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介護日記
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ご訪問ありがとうございます母は看取り退院ではなく、中心静脈栄養の点滴を抜いて元気に退院ができると告げられで喜ぶ私でした。面会した母も私のこともわかり元気そうでホッとしました。これでメデタシメデタシかと思っていたのですが. . . 続きです。前回の話はこちら⬇️<article class="ogpC
ろう学校に来て、初めて難聴児の育て方について教えてもらいました。 今まで病院で言われていた「全く聞こえない訳ではないから、赤ちゃんのうちは普通の子と同じように育てれば大丈夫」というのは信用してはいけない言葉でした・・・。しかしこれは医者が間違っているのではなく、医療と療育の専門の違い
…おかしいと思った私特養に電話をしてみました。そして、特養から、病院に食事と水分の摂取量を数値で示してもらったら、生命維持できる量に全く足りてないことがわかったと知らされます。そこで、また看取りを覚悟するようにいわれて
2024.04.234/16お通夜は19:30終了予定だったが、21:00近くまで弔問客があり、終わったのが21:00泣き腫らした目。ショボショボする。親族控え室に父をうつし、夕飯を食べに出かける。私達家族だけになると、また姉の旦那はムスーっと本当に二重人格なんじゃないかと思うご飯を食べながら『お父
…母の入院をきっかけ認知症の父の介護が始まりました泊まり込みワンオペ在宅介護とショートステイ併用期を経て… 2023年1月父、特別養護老人ホームに入所しました特養入所への道 母は今も入院中母の入院2023年3月実家じまい完了実家じまい2023
2024.04.16今日は父の通夜です14日亡くなる日の記憶があるうちに、記録を残します前回の続きです。13:50頃から酸素は10ℓへ。だんだんと呼吸数が減っていきます。その頃息子から、“15:06に◯◯駅(最寄駅)着”と連絡が。初孫でもあり、男の子の為、思い入れの強い孫。『◯◯が3時過ぎにくるから
…たが、昨日母の面会特養さんに伺った際に、ちょうど母がいるフロアで、施設の理学療法士さんと、女性入居者さんが歩行器を使った歩行のリハビリを会話されながらされてまして、私母と面会する前だったんですが通りすがる時に何の話かよく解らないのですがそちらの女性入居者さんが険しい顔付きでアタ
20代の前半に、家族を末期癌で見送った時人は死に向かうにつれて限りなく透明なものになっていって、それまでには感じられていた、言葉や動作や意志すらも存在が薄く淡く希釈されていくその時に、どうしてこの国には安楽死や尊厳死の選択肢が、こんなにも少ないのだろうかと思いました。週末は、セラピストコミュニティで
2024.04.17父の葬儀が終わって帰宅しました4/14父が亡くなった時の続きです。14:27頃 ついに心停止。呼吸が止まってから30分近く頑張ってくれていましたが、孫2人待たずに逝ってしまいましたもー、みんな大泣き14:30 主治医訪室。死亡確認辛すぎる。声を出し泣きました ナースと話し、母が、
中学生になったばかりのうちの息子、まだ一度も学校に登校して無いのですが、昨日夕方息子の学校の担任の先生からお電話がございまして、息子へ配布したプリントを届けついでに息子の顔を見たいとのことで程なくして、息子の担任の先生わざわざ我が家に来られましたが息子寝てたので、結局息子には会わせられませんでしたが