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  1. りいたします。日光撮り鉄や観光した模様を綴る今シリーズは今回が最終回です。総集編はコチラのリンクからどうぞ『2021.10.11 淡く紅葉に染まる日光へ【ダイジェスト版】』少しずつ街の草木が秋色に染まりつつありますが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?昨夜は珍しくカタールW杯アジア予選をテレビで観戦、素晴らしい試合の末に日本が勝っ…ameblo.jp東武鉄道のSL大樹や置き換え間近の205系(上写真)を撮影して満足した私ですが、旅はまだまだ続きます。ではどうぞご覧下さい。【10月11日行程表】凡例:→交通機関 ・・・徒歩 ⚠️料金🏯観光 📷撮影タイム 🍝ランチ ♨️温泉東武日光駅 14:28着・・・📷JR日光駅(四季島撮影)・・・♨️日光ステーションホテル(日帰り温泉)・・・東武日光駅→(タクシー⚠️1,300円)・・・🏯日光東照宮(⚠️拝観料1,300円)・・・🏯神橋・・・神橋バス停 14:40発→(東武バス日光⚠️240円)→JR日光駅 15:00着・・・📷駅近くで撮り鉄・・・東武日光駅 17:23発→(特急けごん44号⚠️IC1,215円 / 指定席1,150円)→春日部駅 18:41着 / 18:48発→(東武スカイツリーライン急行)→越谷駅 18:58着 / 18:59発→(東武スカイツリーライン各停)→南越谷駅 19:00着・・・新越谷駅 19:07発→(JR武蔵野線⚠️IC561円)→新秋津駅 19:40着・・・秋津駅 19:50発→(西武池袋線 各停)→最寄り駅 20:16着14:28 東武日光駅に到着東武日光駅から徒歩約3分にあるJR日光駅へ白い貴婦人と呼ばれる日光駅、1912年に建設した国内最古の木造駅舎です入場券を買って構内へお目当ては1番線に停車していたE001系TRAIN SUITE 四季島です言わずと知れた豪華寝台列車、いつかは車内からホームを眺めたいですね日光駅のレトロな駅舎と四季島せっかくなので入場券も記念撮影、日帰り入浴の終了時間が迫っていたので改札外へ券売機前には記念撮影スペースがあります日光ステーションホテルクラシックホテルへ日帰り入浴は12:00~15:00、料金が大人700円 / 子供(3歳以上)500円、バスタオル・フェイスタオル各150円です駅前で自家源泉100%の天然温泉が楽しめる日光ステーションホテルクラシック、私が訪問した時はタイミング良く他のお客がおらず貸切状態でした全身に染みわたる良いお湯です露天風呂と内湯(ぬる湯・あつ湯)で美肌効果が高いアルカリ単純温泉を満喫、風呂上がりはオロナミンCでクールダウン温泉に入ってそのまま帰りたい所ですが、まだまだ帰る気はありませんさすがに奥日光へ行く余裕はありませんでした東武日光駅前から路線バス「世界遺産巡りバス」で日光東照宮へ向かう予定でしたが、次のバスまで20分待ちだったので急きょタクシーで向かうことにコロナ禍でタクシーに乗る機会も減りましたねタクシーから日光のシンボルのひとつ「神橋」(しんばし)を見る東武日光駅前から10分ちょっとで日光東照宮入口に到着、スカイツリーより標高が高いんですね東照宮は小学校6年生の移動教室(1987年)で訪れて以来五重塔があったのを覚えてませんでした拝観には拝観料(大人1,300円 / 子供450円)が必要、時間が無かったので写真を撮る暇もなく駆け足で参拝しました参拝した後は再び駆け足で移動温泉で汗を流したのに・・・お目当てはこちら「神橋」です紅葉が淡く色づき良い感じに神橋バス停からJR日光駅へ移動世界遺産巡りバスは一般的なエルガミオでした嵩上げ・明かり窓を設置した特注車両もある世界遺産巡りバス、1日フリーパス(大人600円 / 子供300円)はJR日光駅みどりの窓口または東武日光駅ツーリストセンターで購入できます。JR日光駅前に四季島専用バスがやってきました山形産の牛革を使用したシートを装備、さすがに乗り心地良いのでしょうね日光で観光した乗客は再び豪華寝台列車に乗車して・・・JR日光駅近くの跨線橋へ移動JR日光線と東武日光線が見られる跨線橋、かなり狭く人が通ると揺れます(工事関係者がたまに通る)エレベーター新設工事中のJR日光駅16:22 リバティけごん29号 511F東武バス日光の営業所には日光軌道線デザインバスの姿が1968年に廃止となった日光軌道線16:25 特急リバティけごん40号 浅草ゆき511F16:30 普通 宇都宮ゆき 205系ヤマY6編成16:31急行 南栗橋ゆき 6159F+6173F16:33 特急日光8号送り込み? JR253系1000番台OM-N02編成16:35 快速AIZUマウントエクスプレス3号 会津若松ゆき 会津鉄道AT752+AT701、東武日光線に乗り入れる唯一の気動車(ディーゼルカー)です16:33 特急日光8号 新宿ゆき JR253系1000番台OM-N02編成16:50 特急けごん31号 100系スペーシア日光詣JR日光駅に停車中のTRAIN SUITE四季島とスペーシア日光詣を絡めて撮影、3泊4日の旅に誘う四季島は日光から函館や登別など道南を巡り津軽・庄内・新潟を経由して上野駅へ向かいます帰りの列車の時間が迫ってきたので東武日光駅へ移動東武特急スペーシアに乗りたくて「けごん44号」をチョイス、4番線から17:23発です東武日光駅から春日部駅まで乗車東武100系スペーシア「日光詣」編成、私は以前から金スペと呼んでます2015年の日光東照宮400年式年大祭と翌年の日光山開山1250年を記念して、日光二社一寺の建造物に使用される金色を基調に、黒と朱色のラインを配した「日光詣スペーシア」の運転が2015年4月18日から開始しました。スペーシアロゴマーク、浅草側先頭車両6号車はコンパートメントルーム(4人用個室)を6室設けています個室料金表特急スペーシア・JR線直通特急の特急料金|東武鉄道公式サイトwww.tobu.co.jp1990年6月1日にデビューした100系スペーシアは、1991年までに6両編成9本54両が製造され、1991年の鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞しました。スペーシアのパウダールーム客室両端には案内表示機を設置しています内装デザインは、銀座東武ホテルなど手掛けたロバート・マーチャントが担当肘掛け横にあるリクライニングボタンを押さなくても体重かければ倒れてしまう座席、バブル時代の車両だけあって座り心地は最高、フットレスト使用時は靴を脱いでご利用下さい。3号車にはビュッフェがありますが、2021年8月31日をもって営業終了となりました。ビュッフェの横にあるカウンターでは、かつてスペーシアアテンダントが常駐し外国人観光客の案内など行っていました。自動販売機も2021年8月31日に販売終了座席の肘掛けにテーブルが収納されています(固めなので指を挟まぬようご注意)東武日光駅の売店で購入した駅弁をいただく(日光高原牛弁当けっこうづくめ1,150円)窓側のテーブルを戻す時は写真右側のボタンを押して下さい。意外とボリュームある弁当、甘辛く煮た日光高原牛は美味でしたリバティとスペーシアの並び南栗橋以北でしか見られない20400型、次に見られるのはいつになるんだか・・・スペーシアは下今市機関区のライトアップを横目に南下春日部駅で下車する際は2号車と5号車の扉しか開かないのでご注意いま話題になっている都道府県魅力度ランキング44位の群馬県より下位の「埼玉県」(45位)へ帰りましたとさ群馬県知事さんは44位でご立腹ですが、45位の埼玉県民の私は埼玉が嫌いだし誇りなんか持ってませんよ都民の頃からディスってましたし群馬県の方が私は好きですよ都道府県魅力度ランキング41位の栃木県を存分に満喫した踏切の番人なのでした~この日の歩数は21,933歩、思ったより少なかったですね花粉症の方には厳しいですが、これから深く秋色に染まる日光へ皆様も行かれてみてはいかがでしょうか新宿・浅草から東武日光・鬼怒川温泉まで特急列車で約2時間です浅草観光してから東武特急で日光へ行くのも楽しそうですね今年8月に一度だけ栃木県へ行きましたが小山でレモン牛乳を買っただけ・・・去年6月に食べた宇都宮餃子、また食べに行きたいな栃木県だけに限らず、行きたい所があり過ぎて迷いますねオリパラ開催までは自粛してましたから・・・佐野・足利エリアの名物のひとつ玉ねぎシュウマイもオススメモチモチした玉ねぎシュウマイなど食べに再び栃木県へ行きたいですねそして負けるなグンマ!頑張れグンマ!これからのシーズンにオススメの穴場スポットが多い群馬県も魅力満載ですよ去年2月に群馬で撮り鉄や観光した時の記事『2020.2.9 わ鐵に乗って大間々や赤城で観光・撮り鉄三昧な休日を過ごす』今回は、1年前の2020年2月9日に「わたらせ渓谷鐵道 わたらせ渓谷線」を撮影しながら、大間々駅周辺で観光をした模様をお送りします。外出自粛中につきネタが無い…ameblo.jp群馬へ行かれる際もぜひ東武特急で快適な旅を日光日帰り旅を満喫した翌週には・・・昨日(10/18)は、3ヶ月半振りにレンタカーを借りてドライブしてきました秩父の滝沢ダムへ行った後に山梨県の塩山から東京の奥多摩湖を抜ける山道ドライブですダムカードもゲットしましたよでも助手席はいつもカバンだけ・・・次回は7年前の北陸旅行記を予約投稿しているので、ドライブ記は次々回にお送りいたします次回もお楽しみに今回も最後までご覧下さり、ありがとうございました。

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    2021.10.11 淡く紅葉に染まる日光へ【東武日光線&JR
  2. 分間のあっという間乗り鉄でしたが宍喰駅から海…ameblo.jp探訪日:2019年8月4日゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・明治37年発行の高浜清(虚子)による 「松山道後案内 附伊予鉄道の栞」を開くと…【梅津寺臨時停車場】梅津寺の浜は高浜の南5丁の処にある。前に広々とした海をひかえて一帯の松林の陰に一宇の小寺がある。浪はすぐ前の平砂に打ち寄せて白帆は手に取るごとく見える。平生はここへは停車せんのであるが、毎年海水浴の時候には臨時に停車場を設けて、殊に汽車の割引切符を発売し、臨時列車を増発するために、無数の海水浴客はこの寺に集まるのである。この頃は寺ばかりでは狭隘を感ずるので砂原に多くの休憩所もでき、無料で休憩することになっている。また松原の中に種々な運動の器具も備え付けてある。海は非常に遠浅で最も海水浴場たるに適して居る。(明治37年版、昭和58年復刻)松山道後案内 (1983年)Amazon(アマゾン)762〜2,950円遠乗りで訪れた翌年の梅津寺海水浴場の様子もyoutubeにあったよ〜今はない梅津寺海水浴場(松山市)昭和56年8mmテレシネ 6分25秒瀬戸大橋開通による航路再編に伴い1988年に廃止された 石崎汽船の水中翼船(松山-三原航路)や納涼台も背景に写ってる三津浜港と広島県の三原港を結んでいた水中翼船は 新幹線の乗り継ぎに便利でした マグニフィセント号アングロアラブ 鹿毛 牡 年齢不詳颯爽と歩く鹿毛の馬はマグニフィセント号 我が部の最高齢馬(推定18歳位)だったけど故障も少なく、タフなナイスガイでした梅津寺の対岸には 標高282mの興居島の小富士山が美しく聳えており伊予小富士と呼ばれてる瀬戸内海航路では この山が松山港入港の目標地形となってるみたい正岡子規もこの小富士山の風景を好み 「雪の間に小富士の風の薫りけり」と詠んでいますこの句は、明治25年7月15日に子規が高浜虚子宅を訪問し河東碧梧桐も加わり三人で高浜の延齢館に行き、 その一室の「雪の間」で詠んだものなそうな梅津寺パークの観覧車左に写ってる海に突き出た構造物は 1930(昭和5)年に伊予鉄道が建設した納涼台海水浴客の増加で、平屋建てのものを 1952(昭和27)年に2階建てに改造したそうですが遠乗りの写真では2階建てにはちょっと見えないなぁ~当時(昭和50年代)の写真で検証すると やっぱり平屋に戻されてるみたい海水浴の客足が減ったからかもね~そして1984(昭和59)年の夏を最後に廃止されました しばらくは台座がそのまま残ってたみたいだけど現在は全て撤去されており、痕跡もありません残念ながら梅津寺海水浴場も 梅津寺パークとともに2009(平成21)年に閉鎖され1899年以来の長い歴史を終えました納涼台はこんな感じで海に向かって突き出ていました(地理院地図は現在のものです)゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・そして、遠乗りの日から11年後に あるドラマのロケがこの近辺で行われましたそうです 東京ラブストーリー最終話(第11回)Amazon Prime(お試し期間中)で 全11話を一気に観てしまいました(;^_^A この記事に利用しようと何十枚もスクショしましたが・・・編集しようとしてΣ(・ω・ノ)ノ! さすがアマゾンさんスクショ出来なかったのね! みんな真っ黒け ガ―(´・ω・|||)―ン!!あらためてスマホでPC画面を撮り直しの愚行に至りますこのドラマは11話全部観たものと思ってましたが あらためて観直すと、初回と最終回しか覚えて無かったよ(^^;;赤名リカがカンチにとって受け止めきれない女性のように思ってたけど 実は優柔不断なさとみちゃんとカンチの心変わりだったのね~リカの本心はロスには行きたく無かったけど・・・ って感じやね゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・梅津寺パーク横のテトラポットにて 赤名リカと永尾完治「顔に書いてるよ もう君じゃないんだってさ」 とリカ「リカ!もっと楽に生きろよ!」 とカンチ「16:48発の電車、それまでに気が変わったら来て! あと1時間!逢いたいから、さよなら言わないよ」とリカ納涼台跡付近で電車の発車時間ギリギリまで悩むカンチカンチが台座の先端に立ってるけど・・・ 結構細くて遠いスタントマンだろうか? それとも踏み板を敷いての撮影かなカンチは警報機が鳴り始める踏切を渡って 16:48発の電車の発車直前に梅津寺駅2番ホームへしかし、リカはホームに居なかった 発車間際の車両の中も確認したけど居ない駅員に尋ねると・・・ その女性なら、1本前の16:33発の電車に乗ったって!2番ホームの柵には バイバイカンチと書かれたハンカチが結び付けられていた高浜線の横河原行(下り)の (訂)高浜行(上り)の 16:33、16:48のダイヤは今もそのままあるらしい JRみたく、ダイヤ改正せんのか~いw【追記】m(_ _)mスマヌ9時から20時まではパターンダイヤ化され下りは00, 15, 30, 45になってます(3分づつ早くなってます)【訂正】m(。≧Д≦。)m モウシワケナイ今もそのままありました!リカが乗った電車は逆の上りで高浜行でした同じく9時から20時まで03, 18, 33, 48で今もそのままですリカの電車内のシーンにカメラが切替わる場面で 電車は松山方面に向かってたので 横河原(松山)方面に向かってると刷り込まれてしまった💦あらためてみなおすと 16:48の電車の発車のシーンでは カンチが梅津寺駅に着いた時点で電車は既に入線しており 高浜方面へ発車していく上り列車でしたリカは飛行機じゃなく 三津浜港でもなく、松山観光港から帰ったのか゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・芝門ふみさん(徳島県出身)原作のこのドラマでは カンチをはじめ、関口さとみ、三上健一は愛媛県出身の同窓生 最終回ではみかん県の各地でロケが行われました上浮穴郡久万町、大洲市、 そしてココ梅津寺、伊予鉄高浜線の電車内等々なかでも伊予鉄道高浜線梅津寺駅でのシーンは印象深いです梅津寺駅 | 松山市公式観光情報サイト|四国松山 瀬戸内松山伊予鉄道高浜線の駅。1991年に大ヒットしたテレビドラマ「東京ラブストーリー」の最終回のロケ地として有名で、主 […]matsuyama-sightseeing.com梅津寺駅2番ホームの柵には 今でもハンカチが結ばれることがあるというみんな別れたいんやね?(笑)瀬戸内を中心に活躍するアイドルグループSTU48のデビュー曲 『瀬戸内の声』のロケ地にも採用【MV full】瀬戸内の声/STU48[公式] 6分21秒瀬戸内の各県でロケされたシーンがMVで登場するんだけど、 愛媛県では梅津寺駅のみ登場?亀老山公園も映ってた゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・伊予鉄さんもドラマの撮影には全面協力みたいな感じじゃがね〜伊予鉄道株式会社は明治20年9月14日に創立 翌年の明治21年に松山~三津間の営業を開始しました狭軌の軽便鉄道としては日本初、民営鉄道としては南海鉄道に次ぐ 日本で二番目の歴史を誇る愛媛の企業ですしかし、鉄っちゃんの間では 同じ四国の琴電や土佐電に比べると人気は今一つみたいwJTB キャンブックスの表紙の裏に伊予鉄道の路線図が載ってた市内線と郊外線の高浜線、横河原線、森松線、郡中線 松山市駅を中心に路線が張り巡らされてる特に注釈は無く、いつの時代なのか推測してみた温泉郡の各村が松山市に合併されたのは1940(昭和15)年で 昭和6年に高浜線が1067mm軌間に改軌されて電化、梅津寺駅、港山駅が開業し全線複線化になっているのでそれよりも後他にも何か手掛かりは無いかと見てると 市内線の西堀端から西に直進する大手町線が完成したのは1936(昭和11)年5月1日 この時出来た道路上での鉄道と軌道との平面交差(ダイヤモンドクロッシング)は国内でも数か所しか残ってない古町駅からの鉄道線の一部が付け替えられて大手町線と直結(国鉄松山駅の開業当時は手荷物輸送のために高浜線の古町駅から鉄道線が松山駅構内に乗り入れていたらしい)この地図には古町から国鉄松山駅を経由して 西堀端への軌道線が載っているのでさらに絞り込んで、1936(昭和11)年以降となり、 1936~1939年の4年間と推測出来ました゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・因みに国鉄松山駅は 鉄道省の讃予線(昭和5年に予讃線と改称)として国鉄の県庁所在地の駅としては日本で最も遅く 1927(昭和2)年4月3日にようやく松山に達します上の伊予鉄路線図を見てもわかるように この時、既に伊予鉄の松山駅を中心に松山の市街地は形成されており街の中心部に省線(国鉄線)が乗り入れる余地はなく 松山の市街地から外れた場所に国鉄の松山駅を設けざるを得なかったこの時に鉄道省から伊予鉄道に 松山駅の称号を譲り渡す様に要求されますが これを拒否して駅名争いとなります 後から来たおまえんとこは伊予松山駅にしいやしかし、鉄道省は、強硬な態度を崩さず 伊予鉄道はやむなく松山の駅名を譲り、1927(昭和2)年3月1日に松山市駅と改名 国鉄松山駅が県都の駅らしくないと云われるのは 1921(大正10)年に讃予線が新居浜まで到達した時と似てますね (新居浜では既に住友別子鉱山鉄道が営業しており、国鉄新居浜駅は市街地から遠く離れた場所に位置してます)『百十二年前に蒸気機関車の影を映した岩壁』住友別子鉱山鉄道上部線明治26年開業、明治44年廃止5月9日、魔戸の滝登山口から 種子川造林道を迷いながら辿り西種子川源流まで詰めて、 兜岩でアケボノツツ…ameblo.jp探訪日:2021年5月9日当時、住友の幹部が新居浜に赴任してきた際 どの家族も一様に新居浜駅を見てあまりの田舎ぶりに唖然とし、 主人は新居浜に左遷されたんだと落胆したそうな(笑)因みに住友さんは伊予鉄道の大株主で 1911(明治44)年に住友別子鉱山鉄道の上部線が廃止になった際には余剰となった蒸気機関車3両が伊予鉄道に譲渡されました゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・梅津寺海岸への遠乗りは一度だけでしたが 堀江海岸には毎年訪れました向うに写ってる2本の大きな煙突は松山発電所この時はまだ操業中でしたが 翌年の1981年に休止、2001年には廃止され、現在は松山発電所記念公園となってます 勝岡町の愛媛県消防学校に向かう際には この煙突が目印になって便利だったけどこの2本の大煙突は今から10年位前に取り壊されました゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・翌年の1981(昭和56)年は9月に遠乗りしたみたい引き潮で沖合に出来た砂の島まで マグに乗って渡りました上陸後に下馬して佇んでいると フェイントかましてマグさんは私を残して泳いで陸に戻ってしまいました哀れ離れ小島に取り残され、泳げる格好をしてない私の為に 先輩がマグに乗って迎えに来てくれましたやれやれだな 俺は渡し舟じゃ無いけんな゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・翌年は海水パンツ用意してたけど 砂の島は出来なくて残念だったじょ~゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・馬は常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駆歩(かけあし)の3種類の歩き方をします そして各歩度は尋常、短縮、伸長の三つの変化をさせることが出来ます常歩は最も遅い歩き方で、1分間に約100m、速歩は210m、駆歩は320m、伸長駆歩420mが標準の速度となっています1983(昭和58)年元旦は、7頭連ねて初詣へ 常歩と時に軽速歩を交え乍らのんびりパッカパッカパッカと目的地を目指しますはっきりとした場所は忘れてしまいましたが(;^_^A 目的地は平田町辺りの小さな神社だったように思いますところで 馬って人間の言葉って理解してるの? 類人猿の言語に関する研究が進んで 猿も言葉を持つ派と猿には体系づけられた言葉がない派に分かれるそうなチンパンジーの音声や語彙の調査に基づいて 母音や音節化された単語の存在を認める前者と集団の中ではある種の伝達手段を用いてざわめくが1対1の対話が出来ないという後者人間の言語の様に考えれば否定することになるけど もっと広く解して目的を達成する音声的な伝達手段として考えるなら鳥も猿も・・・そして馬も言葉があると云えるかも馬は猿と比べると進化が遅れてるけど 特定の事象については人語を解する軍馬は「カイツケ~」という号令がかかると 途端に狂乱状態になったそうな馬は馬なりに人間の発する音複合の中の ある種のファクターに感応する言葉だけで無く、可愛がってくれる人間のバイクの音などもしっかりと聞き分けます馬を扱う人間の態度の中に潜む「愛憎」といった要素を その人間の言葉から理解する能力は、実に的確であり本当に馬を可愛がる人間と然らざる人間とを 言葉によって識別する能力を持っているのだよ馬を扱う場合でも、叱る時だけ大声を出し、 平素は何も云ってやらないこれでは馬と人間との間に断絶ができて 鞭を当てても、声をかけても思うようには動いてくれない愛情をこめて出来るだけ馬に話しかけ、 同時に手を触れてやるこれが馬を調教する秘訣であり、 黙って馬に近寄ったりすると噛みつかれたり 蹴飛ばされたりするのである(笑)゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・前年(昭和57年)の元日は 四国八十八箇所霊場第52番札所 太山寺まで2頭で初詣した記憶があります わっせんうちに ( ..)φメモメモメモ馬術部馬場にて(地理院地図は現在のものです)当時は県道39号線も白石ノ鼻を廻って繋がってはおらず 高浜トンネルも勿論ありませんでした愛媛県免許センターは移転前の大可賀にあり、 愛媛県消防学校も道後方面にあったと思います(アルバイトで灯油の配達をした記憶があります)とても辺鄙な場所にある愛媛県消防学校の大規模訓練場 平成になって、愛媛県消防操法大会の会場になり何度もやって来ました2016(平成28)年7月31日 大規模訓練場堀江海水浴場の右にある堀江港 ここは1946(昭和21)年に国鉄の仁堀連絡船が開通し堀江-仁方(広島県呉市)間を結んでいました(昭和57年に廃止)また民間の呉・松山フェリーも就航しており 2度ばかり利用したことがありますがこの航路も2009(平成21)年に廃止されました航路廃止後は休憩施設や係留設備が整備されて 海の駅「うみてらす」が2013年にオープンしたそうなここには現在も、みなと食堂が健在で 一度訪ねて中華そばとおでんを食べてみたいと思いますホームページを開設しました | みなと食堂│松山 ほりえ港[なべ焼きうどん・中華そば・しらす丼・もつ鍋・定食]松山、堀江にある「みなと食堂」は、1967年から、昔ながらのほっこり温まる、なべ焼きうどん・中華そば・しらす丼・もつ鍋・カレー・オムライスなどをご提供する海の近くの食堂です。3710shokudo.comそれにしても一口に松山港といっても 三津浜港、高浜港、松山観光港、堀江港と色々あってややこしいこの他にもコンテナふ頭の松山外港、木材団地の今出港もある それだけ港に恵まれているってことかな馬場から堀江海岸までは片道約5kmくらいだったでしょうか遠い遠い昔の遠乗りの思い出でした゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・ あっ!古いプログラムも出てきた当時の大会プログラムを見てみると 第10回四国馬術大会に四国中央市からも2つの団体がエントリーしてる旧川之江市の鈴木愛馬会(2名、1頭) と旧伊予三島市のえひめライディングクラブ(4名、5頭)所在地は川之江市上分町と伊予三島市上柏町城になってる 現在は活動してない様だけど 残念ながら解散してしまったのかな?長くなりましたが 最後までご覧いただきましてありがとうございましたでは、また関連記事『今日はクロスカントリーの日 総合馬術耐久競技』今朝は大霜でした(≧∇≦)/冷たくて足がちぎれそうに痛い(⋟﹏⋞)2月もあと僅か春の日差しになってきました新型ウィルス広がりつつあります暖かさに弱け…ameblo.jp

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    遠乗りの思い出と伊予鉄
  3. しなの鉄道の小諸駅に、「駅そば店」が10月8日に開業しました。興味があるので、行ってみました。店の名前は「清野商店」、場所は小諸駅の待合室です。野菜などが売られている奥のスペースです。この待合室の椅子に座って、そばを食べる人もいました。この場所は、2020年9月まで、売店「カッパヤ」が営業していた場所です。ここのオバちゃん、ろくもん1号に手を振ってくれて有難かったんです。でもって、私が営業時間内の最後の客となったのです。もう1年経つのですね。この駅そば「清野商店」で、早速頼んでみました。天玉そば500円を頼みました。てんぷらと玉子が入っています。(当たり前だっ)メニューは、次の通りです。かけそば・うどん→350円天ぷらそば・うどん→450円月見そば・うどん→400円山菜そば・うどん→400円とろろそば・うどん→400円どうせなら、両方乗せた「天玉そば」を頼んだわけです。信州に来たなら、「うどん」より「そば」でしょ。この店の特徴ですが、店主ひとりで無理なく回せるような仕組みになっていることです。★代金は50円刻み。おつりはパッと出しやすい金額。★1回利用の容器を利用。水も紙コップ使用。洗い物の手間を削減。★営業時間は7:00~15:00で水曜定休。1人でもがんばれるくらいの長さ。★注文は、客が券を取って「そば」「うどん」に○をつけて代金と共に出す方式↓。利益はそんなに出ない業種ですから、投資を抑えるのは基本でしょうね。日曜の午後1時に来たら、待合室で食べている人と、出来上がりを待っている人で合計7人と、結構繁盛していました。しなの鉄道の公式HPにも載っていました。小諸駅・駅そば「清野商店」がオープンします! | お知らせ | しなの鉄道株式会社長野県の豊かな観光資源を連結する大切な交通機関であると同時に、沿線住民の「毎日の足」を支えています。www.shinanorailway.co.jpこの店のご主人は、しなの鉄道の元駅長だそうです。退職後に、小諸駅で「駅そば店」を開業したのです。上田駅付近なら、パッと食事できる店が多くありますが、小諸駅前では少ないです。だから小諸駅前、なのでしょう。実は私は、小諸駅そばを食べた後、同じく小諸駅舎の中にあるカフェ「小諸のまど」でコーヒーを飲んでいました。↑栗と柿の形をした「和菓子セット」です。この時、カフェ「小諸のまど」に、『食事をとりたいのですが・・・』という旅行者風の客が来ました。腹の足しになる品は、「ソーセージおにぎり」「栗おこわ」が一応あります↓でも店員さんは、自分の店は一切案内せずに、駅そば「清野商店」と、停車場ガーデンの中の店を案内していました。こちらも良い店だなあと、感じました。

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    小諸で駅そばを食べる
  4. 模型屋に寄って高速バスで帰る
  5. 12月の 福知山線時刻表。 JTBの大型からの抜粋なんですが、 1979年は、全駅全列車が掲載されても 2ページで収まっていました。 JR東西線開業後のダイやでは 9ページになっています。普通列車は、ほぼ 大阪ー福知山間の運転の旧型客車中心でしたが 数本のキハ47使用の普通列車もありました。  快速は 1日に3往復ほど キハ47で大阪ー篠山口間の運転でした。特急は まつかぜ号 鳥取折り返しの 3号2号と 山陰本線を経由して 博多まで行く 1号4号の2往復でした。 当時のまつかぜ1号4号は、13両編成。 食堂車 グリーン車組み込みの7両編成が 博多直通。残りのグリーン車組み込みの6両編成が 鳥取止まりでした。  その1号で 鳥取で切り離された 付属編成が 折り返し まつかぜ2号として 大阪に。  逆に まつかぜ3号として 鳥取に向かった編成が 博多からの4号に増結されて 大阪に戻ってくる運用でした。大阪駅1番線 特急まつかぜ3号 鳥取行です。 右手は 環状線ホームです。 2015年 特急 こうのとり9号 城崎温泉行。現代の 特急まつかぜ号ですね。 まつかぜ号の時代の2番線に入線しています。 背後の阪急百貨店は立て直されました。まつかぜ3号の前に 金沢から到着していた 急行ゆのくに。交直流色の急行型電車が 大阪駅に発着していたのは、なんか 夢のような気がします。725レの牽引機 DD51-1191号機。  背後に阪急梅田駅ビルが見えており 大阪駅にDD51が普通に発着していたことが わかる写真ですね。現在だと こうなります。ほぼ同じ位置になります。 配線変更によって DD51の止まっていた2番線が 現在の4番線になります。  2枚の写真には、40年の時間差があります。御覧頂きましてありがとうございました。最盛期の国鉄旅 (イカロス・ムック)Amazon(アマゾン)1,463〜5,430円時刻表復刻版 1978年 10月号 [雑誌]Amazon(アマゾン)1,629円旅と鉄道2021年増刊9月号 気動車の旅 [雑誌]Amazon(アマゾン)1,144円

    1979年12月時刻表 福知山線-3
  6. 予土線 Fun Fun 祭り
  7. 列車を1本見送って残り60分のゆったり秘境駅愛駅前1等地上が駅です塩沢集落まで1時間もうなんだかんだでかなり行ってませんね...集落に残る建屋ブルーシートで保護されていました人は住まなくなりましたが維持管理は行われているようです窓から建屋内きれいに整っていますこちらは廃屋製茶工場跡ですここ小和田集落も中井侍集落のような茶畑が広がっていたのでしょうかここは床が抜けていますさていつもだと高瀬橋往復となるのですけれどたまには行動パターンを変えましょう製茶工場横から道を進んで行きます小和田神社新しく補修されていた板がなくなっていましたなにかあったのでしょうか...神様にお参りし戻りますいいかげん、道があやうい先程の製茶工場きれいに残る民家ミゼット1号ミゼット2号ミゼット3号2号3号と2号湖畔の道を進むと高瀬橋、塩沢橋、塩沢集落へと繋がっています今回はそちらに行かず...もうひとつの廃道へ門谷ルートこちらも荒れてるここで引き返しましたこの先にミゼット4号があります駅に戻ってきたらちょうど伊那路が通過しました秘境駅小和田住んでいる住民はいませんが駅前を含めしっかりと管理され、保守されています待合室の窓きっぷ売り場公衆電話マークはありますが電話はありませんここに3県県境の標があったのですがなくなっていますね駅前に境界の札はありました静岡県、愛知県、長野県の県標、また復活出来ればいいのですけれどご存知でない方の為に補足すると、ここ小和田駅は静岡県浜松市の駅となりますでは、小和田を離れますこの列車を見送ると、次は2時間後真っ暗ですxxx

    小和田駅前
  8. 183系《こうのとり》秋を行く
  9. 撮影日:2021年7月●4日目のスタートは池谷からです。鳴門からやって来た955D徳島行。●鳴門行の1200形の952Dと交換。キハ40系が来て欲しいところですが。●その後はタラコに乗って、隣の駅の勝瑞で下車しました。955Dが止まっている1番線は簡易的な造りで、交換できるように後から造られたようです。2番線はしっかりとしたホームです。●955Dは徳島に向けて出発して行きました。●跨線橋から。隣の吉成駅までは直線なので吉成駅に停車中の955Dも見ることができました。●勝瑞駅の駅舎。●駅舎内は古き良き時代を思い起こされるつくりです。●窓口は平日のみの営業。池谷駅の駅スタンプがある旨の張り紙がありました。四国はわたしの旅スタンプのデザインなので、集めがいがあります。●板野からの309Dがやって来ました。うずしお6号との交換のために2番線に停車します。●勝瑞でキハ47巡りは終了。勝瑞から、うずしお6号に乗って、高松へ行き予讃線へ。この日も天気が良く瀬戸内海がきれいに見えました。このあとは駅スタンプ巡りをしました。●伊予三島と川之江の間にある大王製紙の専用線。貨物駅が集約される中このような引き込み線が残っているのはいいですね。●川之江駅にあった四国中央市の特産品が陳列されたケース。当然のことながら紙製品が多いですね。●今回はこの辺にして、しおかぜで児島にやってきました。フリー切符の北限は児島なので、この濃黄色の115系に乗り換えて岡山へと向かい帰路に着きました。しおかぜで岡山までいけばいいのですが、ケチって節約です。

    キハ47♦徳島地区(2021.7)④ 池谷駅、勝瑞駅
  10. 10月19日、今日の福岡市はえらく寒くなりました。6時半ごろウォーキングに出たのですがトレーナーだけでは寒さにお耐えられず30分足らずで切り上げてしましました。さて、SLやまぐちは間もなく、10月23日からD51200牽引でようやく、ようやく復活します。その前に18日に試運転があるとの情報を鉄友さんよりいただきました。ならば何はなくとも行かねばならぬと煙のぼせは有給休暇をとって出撃するこに。しかもコロナの影響でしばらく会えなかった竹馬の友(悪友??)のblueskyさんも緊急事態宣言が解け遠征可能とのことなのでご一緒させていただくことになりました。昨年の山口の初詣号以来なので1年10か月振りです。今回の試運転は通常ダイヤとは異なって夜明け前に新山口駅を発車します。どこで明るくなるか数日前から思案します。新山口駅の発車時間を鑑み当日午前0時に自宅を出発しblueskyさんをお迎えに。出発前に気合を入れて(笑)3時間弱の仮眠をとることができたので順調に相棒は東進し山口市へ。しかし暗いので目指すポイントを通り過ぎていました。とりあえず灯りがあるであろう大歳駅に来てみました。それなりに街灯など灯りがあます。まだ時間があるので最初に考えていたポイントへ。しかしここはほとんど街灯などが無く車の交通量も少ないので光量が不足して撮れないですね。という訳で大歳駅に戻ります。この時点ではまだ誰もいなかったのですがトイレ休憩でコンビニに行っている間になんとかなりの方がお見えになっていて目指すポイントは入れなくなっていました(泣)。油断大敵です。次善手の跨線橋に構えます。①試運転往路 大歳駅通過まずはサブ機は望遠気味で。クロスフィルターを付けてみましたがかえって光が煩わしいですね。メイン機は広角気味で。ドレンと蒸機かな?白い煙が光ります。追っかけを開始ですがここから珍道中が始まります。まずは道を間違えて大幅に遅れが発生します。目指すポイントに間に合うかやきもきします。なんせ今回のメインターゲットは通常運転では絶対にお目にかかれない「夜明」です。夜明け直前の明るくなった東の空を背景にするかはたまた登った直後の太陽をとるか?日の出の時間を考えていましたが・・・・。なんと明るくなるとともに霧?モヤ?が。あら?これでは期待の構図は撮れません、チャッチャクチャラばい!接近戦でないとD51200は撮れません、悩んで選んだ場所はここです。▽試運転往路 徳佐駅手前立体交差メイン機は望遠気味に。モヤもですが、信号灯(かな?)も気になります。サブ機は広角で。こちらの方がひどい霧がお分かりいただけるでしょうか?通常ダイヤとは異なり徳佐で長い停車時間があるので徳佐先へ向かいますが、あれ?凄い車です。これは定番の徳佐駅発車やSカーブは無理ですね。先の踏切に迂回しますが、ここもすでに駐車車両が多いですね。ここもあきらめさらに進みます。とうとう船平山駅近くの踏切まで来ました。ここまで来ると先着の方はお一人のみでその方の後方に構えます。▽試運転往路 船平山駅手前サブ機は望遠で。全体的に霧がかかってモヤってしてます。これはこれでなかなか撮れないかも(笑)。メイン機は近づいたところを広角で。背景はモヤですがここにきてようやく試運転ならではのHM無しを正面で撮りれました。モヤっとした往路はここまでです。復路も混雑するでしょうね、人込みを避けて場所選びです。その前に今日は時間があるので転車台も覗いてみましょう。

    2021年10月18日 SLやまぐち試運転 帰って来たぞ、帰って来たぞ!西の京から山陰の小京都
  11. みなさんこんにちは。前回からの続きです。府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」という特別展の訪問記を、引き続いてお送りしています。現在の「JR阪和線」を建設した「阪和電気鉄道」。昭和初期の開業以来、人口希薄地だった沿線の開発によって定住人口の拡大を狙うとともに、和泉山地に近い、沿線の豊かな自然を活かしたさまざまな開発も、阪和は積極的に行っていた、というテーマを取り上げています。奇勝と遊園、松茸山、ハイキングコース…などと、沿線にさまざまなレジャー施設を整備した阪和。しかし他にも、どちらかというと、家族で楽しめるような類のものにさえとどまらなかったようです。続いての展示「阪和射撃場」がそれでした!「電鉄会社直営の射撃場」とは、聞いたことも、否、想像だにしたことがありませんが…大阪方のターミナル「阪和天王寺駅(大阪市天王寺区)」から、当時運転されていた準急電車で10分ちょっと。「上野芝駅(現在の堺市西区)」南側に、射撃場は開設されました。1938(昭和13)年のことだといいます。出展①。ところで、先日の記事で、この上野芝周辺で阪和が大規模な宅地開発を行っていた…というのをお送りしました。『阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その74「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.31』みなさんこんにちは。前回からの続きです。府南部、和泉市(いずみし)の「弥生文化博物館」で、今年3月まで開催されていた「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年…ameblo.jp同一の会社が手掛けた、新興住宅地と射撃場が最寄り駅…もちろん、隣り合っていた訳ではないのでしょうが、なんだかすごい組み合わせなのは違いなさそうです。「日本最初の総合射撃場」とタイトルにある、展示のリーフレットによると、かなり本格的でなおかつ規模の大きいものだったことが窺えます。これを見るに立派な施設です。英文表記がなされているあたり、大阪近郊に居住していた外国人も対象にしていたようです。利用は16歳以上で入場料は20銭(だいたい、現在の5〜600円くらいでしょうか)銃器は無料貸し出し。個人的には、実弾の実費がどの程度だったのかがすこぶる気になります。射撃というと、その方面のことはあまり存じないのですが、オリンピックでも種目になっているほどのものです。クレー射撃、トラップ射撃などと種類もある、上流階級のスポーツだったのでしょうね。射撃場の様子。匍匐前進さながらの真剣な表情には、単なるレジャーという範疇にはもはや収まらないことを物語っているようです。さらに撃ち手が軍人さんだというのには、世界大戦がじわじわと迫り来る、当時の世相をも感じさせられます。さてここまで、1929(昭和4)年に最初の区間を開通、翌年には大阪・和歌山間を全通させた「阪和電気鉄道」について、その事業展開をさまざまな視点から取り上げて来ました。JR和歌山(当時は阪和東和歌山)にて。それまで鉄道が通っていなかった、和泉平野の山あいに近代的な電車を頻発運行させ、大阪・和歌山間をノンストップで45分という、現在と遜色のない所要時間の超特急運行を実現。さらに沿線で住宅地を大規模に開発、付帯するレジャー施設をも多数整備。和歌山からは南紀白浜方面へ直通する「特急黒潮号」を定期運転させたりと、開業からわずか10年あまりという短期間で、名実ともに「関西大手私鉄の一員」となりました。そういった点は、特筆すべきものです。 出展同。ところが、このような発展の途上にあった阪和に、大変な転機が訪れます。それは、開業以来長年のライバルとして、さまざまな局面で、激しく覇を競って来た「南海鉄道(現在の南海電車)」との合併でした。1929(昭和4)年に阪和最初の区間が開業してわずか11年後、1940(昭和15)年のことです。南海和歌山市にて。(出展①「阪和電気鉄道 沿線御案内」阪和電気鉄道発行 昭和10年)次回に続きます。今日はこんなところです。

    阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その81「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」展 Vol.38
  12. 【ウチのハチイチ】EF81-95【第四回】
  13. 品川駅の茶色い103系  1999年
  14. 三重県を目的地とし乗り鉄・降り鉄の旅行に出かけました。もちろん新型コロナウイルスの感染対策を徹底いたしました。3日目を除き、『青春18きっぷ』を利用しました。紀勢本線を中心に未訪問駅を降り鉄していきましたが、途中、参宮線や近鉄山田線にも手を出しました。台風の影響も多少ありましたが、概ね晴天でした。帰宅した後は1週間ほど雨が続いたので、早いうちに出かけておいて良かったですw今回は初日後半の内容です。引き続き、きのくに線(紀勢本線)を乗り鉄して、主に紀伊田辺や白浜周辺の未訪問駅を降り鉄していきました。途中、南側の周参見駅まで足を延ばして白浜方面へ戻り、この日は紀伊田辺で宿泊しました。今回の日程 2021年8月7日 (土) 【後半】和佐1217(紀勢本線【きのくに線】)1251紀伊田辺/田辺駅1303(明光バス・12系統)1309紀伊新庄駅前/紀伊新庄1345(きのくに線)1424周参見1507(下り普通)1539朝来1701(上り普通)1710紀伊富田1759(下り普通)1816紀伊田辺【宿泊】和佐駅からは12時17分発の上り普通・紀伊田辺駅に乗車する予定でしたが、列車が遅延しており、5分遅れで和佐駅に到着しました。車両は227系1000番台2連で、私は大半の席が埋まっていた先頭車両の空席に着席しました。道中は車窓風景を眺めていましたが、切目駅からは岩代駅の先までは太平洋沿いの絶景区間を走り、私はもちろん、他の乗客(地元客を除く)も車窓風景に見入っていました。その後は海が離れます。南高梅の産地として有名な南部と1駅先の難読駅・芳養(はや)の間はトンネル主体の新線区間で山間部を通過し、芳養から先は市街地を走って列車は4分遅れの12時55分に終点の紀伊田辺駅に到着しました。ちなみに印南~芳養の途中各駅は前年に訪問済みなので今回はパスしました。紀伊田辺駅から先、新宮方面は普通列車の本数が非常に少なく、何も考えずに次の列車を待っているようですと訪問駅数を稼げません。そこで、事前に1つでも多くの駅を回るべく、地図やバス路線などを調べると、ちょうどいい時間にバスの便がありましたので、駅前の田辺駅バス停から路線バスに乗車します。乗車したのは13時03分発の明光バス12系統・三段壁(白浜)行きです。列車が遅れていたのでバスに乗り継げるか不安でしたが、数分の遅れで済んだので無事に乗り継げました。乗客は私だけでした。また、明光バスは和歌山県のバス事業者ですが、筆頭株主は南海ではなく近鉄です。南海も大株主です。バスは定刻に田辺駅停留所を発車し、狭い市街地道路を通って丘へと上がり、旧国道42号線に出ます。その後は紀勢本線(きのくに線)と並走しながら住宅地の中を走ります。途中、いくつかのバス停に差し掛かりましたが、乗車してくる人は全くいません。このバスは白浜駅を経由して白浜温泉の中心部へ向かうため、白浜駅から乗客が増えるかもしれませんが…。そして6分の乗車でバスは紀伊新庄駅前停留所に到着し、私は運賃箱に170円を投入して下車しました。明光バスでは交通系ICカードは利用できませんでした。乗客ゼロのバスは白浜方面へ去っていきました。バスを降車後はすぐ近くにある紀伊新庄駅へと向かい、駅舎と駅前を撮影してから改札内のホームを撮影しました。無人駅で、古い木造駅舎が残されています。また、2021年春に『ICOCA』が導入され、原則として乗降時に車内のカードリーダーにタッチする方式なのですが、徒歩圏内に複数の高校があり、朝は通学の高校生が殺到することから、遅延を防止する目的で改札口跡にIC簡易改札機が出場用のみ設置されています。駅の撮影後、ホームのベンチで休憩していると、和歌山方から13時45分発の上り普通・新宮行きがやって来ました。車両は227系1000番台2連です。3月改正まではほぼ105系の独壇場でしたが、105系は一気に227系1000番台へと置き換えられ、和歌山県内は各路線とも全てJR型車両での運行になりました(臨時列車を除く)。私は先頭車両に乗り込みましたが、2両とも乗客が多く、座席に空きが少なかったため、確実に車窓風景を眺めるべくドア脇での立席を選択しました。道中は車窓風景を眺めて過ごしました。途中、駅ごとに乗客が減少し、白浜駅では多くの人が下車しましたが、まだ景色を眺めやすい席が空かなかったので立席を続けました。その後、椿駅で少し下車があり、いいポジションの席に空きが発生したため、私はそこに着席して、引き続き車窓風景を楽しみました。この辺りになると超ローカルな景色が広がっています。そして私は椿駅から2駅先の周参見駅(すさみえき)で下車しました。周参見駅は「すさみ町」の中心駅で、駅名は漢字ですが、やや難読であるためか、自治体名(町名)は平仮名になっています。以前より有人駅でしたが、2021年6月1日に無人化され、『みどりの窓口』も営業終了となりました。『みどりの券売機』もなく、サービスが低下してしまいました。駅舎は「すさみ町民コミュニティープラザ」に併設されており、コミュニティープラザでは喫茶コーナーの営業をしていました。駅前はすさみ町の中心市街地南部に相当し、少し西側にはすさみ海水浴場があります。すさみ海水浴場を散策後は駅へと戻りましたが、すでに列車が入線していました。次に乗車するのは15時07分発の下り普通・紀伊田辺行き(227系2連)ですが、14時44分に周参見駅に到着していて、長時間停車をしていました。私は列車に乗り込みましたが2両ともガラガラでした。まぁ、名古屋を早朝に出発しても普通列車だけですとこの列車には乗り継げないため、車内に旅行者は少なかったです。私は先頭車両で着席して、発車までの間は涼みながらスマホを操作して休憩をしました。発車後、今回は戻る形になるため先ほどとは主に反対側の車窓風景を眺めました。そして私は閑散とした状態の白浜駅を過ぎて1駅先、難読駅名として有名は朝来駅(あっそえき)で下車しました。元々読めませんし、私が居住している兵庫県には同じく難読地名の朝来市(あさごし)があるため、多分兵庫県民は「あさご」と間違える人が多いかもしれません。朝来駅は上富田町唯一の駅ですが無人駅です。立派な木造駅舎を有していますが他の駅とは造りが違います。調べると、初代駅舎は戦争の被害を受けたそうで、戦後間もない1948年に改築されたとの事です。駅舎内は広く、こちらも駅近くに和歌山県立熊野高等学校があるため、殺到する通学生をさばくために改札口部分には『ICOCA』の出場専用簡易改札機が設置されています。駅前は小さなビルが立ち並んでおり、商店も点在しています。上富田町の中心市街地は東方向に延びています。駅前散策後は駅に戻りましたが、次の列車まで時間があるため、駅舎内で休憩しました。そして朝来駅17時01分発の下り普通・新宮行きに乗車しました。227系2連で、夕方の列車ですが土曜日かつ夏休みだった事もあり乗客はさほど多くなく、また旅行者も少なかったです。私は先頭車両に腰掛けて道中は車窓風景を眺めて過ごしました。またも白浜駅をパスしましたが、白浜駅は2021年3月に下車しています。そして今度は白浜駅の1駅南にある難読駅、紀伊富田駅(きいとんだえき)で下車しました。2面2線の無人駅で、当駅では列車交換や待避がよく行われています。駅舎は紀勢本線では珍しく他施設(介護予防拠点施設「紀伊富田みのり館」)と一体になっていますが、駅舎がなくなるよりはコミュニティー施設などとの併設であっても存続するのが望ましいですし、安心感があります。駅前は駅舎がある東側こそ住宅地で、近くにあるホームセンター「コメリ」には頻繁に車が出入りしていました。一方、駅西側は広大な田園地帯で、北西側の丘の上にはパンダで有名な「アドベンチャーワールド」の観覧車や、近隣にある会員制リゾートホテル「エクシブ白浜」が見えました。また、駅滞在中に日本列島の南岸を進んでいる台風10号の影響で急に天気が崩れ、にわか雨に見舞われました。すぐ止みましたが…。これでこの日の降り鉄は終了で、あとはホテルへ向かうのみです。紀伊富田駅からは17時59分発の下り普通・紀伊田辺行き(227系2連)に乗車。乗り込んだ先頭車両は半分ほどの席が埋まっており、私は空席に座りました。私はスマホを操作しつつ夕暮れ時の車窓風景を眺めていました。白浜駅でも動きは少なく、ほぼ同じ乗車率を維持して18時16分に終点の紀伊田辺駅に到着しました。到着後はすぐに改札を出て、まずは夕食です。前年のお盆休みに田辺で宿泊した時にも利用した駅前のラーメン店「らぁめん子弁慶」で今回もラーメンを食べました。昨年は「田辺ラーメン」を食べましたが、今回はあっさりとして塩ラーメンを食べました。値段も手頃で及第点の味でした。夕食後は駅構内の「セブンイレブン ハートイン」で買い出しをしてからホテルにチェックイン。すぐに入浴を済ませて、テレビを観ながらスマホを操作してくつろいでいましたが、22時頃には寝落ちしていました。翌日以降も乗り鉄・降り鉄を続けますが、台風10号は東へ遠ざかるものの今度は台風9号が西から接近していて、天気が心配でなりませんでした。(つづく)今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません(参考:Wikipedia)

    第1443回('21) きのくに線・白浜周辺の未訪問駅を降り鉄   
  15. 伊豆箱根鉄道
  16. キハ40-1本線デビューイベント  撮り鉄練習編
  17. 私が所蔵の昭和60時刻表より)。ここからはその列車に関しましてご紹介してまいります。 この列車の停車駅は、唐津駅を出ますと東唐津駅しか停車せずに筑前前原駅までノンストップで運行されておりまして、「臨時」扱いで土日祝日限定で運行されていた列車でもありました(筑前前原~地下鉄博多駅間は各駅停車)。 (アップ) そのため、唐津~筑前前原間の所要時間も最速31分で運行されておりましたが、現在の唐津~筑前前原間の快速列車での最速が35分ですので、それからしますと所要時間も短かった事がわかるのではないかと思います。尚、筑前前原~地下鉄博多間は定期列車として毎日運行されておりまして、先述のように土日祝限定であった事がお分かりいただけるのではないかと思います。 使用車両は、もちろん当時の主力車両であります103系1500番台電車によって運行されておりまして、この時の塗装は画像のスカイブルーの塗装でありました。本当に通勤型ではある訳ですが、そんな中でもこのような快速列車が運行されていた事が驚きだったのではないかと思うほどでもあります。 運行されていた当時、私自身小学生でありましたが、かつてこの列車に家族で利用した事もありました。何と言いましても途中停車駅が東唐津駅のみであった事は、かつての東唐津駅スイッチバック時代の名残を残しているような印象ではなかったかと思いますが、浜崎・筑前深江両駅をも通過していると言うのもまさに今で言う特別快速みたいな印象でもあったのではないでしょうか。 それにしても、昭和60年当時と現在とは本数も大きく違いますが、当時は唐津~筑前前原間でも1時間ヘッドでありましたので、筑前前原~姪浜間が複線化された現在としますと全線にかけて本数が少ない事もわかるのではないかとも思います。 本当に、筑肥線(東線)におきましては現在も快速列車の存在は非常に大きいようであります。と言いますのも、唐津~福岡間に関しましては先述のように昭和バスの高速路線バスに乗客を奪われていると言った面が見られております。しかし、快速列車であるならばこちらも先述のように天神~唐津間を1時間で結ぶ事ができているなど定時性には十分適しているとは思うだけに、唐津~福岡間時間短縮のためには快速列車の増発も今後必要なのではないかと思う所ではあるだけに、現在の運行形態(日中筑前前原駅で乗り換えを生ずる形態)はもったいないのではないかとも思います。そんな中でのかつての臨時快速列車の存在は最速で行かれる分利用し甲斐もあったでしょうから、この存在は大きかったのかなと思ってならない所ではあります。

    番外 国鉄時代に筑肥線において運行されていた、東唐津~筑前前原間ノンストップ運行「臨時快速列車」
  18. 今回は乗り鉄撮り鉄の『二刀流』記事です。札幌を起点に、道東、道北を周遊する団体臨時列車『HOKKAIDO LOVE!ひとめぐり号』(キハ261系5000番台はまなす編成で運転)ですが、2回目(本来は3回目となるハズだったが、初回の10月2日出発の行程(※この行程のみラベンダー編成の予定だった)は中止)となる10月15~17の行程のうち、16日(土)に運転された釧網本線での走行を是非ともカメラに収めておきたくて、当日日帰りという条件で現地に行ってきたのであります。ちなみに、17日ははまなす編成が営業列車としてデビューしてからちょうど1周年という節目の日なのでありました。基本的に乗り鉄な私、撮りのみというのは滅多になく、同じく釧網本線も走行路線だった『ザ・ロイヤルエクスプレス』や、6月に道内を廻っていたキヤ検East i-Dに関してはいずれも「頑張っても乗れない列車」であるため目もくれないのですが(基本的に「一般客が乗れない車両」に関してはあまり興味がない。但し、そういう列車でもたまたま出先で見掛けたらラッキー!というスタンスで撮る事はある)、今回のひとめぐり号ははまなす編成(以下はま編)による運転で、同編成は実際に定期特急などで一般客も乗れる車両という事でわざわざ撮りに足を運ぶ事にしたのです。私が初めてはま編に乗車した時のブログで「いつか釧網本線でも…」という願いが叶ったといえばそうですが、できれば一般客も乗れる臨時特急としても運転してくれたら、それに勝る歓びはありません!JR北海道には、今後是非検討して頂きたいモノです(実現したら、指定席がすぐ埋まる程の人気列車になりますよ!)。例えば、オホーツク1号で網走に到着後、そのまま釧網本線に直通とか…(大雪4号はどうするの?って言われそうだけど…💦)この日(10月16日)はまず、最寄り駅から学園都市線522M(733系B-107+B-108の連番、乗車車両は最後尾クハ733-207)で、札幌駅へ。札幌からは6:56発の特急オホーツク1号で北見駅へ向かいます。8番線に到着した522Mとは対面乗換なので便利です。網走でなく、なぜ北見までなのかは…JR代を少しでも浮かすため…(汗)。スミマセン🙇普段いっぱい乗り鉄してるし、撮りのための移動は全てクルマじゃないので許して~!!一旦座席に荷物を置いた後、改札内にある駅弁屋で朝食を確保。この日のオホーツク1号の編成は下記の通り。①(指)キハ183-1505 ②(G)キロ182-504 ③(指/自)キハ182-7552 ④(自)キハ183-1552今回、敢えて中間車の3号車(指定席区画)を選択した理由は、数少なくなった12気筒車のキハ182-502(元サロベツ用)充当を期待してだったのですが、あっさりハズレました…。今回乗車した7552は長期間運用離脱しており、最近になってようやく復帰して営業運転に就いたとの事。座席はオリジナルのR55リクライニングシート(1号車も同じ。ちなみに4号車はキハ283系と同じ座席)で、元々は北斗の自由席として運用されていた車両。最新の車両と比較するとどうしても見劣りは隠せませんが、本来のN・NN183系らしさを味わうにはもってこいの車両です。ちなみに、現存するキハ182形で同じR55シートを装備した車両はこの他に7551が残るのみで、他は座席交換がされています。やっぱり、3号車の乗客は自由席指定席双方ともまばら。切符はえきねっとトクだ値(トク35)で予約。札幌~網走よりは割引率が5%アップします。美唄あたりで、先程買っておいた札幌の駅弁『北海道 知床とりめし』を食します。8:32に到着した旭川駅では、指定席区画は私1人を残して全て(6名程)下車してしまい、代わりに1人乗ってきただけでした。大雪山系の山並みは既に冠雪はしていたもののまだ真っ白じゃなかったのですが、流石に翌日は雪化粧したでしょうね…。遠軽からは4号車が先頭になります。下車駅である北見駅には11:27に到着。実を云うと、当駅には10月2日にも訪問しているのですが、その時の事はまた改めて紹介…という事で。北見の秋の一大イベントだった『きたみ菊まつり』ですが、昨年に続いてコロナ禍のため今年も中止になってしまいました。その代わり、北見駅周辺では菊の花の展示が行われていました。北見からはレンタカーで移動します。今回はトヨタレンタカーを利用しますが、営業所が駅から遠く離れているため送迎を依頼。そして借り受けたクルマは、コンパクトトールワゴンのルーミー。本家はダイハツの『トール』で、トヨタのルーミー/タンク(現在は絶版)は兄弟車にあたりますが、販売力のトヨタだけあって本家よりバカ売れしています。しかし、6月に乗ったライバルのソリオ(先代モデル)と比較すると、走りの質感が劣る感じ。同じリッターカーではありますが、流石に坂道では非力感が否めませんでした。釧網本線沿線での撮影ですが、まずは網走のお気に入りのホカ弁屋で昼食を確保し、そのまま釧網本線に沿う形で斜里町へ移動。斜里へは美幌から国道334号線経由のほうが近いですが、ひとめぐり号通過まで時間があるので…。あと、沿線の下見(既に撮り鉄は構えてるか?)という理由もありました。まずは3月に廃駅となった南斜里駅の跡に行ってみましたが、ホームは跡形もなく消えており、ここに駅があったという痕跡は残っていませんでした(廃駅される前に訪問した時のブログはコチラ)。そして、撮影地となる斜里岳が見えるスポット(清里町~中斜里)へ移動し、ひとまず昼食を食べて撮影まで待機します。近くの踏切が鳴り出して、撮影のスタンバイ。14:16頃(?)ついにはまなす編成(はま編)が通過していきました。残念ながら斜里岳の山頂は雲が掛かっており、天候もどんよりとした曇り空。しかも、5両編成だと部分的に木で隠れてしまってキレイに編成写真が撮れませんでしたが、まぁ仕方ありませんね。普段特急気動車が入線しない釧網本線にはま編が走った!という記録だけでも残しておくだけでも満足です。南斜里駅跡を通過、知床連山の1つである海別(うなべつ)岳をバックに。手前には収穫済みのジャガイモの山が。尚、畑の中にまで入っての撮影はしておりませんので!疫病防止のため、撮り鉄する際は絶対に畑の中に入らないようにしましょう!!この後知床斜里駅に14:24に到着し、乗客はそこで下車して知床のウトロ温泉へバスに乗って向かいますが、車両は網走まで給油や整備のために回送されます。それを狙うために、今度は北浜駅(駅舎の写真撮り忘れた💦)の展望台へ先廻り。思った通り、既に先客が3組程いらっしゃいましたが、彼らにご挨拶をし、撮影の仲間入りをさせて頂く事に。そして14:55頃(?)回送列車ではありますが、はま編が北浜駅を通過していきました。やはり曇り空の中の撮影となりましたが、雨が降らないだけマシだと思うしかありませんね。本当は翌日の回送~本番もここか、周辺のオホーツク海の見えるスポットで撮影したかったですが、家の事情で泊まりができなかったため撮影はこの日だけ。バックショット。オホーツク海沿いを走るはま編を撮れて、ひとまず満足!撮影を終え、他の撮影者に「お疲れ様」のご挨拶をし、北浜駅を後にしました。今度は、はま編が一休みするため回送されてきた網走駅へ。既に車両はホームから離れ、私が駅に着いた時はちょうど乗務していたJALのアテンダントらが駅を後にし、宿泊先へ向かう処でした。駅の駐車場(20分まで無料)にクルマを駐め、入場券を買ってホームに入れて頂きました。網走駅の場合、今回のようなケースなら列車がない時間でもひと声掛ければホームへの入場が可能です。跨線橋には、『釧網本線全通九十周年』のフラッグが掲げられていました。ひとめぐり号は、その節目に相応しい列車といえるのではないでしょうか。跨線橋の壁にはこんな掲示物も。ホームに降りるとちょうど、石北本線4661Dで到着したキハ2両(キハ40 1703+キハ54 526)が留置線の4番線に引き上げていく処でした。本来なら到着番線の2番線で次の運用の釧網本線4731Dが発車する16:17まで待機するのですが、なぜかキハ40(旭アサ)と54(釧クシ)の連結位置は逆。以前は54形1両が釧路まで直通し、後の40は知床斜里で切り離す運用だったのですが、ここ最近は北見から54単行だったり、後に40が連結されていても締切回送だったりという変則的な運用のパターンが多々あります。写真のキハ40 1703は長らく苫小牧に所属していた個体のためタイフォンが装着されたまま。H100の大量導入に伴い、旭川に玉突き転配されていきました(この時点での表記は札トマ)。はま編は既にホームから引き上げており、車庫横の側線で給油作業中でした。ソレを終えると、車庫に引き上げて翌日の運用に入るまでしばしの休息に入ります…。4番線に転線中のキハ40+54とのツーショット。この並びも、一体いつまで見られるやら…。この後停車した40と54は切り離し作業が行われていました。給油作業を終えて車庫に引き上げる前のはま編。5号車キハ261-5201の前頭部をアップで。手持ちのレンズ(140㎜)ではコレが限界…。撮影を早々と引き上げて出場。コンコースの壁には、釧網本線全線開通90周年を記念した写真展として、懐かしい駅前風景やキハ80系特急(釧網本線とは無関係だが…)などの写真が飾られていました。駅舎内には、ひとめぐり号歓迎のためのフラッグが壁に掲げられていました。コチラはトイレ横。トップ画像は待合室ホーム側のモノです。網走駅を後にして、北見へ戻って家族と自分へのお土産を買った後給油し、レンタカーを返却。北見駅へはレンタカー屋が手配したタクシー(無料)で戻りました。レンタカーの走行距離は約183㎞でした。北見駅からは18:15発(網走駅を17:25発)のオホーツク4号で帰路に就きます。この日のオホーツク4号の編成は下記の通り。①(指)キハ183-4558 ②(G)キロ182-7551 ③(指/自)キハ182-508 ④(自)キハ183-1501帰路は先頭(遠軽からは最後尾)の1号車の指定席を予約していたのですが、何故か元々自由席用だったハズのキハ183-4558が方転されて1号車に連結されていました。コチラもオリジナルのR55リクライニングシート装備なのですが、コチラの座席は背もたれのクッションがヘタってて背中に当たる部分が硬い!(往路に乗った車両ではそんな事はなかった…)欲を言えば12気筒エンジン車の3号車(しかもグレードアップ指定席仕様)に乗りたかった…(涙)。そして4号車はシートピッチ拡大の元サロベツ用(しかもコンセント付!)つまり自由席と指定席のグレードが逆転!往路と帰路の号車を逆にすれば良かったと後悔してます。まぁ…えきねっとのシートマップを見て空いてたからというのもあったのですが。切符は往路と同様、えきねっとトクだ値(トク35)で予約。途中、安国駅で交換した83D大雪3号の遅れに伴い、それを引きずって終着・札幌駅2番線には所定の22:53より2分程遅れて到着。本当は隣の3番線に22:57に到着するハズの52D上り宗谷(ラベンダー編成)との並びを撮りたかったのですが、ソチラは10分程度遅れるという案内があったため、最寄り駅まで乗車する学園都市線の23:08発653Mに間に合わなくなるので、結局断念しました…。その653Mは、731系G-115と733系B-112の6連。私は最後尾のクハ733-112に乗車。そして最寄り駅に着いたのですが、札幌市内は既に雨風が強く、自宅への帰り道では傘を飛ばされそうになりました…。気温も寒く、もう冬が近づいている事を肌で感じたのでありました(翌日は手稲山も初冠雪し、稚内や旭川、網走などでは翌日初雪を観測したそうで)。以上、HOKKAIDO LOVE!ひとめぐり号の弾丸撮影ツアーでした。

    釧網本線で『HOKKAIDO LOVE!ひとめぐり号』(はまなす編成)を撮る!
  19. NO STEAM, NO LIFE. 只見線② 2010.10.31
  20. 東北本線貨物支線(須賀線)