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朝ごはんに、ゼスプリのルビーレッドといちご、北海道乳業のリュクス クリームチーズヨーグルトとおたふくのマジョールデーツ、日向屋の太陽の紅はるか(電子レンジで温め)をいただきました。約100+111+50+222kcal続いて、ブルボンのストロベリーショコラをいただきました。45g259kcalお昼ご
<mark style="background-color:#fff3c3;color:inherit;">個人セッション</mark>│<mark style="background-color:#d9ffa2;color:inherit;">著書</mark><mark style="backg
20台の頃、体重が38キロになって立ち上がれなくなった話です。→1話→1つ前の話はこちら<article class="ogpCard_wrap" style="display:inline-block;max-width:100%" contenteditable="false">『【6話】体重が
無事に高校に入学した娘。良いお友達もできたようで、私は一安心していた。一番気にかかっていた食事においても、入院中に食べていた量を食べていたので、そこが一番安心していた。ただ、私は娘のフェイスラインが丸みを帯びてきたな、という感じがしていた。私が感じていた位だから、当の本人はとても気にしていただろうな
娘は昨年の健康診断から体重を計ってない 体重はただの数字知らなくていい 体重を知ったら また減らしたくなる だから 今年の健康診断は サボったそうです よくやった!!(健康診断関係者の方々すみません) 今の娘には健康診断より心を守ることの方が
去年、自宅で意識を失い救急搬送され、そこで摂食障害だと告げられ、辛い日々を過ごした入院生活。退院したことで、私と娘は摂食障害を乗り越えたのだ!と感じていた。でも、わずかな期間で娘の状態は入院前よりも悪くなっていった。絶望のどん底に落とされた私が見つけた希望の光。「摂食障害を克服・完治させるためには、
不覚にも倒れてしまった私。娘に毎日逢うためにも、自分にも目を向けてあげよう、そう感じた。その日から、病院にはお弁当を持参し、夕ご飯も少しずつ食べられるようになってきた。つまり、娘の状態にだけフォーカスしていた状態から、ほんの少しだけ自分に目が行くようになったのだ。すると、娘の表情も少しだけれど明るく
娘の「退院する!」という力強い宣言を聴き、私の覚悟も決まった。自宅療養は難しい病気であること。すぐにぶり返して病院に戻ってきてしまう可能性が高い病気であること。私は、全てを承知のうえ「このまま退院をします!」とお医者様に宣言したんだ。だって、100%無理だという訳ではないのだから。今の娘だったら、絶
娘のやりたいようにする、という覚悟をした。中でも、食事量に関しては最も意識した点だ。「少な過ぎる…」と感じても、娘のやりたいようにさせた。ただ、当時の私は学びの途中だったので「少ない」と感じたことに無理に蓋をしていたんだ。同じような経験をされているお母様がおられるかもしれないので、このようなとき、ど
昨日は2ヶ月に一度の心療内科再診の日だったんですが今回、思いがけずめちゃくちゃ良い診察になりました!わたしが通院してるのは大学病院で毎回先生が違うことが多いです。今回診察室に入ったらそこに座っていたのは初めて見る先生、初めましてですね、と私が言ったら実際は2年前に一度診てもらったことがあったらしい。