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南瓜(かぼちゃ)といいます。21歳。摂食障害歴約7年。拒食→非嘔吐過食→過食嘔吐。過食嘔吐克服を目指しています。現在、過食嘔吐なし4日目。薬のせいか回復期なのか3月から過食気味で、太ることを受け入れ吐くのをやめたので体重が増え続け、8.8kg太りました。5月から散歩(ウォーキング)を始め、吐くかわり
私史上。過去最高体重MAXは、中学3年生頃の58kgそして、過去最低体重minは、2019年8月アメブロを始める半年前くらいの、5年前30.8kg身長は152cmです。<article class="ogpCard_wrap" style="display:inline-block;max-widt
主人と私は、医師が戻ってくるのを悶々としながら待った。私は「こんなこと、娘が耐えられるはずない。でも他に娘を診てくれる所があるの?それとも退院して自宅療養する?でもそんなことできる?一体、私はどうしたら良いの?」と、答えのない質問を繰り返していた。地獄の時間を過ごすこと数分…医師たちが私達の元へやっ
たくさんお出掛けをした夏休み。娘は食事量が著しく減少し、母親である私は食事を戻し…。楽しいんだか、辛いんだか判断が難しい夏休みであったな。ただ、夏休みは「とにかく娘の気分転換のために1日でも多く出かけてあげよう!」と自分を奮い立たせたいたのは確か。つまり「頑張って」いたってこと。一般的に「頑張る」っ
娘は高校生になるために、最速で退院する、という覚悟を決めた。私は、娘を推薦入試日までに退院させ高校生にする、という覚悟を決めた。自分と娘を信じたから。娘は病院から出していただく食事を完食し続けた。それも無理やりではなく楽しく、美味しく食べていた。私は、自分の覚悟は正しかったのだ、と嬉しかった。しかし
私の心は疲れていた。せっかく美食の国、韓国に来たのにそれしか食べないの?お蕎麦も無理なの?せっかく北海道に来たのに、ソフトクリームは食べないの?せっかくディズニーに来たのに、バナナしか食べないの?とかね。これが私の本当に感じていた感情。でもね。こんなこと言ったら、娘のことを否定することになる。絶対に
南瓜(かぼちゃ)といいます。21歳。摂食障害歴約7年。拒食→非嘔吐過食→過食嘔吐。過食嘔吐克服を目指しています。現在、過食嘔吐なし2日目。薬のせいか回復期なのか3月から過食気味で、太ることを受け入れ吐くのをやめたので体重が増え続け、8.8kg太りました。 昨日ふと思いついたスーパーやコンビニじゃなく
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去年、自宅で意識を失い救急搬送され、そこで摂食障害だと告げられ、辛い日々を過ごした入院生活。退院したことで、私と娘は摂食障害を乗り越えたのだ!と感じていた。でも、わずかな期間で娘の状態は入院前よりも悪くなっていった。絶望のどん底に落とされた私が見つけた希望の光。「摂食障害を克服・完治させるためには、
退院して1週間後、高校推薦入試を迎えた。参加できたことは本当に奇跡だ。今でも、この出来事には感謝をしている。娘はまだ、歩行に不安があったため学校の前まで車で送った。校内では車椅子を使って同伴する予定だったのだが、娘は1人で大丈夫だと言うので、信じて行かせた。娘は特に歩行には問題なく戻ってきてくれた。