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45歳の夫はなんの前触れもなく、2023年2月13日ごろから急に食べなくなり、話さなくなり、2月28日に救急搬送されました。 ここまでの経緯救急搬送、緊急手術までのお話は→こちら病名判明、手術後1ヶ月までのお話は→こちら手術後2ヶ月、せん妄が始まる頃のお話
ご訪問ありがとうございます元気な退院が決まったのに、急に病院から呼び出しがかかり、おかしいと思った私は特養に電話をしてみました。そして、特養から、病院に食事と水分の摂取量を数値で示してもらったら、生命維持できる量に全く足りてないことがわかったと知らされます。そこで、また看取りを覚悟するようにいわれて
ブログをご覧の皆様♡いつも訪問下さりありがとうございます皆様から頂くいいね(応援)・コメント・メッセージひとつひとつに優しさと温かさを感じ見守ってくれる人達が居て下さるお陰で色んな事を【乗り越える】チカラになっていますりーたんの【在宅への道】が無事ゴールを迎え家族皆で過ごせる日まで変わらず温かい目で
お別れ会には予想を遥かに上回る本当にたくさんの方々が来てくださって嬉しくてたまりませんでした。 闘病中は入院、通院もあったりで幼稚園は休みがちもしくは2時間だけとなかなかお友達と会える機会や 私自身も保護者の皆様と会ってお話しできる機会も少ないし気持ち
今のなーちゃんは喋ることもできなくなってほぼ寝たきり。うん、ううん、も難しく頑張って意思表示をしようとするけれど分かってあげられなくてお互いに苦しむ。寝返りもできないから夜中もうめき声で呼ぶ。食事や飲水も難しく嚥下障害も酷くなった。そんななーちゃん先日MRIを撮りました。予想通り、播種がありました。
記憶が鮮明な内に・・・と言いながら、実はもうあまりこの頃のことは覚えていません・・・。 訪看さんたちが毎日点滴しに来てくれたのは覚えているのですが 娘には吸収する力すらもうなくてパンパンになった腕お腹にも刺してみましたがお腹もあまり変わらず・・・。 SpO2が80後半から90前半だったことや 最後
日本ケアラー連盟代表理事の児玉真美さんの本を読了いたしました。<article class="pickCreative_wrap" contenteditable="false" style="display:inline-block;max-width:100%;background-color:
ご訪問ありがとうございます看取り退院ではなく、元気に退院できると言われ喜んだのも束の間、やっぱり看取り退院でと言われ、奈落の底に再び突き落とされた私でした。そして、こんなことになったことに責任を感じて、母に申し訳ない思いでいっぱいになりました。ごめんなさい、今回は結構毒吐き。医療関係者の方々、不愉快