7/18の記事ランキング

  1. 皆さま、おばんです!平成20年に廃止された三木鉄道三木線の廃駅跡巡りの4回目、別所(べっしょ)駅跡の訪問記です。三木線ネタは今回を含めて残り3回ですので、もうちょっとだけお付き合いください。(前回分もぜひチェックくださいね)三木線の起点駅である加古川線・厄神駅に行ってきました。三木鉄道三木線跡をドライブした①国包駅跡編三木鉄道三木線跡をドライブした②宗佐駅&下石野駅跡編三木鉄道三木線跡をドライブした③石野駅&西這田駅編西這田駅跡から再び県道20号線(加古川三田線)を通って別所駅跡に向かいますが、その前に…県道でクルマを走らせていると、廃線跡がある方向の所々に駅ホームの上屋っぽいモノが見えてくるのです。「廃駅跡見~つけた!」と喜びながら近づいて見ると…あらま、遊歩道にある休憩所の上屋だったのですね。駅跡だと思ったのに、すっかり騙されてしまいました。三木線にはブログで紹介した廃駅跡以外に駅はありませんので、くれぐれもご注意くださいませ。西這田駅跡から別所駅跡までの距離は約1.1キロ、クルマで3分も走れば別所駅跡に辿り着けます。ここは県道から丸見えですので、よそ見なんかしちゃダメですからね。うほっ、ここにも駅舎みたいのがあるじゃないの!!!別所駅は大正5年に開業した駅で、石野駅同様に第三セクター化後も国鉄時代の木造駅舎が残る駅だったんですって。駅舎は廃線後に撤去されましたが、遊歩道の整備に合わせてこの駅舎っぽい休憩所が建てられたそうですよ。こちらは昭和55年に撮影の航空写真です。別所駅は単式ホームが1本あるだけの棒線構造の駅だったみたいですね。休憩所の造りは基本的に石野駅と同一ってことは…やっぱり!ここもホームと線路が現役当時のまま残ってました!いやいや、驚いたのなんのって。とても廃止されてから10年が経過した駅には見えませんでしたよ。ホームをよく見たら嵩上げされた形跡があるし、一番下の層は大正5年に造られたモノで間違いないでしょうね。駅跡を示す看板、別所駅にもありましたぜ☆こちらが現役時代の別所駅とのこと。あっ、自分が写り込んじゃった。そして現在の姿です。休憩所も駅舎っぽく見せようとしているのがわかりますよね。別所駅跡に完成した休憩所は遊歩道「別所ゆめ街道」の中心となる施設で、他の駅跡には無い三木線の歴史を綴った記念碑が建てられてました。記念碑の裏側には三木線で活躍したミキ300形の姿が彫られてます。田んぼの中をコトコト走るミキ300形の姿、ぜひこの目で見てみたかったですね。ひたちなか海浜鉄道湊線に行けば見れるじゃないかって?そういうツッコミは一切受け付けませんので。※ミキ300形はひたちなか海浜鉄道に譲渡され現役で活躍中でした。別所駅跡近くで面白いスポットがここ。西這田駅跡方向にちょっとだけ進むと鉄橋を改装した橋が現れるのです。ここは汽車気取りでシュッポシュッポ言いながら橋を渡るべし。個人的には鉄橋よりも、昔からあるこっちの橋の方が気になりましたけど。ブログ記事の上の方に挙げた航空写真にもこの2本の橋が写ってます。どこにあるか、ぜひ探してみてくださいね。さてさて、三木線の駅跡巡りもゴールが近づいてきました。それまで田んぼだらけの景色が続いてましたが、次の高木駅跡周辺から、辺りは住宅地に変わってゆきます。別所駅跡から高木駅跡方向を見ても、そんな様子が伺えましたよ。ラストまでもう少し、次回は高木駅跡の様子です。

    たくさん共感されています

    平成20年に廃止された三木鉄道三木線跡をドライブした④別所駅跡編
  2. 2018年7月14日㈯ 東海道 旧・総持寺踏切 撮影分からです。続きです。■EF210-119号機 64レ 百済(タ)⇒東京(タ) 4:56◇19Dコンテナが 揃ってる。◇EF210-119号機。◇UT5A-83 “エチレン酢酸ビニル液専用”コンテナに目がいってしまって、コキ110を撮り損ねてしまった。◇31ftコンテナが続いて。。。◇NRSタンクコンテナは「保温材」も使われている様です。蒸気排出孔も装備されている。暖かくないと固まってしまう液体もありますからね。◆「お~~い! 総持寺踏切は2014年に廃止されたよ~~!」気を付けて渡ってね。早いやつ 来るからね。■Mc250-3号機 スーパーレールカーゴ 50レ 安治川口⇒東京(タ) 5:07◇少し空が染まってきた。◇Mc250-3号機。◇16両編成 コンテナ28個。佐川急便によると、年間16,211台のトラックを鉄道に振り替えている。Co2の削減は 年間12,698トンらしいが、数字だけ見ても ちょっとピンとこないですね。今、目の前を28台の大型トラックが通過してると思えば、何となく実感出来そうです。◇Mc250-4号機+M251-4号機。■EF210-166号機 福山レールエクスプレス 52レ 吹貨東⇒東京(タ) 5:20◇無事に東福山から出発出来たのかな。◇EF210-166号機。綺麗な側面を保ってますね。◇コキ20車。コンテナ40個。大型トラック40台分。広島から高速に乗っても およそ9時間・高速代だけでも大型車3万円。色んな意味でもECOだな。◇3本の空気管とジャンパ栓を繋げる高速仕様。■EF66 114号機 2060レ 百済(タ)⇒越谷(タ) 5:25朝陽が差し込み始めた。◇背景が明るくなると設定が ややこしくなる(・_・;)◇EF66 114号機。1990.3.3落成。もうすぐ30年選手。◇特徴的なコンテナを撮っていると。。。◇U52A-39528 センコー(株)所有。コメントを頂き明らかになった消された部分。“SEKISUI HOUSE”と書かれていたコンテナ。ただ、ウイング下部のイラストは そのまま残っている。この後の 根岸タンカーには 国鉄特急色機が入るらしい。楽しみにしながら 続きます(^_-)-☆

    JR貨物【スーパーレールカーゴ】~モーダルシフトへの挑戦~
  3. 阪神・明石市内1dayチケットの旅」の第2回です。霞ヶ丘駅で撮った山陽電車の直通特急です。「明石半夏生たこまつり」のヘッドマークつきでした。霞ヶ丘駅から五色塚古墳まで歩きました。今回は霞ヶ丘駅から歩きましたが、山陽垂水駅・JR垂水駅からでも徒歩圏内です。五色塚古墳の訪問は2回目です。前回の訪問は2004年のことでした。その十数年前の前回は古墳事務所で住所・氏名を記入しましたが、個人情報保護法(その後の改正保護法を含む)の施行により、見学者の個人名の記入は不要になり、本人の居住地の市区名までを記入する形に変わっていました。古墳事務所の受付でリーフレット類が貰えますが見学は無料です。また好事家向けと思われる有料の資料類も販売しているようでした。五色塚古墳の全長は194mで、兵庫県で一番大きな古墳です。五色塚古墳の説明です。現在の五色塚古墳は4世紀の終わり頃に築造された形に復元しようとしたもので、特に前方部は古墳築造当時の面を利用しています。後円部は約50cmの盛土を追加して、長年の放置により痩せた斜面を改修した上に新しい石が葺かれています。後円部の上から見た前方部です。明石海峡大橋や淡路島が見えています。絶景と言っても過言ではありません。五色塚古墳は4世紀の終わり頃に明石海峡周辺を支配した豪族の墳墓だと考えられています。【参考画像 2015年6月に撮影した奈良県北葛城郡河合町のナガレ山古墳です】全長105mのナガレ山古墳です。墳丘の半分(片側)に葺石・埴輪列が復元されています。【ナガレ山古墳はここまでです】五色塚古墳に戻ります。この日の神戸市内の日中の気温は35度に近い暑さでしたが、ここは海峡に面した高台のため、心地のよい風が吹いており、意外にも快適でした。五色塚古墳と山陽3000系です。五色塚古墳の前方部から見た後円部です。後円部の高さは18.8mです。五色塚古墳と明石海峡大橋と阪神8000系です。五色塚古墳と山陽3000系です。五色塚古墳と明石海峡大橋と山陽5000系の直通特急です。五色塚古墳の隣接地にある円墳の「小壺古墳」です。小壺古墳の直径は67mで高さは9mです。(つづく)

    阪神・明石市内1dayチケットの旅(2)
  4. このテキストのタイトル人行天橋は台湾で 歩道橋 という意味の華語になります。【行】シンは歩行という意味。なんか違和感ありますが行進 とか 行軍 とか全然使ってないわけではないですよね 日本語でも。ふつうは 【走】 ツォウといいます。【走路】 で 歩く という意味に。【行】 は 大人数で 列を作って歩くのが前提 のようです。行列 は 歩く人の列 という意味になるわけですね。ラーメン屋さんの前で ほとんど動かないで並んでるのを行列というのは間違った使い方…とまではいいませんが変化球ということになるかもしれません。ん人行道( レンシンダオ )は 歩道 。歩道橋は 橋 に 天 がついて人行天橋 /ren xing tian qiaoもうすぐ 台湾鉄道が 地下化する と 前にお話ししましたが(台湾全土ではなく高雄市街地が…です)それだけでも十分 淋しいのですが さらにまた…それに伴って 慣れ親しんだ多くの踏切や歩道橋や跨線橋が解体されるということに気がつきました。台湾では地球環境を気遣うように教育が進んでいて政府は國民にスクーターやクルマではなく公共の乗り物 あるいは 電動バイクや自転車 で移動することを励ましています。うちも自転車に乗ってるのですが排煙の充満している道路で線路の向こうには行きにくくてこの なぜかひとつだけひっそりと存在している 人行天橋 がとっても助かtte。先日ボ活(ブ活みたいなものです)の現場へ自転車で行く途中この人行天橋ももうすぐ さようなら か…と実感してしまいカメラも持ってなかったのですが久しぶりにiPad‘miniを操縦し撃ちまくってしまいました…地下化と同時に 駅がたくさんできます。ここは昔の廃止された駅舎を保存だか再現してる観光スポットですがここにも駅が復活します。近くには昼間新しい駅と周辺の整備をしている車輛系が留置されていました。好く撮れますねiPad …少なくとも 普段使いのカメラFujifilm XP120よりは夜景に強いとおもいます。

    ❄️人行天橋❄️
  5. 3連休明け、気分も身体もダル重。しかし朝会もあるし、サラリーマンの習性かいつもの時間に駅に向かっている自分がいる。今朝の通勤3208レは9152Fでした。最近撮影していて9151Fと共に良く見かける編成ですが、本来は地下鉄乗り入れ用に作られたインバータ付の編成です。今日乗った感じはインバータ感はあるものの、しっかり作られた静かな車両と感じました。和光市待機線には77Sで出庫を待つ土曜日131S快速急行に入ってくれた7101Fが、和光市駅3番線には23S副都心線通勤急行7118Fがいました。その7118Fが出発後、後を追うように9152Fが出発、地下鉄隧道に入る手前で追いつき並走になり、上から目線(線路の高低差より)で7118Fを観察出来るポジションに(^_^)v地上線ではのびのびとジャイアントパンタを上げて快走してくれる7000系ですが、地下に入るところまでにはどんどんパンタがひしゃげて(標準語!?)突入して行きました。あそこまで地下鉄線内ではパンタ潰されるのですね。朝から面白いもの魅せていただきました(^~^)いつしか体調悪いのも忘れ楽しく今日も池袋定時到着です。何気ない毎日の通勤ですが、自然災害で不通になっている区間の方々はきっとこの当たり前を心待ちにされているのですね。きっと!頑張って下さい!!改めて、何気ない毎日の通勤に幸せを感じています。にほんブログ村

    (7/17)何気ない毎日の通勤が幸せ!
  6. 暑い街へ
  7. 皆さま、こんにちは!先月末に関西を訪れた際に、加古川線・厄神(やくじん)駅に立ち寄りました。この駅名を聞いてピンときた方、結構いらっしゃるのではないでしょうかね?そんな方は地元に所縁があるか、もしくはかなりの路線マニアだと思います。ここはかつて三木鉄道三木線が分岐していた駅で、平成20年に廃止されるまではここから三木線の列車が発着していたのですよ。現在、ひたちなか海浜鉄道湊線で運行中のミキ300形は元は三木線で活躍していた車両。三木線ではこのカラーリングのままで活躍してました。自分は三木線が第三セクター化される昭和60年以前の国鉄線の時代から、「経営に苦しんでる路線」としてその名を知ってましたが、ようやく始点の厄神駅に訪れることが出来ましたよ。それにしても駅に着いて驚いたのは、厄神駅は真新しい橋上駅舎を持つ駅だってのに駅前が想像以上に狭かったこと。道路が横切りますけど車一台がギリギリすれ違える程の道幅しかないのです。駅舎の造りと駅前風景とのギャップがすごすぎますって。ちなみに厄神駅は大正5年に開設された駅で、現在の駅舎は平成11年に建て替えされたモノだそうですよ。駅の正面には街の観光案内が掲げられてましたが、ここでは今でも三木鉄道が現役でした。あれ?よく見たら厄神駅の駅舎が木造駅舎。この看板、いつの時代に造られたモノなのでしょうね?この看板、厄神駅の隣りにある三木鉄道・国包駅が不思議なカタチで描かれてますけどこれには大きな理由がありまして…理由は次のブログで書きますね。それでは駅舎に入ります。橋上駅舎ですので階上に駅の南北を結ぶ自由通路があり、中央部分にある改札口からホームに入ることが出来ます。ホームに入りますが、その前に…駅の橋上化によって誕生した南口にも降りてみました。厄神駅は正面側である北口もかなり狭い印象でしたが、南口はもっと狭かったです。バカでかいアメ車とかトラックは絶対に通れなさそう。ゴミ収集の職員さん、本当にご苦労様です。こちらが駅の改札口。優しそうな駅員さんが出迎えてくれました。改札口を抜けてホームにイン。厄神駅は列車の退避が可能な相対式ホーム2面2線構造です。構内には加古川線の車両基地(網干総合車両所加古川派出所)がありますけど、平成11年に着工した加古川駅周辺の連続立体事業によって加古川駅東部にあった加古川気動車区が移転したモノだそうです。厄神駅の駅舎も同時に建て替えられたみたいですね。車両基地はホームの東端から眺めることが出来ます。改札内のコンコースからもこんな感じで見ることが出来ました。さてさて厄神駅はここからが注目!駅舎とは反対側にあるホームを見ると、ここはかつて島式ホームだったことがわかります。お気づきかもしれませんが、ここがかつて三木鉄道三木線の列車が発着していたホームでしたの。ホームの加古川線側(2番線)は電車のステップ高に合わせて嵩上げされてますが三木線側(3番線)は低いままの状態。ここは2種類のホーム高がある島式ホームなのです。ホームの西側は、なぜか今も線路が残されている状態。線路はこの先で加古川線と合流します。三木線の列車は国鉄時代、運行される大部分の列車はここを経由して加古川駅まで直通運転されてた模様。第三セクター化後は厄神駅折り返しに改められたみたいですね。三木線が廃止されてから今年で10年が経過。線路は剥がされてましたけどホームの道床は今でも残されてました。三木線は車両基地の南端をすり抜け、6.6キロ先にある終点の三木駅まで伸びていたそうです。田んぼの中を列車がコトコト走る三木線、現役時代に一度は乗ってみたかったなぁ。廃止から10年経った三木線の駅跡が気になる!皆さまの気持ちを代弁してみました。えっ、気にならない!?三木線には国鉄時代からある国包駅、石野駅、別所駅、三木駅、それと第三セクター化後に新設された4駅を加えた合計8つの駅(始点の厄神駅を除く)がありました。ネットの情報によれば、廃線跡のうち下石野駅から三木駅までの4.8キロの区間がこの4月に遊歩道「別所ゆめ街道」として整備が完了したらしく。線路が残されてるスポットもあるんですって。これ、行かなきゃ絶対に後悔するヤツでしょうよ。この日はレンタカーで移動していた自分。ドライブ気分で余裕をかましながら三木線の廃線跡を周りましたが実はクルマでは近づけないスポットが数多くあったみたいで…三木鉄道の廃駅跡の様子を下記のリンクからチェック頂けるとありがたいです。→ 三木鉄道三木線の廃駅跡巡り訪問駅リスト(JR線)加古川線↑(加古川駅方面)日岡駅神野駅厄神駅(平成30年6月26日)市場駅小野町駅粟生駅河合西駅青野ケ原駅社町駅滝野駅滝駅西脇市駅新西脇駅比延駅日本へそ公園駅(平成30年6月27日)黒田庄駅本黒田駅船町口駅(平成30年6月27日)久下村駅(平成30年6月27日)↓(谷川駅方面)駅探訪記、旅情報を不定期に更新中!新着情報がすぐ受け取れる読者登録をお願いします。

    たくさん共感されています

    【まったり駅探訪】加古川線・厄神駅に行ってきました。
  8. 2018年7月14日㈯ 東海道 旧・総持寺踏切 撮影分からです。続きです。■EF66 101号機 1092レ 稲沢⇒東京(タ) 4:32◇いつもと荷姿が違うなぁ。◇EF66 101号機。ちょっと久し振りのトップナンバー機。◇この列車でUT20Aタンクコンテナって あまり見掛けない。◇特徴的なコンテナも記録します。細かくはチェックしてはいないが、いつもとは荷が違っている。■EF66 115号機 1084レ 吹貨東⇒川崎貨物 4:38◇独特な編成で、お気に入りの列車です。◇途中まで 洗車した?◇JOTホッパコンテナ。◇UT17C 液化酸化エチレン専用 日触物流(株)所有。姫路貨物駅⇒川崎貨物間で運用されている様です。◇いつもは夜間に通過している GOTSUコンテナ。◇ちょっと背の高いJOT 20Aコンテナ。19Aと並ぶと 違いがよく分かるが 区別なく使われている様です。■EH200-3号機 5693レ 川崎貨物⇒根岸 4:46笹が伸びてきた。◇接近戦からの。。。◇後追いは まだまだ霧が濃い。■EF210-130号機カンガルーライナーSS60 2058レ 吹貨東⇒新鶴見 4:50[祝 編成完成]◇東側 コキ5車は 一般貨物。◇EF210-130号機。◇西側 コキ15車は カンガルーライナーSS60。5月、コキ5車からスタートした「(仮)カンガルーライナー」。6月にはコキ10車、そして7月からはコキ15車。晴れて「(仮)」を外せました。*なお「カンガルーライナーSS60」という呼び名は 西濃運輸からの正式発表名です。5時前から 暑くて、少々グッタリしながら 続きます(^_-)-☆

    JR貨物【カンガルーライナーSS60】~15車 30個~
  9. 別)【「復興計画」時刻表集(完全版)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:864円 (税込・送料別)【寝台車と食堂車の復興計画(前篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【寝台車と食堂車の復興計画(後篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:670円 (税込・送料別)【鉄道デザインの復興計画】(詳細)アンチ水戸岡派必読の書データ本:324円 (税込)/ 紙本:756円 (税込・送料別)【「関西鉄道」の復興計画(前篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【「関西鉄道」の復興計画(後篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【関西経済の復興計画(鉄道篇)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:715円 (税込・送料別)【京阪神間直通輸送の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:756円 (税込・送料別)【阪和間直通輸送の復興計画】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:756円 (税込・送料別)【関西私鉄王国の復興計画(上巻)】(詳細)データ本:324円 (税込)/ 紙本:605円 (税込・送料別)【関西私鉄王国の復興計画(中巻)】(詳細)データ本:324円(税込)/ 紙本:670円(税込・送料別)【関西私鉄王国の復興計画(下巻)】(詳細)データ本:324円(税込)/ 紙本:670円(税込・送料別)【京阪大津線の復興計画書】PDF版:税込999円(アフィリエイト率60%)製本版:税込・送料込1200円(A4・110ページ)

    乗り物酔いの問題と対策
  10. の好天に!そこから近鉄に乗り換え、京奈特急で近鉄奈良へ移動。憧れのビスタカー、4両編成をほぼ貸切に近い状態で近鉄奈良まで乗車したが、近鉄電車の写真は残念ながらどこをどう探しても、この中途半端な一カットしか残っていない。実はそこから下ること9〜10年後に年1〜2回のペースでここを利用することになるのだが、やはり意外にもここで撮った記録が残されていないのはどうしたものだろうか?そして、近鉄自体も他に乗ったのは名古屋〜大阪難波のアーバンライナーと松阪まで、けいはんな線くらい。別に西武ライオンズの黄金時代に常に手強かったのを妬んでいるわけではないですよ?(笑)近鉄に限らずまだ関西私鉄は、手をつけていない路線が多く残っています。さて、それでもこの乗車時は、隣の号車、ビスタカー自慢の二階建て車両に足を運んでいた。残念ながら自分の乗る号車は二階建てじゃなかったのだが(1組のため)1階席に陣取る3組の女友達の所を訪ねてスナップ写真を撮って、ついでにデッキのブルーリボン賞プレートを撮っていたようだ(笑)この頃からスナップ写真、オフショットの類はすでに得意分野だったらしい。結果的に、更新前のビスタカーに乗ったのはこの時が最初で最後になった。…但し、この日の鉄道写真はこれで終わり。奈良からは奈良公園、法隆寺と巡って京都へ戻ったが、そのルートは終始バス移動だったからだ。バスの車内で何をして過ごしていたか、などは約四半世紀前になるためにほとんど記憶にない。ただ一言だけ、覚えているフレーズはチャウチャウちゃう?ちゃうちゃう、チャウチャウちゃう。くらいだったような(笑)確かバスガイドさんが教えてくれて、やけに盛り上がったなぁと。そして当然、ホテルがどこだったとか、どう過ごしていたとかほとんど記憶から脱落しているσ(^_^;)ひとつだけうっすらと記憶の片隅に残っていたのは、同室だったN君がコンタクト着用していたのをそこで初めて知ったという、実にとりとめのない話だったような(笑)そんな感じで、なんとなく浮き足立った修学旅行の記憶と記録。まだまだ続きます。

    【90's DOOR 005】1994年6月・修学旅行で関西初上陸!《1日目》
  11. ちば率高っ!?
  12. 機感と気付きを持っ小田急、2005年に10000形の置き換えと箱根特急・ロマンスカーの復権をかけて新たなロマンスカーを送り出しました。それがこの50000形です。キーとも言えた展望席も復活し、スピード感を持ったシャープなデザインとなっています。そうそう、編成はこれまでの11両編成から10両編成となり、車体長が長くなっています。また目立たないところではありますが乗り心地の点ではかなり力を入れており、カーブでの遠心力を打ち消すために台車に連接車体としては世界初の空気バネ車体傾斜装置を搭載し、その他にも横揺れを打ち消すフルアクティブサスペンション、カーブでの軋み音を低減させるために輪軸をカーブに合わせて動かせる操舵台車など、「やれるだけのことはしてやった」感は相当なものです。めちゃくちゃお金かかっています。「VSE」、"Vault Super Express"の愛称が付いており、各所にその文字が入れられています。"Vault"とはアーチ型天井の意味で、車内にそのデザインが取り入れられています。その様子はまた後程ご紹介しましょう。まずはデッキから、ドアです。空気式のプラグドアとなっています。照明をスリットから漏らすようにしており、入口から入った瞬間から魅せる心意気、さすがです。くずもの入れは飲料系とその他で分別されています。飲料系は投入しやすいように口が斜めになっています。トイレです。手前の男性小用は横引き式の扉、共用トイレは車椅子対応とも言えるカーブを描いた形状となっています。洗面台です。ロマンスカーの伝統というか美徳というか、通路との間には暖簾が掛けられています。小田急に限らず特急型車両にもカーテンの類いは付いていますが、常時仕切られているのは少数派です。ちなみにその暖簾、さりげなくVSEのロゴ入りです。中にお邪魔しました。蛇口はセンサーによる自動式、液体石鹸も備わります。で、ロマンスカーと言えば「走る喫茶店」の異名を持つ程車内サービスに力を入れていたこともあり、車内販売スペースが備わっています。現在はカートによる移動販売に切り替わったため、車内販売準備スペースとして使われています。その向かい側には何やらモニターがありますが、現在は特に何も映されておらず…。連結面です。連接車体らしく、渡り板は円形をしております。幌はカバー付き、この辺りもぬかりありません。さてようやく車内です。赤いモケットはロマンスカーで長年採用されてきた色ですね。忘れていけないのはやはりボールト天井で、車内が広々として見えます。車端部です。仕切り扉は全面ガラス製、「走る喫茶店」と言われていた時代からここも変わりません。仕切り扉上にはLCDディスプレイが備わりますが、列車案内がなんだか事務的です。車内のLCDが発達し出したのは10年代前後なので、今作ればもっと凝ったものになっていたことでしょう。さて天井です。これ程までに見事な弧を描いた天井も中々見られません。照明は間接照明で、それだけでは照度に不安があるので座席すぐ上にはLEDの直接照明が補助的に入っています。その補助照明も決して明るすぎないものとなっています。窓です。1枚で2席分となっており、日除けはフリーストップ式のロールカーテンです。中央にカーテンワイヤーを仕込んでおり、なるべく眺望を妨げないようにはしていますが、ちぎれないよう頑丈に出来ているだけに下手に触ってケガしないようにしましましょう。座席です。回転リクライニングシートで、これまた小田急の伝統でセンターアームレストは有りません。ロマンスに仕切りはいらないということでしょう。リクライニングすると座面が微妙に沈み込むチルト機構を採用しています。シートバックやテーブルなど、至るところに木材を使い暖かみを出していますね。座り心地に関しては、底付き感全開なのが何だかな、と思うところではあります。足回りに気をとられて座席にまで気が回らなかったのかもしれませんが、乗客から見て座席は料金を要する列車で一番気にするところだと思うのですが…。デザイナー側から「いやいやちゃんと気を回してますよ」と反論を受けそうなのがここ、座席がやや窓側を向いてセットされています。角度にして5°、こうすることにより自然と視線が窓側を向くように仕向けているのでしょう。眺望を良くするため以外にも「ロマンスカー」らしくちょっとしたプライバシー性の向上も考慮していると言えます。ロマンスカーと言えば窓下に設置された折り畳み式テーブルがこれまた伝統アイテムとなっている感があります。VSEについてもこの伝統をしっかりと踏襲しています。展開の図。面積こそ狭くなっていますが、折り畳み状態で窓側に座った人が窮屈な思いをしないようにするため、向かい合わせ時での利用を考えたためなんでしょう。デッキ仕切り際の座席には網ポケットと個別に分かれた折り畳み式テーブルが備わります。足元のカーペットが少し盛り上がっており、ちょっとしたフットレストのように使えるようになっています。お次はバリアフリー対応区画です。奥は車内販売の準備区画となっているため、ショートショートな空間となっています。座席は肘掛けが跳ね上げ可能で、車椅子固定用のベルトが付いたものです。ここは肘掛けの表地がレザー調となっていますが、フレーム自体が灰皿設置を想定していたのか金属部分が多くなっているのが残念ですね。続いては3号車にあるセミコンパートメント、「サルーン」です。ここはパンタグラフが載っている関係でボールト天井が作れなかったため、肩部分に天窓を仕込んでいます。画像でもチラッと見切れて見えますね(苦笑)座席です。うん、見てからに「グループでワイワイやってりゃ箱根はすぐそこ!」というデザイナーの意図が透けて見えるお手抜きさです。背ズリは直角に近い角度設定、肘掛も無くて腕のやり場に困るこの環境は黙って乗ってりゃ「なんじゃこりゃ」と思うことでしょう。荷棚は二段式、上段にはやや大きい荷物を置くことが出来ます。テーブルは折り畳み可能ですが、上にパンフがどっさり置かれていますね・・。どこかにマガジンラックがあればいいのですが。さてさて、この系列最大のウリと言えば展望席です。前展望ともなれば10時打ちは必須、最前列に至ってはキャンセル待ち以外にどうすれば取れるのか分からないくらいに瞬殺される程の人気っぷりです。とある列車で一番乗車を果たして先頭へ向かうと、乗務員室へと通じる階段の収納中でした。朝の折り返し清掃が無い列車だと、運転士さんが運転席の説明や、昇降の実演を行ってくれます。早起きは三文の得ってところですね(^^) その後、運転士さんはそのまま乗務員室へと消えていきました、忍者か(笑)展望席と一般席との間には非常用の扉があります。乗車位置に「1、2号車」と書いてあり「?」と思ったら…なるほど…。天井です。LEDのラインを描いたライトが2列入っており、最前面にはスポットライトが配置されています。窓です。展望席だけあり側窓はかなりの大型サイズですが、それを支える柱が太く3列目の席はかわいそうなことになっていますね…。展望席としては完全にハズレ。座席です。一般席と形状は変わりませんが、荷棚が無いためかシートピッチが広げられています。また窓側の折り畳み式テーブルもデフォルト状態で使用することが出来ます。最前列は引き出し式のテーブルの他に木製ボードを貼り付けてキャパが段違いに広くなっています。そして全面窓。思ったより大きくないなぁ、とは率直な感想ですが、LSEにあった中央の柱が無くなり視界はクリアになりました。というわけで最前列。ロマンスカーあるあるとも言えるのですが、停車駅が多いタイプの最前列席は必ずしも全区間埋まっているわけではないということ。この時も5列目が指定した席でしたが、新宿発車時点では空席だったので少しお邪魔して撮影。この複々線を快走する様、最前列では中々圧巻でした。なおこちらは今回の乗車に巻き込んだ方の撮影故。そしてロマンスカーの真髄を見た気がするのは車内販売。昔はシートサービスと称してアテンダントさんが注文を取りに来て持ってくるスタイルだったものが一般的なワゴン販売に変わりましたが、お茶を頼むと蓋付きのカップに入れられ、ややお高いものの味もそれ相応のものとなっておりました。しかもロマンスカーのコースター付き、記念に持って帰れるのがいいですね。なお、コーヒーを頼むとお茶菓子が付いてきます。…まぁそりゃあ獲ってますよねブルーリボン賞。ブルーリボンの由来は、イギリスのお召し列車で機関車に巻かれる青いリボンが由来なんだとか。箱根湯本にて。

    たくさん共感されています

    小田急50000形
  13. 座って行きたいため京阪のプレミアムカーを利用しました。まだ午前8時台でしたので、山鉾巡行を見る前に八坂神社(祇園社)に形だけの参拝をしました。この神社が八坂神社と呼ばれるようになったのは明治元年の神仏分離令以降のことであり、それまでは祇園精舎の守護神の牛頭天王が祭神(仏教的な陰陽道の神)で、祇園社(祇園神社)と呼ばれていました。そのため、今でも地元の人は八坂神社を「祇園さん」と呼びます。元々の牛頭天王は「疫病を流行らせる神」だったのですが、その牛頭天王を「祭」などで盛大に和ませる(手懐ける)ことにより、牛頭天王の霊力・神力を逆作用させて疫病を鎮めてもらおうというのが祇園祭の成り立ちです。蛇足ではありますが『毒をもって毒を制する』に近いような感じですので、当時の人々が疫病で困り果てていたことが何となく分かるようにも思います。八坂神社の本殿です。八坂神社の舞殿です。今日庵(こんにちあん)と書いてありますので裏千家の献灯のようです。ようやく祇園祭の前祭(さきのまつり)の山鉾巡行の開始時刻が近づいてきました。この山鉾巡行は八坂神社が主催する行事ではなく山鉾町が主催している行事です。四条河原町の交差点付近です。初めての巡行見物ではありませんので、今回は多数のギャラリーの後方から祭の雰囲気を楽しむ程度のつもりでした。四条河原町交差点での辻回しの直前の画像です。江戸時代末期までは、長刀鉾以外の鉾にも生身の稚児が乗っていましたが、1929年に放下鉾が稚児人形に変わったときから生身(人間)の稚児がそのまま存続しているのは長刀鉾だけになっています。高瀬川沿いに歩いて京都市役所前(河原町御池)まで移動しました。(高瀬川の七之舟入址です)京都府警・機動隊の現場指揮官車と思われる車両が停まっていました。私は、この方面には暗いのですが「トヨタのランドクルーザー100ワゴンVX」のような感じです。京都市役所前の河原町御池交差点です。ビルの陰から長刀鉾が現れたときに、大きな歓声が沸き上がりました。真正面からでないと「お稚児さん」と両端の2人の「禿(かむろ)」を撮ることができませんでした。このお子たちは、おそらく『ええしの子』なのだろうと思います。『良家のお坊ちゃま』に近い言葉が関西弁の『ええしの子』という言葉です。(最近はあまり使われなくなっているかもしれません)河原町御池交差点での辻回しの途中です。河原町御池交差点での辻回しが終わり、御池通を西に向けて出発するところです。この後方の山や鉾も確認しましたが、やっぱり長刀鉾は周囲のギャラリーが一番多いと感じました。(本能寺文化会館前)長刀鉾の見送りです。先日、長刀鉾町の会所で見た伊藤若冲の絵を基にした織物です。長刀鉾町の会所で撮った見送りの画像です。この寺町通で、私は長刀鉾とお別れしました。午後から仕事のため、ここから阪急河原町駅まで歩きました。以下は移動しながら撮った画像の一部です。蟷螂山のカマキリです。この蟷螂山は、たいへん人気のある山でして、先日、会所を訪ねたところ、グッズの販売時間前から長い行列ができていました。函谷鉾(かんこぼこ)と京都市役所です。函谷鉾の見送りは「金剛界礼懺文見送(弘法太子大師真筆写紺地金文字織)」です。祇園祭の山鉾の中でもひときわ豪華な装飾に彩られている月鉾です。鉾自体も重厚で立派なものです。月鉾の見送りは染色工芸家の皆川月華(1892年-1987年)氏の作品「黎明図」です。仕事に向かう直前の時間切れ寸前に撮った画像です。四条河原町交差点で郭巨山(かっきょやま)を見ました。あわてて阪急京都線の特急に飛び乗り、大阪まで戻りました。先日の画像を再び貼っておきます。(おわり)

    祇園祭(前祭)山鉾巡行
  14. 置付けです。ようや小田急も着地点を見つけたと言ったところでしょうか。申し遅れました、やはりロマンスカーと言えば愛称があるもので、Graceful Super Express、略して「GSE」という愛称が付けられています。先頭にはロゴと系列が入ったエンブレムが付いています。なお、この系列ではロマンスカーでは初となるクラシックの自動演奏機能が付いており、一部区間で流されるようになっています。ええ、カノンを聴きながらの複々線、gracefulのその文字です。さてさてまずはデッキから、ドアです。片側に寄った細い窓のデザインはVSEと同様ですが、ドア自体は引き戸式となっています。くずもの入れです。飲料系とその他で分別されているのはVSEやMSEと同様ですね。乗車時には気付かなかったのですが、GSEのくずもの入れは全車海側に設置されているとのこと。何でも箱根湯本駅での折り返し時、くずもの入れが山側にあると降車にどうしても時間がかかってしまうので、ゴミ入れの人と降車の人を分離するためにこうしたんだとか。連結面の仕切り扉はロマンスカーらしく全面ガラス仕様ですが、スモークをグラデーションとして薄くする手法を用いています。凝ってますね。トイレです。共用トイレは車椅子対応で、円筒形かつ大型のものとなっています。トイレのドアはボタンによる半自動式、その隣にはAEDや消火器が備えられています。男性小用トイレです。ちょっと何だかなぁと思うのはいわゆる「覗き窓」が仕切り扉同様スモークがかかっていること。中に人がいるかどうかが分かりづらく、背が低いと確実に視認できません(実際人が入っているところを勢いで開けかけた人)。その向かい側には女性専用トイレがあります。洗面台です。やはりロマンスカーらしくロゴ入りの暖簾が掛けられています。中に入って一枚。自動式の蛇口や液体石鹸はVSEなどと同様ですが、微妙に配置が異なっています。近年のインバウンド需要に答えるように荷物置き場があります。ただデッキにあるので盗難に対してやや不安に思うところではあります。自動販売機です。車内販売の飲み物はやや高めな料金設定なので、駅で買いそびれたりして値を抑えたい時はいいですね。この辺りは庶民のちょっとした背伸びに手を差しのべたような形と言えます(笑)車内です。色調はVSEからガラッと変えてきましたね。なおこちらは2号車、両先頭車と天井の形状が異なっています。VSEほどではないにせよ、アーチ天井になっていますね。さて突然ですが座席です。モケットは単色だったVSEやMSEから大転換、モザイク柄になりました。モケットだけで見るとかなり観光寄りに持ってきた感がありますね。テーブルは向かい合わせ時を考慮しインアーム式、MSEで相当叩かれた反省からか面積、形状ともに改善されています。ヘッドレスト裏には「立ち上がりを容易にするため」ということで持ち手が付いています。とは言えすぐ近くには前席の方の頭があるので、使うにしても少し気を使いますね。そうそう、座席回転のためのペダルが見当たらないなぁと思ったら・・袖仕切り左下のレバーがそれらしいです。各所でかがんで手でレバーを引く様子が紹介されていますが、動作としては確実に無駄が生じていますし、ペダルに慣れている方が多いだけに何でそうしたのかと・・。背面はこの通り、マガジンラックとドリンクポケットが一体になったボードと、フックが固定式×1と収納式×2、傘掛けが付帯設備として付いています。一本足のため、脚は伸ばすことが出来ます。バリアフリー対応座席です。何やら、この座席は取っ払うことも出来るそうな…。それにしても、日除けが下までキッチリ下がらないのはあまり気持ちよくありません。リクライニングの図。このフレーム自体は各地のリクライニングシートで見ることが出来るもので、肘掛けは跳ね上げ可能、サイドアームテーブルがありますがそのキャパは一般座席と比べると貧弱そのものです。向かい側の車椅子スペースです。実際に車椅子が置いてあったのでお手本的に…。続いて両先頭車へと参りましょう。珍しく後ろ側からご覧頂いておりますが、いやはやこれはこれで圧巻です。デッキとの仕切りです。仕切り扉は小田急の伝統とも言える全面ガラス張り、壁も上部をガラスにしています。デザインを先述のグラデーションとして、デッキ仕切り際の方の目隠しと車内の様子をデッキ側から眺められるように両立しているのは工夫のなせる業でしょう。仕切り扉上にはLCDディスプレイが搭載されています。通勤電車に搭載されている「パッとビジョン」くらいの大きさで、文字はやや見にくいです。天井です。両先頭車の天井には荷棚が無く、丸天井にはなっておりません。展望席からの一体感をイメージしたためなんだとか。で、さすがに荷物の置き場に困るのは目に見えているので荷物置き場があります。こちらは客室側にあります。さてさて魅惑の展望席です。前面形状は張り出しを抑え目にしていることもありその分非常に窓が大きくなっています。天井です。VSEでは照明が4列になっていましたが、GSEでは両側の2列となっています。側面の窓です。非常に分かりにくいですが、ロールカーテン用のガイドワイヤーが入っています。ここはVSEやMSEと同様、展望をなるべく遮らないようにするためで一般座席も同様です。ただうっかり触ってケガしないようにしましょう。なお、個人的には2列目の窓側は隠れた最前列だと思っています。1列目の座席が前面形状に合わせて中央側に寄せられており、ここの座席だと左カーブ部門でかなりの高ポイントを獲得していると思っています(笑) 各方面右側だと代々木上原-登戸間で圧巻の複々線が広がります。とは言え、景色がやや湾曲しているので酔いやすい方は気をつけましょう(^^;;前面窓です。VSEより張り出しが抑えられているのは、前面展望を良くするため以外にも詰め込みを重視するためというのもあるのではないか、と邪推しています。・・というわけで最前面からの景色をどうぞ。箱根登山鉄道線内は空席が自由席となるので少しお邪魔しました。10時打ちしても最前列が取れず・・。座席です。一般席とデザインは変わりません。ええ、座席回転用のレバーを塞いだような所はもう少し何とかならんかと。床面があまり傾斜していないため、展望席と言いながら3~5列目は窓側に座ろうもんなら一般席とそうそう変わりません。座り心地としてはVSEやMSEと比べるとクッション性が向上しています。VSEやMSEの座席への評判が中々酷いものだったために「分かった分かった、増やしゃあいいんだろ」的な開き直り感が無いでもありません(^^;; 座面のチルト機構が廃されていますがなぜでしょう。ヘッドレストカバーはGSEのロゴが入っています。肘掛先端にはロマンスカーの新造車では初となるコンセントが設置されています。そういえば、この車両にはフリーWifiが飛んでおり、コンテンツで前面展望や後面展望の映像も見ることが出来ます。が、私のスマホでは「インターネット接続がありません」と言われる始末で・・。ベストアンサーお待ちしています(^^;;

    たくさん共感されています

    小田急70000形
  15. 月曜から始まった三連休の最終日は・・・・・・・・・黄色奴を捕獲に行こう!!!
  16. 雨のいすみ鉄道~国吉・小谷松・西畑・総元
  17. 客がいない車内では座席が整然と並んでおりまして、この2日後に今度は別府駅から乗客を乗せて阿蘇駅へと向かう事になりますので、座席もその向きに合わせておりました。それにしても、前日には唐津~筑前前原間で、これら座席に座りまして乗客を乗せていた訳でありましたが、その分多くの方々がこの列車を好まれたのではないかと思ってならない所であります。 (行先は「回送」です) (乗客のいない、4号車の展望席) (同、3号車の親子シート(白いくろちゃんシート)) (同、2号車普通席) そして、西唐津駅の出発信号機は青となりました。その結果、いよいよ3日間お世話になりました唐津の地をこれから発つ時がやってまいりました。 こうして、キハ183系気動車「あそぼーい!」編成は西唐津駅を発ちました。ご紹介しておりますように、この後唐津線・長崎線・鹿児島線・日豊線を経まして、大分市の下郡信号場(大分車両センター)へ向けて回送される事になりますので、その分往路のように長い距離を回送するようにもなります。 今回、3回にわたりまして観光列車であります「あそぼーい!」を3日間収めるに至りましたが、本当にこの列車がやって来る事を最初知った際には、平日でもありましたので正直どうなのかなとも思ったほどでしたが、実際は発売日1時間で完売するほどでもあったそうですので、それほど人気がある事も伺わせる所でもあります。やはり、このように人気がある訳でもありますし、現在は別府・大分~阿蘇間で運行されるようになりましたので、福岡・佐賀県の方々にとりましては再び見る事ができにくくなっている事もありますので、今後もそう言った企画を期待する所でもあります。

    NO.2038 筑肥線を走る!キハ183系気動車「あそぼーい!」撮影記(最終回、西唐津駅着発編)
  18. 線・武蔵野線に加えメトロ東西線と東葉高速鉄道が乗り入れる千葉県有数のジャンクション駅です。乗降客数はJR単独でも船橋駅に次ぐ千葉県第2位。他社線も含めた数字では、ぶっちぎりの県内トップを誇っています。これだけ主要な駅でも、総武快速線は通過してしまいます。まぁ、それにはいろいろ事情もあるようですが。西船橋駅の総武線ホームは2面3線です。朝夕設定されている西船橋折り返しの列車は2・3番線を発着します。日中の総武線各駅停車は、千葉行きと津田沼行きが交互に走ります。津田沼行き電車には乗らない人の姿も目立つようになってきました。昼食もしっかり食べたところで、全駅間歩き再開です。自分でも正直なところ、西船橋を出ると千葉駅が近いと錯覚してしまいますが、千葉駅は鉄道距離でもまだ20km近く先です。とりあえず、次の船橋駅を目指すことにします。西船橋は千葉県最多の乗降客数を誇る駅ですが、ちょっと離れると、もう閑静な住宅地です。このあたりはかつて貨物ターミナルだったそうです。現在は公園に再整備されています。歩道橋を渡って、線路の南側に出ました。少し進むと、線路が左方向へ離れました。本来は一直線に船橋市街まで線路を引く予定だったようですが、その当時から船橋は既成市街地だったため、中心市街の外れに線路を迂回させたそうです。これは単に用地や工費の問題で、鉄道忌避があったわけではありません。いったん線路が逃げた方向に進み、線路を越えてきた市道と合流しました。道幅が広くなってきたら、船橋の中心市街地です。一本南の千葉街道沿いのほうが市街地としては発達しているようで、この通りは意外と人通りが少なかったです。JR・京成の船橋駅へと続く道に入ると、急に賑やかになりました。船橋駅に着きました。市川・千葉・佐倉と並ぶ千葉県最古の駅です。東武野田線との接続駅で、京成線の京成船橋駅とも近接しています。県内JR駅では最多の乗降客数を誇る船橋駅には、順当に快速も停車します。総乗降客数となると西船橋駅に水をあけられている船橋駅ですが、駅前の賑わいでは、両者は比べものになりません。ホームは2面4線で、快速線と各駅停車でそれぞれ1面2線ずつ使用しています。一休みしたら、次の駅へ向かいます。次の東船橋駅までは、線路の北側を歩いてみたいと思います。はじめは都会っぽい雰囲気ですが、5分も歩けば、こんな風景に変わります。駅がある場所は、もともと中心市街地の外れだったわけですから…。海老川を渡りました。架かっている橋が少ないと、小さな川であってもその前後のルート取りが難しくなることがあります。まもなく、右手に船橋中央卸売市場が見えてきました。知り合いがここまで買い物に行ったっていうんですけど、調べてみると、一般の人も楽しめる店が結構あるんですね。船橋市場を抜けると、そこはロードサイド天国。右も左もカーショップだらけです。東船橋駅入口交差点を右折しました。緩やかなアップダウンをこなして、駅へと向かいました。緩やかでもアップダウンがあるということは、自然の地形が始まった証。ここまでずっと平坦地を歩いてきたわけですから、大きな変化です。東船橋駅に着きました。写真の駅舎は、出るときに撮った南口ですが…。大学生のとき、東西線の車内で携帯を落として、どういうわけか船橋警察署で預かっているといわれ、取りにいくため、ここで降りたことがあります。ホームは1面2線。構内は掘割下…と言っていいんでしょうか?このあたりから、いよいよ総武線も台地上を走ります。南口から出て、津田沼駅へ向かいました。こちら側にも住宅地が広がっていました。突き当たりを左に曲がって、船橋駅へ向かう途中に歩いた市道と合流しました。この先で県道8号・国道296号と合流します。国道を越えて、小道に入りました。まもなく、目前に黄色い電車が現れました。ここはJRの習志野運輸区です。車両基地を左手に見ながら、東へ進みました。このあたりは、再開発で建てられた新築マンションが目立ちました。どういうわけか、ジェイアール東海不動産が管理するマンションもあったのですが。JR東日本ではなく…。かつては農地だった場所に、真新しいマンションが建ち並んでいました。津田沼駅南口へ続く道に入りました。今では津田沼という地名は固有地名として定着していますが、元をたどれば「谷津」「久々田(菊田)」「鷺沼」という3つの地名を重ねた究極の合成地名です。恐らく、この地名ができたばかりの頃は違和感をもって迎えられたと思いますが、今となっては、この地名に違和感を感じる人はほとんどいないと思います。むしろ、津田沼という沼はどこにあるのかという声を聞くくらいで。昨今、ハイカラな地名が批判にさらされていますが、100年経てばそういう批判は消し飛んでいるのかもしれませんね。津田沼駅に着きました。習志野市の中心駅ですが、駅の一部は船橋市に食い込んでいます。ホームは3面6線で、快速線・各駅停車がそれぞれ2面3線ずつ使用しています。快速線の折り返しは2番線、各駅停車の折り返しは5番線を発着します。時刻は16時30分。ここまで歩いてきた距離は約37km。普段ならゴールしてもいい距離ですが、今日はまだ歩きます。北口から出てみました。津田沼駅と新京成線の新津田沼駅の間が、津田沼のメインストリートです。新津田沼駅近くにある公園には、こんな機関車が保存されています。これはK2形と呼ばれたSLで、現在の新京成線の前身だった陸軍演習線で使用されていました。陸軍演習線の詳細は「新京成線全駅間歩き」で…。新京成線のガードをくぐりました。最終目的地の千葉はまだまだ先です。とりあえず、幕張あたりを目指したいと思います。(その5へ続く)西船橋駅から津田沼駅までのGPSログ(1/60,000)です。船橋から東船橋は敢えて線路の北を歩いてみました。南側は京成線を歩く時にでも…。

    総武本線全駅間歩き1(御茶ノ水-千葉) その4・合成地名も時間が経てば…
  19. このウェブ日記は、愛媛鉄道開通100周年記念ツアーのことを2週間以上前に書いていたもので、豪雨災害などがあって投稿がズルズルと先延ばしになってきました。記事メインの開通100周年を迎えた伊予大洲~伊予長浜間は、先日の豪雨災害の影響で現在運休となっていて復旧には数か月かかると言われています。観光列車伊予灘ものがたりも予讃線海まわり通称愛ある伊予灘線が復旧するまで長期運休の予定。。。これからむかえる夏休みの観光シーズン国道は復旧しており車での観光は可能です一人でも多くの方が観光にボランティアに出来る範囲の支援を南予にいただけますように6月21日~前回の記事~伊予灘ものがたりに乗りに来て、お坊さんの説法と歌を聴くというシュールなイベントに、参加者一同キツネならぬ五郎のたぬきに騙されたように相成りました最後に懺悔文が全員に配られ、お坊さんの後に続いて全員で復唱「がしゃくしょぞうしょあくご~」もう修行です(笑)    ようやくシャバの穢れが祓い除けられ、長浜の観光が赦されることになりましたすぐ近くの赤橋へ歩いていきます今日はツアー参加者のため特別に開閉してくださりましたこの赤橋、現存する道路開閉橋としては日本最古のものだそうです。赤橋の次は、銭湯のような佇まいの木蝋工場(株)セラリカNODAつるかめ喜多工場を見学木蝋とはウルシ科のハゼの実を蒸し圧搾して抽出した脂肪分、昔ながらの蝋のこと。昔は蝋燭と言えばこの木蝋のことをさし、色は写真のような黄櫨色。白色の蝋燭は石油由来のものです。だから、時代劇に白い蝋燭は有り得ませんねこの木蝋工場目玉が二つありまして、一つ目はハゼの実を蒸すための蒸気をつくるこのボイラー日本最古のボイラーだそうですよ二つ目は各工程の様々な動きをする機械仕掛け一つのモーターからベルトを使って様々な装置を動かしています。この工場は「絵」になりますねぇ、、、ここの機械仕掛けを見て「ハウルの動く城」のようだとおっしゃられた方がいました短時間の見学でしたが、もっといたかったのが本音ですしかし、こんな工場が長浜にあるとは、、、後日、長浜に数年住んだことのある友人に工場のことを聞きましたが知りませんでした。穴場スポットですねぇバスは長浜を離れ松山へ途中、双海で休憩バスで仲良くなった方がアツアツの名物「じゃこてん」をくださり、晴れ渡った伊予灘を眺めながらいただきますまいうぅ~伊予灘ものがたり号で発った松山に戻ってきました(‐^▽^‐)バナーまで用意してくれていて、JR四国のアットホームなツアーは素敵です道後温泉に行って湯ったりとしたかったのですが、明日は早い時間の仕事なので28Mで帰ります斎灘霊峰石鎚途中、ぽんぽこ橋のある駅でブロ友さんと一瞬の逢瀬(笑)ホームまで来てくださり「ひなのや」のパン豆をいただきましたm(_ _ )m新幹線の車内販売で期間限定で売られていたこともあったそうです。ありがとうございます川之江を出ると日没が迫ってきました今日の日の入りは車窓から・・・とっても楽しいツアーでしたほな、また

    たくさん共感されています

    がんばろう南予
  20. 3線区間