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  1. 今日はKATOのC62形蒸気機関車です。2号機と3号機の重連運転をやりましたが、後者にいくつか不具合があって上手く走らず、手直しをすることになりました。テンダー側のカプラー高さ調整と、先輪の軌間ズレの修正です。動画が3本出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。最近C62 3号機(KATO 2017-3)走行の機会がありました。旧客5両編成を牽引~’88~'95年にかけて走った復活運転時の姿です。晩年には前記事↓の寝台特急北斗星などに乗って(飛行機利用は一切無し😁)、随分頑張って撮影に通いました。『24系寝台特急北斗星弄り~JR東はスッキリ、夢空はイマイチ [鉄道模型]』今日はKATOの24系寝台車の話です。色々やっている車両弄りを終えて、JR東日本編成の北斗星3~6号、登場時から2006年位までの姿をカバーできるようになりま…ameblo.jp3号機は線路上常設で結構動いていますが、ケース保管のC62 2(2017-2)はあまり出番がありません😅。2号機も動かしてみるか~と、同じくケース保管の急行ニセコ↓;旧客+荷物車計11両(下り列車想定)を組成して運転しました。国鉄時代の”本物”編成です😁。先ずは2号機単機牽引『急行ニセコ号客車整備~あれこれありました[鉄道模型]』今日はC62重連が牽引する急行ニセコ号~既に走っていますが、年末にやった客車整備の話です。新たに到着した基本セットの他、自分で揃えていた増結セット相当車両の方…ameblo.jpその後、右端の復活運転客車から3号機を解放して前に連結、C62 3+C62 2の重連運転をやりました。前撮りの走行動画は下方↓”謹賀新年”リンク記事にUpしているので、駅からの発車シーンを動画撮影してみました。DCC自動運転で滑らかに発車して行きます。が、この後不具合が起こります。1周して戻ってくると..あらら?連結器が外れてる😲、何周も運転テストをしましたが再現性がありました。じゃ逆順、C62 2を先頭にして運転したらどうなの?をやりましたが、こちらは順調~カプラー開放することなく走りました。何処で外れるん?を調査した所、駅に入線する所で歩調乱れ?のような感じで外れちゃっているのが分かりました。床を這いつくばって周回25.6m走行の様子を確認しましたが、一番最後かい😅。また正月に運転した時↓は順調だったのに何でよ??『謹賀新年2026』新年明けましておめでとうございます。本年も”重単5175”を宜しくお願い致します。今年も元日恒例?昼間から鉄道模型酔っ払い運転です😁。直流/交流や北/南関係…ameblo.jp上述のように歩調乱れ?と思ったんですが、DCC自動運転に必要なSpeed Profile(どの出力で実際何km/hで走るかを計測する機能)の測定結果比較では両者ほぼ一致していました。左が2号機、右が3号機です。DCC自動運転をやるようになって、各機関車の歩調が合っているかいないか?を数字で確認できるようになったのは大きい気がします😁。カプラー開放の箇所は下り坂からレベルになってすぐの箇所、後ろから客車の押圧が抜けて来る辺りなのが影響しているのかも知れません。SLは下り坂で速度が安定しない傾向が見られます。なお、表のStep10は8km/h以下のトロトロで、あまり意味が無いので3号機では測定を省略しました。歩調がほぼ合っている~これ以上調整のしように無いとなれば、カプラーの方を何とかするしか無いでしょう。機関車の先頭はKATOのナックルカプラー;手持ちのものを加工して挿し込んだもので、ナックルが開かない固定式です↓。こちらは高さの調整が全くできません。『SL重連運転テスト~あり合わせのカプラー改造 [鉄道模型]』今日は蒸気機関車が2両になったので、D51とC62の重連運転テストをやってみます。付属の重連カプラーではなく、手持ちKATOナックルを”あり合わせ改造”して付…ameblo.jp記事はC62 2登場前のものですが、各SL同じ様にカプラー改造をやって重連運転に対応しています。となると3号機のテンダー側をどうにかするより仕方ないでしょう。3号機と2号機の連結面を確認すると、前者のテンダー側がちょっと低いかな~ 程度ですが確かに少し下向き;テンダーを裏返して撮影しているので、写真では少し上向きに見えました。Micro Trainsのカプラー(No.2004)を瞬間接着剤貼付けで走っています。余談ですが、白いプラ板の切れ端を挟んでいるのは、テンダー内側のパーツが抜けやすいのを抑える為、2011年の購入から15年に渡り走っている年季ゆえ です。一旦接着を剥がして、削りを入れてから貼り直し、下向きを是正しました。これでカプラー外れは解消しました。停車前;低速域でカクカクしながら止まるのは現状仕方ない所と思います。特に後方の荷物車に付けているMicro Trainsカプラーは連結時に”遊び”=隙間があるので目立ちます😅。3号機には更に問題が起こって..走行中に先車輪が脱輪する現象も発生しました。出っ張った釘に引っかかって止まったみたい..釘は押し込み直しましたが、脱輪はもっと手前で起こっている筈です。調べた所、先車輪のゲージ(軌間)が拡がってしまっていたので、Kadee MT-1055;ハイトゲージを使って軌間=左右車輪の間隔を正常に戻して、脱輪も収まりました。先車輪に力がかかるような作業はやっていないと思うけどな~、何で?は謎です。これでようやく不具合解消、C62 3+C62 2の重連で安定走行が出来るようになりました。3号機は年末年始にBody更新をやっています↓が、上述のように走行歴15年..そろそろ走行系のガタが来そうな嫌な予感もします😅。写真は前撮りですが『C62 3号機のボディー交換と諸々..[鉄道模型]』今日はKATOのC62 3号機です。長年の酷使で痛んでいたボディーを、Assy入手で交換しました。他にも色々と手を付けています。いつもご訪問頂きありがとうご…ameblo.jp巨大な動輪が目立つ、こんなアングルにそそられたりします。C62重連、実物を見てみたかったですね~。最後までご覧いただきありがとうございました。 鉄道.comへ

    C62重連運転の不具合解消~3号機のカプラー調整など [鉄道模型]
  2. 20時半!帰る男!!! こちら地方、雨は全然大したことなかった。用心だけして何もないというのが一番だ。ところで今日は下のの誕生日。あれから16年か。前の晩遅くに「病院に行く」と嫁から電話があり(嫁、実家に帰ってお産)、「明日朝一の新幹線で行く」と言いながら寝坊してしまい(この時期超繁忙期なのよ・・・←はい、最低)、朝の7時すぎに家を出た。で、川西池田の駅に向かう途中で電話がかかってきて「生まれた」と。そして「今どこ?」となり「川西です・・・」と小さな声で答えると「なんで?」無事に生まれてきてくれて世界が輝いて見える反面、なんつーか自ら処刑台に向かうような恐ろしい気持ちで病院に向かったことを覚えている。いやまぁそうですよね。女性は命がけですもの。その節は本当に申し訳ありませんでした!ところでね、僕だけかもしれんが子供が生まれると一年が長く感じられません?自分が子供だった頃の一年は長かった。しかし大人になるにつれ一年があっという間に過ぎ去っていく。けどね、子供が生まれると一年一年がまた元のとおりに長くなるんだよね。節目節目に行事があるから印象に残りやすいのか「◯才の頃」で思い浮かべても「あんなことがあったなぁ」「こんなことがあったなぁ」と密度の濃い一年を思い出す。それが子供と過ごす時代なんだなぁと勝手に納得している。けど、高校を卒業して、大学に入り、社会人になって家を出ていくとまた一年があっという間に過ぎ去るようになるんだろうなぁ。そんな感じの16年。何をするわけじゃないけど、今日はとっととうちに帰ろう。

  3. テレビを録画をしているレコーダー(?)が壊れたwait サインが消えない買った時の保証書が残っていたのでいつ買ったのか見て見たら2011年15年も使ってたんだね私はこれをビデオデッキと呼んでいたこれって今は死語付いてるのはビデオじゃなくDVDだけどねで、買い替えようと思って検索するけど新品では出てこないなんでって事で現品見るのが早いかと思いビックカメラへえ展示されてる商品は6種類しかも、8万円位する今は外付けハードディスクに録画するのかなテレビと一体型は大型にしか付いてなくて私が欲しい32型には無いとの事なんか理解できずわかったのはビデオデッキの時代じゃないんだって事ちなみに私はテレビでは地デジしか見てません録画するとついつい見ちゃうし断捨離ついでにテレビも今放送してるのを見るだけにして録画までしてみるのはやめるとか色々考えたん~~~、と半日楽天市場とか見て出した結論は中古品を購入するそしてど~せなら、今のと同じ商品を買おうそしたらコードの付け替えるだけで済む使い勝手も変わらない2万円で中古を注文しました私の判断はどうだったのか後日検証しようと思いますそして、次に故障するまでにイマドキの録画の仕方を学習しようと思います

    テレビの録画ってどうしてる?
  4. 2026年9月 事故迂回で乗りました
  5. 徳佐S
  6. 京急に見切り、横須賀線通勤
  7. 毎度! おばんです!今週の週間天気予報は「雨」ばかりでしたが・・・今日も雨😓アーララ・・・でも、この時の川崎車両は小雨。それでも、モーニングシャッフルは予定通り。では、今日もよろしくお願いします!いつものフォークリフトくんのドライバーさんも雨装備。連れてきたのは・・・まだ残ってる? 山陽6000系構体。やっと南に戻ってボディ処理か?2番ピットを出ましたが・・・向かったのはディーゼルピット。まだまだ? ボディ処理に入れる雰囲気ではなさそうです。そして今日もスイッチャーくんは一仕事してから・・・E723系。出てきたのは、山形「B-5」編成。こちらも2番ピットを出て・・・向かったのは意外にも7番線。 一時避難なのか?その後、しばらく動きがなくて・・・またブルーシート。これはどう見ても、西武40000系でしょう。そんなにこっちに来てどうするの?今や「北構体置き場」状態の4番線に入ったところで・・・体操の時間になったので撤収😓シャアナイカ・・・ここで雨は小康状態になったので・・・南に回ってみたら、カーブラインにまた西武のブルーシート。また南でシャッフルか? そこまでは見れずに・・・「夕方の様子を見てきてニャ! 実はかぃ~のニャ!」そんなはなちゃんを見てから・・・(この時雨はやみ間でした)まずは兵庫運河。 やっと景色が変わったか?南留置線・北線は山陽6000系? に変わった模様。「201建屋」は、今日も構体は見えません。南留置線は、この角度では変化ないように見えますが、カーブラインのブルーシートは居なくなりました。そして、構体置き場。ここもそれなりに動きはあったようです。西武40000系のボディ処理は進行中。 先頭車は順番待ちか?昨日は空いていた建屋の一番左側、ボディ処理を待つ西武が入ってます。 ブルーシートを外したか?西鉄9000形はまだ? 居ます。北門では、まだまだこの光景は続きそう。本社ビル前は今日も落ち着いていたところで・・・定位置側。1番ピット・・・前に、スイッチャーくん。         ピット内は、福岡市地下鉄4136F。2番ピット・・・E723系・山形「B-4」+「B-3」編成。ディーゼルピット・・・山陽6000系構体。             奥に、E723系・山形「B-7」編成。4番線・・・結局、ブルーシートは7両になりました。5番線・・・ブルーシート3両。6番線・・・E723系・山形「B-6」編成。7番線とシャワールームは、空きました。南ピット・・・通路にEF210-379。        西線が空いて、東線はEF210-380と381。となったところで、明日の水曜はどうでしょう?とうことで、今日はこの辺で・・・ニャルくんの逃亡が続く中での和田岬線の見守りはあたしの仕事。そろそろ後継のにゃんこを探さないといけないか?でも、ミーコちゃんは厳しいかな?「和田岬線はちょっと遠いからニャ~」なので、まだ? ネコ探しも続きます。それより、明日の天気も気になります。空模様見ながら、巡回に回ります。ほな!     ドテテン!

    雨の火曜日で「B-5」引っ込めて?西武のブルーシートがまたこっち
  8. 1979年に関東鉄道から分社化した筑波鉄道は、その後も経営状況は芳しくなく、国鉄分割民営化と入れ違うように1987年3月31日限りで廃止された。筑波鉄道は分社化以前より春・秋の観光シーズンを中心に上野から筑波まで臨時客車列車が乗り入れていた。筑波鉄道線内はDD501が牽引した。この列車が同業者の間でめっぽう人気が高く、筑波山をバックに撮れる田園は三脚の砲列が敷かれたものだ。蛇足ながら混雑を嫌う僕は出撃したことはない。初めて筑波鉄道を訪れたのは1983年の夏休み期間中だった。その日は茨城交通湊線での撮影がメインであったが、同行の鉄友を6時に新宿・明治通りでピックアップして向かったにもかかわらず道路渋滞にハマり、現地に着いたのは10時過ぎ。蒸し暑さも半端なく、すっかりやる気をなくした僕らは2本だけ撮って現地から撤収した。このまま帰ったのではあまりに収穫に乏しいので、筑波鉄道の車両基地がある真鍋機関区に立ち寄った。詰所で撮影許可を貰い、機関区内に留置されていた車両を撮って帰途についた。それでも実り少ない日だったことに変わりはない。↑↓真鍋機関区に憩う元雄別鉄道のキハ811(上)と元北陸鉄道のキハ541(下)。この2点はいずれもモノクロをAIを使ってカラー化した。(真鍋機関区/1983.8.7)次の訪問は2年後の1985年春。当鉄道の廃止が噂されだしていたこともあり、ペンタックス6×7でしっかり記録しておこうと思った。まずは筑波山をバックに撮れる定番ポイントで撮影。筑波山がバッチリである。当日はちょうど桜の見頃で、常陸小田駅に行ったみたら桜の大木が満開の花を咲かせていた。駅からやや離れたところに三脚を立て停車中の列車を撮影した。撮影本数は決して多くはなかったが、すっかり満足した。↓よりによって農作業か草刈りがわからないが、人が入ってしまった。上品な!?僕は、こういう状況でも罵声は浴びせない。それが地元の人である場合は尚更だ(キリッ)。(筑波〜常陸北條/1985.4.14)↓春爛漫の常陸小田駅。ここで上下列車の交換シーンが撮れれば文句なしに良いのだが、そうは上手くいかない。(常陸小田/1985.4.14)最後は同じ年の5月。この年は筑波科学万博が開催されていて、常磐線には多くの万博輸送列車が運転されていた。日中はそれらの列車を撮影し、そろそろ日が傾き始めた頃に筑波鉄道にやって来た。田土部駅の上を跨ぐ道路跨線橋から単行の列車を撮って家路に就いた。筑波鉄道は全線平坦なところを走るため、これといったお立ち台はほとんどなかった。そんなこともあって、東京から近いにもかかわらずなかなか足が向かなかったのだろうと思う。今から思うともったいないことをしたと思うばかりである。↓鉄ちゃんは画面に人が入るのを嫌うが、この写真は家路を急ぐ自転車漕ぎの人たちが画面に入り、これはこれで雰囲気があって良いと思っている。(常陸藤沢〜田土部/1985.5.12)

    関東鉄道の消滅路線(筑波鉄道)
  9. -その12から続く-東急9000系を取り上げてきた連載の最終回。今回は、9000系(1000系・2000系も含めて)が残したものは何なのか、それを考えてみたいと思います。9000系は「昭和の東急の車両の集大成」といわれます。どういうことかというと、「昭和の東急」の真骨頂であった、切妻の先頭形状など余計な装飾を排した実用一辺倒の作り、それでいてその時々の最新技術を躊躇なく採用するというスピリットを、余すところなく体現しているということであり、9000系がその最後の車両だったということです。管理人もこのような見方には全く同感せざるを得ませんが、管理人個人としては、以前にもチラッと触れましたが、国鉄の80系電車やスハ43系などとの類似性も指摘できるかと思います。両者とも誕生したのは戦後しばらく経ってからですが、実は戦前の技術の延長線上で作られています。本当の意味での「新技術の導入」は、電車ではカルダン駆動を採用したモハ90系(→101系)、客車では「軽量客車」ナハ10系からなので、生まれこそ戦後ではありますが、「戦前の技術の集大成」と評してよいということになります。9000系もこれらと同じように、「昭和の東急」のコンセプトに則って作られた車両であることは疑う余地がありません。したがって、生まれこそ昭和末期~平成初期ではあるものの、9000系が「昭和の東急」の集大成である、という評も成り立ち得ます。実際、2000系登場の7年後、平成11(1999)年に登場した3000系は、切妻の前面を捨てて半流線型を採用し、切妻が当たり前だった「昭和の東急」とは一線を画しました。これは地下区間における「列車風」の問題があったからですが、内装などには東急の独自性があったように思います。さらにその3年後、平成14(2002)年に登場した5000系は、前面が傾斜した形状を採用しているばかりか、基本的な設計を他社車両(JR東日本のE231系)に準拠するなど、「昭和の東急」とは完全に離れた方向に行ってしまいました。これは非難する趣旨ではなく、車両の設計コンセプトも時代と共に変わっていくことの現れであり、やむを得ないことだと思っています。他方で、これら3000系・5000系が登場したことで、9000系の「昭和の東急」のアイデンティティがむしろ際立った感すらあります。以上は外見のお話ですが、9000系が80系電車やスハ43系などと決定的に異なるところがあります。それはメカニック。9000系はVVVFインバーター制御・交流誘導電動機装荷、あるいは劇的な軽量化を図ったボルスタレス台車の採用などという「最新の技術」を採用し、それが現在の通勤電車の基礎になっているということです。9000系は、普通鉄道線における量産型車両としてはかなり早期にVVVFインバーター制御を導入し、さしたる不具合もなく40年の長きにわたり運用されています。一方で、ボルスタレス台車に関しては、ボルスタ(揺れ枕)を空気ばねで代替させるところ、その代替の空気ばねのチューニングを適切に行う必要があることが問題となりましたが(昭和61(1986)年3月に横浜駅構内で第1編成が脱線事故を起こしたのは、この『空気ばねのチューニングが適切に行われていなかったこと』が原因)、その後のノウハウの蓄積などの成果か、これも早期に解消され、現在はボルスタレス台車に関しても全く問題なく運用されています。そして9000系の最大の功績は「普通鉄道線・1500V区間の本格的なVVVFインバーター制御車」としての先駆者であることです。第一号こそ新京成(当時)の8800形に譲りましたが、先駆者としての役割は十二分に果たしました。もっとも、当時はVVVFインバーター制御装置が大変に高価であったことから、費用対効果を鑑みてのことか、当初は採用しなかった事業者(営団地下鉄、現在の東京メトロなど)、あるいは通勤車に採用したものの特急車には採用しなかった事業者(近鉄・小田急など)がありました。後者は、VVVF車の省エネ効果は発進・停止の機会の多い通勤車でこそ顕著になり、その機会の少ない特急用車両では省エネ効果が乏しいとして、通勤車に優先的に採用していたものです。逆に「新型特急車両には最新技術を奢る」のを社是とする東武のような会社もありますが(東武は『スペーシア』こと100系にVVVFインバーター制御を採用した一方、当時量産していた通勤車は直流電動機装荷車だった)。しかしそれも、VVVF車の優れた省エネ効果や、交流誘導電動機のメンテナンスフリーなど、鉄道事業者にとっては極めて魅力的であったことから、VVVFインバーター制御車を採用する事業者が続出、直流電動機装荷車の新造投入は、平成9(1997)年の都営新宿線10-000形最終増備編成が最後となり、それ以後は全ての電車がVVVFインバーター制御となっています。これは機関車にも及び、現在JR貨物の新型電気機関車は、電気式ディーゼル機関車も含めて、全てVVVFインバーター制御となっています。つまり、9000系は通勤電車に限らず全ての電車、さらには電気式気動車・電気式ディーゼル機関車なども含めて、およそ電気で駆動する鉄道車両について、VVVFインバーター制御の有用性を知らしめ、それらの礎を築いた車両とも言える…とは大げさすぎるかもしれませんが。現在はVVVFインバーター制御も進化しており、大容量の半導体を用いて9000系当時のGTOからIGBTへと進化、さらに電動機も回転子に永久磁石を用いたPMSM(永久磁石同期電動機)が出現。これは回転子側に通電する必要がないため、さらなる消費電力量の削減にも寄与しています。かつて209系が京浜東北線を走り始めたとき、車内に「この車は従来型車両(103系のこと)の半分の電力で走っています」というようなステッカーが貼ってあったのを見たことがありますが、現在の最新型車両は、初期のVVVF制御の車両以上に省エネ化が進んでいるそうですから、現在の車両の電力消費量は、当時の103系の30~40%くらいなのでしょうか。このような技術的な進化、さらなる省エネ化の進展も、9000系が礎を築いたものといえます。9000系の半生は、確かに悲劇的な香りも濃厚に漂っているとはいえますが、他方で、このような輝かしい功績も多数あります。既に9000系が東急から姿を消すことは確定し、1000系も1500番代化された車以外は早晩退役することになるでしょうが、彼らの築いた功績は決して色褪せるものではありません。最後まで無事故で、東急の路線を走りぬいてほしいものです。そして、西武など移籍先でも末永い活躍を祈念して、今回の結びといたします。お付き合いいただき、ありがとうございました。-完-

    6680.悲運の英雄~東急9000系物語 その13 9000系が残したもの
  10.  昨日に続いて、鉄道模型関連の書籍ネタを。ちょうど発売になったばかりで、今月の月刊誌と一緒に店頭に並んでいたので購入したもの。 デザイナー・イラストレーターを職業としていた小林信夫さんが生前に「鉄道模型趣味(TMS)」誌に寄稿していた記事をまとめたもので、一年に一冊のペースで刊行されており、これが第三弾となる。小林ワールドのファンである当ブログでは2024年刊行の第一弾、2025年に刊行の第二弾といずれも話題にしているので、興味のある方はご参照願いたい。 今回の第三弾も素晴らしい内容で、感想を書くと前二冊の時と同じ文章になってしまうので省略させていただくが、とにかく溢れ出る豊かなイマジネーションと、それをアウトプットとして表現出来る卓越した描画力は、自分には全くない能力でもあり羨ましい限り。 東武DRCの前面イメージで、両運転台の単行電車を作るなどという発想には驚嘆してしまうし、その電車が走る風景までもトータルで創作してしまうバランス感覚も素晴らしい。 細密化路線をひた走る傾向が強い鉄道模型の世界で、このような自由で緩い楽しみ方を思い出させてくれるのは貴重な存在だと思う。 今年のJAMではイラストの原本や、実際の作品が展示されていたようで、小林ファンの方からの称賛の声が上がっていた。 猛暑を避けて自宅で楽しむのに好適な一冊。まだざっと目を通しただけなので、これからじっくり楽しもうと思っている。

    書籍「模型工作雑感」続々・小林信夫の模型世界
  11. 2026年08月18日上越線&ほくほく線、六日町駅に到着。✨六日町駅橋上改札内南側 ガラス窓より✨ほくほく線六日町検車区が見えます。その真ん中の車両はもしかして?✨六日町駅(西口)✨検車区が見える場所の近く、マンションと田んぼの付近。舗装道路の限界まで向かいました。真ん中に停車中の電車。✨松代うさぎラッピング電車✨列車の前面には、『松代うさぎ』ちゃんが、連結扉の両側に見えます!本日は一眼レフと、望遠レンズ等はございません。✨拡大撮影✨(ミラーレス一眼での撮影画像)※これより先は田んぼ。私有地なので入りません。少し来た道戻りますと、✨松代うさぎラッピング電車✨電車側面の、『松代うさぎ』ちゃんが見えました。検車区の反対側に向かいましたが、壁なので見えません!✨六日町駅南側の踏切✨六日町駅東口側に向かいます。線路の東側は、南魚沼市役所の駐車場。駐車場を通り抜けると、✨六日町駅(東口)✨改札口は2階。※1階入口のみ観光案内所と、(奥は有料ワーキングスペース)地域コミュニティ的な施設。駅前はバスターミナルと、それを囲む店舗街。時刻はお昼前。六日町駅内にて、『売店ないですか?』と聞くも、『無し』との回答。次の直江津行まで約20分。駅前散策したら有った!『スーパーマーケット』発見。昼飯と飲み物を調達して、即、六日町駅まで急いで、六日町11:58発 犀潟行に無事乗車。十日町駅 12:15着。一旦、途中下車しました!『【新潟】北越急行『松代うさぎ』(はたちだよ!鉄道むすめ巡り 6箇所目)』2026年01月11日信越5人娘HM車両撮影の遠征。最後の目的地は、✨北越急行ほくほく線✨直江津11:21発 越後湯沢行に乗車。途中、反対列車の遅れにより…ameblo.jp✨前回 十日町駅訪問の日記✨改札口を出まして、✨はたちだよ!鉄道むすめスタンプラリー✨告知ポスター。前回訪問時に、スタンプは取得済です。✨松代うさぎ 各種ポスター✨一家に1枚は欲しい!可愛いポスター。✨十日町駅 営業部窓口✨『松代うさぎグッズ』等の販売はこちら!新しく発売となった、グッズ等を購入。✨戦利品✨とりあえず新発売の2品、✨松代うさぎ名刺入りクリアファイル✨✨松代うさぎネームマグネット✨前回訪問時には無かった、✨松代うさぎクリアファイル✨(初回お誕生日版)再販されたか?で購入。※前日、まつだい駅で購入なので2枚。購入商品の合計金額が、1000円以上お買い上げですと、✨電車カード✨※26年07月発行の、『松代うさぎラッピング電車』柄。これは貰って嬉しい。『ラッピング電車』関連の事で、営業部の方としばしの談義。前回の20th鉄道むすめ総選挙1位の、『豊川まどか』嬢の画像をお見せした処、『可愛い』との社員さんの回答でしたが、次回の人気投票があれば、『松代うさぎ』になるかも?今回『はたちだよ!鉄道むすめ巡り』で、ファンブックが、早々に売切れしたのがコチラ!✨✨ファンブックmini 11✨✨※2026年01月訪問時に購入。26年05月の、ラッピング電車製作費で利用した、クラファン。運営側の『お金持ち逃げ』事件は、とても残念なことでしたが、今後の北越急行に期待です。十日町駅西口側、2階改札口の奥は現在改装工事中。そば屋さんの復活を希望します。よく考えたら、冬は豪雪、夏は暑すぎと、十日町駅の駅舎から、今回も駅外には出て折りません。改札内と改札口の外と、2つ待合室があり、エアコン完備と有り難い。次の電車まで、暫しの休憩。『松代うさぎラッピング電車』の、万一の運用に期待して、次の電車で六日町駅まで戻ります。残念ながら電車は折り返し、六日町14:50発 直江津行。ラッピング電車は、主に週末運用なのが濃厚と判断。終点直江津行まで再び乗車。今回はこれより帰還です!✨美佐島駅✨トンネル内にある駅。自動ドアより階段を数階上がった、地上に駅舎が有ります。特急はくたかが160kmで走行時は、普通列車が到着直前10分前まで、ホームの階段扉は開かない駅。20数年前に訪問&途中下車しました。再び十日町を過ぎて、✨まつだい駅✨次回は何時立ち寄ることだか?他の鉄道会社も、こんな企画に期待したいですね。トンネルを抜けると、✨魚沼付近の田園風景✨もう少ししたら収穫時期な色合い。電車に乗ること1時間12分。✨終点、直江津駅 16:02着✨当初、この後予定では、✨えちごトキめき鉄道✨妙高はねうまラインに乗車。※ホーム左側の車両妙高高原→長野経由、篠ノ井線松本駅よりアルピコ交通上高地線に、訪問予定でした。1日、新潟滞在が長くなり、少し体調も悪くなったので、『えちごツーデーパス』にて、新潟県エリアの西の限界、糸魚川へ向かいました。今回は此処までです。最後まで読んで頂き、有り難うございます。✨編集追記✨『松代うさぎラッピング電車』の運用は、※SNS等で個人がポストする、ほくほく線乗車時の記録の参考。北越急行の運行形態は、『越後湯沢ー直江津』間。但し、平日の2本のみ、『六日町ー直江津』です。その2本の列車は土休日には、『六日町ー越後湯沢』間の延長運転。『ゆめぞら』号は基本休日運転。(一般車両運用の場合もあり)なので、ほくほく線内に、車両が多く出動する、土休日が狙い目と踏みました。※北越急行公式サイトでは、車両運用は公開してませんが、本社に電話問い合わせにて、回答出来る場合も有るとのことを、十日町駅の駅員さんに、お聞きしました。遠征前の事前問い合わせも重要です。

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    【新潟】ほくほく線『松代うさぎラッピング電車』撮影リベンジ!
  12. 8月末で廃止 追分駅(室蘭本線・石勝線)みどりの窓口
  13. #ひとり時間の贅沢を感じる過ごし方
  14.  現在、JR九州での在来線旅客列車の最長編成は、上の画像にありますように9両編成でありまして、特に福岡都市圏では見る機会が多い編成であります。 かつては、最長12両編成までありましたが、現在は上の画像1のように南福岡車両区の813系電車で全9両構成する列車あれば、画像2のように同じく南福岡車両区の817系3000番台電車で全9両、さらに813系電車に817系1500番台電車、813系電車と熊本車両センターの821系電車との組み合わせもありまして、3両固定編成でしたら様々な形で3ユニット構成する姿が見られております。 また、特急列車に関しましては最長編成は8両編成でありまして、南福岡車両区の「リレーかもめ」・「かささぎ」などで使用されている787系電車が8両固定で存在しておりますし、「みどり」・「ハウステンボス」などで運行されております783系電車は全てが4両固定編成となっておりますが、「みどり」+「ハウステンボス」としては博多~早岐間で、「みどり」の一部では8両で運行される事もあります。 (787系電車「リレーかもめ」) (783系電車「ハウステンボス」+「みどり」) けれども、12両編成の特急列車が運行終了しました平成30年3月改正から令和3年3月改正までは九州の特急列車の最長編成は9両編成でありまして、これからご紹介します列車におきまして九州最長編成の姿を見せておりました。今回は、その令和3年改正前に9両編成の特急列車の姿を収めておりましたので、皆様にご紹介してまいります。 その列車が、現在は西九州新幹線の愛称になっております「かもめ」の1往復でありまして、(当時の)「かもめ101号」が門司港→博多→佐賀間、折り返しの「かもめ108号」が佐賀→博多間となっておりまして、しかも当時の主な運行列車でした787系電車・885系電車ではなく、783系電車で運行されていたのが大きな点でありまして、そう言った所から783系電車にとりましても数少ない「かもめ」運用でもありました。 南福岡車両区に、当時所属しておりました783系電車では、4両編成のCM3*編成(CM31~CM33各編成)、5両編成のCM編成(CM1~CM5・CM34各編成)で見られておりまして、5両編成に関しましては日豊線の運用が主である中、北部九州の運用でこのような9両編成で運行される姿をみる事ができておりまして、先述のように平成30年3月改正まではこちらも当時九州最長でした4両×3の12両編成で運行されていた事が、さらに平成23年改正までには4両×2+5両の13両編成での運行も見られておりました。 さて、ここからは佐賀駅発の「かもめ108号」の発車までの模様をご紹介します。佐賀駅では、本来の博多方面の特急列車が発着します4番ホームではなく、長崎線・唐津線の折り返し列車が主に発着します3番ホームから発着しておりまして、佐賀駅止まりの「かもめ101号」が折り返しまして、「かもめ103号」として運行される事になりますが、実際に、発車標にも「3番のりばから発車します」とも記されておりまして、誤乗しない策が取られておりました。 (「3番のりばから発車します」と記載されていました) この佐賀駅からは、当時特急列車では始発列車であります「かもめ100号」、7時台に平日のみ「かもめ104号」、8時台に土日祝日のみ「かもめ106号」、そして「かもめ108号」が運行されておりまして、4本の始発列車が運行されておりました。これらは、いずれも3番ホームから発着しておりましたが、現在佐賀駅発着列車は「かささぎ」と愛称を変えまして1往復のみ運行されております。 この撮影日の「かもめ108号」です。残念ながら、「かもめ101号」として佐賀駅に到着時の画像は収める事はできておりませんでしたが、この日は5両編成がCM1編成、4両編成がCM32編成と、現在はいずれも廃車となった編成での運行となっておりまして、これらによりまして当時の九州の特急列車、いや旅客列車最長の9両編成を組成しておりました。 (CM1編成)~1両単位は後述 (CM32編成)~同 実際に、編成番号を見ましても、「9」と書かれている所から9両編成である事も伺えます。先述のように、平成30年改正前には12両編成も存在していたJR九州の特急列車ですが、当時はこの9両編成が最長編成でもありましたので、この後その9両編成が九州からは姿を消す事になろうと思いますと残念でならない所ではありました。 ここからはこの撮影時の「かもめ108号」9両編成全体をCM1編成の9号車からご紹介してまいります。このCM1編成は、元々は3両編成で組成されていた編成でありまして、熊本方面の「有明」として使用されていた編成でありましたが、後に鹿児島方面向けの「有明」編成に入っておりましたサハ783-1・モハ783-7を組み込みましてCM11編成として引き続き「有明」として運行されておりましたが、平成12年よりCM1編成に編成番号が変わりまして、モハ783-7はモハ783-19(モハ783-109)に交換、後に改番を行いまして現在のモハ783-20となっておりました。 (9号車、クモハ783-1) (8号車、モハ783-101) (7号車、サハ783-1) (6号車、モハ783-20)~元はモハ783-109→モハ783-19→ (5号車、クロハ782-1) こちらはCM32編成でありますが、CM1編成のように末尾に「1」が見られるのとは対照的な姿が見られておりまして、この編成は末尾に「10」と「5」が見られておりましたが、元々が「かもめ」→「にちりん」として運行されていた編成でありまして、「かもめ」として使用されていた頃は旧CM5編成、旧大分運輸センターにも所属した経歴もあった頃にCM32編成に編成番号が変わりましたが、後にCM*編成グループと代わりまして「きらめき」・「かいおう」中心の運用に変わっておりました。 (4号車、クモハ783-10) (3号車、モハ783-110) (2号車、サハ783-205)~かつてカフェテリアが装備されていた車、乗務員扉付き (1号車、クロハ782-505) CM32編成+CM1編成との連結面であります。併結列車は、現在も上の画像のように「みどり」・「ハウステンボス」などで見られておりますが、「みどり」+「ハウステンボス」の場合は切妻型でありますので、このように流線型の先頭車同士と言うのは今はなかなか見られないものではあります。 また、編成自体は四角で車番が表示されておりますが、この上の画像にもあります2号車サハ783-205のようにうっすらとリニューアル前の車番表示の跡が残されている所もありますので、そう言った所もかつてのリニューアル前の姿が偲ばれる所でもありましたでしょうか。 さて、この時には「ハウステンボス3号」+「みどり3号」の編成がやってきておりまして、「ハウステンボス3号」がCM22編成、そして「みどり3号」が珍編成でありますCM35編成でありました。私も、その下の画像にもありますように2ショットを収める事ができておりました。 (CM32編成・CM22編成との2ショットシーン) (「みどり3号」はCM35編成でした) そして9時26分、「かもめ108号」は佐賀駅を博多駅へ向けて発って行きました。しかし、乗客はそんなにいらっしゃらず、中には誰もいらっしゃらない所も見られておりまして、まさに閑散としていた所を伺う事ができておりました。 (撮影位置を通過) (画像左、連結面) その後、この令和3年3月のダイヤ改正によりまして、「かもめ101号」・「かもめ108号」は787系電車6両編成に変わりまして、この9両運用も終了するに至っておりますし、この改正では「にちりん」の運用からも撤退しておりまして、それに伴いまして5両編成での運行が終了するに至っておりまして、その結果783系電車の多くに廃車が発生するにも至っております。 今回は、令和3年に佐賀駅で収めておりました、「かもめ108号」運行シーンを編成を含めましてご紹介しましたが、この時は783系電車のトップ編成まで収める事ができていた事がわかります。現在は、区間「かもめ」自体も「かささぎ」に、佐賀駅への区間列車も1往復のみの運行にも変わっておりまして、それとともに運行されておりました783系電車自体も多くが廃車となるにも至っておりまして、結果このカラー自体もCM2編成のみとなっております。やはり、9両編成と言うだけでも長い事がわかりますが、先述のように現在は見られませんので、この運行自体記憶として残していただければと思う所ではあります。

    NO.3506 令和3年改正まで最長9両編成、佐賀駅発783系「かもめ108号」、同駅発車シーン
  15. 今日は旧形客車編成でスイッチバック風の運転をやった様子を動画にしてみました。新たに組成した奥羽本線427列車、EF71とED78の重連牽引です。既存レイアウトを使っているので、実際と違う所があります。赤岩駅の実写真も出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。'83年夏に奥羽本線 福島から赤岩まで、自分にとって唯一の旧客乗車になった427列車を模型で再現、色々やって来ましたので、記憶に残るスイッチバック運転の動画を撮ってみる事にしました。急勾配の奥羽本線板谷峠、4駅連続のスイッチバック最初の駅(福島方)が赤岩でしたが、線形を再現した訳ではなく、既存レイアウトをそのまま使っているので”雰囲気”になります。EF71 2+ED78 2牽引、旧客+荷物車9両は後述のようにちょっと長過ぎ?かも知れません😅。マニ36のボディー(BONA)を除き全てKATO車です。リバース線を運転して前回の記事↓と進行方向が逆になっていますが『奥羽本線427レに荷物車2両増結~マニ50とマニ36 [鉄道模型]』今日はEF71やED78牽引、奥羽本線427レ編成です。荷物車2両を増備、増結しています。KATOマニ50とBONAマニ36にしましたが、後者の出来がイマイチ…ameblo.jp駅を出発するとすぐに上り坂(本線)なので、こちら側の方が雰囲気出るかな?でした😁。そういえば最近のRM-MODELSに同じ板谷峠のスイッチバック記事があったような..買っていないので詳しい内容は把握していません😅。1分ではとても入りきらないのでYouTube動画になりました↑。画面をクリックいただくと再生されます。YouTubeには数日前にUpしています。赤岩駅はこの様な線形だったようです。茶色線が複線の本線で、下り列車は左から右へ、33‰の急勾配です。①;坂を上がって来た427レは一旦平坦な引き込み線②に入り、バックで③;赤岩駅1番線に入線しました。カメラ故障で写真が全滅だったんですが😅、記憶には残っています。自分は下車して駅員さんと共に発車して行く姿を見送ったんですが、③から④;下り本線へ..再び急勾配に挑んで行った筈です。以下記事↓に載せた写真、スイッチバックが廃止になって、本線上に仮設されたホームから撮ったものですが、写っているダブルクロスの左奥に平坦な引込線が敷かれていた筈です。模型で再現しようにも渡り線側が直進のダブルクロスは設定が無いですよね~😅。1990年夏の撮影でしたが、この後山形新幹線の工事により標準軌化、変形ダブルクロスは撤去されました。『惜別赤岩駅..痛恨の初訪とリベンジ撮影』こんにちは。今日は奥羽本線 赤岩駅付近での写真をUpしてみようと思います。今は全列車通過、来る3月改正で廃止になるんですよね。何度か降り立った懐かしの駅です。…ameblo.jp線形は異なりますが、記憶に残るスイッチバックイメージを動画にしています。勾配を上がって来た(想定)の427レが右の引上げ線に黄色信号で進入して停止した後ポイントを切換、ソロソロとバックの推進運転で駅ホームへ進入します。写真は動画とは逆の前撮りですが、バック運転時に前ソEF71 2の前照灯消灯での進入だったのが動画からお分かりいただけると思います。DCCならではの細かい芸当です😁。本務機ED78 2はどちら向きもライト消灯でDCCのMU;重連総括制御設定をやっています。なお、この運転を自動でやるのは現状無理があり😅、自分でDCCコントローラーを操作する手動運転です。再びポイントが切換り、出発信号青現示で列車は発車(2枚目と同じ写真)グネグネと渡って上り坂へと進みます。1度だけでしたが旧客乗車でスイッチバックを楽しんだ..記憶にある雰囲気を再現してみました。客車+荷物車9両編成はちょっと長すぎかな~ という気もします。写真は残っていた赤岩のスイッチバック駅跡;1991年の撮影です↓。左の2番線に停止位置目標が2か所見えますが、手前が2、奥が4両のものです。9両になったら奥のトンネルに突っ込んじゃうでしょうね~😅。このトンネルは有効長を稼ぐために掘られたもので、行き止まりになっています。トンネルまで入る長さの列車があったから掘られたんでしょうが、ホームは無さそうに見えます。一方で色々な形式、形態の旧客を模型で再現しているので、色々繋ぎたい心理もあり😁、ひとまずこのまま行きます。『惜別赤岩駅Ⅱ 最後の撮影に行った日』こんにちは。今日はダイヤ改正前日、奥羽本線赤岩駅が最後を迎えます。もう何年も全列車通過扱いですから、今日を持って大きく様変わりする訳でも無いんですが..今から…ameblo.jpその旧客の1両を改番、オハ35 3015になりました。元車番2840の屋根がキノコ折妻だったらしい;模型と形態が違うじゃん に気付いたからです😅。絞り折妻の旧客(旅客車)はキノコから改造したオハフ33 3508↓とこの車両の2両だけなので、形態を残して改番にしました。色々調べたんですが、KATO 5127-4;オハ35戦後形 青製品の絞り折妻、Hゴムドアの仙フク車って見当たらないんです。原形ドア車ばかりでした。オハ35 3015は実車写真を確認できたもののドアが開けっ放しで形状が分からず😅、しかし可能性のあるのはこの車番だよな~と改番してみました。『絞り折妻オハフ33の屋根交換&マニ36屋根』今日は絞り折妻屋根の2両、オハフ33 3508とマニ36 2068の話です。前者は屋根交換とその他整備、後者も屋根の調整をやっています。いつもご訪問頂きあり…ameblo.jp2枚上の写真に見られますが、各車米沢行のサボ=自作インクジェット印刷シールを貼りました。427レが米沢行だったからなんですが、編成に連結しているスユニ50は米沢から1427レ、山形から2427レと列番を変えつつ、当日のうちに秋田まで運行されたようです。旅客車も同じ様に継承されていたとすると、福島発車時から山形行や秋田行のサボが挿っていても不思議は無いんですよね~。記憶に無いですし情報も無いので米沢行にしましたが、同時に山形も秋田も印刷してあります。サボ1枚の幅が4mm弱と非常に小さいので、必要になるかも知れないものは一緒に印刷しておいた方が効率的です😁。実際どうだった?が分かれば貼り換えれば良いでしょう。これで奥羽本線427レの話は一旦終了です。何かあればまた弄ると思いますが、唯一の旧客乗車だった列車の運転~記憶にある当時のイメージを楽しみたいと思います。最後までご覧いただきありがとうございました。

    スイッチバック風動画~奥羽本線旧客 EF71,ED78牽引 [鉄道模型]
  16. 9月9日(水曜日) 晴れのち曇りここんところ、全国的に不安定な天気が続いていますね。昨日のニュースで名古屋・栄の道路冠水を観た時は驚きました。さてその昨日の話なんですが、職場から「行け」と指示があった糖尿病の再検査なんですが、あれだけ頑張っても数値的には芳しくなく、事実上「糖尿病」と診断されたようです。「そんなのインチキだ」と言いたかったんですが、医者も職場も数値で判断するからそれに沿って話を進められちゃいます。食事の節制は以前と変わらずやるんですが、昨日は何だかその気にはなれず、「ちょっと呑みに行ってくる」と夕方、西葛西へ繰り出しました。あまりのショックにピンボケっちゃってますが、「鳥貴族」に行きました。ここんところ、妙にハマってます。「世界の山さん」にも行ってみたいのですが、西葛西にはありません。最初は串カツにしようかと思ったのですが、「鶏の方が何かと良いかな」と路線変更しました。それからサブタイにあるような、ヤケ酒はしていません。3杯位で終わりまして、帰宅しても「呑み足りない」と追加で買ってもいません。因みに、飲酒は特に節制は叫ばれていませんが、酒量は減らします。これから涼しくなっていくし。一夜明けて今日。深夜、東京にもすんごい雨が降ったようですが、起きて外を見ても道路の冠水はなかったみたいです。今日から朝と夜にヨーグルトを食べることにしました。動画サイトで糖尿病専門の医師が推していたのでやってみることにしました。でも、どの動画サイトを観ても、医師それぞれで見解に相違があり、「どれが正しいんねんっ!?」ってツッコみたくなります。糖尿病に苦しんでいる人の神経を逆撫でしている感覚がありますね。ヨーグルトで血糖値やヘモグロビンA1cが少しでも下がればと思っています。結局、何が正しいんだろう?

    嘆きのヤケ酒 の巻
  17. 今日は1階層線形変更の話です。ポイントの配置を見直して有効長を稼ぎ、今まで客車11両対応だった所、12両対応になりました。早速寝台特急はくつる編成を留置しましたが、色々な車両が出て来ます。いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。1階層留置線部、元々ポイントがワンサカの複雑な線形でしたが、今回矢印の4番ポイントをより手前に詰込み(写真は線形変更後)、右側の留置線有効長を伸ばしています。3年前にも同じ所の線形変更をやっていました↓。その時の写真(後述右端の勾配を緩める前のもの)では同じ4番ポイントが青矢印の所にありました。左手前の6番ポイント位置は変わっていませんから、緑矢印付近まで後退したことになります。その緑矢印の所で道床を繋いでいますが、KATOユニトラックに無い半端長線路を自分で作って使っているため、今も同じであちこちに使っています😁。『線形変更でリバース留置線を解消[鉄道模型]』今日はNゲージ鉄道模型、何のこっちゃ??ってタイトルですが、沢山ある留置線のうち2本が極性変換が出来るリバース電源区間上にあった..色々と扱いがややこしいので…ameblo.jpこちらは右端線の勾配を緩めた後↓、今回弄る前の線形です。『連結器自然解放抑制のため勾配緩和~C62ニセコ号[鉄道模型]』今日はNゲージ鉄道模型、またヤヤコシイタイトルですが😅レイアウト絡みの話です。C62 3号機+旧客を運転中、急な下り坂の後すぐにある急カーブでカプラーが外れて…ameblo.jp再び最初の写真~画角が違いますが、ポイント後退に伴い周囲のポイントの配置、向きの変更などをやって、かなり変わっているのがお分かりいただけると思います。似たようなことは何度もやっているので詳しくは書きませんが、例によりフリーハンド~前述の半端長線路も各所に使っています。ミソは最初の写真右側にも写っていたEF81 139+24系寝台特急”はくつる”など、客車12両編成を留置できるようになったことです。その右側の留置線群も有効長に余裕が出来ました。車両は特記を除きKATO製です。私の所は留置線多数、車両・編成を線路上常設として、DCCアドレス設定、ポイント切換をやればすぐに走行できる がコンセプトです。ケース保管の車両を線路上に並べて走らせて、また片付けるのが面倒だから..ジオラマ要素は殆どありませんが”走り特化”のレイアウトです。何でまた線形変更?は最近色々やっている寝台特急北斗星編成が絡みます。これまでKATO製品(10-831,832)そのまま;末期のJR北海道/JR東日本混結編成で運転して来ましたが、最近組んだJR東日本単独の北斗星3~6号編成の方がしっくり来るのと、車両入換、連結順変更をちょっとやって写真左の登場時編成=国鉄色DD51重連牽引も出来るという事で、こちらがメインになりそうです。色々改造をやってJR北海道単独の北斗星1/2号編成も組めるようになりました。『北斗星用増備車の整備~JR東日本編成の方がしっくり..[鉄道模型]』今日はKATOの24系寝台客車です。夢空間編成と一部車両を共用して、JR東日本の北斗星3~6号編成を再現しようと構想を抱いて、増備車の整備を終えました。が、既…ameblo.jpこうしたことで、写真の夢空間車(TOMIXの集電改造、台車KATO化)もこれまでの11両から9両に減車になります。なので1両分の有効長を稼げれば夢空間を基本ケース保管として、他の12両編成を留置できた方がいいだろう と考えました。11両対応の留置線に置いていた夢空間;北斗星トマムスキーですが、ポイント配置の関係でその右、12系客車を置いていた留置線が12両対応になったので左右逆転~右に寝台特急はくつる留置、左に1線ズラして12系9連を置くことになりました。12系9両編成はEF71 5+ED78 7牽引、板谷峠を通過する臨時急行ざおう81/82号の設定なので、大型機関車2両分の長さがあります。なのでこれまでのED75単機+夢空間11両の留置線でちょっと余裕がある程度 になりました。12両対応になると、”はくつる”編成の他にもケース保管しているEF81 81牽引”カシオペア”編成(ラストランイメージ)なんかも置けるようになります。新たに組んだ北斗星1/2号編成も置けますし、別に夢空間など短い編成を留置したっていい..自由度が増したと思います。最初の写真右側のUpです。右端の線路;2階層から下って来てすぐに急カーブという線形で、C62 3牽引”C62ニセコ号”牽引時に機関車/客車間カプラーが外れやすいため、勾配を緩めるという事をやっていました。その後C62ニセコに限らず、色々な編成でカプラーが外れるケースは少なくなったので、やって良かった気がします。線形が線形ですから全て大丈夫 とは行きませんけどね😅。右下に一段高くなっているベニヤは点灯式信号機など、大増殖した配線を目立たなくするカバーです😁。C62重連ニセコ記事↓はUp順が前後して..この記事で3号機を運転した後の話でした。『C62重連運転の不具合解消~3号機のカプラー調整など [鉄道模型]』今日はKATOのC62形蒸気機関車です。2号機と3号機の重連運転をやりましたが、後者にいくつか不具合があって上手く走らず、手直しをすることになりました。テンダ…ameblo.jp1階層を抜ける走路ではぐるっと回って写真の線を手前から奥へ走ります。↑写真と同じC62ニセコ号編成が走ります。以前はグネグネ曲がっていましたが、線形変更後は直線的になってスッキリした感じがあります。逆向きに走る場合は逆Sカーブでグネグネ感がありますけどね😅。↑のC62ニセコ号は左隣の線路を走っていました。写真のキハ82系4両目付近で合流し、その向こうは単線扱いです。留置線の間をぬって走る走路は他のエリアの列車出入庫線ですが、周回運転も出来る構造になっています。今回弄ったエリアは手前の鉄橋部を固定化してしまったので、線形変更作業、写真撮影が難しくなりましたが😅、何とかやり切りました。最後までご覧いただきありがとうございました。 鉄道.comへ

    再びの線形変更で客車12両編成の有効長を稼ぐ [鉄道模型]
  18. ここは田町駅。昭和50年代中頃まで東海道本線東京口の “顔” であった153系が西進します。前面貫通扉上にある種別幕が抜き取られているので、田町電車区(南チタ)配置車であることが判ります。大垣電車区(名カキ)配置車は「急行」とか「普通」とかの幕は使ってないにしても残っていましたからね。これだけでは急行「伊豆」なのか、普通列車なのかは判別不可能です。冷房付きなのに窓が開いているということは、季節的には初夏なんですかねぇ~? 冷房が壊れているというのは考えにくく、「夏季じゃないから冷房は使わない」けど、ちょっと暑いから皆、窓を開けているのか? あとは急行は冷房を付けるけど、普通は冷房を付けないとかあったのかな?田町電車区の153系は80系時代からの伝統で、急行(準急)から普通まで分け隔てなく運用に就かせていましたので、そのダイヤは別の意味で過密。土休日ともなると、そのカオスさはさらに激しさを増し、列車増発の足枷になっていただけでなく、153系の置き換え用として計画されていた185系をどう使うかという議論もこの「153系の使い方」でボトルネックになっていました。つまり、153系が受け持っていた急行と普通の運用を切り離せば、普通用の車両を別途、用意せねばならず、国鉄にはそれだけの資金が無いばかりでなく、田町電車区特有の偏屈な拘りがあったため、この議論は平行線を辿ったままでした。田町電車区の「偏屈な拘り」というのは、「ウチは元来、優等列車用の車両しか置いたことがないので、普通用の車両を配備させるなんてとんでもねぇ」というもの。横須賀線用の32系や80系、151系、153系、155系、157系、161系、167系、183系・・・と確かに特急や急行にしか使わない車両を配置させていた “プライド” がそう言わせたのでしょう。侃々諤々の議論の末、一旦、153系の運用を白紙にして、急行と普通の運用を切り離すこととし、田町電車区に初めて113系が配備されました。時に昭和55年のこと。ただまぁ、昭和56年に185系が登場して特急「あまぎ」と急行「伊豆」を統合した新しい特急「踊り子」が運用を開始しても185系は普通運用にも就いていたので、改正前とそんなには変わらないのが実状でした。153系は56.10改正で運用から外れ、全車廃車の憂き目に遭います。画像をよく見ると、ちょっと見にくいんですが、列車番号表示器の橫に「A26」という編成番号が見えます。これを手掛かりに、昭和56年現在の田町電車区153系の編成表を調べたら、該当がありました。だと思われます。ですから、画像が昭和56年撮影だとしたら、先頭車はクハ153-68になろうかと思われます。この頃、既にサロ152は全車サロ112に改造されて存在せず、大垣同様、153系のグリーン車はサロ165が代用で連結されています。サロ165-27は側窓がユニット窓に改造されている仕様。画像を見る限り、それっぽく見えないんですけどね。後追い撮影で、こちらはクハ153の500番代になりますが、編成表を見ても片方が0番代でもう片方が高運転台だからA26編成で間違いなさそう。こちらは種別幕が残されてますね。で、0番代の画像ではよく判らなかった列車番号表示が、500番代ですと「873M」と何となしに読めるんですね。それを手掛かりに時刻表で調べてみたら該当がありました。873Mは普通列車で、東京駅を11時56分に出発する平塚行きの列車で、平塚には13時02分にとうちゃこします。先程の運用の話に戻りますが、2扉デッキ付きの車両が普通列車に宛がわれるのは至極普通でしたけど、それは日中限定じゃなくて、朝夕のラッシュ時でも情け容赦なく運用に充てました。そうするとどうなるかというのは皆さんも想像に難しくないと思います。列車遅延は日常茶飯事だし、この辺りも国鉄本社の運用担当と東京南鉄道管理局の運用担当は「田町の運用、どうにかならねぇか」と、本音は改善したかったのでしょう。ただ、普通列車のエースだった113系もあの当時は100%セミクロスシートだったので、通勤に適しているかと言えば疑問符が残ります。同じ153系を使った関西の新快速なんかは日中限定でしたけど、朝夕のラッシュ時には快速として駆り出されていましたので、いくら6両編成を2つ繋いだ12両編成で組成しても「2扉車を通勤で使いたくない」という思いは同じだったでしょうね。153系の後継でデビューした117系もホスピタリティは破格でしたが、通勤に使うとなるといくらデッキ無しとはいえ、どうしても2扉が足枷になります。それから153系といえば、名古屋地区も同じ悩みを抱えていたと思います。いわゆる「中京快速」で153系や155系などがカオスな編成を組んで名古屋地区を行き来していたけど、あれでは名鉄に勝てません。総じて言えることは、地方のローカル線ならいざ知らず、東京、名古屋、大阪の大都市圏では「2扉デッキ付きは普通列車には適さない」ということです。【画像提供】タ様

    THE JNR LEGEND(1283)