5/18の記事ランキング

  1.  現在は北鉄金沢から内灘へ延びる浅野川線6.8kmと、野町から新西金沢を経て鶴来へ至る石川線13.8kmが存続しています。 浅野川線は列車交換が出来る駅が三ツ屋駅のみですが、線路長が短いので朝は22分間隔、日中30分間隔で運転されてます。 一方石川線は、新西金沢・額住宅前・道法寺で列車交換が可能で、最大20分間隔での運行が可能です。日中は過剰輸送なので40分間隔ですが、完全均等化(00分発→40分発→20分発みたいな)されてないので見映えの悪さはあります。 北陸新幹線敦賀延伸後に浅野川線14時台と石川線16時台に乗車しましたが、現状のままでも座席の半分が空いている位の混雑率なので本数的に十分です。 …と、これで終わりでもいいですけど、40分間隔は京成のアクセス特急みたいに、時刻表無しで狙って乗るのが難しいと思うので、改善策を提案していきます!各駅停車を60分間隔で運転すれば、覚えやすくて運行本数も減らせるので赤字路線にはうってつけですが、地方の民営都市鉄道でも30分間隔は欲しい事、鶴来まで乗り通す客が多かった事を踏まえ、30分間隔のダイヤを作成します。石川線の所要時間を示すと、30分間隔には向いて無いことが分かります。野町~額住宅前・額住宅前~鶴来(新西金沢~道法寺)を最低でも14分で走行しないと時間調整の無い30分間隔は組めません。(交換設備をフル活用すれば組めますが、所要時間が10分伸びます[例]江ノ電の14分間隔化)野町5分新西金沢10分額住宅前10分道法寺8分鶴来 かつての石川線では、昼間時の全列車が押野・野々市・曽谷・小柳を通過(準急)することで列車交換駅間の所要時間を短縮し、30分間隔での運行を可能にしてました。押野・野々市・曽谷・小柳の4駅は日中全列車通過ですから、京浜東北線快速みたいな運行形態を平行路線の無い(バスはある)地方でやってたので驚きですね。押野・野々市は都心部直通のバスがあるから、曽谷・小柳は周辺人口が少なかったかららしいです。 つまり通過運転を再導入すれば時間調整の無い30分間隔が組めますが、全列車準急運転は押野・野々市・曽谷・小柳が可哀想なので、60分サイクルに各駅停車1:急行1とします。 往路が急行、復路が各駅停車となる運用で、急行が野町~鶴来を25分程度、各駅停車が31分程度で走行します。停車駅は、列車交換可能駅+野々市工大前駅。利用者数的には額住宅前より乙丸、道法寺より井口のほうが多いですが、、、

    北陸鉄道石川線の30分間隔?
  2. まるごと能登牛丼(夢一輪館、能登町当目)
  3.  熊本県熊本市の代表的な交通機関であります、熊本市交通局(熊本市電)は、田崎橋~辛島町~健軍町間、上熊本駅前~辛島町間で路線が存在しておりまして、多くの方々が利用されております、熊本では路線バスとともになくてはならない交通機関の一つでもあります。 この区間では、画像1にもあります超低床電車であります0800形電車「COCORO」や、画像2にもあります単行電車であります8500形電車をはじめ、新旧様々な電車がこの熊本市内におきまして運行されております。 そんな熊本市電の系統は、先述のように2区間が存在している事もありまして現在以下の系統が存在しておりまして、基本的にはこの2系統によって運行されております。 A系統〈赤)  田崎橋~熊本駅前~辛島町~水道町~水前寺公園~健軍町 B系統〈青〉  上熊本駅前~辛島町~水道町~水前寺公園~健軍町 しかし、それとともに区間運行される電車も存在しておりまして、これらは「臨」系統で運行されております。実際に、早朝・夜間に運行されます交通局前電停発着系統、そして主に平日日中に運行されます新水前寺駅前発着系統も見られておりますし、これらには時刻表にはない系統も存在しております。 (1060形電車1063号による交通局前「臨」系統)~過去撮影 そして、この系統には特に土日祝日に運行されております辛島町系統も存在しておりまして、4月の熊本訪問の際にその系統に乗車、そして辛島町電停での折り返しシーンも収めておりましたので、皆様にご紹介してまいります。 辛島町電停は、最後の画像にもありますように、向かいに桜町バスターミナルなどが入ります「サクラマチクマモト」、そして繁華街になります「下通」への出入口にもなる場所でありまして、そういった所と熊本駅間の区間運用も存在しております。 さて、今回は後述の画像にもありますように9200形電車9202号に乗車しまして、熊本駅から辛島町間を利用しておりましたが、基本的に健軍町に行く系統ではありますので、画像の終点辛島町電停に到着した際は「えっ、終点?」とおっしゃる方もありました。もちろん、この間には自動の車内放送、運転士の方による口頭でのアナウンスもあってはいたのですが・・・。 終点辛島町電停に到着しますと、画像のサボも収めておりました。ちなみに上の画像にあります方向幕は熊本駅前電停発車前に収めていたものであります。それにしても、サボの下にもありますように、現金やICカードに加えまして、クレジットカードのタッチ決済・QRコード決済も可能になっている事がお分かりいただけますが、それだけキャッシュレスにも対応していると言う事でしょうか。 下車直後に収めました9200形電車9202号です。もちろんこの後は回送列車として北側に移動する事になりますので、私を含めまして乗客は全員下車と言う事になっております。 こうして、9202号は花畑町電停寄りのポイントの先の所に停車、ここで折り返し作業を行う事になります。ここではサボの交換や行先の変更、そして折り返しですので運転士の方も田崎橋方に移動する事にもなります。 ちょうど辛島町電停では、超低床電車9700形電車9705号によります上熊本駅前電停からのB系統健軍町行きがやってきておりまして、辛島町電停に到着後客扱いを行っておりました。そんな中ではありますが、同じ線路上で奥に9202号がおりますので、味噌天神・健軍町方面へ行く手を阻まれている状態となっていた事がその下の画像からもお分かりいただけるのではないかと思います。 (奥に9202号がおります) そんな9202号は、この後下り線(田崎橋・上熊本駅側)に転線します。実際にその下の画像からもわかりますように、ちょうど下り線へ行く事ができるポイントがありますので、そこを通りまして転線がなされている事がわかるのではないでしょうか。 (下り線へ行くポイントを通ります) この後、9202号は下り線に入りまして、辛島町電停の下り乗場へと向かう事になります。ここでは横に9705号をかすめている事もわかるのではないでしょうか。 ただ、前方には1090形電車1095号の、B系統上熊本駅前行きの姿がありまして、この上熊本駅前行きの客扱いが終わらないと熊本駅前行きの客扱いはできませんので、ここで一旦待機と言う事になります。 この待機中、向かい側では9705号が健軍町電停へと向けて発って行きました。やはり、9202号が下り線に転線した事で行く手がさえぎられましたので、健軍町方面へと行かれるようになった分、行かれるようになるのもわからなくはないでもありましょうか。 さて、この間にこのラッピングについてをご紹介しておりますが、このラッピングには「黒糖ドーナツ棒」と言う商品を扱っております、熊本市に本社がありますフジバンビと言う会社のラッピングでもあります。このフジバンビもかつては女子サッカー「なでしこリーグ」で、創業は兵庫県であった事もありまして「INAC神戸レオネッサ」でもユニフォームスポンサーを務めておりまして、「黒糖ドーナツ棒」とユニフォームに書かれていたのが記憶に新しいですが、現在はまさかのJR九州の子会社との事でありまして、ここで鉄道会社と手を組んでいた事には調べてみまして驚きではあります。 こうして、9202号は前方の1095号上熊本駅前行きが発った事で乗車ホームへ移動、この後熊本駅前電停へと運行して行っております。 今回は、熊本市電の「臨」系統であります辛島町行きの運行時~折り返し時の姿をご紹介しましたが、やはり本線上に引き上げての折り返しシーンは見ていてそういった形でやっている事をも伺わせておりますし、実際に折り返しに使うためのポイントがあると言うのもわからなくはない所ではあります。しかも、その転線までの時間もわずか2分ほどでもありますので、後続がやってきている事を思えばわからなくもない姿でもありましょうか。尚、他にも新水前寺駅や熊本駅前・交通局前各電停でも本線上で折り返すシーンも見られておりますので、見る機会があります方はご覧になってみてはいかがかと思います。

    番外 実際に本線上にて見られています、熊本市電の「臨」系統、辛島町行きの、運行時~折り返し時の姿
  4.  広島~福岡線「広福ライナー」は、現在中国ジェイアールバス・広交観光・JR九州バスの3社で運行されておりまして、運行本数は5往復(運休分も含みますが、夜行は現名称「広島ドリーム博多号」を除きます)で運行されております。 この路線は、九州自動車道・関門自動車道・中国自動車道・山陽自動車道を経由しておりまして、所要時間も昼行の場合は約4時間40分かかって運行されておりますが、途中2つのサービスエリア・パーキングエリアに休憩を行っておりますので、所要時間もそれだけかかって運行されてもいます。 そんな「広福ライナー」でありますが、現在は本数が最高10往復から5往復に減便、そして夜行便も中国ジェイアールバス・JR九州バス運行で「広島ドリーム博多号」として1往復運行されておりまして、実質6往復で広島~福岡間を運行されておりますし、祐徳自動車(祐徳バス)で運行されております「ウィラーエクスプレス」2往復含めましても計8往復で運行されるに至っております。 さて、この「広福ライナー」運行会社のうち、上の画像にあります広交観光と言いますと、現在は上の画像1・以下画像にありますように三菱エアロエースと言った車が運行されております。 (画像1、広島200か26-68、2TG-MS06GP) (広島200か20-97、三菱QTG-MS96VP) けれども、かつては以下画像のようにヒョンデ(ヒュンダイ)ユニバース(注)が運行されておりまして、実際に活躍する姿が見られておりました。 (初の導入高速車、広島200か13-78、ADG-RD00) (広島200か14-33、ADG-RD00) (広島200か15-86、LDG-RD00) これら3台の車内です。車内装備は先に導入されました中国バスの車と同様の装備となっておりましたが、違う点がトイレとともに装備しておりましたパウダールーム(化粧室)の装備がなく、トイレのみの装備となっているのが特徴でありましたし、トイレは非公式側に設置しておりました。 モニターは大画面のモニターが設置してありました。やはり後部の方も見やすくするためを思いますと、このような大画面もおかしくはなかったでしょうか。 また、LED照明も各部に取り付けてありまして、画像の天井部、そしてステップの部分と明るい光を灯しておりました。本当にこう言った姿を見ますと、車両価格が安くても高級感がよく出ているのではないかとも思うところではなかったかと思います。 さらに、運転席も撮る事ができておりましたが、よく見ますと木目調のインパネが高級感をより出しているのもわかるでしょうか。それにしても、運転席周りにスイッチ類がある姿は、韓国製の車なのに日本車なのではないかとさえも思ってしまう所でもありましたでしょうか。 そして、各座席には画像のようにコンセントが設置されておりました。このコンセントの存在も、携帯電話・スマートフォンを充電される方にとっては優しい装備ではあったと思います。ちなみに、私も携帯電話・スマートフォンの充電に使用しておりまして大変重宝しておりました。 ここまで3台の特徴をご紹介しましたが、実はもう1台広交観光には高速用のヒュンダイユニバースが存在しておりました。実はこの車は「FIFAワールドカップ」と関連する車ではありましたが、そんな車に私自身も過去に乗車しておりました。今回ここからは、その車に関しまして皆様にご紹介してまいります。 この車(広島230き・・11、LDG-RD00)は、平成22(2010)年に導入された車でありましたが、当初は青地の「日本代表応援特別塗装」を施しておりまして、この年南アフリカで開催されました「FIFAワールドカップ」の応援輸送として使用されていた車でありました。 それにしても、希望ナンバーで「11」を名乗っておりましたが、これはやはりサッカーの11人制(イレブン)を意識していたでしょうし、ヒュンダイが公式車両スポンサーであった事を思いますとわからなくもない所でもあります。 そう言った事から当初は貸切車として運行されておりましたが、広交観光では当時ヒュンダイユニバースの貸切車の導入も多くあっておりまして、同じく当時高速・貸切と導入されておりました中国バスと同様、広島県内でも存在する事業者としての姿も見られておりました。やはりこの要因の一つに国産より車両価格は安く、さらに力もあるとの事でしたので、その勢いで導入が見られていたのではないかと思われます。 (貸切車、広島200か13-73、ADG-RD00) その後、11号は路線化されまして、その際にトイレも増設するなどしまして「広福ライナー」などの路線で使用されておりましたが、貸切からの改造車であった事もありましてコンセントは設けられておりませんでした。私も当時利用しました際にコンセントがありませんでしたので、携帯電話の残量を気にしながら4時間過ごしていたのが懐かしい所ではあります・・・。 この車にも、前面に大型モニターが設けられておりまして、運賃表・路線図として使用されておりました。この姿を見ましてもわかりますように、停車地等も詳しく記載されていた事もお分かりいただけます。 そして、サッカー日本代表応援の特別車両らしさが見られていた姿も収めておりました。それがドアステップ部分でありまして、よく見ますとLED照明が鮮やかに灯されておりまして、見ていて美しいのではないかとは思いますが、これは青い光(サムライブルー)と赤い光(国旗の赤い部分)が日本代表を意識していたのでは?と思う所でもありました・・・。 (ステップ部分) その後は、広島~岡山線「サンサンライナー」などの路線に、他のユニバースの高速車とともに運行されておりました。しかし、各車故障も度々見られておりまして、結果ユニバース高速車は順次廃車もしくは売却が進みまして、令和2年までには全廃となりまして、もちろん由緒ある車でもありました11号も令和元年に廃車となっております。 今回は、いずれも貸切車として運行されておりまして、路線化もされていた車も存在しておりました広交観光のヒュンダイユニバースをご紹介しましたが、導入時は華やかな姿が見られていたものの、貸切→高速転用後は他の車とともに早くに姿を消した訳でもありましたので正直残念ではなかったかと思います。やはりユニバース自体も故障が多いとも聞きますし、メンテ面などでも手間がかかると言うのも早くに手放す要因ではなかったでしょうか。と肉この点に関しましては残念ではありますが、過去に日本代表を応援する車が広島後に存在していた事を存じていただければとは思っております。 (注)現在は「ヒュンダイ」ではなく「ヒョンデ」とも言いますが、当時は「ヒュンダイ」しか呼称していなかったため、「ヒュンダイユニバース」としてご紹介しております。

    番外 広交観光にかつて貸切→高速用で存在していた、元「日本代表応援特別塗装」ヒュンダイユニバース
  5.  近距離から長距離まで幅広く活躍し、様々な種別と行先の組み合わせが見られる2610系ですが初期車は車齢が50年を越えており、2度の更新で体質改善が図られているもののそろそろ置き換えが始まりそうな気がします。と言うのは2025年度より大阪・名古屋線系統にも新型一般車両の導入が開始されるためで、8A系をベースにした4両固定のトイレ付きL/C車であることは間違いないと思っているため気になっているのです。(2020.9.19 恩智〜法善寺間にて撮影) 大和朝倉行き区間準急に充当される2610系X15ほか6両編成です。同系の初期車はクーラーキセが単独なのが特徴ですが更新前は方向幕が無く、座席もオールクロスシートだったので今とは雰囲気が大きく異なりました。区間準急という種別もその頃はまだ存在しておらず、大阪線で「区間」と付く種別というと区間快速急行という時代でした。(2020.9.19 恩智〜法善寺間にて撮影) 大阪方の2両は1253系VC57でした。現在は種別・行先表示がフルカラーLEDに更新され、側面のみ駅ナンバリングにも対応していますが撮影当時はまだ方向幕で、見慣れた近鉄VVVF車の姿でした。種別・行先表示のフルカラーLED化は更新工事でも行われていますが1253系はVVVF車の中でも後期に造られているので更新が始まるのはまだ先と見ており、暫くは種別・行先表示のみフルカラーLED化した未更新車の撮影が楽しめそうです。

    区準運用に入る近鉄2610系&1253系
  6. こんにちは、GW真っ只中ですが特に外出の予定は無いので久しぶりに記事を投稿したいと思います。先日はコンテナ関係を中心に以下の製品を購入しました。こちらになります。TOMIXのコンテナ3種とTOMIXの純正品ではありませんがEF66-100に対応したライトユニット(電球色)を購入してきました。ライトユニットはこちらの車両に取付。品番:9128 EF66-100(前期型)TOMIXのEF66-100(前期型)は1989年に初代製品が発売されているのでロングセラー製品です。こちらの製品は2013年に購入した先代モデルです。元々プラパンタでM-9モーター搭載でしたが最近パンタグラフを交換し、モーターもM-13モーターに交換していますがライトユニットは古いままでした。現時点ではTOMIXからEF66-100に対応する電球色のライトユニットの販売はありません。先日模型店で偶々見つけたこちらのライトユニットを購入しました。ライトユニット交換前決して明るくはありません。ライトユニット交換上の写真は左が今回購入のライトユニット、右が元々取り付けられていたライトユニットです。ライトユニット交換後明る過ぎず、暗過ぎずで良い感じになりました。今回購入のコンテナをコキ50000に積載し試運転。EF66-100(前期型)は来月TOMIXから「品番:7170」として発売されますがほぼ同程度のアップデートが出来ました。先日KATOから新製品発表がありました。こちらの製品化発表が嬉しかったです。1991年3月21日 東京駅にて※写真はJR東海T8編成なので2000(2600)番台ではありません。品番:10-1954 113系 2000番台 湘南色(JR仕様) 7両基本セット品番:10-1955 113系 2000番台 湘南色(JR仕様) 4両増結セット品番:10-1956 113系 2000番台 湘南色(JR東海・T編成) 4両セット品番:74261-2 サロ110 350番台私の地元を走っていた、私の人生で最も馴染み深い車両。KATOの113系2000番台湘南色は1984年8月に初代製品が発売されていますが丁度40年後にフルリニューアル。仕様は全く異なりますが価格は40年前と比較してほぼ倍になっています。・113系2000番台湘南色(JR仕様)平成5年(1993年)頃の国府津電車区のK52編成を製品化。当時の所属表記は「東コツ」だったと思います。余談ですが車番の「クハ111-2074」、「モハ112-2106」、「モハ113-2106」は旧製品と被ります。今回増結セットに含まれるサハ111は2000番台ではありませんが1993年の時点では国府津電車区のサハ111-2000番台はK46編成の「2008」しかなく、その場合は11号車のクハ111が「229」になってしまいます。90年代後半になると横須賀総武快速線から撤退したサハ111-2000番台や1500番台が国府津に転入してきました。2階建てグリーン車の「サロ124」や化けサロの「サロ110-358」も注目です。・113系 2000番台 湘南色(JR東海・T編成)平成5年(1993年)頃の静岡運転所所属車のT1編成。時期的にプラス600番台化された頃だと思います。「クハ111-631」以外は2000(2600)番台ですが「クハ111-2722」は東京駅に乗り入れるクハ111としては珍しいトイレ無のクハ111ですので作り分けも期待です。T編成を2セット購入して8両編成とすればかつての東京発早朝5:20(時代によっては5:46)の普通静岡行きや静岡発夕方17:30頃の普通横浜行き、横浜で折り返す普通伊東行きも再現出来ます。JR東日本車との見分けは床下機器の色(グレー)や車端部のシルバーシート表記(後に窓ガラスに優先席表記)やシートカバーの有無で簡単に見分けられました。私は以前こんな記事を書いていましたがほぼ同内容で製品化が決定しました。『KATO 113系湘南色整備』こんにちは、仕事開始の日が少しずつ迫っており気が重いですが今日は先日購入したKATOの113系湘南色の整備を行いました。付属の部品の取付のみで加工は行っており…ameblo.jp※一部抜粋「以上が113系湘南色整備の記事となります。次に期待しているのが113系横須賀色のリニューアルと113系湘南色JR仕様(2階建てグリーン車含む)ですが113系湘南色のJR仕様が発売される場合、2000番台がメインとなった編成になると勝手に考えていますが私はグリーン車を除いて2000番台で統一された編成を見た記憶はありません。しかし2001年冬のJR電車編成表を確認すると「K52編成」がグリーン車を除けば全て2000(2100)番台でした。又、「K67編成」が6,7号車のモハユニットが1500番台ですが他はグリーン車を除けば2000番台でした。付属4両編成についてはJR東海の2600(2700)番台が発売されれば面白いなと思いました。暫くは今回購入の113系湘南色と旧製品の113系2000番台で遊びたいと思います。」製品化の内容は1993年頃の国府津電車区のK52編成、編成表の内容が2001年冬の国府津電車区のK52編成なのでサハ111が入れ替わっています。113系2000番台湘南色(JR東海・T編成)が製品化されれば次に期待してしまうのが113系2000番台静岡運転所C編成ですがこちらはモハ113-2000番台を改造したクモハ113-2000番台が連結され3両編成となります。クハ111、モハ112、クモハ113の3両共2000番台ですが約半数のクハ111はトイレ無の2200番台でした。この3両があれば米原発朝8時頃のロングラン普通列車熱海行きが再現出来ます。途中311系の新快速や117系の快速列車にバンバン抜かれた記憶がありますが乗り換えなしで米原~熱海まで移動出来た貴重な普通列車でした。こちらはホビーセンター(ラウンドハウス)のパーツを使用したJR東海風の113系。写真は品番:4047-1のクハ111-2000。床下と窓ガラス、分かりづらいですがシートも交換しています。所属標記と車番の変更やシルバーシートマークの追加も考えましたが面倒なので止めました。今回の記事は以上となります。KATOから113系2000番台湘南色JR仕様の製品化発表が嬉しくて少し記事が長くなってしまいました。最近ブログもサボり気味ですがこれからも宜しくお願いします。TOMIX Nゲージ JR EF66 100形 前期型 7170 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)TOMIX Nゲージ JR DD200 0形 2249 鉄道模型 ディーゼル機関車Amazon(アマゾン)TOMIX Nゲージ JR貨車 コキ200形 新塗装 2両セット 8752 鉄道模型 貨車Amazon(アマゾン)TOMIX Nゲージ 私有 UT11K形コンテナ 日本石油輸送 2個入 3302 鉄道模型 用品Amazon(アマゾン)TOMIX Nゲージ JR EH500形 1次形 7186 鉄道模型 電気機関車Amazon(アマゾン)KATO Nゲージ 211系5000番台 東海道本線 3両セット 10-1861 鉄道模型 電車Amazon(アマゾン)KATO Nゲージ 211系5600番台+313系2600番台 東海道本線 6両セット 10-1862 鉄道模型 電車Amazon(アマゾン)KATO Nゲージ 313系8000番台 東海道本線 3両セット 10-1749 鉄道模型 電車Amazon(アマゾン)KATO Nゲージ 313系3100番台 2両セット 10-1929 鉄道模型 電車Amazon(アマゾン)KATO Nゲージ サウンドカード 211系 5000番台 22-242-7 鉄道模型用品Amazon(アマゾン)

    TOMIX EF66-100(前期型)のアップデートとKATO新製品発表
  7. 星乃珈琲でランチ
  8. 購入順に紹介している「模型紹介シリーズ」、2014年5月にトミックより発売された車両。今回は「JR キハ40-2000形気動車・首都圏色<8454/8455>」になります。JR西日本仕様のキハ40ですね。民営化後に冷房改造されたことで、西日本の独自スタイルになってます。またエンジン乗せ替え後は「コマツ製」らしいので、東日本・東海の「カミンズ製」とも違うようで、すでに別物かもしれません。この時発売されたのは、「キハ40(M)」「キハ40(T)」「キハ47」のタラコ色(終色)でして、予算の関係でこの2両だけ購入。ナンバーも含めて「広島・下関」所属にしていますが、今回は以前乗った「播但線」と言う形で話を進めていきます。訪れたのは2019年の1月で、たしか姫路から103系に乗車。これも低運の初期車を更新しており、「前パンタ」という見慣れない仕様でした。特にクモハは、地元鶴見線から2006年に撤退しており、久々の再会になりました。途中の寺前駅で、隣に停車していた「キハ41」へ乗車。中間車魔改造顔が目の前に現れたのには、驚きました。写真で気がついたのですが、「両開きドア」ですので「元キハ47」を改造した物だったようですね。てっきりキハ58当たりかと思ってました。座席のモケットの色は西日本仕様ですが、随所に「国鉄」が残ってますね。これは懐かしさと、得した気分になりました。終点の和田山駅へ近づくと、「給水塔」「機関庫跡」が見えてきます。模型のレイアウトに設置したくなりますね。和田山駅へ到着です。魔改造顔(キハ41)と、通常顔(キハ40)が居ますね。これは「キハ40」に乗り損ねたと言うことになりますが、気動車の旅ができただけ、良かったと思います。この魔改造顔も、模型としては欲しいですね。元々は線区ごとの独自カラーだったと思いますが、現在はタラコ色へ統一。それでも気動車らしいカラーなので、個人的には納得できます。まぁ、地元「八高線」が、この色だったからでしょうね。【347】キハ40形2000番台「播但線」メーカー:TOMIX製<8454/8455>発売:2014年5月(新品)導入時期:2014年5月24日形式:JR西日本 キハ40形2000番台・首都圏色・冷房改造車(豊岡機関区)両数:2両車番:キハ40-2001/キハ40-2007室内灯:illumi(F-modells製)改造:あれ、やってないかも導入経緯発売当初は「広島地区の車両スパイラル」に陥っていたため、気動車の広島色の増備車として導入。後のなり播但線へ乗車したことで、こちらの車両としても使えることがわかり、今回は播但線にしました。JR西日本の汎用仕様と言うことで、色々な路線として登場できそうなので、登場する機会が増える車両になるかもしれません。まだハッキリしたことは言えませんが、引っ越し先は部屋の真ん中に設置することで、両面が違う風景にも出来る可能性が出てきました。山で仕切りをして、裏面をローカルにすることで、もしかすると気動車や蒸気なども合う風景に出来るかもしれません。まだ妄想ですけどね。気動車特急とのすれ違いは、実際に見れなかった分新鮮です。●キハ181形「はまかぜ」(TOMIX製)当時(2014年)、後継車に入れ変わったばかりだったと思いますが、まだまだ臨時の「カニカニはまかぜ」としては運用されてました。それよりも、子供の頃見た「キハ181」が塗装を変えて健在だったことの方が、ブロ友さんの写真を見て驚いたのを覚えています。こちらの形式も、子供の頃の認識としては「485系のボンネットは古い」「キハ181系も古い」という認識でしたから、健在だったのが衝撃でしたね。もちろん、模型としては欲しくなるわけですけど。このJR西日本の塗装は、古くは見せない塗装でいつも感心します。話を戻しますが、今回の2両も時間が取れれば内装を茶色に塗りたいのですが、あと一週間ぐらいで引っ越しの梱包に入ることから、広げる場所が取れません。さらにPCからのネットへのアクセスが一ヶ月以上使えなくなる可能性が出てきたため、できる限り投稿しておかないと行けないので、結構大変です。単線区間が多いので、こんな感じじゃ無いのかもしれません。当時(2014年5月)の在籍数。急行型 6両/特急形 222両通勤形 385両/近郊型 122両/気動車 31両(キハ40 4両)蒸気機関車 2両/電気機関車 116両/ディーゼル機関車 18両貨車 397両/緩急車 22両/特殊貨車両 2両/事業用車 17両客車 418両私鉄通勤車 20両/私鉄特急 32両/私鉄機関車4両/私鉄貨車11両外国形 17両合計 1842両(後日追加した車両分含む)うちM9モーター154個目(また増えてしまうのであったorz)この風景もあと少しです。引っ越し先は「傾斜を極力無くす」方向で考えていますので、平坦な部分が増えると思います。それでも地面の高さを下げたりで、高架駅は設置する計画だったりしますので、今のレイアウトの風景は、維持できる部分は維持します。話が脱線しましたが、気動車が走る風景も、良い感じですね。車両紹介もまだ1/3ですから、先が長いです。以上、「西の気動車、タラコ色のキハ40」でした。

    【模型紹介】347 キハ40-2000「播但線」 ~JR西日本更新のタラコ気動車~
  9. Sun Flower Sapporo 2022/08
  10.  当ブログでもこれまでもご紹介しておりますように、西戸崎~香椎~宇美間を結びます路線を「香椎線」と称されておりまして、現在は非電化区間ながら上の画像の「DENCHA」こと819系蓄電池電車が運行されております。 また平成31年3月まではキハ40系気動車、それ以前にはキハ200系気動車による運行でもありましたこの路線でもありまして、福岡都市圏唯一の非電化区間も様々な車両が運行されている(いた)事がわかります。 そんなこの香椎線沿線におきましては福岡都市圏でもある事から宅地化も進んでおりまして、列車の本数も1時間に2・3本の路線になるまで成長しておりまして、加えまして「DENCHA」化によりましてより利用しやすくなってきている事も伺えるのではないでしょうか。 また、この路線では令和2年暮れより自動運転の実証実験を香椎~西戸崎間で実施しておりまして、令和4年には自動運転区間を全線に拡大、そして今年3月改正からは自動運転乗務員による乗務が全173本中31本で行われておりまして、より新たな流れをこの路線におきまして見せております。 (スタートシーン)~ボタンを押しています しかし、この香椎線自体は一時は廃止の危機まであっていたほどの赤字路線でありました。元々この路線自体は、志免炭鉱など糟屋炭田から産出される石炭を西戸崎港に輸送するために博多湾鉄道(→博多湾鉄道汽船)により建設された鉄道路線でありましたので、炭鉱閉山後は利用者も大幅に減少に転じておりました。 けれども、昭和50年代より海の中道の観光地化が進みまして、広大な「海の中道海浜公園」ができましたり、後にはリゾートホテルもできるなどの変化が生じるようになりまして、本数も増発に転じております。 それに伴いまして、以下画像にあります海ノ中道駅の移転や、その下の画像の旧海ノ中道駅跡に設けられました中道信号場の新設、篠栗線との乗り換え駅であります長者原駅の新設や、香椎~宇美間も含みます沿線の宅地化など、福岡都市圏の非電化区間でありながらも、画像のように1時間に2・3本の路線になるまでに成長している路線でもあります。 (海ノ中道駅) (中道信号場) (香椎線時刻表)~宇美駅の時刻表を掲載しております 尚、平成30年3月の改正で、運行本数は日中の便を数便減便しております。しかし、それでも上の画像のように夜間以外は1時間に2本はキープした形となっております。また、朝以外はそれぞれ香椎駅止まりとなっておりまして、宇美駅もしくは西戸崎駅までの直通列車に関しましては朝のみとなっておりますので、それ以外の時間帯は必ず香椎駅で乗り換えるようになっております。 ここまで現状をご紹介しましたが、かつては以下画像のように本数も少なく、その後上の画像のように本数が多くなる事は誰にでも予想できなかったのかもしれません。ここからは昔の時刻表を参考にしながら、皆様にご紹介してまいります。 実際に以下画像は、私が所蔵しております、昭和60年の香椎線の時刻表であります。これによりますと、香椎~西戸崎間はわずか12本、加えまして香椎~宇美間もわずか10本しかなく、今からしますと正直ありえないような姿でもあるのがわかります。 それでも、当時の国鉄も博多駅までの直通を運行しておりましたり、海の中道方面は臨時列車も数往復ですが運行しておりましたりと、今後の増発が予感されるような姿は見せておりましたので、香椎線の需要もそんなに少なくはなかった印象は感じられていたようであります。 ちなみに当時の使用列車も、キハ40系気動車に加えまして、画像のキハ58系気動車(先頭はキハ65形気動車、JR化後の画像)も使用されておりまして、その後キハ31形気動車や、ロングシートのキハ200系500・1500番台気動車などの新性能車も運行されるに至っておりましたので、香椎線自体も様々な変化が見られていたようでもあります。尚、819系蓄電池電車に変わる前は、ご紹介しておりますようにキハ40系気動車のみの運行でありました。 今回は、現在も非電化路線ながら蓄電池電車が運行されるようになっております香椎線に関しまして、昭和60年時刻表を参考にご紹介しましたが、香椎線も先述のように元々は粕屋炭田の石炭の積み出し線として開業した路線であったなど、110年を超える歴史ある路線でもあります。この路線自体も、閉山後廃止の危機を迎えながらも現在は観光地化や宅地化などで大きな変化を遂げているなど明るい話題も見られております。とにかく、車両もご紹介しておりますように気動車から蓄電池電車に変わっておりますし、自動運転による運行も行っておりますが、引き続き沿線の足として運行していただく事を願いたいものであります。 

    番外 現在と大きく違いますし廃止の噂もあった路線でした、国鉄時代昭和60年当時の香椎線時刻表より
  11. がんばローカル私鉄ⅩⅩⅩⅢ 北陸鉄道・石川線(2)
  12. この時間は,空旅をお送りします。今回は、2024年度のJGCプレミアをキープする旅、2023年の始まりとともに、一気に福岡から宮崎を40往復してキープを目指します。ブログをご利用される際は、必ずこちらの記事「免責事項について」をお読みの上、ご覧くださいね。では,ごゆっくり!**********おはようございます!2023年1月から始めたJGCプレミアをキープするための福岡ー宮崎を40往復80レグ搭乗する回数修行旅、本日まで24レグが終了、これから2往復め・本日3レグめのスタートです。早朝の便から5分ずつの遅れを引きずっています、たった5分の遅れですが、いつも申し上げているとおり、宮崎の折り返しが、機材変更で20分の乗り継ぎ時間しかないので、ちょっと不安です。天気の回復は見込めない感じですねえ。あまり夜明けの時間帯と空の明るさは変わり映えしない福岡です。滑走路に入ります、まだ前方には直前に着陸した機体が見えます。滑走路って、1本の滑走路には1機しか入れないという制限はないんですね。そんなこと思うのは、閉塞区間には一つの列車しか入れないという完全な鉄オタな感覚なんでしょうね。もちろん、前方の着陸きが誘導路に退避してからの離陸とはなるんでしょうけど、それでも最短で2分おきの間隔は確保しないといけないようなので、増便するのは簡単ではないのでしょう。では離陸。今回は浜手に出て東区上空で右旋回して南下するパターンですが、旋回前に雲の上に入ってしまいました。九州山地のど真ん中、ちらっと雪景色の山々が見えました。新田原基地。太平洋に出て右旋回、今回は離陸着陸とも時計回りに大回りするルートでした。シェラトンが見えますねえ、旧シーガイアだった頃に泊まったことがあります。晴れ間が除く宮崎ブーゲンビリア空港にまもなく到着です。私が搭乗する、エンブラエルが見えます、間に合うかなあ?とりあえずダッシュ!左に見えるラウンジ大淀にはいつ行けることになるやら。ちょっと息があがってしまいました、無事に間に合いました。無事に搭乗、今回はなぜか翼の上、たまには良いでしょう。まあまあの搭乗率、みんな福岡に何しに行くんだろうと思いつつ、この中の10人くらいはさっきも見た顔ですけどね。私が乗ってきたエンブラエル、2日前の修行旅でも見たアシアナが停まっていました、やっぱ定期便なのかなあ。では、誘導路から滑走路に向かいます。誘導路で一旦停止、ソラシド待ちでした。そして離陸です。機内でランチタイムにします。ごめんなさい、JALのラウンジで食べれなかったので持ってきちゃいました。北に向かうにつれて雲の中へ、玄界灘で雲の下に出ると、お日様がまるでスポットライトのように水面を照らしていました。このコースは、また南側に回り込んで、まるでS字コースで着陸するパターンみたいですね。PayPayドームとシェラトンシーホークが見えてきたのですが、ここで急に左旋回。あれ?進入方向が変更になったのかなと思いましたが、ここで変えることはできないはず。ちょっとルート修正しただけみたいで再び南下します。あっ!オウチが見える、てかいつも自宅のベランダでこの辺りを飛んでいる飛行機を撮影しているので当然機内からも自宅が見えるのは当たり前ですよね。いつもの左旋回をして福岡空港に着陸です。これで本日4レグめの終了です。新千歳でもこのコンビが並んでいると嬉しいんだけどなあ。福岡空港のホテルFUKをベースに、回数修行をするなら最適なホテルもちろん、エアポートビュー・空港から歩いて行けます!ホテルグランビュー福岡空港楽天トラベル福岡市内の航空系ホテルANAクラウンプラザホテル福岡楽天トラベルホテルJALシティ福岡 天神楽天トラベルホテル日航福岡楽天トラベル

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    JGCプレミア修行旅17《2023年 JAL1-80レグ》
  13. JR貨物【EF65遅5087レ】~3時間遅延~
  14. ごく最近まで神戸市北区に存在した「北神急行電鉄」という鉄道会社をご存知でしょうか。第三セクターと誤解されがちですが、阪急電鉄とその子会社の神戸電鉄が中心になって設立した純然たる民間企業です。1988年に北神線7.5kmを開業させ、神戸電鉄有馬線に接続する谷上駅と、山陽新幹線に接続し神戸市営地下鉄西神・山手線と相互直通する新神戸駅間の所要時間を劇的に短縮しました。しかし、ほとんどが山岳トンネルで建設費がかさんだため運賃が高額になり、利用は伸び悩みました。神戸市の中心部である三宮駅までは地下鉄に乗り入れて1駅ですが、運賃が合算されるため、さらなる割高感が生じました。その後、兵庫県と神戸市から補助金を得て値下げしたものの、決定打には至りませんでした。経営面も苦しく、2002年には20年間の所有期限で北神線の施設を第三セクターの神戸高速鉄道に譲渡しました。期限後は親会社の阪急が施設を引き継ぐことになり、これをどのように立て直すのかが注目されました。ところが、ここで思いがけないことが起こります。譲渡期限より前の2020年3月4日、神戸市による北神線の市営化が国に認可されたのです。これを受けて、6月1日から北神線は神戸市営地下鉄の一部となり、運賃の大幅な引き下げが実現しました。この話には伏線があります。阪急は以前から三宮駅を介した西神・山手線との相互直通を提案してきましたが、総事業費が1,900億円と試算されたため神戸市は難色を示し続けました。それが、北神線市営化の認可と前後して白紙撤回されたのです。この提案は阪急が一方的に示して、自ら引っ込めたに過ぎないのですが、神戸市側に負い目を感じさせるには十分な効果がありました。また、神戸市内部でも北区の開発の遅れを懸念する声があり、北神線を市営化すべきという意見があったようです。そこにつけ込むかのように、市営化の交換条件のごとく撤回された相互直通案。北神線の買収金額は198億円でしたが、相互直通の負担に比べれば安い、と思わせるのは容易だったはずです。阪急は巧みに、不良債権化した北神線を神戸市へ押し付けることに成功したのです。会社としての北神急行電鉄も解散し、後腐れはなくなりました。その政治力は見事と言うほかありません。公的資金を投じてローカル線の立て直しを図るのは珍しくありませんが、民活推進が声高に叫ばれる大都市でそれが行われるのは異例です。その阪急もさすがにコロナ禍では業績が悪化しましたが、現在は持ち直しており、鉄道事業は押し並べて堅調です。理由の1つは、近鉄のようにことごとく合併するのではなく、採算性の劣る路線を子会社として分離しているためです。その業績が悪化すれば、北神急行電鉄のように切り捨てることも厭わないのが阪急という企業です。この阪急に、累積赤字で頭がいっぱいの京都市交通局が対抗できるでしょうか。最悪の場合、気が付けば烏丸線を奪われ、お荷物の東西線だけが手元に残った、という事態にもなりかねません。そこまでいかなくても、線路使用料を阪急に有利なように値切られるぐらいのことは覚悟しなければならないでしょう。書籍のご案内【京都市内交通の再編計画】(詳細)データ本:330円 (税込)/ 紙本:1,045円 (税込・送料別)

  15. 兄が、京都の「きぬかけの路」を歩いてきましたので、そのときの画像を記事にします。阪急電車の大阪梅田駅から桂駅まで8300系の特急に乗車しました。桂駅から大宮駅まで5300系の準急に乗車しました。京福電気鉄道(嵐電)の四条大宮駅です。現在の駅舎は1986年(昭和61年)7月に建てられたもので、日本生命四条大宮ビルの地上部分南東側と一体化した構造なっており、頭端式3面2線のホームの地上駅で、どこか昭和を思わせるレトロな雰囲気が鉄道ファンや観光客にも人気を集めています。嵐電の四条大宮駅でモボ301形を撮影しました。帷子ノ辻駅で嵐山本線から北野線に乗り換えました。等持院・立命館大学衣笠キャンパス前で嵐電から下車しました。金閣寺・龍安寺・仁和寺 - 3つの世界遺産を巡る観光道路「京都きぬかけの路」金閣寺、龍安寺、仁和寺をはじめとする京都市北西部の観光名所から、お土産屋さん、ランチに最適なレストランやお食事処まで、観光に便利なおすすめ情報をマップ形式でお伝えします。kinukake.com等持院です。臨済宗 天龍寺派 等持院京都府京都市北区にある臨済宗天龍寺派の寺院。山号は萬年山。足利氏の菩提寺であり、足利尊氏の墓所としても知られる。toujiin.jp等持院の山門です。「清漣亭(せいれんてい)」 は、京都の等持院にある茶室です。等持院の方丈南庭です。等持院の霊光殿です。霊光殿の内部には室町幕府や江戸幕府の将軍の座像が安置されていました。(内部は撮影禁止です)等持院の庭園です。見応えがありました。等持院の書院です。マキノ省三は1921年6月に等持院塔頭跡地に牧野教育映画製作所と映画撮影所を設けました。撮影所は1933年まで存続しました。堂本印象美術館の前を通りました。京都府立堂本印象美術館京都府立堂本印象美術館は、大正から昭和にかけて京都で活躍した日本画家・堂本印象自らが外観から内観まですべてをデザインし設立された堂本印象美術館を、京都府が譲り受け1992年に開館しました。insho-domoto.comきぬかけの路です。ここを歩く外国人観光客も多かったです。龍安寺です。今回の龍安寺は外国人観光客が多数いたため、兄は入らなかったということでした。その代わりに、2013年4月に龍安寺で撮った画像を入れておきます。大雲山 龍安寺|Ryoanjiwww.ryoanji.jp龍安寺の石庭は、方丈の南側にあります。東西30m、南北10m余りの長方形の白砂の庭に、15個の石を5・2・3・2・3に分けて配されています。方丈の北側には、徳川光圀(水戸黄門)が寄進したといわれる「知足の蹲踞(つくばい)」があります。蹲踞には真ん中が四角くなっており、それを囲むように「五・隹・疋・矢」の4字が刻まれています。龍安寺の画像はここまでです。昼食時間になったので仁和寺前の「そば沙門」に入りました。「そば沙門」の天ぷらそば定食です。(付録)2018年1月に撮影した金閣寺(鹿苑寺)です。(つづく)あなたの好きな言葉は?一期一会▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう

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    きぬかけの路を歩く(前編)
  16. 昨日の話。うちに帰ってごろごろしようと思ったら下のが「塾送っていって」という。いつもの送迎担当の嫁は遊びに行ってて不在。「マジか~。ま、わかった。」で、出発の時間。「ん???車のカギがない!?」いつもの場所に鍵がない。嫁に電話で確認するも言われたところにない。「じゃあ、わかんない」という嫁だったがスペアがあるというのでその場所を探すと「おぉ~!」スペアはあった。よし、時間がない!ダッシュで玄関を出て車のドアを開けようとするも「あれ???」リモコンのスイッチを押すもドアが開かない。「あぁ~!!!」リモコン、電池切れであった。うちの車、いわゆる金属のカギではなくて、ドアのボタンを押すと「ピッピッ!」っていうやつである。(語彙力が乏しくてすまん)で、車に乗ったらスタートボタンを押すやつだ。「終わった・・・。」いや~そう仰られてもこればっかりはどうしようもない。「チャリで行け!10分あったら着くから。塾には電話しとくから」というも「嫌だ。電車で行く」と抵抗する下の。で、「チャリの方が早い。お前が駅に着いた瞬間電車が停まっていて、お前が乗った瞬間走り出さん限りチャリの方が絶対早い!」と押し切りチャリで行かせた。つーかね、嫁が過保護なので上のも下のも当たり前のように車で送り迎えしてもらっている。でもチャリで10分少々の距離である。もう中学生だし男子だし大丈夫だと思うんだが、そのように育てられたので染みついたものはそうそう変えられない。で、塾の方に電話する。個別なので本人がいかないと「あれ?」となってしまうのである。電話をして名前を言うと「あ、〇〇です。」と先生も名前を仰る。僕ね、もう向こうの先生方に憶えられているのである。上のも下のも問題児なんでね。で、僕自身も年に2回くらいは「面談してくれよぉ~」と電話をかける妖怪面談おじじなので向こうからしても「あ、あいつのお父さんね」とありがたくも認識してもらっている。塾と言えばこれまでの歴史を紐解いてみても愚息どもはやらかしまくっている。上のは中学入学時は塾ではなく通信教育で走らせようとした。えぇ、お金をケチったのである。始めはZ会。だがやらずに手つかずの自然がどんどん積みあがっていく。「Z会はむずくてモチベが上がらん」というのでお次は進研ゼミ。だがやるやる詐欺が数カ月続き2つ目の世界自然遺産が出来上がったところで強制終了。だがノー勉太郎に加え、英語が壊滅的にダメだったので「これはまずい!」と授業料がリーズナブルだった個別の塾に入れた。高校入試がないので普通の集団塾に入れても目的が違うし、かといって目的が英語をゼロからみたいな感じなので中高一貫校の生徒が通うようなところも違う。しかし・・・上の、たびたびドタキャンを繰り返す。「あ、忘れとった」「今日部活だった」「頭が痛い・・・」その度に僕が「すんまへ~ん。えらいすんまへ~ん。」と電話をするのだが、向こうのアルバイトさんも上のに合わせて塾に来るわけで、もういたたまれなくなってやめた。で、中3の冬に今の塾に入れた。今の塾、高校入試がない子向けに12月からプレで高校過程がスタートするのである。で、スパルタだが面倒見がよくしかもリーズナブル。その頃の上のは英語はやっとこさ模試で平均点がとれるかどうかだったが、数学なんかは全国統一中学生テストではまぁ人並みの成績だったのでまぁなんとかなるだろと思っていた。が・・・入塾テストを受けるともうズタボロ。スパルタ塾なので先生もド直球に「そうですね。終わってますね~。」と180キロの剛速球を投げ込んできた。いや~清々しいまでの火の玉ストレートである。だがその塾でもあれこれ理由をつけて授業に行かない。で、入塾早々に指の骨を折った時なんかも「ノートがとれないから行っても意味がない」という謎ルールを発動。嫁は「中学受験が終わったら私の仕事終わり~」って感じなので「行きたくないんならいいじゃない。」と何かにつけて「いいじゃないいいじゃない」と夜回り先生みたいに「いいんだよ」を繰り返す。学校の成績がどんなに悪かろうが「頑張ったね」の一言で終わってしまう。「ダメでしょ、それじゃ」というも「もう中学生なんだから自分で考えて決めさせたらいいじゃない。それで困ることになっても自分の責任なんだからそれでいいじゃない」とか言う。いや~中学生に全部決めさせたらまずいでしょ。おサルにジェット機の操縦桿を握らせるようなものである。結果、上のはジェット機の操縦を放棄し、潜水艦に乗り込んで楽しい楽しい海底2万マイルの旅に出かけてしまった。ノー勉太郎の誕生である。ただし面倒見のいい今の塾は休んだら個別で補習をしてくれる。一時は集団塾なのか個別塾なのかわからんくらい個別で補習をしてくれた。ありがたいことである。件の指の骨を折った時、「塾に行かん」と言う上のと散々やり合った挙げ句、こちらが音を上げて塾に「やめさせてください」と電話したときも「上の君と電話代わってください」となり「ノートがとれんのなら俺がとるから塾に来い!」と一括。最後に「お父さん、何かモゴモゴいうようであれば喝を入れますから電話ください」と相成った。上のは去年の夏ごろからやっとこさちゃんと塾に行ってくれるようになったんだが、そういう経緯があったうえにその後も家でのノー勉太郎は変わらずだったので、塾内での成績は振るわず最下位あたりをウロウロ徘徊する問題児であった。最近はちょっとやるようになったけどね。下のは上の失敗があったので英語と数学は初めから今の塾に入れた。英語は通信教育じゃなくてやっぱプロにお任せした方がいいと思ったのだ。英数だけ塾、残りを進研ゼミという作戦に出たのだ。(Z会は最初から回避)が、塾に行っても座ってるだけ。宿題もしない。周りは近所の賢い国立中の子ばかりなので塾内のテストでも凄まじい数字を叩き出す。英語に関しては偏差値20台という「え?そんな数字出せるの???」というありさま。えぇやめました。金の無駄。上のの経験があるから決断は早い。で、完全進研ゼミにしたのだがまぁやらない。上のに引き続き、メルカリでそのまま売れそうな新品状態の教材が積み上がりゲームセット。一応警告はした。「3カ月で目標のところまで終わらなかったら、あの塾に入れる。次は個別だ。」下のは「やめてくれぇ~。あの塾は嫌だ~」「個別はもっと嫌だ~。授業中休めないじゃ~ん。」(←だからいいんじゃん)と全力で嫌がったが、3カ月間何もやらなかったので強制的にぶち込んだ。で、今に至る。下のを再入隊させる際に先生に「学校の英語の成績が平均点の半分なんです」というと先生絶句・・・。「春期講習までで下地は作ったはずなんですが・・・」ただし下の曰く個別はアルバイトの先生なのでやさしいらしい。で、先生は医学部の5年生。いや~医学部生に家庭教師頼んだらいくらかかるんだろう?と思いながら「お前、今超ラッキーな状態だから本気でやれよ」と喝を入れるのだがどうにも・・・。現役バリバリのノー勉太郎である。そんな感じの今の塾。昨日はチャリで行かせたものの、僕も過保護なのかね。帰りは自分もチャリに乗って迎えに行った。で、夜10時。問題児の親子、二人そろってチャリをきこきこ家へと帰りましたとさ。おわり

  17. ちょうど二ヶ月ぶりに祇園花月本公演観劇です。前半分ぐらいがなんとなく埋まってる感じで、全体の3~4割ぐらいで平日の祇園にしたら入ってましたね。5月13日12時開演、さ列で観劇。※新喜劇ネタバレ注意。●ダブルヒガシ前にも見た「おべんとうばこのうた」で、割と年配層の客でしたが受けてました。●藤崎マーケット「楽しいもの」を題材に、ETCぼ料金所でギリギリに上がるバー、新喜劇のオープニングのカップルなどで笑わせました。一世を風靡した「ラララ、ライ」もちょっとやったりしましたが、もう普通のネタでも十分に笑えます。●スーパーマラドーナお馴染み「借金取り」ですが、受けるので5分では収まり切れずでやや持ち時間をオーバー。●ギャロップタクシーの運転手と、幽霊との掛け合いが絶妙。●NON STYLE新幹線のグリーン車でさらに快適に過ごせるサービスという、ちょっとイカレタ石田に笑えます。●笑い飯うーん、さほど面白くもなかったですね。ていうか、ネタのパンチが弱いんですよ。●西川のりお・上方よしお毎回同じネタですが、これは中毒みたいなもんで、聞くと安心する(笑)。5分押してたので、短めにやってました。◆祇園吉本新喜劇「店じまい、させるまい!?」 作・演出 稲見周平【出演】ラーメン屋の大将・・・吉田裕、旅館の主人・・・内場勝則、内場の娘・・・島田珠代、借金取り・・・中條健一・千葉公平、1年ぶりに再会するカップル・・・伊丹祐貴・小林ゆう、10年ぶりに再会するカップル・・・多和田上人・咲方響、50年ぶりに再会するカップル・・・青野敏行・未知やすえ、旅館の客・・・音羽一憲・岡田直子・重谷ほたる。【舞台】祇園旅館の前にあるラーメン屋の屋台。【あらすじ】吉田は父から受け継いだラーメン屋を営むが、客が減ってしまい、さらに借金もしていた。その借金取りが来るが、返済できるお金がないため、店を閉めることになる。そこへ次々とこのラーメン屋の屋台で再会を約束したカップルが来て、なかなか店を閉めることが出来ない。ついに今度こそ閉めることになるが、旅館の客だった三人はグルメの覆面調査員で、吉田のラーメンを評価していた。そうなると店が繁盛し、借金も返せると喜ぶ吉田だったが、吉田が店を閉めることになったので、旅館の内場は他の人に屋台の場所を貸すことにしてしまったのでした。【雑感】物語としてはちょっと今までにない展開で良かったんですが、今の新喜劇の悪い癖の「登場した座員いじり」が毎回多く、特に幕開きでコレと珠代のネタだけで15分ぐらいあって、ちょっとウンザリ。珍しくゆうちゃんや響ちゃんは二景から、やすえさんは三景からの登場でしたので、物語への展開に期待を持たせた割には、さほどドラマチックな展開にはならず。それに借金取りが意外に聞き分けがいいのに、なぜか強引に人質ネタを持ってくるのには無理がありました。まぁそこらを省いてしまえば、30分で解決してしまいますがね(笑)。吉田裕が芯で回しをしたので、内場さんがボケまくるスタイルが面白く、そこだけで満足できるお芝居だったなと。タマが最後に出トチリしてましたがね(笑)。千葉は中條とニコイチで、ちょっと物足りない感じ。川畑座長時代にもよくあった三組の同じパターンの繰り返しでしたが、祇園の少ない人数の割には良かったと思います。祇園もBSの中継が入ってからは毎週座長回ばかりで、実験的なお芝居が減ってしまったのが残念です。平日の祇園にしたら客も入ってた方なんで、全体的にはよく受けてました。

    祇園花月 2024年5月13日
  18. Joshin web 予約の2品が届きました。マイクロエース製のホキ2500と80系湘南色岡山運転所です。ホキはピッタリサイズのコンパクト便でしたが、80系は幅はちょうどでも深い箱です。SDGs的にはひとまとめにすればよいのに、それは手間がかかるのでしょうね。まずは待望の赤ホキから開封です。国鉄所有の石灰石輸送ホッパ車です。積載物は取り外し可能なようです。反射板が付属していますが、取り付けはしません。4輌がレイアウト上に入線します。やはり牽引はED16。高校卒業時の友人との撮影旅行で訪れた青梅線が思い出されます。反射板を付けずに、車掌車としてヨ6000がお供します。続いて80系を取り出します。別売りのモハとサハも購入して6輌編成にしたいところですが、プラス1万円近い出費は躊躇います。小さなレイアウトなので4輌編成でも十分似合うので、満足はしています。いいお顔(*^-^*)車輌番号もプリント済で、取り付け部品もありません。クハ86 031。モハ80 098.モハ80 088。クハ86 085。新入りの2編成が行きかいます。車掌車のヨ6000は傾斜の下で連結が外れてしまうので、先日仲間入りしたヨ8000と交代です。時代や実車の関係は無視します。すれ違い風景もいい感じです。

    ホキ2500&80系湘南色(マイクロエース)
  19. ご覧くださりありがとうございます2024年5/17(金)JRの夏の臨時列車が発表されました各社のプレスリリースに目を通しましたが年を追うごとに面白い列車が減っていくばかりです個人的にはJR東日本で活躍している185系を気にしておりました案の定185系B6編成(ストライプ色)の編成は検査期限が迫ってきている為今回の臨時列車では2日間の活躍になるそうです電車の検査期限は会社や車両などにもよりますが基本8年周期ほどとなっています団体列車では数回運行が設定されていますがそれも7月くらいまでになりそうです今後が気になりますね今回は1年前の8月に運行された185系夜行列車諏訪湖花火大会号に乗車した時のレポを公開させてもらいます今回の工程は新宿→(団体列車)→上諏訪(自由行動)→(夜行列車)→新宿となっておりますこの列車運行前日に台風が来ていた事もありこの列車はウヤ(運休)になるかと思いましたが運行されました座席はこんな感じ車内は今の列車では感じれない匂いを感じれますこの匂いは嫌いな人もいると思いますいわゆる国鉄電車臭と言うやつですねモーター音を上げながら中央本線を駆け抜けます途中では営業運行開始前の普通列車グリーンが台風通過の影響もあり川も少し荒れていました言い方は悪いですがこの185系夜行は鉄オタさん向けではなく一般客花火を楽しみたい方の為の列車となっており車内は結構一般の方ばかりが乗車されていました車内の半分は空席でしたねツアーの単価が高いので納得です車内チャイムを全種類鳴らしてくださるというサービスもあり大満足です上諏訪駅に到着少し撮影人も少なく結構満足できましたね往路はここで解散復路乗車の為に上諏訪駅に戻ってきましたこの人の量ですよ駅の混雑は半端なかったですね臨時列車も結構走っていました185系夜行列車は遅延の影響で到着後すぐの出発シートをボックス型にして乗車足を伸ばして乗車させていただきました途中駅ではE353系夜行列車と並ぶ場面も基本消灯はないのでずっと明るいままとなっています2024年の夏の臨時列車でも奥に見えているE353系使用の諏訪湖花火大会号は運行するそうです夜行列車に乗っていて一番好きな場面ですそれが日の出まだ5時過ぎですが結構明るくなっていましたね旅行会社の方も放送の度に鳴らすチャイムを変えてくださったので車内放送も楽しめました新宿駅に到着185系のモーター音を楽しめた旅でした特に中央線はトンネルが多いので余計にモーター音を感じれました早朝の駅にはまだ誰も居ませんでしたね寝不足で目を擦りながら写真を撮影していたのも良い思い出です♪今回はこの辺で乗車レポートというジャンルはこの様な記事を今後も投稿させてもらいますこのジャンルを充実させる為に色々製作中ですお楽しみに過去ネタ多めですご覧くださりありがとうございました

    185系諏訪湖夜行乗車レポ
  20. こんにちは(`・ω・´)ゞ四国中央市では遅かった今年の桜もようやく終わろうかという4月14日かつてシコチュウ市にあった2本の索道の痕跡にも想いを巡らしながら銅山川左岸の金砂湖遊歩道を散策中~『法皇山脈を越えて金砂湖へ』こんにちは(*`・ω・)ゞ前回、四国中央市の佐々連鉱山から江之元港まで法皇山脈を越えて8kmを片道1時間で結んでいた架空索道を調べているうちに私も久…ameblo.jp2024-05-09 ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・長野隧道を抜けて金砂湖の北岸を翠波橋まで辿って来ました長野隧道からここまで77分金砂湖の湖岸を辿る遊歩道は景色も良くて、オススメの散歩道(一部崩壊箇所⚠️あります)この日の水位は低かったけど満水で遊歩道の際まで水位が上がると湖面に映る風景も相まって更に素晴らしい景色が楽しめそう翠波橋 昭和28年9月竣工柳瀬ダムが完成したのが1953(昭和28)年10月ダム完成とほぼ同時にこの吊り橋も架設されたみたいトンネルアンカレイジの手前に駐車車両があったけど・・・合併前の翠波橋ずーと(30年以上)前に来た時には「緊急車両以外は通行出来ません」って書いてあったけど、今は無いのかな?対岸の入口にチェーンが張られてるけどダイヤル式の鍵になってた(許可を得た地元の方は進入可能になったのかもね) ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・翠波橋を渡らずに更に左岸を進んでみるーひょっとして金砂湖一周出来る?柳瀬ダムまで行けるかなー翠波橋から先は遊歩道じゃ無くて車道になってる車道になった道を進んでいくと今もしっかり世話された折坂の六地蔵が祀られてた戸数10余戸の農業集落で2戸を残して水没既に無住となり潰れた廃屋もある折坂ですが管理に通われてる人が居られるのか残った(水没を免れた)集落の道も手入れされており電気も通じている様で防災無線も設置されてるコンクリート製の小さな橋を渡りますこの枝道の先に新しい小屋があってそこで作業中の人が見えた折坂の集落を過ぎても岩を削り、石垣を積んだ立派な道が続いてるこれだけの道を通すには量り知れない労力が要ったろうに・・・生活道として辿る人が居なくなったのか橋が朽ちてる金属製の橋桁は残っており林業関係者が間伐材を渡して丸太橋にいい雰囲気の道が続いてるー遊歩道は湖岸でしたが折坂を過ぎてずいぶんと標高を上げてるー湖面標高が285mで100mほど高い標高約400mの山腹斜面をトラバース中この辺りの植林は伐採されて間も無いのか見晴らしが抜群でした植林の中に家屋が現れた軒下に服が吊るされてるー誰か居るのかな~小さな谷を渡る橋があったみたいでも、何故か橋桁が外されてる対岸には石積みの橋台が残ってて災害で壊れたんじゃなくてこの先へ誰も行かない様にと外されたとしか思えんけど・・・地形図の道もちょうど此処で消えている橋が架かってればもっと行ってみるんだけど今日は此処で折り返します小川山折坂 真導寺(しんどうじ)畑跡と思われる石積みが広がってるここは集落では無くて元々の一軒家で地区は折坂に属するようですダム建設で水没した一家がこの地に転居したらしい折坂集落が健在だった頃には「シンドウジ」と呼ばれてたそうな地名は真導寺とも真導地とも表記するそうなここまで、スタート地点から4.5km生活感の残ったままの家屋と庭先に転がってる綾鷹のペットボトル賞味期限は2010年9月28日風にも飛ばされず朽ち果てもせず軒下に干されたままの衣類ホンマに時が止まっとるがね辺り一面が植林されてますあんまり間伐されては無いみたいやね今にも走り出しそうなホンダのスーパーカブとヤマハ・メイト? ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・今はザレて歩きにくい道もバイクでかっ飛んどったんやなwこれ以上進むことはあきらめて来た道を折り返します林業の作業小屋まで戻って来たもうすぐ、折坂翠波橋が見えたミツバツツジと翠波橋折坂の空家の前に四国中央市の広報誌とタウンページが捨てられてるって思ったら後日、3年程前に撮られた写真がネット内にありました軒先に引っ掛けてた袋が朽ちて落ちてたのね~上から眺めると平成29年(2017年)発行の広報誌が確認できたので無住になって10年も経ってない?南向きで、谷水もあり、翠波橋を渡って近くまで自動車でのアクセスも可能で電気も通じてる折坂には定住はしてないけど通われてる方はいるみたい ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・柳瀬ダムの水没で廃村になった集落には、上流から水丁・押淵・小頃須・安井・川口・信生の6集落があり、集落の大半が水没になったものには、灰原瀬・平野・横飯・上小川・岩鍋・折坂・柳瀬の7集落があるこのうち、少数の家の残存した横沢は昭和48年に廃村となり、ダムサイドに近い大籔と脇之谷も相次いで廃村となる金砂村は山腹緩斜面が少なく銅山川本流沿いの谷底平野に立地する集落が多かったそのほとんどが昭和28年に完成した柳瀬ダムによって水没村の中枢部を水没で失った村は周辺にあった残存集落の孤立感を高めこれらの集落でも高度経済成長期に離村が続出したデータベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システムwww.i-manabi.jp⑥中曽根の石床から翠波峠の東の697mの峠を経て折坂に至る。翠波は水波大権現で社があり、水の神様で、雨乞いの翠波おどりが行われる。川口方面の人が利用する。三島へ歩いて3時間半。翠波橋を渡って右岸へ渡り終えての振り返り(南から)金砂湖に流れ込んでは大変という事でしょうか地すべり対策事業としてかなり大掛かりな復旧対策工事が行われてた ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・データベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システムwww.i-manabi.jp戸数10戸余の横藪は金砂村の行政の中心地であり、役場・警察官駐在所、郵便局があったが、上方の2戸を残してすべて水没する。その対岸の岩鍋は戸数11戸、白滝鉱山と三島を結ぶ索道の中継駅で、索道の原動所もあったが、下方の集落は水没、上方の集落のみが水没をまぬがれた。水没をまぬがれた部分には横藪から役場、郵便局、警察官駐在所が移転してきて、新たに金砂地区の行政の中心地となる。「えひめの記憶」 金砂湖に沈んだ村 より金砂村は、愛媛県の東予地方の宇摩郡にあった村1954(昭和29)年11月1日に三島町、松柏村、寒川町、豊岡村、富郷村、金砂村の2町4村の合併で市制施行し伊予三島市となり、自治体としては消滅した。その後、伊予三島市は平成の大合併で四国中央市となり、現在に至る1953(昭和28)年、柳瀬ダム湛水に伴い岩鍋地区に移転した金砂村役場は翌、昭和29年11月の合併で伊予三島市金砂支所となる岩鍋山荘の左の広場に昭和50年度の空中写真で同じ様な建物が並んで建ってるもしかして、ここに郵便局があったのかも?現在、岩鍋地区は無住になって家屋は全て廃屋になってるこの分岐から薬師峠へ道が繋がってる少し登ってみましたが急勾配の道の両側の田畑は立派な植林に変わってた ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・白滝鉱山架空索道の岩鍋起動所から三島金子までの法皇山脈を越えるルートも検証してみましたかつて中曽根石床から翠波峠の東の697mの峠を経て折坂に至る翠波街道この標高697mの峠を索道も越えていたようです(1961年の空中写真と地形図を重ねて検証しました)法皇隧道の完成で葛川-三島の間がトラック輸送になり1966(昭和41)年頃に撤去されました ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・岩鍋から銅山川右岸を遡り銅山川へ注ぐ支流の上小川だった金砂湖岸を上小川の上流へ辿りますこの上小川と銅山川が合流する周辺には川口(こうぐち)という集落があり川口小学校と金砂中学校がありました川口集落の南端小川橋までやって来ました~この小川橋の上から上小川の下流方面を眺めると湖底に眠る川口集落が一望のはずでしたが・・・小川橋は橋脚だけになってる~えひめの記憶を見るとこの川口(こうぐち)にも白滝鉱山架空索道の駅があったようですデータベース『えひめの記憶』|生涯学習情報提供システムwww.i-manabi.jp索道法皇トンネルをバスが走る前には、嶺南の鉱石や木材の物産を三島に出し、日用雑貨を嶺南に運ぶのに索道が発達している。その前には馬の背や仲持が運んだ。 索道は3本あった。白滝索道は大正6(1917)年に、三島索道㈱が下猿田から下をもっていたのを日本鉱業㈱が買収した。白滝鉱山から8里(32㎞)あり、途中白滝―城師―葛川―藤原―下猿田―豊坂―下長瀬―小頃須―川口―三島の駅があり、玉村式でケーブルの太さは1インチで、4時間を要した。川口から三島は50分であった。運転時間は朝8時から夕方4時までで昼11-12時は休んでいた。佐々連鉱業㈱の索道は大正10(1921)年に架設され、佐々連鉱山の鉱石を6マイル(9.6㎞)先の三島の江ノ元港に運んだ。昭和2年5月玉村式50馬力にした。途中金砂と押渕に駅があり、返り荷に日用雑貨や旅行者の荷物なども運んだ。佐々連鉱山はもと岩城、後に別子鉱業が操業していた。佐々連のケーブルは1インチより小さく7分であった。疏水索道は柳瀬―馬瀬谷―三島の5マイルで昭和16年の架設で、ケーブルの太さは1インチ2分であった。大王製紙が疏水組より借りて操業していた。 川口~三島間の運賃は昭和25年当時、普通貨物で10貫が22円、手数料が13円で合計35円であった。木材は少し安く、竹など長いものは高かった。積載量は8分の1トン=35貫というが、2分の1トンぐらいバケツに入れていた。えひめの記憶 嶺南の峠道と索道より柳瀬-馬瀬谷-三島にも疎水索道があって全部で3本あったとは知らなんだ~上小川の上流に新小川橋が付け替えられてた橋脚も壊してしまうのだろうか?遺構として残しても問題ない様に思うけどどうなんだろう ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・往路で金砂湖遊歩道から見た小頃須駅の支柱遺構復路では銅山川右岸の国道319号から眺めれますが国道と金砂湖の間の植林が大きくなってこちら側からは殆ど見えなくなってる佐々連鉱業(株)の索道も法皇山脈の稜線から金砂湖までのルートも検証しておかねばね先の「えひめの記憶」の記述では「途中、金砂と押渕に駅があり」とあったけど沈んだ押渕駅が南岸なら金砂駅は北岸?金砂湖の誕生後の1961年の空中写真を見ると赤丸A地点が何やら駅の雰囲気がある様な気がする(;^ω^)地形図と合わせて検証すると標高585mのピークの僅かに右を通り法皇山脈の稜線を越えているみたいです写真を撮って無いのでストリートビュー(;^ω^)現在地から見ると索道はこんな感じに見えたのかな~(押渕駅水没後) ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・暗くなる前にパジェロ迄戻れるだろうかと急ぐところですが・・・グーグルマップを見ているとちょっと気になる点が出て来た-何やこれー!どうちて、こんな所に川口小学校の石垣跡があるの?川口って大字小川山の西部銅山川と上小川の合流部じゃなかったんかいね小川橋のあたりから銅山川に向かって少し下った所に昔、川口と呼ぶ戸数七戸ばかりの部落があって、そこには小学校、中学校などもあったが昭和二十八年柳瀬ダム(金砂湖)出現により悉く水没した。郷土史「伊予三島市嶺南」よりおそらくですが・・・昭和38年10月1日川口小学校は平野山小学校と統合して閉校し金砂小学校となってるので統合前の水没した平野山小学校やろねグーグルさんにおっせてやらないけんねw ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・ココを真っ直ぐ行くと県道6号線になって別子経由で新居浜市街地へ通じてる国道319号に昇格した酷道は右へココから先、三島までは国道に昇格後に拡幅工事等行なわれてるのでほぼ2車線になってる(法皇トンネル内は1車線)平野橋で金砂湖を渡ります現在嶺南公民館となっている旧金砂小学校この辺りの桜は完全に終わってるー\( ° 0 °)/オワター東長野の長野集会所から右へ18時20分パジェロデポ地点の長野隧道手前に到着です写真では明るく写ってますがもう、薄暗くなってるよーiPhoneSE(第3世代)にインストールしたジオグラフィカでは今回の探訪距離は14.4kmガーミンでは15.46km比較すると毎回必ずガーミンの方が多く記録されているけど何故だろう(毎回思う未解決の疑問)さすがに時間は同じですwガーミンのGPSデータで作成した3D動画 ゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・探訪後の帰り道翠波高原を通ったよー菜の花金砂湖から上流部の白滝鉱山架空索道のライン(想像)金砂村の隣、富郷村の昭和20年代の資料を見つけた!次回はこの痕跡をパジェロで追ってみたいと思ってますぅー長くなりましたが最後までご覧いただきましてありがとうございましたでは、また関連記事1.桜と索道 へ2.江之元の索道 へ3. 法皇山脈を越えて金砂湖へ へ4. このページの最初に戻る

    たくさん共感されています

    水没した集落と現在の金砂湖