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公式ジャンル「鉄道」記事ランキングの100位〜119位です。鉄道ジャンルのこの順位のなかで一番人気の記事は「【2025年2月22日改正】阪急神戸線・宝塚線平日夕方ラッシュ時ダイヤ撮影6【2/26】」です。
EXPRESS DIARY3
2025年2月26日水曜日。十三での阪急神戸線、宝塚線、京都線平日夕方ラッシュ時ダイヤ撮影の第6弾です。19時08分頃神戸線1017F8両の準特急大阪梅田行きがやってきました。 19時08分頃京都線5324F7両の普通高槻市行きがやってきました。 19時08分頃宝塚線7018F8両の普通川西能勢口行きがやってきました。 神戸線1017F8両の準特急大阪梅田行きのアップを撮影しました。 19時09分頃1009F大阪関西万博ラッピング車8両の普通大阪梅田行きがやってきました。 19時09分頃1009F大阪関西万博ラッピング車8両の普通大阪梅田行きが出発していきました。 19時09分頃京都線7306F8両の準特急大阪梅田行きが出発していきました。 19時10分頃神戸線1016F8両の快速神戸三宮行きがやってきました。 19時11分頃神戸線1019F8両の普通大阪梅田行きがやってきました。 19時11分頃宝塚線7015Fダイヤ改正ヘッドマーク付き8両の普通大阪梅田行きがやってきました。 19時11分頃神戸線1016F8両の快速神戸三宮行きが出発していきました。 19時12分頃宝塚線7015Fダイヤ改正ヘッドマーク付き8両の普通大阪梅田行きが出発していきました。以降次回へと続きます。新幹線EX(エクスプローラ)Vol.74(2025年冬号)【電子書籍】[ イカロス出版 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}ドクターイエロー&East i 新幹線事業用車両徹底ガイド 改訂版 [ 新幹線EX編集部 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}電気機関車EX(エクスプローラ)Vol.33 JR西日本のEF65を徹底解説 [ イカロス出版 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}電気機関車EX(エクスプローラ)Vol.34 [ イカロス出版 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}JR機関車年鑑2023-2024楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}JR特急列車年鑑2025楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}新幹線サイドビュー図鑑楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}私鉄車両年鑑2024楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}JR普通列車年鑑 2024-2025楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}配線で読み解く鉄道の魅力5 関西大手私鉄編【電子書籍】[ 川島令三 ]楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}
美里山倶楽部
おはようございます。 何故か石破首相が3月15日に宮田村を訪れたようです。 自身でもツイッターに書き込んでますが「ごちゃまぜ」とはひどい例えで許せんなぁ 「みなさんが一体になって」とか「国籍、年齢、性別を越えて」とかさぁ、くだけた言い方が良いわけじゃなくって一国の首相らしい表現がほしいわけよ。 しかもですよ「オヒサマの森」なんて美里山倶楽部の家から100mも離れてないのに何のアナウンスもなくお忍びで来たかのよう 全国放送にも流れてしまいいい迷惑です。 まぁ来るのが分かってたら今の政局の文句ばかり言う人が大勢集まって視察どころではなかったんでしょうけどね そんなもうすぐ終わってしまう内閣総理大臣のことは置いておいて・・・。 補助穴を全て開け終わり本格穴を通すための位置決めが出来ました。 よく見えませんが、それはいいとしてスイッチごとに穴の大きさが違うので間違わないように補助穴をガイドとして本格穴を開け始めました。 今回はいくつか開けた穴がどんな役目を持っているかを見てみることにします。 上の写真のようにポイント用の6Pスイッチと定位&反位を示す黄色と緑色のLED。 3Cabを切り替える4回路のロータリースイッチとそれを示すRGB_LED。 これらをデモ的に点灯させて各々の役目を見てみます。 「①」の6Pスイッチのポイントは現在緑が点灯して定位であることを示してます。 「②」の3Cabのロータリースイッチは上に向いてRed_Cabを選択しています。 「③」のポイントは反位の黄色を示してます。 「②」の3Cabのロータリースイッチを左に回すとLEDが消灯。この線路に電気が供給されてない状態になります。 「②」の3Cabのロータリースイッチをもう1段階左に回すとLEDが緑に切り替わり、Greeen_Cabに切り替わったことを示します。 「②」の3Cabのロータリースイッチを逆に右に回すとLEDが青に切り替わり、Blue_Cabに切り替わったことを示します。 これが3Cabのことですよって載せてみたら、BlueとGreenのロータリースイッチの差し位置とこの図の位置が反対でした こんなミスがあるのでデモでもやっておくと良いんですな。 6Pスイッチを使ったポイントスイッチの方も見てみます。 最初は定位で緑のLEDが点いてます。 ポイントを切り替えると反位になって黄色いLEDの方へ切り替わります。 これで列車が行く方向がすぐ分かるようになるわけです。 こういったスイッチとその方向を示すパネルがこいつな訳です。 先のスイッチとLEDをこのパネルに全面展開していくことが今回の組立編になるわけです。今月中には組立編を終えたいですね このブログが参考になった方はこちらのアイコンをクリック↓にほんブログ村
ひたさんのブログ
嘉例川駅に停車中の特急はやとの風を撮影前日に霧島温泉に宿泊し霧島温泉駅から乗車した際に撮影嘉例川駅では記念撮影ができるように数分程度の停車時間がありました特急はやとの風の車内で弁当が販売されていましたので購入しましたとてもおいしい弁当でした
神戸鉄道案内
毎度! おばんです!今週の「日曜ゆるネタ」は、天気も悪かったから?今月前半の「小ネタ集」にしてみました。まずは、先月から始まってましたが・・・神戸電鉄のヘッドマーク。それに、しんちゃんが乗務する位置に何かのぬいぐるみ。ヘッドマークだけ見たら、「萌えキャラ系」とのコラボでしょうか?神戸電鉄の発表では、「原神(げんしん)」だそうですが、配給元の「ホヨバース」って、ネットゲーム配信会社ですか?このキャラたちは、ゲームマニアにはわかるでしょうけど、一般乗客にどこまで浸透してるのか?ちょっと不安なところで・・・神戸市営地下鉄海岸線。こちらも先月から始まってますが、5102Fの1号車だけに、派手なラッピング。西神山手線の6143Fよりも派手な印象を受けますが・・・確かに派手だわ。海岸線の方が、「まとまり感」が感じられるのは・・・「こどもっとKOBE」。「共働き子育てしやすい街ランキング」で第一位になったから、神戸市の子育て政策の宣伝も兼ねているようです。だから? 神戸市は気合入ってます?窓も・・・妻面も・・・乗務員室前も派手!でも、どうして1両だけなんでしょうね? 予算の都合ですか?なんて思いながら・・・JR貨物で、EF65の定期運用が昨日からのダイヤ改正で終了・・・なんてアナウンスがされて久しいですが、(実際、ダイヤ改正前日の75レは桃に代わってました)サメも運用激減してましたね。「2運用」だけになって、運用番号も「60番台」という形に代わってましたね。(吹田→百済「2066」→越谷タ「2067」→百済「82」→吹田だけ)もう、EF66は、ニーナの現役引退で「運用終了」と個人的に思ってるので、サメなんて「EF68」と思ってますが、吹田以西には定期的には入らないことになったら・・・(ここからは今日、雨宿りしながら撮影)2077レの、EF510担当が復活してしまいました!新潟からの3096レでそのままロングランではなくて、わざわざ吹田で交代してるんですよね。「日本海縦貫線でダイヤ乱れあったらどうするの?」 と思いますが、(吹田での空き時間は「単1484」から3時間程度)吹田に一日中留置されるのもあるので、何とかなりますかな?そして、2075レ~1086レの運用も残りました。今日はやってませんが、コンテナの配置状況によっては、神戸貨物ターミナルで、EF510が並ぶ光景が復活したことになりますが・・・ま、その辺は平日の「合い間ネタ」で拾えたら載せることにして、今日はこの辺で・・・今日の日中は雨の影響でほとんど引きこもってましたが、明日は天気は回復してくれますかな?「明日は晴れたら頑張るニャ!」と、ニャルくんは雨が降る前に言ってくれましたが、ちゃんと頑張ってニャ!こちらもそれなりにいきましょう。ほな! ドテテン!
TRAIN SQUARE(模型と実車)
そろそろ花粉症の症状が出てきた貨物小僧です。今年はまだ目は痒くなってません。では本題。今回は20ft(JR貨物30系・各運送会社)コンテナにほんのひと手間加えてみようという話です。なお、記事の内容が非常に地味になりますのでご了承ください。そのひと手間とは「フォークポケットを塗ってみよう」って事で、正直「は?」と思う方も居るでしょう。で、「フォークポケットとは何ぞや?」と言う方は下の画像をご覧ください。要はフォークリフトのツメを刺す部分の事をフォークポケットと言います。コキに積まれていると、このフォークポケットは黒く見える訳です。●20ftコンテナのフォークポケット画像上はJRF 30Cコンテナ、下はU31Aコンテナです。これらのタイプはフォークポケットが4カ所あって30Cは右側、U31Aは左のコンテナのフォークポケットを既に塗ってあります。黒く見える部分が4カ所あるので、未塗装部分と区別がつくと思います。○こうやって塗ってます特に変わった事をやっているのでは無く、コンテナの凹部をガンダムマーカーで塗っているだけです。このガンダムマーカー、アルコール系塗料なのでもしはみ出た場合は無水エタノールで拭き取れば落ちますが、元の塗装を侵す場合もあるかと思います。やる場合は自己責任でお願いします。塗装も良いけど、折角ならフォークポケットを切抜けば良いのに、と思う方も居るかと思いますが、凹部ディテールのフォークポケット裏はコキに固定する爪が嵌る位置と合致していて、切抜くとコキに積載出来なくなってしまいます。●色入れ完了ちょっと塗りムラがありますが、実際は非常に小さい部分なのでまず気になりません。フラットブラック等を面相筆を使い色入れしても良いかもしれません。私も試しましたが、上手くいきませんでした💦●コキに積んでみようこうして色入れしたコンテナを、KATO コキ107-471(テールライト付き)に積んでみました。実感的ではありますが、単なる自己満足です(笑)。ちょっと一言。コンテナ貨物列車に付いているテールライト(カンテラ)は、主に雪国を走る列車で使われているのはご存知の事と思います。主に使われている線区(地域)は、東北内・宮城野(仙台)以北(首都圏-盛岡・八戸・北海道方面など)の列車や、首都圏から秋田方面への列車や北陸方面(日本海縦貫線)などの列車に使われていますが、勿論例外もあります。因みに時間帯により赤色反射板からカンテラに交換するなんて事はまずあり得ません。非常に地味な記事にお付き合いいただき、有難うございました。今回はここまで。ではまた次回✋
新・新・m30haruのブログ
2023/12/7 配9644レ EF81 140配給を撮影していました。
いつか君に
お疲れ様です。実に久しぶりに見た青空でした。しかし本日の青天は長続きせずお昼過ぎより冷たい雨が降り続けている私の地元惑星コトウラ。さていよいよ明日入院となりました。惑星コトウラ唯一の百貨店八橋のアプトのDAISOで入院グッズを購入しました。気が付けば全く必要のなさそうなものまで買い込んでしまった私。(笑)実はそれが100円ショップの販売戦略のひとつでもあるわけで...(笑)そして10時の開店と同時にいつものすみれ飲食店さんへ...本日は私が三人めの入店となりました。その数分後店内はほぼ満席に...おそるべき超人気店。ところでどんなに食欲が減退しているとはいえお腹が減る時は減るもの。そこで...ラーメンの大盛りとネギトッピングをいただきました。いつもの安定の味。黄金色のスープ。そして本日はデートの予定がありませんでしたので大量のおろしにんにくを投入して味変を楽しみました。さらに...明太子のおにぎりまで。(笑)【オマケ】旧・中央公民館の解体工事が終盤を迎えていました。すみれ飲食店さんよりすぐ近くの公園。ラストは みんな大好き白バラ牛乳の大山乳業の直売所カウィーのみるく館でお買い物。この度購入させていただいたもの。+白バラ牛乳の1リットルパック。※今月末で販売を終了される 6個入のシュークリームですが 絶賛品切れ中でした。 残念ながら今後の入荷の予定は ないのだそうです。
ハイパーセントラル21号のブログへようこそ
大宮の鉄道博物館・第14回目は戦前の気動車であるキハ41307号です。暖色系の色彩と異なる点も歴史を感じさせ、シル・ヘッダーとリベット仕様がごつさを演出しますが、両運仕様の前面は4枚窓のややカーブを描く様が柔らかさを感じさせるでしょうか? それにしても室内はずらりと狭窓が並び、窮屈な運転席と相まってほぼ木製仕様の座席や窓回りは歴史の証人のようにも。お馴染みの「ふたまたせん」さんから。 大宮の鉄道博物館の保存機シリーズ 第14回目はキハ41307形気動車です。設計は昭和初期、鉄道省の時代になりますが、戦後にディーゼルエンジンも換装され、更に昭和32年4月1日の車両称号規定改正により、キハ04形となっています。保存は称号改正前のキハ41300形として、現在は静態保存されています。 ※撮影は全て「ふたまたせん」さんです。
鉄道模型なまけ日記
皆さんこんにちは今日は別府の病院へ向かった後、由布岳を越え由布院温泉側へ車を走らせました。由布院温泉の市街地から約20分、到着したのが若干秘境感のある久大本線野矢駅。大分・由布院方面緩やかなカーブの先に鉄橋があり、列車が来ると轟音が響くのでわかりやすい。久留米・日田方面駅全体、木々も整備されていてとてもきれいな駅です。地域の人達に大事にされている証ですね。2番ホームの後方には保線用レールが敷かれていて、昔は3線あったような?構造です。別府行 キハ71 ゆふいんの森3号目的の列車のひとつが来ました。ここへ目的を持って訪れる方は違和感を感じる画像のはず…。 あるものが写ってないんです。すれ違うはずのアレキハ185 ゆふいんの森2号30分近く遅れてやって来たゆふいんの森2号は真っ赤なキハ185。こいつとすれ違うはずでした。これ本当にゆふいんの森なんです。笑博多発ゆふいんの森1号で走るはずだったキハ72が車両トラブルで運休となり、急遽大分車両センターから由布院まで回送されたキハ185が博多行の代走ゆふいんの森2号として走ることに。本来ゆふいんの森同士が並ぶ駅で…。例えて言うなら蕎麦が食べたくて緑のたぬきを買いに来たら、赤いきつねしか売ってなかった日…。低音のエンジン音と共に立ち上る排気がいい雰囲気で撮れたから良しとします。初めて見た!キハ185のLED方向幕LED幕更新車が登場。JR九州はこれからもキハ185を使い倒します 笑 続いて大分行のキハ220 1500番代両運転台のキハ220 1500番代は、デカ幕ではないので前から見るとキハ200と区別がつきにくいのが難点。昼間の普通列車は本数が少ない土日昼の時間帯は特急やD&S列車の本数の方が多くなります。キロシ147形 或る列車が登場豊後森行のキハ200を待たせて現れたのは或る列車。実物を初めて撮りました、いつかは近くで撮ってみたいですね。最後はキハ185同士の交換を博多行ゆふ4号と、別府行ゆふ3号の交換を見届けて終了です。鉄道模型では4両のゆふも、実車はインバウンド対策で増結5両にしないと乗せきれない…。コロナ禍で2両で走っていた頃に比べたら迫力が全く違います。別府へ向かうキハ185 ゆふ3号久しぶりに遠くまで足を運んで撮影できたのは良かったです。あと1時間くらい粘れば別府行の特急かんぱち、折り返しの或る列車も撮れたけど、夜までに宮崎へ戻らねばならないので撤収。それでは以上となります。ご覧下さいましてありがとうございました。TOMIX JR キハ70・71形ディーゼルカー(ゆふいんの森I世・更新後)セット 【98512】 (鉄道模型 Nゲージ)楽天市場14,249円${EVENT_LABEL_01_TEXT}A7892 キハ72系・ゆふいんの森・編成増強 5両セット(再販)[マイクロエース]【送料無料】《発売済・在庫品》楽天市場19,400円${EVENT_LABEL_01_TEXT}【中古】Nゲージ TOMIX(トミックス) 98454 JR キハ185系 特急ディーゼルカー (アラウンド・ザ・九州) 4両セット 【A】楽天市場23,100円${EVENT_LABEL_01_TEXT}【30%OFF】グリーンマックス Nゲージ JR九州キハ200形(赤色・13+1013+12+1012)4両編成セット(動力付き) 鉄道模型 31663楽天市場14,168円${EVENT_LABEL_01_TEXT}九州 ギフト 2025 列車プレミアムボトル 或る列車 梅酒 梅花爛漫プレミアム 20度 500ml おおやま夢工房 九州 大分 日田 贈り物 お土産 お取り寄せ ギフト プチギフト 常温楽天市場4,400円${EVENT_LABEL_01_TEXT}
れきてつ
引退が近づきツアー運行が増えているJR西日本の14系欧風客車「サロンカーなにわ」。3月7日からの4日間は「西日本一周の旅」として、DD51形ディーゼル機関車のけん引で走りました。山口県下関市の山陽・山陰本線の合流地点で8日、懐かしい客車列車の雰囲気を味わってみました。山陽・山陰本線の合流地点を行くDD51 1191けん引の「サロンカーなにわ」=新下関ー幡生「サロンカーなにわで行く西日本一周の旅」は貸切列車で、往路は大阪駅から福知山線、山陰本線、山口線、山陽本線を経由し下関駅まで、復路は山陽本線を通って大阪駅に戻るルートで、いずれも夜行で運転されました。下関駅には8日朝に到着。下関市内では小月駅に長時間停車し、多くの方が撮影されたようでした。車体形状と塗色が懐かしいDD51形。下関かいわいで網干総合車両所宮原支所の同形を見る機会はめったにありません筆者は新下関ー幡生間の山陽・山陰本線の合流地点で見送りました。この場所ではかつて、DD51形がけん引する山陰本線の旧形客車、50系客車の普通列車が見られました。今回の「サロンカーなにわ」もDD51形のため、少しでも「山陰」の雰囲気を味わおうと、ここを訪れました。2023年7月の大雨で被災した山陰本線は、今も人丸駅(山口県長門市)と滝部駅(下関市)の間の約22キロが不通です。今回「サロンカーなにわ」が走ったのは隣の山陽本線の線路でしたが、ヘッドマークなしの姿と相まって、昭和の合流地点の雰囲気が楽しめました。国鉄時代から活躍する「サロンカーなにわ」。現在の塗色でも十分懐かしさを感じます※本文を過去形にしました(2025.3.10)※山陽・山陰本線の合流地点は、以下の記事にもまとめています『山陽・山陰本線の合流地点で撮る「国鉄」』国鉄分割民営化から35年以上。当時の車両は全国的に数を減らしていますが、JR西日本下関地区では依然、懐かしい面々の独壇場が続いています。今回は山口県下関市内の…ameblo.jp
毎度! おばんです!天気予報よりも雨が降るおが早かった?土曜日恒例、川崎車両の南の果て。今週は訪問時間が遅かったから? 至って静かな休日の工場の雰囲気。至って自然に、9号門奥の保存機関車EF52 7にご挨拶しておいてからの・・・兵庫運河。今週前半に、この光景になってから、変化は見られませんでしたが、一体この奥はどうなってたのか?景色でも眺めながら、南の様子をまとめてみましょう。南留置線は、南線にE8系ブルーシートが2両だけ。そのうちの1両が・・・11号車であることは確認済み。北線と、ジャッキラインには相変わらず? HB-E220系構体ですが、今週も、見えるのが片運転台タイプのHB-E221と222の2種類だけ。両運転台のHB-E220が見えていません。もう「しれっと」艤装職場に入ってるのかな?そんな感じで、南留置線の全体像。せっかくだから?ちょこっと拡大。HB-E220系と、E8系の11号車を見て頂いてから・・・構体置き場。ここは何かと動いてましたが、まずは、今は単線テント内に入ってる・・・733系「uシート」構体が一番手前。途中で入れ替わったような動きでしたが、クハ733だけが艤装職場に向かったのでしょうか?確認できないのがつらいところ。そして、中古車販売店裏で出入りが激しかった?福岡市地下鉄。ボディ平滑化がどこまで進んでいるのか?なかなか処理済み構体が見えなかったところで・・・「北の様子はどうかニャ?」それでは定位置側。4番線の西武48154Fの8号車の正面貫通扉整備が終わらずに?ビニールになったまんまでした。そんな感じの、西武・福岡・E8系の「お披露目会」でした。そして、シャワールームですが、一番見えたのがE8系ではなくて?東京メトロ? のようにも見えてしまいました。この辺は、週明けのシャッフルで確認できると期待しましょう。北門から見える、西武48154Fの1号車は、異状ないようです。スタンバイテントは、まだまだ出るぞ、東京メトロ。ということで北側。一番目立つ位置は、結構余裕ができたようでしたが、きっちり? 残っているのが・・・733系。こちらの内装工程がほぼ後半戦に入ってる模様。後を追う車両が見えないのですが、気になるのが・・・HB-E220系「トップナンバートリオ」。どうも全車ドア補修が入ったようで、朝のトラバーサーシャッフルを見る限りでは、各車どこかのドアが外されています。これも「いつ出てこれるか?」といったところ。そして・・・京阪3000系プレミアムカー。 こちらは絶賛塗装中。中には、下地塗装終わっての配線工程に回った車両も出てきましたが・・・台車交換に入りたくても入れない?E8系「G10」編成の残り車両。来週は順当に艀の準備に入れるか? といったところで・・・今週は「ここまで」ということにして、今日はこの辺で・・・来週の動きは、また東京メトロ中心になりますかな?で、言ったとおりに?昨日、「雨が降ったら見守り休むニャ!」と言ってたニャルくんは、きっちり? 休んでました。ま、明日も雨らしいからゆっくりしてニャ!こちらはどうしましょう?天気とにらめっこしながら、「日曜ゆるネタ」を考えましょうか!ほな! ドテテン!
蒸機模型日誌ヽ(⌒〇⌒)ノ
いよいよ後端梁とキャブ支えをキャブ下に半田で固定しますヽ(⌒〇⌒)ノ 上回りと下回りを合体していたM1.4のネジは廃止しますヽ(`⌒´メ)ノ同時に上回りだけの場合は 最下端はインジェクターの排気管になるので上回りの扱いは非常に気を使うことになるです(>0<)/基本横倒しで置くことになります〜後端梁は基本 t0.2燐青銅板のキャブ支えだけで合体することになるので前後に剛性が乏しくなります(^^;) まあ これに配管が設置されていくとだんだん全体の剛性は上がっていくと思いますが・・・.そろそろバックプレート上部につく圧力計を検討します〜ヽ(`⌒´メ)ノ 実物写真はストーカー付きのD51946の圧力計ヽ(⌒〇⌒)ノ 計器板や配管が綺麗に整理されてるので これを参考にします〜! ストーカー搭載機は基本小型圧力計が四つ並びますヽ(`⌒´メ)ノ 右から ストーカーエンジン、ストーカーノズル、暖房管、給水ポンプヽ(⌒〇⌒)ノそして大きいのがボイラ圧力、一番左はシリンダ圧力です。皆 蒸気の圧力計なので配管がグルリと計器を一周しています。模型のパーツは 上右がエコーD52C62用、上左が金岡工房のC622用、下が金岡工房のバラの圧力計 大小.。 エコーのは圧力計の淵が細すぎて色差しのとき苦労しそう(^^;) 小型圧力計の間隔も狭すぎて配管をグルリと回すのも難しそう〜ヽ(´o`;)ノ 金岡工房のC622用は小型圧力計の並びが三つなんですよね〜(^^;) 実はC62の1〜4号機は試作的意味合いが強く、ストーカーは後から追加されてストーカーノズル圧力計のみ離れた所にあり メーターの並びが量産型とはちょっと違うのだ(>0<)/ ということで下の金岡工房のバラの圧力計を自分で並べるのが一番良さそう(^^;)たはは圧力計をベース板の上に並べて半田付けしましたヽ(⌒〇⌒)ノ 並べて固定するだけなのでパタパタと終わると思っていたんですが 均等間隔に半田の量を調整しながらの作業は意外と手こずったです〜ヽ(´o`;)ノ疲れた〜圧力計をバックプレートに仮付けえ〜ヽ(⌒〇⌒)ノ ズラリと並んだ圧力計とバルブの取り合わせがストーカー付き大型機独特の光景ですな〜ヽ(⌒〇⌒)ノさっさと配管して本付けしちゃいたい所ですが この下の蒸気分配箱の配管を付けないと その配管と圧力計の配管の取り合わせがわからないので 圧力計の固定はキャブ取付後となります〜(^^;)たはは今度はキャブの内張を作成ちゅ〜〜ヽ(⌒〇⌒)ノ これにキャブ内側のディティールを作り込んで 塗装後貼り付けるです!ヽ(`⌒´メ)ノ窓枠のキットパーツを見ると なんとキットも内張形式になってたヽ(●0〇;)ノしかし内張は極力薄くしたいのと窓枠の引き戸レールも表現したいので まずは助手席側だけですが このパーツはそのまま使わず窓枠部を切り取って昨日作った内張の窓部にはめ込みましたヽ(⌒〇⌒)ノ助手席側の内張に窓下の縦補強とニワのお宝ロストの椅子を取付え〜ヽ(⌒〇⌒)ノ早速 キャブ右側に置いてみましたヽ(⌒〇⌒)ノきゃあ〜充実感半端ない! しかしさすがD52は狭いキャブにデカいボイラーで足元が狭い!!(>0<)/機関士席側の内張のディティールを取り付けましたあ〜ヽ(⌒〇⌒)ノ ニワの座席、金岡工房の砂撒操作コック、ドレンとバイパス操作コック それぞれの配管も設置ヽ(`⌒´メ)ノ こんなマニアックなパーツを出してるのは金岡工房だけ!!ヽ(⌒〇⌒)ノ・・・・しかしキャブ内にここまでこだわる人はほとんど居ないそうで ほとんど売れてないらしい(ーー;)う〜〜むドレン、バイパス弁操作コックは逆転ハンドルを回転すると当たるので 下方に取り付けたんですが 実物写真を見るとやっぱ下の方についてるヽ(⌒〇⌒)ノ操作しにくそうですが ボイラーが太いD52はここしかスペースが無いのだヽ(`⌒´メ)ノ内張の脱着可能な固定方法を試行錯誤(^^;)疲れた〜・・・。とにかくキャブが小さいので押さえ金具を設置するスペースが無いのだ(>0<)/ 結局 矢印の燐青銅板で作った押さえ一個で内張をキャブ側面に押さえつける方法としましたヽ(⌒〇⌒)ノまあ完成しちゃったら外すことはないので 最後塗装後に接着剤で固定するのでも良かったんですが 完成するまでの間もキャブ内のディティールを楽しみたいしね〜ヽ(⌒〇⌒)ノ機関士席の足元に換気装置のパイプを設置!!ヽ(⌒〇⌒)ノパイプは床板を貫通して後端梁の背後に出ています(^^;)・・・・御殿場のD52は付いていたみたいなんですが 山陽のD52は蒸機の角度を見ると付いていないみたい(^^;) メジロ工場では機関士のためにつけてあげたってことで・・・ヽ(⌒〇⌒)ノエコーの二子三方コックを取り付けえ〜ヽ(⌒〇⌒)ノ 配管は給水ポンプが付くまでおあずけです〜(^^;)例によってちょ〜〜っとづつ進んでます(^^;) キャブ背面角につく手すり用のハンドレールナブ穴の位置が全然違うので一旦埋めましたヽ(⌒〇⌒)ノ 穴埋め 地味い〜〜に時間かかるんですよね〜ヽ(´o`;)ノとほほキャブの後妻の窓は落とし窓になっていて下に下降して開きますヽ(⌒〇⌒)ノしかしキットの窓枠にはガラスの枠がありません(^^;)キャブを固定する前に気がついてよかったあ〜・・・ということで ガラスの枠を作成ちゅ〜〜ヽ(`⌒´メ)ノそれとその下の妻板に並ぶリベットも気に入らなかったので 一旦削り落としました(^^;) 72号機はリベットないんですよね〜・・・・しかし調べるとリベットの間隔や大きさが他のD52ではさまざまで 色々タイプがあるみたい(^^;)両数がある上に幾つかの工場で改造してるので違いがあるのかも?後妻窓の窓枠は右側が完成い〜ヽ(⌒〇⌒)ノ ガラス枠をビタリ窓枠に嵌まり込むように外形を削り 0.1〜0.2ほどの段差をつけて半田で固定しました〜ヽ(⌒〇⌒)ノ これで キャブ本体のt0.4程の板厚を感じさせない窓枠になったのだ!ヽ(`⌒´メ)ノ 左側はまだ作業ちゅ〜で裏からガラス枠を当ててるだけなのでキャブの板厚で分厚く段差が出来てるのがわかるです(^^;)機関士側の後妻窓枠もガラス枠をはめ込みましたヽ(⌒〇⌒)ノ 窓下のリベットもφ0.2の燐青銅線を植え込んで復活しましたヽ(`⌒´メ)ノ 解放キャブはこのリベットが結構目立っていいアクセントになるのだヽ(⌒〇⌒)ノ後妻窓枠に横手すりを設置ヽ(⌒〇⌒)ノ 下のキャブ支え板にはキャブの縦手すりの受け金も取り付けえ〜ヽ(⌒〇⌒)ノ機関士席前のブレーキ圧力計の上に時刻表差しもつけましたあ〜ヽ(⌒〇⌒)ノ ただし これもキャブを本固定するまでは仮に差し込んであるだけです(^^;)キャブ周りがだいぶ充実してきましたあ〜ヽ(⌒〇⌒)ノ キャブ本付まであともう少し(^^;)
湘南軽便鉄道のブログ
(前回記事の続き)(やながわ希望の森公園東口駅と転車台 福島県伊達市)やながわ希望の森公園 SL列車「さくら1号」阿武隈急行「やながわ希望の森公園前」駅に近い西口駅から、SL列車の増発便がやって来る。西口駅から東口駅に向かう路線は、登り勾配時速5kmでゆっくり近づいてくる。登り勾配では、煙を勢いよくはきながら力走。2軸動輪のB型蒸気機関車3両の客車を牽引客車の大部分は窓のないオープンスタイル客車最後尾ゆっくり東口駅へ向かう。やながわ希望の森公園の高台から、東口駅を俯瞰東口駅のSL列車。手前には転車台(ターンテーブル)機関車を前後付け替えのため、客車から切り離し。SLは転車台へ。自動で回転する転車台向きを変える。向きを変えたSLは機回し線へ。SLを客車の反対側に連結する。東口駅で発車を待つSL列車付近は長閑な田園地帯「やながわ希望の森公園」は1985年(昭和60年)4月開園。 桜の花見、紅葉、キャンプ、アスレチックなどが楽しめる広大な自然公園。お林沼園内には約2,000本の桜の木がある。軌間762mmのナローゲージ鉄道普段の運行は一日5往復だが、この日は増発便もあり。西口駅からやって来たSL列車が東口駅到着すぐに客車から切り離し、転車台で向きを変える。軽便鉄道サイズの小さなSL本物の蒸気機関車機回し線を通り、客車の反対側に連結する作業軌間762mmオープンデッキの客車立派な駅名標もある。乗車はオープンデッキから。東口駅で発車を待つSL列車山間の小さな駅のような雰囲気東口駅→西口駅西口行きSL列車に乗車ビニール張りのボックスシートが並ぶ。東口(ひがしぐち)駅12時00分発車西口方面は下り勾配。SLが滑り止めの砂を撒く音が聞こえる。時速約5km/hでゆっくりと。右側の車窓は田園地帯初夏の田んぼ左カーブ窓のない客車は初夏の風を浴びて走る。汽笛がこだまする。長閑な昼下がりやながわ希望の森公園の縁に沿って東口駅と西口駅間800mを結ぶ、伊達市営(旧・梁川町営)の蒸気鉄道。左に大きくカーブすると終点。12時06分、西口(にしぐち)駅到着西口駅には機関庫と客車用車庫がある。運行時以外はここに格納。西口駅に到着した列車は、SLを切り離し、機回しを行う。SLは転車台で向きを変える。スイッチ一つで自動回転する転車台SL機関庫SLを客車の反対側に連結東口駅方面へ延びるナローゲージ線路★動画↓↓※2016年(平成28年)6月鉄道旅行ランキングへにほんブログ村(次回へ続く)
たくさん共感されています
Swallowtail@Ameba
昨日も予定通り、無事に配信されましたね。スタートしてすぐ、いきなり踏切のキットが紹介されて度肝を抜かれます。第一種・第三種はもちろん、組み合わせ次第では構内踏切も再現できるんだとか。ホント、この辺りの走らせることへのこだわりは見ていて面白いですよね。衣浦臨海鉄道のKE65が再び製品化されますね。(※鉄道手帳2022年版・表紙)太平洋セメントのホキ1100も同時に製品化するチカラの入れようでして、鉄コレでも三岐鉄道のED5081形を発売する抜かりの無さ。私鉄型のD級電機向けの動力ユニットが欲しかったのでちょうどエエがな!と思っていたところ、このロコに使うのはTM-ED01って品番のやつなんですね。ウチで必要なのが02の方でして、調べてみると車輪の大きさが違うそうで。台車間距離などの細かい寸法もけっこう違う様なので、飛び付かずに-02の再販を待とうと思います。トラックコレクションの馬運車がなかなか衝撃的です。馬運車セットA|製品をさがす|ジオコレ「ジオコレ」とはバス・トラック・車・電車・機関車・建物などを実物の1/150又は1/80で忠実に再現したシリーズの総称ブランドです。diocolle.tomytec.co.jpまさかこんなものまで製品化されるとは…。たまに高速道路を走っている時に見かけたりする馬運車ですが、特徴的な不思議な窓配置もちゃんと再現されてますね。建物コレクションのコーナーより、現代住宅D2ってのが出るんだそうで、昭和の風景の中に必ずあった様な平屋根の一軒家のカラーバリエーションにあたるそうです。建コレ014-2 現代住宅D2|製品をさがす|ジオコレ「ジオコレ」とはバス・トラック・車・電車・機関車・建物などを実物の1/150又は1/80で忠実に再現したシリーズの総称ブランドです。diocolle.tomytec.co.jpで、調べてみたんですが、現代住宅Eってのもなかなか良きデザインですね。こっちもカラバリ出ぇへんかなぁ…。Swallowtail
ごんたのつれづれ旅日記
【主な乗り物:高速バス長野-甲府線、高速バス「ミリオンライナー」、夜行高速バス「仙台ライナー」、高速バス前橋・高崎-新潟線、高速バス新潟-高田線、JR信越本線、特急「かいじ」】平成18年の真夏に、珍しい旅をした。埼玉県のさいたま新都心から仙台へ向かう昼行高速バス、仙台から前橋・高崎へ向かう夜行高速バス、前橋から新潟へ向かう昼行高速バス、新潟から高田へ向かう昼行高速バス、そして長野から甲府へ向かう昼行高速バスと、5本の高速バスを組み合わせたバス三昧の旅である。何が珍しいのかと言えば、さいたまから仙台、前橋を経て新潟まで、3本の高速バスが、群馬県に本社を置く日本中央バスの路線だったのである。8月中旬の週末、新しく拓かれた新開地に相応しく真新しい建物は全て立派であるけれども、人影が少なくて、どこか無機質な雰囲気が漂っている、さいたま新都心駅に降り立った。既に日は西に傾きかけて、駅と直結したバスターミナルは、長く伸びた影に覆われて薄暗かった。乗り場に現れた日本中央バスは、白地に金色のラインを身にまとっていて、側面に「東京・さいたま・群馬↔大阪・京都・名古屋・金沢・仙台・羽田・富山・新潟・奈良」と、同社が結んでいる都市名がずらりと羅列されている。荒川の対岸の東京・板橋車庫を起終点にして、蕨錦町、武蔵浦和駅を経て、さいたま新都心駅に現れた仙台行きのバスは、「ミリオンライナー」号と名付けられていた。平成17年3月に、日本中央バスが、市ヶ谷・新宿・池袋・さいたま新都心から仙台へ向かう夜行便を開業した時は、驚いたものだった。本社がある群馬県と全く関係がない土地を結ぶ路線だったからである。どうやら、板橋に車庫のあるバス会社を買収したらしく、同じ年の8月に昼行便の「ミリオンライナー」号が登場している。それに先立つ平成16年に、さいたま新都心駅・高島平駅前・板橋NTT前・新宿ヒルトン東京・赤坂プリンスホテル・ホテルグランドヒル市ヶ谷から、金山総合駅・名古屋駅・京都駅・大阪OCATに至る首都圏と中京・関西を結ぶ夜行路線と、ヒルトン東京・赤坂プリンスホテル・ホテルグランドヒル市ヶ谷・さいたま新都心から富山駅と金沢駅に向かう夜行路線にも手を染めていた。この頃の日本中央バスの路線展開で思い浮かべるのは、Jリーグのサッカーチームであるヴェルディのことである。昭和44年に読売サッカークラブとして発足した伝統があり、平成4年のJリーグ開幕に備えて、読売グループ3社の出資で読売日本サッカークラブが設立された。ただ、東京都にJリーグの規格に合ったスタジアムがなく、川崎市の等々力陸上競技場を本拠地としたのである。Jリーグ発足前後には、読売ヴェルディと言う呼称が用いられていたらしいが、Jリーグでは、チーム名から企業名を排して、ホームタウンの自治体名を使用する方針を定めていたため、程なく、ヴェルディ川崎を名乗るようになった。平成5年に、米軍調布基地跡地に「武蔵野の森スタジアム(現・味の素スタジアム)」を建設する計画が持ち上がると、ヴェルディは同地への移転を発表し、調布市も積極的に誘致に乗り出した。しかし、スタジアム完成までの本拠地が不透明で、なおかつJリーグ開幕初年度に移転を発表したため、地域密着理念の全面否定と受け取ったJリーグは拒絶の姿勢を示した。川崎市も、等々力陸上競技場の大規模改修に着手した時点での移転通告であったため大いに反発し、調布市も誘致の前提として円満解決を提示、ヴェルディはJリーグ実行委員会からの白紙撤回勧告を了承したのである。平成11年10月、ヴェルディは、再度東京への移転構想を発表する。「味の素スタジアム」が平成13年に開業することが決定し、川崎フロンターレがJ1に昇格したことで、川崎市も移転を容認した。平成13年に川崎から東京へホームタウンを移し、東京ヴェルディを名乗ったわけである。一時はJリーグのチェアマンと読売新聞の社主が論争するような事態に発生し、要するに、ヴェルディは東京の名を名乗りたいのだなと、僕は少しばかり覚めた目で推移を見守っていた。プロ野球で巨人ファンの僕が、ヴェルディのファンにならなかったのも、このような推移が一因かもしれない。日本中央バスも、東京の会社になりたかったのかも知れない。ところが、さいたま・東京-名古屋・京都・大阪線は、わずか1年後の平成17年9月に運行を休止し、東京・さいたま-富山・金沢線も、平成25年に起終点を秋葉原駅に延伸し、グランドプリンスホテル赤坂とホテルグランドヒル市ヶ谷停留所を廃止、川越・藤岡・高崎・前橋といった埼玉・群馬県内に停車する運行経路に改められた。都内停留所がグランドプリンスホテル赤坂やホテルグランドヒル市ヶ谷、ヒルトン東京といったホテルばかりで、ターミナルではなかったことも一因だったのかも知れない。後に、僕が秋葉原から金沢行きに乗車した時も、秋葉原からは2人、新宿のヒルトン東京では1人も乗車しなかったのと対照的に、埼玉県と群馬県内停留所の乗車で、ほぼ満席になったのである。東京・さいたまと仙台を結ぶ路線も、知名度が得られなかったのか、夜行便が平成20年9月に、昼行便「ミリオンライナー」号が平成23年11月にそれぞれ運休し、日本中央バスから、本社のある群馬県に無縁の高速バス路線は全て消えた。バスの側面には「東京・さいたま・群馬」の順で書かれているが、日本中央バスは地元の群馬で踏ん張れ、ということなのだろうと、僕は解釈している。定刻18時にさいたま新都心駅を出発した「ミリオンライナー」号は、黄昏の市街地を抜けて、岩槻ICから東北道に入った。見渡す限りに広がる関東平野を赤く染めて、夕陽が西に沈もうとしている。地平線の彼方から少しずつ擦り寄ってくる山々を愛でながら、深まっていくみちのくの情緒に浸ることが、東北へのバス旅の神髄であるが、夕刻の最終便ではそれも叶わない。旅の鳥羽口にも関わらず、暗転した車窓を見つめていると、心まで鬱々と沈み込んでいくようである。漆黒の闇に塗り潰された窓に映る自分の顔を見つめながら、僕はいったい何をしているのだろうと思う。広瀬川流れる岸辺想い出はかえらず早瀬踊る光に揺れていた君の瞳時はめぐり また夏が来てあの日と同じ流れの岸瀬音ゆかしき杜の都あの人はもういない「青葉城恋唄」は、歌詞と旋律の優しさ、美しさから、僕が大好きな曲である。このように素敵な歌に、郷土が歌いこまれている仙台の人々が羨ましいと思う。「ミリオンライナー」号の仙台到着は22時30分である。そんな夜更けに、杜の都の情緒に浸れるはずなどないではないか、と若干冷めた気分でバスを降り立った。思いがけないことに、仙台は七夕祭りの真っ最中で、駅の近くのアーケード街には、色とりどりの七夕飾りが艶やかに揺れていた。仙台の七夕祭りは、江戸時代の初期に、伊達政宗が文化向上の目的で奨励したことで、盛んになったとされている。明治6年の新暦採用で廃れかけたものの、昭和2年に商店街の有志によって大規模に七夕飾りが復活し、大勢の見物客で賑わったという。戦争中は縮小されたが、昭和21年、空襲で焼け野原となった街に52本の竹飾りが立ち、仙台七夕は力強く復活した。今ではおよそ3000にも及ぶ七夕飾りが街を彩り、「東北三大祭り」の1つに挙げられている。10mを超える竹から7種類の飾りがぶら下がっている様を見上げながら、浴衣姿の女性が目立つ華やかな街路を散策するのは、楽しかった。学問や書の上達を願う「短冊」。病や災いの身代わり、または裁縫の上達を願う「紙衣」。長寿を願う「折鶴」。富貴と貯蓄、商売繁盛を願う「巾着」。豊漁を願う「投網」。飾りつけを作る時に出る裁ち屑・紙屑を入れ、清潔と倹約を願う「くずかご」。織姫の織り糸を象徴する「吹流し」。昨今は、くす玉がついた吹き流しが主流だという。次のバスが発車するまでの束の間の滞在で、歩くだけで汗が滲む蒸し暑さに閉口したけれども、灯火に煌めきながら夜風に揺れる七夕飾りが幻想的な、杜の都の真夏の週末だった。七夕の飾りは揺れて想い出はかえらず夜空輝く星に願いをこめた君の囁き時はめぐり また夏が来てあの日と同じ七夕祭り葉ずれさやけき杜の都あの人はもういない「青葉城恋唄」の一節を思い浮かべながら、出かけて来て良かった、と心から思う。たった30分足らずの滞在で、僕が杜の都を後にしたのは、23時ちょうどに発車する「仙台ライナー」号である。平成16年1月に開業したばかりの新路線で、乗り場に横着けされたバスの外観は「ミリオンライナー」号と変わらないが、車内は横3列独立シートの夜行仕様で、ゆったりとした座席に深々と身を沈めれば、自然と気持ちが安らいでくる。日本中央バスの夜行便は、あらかじめ乗車券を購入していても、前もって座席が知らされている訳ではない。改札時に運転手さんから番号を告げられて、初めて一夜を過ごす座席が判明する方式だから、乗車するまでは、どの席が当てがわれるのかが心配になる。運良く、指定されたのは窓際席だったので、大いに安堵した。仙台駅前を定刻に発車したバスは、東北道を南下し、佐野ICで一般道に降りてしまう。午前3時30分着の佐野新都市バスターミナルを筆頭に、館林、邑楽、大泉、太田、桐生、伊勢崎、前橋、高崎、そして終点の藤岡と、国道50号線に沿った北関東の街々に10~30分おきに停車していく。夜間にしては煩わしいような道中である。佐野や館林で降りる乗客にしてみれば、夜行というよりも、終電代わりの深夜急行バスのような使い勝手ではないだろうか。僕はぐっすりと眠ってしまい、1度も目を覚まさなかった。夢を見ていたような気もするのだが、はっきりと覚えている訳ではない。停留所に停まれば、熟睡していても、座席をすり抜けていく降車客の気配で目が覚めることが少なくないのだが、その夜は、途中で降りる人がいなかったのかもしれない。早朝6時過ぎに前橋バスセンターに降り立つと、何となく夢の続きを見ているかのような、現実感が喪失した気分だった。バスセンターを名乗るからには、周辺に何らかの飲食店などが集まっている市街地を想像していたのだが、だだっ広い田園地帯の真ん中にポツリと立つ、郊外の車庫に過ぎなかった。次に乗るバスの発車時刻まで2時間もある。途方に暮れながら周辺を散策してみたが、眠そうな店員が手持ち無沙汰にしているコンビニエンスストアが、隣りに1軒建っているだけだった。大阪からの「シルクライナー」号が到着したり、池袋行きの「関越高速バス」が発車していったり、車庫としては早起きなのだが、乗降客は1人もなく、運転手が、こんなところで何をしておるのか、といった訝しげな表情で僕を眺めていく。新潟行き高速バスの始発地だから降りたのだけれど、「仙台ライナー」号を高崎駅まで乗り続けていれば、喫茶店でモーニングくらいにはありつけただろうと、単なる車庫にバスセンターなどと大仰な名称をつけた日本中央バスが恨めしい。青々とした田園に、朝の日光がぎらぎらと照りつけている。生い繁る稲を揺らして、気持ちのいい風が吹き渡っていく。この日も暑くなりそうだった。退屈極まりない2時間足らずを過ごし、ようやく、7時50分発の新潟行き高速バスが姿を現したときには、嬉しかった。平成17年に開業したばかりの、日本中央バスで最も新しい路線である。前橋バスセンターから乗車したのは僕だけだったが、8時15分発の高崎バスセンターと8時20分発の高崎駅から、数人の若い女性客が、賑やかにお喋りをしながら乗ってきたので、こちらまで華やいだ気分になった。このバスは前橋市街には寄らず、真っ直ぐ高崎に向かうから、前橋から利用しようとする人には、使い勝手が悪そうである。当初は新潟交通との共同運行であったが、平成25年に同社が共同運行から手を引き、単独運行となっている。日本中央バスの路線は単独運行ばかりで、平成11年に開業した「関越高速バス」池袋-高崎・前橋線から共同運行の西武バスが撤退し、当初は宮城交通が「SGライナー」号の愛称で参入していた「仙台ライナー」号も、平成17年に運行を取りやめている。渋川ICを過ぎると、バスは上越国境に向けての長い登り坂に差し掛かる。渋川市は、HPに日本の中央であると謳っているので、日本中央バスの大仰な会社名のルーツと言うべきか。市内にある白井城は、関東管領上杉氏と関東公方足利氏が争った享徳の乱以来、上野国の中心となった。足利氏は上杉氏に敗れて茨城県の古河に入り、古河公方を名乗ることになる。鎌倉時代末期から南北朝、室町時代に至る時代は、各地で群雄割拠、戦乱が相次いで複雑であり、日本史が好きだった僕も、断片的な知識しか持ち合わせていない。足利市をはじめ、群馬県にはこの時代の名所旧跡が少なくない。古河公方と言えば、教科書に僅かながら触れられていた記憶があり、ああ、そういう経緯だったのかと確認することも、旅の醍醐味である。それにしても、あれだけ勉強に悩んだ室町時代の坂東の歴史が、旅の途上ならば、すんなりと頭に入って来るのはどうしたことであろうか。関越道は切り通しの部分も多く、実際には傾斜地をうまく利用して高度を稼いでいるのだろうが、時折り渡る橋梁からは、蛇行する利根川に沿った田畑や集落が目もくらむような下方に遠ざかっているので、途轍もなく巨大な高架橋で三国山脈に登っていくような錯覚を覚えてしまう。万が一、側壁を破って転落すれば、いったい何メートルを落下することになるのかと想像するだけで、背筋が寒くなる。もちろん、バスの走りっぷりにそのような気配はなく、運転手さんのハンドルさばきは見事に安定している。正面に、上越の国界に立ちはだかる三国山脈の峰々が顔を覗かせた。平均2000m内外でそびえる三国山脈は、冬ともなれば、日本海から吹きつける湿った空気を屛風のように遮り、山を越える風から雪をことごとく落として越後の国を有数の大豪雪地帯とし、上州には空っ風となって吹き下ろす。今では関越トンネルで簡単に通り抜けられるけれども、山1つを隔てただけで生じる顕著な気象の差は、不思議としか言いようがない。関東平野の区間を冗長に感じる池袋発の関越高速バスと違って、前橋発のバスでは、いつも楽しみにしている関越国境まで、呆気なく達してしまったように感じる。車窓のメリハリを楽しむためには、平凡な区間も大切なのだと思う。このバスの新潟万代シティバスセンター到着は、前橋バスセンターからちょうど4時間後の11時52分の予定である。仙台から群馬を経て新潟に至る、珍しい本州横断ルートの体験も、関越トンネルを過ぎ、越後川口で信濃川の流域に入れば、残すところ2時間あまりだった。新潟駅前で、冷房の効いたバスを降りると、溜め息が出るほどの熱気が僕を包み込んだ。ここで、日本中央バスの旅は終わりである。僕は、越後交通の高田駅行き高速バスに乗り継ぎ、信越本線の普通列車で長野駅に降り立った。かつて上越と長野を結ぶ高速バスが運行されていたが、平成9年10月から翌年の9月までの僅か1年間と短命に終わり、もう乗ることが出来ないのは残念である。電車の硬いシートに揺られながら朦朧と眺めた、濃緑色に彩られた信越国境や北信濃の車窓は、頭が痺れるほどの鮮やかさだった。実家に寄る暇もなく、長野駅前の停留所で、善光寺大門が始発の甲府行きの高速バスを待った。駅前の交差点を、新潟交通の高速バスが曲がって行くのを見掛けて、新潟-長野線を使う手があったか、と舌打ちしたが、後の祭である。時刻表をめくれば適切な時刻の便がなく、長野駅前を16時に発つ新潟行きだったのだろう。長野も、仙台や前橋、新潟と同じく、容赦のない猛暑だった。定刻通りの16時35分に長野駅前を後にした山梨交通のバスは、犀川に架かる丹波島橋を渡り、松代へ向かう県道35号長野真田線に折れて、上信越自動車道長野ICまでの道筋も、すっかり馴染みになった。北国街道における犀川の渡しの流れを汲む丹波島橋は、その先で合流する千曲川によって南北に分断されている善光寺平を紡ぎ、僕が子供の頃は、既に市内交通の重要な役割を担っていた。室町時代後期には、現在より600mほど上流に丹波島の渡しがあったという記録が残されている。江戸時代初期の北国街道の整備に伴い、丹波島宿が設けられ、丹波島が主要な渡船となったが、急流であるために両岸から渡された綱に沿って舟を漕いだらしい。明治6年に、46艘の舟をぎっしりと横並びにした舟橋が架けられたのが、初代の丹波島橋で、僕もその絵を目にしたことがある。明治23年に2代目となる木橋が架けられ、昭和7年に、昭和恐慌に伴う失業対策として長さ540m、幅員12mという鋼鉄製のトラス橋になった。昭和61年に4代目となる現在の桁橋が完成し、当初は暫定2車線であったものの、4車線に拡張されたのが平成5年、ちょうど長野自動車道が全通し、上信越道と繋がって長野ICが出来た年であった。長野冬季五輪を前に、故郷が激しく変化していた時期である。子供の頃から何度も渡ったのは3代目の橋であるが、往復2車線だったので、いつも渋滞していた記憶がある。幼少時は、左右に河川敷が広い犀川の流れを見渡す丹波島橋は、紛れもなく車窓の楽しみの筆頭で、渋滞でゆっくり渡るのがちょうど良く、武骨に組み合わされた鉄骨のトラスと合わせて、脳裏にありありと刻まれている。最新の工法ですっきりとした現在の丹波島橋の外観に、物足りなさを感じてしまうのは困ったことであるが、見通しは良くなった。県道35号線は長野市街と松代を結ぶ幹線であるが、かつては家々の軒先をかすめる狭隘な道路だった。長野ICが完成すると、千曲川を渡る松代大橋の新築をはじめとする拡張工事が進められているものの、所々で2車線に窄まる箇所が残り、道路を造るのは大ごとなのだな、と改めて思う。青木島から長野ICまでが完全な4車線になるのは、平成22年まで待たなければならない。平成18年4月に開業したばかりの高速バス長野-甲府線が走るのは、長野自動車道と中央自動車道であるから、幾多の高速バスで通い慣れている。何度走っても、信州や甲州の自然豊かな車窓は飽きが来ないけれども、心が逸るほどの新路線と言えないのは、やむを得ない。思ってもみなかった区間に高速バスが走り始めたな、と思うばかりである。隣りの県を行き来する流動とは、多いのか少ないのか。四国や九州では、大抵の県で隣県へ向かう高速バスが運行されているが、他の地方では、必ずしも県境を越える往来が盛んとは言い切れない。長野県を例にしても、長野を発着する長野新幹線が高崎に、松本発着の中央東線の特急列車が甲府に停車するが、利用者の大半は東京へ向かうのだろう。新潟県や愛知県に高速バスが運行されているけれども、群馬、埼玉、静岡、岐阜、富山に行く路線はない。日本中央バスが前橋から新潟への高速バスを開業した時に、長野へも路線を作らないかな、と夢想したが、実現しなかった。それだけに、長野と甲府を結ぶ高速バスの成否を、僕は注目していたのだが、残念なことに、この日の乗客数は10人程度に過ぎなかった。松代大橋の手前で、県道に沿って左に広がる緑地が、川中島古戦場である。長野と甲府を結ぶ高速バスから古戦場を眺めれば、両市の歴史上の繋がりに思いが及ぶけれども、わざわざ停留所を設けているにも関わらず、誰も乗って来なかった。戦国時代に、甲斐の武田信虎は、駿河の今川氏、信濃の諏訪氏と和睦を図った上で、信濃の佐久郡と小県郡への侵攻を意図していた。武田信虎から信玄に当主が交代し、諏訪氏との同盟関係が手切れとなる一方で、関東管領の上杉憲政が佐久郡に出兵し、同盟関係にあった武田氏や、埴科郡や小県郡を拠点とする村上氏に通告することなく、諏訪氏が佐久郡を割譲したため、武田側が盟約違反として諏訪郡を制圧し、信濃侵攻を本格化させたのである。村上氏と、松本を拠点とする小笠原氏が抵抗したものの、1550年に、武田氏は小笠原氏を駆逐して中信地方を制圧し、村上氏は本拠地である坂城の葛尾城に孤立、武田氏の勢力は善光寺以北を除く信濃国のほぼ全域に広がった。村上氏と協力関係にあった善光寺平より北の国人衆は、越後の上杉謙信に助けを求め、謙信も北信濃に本格的に軍事介入することになる。こうして歴史を俯瞰すると、北陸と関東の上杉、甲斐の武田、駿河の今川、尾張の織田といった強豪に囲まれた信州は、あたかも草刈り場であり、例えるならば、ロシアの南下に危機感を抱いた明治期の日本が防衛線とした朝鮮半島や中国と似ていないだろうか。武田、上杉の両氏にとって、信州は祖国防衛の前進基地であり、川中島は、日露戦争における二百三高地のような位置付けと言えるのかもしれない。善光寺平は、善光寺をはじめ戸隠神社や飯綱神社などの聖地が存在して、有力な経済圏を形成し、犀川と千曲川が合流する川中島における米の収穫高は、当時の越後全土を上回っていたと言う。信玄によって葛尾城から追い落とされ、越後に逃れた村上氏が謙信に助けを求めたことで、1553年に第一次川中島合戦が勃発する。善光寺平への本格的な侵攻を意図した武田勢が、盆地の西の旭山城に籠り、上杉勢が裾花川を隔てた葛山城で対峙して、両軍の本陣が犀川を挟んで睨み合った1555年の第二次合戦、上杉方が善光寺の隣りに築いた横山城や北の大峰城、葛山城を拠点として坂城まで侵攻したものの、武田方が決戦を避けた1557年の第三次合戦までは、善光寺平で両軍が小競り合いを繰り返しながら押し相撲をしているかのような観がある。本格的な衝突になったのは、1561年の第四次合戦である。上杉軍は善光寺平南方の妻女山に陣取り、武田軍は松代の海津城に入る。武田軍は、別動隊を組織して妻女山の背後を衝いて上杉軍を八幡原に追い、「鶴翼の陣」で待ち受ける本隊と挟み撃ちにする「啄木鳥戦法」を立案したが、その意図を察知した謙信は、夜陰に乗じて密かに妻女山を下り、雨宮の渡しで千曲川の北岸に出る。午前8時頃に川中島を包んでいた霧が晴れた時、武田軍は、上杉軍と至近距離で対峙していることに驚愕した。いきなり始まった乱戦の最中に、有名な信玄と謙信の一騎打ちが起きる。『然ば、萌黄の胴肩衣きたる武者、白手巾にてつふりをつゝみ、月毛の馬に乗り、三尺斗の刀を抜き持て、信玄公の床机の上に御座候所へ、一文字に乗よせ、きつさきはづしに、三刀伐り奉る。信玄公たって軍配団扇にてうけなさる。後見れば、うちわに八刀傷あり』と「甲陽軍鑑」に記され、菊池寛の「川中島合戦」では、『信玄は黒糸縅しの鎧の上に緋の法衣をはおり、明珍信家の名作諏訪法性の兜をかむり、後刻の勝利を期待して味方の諸勢をはげましていた。時に年41歳。この日、越の主将上杉輝虎は紺糸縅の鎧に、萌黄緞子の胴肩衣をつけ、金の星兜の上を立烏帽子白妙の練絹を以て行人包になし、二尺四寸五分順慶長光の太刀を抜き放ち、放生月毛と名づくる名馬に跨り、摩利支天の再来を思わせる恰好をしていた。今や、信玄の周辺人なく好機逸すべからずとみてとった謙信は馬廻りの剛兵十二騎をしたがえて義信の隊を突破し信玄めがけて殺到して来た。禅定のいたすところか、その徹底した猛撃は正に鬼神の如くである。これをみた信玄の近侍の者二十人は槍襖を作って突撃隊を阻止したが、その間を馳け通って、スワと云う間もなく信玄に近寄った謙信は、長光の太刀をふりかぶって、信玄めがけて打ちおろした。謙信時に32歳。琵琶の文句通り、信玄は刀をとる暇もない。手にもった軍配団扇で発止と受けとめたが、つづく二の太刀は信玄の腕を傷つけ、石火の如き三の太刀はその肩を傷けた。この時あわてて馳けつけた原大隅守虎義は傍にあった信玄の青貝の長槍をとって、相手の騎馬武者を突いたがはずれ、その槍は馬の三頭をしたたか突いたので、馬はおどろいてかけ出したので、信玄は虎口を逃れた』と描かれ、頼山陽は「題不識庵撃機山図」で、鞭聲粛粛夜過河暁見千兵擁大牙遺恨十年磨一剣流星光底逸長蛇と、やや謙信寄りの視点であるが、有名な詩を詠んでいる。この戦いは、妻女山へ向かっていた武田の別動隊が駆けつけて互角に終わったのだが、武田勢は優秀な家臣を多く失い、圧倒的な軍事力を有しながらも、全国を制覇する時期を失したと聞いたことがある。1564年の第五次合戦で、両軍は2ヶ月間睨み合うも、大きな戦闘は起きなかった。8年後の1572年に、信玄は京を目指して進撃を開始し、三方ヶ原で徳川軍を撃破したものの、信玄の死によって撤退を余儀なくされている。現在、善光寺の東隣りの横山城址が城山公園と呼ばれて市民の憩いの場となり、大峰山や旭山といった城跡にも小学校の遠足で訪れたので、川中島合戦は、僕にとって身近な土地がたくさん登場する。川中島古戦場には、海音寺潮五郎原作の「天と地と」が昭和44年にNHK大河ドラマになったのを記念に建立された、馬上から斬りつける白頭巾の謙信と、軍配団扇で受ける床几の信玄を模したブロンズ像がある。バスの窓から目を凝らせば、木々の間に垣間見える時もあるのだが、真夏のこの日は葉がぎっしりと生い繫っていて見えなかった。古戦場では木々や家々に視界を遮られて、善光寺平を囲む山なみしか見えないが、その先の松代大橋を渡れば、千曲川の悠然たる流れと、広大な八幡原、南の妻女山や海津城址が見渡せて、第四次川中島合戦における両軍の動きを立体的に追想できる。平成の世に高速バスから眺めると、この地が、我が国の歴史の転換点になったことが不思議に思えるほど、穏やかな山河であった。バスが長野ICから上信越道に入り、更埴JCTで長野道に直進して、筑摩の山越えに差し掛かれば、武田の軍勢も、並行する善光寺街道を進んで来たのか、と思ったりする。姨捨から善光寺平を見下ろせば、武田軍の人々も同じ景色を見たのだろうか、と空想が膨らむが、実際は、今のJR小海線に沿って、甲斐から佐久平や塩田平に出る道筋で行き来することが多かったようである。高速バス長野-甲府線で信玄を偲ぶならば、筑摩山地を抜けて安曇野を通り過ぎ、塩尻峠を越えて、諏訪湖沿岸に出なければならない。梓川SAの休憩で身体を伸ばすと、頬を撫でる風は、この旅で最も爽やかに感じられた。バスの横で一服している若い運転手に、「いつもこんなに空いてるんですか?」と心ない問いを発してしまい、しまった、と臍を噛んだが、「そうなんです」と、運転手の返事も元気がない。この日の諏訪湖は、対岸が霞んでいて、いつもより広い大海のように見えた。諏訪は、武田信玄が信州侵攻に本腰を入れた最初の地である。岡谷JCTで中央自動車道上り線に入った先の、諏訪南ICから南に分岐する国道152号線は、死の直前に京を目指した信玄が南下した杖突峠や青崩れ峠に通じている。甲府盆地も豊かな土地なのだろうが、諏訪、安曇、佐久、塩田、善光寺の肥沃な平を、甲斐の人々はどのような思いで眺めたのであろうか。僕は、故郷の長野市が善光寺の門前町として発展し、名を轟かせた戦国武将が信州にいないだけに、どうしても、地元で活躍した武将として思い浮かぶのが、武田信玄になる。上杉謙信の方が清廉かつ律儀のように描かれがちであるが、その分、武田信玄を人間的な親近感を感じる。川中島古戦場に両雄の像が建てられたきっかけが、NHK大河ドラマ「天と地と」であったように、歴史上の人物の評価を大きく左右するのが映画やテレビの歴史物であるのは確かだろう。「天と地と」は海音寺潮五郎原作で、謙信を主人公に据えた物語であるが、信玄を演じたのは高橋幸治であった。僕にとって大河ドラマの高橋幸治と言えば、「太閤記」や「黄金の日々」における織田信長役の印象が強いので、どのような信玄だったのだろう、と思う。「天と地と」は、平成2年に角川映画として公開され、信玄を演じたのは津川雅彦であった。高速バス長野-甲府線の開業の翌年である平成19年には、井上靖原作の「風林火山」がNHK大河ドラマとして放映され、武田信玄を歌舞伎役者の市川亀治郎が演じている。この時は、長野でも甲府でも、大河ドラマ効果による観光客誘致に熱心になり、信玄の本拠地と、生涯で最大の合戦の地を結ぶ高速バスも、それを見据えて開業したのかもしれない。大河ドラマ「天と地と」が放送されていた昭和44年には、三船敏郎が山本勘助を演じる映画「風林火山」が公開され、信玄を中村錦之助が扮した。同年にはテレビドラマも放映され、信玄を緒形拳が演じるなど、まさに信玄一色の年であった。「風林火山」は、その後もしばしばテレビドラマとなり、平成4年には舘ひろしが、平成18年には松岡昌宏が、それぞれ信玄役で出演している。それ以外の戦国時代を舞台にしたNHK大河ドラマでも、たびたび信玄が登場してきた。昭和40年「太閤記」では早川雪洲。昭和48年「国盗り物語」では大友柳太朗。昭和53年「黄金の日々」では観世栄夫が声のみの出演。昭和58年「徳川家康」では佐藤慶。平成28年「真田丸」では林邦史朗。平成29年「おんな城主 信虎」では松平健。令和2年「麒麟がくる」では石橋凌。その時代における重鎮の俳優が配されているのは、信玄の圧倒的な存在感ゆえであろう。NHK大河ドラマで信玄が主役となったのは、昭和63年に放映された新田次郎原作の「武田信玄」で、中井貴一が演じている。それまで「山河燃ゆ」「春の波濤」「いのち」と近代路線を歩んできたNHK大河ドラマは、前年の「独眼竜政宗」から再び戦国時代を取り上げるようになっていた。端正な容貌の中井貴一が信玄を張るとは、少しばかり違和感があったが、最初は松平健や役所広司が主役の候補に挙がり、中井貴一は謙信役を打診されたと言う。松平健が後に「おんな城主 信虎」で、役所広司が平成3年のテレビ大型時代劇「武田信玄」でそれぞれ信玄を務めたのも、何かの縁であろうか。中井貴一も最初は戸惑ったらしいが、長丁場の大河ドラマで見事に信玄を演じ切った。視聴率も高く、「今宵はここまでに致しとうござりまする」という締めの語りが流行語になった。進むにつれて様々に山容を変える八ヶ岳が、夕闇の中に溶けるように消えていくのを眺めながら、甲信国境の長い坂を駆け下ると、甲府盆地である。長野から2時間半近くが過ぎていて、やっぱり甲府は遠いな、と思う。謙信の居城だった春日山城は、昼過ぎに通った高田駅の北隣りの春日山駅に近く、上信越道と北陸道が交差する上越JCTの北に位置する。僕が8年前に乗車した高速バス長野-上越線は、高田駅と直江津駅の停車の合間に春日山城址の近くを通ったはずだが、甲府ほど遠く感じなかった記憶があるので、甲府から川中島に来なければならない武田勢にはハンディだったに違いない。武田の人々を高速バスに乗せてあげたかったな、と突拍子もない空想が頭を横切る。高速バス長野-甲府線が、長野-上越線と同様に短命で、開業1年半後の平成19年10月限りで廃止されてしまったのも、何かの因縁であろうか。甲府南ICで中央道を降りたバスが、甲府駅前に到着する頃に、辺りはすっかり暮れなずんでいた。20年以上も前に、富士吉田にある大学の教養学部で過ごした1年間は、長野の実家との行き来に苦労したものだった。富士急行線で大月駅に出て、特急「あずさ」で松本駅、篠ノ井線の普通電車か特急「しなの」に乗り継いで長野駅、という経路を使ったが、同郷の友人から、富士吉田と甲府を結ぶ路線バスが便利だよ、と教えられた。乗り換えは減ったけれど、甲府駅から乗っても特急の運賃や料金が大して安くなる訳でもなく、普通列車を試してみても、甲府駅から松本駅まで2時間半を費やしたので、幾ら乗り物好きでも音を上げた。あの頃に、長野と甲府を結ぶ高速バスが運行されていれば、僕は常連客になったに違いない。甲府と長野の縁と言えば、甲府駅の東にある甲斐善光寺を忘れてはならない。第二次川中島合戦で、善光寺の別当は旭山城に籠城して上杉方と戦い、謙信は善光寺に陣を張る。合戦が終わると、謙信は善光寺本尊の阿弥陀如来像や寺宝を越後へ持ち帰り、直江津に如来堂を建設したので、信濃からの移住者が増えたと言われているが、この如来は本尊ではなく、旭山城に籠城した別当が避難させていたという説もある。信玄が葛山城を落として一帯を勢力下に置くと、別当に命じて善光寺如来像や寺宝を甲府へ移転させ、別当も甲府へ転居した。信玄が善光寺如来を持ち帰ったと聞いた甲斐の領民は、狂喜したと伝えられている。甲斐善光寺の創建は、信濃の善光寺の住職が本願主になり、1565年に本堂が完成、入仏供養が行われた。1582年の織田・徳川連合軍の征伐で武田氏が滅亡すると、信長の長男の織田信忠が善光寺如来を岐阜城下に移し、同年の本能寺の変に伴って信長の次男である信雄が尾張国清州城下へ、1583年に徳川家康により三河国吉田、遠江国浜松を経て、甲斐善光寺へ戻された。1596年の慶長伏見地震により京都の方広寺大仏が損壊すると、1597年に豊臣秀吉の要請で善光寺如来が京へ運ばれて、方広寺大仏殿に安置された。秀吉が病を患うと、善光寺如来の祟りではないかとする風説が流れたため、1598年に信濃の善光寺へ戻されたが、秀吉はその直後に死去している。善光寺如来も、波瀾万丈の流転をしたものだと思う。織田信長の比叡山焼き討ちで甲斐に逃れてきた天台座主の覚恕法親王に、比叡山を甲斐に移したらどうか、と信玄が提案したという逸話を耳にしたことがある。信心深く保守的で、都のものを郷土に欲しがる田舎親父のような無邪気さも、信玄の憎めない一面のような気がしてならない。僕は大学時代に甲斐善光寺を訪れたことがあり、久しぶりに足を運びたかったが、もう午後7時半も近い頃合いである。教養学部時代を偲びながら富士吉田行きの路線バスに乗るという案も捨てがたいけれど、到着は「中央高速バス」新宿-富士五湖線の上り最終便が出た後になる。鉄道で富士吉田から東京へ向かう煩わしさは、学生時代に骨身に滲みている。別の乗り場で「中央高速バス」新宿-甲府線が発車を待っているので、このまま乗り継ぐ手もあるけれど、何もかもが億劫だった。さすがに疲れていたのであろう。僕は駅舎に向き直ると、重い足を引き摺って、新宿行きの特急「かいじ」に乗り込んだ。さいたまから仙台、前橋、新潟、長野、そして甲府と回ってきた遠大なバス旅は、尻切れトンボのような幕切れを迎えたのだが、この時の僕の心境は、次の一文に尽きる。「今宵はここまでに致しとうござりまする」──にほんブログ村人気ブログランキングへ↑よろしければclickをお願いします。
キハでGo!
こんばんは!本日から3月に突入し、春の暖かさを感じる一日でした。昨晩は月一回の鉄模愛好会に参加し、先週の3連休で作成したキハ58系「TORO-Q」用のトロッコ車両(詳しくはコチラ、コチラ、コチラ)を持ち込み、他にはJR九州のキハ58系(詳しくはコチラ)、非冷房の急行「いいで・ざおう」(詳しくはコチラ)、富士急行やJR西日本、東日本に所属したキハ58系の両運転台仕様車(詳しくはコチラ)と「キハ58系づくし」で望みました。参加層は私よりも年上の方々なので、評判は急行「いいで・ざおう」に集中しましたw(Bさんはオールラウンドなので、全ての車両に反応頂けましたw あざーっすm(. .)m)次回は3月末と、だいぶ先に感じますが、気が付くといつも通りに参加しているのでしょうね・・・そして2025年も・・・w本日はヤフオクの落札品を楽しみました。届いたのは2月の1週目で中身が有るかどうかを確認してからは、そのまま放置していましたw中身はKATOのE655系 なごみ(和)編成と特別車両、特別車両(回送仕様)です。少し前にリニューアル再販で発表(詳しくはコチラ)があり、購入を検討していましたが、発表を受けてヤフオクで出品が増え、特別車両もセットになった商品も多く、さらにこちらは回送仕様の特別車両も付いているとのことで参戦してしまいましたwこちらをジャンク・部品取りとの説明で送料込みの13500円で入試しています。説明からすると「危険な香り」がする出品でしたが、写真を見る限りではパンタ一つの欠損以外は車体もきれいそうなので、すでに入札済だったので、競るかと思いきや、応札した13500円で落ちました。ひとまずジャンク扱いだったので、動作、状態は関係なく、受け取りと評価をしておいたのですが・・・果たして結果は如何にwヤフオクと同じように車両セットの方は説明書も入っており、車両もイイ感じで「テカって」いますw付属品は説明書のみであり、ロットを確認すると2012年だったので、初回販売の製品でした。(こちらは確か2016年頃に再生産されています。)E655系は昭和に製造されたお召し列車用の「1号編成」の置き換え用として製造された編成ですが、従来の皇室専用ではありません。別途、従前の「御料車 1号」に当たる車両を皇室専用の「特別車両」として製造し、3号車と4号車の間に編成することで「お召列車」(天皇皇后両陛下と名代の皇太子が乗られる)や「御乗用列車」(その他の皇族)の運用し、特別車両を外してJR東日本の「ハイグレード車両」として、団体専用列車(いわゆるジョイフルトレイン)としても運用されます。「ハイグレード車両」なので全車両グリーン車として「ロ」が形式名についています。車両から見ていきますと、まずは先頭車のクロE654-101(左と上)とクモロE654-101(右と上)です。形式名の通り、クモロの方が電動車となっています。ただ、このE655系はアンダーカバーが新幹線のようにがっつり付いているので、床下パーツによる見分けはできませんw色は「お召し列車」に使われることから「漆色」ですが、光の当たり具合で褐色から紫色に色合いが変化するマジョーラ塗装が採用されています。模型も写真では分からないのですが、光の当て具合による色の違いが楽しめるようになっています。1号車のクロE654-101は、床下にディーゼル発電機を2基搭載し、電源車となっています。この車両のみ客用出入口がありません。2号車のクモロE654-101は 制御電動車。床下に主変換装置・ 補助電源装置 ・電動空気圧縮機を搭載しています。屋根上と今回は全てパカリストしていますw(上がのクロE654-101、下がクモロE654-101です)クロE654-101は、運転台のほか、洋式トイレと男子小用トイレ、洗面所が各1か所設置されています。(車両の1/3ほどがトイレや洗面台となっており、かなり豪華なトイレなのかと・・・)そしてクモロE654-101は運転台のほか、身体障害者対応トイレや男子小用トイレ、多目的室と車椅子対応座席が設置されています。因みに「ハイグレード車両」なので車内の壁は木目調で、床は絨毯張り、そして座席はシートモニター付きのシートだそうです。お次はパンタグラフ付の電動車でモロE655-101(上)とモロE655-201(下)です。共に床下には主変圧器と主変換装置を搭載しています。ただ窓の配列がそれぞれ違っているので、室内装備に差があると思われます。屋根上はE655系が「お召列車」としても運用される可能性が高いことから、全国どこでも(JR他社でも)運用できるように、3電源対応の交直流電車であり、中央本線などに残る狭小トンネルも通過できるようにパンタグラフ折り畳み高さを調整しています。車内ですが、2号車のモロE655-101は洋式トイレと男子小用トイレ、洗面所が各1か所ずつ設置され、4号車のモロE655-201はギャレー(給仕室)と多目的スペースが設置されています。最後は3号車のモロE654-101です。床下には主変換装置、である補助電源装置 ・電動空気圧縮機を搭載しています。こちらは他の中間車と同じく電動車ですが、交直流のパンタや機器はなく、屋根はエアコンのみとすっきりしています。そして車内ですが、他の車両の座席は布張りですが、この車両のみ本革レザーシートとなっており、定員9名と他の車両よりもリッチな車両となっています。他には個室型のVIP室(ソファ(4人分)とテーブル、テレビあり)、VIP専用の身体障害者対応トイレと専用パウダールーム、ギャレー(給仕室)、多目的スペースが設置されています。そしてE655系を「お召列車」として運用する特別車両ですが、今回はE655系がKATOで製品化された翌年に鉄道模型コンテストの開催記念品として販売された回送仕様と、さらに翌年に製品化された菊の御紋付き仕様がセットになっていました。このE655系が製品化される際、当然ながら「お召列車」の車両でもあることから特別車両の発売も期待されたのですが、当時は許諾などの関係から菊の御紋付きは発売されず、苦肉の策として回送仕様が発売されました。(しかもコンテスト製品として)そして何とか製品化されたのがE655系が発売されてから2年ほど経過した2014年となりました。なのでE655系を2012年に購入された方は、回送仕様と菊の御紋仕様の両方を持っていることが多いようですw付属品は回送仕様は何もありませんが、菊の御紋仕様は先頭車に付ける御紋、日章旗、カプラーカバー、ステップ、前面手すりが別パーツで付属しており、ケースペーパーの裏には取り付け説明が記載されています。ただ「お召列車」にするには御紋と日章旗以外に車両に穴あけしての手すり設置なども必要とのことで、キハすきすき線区では穴あけなどは面倒なので「お召列車」には、しないかと・・・(ただ中には先頭車2両をAssy買いして通常用とお召列車用を揃えるツワモノもいるようですw)基本的には同じ特別車両E655-1なので同じですが、よく見ると中央部分の菊の御紋は回送仕様にはなく、御紋を付ける窪みがモールドで再現されています。(これに別パーツで御紋を付けてお召仕様にする方もいたそうです。)E655の3号車と4号車の間に編成することで「お召列車」や「御乗用列車」となり、回送時は菊の御紋を外して回送されたので、あまりいないと思いますが、「お召列車」等の回送シーンを楽しみたい方は、この回送仕様も必携のアイテムと思われますwこちらは他の中間車と違って電動車ではなくトレーラー車となっています。恐らく静粛性を重視しているのと、防御用の装備で重量が増えないようにする対策と思われます。(実際、付随車ですが、空車重量で40.5 tもありますw)またE655系以外にE257系、E653系、E657系に組み込んで走行することも可能なようで各車両での試運転も行われたようです。(ただ色合いが合わないので凸凹編成になりますがw)屋根上は通信機器のアンテナのみであり、エアコン機器は床下にあると思われ、すっきりしています。そして室内は恐れ多くもパカリストして中を確認したところ、今回も別色パーツで御座所である特別室の椅子は再現されていました。他には3号車寄りの車端に出入台があり、左から次室、特別室(御座所)、休憩室(御休憩室)、トイレ(御厠(おかわ))となっています。ちなみに()内は1号御料車での名称です。特別室は、大分県産の高級杉材を用いた内装に菊柄の絹織物を張ったソファ、床は9種類の伝統文様を配した手織りの絨毯となっています。他には車番はE655-1ですが、側面には記載が無く、妻面部分(1枚目左)の下部に表記されています。また特別車両には形式となる「サ」(付随車)や「ロ」(グリーン車)などの記号はなく「E655-1」のみです。そして中央部の窓は電動昇降式となっており、模型でも中央の窓のみ、他の窓と違って、少し内側に凹んで再現されています。また外装では特別室の窓下に金帯がなく、中央の窓の下に菊の御紋があり、回送仕様には御紋を取り付けるための窪みが模型でも再現されています。今回はジャンク・部品取り扱いとのことで「一か八か落札」していますが、車両の外装は問題なく、不具合は出品者の写真でも確認できた2号車のパンタグラフの架線とあたる部分の舟体が欠損していたことと、2枚目の密連カプラー内のバネ欠損のみでした。(2枚目の通り、バネが無いと連結部分が真っ直ぐに戻らずだらしない状態になってしまいますw)なのでパンタグラフは在庫が無かったので、いつも発売後、時間の経過でネットの大手では欠品しているAssyパーツを多く扱う「北斗星2014」さんからモハE657用のPS37パンタグラフを購入しました。(他にも写っていますが・・w)この「北斗星2014」さんは定価ですが、送料がゆうメールなので安く、Assy予約期間を過ぎ、ネットの大手やJoshinのキッズランド本店でも入手できない場合は、いつもお世話になっております。ポン付けで交換できるので、2枚目の通り、パンタグラフの欠損を修繕しました。それにしても交直流のパンタ周りのゴチャゴチャ感はいつ見てもいいですねぇwそれと密連形カプラーのバネもストックしているバネを使って修繕しておきました。いつものお座敷レイアウトに入線させました。1枚目は離れた位置からの撮影なので、黒っぽくなっていますが、2枚目はフラッシュを焚いて近くから撮ったのでお召列車の1号御料車のような深紅色のような色合いとなりました。このE655系は前述の通り、特別車両が無い時は「ハイグレード車両」の観光列車として運用されることからJR東日本のコーポレートカラーである黄緑のJRマークとグリーン車のエンブレムが小さく表記され、側面の行先種別幕は「団体」となっています。(特別車両が入っている時の行先種別幕は号車番号のみで種別は無地(黒一色)となっているようです)これに特別車両(菊の御紋)を3と4号車の間に組み込んでみました。この特別車両が入ることで、もともと「ハイグレード車両」でリッチな編成がさらに昇華され「荘厳な車両」となりました!妻面にチラ見えするE655-1の表記が「萌え」ですw(使い方、間違ってますかねぇ?)2012年ロットなので10年以上も経過している商品ですが、ジャンク品とは思えない走行であり、状態はバッチリでした。今年にリニューアル再販される方はスロットレスモーターに変更されるとのことですが、今回の走行具合を見ていると、特にスロットレスモーター出なくても良いように思えます。(どうしてもスロットレスモーター化したい場合はAssyで動力ユニットのみを買うのもひとつですが・・・w)4両目の特別車両に光る菊の御紋が素晴らしい・・・・ひと時の走行を楽しんだ後はネットでE655系を色々と検索していると、出てきました。1枚目のようにDD51に牽引される姿が!いきなり廃車回送か・・・いやいや、配車回送か・・・と思いきや、こちらは「お召列車」を非電化区間で運用することを想定し、E655系のデビュー前に行われた試験走行です。お召指定機であるDD51の842号機が実際に行ったようで、この時の特別車両は回送仕様だったようです。(それと全車のカーテンが降ろされた状態でした。)そうなると842号機とE655系を連結したくなりますが、E655系の先頭に付いている連結器はダミーカプラーであり、連結は・・・出来ましたw偶然です・・・操作を間違えてE655系を842号機に突進させてしまった結果、2枚目のように連結してしまいましたwただ連結は出来てもE655系側はカプラーの首を振らないので、Rのキツイカーブでは脱線や最悪、どちらかのカプラーを破損してしまうかもしれません・・・・なので先ほどの「北斗星2014」さんでパンタグラフと一緒に購入していた14系寝台客車スハネフ14用のボディマウントカプラーセットを使います。細かいところは省略していますが、先頭車の床下に取り付けるには、Assyパーツの台座を削る必要があり、2枚目の真ん中がE655系に合わせて削ったパーツです。そしてカプラーもAssyパーツはアーノルドカプラー(2枚目左)になっていますが、こちらはナックルカプラーに変更しておきました。(写真ではEF66前期型ですが、これでは短く、首振り時にボディと干渉したので、実際はナックルカプラー(長)を使用しました)左と上が換装前、右と下が換装後です。前面から見ると、ダミーカプラーの方はジャンパ栓?のようなものが再現されていますが、スハネフ14用のボディマウントカプラーにはジャンパ栓の再現が無いので、ちょっとすっきりします。(ただ個人的にはジャンパ栓がなんとなく「よだれ」のように見えてしまい、左の無い方が好みですw)上から見た際、ちょっとナックルカプラーの方が長いのですが、さほど気になるほどではありませんでした。(EF66前期型になるとカプラーヘッドの1/3ほど車体に隠れてしまいます。この隠れた部分がボディに干渉してしまい、Rのキツイカーブで首振りが悪く脱線するリスクを感じたので、変更しました。)これで現在までに非電化区間で運用された「お召列車」や「御乗用列車」はなく、試験走行のみにとどまっていますが、キハすきすき線区では、いつでも対応できるようになりました。他にはネットで調べるとEF65が甲種輸送した際、特別車両には車体に白いシート(布?)が掛けられた状態で走行しており、他にはEF81の81号機(北斗星マーク)も試験走行で牽引していたこともあるようで、今回のカプラー変更によって、楽しみ方が増えました!最後は以前に購入し、EF58の61号機、60号機(予備機)で楽しんでいるKATOのお召列車1号編成(詳しくはコチラ)の御料車1号(3代目)と特別車両を比較してみました。どちらも気品あふれる車両ですが、やはり個人的には御料車1号の方が高級感が半端なくあふれており、好きです。ちょっと気になったのが、金色の帯です。御料車1号は途切れずに引かれていますが、なぜか特別車両の方は中央部分(菊の御紋部分)は有りません。なぜだろう・・・??そして今回も恐れ多くも御料車1号を再びパカリストしました。配置は変わっておりますが、内容は似たような感じであり、御料車1号は左から次室、御座所、御休憩室、お化粧室、御厠となっていますが、特別車両の方は化粧室が休憩室と一緒になっているので、左から次室、特別室、休憩室、トイレとなっています。統合された休憩室にはベッドにもなるソファと三面鏡付き化粧台が設置されているようです。どちらも長旅に適した装備ですが、動画でお召列車の運用を見る限り、陛下はほぼ特別室(御座所)におられ走行する沿線の国民に手を振っておられ、休憩室あまり使われていないような・・・ということでリニューアル再販で買うつもりが、ヤフオクで古いロットを特別車両(2種)と共に安価で入手してしまいました。特に傷もなく、走行も快調だったので、大満足であり、また他のお召列車と一緒に楽しみたいと思います。でわでわこれから買われる方は6月にリニューアル再販されるスロットレスモーター仕様か私のようにヤフオクで旧ロットを買うか・・特別車両の回送仕様が異常なプレ値になっていますが、ヤフオクでは定価は厳しいかもしれませんが、MAX5000円位で落ちているので・・・・あとはN小屋の室内表現シールが気になりますが、KATO 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仙台はやての乗り鉄旅行ブログ
はじめに1年間にTAOYA秋保に6回も宿泊した人のブログへようこそ。TAOYA秋保の魅力や口コミ、攻略法をご紹介いたします。TAOYA秋保のことを書きまくっていた結果、『taoya秋保 ブログ』で検索すると上位に表示されるようになりました。『TAOYA秋保に泊まりました【4回目】』今年だけで4回目のTAOYA秋保です。オールインクルーシブのTAOYAはちょっと価格設定が高めですが、他のホテルが値上がりしてきた結果、コスパの高さがより一…ameblo.jp『TAOYA秋保に泊まってみた②夕食/夜食/まとめ』前回の続き『TAOYA秋保に泊まってみた①ラウンジ/部屋/温泉編』TAOYA秋保とは『岩沼屋』の歴史は非常に古く1625年(寛永2年)の創業と言われています…ameblo.jpTAOYAは日本全国で徐々に広がっており、宿泊前にどんなサービスなのかを事前に調べる人が多いようです。『旅行に行こうと思ってるんだけど、どこか良い宿はない?』と友人や同僚に聞かれると『それだったら大江戸温泉物語のTAOYAってどう?』と最近は答えることが多くなりました。東日本では秋保、川治、那須高原、日光霧降と観光したい場所によって選べます。熱海や箱根あたりにもそのうち開業しそうな予感がします。どんな宿でどんなサービスがあるのかについて、私なりに改めて書いていきたいと思います。TAOYA秋保とはTAOYA秋保は2023年6月に仙台の奥座敷と呼ばれる秋保温泉に開業した宿です。もともとは岩沼屋と呼ばれ、400年以上の歴史がある宿だったのですが、2020年に大江戸温泉物語ホテルズ&リゾーツに事業譲渡をリブランドオープンしています。写真は本館で、他に別館があります。TAOYAの一番の魅力は今話題のオールインクルーシブなので、追加料金なしでどんなサービスを楽しめるのかを紹介します。フロント玄関部分は黒基調で高級感があります。秋保温泉では駐車場が遠く、送迎バスを運行しているホテルもありますが、TAOYA秋保は一番奥に停めても徒歩3分くらいの印象なので近いです。ここで荷物を積み下ろししている方を多く見かけます。ロゴが入った壁面部分は記念撮影スポットとなっています。有料の普通充電器も設置され、EVの方は満充電で翌朝には出発することが可能です。フロントは和の雰囲気です。翌日の精算は機械で行います。部屋のキーに付いているICタグをタッチすると精算がスタートします。支払方法は現金かクレジットカードです。暖炉は夜になると実際に薪が燃えていました。間接照明を多用したオシャレな雰囲気になっています。1部屋あたり泊まる人数が多いせいか人が滞留していることが多いですが、椅子はたくさんあるのでどこかには座れるように感じます。ちなみに喫煙所のスペースは岩沼屋から変わっていない数少ない場所のようです。ラウンジチェックインの手続きを完了した方、もしくは手続きを待っている方は早速ラウンジへやってきます。こちらにも40人くらいが座れるスペースがあります。皆さんのお目当てはこちら。ビールなどのアルコールが無料で飲めます🍺しかも夜までいつでも使用可能です。バーにあるようなビールサーバーは触り慣れていないのでちょっと新鮮な体験です。ハンドルを手前に引くと出てきますが、奥に倒すと泡が出てくるのでうまく使い分けてください。アルコールのラインナップはアサヒ生ビール、樽ハイ倶楽部のレモンサワー、ブラックニッカハイボールの3種類、おつまみはミックスナッツやくるみゆべしがあります。なお、おつまみは夜になるとわさびセサミとドライフルーツ(バナナ)に変わります。ソフトドリンクはコーヒーやカフェオレを1杯ずつ抽出するサーバーが2台とコーラやメロンソーダ、ジンジャエールにリンゴジュースと緑茶のドリンクサーバーが設置されています。他にも緑茶や紅茶のティーバッグ、アイスキャンディーとシューアイスも用意されています。コーヒーサーバーは1台だったのが2台に増え、前の機械が割と操作が難しかったので改善されました。こちらのドリンクサーバーが設置されたため、以前にあったサプリメントドリンクやお酢を使ったドリンク、玄米茶は無くなっています。後ろにお酒がたくさん並んでいますが、あくまでもデザインです。ここでTAOYA秋保の攻略法を1つお教えします。ラウンジで飲みすぎ&食べ過ぎないでください。なぜなら夕食時には料理はもちろん、もっと良いお酒やアイスクリームが用意されています。先にネタバレしてしまうと、ビールの場合、夕食会場で呑めるビールはアサヒ熟撰というプレミアムビールですし、アイスもハーゲンダッツが用意されているので、正直ここでお腹を満たしてしまうのは勿体ないです。なお、仙台駅前からの送迎バスが14時45分頃に到着し、自家用車組も15時から増えるので、15~16時はラウンジは混雑することが多いように思います。夕食が始まる17時になるとかなり空席が増え、夜は座れないほど混んでいる様子は見たことが無いので、使うチャンスはいくらでもある場所なので慌てる必要はありません。②【部屋・温泉】に続く『TAOYA秋保に宿泊しました②【部屋/温泉】』①【ラウンジ】の続きとなります。『TAOYA秋保に泊まりました①【ラウンジ】』はじめに1年間にTAOYA秋保に6回も宿泊した人のブログへようこそ。TAOY…ameblo.jpTAOYA秋保楽天トラベル
道路族ぱわふるのぶらり道日記
みなさん、こんにちわ。15日と16日の休日の日記ですよ。さて。まずは15日。この日はお彼岸に備えてお墓の掃除。その後、ランチタイム。久々に市内のラーメン屋さん、彦まるに向かいました。入店して、こくまろ味噌中華の餃子3個ミニライスセットを発注。スッキリ系スープだけど、コクのある美味しいラーメン。さらに、餃子は味噌タレで戴くというスタイル。これが美味しいんだ。とても美味しく戴きました。さて。この後はちょいと市内をぶらぶらしてから洋野町にあるアグリパークおおさわに向かいました。この日は、ここで温泉タイム。程よい熱さのサウナとキンキンに冷えてやがる水風呂を2ラウンドして整ってから内湯でじっくりと温まりました。そして、露天風呂に。心地よい熱さの露天風呂とキンキンに冷えてやがる風の外気浴を交互に満喫しました。んで、この後は帰宅。自宅で夕食にしました。そして、次の日の16日。この日は天候が荒れるとの予報だったので、自宅でダラダラして過ごしました。
hatahataの撮影日記
こんばんはhatahataです。3月15日はダイヤ改正の日ですが改正前に色々と撮りたい列車があり先延ばししていた菜の花畑に行ってみました。先ずは伊勢志摩ライナー赤色から・・・三本松~赤目口 伊勢志摩ライナー 23000系ビスタカー 30000系急行 伊勢中川行 2610系+2410系クーラーカバーが連続していない初期車ですね。これも古いですよ。特急ひのとり 名古屋行 80000系観光特急しまかぜ 50000系そしてお目当ての列車です。特急 賢島行 ミジュマルライナー 23000系こちらのカメラはさらにサイド気味に撮影ここでは久しぶりに前の週伊吹山でニアミスしていたFFさんとお会いしました。この後は名古屋からやって来る団体列車の撮影で少し移動します。ご覧頂きありがとうございました。
北へ南へ東へ西へ
3/1は赤電が15両編成で走ったのでその撮影をした。赤電を撮ってから直ぐにイエロージョンキルが上ってくるので待って撮影した。8M ひたち8号 品川行 E657系 K2 2025.03.01ここは昔から良く通った撮影地E653系時代のイエロージョンキルも貼っておきます1036M フレッシュひたち36号 上野行 E653系 K303+K351 2011.02.0414年も前だけど周りの風景は全く変わらない