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手術が終わっても、私はずっと眠くてたまりませんでした。気づけば眠りについてしまう。遠くから、自分のいびきも聞こえてしまう。代わる代わる、看護師もやって来ます。「めち子さん、お名前と生年月日を教えてください。」私は乾いた声でようやく答える。「めち子、センキュウヒャク…」何度も何度も、このやり取りを繰り
先生から休むことを勧められた私は、職場に電話連絡をしました。もう、復帰まで10日に迫っていました。職場からも了承を貰い、診断書を取るように指示されました。そもそも私は、育休で1年間休む予定であり、抜けた穴には新しい方もいらっしゃいました。職場への負担も無いわけで、私自身、申し訳無さもあまりありません
看護師さんが診察室の外から声を掛けるも、先生は現れませんでした。すると、別の看護師さんが来て先にモニターみたいです。と、伝えてきました。そのまま、車椅子でベッドに移動してNSTをすることになりました。ベッドに横になり、NSTを装着します。それと同時に、体温と血圧測定。結果は、 体温 36.6 血圧
出血から約3週間。妊娠13週の終わりごろ。ようやく、出血は落ち着きました。出血を見なくて済む。それだけで気持ちも穏やかになり。リハビリがてら、少しだけ家事も再開したり、動ける時間が増えました。そして妊娠14週。私は妊婦健診に向かいました。先生に、出血は一週間程前に止まったことを伝えました。先生が腹部
よんちゃんには、3人のお兄ちゃんお姉ちゃんがいます。一番上は長男。今年、小学校1年になった6歳です。軽度の発達障害(アスペルガー)があります。弟の誕生を心から楽しみにしていました。一緒に週数を数えたり、妊婦健診にも行っていました。二番目は長女。年少さんの3歳です。妊娠中、臍帯異常(臍帯下垂と卵膜付着
常位胎盤早期剥離の発症に怯える毎日。それでも、なんとか妊娠30週を迎えることができました。ちょうどこのブログを再開したのが、妊娠後期に突入した妊娠28週の時でした。ブログを再開したことで、今回の妊娠経過や心のうちを冷静に振り返る良い機会を得ることができました。そして、なにより、このブログを通して、た
37週1日です。シロッカー抜糸して退院し、1日家でのんびりしてましたが 今朝 5時にトイレに行くとポタポタと鮮血が垂れてトイレが真っ赤に術後からちょこっと出ていたおしるしのような茶オリは昨日1日完全に止まっていたのに!!病院に電話すると、子宮口もすでに3センチ開いているので 『破水かな?すぐ来て下
私が長男を妊娠したのは、ちょうど8年前でした。私はこの時からずっと同じ産婦人科がかかりつけです。2、3歳差で4人の子供を授かったので、結果的にほぼ毎年、通い続けていました。よんちゃんが亡くなったあの日。私はまず、かかりつけ医に行きました。結局、救急搬送されたため、料金は未払いで、自分の靴などもそのま
実は、よんちゃんのお父さんは医療従事者です。周産期医療センターも入っている大きな病院に勤めています。夫は、同僚である医療従事者の方に、よんちゃんが常位胎盤早期剥離で亡くなったことを伝えていました。その中には、産婦人科やNICUで働く看護師さん達が何人もいたそうです。そして、その方達はだいたい「えー!
もうすぐ七夕です。我が家は例年、正月とかハロウィンとか、クリスマスとか、だいたいのイベントはそれなりに飾り付けをして子ども達と楽しんでいます。今朝、長男から「お母さん、あと4日で七夕だよ。」と言われました。分かってたんだけど、まだ、気力がわかなくて。今まで楽しんでいたことも、億劫になってたんですよね