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  1. 皆さま、おばんです!昨晩、2泊3日の北海道旅を終えて無事に仙台に帰ってきました。結局のところ、3日間とも心配していた降雪に遭遇しなかったのですけど、最近の自分、ちょっと神がかってません?今回の旅のメインは室蘭本線の駅巡り。一昨日は、木造駅舎が魅力的なこちらの駅に訪れました。室蘭本線・静狩(しずかり)駅です!静狩駅のことを何も下調べせずに来た自分、立派な木造駅舎を見て溜息をついちゃいましたよ。まさか、室蘭本線にもこんな立派な木造駅舎が残る駅があったとはね…昭和58年刊行の「北海道690駅」に掲載されてる静狩駅は漆喰(しっくい)塗りと思われる白壁の駅舎を持つ駅でした。現在の駅舎はその写真よりも古めかしい印象です。静狩駅は大正12年に開業、昭和61年に無人駅化されたのちに改装工事が行われてますので、その際に、昔ながらの木板張りに戻されたのかもしれませんね。正面のレトロな駅名標もその時に交換されたモノかと。駅舎の中は有人駅時代のまんま、待合室スペースがとっても広く取られてました。ネット見て驚いたのですけど、こんなに広い待合室がある静狩駅なのに、1日の利用者はわずか3人前後しかないそうです。駅前には民家が並び、しかも近くには小学校もあってこの数字に違和感を感じたのですが、そもそも静狩駅に停車する列車は1日に上下合わせて9本しかないのですよね。鉄道が利用しにくいから乗客の数が減ったのか、それとも利用者が少ないから列車が減便されたのか…道内でそれを問うのは愚門ですので、この話題はここでおしまい。駅施設を眺めることにしました。まずは駅舎の中、の前に…駅便!国鉄時代の静内駅の駅舎って、こんな感じの色をしてたのですよ。この駅便も相当古いモノのような気が。駅便(駅の便所)の写真をパシャパシャ撮っていたら、たまたまいらっしゃった保線員さんが物珍しそうにこっちを見てました。重要不審人物でどうもすみません。こちらは駅舎内に掲げられてた絵画です。説明書きによれば、町民の皆さんが行った駅舎の整備に対し、当時の長万部駅の駅長さんから贈られたモノとのこと。駅長さんお手製の絵画なのでしょうかね?描かれたのは静狩地区から見た小幌海岸だそうです。秘境駅である小幌駅近くからも見える海岸ですよ。静内駅のお花の駅長さんは静内小学校の児童さん。8名の児童さんが写ってますが、現在は更に少なくなった模様。構内にプランターはありませんでしたが、この活動、今でも続いているのかしら?児童数が少なくて大変でしょうけど。続いては駅構内をチェック。静狩駅は相対式&島式ホームによる複合2面3線構造でした。駅舎とは反対側の北側に保線車両を留置するための側線がありましたよ。これは各地の駅構内でよく見かけるヤツ。そしてあまり見かけないヤツ。車両に詳しくなくて本当に申し訳ない。静狩駅はですね、駅舎だけではなく景色も素晴らしいのですよ。こんな絶景を独り占め出来るだなんて、駅好きで本当に良かった。駅名標を見ます。長万部駅がシール貼りになっているのは、かつて西隣には平成18年に廃止された旭浜駅があったから。JR北海道の駅の縮小が始まったのは、昨今の出来事ではなさそうですぜ。さてさて、今回、静狩駅に来た目的は駅巡りを楽しむことはもちろんですけどもうひとつ、お隣の小幌駅に向かう拠点としてでもありましたの。日本一の秘境駅として名高い小幌駅は列車以外の手段では到達出来ない駅で、訪れるには上下合わせて6本/日しかない列車を利用するしかないのですよ。小幌駅にサッと来てサッと帰るのなら、15:13着の上り列車で来て、15:44発の下り列車で帰るのが手軽ですが、これですと、小幌駅から歩いて20分ほど先にある秘境の岩屋海岸を探索することは出来ません。そこで選んだのが、15:44着の下り列車に乗って17:39発の上り列車で帰るパターン。これなら小幌駅に2時間近く滞在出来るので岩屋海岸に行って帰ってこれるわけです。実はこのパターンも問題があり、11月のこの時期ですから陽が沈む時刻が早いってことです。小幌駅に着いて、辺りが真っ暗じゃ海岸どころじゃありませんからね。でもでも、こればかりは行ってみなきゃ結果はわかりません。…ということで、静狩駅から下り列車に乗って小幌駅に向かったのですが、1回じゃ書ききれませんので次回に続きます。(小幌駅の訪問記もチェックくださいね)【まったり駅探訪】室蘭本線・小幌駅に行ってきました。(前編)【まったり駅探訪】室蘭本線・小幌駅に行ってきました。(後編)訪問駅リスト(JR線)室蘭本線(長万部駅-東室蘭駅)↑(長万部駅方面)静狩駅(平成29年11月14日)小幌駅(平成29年11月14日) 前編 ・後編礼文駅大岸駅豊浦駅洞爺駅有珠駅長和駅伊達紋別駅北舟岡駅稀府駅黄金駅(平成29年11月14日)崎守駅本輪西駅↓(東室蘭駅方面)駅探訪記、旅情報を不定期に更新中。新着情報がすぐ受け取れる読者登録をお願いします!

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  2. 昨日自分の父が入院先の病院で亡くなりました。9月に母が急逝してから2ヶ月で、後を追うようにこの世を去ってしまいました。今頃はあの世で母と再開し、びっくりしていることでしょう。母が亡くなったことは伏せておりましたので・・・最後は衰弱し意識は無く、脈拍が速くなり、血圧がどんどん低下し、やがて心臓が停止しました。苦しむ様子も無く、その瞬間まで傍に居られたのがせめてもの救いでした。連れ合いの両親も既に亡くなっており、親と呼べる人が全て居なくなってしまいました。これからは何があっても自分ですべて考えなくてはなりません。今は育ててくれた両親への感謝の気持ちでいっぱいです。ただ親孝行らしいことは何も出来なかったことが悔やまれます。これからしばらくは葬儀、契約関係変更や財産分与等の手続きで目の回るような日々が続くと思いますので、ブログの更新をお休みさせて頂きます。本当は連れて見せてあげたかった鎌倉の紅葉を両親への思いを込めてお届けします・・・覚園寺の様子まだまだですね・・・報国寺の様子銀杏は多少色付いていますが、モミジはまだです・・・浄妙寺の様子ここの一部のモミジはとても鮮やかな紅に染まっていました・・・浄明寺内にある石窯ガーデンテラスの先に足利直義の墓がありますが、あまり脚を運ぶ人が居ないようです・・・一番奥には竹林があり色付いていました・・・皆様におかれましては寒さに向かう季節ゆえ、風邪などお召しになりませぬように元気にお過ごし下さい。

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  3. 蒲田から多摩川まで東急電鉄多摩川線(東急多摩川線)の1000系1017F(T.K.K.スタイル、きになる電車)による多摩川行きに乗りました。きになる電車は、1951(昭和26)年から1966(昭和41)年までの間に初代3000系(デハ3450形)に施されていた紺色と黄色のツートンカラーが復元され、内装のほうも、きになる(木になる)電車らしく、濃い木目調となっており、木の吊革が使われています。きになる電車が登場したのは、昨年3月28日のことであり、同年12月1日に木になるリニューアルが行われていた池上線の戸越銀座駅とのコラボレーションもあります。きになる電車に初めて乗ったのは、昨年5月5日の池上線の蒲田→五反田間のことであり、その前に多摩川から蒲田まで、7700系の7914F(歌舞伎顔編成)で移動したことを覚えています。東急1000系は、1988(昭和63)年から1993(平成5)年に掛けて、日比谷線直通専用8連8本、日比谷線直通・目蒲線兼用(1000N系)8連2本、池上線・東急多摩川線用(1000N’系)3連11本の計113両が導入されていました。車体は、当時増備が進められていた9000系(現在は大井町線で活躍中)がベースとなっているので、9000系の3ドア18mバージョンでもあります。こうなったのは、当時直通運転が行われていた営団地下鉄→東京メトロ日比谷線で、3ドア18mの8両編成しか入れなかったことの影響であるし。日比谷線直通で営業運転が開始されたのは、1988年12月26日のことであり、当時は、1001F(現在は東急多摩川線、池上線用の1501Fとなっている)の1編成だけでありました。1002Fは、昭和64年(1989年の1月1日から1月7日までの間)に落成していた為に、東急車輛 昭和64年の銘板があったけど、1502F化により失われています。小田急電鉄の1000形1252Fも昭和64年に落成した車両(こちらは日本車輌製)として有名であり、日本車輌 昭和64年の銘板がありました。こちらは、リニューアルされたと共に、1052Fとドッキングされた10両固定の1096Fとなった為に、昭和64年の銘板が見られなくなっているし。これによって、1991(平成3)年までの間に、日比谷線直通で活躍していた初代7000系の全てが置き換えられていました。日比谷線直通で活躍していた1000系のうち、1990(平成2)年に導入された1010+1011Fと1012+1013Fは、目蒲線での4両編成としても使えるように4+4の8両編成となっていたけど、目蒲線で使われた時にはどちらかが正面に貫通ドアのある顔つきとなっていました。現在は最初に日比谷線直通から撤退していた1012Fと1013Fがそれぞれ3両化された上で正式に池上線、東急多摩川線用となり、正面に貫通ドアのある先頭車が1013Fに纏められています。1010Fと1011Fに関しては、1006Fと共に先頭車を含めた一部の車両が200系として伊賀鉄道(三重県、旧近鉄伊賀線)に譲渡されていたし。伊賀鉄道は、近鉄の南大阪線系統や近鉄養老線(現、養老鉄道養老線)と同様に、1067mmの狭軌であり、近鉄時代は伊賀神戸(いがかんべ)駅で接続する近鉄大阪線(こちらは1435mmの標準軌)との違いが表れていました。伊賀鉄道の車両が200系に置き換えられるまでの間は、近鉄から継承された860系が使われていたし。伊賀神戸駅の神戸は、こうべではなく、かんべと読むので注意が必要となります。このことは、わたらせ渓谷鐵道のわたらせ渓谷線の神戸駅(群馬県みどり市、元東武鉄道1720系DRCの中間車が使われたレストラン清流のある駅)で、こうべではなく、ごうどと読むことと同様であります。1989(平成元)年3月29日にわたらせ渓谷鐵道に転換される前(国鉄→JR足尾線の時代)は、兵庫県にある神戸(こうべ)駅と区別する為に、神土駅と呼ばれていたし。1991年には、目蒲線で7700系化の対象から外された初代7000系の置き換え用として、1000系の1014~1018Fが導入され、翌年の1992(平成4)年に池上線での車両限界拡幅工事が完了するまでの間、目蒲線(4両編成)で暫定的に使われていました。池上線の車両限界拡幅工事が完了してからは、1018~1023Fの先頭車と、最終増備車であった1024Fが導入され、1014~1018Fが本来の3両編成となって池上線に移され、7200系とのトレードが行われていました。1014~1018Fの中間車のうちの1両(デハ1219~1223号車)は、1018~1023Fに組み込まれていたし。これにより、池上電気鉄道の時代の1930(昭和5)年6月に導入されたデハ200形(玉電の200形とは別)以来63年ぶりに導入された池上線の新車として話題になっていました。初代3000系列全廃後の1989(平成元)年3月から1993(平成5)年までの間の池上線は、7200系または7600系が当たり前となっていたし。1986(昭和61)年6月まで目蒲線で活躍していた青ガエルこと初代5000系が池上線で使えなかったのはやはり、車両限界の絡みでありました。初代5000系が吊り掛けモーターの非冷房車だった初代3000系列(デハ3450形)よりも先に東急線から全廃されていた理由は、直角カルダン方式で非冷房車だったことに加え、地方私鉄への譲渡の依頼があったからであります。地方私鉄に譲渡された初代5000系のうち、熊本電気鉄道(熊本県)に譲渡された車両(5000系改め5000形)が最後まで活躍していたけど、元営団地下鉄→東京メトロ銀座線で活躍していた01系改め01形の導入により、昨年2月14日をもって営業運転から離脱されていました。現在は最後まで活躍していた5101A(元東急デハ5031)号車がイベント用として北熊本駅構内(車両基地)で動態保存されています。1986年から2000(平成12)年まで松本電鉄(現、アルピコ交通)上高地線(長野県)で活躍していた元東急初代5000系改め5000形のうち、5005+5006(元東急デハ5055+5048)号車が東急時代の青ガエル塗装に戻された上で新村車庫で静態保存されているし。2007(平成19)年から2008(平成20)年に掛けて新7000系の7101~7104Fが導入された時に1000系1014,1015,1016,1018Fが、2両化された上で上田電鉄別所線(長野県、東急グループ)に譲渡され、元東急の7200系が置き換えられていました。上田電鉄では、東急1000系の1005Fに連結されていたデハ1305号車とデハ1255号車から改造された6000系(さなだどりーむ号)もあり、7200系の7255F(元東急7258F、まるまどりーむ号)が残されています。1993年に7200系が入ってくる前は、元東急の初代5000系や5200系が使われていたけど、廃車後には、5001号車は、東京渋谷のハチ公口(カットボディの待合所)、5201号車は製造元である東急車輛製造→総合車両製作所横浜事業所、5251号車は下之郷車庫でそれぞれ静態保存されているし。2008年10月26日に自分(しゃもじ)が上田電鉄別所線に初めて乗りに行った時には、行きが7255F(まるまどりーむ号)、帰りが1002F(元東急1018F、自然と友だち1号)に当たっていました。1017Fは、1991年に目蒲線に暫定的に配置された1000系の5編成で唯一残された編成となっています。多摩川駅は、多摩川園駅時代の1994(平成6)年11月に地下化される前は、同時期に地下化された田園調布駅と同様に、西側に東横線、東側に目蒲線が入っていました。地下化された当時は、田園調布~多摩川園(現、多摩川)間で、暫定的に連絡線が使われていたし。東急池上線で、五反田~旗の台間で品川区、長原~蒲田間で、大田区を通っているけど、東急多摩川線では、全区間大田区を通る路線となっています。目蒲線の時代は、大田区に加え、品川区、目黒区、世田谷区も通っていたし。1017号車は、ハイスピ(HIGHSPIRITS)のゆきのんこと千葉憂紀乃氏(北海道出身の道産子)の誕生日の番号であります。1017Fは1017+1217+1317号車である為に、昨年4月16日までステーション♪で活躍していたかなちゃの誕生日の番号である1117番は欠番となっているし。かなちゃは、17回目の誕生日を迎えたのであります。今日は17日ということで東急多摩川線の1017Fを話題にしました。11月17日は、TOKIOの最年長のリーダーである城島茂氏の47回目の誕生日でもあります。TOKIOということで、2003(平成25)年10月1日の東海道新幹線(JR東海)の品川駅開業の時にリリースされた、そのCMソングである「AMBITIOUS JAPAN!」を思い出します。2014(平成26)年11月17日に自動車の世田谷ナンバー(世田谷区のご当地ナンバー)が導入されてから3年経ちました。東急池上線沿線は品川区、大田区共に品川ナンバーの地域であるし。品川ナンバーは、東京陸運支局の本庁舎が品川区(東大井)にあることが由来であります。伊豆諸島(大島、八丈島等)や小笠原諸島を走る車も、大都会のイメージの強い品川ナンバーとなっていることで違和感があるし。品川駅は、品川区ではなく、東京都港区にあるので注意が必要であります。杉並区のご当地ナンバーである杉並ナンバーも3周年を迎えていたし。現在東横線で活躍している新5000系の5122Fには青ガエル風のラッピングが施されており、それにはT.K.K.の表示もあります。現在日比谷線では、東京メトロは03系から13000系へ、東武鉄道(乗り入れ車)が20000系列から70000系(どちらも4ドア20mの7両編成)に順次置き換えられているけど、東急線と日比谷線との直通運転が廃止された為に東急側では幻となっています。東急電鉄での4ドア20m車の7両編成は、大井町線の急行で実現していたし。このように、東急多摩川線でも1017F(きになる電車)に乗ることが出来て良かったです。

  4. 16日は、麗子さん(X0編成・試験車両)を追いかけました。そのおかげで、東京駅でS51とT5の並びを撮ることができました。麗子さん、さまさまです。(笑)まずは、三島駅からスタートです。こだまで三島駅に着く前に、麗子さんがスタンバイしているのがわかって、「やった」と思いました。三島駅の複雑な渡り線を通って入線です。これまであまりふれてこなかったかと思いますが、麗子さんの車両番号は、「9000番台」です。三島駅は、島式なのでホームが広く、うしろに下がってズームすれば、2号車のアンテナが土台からはっきり見えます。ごっつい土台に乗っていますね。これが「ダブルアンテナ」ですが、東京駅で「愛ちゃん」を待っていた人は、「2本のツノ」と言っていました。麗子さんは女性なので、やはり「ツノ」ではなくて、「ダブルアンテナ」と言ってほしいと思います。(笑)しかし実は、この2号車の方は、「ただの飾り」という話もあります。(笑)次は、東京駅です。ここは、麗子さん以外の方がメインになりました。列番は「7883A」「U14」なので、14番線だとわかりますね。ここでは、内部の張り紙なども見えました。重複になるので、「10/16の東京駅」の方を見てください。そして所用をすませて、新横浜で迎えました。3回目です。この日もやはり、364スジでの到着発車です。名古屋~新横浜で、通常の新幹線より、3分の時短で走行しているのです。300キロ(以上)の速度で、走行実験をしているのでしょうか?16号車の内部ですが、ガムテープがオレンジ色に変わって(?)いました。そして、最後の4回目は、折り返しの下りです。「8605A」での走行ですが…到着前に、業務放送が流れました。「…605は、17時11分45秒着…」予定の時刻に到着ですが、この係員の人が乗り込むための放送かと思いました。しかし、そうではなくて、そのまま麗子さんは、三島に向けて発車して行きました。こちらは、1号車の内部の写真ですが、機器が梱包されていてまったく見えません。しかし、何本ものケーブルがしばられているのが見えて、試験車両であることがよくわかるかと思います。こだま673号に乗り、三島まで追いかけます。(笑)麗子さんは、18時には、三島車両所の「仕業1」に入りかけているように見えました。未だ多くの謎に包まれた麗子さん。これからも追いかけて、謎解きをしていきたいと思います。(笑)では、また。

  5. 本線自体は特急列車貨物列車が数多く運行される主要路線です。高速で通過する列車がトンネルから突如顔を出すために、列車の通過を知らせる様々な警報機が備わってますのよ。最初は電話のベルのような音、次に駅構内の警報機、最後は構内踏切の警報機の順だったかな?風の巻き込みがものすごいので、列車が通過する際はホームから離れていた方が安全でしょう。さて、駅に到着してからここまでで15分が経過。小幌駅で2時間近くも滞在したかったのには、どうしても行きたい場所があったからなのです。駅から海岸方向に20分ほど歩くと岩屋観音や小堀洞窟がある岩屋海岸があり、そこから素敵な絶景を楽しむことが出来るのでした。ちなみにこの洞窟、縄文時代に出来たモノらしいですよ。ここまで往復するには最低40分はかかりますので、この時間帯の列車をチョイスした次第です。しかし、ここに向かうのにも問題があり、斜面にあるこの道を進まなければならないのですよね。この道、ズバリ言いますけど足を滑らせて落ちたら死にます。真下は崖で、十数メートル先には海がありますから。オマケに、前日に降った雨のせいで足元がつるっつるに滑るのですよ。そして時刻は夕暮れ近く。帰り道が真っ暗になって道に迷う可能性もあります。ここにいるのは自分独りだけで万が一の時に助けは呼べなさそうですし、行くか行かないか迷いましたが…この日、雨が止んだのも神のお導き、行くっきゃないでしょ!…ということで、汗水たらして岩屋海岸に向かいましたが、今回も長くなりましたので次回に続きます。(続きもぜひチェックくださいませ)【まったり駅探訪】室蘭本線・小幌駅に行ってきました。(後編)訪問駅リスト(JR線)室蘭本線(長万部駅-東室蘭駅)↑(長万部駅方面)静狩駅(平成29年11月14日)小幌駅(平成29年11月14日)前編・後編礼文駅大岸駅豊浦駅洞爺駅有珠駅長和駅伊達紋別駅北舟岡駅稀府駅黄金駅(平成29年11月14日)崎守駅本輪西駅↓(東室蘭駅方面)駅探訪記、旅情報を不定期に更新中。新着情報がすぐ受け取れる読者登録をお願いします!

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  6. セントップが検査に伴い国鉄標準色へ急遽復刻、現存するブドウ色の茶釜は甲府駅常駐機のEF64‐37一両のみとなり、以前にも増してレアな塗装となったと同時に記録が急がれる事態に。昨年は上野~松本間でカシクル牽引に抜擢等の快挙も有った同機、嘗ては長岡に所属し0番台初ブルトレ牽引も務めていた史実なぞ、もはや鉄しか知らぬか。https://ameblo.jp/jikokuhyo5/entry-12250237046.html00年代に入りブドウ色一色に塗られた同カマ、09年3月迄は籍を高崎区に置き乍甲府運転区に常駐するという形で、中央東線の工臨や団臨列車の牽引などに度々抜擢されてました。現在も時たま新小岩のチキ工臨やEL碓井等のコア運用に頻繁に登板、毎年春先には機関士の訓練で本拠地?の甲府駅にも顔を出します。撮りたかったのよこれhttps://ameblo.jp/jikokuhyo5/entry-12219776294.html09年改正時にEF64の本場・長岡に移籍し寝台牽引に、北陸廃止に伴う運用削減により10年3月付けで高崎区に移るまで、あけぼの他客レの定期&臨時列車で足繫く上野駅に出没しました。25年7月末には高崎線の上野~熊谷間の開業130周年記念で、上野から出発したPトップ&12系と同日に旧客6両をセントップとPP、往年の古式ゆかしい客レスタイルで鈴なりの高崎線を疾走する事に。高崎駅でシロクイチ牽引のSL列車に変身する荒業まで双方やり、特にオールドSL世代にはたまらない超オールド列車だったのです。もう一度やって欲しい‼恒例のカマ展示で842号機等も顔を揃えていた物の、やはり鉄の放列は現存唯一の茶釜たるこの37号機御一機に集中。廃回ぐらいしか牽引実績の無い?北陸HMをまず1エンド側に据え、大宮方面の2エンド側に今年初牽引したカシオペアのアレを設置。そしてすぐ横にソレのE26系客車&カヤ27‐1を置くという趣向です。マニアならすぐ理解‼一昨年5月には八王子から宇都宮へ単機回送され、奇しくもあけぼの牽引時代に顔を揃えていたパイチ134と再会した事も。現在稼働する最後の0番台で然も唯一の(ryな事からネタ釜、一度稼働すれば沿線が鈴なりになる程の根強い人気を誇るワケですが、実はこの上に僅か2機しか纏っていない広島更新色というレア塗装が。新小岩駅を通過する際に良くカモレの先頭で良く見ていますのに、毎回タイミングが合わず到着と同時に即、発車という悲惨な結果に。畜生、次回こそは。06年5月に岡谷~塩尻間でくりちゃん号が運転、この時に長総所属だった41号機もこれと同じぶどう色一色となり、併せて車両番号表記と製造名板が金文字になって以来今に至ります。これまた公開時の様なピーカン晴れの下だと強烈に太陽光を反射し、同機の渋い魅力を更に演出する絶好の道具として機能してくれます。牛乳瓶とどっちが乙?昨年9月7日に上野~松本間で信州カシオペアを牽引、同編成では初となる南流山以西の武蔵野線や信州入線という快挙を‼恐らくは四季島と同じく大宮でスイッチバックし貨物線に合流、ルートの関係上馬橋や流山といった常磐線ルートまで疾走しました。信州DCに伴う臨時列車なので再運転の期待はかなり薄めですが、ただでさえ地味な武蔵野線近隣に珍しく大輪の華が咲いた瞬間でした。来月頭には金太郎⁉来月頭にはJR東7社発足30周年記念の一環として、なんと金太郎と連結したツアー列車として上野駅を17時頃に出発、パイチとのリレーで一路青森駅まで疾走するという神企画が控えます。従前よりウソ電や模型では頻繁に妄想されてきただけに驚愕です、史上初、甲種でも廃回でも無くカレチにて客貨コラボ団臨が遂に実現⁉皆様、見逃すなよ‼愈々冬本番の肌寒さを見せ始めた日本列島、Xmasのプレゼントに年賀状の準備と財布も次第に寒くなります。電車一両、優雅に眺められるくらいの時間的余裕は持ちたい物ですな。

  7. 虎で行く、2017北東パスの旅 5日目 仙台〜峠駅で訪れた、福島県の秘境駅・峠駅。この駅はJR奥羽本線で最も標高の高い場所に位置し、峠駅を境に、福島方面、米沢方面それぞれの方向に下り坂になっている、まさに「峠」の駅。なんて分かりやすい駅名。とにかく広い木造の駅舎の中に佇む島式ホーム。現在、線路として使用されているのは二股に分かれた右側の二本だけ。無人駅なので、ホームの端には切符の回収ボックスが。駅構内にある小さな踏切。電車が来ると警報音が鳴って遮断される。防護柵も何もない、野良猫がお散歩し放題の無人駅のホーム。そんなホームの間近を新幹線が通過する様は圧巻。そして風圧注意!踏切から撮影した駅舎。下から見上げる天井が最高。先程ホームから撮影した、二股に分かれている道の左側。昔はここにも線路が走っていたそう。奥に停車しているのは、この日のお宿の送迎車。現在、この空間は主に駐車場代わりに使用されるのみ。線路の名残が、まだここに。外から撮影した駅舎。なんでこんなに大きな建築物となっているかというと…以下、wikiから転載。================================板谷峠は急勾配と豪雪による難所として知られ、山形新幹線開業まで普通列車はスイッチバックで登っていた。このため、複雑な線路やポイントなどの施設が駅構内に設けられ、それらは雪から守るためスノーシェルターで覆われていた。同新幹線開業にともなう改良と電車化によりスイッチバックは廃止されたが、スノーシェルターは新たに設けられたホームの覆屋として流用され、上下線も含めて大きく覆った構造から独特の雰囲気となっている。================================とのこと。この辺りは、送迎車のおいちゃん達の近くで、「わー、すごい駅…」と独り言をつぶやくと、wikiに載っている情報から地元民だけが知る情報まで色々と教えてくれる。付近に生息しているにゃんこ1号。野良なのか、近くの峠の茶屋の外飼いにゃんこなのか。写真は撮れなかったけれど、尻尾の長い茶トラにも遭遇。他にももう1匹、三毛?ブチ?がいるとか…駅舎を支える鉄材は、古いレールを使用したものとのこと。レールの中でもまっすぐな部分を選定したらしい。駅舎の中に立っている「小さな旅モデルコース」の看板。登山ガチ勢向けコースなので真に受けてはいけない。朽ちかけた駅名標。この駅で普通列車がスイッチバックしていた昔の名残がここにも。きっとあちらにもホームがあったんだろうな。奥羽本線は1日の運行本数が少なく上り下りそれぞれ6本ずつ。8時の次が13時、13時の次が17時…。峠駅の周囲には山と石屋さんと峠の茶屋しかないので、この駅で下車する場合は、峠駅が最寄り駅になる温泉、「滑川温泉・福島屋」、「姥湯温泉・桝形屋」への宿泊がおすすめ。ということで、一通り駅を堪能した後は、「桝形屋」の送迎車に乗って、この日のお宿の秘湯へ・・・。ぽちっとお願いします('ω')ノ 

  8. 11月9日(木)はとバスで行く『日光日帰りツアー』の 続きです人、人、人の列に加わり、そろそろと進みますいよいよ陽明門です細工が凄いしかもキラキラ屋根の下にぶら下がってる、鈴みたいのが超ピッカピカ眩しい金ぴかの『ワニワニパニック』動いたら楽しいかも良く見ると、獅子がいっぱい何かをしてるお人形さんもいっぱい『金歯』に『ゴールドのネイル』『碁』をする人梁の金具まで、金ぴか反対側に出た人が多くて、こんなアングルしか撮れない。この下には、うっじゃあ~人人人こちらは、まだ修繕中で足場とか組まれてる塀のところには、いろんな鳥の彫刻これは、シラサギかな…これは…なんだろう810形かこれが810形7両編成なんだカモかもカメこっちもカメ三猿と同じくらい人気のある「眠り猫」のところは通路が狭いせいか、ギュウギュウ詰め手前が鶴?で、奥がその『眠り猫』本気で寝てなくて、薄目あいてるらしい。『ココから先は、ネズミ1匹通しません』って見張ってるんだとか眠り猫の門をくぐった反対側には…背中合わせに「すずめ」さん猫の真後ろですずめが暮らせるほど、「ここは平和なんだよ」って意味なんだってbyガイドさんここから、たくさんの階段がつづくここにもカメ飾られてるカメ立派な門が出て来たよ鋳抜門(重要文化財)っていうんだって学校で来たとき、ここまで来た記憶はないんだよねめっちゃかっこいい狛犬門の正面に向かって鶴もいる。重要文化財『奥宮御宝塔(御墓所)』徳川家康公のお墓だねこのお墓をぐるっとまわるように見学コースが出来てる苔これで一周また、カメ門のところには、日本航空のマークみたいな鶴とカメが多いなフフ戻ってきた相変わらず、まぶしいいったいどのくらいの「金」を使ったんだろうね鳴き龍のほうに向かうも、大混雑砂浜で戯れるような、獅子「あはは」「うふふ」「おいで~」「待ってぇ~~~」みたいなギラリズム陽明門ともこれでお別れワニワニパニックとも、お別れ『またおいで』って今回はバスだったけど…前回、鳴虫山登山のときは電車だったよ行きは、北千住からスペーシア乗り心地は最高帰りはJRの253系日光号栗橋のデッドセクションを通ったよご参考

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  9. なされました。もは京阪近鉄との直接対決を諦めてしまった感があります。京阪は2016(平成28)年3月19日のダイヤ改定で特急の所要時間を短縮し、京橋―枚方市間を最短14分で結ぶようになりましたが、片町線の区間快速は停車駅の多さもあって、京橋―河内磐船間で22分を要します。これでは勝負になりません。JRが片町線ダイヤの減量化に踏み切ったのは、「片輸送」と「先細り」の傾向に歯止めがかからないためであると考えられます。片町線の逆方向輸送に大きく貢献しているのは「関西文化学術研究都市」の一施設でもある同志社大学京田辺キャンパスですが、2013(平成25)年までに文系学部が京都市上京区の今出川キャンパスに再移転しました。これにより、京田辺キャンパスの学生数は16,000人から9,000人へと大きく減少し、片町線の同志社前の乗降人員も2012(平成24)年の11,282人が翌年には8,844人と、21.6%減少しています。また、「関西文化学術研究都市」の中心に位置づけられるのは祝園を最寄り駅とする「精華・西木津地区」の各種研究施設ですが、駅からバスで10分程度を要することもあり、今のところ片町線の利用は限定的です。このため、片町線の同志社前―木津間の需要は非常に少ないのが現状です。近鉄京都線という代替交通手段が存在することから考えても、桜井線の桜井―金橋間と同様、同志社前―木津間は廃止せざるを得ないかもしれません。ただ、拙著【関西経済の復興計画(鉄道篇)】で述べたように、品川―名古屋―新大阪間を結ぶリニア中央新幹線の中間駅の候補の一つに祝園が挙げられています。これを見越すなら、同志社前―木津間は存続させておくべきです。リニア中央新幹線の名阪間開業は2045年と発表されており、まだまだ先の話です。東名間との同時開業が叶ったとしても2027年であり、それまでの期間に片町線を現在のようなダイヤで漫然と走らせるのは問題があります。何らかの対策を講じる必要があるでしょう。書籍のご案内【軌道系都市交通の復興計画(前篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)【軌道系都市交通の復興計画(後篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)【高加減速車と多扉車の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)【ダブルデッカーの復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【遠近分離ダイヤの復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【振子車両の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)【前面展望車の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)【関空アクセス鉄道の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【鉄道ジャーナリズムの復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)[転換クロスシートの復興計画] (詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:756円 (税込・送料別)【「復興計画」の時刻表集(完全版)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:864円 (税込・送料別)【寝台車と食堂車の復興計画(前篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【寝台車と食堂車の復興計画(後篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)【鉄道デザインの復興計画】(詳細)アンチ水戸岡派必読の書データ本:324円 (税込)/ 紙本:756円 (税込・送料別)【「関西鉄道」の復興計画(前篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【「関西鉄道」の復興計画(後篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【関西経済の復興計画(鉄道篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【京阪神間直通輸送の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:756円 (税込・送料別)【阪和間直通輸送の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:756円 (税込・送料別)【関西私鉄王国の復興計画(上巻)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:605円 (税込・送料別)【関西私鉄王国の復興計画(中巻)】(詳細)データ本:324円(税込)/ 紙本:670円(税込・送料別)【関西私鉄王国の復興計画(下巻)】(詳細)データ本:324円(税込)/ 紙本:670円(税込・送料別)【京阪大津線の復興計画書】PDF版:税込999円(アフィリエイト率60%)製本版:税込・送料込1200円(A4・110ページ)

  10. ていました。そこで東急は長津田方面からの電車を、大井町方面ではなく旧新玉川線方面へ向かうように運転系統を変更し、二子玉川園-大井町間を「大井町線」として再度切り離し、現在に至っています。このとき以来、大井町線は、5~6両編成の電車が行き交う、どちらかといえばローカルな雰囲気が漂う路線となっていました。ところが、その後の田園都市線の大混雑により、大井町線をバイパスルートとして活用する計画が浮上、種々の改良が加えられました。急行運転開始も、溝の口延伸も然り。そして今回の急行7連化。昭和54年8月以前を知る者としては、隔世の感がありますが、もしこのような改良が、当時施されていたら…とも思ってしまいます。しかし当時の東急は、新玉川線の建設費の償却に血道を上げていた時期なので、できない相談だったのでしょう。あるいは、新玉川線が史実の大型車10連ではなく銀座線サイズの6連で、田園都市線の電車が桐ケ谷・五反田経由で都営三田線と相互直通運転していたら、あるいは劇的に改良されていたかもしれないとも思います。こういうのも全て、今にして思えば…というものなのでしょうけど。次回は番外編として、コメント欄でのご指摘のあった「自由が丘1号踏切」を取り上げようと思います。

  11. こんばんわ♫首が痛くて、目が覚めた時計を見ると、3時30分。仕事を夜中にする日はパソコンの前の椅子に座ったまま眠りこけてしまうことが多くて首が痛くて、目が必ず覚める。せめて5時までには仕事を終わらせて、少しでも眠りたいと思いながら熱いブラックコーヒーを淹れ直す。お腹が減って、大好きなビスケットを1枚つまむ。納期が迫った仕事になると最近は、徹夜仕事になる。10年前のこの時間は真っ白な白衣を着て懐中電灯の光を頼りに真っ暗な廊下をラウンドしていた。新人だった頃配属されたのは、希望通りの脳外科病棟。大きな、大学病院だった。新人同士で採血の練習をし合うからお互いに下手っぴで手の甲も、前腕も内出血でアザが目立つ。慣れない夜勤でも、脳外科病棟ではほとんど仮眠の時間は無かった。先輩は、厳しい方が多かった。飛ぶように走り回っていたこと入職して間もなく初めて、人の死と向き合ったこと22時に日勤の仕事を終えて帰ってきて、勉強をしてそのまま気がついたら朝を迎えていて3ヶ月目に勤務中に倒れてしまったこと同期の女の子が天真爛漫な子で、彼女といたから一緒にがんばれたんだなって、思う。どんな苦しいことも彼女となら、笑い飛ばせていられたからしばらく連絡していなかったから久しぶりに彼女の声を聴きたいなと、思う。夜中に仕事をしているとそんなことを、思い出す。隣の部屋からは旦那さんと息子っ子のイビキが仲良く聴こえてきている。明日もきっとアスレチックで息子っ子とたくさん走り回る日になるんだろな最近は少し、甘えん坊が戻ってきてますます可愛いなぁと思う。守ることと、闘うことは似ているんだなって最近、思う。息子っ子が大好きな湘南新宿ラインを家族で見に行った日の写真を、ぺたり♫さて!もう一踏ん張り、がんばるぞ〜〜‼︎では本日もお付き合い頂いてありがとうございます

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