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久しぶりの投稿がいきなり馬場ネタで恐縮なんですが、最近YouTubeを見ていたら、馬場ファンとしては凄く嬉しい動画がアップされていたので、とても嬉しく思って今回ブログの記事にしてみました。僕が物心ついた昭和50年頃、ジャイアント馬場はもはや峠を過ぎたレスラーと言われており、すでにお笑い芸人のネタなど
山崎一夫、元東スポの柴田惣一、元週刊ゴングの金沢克彦の三氏がテレビ朝日ワールドプロレスリングの解説から卒業したとのこと。柴田、金沢両氏が卒業ということはマスコミ、評論家の解説者がいなくなるってことでしょうか。プレイヤー視点ではない視点での解説ってプロレス中継に欠かせないと思うんですけどね。 プロレ
1984年からは長州力率いるジャパンプロレス軍団が全日本プロレスを主戦場に暴れまくっていた。 そして、1985年の「激闘!エキサイティングウォーズ」には、ついにあのザ・ロード・ウォリアーズが全日本プロレスに参戦した。 キングコング・ブルーザー・ブロディは初来日以来、全日本プロレスのリングを盛り上げた
1985年← 1984年 下半期 →1984年上 ① 佐山復帰とUWFの驀進 1984年7月23日〜24日、UWF無限大記念日と銘打たれる興行が2日渡り開催され、元タイガーマスクの佐山聡が354日ぶりの復帰戦を行った。リングネームはザ・タイガーであった。本来ならUWFのエースになる予定だった
俺達のプロレスラーDX第225回 いつも向かい風の執拗な試合巧者~True to the basics~/リック・マーテル 1984年5月13日、ミネソタ州セントポール・シビック・センター。日本人初のAWA世界ヘビー級王者となったジャンボ鶴田はこの日、17度目の防衛戦を迎えていた。試合は互いにヘ
昨年3月よりガン闘病生活を続けていた西村修さんが2月28日に息を引き取った。享年53。西村さんは1971年9月23日、文京区出身。91年4月21日、新日本プロレスでデビュー。95年に海外武者修行から帰国すると藤波辰爾が主宰するクラシカルなレスリング主体の「無我」の思想に賛同し参戦。その後、再び海外武
プロレス・クラシック、ワールドプロレスリング・クラシックスなどで昭和の懐かしいプロレスを見ると実に楽しいです。少年時代を思い出します。 試合してるレスラー、セコンド陣などを見て「若いな〜」と思うんですが、それ以上に時代を感じるのがお客さんのファッションです。 昭和のプロレス会場はおじさん、子どもでか
こんばんは。すでに報道されているケンドーナガサキこと桜田一男さんの突然の訃報に驚きを隠せない私です。先日の大日本プロレス横浜文体の煽りVTRに登場し、久しぶりにそのお姿を見れたばかりだったので…この時も、ナガサキさんのお顔がとても優しくなったよね…ってブログに書いたばかりでした。亡くなられた翌日、1
2000年6月に、プロレスリング・ノアが旗揚げされた。 三沢光晴が社長になったが、人望の厚い三沢に大勢の選手がついて来て、ノアは始めから大所帯で希望の船出をした。 三沢のほかに、小橋建太、田上明、秋山準、高山善廣、大森隆男、本田多門、ラッシャー木村、百田光雄、垣原賢人、井上雅央、丸藤正道、力皇猛、森
長州力の定番テーマ曲「パワーホール」。ほかのプロレスラーが、節目でテーマ曲を変える例もたくさんある中、金曜夜8時のワールドプロレスリング大盛況時代から全く変わっていない名曲。変えてないというよりは、長州の性格上、テーマ曲へのこだわりがないのかもしれないが…!この曲は、1980年にキングレコードから発