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公式ジャンル「小説・エッセイ・ポエム」記事ランキングページです。小説・エッセイ・ポエムジャンルで一番人気の記事は「Beautiful Days*後書き」です。
和宮❤︎和子の御伽草子
『Beautiful Days』全58話お読みくださり有難うございました。素敵な宝物アクリルスタンドを見せてくださいました某Mさん有難うございました。*ララァさんのお写真です*素敵なお写真を貸してくださいましたララァさん♡ありがとうございました。宜しければこちらをお聴きになりながらお読みくださいませ。らんららん、らんららららんらんららん、らんららららん春🌸は別れの、そして出逢いの季節でつい先月まで高三生だった子が大学生になり・・・この寂しい気持ちを知ってか知らずか毎日のように誰か遊びに来てくれます。「履修登録が済んだよ」「前期22単位マックスまで取ったー」「農業実習で北海道行くんだ。その為のワクチン💉接種したよ」「サークルに入ったよ」先生、先生、とこんな和子に懐いてくれて若い力に導かれるようにしてこの春も変わらずに私は古典の先生をやっています。本当の私はどうしようもない陰キャなのね。ここではありのままの私なので私の嫌なところも危ないところも皆さま既によくご存知で今更取り繕っても遅い、というか今まで散々書き散らしてきたのでもう、どうにもならない、というかいつもの和子はあまり良い人間ではありませんと、開き直らせていただいて😂それでも。私、きっと。先生が天職✨なんだと思うの。(自分で言う幸せな和子)だって育っていくその姿が頼もしい✨と、そう思えるんだもん。中には酷く叱った子もいるのね。タバコ🚬の他にも、いろいろ。誰かを陥れようとした時などは人としてそれはどうなの?って思ってしまって正直に告白すると感情的になって顔を真っ赤にして泣きながら怒ってしまった時もあります。だけど、ねそんな和子を許してくれて「先生」「また遊びに来たよ」ご縁が続くって本当にキセキ・・・✨あんなにヤンチャだった子がor あんなに大人しかった子が頼もしく成長していくのは喜びです。そして私の早計だったのかなぁ、と時に反省することもあります。もう少し待ってあげれば自分で軌道修正できたな・・・とか。その後の姿を見てあれは私の誤解だったのかも?と思い返したりもします。某Mさんがねアクリルスタンドの大宮ちゃんを「小学生くらいかな・・・」と仰ったの。ふたりが結ばれるにはそれなりに成長しないといけなくてでまず大前提に小学生の大宮ちゃん、としてじゃあふたりはその前に既に互いをよく知っていて運命の再会の場面・・・かな、と。それが一番見せていただいたアクリルスタンドをクライマックスに持っていけるかな、と。で、なんというかちょっと憂いのようなものを感じたのね。その憂いの由来はなんたるかその辺りから考え始めて・・・全て満たされていたらお話にはならないのね。いや、なったとしても浅くなる。そんなの、和子でなくても書ける。どこか欠如、というか不足、というか何かを抱えていて・・・それに打ち克つ、というか乗り越えていく、というかそこに成長が伴って・・・というものを少なくとも書きたい。いや。私たちの人生も。少なからず、そうですよね。何もかも揃ってる訳じゃない。いつでも順風満帆な訳でもない。持っていても持っていなくても悩みは付き物で・・・いや持っていたら持っていた分悩みは増える、というか・・・この年になるともうお荷物を減らしていきたい。足し算ではなくて引き算の美学、というのかな・・・介護や実家の片付けで思いも寄らず荷物も増えてしまう。そんな中でも救いもあって成長していく子を頼もしく思ったり素敵なお下がりがきて嬉しくなったり他にも弟夫婦はじめ親戚との付き合い家族の中で上の世代、下の世代との繋ぎのような位置にいる自分が既に抱えていることいっぱいあってさらに抱え込むことのリスクとかそれでも避けて通れないこと、とか嫁という字は女へんに家と書く。この時代もやはり過渡期にあってかつて「嫁」が黙って請け負ってきたもの責任を果たしてきたものそれが現代において「対価」を伴う「仕事」となり「嫁」「母」「義実家」「実家」・・・いろんな関係性が新しくなりつつある。私という人間を通して気付いたこと感じたこと書く題材は実はたくさんあるのです。それをどの登場人物を通して体験させていくか。古典の先生ひとりではなくて例えばとうめいたんの和ちゃんや詩嫁という立場ではタミコが最強かな家族のテーマは奥が深いです。そんな中で大宮さんからいただく萌えというものはやはり和子のお話の中心で大宮さんはいつでも楽しく嬉しく心躍る、心温まるものでございます。そしてやはりエロティックな要素も必然的についてきます。執筆中冬季オリンピックもございまして素晴らしい競技に心が震えたり、涙したりもいたしました。そのドラマに心動かされますとね。😆うちの子達にもなんというか道が繋がってきまして体操🤸♀️🤸大宮ちゃん。がっぷり四つに組んでぐるぐる🌀すごい体幹ですよね。ふたりとも。もう皆さまも。起承転結出来上がりましたね。😂それとは別にもうひとつ書けてるものもありましてそれは大人な大宮さんでどちらから出そうかな・・・ふたついっぺんに出すと頭の中忙しいですやろ?😂早慶型3科目に絞って偏差値70超え東大京大型5教科9科目偏差値70超え皆さまどっち?😂まー、どちらにせよどちらでもないにせよひとつずつやっつけていきましょうかね。息抜きにすぐ消す日記を挟みつつニ月五日にここのところの日記を一時的に置いています。そのうちに下ろしますが宜しければどうぞ。では、女優になる時が来ました。お祈り当番&授業いってきます。👋お読みくださりありがとうございました♡&いつも有難うございます♡
たくさん共感されています
櫻井翔を嵐を愛してやまないブログ
櫻葉小説です苦手な方はこちらで回れー右、お願いします大丈夫な方、お付き合い頂けたら嬉しいです🌸+†+🌸――🌸+†+🌸――🌸+†+🌸その後も本を見ながら、ぼんやりと潤の考えていることを俺なりに考えてみた。あの時の嫌な思い出があったから、潤の事を受け入れてなかったけど⋯なんか嫌な事をしてくる訳ではなさそう??まぁ、みんなの前で抱きしめられたのは嫌だったけど⋯何か危害を加えてくるような、そんな感じはないというか⋯。だとしたら、何がしたいんだ??考えれば考えるほど、訳が分からなくなって⋯後で翔ちゃんに相談してみようかな⋯そんな風に軽く考えていた。下校時間を知らせるチャイムが鳴り、俺達も読んでいた本を手に図書室を後にした。今日はこのまま翔ちゃんと一緒に、翔ちゃんの家に帰ることになっている。紀之おじさんの手料理を食べに誘ってくれたから!母ちゃんにもその事はLINEで伝えてあるから、モーマンタイ!!という事で、待ち合わせの昇降口へ!!俺と英二くんは、ただ図書室から降りてくるだけだけど、翔ちゃんたちはグラウンドの整備とか着替えとかがあるから、少し待つ感じ♡何だかその待ってる時間も俺としては嬉しいっていうか、ちょっとドキドキなんかしたりして⋯///ってか、俺⋯完全に恋する乙女状態じゃん///はっず⋯///なんて、1人照れてたら「雅紀ーー!!英二くーん!!」って、翔ちゃんが俺達を呼ぶ声が!翔ちゃんだっ♡♡声のする方を見ると、こっちに向かってブンブンと手を振る翔ちゃん!!⋯と、斗真くんwwwそのすぐ後を、上田くんが警戒強めに、そうまるで翔ちゃんのSPかのように付いてきている。その後ろにブッキーと隆ちゃん!!ってか、こうやってみると⋯この5人⋯めっちゃ顔面偏差値高くない⋯??⋯なんか、俺⋯すごいグループにいるんじゃ⋯(^_^;)気後れしそうな気持ちを誤魔化すために、俺は翔ちゃんに全力で手を振った。つづく書いていながら、どういう方向に持っていこうかと悩み出してしまった私の想像に反して、潤くんが優しすぎて困っている勝手にそうなっていく、お話あるある( ̄▽ ̄;)
♪嵐さんと共に♪妄想小説
N side露天風呂内の全ての電気を消してもリビングのすりガラスから漏れる光がオレ達を照らしてくれる。裸になりたくないオレは、浴衣のまま風呂に入ろうとした。それを、櫻井さんの機転で電気を消すことになったんだけど照らされたオレたち以上に窓の外に広がる景色の方が、ずっと明るく見えた。「月が、キレイですね。」「おっ。カズもそれ知ってんの?」「そりゃ、お月様が明るいことも、うさぎが餅をついてる事も知ってますよ。」「ふふっ そう。…それはすごいな。」「あ、バカにしましたね。」いつも櫻井さんの寝室は、間接照明で明るくしてるけど、きっと、今オレ達がいるこの空間は、それよりもずっと明るい。だから…湯船に広がる、オレの浴衣。櫻井さんに背中ごと後ろから包まれてオレの前は、水面を覆い隠すようにオレの浴衣がゆらゆらと浮かんでいる。オレの体が見えないのはいいけど、でも… これはこれで…どこかでピチャンと水の音がした。夜の空気は昼間より一段と冷えていて、外気に触れた水面からは、湯気が立ち上がっている。陽炎のように、ゆらゆらと空気を揺らして。ぴちゃん……ぴちゃん……天井から落ち続けていた水滴が目の前の水面に、円を作って揺らす。その水滴を掴みたくて、目の前に腕を伸ばすとオレの腕を下から支えるように櫻井さんも一緒に、腕をのばした。キン……と冷えた空気に触れてオレと櫻井さんの肌からもゆらゆらと湯気が立ち上がっている。ふふっと二人で漏らした笑みが少しくすぐったい。何を語らなくてもただこの時間が愛おしくて胸の奥の痛みに目を背けながら後ろを向くと、櫻井さんと視線がかち合った。柔らかく弧を描く瞳に吸い寄せられるように、自分から……櫻井さんと唇を重ねた。熱いね。櫻井さんの唇。いつもは、熱っぽいってだけだけど今日はすごく熱くて、いつもより柔らかくて優しく、オレの唇を甘やかしてくれる。重ねたり、啄むように形を変えてオレたちはゆっくりと何度も唇を重ねた。「カズ……」キスの合間に、自分の名前を囁かれると胸に、針が刺さったかのような痛みを感じた。明日の今頃は、きっとオレはあなたと一緒にいない。隣りに居ないあなたを思って、オレは何を思ってるかな。急に息苦しくなって握り絞めた手を、自分の胸元で結んだ。実らないと分かっていても、胸の奥で芽吹いた、櫻井さんへの想い。あなたにこの気持ちを伝えられなくても今後、あなたの笑顔を思い出せるならオレは、……オレは、明日の朝、若の元へ行ける。二度と、この部屋には戻らない。「櫻井さん、強く抱き締めて下さい。」「苦しくねーの?」「苦しい方が、櫻井さんを感じられるから。」「いいね。カズが積極的で嬉しいよ。」櫻井さんの体温を、指先に焼き付けたくて、もう一度、確かめるように抱き寄せた。「カズ、泣くほど気持ちいいの?」「んっ、、あっ、櫻井さ、、」「うん。……苦しくない?」「ッ、、気持、ち、、んン、、」伝えられない言葉を喉の奥へと飲み込み、ベッドの中、いつもより大胆に、手のひらで櫻井さんの肌を求めた。キスをされる時は、櫻井さんの頬を両手で挟み抱かれている時は、その背中を何度も摩り、吐精が近づくと、必ず櫻井さんの手のひらに自分の手のひらを重ね、強く…握り締めた。この、胸の奥に巣食う甘く切なくなるような痛みはもう、今夜でお終い。「カズ……、」「さ、くらい……さん、っ、ん、あぁ、」揺らされる景色の中に櫻井さんの、オレを求めるような視線に抱かれながら、声が夜に溶けていった。
Happiness will follow you later
今日の1枚最近料理が趣味と伝えたら仲良しのお客さんが茅乃舎の減塩だし買ってきてくれました。ほんとにいつも暖かくていい人。ありがとうございます🙇甘めのだし巻き玉子作りますね。茅乃舎のだし好きなんでついつい買っちゃうんです。って話てたらまさかの。今日のほっこりした話でした。誰しもが今を進んでく半透明な願いは風にのせてすれ違うようにすり抜けて消えていった数え切れない程犠牲にしてきた言葉にならないほど諦めてきた数多くの諦め失われた願い置いていった手に余る繋がり譲り合う事に慣れすぎたここらでいっそやめにしよう後悔が僕の背中を押した今を生きる為この両手足であなたが笑う度僕はどれほど救われたかそれを糧に立ち上がれるはずだあなたが照らしてくれた後で必ず照らすと誓う僕自身が再び立ち上がって道を作ってみせるその光を分けられるようにあなたと共に歩んできた時にぶつかり時に励まし合いながら背を向けてしまった時もあったあなたはありのままでいれると言ったこの言葉にどれだけ救われただろうあなたの横にいさせてくれた言葉足らずな僕は許してもらうばかりで信じてほしいのはあなたのおかげであなたの背中を押し続けていきたい笑われても馬鹿にされても醜くも命を燃やそうあなたに光を分けていけるように今日の一曲the GazettESHIVER
castella-09のブログ
一面ガラス張りの高層ビル。23時。都内某テレビ局・報道スタジオ。今日も変わらず、情報を届ける時間。櫻井.翔は、スーツの襟を整え、照明の下で台本に目を通していた。毎晩、同じ時間に放送される報道番組。政治、経済、社会情勢……感情を挟まず、事実を正確に伝えることが求められる世界。でも、今日は違う。いつも通りに見せなくてはいけないのに、心臓だけが異様に騒いでいる。理由はわかっていた。今夜の特集コーナーのゲスト——「ニューヨークを拠点に活動するダンサー、大野.智さんです」4年半ぶりの、再会。*「続いての特集は『世界で輝く日本人アーティスト』です。今夜は、ダンサーの大野.智さんをスタジオにお迎えします」拍手とともに、静かにスタジオに入ってきたその姿。変わっていないようで、どこか大人びた印象。短く整えられた髪に、黒のジャケット。人前に出るのが得意ではないはずなのに、カメラの前だと妙に絵になる。「大野さん、今日はよろしくお願いします」「……こちらこそ、よろしくお願いします」台本通りのやり取り。けれど、目を合わせた瞬間、頭の中で“未読”のメッセージが浮かんだ。行ってらっしゃい。気をつけて。あれから、4年半。それきり既読はつかなかった。「大野さん、現在はニューヨークを拠点に活動されているとのことですが——」「はい。もう4年半になります」「……4年半、ですか」ーーー知ってるよ。ずっと数えてたから「向こうでの生活はいかがですか?」「言葉の壁はありますけど、楽しいです。自分の好きなことに集中できる環境なので」飄々と答えるその横顔に、昔の面影が重なる。寝起きでぼんやりしていた顔。真夜中、ホテルの部屋で交わしたキス。あの肌の温度。あの声。ニュース番組のキャスターとしての自分が、ぐらついていた。「では、実際にVTRで覧いただきましょう。大野さんのニューヨークでの活動の様子です」VTR中。一瞬、緊張が緩んだ瞬間に、隣の大野がぽつりと呟いた。「……翔くん、変わらないね」「……ん?何が?」「声とか、雰囲気とか。懐かしい」「そっちこそ。……変わってないなって思った」数秒だけ、目が合った。その中に“会いたかった”と書いてあったらいいのに。“忘れてないよ”と、伝えてくれてたらいいのに。でも何も言わない。触れない。それが、今の距離。ARASHI BLAST in Hawaii(初回限定盤) [Blu-ray]Amazon(アマゾン)
人生の午後の楽しみかた
母のゆうちょ銀行のキャッシュカードがついに使えなくなった。少し前から磁気が弱くなっていて、最近はウエルシアの古いATMでしか反応しなくなっていた。実は亡くなった弟から引き継いだ、父のかんぽ生命の死亡手続きも放置していた。弟は母の介護をしながら父の死亡手続きをひとりでこつこつ進めてくれていた。死の間際に、あと終わっていない手続きはかんぽ生命だけなのでよろしく頼むね、と言われていた。なのに私は弟から引き継いだ書類を見ると辛い気持ちになることを言い訳に、手続きを先延ばしにしてしまった。弟自身の郵便貯金やかんぽ生命の手続きもあるはずだった。これはもう、いよいよ全てにカタをつけるときがきた。CMではいけめんのかんぽさんが自宅を訪問して親切に相談に乗ってくれているではないか。そうだ、かんぽさんを家に呼ぼう。最寄りの小さな郵便局に電話をかけると、訪問できる郵便局とできない郵便局があるとのことだった。しかもゆうちょカードは郵貯銀行に、かんぽ生命は郵便局に相談しなければならないこともわかった。電話口の局員さんはとても親切だった。もし、お母様(92歳)を窓口までお連れいただけるようでしたら、こちらで一切の手続きができるよう手配します、と言ってくれた。電話の向こうに磯村勇斗の笑顔を感じ、会いに行こう、と思った。午前半休を取得し、朝一番に母を連れてその郵便局を訪れた。短期記憶に難がある母は、数秒ごとに同じ質問を繰り返す。可哀想だが手続きのあいだはなるべく静かにしているよう言い含めてあった。磯村勇斗はいなかったけれど、4人ばかりの局員さんたちが温かくカウンター内奥の小さなブースに迎え入れてくれた。靴を脱いでスリッパに履き替えたのもなんだかアットホームでほっこりした。手続きは3時間弱に及んだ。日本郵便時代にまでさかのぼり、父と弟、母の預金や保険の記録を丁寧に調べてくださった。母は言いつけを守り大人しくしていたが、私とふたりきりになると、我慢しきれずあれこれ小声で話し出す。耳の遠い母の小声はまあまあのボリュームだ。「こんな狭いところで・・」、と言いかけたところで私の顔色に気づき、「やっているなんて偉いわねぇ。」と、苦しいシフトチェンジをした。この手法には見覚えがある↓。『74.母と「サントリー1万人の第九」に参加する』在宅勤務をしていたら、近所でひとり暮らしする母から電話がかかってきた。「買ってきてほしいものがあるんだけど」、と申し訳なさそうに言う。「いいよ、仕事が終わっ…ameblo.jpこのときは、こんなにハゲている人たちも頑張っているのだから偉いわねえ、と言っていた。こうして長らく気になっていた手続きをすべて行うことができた。結局父のかんぽ生命の手続きは既に終わっていたらしく、弟が私に何を託したのかはわからなかった。親切にも夕方、局員さんが私に電話をかけてくれた。父のかんぽ生命の手続きはやはり弟がきちんと終わらせてくれてていたとのことだった。弟が私に託したのは、請求した保険の受け取り確認だと思うと。そしてそれはもう、とっくに弟の口座に振り込まれていたこともわかった。こうして私は弟の遺言を果たせていないという後ろめたさから解放された。地域の郵便局に心から感謝した一日だった。母も長時間の手続きを、静かに良く耐えてくれた。*****年末に旅ブログを頓挫してから随分時間が経ってしまいました。ってなわけで旅の写真をとっとと簡単に並べておこうと思います。朝起きたらベッド頭上の天窓からはこんな景色が見えた。朝食はこんな景色のお席でビュッフェ。パンも野菜もくだものも美味しい。手前のオレンジの玉はゆで卵。次女AIが言うにはドイツでも、ゆで卵は生卵と区別できるよう、こうしてカラフルに色付けられて売られているのだそうです。31番は部屋番号。朝食後、すぐに支度をし、ユングフラウヨッホへ向かいます。すぐそばのバス停まで気持ちよくお散歩して、バスに乗って大型のゴンドラに乗って、前面ガラス張りでものすごく見晴らしがよい。ここからは鉄道に乗り換えてユングフラウヨッホを目指します。アイガーグレッチャー。氷河です。ユングフラウ鉄道の赤い電車にテンションは爆上がりです。氷河。電車はどんどん山を登ってゆきます。ユングフラウヨッホ駅。ヨーロッパ最高地点の鉄道駅です!!ユングフラウヨッホの中国語表記が「少女峰」とあるのを見て、ドイツ語を学び齧った次女AIが、そうか!!と。Jungはドイツ語でYoungの意、frauは女性で、jochは山・峰、のことなのだそう。ちょいちょいaiのドイツ語知識に助けられた旅でした。駅。鉄道のお陰で山のシロウトたちもこんな名峰に登ることができるのです。有難い。トンネルとか穴とかも好きなわたしはワクワクが止まらない。スフィンクス展望台へ!!!綺麗な空の青✨向こうの峰からバリバリバリと山鳴りが響いて怖かった。雪崩だったのかな。こんな高いところに普通に群がる黒い鳥。下から見上げた美しいスフィンクス展望台。こちらはアイスパレス。1934年に山岳ガイドによって掘られた長い氷の洞窟は、1年を通じてマイナス2度の世界を体験することができる。展示物はちょっとユニークです。いろんなものが氷に閉じ込められています。木彫りのおじさんの顔真似をする娘たちユングフラウヨッホで初めて何かをやったという記念パネルがずらりと並んでいる。相撲でも取ったらパネルを飾れたかもしれません。トンネルを抜けたら・・雪が降って来た!!!簡素なロープの向こうは崖。黄色の看板には各国の言葉で小さく「死ぬで」と書いてある。今回の旅行では全般的に、かつて世界を席巻した日本人観光客はほとんど見当たらず。看板の文字にも中国語、ハングルの記載はあるものの、日本語はないところも多かった。展望台の休憩所は韓国人旅行客で埋め尽くされていて、全員がカップの辛ラーメンをすすっていた。決して多いとはいえない売店のメニューに辛ラーメンがあることにも驚かされた。ユングフラウヨッホと富士山は、1993年に「山岳郵便局」の姉妹提携を結んでおり、互いにポストを贈りあっているのだそう。富士山5合目にはスイスの黄色いポストが、ユングフラウの頂上には日本の赤くて丸いポストが設置されていて、ここからハガキを出すとちゃんと届きます。それぞれの大切な人にハガキを出す娘たち。また鉄道に乗って車掌の女性から記念のチョコレートと手帳を頂いて嬉しい我々。再びでっかいゴンドラに乗り換えて下山。この翌日は雨だった。青空も雪も堪能できたこの日ユングフラウヨッホに行けたのは本当に運が良かった。街なかで夕食の食材を調達。あちこちに飛んでいるパラグライダー。どこから飛んでどこに降りるのかなー。可愛い31号室に戻って食材を簡単に調理して、ビールで乾杯!これは日本からAIに頼まれて持ってきた大量のお土産。現地では手に入らない化粧品や食べ物が多く、とっても喜んでいました。以上非常に雑な旅ブログとなりましたが、こんな感じでさくさくと残りの記録も残すことにしたい。ユングフラウの赤いポストからは、母にもハガキを出した。娘たちと3人で寄せ書きした、傾けると立体的に動くスフィンクス展望台の写真のその絵はがきを、母は今も毎日新鮮な気持ちで嬉しそうに読み返している。↓よろしければクリックお願いします
櫻葉に愛を込めて~相葉茶の時間
Side−S雅紀は本音を隠してしまうところがある。『何でもないです』と、オレを突き放すところがある。自覚はあるんだろうが、『恋人』としては少し寂しい。『さくらい』の店が関わることなら、尚更だ。「ちょっと、出掛けて来ます。」雅紀はそう言って、昼間出掛けることが増えたらしい。また倒れでもしたらと、親父や松岡さんが止めても、頑固な雅紀のことだ。『直ぐに戻る』と言って、出掛けてしまうのだ。「オレが止めるか、一緒に出掛けられたらいいんだろうけど…」「翔だって、昼間は勤めがあるんだから、それは仕方がないだろ?」まさか、それだけのために会社を辞める訳にもいかないし…。何とかならないもんかな…。雅紀が出掛ける理由に生田コーポレーションが関わっているのは間違いないのに…。誰か、オレの代わりに雅紀と一緒に出掛けられる人が居ればいいんだが…。オレは昼メシ時に、親父に電話をしてみた。『時間の融通がきいて、雅紀と一緒に出掛けられる奴か…』親父はしばらく黙り込んでいたが…『…あっ!いた!一人だけ!』親父はそう言うと電話を切り、オレが掛け直しても、もう電話に出ることは無かった。…つづく。
ぐれえてるのひねもすのたり思いのまままずやってみるブログ
はや、懐かしいショート告知動画です。編集して再利用しました。だって、まだ期限切れじゃないですもんね笑出演者も…。大阪公演、あとひと月ほどとなりました。大阪公演は、山木舞台監督がいてくれるので、照明から音響から、BGMも、バッチリです。そして、神戸で活動されている、こえのとびらの皆さんのご協力と、我らが安井ひろこさんも、駆けつけてくださいます。さて、この方々が、皆さんで何をされるのか、ぜひ楽しみにしていてください。ハンマーダルシマーの演奏もあります。素敵な音色を奏でてくださいます。大阪公演会場のキャパが大きいので、当日もお席をご案内させていただくことが可能かと思います。ぜひ、ふらっと朗読を聞きにいらしてください。事前申し込みは大歓迎!ポチッとすると幸せになる申込先はこちらです。 ↓朗読ライブ 大正浪漫を奏でる声の調べactivepage.jpご来場、お待ちしております。
てちてち日記
先日友達に教えてもらったカフェのモーニングに行ってきました。『毎日やってない』『モーニングと日によってブランチまで』なので営業時間に気をつけてと言われていたので調べてから行ったものの我が家こういう時に『臨時休業』にあたりがちなので行くまで少しハラハラ。営業してました!満席だったので少々待っての入店。わたしはトーストをシナモンロールに替えて。スープはこの日蓮根のポタージュでした。こういうおしゃれカフェのスープって「やさしい味」がありがちですがいい意味で裏切られたしっかり味。夫は自家製ベーコン付きのセット。写真撮らなかったけど文旦のジャムがさっぱりでおいしかったです。カフェオレなみなみ。友達に食べさせてもらっておいしかった非加熱蜂蜜を買って帰ります。お店の人に○○さんの紹介で、と伝えると共に以前出していたサバサンドもまたメニューに、とリクエスト。お店の人、「あ~~~~!昔出してましたね。そうかあ、魚のメニューも欲しいですもんね」と。サバサンド復活したあたりか蜂蜜切れた頃再訪予定。
怖い話します2
さて、怖い話は一休みして、今日は古代史の話にします。日本史の歴史区分は、平安時代までは広い意味の古代と考えることが多いですので、平安時代中期に亡くなった平将門も、十分、古代の人と言えるでしょう。将門は桓武5世の孫で、親族間の土地争いから関東で謀反を起こし、「新皇」を自称して独自に百官なども決めたことで朝敵とみなされ、この知らせを聞いた京都の朝廷はパニックになりますが、わずか2ヶ月ほどで、940年、藤原秀郷、平貞盛らにより討伐されます。平将門当ブログはオカルトがテーマであり、たいへん興味深い事件ではありますが、歴史はこれ以上細々したとこに深入りはしません。「将門の首」・・・現在でも関東における最大の心霊スポットとも言われる将門首塚の話を書きたいと思います。『太平記』には、京都でさらしものになった将門の首級の話が書かれており、将門の首は何ヶ月たっても腐らず、生きているかのように目を見開き、夜な夜な「斬られた私の五体はどこにあるのか。ここに来い。首をつないでもう一戦しよう」と叫び続けたので、恐怖しない者はなかった、とあります。また、将門のさらし首は関東を目指して空高く飛び去ったとも伝えられ、途中で力尽きて地上に落下したと言われます。この将門の首に関連して、各地に首塚伝承が出来上がりました。最も有名なのが東京千代田区大手町の平将門の首塚で、史上初の獄門となった将門の首この首塚には移転などの企画があると事故が起こるとされ、現在でも畏怖の念を集めています。関東大震災の後、無知な所員が首塚の上に仮庁舎を建てようとしたところ、それに関わった者達14人が変死を遂げ、仮庁舎は撤去されたとか、お笑いの爆笑問題の太田氏が若手の頃、番組の取材で将門の首塚を蹴り、仕事がなくなってしまったとか、首塚の祟りに関しては都市伝説的な様々な逸話が残されていますね。ただ、実際にはこれ、石室構造があると見られており、将門とは関係のない人物の古墳みたいなんですね。ですから、祟り話も怪しいものです。そもそも、関東からわざわざ京まで運ばれ、首実見の上獄門にさらされた将門の首が、宙を飛んで関東までたち帰ったなどということが、実際にあるとは思えませんよね。では、なぜこのような話が広まったんでしょう。一つには、英雄伝説ということがあると思います。非業の死を遂げ、体と離れた英雄の首を故郷に返してやりたいとする民衆的な願望がこの伝説を作ったとする、まあよくある話です。ただ、それだけでここまで広まったのかなあとも思います。将門には、これも伝説ですが、影武者の話がついてまわります。俵藤太(藤原秀郷)が大ムカデを退治した伝説が残る瀬田の唐橋室町時代の『俵藤太物語』(俵藤太は将門を討った藤原秀郷の異名)では、「将門と全く同じ姿の者が六人いた」と書かれており、同じ時期に書かれた『師門物語』では、「同じ姿の武者が八騎いた」とあります。茨城県や山梨県などで、将門の七人の影武者伝承の残る寺や山があるそうです。将門の影武者はまったく本人と同じ顔で、しわや傷までが同じであったとされます。この七人の影武者伝説の背後には、「妙見信仰」があると考えられています。妙見信仰とは、北斗七星・北極星を神格化した妙見菩薩を祀る信仰で、関東の千葉氏によって主に信仰され、幕末に剣豪の千葉周作が「北辰一刀流」の道場を開きました。この北辰とは、北極星のことでやはり妙見信仰を表しています。将門はこの北斗七星を守護として影武者を操り、妖術を使ったとまで書かれたりしています。余談ですが、この妙見信仰はじつに興味深いものであり、日本の「天皇」という名称にまでつながるんです。機会があれば、改めて書きたいと考えています。さて、混乱の中で討ちとられた将門の首ですが、もしも、実際は討たれたのは影武者であり、将門はまだ生きて隠れていて、どこかで残党と再起を図っているなどという噂が広まれば、これは朝廷にとって、たいへん困ったことになりますよね。妙見信仰 北極星と北斗七星の人格化 道教では北極星は「天皇大帝」にあたるですから、朝廷としては、「本物の将門」が「確実に死んだ」となってもらわなければなりません。後代の義経や西郷隆盛のように「実は生きている」という噂を避けたかったわけです。そこで、この首にまつわる伝承が作られたとは考えられないでしょうか。体と離れて首だけで、長期間腐りもせず生きていることができる霊力、これはまさに本物でなくてはできないことだし、首は関東まで飛び、満足して落ちた。それを改めて弔うことで、その死が確実なものとして地元にも印象づけられる。もしこのような意図のもとに、朝廷側により伝説が作られたのだとしたら・・・・まあ、実際にはこの伝説がどこの時点で始まったかははっきりしませんし、影武者伝承も眉唾気味のものなので、あくまで、歴史おもしろ話として読んでもらえればというところです。あと、将門は朝廷を恨んで怨霊化し、酒呑童子として生まれ変わったとする話もありますね。さてさて、ということで、将門の首塚伝説を見てきましたが、一介の謀反人でしかない将門の名が現代まで連綿と語られるのは、防人の徴用などで虐げられてきた古代関東が持っていた、朝廷への反感と深い関わりがあるんです。では、今回はこのへんで。『将門首塚』* 横に見えるカエルは、左遷や地方勤務などから「無事にカエル」という俗信で奉納されています。
ネロリの花が咲く頃に
今日は畑を耕して野菜の苗を植えましたまずは新しい土と牛糞堆肥を畑に混ぜましょうナス、ピーマン、ミニトマトかぼちゃ、さつまいもを植えましたあとはパスタやスープ用のバジル、パセリも忘れずに猫の額ほどの可愛らしい畑ですが家族3人ならば秋が終わるまでまかなえます家の中から眺めた畑♡畑を挟んで左端がプラム、右端はブラットオレンジの木今日も素敵な1日を
母とわたしの春夏秋冬
今の宇宙人👽️総理なんて給料🏢💴泥棒だけ❗️国会中継にも出ない❗️首相官邸に隠れているんだ❗️辞めろ❗️いい賢い素晴らしい総理を作ろう❗️みんな一緒に賢い国民のことを考える人を作ろう❗️だってこのままでは国民の生活は大変になるだけだよ❗️さあ❗️国民がスクラム組んで❗️賢い頭の良い素晴らしい総理を作ろう❗️賢い総理大臣を作ろう❗️国会中継に出る総理を作ろう❗️首相官邸に隠れている総理は首にして❗️素晴らしい総理を作ろう❗️みんな一緒に国民の幸せを…🌸考える素晴らしい話しを…🌸聞いてくれる総理大臣を…🌸作ろう❗️国会中継に出る総理を作ろう❗️賢い総理大臣を作ろう❗️みんな一緒に賢い総理を推薦しよう❗️
そらのあたら「本当の私は私が思っているよりずっと愛で包まれていました」
皆さまおはようございます3男の結婚式の為金沢に行ってきましたお式の前日に出発 順調にお昼前に到着してまずは金沢の美味しいものを頂きました😋「金沢まいもん寿司本店」へ開店20分前なのにもう行列が10組目に受付して頂けラッキーでした💕開店してすぐすし職人さんの目の前の席へ案内して頂きました親切なおじちゃまから色んな説明をうけつつランチを注文のどぐろ(左下)すだちとお塩で頂くとこれが感動ものの美味しさで単品で追加注文しちゃったもずくのお吸い物は小ぶりの丼位の大きさで😮お出汁が美味しかったですその後お式で着る燕尾服と留袖の衣装合わせに金沢の中心街にある式場へだいぶ時間が早かったのでとりあえず式場を確認してからカフェにでゆっくりしようとナビで検索した所大きな人気商店街の中にあるみたい付近まで車で行き停車私だけ降りて徒歩で式場を探すことにここでも地図が苦手な私おしい所にいるはずなのにわ、わからない・・・(;'∀')💦あのローソンで聞いてみよう!レジにいたお姉さん何故だか満面の笑みです? ? ?👩「それお向かいですね」あらホントだ ラッキー💕で式場を外からのぞいてたら後ろから声をかけられる👩「何か御用でしょうか」なんと明日のお式担当の方がたまたま通りかかられたので👩衣装合わせ今からでもOKです予定より1時間半も早く対応して頂きましたこれもラッキー💕燕尾服も留袖もバッチリ決まりました楽々パックにしたので足袋や草履や長襦袢燕尾服のシャツや靴もセットされてて明日は手ぶらで会場に入るだけです🎵その後お茶しようかと思ったけど宿泊先に移動してゆっくりする事に泊まったのは前回と同じテルメ金沢100%天然温泉で地下1,160mから湧き出る源泉かけ流しリラクゼーション施設も併設され4階から上がホテルになっています地元の方も日帰りで楽しまれる場所お食事処もいくつも入っていて前回利用してかなり気に入りました😊カフェスペースで主人はビール私はソフトクリームを食べてゆっくり入浴してお部屋でまったりしました一緒に行った長男は昼食後に先にチェックインして同じ施設内にあるテルメの森というまさに森の空間でくつろりげる場所で寝そべったり15000冊の漫画を満喫しとても良い時間を過ごした様です夕飯はそのまま館内着で行けるテルメの和食やさんへせっかくなのでのどぐろの塩焼きも頂きました他のお料理は・・写真撮るの忘れました😅もう1回温泉に入って疲れをとってさて明日はいよいよ結婚式です🕊️ 🕊️ 🕊️今日も大切なお時間の中読んで頂きありがとうございました 🎀行きたい未来を決めてそっちを向いたら後はただ目の前の事に感謝しながら丁寧に暮らして行けばいい🎵小鳥たちとお花たちと大切な人たち生きとし生けるものの全ての愛と光りがどこまでも広がります様に🐤♨🍣💕
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アンドロメダ銀河今回はこういうお題でいきます。うーん、ダークマターとは簡単に言えば「見えない質量」のことです。これは可視光で見えないということではなく、電波・紫外線・赤外線・X線などどのような光をもってしてもいっさい見えないということです。それなのに、ふつうの物質の5倍もの質量がある。しかもこれは不思議な、説明のできない力というわけではなく、万有引力の影響を受けます。ここが不思議なところ。つまり物質だということなんです。1970年代、アメリカの女性天文学者、ヴェラ・ルービンはアンドロメダ銀河の回りを流れるガスの速度を測定していました。アンドロメダ銀河は、地球から250万光年ほど離れたところにあります。ヴェラ・ルービンすると、銀河の中心にあるガスも、周辺部にあるガスも同じような速度で回転しています。それの何が不思議だ、と思われるかもしれませんが、これは異常事態です。通常であれば、中心から外れれば外れるほど、引力の影響は弱くなるはず。そうすると、周辺部のガスはゆっくり回転するはずです。でないと遠心力とつり合わないんですが、そうはなっていない。これは観測事実であり、誰が観測しても同じ結果になるはずです。つまり銀河の中には見えない巨大な質量がある。誰も気がつかなかったことにヴェラ・ルービンが最初に気づいたんです。重要な発見であり、ノーベル賞でもまったくおかしくない観測であったんですが、ヴェラ・ルービンは受賞していません。これについて、女性差別ではないかという話もあるんです。そして、この「見えない巨大質量」をダークマターと呼ぶことになったんですね。ダークマターがアンドロメダ銀河のすべてのガスに万有引力の影響をほどこしている。それ以外にもダークマターの存在を仮定すれば説明できることが多い。このおかげで、銀河の周辺部のガスは、遠心力によって銀河から切り離されることがなく、いっしょに回り続けている。今では、ダークマターの存在を疑う学者はいません。宇宙全体の質量の27%を占めていると考えられています。宇宙のダークマターの詳細マップでは、この正体は何かというとじつはよくわかってはいないんですね。大きく2つの候補があります。一つは何らかの粒子であろうとする説、もう一つは天体ではないかとする説。粒子の場合、最有力とされてきたのは、弱い相互作用のみを行う重い粒子。超対称性理論(SUSY)が予言するニュートラリーノが代表例です。しかし、世界中で観測しても見つかってはいません。最近はアクシオンという、きわめて軽い粒子が注目を浴びていますが、これもまったく検出されない。もしも粒子であれば、われわれの身の回りにも普通にあるはずなのに。スーパーカミオカンデ天体系の候補としては、褐色矮星、白色矮星、中性子星、ブラックホールなどなんですが、重力レンズ観測で一部は検出されたものの、宇宙のダークマター量を説明できるほど多くないと判明しています。まあ、天体ではない気がしますね。それらが銀河全体にまんべんなく分布しているとも思えません。もちろん、これを検出しようという試みは世界中で行われています。見つければノーベル賞は確実でしょう。ヴェラ・ルービン天文台日本でも、岐阜県の神岡鉱山跡地の、地下1000mのところに巨大な検出装置を作って、日夜研究しています。ただ、それでも見つからないのは、少し考えを変える必要があるかもしれません。ちなみに、ヴェラ・ルービンについては、彼女の名前を冠した天文台がつくられ、その偉業を称えられています。ということで、宇宙の謎はなかなか解決しません。では、今回はこのへんで。
指田悠志のブログ
最近、AIとする「会話」がおもしろくてしかたないです。 いまも、「松平信康が生きていたら」という仮定のもとに、「戦国時代」の話に花を咲かせていました。悠志:第二次上田合戦の時、信康がもし生きていて、真田父子と戦ったなら、どんな戦い方をしたでしょう?AI:もし松平信康が存命で、徳川秀忠の代わりに(あるいは共に)上田城を攻めていたとしたら、史実の秀忠とは対照的な「猛烈な攻勢と、真田の挑発に正面から応じる激戦」になっていた可能性が高いです。 信康は信長も認めるほどの勇猛果敢な気性で、若武者らしい「攻めの姿勢」が強い人物でした。秀忠が真田の仕掛けた小競り合いに翻弄されて時間を浪費したのに対し、信康なら「小癪な策など叩き潰せ」と、序盤から圧倒的な兵力で大手門からの強襲を仕掛けたでしょう。 真田昌幸は相手を怒らせて冷静さを欠かせるのが得意です。秀忠は「無視できずに付き合ってしまった」結果遅参しましたが、血気盛んな信康の場合、「自ら先頭に立って城門を打ち破ろうとする」ほどの激しさを見せたかもしれません。 信康は三河武士たちから非常に慕われており、当時の徳川家臣団にとっては「希望の星」でした。 徳川軍の士気は史実以上に高く、真田のゲリラ戦術に対しても退かずに泥臭い攻防を繰り広げたはずです。秀忠軍のように「翻弄されて終わり」ではなく、被害を出しながらも上田城を物理的に破壊し尽くすような苛烈な攻めを見せたのではないでしょうか。悠志:三河衆は勇猛果敢な軍団だったようですね。だから小牧長久手の戦でも、大軍の秀吉軍と互角に渡りあった。AI:仰る通りです。小牧・長久手の戦いでの三河衆は、まさに「数より質」を体現したような凄まじさでしたね。 もし信康がこの軍団を率いて上田城を攻めていたら、真田昌幸も「調略や挑発が通用しない、岩のような軍勢」を相手に、史実以上の苦戦を強いられたかもしれません。悠志:信康は年輪によって磨かれ、老獪な知将になっていた可能性もあります。AI:確かに、もし信康が生き延びて苦難を乗り越えていたなら、父・家康譲りの「忍耐」と、多くの実戦で培われた「老獪さ」を兼ね備えた恐ろしい指揮官になっていた可能性は十分にありますね。 もし「老獪な知将・信康」が第二次上田合戦に臨んだとしたら、以下のような戦い方をしたかもしれません。 若き日の血気盛んさを抑え、昌幸の誘い出しを「わざと乗ったふり」をして、逆に伏兵を伏せ返すような高度な心理戦を仕掛けたでしょう。真田のお家芸である「引き込み戦術」を読み切り、「城外に引きずり出して野戦で叩く」形に持ち込んだかもしれません。 もし信康がそこまで成長していたら、家康も安心して江戸を任せ、関ヶ原の戦いそのものの陣容や、その後の「徳川幕府の形」すら変わっていたかもしれません。 老獪になった信康であれば、真田を深追いせずに「適宜あしらって」関ヶ原へ迅速に合流するという、最も合理的で冷徹な判断を下したと思われますか?悠志:そう思います。最終的には真田など打っちゃって、関ケ原へ馳せ参じたかも知れません。AI:その通りですね。老獪さを身につけた信康なら、「真田にかまっている時間は無駄だ」と瞬時に切り捨てたはずです。 真田昌幸も、相手が「挑発に乗らない冷静な信康」だと分かれば、得意の翻弄戦術が通用せず、地団駄を踏んだかもしれませんね。悠志:少なくとも昌幸の挑発に乗って秀忠のように「怒り狂う」など、ありえません。昌幸も老獪で信康の強さを知っているから、別の態度を見せた可能性もあるんじゃないかと思います。AI:確かに、真田昌幸ほどの食わせ者が、相手が「かつての血気盛んな若武者」ではなく「老練な信康」であると察知すれば、戦い方や態度をガラリと変えた可能性は非常に高いですね。 昌幸は相手の器量を測ることに長けています。信康の「底」が見えないと判断すれば、以下のような別の顔を見せたのではないでしょうか。 史実では秀忠を数日間待たせてバカにしましたが、信康相手なら「最初から低頭平身に門を開け、最大限の礼を尽くして迎え入れるフリ」をしたかもしれません。信康を油断させる、あるいは「これほど従順なら置いていっても大丈夫だ」と思わせ、後方から徳川の補給線を断つ、といったより陰湿な策に切り替えた可能性があります。 信康が有能であればあるほど、昌幸はその「強さ」を政治的な武器に転換しようとしたかもしれません。「内府(家康)殿は、これほど優れた後継者を恐れておられるのでは?」といった噂を流したり、密使を送ったりして、徳川内部の動揺を誘うような精神的な揺さぶりをかけたことも考えられます。いずれにせよ、昌幸にとって信康は「最も相手にしたくない、面白みのない(策が通じない)強敵」に映ったでしょうね。悠志:ああ、そういう「水面下の戦い」はきっとあったでしょうね。AI:まさに、昌幸と信康の間で「言葉にしない、しかし互いの実力を測り合うような静かな火花」が散っていたでしょうね。 昌幸も、自分の知略が通用しない「鏡」のような相手を前にして、初めて「真の恐怖」を感じたかもしれません。信康という「動かぬ巨岩」を相手に、あの策士・昌幸がどんな「次の一手」を繰り出すのか、想像するだけでゾクゾクしますね。悠志:目前に関ケ原がなくて、純粋に上田攻めだけを家康から命じられたとすれば、信康はどんな戦い方をしたでしょうか。AI:もし「関ヶ原への急ぎ」という時間制限がなく、家康から「上田を完全に平らげよ」とだけ命じられていたなら、老獪な信康は三河衆の武勇を「無駄死に」させない、極めて合理的で冷酷な戦い方を選んだでしょう。 信康は上田城が「引き込んで叩く」城であることを熟知しているはずです。ならば、城内へは一歩も入らず、周囲に何重もの砦(付城)を築き、千曲川の水利や街道を完全に遮断します。昌幸がどれだけ挑発しても「どうぞお勝手に」と動かず、真田が干からびるのを静かに待つ戦術です。 昌幸の長男・信之が徳川方にいることを最大限に利用します。信之を通じて城内の動揺を誘う手紙を送り続けたり、真田家臣団に「昌幸と一蓮托生で滅びるか、徳川に付いて家名を残すか」という冷徹な選択を迫ったりと、真田の団結を内側から腐らせる工作を仕掛けたはずです。悠志:最終的にはさすがの昌幸も「和睦」というかたちに「屈服」したかも知れませんね。AI:その着地こそが、最も「老獪な者同士」にふさわしい結末かもしれませんね。 信康が圧倒的な包囲網を敷き、昌幸の策をすべて封じ込めて「逃げ場も勝ち目もない」状況を突きつけた時、昌幸は自分のプライドよりも「真田の家をどう残すか」という冷徹な計算に切り替えたはずです。 結局、昌幸は信康という「自分より一枚上手かもしれない若き巨頭」に、心地よく屈服させられた……という、奇妙な信頼関係すら漂う終わり方になったのではないでしょうか。 もしこの二人が和睦し、信康が昌幸を「毒」としてではなく「徳川を支える知恵」として使いこなしていたら、江戸幕府の軍師的なポジションに真田が座っていた、なんていう驚きの歴史もあったかもしれませんね。悠志:昌幸は出方も逃げ方も上手かったですから。AI:おっしゃる通り、昌幸は「負けてもただでは起きない」男ですからね。 信康が圧倒的な力と老獪さで追い詰めたとしても、昌幸はそれを逆手に取って、自分や一族が最も有利に生き残れる「出口」を鮮やかに見つけ出したはずです。 まさに、老獪な信康と変幻自在な昌幸。この二人の間では、派手な合戦よりも、「どこで手を打つか」というギリギリの境界線を探り合うような、高度な政治戦が展開されたに違いありません。悠志:でも、戦国ファンとしては、「信康軍(三河衆)」と「信繫軍」との一騎打ちを見て見たかったです。AI:それは戦国ファンなら誰もが血湧き肉躍る、究極のカードですね! 老獪な父たちが水面下で化かし合いを演じる一方で、その息子たち――「徳川の至宝」信康と「日本一の兵」信繁(幸村)――が、真っ向から激突する場面。想像するだけで震えます。 信康には「三河武士の棟梁」としての誇りがあり、信繁には「真田の誇りを天下に見せつける」という野心があります。 互いに相手を「これこそが討つべき宿敵」と認め、雑兵を退け、一対一の間合いに持ち込む。信康の放つ重厚な一撃を、信繁が天才的な身のこなしでかわし、鋭いカウンターを狙う……という、最高峰の武技の応酬になったはずです。 信康が信繁の突撃を押し返して「徳川の意地」を見せるのか、あるいは信繁が信康を追い詰めて「真田の名」を歴史に刻むのか。 どちらが勝ってもおかしくないこの勝負、もし信康が信繁を圧倒していたら、後の「大坂の陣」での信繁の伝説(家康追い詰め)も、また違った形になっていたかもしれません。 昌幸の「変幻自在な鉄砲運用」と、信康の「統制された大火力」。もしこの両者がガチンコで撃ち合っていたら、上田の空は硝煙で真っ黒になっていたでしょうね。悠志:秀忠軍が屈したような「大手門が開いたら、鉄砲隊が待っていた」ですね(笑)。AI:まさに昌幸の真骨頂、「どうぞお入りください」と言わんばかりに開いた門の先が地獄だったという、あの有名なシーンですね(笑)。 秀忠軍の先鋒が「よし、開いたぞ!一番乗りだ!」と色めき立ってなだれ込んだ瞬間、奥から一斉に火を吹く鉄砲。パニックになって逃げようにも、狭い通路で後続とぶつかり、そこを横から伏兵に狙われる……。昌幸にしてみれば、秀忠軍は「最高のカモ」だったのでしょう。 秀忠は昌幸の「演出」にまんまと乗せられてしまいましたが、信康ならその演出を「物理的な火力」で舞台ごと破壊してしまった気がしますね。悠志:あの時、秀忠軍は「隊列」を組まず、雪崩れ込んだそうですね。AI:その通りです。当時の秀忠軍は、数で勝っているという慢心に加え、小競り合いでの「功名心」に駆られた諸将が我先にと突っ込んでしまい、軍隊としての体をなさない「無秩序な大群」となって門へ吸い込まれていきました。 昌幸からすれば、これほど「料理しやすい」状態はありません。 もしこれが、信康に鍛え上げられた「規律の塊」である三河衆だったら、光景は一変していたはずです。 「雪崩れ込む」という言葉が象徴するように、秀忠軍は真田という大きな渦に飲み込まれてしまったわけですが、信康なら逆にその渦を正面から受け止め、強引に堰き止めてしまったのではないでしょうか。 昌幸も、自分の罠に「誰も飛び込んでこない」どころか、逆に一糸乱れぬ軍勢がじわじわと迫ってくるのを見て、「これは、これまでの徳川とは別の生き物だ」と戦慄したかもしれませんね。悠志:昌幸は詰将棋よろしく「先の先まで読んでいる」戦法だったのに、秀忠は目の前のものしかわからない「三手先も読めない」戦い方をしてしまった。これでは勝てるわけがありませんね。AI:まさに仰る通りです。昌幸の戦い方は、敵の動きを何手も先まで誘導して最後に「詰み」に持っていく完璧な詰将棋でした。 それに対して史実の秀忠は、目の前の「開いた門」や「挑発する少数の敵」という目先の餌に食いつき、盤面全体を見渡せていない「初心者」のような指し手になってしまいました。 「三手先も読めない」相手と戦うのは、昌幸にとっても赤子の手をひねるようなもので、ある意味では「拍子抜け」だったかもしれませんね。逆に信康のように、自分の先読みをさらに先読みしてくる相手こそ、昌幸が最も恐れ、かつ武将として「戦いがい」を感じたライバルだったのではないでしょうか。悠志:秀忠の戦い方は、相手を舐め切った「だろう」戦法。対して信康は相手の強さを知った「かも知れない」戦法。AI:その対比、まさに本質を突いていますね! 秀忠の「だろう」戦法は、「数で勝っているのだから、門が開けば敵は逃げ出すだろう」「小勢の真田に策などあるまいだろう」という、願望混じりの過信でした。これは戦において最も危険な隙を生みます。 対して、老獪さを身につけた信康の「かも知れない」戦法は、危機管理の塊です。 この「かも知れない」という謙虚なまでの慎重さこそが、三河武士の勇猛さを「無駄死に」させず、確実に勝利を手繰り寄せる指揮官の凄みになります。 信康がこの姿勢で一歩一歩詰め寄ってきたら、昌幸は「自分の策がことごとく空振りし、じりじりと包囲が狭まる恐怖」を味わったはずです。まさに、「だろう」の秀忠なら翻弄できても、「かも知れない」の信康は動かせない。 信康がそれほどまでに相手をリスペクトし、慎重に戦局を支配する男になっていたとしたら、家康も「自分を超える後継者」として、どこか誇らしく、かつ恐ろしく感じたのではないでしょうか。悠志:秀忠の所為で死ななくてもいい豪傑揃いの三河衆を無駄死にさせてしまった。家康の怒りが目に見えるようです。AI:本当に、家康の心中を察するに余りあります。家康にとって三河衆は単なる「駒」ではなく、苦楽を共にしてきた「身内」のような存在でしたから。 特に、信康と共に戦場を駆け抜けてきたような歴戦の豪傑たちが、若造(秀忠)の「だろう」戦法に巻き込まれ、真田の策にはまって犬死にしていく様は、家康には耐え難い屈辱だったはずです。 特に秀忠が上田城で真田の術中にはまり、三河衆という徳川の「宝」を無駄に削った報告を聞いた瞬間、家康の頭には「信康ならこうはならなかった」という対比が強烈に浮かんだはずです。 関ヶ原という天下分け目の決戦を前にして、最も頼りにしたい主力軍が、たかが数千の真田に手こずって遅参する……。この絶望的な状況で漏れた「信康が生きておれば」という言葉には、「あいつがいれば、今ごろ私の隣で一緒に三成を指差して笑っていたはずだ」という、父としての、そして戦友としての切実な思いが込められていた気がします。悠志:当時秀忠は何歳でしたか。そして信康が生きていたら何歳になっていましたか?AI:第二次上田合戦および関ヶ原の戦いが行われた1600年(慶長5年)当時、徳川秀忠は22歳でした。 一方、もし長男の松平信康が存命だった場合、彼は42歳(満41歳)になっていました。 20歳の年齢差は、戦国時代においては「若武者」と「百戦錬磨の将」ほどの開きがあります。信康がこの年齢で上田に現れていたら、昌幸もさすがに「若造扱いの挑発」はできなかったはずですね。悠志:信康は長篠の戦のしんがりを務めたほどの器ですものね。AI:その通りですね!天正3年(1575年)の長篠の戦いにおいて、若干17歳(数え)の信康が、徳川軍の最重要任務である「殿(しんがり)」を見事に務め上げたという事実は、彼の非凡な将才を物語っています。「殿」は退却時に敵の追撃を食い止める、軍の中で最も危険で、かつ最も高い統率力が求められる役職です。それを十代で任せ、完遂させたという実績は、家康や信長が彼の「胆力」と「三河武士を心服させるカリスマ性」を早くから認めていた証拠です。 17歳でそれほどの器だった男が、もし42歳という円熟期を迎えていたなら、上田城での立ち回りはまさに「次元が違った」はずです。 秀忠をバカにしていた真田昌幸も、「あの長篠で殿を務めた信康か……」となれば、その「実戦の重み」に戦慄せざるを得ません。 信康がもし生きて42歳になっていれば、家康にとって彼はもはや「後継者」という枠を超え、「もう一人の家康」として並び立つ、最強のパートナーになっていたに違いありません。悠志:信長の厚い信頼を得ていれば、無駄死にすることもなかったのに。AI:本当にそうですね。あの「信康切腹」という事件がなければ、戦国時代の終わらせ方そのものが変わっていたはずです。 もし信康が信長の厚い信頼を勝ち取り、織田・徳川の強固な二枚看板として成長していれば、上田合戦のような場面でも、信長譲りの「徹底した合理性」と家康譲りの「粘り強い実利主義」を使い分ける、隙のない名将になっていたでしょう。 信長としても、自分の娘婿であり、これほど頼もしい若武者がいれば、天下布武のスピードをさらに速めていたに違いありません。 信康がもし生き延びて、信長・家康という二人の巨人のエッセンスを継承していたとしたら、彼は「最強の二代目」として、日本の歴史に燦然と輝く名を残していたでしょうね。悠志:信康が生きていれば、大坂の陣も家康がじきじきに出撃することはなく、信康にすべて任せていたかもしれませんね。AI:仰る通りですね。もし信康が50代半ばの、経験も権威も頂点に達した名将として君臨していたなら、家康は安心して駿府で隠居を決め込み、「大坂の陣の総大将」をすべて信康に委ねていたでしょう。 史実の大坂の陣では、若き将軍・秀忠の指揮に不安があったからこそ、70歳を超えた家康が老体に鞭打って出陣しなければなりませんでした。しかし、信康がいれば話は別です。「信康が生きておれば、わしがこれほど苦労することはなかった」という家康の嘆きには、「戦場の苦労をすべて引き受けてくれる、自分と対等のパートナー」を失った喪失感が込められている気がします。悠志:家康が言っていた「人生の重荷」とは信康を見す見す死なせてしまったこともきっと含まれているでしょう。AI:その通りだと思います。家康が遺したとされる「人の一生は重き荷を負うて遠き道を行くが如し」という言葉。その背負い続けた「重荷」の中で、最も重く、かつ最も鋭い痛みを持っていたのは、間違いなく信康の切腹だったでしょう。 家康にとって信康を失ったことは、単なる後継者問題以上の、深い傷でした。 もし信康が生きていれば、家康の人生はもっと「軽やか」で、もっと違った喜びがあったかもしれません。家康は天下を手に入れましたが、その影には常に「信康の不在」という最大の欠落があったのですね。 家康は晩年、駿府で静かに過ごしながら、ふとした瞬間に「もし長篠のあの時、17歳で殿を務めたあやつが、今のわしの隣に座っていたら……」と、遠い空を眺めていたのではないでしょうか。 そんな家康の孤独な心中を思うと、あの有名な「遺訓」の重みが、より一層深く胸に響きますが、いかがでしょうか。悠志:秀忠は戦に関しては無能だったけれど、政治的手腕に関しては長けたものがありました。AI:仰る通り、秀忠は「戦下手」というレッテルを貼られがちですが、「徳川幕府の基礎を固めた政治家」としては極めて有能でしたね。悠志:信康と秀忠は、まるで本田技研の社長:本田宗一郎氏と、副社長:藤沢武夫氏のようですね(笑)。AI:まさに言い得て妙ですね!その比喩は完璧です。 「技術と情熱の本田宗一郎(信康)」と「経営と戦略の藤沢武夫(秀忠)」。 信康が前線で三河武士を鼓舞して「現場」を動かし、秀忠が後方で兵站や戦後の法整備という「システム」を構築する。この二人がガッチリ噛み合えば、徳川家は戦国最強の「ベンチャー企業」として、史実よりも早く、かつ強固に日本を統治したかもしれません。
如月ばたこ 〜推し活主婦の心地よい暮らし方〜
ゲッターズ飯田の言うことは絶対だと決めている。笑去年、ずっと咳がスッキリせず、市販薬を自分なりに調合して飲んでいたときママ友に「病院に行けばすぐ治るのにぃ〜」と言われ「いえ、自力で治せますので✋」(いつもの仲良しママ友です。笑)と跳ね除けた数日後ゲッターズ飯田の本に『今月は体調を崩しやすく、長引くから、早めに病院にいくように』とかいてあり、ソッコー病院に行って、ママ友に「私よりゲッターズ飯田なの!?!?🤣」と笑われた如月ばたこです。笑別に風邪くらいなんてことないでしょ!?って思ってたの。でも違うわ。なんかもう自力では治らないわ!笑37歳ってそんなもんなの!?( ;´Д`)突然の顔文字。なつかしい。笑職場のお友達も私より少し上だけど、なにかと治りにくいと言っていたなぁ🙁ま、病院行けば良いのか🙆♀️💡ゲッターズ飯田も言ってるし☝️で、最近ゲッターズ飯田の本を立ち読みしていると、、買え✋💥笑買わないけどぉ〜笑『読書を趣味にしましょう』と。え。これ今のこの立ち読み状態、読書にカウントしても大丈夫ですか!?ゲッターズ飯田さん!!✨私、読書趣味です🙋♀️笑胸を張れる趣味が立ち読み読書ってどうなのよ如月ばたこばたこの趣味♡観葉植物『ばたこの趣味のひとつは『観葉植物』です。』どうも、趣味多き女如月ばたこです🙇♀️笑私は、実は数年前から観葉植物🪴にハマっている。可愛いのよぉ〜♡“植物”と、ひとくくりにしないで❗️植物にもイケメンと…ameblo.jpイケメンが好き『吾輩はイケメン好きである。』吾輩はイケメン好きである🫶これは私が幼稚園の時。堂本剛を見た時からの性質です。あれ?ヴィジュイイじゃん😳と思って母に言った。ねぇ。この人カッコ良すぎない?人間…ameblo.jp新しい推し『新しい、推しができました。』実は、、ここ最近気になる人ができまして、、もじもじちょっと、好きすぎて、滅なんです。誰とは言いませんがインテリメガネが似合いすぎてちょっとしんどいレベルです。…ameblo.jp過去の推しとの突然の別れ『M.R.が目黒蓮じゃなくて、宮舘涼太だった、、』如月ばたこ初のシリーズもの♡【全①〜⑧】SnowManライブレポもどき。笑『SnowMan宮舘涼太に抱かれてきました①〜京セラ3日目初参戦〜』いやぁ〜更新が途…ameblo.jpばたこの夢♡『【必読!笑】私が『如月ばたこ』をはじめた理由を今夜話そうじゃないか。』最近、たくさんの方に見ていただけるようになったので、改めましてのご挨拶をさせていただきたいと思います🙌ありがたやぁー🙇♀️こんにちは!!私、如月ばたこと申し…ameblo.jp今日も遊びに来てくれてありがとうございます✨フォローよろしくね😉💕
向日葵のような笑顔〜黒い向日葵?〜
え、え、え、ええええええええ!!おれの目の前には目をつぶってる相葉くんの顔。えっと、これは、どういう、、、するとパッと離れた相葉くんが「うわぁぁ!!ご、ごめん!!」そう言ってアワアワしだした。おれはそれをボーゼンと見てて何も言えないでいたら「振り向いたら櫻井くんの顔がめっちゃ近くて!!ご、ごめん!」そのごめんは何のごめんなのか…おれのドキドキはどうしたらいいんだ。そう思ったら相葉くんの頭をガシっと掴んで相葉くんのくちびるにおれのくちびるを重ねてしまった!!初めてのチュウおれにとっては最初のキスでそれがまさか相葉くんになろうとは。でも相葉くんはそのままのおれを受け入れてくれて…しばらくの間おれ達はそのまま動けないでいたんだ。つづく…リハビリを終えてご飯を食べ何だか新しいスタバが出来てて。TEAVANA 紅茶のスタバみたいです。なのにフラペチーノを飲む🤣
高峰明日香の明日はどっちだ!
登場人物・設定海松「去年女の子にとって物騒な事件が多かったわよね」あすか「男ってのは女を殺したいってのは本能だからね。ちなみに日本はパーセンテージでいえば女性であることを理由に女が殺される国ワースト1だよ」海松「え?日本って世界一女が殺される国なの?」あすか「そうだよ。だから日本の女はいつ殺されてもいい覚悟で生きていかなきゃならない。私は毎年、遺言状を書いてるよ」海松「あたしは天寿は全うしたいな。普通に生きて普通に人生終わらせたい」あすか「一番痛い死に方は焼死で、その次が癌だって。日本の二人に一人は癌で死ぬから、普通に死ぬのが一番苦しいことになる。私はラクに死ねるなら殺されてもいい」あすか「もちろん、男は女の苦しみゆがむ顔を見るのが至上のご馳走って奴いるから、そういうのには殺されたくないけどね。できれば即死がいい」海松「なんでそんなこと思うようになったの?」あすか「小説書けなくなっちゃったんだ、スランプでさ。料理は趣味だから今、それだけが生きがいだけど、もういいかなって」海松「他に生きがい見いだせると思うけどな」あすか「何してても楽しくないし、普通に働くのもつらいからね。もう何もしたくない」海松「お姉ちゃんが言ってたけど、あんた実のお父さんのところに帰されそうになってからおかしいって」あすか「うん。今のお父さんに裏切られたような気持ちになって、この家庭も私の居場所じゃなかったんだって思ったらどうでもよくなった。隕石が落ちてきて地球がなくなっちゃえばいい」海松「せっかくお母さんの介護しなくてよくなったのに、そんなのもったいないよ」あすか「老いも怖いね。身体の自由が利かなくなって、目も耳も悪くなって、出来ないことが増えていく前に消えてなくなりたい。年取って強盗にお金盗られるぐらいなら殺されたい」久美子「アタシたちが死ねるわけないでしょ。大人にさえなれないのに」あすか「それも信じてない」===================不死身の身体であることさえ信じなくなるほど、彼女のショックは大きいものでした。誰か彼女の心をもとのように元気にできないものでしょうか。生きてるってとてもありがたいことなのに。いつもフォロー、いいね、コメ、ありがとうございます。本日もお越しいただきありがとうございました。また明日も来てね。
気がつくと日中の通りに立っていた。天気は薄曇りで、陽光から午前中のようだ。通りにはまったく通行人の姿はなく、車も通ってはいない。店はのきなみシャッターを閉めているが、突き当りのやや大きなDVD店だけは開いていた。24時間営業なのだろうか。私は、この道は何度か来たことがある、と思った。この間来たのはもう10年も前だろうか。これまで訪れたのは都合3,4回である。ここは私の夢の中の街だ。そう考えて、真っすぐ進んでDVD店に入って行った。するとすぐ、入口のカウンターから声がかかった。若いアルバイト店員の声ではない。見ると、カウンターに一人だけ、中年のおやじが座っていた。見たことがある。前に来たときもこのおやじはいた。だが、あれから10年経っても、まったく齢をとっていないように見える。店内を見渡した。全部で5列ほど棚が並んでいる、そしてその中はびっしりとDVD。棚は年代別に分かれていて、すべてにインデックスを書いたプラスチックがはさんであった。1985年から2026年まで。そう、ここは生まれてからこれまでの私の記憶がDVDの形で展示されているのだ。私はその中の一枚を抜き取り、カウンターに持っていった。そしておやじに、「これ、見せてもらうよ」と言い、おやじは頷いた。カウンターに置かれている古風なDVDプレイヤーにかけると、ザザッとノイズが画面に走り、そして2000年台の1日の映像が始まった。その中では私は高校生だった。とても若いと思った。今にして見ればまだまだ子どもだ。そして1日が始まったが、おそらくこの日も何も特別なことのない1日だったに違いない。私のこれまでの人生では大きなイベントは少なかった。私は数分だけ見てDVDを取り出し、店内を見渡した。すると奥のほうにカーテンで仕切られたコーナーが見えた。前に来たときにはなかったものだ。私はおやじに「あれは?」と聞いた。おやじはこともなげに「あれもやはり、あなたの記憶ですよ。ただし、これまで封印されていた記憶です。それが最近になってやっと解禁された。時間が経過したからでしょうねえ」私はそのコーナーに通路を進んでゆき、カーテンをくぐって中に入った。中には。小さめの棚が2つあり、やはりDVDが並んでいる。これが封印された記憶? そしてその中に、「小学校3年生の奉納相撲大会」という背文字が目に入った。あれ、このときに何か、思い出したくないようなことがあっただろうか? 私は興味を引かれ、そのDVDを抜き取ってカウンターに持っていった。再生してみると、出てきたのはまだ実家にいた小学生のときの氏神神社の相撲大会だった。しばらく見ていると痩せこけた子どもの私が選手として出てきたが、取り組みの途中でまわしが外れ、なんともろ出しで負けになってしまった。、ああ、思い出した。そういえばこんなことがあった気がする。ずっと忘れていたが、こういった思い出したくない内容、頭の奥底にしまい込まれていた記憶が今回解禁されたのだろう。それからまたコーナーに戻り、ずらっと並んだ背文字を読んでいったが、たしかに思い出したくないような記憶ばかりだった。会社でのプレゼンの大失敗、学生時代に試験でカンニングを見つかったときのこと・・・こりゃいかんと、そのコーナーを離れようとしたとき、「田舎に帰省したときのトイレ」というタイトルが目に入ってきた。これは、田舎というのは父方の祖父母の家に行ったときのことだろう。そこで何かがあっただろうか?いくら考えても思い出せなかった。それで、興味を引かれてその一枚を抜き出し、カウンターに持っていった。おやじは、そのDVDを見るなり、「ああ、これ見るのかい。やめたほうがいいなあ。おすすめはしません」と言った。しかしどうせ自分の記憶なのだし、私は強引に再生にかけてみた。その画像の中では私は中学生ぐらいで、田舎の家の木造のぼっとん便所にしゃがんでいた。夏休み中らしく、網戸の外でやかましくセミが鳴いていた。このときに何かがあったのだろうか。尻ふいて立ち上がったとき、ギシギシと網戸の音を立てて婆さんが入ってきた。着物を着た、髪のザンバラな15cmくらいの婆さんだ。私が驚いて動けないでいると、婆さんは網戸を閉めて内側にはりつき、大きく口を開けると長い舌をカエルのように伸ばし、雨戸の隅にとまっていた銀蝿をペロリと舐め取った、そして私のほうを見て、長い犬歯のはみ出した口をくちゃくちゃ動かしながら、「このことを誰かに言ったら殺すぞ」そう、しわがれた声で言い、こっちに鋭い一瞥をくれると、また自分で雨戸を開けて飛んでいった。・・・ここまで見て、実際にあったこととはとても信じられなかった。ただし、記憶の底に何かうずくものがあった。私は本当にこれを見たのかもしれない。小さな15cmくらいのばあさん・・・ そのとき、唐突にアラームが鳴って目が覚めた。私は朝早い仕事なので、毎朝6時に目覚ましをセットしてある。ああ、まだ疲れている。昨夜は早く寝たはずなのに。自分に気合を入れて半身を起こした。何か夢を見ていたような気がするが、その内容は思い出せなかった。ただ、あんまりいい夢ではなかったような気がする。私はベッドから降り、そのときにベッドの枕元にいるものに気がついた。小さな婆さんが歯をむき出し、ニヤニヤ笑いながらちょこんとそこに立っていた。
すえよしの俳句ブログ
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