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  1. 2024.04.234/16お通夜は19:30終了予定だったが、21:00近くまで弔問客があり、終わったのが21:00泣き腫らした目。ショボショボする。親族控え室に父をうつし、夕飯を食べに出かける。私達家族だけになると、また姉の旦那はムスーっと本当に二重人格なんじゃないかと思うご飯を食べながら『お父さんもうたべれないだよね。いいなーって言ってるねきっと。死んだら終わり。こんな早く逝ってバカだよ。』と母が泣き出す遅い夕食が終わり、主人と息子を葬儀場に送っていく。(2人が父と一緒に葬儀場に泊まってくれる)『じいじと最後に饅頭アイス食うかな』と息子が言う為、コンビニによったが、またしても饅頭アイスがない私たちは実家に泊まる。実家に帰り、子供達はお風呂へ。姉夫婦と、私、母は、喪服を脱ぎ、お香典をまとめることに。台帳もあるが、一目見て分かるように、誰がいくらくれたかをまとめていく。親族、地区、友達、私たち姉妹の関係者など。分けていくのが大変高い方のお香典が足りなくなり、安い方のお香典をわたしていた人をチェックし、追加の品を送るようにわけておく。全て終わったのが夜中2時250人もこないら…と言っていた母の予想をはるかに超え、375人もの方が弔問に訪れてくれた。そりゃ、お香典たりないわけだわ父のことに一緒に涙してくれた方もすごく多かったそこからお風呂に入ったりして、寝たのは3時すぎゆっくり故人を偲んでいる時間は家族にはないこの文化、なんとかならないものか

  2. 夫婦2人暮らしの52歳です。初発で湿潤性乳管がん (炎症性乳がん)ステージ4 ルミナールB 手術不適応告知左胸腫瘍、両脇リンパ転移。炎症右胸拡大。ER(+)PgR(+)HER2(1+)ki67(50)私のこと、告知から治療について日々のことを書いています。『【目次 随時更新】乳がん告知から治療について』52歳 夫婦2人暮らし初発で炎症性乳がん ステージ4告知投薬で延命治療をしています。記事が多くなってきたので目次を作りました。ブログをはじめたきっか…ameblo.jp今年に入ってお客様のご家族が病に倒れ入院されました。その時、お客様がお辛いお気持ちを吐露しゆっくり話をうかがいました。その頃、私は既に乳がん告知を受けていましたが主人以外は誰も乳がんをしらない時でした。後になり、私の乳がんを知って「大変な状況なのに辛いなんて言ってごめんなさい」とお客様に謝られました。私は「人は一人一人、痛みや辛さの閾値は違うから誰かと比べる必要は無いんです。辛かったら辛い、痛かったら痛いって吐き出していいんですよ」とお伝えしたら、泣かれてしまいました。確かに私はステージ4です。ましてや数週間や数ヶ月で悪化する可能性が高く同じステージ4の乳がんより予後が悪いと言われている炎症性乳がんです。それを知って自分より大変な状況なのに・・・と自責の念にさいなまれたのかも知れません。でも、私は今すぐにこの世からいなくなるわけではありません。そう思えるのも自分が脳出血とうつ病になったからです。脳出血は切れどころが悪かったら数日もたたずいなくなっていました。たまたま、出血がすぐにとまり手術をしないことでリハビリが早く始められ右半身マヒから3週間で社会復帰出来ました。開頭手術していたならリハビリ病院に転院する予定だったので復帰は遅れたでしょう。うつ病の時は少しでも体が動くようになったら自分であの世にいく危険もあり主治医の方針で間を開けず診察していました。この2つの方が私にはあの世に近かったと思います。そして私のイタみとツラさの閾値が幅広くなった出来事です。だからイタみやツラさは誰かと比べるものではないそう思っています。例えば、がんは部位によってツラさやイタみは違うでしょうしステージによっても違うでしょう。でもAさんはステージ0だからBさんのステージ4より軽い・楽という誰かとの比較ではなくその人のツラさ、イタみの基準で考えるものだと思っています。基準は人それぞれだからイタいならイタい、ツラいならツラいを訴えていいですよね。ただ、自分だけがツラい訳では無いので自分が大丈夫なときには他の人への思いやりを持てるそんな心を持って生きていたいと思います。

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    「ツラい」とか「イタい」は人と比較しなくていい
  3. 癌が見つかってから今日まで、普段と変わらない生活を送っているので自分が癌患者でステージ4だなんて未だ不思議な感じ。入院中にショートパーマ先生に「私っていわゆるステージ4ってやつなんですよね?」と一応確認したのだが、やっぱり私の認識に間違いはないらしい。で、本日2024年4月22日。腎がんステージ4ですが、思い立って函館弾丸日帰り旅行に行ってきた!仕事復帰に向け体力回復のため欠勤してるので、あまり大きな声では言えないのだが…娘振替休日&私もまだ仕事復帰前という事で、娘と一緒に今日1日をどう過ごそうかと考えていた。本当は日〜月の1泊2日で出掛けられれば良かったのだが、今日普段通り学校がある息子はそれを許してくれない。まぁ、そりゃそうだよね。では温泉でも行ってゆっくり湯に浸かろうか♨️、そうしようそうしようと、南下するつもりで検索していたのだが、ふと北上するのはどうか?と思いついた。👩温泉やめてさ、新幹線で函館行くってどう?👧え!行きたい!北海道初めて!…あなた実は行った事ありますよ。しかも2回。そんなこんなで、昨夜22時半に急遽函館行きが決定したのであります。ほぼノープランで新幹線に乗ったのだが、昨日娘が金森倉庫をネットで検索していたのでそこら辺を中心にぶらぶらすればいいかと思っていたら、函館北斗駅到着20分前に「五稜郭タワーに登りたい」と言い出した。え、全然調べてないんだけどーYouTubeなんか見てないでスマホ返せ、とりあえず行き方調べるから!というわけで函館着きました!函館は2日前に桜の開花が宣言されたそうな🌸マンホールも五稜郭⭐️お嬢様、五稜郭の次は函館山に登りたいとおっしゃいました。チャーミーグリーン♪旧箱館区公会堂金森倉庫現在公開中のコナンは函館が舞台となっているらしく、市内のあちらこちらにフォトスポットが📷滞在時間少ないのに頑張ってあちこち回ったー。とにかく疲れたー。足も疲れたけど腰が限界を迎えた。前屈みになると腰がバキッと音を立てるような感覚、お分かりいただけるだろうか…?でも娘ちゃんが「函館、とっても楽しかったね」と喜んでくれたから、弾丸した甲斐があったってもんよ🤗次は息子っちも一緒に!あ、娘ちゃん、ベッドに入ったら3秒で眠りにつきました。(ちょっと盛った)本日の歩数は16000歩でした。しばらく歩かなくてもいいかな…

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    そうだ、函館行こう
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  5. 皆さん、こんにちはいつも温かい励ましありがとうございます今日無事に入院しましたこれから10泊11日のバカンスです明日と投与日の明後日は心電図付けたり先生方の出入りが激しくなるので費用製薬会社さん持ちで個室です部屋にシャワーは付いてるけど湯船に浸かりたい派の私は入院前に温泉や銭湯で思いっきり浸かってきました♨️今までの入院は婦人科や女性専門の病棟だったので今回同じフロアに男性がいるのはすごく違和感ありますが直に慣れるでしょう面会も外出も不可🈲他のフロアに行く時は許可もらって15分以内病院食は美味しいって聞いてたけど早速出たお昼ご飯は私の苦手なものもあり果物の桃缶🍑だけいただき1階にあるコーヒーショップでフードのテイクアウトをすることにでも10分経っても呼ばれない店員さんに確認したら「○○追加で!」って奥の人に言ってる「え、これから作るんですか?」って聞いたら「すみません オーダー入ってなかったみたいで」って苦笑いしながら言うからもういいですって言ってコンビニ行きました苦笑いしながら謝る人最近多いけどすごく失礼だと思いますその店員さんのせいではないけど「申し訳ありません オーダーが入ってなかったみたいで 今から作るのですが お時間大丈夫ですか?」って言ってほしかった病院内のカフェならなおさらもうここを利用することはないと思いますそんな入院、じゃなかったバカンスのスタートだったけど気持ち切り替えてフロアお散歩でもしてくるかな🐾バカンス始まってまだ4時間。。。先は長いけどがんばります

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  6. 前回から日数が経過してしまいました続きを書きます🙇‍♀️話し合いの後、わたしは体調を崩しました。高熱が出ました。両親も実家に一旦戻ることを許してくれて暫く寝込みました。病院では『風邪』と診断されました。その間もほぼ毎日、夫から実家に電話がありました。わたしと話がしたいので連絡を取ってくれという内容でした。あの時、話し合いをするからと呼び出された時、夫は何も言葉を発しなかった。話がしたいのでは無いと思いました。暴力を振るわれる。そう思いました。出て行ったわたしに腹が立っているのは間違いありません。今度こそ、🔴される。そう思いました。震えました。両親も最初は『本人はここには居ない』『こりらからは連絡も取れない』と言っていましたが、連日続く電話攻撃に疲れていました。(口には出さなかったけど)熱も下がった頃決心しました。夫と会おう。🔴されてしまったらそれはわたしの運命だ‼️でも、そうなったら息子は犯罪者が父親になってしまう‥‥そんなことも考えました。結局、わたしが逃げた為に、両親にも迷惑を掛けています。息子にも‥‥元気にしているだろうか‥ご飯をたべているだろうか‥泣いてはいないだろうか‥毎日考えます。苦しくなります。今、思い出しても苦しいです。こんな状況は終わりにしなくては‥‥息子と2人で家を出た時よりも緊張しました。スマホもなかった時なので連絡手段は固定電話📞だけです。実家にいるのがバレたら困る。どうやって連絡をとろうか‥‥考えました。

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  7. 昨日から、お百度参りを昼間にしていた。自宅の近くに階段の長い神社がある。妻が、よく子どもたちと散歩に来ていた。信心深い方ではない。ただ、妻を助けられる可能性があるなら、何でもやろうと決めていた。鳥居を抜けて階段を駆け上がり、お参り愛ちゃんの病気を治してください。愛ちゃんを元気な姿に戻してください。そうお祈りして、何度も昇り降りお参りしている時、愛ちゃんの顔が浮かんだ。たくさんの笑顔と優しい声がずっと響いていた。失いたくなくて、ひたすらお祈りした。雨が降っていたけど、泣いていたから、気にならなかった。42回で昨日は終わって、愛ちゃんの付き添いに行った。今日の朝脛が痛い。でも、今日で100回やるって神様に約束したので、神社へ今日は、晴れて暑かった。のどが渇いて、汗で前が見えなくて何度も階段で転びそうになる。去年私は、ハーフマラソンとフルマラソンに1回ずつチャレンジしたことを思い出す。人生初のマラソンだった。当日、妻が子どもたちを連れて沿道で応援してくれた。パパー!!なんて言う妻と子どもたちの声は、まだ耳に残っている。また、あの声を聞きたい。そう思うと、また涙が出てきた。神様お願いします。愛ちゃんを助けてください。そうお祈りしながら、ひたすらお参りした。今日58回合計100回やって、帰宅すぐに子どもたちを迎えに行って、病院へ久しぶりの子どもたちの面会だった。愛ちゃんは、あまり具合が良くない時だった。寝ていて、声をかけても少し頷く程度だった。長男が、ずっと妻のそばで、ママ!ママ!と言っていたが、少し頷く程度だった。長女は、保育園で、作った工作を妻に見せていた。紙で作った王冠で、コーンの絵が書いてある。妻が少し微笑んでくれた。それでも、すぐに眠ったので、その日はすぐに帰宅した。夜付き添いをしていたお義父さんから電話すぐに来てくれ子どもたち二人を抱えて病院へ意識のない妻とお義父さん、看護師さん呼吸はあるが不規則だった。確認すると、食後具合が悪くなって、脈と呼吸が弱くなっていたので、呼ばれたそうだった。お百度参りをして、すぐにこれは堪える。妻にゆっくり話しかける。みんな来たよ。落ち着いてゆっくり目を開けて。  そう言うと、妻は、目を開けて、長女に焦点を合わせた。ゆっくり落ち着かせて、徐々に回復10分くらいで体を起こすようになった。長女が妻を心配する。お風呂からあがったばかりの長女は、髪が濡れていた。妻が、ありがとうと反応する。嬉しくなった長女は、妻の前でおどけて見せる。手を降って歩いたり、ジュースを飲んでビール美味しい!と言ったりママ、元気になったら一緒にビール飲もうね!   なんて、言っていた。子どもたちが帰った後、2度ほど呼吸が変になる。落ち着かせて、落ち着かせて。その際、鼻に入っていたチューブが抜けてしまう。夜間は対応できないから、明日の朝再び入れてくれることになる。その後は、喉が乾いたという妻に、少しずつスポンジに含ませたお茶などを飲ませていた。朝方昨日の夜中にお義父さんが実家に帰ったと連絡がくる。昨日の急変を見て、妻のおばあちゃんたちを連れてきたいと思ったらしい。元々、お義父さんは疲れていたので、今日は1日俺が病院にいる予定だった。休んで、体力気力を回復してほしかったが、仕方ない。徐々に、妻の容体が下っていると感じる。それに合わせて、支える側の体力や気力も、限界に近い気がした。

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  8. 2020年〜下行結腸癌ステージ4(肝臓、肺、大動脈多発性リンパ転移、骨転移、braf600E遺伝子陽性・MSI-H)・1thライン(エルプラット+エスワン)・2thライン(BEARCON)・3thライン(キイトルーダ)・骨転移部位放射線治療・無治療約2ヶ月半・4thライン(イリノテカン)・5thライン(ロンサーフ)・肺ラジオ波治療(2022年6月〜)・2023年12月抗がん剤終了⇨痛み緩和と局所治療へ徒然日記な感じで自分の備忘録もかねて癌発覚から現在までの経緯を発信しています。こんにちはいつもご訪問頂きイイネコメントもありがとうございます実は一昨日の夜中に救急で運ばれそのまま入院しています16日に呼吸が苦しくなってきた症状から新たに緩和照射の放射線を受けたのですが呼吸の苦しさが日中でも頻繁に来るようになったりみぞおちのから下腹部の痛みも出てきて訪問診察からイレウスの疑いもありということの所見でそのまま救急でという流れで…地元の元の病院へ運んでもらいCT造影剤の検査の結果イレウスではなかったのですが…水分不足やなんやかんや状態も思わしくないのでそのまま入院となったのです…昨日一日は外科病棟に入院したのですが昨年末に緩和病棟の面談も済ませていることから病室も空いたので緩和病棟へ午後からうつりました外科の先生からの説明では緩和病棟のイメージに誤解があるようなので説明しますが…という前置きがあった上で「緩和に入ったからと言ってもうそう死ぬまで出られないって事はなく元気になれば退院もできるから」と「そんなネガティブなイメージは持たないで」などと言うことも踏まえた説明があり私自身も最近一人で家にいることの不安や辛さもあったので承諾し入院する決意をしたのでした入院してから管が沢山付いていましたが昨日夕方からそれらも外され体もずいぶんと楽になりブログも書く気になりました抗がん剤が終了になり全身治療ができなくなって来てからせめて局所治療もしてなんとかつないできましたが…治療していない他の部位の体の中の腫瘍はかなり悪い状況ですですが…なんとか生きておりますいろいろ不安や恐怖も出で来そうではありますが一人暮らしの闘病生活の辛さや不安を改めて実感した次第ですが…入院したことでそれらは多少解消されています生存確認もありご報告させて頂きました☺️ではでは…また体調の良い時にアップ致します穏やかな一日になりますよう

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    急遽入院
  9. 娘の「退院する!」という力強い宣言を聴き、私の覚悟も決まった。自宅療養は難しい病気であること。すぐにぶり返して病院に戻ってきてしまう可能性が高い病気であること。私は、全てを承知のうえ「このまま退院をします!」とお医者様に宣言したんだ。だって、100%無理だという訳ではないのだから。今の娘だったら、絶対に摂食障害を克服、完治できるって信じていたから。お医者様は、それ以上、精神科への転科のお話しはせず、退院に向けてのお話しをしてくださった。退院することは認めるので、精神科の外来受診は必ずするように言われた。ただ、精神科の受診を希望する方はとても多く、順番待ちをしている状態とのこと。緊急性の高い子どもから優先的に予約が取れるそうなので、恐らく娘は予約が取れるとは思うが、確約はできないとのことだった。そんなにもたくさんの子どもが心を痛めているのか…と、私はそのとき初めて知った。お医者様はとにかく、すぐに受付で精神科の予約申込みをしておいて下さい、と教えてくださった。そのとき私は、もし、こちらの病院で精神科の予約が取れなかったらどうしよう…と、とても不安だったことを覚えている。面談を終えた私たちは、病室で抱き合って泣いた。よく頑張ったね、ありがとうって。あの時は、本当に本当に幸せだったな。やっと私たちの頑張りが認められたって。でもね、頑張って、頑張って手に入れた幸せって、すごく、すごくもろかったんだよね。今想うとね。そんなことを知らない私たちは、退院を認められたことで、会話が180度変わったんだ。今までは、二人とも未来のことが話せなかった。だって、この先どうなるかわからなかったから…。でも、退院が決まったのだから、未来の楽しい話しをしても良くなったのだ。私たちは、退院したら何をしたいか、まず何を食べようか、どこにお出かけしようか、そんなキラキラした未来の話しをしたんだ。楽しかったな。私たちの未来は、もう、ここからキラキラ輝くだけだって信じていた。信じていたんだ。あの時は。まさか、もっと辛い日々が待っているなんて、私は1ミリも疑っていなかったのだから。ひとり時間は自分と向き合う時間♡

    退院する覚悟
  10. 令和6年4月23日(火)怒ってかんの!笑ってGO!!いつも『ありがとう』こんばんは、ひろパパです。子供達が、昨夜から心配して交互に寝室に入って来ては、ベッドに潜り込んできます。「大丈夫だよっ!」て伝えます。隠しても、やっぱり分かるものなんですね。もう十分な大人に成長していますから、当たり前ですね。寝室のホワイトボードに、娘達からのメッセージが描かれています。元気な時と辛い時の落差が激しくて、急に変化するから周りが大変です。仕事はお休みし、朝から横になっています。たまたま休日の長女が、私のベッドの下でゴロゴロしていたらしく起きたらびっくりしました。ごめんね…心配かけたね。腹膜播種が、お腹の中で大暴れの悪さをしているのだと思います。腸がいじめられています。絶対に負けませんから。冷静に、痛みの波を数えています。無理にでも口角上げて、応戦しています。必ず、倍返ししてやります。絶対治る。絶対治る。絶対治る。今日は、この辺で。皆さんからの応援メッセージしっかり読めています。頑張ります。おやすみなさい。では、また。

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    冒険日記【422日目】〜倍返ししてやる〜
  11. 血小板どうした?
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    非公開または削除されました
  13. 尿管ステント交換のご相談と、帽子&ウイッグ
  14. samecoのブログの内容は半月遅れダラダラ書き留めたことをゆっくりアップしてます週1で通院してるから外来ネタ多めです  今日は採血4本いつもここ?ここで良い? 毎週やってるから 何となく残ってしまってる採血痕どこでも良いですよー針が嫌いなだけー 針刺す時は横向いてたけど 初めて血を抜くとこを見てみた 針が腕に刺さってる 細い管を通って採血容器に溜まっていく 自分の血が抜かれていく 不思議な感覚  内分泌科の受付前 提出マストの血圧と身長体重を測る あれっ?先週より4kgも減ってる 合ってる?これ? 利尿剤のお陰かなぁ お腹の張りも少なくなった感じがする 相変わらず内分泌科の待合は混んでる 席が空くまで立って待つ 呼ばれてまず中待合室へ そしてやっぱり時間通りに呼ばれない 20分遅れで診察室へ  たんたんとしたおじいちゃん先生に 主治医先生と話したこと伝えてみる毎週産婦人科に来るから薬は産婦人科でも、専門の先生に診て貰った方が良い  それならややこしいから薬はこちらで出しますよコレステロールも高いけど言われてない?これも薬出しときますねどれですか?? どの数値か分からなくて聞いてみる おじいちゃん先生は 血液検査結果に印をつけてくれない  コレステロール高いって言われると デブのイメージしかない 毎週来てるなら2週間後でも良い?はい   私の声ちっさっ まだおじいちゃん先生に慣れず 人見知り中だわ 内分泌科の3分診療終わり 

    外来 採血から内分泌科
  15. こんにちは、はーちゃんです。こーちゃんがいなくなってからもう、10日も経つんですね。早いような遅いようなよくわからない感覚です。今日をもって、色々な介護設備が我家から全て無くなりました。在宅で看取ると一緒に頑張ってきた設備が無くなる後から来る寂しさもあるんですね。忘れてたので、予定外に少し辛かったです。医療関連(点滴や薬・たん吸引機)→4月13日に回収されました。酸素発生器→4月18日に回収されました。在宅介護設備(介護ベッド・車椅子・トイレの手すり・お風呂の椅子)→4月23日に回収されました。義両親も広島の自宅に帰宅(4月16日深夜)されているのでお部屋がとても広くなりました。やっと、20代夫婦らしい部屋の広さと家具・2人だけの空間になりました。病気を見つける前の昨年3月に、この家に引っ越してきて、やっと家の整理もついた4月と同じ感覚があります。今から何か新しいことが出来そうな楽しいことやワクワクすることが始まりそうなそんな明るい感覚があるのに隣にこーちゃんが居ないのです。結婚して一緒のお家で暮らし始められた喜びもこんなに辛くしんどかった闘病生活も、全て夢だったんじゃないか?私、本当に結婚したんだよね?夫がいたんだよね?普通に復帰するために頑張ろう!やれることから1つずつ終わらせよう!そう感じるくらい、今は、寂しさよりも戸惑いのほうが強い気がします。普通の新婚さんだったら、新婚生活の期間に結婚したことも夫婦になれて過ごせたことも名前が変わったことも名前に慣れることも自分たちの気持ちが幸せに満ち溢れていることも夫婦である幸せもお互いかけがえのない信頼できる人と再認識することも全てが実感できる期間が、本来は、この1年だったんだろうなと思いました。私達は、それらの実感を持つ前に病気と闘わなきゃ信じられる人は夫婦しかない少しでも同じ時間を共有したい夢や希望は叶えられるだけやり切るしかない協力しなきゃもっと最悪になるお互いにすがっていたんだなと思いました。自分のためには頑張れないけど、互いを悲しませないためなら力を振り絞れました。大切に思える相手が居て本当に良かったとも辛いけど実感できました。残された時間に抗いながら少しでも、普通の夫婦が感じる幸せを私達も得られるように愛情と努力を惜しみませんでした。病気を見つけてから1年余命宣告されてから半年こーちゃんが隣からいなくなることは頭で理解してきたし、辛くならないように夫婦でたくさん思い出や記録を残してやれる対策は全て頑張ってきました。おかげで、やり場のない悲しみや寂しさは持たずに済んでいますし、やりきった達成感や開放感、お互いの頑張りをみんなに伝えられるほどの自信は間違いなくありますが…戸惑いだけは、どんなに対策をしても対応できないんだなと初めて学びました。病気に関わるものが無くなったこの家で病気から開放されたのが、書類上だけでなく生活環境からもひしひしと、私に伝わり始めています。今までは、私の時間の許す限り全てを使ってこーちゃんを支えていたので辛いながらもやることが山積みで落ち着く暇もありませんでした。1日27時間くらいあるんじゃないか?と思いながら忙しく楽しく過ごしてました。そんな日々も、一瞬で過ぎたんじゃないかと思うくらい幻にしたくないと思っていた私が1番、幻だったんじゃないかと感じているくらい夫の居ない時間の流れがよくわかりません。夢だったんじゃないか?という錯覚から抜け出せませんが…やっぱり、こーちゃんは居ませんね。少しずつ、私自身の気持ちが理解できるようにゆっくり向き合っていきたいと思います。私の体も、ストレスや無茶な生活のせいなのか色々ぼろぼろだったみたいです。こーちゃんが居なくなってから日に日に、過剰な睡魔や胃痛、吐気、腹痛、頭痛、倦怠感が襲ってきています。病院で検査したくらいには私の体も疲弊してたようです。家族や友達からも『今度は自分のための療養期間だよ。ちゃんと食べてよく寝てゆっくり過ごしてね。』と言われますが…体を休めるために何もやることが無いのもそれはそれでよく分かりません。そもそも、自分のために頑張るのって一番難しいです。ぶっちゃけどうにでもなれですね今はとりあえず、母に短期間でも手伝いに来てもらったり3食何かを食べて眠くなったら体の思うままに休めて無心になってます。もう少し回復したら、また、瞑想でも始めたいですね。仕事も明日から復帰してみます。優しい先輩たちがこの私の休みの期間にご飯に連れて行ってくれました。人と合うと、少し、みんなの言う普通に触れるリハビリができました。私達夫婦の頑張りも聞いてくれました。『元気そうで良かったけど、まだまだ、無理をせずにゆっくり会社に慣れていいよ』と言ってくれる人の温かみは本当にありがたいです。夫とは同じ会社だったので、会社で夫を探さないで済むようにもう少し、回復するまでは先輩達に甘えつつやれることから少しずつ、みんなの言う普通に戻っていきたいと思います。まだまだ、手続きや引越などやることがたくさんありますのでそれら全てが終わるまでは、このブログものんびり続けようと思います。こーちゃんの頑張りやはーちゃんの家族としての頑張りが、今もまだ病気と戦っている人たちの参考や励みになれば幸いです。

  16. てつそうです。いつも、いいね、やフォローをありがとうございます。 とても、励みになります。こちらは、肺がんステージ4と診断された自分の生活と、その心の変化を日記として書いています。前回の記事の続き、父親からの電話。【 真相解明編 (笑) 】です。妻が、夜中の母との電話で事件の真相を聞いてくれた。実家の地域は、電気配線に倒木で配線が切れて、昼から停電していたそうだ。実家では、父がたくさんの金魚とメダカを飼っている。金魚の水槽にはブクブクがあり、停電で動かなくなった!と、近所の人から、発電機を借りて使っていたそうだ。玄関で発電機を動かしたまま、父は、近所で焼き肉をする、と出かけた。真っ暗な家に、母が一人で夜を迎えて、暗くなると田舎の夜はまだ寒く、ドアや窓も締めたそうだ。母が言うには、夕食の後、気分が悪くなり、トイレで倒れ込み、そのまま起き上がれなくなった、と。意識はあったが、寒くないのに体が震えだし、(妻は、痙攣やったんやろね、と言ってた)そこへ、父が帰宅。呼びかけられて、最初は応答できていたが、だんだん気分の悪さが増し、返答もできなくなった、と。自分と父親が、電話越しに怒鳴り合っているのは、母にも、聞こえてたそうだ。やっと救急車が来て、玄関あけるなり、救急隊員が、『ガス臭い』と、言っていた、と。救急車で運ばれて、病院につく頃には、気分の悪さも、震えも、治ってたそうだ。トイレは、玄関の隣に在る。僕は、20歳の時に取得した危険物取扱責任者の免許(乙四)を持っている。発電機は燃料が重油で、それから発生していたガスで、一酸化炭素中毒による体調の急激な悪化だった。父親は金魚と活かすために、母を死なせてしまうところだった。書いてて思うけど、マジヤバイな!!!毒親過ぎるやろ?!!しかも『俺が早く帰ってきたから、助かったんや』って、はァァァああ????どの口が言う??母も、怒ればいいのに、『おとうさんも気が動転してたんやわ〜。あんなでも、気が小さいところもあるんやに』って、妻に、父をかばうような話をしてたそうだ。妻は『まぁ…夫婦で“良し”なら、ええんちゃう?』っていうけけど。 自分は、どこか、『良し』とは納得できない気持ちがある。散々、苦しんできたし。今回のこと、『良し』なのか?母にも、僕にも、もちろん妻にも、謝りもせず。『良し』なのか?『良し』で、いいのか?せめて、『悪いことした…なんてことしたんや』って、少しでも思ってくれたら、救われるけど。 父は、痙攣してる母をみつけ、救急車を呼ぶわけでもなく、僕に電話をしてきた。『すぐに来い!!!』って怒鳴られた時、『娘二人おって、一人は熱あるんや』って言ったとき、『そんなんどうでもええやろ!!!』って怒鳴られた。肺がん治療をしてる僕に、夜の9時過ぎに、6歳児と、発熱してる1歳児を連れて、街灯もない田舎の細道を、車で片道45分かけて、すぐ来いという父親。自分で助けようとは思わず、『お前がなんとかしろ!!』と言わんばかりのセリフ。気が動転していたにしても、そこに謝罪の気持ちもなく、『良し』には、僕にはできない。それをたとえ母がかばっても、『許すよ』とは、ならない。妻は僕の気持ちをよく知ってくれてる。『親に寄り添って……』なんて、微塵も言わない。『てつそうの思うようにして良いと思うよ』と、思ってくれてる。親との仲よりも、僕の気持ちに寄り添うことを大事にしてくれるのが、わかるから。だから、ぼくは、自分を責めなくて済んでる。毒親やーとはわかっとったけど、今回の事件は、改めて、実家のひどいっぷりを味わったそんな真相でした!!(もう、当分ええわ…)

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  17. 冒険日記【421日目】〜痛みと闘うの巻〜
  18. 楽しんでた人たち