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妊娠記録
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助産師さんとは、その後もしばらく、お部屋で話を続けました。私のカルテ情報を更新したいからと、家族のことについても聞かれました。ジェノグラムをかく際には「ちゃんとあの子もかくからね。名前は何くんかな?」と言って、よんちゃんもかいてくれました。よんちゃんだけ、黒く塗りつぶされてしまったけど…そのジェノグ
山本 真弓です。 重症心身障がい児だった次女について 過去にまとめたものをシェアしますね!! 次女との経験からの学びを通して 人としてたくさん成長させてもらいました。 それが、こちらのストーリーです。ぜひお読みいただけた
出産から2週間が経過しました。今回の妊娠、出産に関して励まして下さった皆さん。本当にありがとうございました。お陰様で、お腹にいた赤ちゃんは今日も元気に過ごしています。しばらく、テレビやSNS等のメディアから離れた生活をしていました。その間に新しい年も明けました。そして、世の中では悲しい災害や事故が起
妊娠9ヶ月沖縄から帰ってきて、少し心配だった検診。結果は問題なく、順調でした。この検診が結局最後の検診となりました。ひかたんが生まれる11日前でした。今思えばなのですが…ひかたん妊娠中のお腹はこの時フワフワしたようなお腹ではなく、硬めで突き出るような形のお腹でした。一人目の妊娠の時、+14kg二人目
赤ちゃんが加わった、新しい生活が始まりました。赤ちゃんが生まれても、よんちゃんを失った悲しみは消えなかった。でも、それは、私の中で、やっぱり、よんちゃんはよんちゃんで。生まれてきた赤ちゃんは、赤ちゃんなんだ。ということが、ハッキリしたというか。上の3人の子ども達も含め。私にとってはどの子も大事な存在
かかりつけ医では、毎日、助産師さんや看護師さんが来てくれ、よんちゃんの事もたくさん話しました。戸籍に残っていないよんちゃん。私たち家族の周りにいる沢山の人々も、よんちゃんの話をする人はごく僅かで。だから、こうやって、よんちゃんがこの世に存在したことを当たり前のように話せたことが、私はとても嬉しかった
産後7日目。ついに、退院の日を迎えました。ずっとずっと、最後の出産はかかりつけ医で卒業したかった。そして、目標だったその日を迎えた。なんだか感慨深くて。もう最後だと思うと寂しくて。今までは「また帰ってくるぞ」と思っていたから。あぁ、もう本当に、最後なんだなぁって。退院の日の朝。夜勤明けの助産師さんが
今回の妊娠、出産を経て分かった私の子宮の状態。担当医の先生が開腹して確認した結果。これ以上の妊娠は危険だとの指摘を受けた。子宮の上側は薄く、下側は硬く。きっと、下側は何度も切っているから、治癒する度に硬くなっていったのだと思う。子宮は付近の様々な臓器と癒着もしていた。膀胱と癒着し、筋膜とも癒着してい
…ました。その中には産婦人科やNICUで働く看護師さん達が何人もいたそうです。そして、その方達はだいたい「えー!
…が、いまいち分からまま…正直、妊娠5回目だけど、全然分からない。立つとお腹がピーンとなるけど、人体の構造的に筋肉とか靭帯も収縮するし。え?これも張り?と、分からなくなるし。横になるとすぐお腹もぽよぽよなるけど…腸活もいろいろと食べ