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8月頃(亡くなる2か月前) この頃になるとちょこちょこと 胃に不調が出てきました。 今まで胃痛とか胸焼けとか無縁だった だんなさんだったのですが だんだんと胃もたれや 噴門部の痛みなどの 症状が出るようになってきました さらに、夏の暑さも
妻の容体は、一旦安定した。チューブを入れてもらい、アイスや味噌汁、飲み物を飲んでいた。飲み込む力が弱くなったと思ったが、今日はむせておらず、落ち着いたようだ。眠る時間は長いが、今は休む時だと思う。それと並行してお義父さんが限界を迎えた。色んな人から色んな形で連絡が来たが、要約すると、妻の弱っていく姿
今日の昼頃愛ちゃんが亡くなった。バタバタすぎて、今は葬儀場で愛ちゃんのそばで弁当を食べている。今日の忘れたくない言葉だけ、とりあえず書いておく。唯ちゃんママ、一緒にクッキー作るって約束したでしょママ、死んじゃやだよママと、一緒にお料理するの楽しみだったの私愛愛ちゃん好き大好き愛してる世界で一番大事だ
昨日の午前中に再び父が救急車で搬送される看とりと終末期医療の捉え方が私と老人ホームでどうやら違うようです看とりは最後まで健やかな生活(食事、排泄)を送れるサポートするようで終末期医療は、延命を諦め生活の質(疼痛コントロール、胃ろう等)を落とさず最後までサポートするようですただ、終末期医療(ターミナル
夕方、妻の付き添いに行く。昨日よりも安定していた。味噌汁を少しずつ飲んでいた。夜になると、抱っこして欲しいと言うので、またお姫様抱っこをして、外の景色を見た。結婚式場は、ライトアップされていた。ただ暗くて、そんなに景色は見えなかった。朝ほど大騒ぎはしなかったが、嬉しそうだった。そしてまたキスをしてく
4月25日(木)朝、訪問看護師さんから電話があった。前回の発熱からずいぶん体力が落ちてるのでその時の記事はこちら<article class="ogpCard_wrap" style="display:inline-block;max-width:100%" contenteditable="fa
片付け、安置、連絡、葬儀の段取りとバタバタしていたおかげで、気づけば妻の前に座ってのんびりしている。たまに、涙が流れるが空っぽになると、自然と泣き止む。眠たくないのに、眠っている感覚ボーっとする。引き菓子等のパンフレットを読みながら、妻に、手伝ってもいいんだよと声を掛ける。ごめんねと、心の中の愛ちゃ
朝起きて、子どもたちと一緒に出勤職場に行き、上司に相談して、介護休暇の申請を行った。来週から1か月完全休暇上司には、素直に妻の側にいたいと言った。思い出作りのためではなく、一緒に生きるために。妻を助けるために。残務処理等を行う。妻から、ちゃんとサプリを飲んでいると連絡があった。まだ、妻は諦めていない
朝起きたら、愛ちゃんが胸が痛いという。痛くて、髪をかきむしる。足を暴れさせる。痛み止めをもらっているうちに意識がなくなり、看護師さんが危篤と判断妻の両親と子どもたちを呼び出す。脈拍、呼吸正常だが、意識なし。みんなでずっと呼びかける。主治医が来て、あと30分から1時間保たない。もし、心停止したら、その
1月2日の夜私の両親と今後について話した。私の住んでいる街は、両親の住む街から1時間ほど離れていて、私の職場、妻の病院、子どもたちの保育園など、全てがそこにある。両親はともに働いていて、いつでも応援に来れるわけではない。その両親から、両親の住む街へ移住して、同居をするように勧められている。有り難い話