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1月2日の夜私の両親と今後について話した。私の住んでいる街は、両親の住む街から1時間ほど離れていて、私の職場、妻の病院、子どもたちの保育園など、全てがそこにある。両親はともに働いていて、いつでも応援に来れるわけではない。その両親から、両親の住む街へ移住して、同居をするように勧められている。有り難い話
朝起きて、子どもたちと一緒に出勤職場に行き、上司に相談して、介護休暇の申請を行った。来週から1か月完全休暇上司には、素直に妻の側にいたいと言った。思い出作りのためではなく、一緒に生きるために。妻を助けるために。残務処理等を行う。妻から、ちゃんとサプリを飲んでいると連絡があった。まだ、妻は諦めていない
コメントをくれた皆様ありがとうございます暖かいコメントとても嬉しいです皆で見送れて本当に良かった旦那を苦しみから解放してあげられて本当に本当に良かった看護師さんが旦那の体を綺麗にしてくれてるその間談話室で私、長男、次男三人で待つお義父さんと弟さんはどこにいたのかな?よく分からない談話室で私達は三人は
イッコです検査に行ってきたおばちゃんのブログお立ち寄り頂きましてありがとうございます 皆様からの いいね コメント頑張る基と感謝申し上げますありがとうございます 4月25日 胃の内視鏡検査に行ってきました その前の受診の記録をいたしますね 下
片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃ
2021年11月16日1年と少し前なのに、ずいぶん前のようなでもこないだのような、、、変な感覚です大学病院2回目。この日は朝から予定してた胃カメラをしました。クリニックと同じで安静剤を使っての眠った状態での胃カメラ。初めての胃カメラだったから少し心にも余裕が。でも、意識が落ちる瞬間にカメラの管が喉を
一晩妻に付き添う。喉が乾いたと何度も起きるので30分おきにイオンウォーターを飲ませる。自分で起きられないので、口腔スポンジに含ませて少しずつ飲ませる。朝になっても変わらない。呼べば目を覚まして、頷くが喋れない。ずっとお腹をさする。頭を撫でる。医師がくる妻の症状はせん妄衰弱して、脳が一時的に機能してい
囁く様にしか声が出せず口元に耳を寄せないと聞こえなくなった話しても上手く口が回らず伝わらなくなり筆談するようになった頑張って書いてくれた文字を何とか読み取る『まくらをかって』と書いたけどまくらの高さ変えての意味だった「nicoさん、ここどこ?」「病室だよ」「◯◯病院?」「そうだよ」よく聞く『夢と現実
お初の方はこっち↓<article class="ogpCard_wrap" style="display:inline-block;max-width:100%" contenteditable="false">『改めて自己紹介です』そう言えば…自己紹介的なものがなかったことに私、今頃気が付きまし
夜は、少し寝て、起き上がってを繰り返した。寝たくないという。起きられるか不安で寝たくない。机にしがみついて、一生懸命水分をとっていた。たまに記憶が変になって、色んなことを尋ねる。私は、なんでここにいるの?障害があるの?どうすれば治るの?いつ帰れるの?私は、どうなっちゃうの?子どもたちと一緒にいるには