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  1. 45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話は→こちら手術後3〜5ヶ月、在宅介護を決断するまでのお話は→こちら病名判明。平均余命は14ヶ月 >歯ぎしりと独り言が止まらない。悲しい日々 >要介護5の夫の在宅介護、嵐の1日目 >夫だけに見えている、3人目のこども >2023年12月22〜1月18日 <抗がん剤治療6クール目> 手術から10ヶ月目今回の入院期間は12月22日〜29日。クリスマスをはさむ。病室には小さなロウソクの折り紙の飾り物がおいてあった。クリスマスイブの日、私は赤いハート型の風船2つを持っていった本当はシャンパンを2人で飲むくらいはできるかな?と思っていたけど、起き上がれそうではなかったのでやめておいた。PCで、クリスマスソングメドレーの曲を小さい音で流した。2人だけのクリスマス会だ去年のクリスマスは、夫の両親も一緒にキャンプへ出かけた。夜ご飯は、トマトすき焼きと串揚げを食べ、その後みんなでジェスチャーゲームで盛り上がった。とても良い思い出だ。去年の思い出について話してみるが、覚えていなかった話を変えて、息子と娘へ贈るプレゼントのことを話していると、夫だけに見える3人目の子どものことを気にしている様子その子が何歳なのかわからなかったので返答に困って、適当に受け流せない。そんな私に夫は怒って布団をかぶってしまったしばらくすると、夫は怒っていたことを忘れて、また話せるようになった。寝たきりの夫は、もう子どもたちの枕元へプレゼントを置くことはできない。「今年は私が夜中こっそりおいておくね」と言うと、障害を理解していない夫は「いいよ、俺がやるよ」と言う。「ほんと? たのむね」と私は答えた。一つ思い出したことがあった。去年のクリスマスキャンプの前日、夫はいつもならキャンプの用意をしないといけないので準備にバタバタするはずなのに、この日はなかなか腰を上げなかった。20〜30分ほど、何をするでもなくぼーっとこたつに無表情で座っていたので「何?何か怒ってる?どうしたの?」とイライラした記憶がある。でもその後は、本当に普通に過ごして翌日のキャンプも普通だったので気にもしなかったが、もうその時は、脳の中に腫瘍があったはずなので、その前兆だったのかな?と思う。時を戻してほしいけど、無理だよね。。。とサンタさんにお願いのような相談のようなことをする私。本当に、1年前はこんなことになっているなんて、想像もつかなかったな。 夫の異世界語録 「3浪のナウシカ、知ってる?」(ナウシカまさかの浪人生?イメージ崩れる)----------------------------------------------重度認知症の夫が発する言葉は、いつも謎解き。それを私は「夫の異世界語」と心の中で呼んで、和ませてもらっています夫の一言一言が愛おしく大切です。いつか夫がいなくなって、涙が止まらなくなった時、これを見て笑顔になるきっかけにしようと思っています。重度認知症の夫との会話は、謎解き >続きは4月24日(水)19時30ごろ更新します!「年末年始。寝たきりだけど、親族に囲まれて」夫と選んだ母の日ギフト-----------------------《去年》ミニブーケとドーナツセットブーケが上品で可愛かったです♪夫は赤を選びました\4月24日お値段上がります/ 母の日 早割 プレゼント ははの日 花 花以外 ギフト ドライフラワー 造花 フラワーアレンジメント おしゃれ 可愛い リース フラワーリース ナチュラルリース 玄関 ドア インテリア 送料無料 スイーツ お菓子 洋菓子 ギフトセット おいもや楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}《今年》しゃもじと木ベラセット夫が「今年は・・しゃもじ」と言ったので。お花とセットで贈ろうと思っています【2点5%OFFクーポン 24日20時~】 天然木製 キッチンツール 4点セット 福袋 おしゃれ おすすめ かわいい 調理器具 台所用品 フライ返し 炒めへら しゃもじ バターナイフ 漆塗り ナチュラル 送料無料楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}

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  2. 日中、ホットフラッシュがひどく軽いめまいと吐き気がでて頭を冷やしまくりました。それでもあまり動けず横になっていたら寝てしまったようで目が覚めてスマホをみると着信がありました。父親からでした。着拒にしてあるのになんで?と思ったら家電だけ着拒にしており携帯は生きていました。着拒したときはうつ病がひどい時で2つとも着拒したと思っていた私の凡ミスです。着信があったことを主人に伝えるとイラッとしたのがわかりました。私の凡ミスでイラッとさせてしまったと部屋を出た途端に涙が止まりませんでした。私は社会人になってわかったことがあります。それは他人が一度で出来ることが何度も何度も繰り返して見直したりしないと出来ないと言うこと。新入社員のときに何で出来ないんだろうと帰りの電車の中で泣きながら何度も帰りました。誰かに声をかけられると直前にやっていたことを忘れてしまうのも子どものときからです。それから人の5倍位繰り返してがんばればようやく人並みにできるようになるとわかりました。でもうつ病のときは今までやってきた再確認や繰り返すことが出来ませんでした。父親から電話がきたパニックとやってしまったという自責の念とで涙が止まりませんでした。ちょうどベージニオを飲むアラームがなり飲んで1時間後からめまいと吐き気が止まらずプリンペラン(吐き気止め)を1錠飲みました。30分ほどしたら胃が重苦しくなりさらに30分後、おさまりました。めまいは軽くゆれている感じがありましたが寝てしまったようで、さっき目が覚めました。トイレに行くと目がまわっていなかったので落ち着いたようです。ベージニオの副作用なのかパニックが発端の発作なのかわかりません。ここ数日、ホットフラッシュがひどくなっていたので余計どちらかわかりません。もうどちらでもいいです。落ち着いたから。寝ようとしましたが眠れずこのブログを書いてます。これから父親と私がやり取りをしないといけない事柄があります。専門家に依頼をして対応してもらう予定ですがそれでも父親と関わらないといけないので発作が続くと思います。長ければ年内はかかるかもしれません。治療しながらで本当に本当に辛いです。やり取りの状況によってはこちらの話で心が衰弱しそうな位です。夜中にこころのうちを吐き出しました。でもこのやり取りが終われば楽になるはず。治療も前向きになれるはず。朝までこれで眠れるかな。

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  3. 私の勤務している病院での話です。ある日、事務長に呼ばれました。その病院に、Aという医師がいます。この医師は、本当は消化器内科医です。でも、前の病院などで、ヤラカシまくり、今の病院でも、あと少しで大惨事を起こし胃カメラを、やらせないようにされました。今回、なぜか、胃カメラを再びやらせろと要求してきました。だめなら辞めると。究極の人手不足の病院なので、こんな医師でも辞められたら、まずいという事で、相談です。私に、何かあった時のバックアップの依頼です。Aさんは、勤務時間の半分を寝て過ごします。努力なんて、少しもしていなくて、やる気もありません。そんな医師が、ヤラカシた時に、私が、バックアップ。これは、全く割に合わないのでお断りしました。多分、辞めるでしょう。そして、この医師は、世間に放たれます。どこかの病院が、雇用し、胃カメラを行い、そして。。。それは、もしかしたら皆さんのかかりつけ病院かもしれません。ちょっと、さむくなる話でした。JAS有機 モリンガパウダー モリンガ粉末 国産 沖縄県産100% (JAS有機認定/無農薬/無化学肥料/ノンカフェイン) 50gAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}八重山クロレラ 300粒 添加物不使用 モンドセレクション金賞 ヤエヤマクロレラ クロレラ サプリメント yaeyama くろちゅららAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}

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  4. 闘病記録🏥原田病0412 金 とりあえず運転できないからタクシーで職場に向かおうと予約をしてきたけど、全然がきつく休むことに。目が見えなくて、どうにもならず県外の母に家まで来てもらうことに。午前診療眼科、炎症が右目に広がっているから見えない範囲が広がっている。火曜日の大学病院受診まで待つしかないということ。それまで対処療法。帰宅。午後、激しい頭痛で我慢できず病院に電話。近くの病院で対応してもらうことになり、大学病院対応できるまで入院することに。 怖くてこれからどうしようと涙止まらず。人の顔が見えなくなってることに気づく。夫に荷物を持ってきてもらう。ラジオや音声などで気を紛らわせる。職場に状態を電話。0413土 起きたら、もっと霞んで近くの自動販売機にいくのも苦労した。土曜日だったけど、眼科の先生が来てくれた。子守をしながら。マンパワーが足りてないときにするのがリスクのある治療方だからこそ、万全の状態でしないといけないらしい。けど、心配も伝えて月曜に病院いけないか大学病院に掛け合ってもらえるとのこと。ありがたい。夜勤の看護師さんにもどんどん見えない不安を伝えて聞いてもらってありがたかった。母や夫と電話したり、友人と電話しておすすめラジオを教えてもらって乗り越える。0414日 文字が読めない。どう頑張っても読めなくなってる。子どもは夫と義理の実家に行ってもらった。とりあえず目をつぶって乗り越える。これからの仕事どうしようがやっぱり出てきて、村田先生と電話をする。でも考えたら、家族を大切にしたい、健康を大切にしたら良かったという言葉ばかりがでてくる。夜に、当直の先生が内科だけどきてくれた。眼科の先生に電話してくれて、明日大学病院に入院できるよう早めに掛け合ってもらえるようにしてもらった。なかなか寝れなくて、見えず不安だけど治療スタートできそうでホッとする。

    闘病記録 0412-0414 町の病院
  5. 本日抗がん剤ドセタキセル3回目抗がん剤AC療法4回を入れて合計7回終了あと1回だぁついについに終わりが見えた抗がん剤を受ける前は、この先の自分がどうなってしまうのか不安で不安で精神的にも参ってパニック障害も起きて(乳がん手術の後、精神科の薬が合わず副作用でも苦しみ、乳腺退院後に精神科病棟に3週間追加入院もしていた)広場恐怖症で、今も1人での運転は近所しかできないですが、徐々に回復してきてはいます精神の治療も時間がかかります焦ると再発しかねないからゆっくり焦らず焦らず…抗がん剤振り返れば受ける前は副作用が本当に怖くて泣いた日もあった主治医にもやらないといけないのですかと質問したこともありました。主治医は、ステージ3ですしやらないなんて倫理的に…と冷静なお言葉(私の主治医はコミュ力低いから、気の利いた言葉は投げかけてはくれません不安な思いを伝えても、淡白な教科書通りの言葉が返ってくるのでその言葉に何度も絶望し、泣きました)投与して1週間はかなりしんどいと思いますが…とか、治療をしている間は絶対生きていられるという保証はできませんとかね不安で不安定になっている人にそういう言い方しないでほしかった。もっと他に言い回しあるでしょと何度も思いましたそこから益々怖くなって夫の前で泣いて困らせた時もありましたでもまだ今日とラスト抗がん剤の副作用がどうなるかはわかりませんが、トータル7回を終えての感想は、案外大丈夫ということ抗がん剤に怯えて泣いていた時の私に伝えたーいまた、過去の私のように抗がん剤に恐怖を感じている方にも伝えたい。もちろんかなり個人差がある治療なので、副作用に苦しんでいる方もおられます。後遺症だってあるかもしれません。でも私のように意外と大丈夫という人がいることも確かなこと必要以上に怖がって絶望したり、後ろ向きになったりすることはないと今は言えます自分の命を守るために、大切な人と過ごす時間を守るためにこの先も前向きに治療に挑んでいけるといいなぁと思います左薬指の爪だけ凹んできた…(何もケアしていないからかも)どうか爪が剥がれることがありませんように頑張れ私の身体

    抗がん剤ドセタキセル3回目!抗がん剤治療に対する思い。
  6. てつそうです。いつも、いいね、やフォローをありがとうございます。 とても、励みになります。こちらは、肺がんステージ4と診断された自分の生活と、その心の変化を日記として書いています。4月22日朝起きたら、黄砂の影響がまだあるのか胸が、少し痛い。だいぶ元に戻ってきている。…けど、黄砂(公害)だけは、本当にしんどい。今回のことで、心底そう思った。朝ご飯を食べて、長男と長女は小学校へ1歳娘はこども園へ妻は、黄砂から調子が悪く、鼻水と喉の痛みを訴えていたが、今朝、『気管支がやられた』と、病院へいった。妻『今日から仕事やったのに…』育休明けの、引き継ぎの初日やったらしく、落ち込んでいた。自分は、3月分の傷病手当申請書が出来たので、会社へ。10時頃に来てください、と言われていたので、予定通りに、会社へ向かった。到着して、電話をいれる。自分『おはようございます。今、着きました』上司『待ってたよ。面談室来てくれる?』そう言われて、2階の面談室へ向かった。上司『1か月ぶりやな。体調どう?』自分『お久しぶりです。体調は、黄砂の日から、少し胸の痛みがあるんですけど、それ以外は大丈夫ですね。』上司『そうか。顔色は仕事してた時よりもいいから、わかりにくいな。』自分『自分を見ても、なかなか肺ガンやとは、思ってもらえないですね(笑) かなり重い病気なんですけどね(笑)』上司『見えやんなあ(笑)』上司は安心したような笑顔でそう言ってくれた。部屋には、他にも何人かいて、みんな口を揃えて『見えやんなあ(笑)』と言ってくれていた。それが、なんか嬉しかった。上司『ご飯は食べれてる?』自分『3食食べてますね。食欲がほとんど落ちる事もないですし。』上司『ええなあ、嫁さんがしっかりしとるからやな(笑)』自分『そうですね(笑)。きっちり管理してくれるいるので、ありがたいです』上司『睡眠は?どう?』自分『眠れない事もないし、朝もだいたい会社行く時間には起きて、ルーティンは崩す事なくやれてますよ。仕事は、休職させてもらってますけど、ダラダラした生活はしてないですね。』上司『そうか。凄いなぁ。自分らの方が出来てないわ(笑)順調そうで何よりや。』質問から、気にかけてくれてるのがわかる。ありがたい、と思った。自分『肝臓の数値が悪化すると、薬が止まるんですよ。やから…なるべくそれは避けようと生活リズムは崩さずやってる感じです』上司『そうやったんか。復帰は焦らんくていいし、休職期はゆっくりと治してから、職場に戻ってきてくれるの待ってるよ。』上司の言葉が、一つ一つ、嬉しかった。上司『今日は、てつそうくんに会いたがっていた上司の人が会議で重なってしまって、申し訳ないと言ってたわ。』自分『自分も会いたかったですが…、また来月の書類提出すると時に連絡しますので、その時お願いしますと伝えて下さい。』努めはじめの頃から、自分を育ててくれた、上司。違う工場に行っていたけど、今回、今の工場に戻ってくることになった。一目会いたかったけど…まぁ、また次の機会に!上司『伝えとくわ。じゃあまた来月、会社来る時連絡してください。』何人か職場の人もに会ったので、少し会話して、会社を後にした。やっぱり肺ガンで休んでるようには、見えやんみたいで(笑)まだ、僕が肺がんなんて、知らない人のほうが多い。でも、病名を聞かれたら、答えるようにしている。想像や憶測で、前のメンタルの不調やとはなんか…思われたくなかった。メンタルの不調で休職した時は、復帰を焦り、失敗し、病名を聞かれても、こたえるのが嫌だった。病名は?肺ガン。…昔の自分なら、言えんかったなあ。診断書は、5月いっぱいまで。5月終わるまでには提出して、と。そう言われた。自分の気持ちの中には仕事に急く気持ちもあるけど…ゆっくりと治して、復帰はもう少し先にしよう。上司の言葉に、甘えよう、と思えた日だった。

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  7. ブログアップをサボっていました2月末に造影剤MRIがありました。結果は、前回MRI(10/25 )と変化なしよって放射線治療は延期。放射線治療を覚悟して臨みましたが、拍子抜けしました。放射線治療は、悪性化リスクもあると言われたので、完全に受け入れていた訳ではなくて。ただ、最初に放射線治療を検討するように言われた時から4か月をかけて、完全にではないけど、徐々に受入れる覚悟?諦め?みたいな気持ち、怖いのだけど信じるしかない、みたいな気持ちにはなってきていました。とりあえず、放射線治療先延ばしできて良かったです!次回MRIは夏です頭の締付は相変わらずです。前にブロ友さんに教えてもらった『頭痛ーる』で見ると、大体いつも1015hpa。やはり、この気圧みたいですブログアップをサボっていたのは、体調不良&最近沈んでいる&バタバタしている &単純に忙しい等が理由です。気分が乗らなかったというか体調不良は、お腹が痛みが続いたこと(2か月ぐらい)まだたまにお腹が痛いですさすがにヤバイだろうと思い、5年振りに大腸検査を受けました。そして、お腹が痛くなった5年前と同様に、便秘という診断でした💦5年前、下剤を飲むのにものすごく苦労した記憶がありましたが、今回はそこまでも辛くなく。私が変わったのか、薬の種類が変わったのか、薬が飲みやすく進化したのか。。胃カメラはまだやっていない(1年前にやったきり)けど、CTで異常なかったからどうしようか。胃カメラもやるか迷い中です。。沈んでいるのは仕事。人。今まで周りの環境で悩まされたことはなかったのですが、本当にイヤになっていて、正直、仕事辞めたいぐらい、、バタバタしているのは、新年度で、お兄ちゃんが中学生になったこと。とりあえずはスタートしたけど、まだよく分からない。 。 親(私)が心配していて、気疲れしている感じかな~。そして、小学校卒業〜中学校入学にかけての書類の多さ。これはもう落ち着いたハズ。スタートしたはしたで、学校説明会、部活説明会、授業参観、面談等など。小学校と中学校が別日で、うーん、、って感じです💦

  8. ずいぶん前の話だけれど、紹介派遣で、半年働いたら契約社員になるという契約で働いていたことがあったのだけれど、仕事内容が全く合わず、さらにいじめがある職場だったので、同期入社の中で、私だけ契約社員にはならず半年で退職した。そのときの上司に「どうして辞めるの?」と聞かれ、「イジメがあってつい行けない」と伝えたら「ああ、今までにそうやって辞めた人がたくさんいる。本人に注意したけれど改善されない」と言われました。シフト制でお昼休みを取っていたので、イジメの主犯格と同じシフトになると、ランチ時間中、職場の特定の人物の中傷を聞き続けることになる。話題はそれのみなので、中傷に参加しない人は、黙って下を向く。その人は、職場1番の古株で、本部から移動してきた正社員よりも仕事に詳しかったので強くは言えなかったみたい。私は、その場にいたくないし、会話も耳にしたくなくて、昼休みはいつも1人、職場近くの公園でお弁当を食べていた。最後に、上司に対して「短い間でしたが、ありがとうございました😊」と言ったら「そんなに嬉しそうな顔して言わないで」と言われてしまった。すみません。顔に出るタイプです。今の職場は、そんなことは一切ありません。

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  9. samecoのブログの内容は半月遅れダラダラ書き留めたことをゆっくりアップしてます週1通院で外来ネタ多めです  心エコー検査へ駆け足で でも10分ぐらい待たされて 呼ばれたのに部屋が空いてない 技師さんと部屋の前で待機吸って吐いて〜〜〜止めてっ 繰り返してたら だんだん吸うと吐くが 分からんくなってきた  心エコー終わって12時 先生たちのお昼時間がなくなっちゃう 急いで婦人科に戻ると まだ何人か待ってるけど すぐに呼んで貰うお疲れ様です心エコーのレポートはまだ上がってこないので  CTと併せて結果は来週伝えます そして嫌いな内診台へ 触診と経膣エコー 腹水が溜まってないか確認 先週、溜まってる気がするって お話ししたから 撮ったエコーをすぐ確認​腹水が4センチ溜まってますこの後のCTで詳しく確認しますね ふんふん うーん、4センチが分からん 普通が何センチ??  先週の体重は?今日は?普段は?  普段、何㎏だったけ? とりあえず、先週から今週で4kg痩せたの何も質問なければ終わりですはぁい、ありがとうございます 無情な終わり宣言 こういうとこ冷たいよねぇ 何センチが普通か質問しなかったのは 単純に私が疲れてるから 疲れてる日は喋ってない私 というより 今日は笑顔になれてなかった 笑顔って決めたのに・・・反省気をつけて帰ってね あらっ看護師さんが変わってる 交代でお昼に行ったのかな? 次はCT造影検査へ お兄さんに体重確認される 以前のデータだったから 今日より3kg軽い それが普段の体重や!  いつものように造影剤注射されて 少し身体が暖かくなる 検査は一瞬で終了 最後の検査 心電図 手首と胸と浮腫んだ足首で測定 すぐ終わったけどちょっと待って なんやら画像送信ができてないかもって そしたら測定やり直しになっちゃう大丈夫でした 良かったー  今日はいっぱい検査して また疲れてしまったー 

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    外来 検査のラッシュ
  10. 4月24日 愛ちゃんの味を、もう一度
  11. 退院する日は決まっていなかったが、近いうちに退院できる!そうなると見えてくる景色も色彩豊かに感じるし、話すことも前向きになった私。あの時は、明るい未来だけを見ていたな。幸せな時間だったな。クリスマスもお正月も病院で過ごしたけれど「逆に想い出になるね。」なんて言ったりしてね。年明けし、病棟も落ち着いた頃、娘の体重測定があった。規定体重まで、あとわずか。だからなのか、バタバタと娘の規制が緩くなってきた。まずは、入院してからずっとつけていた心電図モニターが外された。これは、ほんの少し強く動くだけでも警告音が鳴り響いていたので、娘にとって、ものすごいストレスだった。そして、これは娘がとっても喜んだこと。ベッド上安静は継続だったのだが、背もたれを立てての座位が認められたのだ。だから娘は、就寝時以外はずーっと座っていた。よっぽど嬉しかったのだろう。ただ、排泄環境は変えていただけなかった。私からお医者様に頼んだのだが、従来通り、ベッド横のポータブルトイレにて看護師さんの監視の元、行う…というままだった。娘は相変わらず便秘がヒドかったので、3日おきの浣腸が欠かせなかったのに…。コメントで、娘と同じように、病室での排泄が苦痛だったというメッセージをくださった方がいらしたのですが、その方も同室の方がいらっしゃる病室での排泄はどう考えても辛い行為だったとおっしゃっていた。(その節は、温かいをメッセージありがとうございました。)確かに、看護師さんが介助をしてお手洗いまで連れて行く、というのは大変なことだ。それはわかる。だって、看護師さんはいつもいつも忙しかったから。わかるけれど、やはり私は娘の心を想うと、辛かっただろうなぁ、恥ずかしかっただろうなぁ、悔しかっただろうなぁ、と感じてしまうんだ。それに、同室の方だって嫌だろうな。どうにか良い方法が在ると良いですよね。※お読みいただき、本当にありがとうございます。長くなるので、一旦ここで終わりにさせて頂きました※

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    退院に向けて動き出した
  12. お医者様から退院が認められ、娘の自由度はかなり上がった。目標だった高校推薦入試にも間に合いそう。私はそれが本当に嬉しかったんだ。娘の夢が叶うから。ただ、退院は入試間近になることには間違いない。2ヶ月間寝たきりだった娘は、体力がかなり落ちているだろうし、歩くことだって急には無理だろう。高校までは車で送るとして、教室までどのようにして行けば良いのか。考えた私は車椅子のレンタルを頼むことに決めた。ただ、この車椅子は結局、全く必要がなかったのだけれど。お医者様からは、自宅でも安静にし、お手洗い、お風呂も必ず介助をするように強く言われた。つまり、退院直後の高校入試は、お医者様の立場としては控えて欲しい様子だった。だけど、お医者様はこのようにおっしゃってくださった。娘にとって、高校生になることは人生においてとても重要なこと。だから絶対に行かせてあげたい、と。お医者様に対して、私は疑念を抱いたり、憎しみを抱いていたのにも関わらず、このような温かい言葉をいただいた。私はそのとき、自分の心の狭さを思い知った。そして、感謝の気持ちでいっぱいになり、温かい涙が溢れてきたんだ。今、想い返しても、感謝の気持ちが溢れている。お医者様はもう私たちのことを忘れてしまったかもしれない。でも、私は一生、あのお医者様を覚えている。絶対に。だって、娘の生命を救ってくださった方だから。私たちは、本当にたくさんの人から助けられているのだ。そして同時に、私たちは誰かの心を必ず助けているんだ。人ってすごい。人って本当に温かい。満開になるのが楽しみです♡

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    一生、心に残るお医者様のこと
  13. 令和6年4月25日(木)怒ってかんの!笑ってGO!!いつも『ありがとう』こんばんは、ひろパパです。in 豊橋市民病院。11時診察予定ですが、朝9時から乗り込みました。まずは、血液検査。着いた時点で約1時間待ちとの事。凄い患者数です。消化器内科の時間の前に緩和ケアの診察を受けました。いつも、親身になって話を聞いてくれます。物理的な治療と違って、心の医療としてどれだけ救われたか分かりません。医療麻薬の容量が増えました。今の痛みからして、仕方がありません。いざと云う時の安心感も高じて、逆にありがたいと思います。歯を食いしばって丸まる姿を、あまり娘達に見せたくないですから。さて、次は消化器内科の診察です。確かに炎症の数値は高く、腫瘍マーカー?も高くなっているとの事。昨夜、体温が、38.9℃まで上がりました。妻も胆管炎を疑っていましたが、胆管炎でなくがん自体による炎症ではないかとの事でした。頻繁に熱が上がったりしても、おかしくない状態みたいです。何が起きても、出たとこ勝負なのでただただ対峙して闘うのみです。とにかく。入院にならなくて、心から嬉しいです。やったー!やったー!入院は、私から元気を奪います(笑)。さて、今日はこれから安静にします。心配な顔して、泣きそうになりながら学校に行った次女を笑顔で迎えます。皆様、本当にいつもありがとうございます。コメントしっかり読んでいます。感謝感謝の日々です。今日は、この辺で。明日、素敵な花金になりますように。おやすみなさい。では、また。私の必殺頭皮マッサージで、イビキかいて眠る次女。静かにしたい時には、有効です(笑)

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    冒険日記【424日目】〜いざ病院へ〜
  14. 昨日の話朝起きると、布団がかかっていた。暖房がついていた。祭壇を見る。朝起きてからもずっと作業を続ける。その合間に、妻が亡くなった後の手続きを進めていく。職場に連絡したり、年金事務所に連絡したり遺言書の検認について確認したり久しぶりに何時間も寝たのに、全然疲れが取れない。昼頃うちの親に連れられた子どもたちが帰ってきた。子どもたちと祭壇で手を合わせる。愛ちゃんこれで、みんな一緒だね。また泣く。父から預かってもらっていた香典などを受け取り、今後の予定を詰める。夜は、回転寿司を食べに行く。子どもたちは楽しそうに食べる。私は、長男の発表会の日にこの店に来て食事をしたことを思い出し、胸が詰まる。少し食べて、デザートに逃げた。子どもたちと帰宅妻にお線香をあげる。みんなで手を合わせる。長女に、ママにお話してとお願いすると、 ママまた、会おうねと言って泣く。いつか、泣かない日が来るのかな。子どもたちを抱き寄せる。愛ちゃんのママ友からもらった泡風呂で子どもたちと遊ぶ。歯を磨いて、寝室へ祭壇の前に布団を敷く。子ども二人を抱えて一緒に寝る。長女は、私一緒に寝るのは、パパとママとマサシがいいなんて言って、また泣く。今日から家族3人生活…3人って言いたくない4人だよね?ダメかなあなんて、逡巡しながら眠った。子どもたちが暖かくて、すぐに眠れた。朝起きて、でもまだ疲れが抜けない。やりたいこともない。とりあえず子どもたちのために働こう。

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  15. 令和6年4月24日(水)怒ってかんの!笑ってGO!!いつも『ありがとう』こんばんは、ひろパパです。今日は、朝から雨模様。体調は、変化なしです。お腹の鈍痛で10分おきに目が覚めてしまい、体の怠さも重なり本日も会社はお休みしました。改善点はあります。みぞおちと背中の不定期な強い痛みはなく、お腹の張りも少し軽くなった気がします。手足の痺れも、軽いです。毎日、温かい食べ物やお茶。小豆カイロ等の用意をしてくれた妻に感謝です。いつも、ありがとう。元気になったら、またマッサージするからね。「辛い」や「痛い」は、あまり言いません。なるべく「大丈夫」「治る」「良くなる」と発する様にしています。言霊のチカラです。脳を騙すのと、口角を上げるダブルパンチで必ず乗り切ります。明日木曜日、病院に行きます。そう思うだけでも、前向きな気持ちになれます。痛がっても、笑っても、同じ明日はやってきますから。ならば、笑って過ごした方が自分も周りも良い事尽くめですから!ファイティン!!長女は、心配して私に抱きついてきます。ぎゅう〜って抱きていてくる流れから、社交ダンスを踊る真似をして笑わせてくれます。足がいつももつれてしまいます(笑)。次女も、マッサージをしてくれます。変色した足を気持ち悪いとも言わずに、リンパマッサージをしてくれます。男性の体なんて固くて力が要るはすなのに、ちゃんと力を込めてツボを押してくれます。二人からの優しさに、泣きそうになります。なので、大丈夫です。今日も、乗り切ります。ピアノ練習中。次女、頑張っています。今日は、この辺で。明日も皆さんにとって光射す素敵な木曜日になりますように。おやすみなさい。では、また。「皆さんも、前向き、前向き〜っ!!」

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    冒険日記【423日目】〜少しずつ回復しています〜
  16. ●4月23日、愛する奥さんの8回目の月命日を迎えました。この日は平日でしたが、仕事が早く終われたので、学童保育経由で納骨堂へ。冬の寒さは心寂しさを助長しますが、暖かい季節を迎え、ほんの少しだけ気持ちも穏やかです。●3月の月命日からすっかりブログの書き込みが空いてしまいました。その間にあった主なことを書き留めておきます。最近、毎月このフリですね。苦笑●お義母さん(奥さんのお母さん)は5年前に亡くなられているのですが、コロナ禍もあって納骨が出来ず、遺骨はお寺でずっと保管してもらっていました。亡き奥さんの家系は福岡がルーツであり、3月最終日に福岡のお寺に親族が集まり、お義母さんの納骨の法要をとりおこないました。●奥さんが亡き後、奥さん側の親族の集まりって正直申し上げて立ち位置が難しく居場所に悩むところです。親族のみなさん気を遣って優しくしてくださいますが、やはりどこか見えない壁を感じてしまいます。また、同世代の家族が集まってワイワイするので、楽しく幸せそうなファミリーの姿を見ると心に刺さるものがありますね。奥さんの家族(お義父さん、お義姉さん、お義兄さんファミリー)なら全然大丈夫なんですけどね。ということで、ちょっとネガティブな月末でした。●4/5は僕の誕生日でした。昨年のデジャブのような話ですが、可愛い我が子は僕の誕生日に気づいていませんでした。苦笑今年もお刺身盛り合わせを買って、ひっそりと自分自身でお祝いしました。ノー天気なチビの性格を考えると、来年以降も期待できそうにありませんね。苦笑(ちなみに、チビが僕の誕生日に気付いたのは僕がカミングアウトした3日後でした。気不味そうにしていました。笑)●小学校も新年度。チビはめでたく3年生に進級。ここ最近、スラッと背が伸びたような気がします。奥さんにもこの姿を見せてあげたいですね。クラス替えがあり、幼稚園の頃に仲良かった友達と同じクラスになったようです。担任の先生は初となる男の先生。懇談会でお会いするのが楽しみです。●最後に「アロマディフューザー事件」を書き残しておこうと思います。リビングには奥さんが愛用していたアロマディフューザーが置いてあります。奥さんがまだ元気だった頃に使っていたもので、我が家に残る貴重な遺品の一つです。かれこれ2年以上は使っていなかったと思います。僕が別部屋で作業をしている時、チビがアロマディフューザーを使ったようです。アロマオイルを入れる適量を知らないものだから、おそらくかなりのアロマオイルを入れたようです。ものすごいニオイ(ΦдΦ)鼻がちぎれるかと思うくらいキツいニオイでした。ユーカリのアロマオイルを入れたようで、嫌なニオイではないのが唯一の救いなのですが。。。クラクラするくらい強烈なお香のようなニオイ。当分は染み付いて残香が消えそうにないです。適量は大事だということを学んだ「アロマディフューザー事件」でした。ちなみに今、我が家では何を食べてもアロマの香りがします。笑

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  17. アレセンサ604日目😊2022年7月、肺がんと診断され、8月、肺腺癌ステージⅣ、リンパ節、骨、胸膜に転移ありと診断。胸腔ドレナージ手術で胸水を抜き、胸膜癒着術をして、8月末から、アレセンサで治療中です☺️☺️☺️改めてどんだけ転移してんだよって話😱😱😱最初の、主治医には余命半年と宣告された今の主治医には、余命なんて聞いたことないけど、薬が効いてますね。大丈夫ですよーと言われている実際、何が大丈夫なのか?って感じですがそんな病気ですから、正直、いつ病気が進行して、死んじゃってもおかしくないんだよねそれは、わかってるんだけど、わかっているからこそ、今、好きなように生きているんです噂好きの同僚は、私の新車購入を真っ先に察知。同僚車買ったんですか?え〜新車ですか?治療にもお金かかるのに〜。病気大丈夫なんですか?私ステージⅣの癌患者でもうすぐ死ぬのに、高い新車買ったんですか?治療費大丈夫?って聞こえるけど。まぁ大丈夫なんで。同僚い、いや、そんな事、言ってないですー私冗談です〜。皆、そう思うだろうけど、癌だからって、何もかも諦めたくはない癌だからこそ、買ったんだよ。残りの人生、短くても嬉しいでしょ。新車。残り少ない人生、治療だけ頑張って生きて、それも人生だけど、私は全部諦めたくない楽しみあるから、治療してんだよ48年それなりに頑張ってきたからね。後は、好きにさせてやりたいのよだから、まだ働いてるんでしょうが。治療は、まぁ、一番には考えてますよ同僚相変わらず、強いね私まだ大丈夫そうでしょ。お仕事は何かと迷惑かけてしまうかもですが、ギリギリまで、頑張ります周囲の方々から、拍手頂きました。皆、何も言わないけど、私の病気の事心配してくれているのね中には、忘れている方もいた。そうだったわね。なんてまぁ、賛否両論あるだろうな。だけど、治療だけの人生で、長く生きても楽しくない。このままじゃ、老後は心配だけど、あるかないかわからない老後のためにお金、せっせと貯めるのもなんだかなあ最後まで読んで頂きありがとうございました😊今日も皆様が、笑顔で心穏やかに過ごせますように😊😊😊

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  18. 9か月