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入院・闘病生活
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午後妻の面会に行く。何人もの面会人と患者にすれ違ったが、妻より若い人はいなかった。呼び出してもらったところ、妻は点滴を引きずって談話室に来た。薬はつらそうだった。吐き気があるらしい。でも、ご飯は少しずつ食べるよう頑張ったらしい。明日は緩和ケアの先生から栄養の取り方を教えてもらえる。この薬が妻を助ける
朝4時半、長男の夜泣きで目を覚ます。もう朝泣きか。長男の期限はここ2ヶ月のうち、最悪で、立って抱っこしないと泣き叫び続けていた。たまに寝たと思っても、すぐに起きて泣き叫ぶ。6時ころ、お腹が空いたとわかり、朝食を与える。癇癪が止まらず泣き続けたが、やっと食事を食べてくれた。昨日は、泣いてもかわいいと言
抗がん剤治療を終えた妻と病院を出る。退院直前の昼食は全て食べたそうだ。少し前では考えられなかった。昨日の薬は辛かったけど、たくさんのことがしれて良かった。そう言いながら、妻は笑った。私の隣を歩く妻最近まで当たり前だったのに、隣を歩いてくれるだけで嬉しい。家に帰り、子どもたちが帰る前に薬をピルケース
こないだ、膵臓がんの初期症状を知りたいというコメントをXの方で頂いたので、今日は初期症状について書こうと思います。初期症状と言っても、膵臓は【沈黙の臓器】と言われている通り、初期の段階ではほとんど自覚症状もなく、何か症状が出た時には進行していることが多い臓器です。旦那の場合も、がんは20代の時から出
1月2日の夜私の両親と今後について話した。私の住んでいる街は、両親の住む街から1時間ほど離れていて、私の職場、妻の病院、子どもたちの保育園など、全てがそこにある。両親はともに働いていて、いつでも応援に来れるわけではない。その両親から、両親の住む街へ移住して、同居をするように勧められている。有り難い話
昼前に父が来た。妻のガンが発覚して、初めて顔を合わせた。父は食べられるものをたくさん持って来た。妻の体調も良かった。消化の良いものを食べていたが、吐き気などはなく、痛みもあまりなかったそうだ。父からは、実家へ帰らないかと言われた。家族皆で帰ってこい。空いている部屋を私達のリビングにしていい。ありがた
妻が入院することになった。そんな予感はしていた。オプジーボによる副作用、大腸炎のようだった。7日入院の予定となっていた。子どもたちを連れて、病院に妻の着替えを持って行き、説明を受ける。でも、その分がんに効いているはずだ。頑張れ。頑張れ愛ちゃん。そう何度も祈る。説明を受けたあと、長女と約束していた寿司
今日は私の母が来た。色々家事をしてもらい、食事を用意してもらうその後、買い物や作り置きをしてもらった。妻は昨日よりも活動的で、朝は家族4人で散歩に行き、朝昼はパンや母の作った親子丼、私のほうれん草と玉子のスープ等を食べていた。食事の際、母と談笑して、楽しそうだった。その後、妻はカステラ等のお菓子を食
子どもたちを迎えに行き、洗濯、風呂をこなす。長女が昼寝をしていないせいで、たまにぐずるが、上手くなだめながら家事をこなす。夕食を食べながら、妻が不在で子どもたちと過ごすのが初めてだと気づく。妻が体調を崩してから、子どもたちの世話をすべてやっていたので、全く気にならなかったが、それでも寂しさがこみ上げ
前回の続きです前回<article class="ogpCard_wrap" style="display:inline-block;max-width:100%" contenteditable="false">『旦那の最期の日』黄疸に腹水と終末期の旦那は、緩和の先生にあと1週間で何か体に大きな変