやそんな伝説を信じる者もいなくなり、テンクリシ村の呪い師も何処かへと姿を消してしまっている。…15年間の沈黙の後、その彼…呪い師オディヤン族のマニキャン…が帰ってくるまでは。 テンクリシ村にマニキャンが帰ってきた事は、すぐに村人の知られる事になって、かつての彼の親友ダモダーラン以外は悪評高いマニキャンを罵るばかり。その罵倒を受けて「呪い合戦」を受けることになってしまった若者ラケーシュは、村の大人たちからかつてのマニキャンの逸話を聞かされて流石に恐ろしくなってくるが、彼の叔父ラヴンニ・ナーイルは、村の女性プラバーに関連した過去の経緯もあって、マニキャンに対抗しようとラケーシュに近づいてくる。夫を失い、息子と暮らすプラバーを見つめるラヴンニの視線とマニキャンの視線が交差する時、三者三様に不穏な空気が流れていく…「プラバー、君のプラカーシャンが亡くなって、もう随分になるね?」「亡くなったんじゃないわ…殺されたのよ、ラヴンニ。それは告発されないといけないけれど、今はまだその時ではないわ…」挿入歌 Kondoram タイトルは、マラバール地方の民間伝承に語られる、姿形を変える魔法を使うとして恐れられる存在"オディヤン族"のこと。 劇中の発音的には、「オディヤン」と「オリヤン」の中間音的に聞こえ…る? 本作と同時公開で、タミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある)吹替版、テルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語)吹替版も公開。 インドより1日前にカナダ、クウェートで公開が始まり、インドと同日公開でアラブ、オーストリア、ベルギー、ドイツ、スペイン、フィンランド、フランス、英国、ジョージア、ハンガリー、アイルランド、イタリア、キルギス、ラトビア、マルタ、オランダ、ニュージーランド、ポーランド、ロシア、シンガポール、ウクライナ、米国でも公開または上映されたよう。 日本でも、2018年にSPACEBOX主催の自主上映で英語字幕上映されている。 民話に語られる原初的な魔法使いの生き残りの男を主人公にして、その男が故郷に帰ってきた1日の村の騒動を中心にしながら、その村の大人たちが語る過去のオディヤン・マニキャンの不可思議な逸話、プラバーとラヴンニと言うオディヤン・マニキャンと大きく関わる三角関係の顛末、滅びていく土俗的な象徴をとしてのオディヤン族の姿を描いていく1本。 その、電気もまともに届かない古代と現代が同居している田舎町のなかで、闇夜にのみ変身の魔法を使うことができる魔法使いオディヤン族の存在。そんな存在を馬鹿にしつつも恐れる村人たちの中に確かに息づく、亜熱帯地方の闇夜の中に潜むなにか…理屈では説明できない原初的感覚を呼び起こさせるような土俗と理性主義、自然と社会、文明と文明以前が同居した感覚を呼び起こそうとでもする現代ファンタジーでもあるか。 ケーララの闇夜の茂みにうごめく何かを恐れる感覚、と言えば同じマラヤーラム語映画の「ジャッリカットゥ (Jallikkattu)」や「魔法使いのおじいさん(Kummatty)」にも通じる自然の繁殖力の旺盛さ、人と森が物理的に近く森の生命力が圧倒的に強い亜熱帯的な住環境が画面に焼き付いているかのような感覚は、やはり新鮮。 劇中では、闇夜ゆえに動物の鳴き真似や牛の被り物、体を覆う黒布と化粧で「それっぽく化ける」のがオディヤンの魔法である事を映像的説明しつつも、マニキャンの魔法はそれにとどまらずに闇夜の中で巨木や藁山にも化け、数々の本物の動物(映像的にはCG処理が甘い、と評されたそうだけど)や他人に変身して村人を翻弄する。ただの人の思い込みを利用した手品でない事をも見せつけて来る。 この辺、闇夜が必須条件ではなかったけれど「魔法使いのおじいさん」を手がけたゴーヴィンダン・アラヴィンダン監督の描くケーララの濃密な森の存在感に通じるものもあるように感じる。「魔法使いのおじいさん」で描かれる、寡黙でありながら虫の声で満たされ、不用意に人を近づけず、黄昏時のような特殊な時間帯にその不条理な力を見せつける森の異様さが、本作では闇夜の森の中で描かれているようにも見え、それに対抗する村人たちが悪役ラヴンニに先導されて、電柱を建てて街灯の灯りによってその自然が持つ人を凌駕する力そのものを消滅させようとする絵面も印象的。 アラヴィンダン監督の頃に比べ、本作はより文明化された人間社会の方に足が向いていて、闇夜の中に潜む力にも一定の(人間側の)理屈が通じるように見えてしまうのも、別の形で印象的ではあり、カジュアルな描き方にも見える。そこにケーララの人間社会の拡大か、あるいは監督自身の資質を見てしまうのは、外国人目線ですかねえ…。 本作で監督デビューしたV・A・シュリクマール・メーノーンは、ケーララ州のマラバール地方パーラッカード県パットハー生まれ。 商学修士号を取得後、広告代理店を設立するも、1年経たずに顧客との法律トラブルに見舞われて巨額な借金を抱えることとなって、その返済に追われることに。その立て直しの中で、宝飾会社カルヤン・ジュエラーズの協力のもと広告界に返り咲き、新たに広告会社"プッシュ・インテグレイテッド・コミュニケーション"を設立。カルヤン・ジュエラーズの広告キャンペーンを指揮して全インド的な名声を勝ち取ることに成功し、数々の映画スターを起用したCMを演出していく。 その後、映画監督兼脚本家M・T・ヴァスデーヴァン・ナーイルと組んで、叙事詩マハーバーラタを基にした小説「Randamoozham」の映画化を進めるも、意見の違いにより途中凍結。裁判によってナーイル監督に脚本を返し、自身は巨額な返済金を支払ったそうな。 そのまま本作の企画を始動させて娯楽映画監督デビューし、記録的大ヒットを達成。大きな話題を呼ぶものの、主演男優モーハンラールを使った広告が誇大広告であるとしてファンの反感を買って様々な妨害行為を受けたり、映画公開当初の評判が悪い事から主演女優マンジュー・ワーリヤルへの誹謗中傷をネット上で展開して、マンジュー側から告訴、最終的に警察に逮捕されたりしている(その後すぐ保釈されている)。 以後、自身の広告会社と映画会社を結びつける新たな映画製作組織”プッシュ・イオン・コンソーシアム”を設立して、映画製作・映画館設立環境拡大事業に従事しているよう。 本作ヒロイン プラバーを演じるマンジュー・ワーリヤルは、1978年タミル・ナードゥ州カンニヤークマリ県ナーガルコーイル生まれ。 両親ともにマラヤーラム語を話すケーララ人で、父親は金融会社の会計士。兄に男優兼映画プロデューサーのマドゥ・ワーリヤルがいる。 父親の昇進でケーララ州カンヌール県に移り、そこの学校に通ってる間にダンスで注目され、ケーララ青少年祭主催のダンスコンテストに出演し続ける。さらにTVドラマ「Moharavam」にも出演して本格的な女優業を始めて、1995年のマラヤーラム語映画「Sakshyam(目撃者)」で映画デビュー。翌96年の「Sallapam」で主演デビューし、同年公開作「Ee Puzhayum Kadannu(この川の向こう側へ)」でケーララ州映画賞主演女優賞など数々の映画賞を獲得(さらにこの映画賞獲得以降、4年連続フェルムフェア・サウスのマラヤーラム語映画主演女優賞を獲得している!)。多数の大ヒット作に出演する人気女優となる。1998年にCDアルバム「Chingapoovu」で2曲を担当して歌手デビューもしていたものの、同年に共演の多かった男優ディリープと結婚した事で、実質3年間続けた女優業を引退する。 その後、主婦業と子育てに専念して表舞台から姿を消すも、2012年のナヴラトリ祭での古典舞踊リサイタルにて、久しぶりに衆目の前に現れ古典舞踊クチプティを披露。翌13年に本作監督のシュリクマール・メーノーンが手がける宝飾会社カルヤン・ジュエラーズのCMで芸能界復帰し、CM・舞台活動を再開。回顧録も出版している。 2014年には「How Old Are You?(何歳になられますか?)」で映画&主演復帰して話題を呼び、この映画でもフィルムフェア・サウス主演主演女優賞を獲得。同年にディリープと離婚している。 以降、90年代より以上の精力的な映画出演&歌手活動が続いていて、その演技幅の広さを高く評されている。2019年には「Asuran(悪魔)」でタミル語映画に、2021年の出演作「Chathur Mukham(第4の力)」でプロデューサー補にそれぞれデビュー。ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語)映画へのデビューも決定しているとか。 なんと言っても注目は、現代のオディヤン・マニキャンと15年前の青年オディヤン・マニキャンを同じモーハンラールが演じていることでもあり、現代パートに対して過去パートでは18kg減量の上で「Pulimurugan(虎のムルガン)」で見せたワイヤーアクションさながらの大立ち回りをやってのけるエネルギッシュさが凄まじい(公開時58歳の人の動きですか!?)。実際、顔の作りも若返ってるように見える映画マジックも凄いし、若いが故にプラバー、ラヴンニとの関係を良好に進展できなかった若気の至り的な演技も様になってるんだから、さすが大御所俳優って感じでもある。 伝説と同じく本作のオディヤン族も低カースト扱いされる異民族であるため、何か村に悪いことが起こると真っ先に疑われ、容疑者よばわりされ、強盗や殺人犯扱いされる劇中のオディヤン族の悲しさにあって、どこまでも純粋であろうとしながら純粋には生きていけない青年マニキャンの心の揺れ、愛する人の気持ちを裏切ってしまった自分への悔恨が見せる、牛の姿をした自分の影に追われる悲しさは、サイコサスペンス的でもあり、変身術で無双する魔法使いが、変身の達人であるが故に「自分」としての核を持ち得ない悲しさを現していく虚しさをも生み出していくところなんかも秀逸。 また、恋敵ラヴンニの持つ我執、欲望に忠実であるが故に打たれ弱いエゴによってマニキャン、プラバー、さらにラヴンニ本人の人生までも狂っていく様も悲しいながら、この映画特有の悲しさ表現の魅力は、突如最後の最後にラストバトルに現れる魔法使い同士の特撮ヒーロー合戦かと言う同士討ちにもあるかもしれない。 ラヴンニを含む一般人にとって闇夜を払う文明の利器の進出が、差別対象である魔法使いたちの滅亡を可能にして、村人たちのほとんどはそれを良しとしていく中、強盗や暗殺業でしか変身術を活用できない古代的な魔法使い部族たちが、雇われて同士討ちさせられるバトルの変幻自在な魅力とそこに同居する悲しさが、土俗と科学の利器が同居する劇中舞台の村のアイデンティティでもあるように見えてくるのは穿ち過ぎか。こういう対立構図の時は、得てして土俗的なもの、古代的なものの滅びの美学に共感させられるのがセオリーながら、社会派な視点も含ませることで…あるいはややカジュアルな田舎観で描かれるが故に…両者どちらにも含まれる人の暮らしの哀しさが等価で迫ってくるようでもある。 暗闇という、視覚以外の感覚が異常に研ぎ澄まされる中で生み出される変身魔法が、芸としてでしか現代人に受け入れられないにも関わらず、やはり得体の知れないなんらかの恐怖と魅力を持って語られるところなんかは、暗闇の中に投影される映画なるものへの諧謔の意味も含んでいたり……しないか。しないわな(いらん深読み)。VFXメイキング受賞歴2019 Asianet Film Awards 主演男優賞(モーハンラール)2019 Kerala State Film awards 吹替声優賞(シャンミ・ティラカン)2019 KFCA (Kerala Film Critics Association) Awards 主演男優賞(モーハンラール)2019 Vanitha Film Awards 主演男優賞(モーハンラール)・主演女優賞(マンジュー・ワリヤー)・助演男優賞(シディックィー / 【Aanakkallan】に対しても)・女性プレイバックシンガー賞(シュレーヤー・ゴーシャル)・音楽監督賞(M・ジャヤチャンドラン)・作詞賞(ラフィーク・アーメド)・デュエット歌曲賞(Kondoram / スディープ・クマール & シュレーヤー・ゴーシャル)・女性歌手賞(シュレーヤー・ゴーシャル / Manam Thudukkanu)(。・ω・)ノ゙ Odiyan を一言で斬る!「プラバーの家の入口、人1人が通れるくらいの門に膝丈くらいの柵があるだけだけど、柵がドア代わりであり鍵代わりなのかしらん?(そこを越えても家の玄関まで数mくらいあるけど)」↓こちらも参照くださいな。インド映画夜話

  9. 第2話から引き続いての姉妹のエピソードはやはり怪しんだ通り犯罪にからんでましたね。そして第3話で新たに始まり最終回へと続く路上駐車のマダムのエピソード。どちらも何だかイヤな人ばかり出てきて、どいつもこいつも!って感じでしたね。NHK 火曜22時「天使の耳~交通警察の夜~」 第3話主演…小芝風花脚本…荒井修子演出…河原瑶結局わかったことを整理すると、当て逃げされた姉の映子(泉里香)は、御曹司と付き合っていて玉の輿に乗ろうとしていましたが、中井という男に言い寄られ二股かけるようになり、御曹司の別荘で遊んでいたら中井は浴槽で溺死、御曹司にバレちゃまずいので妹、真智子(中村ゆりか)も巻き込み死体を遺棄、そのあと映子は森本(稲葉友)という男にあおり運転され当て逃げされるのですが、真智子はその森本が中井を殺したかのように工作したってことのようです。あおり運転をしていた森本も、映子を二股をバラすと脅していた中井もろくでもない男ですが、この姉妹もなんだかな~でしたね。殺人がらみなので刑事課と張り合いながら陣内(小芝風花)と金沢(安田顕)も真実を探るのでついつい見てしまいましたが、ホントにどいつもこいつもでした。しかし、別のエピソードと思えた空き缶ポイ捨てで左目を失明した真菜(森迫永依)と婚約者が探し続けた犯人が中井で、話がつながったのには驚きました。しかも、たまたま婚約者が落とした空き缶から中井と映子の指紋が出て決め手になるとか、見えない力が働いたようでちょっと面白かったです。中井は天罰で死んだのかもですね。…で、続いて起きたトラック横転事故。路上駐車をし、道に飛び出した女性をよけて横転したことがわかります。その聡子(山下容莉枝)はセレブマダムで、陣内と金沢に問い詰められると、路上駐車ぐらいで何が悪いと開き直ります。その言いぐさに金沢は激怒。どうも金沢は大事な人を路上駐車がらみで失ったんでしょうね。聡子の言いぐさにはこちらも腹が立ちました。最終回では糾弾されてほしいです。今回の評価は…7

  10. 今のレコード・ブーム、まじで半端ないです。まさか、この音源がリリースされるなんて・・・と。全く想像すらしていませんでした。まじで今のレコード・ブーム凄すぎです。\(^o^)/■OVA『ねこぢる草』「今、この作品を憶えている人が一体どの位いるだろうか?・・・」なんて言葉が頭によぎるほど、懐かしくも珍しい(?)作品名でした。もう23年も昔の作品になるんですね・・・と軽く衝撃を受けた程です。本当に久しぶりに『ねこぢる草』なんて言葉を目にしました。OVA『ねこぢる草』は2001年に発売されたオリジナル・ビデオ・アニメーション作品。劇場公開は行われずにフィジカル・リリースのみ行われました。2000年代前半頃、私は『ねこぢる』の漫画が大好きで本を買い集め読み漁っていたので、その延長線上で当映像作品を知りDVDを購入しました。2000年代後半にはレンタル・アップで格安に販売されていたVHSを見つけたので、ついでに購入しました。VHSは購入してから一度も再生していないので内容は分かりません。多分DVD版と変わらないハズ。値段は破格の50円(!)でした。□OVA『ねこぢる草』は映像がとても綺麗でノスタルジックな雰囲気に満ち溢れています。不思議な物語なんですけど何だか懐かしいというか、そんなアニメ作品となっています。摩訶不思議なファンタジックさを感じながらも昭和時代の、あの頃の暑い夏の日を思い起こさせるような雰囲気が随所に見られるので、何だか変な感覚(錯覚?)に陥ります。若い人はそこに新しさを感じるかも知れないし、私のようなオジサン世代には懐かしさが愛おしく思える瞬間だっだりします。未舗装の道路、麦わら帽子。永遠に続きそうな蝉の泣き声と親に頼まれた使い走り。部屋に戻るとそこには古いブラン管テレビと丸いちゃぶ台がポツンとひとつだけ。(試聴用に貼り付けておきます)そんなレトロ感満載な中、にゃっ太とにゃーこの不思議な大冒険が始まります。■かなり前衛的な意欲作?内容的にはかなり難解な作品だと思います。とてもシュールな作品・・・と言い替えて良いかも知れません。ストーリーは正直あってないようなもので、セリフは全くありません。最低限、伝えたいセリフのみが吹き出し形式で数か所表示されます。ちなみにDVDの裏表紙を見ると表記が全て英語となっていたので、もしかすると最初から海外マーケットを意識し日本語台詞を排除した可能性もありそうです。海外で販売する場合、いくつかの吹き出しセリフに字幕を付けるだけでオッケーですから。結局、観客はストーリーを全く理解できず、只々にゃっ太とにゃーこの大冒険に身を委ねることとなります。なので時折流れるサウンドトラックがとても重要になってきます。映像以上に、観客の意識に占めるサウンドトラックの割合が大きいような気がしています。こんなこと書くと只退屈な作品のように思えるかも知れませんが、実はそこがこの作品の奥深いところでもあります。とにかく観ている間想像力が刺激されまくります。摩訶不思議で、且つ、意味の理解できないストーリーだからこそアレコレ深く考え、観終わった後にあの意味深なエンディングが余韻となっていつまでも心に残るのかも知れません。■まるで映像のサンプリング作品このOVA『ねこぢる草』に現れる要所要所のエピソードは、漫画家『ねこぢる』がこれまでに発表した過去の漫画作品から抜き出し構成されています。もちろん過去の『ねこぢる』作品を知らなければ分かるはずもないのですが、そのシーンの構成こそがまるで映像のサンプリングのようにも見えます。過去作の色々なエピソードをランダムに抜き出し、まるでサンプリング・ネタのように扱ってカット・アップした末に完成した映像作品。関係ない元ネタを無理やり継ぎはぎして新たなストーリーを構築している訳ですから、この作品が前衛的に見えても必然というか仕方のないことのように思えてきます。ただ、一番大事なことは根本に漫画家『ねこぢる』へのリスペクが感じられる。ということです。第三者が『ねこぢる』に対して一定のリスペクトを捧げつつ、『ねこぢる』作品から元ネタを引っ張り出し自らの発想で大胆にストーリーを再構築する・・・という、その態度こそが正にサンプリングという手法と重なって見えます。誤解を恐れずに言えば、OVA『ねこぢる草』は映像版『ヘッド博士の世界塔』かも知れません。なんて、これは私の勝手な思い込みでしかないと思いますが・・・。■漫画家『ねこぢる』の死上に書きましたが、漫画家『ねこぢる』は1998年に自死により亡くなりました。この作品は2001年リリースですから、漫画家『ねこぢる』は制作に一切関わっていないと思われます。多分有志が集まり、漫画家『ねこぢる』を弔う気持ちでこの映像作品は制作されたのではないか?・・・と個人的には思っています。この作品の作品名は『ねこぢる草』ですが、実は『ねこぢる葬』という意味が含まれているような気がして仕方ありません。原作の漫画作品よりも映像作品の方がインパクトは大きいですから、風化する速度も遅い気がします。実際、OVA『ねこぢる草』を今見直しても全く古臭さは感じませんし、むしろ新しい感性を刺激されている感覚があります。□漫画家『ねこぢる』はトイレのドアノブで紐を首にかけ亡くなったそうです。この事実(?)を知って以来、OVA『ねこぢる草』を見る度にあのエンディングがとても辛く悲しく見えます。にゃっ太がトイレへ行き、部屋に戻ったら誰一人いなかったというあのシーン。そのにゃっ太も直後にブラック・アウトします。まるで登場人物が漫画家『ねこぢる』の後を追い、天国へと召されたかのようです。摩訶不思議で理解できないストーリーだからこそ、あのエンディングの余韻が見た人の心にいつまでも残り続けるのかも知れません。■サウンドトラックがLP盤で発売まさか23年後の今になってサウンド・トラックが発売されるなんて思ってもいませんでした。しかもアナログLP盤で発売されるなんて・・・。自分以外に購入する人なんているのだろうか?、なんて思っていたら、タワレコ・オンラインの【欲しい物リスト】には既に6人程登録されていました。案外根強い再発希望があったのかも知れません。みんな物好きだなぁ!(笑)。漫画家『ねこぢる』が亡くなって既に25年です。今更ですが、月日の経つのが本当に早く感じます。これまでの10年も早かったですが、これからの10年はもっと早く感じるのでしょうね。ヤレヤレです。(´・ω・`)■OVA『ねこぢる草』はAMAZON PRIMEでレンタルされていました。今はフィジカル版は廃盤ですから気になる方は是非レンタルして見てください。(紹介を修正しました)(終わり)

    OVA『ねこぢる草』(01年)のサウンドトラックLP盤が発売決定!
  11. 実例を参考にした物語●スリープレス それは、眠ると憑いてくる。(2017)睡眠障害の治療をする女医のもとに、家族全員が睡眠障害に悩む一家が訪れる。睡眠障害の原因とは…私の10段階評価ストーリー 6突っ込みどころ満載です色々なシーンでイライラする他に方法あるでしょ!そのやり方酷い!だけど、夢遊病、悪夢 、金縛りは興味深い怖さ 7ゾクゾクする怖さは無いだけどハラハラ怖い夢遊病が怖い惨虐性 2少しあります性的描写 0無いです私の感想コチラの作品はずっと前から気になっていたけど、評価が低いのでなかなか観る気にならず。。。ゴールデンウィークにお楽しみ映画を観る事にしたので、今日はコチラの作品を鑑賞してみました。途中までは、凄く面白かったです。「夜驚症 」という言葉を初めて知りました。「金縛り」「悪夢」「寝言」「夢遊病」は、脳が寝て体は起きている。と聞きますが、実は恐ろしい別の何かが原因だとしたら…経験した人にしか分からない恐怖ってありますよね。夢、気のせい、思い込み、と簡単に言えない事もありますよね。しかし!ホラー映画好きの私としては、何故なの?どうして霊媒師や霊能者や神父に相談しないの?登場して欲しかったです!!!邪悪な何かと素人が戦っても負けるよぉ。男の子が可哀想で…そんなやり方は虐待だよ。とにかく、突っ込みまくりでした。だから評価が低いのかも。私は寝ぼけた事が無いのですが、娘が幼い時に寝ぼけて部屋の中を歩き回ったり、寝言も酷くて心配になった事があります。寝ぼけている時は目も開いているので、寝てるのか起きてるのか分からない時もありました。夜中に玄関の鍵をガチャガチャやってる時は怖かったです。だから窓には鍵の他にロックを付けました。私自身は、たまーに金縛りにあいます。その時に変な事も起きるから、説明できないけど、不思議な何かが起きているのかな…と思ってしまいます。昨日は夕方の早い時間から飲んでいた為、昨日投稿した記事は誤字だらけ(汗)←修正しましたブロ友さんの記事にコメントした内容も変な事言ってるーっっっ(汗)ごめんなさい(ノ_<)酔っ払っていました(>人<;)

    スリープレス それは眠ると憑いてくる。 ★★★★
  12. シャルロット・カシラギと新恋人。
  13. 天皇皇后両陛下は、2024年初の園遊会を主催されたEmperor Naruhito and Empress Masako hosted the first garden party of 2024Empress Masako, Princess Aiko, Crown Prince Akishino, Crown Princess Kiko and Princess Kako attended the spring garden party at Akasaka Palace Gardenwww.newmyroyals.com春の園遊会 2024 宮内庁/ Imperial Household Agency on Instagram: "令和6年4月23日(火)、赤坂御苑において園遊会が開催されました。"109K likes, 0 comments - kunaicho_jp on April 23, 2024: "令和6年4月23日(火)、赤坂御苑において園遊会が開催されました。". www.instagram.com春の園遊会 愛子さまも初めて出席春の園遊会 愛子さまも初めて出席【4月24日 AFP】東京都内の赤坂御苑(Akasaka Imperial Gardens)で23日、天皇、皇后両陛下主催の春の園遊会が開催された。www.afpbb.com関連記事園遊会の最新ニュース:朝日新聞デジタル朝日新聞デジタルの、園遊会に関するニュースや速報記事一覧です。園遊会に関する現状や背景を、わかりやすくお伝えします。www.asahi.com動画天皇、皇后両陛下主催「春の園遊会」 愛子さまが初出席(2024年4月23日)映像提供:宮内庁天皇、皇后両陛下主催の「春の園遊会」が23日、赤坂御苑(東京都港区)で開かれた。両陛下や皇族方は、招待された俳優の北大路欣也さんや元日本サッカー協会会長の川淵三郎さん、現代美術家の横尾忠則さんら各界の功労者と歓談した。両陛下の長女、愛子さまも初めて参列された。■チャンネル登録:https://ya...youtu.be関連記事La première garden-party de la princesse Aiko au palais impérialL'empereur Naruhito et l'impératrice Masako organisent leur première garden-party de l'année 2024 avec leur fille, la princesse Aiko.histoiresroyales.fr園遊会園遊会 - Wikipediaja.m.wikipedia.org

    春の園遊会  2024
  14. 4月27日は、アヌーク・エーメの92歳の誕生日でした。それを記念して、アヌークの作品を紹介しています。『愛よもう一度』(1976)監督 クロード・ルルーシュ共演 カトリーヌ・ドヌーヴ撮影 ジャック・ルフランソワ【あらすじ】恋人の犯した殺人の現場に居合わせただけで16年を獄中に過ごしたカトリーヌ。出獄後の彼女にはしかし大きな希望があった。それは彼女が第2の人生を賭けて、自らの身体をわざと傷つけて収容された病院で看護人を誘惑して宿した、息子シモンとの再会だった……。■アヌーク・エーメとカトリーヌ・ドヌーヴというフランス2大女優の豪華作品です。そして、監督がアヌーク・エーメの大ヒット作品『男と女』を撮ったルルーシュです。なお、このようなフランス女優の競演作としては、BBとジャンヌ・モローの『ビバ!マリア』が思い出されます。※こんな豪華なキャストにもかかわらず、日本版DVDが出ていません...■ゴージャスな美女2人の作品にもかかわらず、出会いの設定は、牢獄です。囚人同士の2人が、出所後に仕事のパートナーとなるという物語です。しかしながら、33歳のドヌーヴ、44歳のアヌークは、性的魅力と魔性や野性を秘めた女性たちとして描かれています。■ルルーシュの即興的手法により、どうしても構図が決まったショットがありませんが、アヌークとドヌーヴの、ブルネットとブロンドの対位法的な世界が後半に展開され、実に豊かな映像美に浸ることが出来ます。■以下、アヌークとは関係のない話です:この作品は、ドヌーヴの、初めて母親らしい役となります。役名は、奇しくもカトリーヌです。※原作が無い作品なので、その役名は明らかに監督の意図によるものです。『シェルブールの雨傘』(1964)のラストシーンで、若マダムとして娘を連れていたり、『哀しみが終わるとき』(1971)では赤ん坊を亡くしたりしていますが、子育てをする母親が前面に出た役は初めてです。(むろん囚人の役も初めてです。)カトリーヌがカトリーヌ役を演じていることにも現れているように、よって、いままでのゴージャスでセクシーなドヌーヴではない、一人の女性としてのドヌーヴがここにあり、一種ドキュメンタリータッチの映画となっています。#映画好きな人と繋がりたい#洋画好きな人と繋がりたい#女優好きな人と繋がりたい#女優さん好きな人と繋がりたい#女優好きさんと繋がりたい#映画好き#女優 #美女 #おすすめ映画 #エレガンス#東京レッスン#映画鑑賞#映画鑑賞教室#習い事#大人の習い事#フランス女優#アヌークエーメ#カトリーヌドヌーヴ#カトリーヌドヌーブ#cinemaclassic#classicmovies#vintagemovie#actress#elegance#cinemalesson#actrice#anoukaimee#catherinedeneuve

    フランス2大女優の豪華作品 --- アヌーク・エーメ 『愛よもう一度』
  15. 財閥家の末息子 全16話2022年製作 Lemino☆3.22024年韓ドラ8本目(通算111本目)随分、前に完走してました。面白かったんですけど。こうして、振り返ると・・・・こう言ってはアレなんですが、ソン・ジュンギ様が全然、ハマってなかったな~・・・という印象しか残っていないのです。「ヴィンチェンツォ」「太陽の末裔」に比べるとですけど・・・・全然、こう印象として残っていないというか。「ヴィンチェンツォ」も「太陽の末裔」も、ソン・ジュンギ様以外のキャストは、考えられない!!!!というレベルなんですけど、この作品においては、ジュンギさんでなくても、ええんちゃうの???と思えるんですよね。一瞬ね・・・・この魅力がなくなったのは「結婚」したせい?と思ったけど、「涙の女王」でカメオで出てきたジュンギ様は、やっぱりカッコ良かったので、どうも、これは、役が合ってなかったんやな・・・と思った次第です。 でね・・・・なんで、こんなにハマらなかったんかな~と考えたら、これは、もう、いくらジュンギ様が若く見えるといっても、大学生はやりすぎ・・・・・・・という所に、行きついてしまうんです。確かに、若い!!でもね。正直、大学生は無理ある!!と思ったんです。 もう、あのニコってする笑顔が、私には、痛々しく映ってしまったんです。それでも、大学生に憑依したから、無理して大学生を演じてるっていう設定なのよ!!と、自分に言い聞かせたけど。 年齢を重ねんて行く割に、その辺の変化がないもんだから、最後まで、違和感が払拭出来なかったんです。そして、私の中で最大の違和感として、残っていたのが、チーム長と末息子が、同じ顔っていうのを、誰もツッコまないのは、どういう事なの?? もう、私、そういうのがキニナルんですよ(笑) この一人二役って、ホント、必要なの??って思っちゃう。別のキャスト立てた方が、違和感なくいけると思うんだけど・・・・ 財閥内での争いもなんだけどさ・・・正直、未来が分かってるって最強やん???最強なはずなら、もっとスマートに勝てんもんなの??って思ってしまったけど。 でも、それ以上に、ソンミン様が凄かったって事なのかな?とも思ったけども。そうなのよ・・・・ソンミン様がもう圧倒的に素晴らしかったと思う。 たたき上げの、泥臭い会長・・・もう、本当に素晴らしかったので、退場になってからが、ちょっと退屈に感じてしまいましたね。 ソンミン様素晴らし過ぎて。。。。ちょっと、この脚本では勿体ないとすら感じてしまいました。しかし、こんな厳しい父親に育てられたのに、子供が揃いもそろってアホなん、なんで????って思ってしまう。 どんなけ、子育て下手やねん。 あとね~ 恋愛の描き方が、なんか中途半端でね・・・ジュンギさんだけど、全然、胸キュンしなかった。 なんか、結局、文句ばっかりで(笑) とにかく、なんか根っこに違和感があるから、この世界に没入出来なかったのが敗因なのかな。 ソンミン様の凄さを、知らしめた作品でしかなかった。世間の評価は、最高なので。私の個人的な感想ですから~。明日は、九州オフ会です。せっかくなので、朝早めに福岡入りする予定なので(都会の空気を、少しでも多く吸いたい・・・・)早く寝ないと!! 明日のオフ会は、始めまして~の方が2人なので、ワクワクしてます~。人見知りだから・・・・大丈夫かしらん💛

    【韓ドラ】財閥家の末息子 ジュンギ様にハマらなくて・・・・
  16. NN4444(2024 日本)監督:中川奈月、佐久間啓輔、宮原拓也、岩崎裕介企画/プロデュース:林健太郎、鈴木健太、浅野由香出演:小川あん、磯田龍生、渡辺葵、鮎川桃果、桑原おさむ、錫木うり、原田新平、夏子、大下ヒロト、山脇辰哉、森田想、田中陸、野内まる、大石水月、伊藤歌歩、若杉凩、神嶋里花、安藤聡海、金子岳憲、平井まさあき、池田良4人の新鋭監督、4人の主演女優で、4本の短編ホラー映画を集めたオムニバス作品。全体を貫くテーマはあるようなないような。女性が主人公で、現代社会のなんらかの抑圧、息苦しさを描いていること…でしょうか。完全に知らない作り手、知らない出演者の作品ばかりでしたが。とても面白かったですよ! 素直に、楽しめました。4作品それぞれ、違った面白さがあって。作品ごとにばらつきは、やはりありましたけどね。犬監督/脚本:中川奈月 出演:小川あん楓(小川あん)は高圧的な態度の恋人との結婚を控え、もやもやした気分を抱えています。ある夜、汚れた格好の少女に犬の声で吠えられ、楓の精神は掻き乱されていきます…。「偉そうな振る舞いの男」に抑圧される女性を描く作品。すべて女性が主役である割には、4作品中唯一の女性監督による作品で、「女性の感じている抑圧」がもっともストレートに描かれた作品です。ミソジニー的な若い男だけでなく、楓の母親(娘への評価がめちゃ低く、彼女の自己肯定感を破壊してくる)や、職場の女性上司(別の男性上司にまあまあ…となだめられる)が抑圧的であるのもリアルです。「犬」は自由の象徴かもしれませんが、都会で野良犬として生きるのは見た目には汚く、グロテスクな食事風景を伴います。女性の抑圧が「グロ」の形で噴出する表現は、「RAW〜少女のめざめ」や「Swallow/スワロウ」、「ボーンズアンドオール」のような映画を思い出します。いずれも「食べる」という行為が、大量の流血や生理的不快感を伴って描かれていく。象徴の全部はわからないのだけれど、女性の生理や生殖のイメージが重ねられているのかな…と感じます。ストーリーの中で何度か繰り返される「わん!」という声が鮮明で、ハッとさせられます。女性同士の安心感が幻想として描かれ、男は物言わぬ死骸となって、無視され、放っておかれる。4本の中で唯一、はっきりと女性視点で描かれた作品。面白かったです。Rat Tat Tat監督/脚本:佐久間啓輔 出演:錫木うり謎めいたパーティーに出席した夫婦。妻(錫木うり)は周囲の夫婦の「子供や妊娠の情報」にコンプレックスを感じています。やがて宴が進むと、人々が不気味な手拍子を始め、妻のお腹が膨らみ始めます…。パーティー会場で女性主人公が見る悪夢。主人公は子供ができないことに悩んでいるようで、彼女が感じているプレッシャーや「周囲の目」が悪意を持ったものとして可視化され、幻想になっていく……ということかと思うのですが。4本の中では、本作がいちばん共感しづらかったかな。突き放した作風は構わないのだけど、アイデアに乏しい印象を受けました。「謎の手拍子」と「主人公の苦しんでる描写」が単調に続き、短編なのに飽きてしまいます。洗浄監督/脚本:宮原拓也 出演:夏子湖を訪れた若者たち。皆がはしゃぐ中、孤立するまお(夏子)。一人が溺れかけたことをきっかけに、皆が奇妙な現象に取り憑かれていきます…。湖畔の別荘に集まった若者たちが、一人ずつ「水に魅入られて」いく。4作品中、もっともベーシックなホラー映画らしいシチュエーションの物語です。起こる怪異は不条理なのだけど、ホラーの定石を上手く使っていると言えますね。常に無表情で感情に乏しく、皆に「何考えてるかわかんなくて、ブキミ」とか言われてしまう主人公、まお。そんな彼女が、皆が怪異に見舞われた途端、生き生きとし始める。ものすごく楽しそうに怪奇現象を見学し、いろいろ試してみたりする。冒頭でアリが溺れるのを観察していたように。そんな「人怖」系のひねりが加えてあって、不条理なだけには終わらない面白いホラーになっていました。「無限に水が飲みたくなる」だけの、シンプルな怪異。シンプルなので短編の尺にはちょうどいい。水をズルズル啜る音が気持ち悪く、グロシーンはないのに生理的な不快さもかなりある。そして、オチがつくのもいいですね。「無限に水を飲みたくなる」怪異と、彼らがいる場所が合わされば、自然に導かれるオチ。ホラー映画はやっぱり、きれいにオチて欲しくなります。主人公だけが理由もなく無事なのはややご都合主義ではあったかな。VOID監督/脚本:岩崎裕介 出演:野内まる郊外の高校に通う麻木(野内まる)。不慮の事故で友人が死んでも、変わりなく続く日常。微妙に噛み合わない会話、不穏な兆候。やがて何かが、麻木の日常を侵食していく…。これは素晴らしかった! 4本の中でいちばん好きでした。4本の中ではもっともストーリーはわかりにくい。不条理で不可解な場面が連続するのだけれど、「不吉なことが今にも起こりそう」な空気の醸成が非常に上手くて、最後までグイグイ引き込まれていきます。絵が強いです。女子高生たちの並んだ絵面が美しくも不穏だし、常に薄曇りの風景もいい。「何の変哲もない一般的な家や街角」が、どうしようもなく心をザワつかせるものになっている。「晩ごはんでのお母さんとの会話」とかね。何が起こる訳でもないのだけど、なんだかどうにも気持ち悪いんですよね。観ていて足元が頼りないような、心の奥の不安を掻き立てられるような、イヤ〜な感覚を何度も感じましたよ。(ホラーなので褒めてます)テーマとしては「虚無」。友達の死に対してさえも心が動かないなら、そんな世界はそもそも存在していると言えるのか。変わらない日常が続いているのに何かがごそっと損なわれている、世界が空っぽになってしまったような感じ。「女子高生の他愛のない会話」がリアルで上手くて、それでいてどこか空々しいというか、そこには心がないかのような怖さがじわじわと滲み出てくる。アフターコロナの空気感も感じます。(別にそんなこと言ってる訳ではないのだけど)言葉にできない空気感を伝える。これは映画ならではの表現ですね。デヴィッド・リンチを感じさせるところや、黒沢清や諸星大二郎…あるいはヨルゴス・ランティモスの影を感じたりはしたけれど。でも、それらのどれにも決定的に似てはいない。オリジナルな、初めて見る映画だったと思います。短編といわず、ずっとこの空気に浸っていたいと感じましたよ。このまま長編映画に拡張してほしいくらい。この作り手は、要注目です。NN4444 — NOTHING NEW™小田急線下北沢駅 南西改札口徒歩0分 下北沢での鑑賞はこちら JR・東京メトロ渋谷駅...nothingnew.ltd悪い月が昇るAmazon(アマゾン)このブログ著者のホラー小説が竹書房より発売されます!

    「NN4444」 現代の空気感の不吉を描く、四者四様の不条理ホラー ネタバレややあり
  17. 初回を見て「なんじゃ、これ?」と少なからず思ったものの、脚本が宮藤官九郎であることを信じて、初回離脱はとどまったのですが、第2話はやはり信じて良かったと、素直に思える見ごたえある人間ドラマになっていました。恐るべし!クドカンです。テレビ東京 金曜24時52分「季節のない街」第2話主演…池松壮亮脚本、演出…宮藤官九郎今回、フィーチャーされたのは半助(池松壮亮)を青年部に誘ったタツヤ(仲野太賀)。タツヤは「ナニ」で父親を亡くし、母のしのぶ(坂井真紀)と妹、弟と仮設住宅で暮らしてきました。兄のシンゴ(YOUNG DAIS)は仮設住宅の暮らしになじめず、出ていってしまい、グレて時々姿を見せては母から金をもらっていくということを繰り返しています。タツヤの一家に優しく接してくれ、父親代わりになってくれた人も、方々から借金して貯めた金をしのぶがほとんどシンゴに渡してしまったのを知り、どこかへ去ってしまいました。それを義父が知ったとき、初めてしのぶを見るような顔をしたという描写にまずハッとさせられました。これが前ふりで、タツヤも同じ表情をすることになります。タツヤはいつか一家で仮設住宅を出てもっと良い暮らしができるようにとコツコツと貯めていた貯金通帳を、しのぶは印鑑ぐるみシンゴに渡してしまいます。シンゴが何者かに刺されて、搬送された病院に駆けつけ、所持品からそれが判明するのですが、あとから来たしのぶは、シンゴの命より貯金の方が大事なのかとタツヤをなじり始め、自分だけ楽をしようとコソコソ貯めて!と罵倒します。タツヤはたんばさん(ベンガル)から、それでお母さんは幸せなのか?と言われ、自分のエゴに気付き、シンゴに貯金を渡してもよいと考えを改めた矢先だったのに…親を思っての行為が、当のしのぶには全く理解されていなかったのです。家族のために頑張ってきたタツヤより、会えば優しい言葉をかけてくれるシンゴが可愛いとい言い放つしのぶを、ボカ~んとした表情で見守るタツヤ。受け入れがたい不条理に、涙を流します。このシーン、坂井真紀もスゴかったですが、仲野太賀のリアクションが実に見事でしたね。シンゴは命をとりとめ、保険に入ってなかったため、タツヤの貯金がごっそり使われました。家族とはなんて因果なものか、私めも考えるところ多々あり、こんな重いテーマを突きつけてくるクドカンにノックアウトされました。半助に届く大量の白菜による鍋をタツヤもつつくシーンが続いて何とか救われました。今回の評価は…8

  18. みなさんこんにちは!ご機嫌いかがですか?前回までのブログで、僕が住むスペインのバスク(バスク州あるいはバスク地方とも呼ばれています)というところが、スペインのどのあたりにあるのか、ということと、バスクがとても美しいところ(あくまでも僕の主観ですが)だ、ということはお分かりいただけたかと思いますので、いよいよ今回から、1990年の4月25日に、バスクのイルンという、人口6万人の町に着いた時からの直感の日々を、つれづれなるままにお話ししていきたいと思います。イルンで住む家は、すぐに決まったので(妻の伯父さんが住んでた家が、空き家になっていたので、その家に住まわせてもらえました。)、家を探す手間も省けましたし、住居費の心配もしなくて済みました。なのでイルンに着いて、すぐに取り掛かったことは、車を買うことと、鍼灸(しんきゅう)とヨガのセンターの開設準備をすることでした。車については、すでにお話ししたように、最後の最後に気に入った車を見つけることができたので、僕も妻も大喜びでした。(10ヶ月後に、大きな事故に遭うことになるのですが。)イルンに着いて、何を置いても一番最初に車を買いたかった理由は、日曜日の休みの日に、家族をいろいろなところに連れて行きたいと思ったからでした。以前にもブログに書いたことがあるのですが、僕には変な癖がありまして、僕の車にいろいろな人を乗せて、人が行きたいところに送って行ったり、楽しいところに連れて行くのが好き(と言うよりも、趣味のようなもの)なのです。なので、妻は僕のことを(少々嫌味を込めて)タクシードライバーと呼ぶのです。(妻は、僕のそういうところが馬鹿のように思えたそうです。笑)早速車を買った最初の日曜日に、みんな(妻と子供たち、妻のお母さんと伯父さん、そして僕の6人)で、フランスバスクのアンダイエの海に行きました。イルンの近くには、二つの海がありまして、一つの海はイルンから車で5分のところにある、同じスペインバスクのフエンテラビア(バスク語ではオンダリビア)という、人口1万5千人の美しい港町にある海で、もう一つの海は、こちらは車で7,8分のところの、川向うのフランスバスクのアンダイエ(バスク語ではヘンダイア)という、人口1万3千人の美しい町にある海です。どちらもイルンから近いのですが、イルンの大半の人たちは、ただ純粋に海に入って泳ぐことだけが目的の場合は、スペインバスクのフエンテラビアの海に行く人もいますが、長い砂浜を歩きたいとか、広い砂浜で子供を遊ばせたいとか、砂浜で日光浴をしたいとか、サーフィンをやりたいとか(もちろん純粋に泳ぎたいときも)、そういう目的の場合は、ほとんどの人はフランスバスクのアンダイエの海に行きます。どうしてフエンテラビアよりも、アンダイエの海の方が、人気があるのかと言いますと、Google earthでご覧いただければお分かりになると思いますが、海としてはアンダイエの海の方が美しく、また砂浜も幅が広く長さもはるかに長いので、フエンテラビアの海よりも、人気があるのです。しかし街としては、フエンテラビアの市街地は、中世の城壁に囲まれた、とても美しい街なので、フエンテラビアはとても人気があります。ということで、車を買って最初の日曜日に、家族6人でアンダイエの海に行きました。アンダイエの海に着くと、妻とお義母さんと子供たちは、早速長い砂浜を歩き始めました。僕と伯父さんは、持って行った折りたたみのイスに座って(伯父さんは、脳梗塞の後遺症で、歩行が困難でしたし、僕は歩くのがあまり好きではないので。)、二人でおしゃべりをしました。当時の僕のスペイン語は、まだまだ片言だったので、僕と伯父さんは、お互いを理解しようと、頑張って身振り手振りを交えて意思の疎通をはかりました。理解しようと思う心があれば、けっこう理解できるもので、その時に伯父さんは、子供たちのことでとても嬉しい話しをしてくれたのです。僕がまだイルンに来る前のこと、伯父さんと僕の息子たちの間で、次のような会話のやり取りがあったそうです。息子たち「ダニエル伯父さん。伯父さんはどうしていつも寂しそうな顔をしているの?」伯父さん「誰も伯父さんを外に連れていってくれないから寂しいんだよ。」(伯父さんは、その1年前に起こった脳梗塞の後遺症のため、一人では外に出られませんでした。)息子たち「それなら心配しなくてだいじょうぶだよ。僕たちのパパが来たら、すぐに車を買って、ダニエル伯父さんをいろいろなところに連れていってくれるよ。だから安心して。」伯父さん「それが本当なら嬉しいけどね。」という会話をしたそうです。伯父さんは「どうせ子供たちの言うことだ。」くらいに思って、全く期待していなかったそうです。伯父さんからこの話しを聞かされた時、二年間離れて暮らしても、二人の息子が優しい子に育っていることがわかり、とても嬉しくなりました。僕は伯父さんと息子たちの間で、そんな会話があったことなど全く知らずに、イルンに着いてすぐに車を買って、伯父さんに「ダニエル伯父さん、今度の日曜日にみんなで海に行きましょう。」と言って、早速その日曜日にアンダイエの海に行ったわけですが、伯父さんと二人で、イスに座って話しをした時に、伯父さんが「君の息子たちが私に言ったことは本当だった。」と言って、息子たちが伯父さんに言ったことを、僕に話してくれたのです。伯父さんからその話を聞かされた時は、「子供たちというのは、父親が思っている以上に、父親のことをよく見ているのだなぁ」と思い、あらためて「子供たちのまえでは、気をつけて行動しなくては、、、」と思いました。もっとも、息子たちはいつも母親が「あなたはいつも車で誰かをあちこち連れて行ってばかりいるから、まるでタクシードライバーね。」と、父親に揶揄して言っているのを聞いていたのかも知れませんが。(笑)続きは次回のお楽しみに!それではまた来週の金曜日にお会いしましょう!みなさんお元気で!スペインのイルンより心を込めて、、、水谷孝

  19. 原題:Corrective Measures  製作年:2022年製作国:アメリカ  上映時間:106分レンタル屋新作棚からブルース・ウィリス主演のSF作品を借りだしてきた.最晩年には多くの作品に出演しているのだが、その内の一つ.まだ元気に演技しているようだが、座っているシーンが多い作品.本年度累積93本目の鑑賞.———————————————————人気グラフィックノベルをブルース・ウィリス出演で映画化したSFアクション.世界中が「パルス」と呼ばれる災害に襲われ、数十億人が死亡した.さらに遺伝子の突然変異により、特殊能力を持つ「超人」たちが誕生.その力を恐れた政府は、超人に対する法を整備して彼らを取り締まるように.軽犯罪で逮捕され超人専用の刑務所に送られたディエゴは、そこで才能力者のザ・ローブと出会い、ある事件をきっかけに共闘することになる.共演は「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズのマイケル・ルーカー.ヒューマントラストシネマ渋谷&シネ・リーブル梅田で開催の「未体験ゾーンの映画たち2023」上映作品.以上は《映画.COM》から転載.——————————————————————「未体験ゾーン…」の作品だから、ある水準のB級映画だとは推定できた.刑務所にいる犯罪者たちが超能力者で、それを封じられているという施設が舞台.終始刑務所内の出来事だけので地味と言えば地味だ.そこに共感能力を持つという青年が軽犯罪で刑務所に入ってきて過ごしていくと言う内容.ブルースウィリスは人を操ることが出来る超能力をもっているらしく、刑務所内でのボスの存在.実質は、刑務所の“監督”のデヴリン:マイケル・ルーカーとザ・ローブ:ブルース・ウィリスの二人の駆け引きと葛藤が主題であろうか.刑務所内で犯罪者たちが、規制が外れて超能力を少し披露してくれるだけで、SF映画とはとても思えない低予算ぶりが印象的.設定が近未来のはずなのに、近未来感を欠片も感じない.せめて刑務所の内装や刑務官の武器だけでも工夫が欲しいが、超能力バトルに警棒で対抗するだけというのも、トホホで観ていられない.最後は刑務所の電源リセットで、規制を復活させるという古典的な手段で一安着.刑務所内には、刑務官と超人たちの死体がゴロゴロという有り様.ブルース・ウィリスは終始刑務所内の牢獄で暮らすシーンばかり.監督デヴリンが脅迫まがいで、巨額なザ・ローブの持ち金を奪取しようとする.ザ・ローブはぬらりくらりとかわすばかり.監督デヴリンは定年引退日が迫りあせるが、その最終日に監督はザ・ローブに口座振り込みを迫るが、ここで鮮やかなザ・ローブの返り討ちに遭う….監督デヴリンが定年を迎えるにあたり、後継者を誰にするかというサブテーマも繰り広げられる.管理屋の女性と現場叩き上げの男性監房長.女性はやる気満々、男性は乗り気なし.これを天秤に掛ける監督デヴリンもじらしまくりで不愉快極まりない.ラストは、ザ・ローブ:ブルース・ウィリスのアイデアを感じさせる一本勝ちで、すっきりするのだけど、それだけの作品の感有り.原題はCorrective Measures、“適切な処置”とでもいうところか.邦題は「ザ・ローブ」はまだ良いとしても、副題になぜ目茶苦茶な英題を追加するのか??  配給会社のセンス無さと支離滅裂さがまたも露見している..

    映画「ザ・ローブ THE HEROES HIGHT VOLTAGE」(DVD)…想定外の逆転!
  20. 可愛過ぎてずるい?