11/13の記事ランキング

  1. 秘宝のありか
  2. JR大和路線えきめぐり Part.3(奈良県エリア)
  3. 先週末に『タイルの聖地』とも言われている岐阜県多治見市まで行ってまいりました。新大阪駅から名古屋駅まで東海道新幹線に乗りました。「黒部立山の旅」のとき以来の新幹線乗車です。新幹線の車内から佐和山城跡が見えました。伊吹山です。あと1カ月ちょっとで雪景色になるのでしょうか。名古屋駅から多治見行の普通電車に乗りました。前方の車両がロングシートの211系でしたので、後ろ2両の313系に乗車しました。大曽根駅を過ぎて矢田川を渡っているところです。なぜか川に入っている人がいました。東海交通事業(TKJ)城北線の勝川駅が見えました。城北線には2度乗っています。1度目は開業直後で、2度目は1993年の名古屋市営地下鉄鶴舞線延伸(上小田井 - 庄内緑地公園間)のときでしたから、この城北線にはしばらく乗っていないことになります。そのときに知った「小田井人足」という言葉も懐かしいです。多治見駅に着きました。東鉄バスに乗ってモザイクタイルミュージアムに向かいました。モザイクタイルミュージアムに着きました。噂どおりの個性的な建築です。正面から見たモザイクタイルミュージアムです。この前で粘り強く写真を撮る人が多いため、人が入っていない建築写真はなかなか撮ることが難しいと思いました。これは人が途絶えた瞬間に撮影しました。これはモザイクタイルミュージアムの北東側の面です。この建物の設計者は建築家の藤森照信氏です。見学順序は4階から順次下に降りていくコースです。歩行が難しい人にはエレベータもあります。4階の吹き抜け部分です。タイルの空間になっていました。4階の展示物です。昭和30年頃(1955年頃)の流し台です。昭和35年頃(1960年頃)の下呂温泉の旅館の浴室壁面タイル「裸婦像」です。昭和35年頃(1960年頃)の個人宅用の浴室です。3階の展示物です。タイル貼りの皿や宝石箱などの製品です。タイル貼りのテーブルです。今の人には分からないと思いますが、中央が煉炭火鉢になっており、実用的なものです。後年の『ガスコンロつきのテーブル』と同様の機能を持っています。あの「泰山タイル」もミュージアムのコレクションになっていました。昭和4年(1929年)に作られた泰山タイルです。京都の吉田山の近くに昔あった「静坐社」で使われていた腰掛または踏台のタイルだったものです。これも昭和4年(1929年)に作られた泰山タイルです。京都の吉田山の近くに昔あった「静坐社」で使われていた洗い場の吐水口のタイルだったものです。♪都の花に嘯けば 月こそかかれ吉田山(つづく)

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    多治見市モザイクタイルミュージアム(前編)
  4. 仕事帰りに貨物撮影
  5. 15回目術後定期検査
  6. そうな。恐ろしい…座席です。両先頭車はリクライニングシートとなっており、最後尾車両は自由席ですので非常に乗り得な車両とも言えます。まずは山側の2人掛けから。座席自体は何だか見覚え有るなぁと思ったら、JR西日本683系0・2000番台やキハ187系で見られたものですね。タイプとしては灰皿設置を前提とした金属蓋が残るタイプ、オマケにサイドアームテーブルが無いので何だかバランスが悪く見えてしまいます。セミハイデッキ構造となっており、海側を出来る限りよく見えるようにしています。座席脚台に目を向けると、足を掛けられるように五角形のバーが取り付けられています。この辺りもJR西日本で見られるものですね。続いて海側の1人掛けです。猫耳のように持ち手が付けられていますね(笑) ここがオリジナルと言えばそうなります。こちらもJR西日本車の車椅子対応座席をベースにしたものですね。が、左側のアームレスト、リクライニングボタンを塞いだような穴があります。オリジナル座席では見られないだけに、パーツ共通化によるコスト削減もやり過ぎると何だかなぁではあります。どこぞの会社は特急型車両のグリーン車でこれをやらかしていますが…。リクライニングの図。モケットが滑りやすいビニールチックなのが何だかとは思いますが、座り心地はJR西日本車同様、見た目の薄さによらずしっかりしています。なおこの座席、斜めに向けて固定することも出来ます。ただ、これをやっても視界には多かれ少なかれ右側に見えるぶっとい柱が視界に入ってくるというオチ…。多分こうしないとキハ40系列のへヴィ車体を支えきれないのでしょう。リクライニングも出来ます。ただ中々の確率で通り抜ける人からの特攻を食らいます。乗車時間や沿線のグルメの豊富さの割に車内販売が定期的に行われていないのには、この辺りの理由もあるんでしょうね。1人掛けの後ろ側にはシートバックテーブルがありません。実際問題、みんなして嬉しがって座席を斜め固定にするので使う局面が少ないのですが…。その代わり、窓側には固定テーブルが備わります。よくよく見てみると、2人当たり席と1人掛け席はややずらして設置していることが分かります。こうすることで、2人掛けからの展望をなるべく遮らないように考えているんですね。デッキ仕切り際の座席は「まごころシート」なる優先座席となっています。車椅子の固定用具も備わっていますね。2人掛け側を見ると、固定テーブルが設置されています。最前面です。仕切り窓が大きくなっており、乗務員室との仕切り扉の窓が丸くされているなど遊び心があります。直後は展望スペースとなっており、簡易なパイプベンチがあります。長居は無用ですね。久慈方先頭車には更に海側を向いたパイプベンチもあります。窓側の席が取れなかった時はここを陣取ると良いでしょう。但し、指定席運用時は必ず指定席券を持ちましょう。お次は中間の2号車です。大きくうみねこが描かれているのがアクセントですね。運転台です。ここは限りなく原型に近い状態で残されています。で、海沿いを走る八戸線らしく津波警報発令時の避難方法が記載されています。かの震災では、八戸線も大きな被害を受けました。旧喫煙室です。現在は編成全体が禁煙化され、器材室となり施錠されています。車内です。この車両は両方向とも自由席として運用されており、ボックスシートが並んでいます。というわけで座席です。基本は四人掛けのボックスシートとなっております。背ズリ高めで通路側は少しだけ張り出すように板が付いているため、ちょっとしたセミコンパートメントとなっています。ヘッドレストの下辺よりも奥から出ている背ズリ下部から分かるように、形状が良く無い上にクッション性もあまりありません。また座面には畳が敷かれ座布団が置かれていますが、まぁ気休め程度、蕎麦屋のテーブル席をイメージして頂ければ良いかと。乗車時間を気にせずグループでわいわいやるにはいいでしょうね、テーブルもありますし。運転台の反対側には通路幅を考慮し3人掛けとなっています。肘掛けが通路側とを仕切る程度の実用性に乏しいデザインなのは…。かつては土足禁止だったようで、下駄箱があります。ちょっくら失礼。中は二段式で、スリッパが備わっていたそうな。運転台寄りの仕切りはフリースペースとなっています。その気になれば各種イベントが開催出来そうな勢い。窓側にはジャンプシートが備わります。地元民からはロングシートとして使われているようで…。デッキ仕切りに設置された謎の箱。上には乗車記念スタンプがありますが、何に押せばいいのでしょうか…。自動販売機と非常用ハシゴです。自動販売機は残念ながら既に営業を終了しています。「リゾートうみねこ」のダイヤって、久慈行きは全駅停車時間が僅かで、八戸行きも階上駅で4分停車がある以外は長時間停車が無いという観光列車としてはイマイチなダイヤとなっているので、車内販売は多少なりとも行って欲しいと思います、乗車時間も長いですし。連結面付近にはくずもの入れがあります。こちらは飲料系とその他で分別されています。壁には温度計や非常通話装置、懐中電灯などの設備が集約されています。沿線からは太平洋の大海原が見渡せます。お天気が少々残念でしたが…。

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    JR東日本キハ48形「リゾートうみねこ」仕様車
  7. 三日月駅
  8. 『EL日本海庄内号』の撮影を片道だけで切り上げて帰って来たのは、キハ47形国鉄急行色で運転される『奥久慈紅葉レトロ号』を撮りに行く為でした。そんな訳で、11日も早朝に家を出て水宮線へ行って来ました。まずは、常陸大子から水戸までの回送があるので、常陸大子駅に行ってみました。車庫内に入っているかと思ったら、外の留置線の奥に入っていました。この後、撮影地のロケハンに行ったりしたのですが、しつこくもう1度行ってみると、キハE130系が出区して編成が見えるようになっていました。快速幕が白幕になってましたけど・・・そして回送シーンは、常陸大子駅を出てすぐの橋梁で撮ってみました。『奥久慈紅葉レトロ号』送込回送 回9820Dキハ47 1514+キハ48 523 常陸大子~袋田2台のカメラを使いましたが、今回も似たような構図だったという・・・後追いちょうど朝日でギラリました。下りは、やはりこの時期紅葉と絡めて撮りたいと思い第9久慈川橋りょうにしてみました。『奥久慈紅葉レトロ号』 9821D 矢祭山~東館ここも2台のカメラでほぼ同じ構図しかも、お顔に日が当たらないというちょっと残念な結果に・・・俯瞰が出来たり、反対側から後追いで撮ったりと、色々立ち位置を選べる場所だったようなのですが、急遽予定を変更して出掛けた事もあって調査不足でした。この後は、折り返し駅の磐城石川駅に行ってみました。駅の反対側の道路から・・・跨線橋の所から上りは、磐城石川駅から線路沿いの道を少し南下した所にしました。望遠で坂を登って来るところから狙ってみました。『奥久慈紅葉レトロ号』 9822D  磐城石川~里白石もう1台のカメラは広角系で・・・帰路と反対側になる事もあっるので、追い掛けはせずここまでで終了としました。回送と往復各1ヶ所ずつでしたが、急行色のキハと秋の景色を絡めて撮影出来たので、急に思い立って出掛けた割には良かったと思います。まぁ、微妙な点があるのは毎度のお約束ですけど・・・非電化路線でもありますし、米坂線に通っていた頃を思い出しました。

    2018年11月11日 奥久慈紅葉レトロ号
  9. 今日の駅は、高浜線の終着駅、高浜駅です。写真の列車でやってきました。610系、伊予鉄のオリジナル車両です。JR東日本あたりに、ありそうなデザインに見えてしまいます。構内は側線はあるものの棒線駅となっています。駅名標、途中で点線となっているのは、ここからバス接続で、松山のフェリーターミナル、松山観光港につながっているからです。駅舎外壁の縦書き駅名標に、古い駅名柱。構内奥には、ユニットを崩した車両が…ラッシュ時に増結するのでしょうか?構内と駅舎の間は段差があり、階段かスロープでホームにあがるようになっています。駅舎内部に入ってみましょう。高い窓から明かりは差しますが、全体的には薄暗い印象の駅でした。有人駅です。改札にはカードリーダーが設置されていました。出札窓口のほか、自動券売機もあります。木造駅舎に出会うと必ず見てしまう天井。蛍光灯になる前は、どんな照明がついていたのでしょう。駅前に出てみます。駅前はすぐに高浜港です。こと港、伊予鉄が開発した港だそうで、鉄道とフェリーに簡単に乗り換えれ瀬戸内海の島々や本州と結ぼうとしたのでしょうが、松山観光港が設置されると、すっかり寂れてしまったそうです。バス連絡では不便なので、路線延伸の計画もあるようですが、実現には至らないようです。最後に駅舎です。この駅舎をごらんになって、福山雅治を連想した方は、ファンなのでしょうね。映画にも出ていた駅舎です。背の高い重厚な作り、駅前から延びるフェリー乗り場への回廊。ずっと残ってほしい駅舎です。今日もお越しいただきありがとうございます。こちらのPCサイト、ブログもよろしくお願いします。全国の駅が見たくなったらmisakitty station各駅停車の旅がしたくなったらえきめぐり

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    回廊のある木造駅舎 伊予鉄道・高浜駅
  10. 11月11日、私は常磐線の北千住~綾瀬間を歩いた。千代田線6000系車両が、ラストランとなった日だ。でも私の目当ては、千代田線6000系ではない。今回は、北千住と綾瀬の間を歩いた話。常磐線に乗っている時に、私は「ポケモンGO」をしていた。北千住~綾瀬間で、ポケストップを回したところ、こんな画像が出てきた。「下山国鉄総裁追憶碑」だ。ポケモンGOでは、店や公共施設や名所などがポケストップとなって、ゲーム上のアイテムがゲットできる。その1つだ。終戦後の1947年に、下山国鉄総裁が出勤途中に失踪して、この付近で遺体になって発見された事件だ。事件そのものは知っていたが、北千住~綾瀬間にあることは、頭から抜けていた。ここに追悼碑があるのなら、行ってみようと思い、急遽出向くことにした。検索したら、綾瀬からの方が近そうだ。綾瀬から徒歩。てくてく歩き、少し遠回りして15分、「下山国鉄総裁追憶碑」に到着した。追悼碑そのものは、さほど大きくはない。地元の方だと思うが、花を供えてくれていた。普段から、掃除して花を供えてくれる人がいるなんて、素敵だなあ。追悼碑の説明がある。千代田線開通に伴う複々線工事で、追悼碑が移設された経緯などが、記されている。なお、この追悼碑は常磐快速線のすぐ南側にある。この周辺は、整備されていて、落ち着く場所だ。帰りは、疲れたので、より近い東武線の小菅駅から帰った。複々線で本数が多く、撮影する人も多そうな場所だ。撮影する人への注意書きもある。自撮り棒や三脚は禁止だ。スカイツリーも、よく見える。ポケモンGOをしていると、普段は歩かない場所に行くきっかけになる。ではまた。

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    ポケモンGOで「下山国鉄総裁追憶碑」に行く
  11. 1号機関車弁当 / 青春18切符で行く、鳴子温泉旅行-1
  12. ちょっとバタバタしてまして、またまたかなり間があいててしまいました覚えてますかー?飯田線三河東郷駅は、無人駅です。さりげなく置かれた自転車がいいねここから、てくてくと歩きます遮断機なしの踏切♪途中、歩道がなくなって、やばっと思いながら、辿り着いたは道の駅もっくる新城です足湯がありますよー大きくてきれいな道の駅だねここは、初めてじゃなここに来た目的はこれです私も師範として活動している、日本己書道場※の体験会が、あったのです。ほとんどが、愛知や静岡、東海近辺の師範ですが、旅好きな私は東京からは〜るばる来たぜ新城〜(新城は、しんじょうではなく、しんしろと読みますよ)夜になったら、明かりが灯るなむねみんなで、灯篭を並べます。並べ終わったところで、雨がぽつりぽつりと…実はこの灯篭、二川宿で飾られる予定だったのですが、雨女みぽぽん本領発揮で台風直撃の為中止になったのでした今回は本降りにならないでほしいビニール袋を被せて続行こちらは、己書総師範の描いた龍。私の作品はこの3枚です辺りが暗くなると…なんという美しさ!辺りは真っ暗(まだこれでも6時半)これで、星空も見えたらなぁ聞こえるのは虫の音と、みんなの話し声だけ…動画もどうぞ。動画はデジカメではないので、画像がいまいちです。(…と、デジカメでも動画が撮れる事を、帰ってきてから気がつきましたー)私は電車の都合で、7時には撤収夜の三河東郷駅も雰囲気が良い。聞こえるのは、虫の声のみ。お酒があったら、美味しいだろうな。もちろん、周辺に店などありません宿泊地の豊橋に戻ります。駅からすぐで、安いニュー東洋ホテルさんが今夜のお宿。焼き鳥屋で、一杯飲んで終了です。灯篭きれいだったなぁつづく※己書とは↓美保じぞう己書道場筆ペンで、字や絵を描く教室です♪私、みぽぽんが教えます。https://pomu.me/mx2.mipopomi7/

    青春18切符-東海道本線中央線ぐるり旅3 もっくる編
  13. いつもお世話になっている秋田市の元城模型さんで、ショーケースに陳列されているマイクロエースのE926系。以前から気になっていた車両でした。足踏みしていた理由は年末商戦で、E001系やキハ48系など続々と発売される新製品があったためでした。ところが先日のトミックスのホームページよりE001系が1月末へ。キハ48系五能線が12月末へと発売が延期されました。そこで!これはチャンスと思い、無くなる前に購入しました。マイクロエース A-8470 E926系新幹線電気軌道総合試験車 East-iE3系こまちと同じ6両編成の車両です。実車は5M1Tだそうです。1号車、6号車トミックスのE3系と並べました。前方監視のカメラや信号関係の検測を行うそうです。こまちと先頭形状は同じはずですが運転席やヘッドライトのブラックアウト部分が無いためにイメージが異なります。こまちの方がシャープに見えますね。屋根上の検測機はカラフルに点灯します。どうやら実際の車両では点灯していないようですが、模型的な面白さがあって良いと思います。マイクロエースのEast-iは運転席の表現がありませんが、走らせると気になりません。屋根の滑り止めの表現や、ヘッドライトなどが異なります。奥のパンタグラフのある車両が6号車です。検測機はこのように点灯します。オン、オフスイッチがついておりますので任意で選択できます。2号車、5号車窓の位置やドアが異なります。2号車は通信や信号関係を。5号車は電力関係を。なおトイレや流し台が設置されているようです。パンタグラフのある車両が2号車です。3号車軌道検測車で、特殊な台車がNゲージでも再現されております。実車では唯一のトレーラー車です。4号車電力測定用のパンタグラフがある車両です。動力車となります。検測用の投光器や検測窓など通常のパンタグラフ回りとは異なります。センサーの点灯の様子はこちらです。パンタグラフはカッチリとした作りです。トミックスのE3系のようにぐらぐらしません。ガイシの色分わけはありません。パンタグラフ後部の測定窓は黒の印刷です。適当に走行の様子です。黄色=工事とか、電力会社のようなイメージがあるのでドクターイエローは検測車感があります。ですが、このEast-iは白ボディに赤いラインが検測車と言うよりは試験車のように見えます。East-iロゴはとてもキレイです。ボディはつや消しの白ですね。連結間隔は広めですが、走らせるとそれほど気になりません。高架を走らせると新幹線感がでます。走行もスムーズです。地元の新幹線と並べると良いですね♪JR東日本管内の新幹線区間を検測する車両な訳ですが、改めてこのEast-iってスゴい車両だと思いました。275km/hで走りながら検測出来る世界一早い車両ですし、ミニ新幹線区間から碓氷峠の勾配を駆け抜ける性能を有し、更に50hz/60hzにも対応出来る。なんて素晴らしい車両なのでしょう。以前秋田駅でみかけたEast-iです。おおよそ3ヶ月に1回のペースでやってくるそうですが、次に見られるのはいつでしょうね。最後に久しぶりに動画アップしてみました。宜しければごらんください。

    マイクロエース E926 East-i
  14. のは大正2年のこと路面電車(市内電車)の停留所は別として、この頃は今と違い無人駅は多くなく、小さな駅でも駅員さんが常駐されてた時代です。須屋駅のホームを見ると結構大きめですし、無人駅の須屋駅も実はかつては有人駅じゃなかったのかと思ってまして。そこでチェックしたのが昔の須屋駅の航空写真。国土地理院のサイトから転載した昭和52年に撮影された写真でした。駅の入口付近に建物が見えるのですが、これっひょっとして駅舎じゃないですかね?今は自転車置き場になっている空き地、ここに昔は駅舎があったのではないでしょうか?自分はこんな跡地を見て周るのが大好きなのですよ。過去を振り返ってばかりの後ろ向きな趣味で本当に申し訳ない。須屋駅のホームから北側を見ました。この先のカーブを過ぎた辺りで菊池線は平成13年に新線への切り替えが行われ、その新線上に三ツ石駅が開業しております。合わせて旧線上にあった黒石駅は新線上に移転、黒石駅の旧駅跡も見てきましたがこちらは後日にブログにUPしますね。最後は駅のすぐそばにあった保育園(保育室)で〆。この名称って駅が近いから付けられたモノなのでしょうかね?小鉄養成所のような気がしてなりません。木製の架線柱やレールで出来た鉄柵等々…ブログに挙げた以外にも萌え要素が満載の須屋駅でした。長い歴史を持つ駅は期待を裏切りませんな。訪問駅リスト(第三セクター 私鉄線 ほか)熊本電気鉄道菊池線上熊本駅韓々坂駅(平成28年2月24日)池田駅(平成28年2月24日)打越駅(平成28年2月24日)坪井川公園駅(平成28年2月24日)北熊本駅亀井駅(平成28年2月24日)八景水谷駅(平成28年2月24日)堀川駅(平成28年2月24日)新須屋駅須屋駅(平成28年2月24日)三ツ石駅(平成28年2月24日)黒石駅熊本高専前駅再春荘前駅(平成28年2月24日)御代志駅駅探訪記、旅情報を不定期に更新中。新着情報がすぐ受け取れる読者登録をお願いします!

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    【まったり駅探訪】熊本電気鉄道菊池線・須屋駅に行ってきました。
  15. 今日は一汁三菜の日
  16. さて、次の駅はわぁ、木造駅舎がある交換待ちがあるみたいなので…ここは下車しなくちゃ木造駅舎を見たら止まりませんよねん?オッチャンどこ行くのん、オッチャンも鉄ちゃんかいなワタシとは方向性が違うみたいねこちら会津下郷駅は、島式ホームと、側線ちらり、その向こうには貨物ホームみたいなのも見えますよ。では、構内通路を通って駅舎へ。そして、振り返り、列車に『ワタシの帰りをおとなしく待ってるように』と独り言。側線は使われてないみたいねぇ。駅舎に入ると…あららなんかオサレな駅舎になってるんですけど。なるほろねぇ、まあ、いろいろ考えないと人は集まりませんからねぇ。でも、看板のバックには、しっかり下見板張りがありますよてことは…純木造駅舎が残ってるってこといいね1K駅前も静か、このあたりの路肩マークはポールが太いですね。おっと、発車時間が近づいたのでリレー号に戻ります。はっしゃ~おっ、次の駅は新しそう。弥五郎違った、弥五島でしたごめんなさい。次は釣り堀でもあるのかな?とうのへ『釣り』、何が釣れるんでしょう今日もお越しいただきありがとうございます。こちらのPCサイト、ブログもよろしくお願いします。全国の駅が見たくなったらmisakitty station各駅停車の旅がしたくなったらえきめぐり

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    木造駅舎を見たら止まらない! 私鉄長距離旅9
  17. -その9(№4645.)から続く-これまで183系ブラザーズの話題を取り上げてきましたが、遂に現在につながる、後ろ向きの勢力縮小の話題に言及せざるを得なくなってしまいました。当連載記事の当初の計画では、信越・中央・房総と地域ごとに分けて取り上げる予定でしたが、地域ごとに取り上げるよりも、時系列で取り上げた方が、183系ブラザーズの勢力縮小の流れがより分かりやすくなるのではないかと、考えを改めました。よって、今回と次回で、183系ブラザーズの勢力縮小の流れを取り上げ、次々回で波動用としての動きを取り上げることに変更します。予告編とは順番及び内容を違えることになりますが、何卒ご容赦を。では本題へ参りましょう。183-0が世に出てちょうど20年が経過した平成4(1992)年。この年、「かいじ」増強のため、「あやめ」などの編成減車でだぶついていた、183-0の中間電動車2ユニットが、幕張から松本へ転属しています。これまで他系列に改造された車以外、幕張から出ることが無かった、183系ブラザーズの長兄183-0。その183-0が、就役満20年を経て他の車両基地に転属することは、今にして思えば何らかの「前触れ」のようなものだったのでは…と思います。そしてその「前触れ」は、翌年には現実のものとなります。平成5(1993)年の7月には2日にJR東日本房総管内のダイヤ改正が行われ、このとき「BOSO VIEW EXPRESS」255系が登場、「さざなみ」「わかしお」の運用を一部置き換えています。これにより、183系の牙城だった房総地区に、遂に楔が撃ち込まれることになりました。ある車両の勢力縮小には、255系のような「代替車両の登場」という要因があるのが常。しかし、183系ブラザーズの場合はそれにとどまりませんでした。このとき、同時に「あやめ」「すいごう」が減便されるという、「代替車両の登場を伴わない勢力の縮小」も始まっています。なお、この改正の際、従来は2号車に連結していた183-0のグリーン車を、255系に合わせて4号車に連結するように編成が変更されています。房総で255系が就役した5か月後、今度は中央東線でJR東日本初、そして(今のところ)最後の振子式の新型特急車両E351系が登場、「スーパーあずさ」が走り始めました。もっとも、このときはE351系の編成数・「スーパーあずさ」の運転本数とも少なく、同系の検査時には183系ブラザーズによる代走がかけられることになっていたため、「スーパーあずさ」といえども、ダイヤは183系ブラザーズの性能に準拠した暫定的なものでした。本格的なスピードアップは、1年後の全国規模のダイヤ改正に持ち越されています。そしてその1年後、12月3日にはJRグループ全体でのダイヤ改正が行われ、183系ブラザーズの退潮傾向がより鮮明になりました。それは、255系の追加投入がなされて「さざなみ」「わかしお」の充当列車が増加したこと、「あやめ」がさらに減便されL特急指定を解除されたこと、「しおさい」のグリーン車連結が取り止められ、基本編成が9連から8連に変更されたこと。しかし、最も183系ブラザーズの退潮傾向を鮮明に印象づけたのは、E351系が出揃ったことにより「スーパーあずさ」の本格運用が開始されたこと。つまり、本来の同系の性能を活かしたダイヤが組まれ、劇的なスピードアップが実現したことです。255系の充当列車増加のみならず、E351系の本格運用開始によって、183系ブラザーズは、接客設備ばかりか性能までも、「時代遅れの特急車両」という印象が強くなってしまいました。さらに無風だった信越の「あさま」も、平成10(1998)年の開催が決定していた長野オリンピックを目指し、長野新幹線(北陸新幹線高崎-長野間)の開業が決定したことで、同時に「あさま」用189系の大半が失業することも、決定事項となっていました。これらにより、183系ブラザーズの前途には、暗雲が垂れ込めることになります。そしてその暗雲は、翌平成7(1995)年に現実のものとなりました。この年、183系ブラザーズに、遂に廃車が発生しています。内訳は、幕張の183-0の40両、松本の183-1000と189系の36両。これは、幕張に関しては255系の、松本は言うまでもなくE351系の、それぞれ追加投入による運用編成数減が理由ですが、183系ブラザーズの廃車発生は、その長兄183-0登場後23年のことでした。ただし、183系ブラザーズの廃車そのものは全く初めてではなく、昭和48(1973)年にクハ183-17が踏切事故で大破し再起不能になって廃車された例がありますが、これは不幸な事故廃車。事故廃車ではない老朽・余剰による廃車は、これが初めてとなっています。それでも、残る幕張の183系については、この年までに8連・9連の内装リニューアルが完了し、183-0の先頭車前面表示のLED化が完成するなど、時代に即した改善は続けられています。そして平成9(1997)年10月1日、遂に長野新幹線(現北陸新幹線高崎-長野)が開業。これにより、並行在来線となる信越本線高崎-長野間は、「横軽」区間の横川-軽井沢間が廃止され、軽井沢-篠ノ井間が第三セクター「しなの鉄道」に転換されるという大きな変遷を経ましたが、当然のことながら「あさま」は、新幹線開業と引き換えに全列車が廃止されています。「あさま」廃止により、同列車に使用されていた長野所属の189系は、以下の動きを見せました。① 「グレードアップあさま」編成は「あずさ」カラーに変更(11連×5編成)して「あずさ」に転用。当初は長野所属のままだったが、後に松本へ転属。② 新幹線接続列車「信越リレー妙高」充当などのため6連×4編成を組成。つまり189系編成は「あずさ」「信越リレー妙高」に転用されたわけですが、これらに転用されなかった189系は、これも当然のことながら廃車の憂き目に遭いました。183系ブラザーズとしては、まとまった数が廃車された初めての年となります。189系以外でも、松本では元「グレードアップあさま」編成受け入れに伴い、余剰車が発生していますが、その余剰車のうち状態の良いものは、国鉄特急カラーに塗り替えられて幕張へ転属し、幕張の183-0の中間車と差し替えています。残り(幕張へ転属しなかった余剰車)は勿論廃車。以上により、松本の183-1000と幕張の183-0に、それぞれまとまった数の廃車が発生しています。この平成9年という年は、183系ブラザーズの勢力の縮小が劇的に進展した年として、記憶にとどめられるべき年と言えるでしょう。その後、平成11(1999)年に発生した大月駅構内での衝突事故により、「スーパーあずさ」用のE351の一部編成が使用不能になってしまいます。これにより、E351系が運用に復帰するまでの間、一部「スーパーあずさ」には、189系による代走がかけられることになりました。この代走用の編成は「あさま」時代のカラーリングのままで中央東線を走ったため、「あずさ」のパステル調とは違う、落ち着いたカラーリングが中央東線でも見られるようになっています。これまでの183系ブラザーズの代替車と目される車両の投入は、255系もE351系も、183系ブラザーズを全面的に置き換えるまでには至りませんでした。しかし、21世紀に突入するとすぐ、遂に183系ブラザーズの完全置き換えをターゲットにした車両が登場することになります。-その11に続く-【事務連絡】頂いたコメントは、今日(火曜日)夕方以降に返信いたします。しばらくお待ちくださいm(__)m

  18. シュツットガルトの旅の「中編」はポルシェ博物館編です。メルセデス・ベンツ博物館の最寄り駅であるSバーンのネッカーパーク駅を後にしました。このSバーン(都市近郊電車)のネッカーパーク駅とは別にUバーン(シュツットガルトの場合は地下鉄兼トラムのようなもの)にもネッカーパーク駅がありUバーンの路線図にも駅名が書いてありますが、そちらはフットボール(サッカー)開催日の観客輸送専用に近い駅ですので、普段は運行がありません。要注意です。メルセデス・ベンツ博物館から見た「VfBシュトゥットガルト」のホームグラウンドであるシュツットガルトの「メルセデス・ベンツ・アレーナ」です。Sバーンを乗り継いでノイヴィルツハウス駅へ。下車したホームの右側の建物がポルシェ博物館です。ノイヴィルツハウス駅の隣接地にあるポルシェ博物館です。博物館前に停めてあったポルシェの70周年記念車です。館内に入りました。ポルシェ356 No.1 ロードスター (1948)これは4座(4シーター)の試作車ポルシェ754 T7です。試作だけで終わった貴重な個体です。(1961)ポルシェ911 SC RS (1983)1984年のWRCに参戦するためのホモロゲーション取得用モデルです。(生産台数は20台ということです)ポルシェ911 GT3 RS (2003)ポルシェカレラGTカブリオレ(2003)ポルシェ初の市販レーシングカーだったポルシェ550/1500RSスパイダー(1954)です。現在のオークションの落札価格が(市販車で)6億円もします。この個体は1954年の「カレラ・パナメリカーナ・メヒコ(メキシコ縦断公道レース)」のクラス優勝車です。リアエンジン車(ややミッドシップ風)ですのでフロントはトランクルームですが、このレース仕様の個体はトランクリッドが市販車よりも長い形状になっています。このレースカーは『ラジオの製作』時代の無線マニアには懐かしい「テレフンケン」がスポンサーだったのですね。ご参考までに、このレース名の「カレラ ‥ 」はスペイン語の競争(レース)という意味で、このレース以降のポルシェは自車モデルのグレード程度の意味で「カレラ」の名称を使うようになりました。このポルシェ550スパイダーはジェームス・ディーンの愛車でもありました。♪夜風に誘われ 飛ばすぜHighway オールナイトのステージ (Johnnyの「ジェームス・ディーンのように」から)ミッション Eです。ミュージアムショップでマグネット(1951年にル・マン24時間レースに参戦したポルシェ356の絵)とポルシェのラバーダックを買いました。(つづく)

    シュツットガルトの旅(中編)ポルシェの巻
  19. TOMIX EF81(旧)のリニューアル検討
  20. しなの鉄道色