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公式ジャンル「鉄道」記事ランキングページです。鉄道ジャンルで一番人気の記事は「月組公演 PHOENIX RISING-IN THE MOONLIGHT-」です。
続アメマのおとしもの
2024年11月16日~12月25日 宝塚大劇場・月組公演お芝居の方は消化不良で、同伴した友人も「眠かった」「何が言いたいのかよく分からなかった」という感想でした。私も同感。これはショーの方に期待するしかありません。ハズレの少ない野口氏だし、初日映像ではかなりの絢爛豪華な作品のようでした。客席降りもあるので楽しみです。11月21日13時公演、1階9列目で観劇。桜木みなとら宙組生も中詰で使うポンポンを持ってました。※ネタバレ注意。●Takarazuka Spectacular「PHOENIX RISING-IN THE MOONLIGHT-」 作・演出/野口幸作月組新トップスター・鳳月杏をPHOENIXになぞらえ、満月の夜に蘇った不死鳥が風に乗り、アジアを中心に各国を巡り、人々の幸せのために天翔ける姿をダイナミックに描く宝塚歌劇の魅力満載のステージ。スペクタキュラー・シリーズ第7弾は、新生月組の魅力を余す事なくお見せするべく、「夢」「愛」「浪漫」「希望」「月」「風」「飛翔」の7つのテーマを掲げた究極のエンターテインメントを届ける。PHOENIX(火の鳥)は宝塚ではよく扱われていて、作品では1994年花組「火の鳥」、2014年宙組「PHOENIX 宝塚!!」があったり、他にもショーの中の場面でも良く出てきます。今回はベタな題材をどうショーアップするのかが見どころ。◆PHOENIX RISING-IN THE MOONLIGHT-PROLOGUE月夜の砂漠に立つピラミッドから始まる珍しいプロローグで、大階段に風間柚乃を筆頭に神々が歌い始め、大階段に敷かれたピラミッドの絵の布が取り払われると、大階段の電飾が現れて、そして天井から黄金の翼を広げたフェニックスの鳳月杏が登場する壮大な始まり方。これは初っ端からテンション上がりますね!まさに絢爛豪華。主題歌によるプロローグが展開され、次々とスター陣が中国・エジプト・タイ・韓国・インド・日本をテーマに歌い継ぎます。男役・娘役共に月組の陣容の充実ぶりが分かります。◆PHOENIX FLIGHT(夢)プロローグの居残りで、銀橋で鳳月と天紫珠李のトップコンビが「フラワー・ドラム・ソング」の「Fan Tan Fannie」を歌います。大人なトップコンビって感じで、安定感がありますね。特にここ一年ぐらいの天紫の成長が著しく、お化粧も凄く良くなってますね。そして同名作の「I Enjoy Being a Girl」でロケットへと展開。腰のあたりの飾りつけが踊りにくそうに思ったのと、背景と衣装デザインが同じ感じだったので、どちらも埋没してしまった感があったのが残念。◆BOLLWOOD LOVERS(愛)インドの映画スターオダチン・カーン(風間)が、5本の新作映画の撮影が同時に始まる忙しい場面で、髭を付けて登場した風間が磯野千尋に見えました(笑)。そこから古代歴史アクション、ディスコ、近未来、学園モノ、マハラジャと様々な役に早変わりするオダチンが見もので、ショーのコメディ場面ってあまり好きではないんですが、ここは面白かったですね。オダチンってショースターではないので、こういう場面の方がいいと思います。◆SHANGHAI BURLESQUE(浪漫)魔都と呼ばれる上海を舞台に、まずは礼華はるがオケボックスから登場して「誰も寝てはならぬ」をPOPに歌い始めます。歌は随分良くなってますが、まだまだ頑張ってもらいたいですね。ビジュアルはカッコいいんですけど。そして場面はクラブへと展開し、フェニックスの鳳月がチャンパオ姿で登場。いやぁ~カッコイイ!「シルクロード」の望海みたいです。「Lullaby of Birdland」をタンゴアレンジで、粋に踊ります。天紫はトゥーランドットという役名ですが、どう見ても鳥(笑)。鳳月・天紫・礼華のトリプルセッションが面白く、銀橋で三人が並んだ時のスタイルの良さに見惚れました。◆BIRD OF PARADISE(希望)微笑みの国タイ。彩海せらと花妃舞音が、明るく神秘的に舞い踊り、中詰の冒頭を飾ります。花妃が可愛いですねぇ。銀橋での歌い継ぎや盆が回ったり、セリ上がりでスペクタクルな展開に、否が応でもテンションがあがり、最後に客席降りではテンションMAX!多分ですけど、通路に花妃がいて、少し前には白雪さち花がいたと思います。男役は誰か分からなかった・・・。オリエンタルムード満載の中詰で、ポンポンを持っての客席参加型は苦手ですけど、この盛り上がりは最高潮。そして一旦締めた後に、鳳月・天紫・風間が居残って銀橋でのアピールタイム。三人ともショースターでなく、芝居の人というイメージが強いんですが、この盛り上がりに「ショーもいけるやん」と見直しました。◆MOONLIGHT FANTASY(月)礼華と白河りりを中心に、月明かりに照らされた桜舞う庭園で、優雅な舞。ここ私一番気に入りまして、奥の扇形の鏡も良かったし、羽根扇を使った舞の美しさが素敵でした。そこから一転しての12人の男役によるK-POP「MoonZinG」もめちゃくちゃカッコよくて、韓国の今昔を一気に楽しめました。◆NEVER ENDING JOURNEY-終わりなき旅-(風)風が吹くエジプトの砂漠。戴冠式を控えたファラオの鳳月が、これまでの日々の思いを歌います。トップ就任に掛けた場面で、夜の月のしっとりとした雰囲気ながらも、鳳月の力強さが感じられた場面。再びプロローグの神々が登場して・・・。◆RESURRECTION-愛の飛翔-(飛翔)ショーのクライマックスで、フェニックスが空に向かって大きく翼を広げます。総踊りで新生月組の総力を結集した場面で、なんだか胸が熱くなりましたね。衣装も装置もキンキンギラギラで、スポンサーのない通常公演でここまでの演出はスゴイなと。◆PHOENIX RISING-IN THE MOONLIGHT-FINALEこの公演で退団する春海ゆう、朝陽つばさに夢奈瑠音と英かおとを加えて「シェヘラザード」でフィナーレの導入。そして彩みちる、白河りり、羽音みか、きよら羽龍ら娘役11人で「Soaring High!」。月娘の充実ぶりがスゴイですね。ちるちるのお姉さん感が増しましたし、若手の台頭も嬉しいです。大階段が再び登場し、赤紫の衣裳の男役たちの群舞。ここの曲が西城秀樹の「君よ抱かれて熱くなれ」で、もうめっちゃカッコよくてシビレましたね。曲はそのままで娘役陣も群舞して、フィナーレ最高潮。そしてトップコンビのデュエダンはドビュッシーの「月の光」でしっとりと。鳳月・天紫のアダルトなムードに、これからの月組への期待が高まりました。◆PHOENIX RISING-IN THE MOONLIGHT-GRAND PARADEエトワールは白河で、順当な階段降りに安堵し、風間の二番手羽根に納得。ラストの鳳月の大羽根にウルっとしましたが、今回の作品の楽しさに自然とパレードの手拍子も大きくなってましたね。今回はけなすところが全くないという、私にしては珍しい甘口批評。でも前物の芝居がイマイチだっただけに、ショーでその鬱憤が晴れて良かったです。正直言ってS席8800円の内訳は、芝居800円、ショー8000円ですね(笑)。野口氏のスペクタキュラーシリーズでは初のアジア・オリエンタルムードの作品で、これまでの構成を踏襲しつつも新しい展開もあったりだったので、かなり新鮮に感じました。それに鳳月杏・天紫珠李の魅力が最大限に生かされていたと思います。
鉄道で行く旅
…24年11月23日阪急電鉄「大阪梅田駅鉄道フェスティバル」が開催されましたので、少しだけ見てきました。よく見ると「駅」の字が「驛」と書いてありました。【開催日時】11月23日(土・祝)10:00~14:00【開催場所】大阪梅田駅ビッグマン前 他6号線留置車両内では、万博にまつわる企画やお子様向け撮影会などを開催する他、オリジナルのリアル謎解きゲームや限定グッズが当たるがちゃがちゃ(有料)なども。ビッグマン前のステージでは、ハンドベルコンサートやブラスバンド演奏会を実施。阪急電鉄大阪梅田駅6号線の留置車輛です。予想通り1000系の1009編成でした。1009号車は、車両の正面にある非常用脱出口を使用し、「線路に降りてホームの高さ体験」のイベント会場になっていました。1000系の1009編成は、大阪・関西万博のラッピング車です。1109号車は「乗務員室での写真撮影会(小学生以下限定)」のイベント会場になっていました。1000系1009編成の中間車4両を使ってイベントで行われていました。HH EXPO in 大阪梅田鉄道フェスティバルです。阪急電鉄株式会社の「みんなでつくったテープガーランドゲート」です。まつの人々が「未来に届けたい願いや想い」を込めて結んだテープガーランドです。いざ未来のまちへ!この次の車両は、関西大学の「関祭大学パビリオン」でしたが、たいへん人気があり、混雑していましたので写真は撮りませんでした。学生による非常食配布も行われていました。続いて、オランダのイベント車両です。「オランダの列車の旅」のパビリオン車両の車内です。たくさんの花が飾ってありました。【オランダの国名について】・オランダ語では「Koninkrijk der Nederlanden(コニンクリク・デル・ネデルランテン)」が正式名称で、「Nederland(ネーデルラント)」が通称です。・英語では「Kingdom of the Netherlands(キングダム・オブ・ザ・ネザーランズ)」が正式名称で、「the Netherlands(ザ・ネザーランズ)」とも略されます。・日本語では「オランダ王国」が正式名称で、「オランダ」が通称です。日本で「オランダ」と呼ばれる理由は、ポルトガル語に由来します。 「Holland(ホラント)」は、オランダが独立に至った戦いで勢力を持っていたホラント州を指す言葉で、これが戦国時代にポルトガル人宣教師によって「Holanda(Hollandのポルトガル語)」と伝わったのが語源とされています。オランダ政府は、2020年1月1日をもって、国名としての「ホラント」の使用を廃止し、オランダ外務省も諸外国にこの通称から変更し「ネーデルラント」とするよう呼びかけています。ただし、日本のオランダという呼称については、日本語の言葉として定着していることから変更は求めないとしています。オランダ人の説明者の方と会話をしている入場者の皆様です。生きているうちに何回オランダへ行けると思う?オランダのアムステルダム中央駅とトラムです。(2015年5月2日)2016年に引退したオランダ鉄道のMat '64「ドッグノーズ」です。(2000年に知人が撮影)オランダ鉄道インターシティのダブルデッカー電車(DD-IRM)です。(2015年5月2日・アムステルダム中央駅で撮影)残念ながらオランダ(ネーデルラント)には一度しか行ったことがありません。車内イベントの最後は「ノモのコ トレイン」でした。大阪梅田駅ホームを後にしました。大阪梅田駅ビッグマン前のコンサート会場です。ハンドベルコンサートが始まるところでした。たいへんな賑わいでしたので、1階で撮った写真は、このような感じです。やむなく2階から撮影しました。この催しは、『JR西日本 大阪駅「ハンドベルコンサート」』ということでした。右寄りがICOCAの「イコちゃん」とPiTaPaの「ぴたまる」です。左端の白いイコちゃんは、たしかSMART ICOCAの「スマイコちゃん」ではないかと思います。【備忘録】古本屋で、廣田尚敬(現在の表記は広田尚敬)さんの写真集「魅惑の鉄道」(1969年刊行の書籍)を購入しました。1960年代に撮影された写真集ですので、私の年齢でさえも、よく知らない鉄道路線の写真が掲載されています。購入して良かったと思える写真集でした。復刻版になる「魅惑の鉄道」Kindle版(電子書籍版 2023年6月発売開始)は今でも販売されているようです。一番好きな和食は何?「うな重」です。▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう
風に吹かれて旅します…
令和6年8月28日(水)、北海道札幌市の拠点を出発いたしました私は、札幌インターチェンジから道央自動車道へと入り、北海道砂川市に位置する「砂川サービスエリア」等での休憩を挟みつつ、道央自動車道、深川ジャンクション(北海道深川市)から分岐する深川留萌自動車道を走りまして、北海道留萌(るもい)郡小平(おびら)町までまいりました。(。・ω・)y-゚゚゚しかし、今回は、その小平町が目的地ではなく、さらに北上する予定であり、日本海に沿う日本海オロロンラインこと国道232号線を走行しておりますと、同じく小平町に位置しておりました「道の駅 おびら鰊番屋」を発見し、トイレと一服休憩のために立ち寄ってみますと、道の駅の前には、日本海が広がっておりまして、その日本海を見つつ、休憩されておられる方々がいらっしゃいました。ꕀꕀꕀꕀ𓊝ꕀꕀꕀꕀトイレと一服を済ませました私は、観光交流センターという施設に入り、剥製のヒグマや実際に使用されておりました大漁旗等が展示中の"交流ギャラリー"、利用可能な休憩スペースでありました"親方の間"、小平町自慢の特産品や野菜等が販売されておりました"特産品販売コーナー"等をチラ見しつつ、道の駅スタンプをスタンプラリー帳にいただきました。ヤタ───ヽ(〃∀〃)ノ───♪また、こちらの道の駅には、重要文化財に指定されております「花田屋番屋」という明治38(1905)年頃に建築のいわゆる鰊御殿が保存されており、地元の網元の花田家一族、漁師、船大工、鍛治職人、屋根職人等の最大200人程度が暮らしていたようでした。(。・д´・。)ホホゥ...そんな鰊御殿を見学したところで、道の駅 おびら鰊番屋を離脱しまして、国道232号線の北上を再開したのでありました。
鉄マイラー修行中
いつも読んでいただきありがとうございます。前回の続きです。角島大橋に来ました。以前訪問時は悪天候でしたが、この日は天候に恵まれました。角島大橋です。海がキレイでした。角島大橋を渡りました。こちらは角島側から角島大橋を撮影しました。続いて、角島ジェラートポポロに来ました。フレーバーが多くありました。メニューはこちらです。筆者はダブルのカップにしました。590円也筆者は小野茶とジェラートミルクにしました。非常においしいジェラートでした。続いて、角島プリンを買いに来たのですが軒並み売り切れだったので、パスです。この続きは次回のブログに書きたいと思います。次回もよろしくお願いします。このブログは読者の皆様からのナイスやコメントによって成り立っています。コメントやナイスをよろしくお願いします。感想などコメントをいただけるとより嬉しいです。友達登録、相互リンク大歓迎です。このブログを検索する場合は「鉄マイラー修行中」で!!
れきてつ
1979(昭和54)年に試作車がデビューし、「省エネ電車」として旧国鉄に新しい風を吹かせた201系。中央快速線用を中心に1000両以上が量産されましたが、製造費が高かったことから後に「軽装車」と呼ばれるコストダウンを図ったグループも登場。あの手この手の節約術が見られました。関西圏の東海道・山陽緩行線に投入された201系軽装車。写真のクハ200-142を含む編成は晩年大和路線で活躍し、今年10月に廃車回送されました=新大阪駅、1993年201系は電機子チョッパ制御をはじめ、着席区分を明確化した車内インテリアなど、当時の国鉄としては多くの新機軸を試みた形式でした。一方で製造費が高かったため、財政難にあえぐ国鉄では昭和58年度第2次債務以降の126両は一層のコストダウンを図りました。この126両は84年秋から翌年春にかけて落成し、関西圏の東海道・山陽緩行線に7両編成9本(明石電車区配置)、首都圏の中央・総武緩行線に10両編成6本(中野電車区配置)が登場しました。201系軽装車は、白字の転写式に変わった車両番号表記が目につきました=大阪駅、1991年軽装車は、足回り(一部部品の省略など)、先頭車のブラックフェイス部分の着色方法、側窓構造(バランサーなし上段上昇・下段上昇式化)などが変更されました。201系に詳しくなかった私の場合は、ステンレスの切り抜き文字から一般的な転写文字に変わった車番表記が気になりました。国鉄通勤形の停滞ムードを打開した201系の「後退」は開発陣にとって苦渋の判断だったかもしれませんが、当時の国鉄の状況ではやむを得ぬ流れだったように思います。しかし、201系はチョッパ制御自体が高価だったため、軽装車でも大幅なコストダウンは実現しませんでした。チョッパ装置付き中間電動車モハ201形で見ると、約1億4085万円だった価格は、軽装車では1億3697円に下がったようですが、その節約幅は400万円弱にとどまりました。結局、国鉄通勤形電車の増備は、コストパフォーマンスに優れた界磁添加励磁制御を採用した205系に移行しました。中央・総武緩行線を走った201系(写真は通常の量産車)。カナリアイエローの塗色は中央快速線のオレンジバーミリオンに比べ軽やかな印象でした= 西船橋駅? 1987年201系は私も東京在住の学生時代にはよく乗車しましたが、当時は試作車の900番台と量産車の違いを意識するのみで詳しく見ていませんでした。それでも軽装車の登場経緯や変更内容を振り返ると歴史的に面白く、201系はまさに国鉄末期を象徴する形式だったように感じます。※姉妹ブログでは201系の「音」の視点でまとめました省エネ電車201系~国電新時代を告げたチョッパの響き | 歴鉄2番線1979年に試作車がデビューし、その後中央快速線に続々投入された201系通勤形電車。将来を見据えたさまざまな新機軸が話題を呼んだが、電機子チョッパ制御が導入された足回りから聞こえる国鉄車両らしからぬ「音」も注目された。 1981年に量産が始rekitetsu.com
EXPRESS DIARY3
… 9時36分頃奈良阪神1204FSDGsラッピング車6両の普通尼崎行きが出発していきました。 9時39分頃奈良線1258F他6両の区間準急奈良行きがやって来ました。 9時40分頃22652F他4両の特急京都行きが出発していきました。 9時40分頃京都線23104F伊勢志摩ライナー6両の特急賢島行きが2番のりばに入線してきました。 9時43分頃京都線3722F6両の急行橿原神宮前行きがやって来ました。 9時45分頃奈良線8614F+8352F他10両の快速急行奈良行きがやって来ました。 9時47分頃京都線8354F4両の普通大和西大寺行きがやって来ました。 9時48分頃奈良線8614F+8352F他10両の快速急行奈良行きが出発していきました。 9時50分頃奈良線3723F6両の区間準急大和西大寺行きがやって来ました。 9時50分頃京都線京都市交2132F6両の急行奈良行きがやって来ました。久々に京都市交20系を見ました。 9時52分頃22112F4両の臨時特急天理行き天理臨がやって来ました。 天理臨は2番のりばに入線してきました。 天理臨は意外にも大和西大寺で降りる人が多かったです。特急代わりに利用している人が多いということか・・・あるいは乗り鉄か。 9時57分頃奈良線5802Fレトロ塗装6両の急行天理行きがやって来ました。この電車は大阪難波から大和西大寺までは区間準急で運転されています。これを撮影して撤収しました。鉄道ファン 2025年 1月号 [雑誌]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}鉄道ピクトリアル2025年1月号No.1033楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}鉄道ピクトリアル2024年12月号別冊 アーカイブスセレクション49 国鉄急行列車変遷史 東北・常磐線〔戦後編〕楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}鉄道ピクトリアル2024年10月号臨時増刊No.1030号 【京成電鉄】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}鉄道ジャーナル 2025年 1月号 [雑誌]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}鉄道ダイヤ情報 2025年 1月号 [雑誌]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}電気機関車EX(エクスプローラ)Vol.33 JR西日本のEF65を徹底解説 [ イカロス出版 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}新幹線 EX (エクスプローラ) 2024年 12月号 [雑誌]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}ドクターイエロー&East i 新幹線事業用車両徹底ガイド 改訂版 [ 新幹線EX編集部 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}私鉄ディテールガイド 新車詳解 近鉄8A系一般車両楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
キハでGo!
こんばんは!本日はいつもの・・・「スポーツ御意見番」からです。野球の話題も多いことから安定の「オチ・ナカ」コンビでした。メジャーリーグのMVPはやはり大谷選手が受賞し、専任の指名打者では史上初の受賞となりました。コメントも1枚目のとおりで、とにかく謙虚な姿勢が万人受けします。そして唐橋アナによるディスプレイ解説もあり、今年は「50-50」、「両リーグでのハンク・アーロン賞受賞」、「2年連続、両リーグでのMVP受賞」と前人未到の記録について説明があり、最後は来年は投手としての復活も期待されることから「サイ・ヤング賞」への期待も紹介されていました。そして普段はあまり「天晴っ!」を出さない落合さんも「大天晴っ!」を入れていました。そして訃報です・・・11月12日に元横綱の北の富士さんが体調を崩して入院されていましたが、亡くなられたとのこと。二日ほど前にニュースになっていたようですが、私は本日、知りました。同期横綱の玉の海と全勝優勝を賭けた千秋楽の取り組みや2枚目の様に張さんとの出演も流されました。角界退職後はNHKの専属解説や各スポーツ番組でも辛口のコメントで相撲ファンを長年楽しませてくれました。ご冥福をお祈りいたします。ありがとうございました m(. .)m泣大相撲九州場所の千秋楽は昨年初場所以来の相星決戦となり、同格では令和3年の横綱白鵬と照ノ富士で、大関はなんと平成15年の魁皇と千代大海でした。千秋楽前に圧倒的な強さで優勝が決まるのもいいのですが、最後までもつれ、しかも最上位同士のガチンコもまた面白い!今回は幕内での初優勝が懸かった琴櫻と大関での初優勝が懸かった豊昇龍でしたが、軍配ははたき込みで琴櫻が優勝を決めました。今回の結果を受けて、優勝した琴櫻と優勝に準ずる成績となった豊昇龍は来年初場所で綱取りとなるようです。今年も6場所を通じて熱戦が繰り広げられましたが、来年も初めから2大関の綱取りから始まり、楽しめそうです!本日は先週にヤフオクで落札したものを開封しました。(また未開封で受け取り連絡をしていました。まぁジャンクなんでw)21m級の気動車とは思えないコンパクトな箱に、車両はプチプチで一巻きされて紙クッションで保護された状態で届きましたw。中身はKATOのJR東海色のキハ40(M車)です。本来はキハ48(T車)とのセットなのですが、バラシでキハ40のみ出品されており、ケース、付属品なしでモーター音も異音ありのジャンク出品でした。それを送料込みで2500円ほどで入手しました。JR東海の地域色でアイボリーをベースにJR東海のコーポレートカラーであるオレンジ帯に緑帯を合わせた細い帯のシンプルな外観ですが、この大人しいデザインは人気があり、ヤフオクでもそこそこの値段になります。(今回は色んな意味でジャンクだったので、安く手に入ったと思います。)キハすきすき線区には以前に購入したTOMIX限定品のJR東海のキハ40系セット(詳しくはコチラ)とバラで購入したTOMIXのキハ48-500(詳しくはコチラ)があるのですが、買ってしまいましたw一目瞭然かもしれませんが、一応、左と上がKATO、右と下がTOMIXです。色合い的にはKATOの方が少し白っぽいのですが、少し離れてみるとさほど気になるほどの差ではありません。同じく、上と左がKATOで、下と右がTOMIXです。KATOの方は詳細は不明ですが90年代中頃辺りの商品らしく、その割には所属表記や帯上の小さなJRマークなども細かくプリントされており、造形も元のキハ40系と同様によくできていると思います。TOMIXの方はキハ40系のHGで2013年に発売されており、実に15~20年近い年月差があります。なのでTOMIXの方は乗務員ドアのステップや前面行先種別幕の点灯化、2枚目の様にベンチレーターの別パーツ化など時代に沿ったクオリティとなっています。どちらが良いかと言われればTOMIXの方ですが、15年以上前は発売されておらず、その時であればKATOの方で十分と思っていたと思います。(現にTOMIXのHGキハ40系が出るまでは普通にKATOで満足していましたしね。さらにその前の世代の方になるとエーダイや学研(詳しくはコチラ、コチラ)でも「良く出してくれた!」だったようなので・・w)そんなKATOの東海色ですが、せっかくなのでJR東海でよく見られた5両以上の長編成を楽しもうと思いましたが・・・2枚目の通り、この頃はまだKATOのNカプラーではなく、アーノルドカプラーであり、さらに・・・・動力もどえらい音が・・・・ジャンクの割に、まだ走行するだけでもマシなのですがw完全に分解し、モーターとギア周りの清掃、注油を行いました。さらにカプラーもKATOのNカプラーに変更し、TOMIXのTNカプラーと連結できるように鉄模愛好会のAさんからかなり昔に伝授してもらった秘技(というほどでもないのですがwコチラ)を使いましたwこれで1枚目の通り、左のTOMIXと右のKATOのキハ40は連結でき、走行させても自然開放することなく、2枚目の様にキハ40の3連にキハ48の2連の計5両編成を組成しました。(ただM車が3両で内1両がKATOという暴挙ですがw)KATOのキューキュー音はかなり軽減し、走行もスムーズになりましたが、まだ少し音がしているような気が・・・もう少し走り込んだら解消するでしょう・・東海色の5両編成はなかなかの物ですが、実際はJR東海のキハ40系運用の最後の方には国鉄標準色に塗装変更された車両が混じっていたり、数少ないキハ47の東海色も入っていたので、東海色オンリーの長編成はなかなか珍しい編成のようです。保管はTOMIXのケースに空きがあるので同居も考えましたが、気軽にJR東海色を楽しむことを目的に今回は余っていたKATOの単品ケースに収納し、自室のキハ40系置き場に収納しておきました。こうなるとかなり昔に発売されていたマイクロエースのJR東海色のキハ47が欲しくなってしまいますwたまにヤフオクでも見かけるのですが、時々、ドエライ値段になっていることもあり・・・TOMIXから出して欲しいのですが、すでにJR東海ではキハ40系は全滅していることもあり、許諾も取りにくいのかもしれませんね・・・気長にマイクロエースを探しますかwでわでわ今年最後のAmeba大相撲センター試験を終了し、今場所は見事に「全勝優勝の横綱」に輝きました!1月は13勝2敗の大関、3月は12勝3敗の大関、5月は11勝4敗の関脇、7月は10勝4敗1忘れwの関脇、9月は11勝3敗1忘れwの関脇と三役でしたが、5月場所では綱取りに失敗して関脇となり、さらに2場所連続、初日忘れで関脇が続きました。今場所はかなりサービス問題も多かったので、横綱は当然と思われます。来場所も頑張ろうw(まずは初日忘れを防がないとw)でわでわどれもドエライねだんですね・・・再販して欲しいですわwTOMIX Nゲージ 98904 限定 キハ40系ディーゼルカー (JR東海色) セットAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}TOMIX 92181 JRキハ48形500番台 JR東海色 2両セットAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}Bトレイン キハ40形+キハ48形 JR東海色 2両セットAmazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}KATO-10-343キハ40系/JR東海色/2両セット(キハ40+キハ48)/ナックルカプラー化/所属表記=美濃太田(海ミオ)/インサートは自作/Amazon(アマゾン)${EVENT_LABEL_01_TEXT}【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 98904 JR キハ40系ディーゼルカー (JR東海色) 3両セット 【A´】 スリーブ傷み楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 98904 JR キハ40系ディーゼルカー (JR東海色) 3両セット 【A´】 スリーブ傷み楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 92181 JR キハ48-500形ディーゼルカー (JR東海色) 2両セット 2013年ロット 【A´】 外箱傷み楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
ありのまま生きてこう 自分を磨きながら
…別展「みんな大好き近鉄電車のデザイン展」を訪問した際の様子をお送りしています。京都と奈良を結ぶ「近鉄京都線」について取り上げています。その前身は昭和初期に開業した「奈良電気鉄道(奈良電)」という近鉄と京阪による合弁会社でした。近鉄の路線になったのは1963(昭和38)年10月と、比較的最近のこと。近鉄京都にて。近鉄の路線となったことで、近鉄は京都への拠点をあらたに得ることになります。「近鉄京都線」となった「奈良電」を近代化させるということが近鉄にとっては、合併当初の事業となりました。「東海道新幹線 京都駅」と一体化した高架駅に生まれ変わった「近鉄京都駅」。出典①。開業当初より、両都市を結ぶ近代的な電車が登場した奈良電。沿線開発も戦後になって徐々に進むものの、並行する「国鉄(→JR)奈良線」からの乗降客がなかなか転移しませんでした。そんな中、1954(昭和29)年10月に「奈良〜京都間」を30分で結ぶ、特別料金不要の特急が登場。スピードや列車本数で国鉄を凌駕し、今日の京奈間輸送での優位を獲得した、というところまで述べて参りました。出典②。デビュー直後から好評を博したこの「奈良電特急」。デハボ1200形と呼ばれた新車の他にも、従来からの車両を改装して運用に回すほどの人気ぶりだったといいます。出典①。しかしながら、奈良電が近鉄に合併された直後の1964(昭和39)年10月、近鉄特急の存在価値を揺るがす、大きな出来事が起こります。「東海道新幹線開業」です。大阪・名古屋間を人気の「2階建て特急ビスタカー」で2時間半あまりで結び、国鉄より運賃の安かった近鉄にとっては、運賃が上がっても所要時間が半分の1時間で名阪間を結ぶ新幹線には大きく水を空けられることになりました。名阪直通の利用客が激減することが予想される中、近鉄が取り組んだのは「新幹線停車駅で近鉄特急との接続を図る」ということでした。つまりは、新幹線と接続する名古屋や京都からの近鉄特急網を拡充させることで、自社沿線の奈良大和路・伊勢志摩方面に観光客の利用を喚起しようとするもの。それまで、別料金の有料特急は大阪・名古屋から伊勢方面への列車しか存在していませんでした。これまでにない路線にまで、近鉄特急網を拡大しようとしたものです。出典③。京都を起点にしては、奈良・橿原神宮・吉野方面への特急網の整備拡充が急がれました。現在、頻発している専用車両による「京奈(京都〜奈良間)特急」、乗り換えで吉野方面へ連絡する「京橿(京都〜橿原神宮前間)特急」の新設がその目玉でした。近鉄京都にて。奈良電の近鉄合併(1963年10月)から、東海道新幹線の開業(1964年10月)までわずか1年。新幹線開業と同日に行われたダイヤ改正で新設された「京橿特急」、2ヶ月遅れて運行を開始した「京奈特急」にももちろん別料金の、有料特急が充当されることになりました。そこで白羽の矢が立ったのが、前身の奈良電で看板列車の特急「デハボ1200形」として活躍し、近鉄に合併してから形式名が変更されたこの「680系」。塗装は近鉄特急のオレンジと紺色へ、さらに冷房化を含めた、車両内外装の大規模な整備が行われての登場でした。ここまで触れて参りましたが、この「680系」は1954(昭和29)年にデビューした、別料金不要の特急列車として奈良電が製造した車両。特急料金を要する車両が、料金不要の車両に格下げされる例はあまたありますが、これはまったく逆の例。他には聞いたことがない、大変珍しい例だというのです。出典②。しかし、せっかくあたらしく設定した区間に走らせる、それも有料特急。時代的には新型形式だった「10400系(1961年デビュー)」などを導入したいところだったのでしょうが、このような「格上げ」の珍しい例を採らざるを得なかった、切実な理由がありました。出典③。次回に続きます。今日はこんなところです。(出典①「近鉄80年のあゆみ」近畿日本鉄道編・発行 1990年10月)(出典②「カラーブックス637 近鉄線各駅停車1 奈良線・生駒線」徳永慶太郎著・保育社発行 1984年4月)(出典③「鉄道ピクトリアルNo.313 臨時増刊号 近畿日本鉄道特集」電気車研究会編・発行 1975年11月)(出典④「ヤマケイ私鉄ハンドブック13 近鉄」廣田尚敬写真・吉川文夫解説 山と渓谷社発行 1984年9月)
たくさん共感されています
しぃの日常
…10f+7211f阪神尼崎出場回送』『阪急7036f+7037f 阪神尼崎入場回送』ダイヤ改正後、しばらくの間西宮に居た7036f、7037f。同編成が7036-7156+7037-7157の…ameblo.jp11月15日未明に阪神尼崎から出場した能勢電鉄7210f+7211f。西宮車庫に入庫して1週間弱経った23日終車後、最終工程となる正雀工場へ向かいました。@武庫之荘先日無謀な場所で撮ったせいでろくに拝めなかったお顔。中々の速度でして…後ろには変わらず6016。6016がいない分の10連代走、このまま行けば週明けには終わりそうですね。7210-7211の改造があとどの程度残っているのかは分かりませんが、行ってしまいさえすれば2ヶ月もあれば出てくるんでしょうね。その頃1755は…11/20 平井回送先日閉店した川西能勢口駅前の西友と1755を一緒に撮ったカット。色んな思い出が甦ってきました。Legend1700のHM掲出もいよいよ終盤。悔いの残らないようにしましょう。
LGGのデジカメ写ん歩
新潟駅で観光列車「海里」乗車が満席で指定が取れず乗れなかったので35分後の特急「いなほ3号」の指定で鶴岡駅へ自由席でも空いているのでよかったですが海側席は空いていないから指定取った方が良いと助言があったので指定席を確保して乗車3M いなほ3号 入線4両編成のE653 特急いなほ3号新潟はお天気よかったのですが山形に近づくにつれ曇り空にせっかくの日本海も灰色の世界で笹川の流れも冴えない景色です海岸から陸地に入ると米どころ庄内平野の景色にいなほ3号は定刻鶴岡駅に到着酒田に向け出発を見送ってホームで時間調整海里停車駅の駅名標8853D 快速 海里桑川駅で30分以上サボっていた海里が鶴岡駅に入ってきました酒田駅で休憩中の 701系電車海里の発車を見送って宿泊ホテルへチェックインには早くて無理なので荷物を預かってもらい身軽な格好で観光へ黒塀の素敵なお宅紅葉がきれいなので 旧 鶴岡北高校126年の幕を閉じ鶴岡南高校と一緒になり致道館高校にこの校舎は中高一貫校で致道館中学校に鶴岡南高校が北高と一緒なり致道館高校になった校舎校舎の敷地前身は旧庄内藩の七つ蔵学校を通りながら見学して鶴岡公園に公園内には鶴ケ丘城跡や見たいところがたくさんあったしこの後、庄内藩校致道館も行きたかったのですが大粒の雨が降り出してきたので公園内にある荘内神社に駆け込みました神社にお参りして神職にお願いしてタクシーを呼んでいただきましたタクシーが到着するまで宝物館見学したり御朱印を書いていただきました風雨が強くなってきたのでホテルに直行夕方になり駅前に出没傘が差せないほどの風でびしょびしょ近場のお店を探して入店お通しと生ビール後は山形の地酒を熱燗で日本海の魚は旨い!酒が何本も進む!観光はいまいちだったが食は最高の日でいた次は酒田へ
もはねの小部屋
当コーナーでは貨物列車を取り上げることはあっても、貨車そのものを取り上げることは少ないです。昔から「貨車が好き」という愛好者はいましたが、変質者扱いされていたのは間違いなく、まぁ、メジャーかマイナーかと聞かれれば「マイナー」の域は脱しないでしょうね。そこへいくと、21世紀の昨今は趣味としてのカテゴリーで貨物列車はメジャー扱いされ、各種媒体でその勇姿が掲載されていますけど、どっちかと言えば、貨車そのものではなくて、貨車を引っ張る機関車が注目されているのでは? と思ったりします。貨車はコンテナ車とタンク車に統一されてしまい、コンテナ車の場合は形式的に種類は多いんでしょうけど、素人目だとどれこもれも一緒にしか映りません。コンテナ車の “乗客” であるコンテナはすんごくバラエティ豊かですが。昭和国鉄の頃、貨物列車といえばこのコーナーでも幾度かお伝えしているように、雑多な貨車を何十両も連ねて、彼方此方に点在していた操車場で方向別に組み替えながら目的地へ向かうシステム。貨車も積載する貨物別に有蓋車があったり無蓋車があったり、ホッパ車があったり、車運車があったり、家畜車があったり・・・と車種の多さは無限大。さらに二軸車がメインだったから、「タンタンタンタン・・・」というリズムがまた良い味を出していました。その昭和貨物列車に欠かせないのが車掌車。列車の殿(しんがり)に連結されるのが一般的ですが、場合によっては機関車の次位に連結されることもありました。車掌車は数に限りがあったようで、操車場や貨物駅では争奪戦だったと、当時の国鉄OBは語っていましたが、地方線区では牽引定数に制限があるため、重宝されたのが貨車に制動手が乗務するスペースを設けた緩急車。画像はその緩急車(有蓋緩急車)で、車掌車の形式は「シャショウ」を意味する「ヨ」が使われますが、緩急車は客車の緩急車同様、「フ」が付され、有蓋緩急車の場合は「ワフ」となります。コンテナ車にも緩急車は存在し、「コキフ」となります。諸説あるようですが、ワフ、コキフの “フ” は “ブレーキ” の “フ” 説が有力。車掌車もそうですが、緩急車には手ブレーキが必ず据えられていますので、そこから採られているのかなって思います。車掌車に乗務する車掌の仕事は、発車前の車両検査や運行中における非常時の対応(列車防護措置)が主で、異常事態が発生せず、平常運転の場合は特別何もすることがなく、至ってヒマだった草。昭和44年までは旅客列車を担当する普通車掌が貨物列車の車掌として乗務することがありましたが、昭和44年以降は旅客の車掌職と貨物の車掌職が分離されて、貨物は新設された列車掛が乗務するようになります。一方緩急車ですが、前述のように車両に制動手が乗り込むスペースを設けた車両が緩急車と呼ばれています。客車には鉄道黎明期から存在していましたが、初期の貨車にはそういったスペースが設けられず、吹きさらしの制動手席があるに過ぎず、悪天候時には劣悪な条件の中、ブレーキをかける作業を余儀なくされたため、貨車の一部に制動手が乗り込むスペースが用意されるようになりました。戦後の国鉄における代表的な緩急貨車はワフ29500形とワフ35000形でしょうけど、画像に写っているのはワフ29000形。昭和29年に製造されたワフ29000は、ワフ35000の前身形式であるワフ25000と同じような造りながら、車掌の執務環境改善のため、荷重をワフ25000よりも1t減らして車掌室を拡大、大まかではありますが貨物室4:車掌室6の割合としました。ただ、車掌室を拡げても車掌の執務環境は必ずしも良かったとは言えず、昭和41年に近代化改造が実施されました。ワフ29500に準じた出入り口付きの車体に載せ替えられた他、貨物室がさらに縮小して5t積みとなり、電灯とストーブが設置されました。その結果、貨物室3:車掌室7の割合になった感があります。最高速度も引き上げられて75km/hとなっています。車掌車と共に国鉄貨物輸送のマスコットとして親しまれた緩急貨車ですが、機関車のブレーキ性能が向上したことと、貨車そのものの連結両数の減少、機関士が乗務中に意識不明や死亡するなどの非常時に強制的にブレーキ装置が作動するデッドマン装置の普及、列車防護無線装置や鉄道無線装置の整備が終わったことから、昭和60年3月のダイヤ改正で貨物列車の運行を原則1人常務として、列車掛の乗務を廃止(列車掛の職制廃止は翌年11月)、車掌車と緩急貨車の連結も行われなくなりました。59.2改正からだと思っていました。ただ、例外があって、稲沢-紀伊佐野間(のちに鵜殿まで)で平成12年まで車掌車を連結していました。また、平成・令和の今では、特大貨物輸送や甲種車両輸送で控え車として車掌車が連結されるのが有名ですよね。それ以外は余剰となって車掌車と緩急貨車は行き場を失い、一部を除いて廃車・解体の憂き目に遭いますが、ちょうどその頃、国鉄では余剰となった客車や貨車を一般に販売し、貨車(有蓋貨車)の場合は倉庫や小屋に、車掌車は駅舎や事務室に転用するという事業を展開、ちょっと話題になりました。画像は昭和59年に敦賀駅で撮られたものとのことですが、これらも行き場を失って解体されたクチだと思われます。一般に売られた貨車も時間の経過とともに、よほどの整備をしない限り雨ざらしだから車体はボロボロになるし、今も存在且つ活用してるのはそんなに多くないでしょうね。因みに、ワフ29000は宇都宮貨物ターミナルに放置プレイされていたワフ29041が鳥取県の若桜線保存会の手によって譲渡され、八頭町にある公園で保存されています。車掌車や緩急貨車が無いのは寂しいですが、列車の最後部の赤い円板もまた、味気ないなと思います。【画像提供】フ様【参考文献・引用】ウィキペディア(国鉄ワフ29000形、車掌車、緩急車など)
ちょい鉄おやじの画像保管庫
2024.11.23 8071レ(DF200-8+コキ11両+DF200-121)・4650D(H100-63)今朝、家を出るときには雪が降ってなかったのですが、遠軽に着くと雪が降り始めました。雪が降っているうえに暗すぎるので、4653Dの発車を撮影せずに瀬戸瀬駅へ向いました。瀬戸瀬駅に着いたときにはけっこう降っていたのですが、少しすると止みました。アリョさんがやって来て少し話をして、それぞれのポジションで待っていたのですが、8071レがやって来ません。どうしたのかなと話していたのですが、SNSやJR北のHPを見ても何の情報もありませんでした。待っているときに2人がやって来たので、追いかけてきたのか聞くと、先の踏切で待っていたけど来ないので、ここに来たとのことでした。皆で待っていると約20分遅れで遠くからエンジン音が聞こえてきました。入線してきた121号機には雪が着いていないので、雪の影響ではないようです。振り返って後補機を確認すると赤スカ8号機でした。20分遅れだと72Dが遠軽に到着する約10分前には着くので、72D到着後すぐに発車させると思い安国駅へ急ぎました。安国駅の跨線橋で待っていると、先に4650Dが入線してきました。4650Dは抑止が掛かり、5分ほどすると8071レが入線してきました。入線を撮影するとすぐに移動したのですが、8071レがすぐに発車してしまい追いかける感じになりました。すぐに追い越せたので146KPへ急ぎました。林道は5~10cmほどの雪が積もっていて、いつも通りに走れませんでしたが、通過5分前に到着することができました。146KPには職場のOBともう1人の方が来ていました。さすがに峠はいい感じで積もっていて、雪景色と赤スカを撮影することができました。撮影後は林道を通って金華側へ抜けたのですが、雪が積もっていつものようには走れず、北見駅での貨物線への入れ替えには間に合いませんでした。北見駅の貨物線に停車しているところを撮影したあと、びくドンで遅い朝食をとってから買物をして、オホーツク車両展示場へ向かいました。今日は今年度最後の公開日で自分が当番でしたが、天気が悪いせいか来場者は2人だけでした。撮影日:2024年11月23日撮影場所:石北本線 丸瀬布-瀬戸瀬・遠軽-安国・生田原-金華(信)・北見撮影機材:OLYMPUSOM-D E-M1X+ M.ZD ED 40-150mm F2.8 ほかブログランキングにご協力ください。にほんブログ村
ぼ~せん雑記帳
…ら出るのも行列。 青春18きっぷだから駅員さんに見せないと改札通れないからさ。 折り返しまであんまり時間無いから駅前だけ。 洒落た駅舎だな。 車両はパンタ上げて充電中。 充電するために駅の停車部分だけ架線がある。 烏山駅の七福神は毘沙門天だった。 来るときに撮り損ねたトコ撮りたいから先頭車展望。 美人運転士さんのスグ後ろだ。ドキドキしちゃうね(笑) 早めに乗車しなくちゃだ。
m の日常
1981(昭和56)年に世界初の自動無人運転の新交通システムとして開業 当初はループ線のみで、同年のポートピア博覧会の観客輸送を担った その後神戸空港開港にあわせて空港線が開業 現在は、毎時空港線9本・ループ線6本(昼間)とかなりの高密度運行です(撮影にはありがたい) ゴムタイヤでコンクリート路盤の上を走ります 全線にわたって高架なので、上下線の間に避難通路と手すりがあって対向車両を見渡せる区間は僅か 分岐方法は特殊で、壁がせり上がって行き先分岐をします(浮沈式と言うらしい) 空港線とループ線が分岐する市民広場駅でループ線車両の先頭に乗っていると分岐器?の動きがよく見えます 面白い また、ループ線を運行するたびに編成の前後が入れ替わるため編成の向きはバラバラです(先頭車は21## または 26##) ーー・ーー・ーー・ーー・ーー【2000型 1次車】 空港線開業にあわせて2006(平成18)年に3本が当時の8000型12編成の続番の13〜15編成として登場 このため2113F〜2115Fと付番されている 見た目は前照灯が2眼 [2113F、2115F には出逢えず] 【2000型 2次車】 2008(平成20)年に8000型を置き換えと輸送力増強のため14本が登場 編成番号は1〜12、16、17編成となり、車番も2101F〜2112F、2116F、2117Fと付番されている(ヤヤコシイ) 見た目は前照灯が丸目 [2103F、2105F、2106F、2108F、2112F、2116F には出逢えず] 【2000型 3次車(2020型)】 2016(平成28)年に輸送力増強のため2本が登場 編成番号は新たに20、21編成となり、車番も2120F、2121Fと付番されている 2120Fはブルー、2121Fはグリーンが編成カラーとされ、従来ブラックであった車両前面や乗降扉がブルー/グリーンの編成カラーとなって一目瞭然 また側面帯も太いグラデーションラインとなっている 前照灯は2眼 [2121F には出逢えず] (逢えなかったので神戸新交通HPより借用) 神戸新交通神戸新交通株式会社 ~神戸とポートアイランド・六甲アイランドを結ぶ新交通システム~www.knt-liner.co.jpーー・ーー・ーー・ーー・ーー
なつかしの鉄道写真館
この時期は暗くなるのも早く、復路は津和野に近くケムリと紅葉を兼ね備えた所ということで白井の里スタートに決定。お立ち台の所に赤モミジもありました。<11月16日(土) 復路編>①津和野-船平山 まずは練習電②バクバクでやってきました♡♡♡③幸せのひと時です④篠目-仁保⑤山間の日没後8分ですので暗い新山口駅前の夜はサンローさんも迎えて5人で大宴会。関西パワーに圧倒されるのでした(笑)。
KENKEN'S 鉄虎(てっとら)日記
…気になってた駅南側蒸気機関車フェンスがおじゃまやった踏切を越えて反対側へぐるっと一周して駅に戻ったその後の予定は何にも考えてなかった平端へ戻って、行き当たりばったり今気づいたけど平端でも動画撮ったのも飛んでた(>_<)とにかく、天一の50円引きクーポンが今月末までランチは天一と決めてたんよどこの天一へ行くか?大和西大寺行き普通に乗って大和西大寺で乗り換え布施店でランチしよか?ほぼ決まってたけど、なんかね、徳庵が俺を呼んでいる!HEAVY MOONで近鉄郡山で下車してJR大和路線 大和郡山駅まで徒歩った久宝寺でおおさか東線に乗り換えて放出(はなてん)で下車して天一の緑橋店・・・この頃には雨がパラパラおおさか東線に乗ってけど再び、HEAVY MOON で俊徳道で近鉄大阪線一駅乗って布施店へ・・・アホでんな(^^ゞ放出からけっこう歩かなアカンしホルモン焼き定食で腹を満たしたで、店を出たら人だかり布施のえべっさんの福娘さんのイベントが「大阪締め」をご一緒にさせていただいて三本締めってご存じかと思いますがテンポがゆっくりで「うぅちましょ(打ちましょ)」で手締めパン、パンと2回「もひとつせぇ」で手締めパン、パンと2回「商売繁盛で」で手締めパパンがパンと3回「商売繁盛で」の部分が「いおうて(祝って)三度」の場合もあります動画もスマホで撮ったけど、一般の方も映ってるし非公開まだまだ帰宅するには早いなぁ奈良線経由で阪神なんば線尼崎まで行ったけど、スケッチする気が無いそやそや、尼崎車庫のレンガ倉庫が解体作業が始まってた老朽化した建物をいつまでもそのままで出来ないし・・・気になったのがずいぶん前から工事をしてるんよ阪神電車のホームページに発表無いし・・・現在のところは不明です留置線に甲子園100周年ラッピング車がラッピング終わるんかな?二度ある事は三度あるのHEAVY MOON阪神バスに乗り換えてJR尼崎JR東西線に乗って徳庵へ(^^ゞ何だかなぁ(笑)227系??麿バージョン??(笑)今後の動きを注視したいと思います(某国の官房長官みたい(笑))追伸数ヶ月前にビデオカメラのメモリカードを128MB代えたんよカメラの仕様が追っつかなかったんかな?エクスプローラー的ソフトで調べたらファイルが壊れてた余裕があると思ってため込んでたから・・・フォーマットしました(T_T)
車内観察日記
京阪の車両デザインを大きく変えた6000系のリニューアルが早くも完了し、続いて京阪初のVVVFインバータ制御を採用した7000系も、リニューアルが始まっています。前面では、灯具・行き先表示がLED化されています。側面の方向幕もこの通り。元々方向幕と種別幕のユニットでしたが、それをぶち抜いて一画面のLED表示機に改めています。英語表記も交互で出て来ます。車内です。基本的な更新メニューは6000系と同じで、13000系に準じた内装に仕上げています。ドアです。黒い化粧板に、両側と足元にオレンジのラインを配しています。ドア上をクローズアップ。ドアエンジンを拡大させ、同時にLCDディスプレイと開閉ランプを設置しています。関西にしては珍しくLCDディスプレイは全ドアに設置されていますが、1画面のみの設置です。一方で防犯カメラは千鳥配置となっています。車端部です。仕切り扉とその上の化粧板について、側ドアと同じく黒系にしています。その割に窓の大きさは従来のままで、昨今の見通しをよくする風潮に乗っていません。優先座席を有する車端部です。色調を変えて区別しています。最前面です。こちらは出町柳方でございます。前面展望は相変わらず可能ですが、前面窓がやや小さいのでトータルの前面の視界はやや狭いかもしれません。こちらは淀屋橋・中之島方の最前面です。左側の車椅子スペースはかつて一人掛けの短いロングシートという形容詞が殺し合ってる座席がありましたが、このリニューアルで全面フリースペースに改められています。あと京阪と言えばの成田山のお守りですね、右上に配置天井です。6000系と更新メニューはほぼ同じなのですが、照明に関してはやや暖色系の色味を使った灯具になっています。吊革は13000系と同じく吊輪が黄緑、バンドが黒のものに交換されています。窓です。フリーストップタイプのロールカーテンは今では当たり前ですが、こと京阪に限っては伝統の機能と言えるものですね。座席です。ドア間は8人掛けとなっています。時代に合わせた変貌でしょうか、モケットの変更はもちろんのこと、袖仕切りの交換などがされています。それにしても、この袖仕切りは13000系と同じものを採用したということなんでしょうけど、デザイン的にはもう古い子なんですよね、これ。もうそろそろオリジナリティを出したものだとか、ユニバーサルデザインを語ってるようなものだとかにしたら面白いのに、とは思います。車端部の6人掛けです。全区画に握り棒が付いてまして、ドア間は2本、こちらの車端部は1本が設置されています。で、向かい側。奥の脚台に消火器が収納されています。鉄道車両には有事に備えて消火器を設置することが義務付けされておりますが、大きさは特に規定が無いのか、割と小型のものが収納されています。優先座席です。一般座席とは異なり濃黄色系のモケットを採用し、吊革の留め具を赤色にして区別しています。フリースペースとセットになった優先座席です。戸袋には非常通話装置が備えられています。ドア横の縦方向と一体化した握り棒はリニューアル後も残されている一方で、最近の流行りであるクッション巻きにするなどの配慮があってもよかったように思います。あと座席の袖仕切り、なぜわざわざ一般座席区画に合わせたような変則六角形にしたのか理解に苦しみます。ここは従来のままの方が機能性が高いのに…。最前面の3人掛けです。一般座席は出町柳方に設定されております。前面展望はこちらからどうぞ。一方で淀屋橋・中之島方は優先座席に指定されています。座面はそれなりにクッションが詰められており、ある程度の乗車時間でも耐えうる設計な一方で、背ズリはリニューアル前から一気に退化、クッションが薄く形状も角度がほぼ無く一直線に切り落ちる形状、うっすらバケット化された以外の機能性が感じられません。向かい側、全区画適用に改められたフリースペースです。ぼっち席が無くなった関係か、仕切り窓に防護用の握り棒が増設されています。
鉄道旅は続くよ どこまでも~~♪♪
…い損な週末。そうだ西武の株主優待の期限が切れるので利用しないと!高田馬場から拝島行きに乗って萩山へ。多摩湖線に乗り換え。レオライナーで西武園ゆうえんちへ。株主優待の割引券を使って一日レヂャー切符を購入。入場すると、夕日が丘商店街はブギウギで賑わっているメインは食堂車レストラン黄昏号。懐かしの伝言板。1時間待ちだったけど、ラストオーダーに間に合ったので乗車します!気分はグランシャリオ?食べてみたかった「冬の大人さまランチ」オムライス、ハンバーグ、エビフライ、カニクリームコロッケ、マッシュポテト、温野菜、そしてジンジャーエール?が付いて2600円。黄昏号の旗が可愛い。シャンパン片手に出発進行!な気分続く
今日は勤労感謝の日でしたが、本来のシフトは仕事でした。しかし、とある理由で同僚に無理を言って休みにしてもらいました。話は10月29日に遡ります。12月9日に吉祥寺で開催が予定されている我らが石野真子さんのライブ。そのFC先行予約がその日から始まりまして、私は帰宅後、先ずは無事に申し込みを完了させました。結果発表は11月12日。そして迎えた11月12日、仕事中でも各方面から当落の報せが相次ぎ、今回も「厳しい」というのがメールの文面でも解りました。私は仲間内3人と申し込みまして(2名は仕事のために参加出来ず、つまり、私のために申し込んでくれたというわけ)、誰か一人でも当選してれば良いなという思惑がありました。その中の1人から「落選」の一報が届き、私自身も嫌な予感がしました。帰宅後、恐る恐るパソコンを開いてメールチェックをしたら、「チケットはご用意出来ませんでした」という無情の報せが入っていました。FC会員でFC先行予約で申し込んでいる筈なのに、何故漏れる・・・?この時は悔しくて悔しくて眠りも浅かったです。自民党を支持していませんが、この時ばかりは解散総選挙で悉く落選している自民党候補者の気持ちが解りました。でも、国政選挙の場合はいわゆる「比例代表」という敗者復活戦がありますが、チケット販売にはそれがありません。「いや、待てよ。万に一つかもしれないが、 “敗者復活戦” に賭けてみよう」“敗者復活戦” 、それは一般発売のこと。今回の会場はオールシットダウンで150(席)しか枠がありません。真子ファンは何人いると思っているんだよっ!!!!一般発売は11月23日、つまり、今日。それで冒頭の件りに繋がるわけですが、最初は仕事中にスマホで申し込めばいいや的にしか考えていなかったんですが、「一縷の望みにかける」のであれば、仕事なんかしている場合じゃない。幸か不幸か、今日は祝日。拝み倒して勤務変更してもらいました。祝日出勤すれば祝日給になるしね。発売開始時刻は10時。その前に色々と必要事項(・・といっても購入枚数だけですけどね)を入力して、あとは「申し込む」をクリックするだけという準備をしました。そして10時の時報と共に、クリックして申し込む、いわゆる「十時打ち」を図らずも自宅ですることになったわけですが、結果は秒殺で「予定枚数終了」という情け無用の表示。めっちゃ悔しいですよね。他も悉く「全然ダメ」という報告で、もはや絶望視しました。過去にもチケットが獲れなくて悔しい思いをしていますが、今回のそれは他の比較になりません。やはり、昨日吞み屋で運を使い果たしてしまった、その徒だと思いました。そんな悔しい思いをしてから1時間25分後。「昼飯でも食いに行こうかな」と支度し始めたその時、メールが入りました。「もはねさん、一人(ライブに)行けなくなって、 チケットが1枚浮いた格好になりますが、 良かったらお譲りします」「マジっすかっ!!!???」その場でへたり込んだのは言うまでもありません。行けないと諦めていた、まさに絶望から希望へ。他の行けない人々の気持ちを考えたら、諸手を挙げて喜べないんだけど、ここで「いや、結構です」というのは万に一つのチャンスを逸するのと同じことだし、真っ先に私に「譲る」と言って下さった真子友に失礼極まりないので、ここはご厚意に甘えることにしました。行けるぅ~~~~~っっっ!!!!!!ただね・・・やっぱり感じるのは、真子さんサイドは我々ファンをどう思っているのか・・・?先月の神戸のライブでも「なかなか(広い)会場が抑えられなくてね・・・」って真子さん本人もMCで言及していましたけど、いや、それは違うな。ズケッと言っちゃうけど、「抑えられない」んじゃなくて、「抑える気が無い」のでは?恩着せがましく言うつもりは毛頭無いけど、その神戸公演、ド平日でしかも夕方開演だったにもかかわらず、我々オーディエンスは仕事とか家族サービスとかのスケジュールを遣り繰りして真子さんに会いに来ているわけですよね。そして今回の吉祥寺の公演も「師走の月曜日開催」って、我々サラリーマンが東奔西走する時期だし、師走に限らず週明けの月曜日って何処の社会も週末に溜まった仕事を片付けるのに忙殺すると思うんですけど、結局は真子さん会いたさでやっぱりスケジュールを何とか調整しますよね。だから、真子サイドも遣り繰りして、申し込んだ人が全て参加出来る、もっとキャパの広い会場を探すべきです。当然、スタッフも汗水流して会場を探してくれているんでしょうけど、例えば会場の使用料の問題だとか、真子さん本人のスケジュールの問題だとか様々あるのは理解しているつもりです。でも、行きたくても行けないFC会員とかの気持ちを鑑みると、何か、「どうにかしてよ」って言いたくなります。一般発売の前に思わず真子さんのブログに「立ち見で良いから、もう少し(参加出来る)枠を増やして欲しい」と書き込みました。その会場は立ち見だともう少しキャパシティが拡がるらしいのですが、先行予約で当選した方々は座るのは当然だけど、一般発売は立ち見でというのも選択肢の一つだったのかもしれません。その書き込みは私一人の妄想ではなく、先行予約で漏れた方々の悲痛な叫びを代読したつもりです。ここんところ、そういうのが多いので、皆が気持ちよく参加出来る(最後は大盛り上がりですが)ライブやイベントを今一度、再考して欲しいと切に願います。愚痴が目立ちましたが、せっかく頂いたチャンスなので、12月9日は大いに盛り上がります。なお、これは間違っても誹謗中傷ではありません。「愛ある苦言」です。弊愚ブログは無用な誹謗中傷を書き込まない主義。特に真子さん関連はね。愛を持って評価したり批判したりしています。それが先方に届くか届かないかは別として、ファンは皆、優しいから、誰かしら “悪者” がいないと現状と実状を訴えられないんですよ。「良いものは良い、ダメなものはダメ」としないと、「ダメ」が「良い」になると、それでいいんだって思っちゃうでしょ。ライブにしてもドラマにしても映画にしても、「良いものは良い、ダメなものはダメ」と誰かが勇気を持って評価しないとね。でも、それが一線を越えると誹謗中傷に繋がりかねないから、文言は慎重に選んでいるつもりです。決して、誹謗中傷ではないので、そこんところ、お間違いのないように。
ぽんぽこブログおれ日記 シーズン5
昨日の話。忘れていた下のの学芸会に行ってきた。何回目かね?下のの学校に侵入するの。両手より大きな数字を数えられないのでもうわからん。というわけで、たりらりら~んと下のの学校に侵入。劇をするんだが脚本から衣装から何から何までオリジナル。今年もちゃんと役があって、しっかりセリフもこなしてた。話の内容を書かないと「何の話よ?」となるんだが、アメーバだかミドリムシの役を熱演していた。下のの劇が終わる。嫁は違うクラスの劇をまだ見るというが「では拙者はこの辺で」なんかこう、校庭を見ると「青春だねぇ~」と思う。実はまた来月来るんですよ。上のの学校は全然行かなかったけど、下のの学校には今後何度も行くだろう。というわけで首輪の外れたワンちゃんとなり、ここからは御朱印の旅に出る。向かった先はこちら。前から行ってみたいと思っていたお寺である。そう、四天王寺である。建立したのは、かの聖徳太子。あのお方、法隆寺だけではなくこちらのお寺も建立していたのである。大阪天満宮と住吉大社は行ったことがある。住吉大社、行ったけど御朱印は頂いていないのでまた今度行こう。太融寺って名前だけは聞いたことがある。今宮戎は近い未来に行くと思う。「商売繁盛で笹持って来い!」ってやつね。上の方、見えてないけど五重塔。うおらぁ!ごらぁ!まぁ落ち着いてくださいよ。大阪の街なかにこれだけの敷地。さすが聖徳太子である。つーかあの時代にこれだけのものが関西にあったとはね。あの時代の奈良だったり難波ってのは、それだけ政治の中心地だったんだろうなぁ。僕的に五重塔と言えば京都の東寺のイメージ。新幹線に乗っててもよく見える。単身赴任中は東寺を見ると「あ~関西に帰ってきたなぁ~」って思ってた。それはそれとて、この辺りにお住まいの方的にはこの五重塔が故郷の景色なんだろうな。ちなみにこちらは天王寺駅の駅スタンプ。ばっちり四天王寺がモチーフである。ところで天王寺駅の環状線の発車メロディは「あの鐘を鳴らすのはあなた」あの曲、僕の脳内では「カーン」って音をイメージしていたんだが、今では「ゴーン」と鳴り響くようになった。いや~立派ですなぁ。おっ!お寺なのに鳥居が。これね、江戸時代までは神仏習合で寺も神社も区別してなかったらしい。つーか一緒に建ててたらしい。明治に入って神仏分離令が出てそこから区別するようになったとか何とか聞いたことがある。この辺り、上のが詳しい。卒業研究のテーマが「室町時代における武士の宗教観」である。中1の頃から神社仏閣に参拝し、地元の多田神社なんかに通い詰めるようになるとこんな高校生が出来上がるのである。でかい親鸞さん。で、境内に建っているのが四天王寺中学・高校。関西中受界の女子最難関の一角である。関西は(いやどこでもか?)お寺関係の学校が色々ある。四天王寺のほかにも東大寺の東大寺学園、東寺の洛南など。造り酒屋さん系もあって、灘とか甲陽学院は酒屋さん系である。先日結婚発表をした高畑充希もここの中学の卒業生である。しかしあの発表には「おぉ~!!!」って思った。なんとハイレベルな組み合わせ。宅配便を持っていったらそこに岡田将生と高畑充希がいるのである。配達員氏もびっくりドンキーである。僕的には瑛太と木村カエラ以来の衝撃だった。高畑充希。最初に見たのは、かの鬼才、福田雄一監督の名作「女子ーズ」。あの頃はそこまで売れっ子って感じじゃなかったのに、この10年であれよあれよという間に超売れっ子になった。僕的には高畑充希と有村架純はあれが出世作だったと信じ込んでいる。話を元に戻す。へぇ~。御朱印の種類、めちゃくちゃありますな。で、拝観料を収めて西重門の向こうへ。そして五重塔へ。中は撮影禁止。急な階段を一番上まで登った。そして金堂へ。我が子も含め全員合格!!!しかしまぁ風格がありますなぁ。大変立派でございます。京都ちゃいまっせ。大阪でっせ。秋ですなぁ。関西の中受の統一日、および大学受験の共通テストまでもう60日を切っている。怖ろしいことよ・・・おっ、知恵の輪ですか。全然七五三じゃないけど愚息どもに代わって、知恵がつくよう知恵の輪くぐり。上のと下のとで2回くぐった。何卒よろしくお願いします!さ、帰りますか。四天王寺、思った以上に立派なお寺であった。いや~ありがたやありがたや。また来ます。本日の御朱印。大悲殿。本能寺、大阪天満宮、靖国神社、生田神社、穂高神社に続く、今年6つ目の御朱印。四天王寺って住所も四天王寺なのね。そりゃそうか。そもそも天王寺という地名も四天王寺が由来。古来からなにわの地に大きな影響を与えてきた寺院である。