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  1. 大阪市内からの手頃なハイキング地として能勢妙見山があります。能勢電鉄の妙見口から阪急バスに乗ると、同社が経営する妙見の森ケーブルカーに乗り継ぐことが出来ました。この1号車には「ほほえみ」の愛称が付きます。対となる2号車は「ときめき」という愛称が付きます。なおこのケーブルカー、全国に2本しか存在しない標準軌のケーブルカーだったりしたのですが、山上で展開するレジャー事業が安定的な収益を出せなかったことを理由に廃止となってしまいました、残念でなりません。まぁ、公共交通機関で行くには色々と乗り物を乗り継ぐ必要があり、移動距離の割に所要時間がかかり過ぎるというのも一つの理由だったでしょう。せめて、能勢電がケーブルの真下くらいにまで伸びていれば便利だったのですが‥。車内です。こちらは1号車の「ほほえみ」で、外観に揃えて青系の色使いです。階段状なのはケーブルカーではお馴染みですね。そしてこちらが2号車の「ときめき」です。対して赤系の色使いですね。ドアです。後々気付きましたが、こちらは降車側のもので、乗車側は折戸となっています。最前面です。運転は頂上側にて行うため、左側にあるのは運転席ではなくあくまで保安要員の方が座る乗務員席で、ハンドルブレーキが設置されています。天井です。照明はカバーが掛かった蛍光灯で、鉄道車両によくある細長いそれではなく、豆電球タイプのものが付いています。なお非冷房です、夏は窓からの風が涼となります。その窓です。二段式で、下段は開閉可能です。乗車時間も知れているので、日除けはありませんね。座席です。クロスシート配置で、ほとんどの席がボックスシートとなっています。座り心地だとかはこの際気にしなさんな、数分で終点ですから…。この手の車両にしては、シートピッチが広めですね。係員席の向かい側は展望席となっております。そう言えば、この手の座席としては珍しく肘掛けが付いていますね。「ときめき」の座席です。モケットの色以外は特に変わった点はありません。

    能勢電鉄  妙見の森ケーブル
  2. この時間は、秋田県の駅をぐるりします。本日の駅は、奥羽本線の泉外旭川駅です。ページの最後に秋田の駅をぐるり記事リストがあります。写真は,平成10〜20年代撮影のものが多くあります。現在の状況とは変わっていることがありますので、参考にする際はご注意ください。また、当ブログをご利用される際は、必ずこちらの記事「免責事項について」をお読みの上、ご覧くださいね。では,最後までごゆっくり!**********本日は令和3年に開業した秋田県でいちばん新しい駅、泉外旭川駅です。この駅、ハングルとアルファベット表示を見ると分かるとおり、泉/外旭川と区切ります。泉地区と外旭川地区の境界に作られたからなのですが、土地勘がないと泉外/旭川と区切りたくなります。そんなところは、山口県下関市の山陰本線にある梶栗郷台地駅(梶栗/郷台地)を思い出しました。また、この新駅もう一つ大きな特徴があります。こちら秋田方面乗り場の構内。1面1線の棒線駅…ではありません。左端に列車が止まっているのが見えます。そう、上下線がとても離れているのです。こんなところは、広島県広島市の山陽本線にある天神川駅とよく似ています。ただ、天神川駅と違って、駅舎が上下線別にあるわけではなく、上下線の中央にあります。青森駅方面のホームに移動してきました。こちらは上下線のホームを繋ぐ通路部分です。この辺りの通路って意外とオープンな作りでびっくりしました。冬は吹雪がダイレクトに当たりそうです。この上下線に挟まれた空間は、元々秋田貨物駅の敷地の一部のようで、当駅から秋田駅方向を見るとすぐに施設が広がっています。ただ現在の秋田貨物駅は私の背後方向にあり、前方の建物の向こうは空き地で太陽光発電パネルが並んでいます。では振り向いて通路中央にある駅舎に入ってみましょう。改札部分には運賃箱があるだけでしたが、現在はSuica対応エリアとなったためレイアウトが変わっていると思います。待合室です。というかここが駅舎部分となり……ここに自動券売機もあります。壁にあるのはヒーターでしょうか?よく北日本の駅のトイレで見るんですが真冬に行くことがないので使っているのは見たことがありません。駅前?側から見た駅入口です。まあ、ここが駅前?トイレがあります。あとは駅敷地に繋がる地下道に向かう階段とエレベータがあります。地下の階段下から見上げる駅部分。駅名標?ではなく出口案内ですね。けっこう出口までは距離があります。こちらは外旭川側の駅入口。外旭川駅前広場。こちらが山手です。こちらは泉側駅入口。泉駅前広場。広場の中央は駐輪場になっています。位置関係はこんな感じ。上が秋田駅、下が青森駅方面、左が外旭川地区、右が泉地区となります。(令和3年6月訪問)秋田県の駅訪問に便利なホテル秋田駅(駅から徒歩5分・500m以内で楽天評価4.0以上)リッチモンドホテル秋田駅前楽天トラベル東横INN秋田駅東口楽天トラベルホテルメトロポリタン秋田楽天トラベルANAクラウンプラザホテル秋田楽天トラベルコンフォートホテル秋田楽天トラベルホテルアルファーワン秋田楽天トラベル※楽天トラベルの評価は令和6年1月現在のもの、駅からの距離は楽天トラベルアプリ内の情報です。秋田の駅をぐるり 記事リスト奥羽本線・院内駅 秋田の駅をぐるり1 奥羽本線・三関駅 秋田の駅をぐるり2 JR東日本・横手駅 秋田の駅をぐるり3 奥羽本線・後三年駅 秋田の駅をぐるり4 奥羽本線・飯詰駅 秋田の駅をぐるり5 JR東日本・大曲駅 秋田の駅をぐるり6 奥羽本線・峰吉川駅 秋田の駅をぐるり7 JR東日本・秋田駅 秋田の駅をぐるり8 奥羽本線・泉外旭川駅 秋田の駅をぐるり9 奥羽本線・土崎駅 秋田の駅をぐるり10 奥羽本線・上飯島駅 秋田の駅をぐるり11 奥羽本線・上飯島駅 秋田の駅をぐるり12 奥羽本線・大久保駅 秋田の駅をぐるり13 奥羽本線・前山駅 秋田の駅をぐるり14 JR東日本・大館駅 秋田の駅をぐるり15 五能線・能代駅 秋田の駅をぐるり16 五能線・あきた白神駅 秋田の駅をぐるり17 羽越本線・羽後本荘駅 秋田の駅をぐるり18 羽越本線・羽後岩谷駅 秋田の駅をぐるり19 羽越本線・羽後亀田駅 秋田の駅をぐるり20 羽越本線・桂根駅 秋田の駅をぐるり21 花輪線・十和田南駅 秋田の駅をぐるり22 男鹿線・羽立駅 秋田の駅をぐるり23 男鹿線・男鹿駅 秋田の駅をぐるり24

    たくさん共感されています

    奥羽本線・泉外旭川駅 秋田の駅をぐるり9
  3. 大井川鐡道千頭駅です。千頭駅構内にはきかんしゃトーマスがズラリ。これは子供たちは喜ぶでしょうね。さてさて、千頭から14時55分発の急行EL「かわね路2号」に乗ります。急行券として500円が別途必要です。牽引する機関車は元西武のE31形電気機関車。私の乗車するのはこのオハフ33 469。戦後形の客車なので、少し車内が明るい感じですね。といっても1948(昭和23)年製ですが・・・。ひじ掛けのデザインもよく見ると凝ってます。やはり蒸気機関車牽引でないので、人気がないのか車内はガラガラでした。私にしたら旧型客車に乗れれば、SLでもELでもどっちでも構いません。定刻に千頭を出発します。前日からの雨で濁った大井川を渡ります。開け放った窓から入る風が心地よいですね。1931(昭和6)年開業当時の駅舎の駿河徳山駅。客車なのでモーターが無く、カタンカタンというレールのジョイント音だけが響く車内は、もう昭和にタイムスリップしたよう。田野口駅。ここも駿河徳山と同じ開業なので、同時期の駅舎だと思います。木造駅舎に旧型客車、いやぁ~素敵な光景ですよね。昭和50年代前半までは、こういう旅が当たり前でした。塩郷ダム。次回につづく・・・。

    東海道寄り道旅 2022年皐月 その13
  4. 早いもので5月に入りましたが、依然健康事情で活動していないのでまた思い出話になります。1985年につくば科学万博が開催され、会場に向けて電車と客車を総動員した臨時列車が多数運行されました。GWはサラリーマンにとってまとまった休みが取れる貴重な機会なので、小生も期間中に何回も常磐線沿線に出撃しました。そして臨時列車の合間に当時常磐線の主だった485系の特急ひたちが続々とやってくるので当然カメラを向けました。ちょうどこの年に九州から60Hz用のクハ481が大量に勝田区に転属して来てひたちに充当されましたが、赤スカートが特長です。趣旨は全く違いますが貨物の赤熊の0番台も赤スカですね。背後の民家に鯉のぼりが掲げられているのが見えます。この時の先頭車は全てボンネットでした。ボンネット車はJRに承継されて暫く活躍を続けましたが、これは東北本線のヒガハスを走る珍景です。勿論ひたちとしてではなく団臨に使用された訳ですが、マークを着けっ放しにしているので知らない人が見たらビックリしたのではないでしょうか?赤スカではなく上にヒゲが描かれていますが、どちらのスタイルがいいかはお好み次第?約40年前のGWは撮るものが多すぎて困るくらいでしたが、今年はずっとくすぶったままで正に雲泥の差です(-_-)

    GW中の特急ひたち
  5. 西梅田駅から住之江公園駅までの往復大阪メトロ四ツ橋線の23系に乗りました
  6. E501系の日
  7. みなさんこんにちは、しばらくぶりの更新となりました。手のケガも完治したことだし、9連休となった今回のG.Wの楽しみとして鉄道模型を買いに大分へ向かうことにしました。小雨の振る中向かった先は豊肥本線 三重町駅古い跨線橋がいい感じの雰囲気です。今回はアミュプラザ大分しか行かない予定なので、混み合う駐車場探しのストレスを軽減するためあえて車での大分入りは避け列車で向かうのが最近の流れとなっています。写真を取り忘れましたが、今回乗車するのはキハ200です。大分駅へ到着コンコースに貼り出された数日前にデビューしたD&S列車「かんぱち・いちろく」の特大ポスター2R形と新たな型式を設けた元キハ47とキハ125を使用した3両編成ですが、別府行は特急かんぱち(月・水・土に運行)、博多行は特急いちろく(火・金・日に運行)とそれぞれ名前が変わるみたいですね。あと、JR九州のD&S列車の傾向が運賃高と高級へシフトしているのはあまり好きではない流れです。改札を抜けた所にいきなり現れたジオラマイベントコーナーとして設置されていたJR九州の車輌が周回するNゲージのジオラマ展示。臼杵大仏を475系がぐるぐる回ったり、外周コースをななつ星や787系が走るなど、親子連れが足を止めて見物していました。買い物を済ました後は大分駅のホームへ夕方の気動車入線ラッシュが始まりましたキハ183-1000番台あそぼーいが熊本へ向けて入線します。8番線には大分止まりで入線したキハ2006番線には別府行のキハ185ゆふ最後に5番線には自分が乗る三重町行キハ125の単行そしてこの車番を見てピンときたのが…。以前購入した鉄コレのキハ125 2両セット左のゾロ目が当該車両になります。リアル鉄コレに遭遇し、模型を片手乗って帰る謎の幸福感 笑。数十分ほど走ると三重町駅に到着ここからは車に乗り換えて自宅へ戻りましょう。そして同日購入したのは引退して間もないKATO製8620形蒸気機関車58654号機(中古)。今更感はあるのですが、実車が引退してしまうとなんとなく寂しくなって買ってしまったと言うか…。いつも親切に対応下さる店員さんの話だと、出所はしっかりしているユーザーさんの買い取り品らしく、コレクターで未使用の保管品だったそう。側面蒸気機関車の模型は初購入ですが、評判通りこの造り込みはほんとヤバい…。張り巡らしたゴールドのラインをどうやって仕上げているのか見てみたいくらい、走らせなくても眺めているだけで十分満足する出来栄えです。上部より無線アンテナがあるところがJRの蒸気機関車らしいですね今回購入したのは単機なので今のところ使い道が無いのですが、客車のみも設定があることだし見つけたら購入してみたいなと思います。本当は貨物列車用に再販されたC12を買ってみようと思って来店したら、SL人吉の58654号機を買ってしまったお話でした。あと作業途中の機関車も抱えているので再開しないといけないかなと。他にも購入した車両がありますが、これはまた後日ご紹介する予定です。ご覧下さいましてありがとうございました。それではまた。【中古】Nゲージ KATO(カトー) 10-1727 58654+50系「SL人吉」4両セット 【B】 ※58654:ヘッドマーク取付済 ※スリーブ若干傷み楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}[鉄道模型]カトー 22-251-3 サウンドカード(SL人吉)楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}KATO|カトー ユニトラックアソートセット<球磨川の思い出とともに>楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}10335 KATO用 50系客車「SL人吉」 室内セット[イメージングラボ]《発売済・在庫品》楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}【中古】Nゲージ KATO(カトー) 7011-4 DE10 JR九州仕様 2022年ロット 【A】楽天市場${EVENT_LABEL_01_TEXT}

    KATO 2028-2  8620形(58654 SL人吉)が入線しました
  8. 【主な乗り物:つくばエクスプレス線快速電車】東京が急に暖かくなって、観測史上2番目という早咲きの桜が満開になっていた、平成25年の3月末の平日のこと、南風に誘われて、ふらりと旅に出た。──などと書き出せばなかなか良い風情なのだが、実は、千葉県流山市で開かれる法人の会議に出席するだけであった。仕事なのである。この日は珍しく仕事が順調で、予定より早く都心の職場を出ることができた。近隣にある大学の構内の桜も、ちょうど満開だった。ひらひらと舞う可憐な花びらの中を足早に最寄り駅へ歩き、中央・総武線各駅停車の高架ホームに昇れば、頬に当たる風も柔らかくて、何となく浮き浮きとした気分になる。普段、車や自転車での移動が多かったので、ありきたりな通勤電車でも、久しぶりに乗ってみれば旅情をそそられる。東京は高曇りで、陽の光が強いわけではなかったけれども、週末を前にした街は、どことなく陽気な雰囲気が漂っていた。皇居の北側を走る中央線の沿線風景も、休日のような華やかさがある。道路は混雑しているように見受けられたが、歩道を行き交う人々の足並みも、何となくのんびりとしていた。市ケ谷駅では釣り堀で糸を垂れる人々が見え、外堀の斜面に咲き乱れる桜並木が、鮮やかに街を彩っていた。秋葉原駅は、いつ来てもごった返している。電気街から萌えの街へ変貌を遂げても、昔ながらの駅の造りも、交錯する人々の流れも、大して変わりはないように思える。学生時代は、音楽のカセットテープやCDなどを買いに、よく訪れたものだった。品数が豊富な音楽ソフトを揃えた家電量販店が目当てであった。中央・総武線各駅停車の千葉方面のホームで、昔ながらのビン入りの飲み物を売っているスタンドや、立ち食い蕎麦屋も、よく利用したものである。平成24年に、秋葉原に君臨していた大型電気店が別ブランドに吸収される形で閉店、というニュースを見て、容赦のない時代の流れを感じたものだった。高架ホームから数えて5本ものエスカレーターを乗り継いで地下に潜れば、首都圏新都市鉄道・つくばエクスプレスの秋葉原駅である。平成17年8月に開業した、当時、東京で最も新しい通勤鉄道で、駅は秋葉原貨物駅の跡地の地下に設けられており、地上にはヨドバシカメラが大型店舗を構えている。この再開発に伴い、南北に走る山手線・京浜東北線と東西に伸びている中央・総武線各駅停車の高架ホームが十字に交わるだけだった秋葉原駅に、広い駅前広場やバスターミナルができ、面目を一新したのだが、駅の中で乗り換えるだけならば、ホームの下にこれほど広いコンコースがあったっけ、と首を傾げたくなる空間はあるものの、その他は昔のままの佇まいに見える。それまで、筑波研究学園都市へのアクセスは高速バスだけだった。時刻表でおよそ60分の所要時間とされていたけれども、首都高速道路の渋滞のために、更に時間がかかることが多かった。我が国の頭脳を目指す新しい都市を計画的に造ったと言う割りには、何だか頼りない交通アクセスだなあ、と思ったものである。高速バスが好きな僕としては気軽にバス旅を味わえる貴重な路線だったけれども、バスはいつも大変な混雑ぶりで、10分から15分ごとにバスを発車させても、乗り場に利用客の列が途切れることはなかった。ドイツから輸入した80人乗りの超大型2階建てバスが投入されたこともある。ところが、つくばエクスプレスの開業後は、高速バスの本数も乗客数も減ってしまい、栄枯盛衰を感じさせるような寂れた雰囲気の路線になってしまった。僕がつくばエクスプレスを利用したのは、開業後、かなり経ってからのことだった。最初は、平成20年の真夏である。両国の花火大会を見物に行った帰り道、浴衣姿に身を包んだ妻と大変な人混みに揉まれながら、少しばかり歩き疲れた頃合いに僕らの前に現れたのが、つくばエクスプレスの浅草駅の入口だった。流山には仕事で何度か出かけたが、いつも車だった。南流山駅と、会議の場所がかなり離れていて、路線バスの本数も少なく、タクシーを使うしかなかったのだが、基本料金で行けるような距離ではなかった。それでも、最近はつくばエクスプレスを使うようになった。電車の方が遙かに所要時間が短いため、仕事が忙しくなると車で行く余裕がなくなったのである。内実は、つくばエクスプレスの魅力に取り憑かれた、と言っても良い。何と言っても、スピード感が半端ではない。最高時速130kmという俊足ぶりは、乗車していても充分に体感できた。他社の特急で、これより遅い列車はいくらでもある。秋葉原駅から南流山駅までの22.1kmを、わずか20分程度しかかからない。車は、目的地まで乗り換えがいらず、自分でハンドルを握る楽しさはあるけれども、渋滞があるから1時間半はかかるのが常だった。渋滞にはまって、着いたら会議が終わりかけていた、ということもあった。その頃、新しい楽しみも加わった。南流山駅の近くにある「こんがり亭」というパン屋さんである。ブログ友達がやっているお店で、前年の11月に初めて寄った時からファンになった。値段もリーズナブルで、会議の出席者の夕食用に、また妻へのお土産に、たくさん購入するのが常となっていた。残念ながらブロ友さんは用事で不在だと聞いていたけれど、この日も寄ろうと心に決めていた。秋葉原駅の地下ホームでは、ちょうど、つくば行きの快速列車が発車を待っていた。まだ帰宅時間の前だから、それほど混んではいない。間接照明が照らし出す、少しばかり薄暗いホームの人影は疎らだった。車内を覗き込んだ時に、嬉しさのあまり飛び上がりたくなった。座席配置が、首都圏ではとんと見かけなくなった、4人向かい合わせのボックス席だったのである。かつて、近郊電車の大半はこのような座席配置で、車窓を楽しみながらの旅ができたものだった。当時の背もたれは垂直でシートも固かったし、前後の間隔が狭くて、前に座る乗客と膝の位置を譲り合うようなこともあった。少しでも乗客を詰め込もうとして、窓に背を向けるロングシートの車両が大半を占め、味気ない乗り物となりつつある昨今の首都圏の近郊電車の傾向からすれば、新参のつくばエクスプレスが、このような車両を製造していたとは、思いも寄らないことだった。これまでに乗ったつくばエクスプレスの電車は、ロングシートばかりだったのだ。定刻に、するすると動き出したつくば行き快速電車は、しばらく地下を走る。暗い窓外を、時折照明が一筋の矢のように通り過ぎていく。コーッと甲高い走行音が車内に鳴り響く。地図によれば、JR山手線と京浜東北線の地下を北上、御徒町駅の手前で東にカーブし、春日通りと都営地下鉄大江戸線の直下を走り、新御徒町駅で停車する。再度カーブして北へ進路を戻し、浅草駅へ。いわゆる浅草六区の地下にあたり、東武鉄道や地下鉄銀座線、浅草線の浅草駅とかなり離れているのだが、隅田川花火大会の日は、人波に押されるまま、ここまで歩いてしまったのである。僕にとって、浅草駅は、つくばエクスプレス初乗りの地であったから、いつも懐かしさを覚えるし、秋葉原の地下駅への入り口に「浅草まで4分」と大きな看板が掲げられているのだが、浅草寺や仲見世を目指す観光客は、つくばエクスプレスの浅草駅で地上に出れば、戸惑うのではないだろうか。南千住駅の先で、JR常磐線と地下鉄日比谷線に挟まれる形で地上に駆け上がると、車内の隅々までさっと光が行き渡った。ところが、顔を上げて窓に目を向ける人は僅かで、まばらに人が立つ程度の車内では、気怠そうに目をつむっていたり、うつむいて携帯をいじったり、雑誌・新聞を読むのに余念がない乗客が大半だった。隅田川を渡り、更に高度を上げて、北千住駅3階のホームに滑り込むと、どっと乗客が乗り込んできて、車内は一気に賑わった。北千住駅を出た快速電車は、地下鉄千代田線やJR常磐線と並走しながら荒川を渡り、東武伊勢崎線と交差する辺りで、再び地下に潜ってしまう。雑然とした東京都内の地上風景を眺められる時間は短い。青井、六町、といった、それどこ?──と思わせる駅を通過しながら、しばらくは綾瀬川に沿って地下区間を走り、埼玉県に入って、八潮駅の手前で地上に出る。全く速度を落とさずに通過する八潮駅は、首都高速道路6号線の八潮PAのすぐ近くであるらしい。上り車線だけのパーキングエリアだが、流山から車で帰る時は、必ずと言って良いほど、八潮PAで一服したものだった。下り線は、手前に加平PAが設けられ、いずれにしても、ようやく都心部の渋滞から抜け出したか、とホッとする区間である。車での所要時間は、ここまでが8割程度を占めていたと言っても過言ではない。八潮と言えば、だいぶ遠くまできた印象があったけれども、秋葉原からの距離は僅か15km程度である。後に、首都高速6号線の上りの渋滞に悩む常磐道の高速バスを八潮PAに停車させ、つくばエクスプレスに乗り換える方策が乗客に提示されたことがあった。東名高速道路の江田バスストップでも、最寄りの東急田園都市線江田駅への乗り換えの便宜が図られているが、高速バスの利用客がわざわざ電車に乗り換えるものかなあ、と首を傾げたものだった。渋滞による遅延を忌避する人は、最初から鉄道を利用するのではないだろうか、と思ったのだが、八潮駅から秋葉原駅まで100円に運賃が割り引かれたためか、一定の効果が得られたと聞いている。地上に出れば、建物がひしめき合っていた都市景観は消え、のどかな田園風景が主体の車窓となった。関東平野が見渡す限りに広がって、窓の外を過ぎゆく景色の移り変わりが、時が止まったかのようにゆっくりとしたテンポに変わる。中川を渡り、窓外を白い帯となって横切っている東京外環自動車道と国道298号との三重立体交差をくぐれば、三郷中央駅を通過する。三郷中央駅も、歩いていける距離ではないものの、首都高速と常磐道のジャンクションが近い。その先で、つくばエクスプレスも高速道路も、揃って江戸川の広大な河川敷を渡る。埼玉と千葉の県境である。つくばエクスプレス線の造りは誠に豪勢で、全てが地下、もしくは掘り割り、高架構造である。踏切は1つもないという。だからこそ、思い切ったスピードが出せるのだろう。地価が高く、建物が密集している都市部に差し掛かると、ためらうことなく、地下に潜り込んでいく。贅沢な鉄道を建設したものだと思う。地下に入れば、大きな街に近づいたのだな、と思うようになった。JR武蔵野線と乗り換える南流山駅も地下にあった。快速電車は、北千住駅からここまでノンストップである。南流山駅の地下ホームの構造は、なかなか興味深い。単なる島式ホーム1本でありながら、上り電車と下り電車の停止位置が、ほぼ1編成近く、前後にずれている。武蔵野線との乗換駅なので、狭いホームの混雑を少しでも緩和するためだろうか。つまるところ、南流山駅は、6両の2倍とまでは行かなくても、10両分くらいの長さが保たれていることになる。長いトンネルを造るのと、幅の広いトンネルを掘ってホームの幅を広げたり2本のホームを設けるのと、どちらが費用が掛かるのだろう、などとどうでも良いことが気になってしまう駅である。僕の目的地は、流山市内にある。秋葉原から22.1kmをひたすらに走り込んで、あっという間の到着だった。あまりに呆気なくて、せっかくのクロスシートを手放したくなくなっていた僕は、そのまま立ち上がらず、腰を落ち着けてしまった。少しばかりの後ろめたさが、胸中に込み上げてくる。会議が始まるまで、あと1時間ほど残っていた。もしかしたら、少しばかり遅刻するかもしれない。僕にとって、つくばエクスプレスの経験済みの区間は、秋葉原駅から南流山駅までだった。この先は未知の区間だから、いっそのこと、つくばまでの未乗区間を乗り潰したい、という誘惑に、どうしても勝てなかったのである。南流山は、仕事と趣味の境界駅だった。これがロングシートの車両だったら、僕はきちんと下車していたかもしれないので、放浪の責任の半分はつくばエクスプレスにある。ちょっとばかり不良になった気分で、誰にも言えない旅を始めた僕を乗せて、快速電車は南流山駅を発車した。流山の市街地をくぐる地下線をしばらく走行し、その間に総武流山電鉄の線路をくぐる。つくばエクスプレスが出来るまでは、常磐線馬橋駅から分岐する全長5.7kmの小さな私鉄の終点が、会議の最寄り駅だった。大正5年開業という、つくばエクスプレスとは比べものにならない老舗の鉄道だ。20年以上前、社会人になったばかりの頃、初めて仕事で流山を訪れた際に、1度だけ乗ったことがある。鉄道ファンになった子供の頃から、鉄道書籍などでその存在は知っていたものの、まさか大人になって仕事で使うことになろうとは、不思議な縁であった。短い編成の電車が、代わり映えのない住宅地の中を走った記憶があるだけで、その他は何にも覚えていない。大回りになるけれども、今回は帰りに乗ってみようかな、と思う。つくばエクスプレスは、関東平野を貫く真っ直ぐな高架となり、流山セントラルパーク駅を過ぎ、希少種オオタカの住む鬱蒼たる山林に分け入って、東武野田線との接続駅である流山おおたかの森に到着する。電車のモーター音は勇ましく高鳴り、小刻みな揺れも絶えず感じられて、快速電車の走りっぷりはなかなか勇ましいけれども、線路際に建物が少ないためか、車窓風景は至ってのんびりと過ぎていく。暗くなり始めた黄昏の田園。桜咲く華やかな都心とは全く異なる、寒々としたモノトーンの車窓。ここには、まだ春が訪れていないかのようだった。ドヴォルザークの「新世界」第2楽章の壮大な調べが、ぴったり似合いそうな大柄な景観である。もしくは、ミレーの「晩鐘」の舞台であろうか。目まぐるしい東京の街から僅か30分ほどで、このようにのんびりと鄙びた景色に心を和ませることができるとは、旅の至福である。利根川の広大な河川敷を渡れば、いよいよ茨城県に入り、守谷駅に到着した。僕にとって仕事と趣味の境目が南流山駅であったが、つくばエクスプレスでは、守谷駅が車両運用において重要な境界を成している。茨城県石岡市にある気象庁地磁気観測所で観測されている地磁気に影響が生じないよう、秋葉原駅から守谷駅の先までが直流1500V、その先からつくば駅までが交流2万V・50Hzへと電化方式が変わるのである。JR常磐線の取手駅と藤代駅の間にも交直流の切り替えが行われているのも、また、守谷駅で接続する関東鉄道常総線が非電化であるのも、この地磁気観測所への配慮である。秋葉原-つくば間の全線を運転するためには、交直流両用電車が必要になるが、直流電車と比べて製造費が高額となるため、つくばエクスプレスは、秋葉原-守谷間で使用する直流電車と、全線で使用する交直流両用電車を用意し、守谷駅に車両基地を置いている。ならば、全線を交流電化にすれば良いではないか、との疑問が浮かぶ。高電圧で、発電所から遠く離れた地域を走る電車まで電気を効率良く到達させ、車両に備えた変圧器で電動機に適した電圧に降圧する仕組みの交流電化は、直流電化のような地上の変電所が不要という利点があり、新幹線をはじめ、比較的近年に電化された鉄道に採用されている。一方で、交流電化は、変圧器などを車両に装備する必要があるので、製造費が嵩む。高圧電流を架線に流すため、周辺に電流が漏れないように絶縁距離を直流より広く確保する必要もあり、つくばエクスプレスではトンネルの口径を大きくしなければならなくなるため、都心部側を直流にしたのだと言う。南流山駅の構造といい、電化方式といい、つくばエクスプレスは贅沢に見えてもなかなか倹約家なのである。このような理屈を知っていても、なぜ、交流が直流より地磁気への影響が少ないのかは、よく分からない。分からないけれども、とにかく、守谷駅を出て程なく、電車は直流電化と交流電化を隔てるデッドセクションに差し掛かる。架線は繋がっているものの、電気が流れず、電車は惰性で通過していく。かつて、デッドセクションを走る電車は、瞬きするように車内灯を一斉に点滅させて通過したものだったが、最新の電車は、その気配を微塵も感じさせることはない。ここまで来れば、車内に空席が目立つようになり、居眠りをする乗客も増えてきた。あたかも長距離列車の雰囲気である。高架と切り通しが繰り返される新幹線のような線形を、快速電車は最高速度で疾走する。沿線に家々の灯がともり始めた頃、暗くなりかけた曇り空を背景に、筑波山の流麗な山容が遠望できた。ドライブで何度か訪れたことがあるだけに、はるばる遠くまで来たものだ、という実感がこみ上げてくる。東京を出て1時間も経っていないとは思えない。みらい平、みどりの、万博記念公園、研究学園などと、いかにも人工的に開発された土地であることを伺わせる名前の駅を次々と通過し、地下に潜り込めば、いよいよラストスパートだった。つくば駅までの地下区間は意外に長く、ここでの快速電車の平均速度は時速112.4kmと、在来線では極めて高い速度で走破する。そのスピードですら、どこまで続くのだろう、と不安になるほどに長い暗闇が続いたが、電車がふっ、と肩の力を抜くように速度を落とすと、終点のつくば駅だった。この土地には、高速バスで訪れたことしかなかった。百貨店やオフィスビルなどが建ち並ぶ最近の様相も知ってはいるものの、その面影は、閑静な地下駅では全く感じ取れない。そもそもつくばエクスプレスの地下駅は、どこも画一的な構造で、あたかも秋葉原駅に舞い戻ってきたような錯覚に陥りがちである。高速バスで来た時の思い出をそのまま心に留めておきたい気分になったので、僕は、敢えて外に出なかった。もちろん、急いで戻らなければならないと言う理由もある。秋葉原からの58.3kmの小旅行は、盛りだくさんの車窓と見事な列車の走りっぷりが満喫できたので、来て良かったと心から思う。僕は改札を往復しただけで、そのまま、南流山駅までとんぼ返りである。帰路は、先頭車両で前景を眺めながら、立ちんぼで過ごした。会議にそれほど遅れなさそうな時間に南流山駅に到着し、幾分ホッとしながら電車を降りた僕の耳に、緊迫した口調のアナウンスが聞こえた。『ただいま、みどりの駅での車両点検のため、つくばエクスプレス全線で運転を見合わせております。御迷惑さまではございますが、今しばらくお待ち下さい───』僕が乗ってきた上り電車も、ホームにずれて停車している下り電車も、ドアを開け放しにしながら、全く動く気配を見せなかった。危なかった、と思う。もし、つくば駅で地上を散策したり、電車を1本遅らせていたら、僕はこの遅延騒ぎに巻き込まれて、会議が終わる時間ですら間に合わなかったかもしれない。神様が僕の気晴らしを許してくれたのだな、と都合の良い解釈が心に浮かんで、僕は独りで苦笑しながらエスカレーターに歩を運んだ。にほんブログ村人気ブログランキングへ↑よろしければclickをお願いします<(_ _)>(25.4.14)

    第56章 平成25年 高速運転に酔い痴れたつくばエクスプレス快速電車ボックス席の45分
  9. 休日は鉄道模型いじりを~♪
  10. 金沢運転所(金サワ) 475系同所の471系 473系 457系と共通使用で先頭車Tcは クハ451とクハ455急行「立山」 昭和57年11月ダイヤ改正で583系化されるも昭和60年3月ダイヤ改正で廃止「立山」 行先板 富山~大阪金サワ所属急行「ゆのくに」 昭和57年11月ダイヤ改正で廃止急行「くずりゅう」 福井県の九頭竜川から命名昭和60年3月ダイヤ改正で廃止北陸ローカル運用中間クハの代わりに サハ455 が連結されています金沢運転所試運転 特急形と混編成   津幡駅にてここからは 九州入り急行 のヘッドマークをご覧下さい「玄海」 岡山~熊本  昭和50年3月ダイヤ改正で廃止「つくし」 大阪~博多  昭和50年3月ダイヤ改正で廃止「はやとも」 広島~博多  昭和50年3月ダイヤ改正で廃止「べっぷ」  大阪~別府  昭和48年10月廃止交直流急行電車 の資料としてご覧下さい金沢運転所 急行編成「立山」「ゆのくに」全盛期12両編成MT比率が半々の6M6T運転室 クモハ475の機器配置図配電盤サハシ455(ビュッフェ車)    サロ455(グリーン車)コーヒー トースター アイスクリーム等がビュッフェを象徴していますクモハ475とモハ474の床下機器配置図クハ455の床下機器配置図サハシ455とサロ455の床下機器配置図ご覧頂き有難うございます

    金沢の475系 
  11. 【相鉄・東急】「相鉄・東急新横浜線開業1周年」ラッピング~PART1
  12. 2024-4-4 大井川鐵道3(新金谷検車区)
  13.  オフろうきっぷで日豊本線、久大本線などのわたしの旅スタンプ巡りをしてきました。まずは日豊本線です。宇島から佐伯までの設置駅を訪問しました。宇島、杵築以外はすべてわたしの旅スタンプなのがうれしい。普通列車に乗ったのは中津→宇島、亀川→大分のみ。あとはすべて特急を利用しました。普通列車のみで回ったら1日では回れないような気がします。3日間特急乗り放題で8000円はありがたいです。<2024.4>●宇島駅です。窓口が立て込んでいて聞けませんでしたが、多分スタンプは無いです。とりあえず、TRAIN TRIPスタンプをゲット。<わたしの旅・赤丸 動物や植物が特色の駅 ★★修験道の里つくししゃくなげの駅★★>●ホームにはカラス天狗の像がありました。●駅名標のイラストに期待したが、豊前市のゆるキャラ「くぼてん」というカラス天狗の男の子でした…。わたしの旅スタンプには修験者は出てきますがカラス天狗は出てきません。●向かいのホームでソニックを待っていたら1番線にわたしの旅スタンプ台を発見。カラス天狗が入ったケースが置かれていました。●よく見るとプレートが残っている!ということはイラストのプレートも残っているのかな?ソニックが到着する直前に気づいたので見に行けず。気になる~。●中津駅です。みどりの窓口内の台の上にありました。<わたしの旅・黒丸 自然の景色が特色の駅>●わたしの旅スタンプがある駅の駅名標のイラストはわたしの旅と同じ場合が多いのですが、さすがに福沢諭吉でした。小倉寄りには「つ」の部分が中津名物の鱧のイラストになっている駅名標がありました。●柳ケ浦駅です。改札口で借りました。更新されたばかりなのかかなりきれいです。<わたしの旅・黒四角 史跡や建物、文化財が特色の駅>●駅名標のイラストはわたしの旅と同じでした。●ここもわたしの旅スタンプ台が残っていました。 次は宇佐駅~です。

    福岡・大分DC&オフろう!きっぷの旅③ 日豊本線わたしの旅スタンプ巡り 宇島~柳ケ浦
  14. 蒲田駅開業120周年
  15. 私の時刻表コレクションに、ヨーロッパ鉄道の研究用として、1950年代から現在まで、主にトーマスクック・ヨーロッパ鉄道時刻表の収集を行っています。(ちなみにトーマス・クックの名称は2013年夏号まで。以降は、有志で設立されたEuropean Rail Timetable社によって現在までつづいています)更新情報:1999年初春号(日本語解説版)ここでは私にコレクションの紹介とともに、その号の冒頭にまとめられている「今月のお知らせ」をまとめたページのリンク集を、備忘兼ねてまとめました。日本の時刻表でいれば、「ダイヤ改正のお知らせ」「災害による代行運転」「●●線開業」など、その号の更新情報がコンパクトに纏まっているページであり、インターネットもない時代では、このページが当時の欧州鉄道の動きを知る手がかりでした。原文は英語ですので、すべてブログ筆者による邦訳した情報をアップデートしています。また、読者の皆様にブログ筆者の誤訳を指摘頂きやすくするために(w)英文も同時に掲載します。英語の学習兼ねてご覧になることもおすすめします。1950年代 1952年5月号 52年夏ダイヤ掲載、新列車登場(ライン・アロー号、ライン・メイン号、ノース・ウェスト急行、オリエント急行の新たな直通車両連結 など) 1960年代 1963年3月号  ドイツ・デンマーク間の渡り鳥ルートのフェリー開通式、パリ・ブリュッセル・アムステルダム間の電化開業 1969年8月号  TEEミストラル号運転開始、ワゴン・リ社がT2型寝台車をリリース 1970年代 ’70年3月号  69〜70年冬ダイヤと、70年夏ダイヤの先行情報掲載 ’72年1月号  71〜72年冬ダイヤ掲載 ’72年4月号 ミュンヘンオリンピック向けの臨時列車情報、72年夏ダイヤ掲載 ’72年5月号  72年夏ダイヤ掲載、ミュンヘンオリンピック向けの臨時列車情報 ’73年3月号  72〜73年冬ダイヤと、73年夏ダイヤの先行情報掲載 ’73年9〜10月号 イタリア国内TEE2列車運行開始、フランス・ターボトレイン運用拡大など ’74年3〜4月  フランスT2型寝台車が主要路線に続々投入、夏ダイヤでのTEE列車の動き(新設、廃止) ’74年6〜7月 3日間の労働週(the 3-day working week)導入による時刻表発行スケジュール変更など ’74年9〜10月 パリとブリュッセル間に2本のTEE(メムリンク号とルーベンス号)誕生 ’75年 1月号  74〜75年冬ダイヤ掲載 ’75年 5月1〜31日号 リバプール・プルマン号を廃止、スイス等間隔ダイヤ導入 など ’75年11月号 インスブルックオリンピックの臨時列車運行 など ’76年5〜6月 76年夏ダイヤ掲載、カートレイン大幅削減、TEEディアマント号廃止 ほか ’77年 3月号 夏ダイヤ予告:ウィーン〜ローマ間の夜行列車レームス号運行開始、パリ〜アテネ・イスタンブール間、ストックホルム〜ジェノバ/ローマ間、バーゼル〜ブクレシュティ間など、長距離直通列車が廃止 ’77年5月1日〜21日号 ニース〜モナコ間のがけ崩れによる不通、イギリスのダイヤ大幅見直し ほか ’77年7月号 77年夏ダイヤ追加情報を掲載(小粒な情報が並んでいる) ’78年1月号 イタリア北部鉄道線の洪水被害と迂回運転状況 ’79年3月号 主に西ドイツの1等車のみインターシティの消滅 ’79年4月号 78〜79年冬ダイヤと、79年夏ダイヤの先行情報。イギリスHSTの増発、西ドイツ1等車インターシティーの消滅 1980年代 ’80年1月号 欧州各国のサマータイム制導入状況とダイヤへの影響 ほか ’80年9月号 フランス初のTGV高速列車リヨネ号(Le Lyonnais)運行 ほか ’81年2月号 80〜81年冬ダイヤ掲載、英、HST125 Cleveland Executive号運転開始 ほか ’81年9〜10月 TGV南東線開業(=フランス初の新幹線開業)ほか ’82年5月1日〜22日号 夏ダイヤ関連(スイス等間隔ダイヤ、TGV南東線など) ’82年5月23日〜6月30日号  国際インターシティ列車の表を追加、パリ・マルセイユ間のTGVサービス導入 ほか ’82年7月号 モスクワ・ヘルシンキ間の列車にトルストイ号の名称がつく ほか ’82年9月号 82〜83年冬ダイヤ掲載、ワゴン・リ社100周年記事 ほか ’83年5〜6月号 5つのTEE廃止またはインターシティへの格下げ ほか 83年12月号 ETR300形(Settebello;セッテベロ号)電車が引退 ’84年5〜6月号 夏ダイヤ予告、セッテベロ号がコロッセウム号に改名 ほか ’84年9〜10月号 TEEキャピトール号の格下げ ’85年1月号 パリ〜グルノーブル間の直通TGV運行開始 ほか 85年11月号 英の長距離ディーゼル機関車が世界新記録を樹立 ほか ’86年7月号  フランス国鉄が、Cabine 8客車新規導入 ほか ’87年1月号(日本語版:春号) ユーロシティネットワーク創設予告 87年6月号(日本語版:夏号) ユーロシティ運行開始 ’88年6月号(日本語版:夏号) 西ドイツ高速新線(フルダ〜ヴュルツブルク)開業、ミラノ〜ローマ間ノンストップ便運転開始 ほか ’88年12月号(日本語版:’89春号) ヨーロッパの各地で行われる開業周年行事について(イタリア、チェコスロバキア、そしてオランダの国鉄が150周年、スイスのレーティッシュ鉄道が100周年) ’89年6月号(日本語版:夏号) 1990年代 ’90年9月号 冬からのパリ〜ボルドー、トゥールズ間にTGV大西洋線導入、東西ドイツ間の列車に生じる変更について ほか ’90年11月号 ドイツ統一後の東西間の運行、南急行から寝台車がなくなる ほか ’91年 8月号 スペイン・いくつか夜行タルゴ列車が新設 ほか ’92年夏号(日本語解説版) 国際列車掲載ページの紙面レイアウトの大規模再編成 ほか ’93年5月23日〜6月30日号 ユーロナイトが発足 ほか ’93秋冬号(日本語解説版) ETR450ペンドリーノに2等車連結、女性専用のクシェット車導入 ほか ’94年 初夏号 ユーロスター運転開始の暫定情報、ドーバー海峡連絡 ほか ’95年初春号(日本語解説版) ユーロスター、ル・シャトルの運転状況(英仏海峡関連情報が中心) ’95年夏号(日本語解説版) シティ・ナイトライン運行開始 ’95年8月号 ロンドン〜フォート・ウィリアム間の寝台列車の廃止が撤回など ’96年夏号(日本語解説版) オーストリア:スーパーシティ(SC)の種別消滅 リール〜ボルドー、ナント、レンヌ間に新たにTGVが運転開始 など ’97年 3月号 ユーロスターの緊急ダイヤ掲載、夏ダイヤの先行情報 ほか ’97年初夏号(日本語解説版) ユーロスターの緊急ダイヤ掲載、フランス 「トラン・ヴェール(緑の列車)」制度の登場 ほか 9月1〜27号 ストックホルム - オスロ間の夜行便廃止、ダブリン〜ベルファスト間で「エンタープライズ」運行開始 ほか ’98年3月号 夏ダイヤの速報掲載(ベルリン市街線経由の優等列車復活にともなうダイヤ修正やロシア発着の長距離列車の動向など) ’99年初春号 フランス ル・ヴォルカン号(Le Volcan)の運転開始 ほか ’99年9月号 高速鉄道特集記事、ノルウェー、オスロ・クリスチャンサン線に、新型傾斜列車「Signatur」導入 ほか 2000年代 ’00年6月号 (準備中) ’03年7月号  ドイツ鉄道(DB)の寝台車火災事故を受けた独仏間NZ(Nachtzug)の運休 ほか ’04〜05年冬号  Linxの運行停止、Bahn2000プロジェクトの実施に伴うスイス国内便の大幅な再編、ICEスプリンター運行開始 ほか ’05年4月号 各国のダイヤ微修正の件、05年国際列車夏ダイヤの追加情報 ’05年夏号 スウェーデンの運行会社BK Tågの事業停止 など ’08年4月号 (準備中) ’08年夏号 オランダHSL南高速線の供用開始時期についての見通し など ’08年秋号 (準備中) ’09年夏号 フランドル・リヴィエラ号の名残だった季節運行の夜行列車廃止。リエージュ - アーヘン高速線開業 ほか 2010年代 ’11年5月号 (準備中) ’11年8月号 (準備中) ’13年8月号 (準備中) トーマス・クック社による最後の時刻表 ’14年夏号 (準備中) ’14〜15年冬号 (準備中) ’15年夏号 (準備中) ’15〜16年  冬号  LGV東ヨーロッパ線開業予告、コペンハーゲン〜ハンブルグ〜ベルリンのICEが廃止 ’16年 夏号 LGV東ヨーロッパ線開業など ’16〜17年冬号 (準備中) ’17年夏号 (準備中) ’17〜18年冬号 (準備中) ’18年 夏号 (準備中) ’18〜19年冬号 (準備中) ’19年夏号 (準備中) 2020年代 ’20年夏号  (準備中) ’20年10月号  1)概況など  2)イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル  3)スウェーデン、ドイツ、スロバキア、ハンガリー  4)アルバニア、ウクライナ/モルドバ、バルト三国、ロシア  5)冬ダイヤ情報 :ミュンヘン〜チューリヒの電化など ’20年11月号 スペイン高速新線開業、COVID-19関連情報 ’20〜21年冬号 (準備中) ’21年4月号 (準備中) ’21年9月号 (準備中) ’21年10月号 1)フランス、スペイン、オーストリア 2)セルビア、ギリシア、トルコ 3)ルーマニア/モルドバ、ウクライナ、バルト三国、ロシア/ベラルーシ ’22 4月号、5月号 夏(6月)号:その1、その2 7月号:その1、その2 8月号、9月号、10月号、11月号 冬(12月)号:その1、その2、その3、その4、その5 ’23 1月号、2月号、 春(3月)号、4月号、5月号、 夏(6月)号のその1、夏号その2、 7月号、8月号、秋(9月)号、10月号、11月号 冬(12月)号: 国際列車 、 イギリス、アイルランド、フランス、オランダ、 イタリア、スペイン、ノルウェー、ドイツ、 東欧、バルト沿岸各国、その他エリア ’24 1月号、2月号、3月号、4月号 ’25

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    【2024年5月更新】トーマスクック/ERT ヨーロッパ鉄道時刻表の「今月のお知らせ」のまとめ
  16. 加島陸橋で網干訓練を撮った後は、風前の灯火となった高野線の6000系や、新たにラッピングされたラピートなどを撮るため南海電車に移動しました。沿線での撮影を予定していましたが、雨のため駅撮りに変更しました。まずは高野線6000系です。復刻のため帯色を消された6001F+6907Fをはじめとして、4連2本、2連6本にまで数を減らしており撮影するのが難しくなってきています。上記の復刻編成は、南海アプリの列車走行位置で専用アイコンで表示されているので便利ですが、それ以外の編成は運次第ですね。2連は他型式の増結で橋本側に連結されています。6001F+6907F 区急なんば  南海アプリで走行位置が公開されています。  新今宮にて 2024.5.16913F+6300系 区急林間田園都市  6001Fがなんばから折り返して来るのを待っているとやってきました。  新今宮にてそして6907F+6001F 区急泉北和泉中央 6027F 区急泉北和泉中央と6021F 区急なんばの離合  偶然、6000系同士の離合が撮れました。  萩之茶屋駅にて6903F 特急なんば  本当は快速急行なのですが、新今宮を出ると折り返しの幕回しが始まるので撮れました。快速急行幕が撮りたかったのですが、幕回しが始まるのを失念していました。 今宮戎にて6001F+6907F 準急なんば  泉北高速から戻ってきました。6907F 準急泉北和泉中央

    南海6000系いろいろ
  17. 季節ものを探して その4
  18. 皆さんこんにちは。 南海電車沿線の方は ごぞんじだったのでしょうが、私は、南海沿線に踏み入れるのは初めてだったので 住ノ江駅の横に  住ノ江検車区があってホームの横に留置線があるのを知りませんでした。駅に着いて普通電車が発車直後だったので ゆっくりトイレに行って ホームに上がると。ラピートの残りの2編成がここにいました。この日から運転開始予定の 万博ラッピング編成。ミャクミャクなどの キャラクターがあまり目立たないデザインと配色なので 好感が持たれました。 阪急電車もこれぐらいのチャレンジをして欲しかった。そしてもう一編成は。セレッソ大阪×特急ラピート30周年記念ラッピング列車。セレッソ大阪は2023年12月 特急ラピートは2024年9月で それぞれ 30周年を迎えるにあたり それを記念してコラボレーションしたそうです。セレッソ大阪×特急ラピート 30周年コラボ企画情報 | 南海電鉄2023年に30周年を迎えたセレッソ大阪とコラボレーション 2023年12月9日に30周年を迎えたセレッソ大阪と、2024年9月4日に30周年を迎える特急ラピートが初のコラボ。特急ラピートをセレッソ大阪オリジナルデザインにラッピングし、大阪を盛り上げます。www.nankai.co.jp6号車5号車4号車3号車2号車1号車こちらの方は、ホームの真横だったのラッピング撮り放題でした。南海本線 3特急の競演。 特急サザン18号難波行。ホームとラピートの間に列車がなかったの まるでお披露目撮影会のような感じでした。特急サザン15号和歌山市行。写真で気づきましたが、鳥居形駅名標が見えました。やはり 下調べは重要ですね。 最初から知っていれば 阪堺電車を撮影後 こちらに直行していました。御覧頂きましてありがとうございました。鉄道ピクトリアル 2024年 06 月号 [雑誌]Amazon(アマゾン)鉄道ジャーナル 2024年 06 月号 [雑誌]Amazon(アマゾン)鉄道ファン 2024年 06月号 [雑誌]Amazon(アマゾン)

    2024年4月南海住ノ江駅にて-10
  19.  昨日の話。   左)田端でデーテンを見送った後は、またまた新鶴見へ。もはやライフワークか?? 右)あれ?PFは1両しかいないや。ワムすらどっか行っちゃてるな   数日前、この辺で大量のPFが甲羅干ししてる画像を見掛けたんだけどね。残念無念(泣)   ここに留置されてるPF群が今日の主目的だったんだけど……(号泣)   左)最近はずっとPFが入ってた倉もキンタロさんに占拠されているし 右)裏側に回ってもモモタロサン天国  ただでさえ運用が激減している上にGW期間の貨物閑散期。 相当数のPFが新鶴見に残留しているハズなのに、まったく姿が見えない(泣)。 検修庫の中も、外から見えるのはほぼモモタロサン。 見えない場所だけで20両近いPFを格納できるとも思えないんだけど、 どこかに疎開したような話もない。 きっとギュッと詰め込んでるんだろうなァ。ギュッと。   左)…と思いきや、どこからか2067号機が現れまして 右)西待機線に留置されました。あの位置だと運用に入るのは翌日以降かな?米タン??   左)そんな感じでフラフラしている内に、東待機線の2088号機のトコロに運転手さんがやって来ました 右)パン上げ。無事に8460レは運転されそうです。助かった。ボーズは避けられた(冷汗)  2088号機の起動を見届けたところで移動します。今日の8460レは他の場所で撮りましょう。  浜川崎駅から徒歩数分の踏切で迎えます 俺の浜川崎駅到着が13時20分。8460レの浜川崎通過が13時27分。ちょっとタイトだったな(汗)   浜川崎と言えば「ヌシ」。以前ほどジブリ感がありません。草が刈られてますね  最後は単2491とヌシをパシャリ。随分と撮りやすくなりました(笑) さて。 ボチボチ細君も帰って来る時間なので、この辺で撤収します。

    ライフワーク?
  20. 私は車内販売の利用回数を、2008年から数えています。今回は、記念となる回数を意識して乗ってきた話。【1】10000回は好きな列車で2022年5月には、車内販売の利用が10000回の大台に達しました。『車内販売の利用、10000回達成!』自ら「車内販売マニア」と名乗るほど、大好きな列車の車内販売。乗って、買って、飲んで、食べて・・車内販売を利用し続けて、本日5月29日、利用回数10000回を達…ameblo.jp記念の利用回数を、どの列車で誰から購入するかは、それなりに考えます。近畿&北陸に乗り鉄して、利用回数が9996回になりました。10000回まであと4回です。そして6日後には、大好きな観光列車「伊予灘ものがたり」に乗りに行くことが決まっています。だったら、近くの普通列車グリーン車に乗って1万回にするより、「伊予灘ものがたり」に乗りに行くまで待って、1万回を迎えようと考えました。その結果、よく知っている素敵なアテンダントさんから10000回目の利用ができました。【2】今回は通算11111回目先日、2024年4月20日に、通算11111回目の車内販売を利用できました。1万回の次は2万回、と言いたいところですが、今までのペースを維持したとしても、2万回になるのは70歳代半ばになってしまいます。正直言って、足腰も衰えるでしょうし、非現実的です。そこで、当面の区切りが、通算「11111回」となりました。現在はグリーン定期券を使って首都圏の普通列車グリーン車に乗車しています。頻繁に乗車して、4月19日に11110回になりました。そして、次に利用したら、11111回になります。「知っている凄腕アテンダントさん、来てくれ!」と祈っていました。素敵な人から記念すべき11111回目を利用したいのです。とにかく列車には乗り込むけど、場合によっては買わないのもアリかな・・と思っていました。ところがバッチリ! 丁寧な凄腕アテンダントさんではないですか。祈りが届きました。神様サンキュー!早速、「ビール」と「カレービーバー」を購入しました。↓凄腕アテンダントさんには、「いや~実はこれで1万1111回目なんですよ」と伝えました。さすがに何と答えて良いか分からなかったようで、返事はありませんでした。鉄道マニアの変なこだわりを聞いてくれただけで感謝です。【3】年間1110回で終了通算の利用回数だけでなく、1年間の利用回数も、意識しています。2011年は年間で412回、2012年は年間で596回、2013年は年間で912回と伸びました。そして迎えた2014年。「1000回」の大台を超え、「1095回」に達し、「1111回」も手が届きそうになりました。1095回というのは、365×3=1095回なのです。1日平均3回の1095回になり、達成感が出ました。その大晦日も、普通列車グリーン車に乗り、回数を重ねました。そして大晦日の夜に1110回目の利用。最後に自宅に帰る時に1111回、つまり「1」が並ぶキレイな数で終える予定でしたが・・・乗務していたアテンダントが、意欲無くて非常に不愛想で、車内販売のカゴにわずかな飲み物だけ入れて猛ダッシュ。これでは、買う気がなくなり、1111回目を断念しました。今思えば、もったいなかったかな?【4】年間777回目はある年、年間の利用回数が776回になりました。次はめでたい777回になります。記念すべき回数は、やはり「知っているアテンダントさん」「腕の良い販売員さん」から買いたいところです。ここで嫌らしい手段に走りました。乗り込もうとした列車がホームに滑り込んできた時に、私がほとんど知らない新人さんと気づきました。次の普通列車グリーン車で記念すべき777回を迎えるため、1本見送りました。(知らない新人に「これで777回目です」と伝えても、ドン引きですから)次に乗り込んだ列車では、知らない新人アテンダントさんでも買うつもりでしたが、鉄道マニアである私を警戒して避け気味のアテンダントさんでした。これは仕方ないと、買わずにスルー。(当時は上り電車に乗って都心の「松屋の牛めし」で食事。速攻で25分後の下りに乗って同じアテンダントさんから再び飲み物を買うなんて、平気でしてました。だから「不気味な乗客」と感じていた人もいたようです)結局は、こちらもテンション下がった777回目になりました。【5】無理して年間730回2018年は、最後にやや無理して回数を増やして年間730回に届かせました。730回は、1日2回の利用になります。729回だと1日あたり1.997・・回ですから、強引に1日2回にしたかったのです。『今年の利用回数730回』今年2018年も終わろうとしている大みそかの今日、今年最後の車内販売を利用しました。普通列車グリーン車で、「チューハイ」と「柿ピー」を買いました。「柿ピー」が…ameblo.jpこの時は、回数を稼ぐだけでして、何のために車内販売を利用しているか、意味が分からなくなりつつありました。本末転倒ですね。【参考】利用回数の数え方『車内販売の利用回数、数え方』私は車内販売が大好きなマニアです。2008年11月から、車内販売を何回利用したかを数え始めました。今回は、車内販売の利用回数の数え方の話。マニアックな話です。…ameblo.jp

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    記念の回数の乗車で意識する?!《11111回目の利用》