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  1. 毎年、この時期はJRグループのダイヤ改正が行われますが、近年は名列車の廃止や時代を彩った車両の引退といった寂しい話題が目立つように感じます。そういえば10年前の今日3月13日は国鉄初の北海道用交流電車711系の運用が完全撤退し、寝台特急北斗星定期運行ラストランの出発、そしてJRグループとしては最長走行距離を誇った寝台特急トワイライトエクスプレスが終着駅に到着した日でありました。今回は、その2015年3月13日にタイムスリップし、その日の事を思い出すべくブログにしたいと思います。尚、記事写真には一部お見苦しい画像もございます。ご了承ください。その日、私は特別に休暇を貰い、711系ラストラン列車となる札幌行144Mの出発駅である岩見沢まで愛車で向かいました(車は駅近くの有料🅿に駐車)。学園都市線の始発に乗れば144Mの時刻に間に合わない事はないのですが、少しでも早く岩見沢に向かいたいという一心で。まず向かったのは駅舎1階にある観光案内所。ここでは711系ラストラン関連グッズが売られており、私もそのいくつかを購入しました。その詳細は後程触れる事にしましょう。北海道民に長く愛された711系のラストランという事もあり、TVクルーの姿も…。グッズ購入後は改札をくぐり、144Mの出発する3番線ホームへ向かおうと思ったのですが、入線シーンを撮りたくて1番線ホーム側で待機する事にしました。当時の時刻表をお持ちでない方のために、144Mのダイヤを記載しておきます。岩見沢 7:49発③上幌向 7:54発幌向 7:59発豊幌 8:03発江別 8:08着/8:09着高砂 8:12発野幌 8:15発大麻 8:19発森林公園 8:22発厚別 8:25発白石 8:30発苗穂 8:35発札幌 8:38着③前日までに他の711系運用は全て撤退しており、この144Mが最後の運用となる事が予めJR北海道のHPで予告されていたのです。1番線ホームで待ち構えていると、7:40頃でしょうか?ラストランの大役を担う6連が入線してきました。編成は岩見沢方にS-116、札幌方がS-111で、いずれも先頭車が3扉に改造された編成でした。711系のラストラン企画として、かつて取り付けられていたヘッドマークを模した「さよなら711系」のステッカーが貫通扉部に貼られており、岩見沢方先頭車クハ711-216は「快速いしかりライナー」をモチーフにしたデザインでした。入線を見届けた後は3番線ホームへ赴きます。岩見沢のシンボルでもあったばんえい競馬。今もこの木彫りの像は残っていますが、711系との顔合わせもこの日で最後。札幌行の方向幕。国鉄書体でないのが残念ですが…。先頭を飾るクハ711-111のヘッドマークステッカーは「マリンライナー」を模したモノとなっていました。結局、撮影に没頭したため座席の確保は二の次に…。144Mで乗車したのは、走行音重視で2両目のモハ711-111を選びました。発車を待つ144M。勿論ここにもTVクルーの姿があり、実は某u局のニュースに私の姿が映っていました…(汗)さて…私が着席したのは車端部のロングシートで、なおかつ雪切室の向かいという修行席ともいうべき位置。まぁとにかく711系のラストランに乗れればいいのと、独特の走行音を楽しもうという趣旨からでした。岩見沢からは多くの鉄道ファンが乗り込みましたが、座席の全てが埋まる程ではありませんでした。しかし途中駅から通勤通学客が乗り込み、幌向あたりからは立ち客も出る程の混雑となりました。その幌向駅付近では、「ありがとう711系」の横断幕を掲げたファンの姿も。江別駅からは通路にまで乗客が溢れる程の混雑となりましたが、ここで残念な事がありまして。ヘッドホンステレオを大音量で流しているイカレポンチな若い男が私の向かい側に乗ってきて、せっかくの走行音もシャカシャカ音で台無しに(怒)!惜別ムードに水を差されてしまいました。注意したくても走行中の車窓を動画で撮っていただけにソレもできず…。迷惑なのは鉄ヲタだけではありません!!途中の行程は省略しますが、札幌駅到着前のラストラン放送を聴く事ができましたので紹介します。「1968年(昭和43年)から47年に渡り親しまれたご乗車の赤い電車711系は本日この札幌駅到着をもちまして営業運転の役目を終え引退いたします。皆様におかれましては長年に渡るご愛顧、誠にありがとうございました。どうぞこの電車との思い出もお忘れになりませんよう、少しでも長くご記憶に留めて頂けましたら幸いでございます。」終着札幌駅は途中駅からの混雑もあって、約3分程遅れの到着となりました。私が岩見沢駅舎内の観光案内所で購入した711系グッズの1つがコチラのサボ。5枚限定で¥7110という決して安いモノではありませんでしたが、711系の思い出としてつい買ってしまいました。そのサボを下車後に急行札差しに入れて記念撮影…。もう1つがこの「赤い電車まんじゅう」。岩見沢駅前にある有名な「天狗まんじゅう」謹製で、コチラは帰宅後に美味しく頂きました。尚、記念グッズ購入者にはD型硬券の「お別れ記念券」と、711系とそのヘッドマークがあしらわれた特別デザインのポケット時刻表がプレゼントされました。バックに写っている新聞は当日の夕刊社会面に掲載された711系のラストラン関連記事。さて…最後の任務を終えた711系は到着から約7分後、車両基地である手稲へと向かっていきました。711系の雄姿を見送った後、私は寝台特急トワイライトエクスプレスの最終列車の到着を見届けるべく、5番線ホームの端へ移動する事にしました。3・4番線ホーム端は取材クルーに占領されていて一般客の立ち入りはできなかったのです。そして現れたトワイライトエクスプレスの最終列車!先頭はDD51 1143、次位はDD51 1095でした。到着を見届けた後は、3番線ホームへ向かい車両見物。結局一度も乗る事なく終わってしまったトワイライトエクスプレス…。せめて上下のどちらかでも乗っておくべきでした(涙)。トワイライトの車両は10数分後に、札幌運転所へ向けて回送されていきました。尚、午後には宮原へ向けて返却回送が行われたそうですが、私はソレに立ち会わず。それから私は岩見沢までマイカーを取りに電車で戻り、一時帰宅。そして夕方、再び札幌駅へ戻ってきました。寝台特急北斗星定期運行ラストランを見届けるためです。DD51 1137+DD51 1100の牽引で現れた上り2ㇾ北斗星。私は定期時代の北斗星には一度しか乗った事がありませんが、その時の先頭を飾ったのが1137号機でして、コレには感慨深いモノがあります。同機はタイに渡って工事用列車として活躍しているのはご承知の通りかと。定期運行としては最後となった北斗星ですが、4月2日から臨時運行が始まったため札幌駅ではこの方向幕がしばらくの間見る事ができました。「寝台特急北斗星」のLED発車標表示もこの日限り。4月3日(上り列車)からの臨時運行時は「臨時寝台特急北斗星」の表記となっています。隣の「区間快速いしかりライナー」も過去のモノに…。7号車食堂車はシャワーカードを買い求める客でごった返していましたが、中にはメッセージボードを持ったファンの姿も。札幌駅ホームで見られた夜行列車の乗車口案内札。17:12、北斗星は札幌駅を離れ、最後の旅に就きました。そして翌日の到着を以て、定期寝台特急列車の歴史に幕を下ろす事となったのです。以上、10年前2015年3月13日の記録でした。寝台特急北斗星に関してはその年の4月以降、臨時列車で3度乗っており、いずれも他媒体でブログ化してはいるのですが、もう10年も経過しているのでアメブロ版として再構成してお届けしようと思っております。

    あれから10年…【711系引退・北斗星定期運行終了・トワイライトエクスプレスラストラン】
  2. 船橋新京成バス 他
  3. 1/87 12mm 八雲工芸製 国鉄C62ニセコ・ゴールデンコンビを仕上げる Vol 1
  4. 【主な乗り物:「中央道特急バス」名古屋-長野線、夜行高速バス「ドリーム静岡・浜松」号、東海道新幹線、高速バス長野-妙高高原線】もうじき日付が変わる頃合いに、東京駅八重洲南口バスターミナルに足を踏み入れると、何台もバスを連ねた23時40分発の名古屋行き「ドリームなごや」3号と、同時発車の古川行き「ドリームササニシキ」号が改札中だった。大きな荷物を抱えた帰省らしき装いの人々が多く、平成17年も押し迫ったな、と思う。テールランプを輝かせて「ドリームなごや」3号と「ドリームササニシキ」号が八重洲通りに出て行くと、潮が引いたかのように人影が疎らになり、冷たいビル風が一段と強まったようだった。今年は冷えるな、と思わず身震いした。残っている出発便は、23時50分発の豊橋・伊良湖崎行き「伊良湖ライナー」号と、同時発車の浜松行き「ドリーム静岡・浜松」号だけである。後者が僕の今夜一晩の宿なのだが、酔狂だよな、と自嘲したくなる。東京から浜松まで、東海道新幹線ならば257.1km、「ひかり」で1時間半と掛からない短距離の区間を、寄りによって夜行高速バスで移動しようと言う趣向である。東京と静岡の間の道行きは、僕が生まれて初めて体験した「東名ハイウェイバス」以来の馴染みだった。あの時の3時間半の車中は、すっかり僕を高速バスの虜にして、以後の人生を大きく変えた、と言っても過言ではないと思っている。学業も、卒業後の職業も、運輸関係とは全く関係ないけれども、暇さえあれば、僕は高速バスの旅を楽しみ、安らぎや勇気を貰ってきた。そのような思い入れのある区間であるけれども、まさか、夜行高速バスが走り出すとは思ってもみなかった。最終の新幹線は、浜松ならば東京21時31分発の「こだま」519号、静岡は22時07分発の「こだま」521号に乗れば、日付が変わる前に着く。運行する事業者としては採算が見込めるから開設したのだろうが、果たして、23時50分発で所要6時間を超える夜行高速バスに、どれほどの利用者がいるのだろうか、と興味が尽きなかった。『お待たせしました。静岡、浜松行き「ドリーム静岡・浜松」号が1番乗り場に到着しました。御利用の方は1番乗り場までお越し下さい』との場内放送とともに、横づけされた2階建てバスの乗降口に並んだ乗客は、意外と多かった。世の中の価値観の変化を実感する。つい最近まで、人々が交通機関に求めていたのは速達性に尽きる。ただし、新幹線や特急列車が走っている区間でも、廉価な鈍行列車を利用する人々が存在したことも事実である。その最たる例が、昭和43年に東京と大阪を結ぶ夜行普通列車の廃止を国鉄が発表すると、少なからざる反対意見が国鉄総裁を動かし、「大垣夜行」として継続した出来事であろう。昭和の終わりから全国に高速バス路線が多数開業したのも、速さよりも安さを重視する需要が増加した表れかもしれない。加えて、昨今は、ビジネスやイベントなどを目的に地方から大都市圏に出向き、可能な限り遅い時間帯まで滞在したい旅客を想定した、いわゆる「終電」代わりの高速バス路線が目立つようになってきた。後の話になるが、僕の故郷である長野市は、東京との距離が浜松とほぼ同じであるが、新宿-長野線は、平成19年6月に下り便で新宿21時10分発・長野0時47分着という深夜便の運行を開始し、平成22年8月には、やはり下り便だけに新宿23時30分発・長野4時52分着という夜行便を新設している。同様に、深夜0時を跨いで大都市から地方都市に向かう深夜便が、あちこちの高速バス路線に設けられるようになった。振り返れば、昭和60年代からのバブル経済最盛期に、残業や飲み会で終電に間に合わない通勤客のために、近郊への「深夜急行バス」が登場している。同じ時期に、24時間営業のコンビニエンス・ストアやレストラン、飲み屋が増え、テレビが終夜放送を開始して、世の中はどんどん夜更かしになっていた。高速道路網の拡大に伴って、近・中距離の通勤客ばかりでなく、地方に住む人々に似たような要求が生じたのだろうか。長野や静岡に住んでいても、TDLの「エレクトリカル・パレード」を見てから帰路につきたい、という需要が存在しても不思議ではない。新幹線は料金が高く、しかも午前0時前に運転が終了してしまう。「ドリーム静岡・浜松」号が開業したのは、この旅の1週間ほど前の平成17年12月22日であるから、そのような「終電」代わりの夜行高速バスに先鞭をつけた、と言えるだろう。それにしても、廉価な交通機関が持て囃されるとは、喜んで良い風潮なのか。当時の小泉純一郎首相の政策もキャラクターも、僕は嫌いではなかったが、確実に社会の格差は広がったように感じていた。「官から民へ」と、小さな政府を目指して民間の活力を利用する、とは聞こえは良いし、納税者としては税負担が減るならば歓迎すべきであろうが、経済的弱者に対するセーフティネットが疎かにされるのは問題視せざるを得なかった。きっかけは、イラクやアフガニスタン在住の日本人が拉致や殺害された事件だったように記憶しているが、「自己責任」という言葉を首相が多用し、世の中でも様々な場面で肯定的に使っていた人物が少なくないように思うのだが、この頃から、政府や行政、そして世論が、個人の振る舞いに対して厳しい見方をするようになったと感じるのは、僕だけだろうか。デフレ不況に喘ぐ国民を見放しているかのように曲解されかねない言葉だったように思う。8月に、首相のライフワークとも言うべき郵政民営化の関連法案が参議院で否決され、首相が衆議院を解散した時の記者会見を、僕は格好いい、と感じたが、よく考えれば、参議院の議決について衆議院を解散するとは筋違いである。後に、医療政策に詳しい高名な医師が、「皆さん、医師として、まさか、あの選挙で自民党に投票してませんよね?」と、講演で医療制度改革の是非を問う選挙でもあったことを示唆した時、そのまさかの投票行動に出ていた僕は、何処かに隠れたくなった。公的病院の整理と病床数の削減、医師数の規制、診療報酬の引き下げ、保健所の統廃合、医療費の自己負担の増大など、後年の新型コロナウィルス流行で露呈した我が国の医療の弱点は、この頃に萌芽していた。衆院選で自民党は大勝し、自身の政策に反対する議員を「抵抗勢力」と呼び、自民党の候補者であっても「刺客」と呼ぶ対立候補を擁立する手法を「小泉劇場」と呼ぶ言葉は、この年の流行語大賞を受賞している。2階建てバスの中央扉から、頭を天井にぶつけないよう首を竦めながら2階の客室に昇ると、横3列独立席がずらりと並んでいる。近距離だから横4列席の車両かもしれない、と危ぶんでいたので、これならばよく眠れるだろう、と安心した。先に発車した「ドリームなごや」号も同じ設備のダブルデッカーであり、名古屋駅到着が翌朝の6時ちょうどであるから、「ドリーム静岡・浜松」号の所要時間は東京-名古屋間に匹敵するので、それに相応しい豪華な車内である。昼行便で3時間半の行程を倍近くに伸ばすからくりは、東名高速道路を低速で走る訳にもいかないので、1人で終点までハンドルを握る運転手の仮眠も含めて、途中で長時間の休憩をとるのだろう。定刻に東京駅を後にすると、首都高速道路に乗るか乗らないか、という頃合いで、僕は、すとん、と眠りに落ちた。夕方までは普段通りの仕事をしていたので、疲れていたのかもしれない。ふと気づくと、バスは東名高速の足柄SAでの休憩のために減速しており、いったんはバスを降りて身体を伸ばした記憶があるけれども、その後は全くの白河夜船であった。早暁4時台に着くはずの東名静岡と静岡駅も、高速道路上のバスストップである東名吉田、東名菊川、東名袋井も、停車して降車客がいたのかどうかすら覚えていない。覚えているのは、真っ暗な早暁の浜松駅でバスを降り、広い駅前バスターミナルを駅舎に向かってふらふらと歩いたことだけである。6時15分の到着予定よりも早かったのか遅れたのかも判然としない。確かであるのは、昼間の「東名ハイウェイバス」よりも短く感じたことである。開港したばかりの中部国際空港行きのリムジンバスが待機していて、乗りたくなった。平成の初頭に「東名ハイウェイバス」東京-浜松線や、静岡と浜松を結ぶ県内高速バスで訪れたことのあるバスターミナルが、見違えるように一新されていることに驚いた。浜松を出る新幹線の下り始発列車は、6時30分発の「こだま」491号で、名古屋に7時14分に到着する。せっかくのんびりと夜の道行きを楽しんだと言うのに、せわしなく新幹線に乗り換える理由は、この旅の目的が「中央道特急バス」名古屋-長野線に乗るためだからである。昭和50年8月の中央自動車道中津川-駒ケ根間の部分開通に伴い、それまで一般道経由で運行されていた名古屋と飯田を結ぶ「名飯急行バス」が高速道路に乗せ替えられて、所要2時間余りの「中央道特急バス」に生まれ変わった。以後、昭和51年5月に名古屋-駒ヶ根・伊那線、昭和63年9月に名古屋-松本線、平成元年7月に名古屋-諏訪・茅野線が相次いで開業した。長野市出身の僕は、飯田、伊那、松本、茅野と北上してきた「中央道特急バス」が、名古屋-長野線をなかなか開業しないことにやきもきしていた。平成5年に長野自動車道が開通して、更埴JCTで接続する上信越自動車道の長野ICまで通じた時に、てっきり名古屋から長野まで高速バスが走るものと期待していたのに、空振りに終わった。平成17年7月に、長野を素っ飛ばして名古屋-新潟線が先に開業すると、先を越されたか、と殊更に悔しくなった。なぜ、長野より新潟なのか、と首を捻った。その2ヶ月後、同年の9月に「中央道特急バス」名古屋-長野線がようやく開業した。待ちくたびれたぞ、と溜め息が出たものの、嬉しさの方が間違いなく強かった。この年に開催された愛知万博の輸送のために、「中央道特急バス」の名古屋側の受け入れ事業者である名鉄バスが手一杯になり、開催期間中の名古屋-新潟線は、新潟交通の単独運行だったと聞いた。名古屋-長野線は愛知万博後の開業となった訳だが、そこで新潟を優先したのか、と忸怩たる思いになったのは変わりがない。長野への高速バスは、ビジネス・チャンスとも言うべき愛知万博に間に合わなかったのである。それほど、名古屋と長野を行き来する旅客は少ないのだろうか。同じ区間を走る特急列車「しなの」でも、下り列車で松本を過ぎると空席が目立つようになるから、そのあたりが「中央道特急バス」名古屋-長野線の開業が遅れた真の理由なのかもしれない。どのような裏事情があろうと、待望の高速バス路線が走り始めたのだから、乗らない訳にはいかない。開業当初の「中央道特急バス」名古屋-長野線は1日4往復で、下り便の名鉄バスターミナルの発車は7時20分と9時20分、15時10分、18時20分である。午前6時過ぎに浜松にいる人間が、名古屋を7時20分に発つ交通機関に乗れるのかどうか、東海道新幹線の運転ダイヤ次第である。浜松からの朝1番の列車が、発車の6分前に名古屋駅に到着し、構内のJRバスターミナルならばともかく、別の建物である名鉄バスセンターに間に合うとは到底思えない。ところが、「こだま」491号の車内で名古屋駅の到着案内に耳を傾けているうちに、7時20分のバスに乗りたい、と欲が出た。別に、長野で急ぎの所用がある訳でもなく、単に実家で母が待っているだけである。列車がホームに滑り込む前に席を立ち、扉が開くや否や 番線ホームに飛び出して階段を駆け下り、広小路口の改札を蹴飛ばすような勢いで通り抜けた。名鉄バスセンターは、名古屋駅の南隣りにある名鉄百貨店の3階と4階にある。バスセンターが面している名駅通りの、巨大な「ナナちゃん人形」が屋根からぶら下がった歩道は、何度も行き来したことがある。ところが、この日に限って近道をしようとしたためか、名鉄バスセンターの裏口の非常階段のような通路に迷い込んでしまい、3階のバスセンターまで息せき切って駆け昇る羽目になった。「尾灯オーライ」という言葉がある。国鉄の車掌が乗務列車に乗り遅れることを諧謔的に指した言葉であると、元国鉄車掌だった作家の壇上完爾氏の本で読んだことがある。「尾灯オーライ」とは、発車を見送る駅員が列車最後尾の赤灯を指さし確認する事であるが、それを車掌がする羽目になるという状況が、深刻な事態にも関わらず、どこか可笑しみを感じさせる。階段の途中で腕時計を見て、これは駄目だ、と思ったものの、何らかの事情で発車が数分遅れるかもしれない、との淡い希望を抱いたが、結局は、長野行き「中央道特急バス」の後ろ姿を、汗だくで「尾灯オーライ」をすることになった。2時間後に次の便があるのだから、落胆するには及ばないが、それならばわざわざ「ドリーム静岡・浜松」号に乗らなくても、朝に東京を発つ東海道新幹線でも充分に間に合う。いったい何をしておるのか、と自噴しつつ、いやいや、僕は「ドリーム静岡・浜松」号に乗りたかったのだ、と自分に言い聞かせたが、悔しさは収まらない。夜行高速バスに乗りたい気分だったのならば、前夜に見送った「ドリームなごや」号を選べば、7時20分の便にも間に合ったのだが、僕には、出来る限り未経験の高速バスに沢山乗りたいという、一種の収集癖がある。未乗の新路線を差し置いて、何度も乗車したことのある路線に乗るのは、僕の矜持が許さない。「尾灯オーライ」のおかげで1時間の猶予が生じたので、バスセンターの1階にある喫茶店で、名古屋らしく、安くてボリュームのあるモーニングを楽しむことが出来た。今でこそ、名古屋に本社を置くコメダ珈琲店が全国に展開しているが、名古屋に第1号店が開店したのは昭和43年で、首都圏への進出は平成5年である。モーニングサービスの起源は、繊維業が盛んであった愛知県一宮市で、昭和30年代に、商談で朝から集まった客にピーナツやゆで卵を出したことという説や、同時期に豊橋駅前の喫茶店で、従業員の賄いとして出したパンを客に提供するようになったのを発祥とする説などがあるらしい。喫茶店の数と利用者数が飛び抜けて多い中京圏では、朝にドリンクを注文する客に対し、厚切りトーストやゆで卵、ミニサラダ、フルーツ等が無料あるいは格安で提供される「中京式」とも言われるサービスが一般的だと言うのだから、羨ましい。東京にコメダ珈琲店が進出した頃、モーニングサービス時間にドリンクを注文すると、トーストとゆで卵、もしくはタマゴサラダか小倉あんが追加料金なしでついてくるので、仰天したものだった。名古屋の喫茶店は凄いらしい、との噂は前々から耳にしていたので、いつかは利用してみたいと思っていたのだが、名古屋での乗り換えは常に接続が良すぎて、機会に恵まれなかった。名にしおう名古屋のモーニングを味わうために「中央道特急バス」名古屋-長野線を1本遅くしたのだ、と解釈すれば、幾らか気分が和らぐのは、バスファンとしてあるまじき思考と言うべきか。思わぬ朝食にまったりとした気分になり、時の経つのを忘れて、危うく9時20分の便を「尾灯オーライ」するところだった。これを逃すと午後までバスがない。息せききって3階のバスセンターに戻ると、程なく、『6番乗り場のバスは、9時20分発の長野行きです』と素っ気ない案内放送が流れ、「長野・善光寺」と行先を表示した、白地を基調にした爽やかな塗装の名鉄バスのハイデッカーが姿を現した。名鉄バスセンターで、故郷の地名を掲げた高速バスを目にすることを、僕は長年待ち望んでいた。少なからず感慨が湧いてくるけれども、乗降口に集まった乗客は20名に満たなかった。年の瀬の多客期にしては、少なすぎるのではないか、と一抹の不安が胸中を横切る。地方を発着する高速バスは、東京、名古屋、大阪と、我が国の三大都市に路線を展開するのが常道である。長野市は高速道路の建設が遅れたために、平成元年12月に大阪、平成4年4月に東京、そして平成17年9月に名古屋と、路線の誕生が奇妙な順番になったものの、大阪方面の「アルペン長野」号と「サザンクロス」号・「ナガデンエクスプレス」号、東京方面の「中央高速バス」新宿-長野線に開業直後に乗車した時は、いずれもかなりの盛況だった。例外だったのは東京を行き来する「ドリーム志賀」号で、あまりの空き具合に先行きを危ぶんだものだったが、案の定、平成11年に廃止されている。「ドリーム志賀」号は、高速道路が未完成の区間で一般道を走行して所要時間が長く、また、東京と長野程度の距離を夜行高速バスに乗る需要が少なかった、と言い訳することも可能であるが、「中央道特急バス」名古屋-長野線は、終始、完成済みの高速道路を走行する昼行路線であるにも関わらず、乗客数は「ドリーム志賀」号に次ぐ少なさだった。それほど、名古屋と長野を行き来する旅客流動が少ないのか。それとも、並行する特急「しなの」の競争力が群を抜いているのか。定刻きっかりに乗り場を離れた長野行き「中央道特急バス」は、途切れることなく電車が行き交うJRと名鉄の線路を見下ろしながら、3階のバスセンターから地上へ降りるスロープを下っていく。身体をすっぽり包み込むバケットシートの座り心地は申し分ない。バスが出発する瞬間の味わいはこよなく楽しいもので、13時44分に長野駅に着くまでの車中を愉快に過ごせそうだと、心が弾む。かつて、名古屋の中心部から、東名高速と名神高速が接続する小牧ICまで、飯田、駒ケ根・伊那、松本、諏訪・茅野に向かう「中央道特急バス」の大半は、国道22号線名岐バイパスを使ったものだった。今では、名古屋高速道路が縦横に張り巡らされているが、逆に、僕が名古屋発着の高速バスに乗る機会が減ってしまったので、どうしても頭に入らない。名駅ランプから名古屋高速都心環状線に入り、東片端JCTで1号楠線、楠JCTで11号小牧線へとたどっていく経路が最短のように思えるのだが、実際にバスがその経路を通ったのか、定かではない。背の高い防音壁に視界を遮られた都市高速の造りは、どこまで行っても画一的で、どこをどのように走っているのかを知る術は、ランプやジャンクションなどの標識に書かれた馴染みのない地名だけである。他の都市高速道路に比べて、名古屋高速はいつもすいているのが慰めであろうか。高さ245.1mのオフィス棟と高さ226mのホテル棟から成る2対のJRセントラルタワーや、高さ247mのミッドランドスクエアなど、防音壁の向こうに見える名古屋駅周辺の摩天楼が、少しずつ遠ざかって行く。空はすっかり晴れ上がって、筋雲だけが幾条も流れている。ぎっしりと道路を埋め尽くした車に囲まれながら、ベルトコンベアに運ばれているような名岐国道より、遥かに眺めがよく、爽快な旅立ちである。名神高速道路上り線に入って速度が上がったかと思えば、直ぐに中央道を分岐する小牧JCTで、バスは曲線がきつい接続路で慎重に速度を落とす。並走するJR中央西線では、多治見のあたりまで都市近郊の雰囲気が続くけれど、中央道の車窓は、かなり手前から鄙び始める。曲がりくねったハイウェイがすり抜けていく丘陵の起伏が深くなり、いつしか、そそり立つような山々に入れ替わっていることに気づけば、岐阜と長野の県境を隔てる恵那山トンネルが近い。国境のトンネルを抜ければ、伊那谷は雪景色であった。道端の田園や家々の屋根も、木曽・赤石山脈も、疎らではあるが白く染まっている。伊那谷を俯瞰するのは、河岸段丘の中腹に建設された中央道が通じてからのことであるが、馴染み深い景観であっても、温暖な南信で雪を目にしたのは初めてだったかもしれない。帰ってきたな、と思う。ただし、目的地の長野市は、まだ180kmの彼方である。改めて、信州の広さに思いを馳せた。気になるのは、「中央道特急バス」名古屋-長野線の運行距離と所要時間である。特急「しなの」が3時間前後で結び、在来線時代の特急「あさま」の上野-長野間の所要時間と大差がないので、子供の頃から、名古屋と東京は、長野から同程度の距離なのだと思い込んでいた。実際の「しなの」の運転距離は251.5km、在来線時代の「あさま」は220.8kmである。関越道と上信越道を経由して、新宿もしくは池袋と長野を結ぶ高速バスの所要時間が3時間40分、「中央道特急バス」名古屋-長野線が4時間20分であり、どうしてここまで差が生じるのか、と不思議だったが、どうやら高速道路の線形が原因のようである。池袋駅東口から長野駅西口まで運行する高速バスの走行距離はおよそ230km、名鉄バスセンターから長野駅までが約280kmであり、名古屋-長野間でも東京-長野間でも、高速道路が鉄道より遠回りをしている。加えて、「しなの」よりも「中央道特急バス」名古屋-長野線の運行距離が30kmほど長く、地図を見れば、中津川から塩尻まで、木曽谷を貫く中央西線の方が、伊那谷を縦断する中央道よりも短いようである。たかだか30kmの差で、高速バスは特急電車より1時間以上も長く掛かってしまうのか、と慨嘆するより、ここは「しなの」の俊足を讃えるべきであろう。未来の話になるが、平成24年に「中央道特急バス」名古屋-長野線は、1日4往復から2往復に減便された。やっぱり、と頷かざるを得なかったが、落胆した。減らされた2往復が、「中央道特急バス」名古屋-松本線に回されたと聞き、松本と長野の間に壁でもあるのか、と驚いた。どうやら名古屋-松本線の乗車率は上々らしい。松本駅でガラガラになる下り特急「しなの」を思い浮かべた。「しなの」の名古屋-松本間の所要が2時間あまり、同じ区間の高速バスは3時間20分であるから、鉄道と高速バスの差は似たようなものである。この頃に、そのような言葉は耳にした覚えがないのだが、いわゆる「4時間の壁」であろうか。所要時間が4時間を越えると利用客が敬遠するという「4時間の壁」が大きく騒がれたのは、平成28年3月の北海道新幹線の函館開業ではなかったか。最速の「はやぶさ」における東京-函館北斗間の所要が4時間02分であると盛んに報道され、たった2分にそれほど目くじらを立てるのか、と呆れた記憶がある。高校の同窓生に、「4時間の壁」に弱い男がいる。Facebookで、乗り物で4時間を越えると無性にイライラする、と書いていた記憶がある。困ったことに、鉄道が嫌いではなく、子供と寝台特急「北斗星」に乗車して北海道へ渡り、「これは例外です」と投稿して、同窓生から散々冷やかされていたが、気持ちはよく分かる。所詮、「4時間の壁」なんぞは、気持ちの持ちようなのではないか。ところが、「中央道特急バス」における長野と松本の明暗を目の当たりにすると、それほど僕らは忙しいのか、と首を傾げたくなる。話を戻せば、名古屋-長野線は、令和2年に1日1往復という惨状になってしまい、新型コロナウィルスの流行で長期運休したまま、他系統の「中央道特急バス」が復活した令和5年2月の時点でも、まだ運行が再開されていない。岡谷JCTで長野道に入り、塩尻峠を越えた安曇野も雪が積もっていたが、残念ながら、伊那谷や諏訪盆地、塩田平、佐久平、善光寺平などと異なり、高速道路で全景を見通せる場所がないのは、安曇野のために惜しいと思う。筑摩山地を幾つものトンネルで走り抜け、姨捨SA付近に差し掛かると、雪で白く染まった善光寺平の眺望に胸が熱くなった。故郷の雪景色は、久しぶりであった。子供の頃の長野市の積雪量は、決して少なくなかったとの印象があり、交通機関に影響が出るような大雪の頻度は低くても、冬になれば市街地でも雪が完全に消えることはなかったように思っている。長野市街北部の箱清水にある長野地方気象台での観測では、年間降雪量が以前の平年値に比して100cmほど減少しているとする報告がある。一方で、僕が故郷を離れた昭和60年代から、長野県内で気温が上昇傾向にあると指摘した研究資料があり、10年間の最高気温が0.54℃、最低気温も0.32℃上昇したらしい。県内における最大積雪量と気温の相関を見れば、長野市と飯田市で負の相関、つまり気温の上昇に伴って積雪量が有意に減っているとする資料もある。地球の平均気温は、1906年から2005年の100年間で0.74℃上昇し、特に1979年以降の観測で10年で0.12~0.22℃の割合で上昇し続けているという。地表の気温は、中世の温暖期や小氷期のような変動を繰り返しつつも、比較的安定した状態が続いていたとされているが、ボーリング調査で得られた過去の各種堆積物や樹木の年輪、氷床、貝殻などを用いて推測された過去1300年間の気温変化に比べると、近年の温暖化は例のない上昇を示していることが明らかとなっている。地球の温暖化について言及されるようになったきっかけは、1988年に米上院の公聴会におけるコロンビア大学のジェイムズ・ハンセン教授による「最近の異常気象、とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」という発言とされ、それを契機に、1992年6月の「環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)」にて気候変動枠組条約が採択され、定期的に「気候変動枠組条約締約国会議(COP)が開催されることになった。ちなみに、長野市の最大積雪量は、昭和21年12月11日に観測された80cmで、僕が小・中学生の頃は、稀であっても、40~50cmの積雪が年1回程度はあったような気がするのだが、現在の冬期の降水量は5cm前後に過ぎず、最深積雪も15~30cmに収まる年が多いという。大学時代以降に、僕が冬に帰省するのは年末年始くらいになったが、雪を目にした記憶は乏しい。ところが、平成17年12月から翌年にかけて、強い冬型の気圧配置が続き、日本海側の各地で降雪量や最深積雪が平年を上回り、最大積雪記録を更新したのである。今年は荒れた冬になりそうだ、と実感したのは、数日前の12月25日に、JR羽越本線の北余目駅と砂越駅の間を走行していた秋田発新潟行き特急「いなほ」14号が、強風に煽られて脱線転覆した事故だった。庄内地方でも、例年に増して激しい吹雪が続いていたという。周辺の防風林の木々が倒れるほどであり、近隣の住民ですら「今まで経験したことがない」と驚くような風速40mを超える突風が、事故の原因とされている。ある新聞が、『この路線を何度も運転している運転士ならば、風の音を聞き、風の息遣いを感じられたはず』と書いて、散々揶揄されたことは記憶に新しい。僕の記憶に残る、強風による列車の転覆事故は、昭和52年2月28日の営団地下鉄東西線の荒川橋梁上での横転事故と、昭和61年12月28日の山陰本線餘部鉄橋の脱線転落事故であるが、いずれも冬の事件だった。筑摩山地を駆け下って善光寺平に降り、長野ICを出て市街地へ入ると、路面に雪はないものの、歩道には1mもありそうな雪の塊が残り、大雪に見舞われた直後のようだった。長野駅前で「中央道特急バス」名古屋-長野線を下車すると、冷たく乾いた風が頬を叩いた。名古屋から待望の新路線を、ついに体験できた、という感慨はあるものの、呆気なくて乗り足りない気分が拭い切れず、また、生半可に雪景色を見てしまったので、もっと雪見をしたい、という誘惑が込み上げて来た。駅舎に足を運ぶと、ちょうど、信越本線下りの直江津行き普通列車347Mが14時06分に発車するところであった。これだ、と思い、僕は衝動的に347Mに飛び乗ると、更に北へ向かった。信越国境は、我が国でも有数の豪雪地帯として知られている。長野盆地にある北長野、三才、豊野駅まではまだらな雪景色だったが、山中に入り込んで牟礼、古間、黒姫駅と進むうちに、沿線の雪の嵩はどんどん増していった。名古屋から長野まで冬晴れだった空も、いつの間にか、どんよりと暗い雲に覆われている。14時46分に到着した妙高高原駅は、スキー客で賑わっているのではないかと予想していたのだが、思ったよりも人の姿は少なかった。妙高高原は何度も車や鉄道で通過したことはあるものの、駅に降りたのは初めてである。昭和31年に杉野沢村と妙高々原村が合併して妙高々原町が発足し、昭和44年に妙高高原町に改称された。この時に、同町の玄関であった田口駅が妙高高原駅に改称されている。この旅の8ヶ月前となる平成17年4月に、妙高村と共に新井市に編入、同日に新井市は妙高市へと改称されている。温泉地であると同時にスキー場としても有名で、信越本線の特急「あさま」や「白山」の全列車が停車し、上り列車では、それまで空席が目立っていても、妙高高原駅で満席に近くなることが少なくなかった。列車での経験からすれば、軽井沢駅と並ぶ人気の観光駅と言う印象が強い。僕は、この駅を始発とする長野行き高速バスで帰るつもりだった。妙高高原は、長野市に本社を置く川中島自動車が、他県であるにも関わらず、路線を展開して来た歴史がある。時刻表巻末の会社線欄で、長野と妙高高原を結ぶ高速バスを見つけた時は、いつかは乗ってみたいな、と思っていたのだが、わざわざ、その理由だけで出掛ける程でもなかった。1人旅を好む僕にとって、観光地への路線は敷居が高い。車内は華やいだ気分でお喋りに興じる連れ合い客ばかりであることが多く、僻みかもしれないけれど、この客は1人で観光地に行ってどうするつもりなのか、という目で見られているような気がして、どうも肩身が狭い。他の交通機関が接続しない地点しか停車しない路線も多く、それこそが観光地へ直行できる高速バスの本領発揮なのだが、着いた先の旅程が組みにくい。まして、この時期に妙高高原へ向かう旅客の大半はスキーが目的なのだろうが、僕は、どう見てもスキーをする装いではなかった。唯一の慰めは、長野-妙高高原線は始発地が駅なので、他の観光路線よりは乗りやすいことである。妙高高原駅前は、長野駅前の何倍もの大きな雪の山が積み上げられ、路面も雪に覆われていた。雪山の陰からのっそりと姿を現した長野行きの高速バスは、駅前で10名ほどの客を乗せると、固く引き締まった雪道を走り始めた。後輪にチェーンを巻いているので、ガタガタと車体の振動が激しい。この感触、久しぶりだな、と嬉しくなる。上信越道の妙高高原ICは、妙高高原駅の西にそびえる赤倉山や妙高山の東麓にあり、近辺に幾つものスキー場がある。いったん上信越道を通り過ぎたバスは、雪で枝がしなっている針葉樹の森を走り抜け、ホテルやペンション、土産物店が並ぶスキー場を経由するうちに、何人かの客が乗り込んできた。窓の外は、派手なスキーウェアを纏った人々で、駅よりも遥かに賑やかだった。観光路線は苦手でも、観光地の華やかな雰囲気は、祭を見ているようで嫌いではない。お腹が一杯になるほど雪見も出来たし、このバスに乗りに来て良かった、と思う。ただし、客席の一角を占めている僕のことを、他の乗客がどのように見ているのか、やっぱり気になってしまう。このバスに乗るのが目的のマニアであるとは想像が及ばないだろうが、妙高高原の実家か知人を訪ねて、たまたま適当な電車がなかったので高速バスを利用した地元客、とでも考えてくれればいいな、と思う。スキー場を回って妙高高原ICに近づく頃は、すっかり日が落ちて暗くなっていた。運転手は、バスをインターの脇の駐車場に停車させると、外に出て、後輪のチェーンを外し始めた。幾ら雪国であっても高速道路は除雪されているのだろうし、このまま走れば路面もチェーンも傷むのだろう。お疲れ様、と思いながらも、まさか手伝う訳にもいかず、黙って眺めているしかない。上信越道を走り始めれば、窓外は漆黒の闇に包まれて、僅かな灯が浮かぶだけになった。ヘッドライトに照らし出された路面に雪は見えないけれども、舗装に暗い染みが見えれば、凍結しているかもしれない、と肩に力が入る。路肩には、除雪されて薄汚れた雪が積まれている。運転手は雪道に慣れているのだろう、バスの走りは極めて頼もしかった。観光路線であると言うのに、車内はひっそりと静まり返っている。振り返ってみれば、存分にスキーを楽しんで疲れたのか、肩を寄せ合って居眠りをしている乗客ばかりで、孤独感がひしひしと込み上げてきた。雪が音を吸収してしまうのだろうか、エンジン音も殆んど聞こえず、時折、轟々と烈風が車体を揺らす。早く実家に帰りたい、と思う。時刻表通りであれば、長野駅に午後6時前に着くはずだったが、時の歩みが、実際より遙かに長く感じられた。静寂が支配する薄暗い車内の一角で、僕は、黙々と風の音を聞き、風の息遣いに耳を傾けるしかなかったのである。にほんブログ村人気ブログランキングへ↑よろしければclickをお願いします<(_ 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    第44章 平成17年 待望の「中央道特急バス」名古屋-長野線と高速バス長野-妙高高原線の雪見旅
  5. 2月27日は227系(和歌山)コンプリートを載せたいなと思っていましたが、思ったように捗らず・・・運用範囲も広いし、南の方なんて滅多に行かないので仕方がありません。でも何故に同じ編成ばかりに出会う??事前調査もしてないのもありますが。ということで今回はダイジェストで。227系は桜井線、和歌山線、紀勢本線の105系を置き換える目的で2両編成×34本が登場しています。編成はクモハ227+クモハ226の2両編成で3パターンの編成が登場しています。夕方ラッシュ時の和歌山駅で1時間ほど居れば紀勢本線、和歌山線で5編成ぐらいは見れます。SD編成は8編成が登場。霜取り用のパンタグラフが運転台上に載っています。冬季は限定で運用されているようです。和歌山線・桜井線が中心のようですが紀勢本線でも見かけたことがあります。和歌山線王寺駅SR編成は14編成が登場。パンタグラフは1基だけで1000番台では一番ノーマルな編成です。和歌山線、桜井線を中心に紀勢本線でも活躍しています。和歌山線吉野口駅SS編成は12編成が登場。パンタグラフも1基でノーマルな見かけですが、セラミック噴射装置を装備しています。すべり止めも昔は砂だったのが今はセラミックなんですねー。紀勢本線中心で運用とのことですが奈良地区でも見かけることがあります。紀勢本線印南駅ってことで和歌山地区の227系コンプリートはまだまだ先になりそうです。でもまあ広島地区の227系よりは難易度低いかなと。首都圏のお下がりの105系と比較すると車内の快適さは格段に良くなりました。<おまけ>紀勢本線ではサイクルトレインもやってまーす。ママチャリでも電車に乗れるんかー?チャリマークの側面サボ。和歌山駅にて和歌山線用(2024年12月で終了済み)岩代駅にて紀勢本線用。御坊以南は予約不要ですと(運賃は必要)楽しそうな企画やなー。

    今日は和歌山・奈良地区の227系で行ってみようと思ったけど・・・
  6. 8000推しの撮ったフリー写真集①
  7. 12月7日のイベント3つ目に来ました。イベントというか特別列車です。何が来るかというと「THEロイヤルエクスプレス」です。場所は東海道本線 新居町駅目の前を東海道新幹線が走る駅で浜名湖の目の前ですロイヤルエクスプレスが一番西に来るのが新居町駅ということで、西に住んでいる撮り鉄が殺到するんじゃないかと思っていましたが、40分前に駅に着いたんですがエキセンには一人だけ全然殺到していなくて拍子抜け到着直前にはエキセンにマニアは僕含め3人親子連れが2組ぐらいであとはホーム上ギャラリーが点在している感じまた、到着10分前ぐらいには子供限定でお出迎えの旗が配布されました。撮り鉄から「いいなぁ」という声が。そして14時27分頃 来ました!北海道の旅行中に札幌駅で乗車していた北斗到着と同時に発車していったのを見て以来ですすごくキレイな青です静岡方面の列車が発車島式ホームなので被られる心配なし乗車している人たちはここからバス移動ですホームを歩いていたらちょうど新幹線架線柱や電線なければいい場所ですね新居町駅に来た証として駅名標と一緒にこちらが専用バス停車ホームを歩いていたら専属の乗務員さんから旗 貰いました!やったー!新幹線と2ショット最後に旗との2ショットこの旗は折れないように軽く巻いて輪ゴム落ちてないかなーと探し始めて5秒で発見ずっと手に持って帰宅しました。旗は硬質カードケースに入れて部屋に飾ってあります2025年5・6月にまた新居町にこの車両が来ます

    (2024.12.07) ザ ロイヤルエクスプレス 新居町駅
  8. カメラと共に 第1192回 近畿日本鉄道・1437系
  9. ②【部屋・温泉】続きです。『TAOYA秋保に宿泊しました②【部屋/温泉】』①【ラウンジ】の続きとなります。『TAOYA秋保に泊まりました①【ラウンジ】』はじめに1年間にTAOYA秋保に6回も宿泊した人のブログへようこそ。TAOY…ameblo.jp夕食温泉の後は夕食、バイキング形式です。そして、オールインクルーシブなのでお酒も飲み放題となっています。食事会場は欅(2階)と萩(1階)と2つの会場があります。初回に1度だけ萩に案内されましたが、それ以降は欅のみの案内になっています。2部制になっており、17時~と19時~に分かれています。座席は初回の萩は自由席でしたが、欅は指定席になっています。人数によって変わるとは思いますが、指定席だと思った方が良いでしょう。なお、座席は窓側から埋まっていく流れになっているので開店と同時に行った方が良いです。中心部に座っても良いのですが、窓側は食事のある場所と反対側にあるので人の往来が少なめで落ち着きます。ここからは料理の紹介です。詳しく紹介していますので、もし直近で宿泊を予定していて、初見での夕食のワクワク感を大切にしたい方はあまり見ない方が良いかもしれません。メニューは季節によって多少は変化しますが、ほぼ同じものが並んでいると思います。入店して一番最初に目に飛び込んでくるのはみやぎサーモンの藁焼きです。宮城特産のサーモンが焼き立てで食べられます。全く魚の臭みが無くて新鮮なので、食べやすいと思います。トマトか地酒のクリームソースがあります。が、ぶっちゃけ私は塩の方が素材本来の味が楽しめて良いのではないかと実は思っています。ちなみに以前はこのポジションには牛タンがありました。仙台名物なので他県の方は良いかもしれませんが、専門店に比べると薄くて硬めなので、別のものが良いのではないかと思っていたら、完全にサーモンの藁焼きが定着してしまいました。私がブログで書いたから無くなった訳ではないと否定しておきます。おそらく、牛タンは別注文で用意されるようになったからでしょう。なお、別注料理が付いたプランで頼まれていたテーブルの声から『こんなにたくさん食べ切れるのだろうか?』と聞こえてきたので、個人的には標準のバイキングで十分楽しめると思います。隣にも魚が並ぶことが多いです。サーモンの隣に更に鮭があったときは『?』って思いました(笑)最近は赤魚の西京焼き、鴨と根菜の盛り合わせがあることが多いです。こちらもお酒のおつまみ、魚系は白ワインが合うと思います。茶碗蒸しはウニだったり桜えびだったり変化します。熱いので持ち上げるときは注意しましょう。牛タン焼きが無くなってからは牛タン味噌煮込みが定着しています。タンは柔らかく煮込んであって、味噌で優しい味付けになっているのでオススメです。焼いたものよりもこちらの煮込みの方が全然美味しいです。冬のシーズンは牛タン味噌煮込みに加えて、もつ鍋も並んでいました。豆腐と鶏団子と出汁が美味しいと多くの方が感じるせいなのか、もつは大量に余っているのにそればっかり無くなっていました。揚げ物はどこでも見るものなので私はスルーしてしまいますが、グラタンは牡蠣グラタンなので牡蠣がお好きな方は見逃さないようにしてください。なお、次にカキフライがあるので牡蠣グラタンは程々で良いと思います。大きな牡蠣は食べ応えがあり、いぶりがっこ入りのタルタルソースは食感もアクセントになり、牡蠣はそれほど好きではないのですが、必ず取ります。なお、牡蠣殻は飾りです笑天ぷらはいつも揚げたて、海老、キス、ごぼう、いなり寿司の4種類です。いなり寿司は口の中でとろけるような不思議な食感を味わえます。ラインナップは若干変化するのですが、一度だけキスではなくアワビだったときは驚きました。コリコリとした食感で、かなり贅沢な天ぷらでした。お肉はローストチキンと牛リブステーキです。ソースはステーキソースやBBQソースなど好みものを選べます。リブステーキということで、アメリカンな感じで硬めのお肉ではありますが、噛み応えがあり、肉々しいです。別注料理に仙台牛のステーキがあるのですが、おそらくこちらは舌の温度で溶けるようなお肉だと予想され、まったく別物になっているのと思われます。パスタは4種類を意外と充実しています。締めにラーメンもありますが、パスタも合います。麻婆豆腐や回鍋肉、酢豚に焼売と中華料理もあります。こちらはお酒のおつまみとして良いです。クワトロフロマッジにマルゲリータとピザも人気ですが、お腹に溜まりやすいので私は基本スルーしています。刺身は小皿に盛られていますが、私は自分で好きなだけ取れる方式の好きです。寿司はサーモン、イカ、エビ、鯖の4種類。こちらは基本取りません。回転寿司とほぼ変わらないクオリティのものです。食事として釜飯があります。シーズンによって変化するようで、冬に行ったときは牡蠣釜飯、夏に行ったときは豚の角煮釜飯でした。味噌ラーメンと蕎麦。ラーメンは軽く茹でられるようにもなっています。オールインクルーシブということで、もちろんお酒も飲み放題となります。白ワイン、赤ワインが2銘柄ずつ、浦霞・勝山・蒼天伝の地酒、焼酎、ウォッカ、ジン、ウィスキー、梅酒と柚子酒と多種多様に用意されています。なお、ウィスキーを楽しみたい方はラウンジでもダイニングでもなく、また別の場所で楽しめるのでここで無理して飲む必要はありません。そして、ビールもあります。前述した通り、アサヒ熟撰という銘柄になっていて、ラウンジよりも少し高級なお酒です。またラウンジにもあったハイボールとレモンサワーもあります。コップはきちんと冷蔵庫に入っているのは良かったです。銘柄を見る限りだと高いお酒ではないですが、安酒では無く、地酒や女性でも飲みやすいものが揃えられている印象がありました。デザートもたくさん並んでいました。1口サイズのケーキも良かったのですが、オススメはオレンジの瓶に入ったプリンです。専門店のような濃厚な味わいで、迷ったらこれを選ぶと良いです。アイスクリームはハーゲンダッツなので、開店から1時間位すると列が出来ている様子でした。バイキング方式だと全種類制覇というような欲が出てしまうと思いますが、それは難しいので取るものは絞るようにしましょう。藁焼きサーモン、牡蠣フライ、刺身、味噌煮込み牛タン、天ぷら、ステーキを選んで、そこに自分が好きなものを加えていくのが良いと思います。寿司はスルーして、ピザか釜飯、デザートはプリンとアイスに好きなものを加えていくのが満足感の高いものになると個人的なチョイスですが、計画的に好きなものを選んでください。④【夜食/バー/まとめ】に続く『TAOYA秋保に宿泊しました④【夜食/バー/まとめ】』③【夕食】続きとなります。『TAOYA秋保に宿泊しました③【夕食】』②【部屋・温泉】続きです。『TAOYA秋保に宿泊しました②【部屋/温泉】』①【ラウンジ】…ameblo.jpTAOYA秋保楽天トラベル

    TAOYA秋保に宿泊しました③【夕食】
  10. 宮の沢の「つつみ人」で水餃子を食べた後『宮の沢【餃子と中華 つつみ人】コンサドーレ色の餃子』札幌市西区宮の沢1条1丁目6-27「餃子と中華 つつみ人」土曜の13時半過ぎ先客3名、後客なし2人用のテーブル席に案内され1人着席メニューはこんな感じ注…ameblo.jpちえりあで開催された「さっぽろスリムネットフォーラム」に参加さっぽろスリムネット(札幌ごみ減量実践活動ネットワーク)www.city.sapporo.jp少しずつ終活を進めている私使ってない銀行口座解約して口座数スリムにしたり1日1個換算でモノを処分したりカレンダーに「正」の字を書いて月30個を目安にポイッ今回のフォーラムは捨てる前にリユースするという考えBook OFF系列店や2nd streetを利用し服等の不用品を引き取ってもらったり札幌市の家庭から出るゴミにリンクされている「おいくら」というサイトを利用し”おいくら”を活用して、不要品を手間なくリユースショップに売却してみませんか?www.city.sapporo.jp無記名でもいくらになるか見積もってもらえるサイトの利用方法等が紹介されましたまだ使えるモノ捨てる前に考えてみようかな今日私が捨てたモノ父のお葬式の際に使った太いロウソク停電の際に使えそうだけどロウソクは火事になったら困るし懐中電灯&電池があるからこれはいらない

    さっぽろスリムネットフォーラム
  11. 碓氷峠(信越本線、横川~軽井沢間)489系(白山)実質H04編成、H03編成の比較 TOMIX御訪問有難うございます。今回はこの車両の比較です。先ずは500番で左が旧製品・実質H04編成、右が今回のH03編成。今回のH03編成テールライト下部の色分けがされています。屋根上は全く同じですね。横、クハ500 実質H04編成横、クハ503 今回のH03編成トイレタンクは旧もあるのですが、やはりタンク廻りの配管ですね。その他は靴ヅリと運転席ドア前部に明記があります。横、モハ488 実質H04編成横、モハ488 今回のH03編成靴ヅリとタンク廻りの配管。これも屋根上は全く同じですね。横、モハ489〈ラウンジコンビニエンス〉 実質H04編成横、モハ488 〈ラウンジコンビニエンス〉今回のH03編成これも靴ヅリとタンク廻りの配管。横、クハ489 0 実質H04編成横、クハ489 3 今回のH03編成これもトイレタンクは旧もあるのですが、やはりタンク廻りの配管ですね。503と同じく靴ヅリと運転席ドア前部に明記があります。00番で左が旧製品・実質H04編成、右が今回のH03編成。今回のH03編成テールライト下部の色分けがされています。そしてH03編成の目玉で屋根上ヘッドライトがカバー無し。〈実は既に「さよなら能登」であったんですけどね〉この比較を検証すると金型には手を入れていない。実質H04編成はかなり優秀な創りだったのでしょう。ですからちょっとしたドレスアップで今回のH03編成と同等になりそうです。しかし、テールライト下部の色分けがねぇ・・・で、H01・02編成はタイフォンの位置がスカートなんですよね。ん?待てよ、485系「ひたち」がそうじゃん。〈スカートには無いですが・・・他に差異があったらごめんね〉なので後はクーラーのキノコの有無を考えるだけでTOMIXは出せるんです。因みにこの白山色、昭和60/03/13日迄は12連で運用していたんですよね。実車は189系もそうですが、この489系「白山」も結構こき使われていたんですよ。その話はグレードアップ時にも・・・

    489系(白山)実質H04編成、H03編成の比較 TOMIX
  12. E233系3000番台のうち、湘南新宿ラインのLED表示です。E233系各番台リンク  0番台(各停 /快速 /通快特快 )/1000番台 /2000番台(旧ROM) /2000番台(新ROM) /3000番台 /3000番台(湘南新宿ライン)/3000番台(旧ROM) /5000番台 /6000・8000番台 /7000番台 ■湘南新宿ライン「快速|湘南新宿ライン 東海道線直通」 @新宿 新宿経由 大宮E231系とともに湘南新宿ラインでも運用されており、東海道線~高崎線、横須賀線~宇都宮線の2系統が存在する。新宿経由と併記され、新宿を過ぎると種別のみの表示に変更される。「普通|湘南新宿ライン 高崎線直通」 @新宿 新宿経由 大崎高崎線方面に向かう湘南新宿ライン。快速でも高崎線内は各駅に停車するため、途中での種別変更も行われる。「新宿経由 快速|湘南新宿ライン 高崎線内普通」 @小田原東海道線内で見られる表示で、高崎線内は普通となる。「特別快速|湘南新宿ライン 東海道線直通」 @新宿 新宿経由 高崎特別快速は東海道線・高崎線直通運用で設定があり、日中1時間に1本のみ設定されている。「特別快速|湘南新宿ライン 高崎線直通」 @大宮高崎線に乗り入れる特別快速運用。「普通|湘南新宿ライン 宇都宮線直通」 @新宿宇都宮線に直通する湘南新宿ライン。かつて池袋などを始発として運転されていた列車を延長させたものである。「普通|湘南新宿ライン 横須賀線直通」 @新宿 新宿経由 大宮E233系が横須賀線に乗り入れる唯一の運用で、逗子まで乗り入れる。「普通│古河」 @新宿平日夜間に1本のみ設定のある湘南新宿ラインの古河行き。  「普通|宇都宮」 @日本語 赤羽 英字 新宿湘南新宿ラインの場合は行先が橙色で表示される。 「快速|宇都宮」 @新宿昼間時間帯に1時間に1本設定されている宇都宮行き快速列車。   「普通│大船」 @大宮横須賀線系統でのみ朝夕に設定のある大船行き。  「普通│逗子」 @新宿 始発表示・新宿経由・英字 宇都宮宇都宮線と横須賀線を直通する湘南新宿ライン。宇都宮~新宿~逗子間を結ぶ。「新宿経由 普通|国府津」 @高崎高崎線内普通の国府津行き。高崎線からの列車は全列車が快速列車となる。「快速│平塚」 @新宿 新宿経由・英字 大宮一日を通して見られる平塚止まりの快速。 「快速|国府津」 @新宿朝夕に設定されている快速の国府津行き。 「快速|小田原」 @新宿朝夕に設定されている快速の小田原行き。​​​​​「新宿経由 快速|小田原」 @大宮新宿経由つきの表示。フルカラーLEDを活かした表示が特徴である。    「普通|籠原」 @新宿 新宿経由 大崎高崎線内普通の湘南新宿ラインは籠原止まりが多い。「快速|籠原」 @小田原快速の籠原行き。新宿より先は普通となるため、渋谷以南で見られる。「普通|高崎」 @大宮高崎線内各駅に停車する高崎行き。「普通│前橋」 @大崎夜間に平日2本、土休日1本設定されている湘南新宿ラインの前橋行き。「特別快速|小田原」 @始発表示・新宿経由 高崎 次駅有表示 新宿特別快速は全列車が小田原~高崎間を結ぶ。「特別快速|籠原」 @大宮経由表示が必要無くなると種別のみの表示に切り替わる。籠原行きは設定されていないが、切り離される付属編成で見られる。

    JRE233系3000番台(湘南新宿ライン)
  13. こんにちは。オケタ模型です。本日の入線はkatoの、「EF65 1000 下関総合車両所」(品番3061-6)です。EF65は昭和40年に登場した、平坦路線向け直流電気機関車です。合計308両が製造されました。基本番台の他にブルートレイン牽引機の500番台(P形)、重量貨物列車の牽引機の500番台(F形)、正面貫通扉を設置し耐雪耐寒装備を強化した1000番台(PF形)のバリエーションが存在します。その中で1000番台(PF形)は旅客・貨物ともに使用可能な汎用機として昭和44年から合計139両が製造されました。模型の「EF65 1000 下関総合車両所」は、JR西日本下関総合車両所所属の1128号機(令和3年現在の姿)がプロトタイプとなっているそうです。黒Hゴム・グレー塗装の台車やクリアレンズ化されたテールライト、スポットクーラー設置で外観が変わった助士席側窓等の特徴が再現されています。まずはパッケージ。単機走行~。Hゴムが黒色になると、塗色が国鉄色でも全体的な印象が変わりますね。いかにも「JR車」って印象です。カッコいいですね~。ヘッドライトも電球色できれいに点灯。庇は国鉄機と違って青塗色なんですね~。屋根上のパンタ周りはグレー塗色、なんか新鮮な印象です。車番は「EF65 1128」。メーカープレートは・・ちょっと読めませんね~。台車のグレー塗色、きれいな印象です。グレーだと台車の造形がハッキリ見えるので、個人的には好きです。テールライトはクリアレンズの仕様です。国鉄時代で馴染んでいる私には、まだ少し違和感が拭えませんね~。反対側の側面から。助手席側の窓(写真右側)はスポットクーラー設置に伴って、半分になってますね。大きな特徴です。鉄橋通過を見上げて。台車のグレーが目立ちますね。PF機、堂々と鉄橋を渡ります。上空より。前面から。重量感あっていい感じです。このJR西日本のEF65PF、向日町に佇む姿をよく見かけましたね~。所属は下関ですが、こちらに常駐していたようですね。いつも2機くらい、手持ち無沙汰に待機してたと記憶します。それを思い出したらやっぱり欲しくなり、購入した次第です。🙆今現在はJR西日本に10機位、残ってるんでしょうか。今の仕事は工臨やサロンカーなにわの牽引あたりでしょうか。残ってた12系編成も廃車され、今後の行方が気になるところですね。🤔ではでは、オケタ模型でした。KATO Nゲージ EF65 1000 下関総合車両所 3061-6 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)6,160〜11,112円トミーテック TOMIX Nゲージ JR EF65 1000形 下関地域鉄道部 鉄道模型 電気機関車 7189Amazon(アマゾン)6,770〜8,733円KATO Nゲージ EF65 1000 後期形 JR仕様 3061-8 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)6,160〜8,800円カトー(KATO) Nゲージ EF65 2000 復活国鉄色 3061-7 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)6,164〜11,800円TOMIX Nゲージ EF65-1000 東京機関区 PS22B搭載車 2111 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)6,671円KATO 1-305 EF65 1000番台 直流電気機関車(前期形) 鉄道模型 HOゲージ (EF65 1001号車) ホビー 管理H1222CAmazon(アマゾン)32,487円TOMIX Nゲージ JR EF65 1000形 前期型 田端運転所 7154 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)9,980円KATO Nゲージ EF65 1000 前期形 3089-1 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)10,980円国鉄名機の記録 EF65 1000番代 (NEKO MOOK)Amazon(アマゾン)3,400〜5,742円直流電気機関車 EF65 1000番代 【復刻 国鉄車両資料集01】 (J-train鉄道史料2)Amazon(アマゾン)10,050〜13,807円

    KATO  EF65 1000 下関総合車両所  入線‼️  (品番3061-6)
  14. (前回記事の続き)(やながわ希望の森公園 東口駅 福島県伊達市)【市営蒸気鉄道の旅(2016年(平成28年))】阿武隈急行・やながわ希望の森公園前駅で下車駅の向こうに「SLのりば」の看板阿武隈急行線・やながわ希望の森公園駅から徒歩約5分の場所にある「SLのりば」。伊達市梁川プール近くにある。やながわ希望の森公園 SL「西口」駅ここを走るのは、宮城県の伊達市営(旧・梁川町営)の蒸気鉄道。軌間は762mm。ここ「西口駅」から「東口駅」までの約800mを所要6分で結ぶ。運行日は4月上旬から11月上旬までの土・日・祝祭日。一日5往復。乗車料金は大人片道300円。この路線は、遊覧鉄道によくある周回路線ではなく、A地点とB地点を結ぶ片道乗車。《Yahoo! Y!マップより》ホームには、西口駅10時40分発のSL列車が既に入線済み。この列車が本日の始発列車。やながわ希望の森公園(福島県伊達市)のSL列車「さくら1号」SLの後ろには3両のボギー客車を連ねる。国内唯一の蒸気機関車メーカー・協三工業製の小型Bタンク蒸気機関車「B62 418」が3両の客車を牽引し走る。西口から東口行き列車は上り勾配のため、SLから煙を吐き出しながら走行。運転台のすぐ後ろに石炭を積む。SLの運転台協三工業は、現在日本唯一の蒸気機関車製造メーカ蒸気機関車「B62418」は、1987年(昭和62年)協三工業で製造。機関車の形式番号は、2軸動輪の「B」と運転を開始した「昭和62年4月18日」から採っている。大きな煙突客車は、オープンデッキ付き。運転室の足元に石炭車内もオープンスタイルで、一部窓がある。客車の製造も協三工業オープンデッキ。手動ブレーキも設置客車最後尾テールライトは無い。「西口」駅ホームの隣には車庫。運行時以外はこの中で保管される。西口駅、東口駅の両端の駅には、転車台(ターンテーブル)があり、蒸気機関車の転回と機回しを毎回行う。回転は自動式。客車に乗車小型客車ながら、ボックスシートが並ぶ。座面はビニールが張られている。連結器デッキには手動のブレーキハンドル客車内の製造プレート午前10時40分、西口(にしぐち)駅を発車発車するとすぐに右へカーブ車窓左側には田園が広がる。西口から東口行き列車は、上り勾配のため、SLから煙を吐き出しながら力走。時速約5km/hでのんびり走る。車窓右側は森が広がる。一部を除きガラス窓はなく、初夏の風を浴びながら走る。始発列車は乗客も少ない。乗客時間6分で終点午前10時46分、東口(ひがしぐち)駅に到着東口駅と転車台車止め機回しのため、SLを切り離し。SLは転車台へ。転車台に載る。機関士がボタンを押すと、転車台が自動で回転。SLは機回し線へ。SLは、客車の反対側に連結する。空の転車台は、元の位置まで自動回転。東口駅付近へ移動軌間は762mmの軽便鉄道サイズ小さな踏切東口駅から西口駅に向かって下り勾配となる。東口駅午前11時00分発の西口駅行きSL列車がやって来る。西口駅から東口駅に向かうSLは下り勾配のため、煙突からの煙は少ない。本物の蒸気機関車動輪は2軸のB型蒸気機関車水を張り田植えが済んだ初夏の田んぼ。田んぼではカエルが鳴く、長閑な時間東口駅近くの産業伝承館東日本大震災による福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故により、今も放射線量を計測するメーターがある。 東口駅昼下がりの長閑なホーム。時刻表、料金表転車台(ターンテーブル)※2016年(平成28年)6月★動画↓↓鉄道旅行ランキングへにほんブログ村(次回へ続く)

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  18. 南海「泉北線」スタート泉北高速鉄道が南海電鉄と経営統合し、「泉北線」として4月1日から営業開始します。泉北高速鉄道線は中百舌鳥駅から和泉中央駅までを結ぶ路線です。鉄道むすめ巡りでもお馴染みの路線ですね。しかし・・・「和泉こうみ」はどうなるのでしょうか。普通に考えれば南海に移籍という事になると思いますが。【関連記事】『泉北高速鉄道「せんぼくん」「鉄道むすめ」ラッピング電車』泉北高速鉄道で、新しいラッピング電車が運行しています。「せんぼくん」「鉄道むすめ」ラッピング電車(9月8日から運行)▲南海難波駅にて(鉄道むすめラッピング側…ameblo.jp『鉄道むすめミューラル』泉北高速鉄道の和泉中央駅にある大型窓ガラス面に、鉄道むすめミューラルが設置されています。(ミューラルとは壁画という意味)鉄道むすめミューラル和泉中央駅のバス乗…ameblo.jp『阪堺電車 路面電車まつり(泉北高速鉄道ブース)』6月11日に催された阪堺電車 路面電車まつり(第18回)では泉北高速鉄道も出店していました。グッズ販売コーナーです。泉北高速鉄道の運転士和泉こうみ等身大パネル…ameblo.jp『鉄道むすめ和泉こうみ ラッピング電車』一眼レフは重くて持っていけなかったので、コンパクトカメラで撮ってきました。南海難波駅で、ようやく出会えた、和泉こうみラッピング電車です。鉄道むすめ 和泉こうみ…ameblo.jp鳴門鯛焼本舗 大阪日本橋店▲サイン入りスタンディパネルの設置大阪日本橋店は衣装違いのサイン入りパネルでした。【関連記事】『今年も「さくら餡」を買ってきました!(さくらみこ×鳴門鯛焼本舗)』現在「鳴門鯛焼本舗」では、VTuber「さくらみこ」さんとのコラボが行われています。訪問したのは、岸和田駅前通商店街店です。▲さくらみこ(ホロライブ)×鳴…ameblo.jp『さくら餡を買ってきた!(さくらみこ×鳴門鯛焼本舗)』先日ふと通りかかった店に可愛い感じのスタンディパネルを見かけて・・・、「なもり」さんのイラストというのは、すぐに分かったのですが、何のキャラクターか分からず、…ameblo.jpクッキーアンドクリームシュー1個300円ビアードパパの3~4月限定シューです。生地はザクザクで、食感がとても良いです。クリームは甘さ控えめ。軽く食べられました。【関連記事】『クッキー&クリームシュー』ビアード・パパで季節限定シューのクッキー&クリームシューを購入しました♪1個230円。クッキーという感じは無かったですね。口の中で溶けていく感じです。2月の生…ameblo.jp『クッキー&クリームシュー、スクフェス近況、今月の予定ほか』■ 一週間お疲れ様でした。明日は有給休暇。終わってみれば、今週は3日間の出勤でしたね。来週がとてつもなく恐ろしいですけど。■クッキー&クリームシュー先日、ビ…ameblo.jpメロンブックス 旧ポイントカードのサービス終了レジで初めて知りましたが、3月11日で旧ポイントカード(PINコードなし)のサービスが終了したとのことです。アプリにするか、PINコード記載のポイントカードに移行するか・・・その場でインストール~登録して…という時間も無かったので、PINコード付きのカードを発行してもらうことにしました。

    南海泉北線、さくらみこパネル、クッキーアンドクリームシューほか
  19. 『お客様からのご意見として』目当ての🍺列車、初日は📞予約400回かけてようやくつながった挙げ句満席ありえない。アイドルかよ?明日以降はインターネット予約可能え。なんで初日だけ📞なの?これ…ameblo.jp案外すんなり通ったな(笑)お客様の声https://www.toyotetsu.com/news/000504.html令和6年度 おでんしゃの運行について|最新情報・お知らせ|豊橋鉄道株式会社豊橋鉄道株式会社公式サイト。渥美線、市内線の運行から不動産業務まで。地元に密着したサービスをご提供しています。www.toyotetsu.com夏と冬に開催される豊橋鉄道のビール列車それぞれ期間限定でプレミアム便🚃があり、夏はキリンの一番搾りプレミアム🍺冬のおでんしゃ🍢はアサヒの熟撰🍺大好きすぎるラインナップこれはもう行かなければならないパティーンだけども去年の夏は過去記事のとおり惨敗いろいろ要望をお伝えしたら今年からインターネット予約(笑)そして期間もかなり長く設定されててちょっと笑った(笑)ちゃんとお客様の声が届いたということですな👍️✨予約開始日、朝からドタバタで💦気付いたら9:30を10分過ぎている💦慌ててサイトを見ると希望日残席1‼️‼️ギャオス慌てまくりで📱操作し、なんとか💦なんとか💦取れましたー開始直後12:00頃どんだけ人気なのか(笑)1両編成で定員20人くらいだったかな?一往復1時間半の列車にどんだけみんな乗りたいのよ(笑)🍺🍺🍺先週録画していたダーリンハニーの『鉄道ひとり旅』が豊橋鉄道でぬかりなく予習をして挑みたいと思います(笑)ダーリンハニーもおでんしゃには乗車したことがあるらしく、聞いているとおでんしゃは相当有名なイベント列車と感じました井原駅の日本一の急カーブも見たいわぁ🚃

    念願の豊橋鉄道おでんしゃ☆予約取れたどー!
  20. 2025.3.8 富良野 パート2